- 『激闘の果てに』 作者:恋羽 / 未分類 未分類
-
全角8554.5文字
容量17109 bytes
原稿用紙約27.9枚
*この物語はフィクションです*
ボクは回転寿司の店にいた。
つい先程、仕事を終えた後でこの店に来て、そして最も上座であるはずのこの位置をボク達三人は占領した。
ボクの左に上村のおじさん。グレーの髭をたくわえていて、かっこいいおじさんだ。とある有名メーカーの技術職でかなりのところまで上り詰めたのだそうだ。今は引退して年金生活をしている。
そのまた左隣にボクの親父が座る。上村さんとは打って変わって全くファッションセンスに欠ける。でっぷりした腹がとにかくボクの勘に触る。というよりも全てが、だが。
「なんでも好きな物を食えよ」
上村さんが偉そうに言った。なんとなくこういうところがA型っぽい。普段へこへこしている分、こういう自己顕示欲をアピールするのに丁度いい場面では遠慮無く偉そうにする。
「本当に食べていいんですか?」
O型のボクは大袈裟に言う。なんとなく上村さんに気を使っての事だ。
だが上村さんはうつむいてしまう。ボクの真意は決して彼には伝わらないのだ。それなのにボクは上村さんの事が結構好きなのだ。
「琢磨、これ美味いぞ」
ボクがちょっとどうしたらいいか考えているところを、親父が邪魔する。そしてその口には頬張られているのは……、なんなのかわからないが、とにかく彼が食べたのはものすごく高い品だったのだろう。一枚目の彼の皿は七色に光り輝いている。
さすが、B型だ。見事にボクを邪魔してくれる。
ボクと親父の間に座った上村さんが顔をぴくぴくさせた。
あーあ、だからこんな仕事なんて来たくなかったんだよ。
仕方なくボクは、ボクのように周りの空気に流されていく一枚の皿に手をかけた。
*
ボクがこのとてつもなく広い町のほんの片隅にやってきたのは十日程前の事だ。
もとはといえば親父の勝手な要望と、そしてボクの頭の悪い勘違いが、この奇妙な旅の原因となった。
「大体1週間後ぐらいに、十日ぐらい東京に行くからな」
親父が唐突にそう言った時、ボクは親父がいつものように出張に行く事をボクに報告しているのだと思った。もしかしたら心配するのが一番の応援になるのかとも思ったが、ボクはあえて何も言わずに心で、
『や、やった……! 十日も自由だ! 自由自適ライフって奴だ!!』
などと考えていた。
しかし、現実は実に厳しいものだった。
「明日から十日間いなくなるから、隣の人に回覧番を回してこないように言っておけ」
それが親父が言っていた出発の日の前日の電話の内容だった。
意味がわからない。なんでオレがいちいちそんなことをしなければならないのだ。どうせお前がいなくてもオレがいるからいいではないか。
しかし、たった十九年の人生経験ではあるがボクには何かが感じ取れた。要するに、煙草をトイレで吸ってきた後に所持品検査をされるような、もしくは見た目が綺麗な車の中身が案外汚かったりとか、とにかくそういったよくあたる悪い予感を感じていた。
そして、あの一言がボクにとどめを刺した。
「明日は朝が早いからな。ちゃんと用意しとけよ」
…………へっ?
