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『OUR HOUSE 【13】 完結』 作者:甘木 / 未分類 未分類
全角72342文字
容量144684 bytes
原稿用紙約224.45枚
 俺は生まれてから17年間、一度も転校というものをしたことがない。転校したことがないのが幸運なのか不幸なのかは分からない───だって転校したことないからなぁ。
 俺の家はとにかくぼろい。築50年は経っている。床が抜けているところもあるし、窓枠がアルミじゃなくって木製だぜ。すきま風は入り放題で一酸化炭素中毒にはならない安全住宅だ。これが沖縄や暖かい地方ならまだいいだろう───でもここは北海道。信じられるかい?
 要するに俺はこのぼろ家しか家と言うべきものを知らない。

 このぼろ家〈森泉(もりいずみ)家〉には、
 いつも真剣なのか不真面目なのか分からない親父・正稔(まさとし)と。
 ゆっくりしたいなんて言いながら、自分から忙しくしている母さん・諒子(りょうこ)と。
 何事にも動じない大人の風格を持つ猫のクルツと。
 クールに、時には熱く生きたいなんて思いながら、無為に日々を過ごしてる俺・浩之(ひろゆき)が住んでいるのさ。

 でも、このぼろ家には俺の思い出が詰まっている。ついでに親父と母さんと猫1匹の思い出も。



 1 手紙


 母さんへ。
 お願いですから世間の常識を持ってください。
 自分が一児の母親である自覚を持ってください。
 他にはなにも望みません。これが俺の本音です。
           ───あなたの息子・浩之より。



 俺の母さんは独身時代に国営放送でアナウンサーをしていた。結婚を機に国営放送は退職したが、その後も映画に出演したりと忙しい。と言っても、暗い映画らしいから俺は観たことはない。若い頃の母さんを知る人は「映画にも出たぐらい諒子さんは綺麗だったよ」なんて言う。だからこそ若い母さんが出ている映画なんて気恥ずかしくて観たくもない。
 ま、息子の俺が言うのもなんだが、母さんは美人の範疇に入ると思う。子供の頃は母さんが自慢だった。参観日では友達のお母さんたちと比較しては意味のない勝利に酔いしれることも。ついでに言うなら社交的な性格で男女問わず知人友人が多い。いつも朗らかで人の中心にいる。友達には「浩之、おまえの母さん綺麗だし明るくて良いなぁ」なんて羨ましがられることも。でも……、
 アクション物のアニメが好きで、家事を放り出してテレビにかじりついている姿は家族以外知らない。俺が買ってくる少年マンガを楽しみにしていることを俺の友達は知らない。家ではずぼらで料理が下手なことを世間は知らない。親父と結婚したことを後悔していることを……親父は知っているかもしれない。
 外面は平穏だが内情は色々。でも、どこの家庭も似たようなものだと思う。せいぜい違うことは俺の母親が森泉諒子だと言うことぐらい。それが一番頭が痛いところだ。一人息子としては……。

 *  *  *

 今日は火曜日。現在、午後1時20分。クラスメイトは学校の裏山を走り続けているはず。今日は全校一斉マラソン大会の日。昼飯も食わずに汗を流しているだろう。ご苦労なことだ。
 俺の通う晴稜高校では他校が体育祭を行う時期にマラソン大会がある。男子20キロ、女子15キロをひたすら走るだけ、俺たち3年生も特別扱いはされない。クラスメイトからは「受験生に走らせるなよ」とか「体調崩して受験に失敗したらどうするんだ」と怨嗟の声が上がっている。そんなに嫌ならサボればいいと思うのだが、みんな変に真面目でサボるヤツは少ない。内申書に響くのを恐れているのが本音だろうけど。
 ま、俺には関係ないことだ。俺は入れればどんな大学でもかまわないし、専門学校って道もある。だからマラソン大会はサボることにして昼近くまで爆睡していた。親父は出勤が早いから朝は俺と顔を合わせることはないし、母さんは留年でもしない限り「浩之の人生なんだから好きにしなさい」と、俺の自主性を尊重してくれる。
 と言うわけで居間のソファーに陣取って、滅多に見ることのない昼ドラなんぞ鑑賞しつつ遅めの昼食を始めるところだ。昼ドラは面白いんだか面白くないんだかさえ判断つかないストーリー。でもこんなのを今までずっと放送してきたのだから、それなりに需要があるんだろう。男の俺には分からない何かが専業主婦達の心を鷲掴みしているのかも。主婦って分からねぇ。
 昼ドラはともかく、昼食は満足できる一品さ。冷蔵庫にニンジンとグリュイエールチーズが入っていたのを幸いにニンジンのフランなんぞ作ってみた。フランス料理のコックになるのも良いかなと思える出来映え。自慢だが俺は料理が得意だ。なにせ食品会社の科学者であるくせに、有名レストランで料理を教える親父からみっちり仕込まれている。
 美味い。さすが俺。高校3年生の俺が学校をサボって、昼ドラ見ながら一流の料理を食べる。この退廃的な雰囲気がゴージャスな昼食の味をさらに引き立ててくれる。
「ただいま」
 俺が一口目を五感すべて使って堪能していると、荷物を抱えた母さんが猫のクルツと一緒に帰ってきた。別に母さんがクルツと一緒に出かけていたわけではない。母さんは買い物かなにか、クルツは朝の散歩だろう。
「あら良い匂いね、お母さんの分もある?」
「ないよ。起きたときにいなかったし、いつ帰ってくるか分かんないもん」
「だったら、それ分けて。ね、浩之。凄くお腹空いているのよ」
「いやだよ。俺だって腹減っているんだから。自分で作ればいいじゃん」
「ひどい! お母さんが料理下手なこと知ってるくせに」母さんは泣きマネしながら足下にいるクルツを抱き上げ「クルツ、浩之が苛めるんだよ。お母さんは買い物で疲れているのに労ってくれてもいいのにねぇ」迷惑顔のクルツに同意を求める。
「クルツを味方につけても無駄だぞ」
 俺は人獣漫才を無視して三口目を頬張る。ニンジンの甘さが口内に広がる。至福。
「クルツ、あんた浩之に嫌われてるわよ」
 母さんはクルツをソファーに下ろし荷物を漁り始めた。俺の気を惹こうとでもしているのだろうか? ま、無視無視。
「ねぇ、浩之。いい物見せてあげるから、お母さんにも食べさせてよ」
「しつこいな!」
 顔を上げた俺の目の前で黒猫が金色の目を片方つぶってウインクしていた。ちなみにクルツは明るい茶色の虎柄だからクルツじゃない。当然だ、クルツはウインクもしなければ、真っ赤なハートマークも飛ばしはしない。
「かわいいでしょ」
「なっ?」口の中のフランが俺の意志に関係なく食道に滑り落ちていく。
 母さんがニコニコしながら見せている物は───白地に真っ赤なハートを飛ばしてウインクする黒猫がプリントされた女物のパンツ。「下着屋さんで見つけて買っちゃった。いいでしょう。ほら、後ろにも一匹いるんだから」ご丁寧に後ろの猫も見せてくれる。
「あ、あ……」
 首筋に氷でも押しつけられたような刺激がつま先まで突き抜けた。
 目眩がする。頭痛もする。食欲は遙か20光年彼方みずへび座ベータ星の先まで飛んでいった。こめかみの血管がぴぅぴぅ脈打って存在を主張する。閉じようとしても口が勝手に開いてしまう。
「はぁぁぁぁっ」何とも表現しがたい塊が胃の腑からせり上がってくるのを押さえつけ「母さん、あんた今年でいくつになった」感情を抑えた声を絞り出す。
「ん? 41歳よ。お母さんの歳忘れちゃったの? お母さん悲しいわ」
「41歳だよな。41歳なら41歳らしいことしろよ。17歳になった息子が母親のパンツ見せられて嬉しいとでも思ったのか?」
「嬉しくないの?」
「あのなぁ」可笑しくもないのに引きつった笑みが浮かんでくる。
 俺だって前を歩いている女の子のスカートが風でまくれれば条件反射のように目は行く。それだって条件がある。上限は20台まで。そりゃぁ世間には女物の下着に異常な執着を見せる性癖のヤツもいる。けど俺は布きれより中身のほうに興味があるんだ。だいいち新品とはいえ、そのパンツは母さんが穿くんだろう。だったらパンツの中身は……。
 想像してしまった自分が憎い。死にたくなってきた……って、自殺の理由がパンツじゃ浮かばれねぇよ!
「いい加減にしまえよ」
「本当は嬉しいくせに。ほら、もっとよく見てもいいのよ」
 母さんはにやらにやらと嫌な笑みを浮かべパンツを差しだしてくる。
「なにが悲しゅうて真っ昼間からパンツ見物してなきゃならないんだよ! 頭痛くなってきた。外に行って来る」
「あら、出かけちゃうの。これもう食べないの?」
 母さんはまだ5分の1も食べていないフランを自分の手元に引き寄せる。
「食欲がなくなった。もういらねぇ」
「じゃあ食べちゃうわよ。クルツも一緒に食べようね」
「なぁぁぁう」
「勝手にしろ」
 居間のドアに手をかけたとき、
「浩之。ひょっとして、お母さんだけが猫ちゃんパンツ買ってきたから拗ねてるの?」
 俺は無言でドアを閉めた。
 昼ドラを見る主婦達よりも、俺には実の母親が分からない……。



 母さんへ。
 どこで見つけたか知りませんけど、猫パンツを買ってこないでください。
 俺にこれを穿けと言うのですか。
 母さんとパンツのペアルックは勘弁してください。
 他にはなにも望みません。これが俺の本音です。
           ───あなたの息子・浩之より。



 2−1 楽しい食卓1(本日のメニュー オムライス)


 入学案内では晴稜高校は土曜日は休みと言うことになっている。でもそれは建前上のこと。自主補習の名目で土曜日にも授業がある。それも4時間も。一応参加は生徒の自由となっているけど、出席もとるし、クラスメイトも真面目に出席する。かく言う俺も3年生になってからはほぼ皆勤賞だ。一応大学には行きたいし、いつも赤点ぎりぎりの成績だからこのあたりで内申を稼いでおかないとヤバイ。
 親父だって土日は休みなのに俺は学校。なんかおかしくないか今の日本。ともかく今日もつまらない授業で半日が終わってしまった……せっかくの土曜日なのに。

「ただいま……ぬぁっ!」
 居間に踏み入れた俺の足が止まった。鈍鉄色の銃口が俺の胸を捉えている。
 現代日本において学校から帰って来た途端、自宅で銃を突きつけられる高校生がどのぐらいいるのだろう。どう多く見積もっても0.1パーセントもいないはず。でも銃社会であるアメリカ合衆国だったらパーセンテージは結構高いかも───などと、どうでもいいことが脳裏をかすめる。なに逃避してるんだよ俺。
「おう、お帰り」
 親父は何事もなかったように銃口を下げる。いや、正確には分解したレミントン社製上下二連散弾銃の銃身だけだが……たとえ殺傷能力がないエアガンでも突然銃口を向けられれば気持ちのいいものじゃない。ましてや親父の銃は本物。そこから鉛のバラ弾を発射された日にゃ、俺の全身にはお洒落な水玉模様が描かれちまう。
「絶対人間には銃口を向けるな、って言ったのは親父だぞ。銃は紳士の趣味とか言ってるくせに。帰ってきた息子に銃口向けるかふつう?」
 親父は趣味で散弾銃を撃つ。生き物を殺すのは嫌いだから、クレー射撃と言って飛ばした皿を撃つのが専門。趣味ゆえにマナーにはうるさい。はずだ……。
「銃の手入れ中に急に入ってくるから弾みで、つい。まぁ銃身だけじゃないか。悪意はなかったんだから、そう怒るな」
 親父は機関部についた油を綺麗にふき取り散弾銃の手入れを続ける。
「悪意ねぇ、悪意はないかもしれないけど善意もないんだろう」
「おい、おい、俺は浩之の親だぞ。いつも善意でいっぱいだ」
 嘘っぽいセリフを嘘臭い笑顔でさらりと良いやがる。セリフもセリフだが、まずその笑顔はよせ、笑うと怖いんだよ!
 俺の親父は結構強面だ。ヤクザ映画の登場人物並みの悪相な上に、大学時代は柔道部だっただけあって身体はゴツイ。本当のガキだった頃は親父と外出すると人混みでも他人がよけてくれ、誇らしいのと同時になにやら恥ずかしいという不思議な感情がいつもあったことを覚えている。
 粗暴的な見た目と違って頭は良い。北海道大学で食品発酵を学び、卒業後は食品会社の研究所で研究員を務めている。あの顔で繊細な研究というのは信じられないが……優秀な科学者と言うことだけは確かだ。
 でも美人の母さんと並んでいると、実の息子が言うのもなんだが美女と獣。ちなみに我が家の本当の獣クルツは太っていて暢気で野性味の欠片すら感じられない。
「嘘くせぇ」
「嘘なものか。浩之が腹を減らして帰って来ると思って昼飯だって作ってあるんだぞ」強化プラスチック製のケースに銃をしまうと、台所からオムライスと運んでくる。「温めなおすの面倒だからこのままでいいだろう」と言って俺の前に置く。
「冷めててもいいよ、腹減ってるし。んじゃ、いただきます」
 肉厚の卵焼きに包まれただけのシンプル料理。ケチャップすらかかっていない。中身も細切れのハムを入れたライスをオリーブオイルで炒めただけの単純な物。それだけに手抜きをすれば一発でばれる。
「どうだ?」
「不味くないよ」俺は素っ気なく答える。
 本当は不味くないどころか凄く美味い。親父は仕事の一環で料理の試作を作る機会が多い。その関係で一流コックとの付き合いも多く、色々と教えてもらって料理が上手い。母さんが料理が下手な分、森泉家的に見ればバランスがとれているのかも。そんなことはどうでもいいが、とにかく美味い。
 でも、さっき銃口を向けられ恨みは忘れねぇ。俺は恩は3日で忘れても、恨みは死ぬまで忘れないイギリス人体質なのさ。
「そうか」親父の返事も素っ気ない。
「ところで母さんは?」
「急に仕事が入って昼前に出かけたよ。今日は久しぶりに射撃場に行こうと決めてたのに残念だ。今月は1回も撃っていないから行きたかったのに」親父は未練がましく銃を納めたケースを見ている。
「あっ、そう」
 親父の愚痴なんか聞く気はない。だいいち俺は腹が減っているんだ。目の前の獲物を片づける方が忙しい。
「ごちそうさま」
「どうだ?」親父は空になった皿と俺の顔を交互に見る。どうしても俺に美味いと言わせたいようだ。
「しつこいなぁ、不味くないって言ったろ」
「……」無言のまま皿を台所に持って行った親父は、水の入ったコップを持って戻ってきた。ついでに小さなビンも一緒に。
 胃薬? 何これ?
「浩之が食ったオムライスにハムが入っていたろう。あのハムなぁ、実は半分腐っていたんだ」
「あぁ、俺に腐った物食わせたのかよ」
「いや、完全に腐っている部分は捨てた。でも使えそうな部分が結構あったから。あのハム高かったからもったいないし」
 この人何言ってるの?
「だったら親父が自分で食べればいいだろう!」
「あのなあ、人間の身体の中には腐敗したタンパク質に対する抗体はないから危険なんだ。そんな危ない物食べるなんて冗談じゃない」親父は俺から視線をそらし、つけたばかりのタバコを勢いよく吸い「でも熱も通してあるし、まぁ浩之は若いから大丈夫だろう。たぶん……一応薬は飲んでおけ」煙と共にほざきやがった。
「やっぱり善意なんてねぇじゃねえか」
「なにを言う。昔から肉は腐りかけが一番美味いと言われているんだぞ。だから愛する息子にそれを食べさせてやった親心が分からないのか」
「わかんねぇよ! 冗談にも程があるぞ!」
「おぉ怖い。怖いから俺は射撃場に行ってくるわ」親父は銃を入れたケースを持ち上げ、いやらしい笑いを浮かべる。「浩之は外出するなよ。食あたりの場合は凄い下痢するはずだから、外に出ていたら非道い目に遭うからな。と、言うことで留守番よろしく」
 言い終わる前に親父の姿は玄関へと消えていく。
「待て親父ぃ、最初から……」
 俺の声はエンジン音にかき消されてしまった。


 2−2 楽しい食卓2(本日のメニュー 佃煮)


 しゃひっつ───微妙な堅さが奥歯に響く。
 しゃひっつ───噛み潰すと口内に溜まり醤油の味が広がる。
 しゃひっつ、しゃひっつ。ん? ───奥歯に挟まったぁ。脚がぁ。
 ノコギリのように微細な突起が生えたツチイナゴの後ろ脚が奥歯に挟まって気色悪い。
「だめだ……」
 俺は口の中の異物をティッシュにはき出す。
「親父、こりゃ人間の食い物じゃねぇよ」
 俺はツチイナゴの佃煮を盛りつけた皿を親父の方へと押しやる。
「そうだよなぁ」
 親父はツチイナゴの佃煮を箸でつまみ上げる。体長5センチ、本来の灰茶色は醤油で飴色に染まっている。後ろ脚がピンと伸びてまるで生きているよう。ああっ美味しそう……な、ワケない!
「これだけでかいイナゴだと食べる気は起こらないよなぁ」
 親父は自分の口に入れることなく、さっきから興味津々でツチイナゴの佃煮を見ていたクルツの前に置く。
 しゃひっつ、しゃひっつ、しゃひっつ。
「なぁぁぁぁう」クルツは非常に気に入ったようだ。目を輝かせて次のイナゴを待っている。さすが腐っても猫、人間に飼われていても野性味を忘れてはいない。いや、単に食い意地が張っているだけかも……。
「モニターとして母さんも1匹食べてみてくれないか」
 親父は自分では食べないくせに母さんにも勧めている。うわぁ、母さんは露骨に嫌な顔をしてるよ。俺知らねぇ。
「嫌よ!」
 ま、当然の反応だろう。蜂の子やザザ虫を食べる地域はあるけど、一般的には虫は食べない。ましてや女性で虫好きはそういないだろう。俺だって虫は食べたくない。気付よ親父。
 じゃあなんで俺がツチイナゴの佃煮を食べたかと言えば───。
 親父の勤める食品会社では他社からの新製品開発なども引き受けている。たいがいは特産品を使ったお菓子やジュースの類だが、今回依頼してきた地域にはたいした特産品もなく、強いて言えばツチイナゴが多いからと安直にツチイナゴの佃煮の発想になったそうだ。
 親父も仕事だからツチイナゴの佃煮を作り、それを土産として持って帰り「珍しい物だろう、ちょっと食べてみてくれ」テーブルの上に置いた。大口のビンに入ったイナゴはホワイトアスパラガスの缶詰みたいに頭を上にして縦にびっちり詰まっている。上から見ると無数の目が見つめていて、ちょっとしたスプラッター気分が味わえる。
 小さいイナゴの佃煮なら食べるのにそんなに違和感ないだろうけど、これだけ大きくて正にイナゴという感じだと食欲は湧かない。親父から5千円のモニター代が出ていなければ口に入れる気はならなかったろう。
 ───意を決して口に突っ込んでみた。あっさりとしていながらコクのある上品な溜まり醤油の風味が生きている。親父、あんた良い仕事しているよ。でも見た目と食感が……。
「なぁ親父、こんなの本当に売れるのか?」
「ん? 売れないだろうなぁ」自分で作っておきながらあっさり否定する。「昆虫類は生産調整もしやすい素晴らしいタンパク源だけど、見た目のせいで人気はないからな。しょうがないからキャットフードとして売り出すようにと報告しておくさ」
 親父は投げやりに答え、イナゴをもう1匹クルツに投げ与える。

「浩之も飲むでしょう」
 夕食も終わり居間でまったーりしていると、台所から戻った母さんがコーヒーを淹れてくれた。親父はいつものように大学生の一気飲み並みの勢いで酒を飲んで潰れて寝ている。俺の家じゃ10時以降は親父はいないも同然。ま、自分が稼いだ金で酒を飲んでいるから良いけどさ。
「ねぇ浩之、さっきの佃煮懐かしい味がしなかった?」
「佃煮が? 別に懐かしくないよ」
 苦手でも好物でもないから、佃煮にまつわる思い出なんてない。
「佃煮じゃなくって、イナゴの方よ」
 イナゴの佃煮を食べたのは今日が初めてのはず。
「ゴメンねぇ、実は浩之に隠していたことあったんだ」
 母さんはニコニコしながら両手を合わせ謝るマネをする。
「ねぇ隣に原っぱがあったの覚えている?」
「ああ」
 俺の家の隣には公園がある。公園になったのは俺が小学生になった頃で、その前は何もない原っぱが広がっていた。ガキの頃は近所の友達と鬼ごっこしたり秘密基地を作った覚えがある。
「浩之がまだハイハイもできない赤ちゃんの頃、あの原っぱで毎日日向ぼっこさせていたんだよ。覚えていないでしょう」
「当たり前だろう、そこまで記憶力が良かったらもっと良い高校に行ってたさ」
「そうよねぇ。浩之の頭じゃねぇ……」母さんはうんうん頷いている。
「あのぉ……普通の親だったら『浩之は本当は頭が良いのよ』とか『浩之は大器晩成だから気にしなくて良いのよ』とか言うんじゃないんですか……」
「あら、子供を正当に評価するのは親の務めよ。過度に期待をかけると子供は歪んで育っちゃうからね」
 俺はもう高校3年生だぞ、歪むも何もないだろう。もう性格も根性も変わらないよ。俺をからかっているのか、真面目にそう思っているのか、コーヒーを飲む母さんの表情からは読みとれない。
「で、原っぱがどうしたんだよ?」
「そうそう、赤ちゃんの浩之はね、原っぱに座ったままいつも手を動かしてたのよ。最初は外が楽しくて腕を動かしていると思ったんだけど、よく見ると手を何度も口に持っていくのよ」
「赤ん坊が口に手をやっても不思議はないだろう」
「違うのよ。浩之はね、そこら辺にいる虫を手当たりしだいに捕まえては食べてたのよ」
 え゛!
「止めさせようとしたけど、お父さんは平気だから気にするなって言うし、私も家事とか色々忙しかったから浩之の好きなようにさせてたのよ……浩之って昔から運動神経だけは良かったよ。大きなバッタなんかも捕まえて食べてたもん」
 母さんは凄く楽しそうに衝撃の事実を伝える。
 待てや。毒のある虫(ちょっと思いつかないけど)もいるかもしれないんだぞ。あんたそれでいいのか? 親として問題あるんじゃねぇの?
「虫に栄養があるって本当ね。浩之はこんなにも大きくなったもの」母さんはテーブルにおかれていたツチイナゴの佃煮を俺に差しだし「どう、もっと身長伸ばしたくない?」にっこり笑う。
「息子を実験台にするんじゃねぇ!」

 俺の身長は174センチある。俺の身長のいったい何パーセントが虫成分でできているんだろう……。



 3 クルツ曜日


 クルツが我が家にきたのは俺が小学校に入学した頃だったと思う。なにせ昔のことだから記憶が曖昧になっている。ともかく俺がまだ紅顔の美少年だった頃───嘘です。ゴメンなさい───引っ越しをする母さんの友達から貰ってきた猫がクルツだった。
 尻尾の細いキタキツネ? これが俺の第一印象。2歳の成猫のくせにガリガリに痩せて、猫と言うよりは貧相なキタキツネかハイエナのよう。せわしく動く長い尻尾が蛇みたいで気持ち悪かったことを覚えている。それから10年以上の歳月が流れ───1日3回、俺たちと同じ物を食べ。あまつさえオヤツにキャットフードも食べ───キタキツネのような猫は、猫のような豚に。もとい、体重6キロの大猫になった。


 3−1 クルツ曜日(這う日)


