- 『セルフタイム 1〜2』 作者:未飛のぞむ / 未分類 未分類
-
全角5912文字
容量11824 bytes
原稿用紙約18.85枚
秒針の音が、最近生物の鼓動のように聞こえる。
一秒に一つ、針が進むだけ。その動きに狂いなどないのに、時々速くも遅くも聞こえてしまうのは、そういった環境に長く居すぎたせいだろうか。
第一話
―――ふわっ・・・
効果音にしてみれば丁度こんな浮遊感を感じた・・・と思ったら直後額に衝撃を受け、同時にそれに見あうだけの鈍い音が店内に響いた。
「〜〜〜ってぇ・・・あ?」
じんじんと痛みを訴える額を押さえながら、完全に眠りの世界から引きずり出された明輔は辺りを見回した。
別段変わった場所ではない。というか、ここは当然彼が居るべき場所。彼の家であり店である、『東海林時計屋』だ。
唯一の変化と言えば、とっぷりと闇に呑まれた外の様子。所々街灯があるものの、斜め向かいにあるスーパーもその隣の洋服店も、しっかりシャッターが閉められている。一番新しい記憶ではそれらは全て開けられて、店内は過剰なまでに明るく、多くの買い物客で賑わっていたはず。外だって、やっと陽が沈みかけたくらいの時分だったのに。
「・・・」
背後の壁に掛けられた振り子時計を見ると、時間は十時過ぎ。絶対と言うほど入ってこない客を待っているうちに、襲ってくる睡魔に負けてしまったらしい。
居眠りは今までにもあるにはあったが、これだけ長く熟睡してしまうなど、店の主になってから二年余り一度も無い。
流石に厭きれて溜息を吐くと、腹の虫が盛大に鳴いた。
「メシ、食うか・・・」
ぼりぼりと頭を掻きながら、まずは店のシャッターを閉めに、明輔は外に出た。
このシャッターは未だに慣れない。右端を強く叩かなければ、ちゃんと降ろせないのだ。前の店主だった祖父はコツをよく心得ていたのだが、どうも明輔とは相性が悪いようで、何度叩いても上手く出来ない。それを見る度に、だからお前は半人前なんだよと笑った祖父を思い出して、明輔はシャッターの端にかけた手を止めた。
三年前まで、明輔には家族がいた。両親を早くに亡くした明輔を引き取り、育ててくれた祖父だ。
日に焼けたのか元からか知らないが色黒で、あちこちに深い皺が刻まれた顔は、睨めば泣く子も黙るほどの威圧感があったが、普段はとてもよく笑う人だった。
そのくせ、小さいながらも逞しい体躯からは想像も出来ないほど手先が器用で、この界隈では腕のよい時計修理屋として知られていた。そのためか、客足も今よりは大分多かったように思う。
あんなに豪快でエネルギーを持て余しているような人が、あっけなく逝ってしまうなんて。
店先で突然ばったり倒れて、そのまま起きる事はなかった。脳溢血だったらしい。
―――ガン!
暗い考えを打ち消すように、シャッターの右端を叩いた。何度もやっているうちに少しへこんでしまった場所を、明輔もちゃんと叩いている筈なのに、今日もやっぱり上手くいかない。
―――ガン!
祖父と明輔は、外見は勿論、性格も似ても似つかなかった。
祖父がクマなら明輔は黄ウサギだった。黄色人種の代表みたいな黄色っぽい肌と、少し長めの真っ黒な髪。小柄ではないが、決して大きくない。どれをとっても普通すぎて、個性が無い。劣っているものは無いが、人より勝っているものも何一つ無いのだ。
時計修理の腕だって、まあまあといった所で。
―――ガン!
『そんな事もできねぇから、お前は半人前なんだよ』
シャッターの閉め方が分からないくらいで、何でそこまで言われなきゃならないんだよ、じいちゃん。時計屋の腕とシャッターの閉め方なんて、全然関係ないだろ。
―――ガン!
