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『子犬のララバイ』 作者:笑子 / ミステリ ミステリ
全角20563文字
容量41126 bytes
原稿用紙約66.95枚
 子犬のララバイ

 日が沈み、オレンジ色の夕焼けが教室に忍び込む。物音ひとつしない教室は昼間と違い何ともいえないムードを醸し出している。
オペラグラスを覗き込んだまま、バリッ、と美伊(みい)は煎餅をほお張る。人気のない教室に、さみしくなるほどバリボリと噛み砕く音が響いた。
「美伊、私にも一枚ちょうだい」
 隣に座りこんでいる唯子(ゆいこ)が袋に手を伸ばす。
「いいけど、じゃあお茶買ってきてよ。何だか水分欲しくなってきた」
 そう言って美伊は、黒目を上に寄せて舌を出す。【ミイラ】を表現したつもりらしかった。
「えー、今いいところだから駄目」
 唯子は煎餅をほお張ると、再びかじりつく様に窓ガラスにオペラグラスを押し付ける。
 二人がオペラグラスで覗き込んでいるのは、向かい側に立てられた校舎の一教室だ。
 教室内には、夕焼け色に染まった男女二人が、互いを見つめたまま佇んでいる。
 男の手が、彼女の腕に触れ、ゆっくりと二人の顔が接近する。
「いけ! チューしろー!」
 興奮した唯子が大声を上げる。
「うるさいな! 駄目よ真知子! そんなことしちゃ!」
 そんなことを言いつつも、美伊は自分も唯子の展開を期待していることはわかっていた。
 二人の予想通り、男女の唇がゆっくりと触れる。
「ハフーン」
「唯子、隣で発情すんな」
 唯子はもはやオペラグラスを床に置き、両手を合わせて唇を突き出していた。
「教室で禁断の愛。素敵だわー、私もチューしたーい」
「あんたが禁断の愛が素敵だと思ってるのかチューが素敵だと思ってるのか気になるね」
「両方」
 カシャッ、とシャッターを切る音が鳴る。
 美伊はすぐにカメラから現像されて出てきた写真を厳しい表情で確認する。
「嫌味なほどばっちり取れたよ。あー、なんか腹立ってきた。2年2組日高真知子(ひだかまちこ)浮気決定、証拠写真ゲット」
「仕事終了だねー。五千円ゲット! 帰りはパーッとスタバにでも行こうぜぃ」
 唯子はぴょん、と飛び跳ねる。ショートカットの茶色に染められた髪がさらっと揺れた。
「おk。電話する」
 美伊は笑顔で頷いて、携帯のボタンを押した。
 
 二人に覗きの趣味はない。もし二人が喜んでいるように見えたとすれば、それは高校生という多感なお年頃ゆえにだろう。仕事でなければ、こんな同じ学校の生徒を放課後まで付け回して素行調査などという真似、二人は絶対しない。
 仕事、と言ってもこれは部活動の一環だった。二人は【聡美探偵部】の部員なのだ。表向きには推理小説の研究、また推理小説製作を活動内容としているが、その実はこういった学校内の生徒から頼まれる浮気調査や恋のキューピット役、雑用がほとんどである。
 また、雑用内容はかなり幅広い。宿題、掃除の身代わりや時にはマネージャーのいない寂しい運動部の洗濯まで請け負うこともある。それもこれもこうでもしなければまったく収入の見込みがない【聡美探偵部】の持続のためだった。
 しかし、そんな二人の努力もそろそろ限界に来ている。

「先輩達もさぁ、受験で忙しいのかもしれないけどちょっとくらい手伝ってくれたってよくない? 私たちが活動止めたら聡美探偵部終わりだよ?」
 スタバでホイップクリームの乗ったカプチーノに唇を寄せ、唯子は不満を漏らした。
「先輩たちが勉強してるとは思えないけどね。草(そう)ちゃ……佐良島(さらしま)先輩とか昨日夜まで遊んでたらしいし」
「草ちゃんでいいって。あんたらの仲はよーく、わかってるから」
 唯子がにやりと笑って突っ込む。
「やめてよ。そんなんじゃないから」
 美伊は無表情で言い返した。唯子のこの種のからかいにはもう慣れている。
 実際、二人の関係は同じマンションの隣の部屋に住む(偶然ではない)幼馴染という関係でしかない。
 一時、草(そう)に対し淡い恋心が芽生えたこともあることは認めるが、多感なお年頃を唯子に負けず地で生きている美伊にとって、それは長続きしなかった。
 ようするに、いろいろ目移りしているのである。
「ねぇ、真知子のことなんだけどさ」
 唯子が急に話題を変える。
「うん」
「あれは、他にも男がいると私は思うんだよね」
「かもね」
 日高真知子は高校一年の通称【マドンナ】である。栗色の髪に大きな二重の目が実にチャーミングな女の子である。当然男子生徒からの人気も熱い。しかし、誰にでも気がある素振りをするためか、女子生徒からの評判は散々だった。入学当初から、なぜかこの真知子に美伊は好かれていた。先輩後輩の関係に限定すれば、礼儀正しくてかわいい後輩だと美伊は思っている。
「美伊、真知子からその手のこと聞いてないの?」
「全然。公になってる小林多喜二(たきじ)との話ならよく聞くけど……」
 小林多喜二は今回の【真知子の浮気調査】の依頼人でもある。唯子はこの依頼を五千円で受けた。
「多喜二君もいい男なのよね。失恋でかわいそうだから私が慰めてあげようかしら」
 唯子がうっとりした顔で囁く。
「えー、やめときなよ。浮気調査されるよ」
 美伊のジョークに、唯子は腹を抱えて大爆笑した。