 夕飯までは時間はあるけど2階の自分の部屋で勉強する気はさらさら無く、居間のソファーに陣取ってラブクラフトの怪奇小説を読んでいた。俺も一応受験生だけど『今から受験勉強していたら飽きてしまって、本番の時にやる気がなくなっちまう』なんて都合の良い理由をでっち上げ、現実からひたすら前向きに逃避していた。
 親父はまだ会社から帰ってきていない。母さんは俺がこの前古本屋で買ってきた吉田秋生の「バナナフィッシュ」を一心不乱に読んでいて夕食の準備をする気配もない。昨日カレーを大量に作ってあるから今日もカレーなんだろうけど……憂鬱だなぁ。
 母さんは料理が下手だ。特にカレーとスパゲティーとハンバーグは群を抜いている。カレーはやたらめったら林檎とハチミツを入れるから甘すぎる。スパゲティーは茹ですぎていつも離乳食のような食感。ハンバーグは炭化一歩手前のうえ、オリジナリティーを出そうと色々混ぜる悪癖がある。この前は短冊に切ったエンリギが入っていて、食いづらいったらありゃしない。母さんキノコハンバーグってこんなものじゃないです。
 受験勉強と母さんの料理から逃避すべく、俺は全力で本に集中しようとしていた……が、
 ぱって。ぱって。ずっ!
 ぱって。ぱって。ずっ!
 奇っ怪な音が俺の耳を刺激し続ける。かれこれ3分は続いている。
 ぱって。ぱって。ずっ!
 ぱって。ぱって。ずっ!
 何? 隣の和室から聞こえてくる。
 ぱって。ぱって。ずっ!
 ぱって。ぱって。ずっ!
 とても本なんかに集中はできない。なんだよ……。
 和室にはクルツがいた。
「あ? 何やってるんだ?」
 間の抜けたシチュエーションだが、猫相手に俺は真剣に質問していた。ペットを飼っている人がペットに話しかける行為はよくあることだと思う。それは一種の独り言で、ペットの「わん」とか「にゃん」とか鳴き声が返ってくれば良いという程度のものだろう。
 でも今の俺はクルツに正式な回答を求めていた。だって目の前の光景があまりにも俺の理解を超えていたから。
 クルツは畳の上で横になっていた。後ろ足は横に投げ出し、上半身だけ前を向いている。そして2本の前足を前に伸ばし、まるでスーパーマンが空を飛ぶような姿勢をする。
 そしておもむろに、
 ぱって。ぱって。
 鋭い爪が畳に刺さり、腕力(前足力?)だけで身体を───ずっ───前に引きずる。別にクルツの後ろ足が悪いワケじゃない。さっきまで普通に4本の足で歩いていたのを俺は見ている。なのに今はロッククライマーが己の腕を頼りに断崖絶壁を登るように、クルツは畳という広大な未踏の地を己の前足だけで征服しようとしていた。
 そしてまた、
 ぱって。ぱって。ずっ!
 ぱって。ぱって。ずっ!
 クルツの身体は10センチほど前進する。さらに前足を伸ばし……。
「ねぇ浩之、クルツ何してるの?」
 いつの間にきたのか、母さんが和室をのぞき込んでいる。
「知らね。俺はドリトル先生じゃねぇもん」
 俺だって何をしているのか聞きたいぐらいなんだから。
「あれ、楽しいのかしら?」
「熱中してるから楽しいんじゃない。知らないけど」
「つれない言い方ねぇ」
 母さんは不満そうに言う。んな、俺だってワケ分かんないんだよ。クルツと付き合って12年になるけど、こんな動きは初めて見るんだから。ひょっとしたら俺が学校に行っている間、ちょくちょくやっているのかもしれない。クルツの動きには手慣れたものが感じられる。
 ぱって。ぱって。ずっ! クルツは俺の足下をリズム良く通過しようとしている。
「つれないも何もねぇだろう、分かんないんだから。そんなに知りたいんなら母さんがクルツに聞いてみればいいじゃん」
「いいわよ、聞くわよ。クルツに教えてもらっても、浩之には教えてあげないからね」
 アホか。
 母さんは俺の横にしゃがみ「ねぇクルツ、それ楽しいの? お母さんに教えて」
 本当に聞いたよ。この人。
 クルツは前足を伸ばしたまま迷惑そうに顔を向けた。はっきりとした表情は読みとれないけど、楽しみを邪魔するなって顔のような気がする。
「ね、楽しいの?」
 クルツは母さんの質問に答えることなく(当たり前だが)、遙か目標へと顔を戻し、
 ぱって。ぱって。ずっ!
 ぱって。ぱって。ずっ!
 畳を滑っていく。

「変な猫だ……」
 ひとりごちて、ふと、あることが俺の脳裏をかすめた。
 地震の前に猫が騒いだ。地滑りの前にいつも吠えない犬が吠えまくった。鳥が、魚が、異常な行動をする───ペットの異常行動は災害の前兆だとも言う。
 まさかこの行動は……な、ワケない。クルツに限っては絶対無い。こいつには野性味の欠片すらないもの。ま、猫といえども10年以上生きていれば一人遊びぐらい覚えるだろう。
「クルツ冷たーい」むげにされた母さんは渋々立ち上がり、「もぉ、いいわ。夕飯でも作ろう。でもクルツはご飯だけ。おかずは無しよ」子供じみた意趣返しをしている。
 あんたいくつだよ。猫相手にケンカするなよ。
「そうだ、今晩はカレーハンバーグにしよう」
 名案とばかり、自分の献立に満足して母さんは台所へと向かっていく。
 ん。カレーハンバーグ? ハンバーグカレーじゃなくって?
 カレー味のハンバーグ……それまともに食えるのかよ。
 ぱって。ぱって。ずっ!
 ぱって。ぱって。ずっ!


 3−2 クルツ曜日(哲学の日)


 クルツは細かいことなど気にしない───春先にタンポポでつくられた首輪をして帰ってきたことがある。どうやら近所の女の子達が作ってクルツの首にかけたようだ。普通の猫ならば嫌がってすぐに外してしまうだろうが、クルツはお構いなしでそのまま帰ってきてしまう。〈タンポポ猫〉文字にするとかわいらしいけど……似合ってねぇぞクルツ。
 クルツは優しい───庭先でクルツが見知らぬ子猫をかまっているのを見たことがある。ベランダに置かれたイスの上で丸くなり、だらんと垂れ下げた長い尻尾を適当に揺らしては子猫の相手をしていた。雄猫は子猫といえども他の猫を嫌うと思うのだが……「にゃぐぁあ」の奇声と共にクルツが家の中に飛び込んできた。盛んに尻尾を舐めている。興奮した子猫に思いっきり噛みつかれ逃げ帰ってきやがった。情け無ねぇよ。
 クルツは忍耐強い───春が始まったばかりのある日。いつもはノロノロとしか動かないクルツが、しなやかな動きを見せて風呂場に向かって走っていく。たぶんネズミの気配でも感じたんだろう。風呂場の排水溝をじっと見つめて動かない。雪が消えたとはいえ北海道の春はまだ寒い。ましてや風呂場に暖房はない。にもかかわらず微動だにしない。凄い集中力だ。1時間後。鼻水を垂らしてクルツは戻ってきた。何も獲らずに……はぁ、オマエ何しに行ったんだよ。

 *  *  *

「親父、アメリカザリガニ知らねぇ?」
「アメリカザリガニ? 知っているぞ。アメリカ原産の淡水性甲殻類、成体体長は約13センチ、体色は主に赤褐色で青や白色個体もいる。日本には昭和2年に20匹が輸入され、その旺盛な繁殖力から今や全国の河川湖沼に住み着いている」
 居間のソファーに寝転がっていた親父は、テレビに顔を向けたままよどみなく答える。さすがは学者先生、って違う!
「蘊蓄はどうでもいいんだ。俺のアメリカザリガニを知らないかと聞いてるんだよ」
「なんだつまらん。せっかくこれからアメリカザリガニの料理法を色々語ってやろうと思ったのに」
 親父は身を起こしタバコに火をつける。
「いらね。それよりアメリカザリガニを見てない?」
「見てないぞ。逃がしちまったのか」
「たぶん。朝起きたらいなくなってた。親父、まさか料理の材料にしてないだろうな?」
「1匹だけじゃ鶏のマレンゴ風も作れんしなぁ……」つまらなそうに煙をはき出す。
 じゃあ俺がアメリカザリガニをいっぱい飼っていたら料理する気なのかよ。息子のペットを食うなよな。グレるぞ。
「見つけたら教えてよ」
 親父はまた横になって「あぁ」とも「おぅ」ともつかない気のない返事が返ってきた。
 親父は期待できねぇな。それにしてもどこに行ったんだよ。俺のザリガニちゃん。ん? ザリガニ君かな? あいつ雄なのか雌なのか? どっちでもいいけどさ。

 高校3年生にもなってアメリカザリガニを飼っているなんて、幼くて十分変だと言うことは自覚している。俺だってこんな生き物を飼う予定はなかったけど。
 昨日の土曜日、近所の神社で夏祭りがあった。
 中学校時代の友達に祭に誘われたのがアメリカザリガニへの第一歩。3年ぶりに行った祭の高揚感が俺に伝染したのが第二歩。生まれて初めて見たザリガニ釣りなる屋台への好奇心が第三歩。からかい半分でチャレンジしたのが運の尽き。
 簡単に釣れるさ───考えが甘かったです。難しいんだこれが……。
 ガキどもを押しのけ、友達に呆れられながらも、俺はチャレンジし続けた。長く辛い孤独の戦いの後、ついに体長10センチほどのアメリカザリガニを釣り上げた。ツヤのある赤黒いボディ、ワキワキと小気味よく動き続けるハサミ。たぶんこいつは今まで誰にも釣られたことのない歴戦の勇者だろう。だが、しょせん畜生。俺の手にかかればこんなもんさ……勝利の空しさってやつだろうか、財布のあたりから怨嗟の声が聞こえる気もするけど。
 手に入れたのはいいが、こいつを入れておく水槽はない。しょうがないからクッキーの空き缶に砂利と水を入れてその中に放り込んでおいた。
 てぃこぉん。てぃこぉん。てぃこぉん。てぃこぉん。
 何が楽しいのかアメリカザリガニは缶の隅っこでモソモソやっている。
 うるせぇ。
 てぃこぉん。てぃこぉん。てぃこぉん。てぃこぉん。
 俺が布団に入ってからも鳴り続けている。本当にうるせぇ。
 で、朝になったら音がない。やっと大人しくしてくれたかと思ったら、全然大人しくはなかった……いないよ。脱走してるよ。部屋の中を見渡しても見あたらない。放っておけば干上がって死んでしまう。早く捜索して救いださなければ。と同時に、今日は週に一度の休日〈日曜日〉と言う重大事項も思い出してしまった。捜索か休息か……。
 生き物を愛する俺としては迷うことなく後者を選ぶ。だって俺も生き物の一員だし。
 失せ物ってヤツは焦って探そうとすればするほど見つからないものと決まっている。親父にも声をかけてあるし、ここはのんびりと構えるが得策さ。

 本を読んだりしているうちに午前は終わってしまった。相変わらずアメリカザリガニの行方はしれない。昼は親父が作った和風ポトフを食べ───俺が水気のない筑前煮じゃないのかと言うと、親父は強硬に和風ポトフだと言い切った。美味かったからどっちでもいいけど───俺は居間に転がっていた。
「浩之、ザリガニを探さないのか?」親父はタバコを持った手で俺を指す。
「探してるよ」
「寝転がっているだけじゃないか」
「甘いな親父。たぶんヤツはまだ2階の俺の部屋にいる。けど、人間の気配があると出てこないかもしれないじゃないか。だから俺がいなくなってヤツがノコノコと出てきたところを一網打尽。鬼神も欺く深慮遠謀よ」
「あのなぁ浩之、脊髄反応だけで喋るのはやめろ。どうせ、今まで忘れていたんだろう」親父はため息混じりにタバコの煙を吐き出す。
 ばれてる。すべてお見通しか……付き合い長いからなぁ。
「しゃぁねぇ、クルツに探させてみるか。アイツも一応猫だし……ん? 親父、クルツは?」
 飯時には必ずいるクルツの姿がない。
「そういえばさっきからいないな。外にでも行ってるんじゃないか」
 ベランダは開けっ放しになっているからクルツの出入りは自由。というか、ベランダのドアに鍵さえ掛かっていなければ、ドアは引き戸だからクルツは爪を引っかけて自分で開けられる。閉めてはくれないけど。
「珍しいな。だから静かだったんだ」
 俺の家ではゴハンを作ったら、まずクルツに与え、それから人間という順番になっている。ゴハンをやらないとクルツがうるさくてゆっくり食事ができないからだ。それでもクルツは速攻で自分のゴハンを半分だけ食べると、すぐに人間の食卓に来て色々と食事の邪魔をする。
 クルツはある信念を持っている。それは人間のお皿のに手を出してはいけないが、直接触れない限りどんなに鼻を近づけても許されるという信念だ。そしておかずの数ミリ前まで顔を近づけ「なぁぁ」と物欲しそうに鳴く。たいていは家族の誰かが根負けしてクルツにおかずを分け与えることになる。クルツは戦利品をゆっくりと食べ、狙うべき獲物がないことを確認して、おもむろに自分のゴハンの残りを食べる。これがクルツの食事のローテーション。だから俺の家の食事はいつも騒がしい。

 とん、みぅり。とん、とん、みぅり。
 階段が軋む音が聞こえる。
 みぅり。とん、みぅり。
 俺の家はぼろい木造住宅だから、階段を上り下りするだけで音が鳴る。
 とん。とん、とん、みぅり。とん。
 階段からの音は不規則なリズムと共に階下へと、居間へと近づいてくる。

 クルツがよろめきながら居間に入ってきた。顔が真っ赤だ……血?
 ケンカか? ひどい出血だ、ヤバイよ。
 クルツは血を吹き飛ばそうとするかのように盛んに顔を振り、宙を掻くように前足を動かす。
「クルツ!」俺よりも早く親父がクルツに駆け寄り、「浩之ぃ……ひっ! あはははは!」大爆笑する。
「どうしたんだよ。ん? …………ぶっ! なんだよそれ!」
 クルツはアメリカザリガニと合体していた。クルツの顔からアメリカザリガニが金の鯱のように上に向かって尾っぽをピンと伸ばしている。
 血に見えたのは今やクルツのイカレた装飾品になっているアメリカザリガニの色。
 身体の中から緊張感が一気に抜け、腹の底から堪えきれない笑いがこみ上げて……ははははははは……くっ、苦しい。
 タンポポ猫になったり、こんどはザリガニ猫かよ。オマエも忙しい猫だな。ひょっとしてコスプレ願望でもあるのかよ。
「ひ、浩之……あははは……み、見てみろクルツの顔……あはははは」
 笑いながら指差すクルツの顔は、
 クルツの顔は、
 クルツ……はははは。
 両目を瞑り眉間に縦皺を深く刻みこんだ哲学者のような難しい顔をしている。
「猫が、猫のくせに哲学してるよ……はははは……もぉダメ、息できねぇ……」
 クルツはザリガニの左のハサミをくわえ、ザリガニは右のハサミでクルツの眉間をしっかりと挟んでいる。見事なバランスの美を作り上げ、結果アメリカザリガニ付き哲学猫のできあがり。
「あははは……オマエ、オマエどうして……そんな格好してるんだ。あはははは……」
「ね、猫に聞くなよ親父ぃ……どうせ……ははは」
 クルツが難しい顔をして頭を振る姿が目に入るたび、笑いの塊がこみ上げて話してなんかいられない。
「ど、どうせクルツが……ははは……」
 おおかたクルツが脱走中のアメリカザリガニを見つけ、ザリガニの躍り食いを目論んでハサミに食らいつき、ザリガニも食われてはならじと残ったハサミでクルツを挟んだというところだろう。
「助けてやれよ浩之……あはははは」
 親父は顔を歪めて笑い転げている。表情だけ見ればクルツより親父の方が苦しそう。
「で、でも……はははは」
 どちらか一方が戒めを解けば苦行は免れるのだが畜生の浅ましさ。そこまで頭が回らないようだ。あっちへ、こっちへと、即席哲学者は彷徨する。だんだん哀れに感じてきたよ。しょうがねぇなぁ。
「親父、笑ってないでクルツを押さえてくれよ。俺が引っぺがすから」
「お、おう……あはははははははは」
 親父は目に涙を浮かべて頷く。あ、親父が泣いているの初めて見たよ。

 クルツもアメリカザリガニも一応無事に分離を果たした。クルツはやたらと前足で眉間のあたりを擦ってはいたが。


「クルツ、あんたザリガニに食べられそうになったんだって。無事で良かったわねぇ」
 昼間の顛末を聞いた母さんはクルツを抱き上げ阿呆なことをほざいている。
 どこの世界にアメリカザリガニに食われる猫がいるんだよ。逆だろう逆!
 クルツは6キロあるんだぜ、1000匹のザリガニが一斉に襲ってくるならともかく……1000匹のザリガニを体中にくっつけたクルツ。真っ赤な鎧を着たみたいで格好いい……わけないな。
「ザリガニに襲われても必死に反撃したのね。クルツ勇気あるわね」
 母さん、それはたぶん逆です。いや、確実に逆。俺たちの話をどう聞いたらそんな発想になるんだよ。
「で、このザリガニがクルツを襲ったのね」クッキーの空き缶に入ってるアメリカザリガニをのぞき見て母さんは言う。
「ああ」
 本当は違うけど。面倒くさいから訂正せずにいた。
「クルツが怖がってるわよ。そんなところに置いておかないで」
 クルツはいたって普通の顔だ。どちらかというと前足の下に手を入れて持ち上げられているのが迷惑という表情にも感じられる。
「ねぇ浩之、このザリガニでどんな料理作ってくれるの? 1匹だけだからサラダ?」
 あんたも食う気か! 夫婦揃って息子のペットを食おうとするなよ!
 本当にグレるぞ!


 3−3 クルツ曜日(潜る日1)


 嫌な朝───どんなイメージを思い浮かべるだろう?
 目覚まし時計で叩き起こされる朝。雨の日の朝。寝不足で起きる朝。おねしょした朝。テストの日の朝。体調の悪い日の朝。夏休みが終わった翌日の朝。人によってそれぞれ嫌な朝はあるだろう。
 俺は吹雪の朝が一番嫌いだ。
 吹雪の朝は起きると同時に部屋の中で雪かきをしなきゃならないから───俺の部屋の窓枠が壊れているうえにガラスの一部が割れて隙間ができている。普通の雪ならば問題はないのだが、横殴りに雪が降ると吹きこんできて扇状地のように雪が積もる。室内に。信じられねぇ。
 北海道の家は二重窓といって、寒気対策のために窓が二重になっている。窓と窓の間に空気の層を作って外気を遮断するためだ。その代わりに本州の家にある雨戸がない。雨戸なんて閉めた日にゃ凍り付いて、冬眠中の熊よろしく春まで真っ暗な日々を送らなきゃならなくなる。
 ところで俺の部屋の内窓は建て付けの悪さから半分しか閉まらない。外窓のガラスは割れている。そのうえ北海道の住宅なのに部屋には暖房器具がない。いや、ポット式石油ストーブはあるが石油を2階まで運ぶのが面倒で使っていない。だから冬になると人類生息ぎりぎりのレベルまで室温が下がる───ちょっと嘘入ってます。氷点下までは下がらないけど寒いのは事実───寒いなか起きていてもしょうがない。早く布団に入って寝ちまおう。
 今夜は吹雪になりそうだな、明日も雪かきかぁ。ああ、もう考えたくねぇ。だから考えるのやめた。世の中に寝るほど善きことはなかりけり。
 おやすみなさい。
 りゅゅゅほぉぉぉわ…………風が出てきたな。明日も雪かきかよ…………
 りゅゅゅほぉぉぉわ………………ハデに積もらなきゃいいけど………………
 りゅゅゅほぉぉぉわ……………………どうでもいいや……………………

 寒っ!
 全身を締めつけられるような冷気で目が覚めた。いや、覚まされた。
 でっ! 身体がほとんど布団から飛び出てる。
 今の俺は布団の横で寒さに身体を縮こまらせ、布団がかかっている部分は足先だけという悲惨な状況。『浩ちゃん、冷えは足元から来るからね。足元さえちゃんと温かくしておけば風邪知らずだよ』って、教えてくれたのは3年前に死んだ婆ちゃんだけど……風邪を知るよりも先に生命の根幹に関わるヤバイ状態になりそうです。このままだと婆ちゃんと再会できそうな予感がします。
 て、洒落になってない! あわてて布団から出た。足先だけ。
 危ねぇ、危ねぇ、目が覚めて良かった。あと少し寝続けたら凍死していたよ。
「嫌な朝だ」独りごちると言葉は真っ白になって口から逃げていく。
 窓から差し込む光は白々しいほど眩しくって、部屋に積もった吹きだまりをキラキラと輝かせている……吹雪は止んだようだな。でも雪は積もっているし、全身痛いほど冷たいし、勘弁してくれよぉ。
 俺は寝相が良い方ではない。夏場なんかは枕が足の下にあったり、布団と関係ない所で寝ていたりとバリエーションは豊富にある。でも冬場はさすがに大人しい。本州の家なら、いや北海道の家でも暖房があるならともかく、極寒の俺の部屋で寝相が悪いのは死に繋がる危険がある。それに毛布という物が嫌いで真冬だろうと敷き布団1枚、掛け布団1枚しか使わないという俺のダンディズムがある。結果、冬場の俺は胎児のように丸くなって寝ている。いつもは……。
 なんで俺は死の危険を冒してまで布団の外で寝てたんだ?
 ん? 掛け布団の中央が不自然に盛り上がっている。
 まさか……布団を勢いよく引っぺがし、
 布団のど真ん中でクルツが───お腹を上にして、四肢を四方に伸ばし───大の字で寝ている。いかにも自分の布団でございとばかり弛緩した表情さえ浮かべてる。俺は死に至らんばかりの寒さ〈死寒〉を味わっていたのに。
 どうやら俺はクルツに布団から押し出されたようだ。丸くなった猫饅頭のクルツが俺に身を寄せるたび、俺は無意識に身体を横にずらす。それを何度も繰り返し……。
「てめぇ」
 クルツは俺を一瞥すると、こんどは丸くなって寝続ける。
 こ、殺すぞ! 本当は殺されかかったのは俺の方だけど。
「いい根性してるじゃねぇかよ」
 俺はクルツを抱きかかえ階段を下りる。俺は眠気もぶっ飛ぶ爽快な目覚めをさせられたけど、寝ぼけているのかクルツはなされるがまま。
「おはよう浩之、今朝は早いわね。あらクルツも一緒で仲良しね」
 殺人未遂を知らない母さんの脳天気な挨拶に、「当然だろう。仲が良すぎて殺したくなるくらいさ。ふふふふ」なんだか無性に笑みが湧いてきてしまう。
「変な表現しないでよ。クルツに起こしてもらったの? 早起きは三文の得って言うからいいことあるわよ」
「その言葉実感したよ」三文どころか、早起きのお陰で命を拾いましたよ。「母さん、悪いけど玄関開けてくれないか」
「いいけど、どうしたの?」
 寝ぼけるクルツのヒゲをいじって遊んでいた母さんが不思議そうに俺を見る。
「クルツに早起きの御礼がしたいんだけど、両手がふさがってるからさ」
 何それ、と言いながらも母さんは玄関を開けてくれる。
 玄関の向こうには真っ白な空間がどこまでも広がっている。鳥の足跡もない純白のパウダースノーが40センチは積もっている。
「お前のおかげで布団のありがたみが分かったぜ!」
 クルツを両手で高々と掲げ、白いフィールドへ完璧なスローイン。
 クルツは綺麗な放物線を描き、
 ずもっ
 見事埋まった。
「なぁぁあうん」不満じみた声が新雪の向こうから聞こえる。でも雪に埋もれて姿は見えない。ざまあ見ろ!
「浩之、クルツが可哀想じゃない」
 そう言いながらも母さんもクルツを助けにいくそぶりは見せない。
「いいんだよ。俺とクルツは仲良しなんだから。スキンシップさ」
「でもクルツ全然見えないわよ。大丈夫かしら……あっ、見えた」
 純白の世界に虎柄の尻尾が現れた。新雪に埋もれたクルツはジャンプもできず、短い足で一生懸命雪を漕いでいるのだろう。尻尾はフラフラとせわしなく揺れている。
 なんだか潜水艦の潜望鏡みたいだな。
「見て見て浩之。尻尾がもこもこ動いて可愛いわよ。あっ、こんどは右に行ったわ」
 母さんはやたらと喜んでる。ところで『もこもこ』って何ですか?
「クルツ、そっちじゃないわよ。もっと左よ左」
 母さんの声に反応するかのように尻尾は少しだけ左に揺れる。
「そうそう、そのまま真っ直ぐ」
 母さんの声がするたびにクルツの尻尾はもこもこ揺れる。まるでラジコン操縦だな。
「だから違うわよ。右、右」
 楽しそうだな。ま、頑張ってくれ。俺は音声入力でクルツを操縦する母さんを残して居間に向かう。
「おっ、今日は早いな」
「まぁ色々あってね。親父はもう会社に行くの?」
 出勤が早いから親父の顔を朝から見るのは久しぶりだ。
「もう少ししたら出る。そうだ浩之、せっかく早起きしたんだから雪かきしろよ」
 勘弁してください。身体が冷え切っていてそれどころじゃないんです。
「雪かきなら母さんが音声入力式クルツを遠隔操作してラッセル中だよ」
「なんだそりゃ?」
「玄関に行けば分かるよ」
 俺はストーブの前に陣取って熱いお茶を淹れる。もうクルツも母さんもかまっていられない。体を温めないと……美味い。お茶の熱さが身に染みる。
「クルツそっちじゃない。表通りの方に行くんだ。会社に行くための道をつくれ」
「こっちでいいのよクルツ。こっちこっち」
「違う違う右に行くんだ」
「そっちに行っちゃダメよ。戻って戻って」
 玄関から親父と母さんの声が聞こえる。どうやら音声入力は混線しているようだ。
 朝っぱらから夫婦揃ってなにやっているんだか……。