それでもそう言うんだったら、だったらせめて俺が一人前になるまで指導すれば良かったじゃないか。言うだけ言って、勝手に死んじまって。
もう、こんな事言っても仕方ないけど。それでも俺、もう少しじいちゃんに生きてて欲しかったよ。
―――ガァン!
「・・・あ」
最後に思いっきり叩いたのが効いたのか、シャッターはついに観念して素直に降りてきた。
ガラガラと下まで降ろして、鍵をかける。そういやじいちゃんが倒れたのも、この辺だったっけ。どうしてか、じいちゃんとシャッターは切り離せない。
「・・・金溜まったら、買い替えるか・・・」
いつになるか分からないけど。
一人ごちて、明輔はようやく店の中に入った。奥の階段を上がってすぐの小さな台所に行き、冷蔵庫や脇に積み重ねられた段ボール箱ををあさる。
「・・・これでいいか」
やっと取り出したのは、一番簡単なインスタントラーメン。最近この手の食事が多くなってきているような気もするが、一人暮らしだとどうしても料理が面倒になる。
ヤカンに水を入れ、コンロに手をかけた、その時。
―――ガガン!
下の方から、大きな音がした。それが誰かがシャッターを叩いた音だって事はすぐに分かったが、随分ひどく叩いているようだ。明輔が叩いた時の比じゃない。
店の出入り口の真上にある窓から見てみるものの、アーケードと暗さが邪魔してよく分からない。大方悪ガキか、酔っ払いの仕業だろうか。
―――ガン!ガガン!ガァン!!
音は段々大きくなっていく。明輔は仕方なく階段を降りた。無視したいのは山々だが、このままだと近所迷惑になりかねない。
騒音の主は明輔が出てくる時間も惜しいのか、戸を叩き続けている。
これでイタズラだったら、本気で警察に突き出してやろうとそう思いながら、明輔は店内の電気を点けた。
「あの、叩くのやめてください。うるさいです」
苛立ちを隠さずに、多少棘のある声で言うと、騒音はすぐに止んだ。
しかし暫くしても、扉越しの相手が立ち去った様子は無い。代わりに、
「・・・ごめんなさい」
短い小さな謝罪の言葉が聞こえてきた。
謝られる事自体、ほぼイタズラだと決めてかかっていた明輔には意外な事だったが、それより驚いたのは相手の声だった。
高く、多分に幼さを含んだ声。
―――こんな夜中に、子供?
「ちょ・・・ちょっと待ってて!」
慌てて店の反対側にある玄関から外に出て、正面にまわる。
すると。
「・・・」
一人の少女が、そこにいた。
とても小さい。首を思い切り伸ばしても、明輔の腹の辺りがやっとだ。街灯でやっと見える顔から見ても、恐らくまだ十歳か・・・もしくはそこまでもいっていないだろう。
横で緩く纏められた髪は長く、見上げてくる目は大きい。可愛いと素直に思ったが、服はシャツにジーパンといった、質素な物だった。
・・・が、勿論見覚えなんて無い。
「え・・・っと」
明輔がどう話を切り出そうかと迷っているうちに、先に少女が沈黙を破った。
突然右手を挙げたかと思うと、
「この時計、なおしてください」
そう言って、突きつけられた右手には、腕時計と思しきモノが握り締められていた。
第二話
―――ズルズルズル。
「・・・」
明輔は、正面でラーメンを啜る少女を、複雑な心境で見やった。
小さな女の子一人、あのまま放っておく訳にもいかず、とりあえず家の中に入れた彼女が何より最初に言ったのは「おなかすいた」だった。
流石に脱力感に見舞われたが、自分も夕食がまだだったこともあり、結局もう一つインスタント食品を取り出し、今に至る。
色々と聞きたい事は山々なのだが、少女の食べっぷりがあまりに見事で、声をかけるのを思い留まった。余程空腹だったのだろう。
