- 『俺たちは英雄だ。』 作者:ゅぇ / 未分類 未分類
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【1】
2004年5月。あたしたちは一晩にして幕末の人となった。つまりな、説明するとな、あたしは平成の女子高生しかも美人やってんけどな。合宿研修で京都に来て、ホテルに泊まった……と思ったら地震に遭ってやな。気失って、そんで眼ぇ覚めたら幕末やったってわけや。だからどういうことかっつーと、タイムスリップしたわけ。信じられへんやろ? ドッキリ違うんけ、って思うやろ? いやいや、ホンマやねん。あたし何が起こっても、絶対動じへん自信があるわ。
マクドの朝マック(ソーセージマフィン)についてるハッシュドポテトが食べたい。
王将の味噌ラーメンと、牛肉とピーマン炒めたのが食べたい。軟骨の唐揚げが食べたい。
ワンタンスープが食べたい。
チーズスフレが食べたい。釣鐘まんじゅうが食べたい。ミルフィーユが食べたい。
欲求不満で死にそうや。
「じゃあ行ってきます」
「気ぃつけや。ここんとこ物騒やさけ」
「はーい」
崇人が迎えに来てくれた。とりあえずの旅費と着替えを貰って、それを行李に詰め込んで背負い込む。
何や、リュックみたいに背負えるのはええけど角がごつごつ当たって痛い。
「遅いで。ほとんど歩きなんやから、早よせぇ」
「はいはいはい」
急かす崇人の後にくっついて、京都木屋町通りの旅籠『志津や』を出る。
あたしがタイムスリップ――もうここまで来たらドッキリではないやろう――してきてから、ずいぶんお世話になった。
とはいえ、あたしらの目的は「坂本龍馬に会いに行くこと」やから。もしも会えへんかったり、することがなくなったりしたら戻ってくるかもわからんけどな。
「なあ、崇人」
「何?」
「道分かってんの?」
木屋町から四条まで下って、そっからあとは勘や。崇人はそうのたまいやがった。
何、勘やって? アホかい、勘で京都から兵庫まで行くんかい。
「イメージや、イメージ。阪急電車が走ってるのを想像したら梅田辺りまで行けるはず」
思ったことがつい顔に出てたらしい。崇人が言った。まあ、崇人が言うとおりかもしらん。
よう京都には来てたわけやし、阪急電車の路線図と阪神電車の路線図さえ頭に思い浮かべれば神戸までは行けると思う。
「なあ、崇人」
「何や」
あたしはそんなに方向に敏感なほうやないから、行程はほとんど崇人任せや。
何だかんだ世話好きな男やから、まあ何とかしてくれるやろ。
「おなか空いた」
崇人が眼ぇひん剥いてこっちを振り返った。
怒られるかな、とは思ったけど……朝ごはんにおにぎり三つと漬物しか食べてへん。
これから歩くのに、あれだけで足りるわけがあらへんやろが。思ったって、そんなん女将に言えるはずもないやんか。
「おまえさぁ。おまえ医者行って胃袋半分切って貰えや」
「胃袋半分も切ったらあんま食べれんくなるやん」
「おまえはもっと食欲抑えられへんのか」
「無理。生まれつきや、グルメなんは」
あたし深川夕希。あたしの彼氏、須賀崇人。
そりゃあな、崇人は頭もまあまあ良いで。ちょっと野生的で相当オトコマエやで。スポーツ万能やし、愛想もいいから男女問わずモテるで。
やけどな、ちょっといろんなことで細かいのんが玉にキズ。人の揚げ足すぐ取るしな。 あたしの食欲が旺盛ってことなんか、幼稚園の頃からやねんから今更ぐだぐだ言うことないやんか。
「何がグルメやねん」
ぶつぶつ言いながら、崇人はあたしの前を歩く。脚が長いから、歩くのが速い。
木屋町から四条河原町まで下って、そこから記憶に忠実に歩いていくんや。
お金の無駄遣いも出来へんし、とにかく歩くしかない。龍馬が神戸の海軍操練所にしばらく滞在してくれてることを、あたしらは願うしかできへん。
まあ、のんびり行ったらええねん。何かあったら、そんときはそんときや。
「ちょっと崇人って。何か食べて行こうや。おにぎり三つじゃ足りん〜」
「……………………」
崇人の背中が怒ってる。ええ加減にさらせ。食欲なんか自分の力ではどうにもできへんのじゃ! ったく、気ぃ短いな。
「なあなあ、崇人」
「何やねん!!」
「どれくらい時間かかるんかな」
「どれくらいやろ。数日で着けばいいけどな」
平成やったらさ、阪急河原町駅から阪急梅田駅までだいたい40分。で、そっから阪神電車に乗り換えて(乗り換えに10分くらいかかるんやけどな)、そっから神戸の阪神三宮まで特急で20分ちょいくらいか。だから京都から神戸の海軍操練所まで行くには、ホンマやったら1時間半もかからんで済むはずなんや。
やのに大変やな、江戸時代っつーのは。
幾日かかるか分からんてよ。
「だいたい武庫川渡るのに、橋ないもん」
武庫川ってのは、兵庫県西宮市と尼崎市の境にある川。この時代は橋のない川なんて無数にあったって、本で読んだことがある。特に西宮とか芦屋近辺はそんな川が多かったんやって。
まさかそんなところを自分も渡るなんて思ってないから、そんときは何とも思ってなかったけど。
現代におったときには、神戸の海軍操練所跡に何回か行ったことがあるねん。阪神三宮駅で降りて、メリケンパークのもう少し左寄りの海岸のほうへ歩いていったら、白いでっかい錨が展示されてあるねんな。それが海軍操練所跡。坂本龍馬が、そこの塾頭やってん。
あたしたちは、これからそこを目指す。
「おまえ、呑気やな」
「あ?」
「気ぃ抜いてたら斬られて死ぬで」
「………………」
だから、何でそんな細かいことを気にすんねんな。こいつはよ。
そんなん、今考えたってどうにもならんやん。男らしく行けや、男らしく。バシッと!!
「そんなん、なるようになるわ」
崇人が溜息をついた。な、もっと明るくいこうや。
――坂本龍馬に会えるかもしらんねんで。楽しみに決まってるやん! そんなもん暴れまわらずにどうするんや。
【2】
二日目の夜は、お寺に泊まることにした。大阪街道を下っていく途中に、円福寺ってお寺があって、あたしたちはそこに宿を乞う。
「すんません、お邪魔します」
そんな簡単に泊めてくれるんかいなと思ったんやけど、さすが俗世を離れた坊主は違う。現代で葬式とかに来てくれる坊主ほどには謙虚やなかったけど、それでもまあ感じ悪いふうには映らんかった。
「一晩泊めてもらえません?」
崇人が、神戸まで旅してる旨を伝えて住職に頼み込む。
「駆け落ちと違いますやろな」
「…………違いますて」
「勘弁してくださいよ、ごたごたは」
そりゃそうやろな、男と女が呑気に旅するなんて日常茶飯事ってわけでもないやろうし。
必死で弁解して、経緯を全部説明して、そいで講堂に薄い布団を用意してもらうことになった。
「崇人、ごはんはどうなんの。訊いてや」
「あの、すんません。握り飯とか分けてもらえます?」
焼肉食べたいわぁ。おにぎり好きやけど、毎日毎日おにぎりばっかやと飽きる。
「ホンマ、おまえ恥ずかしい」
結局おにぎりを幾つかずつと、漬物を分けてもらうことになって。
あたしたちは住職の後について冷たい廊下を歩いていく。外はもう暗くて、ぼんやりと月が光ってんのが見えた。
「そうや、あんさんらのお世話する者をあとで寄越しますさかい。何でも言いつけておくれやす」
「はーい」
通された板の間の講堂には、でっかい仏像が鎮座しよる。日本最古の達磨像やねんで、と崇人が薀蓄を垂れた。
何なんやろ、歴史なんか知りません、みたいな面構えしてるくせに妙に詳しいんやから。
あたし知らんで、そんな最古の達磨像なんて。崇人の弁によると、ここでお呪いをしてもらうと中風が治るんやって。中風なんて爺くさい病気、あたしには関係ないからどうでもいいけどさ。
だからさ、何で崇人はそんなことまで知ってんのかな。
「失礼します〜」
講堂に通されて、何をするでもなくおにぎりをかじりながら座ってたあたしたちに聞きなれた声がかかった。
(―――何!?)
崇人とあたしとふたり、茫然として眼を見開く。間延びした声をあげながら講堂に入ってきたのは――だから要するに、さっき住職が言ってた「あたしらのお世話してくれる人」なんやろうけど――。
「……夕希!? 崇人!?」
「…………圭…………」
藤沢圭。
あたしら2年4組のクラスメイトで、崇人と仲の良い男子生徒や。
ちょっと待てや、落ち着いて考えたらとんでもないことと違うのん。つーかやっぱりドッキリ違うんかい。
「おまえら何でこんなとこおんねんな!」
圭が眼をまんまるにしてこっちを見よる。あかん、本気でびっくりしてる眼ぇや。
でもまあ崇人がタイムスリップして、そんでもってあたしもタイムスリップしてんねんから、他にもタイムスリップしてる奴がおって可笑しいことなんて何もないもんな。
「いやいやいや、おまえこそ何で」
「知らん。地震があって気付いたらここや。拾われて、出家希望の子どもと間違われた」
「ぶっ」
……思わず。
「何を呑気に笑っとんねんアホ」
思いきり圭に小突かれた。出家希望の子どもと間違われたって?