 3−4 クルツ曜日(潜る日2)


 クルツは色々な寝場所をもっている。
 夏場だったら風通しの良い板の間、冬場はストーブ前のソファーの上がお気に入り。そして1日の中にもローテーションがある。昼間は居間のソファー、母さんが寝る時間になれば母さんの布団の上、真夜中の散歩から帰ってきた午前4時以降は俺の布団と決まっている。
 クルツが入ってくるのか、俺が無意識に引っ張り込んでいるのか分からないけど、毎朝目が覚めるとクルツが布団の中にいる。だいたいは俺の腹のあたりで猫らしく大の字になって───猫って大の字で寝るのが基本だったっけ? 何か違うような───まあいい、そんなのは些細なことだ。クルツがこともあろうに俺の腕を枕にして添い寝していた時は濃厚な殺意が……可愛い女の子が俺の腕を枕にしてくれるなら、寝顔を見ながら腕にかかる重みを何時間でも楽しむさ。でも現実にあるのはデブ猫の間抜けな寝顔。口が少し開いているし、鼻息が「しゅぴぃ、しゅぴぃ」とうるさい。
「重いんだよ、バカ猫!」
 と、やりきれない想いで起きる朝もある。

 逆にクルツに起こされる朝もある。俺が寝過ごしていると顔を舐めながら顔や胸を猫按摩して起こしてくれる。でもこれは最上の部類。クルツの気分次第で───鼻に囓りついたり、起こすのを諦めて俺の胸の上で寝たり、「くちゅん!」と可愛らしいくしゃみと共に俺の顔を鼻水だらけにしたり───エライ目に遭うことも。

 ペットを飼いたいというヤツに俺からの忠告だ。安眠と爽快な目覚めを望むなら猫は飼わないほうがいい。

 *  *  *

 目が覚めたら日常がちょっと壊れていた。
 最初に視界に入ってきたものは得体の知れない塊。見慣れない物体が俺の顔のすぐ横にあった。
 枕? いや、枕は俺の頭上の先に転がっている。敷き布団が盛り上がって……モソらモソら動いている。布団が、
 なんだよこれ?
 跳ね起きた俺が見たものは……敷き布団カバーの中でモソらモソらと蠢く奇っ怪な塊。
 蠢く布団? 怪しげな動きが気持ち悪い……いままで俺はこんな物で寝てきたのかよ。精神衛生悪すぎ。で、これなんだ?
 俺は足で塊を突いた───適度に柔らかく、また適度に硬く、突き心地の良い触感───塊は一瞬動きを止め、「んんにゃあ」情けない声が響く。
 理解しがたいのだがクルツは布団カバーの内側に入りこんでいた。
「何してるの?」
 朝から見るにはあまりにもシュールな光景に、驚きよりも呆れの感情の方が多かった。あのなぁ俺は平凡が好きなんだ、朝からワケ分かんないコトするなよな。
 俺の声に反応するようにクルツの動きが激しくなる。が、どれだけ前進しようが布団カバーは布団をぐるっと覆っているから出口はない。逆に状況を悪化させているだけ。
「楽しいかクルツ? て、言うか、どこから入ったんだオマエ?」
 あっ、布団カバーの真ん中当たりが30センチほど裂けていた。
 前からそこの部分が薄くなっていたことは気付いていたけど、ついに寿命がきたようだ。その裂け目にクルツが潜り込んで行ったんだろうけど……器用なヤツ。
「なぁん」どん詰まったクルツが不満じみた鳴き声を上げる。
 俺には猫語は分からない。でもこれだけは分かる「なぜだ?」だ。
 端に行けば布団から出られる───クルツなりに一生懸命考えたのだろう。ところがこれは布団カバーであって掛け布団じゃない。Uターンして入った所から出ればいいのだが、そこは畜生の浅ましさ。ただひたすら前進あるのみ。
 モグラかオマエは。
「んなぁぁう」またも不満の声。
「ま、せいぜい出口を探してくれ」
 朝っぱらから構ってられねぇ、俺は学校に行かなきゃならないんだ。オマエの救出より朝飯だよ。俺はクルツを置いて部屋を出る。
「おはよう、母さん。敷き布団のカバーがダメになったから交換してよ」
「いいけど。あら、クルツはどうしたの? いつも一緒なのに」
「ん? クルツはモグラごっこの最中」
 母さんは両腕を脇につけ、手首だけ動かして土を掻くマネをする。
「ずいぶん大きなモグラねぇ……でも、可愛いかも」
 可愛くないです。馬鹿なだけです……。

 *  *  *

 俺の家に布団乾燥機なんて洒落たものはない。冬場に布団を乾燥させようとすればストーブの前に並べて干すしかない。

「空に〜そびえる〜虎柄の猫〜スーパーにゃんこ〜マジンガークルツ〜」
 ドアを開けた途端、母さんの脳天気な歌が聞こえてきた。
 なんだよこの歌? 曲はたぶんマジンガーZの歌だと思うけど……41歳の一児の母親がマジンガーZの替え歌……開けたドアを閉めて、そのままどこか見知らぬ土地まで行きたくなるような気分。かと言って、金もないし、一応学校もあるし、なにより冬場に旅になんか行きたくない。
 それにバタバタうるさいのも気にかかる。俺は覚悟を決めて歌声のする方に向かった。
「空に〜そびえる〜虎柄の猫〜スーパーにゃんこ〜マジンガークルツ〜」
 リフレインしてるし……。
「恥ずかしいな、何の歌だよ」
「おかえり浩之。何の歌って、マジンガーZの歌よ。覚えてない?」
 覚えてない? って、ガキのころ再放送で観たことあるけど……俺の知っている歌はこんな馬鹿な歌じゃなかったです。
「歌詞が違うでしょう。なぁ……それより何してるの?」
「クルツと遊んでるのよ」
 母さんは干していた俺の敷き布団を引っ張り回してる。おまけに布団にしっかりと爪を食い込ませたクルツがぶら下がってる。
「見て、見て、浩之。まるでクルツが空を飛んでいるみたいでしょう。スーパーにゃんこマジンガークルツよ」
「マジンガークルツって、意味わかんねぇ」
「浩之は硬いわね。感性よ、感性。クルツは分かってくれるわよね」
 そんな感性いらね。
 クルツだって、ただぶら下がっているだけじゃん。
「何でそんなコトしてるんだよ」
「布団を片づけようとしたら、布団の影にクルツが隠れてたのよ。それでね」
 母さんは布団を左右に振る。クルツは興奮して布団をよじ登ろうとする。
「ほら、クルツが喜んじゃって」
「いい加減にしろよ。それ俺の布団だぞ、破れるだろう」
「大丈夫よ」
 その根拠はなんだよ。
「クルツ行くわよ」
 前屈みになった母さんは勢いをつけて布団を引っ張り上げる。
 ビッとも、ギリッともつかない音が響く。
「あっ!」
 俺と母さんの声が見事なまでに重なり合った。

 マジンガーなクルツは強かった。俺の布団を完膚無きまでに引き裂くほど。


  ■4 a capriccio(ア・カプリッチォ)


「4分音符でA♯ A A♯ A そしてG F F♭ こんどはG♯ G♯……で、ストップ……ん?」
 4拍子+5拍子?
「まてや! これじゃ9拍子じゃんか。トルコ音楽のアクサク旋法じゃないんだから奇妙なリズムにするなよ。真面目にやれ!」
 クルツはソファーの上で丸くなったまま、耳だけを俺の方に向ける。
「えっと、こりゃ16分音符ぐらいかな。スピードはアレグロどころじゃないなアレグリッシモぐらいだな」
 俺はペンを握り直しノートの上に「Allegrissimo」と書き込む。
「さぁ、いくぞ」
 ソレが作り出す僅かな差違も見逃さないよう意識を集中させ、正確に動きを捉えるべく腹這いになる。ソレは俺の眼前でせわしなく動いている。
「……Eの32分音符の8連符、16分音符になってD E♯ E♯ E 付点付きE? 4分休符で、付点付き16分音符のH……Hだと。どんなセンスだよ…………んで、2分音符のD D D D♭ D♭ D♭ 急に遅くなりやがって……全音符でC C C C C 全休符 全休符 全休符 全休符 全休符 全休符…………何だよ全休符の連続って。サボるなクルツ!」
 俺は五線譜代わりのノートを放り投げ、ソレを思いっきり叩いた。
「みゅぅな!」
 クルツは奇妙な抗議の鳴き声をあげる。
「文句言うんじゃねぇ。さっき報酬のベビースターラーメン食わせてやったろう。さっさと動かせよ!」
 クルツはへそを曲げたようで、俺の言葉も猫耳東風(にゃじとうふう。意味は……なんでしょう?)。無視を決め込んでいる。
「浩之、さっきから何しているの?」
 俺の上から声が降ってきた。見上げると腕を組んだ母さんが首をかしげている。
「クルツの尻尾見ながらブツブツ言って、気持ち悪いわよ」母さんは危ない人でも見るような目で俺を見ている。「私こんな変な子供を産んだ覚えはないわよ」
「変ってなぁ、俺はクルツの尻尾を見て作曲しているだけだよ」
 母さんの動きが一瞬止まり、「そ、そうなの。作曲しているの……クルツの尻尾で……頑張ってね……」俺の視線を避けるように台所へと行ってしまう。
 なんなんだよ? 作曲のジャマしやがって。

「浩之、コーヒー淹れたわよ。ひと休みしない」
「ああ」ずっと腹這いで顔だけ上げていたため、いい加減首も凝ってきたところだ。「ありがとう」
 いつもより濃いめ目だけど美味い。酸味のきいた苦みが、作曲に疲れていた頭に刺激を与えてくれる。ただ、コーヒーはありがたいんだけど……
「なに? 言いたいことでもあるの?」
 母さんの視線が気になってしかたがない。さっきから俺を監視するようにじっと見ている。
「ねぇ、浩之……なにかあったの?」
「なにもないよ。今日だってちゃんと学校に行ったし、授業だって6時間受けてきたし、昼飯だって残さず食ってきたろう」
「だったら悩みとかあるの? ひょっとして受験のこと? それとも人間関係? まさかとは思うけど恋愛関係?」
 母さんはコーヒーカップを両手で包んだまま、口をつけることなく聞いてくる。
「なんだよ、俺が恋愛で悩んじゃいけないのか。失礼だな」
「えっ、彼女いるの?」母さんの顔に好奇の表情が浮かぶ。まるで獲物を前にした猫のような……さっきまでの深刻そうな表情はなんだったんだ。獲物が見つかった途端、急に生き生きしたがって。ましてや獲物が俺だと……冗談じゃない。
「ど、どうでもいいだろう、母さんには関係ない」
「ふーん、関係ないわよね。でも浩之に彼女がいるんなら、女の立場からアドバイスでもしてあげようかなぁってね」母さんの言葉には勝ち誇ったような、バカにしたような響きが含まれている。
 俺に絶対彼女がいないと決めつけてやがる。そりゃ彼女だって言い切れる女の子はいないけど、俺にだって付き合っているような女の子はいるんだ……同級生で、とある会社の重役の愛人をやっているけど。そんなことはどうでもいい、
「変なこと言うなよ」
「変なのは浩之でしょ。本当に何していたのよ」
「さっきも言ったろう作曲だよ。暇つぶしに作曲してただけだよ」
「あんた音痴じゃない。センスもなさそうだし、作曲なんてできるの?」
 少しは自分の子供の可能性に期待しろよな。
「音痴で悪かったな、センスもねぇよ。だからクルツに手伝わせているんだろう」
「どうやってクルツで作曲するのよ」
「ソファーに紙を貼っているだろう……」
 俺はクルツが寝ているソファーの横に目印を書いた紙を貼った。尻尾の真下がC音、そこからほぼ2センチ単位でD、E、Fと音が高くなっていく。だからクルツが尻尾を振った位置を記録すれば、人智を超えた斬新な曲ができるはず……。
「あんなものまで作って作曲ごっこしてたの……あんた受験生なのよ、馬鹿なことしてないで少しは勉強したら……大学に行きたいんでしょう」
「ひょっとしたら凄い名曲になるかもしれないじゃん。世界的な有名人になれるかもしれないんだぜ。そうなったら大学なんてどこでも入れてくれるさ」
 母さんは小さく息を吐いてコーヒーに口をつける。
「はぁ。夢を見ることはいいことね。それが悪夢でも……で、曲はできたの?」
「ん? まぁ、なんと言うか……クルツって音楽センスなくてさ」
「そうなの……」母さんはまた小さく息を吐く。「クルツ、浩之が音楽センスないって言ってるわよ」
 母さんはソファーのクルツに大声でチクりやがった。
 耳だけ動かしたクルツは返事代わりに尻尾を動かす。

 4分音符のE、C、C、4分休符、E、H、H、4分休符、A、H、C、D、E、E、E……。


 *  *  *


「I've paid my dues Time after time……」
 学校から帰ってきたら、親父が歌っていた。
 えっ? 珍しい……。
 6時間目をサボって早退してきた俺より親父が先に帰ってきていることも珍しいけど、親父が歌っていることの方が俺には珍しい。
「We are the champions my freinds……」
 曲はクイーンの『伝説のチャンピオン』。ただし、ちょっと編曲されている。テンポが速かったり、部分によっては妙に引き延ばされている。

 そういえば、出張の代休で今日は休みだと言っていたっけ……でも、午後からは会社に顔を出すとも言ってたよな。ひょっとして会社に行ってないのか。息子は辛い授業を5時間も受けてきたというのに……自分はサボりか、いい身分だよ。
 嫌味のひとつでも言ってやろうかな。
 けど、俺の言葉は口から出ることはなかった。親父の背中から鋭い気迫が発せられている……17年間で初めて見る親父の気迫。軽々しく声なんてかけられない。
 親父は何かに熱中している。たぶん俺が帰ってきていることにも気付いていないと思う。
「We are the champions my freinds……ほら、もっと脇を締めるんだ」
 親父は四つんばいになってクルツと対峙していた。そして伝説のチャンピオンを歌いながら、猫じゃらしを微妙なリズムで動かしている。
 41歳の男が家族も仕事も忘れ猫と真剣に猫じゃらし……こんな大人にはなりたくないなぁ。
 ワキワキと動く猫じゃらし。クルツも身体を床にぴったり着けやる気満々。素早い猫パンチが飛ぶが、親父の猫じゃらし操作も見事なもの。僅かの距離でクルツのパンチをかわす。
「大振りするな。腕はすぐに戻すんだ。腕を伸ばし放しだと相手に踏み込まれるぞ。だから脇を締めて素早く戻す」
 こんどはクルツの鼻先でゆっくりと動かす。
 クルツは前足をちょんちょんと小刻みに繰り出す。
「そうそう、ジャブはそれでいい。とにかく相手の軸線を崩すんだ」
 親父は伝説のチャンピオンを口ずさみながらクルツに指示を与える。
 またも猫じゃらしを大きく振る。クルツはワン、ツーと猫じゃらしに切れのいい猫パンチを立て続けにヒットさせる。
「よし、よし、ストレートは伸びてるぞ。クルツ、お前なら世界を狙えるぞ」親父の声は真剣そのもの。
 でも、世界? 世界って何よ?
 ともかく親父の頭の中ではクルツと拳で世界を狙う構図ができあがっているようだ。クルツは6キロあるからスーパーヘビー級か?
 ジャブ、フック、ストレート、ジャブ……親父の指示で特訓は続いている。熱が入るにつれ親父の歌う伝説のチャンピオンもテンポが速くなる。
「いいぞクルツ。次はアッパーだ!」
 親父は猫じゃらしを高く上げる。
「ちょっと待てよ親父。さすがにアッパーは無茶だろ」
 アッパーってな……猫がどうやって前足を振り上げるんだよ。猫の身体構造からみても無理があるだろうが。
「えっ? 浩之、帰っていたのか」振り返った親父の顔は真っ赤。「お前いつからそこにいたんだ?」でも、猫じゃらしはまだ、ふよふよと動かしている。
「親父が伝説のチャンピオンを歌い出したぐらいから」
「見てたんだな」
「うん。親父がクルツとボクシングのチャンピオンを狙う一部始終を」
「あ……」
 猫じゃらしを持つ親父の手が止まった。興奮しきっているクルツの前で……。
 ばり。ふにゃぁにゃふん。
「痛ぇ! バカ、爪が食い込んでいる! 噛むな! 痛っ!」
 クルツは前足も、後ろ足も、牙も、全て使って親父の手にぶら下がっている。

 クルツはキックボクシングで世界を狙うつもりのようだ。


 ■5 猫のいる情景


 鋭い視線が俺の一挙一動を追っている……俺はハゲタカに狙われていた。
 動物園ならともかく日本に野性のハゲタカはいない。ましてや、ここは俺の家の居間だ。ハゲタカなんかいるはずもない。それはわかっている。けれど獲物のすぐ側で相手が弱るのを見極める冷徹な視線はハゲタカ以外何物でもない。
 ハゲタカは俺が座るソファーの背に乗っかって黙って見下ろしている……この日本に生息しないはずのハゲタカの名前はクルツという。
「見るな! 見てたってやらないからな!」
 俺はクルツを牽制しつつ竹輪をくわえる。
「美味い」
 いけるよこの竹輪。たまには親父もまともな商品作るじゃないか───親父がサンプルで作ったカジカ入り竹輪。カジカはカジカでも海にいるカジカで、見た目はアンコウを小さくしたようなグロテスクさはあるけど味は良い。冬場の鍋には最高の食材だ───学校から帰ってきて薄腹が減っていたから、今回ばかりは親父に感謝。
 ただクルツの態度が気になって仕方がない。さっきから「にゃぁ」とも鳴かず、俺の動きに視線をまとわりつかせている。いつもなら「くれくれ」とうるさく騒ぐくせに、今日はじっと見ているだけ。
 なにを企んでいるんだ……?
 だけど竹輪はやらないぞ、俺だって腹が減っているんだからな。

 チーズかキュウリでも挟めば良かったかな……いまさら立ち上がるのも面倒だし、竹輪ももう残り少ないし、なによりクルツが不気味でしょうがない。早く食べてしまおう。
 残り2本というところでクルツが動いた。
 俺のくわえる竹輪目指してクルツが近づいてきた。バランスを崩さぬよう俺の肩に前足を置き、耳を後ろに倒してゆっくり顔を寄せてくる。竹輪までの距離およそ1センチ、ここで動きを止め盛んに鼻をヒクヒクさせる。さらに右の前足を上げ、ちょこちょこと動かす。まるで前足を動かしていれば、竹輪が自ら自分の元に来ることを信じるがごとく……小首をかしげたり、ヒゲを前後に動かしながらしきりに前足で宙をかく。
 ひょっとして招き猫のまねでもしているのか?
 クルツがいくら招き猫を実践しようが竹輪をくれてやる気はない。「ジャマだ」クルツの頭を軽く叩いた。
「なぁ」と、不満の鳴き声をあげ、ソファーの背に戻っていく。
 クルツは奇妙な信念を持っている───どんなに顔を近づけようが、前足で引き寄せるまねをようが、直接食べ物に触れない限り怒られない───経験が生み出した自分なりの規則みたいなものだ。だからクルツからすれば規則を破っていないのに、叩かれたのは理不尽極まりないということになるのかもしれない。後ろを向いたまま不機嫌に尻尾を盛んに振る。
 てしてし、ぺし。てしてし、ぺし。
 振るたびに尻尾が俺の顔に当たる。痛くはないが鬱陶しい。
「クルツやめろ」
 てしてし、ぺし。てしてし、ぺし。てしてし、ぺし。てしてし、ぺし。
 嫌がらせのつもりか、やめる気配は全然ない。
 てし、ぺし。てし、ぺし。てし、ぺし。てし、ぺし。
 テンポまで速くなってきやがった。畜生のくせに人間様の顔を叩くとは───いくら俺の心が黒海並みに広いとはいえ、最近黒海は干上がって小さくなってきているんだ───許せん!
 俺が振り返ろうとした瞬間……クルツが先に動いた。
 6キロの巨躯が宙を舞うようにして俺の顔の前をすり抜け、
「いてーぇ! なにしやがるんだバカ猫!」
 くわえていた竹輪を俺の唇ごと囓り奪い取っていった。
 クルツは竹輪をくわえたまま台所の方へと吹っ飛んでいく。
「クルツ!」
 唇を噛まれた恨みを晴らさないことには腹の虫が治まらねぇ。
「クルツ! 出てこい!」
「うるさいわよ」
 隣の和室から母さんが顔を覗かせる。髪の毛が乱れているし、目が焦点を結んでいない。姿が見えないと思ったら夕飯の準備もしないで寝てやがったな。
「どうしたのよ、大きな声出して?」
「クルツが竹輪を奪っていったんだよ。俺の唇ごと」
「へゅ? 浩之、クルツに唇奪われたの?」
「妙な言い方するなよ」
「まぁオス同士でイヤらしいわね」
「イヤらしいって……」
「お母さん、一人息子がホモは嫌よ」
 なに言っているんですかこの人?
 母さんは目をしばしばさせながらアクビを噛み殺している。ていうか、まだ寝ぼけてるよ。なにが悲しくて猫とホモらなきゃいけないんだよ……これ以上話していたら気がおかしくなりそうだ。
「もういい……母さんは寝ててくれ。夕飯は俺が作るから」
「ん、そーする……本当にホモは嫌よ。私、孫の顔が見たいもん」
「うるせぇ! 早く寝てくれ!」