*
ああー、なんかパサパサしてるなー。白身魚がパサパサって、致命傷だよな―。
そんなことをゆっくり考えながら、やたらと歯ごたえのあるシャリを飲み下した。
「おまたせしましたー、生三つで―す」
そこへようやくおまちかねの生ビールがやってきた。やはりお茶では物足りない。
「じゃ、お疲れ様でした―」
ボクがそう言うと、親父と上原さんはグラスを合わせた。ボクは上村さんとだけ合わせると、すぐに口をつけた。
親父ならきっとむっとしているだろう。しかしボクは連日のアルコールによって確実に毒されていた。特に前日の酒は強烈で、肝臓と胃とその他色々な部分が妙にデリケートになっている。
その証拠にビールを飲むと一口目でもうすでに顔が熱くなってきた。
「ほらあれ安いぞ」
上村さんが90円ぐらいの皿を指差す。ボクは首を振った。あの皿が3周以上してるの、わかってるから。
そんなときだった。ボクの目に大きく映し出された映像に、ボクの脳は全身に信号を送り、心臓は血液をめぐらせた。
見たことも無い、だけど一目で「ムカツク」相手。
これって、俗に言うライバルって奴じゃないかな―。
*
ボクと親父が今回のボウリング場の改修工事に携わる事になったのは、紀藤さんの依頼によるものだった。
「いやぁ、悪いなぁ。親子そろって来てもらって」
紀藤さんはいかにも大物の貫禄を持った、関西のおじさんだった。ボウリング関係の機械が専門で、その系列の業界ではなかなか有名である。
そして親父はいわゆる何でも屋というやつで、電気関係の知識、技術、そして資格とノウハウを持った男である。
人格の紀藤さん、技術の親父というところか。そしてボクはただの使いっぱしりという感じだ。
仕事が始まるとその事が余計よく見え出した。
親父は自分が一番仕事が出来るものだから、ボクを上手く使えない。それはボクに自分の模倣を望むからだ。逆にボクの力量を的確に把握している紀藤さんは、ボクに出来る仕事をさせる。
どちらもボクを考えている。そんな気がする。親父はボクの成長を、紀藤さんはボクのメンツの保護を、それぞれ考えてくれている。
それが実際のところ重荷だったボクは、この二人ではなくて、上村さんになついた。
*
その男がボクの右隣に座った時、ボクの右腕はザワザワと粟立った。
ライバル……。その言葉が適切かどうかはわからない。しかしボクの彼に対する第一印象は明らかにそれだった。
酒の力によるものかもしれないし、単なる気のせいかもしれない。現実、この前の日は深夜まで紀藤さんに連れまわされて、飲まされた。おかげでいい人生勉強をさせてもらった。だからたった一口の酒でももうすでに顔が熱かった。
だけど、ボクが彼に対して抱いた感情は実に純粋だった。一切の疑念を持たない感性のままの、直感という奴だった。
次の瞬間、何かが動き出した。
「ウニとイクラね」
騒がしい店内。その満員の店内で彼の声が響いた。低い、だがよく通るにごったような声。ボクとは正反対の声質だった。注文は寿司を握っている店員にも届いた様子だった。
ウニとイクラ?
ボクは鼻で笑ってやった。どうやら彼はそれに気付いたらしい。ボクの目の端に歪んだ男の顔がうつる。
北海道生まれの北海道育ち、現住所北海道というボクにとって、ウニやイクラを高級食材と考える人間の思考がわからなかった。まして回転寿司屋で……。
そこまで考えてボクの思考はストップした。
メニュー、御品書に目が止まり、ボクは強烈なカウンターパンチを喰らった。
ウニ、イクラが136円……。KOモノだった。
実際のところ、今は観光産業などの影響で必ずしも現地の店などが安いと言うことは出来ない。確かに遠いところから物を運ぶにはコストがかかるが、しかし現地の人間にも欲や生活があるわけで、遠い都会でのウニイクラの地位を知ったとき彼等の金銭欲に火がつく事もあるのだ。
それに回転寿司やといえど、直接注文すればパサパサの寿司を食う事も無い。そのことを考慮に入れて考えると、この値段は非常にリーズナブルである。
こうなると彼を鼻で笑ったボクが余りにも間抜けに思える。
くそぅ、この野郎ぉ!
