- 『トリガー 4』 作者:ずんや / 未分類 未分類
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蒼い月光降り注ぐスラム。月光が夜の闇を弱め、影が見えるほど街を蒼く照らし出す。そんなスラムの奥の奥。廃墟の深淵ともいえる場所に佇む巨大な廃工場。周辺に人の気配は皆無。ただ町から届く騒音が微かに響くだけだ。
廃墟は言わば屍骸だ。本来の意味を失い、打ち捨てられた建造物は放置された死体も同然だ。町の繁栄から取り残された工場は解体もされずにその屍骸をこの旧工業地区の奥に晒している。そんな廃工場の更に奥、そこに白い少女が一人。月光が俯いた顔に架かる銀の髪を蒼く輝かせている。その周りには影が纏わり付いていて、少女を観察しているように見えた。
「待っていろ―――」
廃工場に向かう一人の男。二十代近いだろうか、まだ若い。纏めた銀の髪を揺らし、かなりのスピードで疾走している。黒尽くめのその男はまるで疾風のように入り組んだスラムを走破していく。怒りと焦燥を胸に抱えて―――
「トリガー」 四 、 終焉
ただ、駆ける。駆ける。駆ける。駆ける。―――疾走。目指すはスラムの最深、七番街、廃工場。
「間に合ってくれ!」
今、可能な最大速度で、最短のルートで駆ける。目まぐるしく変わる景色。しかし、そんな事は心底どうでもいい。ただ廃工場を目指し疾走する。時間が過ぎる度、廃工場に近づく度に焦燥が大きくなる。それに比例して不安も大きくなった。俺の目には少女と殺戮鬼しか捉えていない。募る不安は焦燥と供に俺を縛る。急ぎ走った。
工場の前に着いた時、俺は息も絶え絶えだった。少しだけ間を置き、息を整える。周囲を確認し、工場の出入り口を見る。南京錠と鎖で厳重に封鎖されている。酷く錆び、劣化している。これなら蹴破って入れる。程なく扉を蹴破った。静寂に包まれていた夜の廃工場に扉の破壊音が木霊する。しかし、それっきり。再び工場は静寂に包まれる。
「……どこだ、どこにいる」
俺は慎重に工場内を探索し始めた。中はかなり入り組んでいて、錆びついた配管や鉄骨、ケーブルが剥きだしになっていて狭い。両手に大口径の拳銃を持ち、義眼の暗視装置をONにした。輝く月光が届かない室内はまったくの暗闇。黒に塗り潰した様な暗さだ。自分の腕さえ暗視装置無しでは視認する事もままならない。
「これじゃ、自分のマズルフラッシュで暗視装置が焼付くとも限らないな」
うなったら命取りになる。暗視装置の設定を一定の光量でOFFになるよう設定する。機を取り直し、銃のグリップを握り締める。俺は探索を続けた。
この工場は増築に増築を重ねた為に巨大な工場に発展した。そのため、当時工事に携わった者でさえ詳しい見取りが分からない迷宮の様な造りをしている。そこから少女一人を探し出すのは困難だ。
「いや、探さなくても向こうから何か仕掛けてくるか」
確実に、だ。向こうは俺を仕留めるつもりだろう。障害は排除する。どんな生物もする事だ。生きる為に、それぞれの方法で。それは人間も例外ではない。人間は人間なりにその頭脳を駆使し様々な障害を排除してきた。奴もそれをしてきた。自分の姿を見たものを障害と認識し、排除している。奴にとって俺は未知の障害になったのだろう。それは命を狙われるという事。いつも狙う側だったそいつは初めての体験に動揺しているに違いない。慣れているのならば、こんな非効率な手を打ってくるはずがないからだ。
「次は貴様が狙われる側だ」
俺の独白は果たして奴の耳に届いたのだろうか。慎重に探索を続ける。
一階を探索し終わり、次に二階を目指した。錆びた鉄骨で組まれた階段は老朽化が進み、やけに軋む。その軋む音が少女の悲鳴のように聞こえ、不安を更に強くする。
「中々仕掛けてこないな」
これは予想外だった。入り組んだ場所で必ず仕掛けてくると思っていたのだが、一階ではそれは無かったのだ。二階は一階と比べてもかなり見通しが良い。月明かりも射し暗視装置無しでも視界は利く。ここでは俺の戦闘スタイルの方が有利になる。おかしい。何かおかしい。俺の不安は更に強いものになっていった。
倉庫だろうか、俺はそこに入った。一気に扉を蹴り開け、中に転がり込む。銃を構え、周囲を確認するはずだった―――。俺は周囲の確認をしなかった。視線を一点に集中する。その先に居たのは少女。月明かりに照らされ銀の髪を輝かせながら縛られ、俯いている。
「フィオナ!」
俺は駆け寄る。鎖に繋がれ拘束された彼女は、俺がそれを解くなり抱き付いてきた。俺の胸の中で嗚咽を漏らす少女。俺は少女の頭をそっと撫で、微笑む。
「もう大丈夫だ、言っただろ? 君を死なせはしない、俺が守ると」
少女は俺の顔を上目遣いで見上げている。その頬には涙。よほど怖かったのだろう。少女はまだ泣いている。
俺は少女を見つけ、保護した。しかし、やはりおかしい。何故、仕掛けてこないのだ?