 母さん、あなたの一人息子は女の子にモテませんが、猫に恋愛感情を持つほどストライクゾーンは広くありません。


 *  *  *


 夕食後、ごろごろしていたら、
「浩之、入るわよ」
 断りもなく母さんが俺の部屋に入ってきた。ま、断ろうにもクルツが出入りするからドアは開けっ放しになっているけどさ。
「いい物買ってきちゃった。見せてあげようか」
「いらね。どうせまたパンツだろう、見たくねぇ」
「ちがうわよ。もっといい物。とーってもいい物」
 小さな紙袋をつまみ上げながら母さんはニコニコしている。どうやら俺が袋の中身を訊ねるまで引き下がるつもりはないようだ。
「はぁ、わかったよ。で、なに買ってきたんだよ?」
「これよ。可愛いでしょう」
 袋から出てきたのは赤銅色のカウベル。あの牛の首にぶら下がっているカウベルのミニチュアだった。500円玉ぐらいの大きさで深紅の紐が付いている。
「音もちゃんと鳴るのよ」
 紐をつかんで振ると、
 くぉろぉん、くぉろぉん。くぉろぉん、くぉろぉん。
 金属がぶつかり合う乾いた音がする。
「可愛いけどさ、こんなものどうするんだよ。俺はいらないよ」
「浩之にあげるんじゃないわよ。これはクルツにあげるの。で、」母さんはキョロキョロと部屋を見渡す。「クルツはいないの?」
「いるよ、そこに」
 俺は本棚を指差す。
「ねぇ浩之、クルツは何しているの?」
「俺に聞くなよ。クルツが勝手にやっているんだからさ」
「面白いのかしら?」
 クルツは本棚とタンスのわずか15センチほどの隙間に挟まっていた。まじめくさった顔で置物の猫か狛犬のような格好をしている。
 さっき俺の部屋にきたクルツは虫でも見つけたか、本棚とタンスの隙間に入って行きタンスの裏でゴソゴソやっていた。柱が飛び出している関係でタンスは壁にくっついてはいないから、タンスの裏にはクルツの隠れ家になるくらいの空間はある。ただし綿ぼこりがメチャクチャ溜まっているから、クルツもめったに寄りつかない。珍しく今日は奥へ入って行ったあげく、素直に出てこないで隙間で置物のまねごとをしている。ちょっとビチビチに詰まっている感じもするけど……。
 猫はなにを考えているか分からないから嫌いだという人がいる。猫好きの俺としてはそれは冤罪だと言いたい。が、クルツを見ていると否定できそうにもない。
 なにがしたいんだよ。ワケ分かんねぇ。
「クルツおいで、いい物あげるわよ」
 母さんはクルツを引っ張り出し、首にカウベルを結びつける。クルツはなされるがままだ。金属製だから結構な重さがあるだろうに嫌がるそぶりすら見せない。
「カウベルなんてどうして買ってきたんだよ?」
「ほら、クルツって首輪付けていないじゃない。でも首輪を付けていないと野良猫と思われちゃうでしょう。クルツって可愛いから誰かが連れて行ったら困るじゃない。クルツも誘拐されたくないわよねぇ」
 こんなデブ猫を連れて行く酔狂な人間がいるとも思えないんですけど……。
「だったら普通の首輪を買ってくればいいじゃん」
「だって普通の首輪だったら、首のお肉にめりこんじゃって見えなくなっちゃうじゃない。これだったらどこにいても目立つでしょう」
「目立つと言うより、うるせぇから近所迷惑だと思うけど。それに紐が何かに引っかかったら首が絞まって危ないからやめろよ」
「わかっているわよ。可愛かったからちょっと付けてみただけよ。あとで外すわよ」
 母さんはちょっとむっとした風に語尾を強める。
「浩之って可愛くないわね。あ、クルツは可愛いわよ。クルツ下に行ってお父さんにも可愛い姿を見せてあげようね」
 くぉろぉん、くぉろぉん。くぉろぉん、くぉろぉん。
 母さんはクルツを連れ階下に降りていった。
 可愛くない息子で悪かったな。でも、クルツだって可愛くねぇぞ、絶対に。

 夜中に目が覚めた。いや、覚まされた。
 …………くぉろぉん…………くぉろぉん…………くぉろぉん…………くぉろぉん。
 遠くから聞き慣れない音が近づいてくる。
 …………くぉろぉん…………くぉろぉん……くぉろぉん……くぉろぉん。
 夜中の住宅街に間抜けなカウベルが響き渡る。
 ……くぉろぉん……くぉろぉん……くぉろぉん……くぉろぉん。
 いま表通りの雑貨屋辺りかな。
 くぉろぉん、くぉろぉん。くぉろぉん、くぉろぉん。
 音が少し大きくなった。角を曲がったな。クルツの動きが手に取るようにわかるよ。
 頼むよ母さん。カウベル外すの忘れているじゃん。
 くぉろぉん、くぉろぉん。くぉろぉん、くぉろぉん。
 いまや音ははっきりと聞こえる。
 くぉろぉん、くぉろぉん。くぉろぉん、くぉろぉん。
 うるせぇ!
 牡丹灯籠か!



 ■6−1 お土産(母さんによる、お土産奇想曲)


 居間は緊張感に包まれていた。
「浩之、何とかしろよ」
「親父こそ家長の権限で止めてくれよ」
「止められるわけがないだろう。母さんあんなに張り切っているんだぞ」
「だからだよ」
「無理だ」
「そうだよなぁ」
 俺と親父は溜息をつきつつ台所に目をやる。
 母さんがシティーハンターの歌を口ずさみながらガチャガチャと準備をしている。
 シティーハンターというかアニソンは危険だ。母さんがやる気を見せた時にはアニソンを歌うことが多い。特に調理の場合は母さんの言うところの『創作意欲』に火がついている証拠なんだ。
 どうしてこんなことに……。

 事の起こりは1時間前。
 珍しく母さんの帰宅が遅かった。
「遅くなってごめんねぇ。お詫びじゃないけど、お土産があるのよ」母さんは手に提げた紙袋からビニール袋を取り出す。「仕事先でもらったのよ」
 それはイボイボしてでろっとした海産物。
「ナマコかよ」
 俺はナマコがあまり好きではない。酢の物にしたヤツを食べようと思えば食べられるが、自ら進んで食べたいとは思わない。
「そうよ。丸々と太って美味しそうでしょう」
「酢の物か。だったら今日は日本酒にするかな」
 親父は酒の肴ができたことを喜んでいる。
「ごめんねぇ、たくさんはないから酢の物は次回にしてもらってもいい?」
「ん、まぁいいけど……」酢の物に未練があるのか、親父の歯切れは悪い。「でも、酢の物じゃないなら、どうやって食べるんだ?」
「ほら、浩之はナマコの酢の物好きじゃないし」
 いえ、母さん。俺はナマコの酢の物が好きじゃないわけではなくって、ナマコそのものが好きじゃないんです。
「それにね、お友達と行った中華料理屋さんで『ナマコのココナッツミルク煮』というの食べたのよ。味はそれほどでもなかったけれどね、こんな料理法もあるんだなぁって感心したのよ。なんだか私も挑戦してみたくなってきたのよ」
 いま母さんの目にはメラメラと創作意欲という炎が浮かんでいるのかもしれない。でも俺には分からない。だって、母さんの「挑戦」という言葉を聞いた時点で、無意識のうちに俯いてしまっていたから。たぶん親父も同じだろう。小さな溜息が聞こえたし……。
「待っててね、急いで作るから。今日は頑張るわよ」

 あれから1時間。
 母さんは台所に籠もって創作に集中している。
 時折、アニソンを中断してクルツに「どんな風に作ろうか?」とか、「クルツはどんな料理がいい?」なんて聞いている。
 クルツに料理法を聞くこと自体が間違いだろう。いや、ナマコで創作料理すること自体が神をも恐れぬ所行かも…………そう遠くないうちに俺たちに神罰が当たりそうだけど。
 シティーハンターの歌が大きくなった。
 ん?
 台所からカレーの匂いが漂ってくる。

「お待たせ。シーフードカレーができたわよ」


 ■6−2 お土産(親父による、お土産狂想曲)


「ただいま」
 親父が4日ぶりに帰ってきた。
 親父は食品会社の研究者だけど、けっこう出張が多い。出張すれば必ずと言っていいほど土産をもってくる。家族サービスのつもりか、それとも出張先に押しつけられるのか知らないけれど、たいていは特産品だの新製品を抱えてくる。
「浩之、いい土産があるぞ」
 親父は居間に入ってくるなり小さな段ボール箱をテーブルの上に置く。
 今回の出張先は富良野だから、
「ラベンダー風味のお菓子か?」
「甘いな。そんなありきたりなものじゃないぞ。もっとインパクトのあるものだ。早く開けてみろ」
 親父は笑みを浮かべながら俺を催促する。親父が催促する時はろくなことがない。催促した時の土産は熊やトドの肉だったり、大きなタッパいっぱいの蟻の佃煮だったり───真っ黒いフリカケに見えなくはないけど、口に広がる微妙な酸味(多分、蟻酸だろう)がはっきり言って不気味───珍しいけど、嫌がらせに近いものがある。いや、ウケを狙って敢えて変なのを選んでいるフシがある。
「親父、こんどは何を企んでいる?」
「企むとは心外だな。これは出張先の会社の人がワザワザ『息子さんに』ってもってきてくれたんだ。そう珍しいものじゃないけど、相手の善意に疑念を向けるのは失礼だぞ」
「じゃあ、これは親父が見繕った土産じゃないんだな」
 俺は軽く叩いた。中身は小さいのか軽い音が返ってくる。
「ねぇ、浩之。お父さんもこう言っているんだから、早く開けましょうよ。凄い物かもしれないじゃない、早く見ましょうよ」
「いま親父が珍しくないって言ったばかりだろう」
「そうだっけ? 細かいことはいいじゃない。早く、早く」
 母さんはガキみたいに興奮している。クルツもテーブルに上がって段ボール箱をクンクンとしきりに嗅いでいる。
 しゃあねぇ。
「もう一度聞くけど、本当に親父が選んだ土産じゃないんだな」
「お前も疑い深いな。堀田食品の社長が自らもってきた土産だぞ。そんなに信じられないなら堀田社長に電話してみるか」
「分かったよ。開けるよ」
 段ボール箱の中には……ん? なにこれ?
 ぐちゃぐちゃとした塊───が、動いた。
「きゃぁぁぁ!」
「わぁ!」
 のぞき込んでいた俺と母さんは同時に数歩後ずさる。クルツだけが段ボール箱に前足をかけ顔を突っ込むようにして臭いを嗅いでいる。
「蛇じゃないかよ」
 親父はニコニコしながら頷いている。
「富良野で捕れたばかりの新鮮なシマヘビだ。毒はないから安心しろ」
「なにが新鮮なシマヘビだよ。食材じゃないんだから新鮮もへったくれもないだろう。気色悪いなぁ、どうするんだこれ?」
「飼うんだよ。浩之が」
 当然じゃないかとばかり、親父は言い切りやがる。
「蛇なんて飼いたくねぇよ。だいいち懐かないだろう」
「そうでもないぞ。浩之、そこに座っていろ」
 親父はそう言うと、段ボール箱にべったり張り付いているクルツをどかしシマヘビを取り出す。硬いロープが纏まったみたいにほとんど動かない。ちっちゃな頭部だけがゆらゆら揺れているだけ。
「大人しいものだろう。毒蛇だって脅かさない限り人間を襲ったりしないんだぞ」
「そうかい。だったら親父がかわいがれよ。俺は気持ち悪いから嫌だ」
「好き嫌いはいかんなぁ、大きくなれないぞ」
 いや、食べる気ないから。と言うか、言葉の用法違うし。
 親父は両手を伸ばすようにして蛇を俺の方に持ってくる。なんだか怪しげな宗教の儀式みたいだ。
 たぶん長さは1メートルぐらいだろう。瞬きをしない真っ黒な目、チロチロ出てくる舌───逃げ出すほど怖いワケじゃないけど、間近にいられて気分のいいものじゃない。
「飛びかかってこない?」
 クルツを羽交い締めるようにして抱えた母さんは、いつでも台所に逃げられる態勢で聞いてくる。抱きかかえられたクルツは四肢をだらんと下げ、なされるがままの格好で親父の手の動きを目で追っている。
 母さん、クルツをそんな格好で抱きかかえたら盾代わりにはならないと思うぞ。というか、そのクルツ盾を俺にくれ。
「でな、こんな風に」
 親父はシマヘビを俺の首筋に近づけ、
「ぬひゃぁ!」
 Tシャツの中に入り込んできた。
「男が変な声出すな」
「で、でも服の中に……」
 ザラザラとした肌触り、ひんやりとした体温───ぎぼぢわるい。全身に鳥肌が立つ。それが引っかかりを良くしたのか、ヤツはスルリと俺の胸を過ぎ、腹の辺りでげにゃりと丸くなる。
「どうするんだよこれ。何とかしてくれよ」
 腹の横でチロチロとヤツの舌が動いている。表現のしようのない不快感に全身が強ばる。ヘタに動いたらズボンの中に入ってきそうだし。股間に蛇…………俺の想像力を超えた気持ち悪さに違いない。
「なに、体が温まったら蛇の方から勝手に出てくるから暫く辛抱していろ」
「いつまでだよ」
「もう少しだろう。たぶん……な」
 いい加減なこと言うなよ。だいいち出てくるってどこから出てくるんだよ。Tシャツの袖か? それとも入ったところから? 大きめのシャツの襟首から子猫や子犬が顔を出していれば愛らしいだろうけど、シマヘビが出てくるんじゃ怪奇、猟奇のオンパレードじゃねぇかよ。なによりその状況は俺自身が嫌。
「母さん、助けてよ」
「ダメ! 動いちゃダメよ! こっちに来ないでよ。こっちに来たら親子の縁を切るわよ。これを投げつけるわよ!」
 母さんはクルツを振りかざして躊躇なく答える。
 ひでぇ。たった一人の息子が危機的状況だというのに……。
「どうだけっこう可愛いだろう」
 親父は嬉しそうに言う。
 可愛くねえ! てか、マジにどうにかしてくれよ。


 ■6−3 お土産(クルツによる、お土産行進曲)


 クルツは真冬でも散歩だかテリトリーの見回りだか分からないが、必ず外に出かけて行く。

 今日は吹雪だというのにクルツは外に行ってしまった。あれから1時間は経っている。
「……なぁ…………」
 風音に混ざって弱々しい鳴き声が玄関の方から響いてくる。
「クルツ、帰ってきたみたいよ。寒かったでしょうね、早く家に入れてあげなきゃね」
「そうだな」
 俺は顔をテレビに向けたまま、母さんの言葉を軽く聞き流す。
「なぁぁぁにゃゃゃん!」
 早くドアを開けてくれと催促がかかる。
「ねぇ浩之、玄関を開けてあげなさいよ」
「めんどくさい。母さんが開けてやればいいだろう」
「嫌よ。玄関寒いんだもん」
「あっ、そう」
 おのが欲望に正直な母さんの返答に爽快感すら覚えるよ。
「なぁん! なぁぁぁうん!」
 早く開けてくれ。凍え死んでしまうとばかり鳴き声が大きくなる。
「浩之、クルツが呼んでいるわよ」
「俺じゃなくて母さんを呼んでいるんじゃないのか」
「違うわよ。『なぁぁぁうん』は浩之のことを差しているの。やっぱりクルツは浩之を当てにしているのよ、男同士の友情ってヤツよね。羨ましいわぁ」
 よく言うよ、全然羨ましそうじゃないじゃん。
「早く開けてあげないと男同士の友情にひびが入るわよ。浩之とクルツは生まれた場所は違えども、死ぬ時は一緒の仲でしょう。だから開けてあげなさいよ」
 言っていること分からないっす。もう相手するのがバカらしいっす。
 俺が玄関を開ければ良いんだろう。はぁ……。

 カッツ、カッツ、カカッツ、カツ。
 全身に雪を積もらせたクルツがストーブ目指して駆けていく。
 カッツ、カッツ、カカッツ、カツ。
 クルツが走ると板の間が硬質の音を立てる。まるで儀仗兵の行進のようにカツ、カツと響く。
「あらクルツ、足にお土産が付いているわよ」
 クルツは肉球と肉球の間に氷の塊をつけて帰ってきていた。
「クルツ、氷なんてつけてるとシモヤケになっちゃうわよ」
「猫だからシモヤケにはならねぇだろう」
「分からないわよ。ほら、クルツだって痒くて足を舐めてるじゃない」
「あれは氷をとろうとしているだけじゃないか」
 クルツはストーブの前でしきりに足を舐めている。
 前足も後ろ足も肉球の間に氷の塊がびっしりくっついている。クルツが一生懸命とろうとしても、氷は足の毛を巻き込んでいるから簡単にはとれない。
 舐めたり囓ったり色々努力はしているが……、
 カ、カ、カッツ、カ、カ、カッツ、カ、カ、カッツ。
 面倒くさくなったか、クルツは後ろ足を勢いよく振る。
「クルツ、いまのはテンポ良かったわよ。あんたリズム感良いわね、浩之より音楽センスあるんじゃない」
 悪かったな、リズム感がなくってよ……。



 ■7 クルツ曜日(挟まる日)


 振り返ると俺の布団の間から、クルツが顔を出していた。
「何をしている?」
 褶曲地層のようにグシャグシャになった掛け布団。その間で首をちょっと曲げ、まるで挟まっているような感じで顔だけ出している。なんだか地層の間に埋まった化石にも見える。強いて言うなら、カンブリア紀の三葉虫に見えなくもない。
「化石ごっこか? しゃあねぇ、俺が発掘してやるよ」
 引っ張り出そうと腕を伸ばし、
 ぺしって!
 猫パンチによって俺の手は弾かれてしまった。と同時に、クルツは布団の中に引っこんでしまう。亀か、こいつは……あっ、また顔を出した。顔を出したままじっとしている。
 何がしたいんだ? わかんねぇ。ひょっとして亀かヤドカリの霊にでも取り憑かれたか? ま、変な霊に取り憑かれたとしても、布団に籠もって化石ごっこしているだけなら問題ないな。とりあえずクルツは無視だ。
 今日は貴重な日曜日、ヤドカリ憑きの猫になど構ってはいられない。とりあえず午前中に借りたビデオを見終え、昼には古賀とCDを買いに行って、3時ごろには伊藤達と合流してカラオケに行かなきゃならない。一時も時間を無駄にできない。
 インスタントだけどコーヒーは用意した、ポットもある、タバコも口を切ったばかりのラッキーストライクが1箱。準備は出来た。
 俺には自宅で映画を見る時、コーヒーとタバコがないとどうも落ち着かないという悪癖がある。2時間の映画なら最低でもコーヒー2杯とタバコ6本は必要だ。さてと、再生前にとりあえず1本吸って……横に置いたラッキーストライクに手を伸ばし、
 ぺしって!
 冷たい刺激が手の甲に走って、掴みかけたタバコの箱が飛ぶ。
「痛ぇ!」
 化石だったクルツが甦った。ミサイルみたいに吹っ飛んできて、俺の手ごとタバコを叩き落として目の前を駆け抜けていく。
「てめぇ、なにしやがる!」
 クルツは俺の言葉を無視し、隣の四畳半に駆け込んでいく。
 あの馬鹿猫、本当に悪霊にでも取り憑かれたか?
「クルツ!」
 隣室からは物音すら聞こえない。『目には目を、歯には麻酔無しの抜歯を』、『右の頬を打たれたら、相手の頬を往復ビンタ』が俺の信念だが、クルツへの制裁は後回しだ。今日は予定が詰まりすぎていて時間に余裕がない。まずはビデオが優先だ。
 …………。
 …………見てるよ。
 視線が俺の背中にへばりついている。
 …………なんのつもりだ?
 ゆっくりと振り返る。と、ヤドカリに取り憑かれた馬鹿猫が1匹。またも布団の中から顔だけ出して化石している。
 まさか俺にも化石ごっこに混ざれと言うつもりか?
「見るんじゃねぇ。俺はカンブリア紀に付き合う気はないぞ」
 俺の声にクルツは顔を一度引っこめ、にょろとまたも顔を出す。
 こんどは目に『いくぞ! やるぞ! いくぞ!』と不思議な闘志を浮かべ、盛んに体を上下させている。
「何をしたいんだよ? とりあえず布団から出ろ」
 またも伸ばした俺の手を猫パンチして布団に潜りこむ。覗きこむとクルツは布団の中でうにぃうにぃと腰を振っている。
 機会があれば飛び出すぞ、襲いかかるぞという顔をしているよ。
 あっ、分かった。こいつヒマなんだ。自分がヒマなのに、俺がビデオを見て充実している時間を過ごしているのを妬んでるんだ。自分が暇な時に構ってくれないのは悪→悪には何をしてもいい→構わない俺は悪→だから俺が動いたら襲ってもいい。それは正当な理由である───なんてルールがクルツの中で出来ているようだ。
 あ、そう。そういうルールね。なら、放っておくに限る。要は俺が動かなければクルツも動けない。この陽気だ、そう長いこと布団の中にいられないさ。せいぜい蒸し猫ヤドカリ霊付きになるがいい。
 …………。
 クルツは相変わらず布団の中に潜んでいる。おおかた獲物を狙う肉食獣にでもなったつもりでじっとしているんだろう。視線だけは感じる。
 馬鹿め。動かねぇよ。
 …………。
 ビデオが佳境に入った時、「浩之、布団持ってきなさい。天気良いから干しなさい」階下から母さんの声。
「今日はやめておく。来週干すよ」
「何言ってるのよ。来週は雨かもしれないでしょう」
「い、いや。いま動けないからダメ」
「子供みたいなこと言って……しょうがないわね」
 母さんが階段を上がってくる音が聞こえる。
「わかった。あとで、あとで必ず持っていくから。来なくていいよ」
 遅かった。母さんは俺の布団を見て溜息を漏らす。
「もう、布団グシャグシャじゃない。干さなきゃ腐るわよ。持っていくからね」
 母さんは布団を掴んで引っ張り上げ、
「あ、待って!」
 布団という地層の中で眠っていた化石が甦ってしまった。
 蒸されてメチャクチャ興奮しているクルツは、俺の足めがけて突進してくる。
「来るな、馬鹿!」
 カンブリア紀の化石に言葉は通じない。
「痛ぇ! 噛みつくな!!」


 *  *  *


 にゃぁ……ぁん。
 ん? どこかで何かが鳴いている。
 にゃぁん……にゃぁぁん……。
 猫?