 午後7時、美伊は自宅のマンションのエレベーターを待っていた。
 毎日のことながら帰りたくない、と思う。かと言って夜遅くまで出歩くのも時間と金の浪費だし、特に後者は切実で長続きしなかった。美伊の月の小遣いは3000円で私立のためバイトは禁止されている。よって月の収入は3000円+(探偵部のへそくり)しかないのだ。
 6階でランプがしばらく止まった後、エレベーターがゆっくりと降りてくる。
 一階につくと、チーン、と鳴ってドアが開いた。
「あ、草ちゃん」
「今帰り? お帰り」
 エレベーターで降りてきたのは6階に住む佐良島草(さらしま そう)だった。
「帰るのはもうちょっと待ったほうがいいよ」
 草が厳しい顔をして忠告する。
「今激しいバトルの真っ最中」
「マジ? がーん」
 もちろん、激しいバトルを行っているのは美伊の両親である。個性ある人間が衝突することがあるのは当然だが、美伊の両親はそれがあまりにも頻繁だった。二人がなぜ結婚できたのか、美伊は今でも謎に思う。
「夕飯食べた?」
「まだ……」
 そう言って美伊は腹を押さえる。張り込み中煎餅を食べたものの、美伊はひどく腹を空かせていた。
「ジョナサンでいいなら奢るよ。ちょうど夕飯食べに行こうと思ってたところだし」
 草はそう言ってポケットから車のキーを取り出して見せる。
「行きます行きます。もう、腹へって死にそう」
 ありがたい申し出に、美伊は心から感謝するとともに、今日彼が部活をサボったことを許してあげようと思った。
 草の車は新車の黒いセダンである。草の父親は成功した実業家でかなりの金持ちだった。草本人はそのことをあまり知られたがらないが、18歳になってすぐ免許取得とともに自分の車を購入した。ちなみに、このマンションには草一人で住んでいる。ここから数駅離れたところにある広大な彼の実家に、美伊は幼いころ何回か遊びに行ったことがあった。
 草がオートで車のドアを開ける。美伊が草の車に乗るのはまだ3回目だった。
「まったく、ウチのお父さんとお母さんもさ、草ちゃんのお父さんが私の両親が草ちゃんの面倒を見る、ていうのを条件に草ちゃんの一人暮らしを許したのに、全然見てないよね」
 助手席に深く体を沈めて、美伊は呆れたように言う。柔らかいカバーのついた背もたれが気持ちよかった。
「だって、それどころじゃないでしょ、あの二人」
 草が思い出したように小さく笑う。
「今日はそんなに激しかったの?」
 美伊の表情がわずかに曇る。派手にケンカして怪我をしないか心配になった。
「わかんないけど、何かが割れるような音はしてたよ。食器かな」
 淡々とまるで「今夜のおかずは〜」のような口調で草は言う。ぴくりと美伊の眉が動く。これだ、と思った。この淡々さは決して慣れからきているわけではない。時折みせるこの冷たさが美伊を一歩引かせる。優しい男には違いないが、きっと本当は冷たい人なんだろう、と思わせる。それは小さいころから一緒に時間を過ごしてきた美伊だからこそわかることなのかもしれない。
 静かなエンジン音がかかる。美伊はこの車に限り、このエンジン音が好きだった。草の車だから、という欲目も多少はあるだろうが、そんなことはどうでもいいことだと思った。
「なーにが、どうでもいいだ。ちぇー」
「は?」
 草が不思議そうに眉をひそめる。
「あら、私ったらうっかり声に出しちゃった? 気にしないでー」
 草が自分を見ていることがわかると、美伊はわざと大げさに肩をすくめて、小さく舌を出した。
 


 男の部屋には何枚もの写真が散らばっていた。それらは全て同じ女性のものである。
「ハァハァ……ハァハァ……真知子ちゃん……」
 男は何度も指の腹でその写真を撫でた。
 ピーンポーン、とインターホンがなる。男の全身がびくっと震えた。慌てて写真をかきあつめ、こたつの中に押し込む。バタバタと足音を立てて、ドアを開けた。
 ドアの外で待っていた女性が、にっこりと微笑む。
「こんにちわー。お姉ちゃんから差し入れでーす。っていっても、たこ焼きとお好み焼きなんだけどぉー」
 そう言って彼女は部屋の中を覗き込む。
「あ、ありがとう……」
 男はぎこちなく答えた。
「ちょっとお邪魔してもイイ?」
 そう言って上目遣いで男を覗き込む。男は予想外のことにひどく慌てた。
「だ、だ、だ、駄目だよ真知子ちゃん! その、あの、部屋散らかってるし!」
「えー、掃除してあげるよー? あ、もしかしてエロ本とか?」
 エロ本のほうが何倍もマシだった。
 真知子は勝手に部屋にあがりこむ。
「だ、駄目だったら!」
「お邪魔しまーす。うわぁ、本当に汚い部屋ー」
 真知子は差し入れ品をコタツの上におくと、散乱しているフィギュアや雑誌を片付け始めた。
「いいって、いいって!」
 男が慌てて真知子の腕を掴む。だが、真知子が「きゃん」と言って啼いたので、思わず離してしまう。
「お茶淹れてくださいよ。私これ片付けますから……」
 男は仕方なくキッチンに向かう。
 真知子はてきぱきと散らかっていたものを片付けていく。
「ちょっと、お手洗いかりますね」
 その言葉に、男は心の中でガッツポーズを取った。
 トイレのドアが閉まった途端、男はコタツに猛ダッシュする。
 コタツの中に隠した何十枚もの生温かい写真を必死にかき集めた。
 ど、どうしよう。ダンボールにでもつめておくか……・
 ガチャリ、とドアが開けられる。
「トイレットペーパーないよぅ。まったく、どこー?」
 男は6畳1間のアパートで、はっと顔をあげた。その視線が真知子とがっちりとぶつかる。
「ん? それ誰の写真?」
 真知子はあんぐりと口を空けている男の両手から、禁断の写真を一枚抜き取る。
「……これって……」
「う、うわあああああああああ!」
 男の絶叫が、アパート中に響き渡った。