「やぁ、銀弾。 待っていたよ」
俺の後ろで声がした。俺が知る中で最も嫌悪を感じる声。しわがれた猫撫で声。銃を持ち、振り返り様に二発、撃った。大口径の銃は大きな銃声を轟かす。薬莢が二つ埃の溜まった床に転がった。しかし、着弾点に人影は無い。
「挨拶にしては物騒だね」
更に声は後ろから聞こえた。振り返り直す。少女を力強く抱きしめ、俺は身構える。そして、見つけた声の正体。
廃刊の剥き出しになった、まるでジャングルの様な天井に張り付くそれは、まるで蜘蛛のように長い四肢を巧みに使い天上を張っていた。紅く輝く双眸を俺達に向けている。紅く輝く瞳はサーマルアイだろうか。しかし、義眼には違いないだろう。獲物の周りを徘徊する肉食獣の様に天井から俺達の周りを這いずり回る。
「殺戮鬼―――」
俺の憤怒の声にそれはケタケタと笑って答えた。歳の割りに幼い口調で。
「如何にも。 僕がこの街で“最強”のヒットマン、殺戮鬼さ。 お会いできて光栄だよ、面と向かって挨拶するのは久々だねぇ。 銀弾、いやこの街で“最も優秀”なヒットマン―――、」
殺戮鬼は笑い、更に続ける。
「―――リオン・フォールマン」
俺は再び照準を殺戮鬼に向けた。引き鉄を引く。それと同時に殺戮鬼は横に素早くジャンプ。空中を無防備に跳ぶ。俺はそれを予想していた。もう一丁の拳銃を素早く構え、引き鉄を引く。銃撃に身を強張らせる少女。
「いい腕だね、でも、もう少しかな」
殺戮鬼は又しても銃撃を回避して見せた。俺のセカンドショットを回避したのは奴が初めてになった。それだけ確実に仕留められていた攻撃が易とも簡単に避けられた。殺戮鬼は引き鉄を引くタイミングを見計らって右手の鋼の爪を配管に突き刺し跳躍の軌道を無理やり変え、銃撃を容易く回避して見せたのだ。
「怒っちゃ体に毒だよ?」
嘲るように俺の銃撃を巧みにかわしていく。その動きはまるで変則的で捉えようが無い。
「本名をどうやって調べた?」
俺は銃撃の手を休め奴の誘いに乗る事にした。このまま銃撃を続けても埒があかない。俺は怒りを出来るだけ抑え、冷静を装って訊く。その間に何とか少女を逃がす策と殺戮鬼の打倒策を考えなければならない。
「どうやっても何も、覚えているんだよ僕は。 十一年前の雨の夜をね、そしてこの前の君の質問。 それでピンと来たんだよ、取り逃がした少年は実は君なんじゃないかなってね」
「鋭いな、それで俺をどうする?」
「しばらく喋ろう、最近人恋しいんだ。 久しく人と喋っていない」
天井に張り付いていた殺戮鬼は床の上に落ちてきた。そして俺と面と向かい語り始める。2メートル近い体を丸め、犬のようにしゃがみ銃撃にいつでも対応できるようにしているらしい。俺も立ち上がり少女を隠すような位置に立つ。少女は振るえ、確りと俺の衣服を掴んでいる。
「人の姿をした狂獣が何をほざく」
「まぁ、罵倒されるのは小さい頃から慣れてるよ」
緊張は続く。いくら、話そうといっても命を狙うもの同士。一瞬の油断が死を招く。
「正直、ビックリしたよ。 その子、フィオナって言ったかな? 君の妹さんソックリじゃないか? 僕はその所為でその子を逃がしてしまったんだ。 死んだはずの子が何でここに、ってね」
少女はそれを聞きに俺の顔を覗いた。少女の視線を感じる。それは、本当? というような顔をしているのだろう。しかし、少女を見てはいられない。殺戮鬼が見ているのだから。
「何故、お前は殺す?」
苦し紛れの問い掛け。
「じゃあ、君は何故殺すの?」
殺戮鬼はそのままその質問を返した。しかし俺の答えは言うまでも無い。
「復讐の為だ」