「浩之、クルツをいじめちゃダメよ」
 母さんが洗濯しながら言う。
「何もしてねぇよ。クルツならそこで寝て……あれっ?」
 さっきまで腹を出して大の字で寝ていたのにいない。
 にゃぁ、にゃぁぁぁ、にゃぁぁん。
 声はだんだんと大きくなってくる。
「クルツが嫌がっている……じゃない」母さんは居間を見渡して、「クルツは?」
「さっきまでそこにいたんだけど」
「いないわね」

 にゃぁ、にゃぁぁぁ、にゃぁぁん。
 こんどははっきりと聞こえる。
「ねぇ外から聞こえるわよ」
「そうみたいだな。ちょっと待って外見てみる」
 紅葉やバラやグズベリーや牡丹や雑多な植物が入り乱れ、なかば野生に返ってジャングルと化している庭に猫がいた。
 細い身体に白と黒の斑模様。まだ若い雌猫だろう。
 この近所にも色々と猫はいるけれど、この猫は初めて見る顔だ。野良だろうか、キツネみたいに細い顔をしている。けど、よく見ればけっこう別嬪さんだ。その別嬪さんが俺の家に向かって鳴いている。
 なぜ?
 にゃぁ、にゃぁぁぁ、にゃぁぁん。
 の、鳴き声に混ざって、
 みぃぃぃぃ、みぃぃぃ、みぃぃぃぃ。
 小さな鳴き声が続く。
 マジかよ……。
「母さん、あれ見てくれよ」
「どうしたの?」
 俺が指差す先には、白黒斑の別嬪さんと……3匹の子猫がベランダを見上げている。子猫は白地に茶虎の斑が1匹と、ほとんど茶虎が2匹。どこかで見たような柄なんですけど───と言うか、近所に茶虎はクルツしかいないんですけど……。
「浩之、ひょっとして、あの子猫たち……」
「うん。たぶん子供の認知問題じゃないかな」
「でも、クルツいないわよ。どこに行ったのかしら?」
 母さんの疑問はすぐに解けた。
 ぎぃぎぃぎぃぃぃ───引き戸の軋む音。
 音のする方に目をやると、クルツがドアに挟まっていた。クルツは爪を引っかけて引き戸を少しばかり開け、身体をねじ込んでドアをこじ開けている最中だった。でも、その先には2階に通じる階段しかない。
「クルツ、どこに行くつもり?」
 恐っ、母さんの声が硬い。
「2階に行っても誰もいないわよ」
 顔は微笑んでいるけど目が笑っていないんですけど。
「浩之、ちょっとクルツを連れてきてちょうだい」
「う、うん」
 すまんクルツ。男同士、お前の気持ちは分からんでもないが、母さんの逆鱗には触れたくないから許してくれ。俺は心で詫びながら、ドアに挟まっているクルツを抱え上げる。観念したのかなされるがままだ。
「クルツ。あなたは遊びのつもりかもしれないけど、傷つくのはいつも女なのよ……あなたも男なら責任はちゃんと取りなさい」
 母さんはクルツの前で正座して人の道を説いている。
「あのさぁ母さん、人の道を説いても無駄だと思うけど。クルツは猫だし」
「あら、馬の耳にも念仏と言うじゃない。動物にだって有難い言葉は通じるのよ」
 母さん、それ意味が全然違います。
「ともかく、お母さんの言うことは分かったわよねクルツ」
 母さんの言葉を理解しているとは思えないが、クルツは神妙な表情でじっとしている。
「反省したようね。だったら責任取ってきなさい」
 母さんはベランダのドアに手をかけたが、なぜかドアを開けずに台所に行ってしまった。しばらく冷蔵庫を漁る音がして、
「手ぶらじゃ甲斐性無しと思われちゃうわね。これを慰謝料にしなさい。さあ行ってらっしゃい」
 ベランダのドアを開けると、母さんはクルツと数本の竹輪を一緒に放り投げた。
 あっ、非道ぇ。女って残酷だなぁ……クルツ、俺はおまえに同情するぞ。
 でも、主人を差し置いてモテやがって……ざまあみろ!



 ■8 クルツ曜日(くるるな日・前編)


 【クルツのク】

 とう、とう、とう、とう、とうぅ、にゃふぅぅん。

 クルツは居間を駆け抜け、襖が開けっ放しになっている隣室へ飛び込んでいった。
 と、
 とう、とう、とう、とう、とう、にゃふぅぅん。
 こんどは、反対側の四畳半目指して疾走していく。
「何をしてるのかしらねぇ」
「欲求不満なんだろう、雨降っていて外に行けないから」
 とう、とう、とう、とう、とうぅ、にゃふぅぅん。
 とう、とう、とう、とう、とうぅ、にゃふぅぅん。
「コマネズミみたいね」
 走り回るクルツを追って、母さんは頭を盛んに動かしている。
 いくらなんでもコマネズミはないだろう。こんなサイズのコマネズミがいたら人類は滅亡しているって。
「ねぇ、そろそろクルツをなんとかしてちょうだい。首が痛くなってきちゃったわ」
「見なきゃいいだろう」
「でもあのリボンが気になっちゃって」
 とう、とう、とう、とう、とうぅ、にゃふぅぅん。
 首をもみながら母さんはまたもクルツを目で追う。
 馬鹿みたく走り続けるクルツの首についたレモンイエローのリボン───貰い物のお菓子についていたリボン。「このまま捨てるのも、もったいないわね」と言って、母さんがクルツの首に結びつけ、「可愛いわよクルツ」なんて喜んでいたくせに───視界の端をかすめるたびチラチラして確かに気になる。
 しゃあない……。
 俺は四畳半から駆け戻ってくるクルツの鼻先に足をひょいと出す。
 とう、とう、とう、とぅぅん。
 激突する寸前でクルツは俺の足を飛び越え、着地と同時に身を翻して、
 ふにゃぁにゃふん。ふん。ふん。ふんっ。
「痛ぇ! ひっかくな、噛みつくな! ジーパンが裂けるだろう!」
 ふにゃぁにゃふん。ふん。ふん。ふんっ。


「浩之は明日の日曜日は何か予定ある?」
「別にないけど」
「そう、寂しいわね」母さんは俺の顔をじっと見て、「ひょっとして友達いないの? 誰か紹介してあげようか」
「友達ぐらいいるよ、大きなお世話だ!」
 ひとに質問しておいてその言いぐさはなんだよ。友達ぐらいいるさ。だけどみんな受験生だからそうそう遊んでばかりもいられないんだよ。そうなんだよなぁ、みんな付き合いが悪くなって……おかげで暇なんだよなぁ。ま、俺も一応受験生のはずなんだけどね。
「暇ならいいわ」母さんは頷きながら、「クルツも明日は暇よね?」横で寝ているクルツに声をかける。
 てぷ、てぷ、てぷ。
 クルツは尻尾を振って答える。俺の足でストレスを発散しきったか、ソファーの上で安らかな表情を浮かべている。
「真顔で猫に予定を聞くなよ。予定のある猫なんているわけないだろう」
「あら一応聞いておかないと、クルツにだって用事があるかもしれないじゃない」
「あっそう。で、クルツは用事があるって?」
「わからない。だってクルツ、尻尾を使ってモールス信号で答えるんだもん。お母さんモールス信号なんて習ったことないわよ」
 モールス信号じゃないと思います。と言うか、モールス信号を打つ猫がいたら恐いって。
「クルツはともかく、浩之に用事が無くて良かったわ。お父さん出張中だし誰かに家にいて欲しかったのよ」
「なにかあるの?」
「うん。大した用事じゃないけど、お母さん明日朝早く出かけるから。もしお母さんが出た後、いずみちゃんから電話があったら三越の前で待っているって伝えて欲しいのよ」
 いずみちゃんこと後閑いずみ(ごかん・いずみ)は母さんのいとこで、まだ20代中盤の気のいいお姉さんだ。函館市出身だけど、今は結婚して名古屋市に住んでいる。
「いずみさんか、帰ってきているんだ。懐かしいな。で、ウチに来るの?」
「買い物があるそうだから、明日は街で会うのよ」
「じゃあ、俺がよろしくって言っていたと伝えておいてよ」
「伝えておくわ」
 母さんはにっこりと笑顔を浮かべた。


 【クルツのル1】

 昨日に引き続いて今日も雨。俺はやることもなく(勉強なんてもってのほかだ。せっかくの休みに精神衛生に悪影響を与えることをするほど俺はマゾじゃない)、自分の部屋で昔読んだマンガを読み直していた。
 とう、とう、とう、とう、とう、にゃふぅぅん。
 クルツは今日も走っている。なにも俺の部屋に来て走ることはないだろうに。
 どこからこの元気がわいてくるんだよ。鬱陶しいなぁ。


「ただいま」
 母さんは思ったよりも早く帰ってきた。
「浩之、お留守番ご苦労さま。お土産あるから下りていらっしゃい。クルツにもお土産あるわよ」
「お帰り、早かったね……ん? その子なに?」
 母さんの横に幼稚園児くらいの女の子がいる。ちょっとつり目がちの顔、髪の毛を左右で束ねている。明るい色の花が散りばめられたカラフルなトレーナー、ピンク色のスカートとおそろいの靴下。ススキノあたりでよく目にするエッチなお店の看板みたい。ハデすぎて目がチカチカするなぁ。
「土産って、その子か?」
「そうよ。可愛いでしょう。三越の前に落ちていたから拾ってきちゃった」
「あ、そう。警察に届けておけよ。落とし主が現れたら1割もらえるぜ」
「1割って何よ?」
「手とか足とか好きなところ1割分」
「浩之、あんた冗談趣味が悪いわよ」
「ミカ、何かあげるの?」
 黙っていた女の子が口を開いた。思ったよりしっかりとした声をしている。
「あら、ミカちゃんは気を遣わなくていいのよ」
「うん」
 母さんの言葉に女の子はニコニコしている。
「ところでこの子、誰?」
「いずみちゃんの子供のミカちゃんよ。いずみちゃんは友達に会うから、夜までウチで預かることにしたの。それじゃミカちゃん、お兄ちゃんに名前を教えてあげて」
「ゴカンミカです」
 ぺこっと頭下げる。
 良く躾られてるねぇ。アバウトな性格のいずみさんの娘とは思えない。
「ほら、浩之も挨拶しなさい」
「あ、えっと、森泉浩之です。ミカちゃんとは限りなく赤の他人に近い血縁関係ですが、よろしく」
 あ、母さんが変な顔して睨んでる。でも、母さんのいとこの子供なんて俺にとって何親等なんだよ、わかんねぇよ。素直に言っただけじゃん。
「モリイズミヒロウキ?」
「いや、ヒロウキじゃなくってヒロユキ」
 ミカちゃんは眉間にシワを寄せ「ヒロフキ? ヒロウキ?」と、ブツブツ呟いている。浩之ってそんなに言いづらいか? 普通の名前だろう。
「ミカちゃん、このお兄ちゃんはヒロちゃんでいいわよ。ヒロちゃんなら言えるでしょう」
「うん。ヒロちゃん。ヒロちゃん。シロちゃん。ヒロちゃん」
 ちゃんと言えることを誇示しているのか、ミカちゃんは何度も俺の名前を呼ぶ。何が楽しいのかねぇ。てか、ヒトの名前を連呼するなよ。さりげなく間違えているしさ。
「でね、こっちはクルツと言うのよ」
 母さんはクルツを抱き上げる。
「くるる? くるるちゃん、こんにちは」
 ミカちゃんは母さんに抱かれているクルツに向かって頭を下げる。
「くるるじゃないよ。クルツ」
「くるる……くりゅりゅ?」
 ミカちゃんは俺の顔見ながら確かめるように言う。
「ク・ル・ツ。クルツだよ」
「くるる」
 だめだ。この子、根本的に名前の認識機能に欠陥がある。OK、お兄さんは降参だ。もう、くるるでいいよ。クルツには諦めてもらう。
「自己紹介も終わったし、お土産を食べましょう。いずみちゃんが買ってくれたケーキよ。くるるにもベビースターラーメンを買ってきてあるからね」
 母さんはしっかり影響受けてるし……ミカちゃん、侮れないな。


「浩之もくるるもお土産は食べたわね」母さんは俺とクルツ交互に見比べる。「このお土産はいずみちゃんが買ってくれた物です。すなわち2人にはいずみちゃんに恩義ができたわけです。恩義を受けてそれを無下にするのは人の道に外れた行為です。まさか浩之もくるるも人の道に外れるようなマネはしないわよね」
 俺はともかくクルツは人間じゃないんですけど。
「なにが言いたいんだよ」
「お母さんは朝から出かけて疲れています。少しお昼寝したいと思っています。だからミカちゃんの相手をあなた達にしてもらいます」
 母さんの言葉には拒否は認めないわよとの響きがにじんでいる。
「小さい子の相手したことないから、どうすればいいか分からないよ」
「普通にしていればいいのよ」
「普通ってなんだよ?」
「普通は普通よ。お母さんはもう眠いから、あとは自分で考えなさい。あ、ミカちゃんの前でタバコは吸わないでよ。ふぁわぁぁ」
 母さんはアクビしながら和室に行ってしまった。
 弟か妹でもいれば小さな子供のあしらい方も分かるのだろうけど、俺には兄弟がいない。はっきり言ってどうすりゃいいのか全然見当もつかない。天気が良ければ散歩でも買い物でも行けばいいんだろうけど……マジ、どうしよう?
「クルツ、どうするべ……って、暢気に寝てるんじゃねぇよ」
 俺の不安をよそに、クルツは寝ている。役に立たねぇ。
「ヒロちゃん、ヒロちゃん。くるるちゃん、なでてもいい?」
 いつの間にか横に来ていたミカちゃんが俺のシャツの裾を引っぱる。
「ん? ああ、いいよ。どんどん触って」
「うん」
 と言いながらもミカちゃんはクルツの前で躊躇している。いざなでようとして大きさに恐れをなしたか、クルツと俺の顔を何度も見比べ、「怒らない? 囓ったりしない?」なでようとして差しだした手を中途半端に宙に浮かせている。
「大丈夫だよ、尻尾を引っぱったりしなきゃ怒らないよ。ほら」
 俺は寝ているクルツの口をこじ開けて見せた。クルツはちょっと目を開け、面倒くさそうに尻尾を振る。
「歯、こわいね」
 クルツの歯を覗きこむようにしていたミカちゃんは、宙に浮かせていた手を下げお腹の前で組む。恐いのかな。猫の牙を見たことないんだろうか? 尖っているからなぁ、逆効果だったかな。
「ミカちゃん、クルツは恐くないから触ってごらん」
「うん。でもぉ……」
 小さな手を握ったり開いたりとモジモジしている。
「大丈夫だって。ほら」
 俺はミカちゃんの手を取ってクルツの背中をなでさせた。
「平気だろう」
「うん。くるるちゃん温かい」
 ぎこちないなで方だけど、クルツは気にしていないようだ。
「ねぇヒロちゃん。くるるちゃん、だっこしてもいい?」
 ちょっと慣れたのか、ミカちゃんはクルツをワシワシとなでながら俺に聞いてくる。
「だっこ? ミカちゃんが?」
「だめ?」
「いや、サイズがね……無理じゃない」
 クルツはでかい。身体を伸ばしたらミカちゃんの身長の半分以上はあるはず。それに重いから抱いていられないんじゃないか。
「だっこしたいなぁ。だっこしたいなぁ。だっこしたいなぁ……」
 ミカちゃんはクルツをなでながら、俺の顔を見ることなく小声で何度も繰り返す。なんだか俺が悪人みたいじゃないかよ。泣く子と地頭には勝てないってこういうことを言うんだろうなぁ。諺を身をもって知るとは思わなかった。
「わかったよ。でも立ったままだと危ないから、ミカちゃんはそのイスに座って」
 俺は寝ているクルツを抱き上げ、
「爪を立てるなよ。ミカちゃんが泣いたりしたら、お前だけじゃなくって俺まで連帯責任とらされるんだからな。その時は尻尾の先に接着剤で錘をくっけるからな。絶対とれないように強力なヤツでな」
 優しく噛んで含めるように注意事項だけは伝えておく。
「じゃあいいかい、クルツを載せるよ」
「くるるちゃん、おいで」
 もふっ。
 クルツはミカちゃんの両肩に前足をかけ、ミカちゃんの上半身全体を覆った。ミカちゃんの姿はほとんど見えない。
 ミカちゃんはクルツのお腹に顔を埋める。
「くるるちゃん、ぽにぽにして土のにおいする」
 ぽにぽに? ミカちゃんはよく分からない感想を言いながらクルツを抱いている。なんだか抱いているというよりクルツに抱かれている感じ。と言うか、襲われている感じがしないでもないけど……。
「くるるちゃん、ミカをなめてるよぉ。どおして?」
 クルツはサービスのつもりかミカちゃんの顔を舐めてる。
「ミカちゃんを味見しているんじゃない」
「きゃーっ、ミカ食べられちゃう」
 嬉しそうにクルツを抱きしめる。
「ミカ食べられちゃう。食べられちゃう」
 いや、いくらクルツが大食漢でも人間は食べないって。それよりミカちゃんそんなに強く抱きしめたら……見事にベアハッグが決まったなぁ。
 おぉクルツも頑張る、頑張る。爪を立てないよう必死に堪え……前足の指が開いていく。もう限界だな、
「ミカちゃん、クルツと一緒にあっちの部屋で遊ぼうか」
「あそぶぅ」
 ミカちゃんはクルツを放した。

 あ、クルツぐったりしている。


 ■8 クルツ曜日(くるるな日・後編)


 【クルツのル2】

「くるるちゃん、さようなら。また遊ぼうね……」
 いずみさんに連れられてミカちゃんは帰っていった。
 凄かったな……ミカちゃんは今日の天気並みの低気圧、いや十分に発達した台風並みに元気な子供だった───なんにでも興味を持つし、恐いもの知らずだし───そして多大な被害をクルツのみに残して去っていった。
「元気なガキだったな」
「あら、浩之だってあのぐらいの頃は元気だったわよ。庭の木に登って落ちて頭を打ったり、自転車ごと壁にぶつかって頭から血を流したり……あの頃頭を打ちすぎちゃったから、こんなに捻くれちゃったのかしら。昔は素直な良い子だったのにねぇ」
 あのなぁ……原因は母さん達の育て方が悪かったんだろうが、自分の育て方を棚に上げて憐れむように言うなよ。それに俺は今でも素直だぜ。いつも自分の欲望に素直だもん。

 ミカちゃんという台風が過ぎ去って1時間。いつもより早めの夕食を終え、まったりとした時間を楽しんでいた。いや、楽しんでいたと言うより、妙に疲れが溜まっていて何もする気になれないでソファーに身を委ねていたというのが正しい。

 俺の座るソファーの背に陣取ったクルツは顔を横に向けたまま、
 てしてし、ぺし。てしてし、ぺし。
 激しく尻尾を振っている。
「機嫌なおせよ」
 喉をなでてみたが相変わらず尻尾は激しく動いている。
 てしてし、ぺし。てしてし、ぺし。
「鬱陶しい」
 顔にかかる尻尾を手で払う。
 てしてし、ぺし。てしてし、ぺし。てしてし、ぺし。てしてし、ぺし。
「言いたいことがあるならハッキリ言え」
 ───言いたいこと? 山のようにあるに決まってるだろう。
 ───浩之、お前は何様のつもりだ?
 ───俺ばっかりにガキの相手させやがって。
 とばかり、尻尾が雄弁に語っている。
 いや、クルツの気持ちもわからなくもないけど……。

「くるるちゃん、くるるちゃん、くるるちゃん」
 ミカちゃんの声がかかるたび、クルツはオモチャになったり、抱き枕になったり、着せ替え人形になったり───大活躍というか、苦行の連続というか───ま、クルツにとって厄日だったことだけは確か。尊い犠牲があったおかげで俺はミカちゃんの相手をほとんどしなくてすんで助かったけどさ。
 だって子供の相手なんてしたことないし、ミカちゃんってやたらと元気なんだもの。まともに付き合う体力はないよ。俺は頭脳労働者なんだよ、だって受験生だし。ミカちゃんのオモチャになるたび、クルツは恨みがましい目をして俺の方を見ていたような気もするが……当然無視。クルツにとっての不幸は俺の幸せなんだよ。

 てしてし、ぺし。てしてし、ぺし。てしてし、ぺし。てしてし、ぺし。
 尻尾は執拗に俺の顔を叩き続ける。
「ぺちぺち、ぺちぺちと顔を叩きやがって、いい加減にしろ。もう下りろよ」
 かぷっ! 伸ばした俺の手のひらに鋭い痛み。
 べりっ! 続けざまに爪がめり込む。
 ソファーの背などという不安定な場所で、クルツは器用にも両前足で俺の手を挟みつけ、顔を横にして噛みついている。
「俺の手を噛むとはいい根性してるじゃねぇかよ」
 手を振っても放れない。それどころか抱え込むように前足に力を入れやがる。
「あ? ミカちゃんの相手をさせたことの意趣返しのつもりか? ミカちゃんがお前を選んだぞ、俺に八つ当たりするんじゃねぇ!」
 クルツは俺を一瞥しただけで、にゃふにゃふと噛みつき続ける。
「痛ぇんだよ。俺の慈悲もここまでだ!」
 俺は空いている左手でクルツの鼻を押さえた。これで呼吸はできねぇだろう、ざまあみろ。さぁ放せ……放れねぇな、変な根性見せてるんじゃねぇよ。
「浩之、何しているの?」
 母さんが呆れたような声で聞いてきた。
「クルツとケンカ」
「浩之……あんた、もう17歳なのよ。昔だったら元服済ました一人前の年齢よ。なのにあんたときたら猫と真剣にケンカしているし。はぁ……どこで育て方間違えたのかしら」
 母さんは溜息をついて小さく首を振る。
「こんなふうに育てたのは母さんだろう。それに、どんなことでもいいから、やり始めたら真剣にやれって言ったのは母さんだろう。だからそれを実践しているんだよ」
「なに馬鹿なこと言っているのよ。いい歳をした息子が猫とケンカ……こんなので私たちの老後は大丈夫なのかしら? いっそのこと浩之を廃嫡して、優秀な養子をもらうことを真剣に考えようかしら」
「酷ぇ、グレるぞ」
「あら、グレたら即廃嫡よ。養子ってどこに申し込めばいいのかしら」
 マジかよ、母さん真剣に考えているよ。けど時代劇じゃあるまいし、今どき廃嫡ってあるのか?
「わかったよ。やめればいいんだろう」クルツの鼻から手を放した。「でもさ、先に手を出したのはクルツだぜ。見てくれよ、まだ噛みついたままだしさ」
 クルツは手を放す気配はない。
「ほら、クルツも浩之をからかっていないで放しなさい」
 母さん、これってからかっている状態を超えていると思います。手から血が出てるし。


「クルツ可哀想に。苦しそうな表情を浮かべて寝てるわよ」
 いつもはまだ起きている時間なのに、クルツは両方の前足を前に伸ばした奇妙な格好で寝ていた。
「今日は大活躍だったから疲れたんだろう。でも凄い顔だな」
 クルツは苦悶の表情を浮かべていた。強いて言うなら偏頭痛に悩まされるサウマティクティウス・アクセリ(チョウチンアンコウの仲間。深海4000メートルあたりに生息)か、浮気がばれた入り婿のペニアゴネ・ディアファーナ(深海性のナマコの一種)みたいな表情をしている。
 時折、牙を見せ「ふにゃぅにゃぅ」などど意味不明な(いや、猫語なんてわからないからいつも意味不明なんですけど)寝言も漏らしている。
「クルツの気持ちがわかるわ。子供の相手って本当に疲れるのよねぇ。私も本当に疲れちゃったもの」
 帰ってくるなり俺たちにミカちゃんを押しつけて、速攻で昼寝してしまった母さんはのうのうとほざいた。
 あのなぁ……。


 【クルツのツ】

 疲れた。保育園や幼稚園の職員の大変さが少しわかった気がする。ガキの元気って無尽蔵なのかよ。チョロチョロと落ち着きはないし、何にでも興味を持つし、かといって放っておくわけにもいかないし……何もしていないはずなのに、肉体的にも精神的にも疲れた。
 でも今日ほど猫を飼っていたことが良かったと思った日はないよ。クルツの代わりに俺がミカちゃんの相手をしていたら、今頃は過労で倒れていたかも。クルツには少しは感謝してもいいかも。
 ま、感謝すべき相手も今頃は爆睡しているだろうし。と言うことで、俺も寝る。寝て、夢の中で感謝でもするさ。
 …………。
 …………。
 ───クルツ、びしょ濡れじゃない……。
 階下から母さんの声が聞こえてきた。
 ───ほら足ふきなさい。きゃっ! こんなところで身震いしないで……。
 うるせぇな。
 どうやら外に行っていたクルツが帰ってきたようだ。雨が降っているのに夜の散歩に行っていたのかよ。
 ───そっち行っちゃダメよ。大人しくしなさい。もぉ、浩之に手伝ってもらおうかしら……。
 何時だ?……げっ! まだ5時前じゃねぇか。寝不足は美容の大敵なんだ。ただでさえ俺はゴツイ面相している。そのうえ寝不足で目の下にクマでもつくった日にゃ、極悪犯罪人ばりのインパクトある顔になっちまう。そんなのは願い下げだ。だから勝手にやっててくれよ。俺は寝る。
 …………。
 …………。
 部屋を獣が走る異音に、またも俺の眠りは覚まされた。
 とう、とう、とう、とう、とうぅ、にゃふぅぅん。
 ?
 とう、とう、とう、とう、とうぅ、にゃふぅぅん。
 クルツが走ってる。なぜ?
 とう、とう、とう、とう、とうぅ、にゃふぅぅん。
 うるせぇ。ひょっとして、いやがらせ? ミカちゃんの相手をさせたことへの仕返しなのか?
「クルツ……昨日のことは俺が悪かった。だから静かにしてくれ。もう少し寝かせてくれよ……ほら、布団に入っていいから」
 クルツを入れるべく布団をめくった。
 クルツの動きは止まった。薄明かりの中でクルツが布団を覗きこんでいるのが見える。
「いい子だから、早く入ってくれ」
 クルツがのそりと布団の中に入ってくる感覚。これで静かになる、寝られる……。
 …………ん?
 臭ぇ!
 布団の中に湿った猫の臭いが充満している。
 外に行っていたクルツはまだ乾いていなかった。そのまま布団の中に入れたから、俺の体温とクルツの体温で濡れた毛が温まり……得も言われぬ猫の匂いが……。
 臭い……けど、眠い……臭い……眠い……臭……い……眠……い…………。
 うぅ……変な夢見そう……。