そらそうや。坊主やねんもん。間違われて当然やんか、何おもろいことしてくれてんねん笑ってまうやん。
「崇人も笑うなや、おまえ。ホンマふたりして似たもん同士やな」
「あたし崇人みたいに些細なこと気にしたりせぇへんで」
「俺こいつみたいに食い意地張ってへんで」
何かに驚くっていう本能を、あたしらはたぶんタイムスリップしたあの日に、どっかに落としてきたらしい。
思いがけない友達との再会に、そらもうテンションはだだ上がりや。何や、幕末もけっこうええやん。そんな感じする。
「お漬物残すんやったら頂戴よ、もったいない」
中割り大根の漬物がおいしい。崇人が呆れた顔をして、それから圭がにやりと笑って。 何か少しさ、学校での生活を思い出した。
「おまえら、ところで何してんの」
「神戸行くねん」
「神戸?」
坂本龍馬って知ってるやろ、と崇人が圭に切々と説き始める。人と話すのがつくづく好きな男や。
モテへん男にはとことん嫌われる奴やけど、圭とか山下みたいに(山下っていうのはあれやで。ジャニ系のオトコマエ)モテる男には人気がある。類友ってやつかいな。
「はぁ? それでおまえら神戸まで坂本龍馬に会いに行くん?」
「そうやで」
「物好きやなあ……」
アホか男なら夢はでっかくもてや、と崇人がうそぶいた。でっかい夢持つ男なら、絶対坂本龍馬には憧れる! そう力説して崇人がおにぎりの最後のひとくちを口に放り込む。 もっと味わって食べぇよ、アホ。
「へえ……」
あたしたちと違って、圭は別に歴史が好きなわけではない。あたしらを変な目で見るのもしゃあないやんな。
「俺も連れてってや」
俺ひとりでこんな寺に放り込まれて、寂しいやんけ。圭がホンマに寂しそうな顔で言ったから、ちょっと笑えた。寂しそうな顔の圭って、どことなく可愛い。
いつもは海坊主ってからかわれてるんやけど。…………一時期、圭を好きやったこともあったなあ…………。
「何の思い出に浸っとんねん」
ごつん、と崇人に小突かれてあたしは眼を剥いた。浮気したろか、このオッサン。
「何? で、結局どうすんの。圭も一緒に行くん?」
「二人より三人のほうがええやろ?」
崇人が言った。まあ、そうやろな。男ふたりおったほうが、まあ安心できるといえば安心できる。
崇人も圭も、もともと喧嘩が得意な問題児なわけやし。
背ぇもでかいしな。
「そりゃそうやけど、圭そんな簡単にお寺から出してもらえるん?」
「今から言うてくるって。待っててぇな」
「……無理やったらどうすんねんな」
「逃げたらええやんけ」
「楽観的やなぁ」
おまえが言うか、と崇人が突っ込む。ホンマに勘弁してや、なぁ。何でいちいち突っ込んでくるん、そうやって細かいこと突っ込んでくるんいい加減やめぇ。
―――――――――――――――――
あたしたちは、まだ若い。
見るもんがいっぱいあるし、やらなアカンこともいっぱいある。
幸せな人生やで。平成生きて、幕末生きて、そいで友達も彼氏も傍におる。過去のこととか、未来のこととか、あたしたちはそこまで深刻に考える必要はないと思うんや。
どんなに苦しくても、死ぬかもしれんってときでも、あたしたちは先のことなんか考えんで精一杯戦ったらええと思うねん。雨降ったって、曇ってたって、空は晴れるやろ? どんなに苦しくても、いつか幸せなときがくるって分かってるねんから、いちいち細かいこと気にしとったら一回の人生愉しまれへんやんか。やろ?
あたしたちは三人になった。三人で、神戸を目指すことになった。な? なるようになんねんて。
もしもあたしたちが幕末で生きるべき人間なら、きっとこの時代で死んでいくんやろうし。
もしもあたしたちが平成で生きるべき人間なら、きっといつかあの時代に戻れるんやろうし。
そんなもん、あたしたちが決められることと違う。別にあたしは運命論者とは違うけどやな、やっぱりあたしたちには決められた何かがあるんや。
きっと幕末にすっ飛んできたのもそのせいで、あとは風まかせ。それでええやん、なぁ?
別に平成の英雄になろうとせんでいいねん。別に幕末の英雄になろうとせんでいいねん。
あたしは、あたしっていう名前のおっきな国。
あたしはその国のたったひとりの英雄や。
【3】
京都から大阪街道をずっと下っていくと、ちょうど摂津に出るみたい。寝屋川とか吹田とか、まあどうやらその辺らしい。あたしは地理に弱いから、よう分からんけど。
そこらへんは崇人がしっかり理解してると思うし、圭もまああたしよりは地理に強いやろうから。吹田らへんまで出て行けたら、あとはまっすぐ西に歩いて、そいで海まで下りたらええねん。
「車ないって不便やなぁ、ホンマ……」
圭が竹筒から水を飲みながら呟いた。陰暦で6月っつったら、太陽暦では7月やんか。 そら暑い、夏真っ盛りや。圭から崇人、崇人からあたしの順に水をがぶ飲みして、あたしたちはお互い後になり先になり街道を下ってく。女のあたしがいるから気を遣ってくれたのか、それほど激しい強行軍でもなくて。意外とゆっくり4日めの夜に、ようやく武庫川のほとりまで辿り着いた。
朝から晩まで毎日歩き通しやから、結構これが足にくるん。2日めなんかもう、筋肉痛で死ぬかと思ったし。
「あんまり無駄遣いも出来へんしなぁ。明日は舟渡してもらわなアカンし」
崇人が布で作った財布の中を覗きながら言った。今夜の宿は、明日の船賃のために相当みすぼらしいところや。だいたいな、男2人に女1人が同じ部屋ってどういうことっすか。
襲われたらどないすんねんな。
「おまえ食べへんの?」
「食べる!」
具のないおにぎりが、それぞれ2つずつと。それから鰯の焼いたのが1尾ずつ。あと薄い味噌汁がちょろっとよそわれてた。おにぎりは飽きてきてたけど、魚なんか食べたのが久しぶりで嬉しい。あれかな、やっぱり海に近いせいかな。
ん〜鰯も好きやけど、あたしはシシャモ(子持ち)が1番好きやな。味噌汁には大根の葉っぱが浮いてる。
ホンマは葉っぱよりも、もちろん大根の根っこの千切り入れた味噌汁のほうが有難いんやけど、さすがに文句も言われんしやな。
「飢え死にしそうやんな」
崇人が溜息をついた。
「おまえさ、俺らよりもよっぽど細い身体して、何でそんなに食えるん?」
「知らんよ」
「幾ら食べても太らんしな」
圭が自分のおにぎりをひとつあたしに差し出す。圭は甘やかしてくれるからいい。
「崇人も見習いぃ、圭の優しさ!」
「黙れアホッ」
また小突かれた。
「そういえば……」
崇人が言った。出がらしのお茶を飲みながら、ぼんやりと思い出すように言葉を繋ぐ。
「昨日夢見てんけどな。知らん人が夢に出てきてな、龍馬龍馬言わんで他の奴らにも眼ぇ向けてやらんかい言うとったで」
昨夜の夢を思い出してなのか、崇人が小さく笑った。
「中岡慎太郎とか、望月亀弥太とか」
中岡慎太郎ってのは、あれやな。龍馬と一緒に暗殺された――正確には龍馬が死んだ2日後に死んだ土佐人や。
的場○二に似てるねんで。結構怖い顔やけど、笑ったら愛嬌のある顔になるみたい。いや、もちろん写真でしか見たことないけどさ。……的場浩○って、そういえば結構おもろいキャラしてるよな。
「ああ……でも龍馬に会えたらさぁ? 必然的にそのうち中岡慎太郎にも会えるん違うん? 薩長同盟の打ち合わせもあるやろうし」
こういうとき、あたしたちが未来の人間って便利やな。見当がつくから。
「で、望月って人は?」
圭がきょとんとした顔で訊ねてくる。歴史知らん人には、そりゃ望月亀弥太なんてマイナーな志士は知らんやろうな。
会おうと思ったら……たぶん望月にも会えてたはずやけど。
「ああ……望月亀弥太ってな。北添っていう土佐の志士と一緒に、もう池田屋で殺されてるねん」
一応あたしが説明する。望月ってのがどんな人間やったかは知らんけど、こないだの池田屋事件のときにもしかしたら、すれ違ったりしてたかもしれん。あれだけの大騒ぎやったから、まるで気付きもせんかったし。
ていうか、それどころと違うかったもんよ。近藤勇のブサイク加減と、土方歳三の感じの悪さに逆上しとったもんな、あたし。
「明日も朝早いんやから、もう寝よや」
崇人が言った。この薄い布団2枚に、3人くるまって寝るんか。男臭い、勘弁してくれ。そう思いながら、あたしは布団の中に真っ先にもぐりこんだ。
――夜中。喉が渇いたせいで眼が覚めて、あたしはついでに宿の外へ出た。
「お、夕希?」
寝ぼけ眼やったのが、一気に眠気も吹っ飛ぶ。いきなり暗闇から声がかかったんで、あたしはびっくりして飛びのいた。
「ビビりすぎや」
崩れさえ見える土壁に寄りかかってしゃがみこみ、彼は煙草を吸ってる。
圭や。
きっと現代から煙草を持ったままタイムスリップしてきたんやろう。火をどうやってつけたんか――ああ、ライターも一緒にくっついてきたんか。ちゃんと煙草には火がついてて、暗がりに煙が白い。
「なあ、夕希」
「何よ、どうしたん」
圭の深刻そうな声に、さすがに茶化す勇気もなくてあたしは彼のほうを向いた。
「俺らさぁ……」
「何? 早よ言い、どうしたん」
「帰れるんかな」
(…………あ)
そうや。不安なんや。
圭、今めっちゃ不安なんや。
気付いてあたしは少しだけ焦る。だってな、圭はあたしとは違うやん。……あたしのほうが神経図太いとは認めたくないけど、確かに普通やったらタイムスリップなんて実際に経験して、平然としてられるわけがないって。
そんなこと、あたしもよう分かってる。しかもあたしの場合は、すぐに崇人と会えたけど。圭はその間ずっと1人で、あの円福寺におったわけやん。
「……やっぱ帰りたいやんな、圭」
「まあ……そらな。おまえらと会えたからいいけど、ついこの間までは誰もおらんかったわけやし。あのクラスが懐かしいわ。正直……早よ戻りたい」
ふうっ、と圭が煙草の煙を吐き出す。こっち向いて煙を吐き出さんところが、地味にジェントルマンやん。
「おまえは別に戻りたくないん?」
「………………」
その質問があたしには1番困るんや、圭。ぶっちゃけ言うとな、あたしも何が正しいかなんてわからへんのよ。
そりゃまあ不安じゃないといえば嘘になるし、あの2年4組も懐かしいし、恭子たちにも会いたいし。お母さんもお父さんも待ってるやろうし。
「崇人がおるから平気かもしれんけどな」
圭が煙草を踏み潰して、にこりと笑った。崇人もそうやけど、圭もそう。感情をおもいっきり表に出すってことをせえへん男やから、いまいち何を考えてるか掴めん。
不安で泣きたいと思ってんのか、それとも不安やけどまあえっか、とでも思ってんのか。その不安の度合いが、いまいち表情からはわからへんねん。
困るわ、こういうタイプ。
「あんな、圭」
「ん?」
「別に慰めるつもりとかじゃないねんけどな」
「うん?」
「とりあえずは1人やないんやし、一緒に今のことだけ考えてたらいいと思うで」
「…………」
クラスん中でも大の仲良しやった3人やで。そうやろ?