「なんかチョット嬉しいよ。 僕の為に人を殺すなんて」
クスリと笑い、俺を見る。気色悪い顔が笑うと更に気色悪くなった。
「黙れ」
銃口を突きつけ黙らせようとする。が、そんな物はアイツのとって豆鉄砲も同じ様なものなのだろうか、平然としていた。
「僕は物心ついた時にはスラムでゴミを漁っていた。 泥水を啜り、捨てられた汚物を口にし、必死で生きてきた。 その頃だった、初めて人を殺したのは」
殺戮鬼はその話題に乗ったらしく自分の過去をポツリポツリと語り始めた。月光が殺戮鬼を蒼く照らし出す。三四十代近いだろうか、その顔には悲しみが宿っている。
「生き残るためにね、殺されそうになったからこっちが先に殺したんだ。 先手必勝ってヤツだよ、それ以来殺した奴の仲間から報復だの、復讐だのでかなり危ない目をしたね。 でも、やっぱり皆殺しちゃった、僕の命を狙うような奴らは皆、ね。 でもその内、気が付けば殺しが楽しくて楽しくて仕方なくなっていた。 可笑しいよね、手段がいつの間にか目的に変わっていたんだから」
自嘲気味に笑う殺戮鬼。その表情はやはり悲哀に満ちている。
「それ以来、発作的に人を殺したいっていう衝動が頻繁に襲うようになったんだよ。 最初の頃は自分が怖かったんだ。でも、それも快感に変わっていったんだよ。 楽しかったなぁ、肉を裂き、骨を砕いて、臓物を口にして、血を浴び、悲鳴を聴く。 至福だったよ―――」
恍惚、さっきの表情とは一変する。俺はそれを語る殺戮鬼のその表情を見て確かに確信した。―――異常だ、狂っている、と。
「特に発作が酷くなるのは幸せそうな家族を見た時かな? きっと嫉妬しているんだね僕」
「それで俺やこの子を……狂ってやがる」
銃を持つ手に自然と力が入る。
「そういう事になるね、どうするのこの後? やっぱり僕は僕の姿を見たものを生かして置く気にはなれない」
「俺も仇をみすみす生かして置く気は無い」
殺戮鬼はそれを聞くと一気に後ろに跳躍し、天井に張り付いた。
「じゃあ、精々楽しもうよ。 命のやり取りをさ。 最近ご無沙汰でね、僕並みの実力を持った者がもう居ないから、この街には、」
「俺が居る」
「だから殺し合うんだよ。 楽しませてよ、失望させないでおくれ?」
「期待に答えてやる、覚悟しろ」
下がっていろ、と少女に告げ、俺は二丁の大口径拳銃のマガジンを交換する。そして構える。
「さぁ、始めよう―――」
どちらとも無く告げられたその声が静寂を破る。
スラムの奥地、巨大な廃工場に銃声が木霊する。工場内では閃光が発光地点を絶え間無く変え移動している。二つの影が激しく争っている。接近しては離れ、離れては接近し、交差しその争いのリズムを早めていく。
回避と反撃で手一杯だ、攻勢に回れねぇ。俺は内心毒づいていた。分かってはいたが奴は強い。戦闘していて分かった奴の義肢スペックはかなり高い。だが、高いだけでバランスがかなり悪いのだ。それを苦も無く、本当の手足のように使うあたり奴はやはりかなりできる。手足の義肢に強化された生身の体。俺と同じだが、奴は故意に自分の手足を義肢化している。まともじゃない。
「あまり撃ちすぎると後が続かないよ?」
そんな俺の苦心を余所に責め続けてくる殺戮鬼。義肢化した両手足を巧みに使い、上下左右から変幻自在に攻撃を繰り出してくる。直線的な攻撃ではなく、フェイントを入れ混ぜながら攻撃してくる。入り組んだ造りの工場内では奴の方が圧倒的有利だ。遠距離戦に不向きなこの場所で争うには分が悪い。いくら接近戦向けの拳銃を使っても向こうは白兵戦のプロだ。一筋縄にはいかない。
殺戮鬼の攻撃の勢いが激しくなる。