 翌日の朝、佐良島草と大月国文(おおつき こくぶん)は3階の資料室謙部室に立ち寄るため、早めに学校に来ていた。大月国文は草と同じクラスで、聡美探偵部の創設者であり、部長でもある。
 職員室で部室の鍵を借りた後、国文は廊下で大きく息を吐いた。
「馬鹿な話だよな。金が絡んでなければ俺はやるつもりはなかった」
「金が絡んでても俺ならやらないけど」
 草が不機嫌に答える。
「いーや、お前はやるね、絶対やる。だってお前暇人じゃないか」
「俺、受験生だよ」
「お前に勉強なんて必要ないだろ」
 草は無言でセリフを流した。
 二人は鍵を開けて、部室に入る。部屋は二人の知らない間にかなり埃っぽくなっていた。「うわぁ。あの二人、全然掃除してねぇじゃん! 先輩が見ないと思って!」
 部屋の惨状を見て、草は笑った。美伊は無類の綺麗好きである。わけもなく大事な部室を彼女がここまで放っておくわけがなかった。もちろん大事な部室、とは彼女にとって、であるが。
「きっとまったく部に来ない部長に対して、後輩部員が行ったささやかな反抗なんじゃないかな」
 草はまだ笑っていた。
「何で俺だけ? 草も共犯だろ」
「俺、先週行った。ここには来なかったけど」
「暇人」
「いや、冗談じゃなくて、部活にはたまにでも出たほうがいいよ。美伊が掃除をしないのは最終警告だから」
 突然国文は振り返って、じっと草の顔を見つめた。
「何?」
 草が不審そうに眉をひそめる。
「いやに美伊ちゃんを怖がるのね、あなた。地球が消滅するのと美伊ちゃんが怒り出すのとどっちが怖いのかしら?」
 突然のカマ言葉に草は気色悪いと思ったが、ここで気持ち悪がると彼が喜ぶのでじっと耐えた。
「もちろん、決まってるさ」
 そう答えたものの、それから30秒たっても草はどっちかはっきり言うことはなかった。
 国文は一番奥のさびれた本棚の三段目の三冊目の本を手に取る。それからハンカチを取り出して椅子の上を軽くはたくと、そこに座って本をひっくり返した。
 数回振ると本の間から数枚の写真が机の上に落ちた。
「うわ、バッチリ撮られすぎだって。密会どころかキスシーンじゃん、これ」
「ネガもあったよ」
 本棚の隙間から、草が小さなフィルムを取り出す。
 国文はフィルムを受け取ると、写真とともに自分のカバンの中にしまった。
「俺たちがやったってばれたら、唯子ちゃんと美伊ちゃん怒り狂うだろうなぁ」
「っていうか、俺たち以外にこんなことできないでしょ」
 国文はちらりと草の顔を見る。彼の機嫌は相当悪そうだった。
「もしばれてもお前のことは美伊ちゃんに秘密にしとく? 俺はそれでもいーけど?」
 国文の言葉に、草は一瞬大きく目を開き、硬直したかに見えた。しかしすぐに声を立てて笑い出す。
「馬鹿ばっか言ってないで、とっとと燃やしちゃいな。日高真知子さんからお金もらったんでしょ」
 草の取り出した強力ライターは、写真とネガを一瞬で灰にした。
「しっかし、きったないなぁ……ちょっと掃除しよっか」
「いいよ、箒一本俺にも借して」
 国文は立ち上がると、軽い足取りで掃除用具入れに向かった。
「あれっ、開かねぇ……」
 ガチャガチャと国文は取っ手を引いてみる。よほど力が篭っているのか掃除用具入れがぐらぐらと揺れた。
「それ、コツがあっただろ。少し左に力入れてから手前に引かないと」
「あ、そっか」
 今度は簡単に開いた。
 
 ずっと待っていたのよ。
 そう言ったかのようにぐらりと、大きな人形が中から飛び出してくる。
 滑らかな扇状の曲線を描き、国文の腕の中に不時着する。
 髪。
 顔。
 手。
 足。
 ごりっと堅くて細いものが、国文の腕に触れる。
 実に、上手く作られた人形ではないか、と国文は最初思った。その腕を触り、事実を確信するまでは。
 ごくり、と草が息を呑む。瞳が驚きで見開かれている。
 確かな重さでそれは国文にのしかかった。
「うわっ!」
 国文は慌てて横に体をずらす。冷たい人形はどさ、と床にうつぶせに倒れた。
 国文の白いYシャツが、赤く染まっている。
 草は跪くと、その人形の首筋に手をあてた。
「おい、それ……まさ、まさか……」
 国文が後ずさりながら言う。
「死んでる。これ、真知子さんじゃない?」
 草は写真でしか彼女を見たことがなかった。
「な、な、なんだって? うそ、うそだろ?」
 彼の声はうわずっていた。
「国文、落ちついて。それからすぐに職員室に行ってきて、国文? 早く!」
 草に一喝され、国文は慌てて部屋から飛び出していく。
 草はこれ以上モノに触れないように気を配りながら窓のところに行く。
 窓ガラスは割られていた。破片は片付けられたのか、落ちていない。
 真知子の胸元には、小さな果物ナイフが垂直に刺さっていた。心臓を一突きにされたようだ。それから異様に腹の部分がへこんでいた。制服を着ているのでわからないが、腹をえぐられているのかもしれない。
 草は注意深くあたりを見回す。だいぶ前にここに来たときから、汚さ以外はこれといって変わったものはなかった。
 電話したいな、と草は思った。でも、もうすぐ先生たちが駆けつけるから、持ち込み禁止になっている携帯は堂々とは使えない。それに、表向きにこの部屋に入ったのは彼女たち二人だけなのだから、すぐに学校と警察から連絡が入るだろう。
 バタバタと大きな駆け音が近づいてくる。
「佐良島君!」
 彼を見つけた先生がさけんだ。二人の先生の後ろに、国文もいる。
 国語の川島先生と保健の沢渡先生だった。半信半疑で連れてこられた二人も、倒れている女子生徒を見つけると息を呑んだ。
 沢渡先生が、屈んで真知子を覗き込む。
「死んでます」
 草が低い声で沢渡先生に言った。
「さわった?」
「脈を取りました」
 川島先生が部屋に常設してある職員室直通の電話をとった。
「もしもし、川島ですが。えぇ、あの、残念なことですが2年2組の日高真知子さん、本当に亡くなってます。警察に連絡してください」
「これ、殺人だな」
 いつの間にか草の隣に立っていた国文が、小さな声で耳打ちする。その表情には数分前の慌てようは1ナノメートルも残っていない。むしろその眼差しには期待感さえ含まれている。
「たぶんね」
 草はなるべく意識的に冷たい声で、自分は興味がないことをアピールした。
「おい、草。俺たちの属する部は何だ」
「ミステリー研究部」
 草は即答した。
「そうだ。ってアホ。聡美探偵部だ。そうとも、俺たちは探偵の卵だ」
 草は思い切り嫌そうな顔をした。
「そんなの、警察に任せればいいじゃないか。犯人が自首するかもしれないし」
「しないかもしれないじゃねぇか。とにかく、俺はやるぞ。真知子ちゃんは俺の依頼人だったんだからな。……草。俺が首突っ込んだら確実に唯子ちゃんと美伊ちゃんも参加するぞ。何たって美伊ちゃんは……」
「勝手にすれば」
 国文が言い終える前に、草はそう吐き捨てた。
「……草。こぇぇよ、お前、その顔。お前が殺したんじゃねぇだろーな?」
 国文の発言に、他の二人が振り返る。
「大月君。そういうふざけた発言は止めなさい!」
 先生に厳しく一喝されて、さすがの国文も警察が来るまでは大人しくすることにした。

 しばらくして、数台のパトカーと救急車とともに、二人のもとに一人の刑事が寄ってきた。まだ20代後半いってるかいってないかくらいの、若くて髪の短い男だったが、無精髭が伸び放題だった。
「初めまして。都警の後藤譲二(ごとうじょうじ)です。えーっと、君たちが第一発見者の大月国文君と、佐良島草君だね?」
「そうです。真知子さんはそこのロッカーの中にいました」
 国文は笑顔でロッカーを指差す。後藤はちらり、と開け放たれたロッカーを見た後、上着のポケットから白いメモ帳とペンを取り出した。
「どうして朝早くから資料室に立ち寄ったのかな?」
「部活の資料を取るためです」
 国文は写真とは言わなかった。
 男は更に質問を続ける。
「それはすぐに必要なものだったのかな?」
「ええ。それはもう。できれば昨日取りに来たかったくらいで」
「昨日の放課後取りに行こうとは思わなかったの?」
 国文は難しい顔をする。
「もしかして、刑事さん。俺たちのこと疑ってます?」
 その質問に、後藤はにやりと笑っただけだった。
「これも仕事だからね。すみませんが、署までご同行願えますか?」