容器を置き、満足げな息をつくのを見計らって、明輔はようやく声をかける事ができた。
「えっと・・・君、迷子かな?」
「ちがう」
「じゃあ、どうしてこんな時間にここにいたの?」
「もっと早く来たかったけど、途中で道、わかんなくなっちゃった」
・・・それを迷子と言うのでは。
というより。
「そうじゃなくって・・・どうして『ここ』にいたの?」
「時計、なおしてもらいたくて。」
言われて、今はテーブルの端に置かれているモノを見る。
腕時計だと分かったのは、皮製のベルトが付いていたから。それが無かったら、すぐには何か分からなかっただろう。それだけ破損が酷かった。
何せ、文字盤の部分は無くなり、中の機械部分が飛び出ていたのだから。
しかし明輔には、時計よりも大事な事があった。
この少女を、一刻も早く家に返すことだ。
「君、家は何処?送っていくよ。」
なるべく優しく言ったつもりだったが、少女は激しく首を振り、
「やだ。時計なおしてもらうまで、帰らない」
と、聞き分けの無い事を言う。
「君さぁ・・・外、もうこんなに真っ暗なんだよ。家の人が心配してるよ。」
「時計、なおしてくれたら帰る。」
「いやそうじゃなくて・・・」
―――小さい子って、こういう所が厄介なんだよなぁ。
妙な所が頑固で、それがどんなに些細な事でも、自分の希望を譲ろうとはしない。
しかし、それくらい分かってくれてもよさそうなものなのに。
「分かったよ。でも、今日はもう店は仕舞ったんだ。明日また来てよ。」
「明日はダメなの。でも、早くしなくちゃいけないの。おねがい、なおしてください」
おねがいしますと、そう言って頭を下げる様子があまりに必死だったので、思わず次に出かかった言葉を飲み込んだ。
「なおしてください。おねがい、しま・・・」
最後の方はもう涙声で、これ以上何か言ったら泣き出してしまうだろう少女に、明輔は仕方なく折れることにした。どうせ、大して仕事があるわけでもない。
「分かったよ。直す。直します。」
白旗を上げる気分で言うと、少女は一気に泣き顔を笑い顔に変えた。
「ほんと?!」
「うん。でも、今日はもう遅いから帰るんだよ。どうせ今日一日じゃ出来ないだろうし。」
「ありがとう!」
つい数秒前とは打って変わって満面の笑みを浮かべる少女を見て、余程大切なんだなと、明輔も知らず知らずのうちに微笑んだ。
理由が何にせよ、自分がいつも触れている時計を大切にしてもらうのは、やはり気分がいいものだ―――と、横の置時計を見てみると、時間はなんと十一時。
「もうこんな遅ぇし・・・君、早く下に来て!すぐに車で送っていくから!」
「え、でも・・・道覚えたし・・・」
「駄目。こんな夜中に、小さい子が外に出るもんじゃない」
言いながら、簡単な上着を羽織る。春先でも、外はまだ寒い。
「おいで」
差し出した明輔の手に、少女は一瞬戸惑い、結局素直に従った。
「・・・ここ?」
「うん」
車を走らせる事、約三十分。助手席の少女に言われた通りの道を進んでいき、車は既に隣町まで入っていた。
視界が悪い住宅街で、たくさんの道を曲がりくねり、ようやく到着した・・・のだが。
少女が止まるよう指示した場所に、家は無かった。
いや、これでは語弊がある。ちゃんと建物はあるのだ。ただ、予想していたような一戸建ての家やマンションが無かっただけで。
広い敷地に、それに見合うだけの大きな平屋。入り口の両脇には木製の柱が立てられ、そこに丸っこいカラフルな文字で『ねむの木の家』と書かれてある。
実際に見た事こそなかったが、明輔も知識程度には知っている。
ここは、いわゆる孤児院だ。
―――ということは、もしかしてこの子は・・・