「おまえ呑気やなぁ」
怒るわけでもなく、頷くわけでもなく、圭は笑った。崇人と仲良い理由が何となく分かる、大人の笑顔やな。
「銃刀法違反とかないねんで。斬られて死んだらどうすんの」
「……そうなったら、あたしは結局そうなる運命やったってことやろ」
「それでいいん?」
あたしの考え方がちょっとおかしいんかな。今まで自分の心ん中で考えてたことを、初めて言葉に出すのは不思議な気分や。しかも相手がいるわけやから、あんまり適当なことも言われへん。
嘘言ったって、圭にはバレる。
「ま、これはあくまであたしの考えやけど。斬られて死ぬのは良くないけどな、でもしゃあないと思うねん。こっちに来てからずっと考えてたけど……」
「運命か」
「うん。それにそう思わなやってられんしな。もしあたしが、平成に生きるべき人間やったら、ほっといてもそのうち現代戻れるやろ。ずっとそう思って過ごしてきてん、あたし」
崇人はどう思ってるか分からんけど、たぶんあたしとおんなじや。そう言ったら、圭はまた笑って頷いた。
「そか」
「ん」
「崇人との仲、邪魔してごめんな」
にやり、と圭が笑ってこっちを向く。
「別にええっつの。今までずっと一緒やったやん」
「そやな」
…………うん、大丈夫や。ひとりやなくてよかった。ホンマによかった。
――明日か明後日には、坂本龍馬に会えるかな。あたしも崇人も大好きな人やし、きっと圭も気に入るんと違うかな。もしかしたら、もっと楽観的になれるんと違うかな。
武庫川の水の流れが、静かに耳をうつ。
【4】
感慨深い。
「武庫川って、結構でかいねんな……」
流れは穏やかで、舟はのんびりと体を揺らしながら対岸へ向かう。尼崎側の岸から、西宮側の岸へ。
あたしたちの高校は――この武庫川から近いところにあるんや。西宮市の、とっても海に近いところに。
「………………」
やっぱり1番感慨深げな顔をしてるのは圭や。見た目は丈夫そうやのに、意外と心は繊細やねん。こっちがちょっと心配になってくるくらい。
「おぉ……何つーか、複雑やな」
崇人が呟いた。こっちは呑気にゆるい笑顔、こういうときに、あたしたちは似たモン同士なんやなと実感する。
現代なら団地があるはずのところはまだ海で、高校があるはずのところも海。つまりあたしたちの高校があるところは、埋立地ってわけ。
河岸には松がざっと並んで植わっていて、何隻かの舟がのんびりと行き交っていた。現代やったら――ジョギングしたり犬の散歩したりする人でいっぱいの武庫川。
あたしたちは、今まったく別の時代にいるんやなって。ふとそう思った。
時間にして10分くらいで、あたしらは対岸に着いた。
故郷に帰ってきた――景色も何もかもが違っていて、高校もなければ家族もおらん。なのに帰ってきた、って思うのは何でやろ。
……あたしも繊細ってことか?
「崇人、ここから神戸までどれくらい?」
「とりあえず芦屋には3時間くらいで着くから……今日の夕方か夜には着くん違う?」
「何で芦屋まで3時間って分かるん」
圭が行李を背負いなおして、崇人に訊ねる。
「ほら、夕希って昔バレエやってたやん。芦屋まで習いに行って」
「おう」
「いつやったっけ。母親と喧嘩して『走っていけ!』って怒られてな、こいつホンマに芦屋まで歩いて行ってん。な?」
触れられたくないな、そんな話題。何でだからそんなことまで覚えてんねんな、こいつ。でもこんなときやし、懐かしい。お母さんのこと思い出すと。
あたしが小6のときに、お母さんと思いきり喧嘩して、そんで夏真っ盛りに3時間かけて芦屋まで歩いて行って、そんでJR芦屋駅前で脱水症状起こしてぶっ倒れたんや。
思えばそんとき、バレエのお月謝持ってたわけやし、ジュースの1本でも買えば良かってんけどな。
懐かしい思い出やん。
「アホやな」
圭が吹き出した。圭とは中学からの付き合いやから、まあそんなあたしの恥ずかしい過去は知らん。
「変なところで融通利かんのやから」
土手をあがり、ぽろぽろと民家が並ぶ小さな地味な街道をあたしたちは歩いていく。
たぶん現代やったら……どこらへんかな。旧国道か臨港線か、どっちかわからんけどまあ、そこらへんや。
あたしたちは、ともかく西に向かって黙々と歩いていく。
「お昼ご飯何にする?」
「おまえはまたメシのことか!」
崇人があたしのほっぺたをつねった。
(痛いっ!)
「うどんが食べたいねん」
「ハイハイハイ、店があったらな」
「ハイは1回でええねん」
「………………」
「……ぐぇ」
首を絞められた。ドメスティックバイオレンスや。
崇人と圭の後ろにあたしがついていく形で、3人でのんびりと歩いていく。昼前のこの時間になると、もうすでに暑くて暑くて。マジで暑くって困る、あたしは暑いのが苦手なんよ。
だって男は暑かったら脱げるやんか、全部(上半身な)。でもさすがにこんな道の真ん中で、暑いからってあたしは脱がれへんやんか。やろ? まあ別に脱いでくれって頼むんやったら脱いだってもええけど。
「暑いぃ」
「ホンマに暑いな。寺の坊さん6月って言ってたけど、パチこいたんと違うか」
圭もぼやいた。暑くなると、人間は気ぃ短くなるもんや。崇人も少し苛々してるらしく、なかなか開かん竹筒にひとりキレよる。
「だって6月は太陰暦での話やもん」
「何それ?」
「古典で習ったやろ。旧暦6月の水無月は、現代の7月に当たるんですよって」
「そんなん聞いてへんって……」
「ほら、おまえら水飲むんやったら飲めや」
ようやく竹筒が開いたらしく、崇人があたしに筒を差し出した。
「え、何。先飲んでいいのん?」
「ええよ、女の子やねんから」
一応はな、と付け足した崇人がバリむかつくけど。まあしゃあない。
水はもうぬるくて、そんな美味しいもんでもなかった。最初はおなか壊したこともある。けどこの暑さや、背に腹はかえられへん。
あたしから圭に、圭から崇人に。今日はその順番で水を回し飲みして、あたしたちは竹筒を崇人の行李にしまう。
道は結構まっすぐで、人通りもそれほど少なくなかった。あんまり大きな通りでもないんやけど、やっぱりこれは神戸に繋がる主要道路みたいなもんなんやろう。
大阪に向かっていく人ら、あたしたちと同じように神戸方面に向かっていく人ら。様々や。
その中には、腰に刀差した男もいっぱいおる。見た目からしてあんまり綺麗な身なりじゃない。
もしかしたらやっぱりこいつらも幕末の志士って奴らかい。そう思いながら。
「それにしたって……なんか思ったより人通りが多いな」
「刀差した奴が多くないか?」
圭の坊主頭、髪が少しずつ伸び始めていて。触るとじゃりじゃりメチャいい手触りや。
「池田屋事件があったからかな」
崇人が呟いた。たぶん彼の言うとおりやろう。
神戸に向かう志士よりも、大阪経由で京都に向かってると思われる志士のほうが多い。 つまりすれ違う志士のほうが多いってことや。池田屋事件の一報を聞いて、みんな慌てて京都に向かってるんやろう。
あたしらが思ってるよりも、やっぱり時代は急激に動き始めてるってことか。ぬくぬくと海に囲まれて昼寝してられた時代は、終わりに近づいてきてるってこと。
あたしたちがこうしてのんびり歩いている間にも、時代は明治維新に向かって動き始めてるんや。
池田屋で見た惨劇を思い出す。
あたしを庇おうとした新撰組隊士を思い出す。
発狂したみたいに突進してきた浪士を思い出す。
人のことをかわいそうや、と思ったのはあれがはじめてやった。あいつらは、あいつらの信念と誇りをもってあんな行動に出てるのに――時代はそんなこと、気にも留めてくれへんねんで。
刀振り回して、鬼の形相で突っかかっていく。そんで手当たり次第に神風が吹くことを信じながら人を殺してく。
そんな時代。力だけに頼ってられる時代は、もう数年で終わるってのに。
――もしも明治維新後まで彼らが生き残ったら、彼らは今まで自分たちがしてきたことをどういうふうに思い返すんやろ。
「……どうした? 夕希?」
思わず黙り込んでたあたしに、崇人が声をかけた。何だかんだいって、あたしの行動に崇人はいっつも気を配ってくれている。
「ん?」
「何、さっきまで昼飯の話してた奴がいきなり黙るから。気になることでもある?」
「んっ、いやいや。何もない」
圭が、ばしっとあたしの背中を叩く。
「大丈夫か、おまえ」
「大丈夫よ、全然平気やっちゅうねん」
あかんあかん。考え出したら止まれへんくなる。いっつもそうや、現代におったときだってそう。考え出したらホンマ止まれへん。
あたしのことをアホやと思ってる奴らは、びっくりするやろうな。ケケケッ。思い知れ、あたしホンマはアホ違うんじゃ。
――ちょうどその夜、あたしたちは通りの脇にあった旅籠に宿をとった。神戸で、つまりもう海軍操練所のすぐ傍まで来ているということや。昼間は結局おにぎりしか食べられへんかったから(途中で無理やりみたらし団子を食べたけど)、夜ごはんはうどんを食べる。
「ここまで来たのはええけどや、おまえらどうやって坂本龍馬に会うつもりなんよ」
「…………知らん」
あたしと崇人の声がかぶった。
「考えてへんかったん!?」
圭の顔が、複雑に歪んだ。少し彼に怒られてる風情で、あたしと崇人は眼を逸らす。
「…………何とかなるって。成り行きまかせや。な、崇人?」
「おう」
圭から眼を逸らして、あたしたちはうどんをすする。突っ込まんといてや、無計画なんはあたしらのウリやねん。生まれつきや、なおるもんと違うねん。
「ホンマ。おまえらって……相変わらずやな」
圭が溜息をついた。ごめんな、圭。
「あ!」
「何?」
突然あたしが声をあげたから、崇人がびっくりしてうどんのどんぶりを取り落としそうになる。
圭と崇人が、何やどうしたんや、とあたしの顔を見た。
「普通に海軍操練所行ったらええやん」
「いやでも、おまえ。何で来たんって聞かれたらどないすんねん。坂本さんに会いに来たんですってか」
「いや、だから。海軍操練所に、あたしらも入ったらええねんやん」
海軍操練所は、いつやったっけな。来年の春には廃止されると思うけど、たぶん龍馬についていったら亀山社中のメンバーになれるんと違うんかい。
(ええ話やんか!!)
亀山社中ってのは、つまりのところ日本最初の株式会社みたいなもん。まあそこらへんの詳しいシステムとかは分からんけど。外国と戦争するより商売しましょ、みたいな感じ?
「そうやん、なぁ崇人! あたしらもメンバーになったらええねんやん。だってアレやろ、海軍操練所なんてついこないだ設立されたばかりなんやし、今ちょうど人手が欲しい時期と違うん。やろ? 入れてくれるって、絶対」
「…………俺と圭はまあ良いとして、おまえは? 女が入るなんて許可されるか?」
(………………)
人のグッドアイディアに水を差すな、ボケッ。気分悪くなるわ。
うどんが不味くなる!