 警察署に連れていかれた二人は、婦警に案内されて取調室に入った。
「ちょっと待っててくださいね」
 そう言うと、婦警は二人を残して部屋を出て行く。
 ドアが閉められると、国文はパイプ椅子に深く座ってから伸びをした。
「疑われてるね」
 そう言って草は用意された緑茶を口に含んだ。お茶はぬるくてまずかった。
「俺さー、初警察署INなんだけどー、赤飯炊いてくれる?」
「あぁ、それを言うなら俺の分も」
 国文は白い天井を見上げる。天井は埃が溜まってさびれていた。
「きったない部屋ー。ま、いいか。ところでさ、草。お前犯人わかった?」
 場所を選ばない発言に、草は眉をひそめる。
「ここ、取調室。カメラ回ってるんじゃない?」
「いーよ、別に。やましいこと何もないし。ちなみに俺はわかんない」
 国文が促すように草を見る。草は国文を一度睨みつけた後、視線をお茶に移した。
 草が手を伸ばすのよりも先に国文がそのお茶を取り上げる。国文はべぇ、と舌を出した。
「……俺もわかんない。どうやって殺したかが多少思いつくらい。しかもそれもかなり曖昧だけど……」
 手を伸ばした姿勢のまま、草は言った。
「言ってみろよ」
「……」
 草は湯呑みを手に取ると、深く椅子に座りなおした。
「まず、聡美探偵部が犯人じゃないと仮定する。聡美高校の鍵は合鍵が作れないようにできてるから、普通部屋に入るためには職員室に入って先生から鍵を借りるしかない。でもそれはまずないだろうね、先生に聞けば誰が鍵を借りたかなんてすぐわかる。犯人が自白しようと思ってない限りはそんなことはしないだろう。鍵を使わないとすると、犯人は窓から侵入するしかない。たぶん、犯人は真知子さんを外で殺害した後、3階までロープか何かを使って真知子さんを抱えて上ったんだ」
「すげぇ怪力」
「それなりの機械を使えば女の子でも子供でもできるよ。窓の横には本棚を留める金具が留めてあったから、そこにかけたんだと思う。そして開いていた窓から入った犯人は真知子さんの死体をロッカーの中に隠した。いや、捨てたのかな、それはわからないけど」
 国文が首をひねる。
「あの部屋に死体を運ぶ理由は?」
「さぁ。聡美探偵部に疑いの矛先を向けたかったとか? あの部屋は部員以外はほとんど使わないからね。真っ先に疑われるのは部員だよ。しかも、あの二人は昨日放課後まで部活動の一環で真知子さんの後をつけてる」
「それだと校内に犯人が限定されねぇか? まったく外部の犯行だったら?」
「何の事情も知らない外部の犯行だったら、3階まで死体を運ぶメリットなんてないよ」
「真知子ちゃんが鍵を借りていたら、犯人を呼び込んでから殺された可能性もない?」
「鍵は返されてたから、同じことだよ。っていうか、お前、さっきから聞いてばっか。部長なら少しは自分で考えろ」
 国文は得意げに両手を合わせる。
「俺にもとっておきの説があるさ。俺の説はなぁ、なんと、お前の仮定を取り外さない説」
 そう言って国文は得意げにフフンと笑った。
「今のところ否定できないよね。あの二人が殺したとすれば一番スマートで現実的」
「……おい」
 驚いたように国文が草の顔を見る。
「……俺、冗談のつもりなんですけどぉー」
「そうなの? 全然気づかなかった」
 草は一瞬笑いを漏らすと、冷めた不味いお茶にもう一度口をつけた。



 警察から電話がかかってきたとき、美伊は比較的冷静に対処することができた。警察よりも早く、草から電話があったからだ。
 電話が終わると、美伊は受話器を置いてからフラフラとソファーに腰掛けた。
「美伊、何だったの? いきなり警察から美伊に電話かわってくれ、なんて言われてお母さん心臓停まるかと思ったんだけど?」
 美伊の母、静子が心配そうに顔を覗き込んでくる。静子、という名前の割には彼女はひどくおしゃべりだった。実は、静子は美伊の生みの親ではない。美伊の生みの親は彼女を生んですぐに死んでしまったのだ。静子は美伊の父、牧野渡(まきのわたる)と結婚する前は、草の実家で家政婦をしていた。牧野渡と草の父は大学時代からの親友だったらしい。     
 男手一つで赤子に悪戦苦闘する主人(もちろん、夫という意味ではない)の友人を見て、いてもたってもいられず妻に立候補したということらしかった。もちろん、美伊は100%その話を鵜呑みにしたわけじゃない。他人の子供のために、自分の夫を決めるほど静子はお人よしではないし、その間にはもっと込み入った男女の愛憎があったのだと彼女は女の感で思っている。父に対する愛情がなければ、ここまで自分を娘扱いしてくれるわけはない。働かせたのはあくまで女の感、であって子供の感、ではなかったが。
「同じ学校の子が死んだって……。学校で発見されたらしいよ」
「聡美高校で!? 誰!?」
 身を乗り出してくる静子を美伊は両腕で押し返す。
「お母さんの知らない人ー。新聞にのるかもね。……で、その人のことで呼び出されたの。もうちょっとしたら私警察のところ行くから……」
「自殺なの?」
「……殺されたって警察の人は言ってたけど……」
「それで、何で美伊が行かなくちゃいけないの? 学校中の生徒が呼ばれているわけじゃないんでしょ」
「それは……」
 美伊は一瞬言葉に詰まる。静子には聡美探偵部に入っている、とは言っているが、その実際の活動内容までは言っていない。例えば昨日のような仕事の場合、少なからず咎められることがわかるからだ。
「その子の遺体が聡美探偵部の部室で発見されたから。部室に入る人って限られてるし、私も昨日そこ入ったから……いいや、もう行くね、ちょっと早めに行く」
「あらやだ、それじゃ美伊、疑われてるの? お母さんも行ったほうがいいじゃない」
「お母さん行ってもしょうがないって。授業参観じゃないんだから。それに、草ちゃんも呼ばれてるみたいだし、たぶん皆も」
「あら、草ちゃんもなの」
 娘一人が警察に呼ばれたわけでもない、さらに自分のよく知るお隣さんもそうだとわかって、静子はやっと眉間のしわを伸ばした。
 玄関に向かう娘の姿を、静子が心配そうに見守る。
 靴を履いたところで、くるりと美伊は振り返った。
「大丈夫だよ、お母さん。だって私、殺してないもの」
 美伊はにこりと微笑むと、腰まで伸びた髪を軽く手ではらって家を出た。
 