 ■9 浩之のためのぶよぶよとした前奏曲


 従姉の真希子ちゃんから聞いた話だが、寝相が悪い人がネグリジェを着て寝るのは危険な行為らしい。寝ている間にネグリジェがずり上がり、首に巻き付いて寝苦しさのあまり目が覚めることがあるそうだ。
『ネグリジェじゃないね。ありゃネグルシイジェだよ。だからさぁ浩ちゃん、彼女ができてもネグリジェなんてプレゼントしちゃダメだぞ。天使のような寝顔で人形のように寝る女なんていなんだからね。はははは』
 当時女子大生だった真希子ちゃんは、女性に対して夢を見ていたかった俺に現実を突きつけて豪快に笑った。
 ネグリジェねぇ。ま、俺には関係ないものだな。プレゼントする彼女もいないし、女装の趣味もないから。だいいちネグリジェどころかパジャマすら俺の生活には縁遠い。寝る時はTシャツとパンツだけ。どんなに寝相が悪くてもTシャツが首に巻き付くなんてことはない。


 首が……………………苦しい、
 首が……………………………………………………暑い!
 首にのしかかる重みで目が覚めた。
 純毛(ホコリ付き)の襟巻きが───密に生えた短毛、首にぴったりと張り付くぶよぶよとした胴体───首をぐるりと覆っている。いや、猫の襟巻きと化したクルツが「ふしゅぅ、ふしゅぅ」と暢気な寝息を立てている。
 暑いんだよ、首も胸も汗で濡れているじゃねぇかよ。
 こんな温かい季節に襟巻きをする趣味はねぇ!
「グルヅ……どけ!」
 俺はクルツを放り投げた。汗で濡れた首にクルツの毛がついて気持ち悪い。首が毛だらけになるのがこんなにも不快感があるとは初めて知ったよ。人間何事も経験してみなければ分からないものだなぁ。これもクルツのおかげだよ……なんて考えるわけないだろう!
「俺に恨みでもあるのか」
 放り出されてもなお布団の上でへにゃっと横になっていたクルツは、なあにボクが何かした? みたいな表情で「にゃぁん」なんて、滅多に鳴かない可愛らしい声をあげる。
「あぁそうかい。しらばくれるんだな」
 頬の筋肉が引きつるのが分かる。きっと鏡を見たら百鬼夜行にスカウトされてもおかしくないような表情になっているんだろう。
「クルツ、なにか言い残すことはないか?」
「にゃにゃん、にゃぁん?」
 クルツは布団の上でぐるにゃンとでんぐり返ってお腹を見せる。
 なにが、にゃぁん? だ。かわいこぶるんじゃねぇよ。
「かわいらしさで許してもらえるのは昭和で終わりなんだよ。覚悟はいいようだな」
「にゃぁん」
 まだ続けてやがる。いい根性しているじゃねぇかよ。
 俺は押し入れに突っ込んだままのスポーツバッグを取り出した。中学時代サッカー部だった俺が部活で使っていた物だからでかい上に防水ばっちり。さて、俺が味わった苦しみを教えてやるよ。
 バッグのジッパーを開け、その中にクルツをぶち込んだ。さすがに窒息したらヤバイから顔だけ出した状態でジッパーを閉める。これで蒸し猫クルツのできあがり。
「クルツ、どうだ? 温かいだろう?」
「なぁぁ」
 バッグから顔だけ出したクルツは嫌がりもせずじっとしている。俺はクルツを無視して布団の上であぐらをかき、目覚めの一服をする。
 バッグから顔だけ出している猫ってなんか不気味だなぁ。
 俺が後ろを向いている間に、ずりゅり、ずりゅりとにじり寄ってきそうな感じだし。
 …………。
 …………。
 …………ぼてっ。
 ぼてっ? クルツはにじり寄る代わりにバッグごと転けていた。
「なにしてる?」
「なぁ」
 まぁいいやという感じで横になったままだ。
「『なぁ』じゃねぇだろう。オマエも猫なら猫らしくバッグから出ようとかしろよ! あっ、やべぇ、もうこんな時間かよ。ぼちぼち学校に行く準備しなきゃ」
 学生服に着替え、学校で読む暇つぶしの雑誌だけが入ったカバンと、クルツがみっちりと詰まったバッグを持って居間に向かう───今日は燃えるゴミの日だったよな。このままゴミステーションに捨ててやろうか。
「浩之、おはよう。今日はカバンが二つね。体育の授業でもあるの?」
 朝食の準備をしていた母さんが俺を一瞥する。
「いや。これは体育用のバッグじゃないよ。中身はクルツ」
 俺はバッグを掲げて見せた。
「あら、本当……でも、」
 母さんは真顔で俺に向き直る。
「学校にクルツを持っていっていいいの? 校則違反にならない?」
「はぁ? 校則? たしか学生手帳にはペット持ち込み禁止の条項は書かれていなかった気がする」
「そうなの。じゃあ、クルツのお弁当も急いで作らないとね」
 母さんは慌てて台所に向かう。
「待てや! 誰がクルツを持って学校に行くなんて言った!」
 それに……さっきからクルツバッグを持ち続けているせいで腕が疲れてきた。こんな重い物を持って学校に行く着く自信ないです……。


 *  *  *


 日曜日。世間では家族で外食に出かけたりする家も多いと思う。
 けど、俺の家では休日に家族で外食をするということがほとんどない。親父はクレー射撃や釣りや山菜取りなど、自分のために外出の労は厭わないが、家族のためとなるととんと出不精になる。それに母さんは仕事の関係で日曜日に出かけることも多い。ということで家族での外食は少ない。
 外食しない理由がもう一つ。休日に親父が暇だと親父が料理を作るからだ。はっきり言って親父の料理は美味い。普通の店で食べるよりずっと良い。


 大学受験にあまり熱心でない高校3年生にとっては、休日は意外とやることがない。友達は予備校主催の模試や特別講習に行ってしまい、なかなか俺に付き合ってはくれない。かと言って金もないから出歩いてもいられない。せいぜい昼まで惰眠を貪るぐらいしか暇の潰しようがない。
 今日も俺の目が覚めたのは昼を過ぎていた。

 居間に入るなり美味しそうな肉の匂いが俺の鼻腔を刺激する。
 昨日の夕飯からコーヒー以外は口にしていないから腹は減りきっている。空腹過ぎて目が覚めた時に目眩がしたぐらいだ。だからこの匂いは堪らない。胃袋が一気に収縮して痛みすら感じる。
「おっ浩之、起きてきたか。ちょうど料理ができたところだ、食べるだろう?」
 テーブルに大皿を置いていた親父が振り返らずに聞いてきた。
「うん。もう腹減りすぎて限界」
「すぐにスープを作るから、ちょっと待ってろ」
「早くしてくれよ。時間がかかるんなら食べちゃうぜ」
「意地汚いこと言うな。空腹は最高の調味料という言葉もあるぞ。もう少し辛抱しろ」
 空腹は最高の調味料かもしれないけど、もう俺の胃袋は調味料だらけで気持ち悪いくらいなんだよ。
 俺は食卓のいつものイスに座った。大皿にはブレゼ(蒸し煮)した肉の塊とズッキーニが盛りつけられている。ブレゼか親父もやるな……。
『ブレゼは数ある調理法の中でも最も費用がかかり、最も難しい調理法だ』と言ったのはフランス料理の大御所エスコフィエだ。きっと親父も朝からずっと作っていたんだろう。
「親父、この肉なんの肉?」
「羊肉だ。さあ、スープもできたし食べて良いぞ」
 親父はスープを置くとタバコに火をつける。
「んじゃ、いただきます」
 厚切りの羊肉を口に……ぶに? いや、ぶよぶよと言うべきか。煮込みすぎて肉が縮こまったような妙な歯触りがある。でも、フォンがよく効いた肉汁が染み出し舌を刺激…………え?
 羊肉は独特の臭みがある。だからブレゼするときは、肉をミルポワ(にんじん、玉ねぎ、セロリ、ニンニクなどを角切りにしたもの)とワインやブーケガルニなどを使って匂いを消す。
 なんで紅ショウガの味と匂いがするんだ?
「親父これはなんだ? 噛みしめると紅ショウガみたいな味がするぞ」
「やっぱりダメだったか……しょうがないよな。元は母さんが作った料理だもんな。俺はできることをやったんだから悔いはないよ」
 親父はうんうんと頷き独りで納得している。
 元は母さんが作った?
「どういうことだ?」
「ん、この料理な……」親父は俺と目を合わせず、横を向いたままタバコを吹かす。「作り始めたのは母さんなんだ。でもな、母さんは今日の午後から仕事があるんで俺が残りを引き継いだんだよ。引き継いだ時は手遅れでな」
 親父は引きつったような笑みと一緒に溜息を漏らす。
「母さんも羊肉の匂い消しをしようとしたらしいんだけどな、適当な香味野菜がなかったんだ……」
 親父は空っぽの紅ショウガの瓶をテーブルに置いた。
「で、母さんは閃いちゃったみたいなんだ」
「えっ! 閃いたのかよ?」
 親父は無言で頷く。
 母さんの閃き───料理における独自性と飽くなきチャレンジ精神を指す。真の料理人は芸術家であり、既成概念に囚われない冒険者であると言うのが母さんの信念なんだけど……母さんの目指す料理は抽象料理というか、前衛芸術的料理だった。このおかげで俺や親父がどれだけ大変な目に遭ってきたことか。
「紅ショウガなら匂いを消せると母さんは考えたんだろう。何年一緒に暮らしていても、母さんの発想力には本当に脱帽するよ……紅ショウガなんて、母さん以外誰も考えつかないだろう」
 親父は紅ショウガの空き瓶をしげしげ眺め、瓶をこずいた。
 紅ショウガを入れたことに気がついた親父は、すぐに肉を取り出してなんとか修復を試みたらしい。紅ショウガの匂いと味が染みこんでいる表面を切り落とし、スーパーに行って香味野菜などを買ってきた。そして改めて羊肉のブレゼに挑んだらしい。
 結果、見た目も匂いも一応まともになった。味だってフォンとミルポワされた野菜の旨味が染みこんで成功のはずだった───何度も加熱したせいで肉が縮んではしまったが───紅ショウガのエキスは肉の奥までしっかりと染みこんでいた。噛みしめるたびに仄かな酸味をもった紅ショウガの味。野菜の甘みと相まってとってもエキセントリックな物になってしまっていた。
「ま、そう言うことだから。父親と母親の愛情が詰まった味だと諦めて食べてくれ」
 親父は俺の肩を軽く叩いて居間に行く。
「親父は食べないのかよ」
「俺か? 残念だけど食べられないんだよ。水瓶座の人間は午後に羊肉を食べちゃいけないって、朝のテレビの占いで言ってたんだよ。と言うことで浩之、ちょっと留守番していろよ。俺は駅前の蕎麦屋に行って来るから」
 親父はそそくさと玄関に向かう。
「俺に押しつけるなよ!」
 速っ! もう玄関の閉まる音が響いてくる。
 目の前には400グラムはあるぶよぶよした肉の塊。俺の胃袋にあったはずの最高の調味料は……なぜだか姿をひそめている。

 今日、魚座は午後に羊肉食べても良いのかなぁ……。



 第9話終わり。でも、続く……


 ■10 森泉家の穴


 夏休みは世間が忙しくなる季節。
 海や山や川や沼に遊びに行ったり───特に沼がいい。あの小石を投げ入れた時、「とぅぷっん」と重い音をたてる粘性を帯びた水面。踏み入れた足が沈み込んでいく「どゅぷり」とした感覚。「むぉわぁん」と漂う腐った水草の臭い。腐乱した死体の一つも浮かんできそうで最高さ。な、ワケない───沼はよそうよ。
 旅行や部活やバイトに励んだりするヤツも多いだろう。それに夏は恋愛の季節だし───どうして清く生きられないんだよ。と言うか、イチャイチャしやがって。夏場のアベックは暑苦しいんだよ、みんな別れてしまえ! ああ、そうだよ。僻みだよ───夏、終わらないかなぁ。
 受験生にとっては追い込みの時期。必死に勉強して、予備校の夏期講習や模試に嫌な汗を流している。俺も受験生の一人として───すみません。昨日もバイトしていました。受験生の自覚なんてないです───何もしていなかった。
 とにかく俺は夏休みの真っ最中だった。


「浩之、いい加減に起きろ。もう昼だぞ」
「あ? 親父? ん、おはよう」
「まったくお前ら、こんなに暑いのによく寝ていられるな」
 Tシャツにジーンズというラフなスタイルの親父が俺の部屋の入口に立っていた。あきれ顔で頭をガシガシとかきながら部屋に入ってくる。そして俺の横で腹を出して寝ていたクルツを抱き上げる。
「お前も寝てばっかりいないで、少しは猫らしくネズミでも獲りに行ってこいよ」
 クルツは親父に抱かれても、へにゃっとしたまま目も開けていない。
「あれ? 親父どうしたのそんな格好して、仕事は行かなくていいの?」
「今日は土曜日だ。仕事は休みなんだよ。ダラダラしているお前と違って、俺は毎日額に汗して働いてるんだから週末ぐらい休ませろよ」
「俺だって額に汗しているよ。見てくれよ、この寝汗」
 俺は額を指差す。
「馬鹿なこと言ってないでメシ食え。メシ食ったら畑に水撒いてくれ」親父はクルツの前足を持って「早くしろよ。ほらクルツも呼んでるぞ」と招き猫のマネをする。
 いい歳したおっさんが何してるんだか……。

 俺の家の敷地は結構な広さがある。敷地の半分はジャングルと化している庭、残り半分は家庭菜園だ。ニンジン、大根、カブ、カボチャ、エンドウ豆、インゲン豆、ナス、トマト、それに勝手に生えてくるアスパラガス、あさつき(ネギの一種)、山わさび、紫蘇と色々植わっている。
 それらすべてに水を撒くとなると結構面倒くさいけど、畑の生産物に世話になっているから枯れてもらっては困る。俺の家では夏場の朝食にアスパラガスやエンドウ豆のバター炒めは欠かすことができない定番おかずだ。
 しゃあない……水を撒くか。

 この3日は晴天続きで、畑の植物もなんとなくへなっとした感じだ。
 いま水やるから待ってろよ。
 ホースの先にシャワーノズルをつけて蛇口をひねる。
 しゃわらしゃわら、しゃわらしゃわら。
 撒いても日差しに焼かれてすぐ乾いてしまう。
 効果あるのか? こうなりゃ意地だ。地面が潤うまで撒いてやるよ。
 しゃわらしゃわら、しゃわらしゃわら。
 しゃわらしゃわら、しゃわらしゃわら。
 ムキになって撒き続けた甲斐があって地面はビショビショになっている。特にベランダの前は泥の海状態だ。ちょっとやりすぎたかなぁ。
「まったく……こんなにグチャグチャにしちまって、ガキの水遊びじゃないんだから限度を考えろよ。クルツもベランダから外に出られなくって困ってるぞ」
 親父はベランダ横の板の間で寝ていたクルツを抱き上げる。
「クルツは外に出る気なんてないじゃん。それにこの天気だもん、すぐに乾くよ」
「ん、ま、そうかもな。あ、そうだ、洗濯するから洗うものがあったら出しておけよ」
 親父は抱いていたクルツに顔を寄せる。
「クルツ、お前ちょっと臭うぞ。ついでにお前も洗濯してやろうか」
 クルツは答えず、尻尾を2、3回振った。洗って欲しいのか、洗って欲しくないのか分からないけど、暑いからどうでもいいという表情をしている。
「お前の毛皮は純毛だよな。面倒くさいな。お前の洗濯は次回にするから、そこで寝ていろ」
 親父はクルツをソファーに置いて洗濯機のある風呂場へと向かう。

 せっかく水を撒いたのに、もう乾き始めているよ。ベランダ前の泥の海も小さくなって───縮小を続ける黒海みたいで侘びしいものがあるなぁ。もう水気もなくなって……ん? そうだ。水気、つまり潤いだよ。この庭には潤いが必要なんだ!
 閃いた! 池を造ろう!
 池があれば見た目も涼しい。グッドアイデアだよ俺。
 で、どうやって造ろう? まずは池築造予定地の地面を湿らせて掘りやすくしなきゃな。
 俺はシャワーノズルを外して水力を最大にした。
 水の勢いは強く地面がえぐれていく。まるで水力式穿孔機械のようだ。
 おもしれぇ。俺はホースを地面に近づけてさらに穴を掘り進める。ホースは泥水を巻き上げながらずぶずぶと地面に潜っていく。何か燃えるぜ。夢中になってさし込んでいたら、なんと30センチ近くも入ってしまった。
「浩之、早く洗濯物出せよ。洗濯できねぇだろう」少しばかり苛ついたような親父の声。と、「何してるんだよ浩之? 暑さで頭がやられたのか?」親父が怪訝な目で俺を見ている。
 高校3年生の息子がホースを握りしめ、地面にしゃがみこんで地面を穿っていれば、親父でなくても怪訝な目をすると思うよ。跳ねた泥水で服は汚れてるし、またもベランダ前は泥の海だし。馬鹿か俺は……。何が池だよ。底を防水でもしない限り、水は地面に染みこんですぐに干上がるだろう。気付よ俺。
 ま、今日は童心に帰って水遊びをしたと言うことで……親父に見られているのが凄く恥ずかしい。「いま洗濯物持ってくるから、ちょっと待って」俺は急いでホースを片づけながら親父を見ないようにして言った。

 夕方、居間に行くと親父が開けっ放しのベランダから外を見ていた。
「何見てるの?」
「なあ浩之、クルツは何をしてると思う?」
 親父は外を見たまま庭先を指差す。
「何? クルツがどうしたのさ?」
 クルツが庭先で地面にぴったりと身体をつけて一点を凝視している。よく見ればクルツの視線の先には《穴》があった。
「クルツが気にしているからネズミの穴かなぁ、それにしてもあんな穴はあったっけ? ま、クルツが見張ってるんだから、ネズミもおいそれとは出てこないだろ。クルツ、しっかりネズミを獲るんだぞ」
 親父はクルツを励ますと台所に行ってしまった。
 クルツが見つめている穴は───俺が穿った穴だった。もうすっかり地面は乾いているのだが、穴だけは残っていた。突然出現した穴。クルツはネズミが掘ったものとでも思ったのかもしれない。
 クルツはゆっくりと、ゆっくりと顔を近づけ、穴の臭いを嗅いでいる。そして、半歩下がって、また身体を地面につけ穴を監視している。
 クルツ、残念だけどその穴にはネズミはいないぜ───なんて教えてやる気は俺にはない。クルツが穴に興味を持っているんだ、好きにやらせておくさ。


 日曜日も親父に起こされたのだが、珍しくクルツは俺と一緒には寝ていなかった。
「親父、クルツは?」
「朝からあの穴を見てる。余程気になるんだろうな」
 俺の部屋からは見えないあの穴の方を親父は指差す。
「あの穴さ、俺が掘ったんだよ……」
 俺は親父に穴誕生秘話(秘話ってなんだよ)を話して聞かせた。
「そうか。浩之が……そんなことと知らずクルツも可哀想にな。ところで今日は伊藤君達と会うんだろう、そろそろ出かけなくていいのか?」
「あっ、やべぇ」

 伊藤達と出かけたものの、適当に街をぶらつくだけで、金もないから夕食前には家路についた。
「クルツ」
 家の近くをクルツがのそのそと歩いていた。車通りが少ないとはいえ、往来のど真ん中を歩く姿は堂々としているというか、警戒心がまったく無いというか……クルツは俺の声に「なぁぁぁ」とこたえ、近寄ってくる。
「散歩なんかしていていいのか? あの穴の監視はもういいのかよ?」
「なぁぁなぁ」
 なにを言っているのか分からないが、クルツの興味はそろそろ用意される夕飯の方に行っているのかもしれない。
 俺とクルツは家に着いた。けれどクルツは玄関から家に入らず、庭の方へと歩いていく。やっぱり穴が気になるようだ。
「ただいま。ん、何してるの?」
 ベランダに腰掛けた親父は、ビールの缶を握りしめて笑いを堪えている。
「気色悪いな。なんだよ?」
 俺は親父の横に立って庭を見る。
 クルツが穴の前で固まっていた。
 そりゃそうだろうなぁ……穴は一気に5個に増えていた。
「親父が掘ったのか?」
「本当に水力で掘れるものだな。面白くなっていっぱい開けちまったよ。見ろよ浩之、あのクルツの顔」
 中腰になったクルツは、どうして? と言うような顔を俺達の方に向ける。
「その穴のどれかにネズミがいるかもしれないぞ。頑張れよクルツ」
 親父は顔をにやけさせながらビールを飲む。
「なぁぁぁ」
 当惑気味のクルツの声が返ってきた。


 *  *  *


「ただいま」
「お帰り浩之、穴掘って」
 本屋から帰った俺は、日本語になっていない日本語を使う母さんの顔を見つめてしまった。
「穴? なにそれ?」
「穴は穴よ。はい、スコップ」
 母さんは当たり前のことを聞かないでといった表情で、玄関に置いてあったスコップを差しだす。
「だからどうして俺が穴を掘らなきゃならないんだよ。理由を言えよ」
 母さんは俺の顔をまじまじと見て、
「物を埋めるために決まっているでしょう。まさか落とし穴でも掘るつもりだったの?」
 と、ほざきやがった。
「あの、母さんちょっといいですか。俺はこのクソ暑い中買い物をしてきて疲れているし、受験生で時間が貴重なの。その貴重な時間を消費してまで俺に穴を掘らせる正当な理由が知りたいんだけど」
「いいわ、そこまで言うならちゃんと答えるわよ。そもそもは17年前。あなたは予定日を1週間も過ぎても生まれてこなかった上に、陣痛が始まってもすぐに出てこないで、私が何時間分娩台の上で苦しんだか知っているの? つまり浩之は私に散々迷惑をかけているの。その母親が苦労して生んだ息子にお願いしているのよ、他に理由がいる?」
 母さんは胸を張って言う。
「か、関係ないじゃん、そんなこと」
「関係あるの! 私が分娩台の上で苦しんだ辛さからみれば、穴掘ることぐらい何ともないわよ。四の五の言わずに掘りなさい!」
 だめだ……感情が先走って、道理とか常識が通じる状態じゃねぇ。
「分かったよ、掘るよ、掘ればいいんだろう。どこに、どのくらいの穴を掘ればいいんだよ?」
「ん、掘る場所はどこでもいいわよ。その代わり深く掘ってね。2メートルでも3メートルでもいいから深くね」
 あの、死体でも埋める気ですか?
「そんなに深く掘れないよ」
「一人前の体格をした男の子が情けないわねぇ。しょうがない、クルツを手伝いにつけてあげるから早く掘ってね」
「いらねよ」
 クルツが手伝うわけないだろう、逆に邪魔なだけだよ。猫の手を借りたい状態でも、永遠にエントリーされることはない猫なんだからよ。

