- 『Freedom wing』 作者:輝月 黎 / ファンタジー ファンタジー
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全角7042.5文字
容量14085 bytes
原稿用紙約23.35枚
この私の人生に許されたものは、一体なんですか?
1
琉璃(りゅうり)は、泣いていた。
幼い頃から、ずっと、ずっと、泣いていた。
誰にも知られることもなく、いつも隠れて、独りで泣いていた。
純白の巫女服に落ちる雫も、禊をすることで全て無に返して。
生まれた時から“特別な役目”を背負った巫女姫は、……そんな哀しい泣き方をする乙女だった。
「琉璃様、お祈りのお時間でございます」
一年を通して薄暗い半地下の檻のような部屋に、世話役の女官の機械的な声が響く。
一見その部屋には、誰もいないように見えた。
だが、――床の上の、白い大きな布が、もぞもぞと動き出す。
その様子に、女官は殊更硬質で冷たい声で言う。
「さ、速く礼拝堂へ参りましょう」
その声に布はより激しく動く。
「琉璃様。巫女姫様!!」
痺れを切らした女官が、遂にその布を捲るが……
顔を出したのは、この部屋の主ではない。
「にゃあ」
布の色と全く同じ白い猫が、薄闇に紅の瞳孔を開いて、女官を見据えていた。
思わず固まる彼女に、白猫は、
……どろどろに汚れた手で、猫パンチをかます。
数泊ずれてけたたましい悲鳴が上がったのは、言うまでも無かった。
そんな神殿から離れた丘の上にまで、その悲鳴は微かに、初夏の風と共に届いた。
それを感じた少年は、軽くその綺麗な蒼の目を眇める。
「空」
しかし名を呼ばれたら、その険のある表情は消えた。
声の主はよく知った者だから。
だがそんなことは関係なく、まるで敵がいるかのように隙なく身を翻す。
そして、背後の笑顔の首筋に、あと一pで皮を突き破ると言う距離まで、短剣を突き付けた。
その姿勢で笑顔を浮かべ返し、事も無げに挨拶をする。
「や、ども」
だが突き付けられた方としては『や』ではない。
「てめぇっ……いい加減その癖は直せ!! 攻撃されたくねぇからっ、だからわざわざ名前を呼んだんだろうが!?」
「んー……用心用心。いいじゃん寸止めで止めたんだから」
「そう言う問題じゃない!!」
そのがなり声に、空は心底辟易した様子でぼそりと呟いた。
「勝(すぐる)は神経質すぎ。俺と歳変わんないくせに」
それに対して、勝は朱茶の目を見開いて激昂した。
「お前がその歳で大雑把過ぎるんだよ!!信じらんねぇ、どうやってこれまで十五年間生きてきたんだ!?」
「いや普通にこうして生きてるし」
そこまできてやっと短剣を収めた空に、勝は諦めたように言う。
「〜〜〜ったく、なんでお前みたいなボケが近衛にまでなれたのか分かんねぇ」
「なってない。あんなもの」
吐き捨てるようなその台詞と同時に、空は不愉快そうに眉をしかめる。
そんな様子に、腐れ縁の勝は、それ以上言葉を紡げない。
空は役人が嫌いだ。
出会う前に何があったかは知らないが、とにかく『公務』と呼ばれるものに就いている人間は、徹底的に嫌いだ。
一度だけ、それが何故か、聞いたことがあった。
そうしたら、空は、酷く冷たい瞳をして、言ったのだ。
『俺の翼を、奪ったから』
常にぼんやりしている彼が、勝の前で初めて苛烈な怒りを表した瞬間だった。
その迫力に、とてもそれ以上は聞けなくて、結局その言葉の意味は分からないままだ。
だが、――敢えて、勝はそれに踏み込まない。
この謎の多い友人が、とても好きだから。
きっと今一度聞けば、この少年は答えずに去る、――そんな予感がするから。
「ま、な。俺もなりたいとも思えねぇけど。〜〜〜疑問なのは、何でぼんやりしたお前がそれだけ剣技に秀でているかってことだよ!」
「人は見かけによらないって言う」
「お前の場合は中身もだろうが!!」
「勝は気にしすぎ」
「お前が何も考えていないだけだ!!」
思わず叫んで、勝は空がくつくつと笑っているのに気付いた。
(……は、嵌められた)
これではさっきと同じ展開ではないか。
(結局どうしたって、俺はこいつだけには勝てないっ……!)