開戦の合図はひそやかに、しかしボクの中では高らかに響き渡った。
*
仕事は順調だった。
確かにたまに争いめいた事も起こるけれど、実際のところは順調だった。
親父は親父の仕事をして、ボクは紀藤さんについてまわる。紀藤さんは全体の動きに目をやりながら、ボクに対してもしっかり仕事を与えたり教えたりする。
三者三様に好き勝手にやっているようで、実は誰もが仕事という利害関係によって拘束され、相手に対する気遣いによって自分を上手くコントロールしていた。
そこへいつもいつもトラブルを招くのが、畑沢さんだった。
「ちょっと、畑沢さん」
その言葉を二回繰り返す。それでようやく彼はボクの方を向く。
「向こうでオーバーヘッドの調節やるから、畑沢さんに来てくれって」
ボクは出来る限りの大声でそう言ったのだが、畑沢さんはあまり聞いてくれない。
というよりも、ボクの言っている事が上手く伝わっていないらしく、彼は自分の仕事に戻る。
ボクもそんな老人に付き合っていられないから、さっさと自分の持ち場に戻る。
「畑沢さん、呼んだか?」
親父は脚立に昇り、大型のテレビを動かす準備をしていた。
ボクはうなずくだけで、再び脚立に昇りテレビを押さえた。
オーバーヘッド。ボウリング場の操作盤(コンソール)の上に備え付けられた大型テレビ。都会のボウリング場ほど液晶ではないゴッツイテレビをこれに使いたがる。
こういうアミューズメント業界で面白いのは、都会ほどその設備が大したこと無いという事だ。
つまり、田舎の施設は集客率アップの為に新型機材を導入するのに対して、都会の施設は機材に金をかけない代わりに土地に金がかかる。だから田舎と都会の妙なギャップが生まれるわけだ。
最近は田舎のボウリング場に行っていないからわからないが、もしかしたら今頃液晶プラズマなんて物がボウリング場に置かれているかもしれない。
で、今回たまたま親父に連れていかれたのが日本の中心のその中での外れだった訳だが、なんだこりゃ、だった。
機材がどうだとか、そんなのはどうでもいい。客が楽しめればそれでいいのだ。
しかし、こんな大型な――後ろにも大型な――モニターをわざわざ頭上に乗せなくてもいいんじゃないか? ただでさえ地震が心配な今日この頃なのに。
それに据え付けをやる人間の身にもなってみろよ。このモニター、どう考えても三十キロ四十キロはあるぞ?
そういう訳で、ちょっとした位置の調節でも、高い位置に取り付けるという関係上数人掛かりなのだ。
「おい、ちょっともう一回言って来てくれ」
親父がそういうので仕方なくボクはもう一度畑沢さんを呼びに向かった。
そこでいきなり彼は仕事を終えてこちらにやってきた。
ボクはイラっとした。
*
ボクはリングの端によろめきながらも、なんとか踏みとどまった。
もちろんここは回転寿司屋の席の上なのだが。
しかしボクと右隣の男は確かにリングの上にいた。
男は笑う。それはボクを死闘へといざなう誘惑であった。―――かかってこい。リングの上の男の目が、ボクにそう語り掛けていた。
負けられない。ボクは食い入るような目でコンベアを流れてくる萎びた寿司を見つめる。
この行動にも意味があった。ボクと男、もう男という表現も面倒だ。メンでいい。ボクとメンが座っている位置は丁度コンベアの終わり。つまり、萎びてしまった寿司ばかりが店の奥へと戻っていく、ついでに言えばスタートへ進んでいく、そんな位置だった。
ボクは鷹の如き眼光で寿司を見つめると、鋭い手さばきでメンの前を通り過ぎようとした皿をかっさらう。そして今度は小さく声に出して笑って見せた。
―――回転寿司にはこういう食い方もあるんだぜ?
ボクはそういった感情を込めた視線をメンに向ける。勝利の美酒を一口呑みながら。
しかしメンの次の行動が、再びボクを決闘の舞台へと引き戻した。
彼はなんと、取り皿の上に大量のガリを叩きつけるように置いたのだ。そしてそれを頬張る。
そしてボクは自分の取った皿を見る。そこにはイクラやウニよりも二つランクが上の、何やら得体の知れない魚が置かれていた。
ボクは地の底から突き上げるような、マグマの躍動のようなアッパーカットを食らった。偉そうに取った皿は誰もが敬遠した皿だったのだ。それに気付いていないボクにメンはガリという無料の物を食べる事によって、反撃したのだった。
ボクの体はそれによって二,三メートル吹き飛ばされる。まあ、そのぐらい強烈な攻撃だったということだ。――やられる。