「―――なっ!?」
仕掛けたのは殺戮鬼の方だった。俺の一瞬の隙を突き、鋭い爪を俺の顔目掛け突き出す。その速度は凄まじい。避けるので精一杯だった。苦し紛れ、俺は不安定な体勢から放った前蹴りで奴との距離を離そうと図る、が―――
「甘い」
冷静な殺戮鬼の声。奴の顔に伸びた俺の足は届く事が無く、宙で止まる。足を掴まれたのだ。足を掴んだ手に力が入る。
「ふざけんな、これでも食らえ!」
俺はすかさず奴に銃口を向ける。しかし、引き鉄を引く事は叶わなかった。俺の体が宙に浮き、浮いたと思ったら一気に加速。壁に叩きつけられる。そこの配管は見事に曲がり、拉げている。そして、もう一度。さっきよりも激しく衝撃が襲う。一瞬飛びかける意識、それを気力で繋ぎ止める。最後に床に叩きつけられる。そして、足から手が離れる感覚。それと同時に宙を舞う感覚。投げ飛ばされた。廃材の山に背中から突っ込んだ。
「甘いよ、白兵戦に関してはそこいらのプロと同程度か……、やっぱり銀弾て呼ばれるんだもの銃撃戦の方が得意なんだよねぇ」
廃材が崩れる音で奴の声は擦れ、ただでさえ、さっきの攻撃で霞む視界は立ち込める埃で姿は更にぼやける。
「本当にこの街で実力No.2の殺し屋かい?」
奴の嘲笑がはっきり聞こえた。俺はそれに答える。
「―――ば〜か、吠え面かきやがれ糞野郎……」
次の瞬間、衝撃が空を走る。続いて爆風と爆音が俺の体を襲った。飛んでくる瓦礫と殺戮鬼の体。更に埃が立ち込める。やがて訪れる静寂。
瓦礫の中から起き上がる。それで咽た。咳をすると口の中に血の味が広がる。口元から伝った血を拭う。
「いってぇ……畜生、肋が逝っちまったか」
脇を抑える。激痛が走った。いい所ひびが入ったってところか。周囲を見てやるとうつ伏せに倒れた殺戮鬼。ぴクリともしない。
「殺ったか?」
その声に反応したのかゆっくりと起き上がる殺戮鬼。背中には無数の瓦礫や鉄の破片が刺さり、異たる所から血が出ている。
「……痛い、痛いよ。 久々、味わった痛みだ。 あぁ、懐かしい」
マゾヒストの様に痛みを感じ恍惚としている殺戮鬼。
「Sの上にMか、気色悪い」
血の混じった唾を吐き言う。しかしこちらも堪えた。備えていた手榴弾を気取られぬよう背後に落とし、後は不本意だが奴に身を任せた。案の定、奴は直接止めを指すことなく、俺を放した。そして、奴の背後で手榴弾が炸裂し今に至るのだ。
「君も考えたね、そのお陰でどうだい? 見なよ、左手が逝っちゃったじゃないか」
それでも楽しそうに語る殺戮鬼。ぎこちなく動く左手を指して笑っている。やはり狂っている。しかし―――
「この代償、君一人じゃ足りないよ……。 先ずは君を片付けてからあの子にはとっても素敵な死を味わわせてあげよう」
微かに震え、声に混じる怒気。本性を現したか。
「はっ、させるかよ、そんな事。 俺は死なないし彼女も死なない。 死ぬのは―――」
最後、言い切る内に奴が飛び込んできた。その動きはさっきよりも獰猛だ。直線的でいかにも感情的。だが断然速い。
「死ぬのは君だよ!!」
目には見た事の無い狂気が宿り、限界まで見開かれている。健在の右手で俺の頭を掴み、思い切り押し付け握る。しかし、俺はそれを蹴り、距離を置く。やはりさっきの冷静さはない。脇の痛みを堪え、銃を構えた。
再び始まる激戦。それはさっきより熾烈だが拮抗したものになる。二階にまで響く銃声、それを聞き少女は怯えている。
果たしてあの人は、銀弾と呼ばれ、リオンと呼ばれたあの人は果たして無事だろうか? 怯えながら見詰める扉、果たして現れるのはどちらなのか。少女には分からない。ただ怯えて待つばかりだった。