武芸の能力に関しても、“こう言う場面”に関しても。
一頻り笑って、空はようやく、最初に聞くべきことを聞く。
「んで?」
「何だよ」
「何で勝が俺んとこ来たの?」
途端、勝はすっ転んだ。
「……変な奴だよな、お前って。何もない所で転ぶなんて」
「手前にだけは言われたかねぇよ……っ」
陽射しを受けて元気に育つ草の香りが、微妙に劣等感を感じて恨めしい。
「俺がどれだけ苦労してお前を見つけたのか分かってんのか!? 国から出ないだけましだけどその分国中ふらふらしやがって!」
「だって暇だし。うろうろしてた方が、受け身でいるより仕事入りやすいし」
飄々と言い放って、濃茶の短髪を煩そうに風に流す。
夏独特の色に染まりつつある空に、それは鮮明に映えた。
「それに――“仕事柄”、一定の場所に留まれる訳ないし」
吹き抜く風に、一瞬だけ混じった……幻の、血の臭い。
空と勝に、親はいない。
かと言って、所属する働く場所がある訳でもない。
彼らを縛るものは、生きると言う思念と、友情だけ。
言ってしまえば、世間の様々な柵から外れている――つまり、自由だ。
だがそれで遊んで生きていけるのかといえば、そんなことはない。
……二人の仕事は、敢えて言うならば暗殺者である。
その事実が常に、鎖となって、本来の立場である筈の『自由』を奪う。
しかしそんな暗さと重さを、二人は背負っていない。
――あまりに、血の臭いに馴れ過ぎたから。
命などというものは、無駄に重くて、儚いもの。
それを抱える“長さ”が、長いか短いかなど……世界にとって、何ら意味はない。
その命に宿る『心』を考えることもせず、二人はそうして生きてきた。
それしか、
……その仕事で自由を奪われることしか。
彼らを生の世界に繋ぎとめないから。
いろいろなものから自由であるが故、自由を奪われる。
そんな矛盾を、平気で抱えているから。
「仕事に決まってんだろ」
あそこに鳥がいる、とでも言うのと同じ軽さで、勝は親友の掴み所のない態度にため息を吐きながら、本来暗所でひっそりと紡ぐ筈の言葉を陽の光にさらす。
「今回はちょっと厄介でさ。お前にも協力して欲しいんだ」
「分け前は?」
「全面的に頼るつもりだから、五割でどうだ?」
その言葉に、空は驚いたように瞳を開いた。
「本当に?熱でもあるのか?正気か?守銭奴のお前が、五割なんて」
「〜〜〜っ! ……人の好意は素直に受け取っておけよ。何しろ並大抵の報酬じゃないからな」
「いくら?」
「ざっといつもの五倍」
「……どう言う仕事だ、それ」
その不審げな様子に、勝は今度こそ声を潜めた。
「だから厄介だって言っただろうが。――あの神殿の巫女姫を殺して来いって、……隣国の参謀からな」
そうして黒に近い赤銅色の頭が向いた先は、さっき悲鳴が流れてきた方角。
「なるほど」
いきなりの国家機密レベルの話に、暫く考えて空は言った。
「つまり、こう言うことか?この国の信仰の礎である巫女さん殺して国家を混乱させて、その上で戦仕掛けるって」
「だろうな。ま、参謀のおっさんは、俺みたいなガキがそこまで考えられるとは思わないで頼んだんだろうけど。お生憎様、何年この仕事やってると思ってるんだって」
「お前、その話この国の参謀に売ろうとか考えなかったのか?」
「そこもそれだ。売ってもガキだと見くびられて終わるだろうし……巫女姫暗殺が、国家間の切り札には成り難いだろ。王族ならまだしも」
「……、やっぱお前頭良いわ」
ぼんやりと、それでも関心する空に、勝は光に透けて緋色に見えるがしがし頭を掻いた。
「やってくれるか?相棒役(パートナー)を」
「ん。オッケ」
軽い言葉に、それでも真剣さが混じった。
それが空の、いつもの仕事の受け方だ。
が……
太陽が薄雲に一瞬覆われた瞬間、二人の間の、ある種のほほんとした空気は、一瞬で凍る。
……人の気配がするのだ。一人だが――、荒い息の。
「おい」
「あぁ」
それだけの言葉で意思を確認し合い、それぞれの得物を隙なく握る。
この仕事は、確実に仕留めることよりもまず要求されるのは、情報の機密性だ。そうでなければ暗殺にならないし、第一自分の命も危うい。
即ち、この場でバレたら何もかもお終いなのだ。
その危機を秘めた荒い息遣いは、段々と近付いて来る。
(せめて、神殿及び王宮内の人間じゃなきゃいいが)
