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『お兄ちゃん』 作者:ゆうき / 未分類 未分類
全角2811文字
容量5622 bytes
原稿用紙約9.9枚
長島大樹(ながしま だいき)は緊張した面持ちで結婚式場の控え室にいた。

……やっぱり、自分の結婚となると緊張するなぁ。
大樹は結婚式場専属の若い男の美容士さんに髪を整えてもらいながら、心でそっと呟いた。

大樹は今日、幼なじみの白石香織と結婚式を挙げるのだ。

生まれてから二十三年、こんなに幸せな日はなかった。

この日のために、大樹はわざわざ自分の自慢だった長髪を切り、

一人前の男になる印として短髪にしてきたのだ。

だが小学二年生以来したことのない、七三にするのはやっぱり恥ずかしい。

そういうわけで、大樹は美容師の人に髪を整えてもらっている間、固く目を閉じていた。

「そんなに目を閉じることないですよ」

美容師の人が苦笑しながら言った。

「はい、できましたよ。それでは、目を開けてください」

そう言われたものの、大樹は目を開けたくなかった。

……うわぁ、俺どんな髪型になってるんだろう。

掌が冷や汗で濡れてきた。

……開けたくないけど、開けないわけにはいかないよな。

大樹は恐る恐る目を開けた。

そして目の前の鏡に映っている自分に釘付けになった。

鏡に鼻がつきそうなほど、覗き込んでいる。

「そんなに自分の顔が珍しいですか? では、式の時間までには来てくださいね」

そう言うと、美容師さんは足早に出て行った。

控え室には大樹だけが残されている。

「……お兄ちゃん……?」

大樹が大きく目を見開いたまま、呟いた。

大樹は心にしまっていた追憶にふけりだした。





小学一年生の時だった。あの頃の俺はいつも悪ガキに苛められていた。

あの日、お兄ちゃんに初めて会った時も、俺は悪ガキに苛められた後の帰り道だった。

確か赤坂の並木道だったと思う。季節は秋の紅葉が美しい頃。

俺が木に寄り添って泣いていると、二十歳くらいの髪を七三に分けた男の人が話しかけてきた。

彼……お兄ちゃんは何も話していないのに、「苛められたのかい」と言って頬に付いた泥をハンカチで拭き取ってくれた。

「お兄ちゃんは…誰?」

俺はお兄ちゃんの行動を不思議に思いながら尋ねた。

「僕? 僕は君……のお兄さんだよ」

お兄ちゃんが何かを誤魔化すかのように、笑っていたのを覚えている。






それからの帰り道には、いつもお兄ちゃんが待っていた。

お兄ちゃんは歩きながら、いろいろなことを教えてくれたものだ。

勉強ははもちろん、お兄ちゃんが読んだ本の話、ワームホールとかいうちょっと難しい話もしてもらった。

でも一番熱心に教えてくれたのは、自分の主張ははっきり言うということだった。

嫌なら嫌とはっきり言う。それでわかってもらえないのなら、喧嘩だと教えてくれた。

翌日にそのお兄ちゃんから教えてもらったこと実行したことは、今でも忘れられない思い出である。

いじめっ子と俺はもちろん話し合いでは決着がつかず、喧嘩になった。

第三者から見れば、子どもが泣きながら噛みつき合ってるだけとしか見えなかっただろうが、

俺にとっては死闘だった。

結局喧嘩でも決着はつかず、いじめっ子と俺は並んでねっころがった。

二人とも精も根も尽き果たしていた。

そしてあの時に、いじめっ子が言った言葉は俺の宝物となっている。

いじめっ子は笑いながら俺に言った。

「なんだ、お前強いじゃん!!」

あの言葉は俺の心に深く染みたものだ。

いつも弱虫と馬鹿にされていた俺が、初めて強いと言われたのだ。

あの感動は忘れられない。

その後すぐに、俺はお兄ちゃんに報告に行った。

お兄ちゃんは真剣な顔つきで、「よくやった」と褒めてくれた。

それからはいじめっ子とも親友になり、楽しくなかった学校生活がとても楽しくなっていった。

たぶんあの喧嘩から、性格とか、ものの考え方とかが変わったのだと思う。

前まではなんとも思っていなかったものが、新鮮に見えたものだ。

でもお兄ちゃんは変わらず俺の話を聞いてくれた。

学年が上がるにつれて、さらに難しい話もしてくれるようになった。

お兄ちゃんはこれからも側にいてくれるのだと信じていた。

もっと楽しい話をしてくれるのだと思っていた。

でも、運命の日はやってきた。

小学五年生の夏休みに入る前だった。

いつものように帰り道を歩いていると、お兄ちゃんが顔色をすごく悪くして木に寄りかかっているのを見つけた。

小学三年生頃から、少しずつ顔色が悪くなっていっているとは思っていたが、あの日は特に悪かった。

俺が慌てて「病院に行こう」と言うと、お兄ちゃんは力なくかぶりを振った。

「僕はもう、君の側にはいてやれない」

お兄ちゃんが唐突に言った。

たぶん、あの時ほど驚いたことはないだろう。

「えっ……? なっ何で!? 何で!?」

俺は壊れた機械のように何度も言った。

「俺はね……。消えるべき運命なんだ……」

お兄ちゃんが薄く笑いながら呟いた。

俺に言ってるという感じではなく、自分に言い聞かせている感じだった。

「何で、お兄ちゃんが、消えなきゃ、いけないの……?」

俺は涙声になりながらもなんとか言った。

お兄ちゃんは言葉に詰まったようで、青くなっている顔をさらに青くした。

「……俺は、あるべきでない、未来の君の姿だから……」

そう言った瞬間、お兄ちゃんは急に走り出した。

慌てて俺は追ったけど、しょせんは小学五年の子どもと体調悪くても大人の人。

あっという間に引き離されて、お兄ちゃんの姿は見えなくなった。

その時から、俺はお兄ちゃんを見かけることは二度となかった。

今、鏡を見るまでは……。







「……大樹、大樹!!」

いきなり部屋に大声が響いた。大樹は急に現実に戻される。

「何ボケーっとしてるんだよ? そりゃあ、気持ちも分かるけどよ。
でも、花婿が花嫁を待たせちゃいけないぜ」

牧野瀬正(まきのせ ただし)が大樹の肩をバンバンと叩いた。

こいつは大樹の親友で、俺が小学生の時にいじめっ子だったやつだ。

「ああ、悪い悪い。ちょっと最後の独身の時を堪能していたものだからよ」

そう言いながら、大樹は勢いよく立ち上がった。

正が「先に花嫁の様子を拝見してくる」と少年のように笑いながら言って、外へと出て行った。

そして大樹は出て行き際にもう一度、ちらりと鏡を見た。

鏡の中の俺……お兄ちゃんは、幸せそうに微笑んでいる。

今となっては、お兄ちゃんがどうやって過去に行ったのかはわからない。

でも、お兄ちゃんは存在した……お兄ちゃんがいなければ、今の俺はいなかった。

それはまぎれもない事実だ。

大樹はもっと鏡を見ていたいという気持ちを振り切るようにドアを閉めた。

大樹はドアの前で一回深呼吸をして、全力で走り出した。

花嫁を迎えに行くために。 見えない明日を掴むために……。


         

             






              〜終わり〜






2005/03/25(Fri)22:22:31 公開 / ゆうき
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