しかし、神はまだボクを見放さなかった。ボクはゴングに救われたのだった。
「ところでさあ」
上村さんが話しかけた。それがボクにとってのゴングだった。
全く関係の無い人間の言葉。それはどこか、無機質に無情に時を進める三分間という時間に似ていた。
*
畑沢さんとのイライラし合う関係性は、ずいぶん長いこと続いた。
し合う、といったのは、このご老体も実はボクにイライラしているらしい事がその表情からうかがえたからだ。四十歳以上の歳の差を気にせず、ボクと畑沢さんは水面下の衝突を続けた。老体をいたぶるのは気がひけるけど、気に食わない事は気に食わない。こればっかりはどうしようもない。
こういう現場仕事では必ず、十時と三時に休憩が入る。ヘビースモーカーのボクや紀藤さん、そして畑沢さんはウチの親父や上村さんに煙たがられつつもスパスパと一、二本の煙草を灰にした。一番悪い組み合わせといわれるコーヒーと一緒に。
しかしこの現場のようなところは今時珍しい。なにせ、室内、それも作業している場所で煙草を吸えるわけだから。普通はもっと遠いところで吸わされるものだ。
まあ外で歩き煙草をすると行政処分という御時世だから、室内ぐらいしかボクら迫害される人民の居場所は無いのかもしれない。どうせ完成した後は煙草の煙で煙る空間なんだし。
もしこの一服が無ければ、ボクはそこら中に溢れている凶器によって畑沢さんかもしくは親父を入院させていたかもしれない。鉄パイプ、それを切るベビーサンダー。丸鋸――いわゆる回転鋸だ。ボクの腰まであるぐらいの巨大なバールもある。
そんな人間一人をバラバラにするような道具がそこら中にある。鈍器、刃物、なんでもだ。
それらのおぞましい道具達を使いこなす為に、ボクは煙草を吸う。煙草の煙で心に壁を作って、周囲の人間を、そして自分自身を守っているのだ。
「琢磨、ごめんな。さっきは」
畑沢さんが大して心も込めずに、ボクに言った。
本当ならボクはここで殴り倒してしまっていただろう。
でもボクは自分を押さえる事が出来た。それが、例えニセモノの和解であっても。
「こちらこそ。畑沢さんの都合も考えずにすみませんでした」
しかしボクの声はまた畑沢さんには届かない。彼はどこか遠くを見ている。
……まあ、そんなもんだろう。そうそううまくはいかないよ。
*
ニセモノの、自分の体調を整える為の笑い。
そんなものでも上村さんは満足してくれた。
「……だよな」
彼は自分で始めた会話を自ら終わらせた。
そして再びボクとメンの間に交わされる闘気。もうすでに互いの視線がリング場で交錯していた。
親父と上村さんが何やら話し始めたのが、再開の合図だった。
ボクは勢いよく箸を取ると、戦闘体勢を保つ。メンも同じだった。
しかし、ボクには何の策も無かった。何をしてもボクが負けてしまうような気がした。
無駄な手数は確実な死を招く……。軽はずみには手を出せなかった。自然、お茶に手が伸びる。
それはメンも同じだったようで、先程のように注文によって点数を稼ごうともしなかった。ただガリを頬張るばかりだ。
ボクはお茶を。
メンはガリを。
まるでクリンチでもしているような膠着状態が続く。周りから見れば情けない、しかし本人達にとって見れば必死の攻防。
しびれを切らした店員が、レフェリーの如く檄を飛ばした。
―――アワビをご注文されたお客様……!!
ボクは仕方なく距離を置く意味で流れてきたタコを手に取る。
メンは先程頼んだ注文をもう一度頼んでしまう。
どちらもはっきり言って精細さに欠ける攻撃だった。
――何とかしなければ……。ボクは戦いの緊張に乾いてしまった喉にグラスに残った酒を全て注ぎ込んだ。
それが、戦いの流れを左右した。決闘は終結に向けて動き出したのだ。
メンはニヤリと笑った。
*
まあなんか知らんうちに、ボウリング場でのボクの仕事は終わりに近づいていた。
オーバーヘッドのモニターに映す為のCCDカメラの設置。コンソール下の配線にジャックを取りつける作業。まあ要するに木っ端の作業だ。
んで。
大して金も渡さない親父はしっかりボクの給料を上手くピンはねして。
上村さんはボクに対してやたらと堀 辰雄(?)だとか漱石だとか、芥川だとかの文学論を語って。
畑沢さんはなにやら一人で色々と熟練の技を駆使して。
紀藤さんはうまいこと仕事を利用して、離れ離れで暮らす息子と語り合って。