「ホンマやで。どうするん、夕希」
うどんを最後の1本まですすって、それからあたしはどんぶりをテーブルに置く。いや、まあテーブルっていうか、机っていうか。あたしから見たらテーブルにしか見えんわけやけど。
「男装したらええねん。それで済む話やろ」
「バレたらどうすんねんな」
「そんときはそんときや。塾頭が坂本龍馬やで、何とかなるやろ。龍馬がもし、あたしが女やからって追い出すようなケツの穴ちっこい奴やったら、あたしはその場で殴って京都帰るわ」
崇人が呆れた顔をした。
「男装…………」
圭が呆れた顔をした。
「ケツの穴って……女の子がそんな汚い言葉使うなや」
あたしは全然平気。
「ええやん。細かいこと気にしてたらおっきい男になれへんよ」
【5】
宿の外に出ると、静かやった。思ってたよりも夜の人通りは少なくて、夏の虫が鳴いている。あたしは上にまとめた自分の髪の毛を何となしに触った。
「男装なぁ……」
男装したらええやん、といったはいいものの、どうやったらええんやろ。髪切ったらええんかいな。
嫌やぁ、もったいない! この美貌にこの艶やかな髪!! あたしの自慢の宝物やんか、そんな簡単に手放せるわけないやんな。
「ちょっと、ちょっと崇人!」
もう一度部屋に戻って崇人をそっと起こす。何や、と崇人が寝ぼけ眼で訊いた。
「ちょっと出てくるヮ。すぐ戻ってくるから心配せんといて」
「……何?」
あたしの言葉で眼を覚ましたのか、崇人が上半身をがばりと起こす。
「どこ行くん」
「ちょっと街のほうに行ってくる」
街のほうっていっても、別に現代の繁華街でも何でもない。ただ飲食店とかそういった類の店が並んでいる通りってだけの話や。崇人が心配そうな眼で見てくるけど、あたしも男装のことやら何やら考えなアカンのよ。
どっかしらにヒントがないもんか、あたしは探しに行こうって思ったわけ。
「俺も行くって、おまえ1人じゃ……」
「平気、平気。崇人と圭はおとなしく寝とってって」
「いや、おまえな……」
「あたしが大丈夫って言ったら大丈夫やねん。早よ寝ぇや!」
崇人の上半身を布団の中に押し倒して、あたしは部屋を出る。ちゃんと外出することを伝えて出てくだけでも偉いやんか。なぁ。そいでもってあたしは、宿の外へ出て右へ。
ちょうど現代やったら国道の2号線あたりになるんかな? 三宮方面へ向かう。
とりあえず若い男の子を捜すのが目的や。女顔の、男の子を。そいつの格好を真似したったらええんやろ。
(汚いカッコだけはごめんやで)
きょろきょろしすぎて怪しまれても困ると思って、とりあえずそ知らぬ顔をして通りを歩く。
「…………ぉ?」
ちらりと綺麗な顔立ちの少年が向こうを横切った気がして、あたしは数歩追っかける。追っかけたところで、止まった。
「……おぃおぃおぃ」
いや、追っかけて覗いてみるとそれは確かに男の子やってんけどな。それが小さな汚い店っぽいところの裏手で、若い青年と抱き合ってるん。
(ちょぉ待てや、ビビるやんけ)
これが陰間ってやつか! ちょっとばかし感慨深いもんがある――わけもなく、つまり陰間ってのは男娼ってやつで。あたしの目の前で綺麗な少年と、ゴツイ若者が抱き合ってキスしとるぅ!!
アカン、いやそりゃ恋愛は自由やで。でも生理的にアカン。それはアカンて。
いやまあ、その男の子。そこらへんの芋みたいな女よりよっぽど綺麗やけどよ。
(そんな目の前でナマ見せられたら困るっつの)
いややで。男同士のナニなんて、死んでも見たないって。
あたしはそろそろと後ずさりして、その場を離れようとする。その陰間の店ってのが通りのすぐ脇にあったせいで、あたしもちょっと後ずさりしただけで通りに戻ることができた。
できた――と思ったら。
「痛っ」
ぶつかった。
「お?」
「うぇ、すいません、ごめんなさい」
とりあえず謝ってまえ、と頭を下げて、それからぶつかった相手を見上げてビビッた。 ビビッたって、何。そんなビビッたなんてモンじゃない。いや何つーか、ビビッたってか何ていうか、とりあえずビビッた。
お母さん、あたしの時代やで!!
あたしの一世一代の大博打や!!
――――ちょっと細い眼。どこがどうなってんのかいまいちよう分からん縮れ髪。けっこういい加減にはだけた着物に、これも適当に差してある大小の刀。
「平気か? 許しとおせ」
(おおぉぉぉ!!)
テンション上がる。テンション上がるってのを実感したのは、これが初めてかも!
(どどどどうしよう)
「あの、坂本龍馬さん!?」
「何、儂の名ァを知っちょるんかえ」
本物や、本物や、本物や。どうしようお母さん。どうしようお父さん。どうしたらええねん崇人ぉぉ!!
(いや、ちょっと待てよあたし)
どうなるか分からん。でもここで坂本龍馬っていう1人の男に賭けるのもええんと違うかい。
いっちょやったるかい。いくで、あたし。がんばれ、あたし。
「あの、海軍操練所に入りたいんスけど!」
「…………おまんが?」
「あたしと、あと友達の男が2人」
「どこから来たんぜ?」
「京都…………いや、あの」
「しかし女のわりに背ぇがでかいのう」
そらあたしは162センチあるからな。そこらへんの侍より、たぶんあたしのほうがでかいもん。
「あの、これ内緒にしといて欲しいんですけど。あたしもっと別のとこから来たんスよ」
「京じゃなくて? どこから来たんぜ」
「………………今から240年くらい先から」
アホみたいにカミングアウトしてる自分がおかしいヮ。信じるわきゃないわなぁ……と思った瞬間。
「はっはっは。おまん面白い女やのう、何じゃそれは。本気で言いよるんか」
賭けや、賭け。
「そう。やっぱり信じられへんって?」
「待て待て、おまん酒は呑める口がか」
一世一代の大博打。深川夕希の根性の見せどころじゃ。
「呑めますけど……」
「おもろい女じゃ。それがまことなら、ぜひ話を聞いてみたいっちゃあ、呑まんかえ」
「呑みます、いっくらでも呑みます」
龍馬は――いや、ホンマ夢みたい。
大木こだまひびきの漫才やったら『夢やがな』のツッコミが入るはずやけど、もちろんそんなこともなく。
(何であたしはこんなときにそんなことを考えるかな)
龍馬は――でもこれは本物の龍馬や。彼が、ものすっごい愉しそうな顔をしてこっちを見よる。
さて、どうなるかな。
待っとれよ、崇人。圭。海軍操練所に入るで、あたしら!
「あ、そうだ」
「何じゃ」
「奢りですよね?」
【6】
(きっつ……)
それにしても、ホンマよく呑む男やな。思ってあたしは向かいの男を一瞥する。
高知人は酒豪が多いっつーけど……程度ってもんがあるやろ。しかも無愛想な顔して黙々と呑んで、どう転がっても紳士にはなられへん男と違うか。
目がとろとろしてくるのを感じたけど、ここで寝てまうわけにはいかん。そう思って必死で我慢する。
「で? おまんがずっと先の世から来たっちゅうのは……」
相当寛容な男らしい。普通やったら妖魔か鬼か、それとも異人かって。
どこぞの番所にでも突き出されるかとも思ったけど……どうやらあたしや崇人が憧れてた坂本龍馬ってのは、ホンマに憧れて想像してた通りの人間みたい。これって、嬉しいことよな。
だってさぁ、海を目指してでっかく生きたと思ってた英雄が、ものっそいセコいオッサンやったら誰でも幻滅するやろ。
そう、あたしいっつも思うねん。1万円札、いい加減福沢諭吉飽きたから坂本龍馬にしてくれんもんかなってよ。
(まあなぁ。万札なんて飽きるほど見たことないけどな)
環境適応能力に関しては、あたしは誰よりも自信がある。少し向かい合って酒呑んだだけで、もう平気や。
だって今だけは――あたしは幕末に生きる人間やしな。
「何を知っちゅうがよ」
「……いろいろ」
「勝先生のことは知っちゅうか。幕臣にも関わらず、内に敵をよう抱え込んでるもんでのう」
一応龍馬の師匠やもんな。そらまあ、心配するやろ。
「あの人は長生きするよ。それから……幕府と長州も戦争になる。京都御所は焼けるで」
「…………おまん本気かえ」
「こんな大事なこと、冗談で言われへん。信じる? 信じへん?」
「海軍操練所に入りたいんかえ」
「うん。あたしと、あと男2人」
「その2人は何処のモンじゃ」
「……あたしと一緒や。みんな知ってる、江戸幕府は終わるよ。絶対に」
「………………」
一問一答みたいな。
あたしは勝ち負け五分五分の賭け事でもしてる気分で、龍馬と向き合う。
勝ち負け五分五分っつっても、簡単に負けてええ勝負と違うんや。
せっかく幕末に来てるんやで、龍馬に会わんでどうするん。好き放題せんでどうするん。
「そうは言うても、おまん1人女じゃきに……それでも入りたいんかえ」
「入りたい。女扱いなんてしていらん」
女もクソもあるか。あたしはな、女であるまえに1人の人間やもん。激動の時代にもしも自分の存在価値でも見つけられるんなら、そんな凄いことないやんか。
今できることは、する。今したいことを、する。
別に犯罪してるわけと違うんやし、怖がることない。何回だって言えるで。
もしもあたしが平成に生きる人間やったら、黙っとっても平成に戻れる。
もしもあたしが幕末に生きる人間やったら、どんな頑張っても平成には戻られへんやろ。
たったこれっぽっちの命の行方なんて、そうや。天に任せてまえ。
時代があたしを必要としとったら生きてくやろ。
時代があたしを必要とせんくなったら、そのうち死ぬやろ。
それでええねん。いちいち細かいこと気にしとったら、人生楽しくないやんな。
「何でわざわざ神戸まで来た? そんなに海軍に入りたかったが?」
「この時代に来ようと思って来たわけじゃないねん。でも来ちゃったから、会いたい人に会わな損やと思った。だから来た。この時期、池田屋のことを知ったあんたが神戸に来てるって。あたしたちは知ってたから」
「ほう。変わったこともあるもんじゃ」
普通、そんな一言で片付けへんやろ。
何かやっぱりどっか変わってんな、とあたしは思った。
(たぶんどっかおかしいんやろうな。人間にしては……)
この人も、環境適応能力に長けてるんかも。
「あ、そういえば。薩……っ」
「何?」
「……いや、何でもない」
薩長同盟はどうすんの、と言いかけてあたしはやめた。こんなん言ったら歴史が変わる可能性がある。そんなんしたら崇人に絶対怒られる。歴史は変えたらアカン。
もしもあたしが口出ししても、歴史が変わらんのやったらええけど。歴史が変わらんって保証なんかどこにもあらへんもん。歴史を変えてしまったら、あたしたちの存在がどうにかなってしまうやろうし。
それに……あたしたちとは関係のない人たちの存在が消えてまうことだってありえるんやから。
あたしが先走ったらアカン。絶対にアカン。
(我慢や、我慢。もっと様子を見極めてからや)
「おまん、操練所の場所は知っちゅうかえ」
「たぶん分かるよ。あたしらの時代に、ちゃんと跡地が残ってるもん」
まあ、確実にあの場所かは分からんけど。とりあえずあの近辺やろ。龍馬がものすっごい楽しそうな、きらっきらした眼でこっちを見てる。
(……ホンマに信用してるみたい……)
まあ、予言じみたこと言ってるしな。それに嘘もついてへんし。
「ほんなら明日来とうせ」
「いいのん!? あたしら3人行っていい!?」
思わず立ち上がって、酒がまわったせいかふらふらと椅子に座り込む。アカン、興奮しすぎて身体が言うこときけへん。
「おまん1人で帰れるんかえ。そんなふらふらしとったら男に襲われるぜよ」
「大丈夫、すぐそこの宿やもん」
縮れッ毛をぐしゃぐしゃっ、と手で掻いて、龍馬はあたしを立ち上がらせる。
何かしらんけど、汚いなぁ……フケが風に乗ってこっちまで飛んでくる。あたしは今まで、宿屋に着いたりしたら無理やりお湯を使わせてもらってたけど……この男、たぶん何週間もお風呂入ってないんと違うか。
「明日行くから、絶対おってよ!?」
「分かっちょる、分かっちょる」
少しばかり朗らかに笑って、戸口まで出ていくと龍馬はふらっふらと背を見せて去っていった。
――――怒涛のような出会いやった。
(……マジかよ……)
思いながら夜風に当たる。いや、そりゃ目的は「坂本龍馬に会うこと」やったけど。こんなあっさり、突然会えるなんて思ってもなかったもん。いくらあたしの神経が太いっつっても、そりゃそれ相応にびっくりするって。
「しかも信じるし」
普通信じへんで。
未来から来ましたー、ハイそうですかー、そんなん信じてたら正直アホやろ。
でもどうせ信じてもらんかったとしても、ケツの穴ちっこい男やなあ、とか。おまえこれだけ説明してんのに信じへんとどういうことや、ええ加減にさらせや、とか。
たぶん怒ってたやろうから、まあアホにしろ寛容にしろ、信じてもらえてよかったってことにする。
(未来から来るって……意外に便利なもんやな。予知能力満載や)
これからどうなるんかな、と思いながら部屋の扉を開けて入る。
「……ぉわッ!?」
寝てると思った崇人と圭が、真っ暗闇の中で座ってた。
「何してんの、ビビらせんとってやアホか!」
2人とも何かこう……白い眼ってやつでこっちを見てる。あ、ヤバイと思った。怒ってる、崇人が!