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね! 死ね! 死ねっ! 死ねぇっ!」
更に勢いを増す攻撃。激しい突きに気圧される。右手だけのはずがさっきよりも勢いがある。だがその分隙も出来る。右手顔を狙う。同時に気取られぬよう左足を狙って。完璧にタイミングを合わせ、同時に引き鉄を引き絞る。二つの衝撃。それが脇に響き、痛い。
絶叫が木霊した。のた打ち回る殺戮鬼。その様子は醜悪。再び照準を合わせる。慎重に、確実に。
「がああぁぁああぁぁぁぁああ! やらせるかぁぁ!」
壊れた左手をがむしゃらに振り回し、それが俺に当たる。吹き飛ばされる体。流石に腐っても鯛、高性能な義手。パワーでごり押しがきく。再び埃で遮られる視界。その埃の中に向かい俺は発砲する。がむしゃらに発砲する。
「やったか?」
静かだ。埃が晴れるのを待つ。
「なっ!?」
しかしそこには誰も居ない。殺戮鬼の姿は無い。血痕が続いている、上えと。
「――――っ!」
痛む体に鞭打ち走る。しかし、殺戮鬼の姿は見えない。足を負傷しているのにその機動力は衰えを知らないようだ。それは二階へと続く。そして、少女、フィオナの居る部屋の前に。その血痕は続いていた。
「フィオナッ!」
部屋に飛び入るとそこには殺戮鬼の姿。少女の首元に鋭い爪を当て、佇む。殺戮鬼は肩で息をしていた。息遣いが荒れている。少女は気を失っているのか俯いている。
「外道が……」
「僕に人じゃないって言ったのは君じゃないか? 外道なんて言葉、見当違いだよ」
ケタケタと笑う殺戮鬼。怒りと焦るが募る。
「その子を、フィオナを放せ」
「君馬鹿? 放す訳無いだろ、放す時はそれ相応の代価が支払われた時か、人質が―――死んだ時だ」
「このっ!」
銃口を向ける。喉に突き付けられた鋼の刃が皮膚を小さく薄く破る。白い肌に映える紅い血が滲む。
「分かるよね? この状況、良くあるじゃない。 捨てなよ、その銃」
「それは出来ない……」
「じゃぁ―――」
更にその腕に力を入れる。蘇る記憶。―――フラッシュバック。腕の中で冷たくなった妹、リナ。彼女は最後こそ微笑んでいたが、苦痛に顔を歪ませていた。血の混じった紅い涙を流しながら。今まで味わった苦痛。その全てが蘇る。
「――して」
声が聞こえる。それで現実に引き戻される。
「―ろして」
澄んだ美しい声。それは妹の声に似ていて、妹の物じゃない。
「殺して」
少女が口にした。
「君は何言ってるのんだ!?」
殺戮鬼は面喰っている。少女が発した言葉に。それを尻目に顔を上げ、少女は続ける。
「殺して」
少女は小さな唇で言葉を紡ぐ、それは俺と出会って初めて。
「殺して」
細い首から絞るように、凶器を向けられ震えを抑えながら。
「殺して」
涙を流す瞳を俺に向け、決意を秘めた小さな双眸を潤ませ。
「殺して」
そう少女は呟いた、小さく、しかしはっきりと。
「殺して――」
と、
俺は逡巡した。それは君を? それは奴を? それは自分を犠牲にして? 銃を持つ手が震える。殺戮鬼は自分の急所を全て少女で隠す。首に爪を当てたまま。そして少女は最後に言った。
「私は死んでもいいから―――殺して」
俺は少女の決意を知った。俺も決意する。俺と少女の悪夢に終焉を与えるために、
――――俺は、それに答えるべく引き鉄を引いた。