さっきからは想像もつかない程に瞳を鋭くした空は、気配を探りつつそんなことを思っていた。
(そんな奴ら、殺すと国内の行動に響くし、第一逃げられたら生きてられない)
ただでさえ自分たち二人は、いろんな意味で目立つ容姿なのだ。普段はそれを有効に使っているが、逃げる場合には最悪の目印になることは想像に難くない。
(姿見せたら、一発で殺さないと)
空は決意した。
元々死にたくないから生きているのだ。
その為の手段が他者を屠ることだとしても、何ら迷うことはない。
(死んで、たまるか)
――自分自身の“翼”を、取り戻すまでは。
幼い頃から暗殺術を仕込まれた二人は、人影が見えるまで完全に気配を殺しつつ、道の両側に分かれる。身を隠す適当なものは無いに等しい丘の上だが、幸い、青々と茂った夏草が、伏せた体を包み隠してくれる。
その状態で……
遂に、息遣いの主は、空と勝の前に、姿を現した……。
2
「は?」
「……え゛!?」
図らずとも、二人同時に疑問符を声にしてしまった。
何しろ、目の前の人影は。
「どっ……どなた、か――、いらっ、しゃい、ますの……?」
二人よりも年下だろう……いやそんなことはどうでもいい、いかにも世間知らずそうな、少女だったのだから。
あまりに呆然としすぎて、勝は諸刃の細刀を手に引っ提げたまま隠すことも忘れ、純白の衣を纏った少女の前に歩を進める。ややして、空もそれに習った。
……どう考えても一発で殺せる相手だが、どう見ても何も知らなそうだからだ。
そんな二人を見て、少女はきゃっと悲鳴を上げた。
「な、何故そのような物騒なものを持っていらっしゃるの!? 危ないではありませんか!!」
その反応に、空と勝は確信した。
( (絶対、絶対、こいつ危険どころか天然だ――) )
何だかもう全ての気力を削がれ、取り敢えず彼女を落ち着かせるために、刃物をいつもの隠し場所に(空の場合は短剣だから、鞘に入れ袖の中で充分なのだ)仕舞い込み、適当な石の上に強制的に座らせる。
――このまま街に降りられて、それで『物騒な武器を持った少年二人が丘の上にいた』なんて吹聴されては超絶に困るのだ。暗殺者だと気付いてない分、無邪気にふれ回しそうで非常に怖い。
二人がそんなことを考えているとは露とも知らず、少女は、長い睫をぱちぱちさせて、慌てたように言葉を紡ぐ。
「えっ、えっと、何でしょうか? わたくし別にっ、怪しい者ではありませんわ!」
「――ごめん、俺には異常としか思えないんだけどさ」
疲れたような勝の言葉に、空も大きく頷くことで全面的に同意した。
この少女は、武器を引っ提げて人気の無い場所にいる自分たちに、勝るとも劣らず、怪しい。
(だってまず、その顔)
燃えるように艶やかな真紅の髪は背の中ほどを充分覆い隠す程長く、真直ぐで、良く手入れされていることを窺わせる。
同じ色の優雅に反った睫に縁取られる垂れ目気味の瞳は、黄味の強い琥珀色だ。
肌は自分たちに比べれば雪のように白くて、顔の造りも、どちらかと言えば野性的な魅力である自分たちと比べれば遥かに人形めいて繊細である。
(それに、その格好)
純白で簡素な作りのその衣は、どう見たって、普通の服とは思えない。
(んで、その性格)
もう異常なまでの、世間知らずと天然。
(それだけ怪しい要素が揃っていて、よくもまぁ)
自分を一般人だなんて主張したものだ。
どうやら勝も同じことを考えているらしく、少女をじっと見詰めている。
そんな二人に、視線の先の紅の少女は、頬を薔薇のように染めた。
「そんなに、見ないで下さいな……。は、恥ずかしいですわ」
(おいおい違うって)
空は内心、そう突っ込んだのだが――
勝は、違った。
「あっ、あああごめん!!」
叫ぶように言って、思いっきり不自然に視線を逸らす。だがそれでは、意識が少女に向いていると前面主張しているようなものだ。
(おおおおおおお俺っ、何やって―――!!?)
自分自身でも頬が火照っているのを感じて、よりパニックに陥る。
何しろ親友ほどではないが、自分だってあまり感情が表に出ない性質なのだ。
(いー、いーいーいーいーまーはーそんなことを気にしてる場合じゃなくて! そっ、そう名前!! 名前、聞け――!!)
「君、名前はっ?」
(やべぇ、声裏返ったーーー!!!)
空が不審そうにこちらを眺めているが、幸い少女にはその不審はないらしい。(……って待て俺、幸いってなんだ幸いって!?)