 マンションを出て、バス停まで歩くと携帯が鳴った。
「はい、もしもし」
『はよー、美伊。唯子だけどー』
 電話は唯子からだった。幾分緊張した声だった。彼女も真知子が殺されたことを聞いたからだろう。
『これから警察んとこ行くんだけどさ、真知子が死んだって、しかも、他殺だなんて、私まだ信じられない』
 美伊も同感だった。二人は昨日夕方まで真知子の後をつけ、写真を撮っていたのである。
 警察の話が本当なら、あの後何者かによって真知子が殺されたことになる。しかもロッカーに死体を詰め込むなんて。
『やっぱさ、昨日真知子とキスしてた後藤順平か、小林多喜二があやしいよね。愛と怨恨ってやつ?』
「安いサスペンスドラマじゃないんだから」
 美伊は不謹慎にも少し笑ってしまった。
 でも、その可能性は十分にある。人間の日常なんて、他人から見たらほとんどが二足三文の価値にもならない。殺人だってそうだろう。アクション映画や猟奇モノ映画が売れるのは人が死ぬからじゃない。死に方が非日常だからだ。実際、そういう行動の取れる人がいたとして、自分の恋人を銃弾から守るために盾になったり、憎い相手をわざわざ猟銃で足のつま先から徐々に撃ち潰していくなんて状況に出くわせることはまずない。そういう思いを持っていても、大概が老いて癌かその他の病気にかかり、もしくは大往生で平凡に死んでいくはずだ。それ以外で死のうとしたら、安いサスペンスの手法に頼るしかない。劇的なシチュエーションで死なせてあげます、という物騒なボランティアがあれば話は別だが。どこを映画化すればいいかもわからないほど起伏の少ない生活。でもそれは本当に価値がないわけじゃない、誰しもが他人のためではなく、自分のために生きているからだと美伊は思っている。二時間やそこらで人の一生を画ききろうとする映画に、そもそも人間の毎日の積み重ねなど表現できるはずがないのだ。
 バスが到着する。美伊は多少声を小さめにしながらも、携帯を持ったままバスに乗り込んだ。
『でもさ、薄気味悪いよね。犯人って、私達を犯人にしようとしてるみたいじゃん』
「あぁ、なんか佐良島先輩もそんなこと言ってたな。確かにそれは怖いよね」
『え、美伊、草先輩から電話あったの? へぇー、私は国文先輩。ふふ、羨ましい?』
 美伊は思わず頬を赤く染めた。
「うるさいなぁ、羨ましくなんかないよ!」
 電話の向こうで、笑い声が響く。
『私はどっちかっていうと、物静かな草先輩のほうが好きなんだけどなぁー』
 恋する乙女のような口調が、電話の向こうから鼓膜に響いてくる。
 実になぜか腹立たしい。  
「あ、そ。勝手にすれば?」
 気づけば誰もが振り向くような大声で、美伊は携帯に向かって喋っていた。

 警察署についてすぐ、美伊は取調べをうけた。すぐに唯子も合流したが、草と国文は別室らしく、顔を合わせることはなかった。
 部室に入ったときも出るときも二人きりで真知子には会っていない、という証言はなかなか信じてもらえなかった。見たくもない死体写真を何度も見せられ、吐きそうになる。あまりに露骨にしつこく犯人扱いされたので、最後には唯子が「言ったこと信用できないんなら取調べなんかするんじゃねぇ!」と怒り出したほどだ。
 
 そしてぐったりと疲労感だけが残る質問攻めから開放された二人が警察署を出ると、すでに日はとっぷりと暮れていた。
「あったまきた! 人を犯人扱いしやがって! べぇ!」
 唯子は建物に向かって舌を出す。
 美伊もくたくただった。
 犯人が捕まるまでこれが続くのかと思うと欝になる気持ちを抑え、早く家に帰りたいと思った。
 美伊の携帯が鳴る。唯子が振り返った。
「はい。もしもし」
『美伊ちゃん? 俺、国文だけど』
 どきん、と美伊の心臓が大きく鼓動する。全身の神経が耳に集まっていく感じがする。
「大月先輩ですか、どうしたんです?」
 できるだけ冷静に、平常心を保った声を出す。自分の平常心の声って、どんな声だっけ?
 唯子がひゅーっと口笛を鳴らした。
『事件のことでさ、犯人俺たちで捕まえようって思って。草のマンションこれる?』
「は? 犯人を捕まえるぅ?」
『そそ、俺たちに喧嘩売ってきて殺人なんてした犯人をとっちめてやるのさ』
 電話の声は軽い。喧嘩を売る、とは部室での殺人のことだろう。
「え……どうして?」
『興味ないの? 犯人が誰だか、どうやって殺したのか知りたくない? 聡美探偵部ならきっと解けるよ』
 美伊は思わず唯子と顔を見合わせた。
「何々? 美伊どしたん?」
 と唯子。
「犯人探しするって……」
「へー、マジもんで部活動する気かぁ、国文先輩。いいよ、私は行く。頭きてたとこだし。犯人見つけてやろ!」
 美伊は少し考えてから諦めたように二回ほど頷く。
「あ、国文先輩? わかりました。行きます。唯子も」
『おっけい。マンションで待ってるね』
 ため息をついて電話を切る。
「美伊? どーしたの? 顔色悪いよ?」
 俯いた美伊の顔を、唯子が覗き込んだ。
 唯子の顔を、美伊は軽く睨みつける。
「私の周りの人ってさぁ、人が殺されて普通に悲しむ人っていないわけ?」
「あー……」
 美伊の言葉に、唯子は肩を竦めて少しだけ反省したそぶりを見せた。



 そんなわけで、草はキッチンで4人分のスパゲティを作らなければならなかった。
 ソースは市販で売っているものを使うので、ほとんど茹でるだけなのだが普段一人分しか使わない鍋で4人分の麺を茹でるのは楽ではなかった。
 麺を入れる。
 かき混ぜる。
 塩を入れる。
 かき混ぜる。
 後五分ほどで美伊と唯子もここに来るだろう。これからここで今日の事件について推理大会が行われるのだ。実にくだらない、と思っていることは確かだが拒めなかった。自分がそういう人間だということに、草はほとほと飽き飽きしていた。
 国文はソファーに座ってTVを見ている。ここに来たのは初めてなはずなのに、彼は自分の家のようにくつろいでいた。
「草さぁ、ヒグラシって漢字わかる?」
 と国文。突然だった。
「虫に周(まわ)るで蜩でしょ」
 顔にかかる鍋の蒸気が熱い。
 国文が草のほうをみる。
「試験の復習したの?」
「え?」
 火を止めて、麺をフライパンに移す。ソースはどこにあったっけ……。
「草、お前さ、こないだの模試その漢字だけ落として198点だったろ。俺が200点満点取ったやつ」
「あぁ……そうだよ。あの後解答見て覚えたんだ」
 大皿盛り付けたスパゲティを、草はテーブルの上においた。
「ふーん……」
 つまらなそうに、国文はTVに視線を戻す。ニュースでは、今朝の事件が大きく取り上げられていた。
「お前さぁ」
 国文がもう一度口を開く。
 あぁ、パセリのっけちゃったけど、まぁいいか。美伊が自分でよけるだろ。
「何?」

