- 『旅人』 作者:umitubame / 未分類 未分類
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全角2054文字
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鳥が鳴いて、闇がすっぽりと空を呑んだ。
月には雲がかかっていて、かすんだ明かりは闇に一筋の川となって流れ出し、そこに幾つか星たちがちらちらと笑っていた。
静寂だけがあたりを包んで、もう、すっかり眠りの夜。
大きな木の下、旅人が一人、笛を吹いていた。優しい優しい笛の音は永久の闇の中であちらこちら響いていく。
大きな茶色い帽子を顔が見えないくらい目深にかぶった、真っ黒マント。子供のように小さくて、笛吹くその手は白くなめらか。
風が吹いて、そして凪いで、そこにもう一つの影が現れた。瞳の黒い女の子。栗色の巻き毛をふわふわと、ふくよかな頬をバラ色に染めて、笑顔を浮かべて立っている。
旅人は笛吹き止めて言った。
「こんにちは」
しゃがれていて耳障りなのに、どこか心地のいい不思議な声だった。帽子の下は見えないけれど、笑っている。
「あら、もうこんばんはの時間よ」
おしゃまな女の子はつんとして言った。くるくる巻き毛が、再び吹き始めた風に軽く揺れた。
「僕はいつでもこんにちは」
旅人は笑った。
「変な人、夜なんだからこんばんはって言うのがふつうでしょう。こんにちは昼間だけでしょう」
「でもここではいつでもこんにちは」
じゃあ、こんにちはと言って、女の子はいったん一文字に結んだ唇の端をゆるめて、にこにことして旅人の横に腰を下ろした。
旅人は動くことなく、ただ、同じ一点を見つめている。
「旅人さんはどこからきたの」とおしゃべりな女の子はのぞき込むようにして聞いた。それでも顔は見えないのだけれど。
「私はねえ、ロンドンって言う街に住んでるの。あなたは?」
「僕はずっとここにいるよ」旅人は答えた。
「旅人さんは旅人ではないの」
「旅人だよ。ずうっとここにいるのだけれども、それでも旅人なんだ。ここにいても旅はできるさ」
「じゃあ、ここに住んでいるの」
「ううん、すんでいる訳じゃあない。だって、僕はいつもここにはいないのだから」
「変なの」
おしゃべりな女の子も、旅人も黙って、またしばらく静寂だけが訪れる。
夜はさらにふけていって、そらはもう、ちらちらとした星たちが海を作っていた。風はさっきから凪いだまま動かない。
「ねえ、じゃあ私も旅人になれるかしら」
永遠に続くかに思えた静寂を静かに切り裂いて女の子は言った。真剣な表情だった。
「さあ、君しだいさ」と旅人もまた静かに答えた。
「どうしてそう思うんだい」
旅人が女の子をのぞき込む。そのとき初めて顔が見えて、女の子は思わずキャッと小さな悲鳴をあげた。
旅人の面持ちは幼かったけれども、瞳は青く澄んでいたけれども、その顔には醜い魔女のような深い皺が幾つも刻まれていた。旅人は女の子の悲鳴で気づいて、すぐにそれを隠してしまったのだが。
女の子はふう、と一回息を吐いて、自分を落ち着かせて言った。
「だって、私あの街が大嫌いなんですもの」
「なぜ」と旅人。
「だって、あの街は霧の街なんて呼ばれてるけど、本当は鉄道の煙の街なんだもの。確かに霧もでるけれどもね、でもいつもすすで真っ黒なの。人間だって同じよ。いつも下ばかり向いて、まあ、空なんかみてもどうせ灰色なんだから仕方ないのだけど。母様も父様もおなじ。跡継ぎの兄様のことばっかりで、私のことなんかこれっぽちも。まあ、これも仕方がないわ。
だからね、わたしパリへ行きたいの。花の都って言うでしょ。きっと、あんなところとは違ってきれいで華やかなんだろうなって。
ねえ、旅人さんは行ったことがある?どんなところだった?」
女の子は立ち上がって興奮して言ったので、少し息が切れたようだった。それでもさっきとはうってかわって、その瞳は爛々とした光で満ちあふれていた。黒く光る瞳が旅人をじいっと見つめて、その答えを、旅人の答えを心待ちにしている。
旅人、木により寄りかかり目深にかぶった帽子をさらにおろしながら答えた。
「行ったことはあるさ」
「ほんとう」半ば突っかかるようにして女の子は聞いた。
「ほんとうさ。でも、どんなところかはおしえてあげられない」
「どうして」
「だって、僕はここにいないといけないから。だから、もうだめなんだ……」
旅人の視線に促されるように女の子は空を見上げた。
いつの間にか、星の海が溶け始めていて、闇は果てしなく薄くなっていた。そう、闇に呑み込まれたお日様が今度は逆に、自分を呑み込んだ闇を呑み込もうとしているのだ。
もうじき、眠りの夜が終わる。永久の静寂は破られ、騒音にも似た心地のいいにぎわいが訪れるのだ。
「だって、もうじき、朝がくる」
旅人の言葉に女の子は振り返って彼をみた。しかし。
そこには大きな木が一本立っているだけ。女の子の問いかけに答えてくれるものなど、どこにもいない。
風がまた吹き始めた。
女の子がしばらくじいっと木の根本付近を見つめて、やがて、くるりと背中を向けて彼女の街へ帰っていく。
風の音がどこからか笛の音となって、それを追いかけていった。
END
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2005/02/18(Fri)16:39:02 公開 / umitubame
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■作者からのメッセージ
初めまして、umitubameといいます。
初めて小説というものを書いてみました。読む側から書く側へ移ってみて、なんか新鮮で楽しかったです。
この作品は“夢”をイメージして作りました。
感想など聞かせてもらえるとうれしいです。