少女ははにかむのを止め、はっとしたように顔を上げた。
「あら、これは申し訳ありませんでしたわ。わたくしの名前は琉璃と申します。それで、貴方がたのお名前は……」
問われて、二人は全く色彩の違う瞳を、全く同じタイミングで交わらせた。
……ここで素性を一つでも明かして良いものなのか、お互い考えている証拠だ。
やがて空が何か考えついたらしく、任せろと手を振る。
勝はそれに大人しく従うことにした。
「うん、俺の名前は空。で、あっちの全体的に赤いのが勝」
そのあまりにもあっさりとした言葉に、傍観をしようと仕掛けた所で再び地を滑る。
(そ、それで何が任せろだああああっっっ!? 大体、全体的に赤いって、空っ、手前……っ)
だがそんな親友の様子を、空は煩そうに睨み付ける。
どうやら、任せて欲しいのはここかららしい。
「で、もう一つ聞いていい? 君――琉璃は、どこから来たの?」
途端、のほほんとしていた琉璃の表情が、強張った。空はそれを見逃さない。
「……答えにくい、みたいだね?」
本当を言えば、この反応を予想しての問い掛けだった。
(だってあれだけ“一般人だ”と主張したがっていたんだ、普通の身分である筈がない)
ならそれを有効に使えばいい。どうせ、口さえ封じておけば危険になんてどう考えてもならない少女だ。
「分かった、聞かない」
その言葉一つで、琉璃があからさまにほっとした所で、……空は、一番大事なことを口にした。
「その代わり、俺達についてもこれ以上聞かないでくれる?」
あまりに見事なその切り返しに、勝は舌を巻いた。
(――こいつもなー、保身の為なら何でも思い付く奴だよなー)
普段はぼけっとしているくせに、何故か危機的状況には滅法強いのだ。
(それが上手く行くかどうかは別だけども)
何しろ……今回の相手は、世間知らずのお嬢様だ。
だがその心配は杞憂で終わった。
「交換条件、ということですわね……?」
唇を噛み締めてから小さく呟いた言葉は、以外にも毅然としてた。
その響きを受けて、空は口元のみを歪める。
見方によっては、非常に冷ややかな表情だった。
「そう。俺たちは別に、深く聞かなくても困らないから。その程度の関係だろう?ただ、出会っただけ。それは君にしても同じな筈だ」
「ええ、そうですけど」
「君が身の上について語れないように、俺たちもある理由があって、とてもじゃないけど他人に身の上を話せない。だから、これだけで……名前だけで、これ以上は関わらないようにしよう」
琉璃は暫く思案したようだったが、やがて、さっきのように決然と言う。
「承知しました。もう、貴方がたのご都合の悪いことはお聞き致しません。その代わり、わたくしの事情にも、踏み込まないで下さいまし」
「……交渉成立だな」
どこか歪んだような、退廃的な匂いを含ませる微笑が、とにかく印象的だった。
「んじゃ、っつことで。出来れば俺たちに会ったこと、誰にも言わないで欲しいんだけど。勿論君も言いふらされちゃ困るだろ?琉璃」
「あ、ちょっ、ちょっとお待ちください!!」
「さいならっ」
「はい、さようなら……だから違います、待ってくださいな!!」
言うだけ言ってとっととずらかろうと踵を返す二人組みを何とか引きとめようと、琉璃は必死の一声を掛けた。
「とまって下さらなければ、思いっきり言いふらしますわよ!!」
恐らく言った本人は何も意識していなかったのだろうが、存在自体が詳らかになることを厭う二人にとっては、目の前に爆弾が仕掛けられたようなものだ。
即ち、全力疾走でバック。
「……何かなぁ、今更」
心持目の据わっている勝に、琉璃は「本当に申し訳ありません」と、礼儀正しく頭を下げた。
あまりに場違いな行動に、空は眉を顰め、勝は赤くなり視線を逸らす。
そんな二人の反応をおろおろと交互に見つめ、琉璃は更に言葉を紡ぐ。
「あの、ごめんなさい、是非、お二人を見込んで、……『お願い』を、して宜しいでしょうか?」
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■作者からのメッセージ
今回の作品は、二人の人物を主人公に据えながら、タイトル通り『自由』と『翼』をテーマに、ファンタジー的な物語を紡いで行きたいと思っています。
何となく思ったままを書き進めているのですが、取り敢えず話はちゃっちゃと進める主義です。じゃなきゃもう一つ始めたい物語が書けなくな(強制終了)。
が、頑張って完結まで漕ぎ着けられればと思います(汗