銃声が響き渡る。静寂に包まれる廃工場に。鮮血が灰色のコンクリートを紅く染める。のた打ち回る殺戮鬼。一撃で仕留め切れなかった。その傍に横たわる少女。起き上がった殺戮鬼。下腹部から血が大量に滲んでいる。怪鳥の様な奇声を上げて当たり次第に物を斬りつけて行く。その矛先は少女にも向く。俺は少女を庇いその上に四つん這いで覆い被さった。
「ぁあああああぁあぁぁぁぁぁあああぁぁぁ!!」
鋼鉄の爪が背中に当たる。背に沈み込む刃。熱さにも似た痛みと、不快な異物感。生暖かい血の感触が背中を伝う。
少女が閉ざしていた瞳を開ける。見上げる俺の顔。俺は微笑んで答えた。
「大丈夫だ、俺が君を守る。 言っただろう、なっ?」
少女は泣く。声を上げずに、今までに無い激しさで。俺は立ち上がる。少女を守るため、決着をつける為に。
「もう、終わらせよう……」
背中の傷が燃える様に痛む。出血も酷い。あまり長くは続けられないだろう。それは向こうも同じらしい。
「跳弾の味は如何かな」
俺は苦痛に顔を曇らせながらさっきのトリックを教えてやった。要は簡単。
「結構な賭けだった。 当たるかさえも分からない、しかし、当たった。 あの子に感謝しないとな、あの子のお陰でお前が縮こまってあの子に当たり難くなったから」
あまり長くは続けられない。奴は我を忘れているようだ。白目を剥き、涎を流し、荒い息遣いでこちらに飛び掛ろうとしている。
「これで終わりだ」
引き鉄を引く。衝撃、閃光、銃声。大口径の弾丸は、その衝撃で肉を穿ち、骨を砕く。強化骨格を砕く強化弾は殺戮鬼へと吸い込まれていった。衝撃で仰け反る殺戮鬼。しかし、次の瞬間には俺の懐へと飛び込んでいた、その銃弾を浴びながら。
「死ぬものかぁぁああぁっ!!」
殺戮鬼の決死の一撃。俺の腹部に深くその5本の爪が抉るように突き刺さる。吐血。殺戮鬼はそれで事切れた。俺も殺戮鬼と供に倒れた。
―――この街から復讐と殺戮、二つの狂気を纏った二つの獣が姿を消した瞬間だった。
落ちているとも浮いているともつかない奇妙な感覚。辺りは暗く、眩しいほど白い。ここはどこだ? ―――分からない。
何も無い。ただ俺の存在があるだけ。ここがあの世か? 死ぬのはこんな気分なのか? リナも味わったのだろうか。俺はお前の元へ逝く。もう、何の未練も無い。復讐も果たした。少女も守りきった。残したものは何も無い。あちらにはもう皆無。思い出だけだ。辛く悲しい苦しい思い出だけ。もう疲れた―――
「――――」
声が聞こえる。
「――――」
何を言ってるか、全く聞き取れない。
「――――」
俺を呼んでいるのか?重い瞼を開ける。それだけでも大仕事だった。ぼやけてハッキリしない視界に入ったのは青白く光る月、と銀色の少女。俺に縋りつき揺さぶっている。その周りに更に二人ほど。小太りと小柄な男が二人。小柄な方は白い服を着ていて、小柄な男は少女を俺から引き離そうとしている。
「嫌、嫌、嫌!」
必死で縋りつき泣く少女。俺は宥める為に声を出す。しかし擦れて中々声にならない。やっとの思いで声が出た。
「……フィ…オ…ナ、泣く…な、大丈…夫だか……ら、…な?」
「馬鹿者、こんな状態で声を上げるな!」
白い服を着た小柄な、闇医者か、それに怒られてしまった。
「この子をどうする! 拾ってきたんだ、最後まで面倒見んか!」
じゃあ、この小太りの包帯したのは店主か。
「クリフ……、後…を頼…む……」
「この大馬鹿野郎! 最後まで面倒見ろリオン! 男だろ」
「男だろうがなんだろうが何でもいい! 静かにしてろ馬鹿供! ほら、お嬢ちゃん、下がって!」
皆、必死だな。でも俺は持つまい。長い間世話になったな、この店主に医者には。フィオナ、短い間だったが君と一緒に居られて本当に幸せだった。ありがとう。俺は―――もう、逝くよ。