「おまえな。遅すぎるんじゃ、ボケ。どれだけ心配したと思っとんねん」
「ごめんて、ていうかな。それどころと違うねん」
圭が怒る崇人をなだめる。
「夕希、あんまり俺らから離れて行動すんな? 心配するから」
「………………」
圭みたいに優しく言われたら、あたし何も反抗できへん。
「ん? 夕希?」
「……うん、ごめん」
崇人が微妙な顔をする。
「おまえなんで圭の言うことやったら素直に聞くん」
「や、別に。だから、それどころやないねんってば、龍馬に会ってんって!」
崇人の顔が一気に緩んだ。緩んだかわりに、ものすごい驚いた顔でこっちを見る。
「……嘘やん」
「ホンマやっつの。こんなんでショボイ嘘なんかつけへん」
すぐ近くに水があったから、とりあえず盃みたいなやつに注いで飲み干した。まだアルコールが残ってて、ほっぺたがちょっと熱い。
「夕希、おまえ呑んでたん?」
「龍馬とな」
崇人も圭も、あっけにとられてこっちを見つめてる。むちゃくちゃなことやるなぁ……って、あんたら2人とも顔に出とんねん。
あたしはそんな2人に宣言した。
「ということで!」
これからガンガンいくで。こんなところでボーッとしててもおもんないもん。しかも龍馬と会えてんからなぁ!?
「明日! 海軍操練所に入れてもらいまーす!! イェーイッ!」
「……………………」
なあ、何でそんなにノリが悪いのん?
【7】
髪切らんですんだやん、あたしッ。
胸にサラシ巻かんですんだやん、あたしッ。
あんなところで龍馬と会えるなんてすごいやん、あたしッ!!
「おまえ、ホンマに大丈夫なんやろうな」
「ホンマやで。入っていったらいきなり斬られるとかないやろうな」
そんなんな、いちいち気にしとったらいったいこの時代で何ができるん?
「そんときはそんときや」
「おまえはいっつもそればっかりや」
何よ、いつもは自分だって同じなくせに。こういうときだけ大人ぶっちゃって。
海に面しただだっ広い野原みたいなところに、それほど立派な造りとはいえない建物が建ってる。
どうやらそれが海軍操練所で――迷うかと思ったらそれらしき建物はこれしかなかったんで、結局少しも迷うことなく辿り着くことができた。やる気のなさそうな、っていうのが正しいんか。それともただ単にそういう顔つきなんか。
わからんけど、まあある程度こざっぱりした格好の男が2人門前に立っていた。
(チビやなあ……)
これで気性だけはいっぱしに荒いんやから。そりゃ手に負えんて。
前も思ったけど……こんなちっこいのんが神風特攻隊!! とかいって突進してきたら怖いやろな……。あたしがチビやなあって思ってるってことは、向こうは大女やなあと思ってあたしを見てるわけで。もうその表情が明らかにビビッてる。
崇人と圭は178くらいあるし、あたしも162あるし。こっちから見たら、立ってる門番なんて中学生みたいな感じやん。
「話は聞いてる、入りたまえ」
どことなく気障な話し方をする。もしかしたら長州人かもしらんな、とあたしは何となく思った。
「誰じゃ、おまん」
土佐弁が聞こえて、あたしはそっちに目をやった。龍馬の声やない。声をかけてきたのは、ものすごいちっこい男で。なんかすくいあげるような視線でこっちを見とる。
すくいあげるような視線って、そりゃまああたしたちのほうがよっぽど背ぇデカイから、自然そんな視線になるんやけど。
「海軍に入りたくて来てんけど」
崇人が悪びれもせずに言った。さっきまであれだけ心配してたわりに、外に見せる顔はものすごい平然としとる。ホンマ。
「塾頭に話は通したんかや」
「通した。龍馬さんは居るん? この子が話つけてるはずやねんけど」
崇人があたしを指差した。だから人を指差したらアカンて。
「名前は?」
「あたし? 夕希」
「ふん、おゆきか」
(何じゃ、文句あんのかチビ)
思ってても口には出さへん。こんなところで刀抜かれても困るし。
「おまんは?」
「俺は崇……たかひと」
「おまんは」
「俺? 俺は……圭……圭三」
2人ともいっぱいいっぱいや。そりゃこの時代、崇人とか圭なんて名前ほとんどないやろうし。『たかひと』はまだ分かるけど、『けいぞう』てアンタ。
ちょっと前の総理大臣やないねんから。そんな笑える改名せんといて、吹き出しそう。圭も微妙な顔してる。
「何しとるんぜ、沢村!」
(……ん?)
新たに声がしたほうを見ると、そこに縮れっ毛の汚い男が立っとった。昨日から服変わってへんで、オッサン。着替えてへんやろ、コラ。
「おう坂本、こいつらが海軍に入れとうせ言うて。おまんに話つけてある言うとるがじゃ」
「ああ、昨夜の女子かや。うん、話はつけちゅうがよ。海軍に入れるきに」
崇人と圭が、唖然としてる。そういえば龍馬とは初対面やな。そうそう、龍馬が沢村って呼んだところをみると、このチビは沢村惣之丞やと思われる。
土佐から龍馬と一緒に脱藩してきた男やな、確か。言われてみれば確かに資料の写真かなんかで見た覚えがあるような……ないような……。
「おまん本気かえ。この男2人は分かるけんど……この女子も入れるつもりかや」
はぁ〜ん、このチビ。
女の何が悪いねん、おまえより背ぇも高いし頭もええわ。
「面白かろう、1人くらい女子がおっても構わんぜ?」
「おまん、女子に何ができるっちゅうがよ。こんな女子入れて、勝先生に顔合わせられん。規律が乱れたらどうするがぜよ」
「おまんもこんまいのう。男はもっと大きゅうならないかんぜよ。女子1人入れたくらいでつぶれるようなもんでもなかろうが」
(ホンマそれやな。背ぇもちっこければ、器もちっこい。あんまり馬鹿にしてっと、そのうち便所に落とすぞコラ)
崇人と圭が、心配そうな眼であたしを見てる。何か暴言吐くんやないかと心配してるんやろ。
心配せんでもええって、確実に海軍入るまでは無茶せえへんわ。
まあ入ってしまえばこっちのもんやからな?