「何がそんなに怖いの?」

 草の動きが止まった。それからすぐに小さく笑う。
「いろいろあるけど、並の人よりは少ないと思うよ」
 母親に悪事がばれた時のような、恐怖よりはむしろほっとした気持ちがあった。
 うれしい、と言ってもいいかもしれない。
「満点とって化け物扱いされるのが怖い? 周りが気になる? だからいーっつもわざと皆が間違えそうなところで一問ぽとっと間違えるわけ?」
「そんな出題者に失礼なことしないよ」
 それでも、草の声は幾分上ずっていた。
「いーや、するね。お前の辞書に礼儀なんてものはありません」
 と国文。
 草はテストを受けるときの緊張感を思い出していた。死刑を宣告された罪人のような気持ちで問題用紙を一通り読み、失望のため息を漏らす。それでもそんなことはきっと、高校までのことだ。
「俺と草って似てると思うんだけど、やっぱり違うんだよな。気を使わなくても俺はうまく溶け込んでいるからね、周りと。草はへたくそだけどさ」
 国文はパセリを指先でつまむと、パクリと口の中に放り込んだ。そうだ。この男は今まで満点しか取ったことがないくせに、草よりずっと人気者で友人がたくさんいた。
「……きっと、人に合わせようとする機能が俺は人より働かないんじゃないかな。これでも精一杯やってるつもりなんだけど。国文みたいにはいかないよ」
 精一杯、という言葉に自分で疑問を抱きつつも、草は言った。
「勇気出せよ、草。俺がいるんだからさ。他の奴らなんてどーでもいいじゃん」
 誘いとも取れる言葉で、国文はにやりと笑った。
 無言でにらみ合う二人。
 ぴりぴりとした空気が二人を取り巻く。
 