そしてボクは夜中に寂れた飲み屋街をうろつき、所持金をほぼ使い果たして。
どうやら仕事は終わった。
最後の仕事を終えて、掃除をするともうすでに空は完全に暗黒に支配されていた。
「どうだ、最後に俺のおごりで寿司でも食べに行くか?」
その夜は狭苦しいホテルに帰って寝て、明日の朝の飛行機に乗るだけだった。
関西の方へ車で戻る紀藤さんと、呑むとただでさえ意味のわからないのに数倍意味がわからなくなる畑沢さんを残して、ボクら三人は気楽にホテルへの帰途についた。
そう、それが戦いの舞台の伏線となったのだ。
*
メンが流れてきた二つの穴子の内、二番目の皿を取った。
ボクはおかしいな、と思った。今まで全ての皿を注文で持ってこさせていたメンが、急にコンベアの上の皿に手を伸ばしたからだ。
しかしボクは冷静さを欠いていた。余りにも冷静ではなかった。睡眠不足と肉体疲労、それに加えての畑沢さんに対するストレス。更には毎日通ったとある店の上海出身の女の子の可愛さが、確実にボクの冷静さを奪っていた。
ボクはこれをメンの挑戦と受け取った。――お前の舞台で戦ってやる、という。
ボクがそんな挑発を買わないわけがない。ハートは熱くたぎっていた。
何の考えも無しに一番目の穴子を取った。
メンが穴子を頬張るのを見て、ボクも負けずに頬張る。あせっていたから、二ついっぺんに口の中に押し込んだ。
その時、だった。
あの声が聞こえたのは。
「バカやろう! お前が握った寿司はどこにやった!?」
「すみません、あの、コンベアに……」
きっとバイトの子だろう。なにやら先輩店員に怒鳴られている。
「お前、あんなものが売り物になるか!」
そして、ボクの味覚が悲鳴を発したのだった。
ボクがクロスカウンターのつもりで打ち出したパンチは空を切り、がら空きになった顔面に16オンスのグローブに包まれたメンの拳が衝突する。
ボクはまず、泣いた。涙が自然に流れ出る。
そして強烈な吐き気と熱さに、熱病のような感覚を覚えた。
―――生温いネタ。もともと穴子は苦手なのだが、完全に人肌になった穴子はさすがにキツイ。そしてこれまた人肌のネチャネチャしたシャリ。
だがここまでなら我慢できる。その程度の気迫は持っていた。
なによりも強烈だったのは、まるで粉わさびそのままを食べているような感覚にさせられる、風味もへったくれも無い辛味成分の結晶。ここまでくると、立派な毒劇物だ。しかもその量ときたら半端じゃない。
メンは笑いも泣きもせず、ボクを見つめていた。笑いをかみ殺すような無表情。それが余計に癇に障る。
ボクはとにかく酒かお茶を飲みたかった。
しかし、酒はもう飲み干してしまった。お茶を手に取るが、中身はほとんど無い。
かといってお茶を注ぐには時間がかかりすぎる。酒を頼もうにも、それはそれで吐いてしまいそうだ。
ボクは席を立った。口には劇物が入ったままだ。
都合の悪い事に入り口近くにあるトイレに走る。
しかし、途中で外国人の女性店員が立ちはだかる。
「おきゃくサマ、おトイレですカー?」
ボクは顔を上げる余裕も無く、小さく顔を縦に動かした。これ以上は厳しかった。もうすぐでトイレに走る目的をここで果たしてしまいそうだった。
「おトイレェ、アチらですゥ!!」
店内に響き渡る大声と大きなジェスチャーが、ボクのTKO負けを告げていた。
ボクは本気で泣きながら、夢の国に続く扉を開く。店内からは、歓声がこだましていた。
*
出発の日、東京にはパラパラと雪が降った。北海道の人間にはおよそ雪と呼べる代物ではなかったが。
その雪が止む頃、ボクは飛行機に乗りこんだ。
なんかへたくそな操縦士の導くまま、ボクは暑苦しい親父の隣に座って静かに雪の大地への到着を待っていた。
蔵王山を横目に、ボクは思った。
――東京は冷てぇよ、おっかちゃん。
ボクは北海道に着くと、買い忘れたお土産を新千歳空港で買った。
その横を通っていくスーツケースの一団。
一人、ボクの目に映った。
――メン……。
ボクはメンに憎しみとその反対の感情がこもった視線を送る。
しかし一瞬後、ボクはフッと笑うと親父の待つ階段へと急いだ。
完
-
2005/03/04(Fri)15:48:26 公開 / 恋羽
■この作品の著作権は恋羽さんにあります。無断転載は禁止です。
-
■作者からのメッセージ
御読了、ありがとうございました。できましたら、何でもかまいませんのでご感想のほうを聞かせてください。