「おまんも呑気やのう……わしゃあ知らんぜよ。おまんに一任するからな」
「わかっちゅう、わかっちゅう。それくらい任せぇや、のう?」
龍馬がそう言ってあたしを見たから。
「あたし、男には負けへんで」
……思わず言ってもた。
「……………………」
崇人と圭が、ふたり同時にこっちを見る。
(そんな顔で見んといてって……)
「その根性じゃ、おまんにも働いてもらうぜよ」
龍馬だけが、ものすっごい愉快そうな顔で笑う。そうやんな、男はこれっくらい大きなかったらアカン。
それでこそ男や!! ブサイクでもええねん、ともかくでっかい夢持ってでっかく生きるのが一番やって。
――――――――――――――――――――――
「おまん龍馬の妾にでもなったんかえ」
それからは結構大変やった。土佐の男が、嫉妬しよるんや。あたしに。
自分らの愛すべき頭領坂本龍馬があたしに興味持ってるからやろ。
あああああ、うぜぇ。
「そんなこんまい身体で、何を仕掛けたがよ」
「いっぺんわしらも試してみたいもんじゃのう」
1人の男があたしの着物から胸をつかんだ…………殺すぞオイ。
「何するん、変態」
「なに?」
「何するん、変態」
「何やと? もっぺん言うてみい」
「なーにーすーるーん、へーんーたーい」
何回言わせるんや。そこに見えてる耳は偽物か? 聞こえへんのやったら何回でも言うたるで。
「この女…………痛っ」
掴み掛かってきたから、そんならキンケリでもかましたろか思って足を上げた――んやけど、あたしの足が届く前に男はうめいてうずくまった。
(…………ぁ)
崇人や。
「何するがぜよ……!」
「そりゃこっちの台詞やろ。おまえ今こいつに何してんな」
「おまんに関係なかろうが、黙っちょれ!」
「関係ないかどうかは俺が決めることやんけ、シバくぞボケ」
崇人のほうが背ぇ高いから、自然と男は気圧される。じりじり後ずさりながらも、それでも虚勢を張るのが見てて笑える。っていうか、崇人。別に大丈夫やったのに。
こいつもいっぺん女の怖さを思い知ったらええねん。
「女子のくせに……」
「ああ? 何やと、おまえこれ以上夕希に手ぇ出したら本気で殺すぞ」
「………………っ」
崇人の眼が本気で怒ってる。そこまで怒ることもないんやけどな……胸触られただけやしな。
やけどまあ、おもろいからいっか。
「この若造……」
「ええ加減にさらせよ、オッサン。なあ?」
「…………」
そのときやった。
「戦じゃ! 長州が動いたぜよ、戦じゃ!!」
来た、と思った。あたしは知ってる。崇人も知ってる。禁門の変や。そして――あたしは知ってる。崇人も知ってる。これがきっかけで、この海軍操練所はつぶれるんやで。
【8】
さてと、親切な夕希ちゃんが禁門の変を説明したろか。しゃあないなあ。いや、間違ってたらゴメンやで。
ええと、池田屋と同じ年やからぁ、1864年やな。1863年の8月に長州藩が京都を追われるっていう政変があったわけなんやけど。
長州はホンマ純粋に天皇が大好きやって、いやもう、そらストーカーみたいなくらいに尊敬してたわけで。天皇からしてみれば、あんまり好かれすぎて怖いわ、くらいの感じ。 で、追っ払われた長州藩は幕府朝廷に赦免嘆願書を提出したわけなんやけど、全部却下されたん。ていうか薩摩・会津と長州はクソ仲が悪い。
で、そんな緊張の中でこないだ6月に池田屋事件が勃発したわけ。池田屋の説明は、もう面倒やから今はせんよ。
で、その池田屋事件で長州の志士がいっぱい殺されたもんで、長州は思わず激昂したんね。
で、武力を前面に出して京都に入って、開戦布告したわけ。
ここにいる海軍の奴らは、何となくしか結末は分かってへんのやろう。
長州は御所まで迫るけど、その日のうちに戦は終わって、長州はそのまま敗走する。中岡慎太郎とかもたぶん、そっちに行ってるはずや。……説明分かりにくい? あたしもうろ覚えやしな。まあ分からんかったら調べてや。
「なあ、もしかして止めようと思ったら止められるんちゃうん」
圭が呟くように言った。
覆い被せるように崇人がたしなめる。
「アカンやろ。歴史は変えたらアカン。俺たちが変えてしまったら、いろんな人の人生を左右することになるやろ」
「アカンか、やっぱり」
「まあ、止めようとしても止められへんのかもしらんけどな」
複雑やな、と圭は呟いて海を見つめた。まあ、複雑やろな。あたしも複雑やもんよ。だって考えてみ。
あたし龍馬の最期も中岡の最期も知ってるねんで。龍馬がもうちょっと長生きしてたら、日本は変わってたかもしらん。何回思ったことか。
龍馬の暗殺を止めようと思ったら、たぶん絶対止められる。暗殺場所になる近江屋に行くなって言えばいいし。刀を絶対手放すな、とも言えるし。
やけど、そうしたら日本の歴史がたぶんおっきく変わる。どんなにあたしが変えたいと思っても、事実は変えたらアカン。
あたしの一存で、他の存在に影響をもたらしたらアカンねん。
だからものすごい複雑や。龍馬は、こんな時代やし自分がいつ死んでもおかしくないと覚悟してるやろうけど……それでもアンタはあと三年しか生きられへんねんでって。
そう伝えたらどう思うやろ。
そういうことから考えたら、こんな幕末にすっ飛ばされたんはキツイ。
「圭、あんまり気にせんほうがいいで」
あたしが言うと、圭はハイハイと頷いた。
「分かってるって。俺はあんまり歴史には興味ないからさ。おまえこそ気にせんほうがいいで。たぶんそのことで一番複雑なん、おまえやろ」
(何やねん、こいつは)
思っても、一応適当に笑って流しておく。何か時々微妙に人の心読むんよね、この男。
「おまんら、聞いたかや」
慌ただしい様子で、龍馬が歩いてくる。
「聞いた」
「どう思うぜよ」
「…………長州はアホや。アホやけど気持ちは分かる」
龍馬の顔は、無表情に見える。でもそのほっそい眼の奥に、何ともいえない悲しい色があるのが分かった。人の気持ちがわかる男やから、当然といえば当然か。
人の心が分からんような男に、薩長同盟なんて成立させられるわけない。
「わしゃあ月末に大阪に行くが、おまんも行くがか。ゆき」
「翔鶴丸でか」
「よう分かっちょる。そうじゃ」
「行く」
あたしも日本人や。
日本の行方を見る権利があるし、日本で起きた事実を知る義務がある。
平成からずっとずっと遡れば、この幕末に死んでいった人らの上にあたしたちが生きてるってこと。
実感したら、もっとあたしたちは考えるようになる。
命って何なん、ってこと。
生きるって何なん、ってことも。
ゲームで人が死んでも、リセットしたら生き返る。実際はそんなん違うんやってことも。
あたしがこのまま龍馬について行ったら、そのうち西郷隆盛とも会えるはずや。ちなみにあたしは西郷隆盛が大嫌いなんやけどな。……まあ、それは置いといて。
「儂と居ると、おまんも一緒に狙われるぜよ。いいかえ」
「新撰組とか見廻組にってこと?」
「おう」
「いいよ。そんなん怖かったら、こんなとこに来たりせえへん」
崇人があたしの袖を引っ張る。
「おまえマジか」
「? うん」
もうホンマおまえ嫌。そんな顔をしてるのがバレバレや。怒ったみたいにあたしの袖を払って、崇人が龍馬に直訴する。
「俺も行きたいんやけど」
「そりゃ困るぜよ。おまんはここで勝先生の面倒を見とうせ」
「はぁ? 夕希は連れてくのに!?」
「女子やからじゃ。殺伐としとるきのう、女子の一人でも連れて歩きゃあ幕府方の奴らも少しくらいは毒気を抜かれるぜや」
「男の毒気抜くような女違うやろが!」
「………………まあ、背ぇもでかいしの。威嚇にもなるがよ」
(おい)
言ってることがさっきと違うやんけ。誰が威嚇や、アホか。
「もうええやん、崇人」
「おまえなぁ……」
もともと、タイムスリップしたときは一人きりやったんや。そら崇人や圭と一緒におれたら心強いけど、一人で何もできんくてどうする。それに龍馬もおるやん。
「あんた圭とここに居りぃ」
「おまえ、自分の立場わかっとんのか。危ないで」
「バカにしてん? 危ないことくらいずっと前から百も承知やっちゅうねん。あたしの心配する前に自分の心配もしいな」
すでに龍馬は話は終わった、とばかりに歩き去っている。海に浮かぶ幕艦を傍らに、あたしと崇人がぎゃあぎゃあ怒鳴ってるだけ。圭が口を挟んだ。
「崇人。もうこれ以上言っても無駄や。聞けへん。行かしたれ」
「おまえもなぁ、そんな無責任に……」
「しゃあないやろ、これで行かせんかったとして、ここに安全の保障があるかっつったらそうとは限らへんやないか」
「………………ホンマおまえら……」
崇人がしゃがみこむ。それでもあたしは分かってる。どうせ結局は許してくれるってことも。あたしが崇人に愛されてるってことも。
だから平気。
明石焼きが食べたい。
サンマルクのお米パンとトマトパンが食べたい。
サーモンのクリームパスタが食べたい。
たけのこ御飯と出し巻きが食べたい。
ツイストドーナツが食べたい。
「なあ崇人、おなかすかへん?」
案の定、溜息と一緒にスルーされた。
【9】
――――京都。
結局龍馬について大阪まで来たはええものの、大阪では別にあたしはすることも何もなくて。
「おまん、今から京じゃ」
そう言われてさあ……ちょっと報告するんも嫌やねんけど。京都からあれだけ暑い思いして神戸まで歩いてきた道のりを、また逆戻りしてきたんや。
……大阪から街道通って京都まで。アホらし。
そんで今、あたしはちょっと待っとけと言われて、ちっこいうどん屋で龍馬を待ってるわけよ。
「暇、暇、暇、暇」
最近独り言が多くなった。年かな……まだ17やねんけどな。
「おい、おまえ」
そのとき不意に声をかけられて、あたしは格子窓から視線を離す。
ぱっ、と店内のほうを振り返ったら、浅葱色の羽織着た男がバリ立ってんの。
こんなもん、池田屋で見飽きたヮ! はいはいはい、もっともらしく『誠』なんて掲げてればいいってもんと違うねんぞ。
(ホンマうざいな、こいつらよ)
ほんで用は何やねん、と思って彼らに向き直る。
近藤勇でもないし、土方歳三でもない。名前を聞いたら分かるんやろうけど、顔見ただけじゃわからへん。ていうか、新撰組なんか興味ないもんあたし。
現代では多いやんな、新撰組ファン。前も思ったけどさあ、だから絶対な、香取○吾よりもトミー○雅のほうが似合ってるて。近藤勇の顔。
そういえば『壬生義士○』の渡○謙はカッコよかった……ッ(伏字ばっかりやがな)
「見たところ美人じゃねえか、酌してくれよ」
「………………」
暑いなぁ。ナニ? お姉さん、何言ったか聞き取れへんかった。
「酌してくれや、なあ。この羽織見りゃあ俺たちが誰か分かるよな?」
「新撰組」
「分かってんじゃねえか。こんな殺風景な店だしよ、一献頼む」
思わず笑ってもたやんけ。
おいおいおい、新撰組のどちら様か知らんけどよ。アンタ誰に向かって物言うとんのよ?
いや分かってるよ? 幕末なんてこんなもんやろ。でもむかつくモンはむかつくねん。 だからあたしはさ、何でここで大人しく酌のひとつも出来へんの? 自分でもそこがわっからへん。
「おい、女」
「嫌や」
「……なに?」
「いやや! 酌なんてせぇへん」
「もういっぺん言ってみろ」
「『いやや、酌なんてせぇへん』。聞こえました? 何回でも言ってあげますけど」
何であたしはこうやって喧嘩買うんかなぁ……。
……ん? この場合はあたしが喧嘩売ったことになるんやろか。しっかしまあ、むかつくことには変わりないし、まあ別にええやろ。
「おまえ尊攘派に肩入れでもしてんのか?」
「あんなアホに誰が肩入れするかい」
「佐幕派なら新撰組にそう盾突くこともないだろうが」
「あたしから見たらどっちもアホじゃ、ぱっぱかぱっぱか人殺しやがって」
(あたし口悪いなぁ)
額に青筋が浮き上がった新撰組の隊士を見て、まずいなぁと思う。
思うけど、あたしアカンねん。口が勝手に動いてとまらへんねんもん。
「おまえ………………ッ」
「おまん、何しちゅうがぜよ」
「誰だ、おまえ」
「わしゃあ幕臣勝先生の弟子じゃけんど、何か不満でもありますかいのう」
「女、おまえ……」
「あたしは幕臣勝先生の弟子の弟子ですけどぉ、何か不満でもありますかねぇ」
っはは。新撰組、みんな青筋立てて怒っとる〜!! けけけっ、ウケる!!