 ピーンポーン。

「来たね」
 草は素早く立ち上がると、彼から逃れるように玄関にむかって行った。




「つまり、私が思うのはね、こういうことなのよ」
 ビール缶を片手に、ホワイトボードの前でいきりたつ唯子を、草と国文が唖然として見つめている。
「唯子ちゃんて、酔うと教師タイプ?」
 国文が美伊に小さく尋ねる。
「教師タイプというか、おばさんタイプというか、まぁ、ええ、よりアクティブにはなりますね」
 美伊は苦笑いして応える。
「そこ、私語はつつしみたまーえ」と唯子。
「すいません、先生。授業を始めてください」と国文。
 机の上には空になったスパゲティーの皿とビールの缶が散乱している。キッチンの奥では草がさらにつまみをつくるよう唯子に命令されていた。
 美伊と唯子が警察から事情聴取を受けている間、早めに開放された草と国文はその足で学校に向かい真知子の交友関係を調査した。もともと小林からの依頼で真知子の男関係についてはかなり調べられていたので、足跡を追うことは難しくはなかった。
 唯子はコホン、ともったいぶった咳をするとスピーチを始める。
「まず、資料にもあるように、真知子殺しの容疑者として浮かぶのがこの三人です。一人目が小林多喜二聡美高校2年生。彼は私と唯子に真知子の浮気調査を依頼しました。真知子の浮気が発覚した後、美伊が彼に電話を入れてます。動機は十分。そして、二人目が後藤順平(ごとうじゅんぺい)聡美高校一年生。いわずもがな、真知子の浮気相手です」
 国文が手を上げる。
「先生。後藤順平の動機は?」
「ずばり、愛憎でしょうね。二人は愛し合っていました。しかし、真知子には世間に公認された小林多喜二という男がいます。小林多喜二とは親に紹介しあう程の中。親の圧力もあったのでしょう。先の見えない愛に絶望し打ちひしがれた後藤順平は思い余り、とうとう真知子を……というわけです。あ、草君つまみできたかね?」
 草が持ってきたのはピーナッツのバター炒めだ。
「唯子。親の圧力なんて本当にあったの?」
 美伊がたずねる。
「いや、想像。だってそうじゃないと辻褄あわないじゃーん」
 唯子はしれっと舌を出す。
「そういうの、妄想って言うんだよ」
 美伊が冷ややかな目で唯子を睨む。
「推理なんて百パーセント妄想だよ。美伊ちゃん話の腰折らないの。ささ、唯子先生続けてー」
 と国文が続きを促す。
 美伊は不満げに、しかたなく口を閉じる。国文は酒が入っていることもあるのかこの上なく楽しそうな顔をしている。
「三人目、最後の容疑者は寺島伸一(てらしましんいち)25歳。フリーター。これは私も初耳だったのですが、国文君、この資料に偽りはないのかね?」と唯子。
「はい。真知子ちゃんのお姉さんからなので、信憑性は高いですね」
「うむ」
 と唯子は納得したように頷く。
「寺島は真知子の姉の彼氏ということになってはいますが、その実、彼は真知子に近づく機会を窺っていた。現に真知子は姉に頼まれ何回か彼のアパートにも行ったらしい」
「今度はどんな妄想が待ってるわけ?」と美伊。
「あぁ愛しい真知子ちゃんっ! しかし僕は君のお姉さんの彼氏、そして君にはちゃんとした彼氏もいる。どうすればいいんだこの思いっ。しかも年も離れているし……。苦しいっ、この苦しみを終わらせるにはもうっ……ううっ!」
 唯子が待ってましたとばかりに大げさな身振りつきでセリフを言うと、膝がテーブルに当たって大きく揺れた。
「唯子! ビールが零れるでしょ!」
 美伊が慌てて倒れた空き缶を片付ける。
 国文は腹を抱えて笑い転げていた。
「以上が、私、唯子先生の容疑者リストです。犯人はこの三人の中の誰かでマチガイない」
 膝をさすりながらも唯子は自慢げにスピーチを終えた。
「よし、明日はこの三人に聞き込みをしよう! そして犯人を確保だ!」
 国文が拳を握り締めて立ち上がる。
「はい! ついていきますぜ! 室井さん!」
 酒に酔った唯子がそれに続く。先生のシチュエーションは終わったらしい。
 そんな二人を冷ややかな目で見つめるも、美伊だって推理しなかったわけではない。これは推理好きの宿命である。人の死を悲しむ一方で誰がやったのか、どうやって? という疑問が常に頭の中をちらつき、仮説を立てる。美伊も容疑者の予想は大体唯子と同じだった。校内の端の部屋という場所から、通り魔とは考えにくい。そうすると内部生の犯行の色が強くなる。そういう意味では美伊は寺島伸一という男は犯人の対象からはずしていた。殺した方法も窓から侵入したこともわかっている。でも、誰が?
 突然、冷たいコップが頬に当てられる。酔い醒ましの水だった。
「大丈夫? ちょっと酔った?」
 そう言うと草は自分も冷たい水を一口飲む。気づけば草よってテーブルの上はきれいに掃除され、つまみを残した食器以外全部片付けられていた。
「ごめ……草ちゃんに全部やらしちゃって」
「いいよ。他にすることなかったし」
 草が少しだけ柔らかく微笑む。美伊は草が人前でこういう表情をするのを見たことがない。
 コップを受け取り水を少し口に含むと、ひんやりとした波が酒の熱に浮かされた思考を洗い流す。
「ねぇ、草ちゃんは誰が犯人だと思う?」
 草は美伊の隣に座ると、軽く目を閉じて考える素振りを見せた。
 美伊は草の顔を見てじっと待つ。もったいぶるような沈黙の後、
「全然わからない」
 返ってきた言葉はあっけなかった。
「ウソ。本当は絞り込んで予想してるくせに。教えてよ」
 美伊は食い下がる。
「だってさ、凶器はナイフ。犯人は鍵か割れた窓ガラスから侵入。窓からなら誰でも入ることができた。わかるのはそれだけでしょ?」
「そうだけどさ……」
「ようするに、誰でも真知子さんを殺すことが出来た、とういことだよ。警察に疑われている人だけじゃない。ちょっと学校の前に立ち寄った通行人だって彼女を殺すことはできたんだ」
 そこまで話して、草はコップをテーブルの上に置いた。
「でも、ただの通行人が学校の3階に上る道具を持っているなんて考えづらい」
「あり得なくはないよ。真知子さんと会ったこともない見ず知らずの人が、もしかしたらずっとあの学校の3階に登ってみたいなーという願望を持っていて、偶然真知子さんを見かけたときたまたま殺したいという欲望が発生して殺して登って隠してみたらそこが聡美探偵部の部室だったのかもしれない」
「ますますありえない。大体、あった瞬間殺したいと思うなんて、理解できない。思いっきり危ない人じゃない」
「そうかなぁ。美伊はどういう理由だったら、理解できるの?」
 と草は訊いた。
「それは……やっぱりお金とか地位とか憎しみとかが理由ならわかる気がするんだけど……」
「お金や地位で人が殺せたらそこらじゅうで殺人事件がおこっちゃうよ」
 と草。
 美伊は少し考え込む。
「それは……多くの人がお金や地位より人の命が大事だと思うからでしょ?」
と美伊は応えた。
「だから、人の命よりお金や地位や憎悪を優先させた人が、殺人を犯すことができると思うんだけど……」
 美伊は上目遣いで草の様子を窺う。草はまた少し微笑んで、
「俺もそう思う」と言った。
 美伊は満足してバターピーナッツを口に運ぶ。甘くて香ばしくて旨かった。
 ふと疑問に思う。
 彼には命より大切なものがあるのだろうか。
 自分には、ある。けれどもそのために人を殺せるだろうか。
 きっと、殺せない。命より大切なものがあるのに命を殺せない。
 矛盾だ。
 肉体的な命の前に、精神的な命がある。
 尊厳かプライドかそれともまったく別のものなのか。
 それでも、そのための殺人なら納得できる気がする。
 わからない何かのために人を殺せない私。
 何かのために人を殺す誰か。
 二つは同じ気がする。
 ズキン。
 頭が痛い。
 誰かが呼んでいる気がする。
 彼はその答えを知っている?
 痛。
「美伊!」
 頬にひんやりとした指の感触を感じて、美伊はうっすらと目を開けた。
 目の前に草の顔がある。彼の後ろに心配そうに自分を覗いている二人の姿もあった。
「大丈夫? 顔真っ青だよ」
「あれ? 私、いつのまに寝ちゃ……っ!」
「頭が痛いの? ……薬持ってくるから……」
 立ち上がる草の腕を、無意識に掴む。
「美伊?」
「……大丈夫だから」
 言った瞬間に、がくりと足が折れる。
 目の前が真っ暗だ。
「美伊? おい!」
 
 考えたことがなかった。
 何かのために死ねる私を生かすのものは何?


 
 キャンキャン。
 僕は吠える。
 愛しい人のために。
 僕は戦う。
 するどい牙をもち、相手を威嚇する。
 世界の初めの三日間。
 僕を愛してくれた人が、僕の永遠の愛しい人になる。


 翌日のお昼、美伊は複雑な気持ちで1年2組のクラスの前に立ちすくんでいた。
 後藤順平に話を聞くのが美伊の役割である。小林多喜二は唯子が、寺島は真知子の姉のコネがある国文が話を聞くことになっている。草はそのとき、洗い物がなんとかと言ってうまいこと逃げ出していた。草がいつもの部活動と違って乗り気でないことはわかっていた。美伊もそうだったが、二人の理由はきっと違うのだろうと思う。美伊のような死者に対する気後れや遠慮などはきっと根本的に草にはない。草の母親が死んだときもそうだった。涙ひとつ見せずに……。
 もし、私が死んだら?
 彼は、やはりなんとも思わないのだろうか。