 俺は畑の隅に穴を掘ることに決めた。ここだと山ワサビ───北国に生える多年草。直径3〜5センチの根を伸ばして繁殖する。根をすり下ろすとワサビの様に辛くワサビの代用品にも使われる───くらいしか生えていない。俺はスコップに力を入れる。
 ざくっ! ざしゅっ! ざくっ!
 このあたりはネコヤナギや黒松の影になっているから表土は比較的軟らかいのだが、20センチも掘ると川石のような丸みを帯びた礫混じりの地層が出てきて掘りづらい。おまけに山ワサビの太い根っこも邪魔だ。根っこをスコップで切断しながらの───切断してもすぐに伸びてくるから問題はないんだけど───作業は疲れる。
 ざくっ! ざしゅっ! ざくっ!
 でも穴なんて何に使うんだ? まあ聞いても答えないだろうし。取り敢えず穴を掘っちゃおう。
 俺は直径50センチぐらいの穴を掘り続ける。掘り出した土塊や礫は結構な量になってきた。穴の横で小山のようになっている。
 どれだけ深く掘ればいいんだよ? ああ掘りづれぇ。
 ざくっ! ざしゅっ! ざくっ!
 ころころころろ。
 ざくっ! ざしゅっ! ざくっ!
 ころころころろ。ころころころろ。
「邪魔するんじゃねぇ!」
 俺は横にいるクルツが「何かあったの?」みたいな表情で見上げている。
 なぜか分からないがクルツが俺の作業を見ていた。穴を掘り始めてからずっと横にくっついている。ひょっとしたら母さんに「浩之がサボらないように監視してね」とでも言われたのかもしれない……い、いかん。暑さのせいで被害妄想が入っている。でも。
 クルツがただ黙って見ているのならかまわないのだが、
 ころころころろ。ころころころろ。
 せっかく掘り出した土塊や礫を、クルツは前足でちょんちょんと突いては穴に落とし続ける。
「なんか恨みでもあるのか?」
 ぱたふ。と、尻尾を1度だけ上下させると、またも土塊をいじり始める。
 ころころころろ。ころころころろ。
「嫌がらせか? そうか嫌がらせだな」
 ころころころろ。ころころころろ。まだ続けている。
「そうかい、そうかい、無視するわけだな。俺にも考えはあるんだぜ。いい具合の穴も掘れたし、お前を埋めてやるよ。せいぜい土の中で山ワサビの根っこと仲良くするんだな」
 俺はクルツを捕まえ深さ40センチほどの穴に投げ入れた。
「浩之、穴掘れた?」
「掘れたけど、この穴はクルツを埋めるために使うから、もう少し待ってくれよ」
「なに言ってるのよ。クルツを埋めなくてもいいわよ」
 サンダルを突っかけた母さんが鍋を持ってやってくる。
「ほら、クルツも遊んでないで、早く穴から出てきなさい」
 蓋付き鍋を地面に置いて、母さんはクルツを穴から引きずり出す。
「ねえ、その鍋何?」
「聞かないで」
 母さんはクルツを放り投げると、隠すように鍋を抱きかかえる。
「気になるよ。穴掘ってやったんだから教えてくれよ」
「あのね浩之、女の子にもてたいと思うなら、女の子の秘密は詮索しちゃダメよ」
 女の子って……母さんが小娘だったのは何年前だよ。今じゃ立派な古娘だろう。
 俺の心の内を読んだわけではないだろうが、母さんは鍋を抱えたまま俺を睨むようにして見ている。
「あとは私が埋めておくから、もう浩之は家に戻っていいわよ。泥だらけになってるからシャワーを浴びなさいよ」
 母さんの言葉には「反論は受け付けないわよ」との響きがある。こうなったら俺には選択肢はない。へたに逆らおうものなら、俺に責任はないはずの妊娠中の苦労や赤ん坊だった俺の悪行をぐちぐちと言われるに決まっている。
「分かったよ」
「あっ、浩之、クルツも連れて行って」
 俺はクルツを抱いてベランダへ向かう。家に入る寸前に振り返ったら母さんが鍋の中身を穴に流し込んでいた。
 母さんの閃き料理の残骸か……親父に知られないように穴を掘って埋めるほどの料理って、いったいどんな料理だったんだ? 人類の理解を超えた物を作ったんじゃないだろうな。
 でも、あの場所って山ワサビの根が伸びる場所だよな。山ワサビが母さんの閃き料理を養分にしたら…………。
 奇っ怪に変貌した山ワサビが闇の中で蠢くイメージが一瞬脳裏をよぎる。

 俺もう山ワサビは食べねぇ。



 ■11 極めて矮小で重大な問題


「浩之、大変よ!」
 夏休みの学生の特権である惰眠を享受していたら、母さんが騒がしく乱入してきた。
「なんだよ、なにが大変なんだよ」
「クルツが変なのよ」
 は? クルツ? クルツが変なのはいつものことだろう。そんなことで起こすなよ。げっ! まだ午前9時じゃないか。寝たのは3時過ぎなんだぜ、勘弁してよぉ。受験生は身体が資本なんだから、夏休み期間は最低8時間は寝ないとお肌に悪いんだぜ。
 俺が無視していると、母さんは「どうしよう、どうしよう」と言い続けている。
 あぁ鬱陶しい。
「わかったよ聞くよ。で、クルツがどうおかしいんだよ」
「だから、クルツが変なの」
「それは分かったから、具体的に何がどうしたんだ?」
「口じゃ説明できないわ。一緒に来て」
 どうせ変な物でも食ってゲロを吐いたか、ケンカして血だらけにでもなっているだけだろう。クルツだって猫なんだから色んなことあるさ。いちいち騒ぐなよ。

 クルツは……これをどう表現すればいいんだ。ソファーとソファーの間にいるクルツは変だった。母さんじゃないが「変」としか表現のしようがない。
「ね、浩之、クルツ変でしょう」
「う、うん」
「あれなにかしら。何かの抗議なのかしらね。ひょっとして朝ご飯に晩の残りのカレーをあげたのが不満だったのかしら」
 母さんは腕を組んで小首をかしげる。
「クルツにカレーをやったのかよ」
「うん。ダメだったかしら。でもタマネギは入っていないから大丈夫だと思ったんだけど」
 日本の猫だから当然と言えば当然かもしれないが、クルツの主食は米だ。朝昼晩の三食はご飯におかずをかけた所謂「猫マンマ」をメインに、おやつに乾燥タイプのキャットフードを食べたり、人間の食い物を奪ったりしている。
 とは言え、カレーは香辛料も入っているし、昨日のカレーにはオクラとズッキーニが入ったベジタブルカレー───オクラはバラバラになっちゃって妙に粘性ある不思議な舌触りだった。俺も親父も、いや、作った当人の母さんですらもてあまし気味のカレー。昨日はほとんど辛くなかったけど、オクラやズッキーニはクルツが雑食でも食べないだろう。
「で、クルツは朝ご飯を食べなかったんだ?」
「ううん。いつも通り残さず食べたわよ」
 食べたんかい。

「じゃあ、あれなに?」
 ソファーとソファーの間、50センチほどの空間にクルツはいた。右前足をソファーに引っかけて下半身は床に投げ出している。上半身だけ見れば、ソファーから落ちそうになって必死にぶら下がっているようにも見える。いくら身体が柔らかい猫でも、上下に身体をL字状にしていて苦しくないんだろうか。
「母さんはクルツがどうしてこんな格好になったのか見てなかったの?」
「見てないわよ。台所から戻ってみればクルツが変な格好してるし……あの格好で動かないのよ。まさか死んじゃいないわよね。浩之、調べてよ」
 母さんは気味悪そうにクルツを見て俺の背中を押す。
 しゃあねぇな。俺はしゃがみこんでクルツを触ってみた……暖かい。良かった、死んじゃいない。死ぬどころか、この格好で寝ているよ。
「おいクルツ、起きろ。なにしてるんだ」
 俺はクルツのヒゲを引っぱった。
「なぁにゃ」
 面倒くさそうに鳴いて右前足をぴくぴくさせる。よく見ると人差し指(猫差し指?)の爪がソファーに引っかかって外れないようだ。
「よかったぁ。呼んでも動かないから死んだんじゃないかと心配したのよ。でも、どうしてそんな変な格好をしてるのかしら」
「たぶん……」
 たぶんクルツは手前のソファーから奥のソファーへ行こうとしてジャンプした。しかし己の体重が徒となったか、それともカレーに入っていたオクラとズッキーニが悪かったか、僅か50センチの幅を飛べずに───右前足だけは届いて慌てて爪をかけたけど───落っこちたんだろう。
「そうかしら。逆かもしれないわよ。お腹いっぱいになったクルツが寝場所を求めて床を這っていて、ソファーを登ろうと前足を伸ばしたところで息絶えたのかも」
 クルツのマネをして母さんは右手を伸ばして、ガクッと首を落とす。
「息絶えてねぇって。それよりその発想は不気味だよ」
 思わず、ずりゅずりゅゅと巨体をくねらすクルツを想像してしまった。気持ち悪ぃ。
「ねぇクルツ、ここで力尽きたのよね」
 母さんは覗きこむようにしてクルツに同意を求める。
 クルツはこたえず、俺を見上げて尻尾を「たてん、たてん、たてん」と連続して床に叩きつける。
「浩之、クルツが何か言ってるわよ」
 いや、クルツは鳴いてないし。それは母さんの気のせいです。
 たてん! たてん! たてん!
「やっぱり何か言いたいことがあるみたいよ」
 母さんはさっきより強い音を立てて叩きつけているクルツの尻尾を指差す。
「ななっ!」
 クルツは短く鳴く。
「ほら、爪がソファーに引っかかって寝苦しいから爪を外してくれって言ってるわよ」
 高速言語か! あんな短い鳴き方のどこのそんな長文が含まれているんだよ。
「横着しやがって、立ち上がれば自分で外せるだろ」
 クルツは「たてん、たてん、たてん」と尻尾を叩きつけ、
「なっ!」
 催促するように、もう一度短く鳴く。
「分かったよ、外せばいいんだろう」
 観念して俺はソファーに引っかかっている爪を外してやる。クルツはそのままズデッと床に伸びて「たてん」と一度尻尾を振って寝てしまった。
「クルツ、ご飯を食べてすぐ寝ると牛になるわよ」
「それは大丈夫だろう」
 クルツは化け猫さ、その証拠にブタに化けている。いまさら牛にはならねぇよ。


 *  *  *


 猫を飼っていれば猫に起こされることはよくあることだ。

「みゃぁぁぁ、みゃぁん」
 うるさいなぁ……。
 居間でウトウトしていた俺は夢見心地の桃源郷で遊んでいた。と思う。なのに、鳴き声で強引に現世に引き戻された。
 眠いんだよ……勘弁してよ……。
「みゃぁん、にゃぁぁあ」
 なんだよ、いつもより可愛い声出しやがって……。
「みにゃうん、みにゃうん」
 顔を舐めながら前足でむにゅむにゅと猫あんまを始める。
 わかったよ。起きるよ。起きればいいんだろう。
「なんだよ」
 目の前には丸々と太った猫の顔があった。見慣れた虎柄……じゃなくって、真っ黒な猫の顔。
「よぉクロ、元気だったか?」
「にゃぁん」
 俺の言葉が分かっているのか、クロは愛想良く可愛らしく鳴いた。

 クロは近所にテリトリーを持つ野良の雄猫だ───名前の由来は全身まっ黒けだから「クロ」と言う安易なものだ───人懐っこくて声をかければ必ず鳴き返してくるし、身体をなでても嫌がらない。近所の人にも好かれているようで、いろんな所でエサをもらえるのだろう、野良のくせに丸々と太っている。その上、鳴き声はやたらと可愛い。たまに近所で見かけた時は、俺もエサをやっているから旧知の仲だ。
 ただ、クルツはそれを苦々しく思っているフシがある。テリトリーが重なっている部分が多くて、クルツはクロと顔を合わせればケンカになる。クルツにとってはライバルみたいなものだ。

「クルツはいないのか?」
「にゃああん」
 ま、クロが家の中に入ってきているぐらいだからクルツは外出中なんだろう。クルツがいればケンカになるのは確実だもんなぁ。
「家の中まで入ってくるなんて珍しいな」
 いままで庭先で見かけたことはあったが家に入ってきたのは初めてだ。今日はベランダを開けっ放しにしていたから入ってきたんだろうけど、初めての家なのにビクビクもせず堂々としている。まるで自分の家にいるみたい。
 クロは俺の足の上で丸くなってノドを「ぐぉろぉぉぐぉろぉぉぉ」と鳴らしていたが、台所から物音が聞こえるとトンと飛び降り走っていく。
「まぁ、クロちゃん来てたの」
 母さんの声が聞こえる。どうやらクロは母さんとも顔見知りらしい。
「にゃぁぁん」
「ごめんなさいね。まだお買い物に行っていないから、クロちゃんにあげるものはないのよ」
「にゃぁん」
「あら、どこに行くの……」

 暫くしてクロが満足そうな表情で台所から戻ってきた。ソファーに登るとのんびりと毛繕いを始める。
「クロ、なにか良い物貰えたのか」
「にゃん」
 クロは愛想良く鳴き返し、毛繕いを続ける。
 苦笑いを浮かべた母さんが、
「クロちゃん、クルツのお昼ご飯食べちゃったのよ。残さず全部食べちゃったのよね」
 クロのノドをなでながら言う。
「お昼ご飯がなかったらクルツが怒るんじゃねぇの?」
「大丈夫じゃない。この時間になっても帰ってきていないし、それにクロちゃんはクルツの友達だから許してくれるわよ」
「出会えばいつもケンカになるんだから、友達ってことはないだろう」
「あら、格闘マンガの中じゃライバルこそが真の友達って設定が多いわよ」
 馬鹿か……俺は目眩に襲われ言葉が出てこない。母さんが俺のマンガや、時には自分でマンガを買ってきて読んでいることは知っているけど、ここまでマンガに毒されているとは───母さん、マンガと現実は違うと思うんですけど……。
「クロちゃんはクルツの永遠のライバルよね」
 母さんは短くてくの字に折れ曲がっているクロの尻尾を弄びながら同意を求める。
「にゃうん」
 これって、母さんの言葉への同意なんだろうか?

 クロは30分以上、俺の家の居間でくつろいだあげく、
「にゃぅ」
 お礼のつもりか一声鳴いて出ていった。
 クロが出ていくのとほぼ入れ替わるようにしてクルツが帰ってきた。なんでクロが出ていくとすぐに家に帰ってきたんだ? まるでクロの動向を知っているみたいじゃないか。偶然にしちゃ出来過ぎていねえか?
「クルツ、お前クロがこの家にいるのを知って、どこかに隠れて見張っていたんじゃないだろうな?」
 一瞬クルツの動きが止まったように見えたけど、俺の方は見ず台所へと駆けて行き、
「なぁぁう、なぁぁう、なぁぁう」
 居間に戻って来るや、母さんの顔を見上げて訴えるように鳴き始める。
 この鳴き声は俺にでも分かる。「ご飯は?」だ。
 クルツ、問題は飯のことだけか……この家にはクロの臭いが染みついてるだろう。おまえなら分かるだろう。テリトリーを侵されたのに、そのことは些細な問題で、飯のことが最大の重要事項なのかよ。
「なぁぁう、なぁぁう、なぁぁう」
「ごめんなさいねぇ、ご飯はクロちゃんにあげちゃったのよ。おやつのキャットフードがあるでしょう、夕飯までそれで我慢してね」
「なぁぁう、なぁぁう、なぁぁう」
 クルツはクロが座っていたソファーの上で抗議を続けている。

 なぁクルツ、おまえはガンジー並みの平和主義なのか?



 ■12 快適な生活に関する考察と実践


 北海道といえども夏は暑い。本州の人から見れば「こんなの暑い内に入らない」と言われるかもしれない。真夏の海水温度が真冬の沖縄の海水温度程度にしか温まらなくても夏は夏。北海道しか住んだことのない俺にとってはやっぱり夏は暑いのだ。人間の汗腺の数は生まれてから1年ぐらいで決まるらしいから、俺の身体は北国仕様なんだろうな。
 ところで猫は足の裏しか汗をかかないらしいけど、北国の猫と南国の猫とじゃ汗腺の数が違うんだろうか?
 そんなことはどうでもいいんだ。いま問題なのは今年の夏が例年になく暑いことと、俺の家には扇風機しかないことだ。いくら扇風機を強めたところで生温い風が吹き付けてくるだけで汗はひかない。せっかくの夏休みなのだから海や山へ避暑に行けばいいのだろうけど、高3ともなると付き合ってくれる友達はほとんどいない。かといって独りで行ったってつまんねぇし。もちろん勉強のことはわすれてないさ、でもこう暑くっちゃ効率も悪いから取り敢えずは後回し。
 となれば喫茶店でも行って涼むぐらいしかすることはないわけで……いや、図書館で涼んでも良いんだけど───受験勉強を真面目にしているヤツの邪魔になったら悪いし、だいいちタバコが吸えないから───泣き泣き図書館を諦め、出費覚悟で喫茶店に行くことにした。

「母さん、ちょっと出かけてくる」
 俺は居間で高校野球に見入ってる母さんに声をかける。
「どこ行くの? そろそろお昼でしょ、ご飯どうするの?」
 そう言いながらも母さんの顔はテレビ画面を向いたまま。そのうえ飯のことを聞いているくせに、口調からは高校野球を見るのが忙しいからご飯作る気はないわよというニュアンスが漂ってくる。もう、高校野球を見始めると性格が変わるのは勘弁して欲しいよ。
 さらに、母親としての義務を放棄したうえ「高校生のひたむきな姿って純粋で清々しくって良いわよねぇ。浩之も野球すれば爽やかになるかもよ」と、独り言とも俺への当てつけともつかないことを言いやがった。
 悪かったな不純で鬱陶しくてよ。
「飯はいいよ。檸檬亭に行くから、あそこで何か食べる」
「あら、檸檬亭に行くならマスターにいつもお世話になってます。って、御礼を言っておいてね」
「わかった、言っておくよ」
 確かに檸檬亭には世話になっている。ツケで食事させてもらったり、コーヒー1杯で何時間も粘ったりしている。母さんも利用しているようだからマスターから俺のことを聞かされているんだろう。あの店で変なことはできないよなぁ。

 喫茶店「檸檬亭」はどこにでもあるような普通の店だ。外装も内装もありきたりの店だけど、俺の家から歩いて10分と近いうえに、他に喫茶店もないから利用する機会は多い。それに、マンガもいっぱい置いてあるから気に入っている。それにもう一つ、俺がこの店を気に入っている理由がある。それは、
「あぁ生き返る……」
 自動ドアから吹き出す冷気に思わず声が漏れる。全身の汗が一瞬にして凍り付くような快感。このままここでじっとしていたいような誘惑も、
「いらっしゃい。早く入ってよ温度上がっちゃうだろ」
 マスターの日紫喜(ひしき)さんの声に破られる。
「今日も暑いねぇ、内地(北海道以外の日本の意)の人たちはよく生きていけるよね。森泉君、暑いならもっと温度を下げるけど、どうする?」
 推定体重100キロの日紫喜さんは、カウンターの中から外を睨むように目をすがめて言う。
「いや、これで十分ですよ。もう汗もひいたし」
「そう? 暑かったら遠慮無く言ってよね」
 俺が檸檬亭を気に入っているもう一つの理由は、いつも冷房がガンガンに効いているからだ。日紫喜さんは夏を嫌っていた。いや、憎んでいたと言ってもいい。夏への挑戦か、それとも肥った身体が要求するのか聞いたことはないけれど、店内は寒いほどクーラーが効いている。
 だから俺はこの店でアイスコーヒーを頼んだことはない。檸檬亭に着くまではアイスコーヒーを頼もうって思っているんだけど、店に入った途端その気が失せる。それどころか冷気が直接当たらないように、いつもカウンターの端の席に座ることにしている。じゃないと長居してたら風邪をひく可能性すらある。
 一日中この冷気の中にいて、日紫喜さんは体調をよく崩さないものだ。この冷気にも負けないとは、凄いぞ脂肪。人体の神秘を垣間見た気分だ。

「森泉君の家って猫飼っているんだよね?」
「あ、はい」
 だんだん寒さが身に染みてきて、2杯目のコーヒーを頼むかどうしようか迷っていたら、日紫喜さんがカウンターに身を載せるようにして顔を近づけてきた。
 カウンターがいま「ぎしぃ」って軋みましたけど。「ぎしぃ」って。
「その猫ってさ、虎柄で太っている?」
「え、ええ、そうですけど」
 俺は軋むカウンターから少しでも距離を置くべく椅子をずらし……それにさ、日紫喜さんって近くに来ると暑いんだよ。マジに。
「クルツが、いや、俺の家の猫が何かしました?」
「何もしてないよ。ただ……」日紫喜さんは入口を指差し、「もう来てるんじゃないかなぁ。入口横の植えこみを見てみなよ」口を歪める。
 あの表情は笑い顔だと思うんだけど、ほっぺたの肉とアゴの肉が邪魔して、口が歪んだようにしか見えないんだよなぁ。皮下脂肪って人の表情まで変える威力があるんだ。凄ぇな……感心している場合じゃない、植えこみだよ。
 窓から植えこみを見るとクルツがいた。クルツは俺に見られていることにも気づかず、檸檬亭の入口をじっと見ている。
 何してるんだ?
「あの猫、やっぱり森泉君の猫かい?」
「はい、うちのクルツです。でも、どうしてあそこにいるんです?」
「外に出てみなよ理由は分かるからさ」
 俺は言われるまま自動ドアの前に立つ。
 ひゅふぅぃぃぃぃん。
 ドアが開くのと同時にクルツが駆けてくる。ドアと植えこみの境で止まり……目をつぶって気持ちよさそうに店内から流れてくる冷気を浴びている。
 檸檬亭のドアが開く→冷気が吹き出す→浴びれば気持ちいい。どうやらクルツはクーラーという文明の利器を理解したようだ。畜生といえども長く生きていると生活の知恵をつけるんだなぁ。
「クルツ、おまえ案外頭いいな」
 クルツは目をつぶったままなんの反応も見せない。
 ひゅふぅぃぃぃぃん。
 ドアが閉まって初めて俺の存在に気づいたようにクルツは俺を見上げる。
「おまえも檸檬亭に入りたいのか?」
 クルツはこたえない───いや、当然だけどさ。暫く自動ドアを眺めてから、なるべく汗をかかないようにするみたいに、ゆっくりとした動きで植えこみに戻っていく。
 植えこみのクルツはいつもの弛緩した表情じゃなく、きりりと緊張感ある表情で檸檬亭のドアを眺めている。俺の存在はどうでもいいようだ。ただ、真剣な眼差しでドアを眺めている。
 そうか。いくらクルツがデブ猫でも自動ドアは反応しないんだな。だから人間の出入りを待っているんだろう。ご苦労なこった。
 うっ、暑い。クルツなんてどうでもいいや。
 俺が店内に戻った時、振り返ると疾走してくるクルツの姿が見えた。おぉ涼んでる、涼んでる。
「最近さぁ、あの猫が来ては涼んでいるんだよ。どうせなら、招き猫みたいに前足でも上げてお客さんを招いてくれないかな」
 日紫喜さんはまだドアの向こうにいるクルツを見ながら呟く。
「クルツじゃ効果はないと思いますよ」
「残念だな。夏場はウチの店、儲からないんだよね。なんとかしなきゃなぁ」
 日紫喜さんは独り言をもらすと、クーラーの温度をさらに下げる。
 あのぉ、儲からないのはクーラーの使いすぎに原因があるんじゃ。寒すぎてお客さんもいないし……。