龍馬の後ろについて、あたしはひょいひょいっと外に出る。幕臣の弟子、なんて言っときゃ新撰組が手ぇ出せるはずなんかないんや。ま、とりあえずそんな言い訳ができるのもあと少しやけどさ。
あと二ヶ月半くらいもしたら、勝海舟が江戸に召還される。そいで、龍馬たちは行く場所を失って大阪の薩摩屋敷にお世話になることになるんや。
時代はこれからもっともっと烈しく動いていくことになるで、たぶん龍馬は分かってる。考えてみれば現代の日本に龍馬みたいな奴は出てこんのやろか。もっと悪い世の中になったら出てくるんかな。
だってさ、国歌歌わなかっただけで怒られる世の中やで。戦争放棄の憲法があるのに、イラクに自衛隊送るような世の中やで。自衛隊は軍じゃないって言うけどよ、あんなもん知らん人間が見たら軍隊以外の何物でもないやんか。
何かなぁ……こう、あたしも子供なりに考えてるわけよ。こうして『幕末を通して現代を考える』みたいな?
ま、だから何が言いたいかっていうとさ。あれよ。現代の日本も、下手したら近いうちに戦争巻き込まれるんちゃうかって心配なわけ。
「死ぬ」のは構わんけど、「殺される」のだけは勘弁や。腹が立って腹が立ってしゃあないから。
「おまん、女子のくせによう無茶するのう。お竜にそっくりじゃ」
ハッと気付いた。もしかして京都に来たのって……。
「おりょうさん寺田屋に預けてきたん?」
おりょう、ってのは龍馬の奥さんね。簡単に言うと。年表通りやと、今年の春くらいに京都で出逢ってるはずやねん。
「……そんなことまで知っちゅうんかえ、おまんは」
「でも龍馬がいつ死ぬかとか、そんなんは教えたらんよ」
はっはっは、と龍馬が笑う。行き違う町人や女の人たちが、何人か龍馬のほうを見上げて歩いて行った。
「別にそんなんは知りたいと思わんがぜよ」
「死ぬの怖くない?」
「死ぬときゃあ人間は死ぬ。それが天命ぜよ。人の生き死には人が決めるもんでもないきのう」
「…………でも急いだほうがいい。知ってるやろ、時代が急激に走り出してること」
明治維新まであと四年弱か?
龍馬、あんたが生きてられるんはあと三年ぽっちやで。あと三年で、終わるねんで。1867年の11月15日。京都の近江屋で、中岡慎太郎と一緒に殺されるねんで。
「しかし薩摩と長州があんなに仲悪いと、やりにくいのう……どうしたらええもんがぜ」
独り言らしい。
(……まだ思いついてへんのか。薩長同盟)
「のう、おゆきよ」
「薩摩と長州仲直りさせたらええやん。中岡慎太郎もどうせおんなじこと考えよる」
「……………………」
そこから龍馬が完全に押し黙った。
何やねん、人が相談乗ったったのにいきなり黙んなや。つーか、この沈黙をどうせぇっつーの。
「……………………」
「ちょっと、ねえ。ちょっとってば!!」
「何ぜ」
「このまま神戸帰るん?」
「どっか用でもあるがか」
ある。
一番大事な用が残っとる。
「あんなあ、さっきうどん食べとったのに新撰組に邪魔されて食べきれんかってんで」
龍馬が笑った。
うどんもいいけど、でもそろそろお寿司が食べたいなぁ…………。
【10】
八月二日。将軍が長州藩の征討を諸侯に命じた。これ、第一次長州征伐ってやつ。それから三日後には四国艦隊が下関を攻撃した。下関ってのはふぐの名産地やん。山口県やね。関門海峡を抜ければ北九州門司に行ける。レトロが売りの雰囲気ある街や。宮本武蔵と佐々木小次郎が勝負したのは、確か下関からちょっと舟で行ったところやったと思う。
「何でこんなところでぼそぼそご飯食べてなアカンのよ」
「おまえ散々暴れまくっとんのじゃ、ええ加減おとなしくしとけや」
あたしらとこの時代の人間の脚力には差がありすぎる。急がなアカンから、という理由で龍馬が西郷隆盛と面会するのにはあたしは連れていって貰えんかった。
八月中旬――そろそろ長州が四国艦隊と講和条約を結ぶ頃やねんけどな。まだその報せはやって来ぇへん。
もしかしたらあたしたちには教えるつもりないんかしらんけど。
来週くらいには、たぶん龍馬が神戸に帰ってくる。京都の情勢は、そのときに龍馬が詳しく教えてくれるやろう。
「おまえさん、嫁には行かねぇのかい」
崇人と圭が力仕事に出たあと、あたしは何もすることがなくて。神戸の街に出ようか出るまいか迷ってたところを、突然後ろから声をかけられた。
「……先生」
艶のある髪に、あたしより一回りもちっさい身体。これで直心影流の達人なんやから、ホンマ日本人って驚きの卵(?)やヮ。勝海舟。
「どうしたんですか、いきなり嫁の話なんか」
「おまえさんもそろそろ嫁に行く齢じゃないのかい、式なら挙げてやるよ?」
「いやいやいや、まだいいですって」
「そうかい? おまえさんみたいに無茶する娘っ子は早めに嫁にやったほうが安心なんだがなぁ」
(余計なお世話です)
龍馬の師匠やし、あんまり邪険にも出来へん。別に嫌いな人と違うしな。とはいえ、いきなりこの齢で結婚の話持ち出されても、ねぇ。何ともよう言われんってば。
「それにしても龍馬はいつ帰ってくるんだろうねぇ」
勝海舟の歯切れのいい江戸弁。
まあたまにクラスとかで標準語喋ってる奴とかおったら、きしょいんじゃボケッ、と。 頭スコーンどついてたんやけど、やっぱり勝海舟が江戸弁喋っても腹たてへん。
「おまえさん、こないだの池田屋騒ぎと長州の蛤御門の騒ぎは知ってるね?」
長州の蛤御門の騒ぎ……っていうのは、つまり現代のあたしたちがいう『禁門の変』のことね。禁門のこと、蛤御門っていうの。
今でも弾痕が残ってるんやけど、まああんまりそんなことを気にしてる観光客はおらへん。ちなみに御所の中は、パトカーが走ってる。皇宮警備隊、とか何とかいう特別なやつでな。初めて見たときはちょっと感心した。
「あの中に操練所の塾生が多くいたろう」
「ああ……そうですね」
神戸海軍操練所は幕府が設立した機関や。やのにそこの塾生が、池田屋やら御所やらで幕府方に盾ついたってわけ。幕府は今、怒ってるらしい。
勝は何をしとったんや、と。勝の監督不行き届きと違うんか、と。
「もしかすると俺にも罰がくだるかもしれねぇ」
「………………」
確か二ヵ月後には、幕府から勝海舟に江戸召還命令が出る。そして彼はしばらくの間、蟄居させられるんや。
幕臣勝海舟の庇護がなくなることで、それから後の龍馬たち脱藩の倒幕志士は危険度が増す。龍馬についていくんなら、そこまで覚悟でおらなアカンってことや。
「もしものことがあったときゃあ、おまえさんも女子ながら力になってやってくれ」
「………………」
「あいつぁ、自分のことに無頓着なところがあるからな」
「分かりました」
三年後には龍馬は殺される。勝海舟と会う約束を二日後かなんかに控えて、龍馬は殺される。
――――何か……複雑やなぁ。あたし、それでもやっぱり見殺しにせなアカンのかなぁ。
ふらふらと街に出る。街に出るっつっても、所詮江戸時代の街並みなわけやけど。
ていうかさぁ、今思ってんけど。江戸時代って、別に江戸時代じゃなくてもええんちゃうん。
(だって文学は井原西鶴とか大阪の人やん?)
これがアレか、関西人のコンプレックスか? だいたいよく考えたら上り線、下り線ってのもおかしな話やん。もともとの都は京都やっちゅうねん、なぁ。
だいたい納豆とか食べる時点で、ちょっとヤバイで。あんな腐ったもん、人間の食べ物と違うやんか。
もんじゃ焼きもそうやん、酔った人間の○○みたいで到底食べ物とは思われへん……オェ。
(それにさぁ、幕末の激動は結局京都で起こったわけやし)
ほら、よく考えたら大坂時代とか京都時代でもええわけやん。世の中納得いかへんことばっかしや。
「………………ッ!」
だからや。こんなくだらんことばっかり考えながらボケッとして歩いてたからや。いきなり腕を掴まれて、すぐ近くの神社の境内に引きずり込まれた。
「痛い、痛い痛い!!」
「静かにせんかい」
ようやく見上げたところに、若い男の顔が三つあった。まあまあ男前が一人と、普通のんが一人と、アウトが一人。着物の前をはだけさせて、明らかに呑んどったやろっていう酒臭さ。
……時代が動いてるってときに呑気に酒なんか煽ってる場合かよ。おまえらは平成の若者か!!
ああでも、こいつらでも将軍の名前なんかは知ってるやろうから? 総理大臣の名前もアメリカ大統領の名前も知らんような平成腑抜け中高生よりはマシか。
「何やねん」
「何じゃその眼ぇ」
「眼ぇは眼ぇじゃ、分からんのかボケッ」
普通の男があたしの肩口を引き寄せる。殴ろうと思った手が、アウトな男の手に掴まれた。何か……何か今バリやばい状況の筈なんやけど。
何かカッチーンときた。おまえよ、その汚い手であたしに触んなや!?
「放せや、触んな!」
「えらい威勢のええ女やんけ」
まあまあ男前がむかつく笑いを唇に乗せる。
「何様のつもりじゃ、おまえ」
アウトな男があたしに詰め寄る。汚い、ブサイク、寄るなやキモい!! 何その眉毛、ていうか何その胸毛!? おまえはゴリラか!