無言のまま車を降りて、特に急ぐ様子もなく玄関に向かう少女を見送りながら、明輔の中で一つの疑問が解けた。
少女は一人で明輔の所に来たんじゃない。一人でしか来れなかったのだ。伴うはずの両親が、彼女にはなかったのだから。
その時、もう玄関の手前まで来た所で、少女は急にこちらを振り返った。
「・・・、・・・」
よく目を凝らしてみると、彼女は明輔に向かって何か話しかけているようだった。口がパクパクしているのは見えるが、声が小さくて聞き取れない。
どうしたんだろうと明輔が車から降りようとした時、
「あかりちゃん!!」
突然玄関の電気が点いたかと思うと、中から誰かが転がるようにして出てきた。
「どこにいたの、こんな遅くまで!」
小太りの、中年の女性だ。カラコロとサンダルを鳴らしながら、怒っているのか安心しているのか―――いや恐らくどちらもだろうが―――呆然としている少女に駆け寄ると、そのまま抱きついた。
「みんな探してたのよ!今警察に言いに行こうかと・・・」
そこまで言った時、車から半分降りかけた微妙な体勢のまま固まっている明輔に気付いたらしい。少女に短く何か問いかけると、足早に明輔に近づいてきた。少女も、それに少し遅れて続く。
恰幅の良い体型のせいか、小柄ながらもエネルギーに満ち溢れたような印象は、なんとなく祖父を思い出させた。
「貴方が送ってくださったんですか。」
「ええ、まぁ」
「まぁ・・・本当にありがとうございました。この施設の職員の、谷と申します。こんな夜遅くに失礼を・・・」
「いえいえ・・・あ、俺は東海林と申します。」
深々と礼をする谷に同じように返しながら名乗ると、谷は少し驚いたように訊ねた。
「あの・・・失礼ですが、もしかして時計店の方でしょうか?」
「そうです。よくご存知ですね。」
今度は明輔が驚く番だったが、谷はその返事を聞くと、表情を驚愕から呆れのそれに変えて、横にいる少女を見た。
「あかりちゃん、あなた、また?」
「・・・」
谷が溜息混じりに訊くと、あかりと呼ばれた少女は目を逸らした。しかしその行為には気まずさや叱られた事への羞恥などは感じられず、ただ答える気がないから答えないというような無関心しか見られなかった。
谷はもう一つ溜息をつくと、諦めたようにそれ以上問うのを止め、明輔に向き直った。
「すみませんでした。もう今日は遅いので何も出来ませんが、後日改めてうかがいますので。」
「そんな、別にいいですよ。」
「いえ、このままではこちらの気がおさまりませんので。迷惑だと仰るなら話は別ですが・・・」
「いや、そういうわけでは・・・」
このままだと永遠に押し問答になってしまう。そう考えた明輔は、仕方なく折れることにした。
「では、今日はこれで下がらせて頂きます。本当にありがとうございました。」
谷は満足げににっこり笑い、もう一度深い礼をしてから、あかりの手を引いて中に入ろうとしたが、あかりはその場からすぐには動かず、明輔を見上げている。
「どうしたの?」
明輔が屈んで訊くと、
「時計、絶対なおしてね。約束だよ。」
「あ・・・」
さっきよりも小さな声で、耳元でそう囁くと、明輔が何か言う前にすぐに踵を返して谷の手を握った。
二つの影が中に入り、玄関の戸が閉まるまで、明輔はその場から動けなかった。
『約束だよ』。
その言葉が、耳から離れなかったせいで。
-
2005/04/28(Thu)02:17:29 公開 / 未飛のぞむ
■この作品の著作権は未飛のぞむさんにあります。無断転載は禁止です。
-
■作者からのメッセージ
初めて投稿します。
小説は大好きなので、皆さんのご意見を待っています!