「浩之、やっぱりまだいたんだ」
 俺が檸檬亭に来てから1時間ぐらい経った頃、母さんがやってきた。
 おかしいな、高校野球が終わる時間じゃないし、夕飯の買い物にしちゃ早すぎるだろう。
「高校野球はどうしたのさ?」
「雨が降ってきちゃって順延なの、第3試合楽しみにしてたのにねぇ。もう気が抜けちゃってご飯作る気も起こらないから食べに来たのよ。さぁ、なに食べようかな。はぁんばぁぐ、すぱげってい♪」
 母さんは妙なリズムをつけながら俺の座るカウンターじゃなく、テーブル席の方に行く。頼むから他人様の前で馬鹿な歌を歌わないでくれよ。客は俺しかいないとはいえ、日紫喜さんだっているんだからさ。
「森泉君のお母さんって、いつも明るくて良いよね」
 日紫喜さんは口を歪めて小声で言う。
「……すんません。愚かな母親で」
 恥ずかしい。穴があったら……さらに深く、温泉が湧くまで掘り進めて、温泉が湧いたらどっぷり肩まで浸かって何もかも忘れてしまいたい。
「あのぉ、注文よろしいですか」
「はい。いま行きます」
 日紫喜さんは口を歪めたままテーブル席へ向かう。
「ええっと……」
 俺の気持ちなどまったく気づいていない母さんは暢気に注文している。
「……いいですよ」
 日紫喜さんのデブ特有のくぐもった声の後に、
「我が儘言ってすみません」
 母さんの声が続く。
 我が儘? メニューにない料理でも注文したのか? ん? 立ち上がった?
 母さんは立ち上がると店を出て行った。
 と、すぐに戻ってきた。クルツを抱きかかえたまま。
 待てよ、飲食店に猫はマズいだろう。
「母さん、クルツを連れてくるなよ」
「あら、マスターは良いって言ってくれたわよ。それにね……」母さんの声が小さくなる「……このお店寒いのよ。クルツでも抱いていないと風邪ひきそうなのよ」
 その気持ちはわからないでもないけどさ。
「あのマスター、すいませんけどクルツに猫ランチお願いできますか」
 イマ母サンハ何ヲ言イマシタカ?
 いくらなんでも喫茶店に猫ランチはねぇだろう……冗談だよな。
 でも……。
 去年の冬のことが脳裏を過ぎった───去年の冬、母さんとクルツが同時に風邪をひいたことがある。母さんは近所の病院に……帰ってきた時、なぜだか自分用の薬の他にクルツ用の薬まで持っていた。母さんは病院に頼んで(?)猫用の風邪薬まで調合させていた。薬事法とかに触れるんじゃねぇのかよ。俺の知る常識を過去にも打ち砕いている実績があるから油断はできない。
「クルツはネギやイカ以外でしたら好き嫌いありませんから」
 冗談じゃないんですか。マジなんですか。
「それと猫ランチには牛乳をお願いできますか」

 俺は生まれて初めて喫茶店で猫ランチ(牛乳付き)という物を見た。


 *  *  *


 クルツが返品されてきた。
 別にクルツを売りに出したわけではない。
 親父の知り合いの染谷さんの家でネズミが出て困っていると言うことで、1週間の期限でクルツを貸し出すことに。なのに2日目に返品されてしまった。

 知らない家に連れて行かれて騒いだ───ワケではない。染谷家に着くなり、クーラーの風が一番当たるところに陣取って、さも自分の家であるかのようにくつろいでいたそうだ。
 染谷家で出される物を食べなかった───と言うこともなく、出される物はモリモリと食い尽くしたらしい。
 家具を傷つけてしまった───こともない。
 ただ、何もない中空に向かって唸り声をあげたのを、染谷家の子供が怖がって返品ということになったらしい。


「クルツ、おまえに何が見えたか知らないけど、子供を怖がらせるのは大人げないぞ」
 親父はウイスキーに手を伸ばす。
「俺はおまえのためを思って染谷さんのところに連れて行ったんだぞ。染谷さんの家ならクーラーがあるからな。おまえだって避暑ぐらいしたいだろうと思ってだな……聞いてるのかクルツ」
 日曜のまだ夕方だというのに親父は泥酔していた。そして親父は和室でクルツに向かって説教していた。あぐらをかいた親父の横には空になった缶ビールとウイスキーのボトル。
「俺の面子というものも考えてくれよ。ネズミも獲らないうちに返されてよ、恥ずかしいったらありゃしないぜ」
 クルツは親父の話を聞いているのか聞いていないのか解らないけど、神妙な顔をして親父の前でじっと座っている。
「俺だってな過ぎたことをグタグタ言いたくはないんだぞ……わかってるのか」
 乱暴にクルツの頭をワシワシとなでる。
「なぁう」
「そうか、わかっているのか」
 ───いや、単に嫌がって鳴いただけだって。突っ込んでやりたかったけど、酔っぱらった親父には効果もなさそうだし俺は黙っていた。
「反省したんだな」
 ワシワシとなで続ける。
「なぁななう」
「よし、良い返事だ。反省してるようだな」
 ───だから、嫌がっているって。
「じゃあ、おまえも食え」
 親父は自分の前に置いてあるチーズを皿ごとクルツの方に押し出す。
「いやぁ染谷さんも気を遣ってくれてくれたよな。何もしてないのに御礼だと言ってウイスキーとチーズをくれるんだものなぁ」
 親父はおぼつかない手でチーズをつまみ上げ口に放り込む。
「クルツ、食べてるかぁ? これはおまえの報酬でもあるんだからな」
 親父が言うまでもなく、クルツは皿に顔を押しつけるようにしてもふもふとチーズを食べている。

 何しているんだか……。



 ■13 届かぬ想いに彼等はどう対処したか


「メキシコに行きたいなぁ……」
 親父はタバコの煙と共に独り言を漏らした。
「どうして会社に勤めちゃったんだろう」
 灰皿に押しつけられたタバコからまだ煙が未練たらしく上っている。立ち上る煙は、親父が吐き出した煙を追うようにつぃーと一筋の白線を作り───かき消えた。
「メキシコに行きたいなぁ……」

 また始まったよ。
 親父はメキシコと言うか、中南米に憧れを持っていた。前にどうして中南米が好きなのかを訊ねた時、「学生の頃にチェ・ゲバラの日記を読んで感銘を受けたんだよ」と言っていたけど、「アラモ」とか西部劇映画が好きだから───おおかたガンマンにも憧れているんじゃ。ひょっとしたら情熱的なラテン系のお姉ちゃんに気があるだけかもしれないけど。
 理由は不明ながら、親父は嫌なことがあるとメキシコに行きたがる。でも、メキシコに行って何をするという人生設計は無い。
 親父ぃ、ガキじゃないんだから……世間じゃそれを現実逃避って言うんだぜ。
「はぁ。日本なんて嫌だ。やっぱメキシコだよなぁ」
 親父は大きな溜息をつき、鬱々としたオーラを漂わせながらビールをあおる。
 まだ言ってるよ。まったく土曜日の夕方だというのに黄昏れて。あぁ、鬱陶しい。
 親父は缶ビールを一口飲むと俺を真顔で見て、
「浩之、メキシコに行かないか」
 と、言いやがった。
「はぁ?」
 なに言ってるんですか。
「どうせ受験勉強なんてしていないんだろう。俺と一緒にメキシコ行って一旗揚げようぜ」
「勘弁してくれよ、メキシコに行ってどうやって生活するんだよ」
「色々あるだろう。ワイルドバンチになっても良いし、サカテカス銀山で銀を掘ってもいいし。狭い日本でくすぶっていているより100倍は良いはずだ」
 ワイルドバンチは映画の中の登場人物だろう、それにサカテカス銀山なんてずっと昔に掘り尽くして銀なんて出ねぇよ。だいいち100倍って、何を基準に100倍なんだよ。
「またメキシコってさ……親父、会社で何かあったんだろう?」
 親父はすぐにこたえず、ビールをゆっくり呑んだ後、呟くように言う。
「月曜から埼玉の熊谷市に出張なんだ。あそこ内陸で凄く暑いんだ」
「夏が暑いのは当たり前だろう」
「俺、暑いの苦手だから行きたくねぇんだよ」
 親父は飲み干したビールの缶を握りつぶして、嫌だなぁ出張と小声で愚痴っている。
 あのさぁ、埼玉県の暑さで文句を言うぐらいじゃ、メキシコなんてとうてい無理だろう。
「クルツよぉ、俺の代わりにおまえが出張行ってくれないか」
 鬱った酔っぱらいの親父は、寝ているクルツの尻尾をぶりゅんぶりゅん振り回しながら無理難題をふっかけている。
 こんな大人には成りたくねぇ。

「起きろ浩之。いつまで寝てるんだ!」
 世の中に最悪なことは多いけど、夏休みの最中に親父の声で叩き起こされるというものも嫌なことランキングの上位だと思う。
 時計の針はまだ9時を指したばかり。夏休み中の高校生にとっては真夜中と同じぐらいの時間なのに。
「う゛……おはよう」
「今日は良い天気だぞ。こんな日は人生が楽しくなるよな」
「そおかぁ、俺は最悪の気分だけど」
「なにを言う。あの空を見ろよ、まるでメキシコの青空みたいじゃないか。空を見てるだけでも気持ちが高揚してくるだろう」
 親父はカーテンも掛かっていない俺の部屋の窓を指差してニッと笑う。昨日とは打って変わって親父の機嫌がメチャクチャ良い。でも、親父が機嫌の良い時は何か良からぬことを思いついた証拠だ。俺は17年間の経験で嫌ってほどそれを味わってきている。
「俺を起こしたと言うことは用事があるんだろう。用件は何だよ? 話だけは聞くよ」
 慎重に言葉を選んだ。
「話が早いね。頭の良い息子がいて俺は助かるよ。用件はだな、庭仕事をして欲しいんだ」
「嫌だ!」
「でな、ベランダの前に植物を植えて欲しいんだ」
 俺の即答にもめげず親父は話を続ける。
「暑いからお断りだ! 真夏の日曜日には庭仕事をしないことが俺の信念なんだよ!」
「報酬として5000円支払う用意があるが……」
「やります」
 日銭に困っている俺には5000円は大金だ。信念なんてクソ食らえ!

 俺が親父に命じられたのは家にあるサボテンを鉢ごと庭に埋めるというものだった。簡単に思えるかもしれないが、これが結構やっかいな作業だった。自慢じゃないが俺の家にはサボテンがいっぱいある───中南米に憧れる親父が買ってきたものだ。クジャクサボテン、うちわサボテン、般若、大冠竜、青磁牡丹、金鯱、綾波、鯱頭など20鉢以上ある。大きさもまちまちでピンポン球くらいからバスケットボールぐらいの大きさまで。形状も丸いの、葉っぱ状のもの、柱状とさまざま。そのうえ棘があるから取り扱いが面倒だ。
 太い棘は注意さえしてれば滅多に刺さることはない。けど、問題は短くて綿のような棘がついたサボテンだ。知らないうちに細かい棘が刺さっている。それがチリチリ痛痒くって……ちくしょう。5000円じゃ割に合わねぇよ。賃金値上げ交渉をしようと家に入ると親父の姿はない。いるのは当社比1・5倍に伸びて板の間で寝ているクルツだけ。
「おいクルツ、親父はどこに行ったんだよ?」
 クルツは気怠げに尻尾の先だけをちょっと浮かせて「ぽって」と小さく振る。俺を見ることすらしない。て、てめぇ。御主人様が炎天下の中で額に汗して尊い労働に勤しんでるのに……ペットのてめぇはお昼寝かよ。てめぇも額に汗して働けよ! って、猫の額ってどこだよ?

「浩之、全部植え終わったか?」
 俺が腕に刺さったサボテンの棘を抜いていたら、大きな荷物を抱えた親父が戻ってきた。
「言われた通りに植えたけど、サボテンなんて植えてどうするんだよ?」
「これを見ろ」
 親父は折り畳みのデッキチェアと紙袋を捧げる。
「これはな、御家庭でできる即席メキシコセットだ」
 メキシコセット? 料理の名前か?
「なんだよメキシコセットって?」
「まぁ見てろ」
 親父は鼻歌交じりでベランダから庭に出て行く。
 メキシコセットは気になるけど、全身汗と土埃と棘だらけの身体をなんとかしなきゃ。俺はシャワーを優先させた。

「おっ、ちょうどいいところに来たな。メキシコセットが完成したぞ」
 親父は風呂場から出てきた俺を引っぱるようにしてベランダに行く。
 ベランダの向こうには異空間が───親父の言うところのメキシコセットが───広がっていた。
 サボテン。デッキチェアと木製テーブル。テーブルの上にはメキシコのコロナビールとテキーラ、ライムと塩、葉巻、トルティーアが並べられている。なぜだかデッキチェアの背には親父がクレー射撃で使うガンベルトまで掛けられている。
「いいだろう。日本にいながらメキシコ気分が味わえる優れものだぜ。残念なのはソンブレロがないことだな。探したんだけど売ってなくてなぁ。ま、いつか手に入れるさ」
 と、親父は悦に入っている。でも、サボテンの背後にはモミジが植わってるし、さらにその奥には桜と梅の純和風な風景。アンバランスというか、陳腐というか、安っぽいテーマパークのような侘びしさがあるんですけど。
「さて、太陽もガンガンと輝いていることだし、メキシコを堪能しようかな。どうだ、浩之も付き合うか?」
「冗談じゃない。俺はご免被るね」
「風情のないヤツだな。まぁいいや、クルツは付き合ってくれるよな」
 親父はクルツを抱きかかえて和製メキシコへと行ってしまった。

「浩之、浩之」
 俺が部屋で人生勉強としてゲームをしていたら───将来ゲーム会社に勤める可能性だってあるから、それに備えての勉強さ───階下から親父の声がする。
「ん、なに?」
 真っ赤な顔をした親父がげんなりとした感じでソファーに座り込んでいる。
「悪いけどベランダを片づけておいてくれ」
「自分でやれよ」
「いや、陽に当たりすぎて具合悪くて……頼むよ」
 親父の声には力がない。弱々しくポカリスエットのペットボトルを掴み上げ、流し込むように一気に飲み干す。
 そりゃそうだろう。炎天下で酒を呑んでりゃ脱水症状を起こすって。
 しょうがねぇなぁ……。
 空になったコロナビールの瓶と、飲みかけのテキーラ、まだくすぶっている葉巻に絞り終えたライムの残骸。
 おっ、この退廃的な感じはメキシコらしい雰囲気じゃん。
 テーブルの上ではトルティーアをつまみ食いしたらしいクルツが、鼻の上にシワを寄せ不満げに尻尾を振っている。
 香辛料がキツイ食い物にも関わらずチャレンジするクルツ。
 ひょっとしたら親父よりも、クルツの方がメキシコに憧れているのかなぁ……。


 *  *  *


 親父は猫が好きだと思う。ただし、その好意がクルツに伝わっているかというと大いに疑問だ。そう、世の中にはその好意ゆえに猫の天敵になる人がいるんだ。


「ああ酔った……そろそろ寝るかな」
 親父はグラスに残った水割りを飲み干すと、ろれつの回らない不明瞭な発音で独りごちる。
 時間はまだ夜の10時前───親父はもう出来上がっていた。
 ソファーから立ち上がろうとして、よろめいて座り込むこと2回。やっとのことで立ち上がっても前後左右にとフラフラしている。
「今日は飲み過ぎたなぁ……」
 ふらついていることに自覚があるのか、親父は弁明じみた言い方をして歯を磨きに行く。
 泥酔するまで呑むのは、いつものことじゃん。
 親父が酔っぱらって10時前に寝るのはほぼ毎日のこと。俺や母さんにとっては夜10時以降は母子家庭みたいなものだ。
「じゃあ準備しなきゃね。浩之は灰皿とタバコをお願い。私は辞書と新聞を用意しておくから」
 毎度のことながら面倒くさい。けれど用意しておかないと千鳥足でタバコやライターを捜し、家中をフラフラしながら彷徨ってじゃまくさい。
「しゃあねぇなぁ……」
 大きめのガラスの灰皿、そしてマイルドセブンとライターを親父の布団の枕元に置いた。母さんも英和中辞典を置く。そして畳んだ英字新聞2紙をテーブルの目立つ場所に並べたところで親父が洗面所から戻ってきた。
 親父はノロノロとパジャマの胸ポケットを叩きキョロキョロと見回す。
「浩之……おまえ、俺のタバコを知らないか?」
「タバコなら枕元にあるよ」
 俺は襖が開けっ放しになっている寝室を指差す。
「タバコも灰皿もある……酔っていてもちゃんと準備するなんて、さすがは俺だな」
 親父は満足げに頷く。
 違うだろう! なに勝手に都合良く納得しているんだよ。これだから酔っぱらいは……もういいから早く寝てくれ。
「おっ新聞もあるな」
 親父は新聞を握りしめ、
「それじゃクルツ寝るぞ……」
 乱暴にクルツを抱き上げる。

 親父には寝るための儀式が二つある。

 儀式の一つ目は───寝る前に布団の中で英字新聞を読むこと。
 素面の親父なら日本語で書かれた新聞のように英字新聞をすらすら読むが、いまは酔っぱらっているからちゃんと読めているかは解らない。ただ毎日、タバコを2本吸い終わるまでは英字新聞を読み、タバコを吸い終わるとスイッチが切れたように寝てしまう。
 儀式の二つ目は───布団に連れ込んだクルツに英字新聞を読んでやることだ。
 親父はクルツに異文化を教えようとしているのかもしれないけど、クルツにすればいい迷惑だと思う。無理矢理布団に押し込められ、酔っぱらった親父の酒臭い息とタバコの煙を吹きかけられながら英語を聞かされる。動物愛護団体が見たら虐待だと親父を訴えるかもしれない。
 最初の頃はクルツも酒臭さとタバコの煙を嫌がって、逃げ出そうとジタバタしていた。けれどそれは逆効果だった。ジタバタすればするほどクルツを抱きしめる親父の腕に力が入り、「にゃぎゃぁぁ」と鳴こうが放してはもらえない。おまけに鳴けば親父に「そうか、そうか。おまえもこのニュースに興味があるのか、おまえは見どころがあるぞ」などと誤解され頬ずりされる。
 英字新聞をとりはじめてからずっと続いている儀式だ───別名、クルツの苦行とも言う。
 でも、猫といえども学習能力はある。タバコ2本分の時間を我慢すれば親父は眠ってしまう。それに気づいたのは親父と寝始めて1週間ぐらいした時だろう。それ以来クルツは逆らうこともなく、親父に抱かれたままじっとしている───まるで世の中には自分の力ではどうにもならない事がある、それに逆らうことは無駄だ───と悟ったように無表情で。

 今日もクルツは親父の布団の中から顔だけ出してじっとしている。運命を受け入れ、苦行も足掻きも彼岸に置いてきたような悟りきった表情をして、時が満ちるのをただ待っている。

 悟りきった猫の表情を見たことがありますか?


 第13話終わり。「OUR HOUSE」は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。
2005/08/02(Tue)00:45:30 公開 / 甘木
■この作品の著作権は甘木さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 相も変わらず脳天気な家族の些細な日々の記録。サスペンスも感動もありませんが、クルツに翻弄される哀れな人間が描かれています……毎回自分の思い出を切り売りして、このシリーズが終わった時には私の私の恥ずかしい思い出は全て白日の下に……いいのかなぁ。
 先に謝っておきます。本当は母さんが歌っていたのは「マジンガーZ」の歌ではなく「ミンキーモモ」でした(実は聞いた時には何の歌か分かりませんでした。大学に入ってから、アニメオタクの先輩の所でミンキーモモを初めて見て、何の歌か分かりました)。でも母さんの替え歌の歌詞をほとんど覚えていなかったので、似たような時代のアニメの歌にしてみました。私のアニメ好きは母さんからの遺伝です。
 前回のメッセージで次は新規投稿すると書きましたが、クルツ曜日(潜る日1と2)を分けて掲載しても仕方ないので付け足しました。次回は新規投稿になると思います。で、投稿はまた一週間後になります。
 御指摘があり、一部修正しました。

 こんな馬鹿話しを読んでいただける奇特な方には感謝の言葉がありません。もし御意見や御感想・罵詈雑言などをいただけたら本当に嬉しいです。

 バビル2世の替え歌を思い出したので、なんとなく書いておきます(本歌は各自でお調べ下さい)

コンピューターに囲まれた ホワイトハウスに住んでいる
キリスト教右派の老人 ジョージ・ブッシュ
米国利権を守るため 三つの僕に命令だ
怪鳥B−2 空を飛べ
オハイオ級(クラス)は 海を行け
M1エイブラム 地を駆けろ
今回の題名の元はクラシックのエリック・サティの「犬のためのぶよぶよした前奏曲」からとっています。本来「犬のための〜」は四つの曲から構成されていますが、ぶよぶよしたネタが四つもなくって……二つのネタが限界でした。

 献血に行ってきました。採血が終わった時、「絆創膏は貼らないで下さい」と伝えたんです。実は、前回献血したとき脱脂綿を固定するために貼った絆創膏でかぶれてしまったので。ま、脱脂綿を5分も押さえていれば血は止まるから絆創膏を貼らなくてもいいです、のつもりで言ったのですが……なぜだか、包帯で腕をグルグル巻きにされてしまった。これは何かの嫌がらせですかねぇ?

 今日、渋谷でピンクハウス系の服を着た女の子やミニスカートの女の子を見てふと疑問が。世間一般では髪の毛を縛る際のリボンやミニスカートという物は何歳まで許される物なんでしょうね?

 このような駄文で皆様のお目汚しをしてしまい失礼いたしました。
 もしこのような駄文を読んでいただけたら、いまの私には泣きたいぐらい嬉しいことです。本気で……。御意見や御感想をいただけたら感謝に堪えません。
突然ですが「OUR HOUSE」は今回が最終回です。ちょうど1クール(13話)ですしね。甘木にとっては初の連載。長かったような短かったような4ヶ月間。皆様からの感想をいただけ色々勉強させていただきました。読んで下さった皆様、またわざわざ感想を下さった皆様、本当にありがとうございました。ありきたりな感想ですが、連載して本当に良かったと思っています。

 話変わって、マンガを読んでいてふと思ったことなんですが……なんだか気になって日曜日からずっと考えていることがあります(考えるだけで調べることはしていませんが)。下らないことですが、女性物のパンツとかに付いているリボン状の装飾は何の意味があるんでしょう? マンガのパンチラシーンを見てからずっと考えていました。私なりに答えらしき物を思いついたのですが───@ゴムがなかった時代、下着を締める紐(たぶん蝶結びしていたと思うのですが)を装飾化したA古代ローマではリボンは純血を表す(男女とも)印だった。だから下着を身につける女性の純血を表すため装飾化したBリボン=蝶結び。結ぶとは生身を拘束する行為で、身体を神に支配されているという証を装飾化した───どうでしょう?
 こんなことをずっと考えている私は、変態を通り越して単なる馬鹿ですね。

 最終回のくせに最終回らしくない? そうですね。OUR HOUSEの題名の由来(実は題名にはちゃんと理由があるんですよ)も明かしていませんし───と言うことで、次回からは「OUR HOUSE Z(ゼータ)」が始まります。と言っても内容は相変わらず温い日常を描くだけで全然変わりませんけど。「Z」が終われば「ZZ(ダブルゼータ)」そして「V(ビクトリー」「G」「W(ウイング)」「X」「SEED」「SEED DESTINY」と続く予定です……本当に書けるのか。
 取り敢えず少しお休みをいただいて(その間に読み切りを書くつもりですが)、今月下旬ぐらいから「OUR HOUSE Z」を始めるつもりです。その時、皆様に御時間がありましたら読んでいただけると本当に嬉しいです。

 このような駄文ですが読んでいただければ幸いです。もしよろしければ御感想・御意見・罵詈雑言などもいただければ、これに勝る喜びはございません。
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