「何様?」
そりゃこっちの台詞や。この美人でキレ者の夕希様に向かって、どの口がそんな腐ったことをぬかしやがんねん。
「放せっつの!! 何がしたいねん!」
「女ひとり捕まえてしたいことっつったら、ひとつしかないやろが」
「何よ、雑談か。猥談か? それとも何や、剣の手合わせでもしたいんか!?」
「何をごちゃごちゃ言うとんねん」
こういうとき着物は不便や。帯を抜かれただけであっという間に脱がされる。
前がはだけで、あたしの「豊満な」胸がぽろりや。
「こんまいの」
「殺すぞ、Bはあるっちゅうねん!!」
「びい? 何をワケわからんことぬかしとんねや。イカレたんか」
ホンマ、海に沈んでや。
どうやら順位的には、まあまあ男前>普通>アウト、ってことになってるらしい。まあまあ男前が、あたしの胸をナマで掴んだ。おもっきし掴まれて、あたしはキレる。
「………………おまえら金寄越せや」
「なに?」
「人の胸触っといてタダで逃げようなんて、そんな甘いこと考えとったらドツキ倒すで」
「そんなつれないこと言うてんなや」
「何? もともとあんたらに見せるような下等な胸違うねん。身の程知らずもたいがいにせえよ」
ここで悲鳴のひとつでもあげて。そんで倒れこみたい。こう、そんで誰かが駆け寄ってきてくれて、ああ何て哀れな女の子なんや、と。
そう思われるのも女の特権――――なんやけど、もう……。あたしはアカン。
何でこうも口から言葉がすぱすぱ出てくるんよ? 何で悲鳴あげて、か弱そうにぶっ倒れたりできへんの?
「痛――痛いッ!! 放せや!!」
おもっきし怒鳴ったとき。
――――嫌やぁ!! 誰か来てぇ!? 女の子が襲われとるぅ!!
そんな悲鳴が聞こえた。
【11】
悲鳴が聞こえた、と思ったらその悲鳴の主がこっちに足音立てて突進してきた。
「その子放せや、どつき殺すぞお前ら!!」
(口悪い女の子やな……)
思って押さえつけられていた頭を上げ、助けに入ってきてくれた女の子を見て、それであたしはもうそれこそホンマに卒倒しそうな勢いで驚いた――前に円福寺で圭と会ったとき以上に激しくビビッた。
「あああああ彩、彩子……っ」
眼が合う。
間違いない、クラスメイトの東村彩子や。新体操部のホープ、性格は女王様の彩子や。 あたしの大の仲良しで、いっつも一緒におったん。
「ゆ、き? 夕希!?」
いやいや、こんなことがあっていいんかい、と思ってあたしはそれでも笑ってしまう。 この調子やったらクラスメイトの仲良し皆タイムスリップしてるんと違うん。
こんな都合のいいタイムスリップ、小説にもドラマにもならへんっつの。
「退いてや、あんたら」
彩子が長身の立ち姿ですたすたと歩み寄ってくる。あたしよりも少し背が高い彩子は、まるで巨人。
思わず男たち(まあまあ男前、普通、アウト)の三人が後ずさった。
顔は綺麗な感じでようモテるんやけど、どうもそのきつい性格が災いしてるらしい。
決まった彼氏はおらんで、いつでも数人の男を侍らせとる。
昔っからそうや、あたしに従わへん男は男やない、とか何とかめちゃくちゃなことを言いながら女神みたいに微笑んでんの。
こんな彩子の性格が、あたしは大好き。めっちゃウマが合う。
そんな女王様がどつき殺すぞ、とか怒鳴りながらつかつかと歩み寄ってくるねんから、男もさすがにたじたじや。
油断した隙をついて、あたしを掴んでいた男(アウト)の脛を、踵で蹴り飛ばす。蹴り飛ばした瞬間に、『いひゃ!!』っていう情けない悲鳴とともに彼の手があたしから離れた。
「お、おまえら……」
「何か文句あるんかい、あたしの親友に手ぇ出す気か。まだやる気か」
凄みがある、凄みが。っていうかあたしでさえも時々ビビるくらい。
これがまた毒舌なんやねんな、彩子って。
「…………っ」
「――――くそ」
「お、覚えとけや!」
へぇ、そんな漫画みたいな捨て台詞。ホンマにすんねんなぁ、と思ってたら。
「覚えとけ? そりゃこっちの台詞や」
っと、彩子があざ笑った。…………アカン、おもろすぎる。
いろいろ考えなアカンことはいっぱいあるんやけど――クラスメイトが一緒にタイムスリップしてたってのは崇人と圭ので慣れてる。
彩子まで来てるんなら、もしかしたら他の子も来てるかもしらんし、これなら今以上に楽しめるかもしれん。
手をぱんっ、とあわせた。笑顔がこぼれた。
こんなところで――そう、まさにこんなところで会うなんてびっくりや、っていう表情。
見れば彩子は彩子で完全に順応してたらしく、着物姿でからっからと呑気に笑っとる。
「どうしたん、何でこんなとこにおんの夕希」
どうやら彼女も京都でタイムスリップして、わけがわからんから故郷まで戻ろうと考えたらしい。合宿先の京都でタイムスリップしたときは相当不安やったらしいけど、人に道を聞き男を手玉に取り、何やかやで神戸まで辿り着いたんやって。
「いやぁ、そいで西宮のほうまで戻ったのはいいんやけど毎日暇でさぁ」
そんなら神戸でもいっちょ行ったろかって。それでここまで来たらしい。ホンマに会えたのは偶然やった。
いやでも――崇人に、圭に、挙句の果てに彩子にまで会ったってことは。
偶然やなくてもしかすると必然、ってやつなんかもしらんけど。
「旧国道から歩いて神戸向かったんやけどさ、あれ西宮神社のところで止まってんのな」
「ああ……あれあたしも思ってんけど。あれ、西宮神社にお参りするためだけの道やったみたいやなぁ。知らんけどさ」
西宮神社っていうのは、今の阪神電車西宮駅から南にちょっと下ったところにあるえべっさんの神社ね。えべっさんが祀ってあって、そいで北西の隅っこに大国主の神様も祀ってある。
正月明けて一月の九日から十一日までは『十日えびす』っていってお祭りがあるんや。 これがものすっごい人出になる。毎年、あたしも彩子も崇人もお祭り行ってるし、よく知ってる。
りんご飴やろ、ベビーカステラやろ(高すぎるねん)、焼き鳥やろ、焼肉串(神戸牛)やろ、それからたこせんに綿菓子。からあげ串にフランクフルト。
「彩子……」
「何よ、またおなか減ったん?」
さすが彩子。長年の付き合いや、よく分かってる。
「うどんでも食べる?」
「食べる食べる、彩子の奢りやろ?」
「出世払いでよろしくな」
裏路地を抜けて、通りの右手にこじんまりと店を構えていた饂飩屋に入る。
ざらざらとした暖簾の手触りが、何かとても不思議な気分。ちょっと昔風の店に来た――みたいな錯覚をおぼえる。
昔やのにな。いや、今は今やねんけど……ん? まあええやん、意味はわかるやろ。
「かけうどん二つなぁ」
彩子が奥に向かって声をかけた。
「お、あや」
主人が顔をほころばせて頷く。どうやら通いつけの店らしい。
「で、夕希は今どうしてんのよ」
「あたし? あたしホラ、海軍操練所で世話になってるん。坂本龍馬に会いに行こやぁ、つって崇人と」
「はっ、え、崇人!? 崇人おんの!?」
彩子が眼をまんまるにして怒鳴った。そりゃびっくりするやろ、彩子にとったらあたしと会ったことだけでもびっくりやのに。
「それがさ、崇人だけ違うねんて。圭もおるんやんか、圭も」
「何、藤沢も!? 何やそれ」
饂飩をお箸にのっけたまんま、彩子が呆れた顔をする。それでも彩子も少しはホッとしたみたいで、なぁんや、と彼女は朗らかに笑った。
「その海軍何ちゃらっていうのさ、あたしも入れて貰えへんのん?」
「分からんけど、行こ! 食べ終わったら操練所行ってごり押しや」
何とかなるやろ。
大丈夫、大丈夫。人生深く考えとったら生きていかれへんやんか、楽にいこう楽によ。
――――何ぃぃぃ、と二人の声がハモった。
何で二人ともそんな厄介そうな顔をするん。喧嘩売ってんのか。
「おま、おまえ。おまえ――よりによっておまえかよ」
崇人が額を手で覆う。何やねん、文句あるんか、と彩子が喰ってかかった。皆して着物姿でなければ錯覚しそうや。
毎日高校の教室の中で見ていた光景と、あまりにも似てるから。そのことがちょっとばかり切なくて、でもそれがあたしも普通の神経もってるんやな、みたいな安堵感にも繋がる。
わからんやろうけど、これでもちょっと悩んでるんやで。こんなに幕末なんかに順応しちゃって、あたし変なん違うかなって。
小説とか漫画とかで読むような奴やったらさ、物凄く悩んだりもとの世界に帰りたくて泣いたりするやん。でもあたしは驚くほどそんな感情とは程遠くて、だから余計に自分が謎やったんやって。
「おまえも何とか言えよ、圭」
「ノーコメントや。まあ頑張れ親父」
圭が完全に諦めた顔で呟き、崇人の肩をぽんとたたく。
「俺はまだ17やぞ。17にして子持ち設定かおまえコラ、こんな娘ふたりも抱えた覚えはありませんよ藤沢くん」
「いやいや、須賀くんなら面倒みるのも簡単だよ」
「アホか黙れ」
幕府の軍艦が落とす影を見ながら、二人の男が馬鹿げた会話を繰り広げ。
「何のコントや」
女王様が二人の頭をスコンスコンと殴る。夕焼けが綺麗やったけど、外気はめちゃくちゃ暑くて皆何度も汗を拭った。
――帰りたいなぁ。
ぽつりと圭が呟いた。
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2005/05/15(Sun)15:04:25 公開 /
ゅぇ
■この作品の著作権は
ゅぇさんにあります。無断転載は禁止です。
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■作者からのメッセージ
【11】の更新です。久しぶりの更新になりました★さて、今回みたいな展開ってどうなのよ、と思いつつこっちの方が楽しいからってことで彩子登場です。一番最初、合宿研修に京都来たときに登場してた彩子さんです。一番最初からお付き合いくださってる方も覚えてないんじゃなかろうか、と思う(笑)女の子のアクが強いですねぇ、ホント。何か時々崇人と圭が可哀想になるんですけど、そこはもう運命ですね。
西宮神社。旧国道という道が、実は西宮神社への参詣道だったんではないかということですが、これ、こないだ車で旧国道走ってて初めて気付いたんですよね。ちょうど西宮神社のところで途切れてる道なもので。何を隠そうこの西宮神社。あたしが巫女さんやって荒稼ぎしたバイト場所でもあったりします(笑)面接のときに『最近あった嬉しいこと』を訊かれて、他の人はみんなイタリアに行きましたとか、就職決まりましたとか答えた中で、『好きな人が出来ました(≧∀≦)』と臆面もなく答えて爆笑されたという恥ずかしい記憶が。
さてさて、今回は龍馬たちは出てきませんでしたが、次回から物語をガンガン動かしていこうと思います。操練所が廃止されて薩摩藩邸に面倒みてもらうわけなんですが、もしかするとそこらへんは説明ですっ飛ばしてしまう可能性も有り。まっ、これは本当にたいした意味もなく龍馬への思慕だけで書きなぐってるものですので、適当に読んでいただければ幸いですっ。ではでは(´∀`)