そうして俺は意識を手放した。
あれから、あの日からもう三年が経つ。あの悪夢から、もう三年。私はバーの店長のクリフおじさんの下でお世話になっている。昼間はバーに代わり喫茶店のウエイトレスとして。スラムの先生も時々顔を出してくれる。いつも元気そうで何より。
あの日以来、何事も無く平穏な日々が続いている。しかし、銀弾と呼ばれた、殺し屋はもう居ない。三年前のあの日以来。今でも思い出す事が出来る、とても鮮明に。最近では喫茶店を開いたお陰でお客さんの入りが良くなった。昔、あの人に紹介してもらった人達も元気で足を運んでくれる。今ではもうすっかり繁華街の人達とも知り合いだ。出歩く度に声を掛けてくれる。それもあの人のお陰。
忙しい店内。休みになると客足はいつもの倍だ。注文の品を作ろうとカウンター内に入り、冷蔵庫を確認すると中にその材料が無い。困った。
「クリフおじさーん、買出し頼めます?」
奥からのっそり現れた店長のクリフおじさん。憂鬱そうにして、カウンターを指さす。
「そんなもんあいつに任せりゃ、いいじゃないか。 仮にもこの喫茶店のマスターなんだからさ」
「そんな暇無いから暇を持て余しているおじさんに頼んだんじゃないですか!」
そう言い必要な物の書かれたメモを渡す。
「あぁ、分かった、分かったよ。行きゃあいいんですね? フィオナお嬢様」
渋々、承諾するクリフおじさん。昼間っからお酒を飲まれない為にも扱き使わなければならない。お酒は先生に止められているのだ。
「おじさんったら、もう」
「クリフにああやって頼める女はフィオナしか居ないよ、この界隈ではな」
「マスターもからかわないで!」
そのマスターはハハッと笑いながらコーヒーを入れている。周りでは常連のお客さんも笑っている。カウンターの中で、バーテンの格好をし、纏めた銀髪を揺らすその人。右腕は銀に鈍く光る義手で、銀色の右目も機械、分かりづらいけど。
「さぁ、これを運んでくれ。 これからもまだまだ客は入るぞ」
その人は私に微笑みかけてくれた、いつものように穏やかな優しい笑顔で。
「はい!」
私は元気良く返事をしカウンターから店内へと戻った。
「なぁ、フィオナ」
「何、リオン」
「もう、三年が経つんだな」
「そう、あれから三年だね。 父と母が殺され、銀弾が死んだあの事件から」
「あぁ、もう銀弾は居ない。 残ったのはリオンの名だけだ。 過去の名声なんて今の幸せに比べれば無でしかない、だからもう過去には捕らわれない。 そうだよな、リナ……お別れだ、けれど忘れはしない……」
「……」
「……」
春の冷たい雨の中、喪服に包まれた銀髪の二人はそれぞれの墓に花を置く。
―――リナ・フォールマン、ここに眠る。
―――アイゼンバーグ夫妻、ここに眠る。
―――雨降る春の摩天楼。復讐劇に幕は降り、小さな幸福と長い平穏が訪れる。
The end.
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2005/04/21(Thu)00:17:25 公開 / ずんや
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■作者からのメッセージ
遂に完結。第四話更新。
苦労しましたね、マジで。どう上手くまとめるかで四苦八苦。最後は特に苦労したましたよ。結構遅くはなったけど無事に更新できました。えぇ〜、お付き合いしてくれた皆さんに感謝の意を。
最後に感想、コメント。今後に生かしたいので些細な事で結構です。できればください。ではまたいつかお会いしましょ〜