 望遠鏡越しで見覚えのある姿が目に入る。
 美伊は意を決して教室の中に入り、話しかけた。
「あの、後藤君? ちょっといいかな」
 後藤は一瞬不思議そうな顔をしたあと、あ、と言い彼の友達に一言二言話すと立ち上がる。
「聡美探偵部の牧野先輩ですよね?」
 後藤は少し高めの、柔らかい声をしていた。
「うん。私のこと、知ってるんだ?」
「聡美探偵部って有名ですから……ほら、うちの学校の成績上位者1位2位が入ってる部活だし……新規部員を募集しないっていう変わった部活だし」
 国文と草のことである。新規部員を募集しないのではない。勧誘しようと提案すると、国文が尽く拒否するのだ。
「実は俺も、聞きたいことがあるんです。ちょっと、外行きませんか?」
 美伊は軽く頷くと、二人で校舎の外に向かった。
聡美高校は川沿いに建てられた学校のため、土手全域がグラウンドに含まれる。そこは陸上部のマラソンや運動部の筋トレなどに利用されていた。
二人が外靴に履き替えたときだった。
「ん? ……なんか聞こえる……」
 と美伊が呟く。
キャンキャン、と子犬のような鳴き声がしたのだ。
二人は顔を見合わせ、声のするほうに向かって走った。
校舎の裏側まで走ると、影がさして、人通りもない。近くの教室から賑やかな声が聞こえるだけだ。
「いた!」
 美伊が叫ぶ。
 茶色く、小さな耳がピンと立っていて、愛らしい。
 子犬は尾を立てながら非常階段に向かって吠えている。
「どうしたんだろ?」と後藤。
 美伊は子犬に触れようと近寄った。
「美伊」
 と階段から声がかかる。
 美伊は一瞬、びっくりして階段を覗き込んだ。ゆっくりと女子生徒が階段を降りてくる。
 それは同じ学年の美伊の去年のクラスメイトだった。
「奈々……。久しぶり。こんなところで一人?」
 美伊が奈々に歩み寄ろうとすると、奈々は妖しく微笑んで背中を見せた。
 美伊が首を傾げる。
 最初に気づいたのは後藤だった。ぱくぱくと口を動かし、指を指す。
 その後、美伊も絶句して後ずさる。
 赤い血。染まる制服。突き刺さったナイフ。
 刃物を突き立てられた人形は悲鳴も上げずにただ目的を果たすだけ。
「奈々!?」
 と美伊が叫んだ。
「ね、美伊。犯人わかった?」
 奈々が笑顔で美伊に尋ねる。まるでナイフのことなど気に留めないように。
 後藤はそのせいで、一瞬、これはドッキリか何かなんじゃないかと思った。
「奈々……。いっ、今すぐに先生とか、救急車とか呼んでくるから!」
「いいのよ美伊」
 奈々が美伊の腕を掴む。美伊は驚いて奈々を見た。
 その手はわずかに震えていた。
 美伊の頭に日高真知子がフラッシュバックする。
 赤い血。写真。キス。警察。刃物。
「後藤君!」
 奈々が叫ぶと、後藤が急いで職員室へ駆けていった。
「お願い、奈々……誰にやられたの?」
 と美伊は言った。
「……知らない人」
 奈々は笑って応えた。
「男の人? 女の人?」
 ぐらりと弧を描くように、奈々の身体が美伊によりかかる。
 しっとりと湿った制服が、美伊の腕と制服を赤く汚した。
「美伊」と奈々が呼ぶ。
「これは単純な推理ゲームなんだ」と奈々が言った。
 美伊はその瞳を覗き込んでみたが、その意図することはわからなかった。
「どういうこと? 何を言ってるの、奈々?」
「私が真知子を殺したの。そして私は私以外の誰かに殺されたの」
 ごぽっと喉から乾いた音がして、奈々が血の塊を吐き出した。
「美伊は誰が犯人か当てなければならない」
「なぜ!?」
 強烈な血の匂いと奈々の放つ死のオーラで、美伊は頭がおかしくなりそうだった。
 混乱し、無防備になった美伊の心が悲鳴を上げている。
「犯人は……美伊を殺すまで……人を殺し続けるから」と奈々が言った。
 美伊の表情が凍りつく。
 役目を果たした人形は、満足そうに微笑み、ゆっくりと目を閉じた。
 そして永遠に覚めることのない眠りにつく。
 バタバタと階段を駆け下りてくる音がする。
 犬がまた吠えた。
 美伊はうつろな瞳を階段に向けた。
 彼女が見たのは、ペンチを持った大男だった。黒いフードをかぶり、マスクをして、茶色いグラサンをかけている。
 息が荒く、ひどく興奮しているようだった。
 大男は美伊に近づき、ペンチを振り上げた。
 殺される。
 逃げようと思ったのに、身体が動かない。自分に折り重なっている奈々の身体がひどく重いと思った。
 美伊はぎゅっと目をつぶった。
 激しい痛みが、頭部を襲う。
 あまりの痛みに、彼女は目を開けたが、涙で目がかすんでよく見えない。
 美伊は大の字に地面に倒れた。頭から、血が流れている感触がした。
 大男が、もう一度ペンチを大きく振り上げる。
 銀色の金属が目の前に迫る。
 顔に当たる、と思ったとき、それは直前で止まった。
 ペンチを握る大男の腕を、誰かが押さえていた。
「お前が犯人なのか!?」
「……くそっ!」
 大男が悔しそうに叫んだ。
「お前っ、警察に付き渡してやる! 観念しろっ!」
 大男はペンチを振り回し、掴まれた腕を振り払った。
 ペンチが腕に当たったのか、押さえていた男の顔が痛みに歪む。
 大男はその隙に駆け出して逃げていく。
 男は舌打ちして数歩追いかけた後、諦めたように首を振って戻ってきた。
「大丈夫? 美伊ちゃん」
 冷たい指先が、美伊の頭皮に触れた。
「大月……先輩?」
「うん、国文だよ。大丈夫。頭の傷は……たいしたことはない」
 国文のいたわるような声が、頭の痛みを和らげる。
「先輩……私……犯人……」
「うんうん。わかってるから。とりあえず、保健室行こうな」
 国文は軽々と美伊の身体を持ち上げ、再び優しく微笑んだ。
 人を安心させる微笑だった。
 美伊も力なく微笑み返す、頬の筋肉が張って、頭がキーンと痛んだ。
「いたっ」
「大丈夫。もう大丈夫だから」
 何かのまじないのように、大丈夫と国文はその言葉を繰り返す。
 すると、なぜか彼女もそんな気がしてしまうのだった。
 彼女は安心してゆっくりと瞳を閉じる。次に彼女を襲ったのは、心地よい疲労という名の眠気だった。

 僕は犯人を見た。顔は見えなかったけど、次に会えばすぐわかる。人間にはひとそれぞれ独特のにおいがあるから。
 でも人間はそういうわけにはいかない。人間は耳も悪いし鼻も利かない。目で見たことしかわからないくせに、その目もあまりよくない。
そのくせ自分は世界の支配者です、なんてほら吹いているんだからまったくもってしょうがないや。
 もっとも、僕のご主人様は違うけどね。




つづく







2005/03/10(Thu)23:11:39 公開 / 笑子
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■作者からのメッセージ
お久しぶりです。国立の発表日も、無事迎えることが出来ました(謎)あんまりしゃべりたくないですけど、結果報告を。ええー、見事第一志望の国立《滑り落ちました》えーん。やっぱ好きなことやりながらは無理みたいです笑高校生のみなさん。二兎追うものは一兎も得ず。三兎追うものは四兎失う、です。もう一年大学いきながら、今度はまじめに受験勉強しようかと><でも、作品書かなくても、読んで感想書くぐらいだったらいいよね(悪魔の声)しかし、これじゃ受かっても実質ニ浪じゃん汗二十歳の大学一年生……老けすぎですか?汗ま……春の間はそんなこと忘れて読書と執筆にふけまくります。春のうちにこの作品を完結させねば……。読んでくださった方、感想を下さるとうれしいです。辛口コメントも喜んで承ります。受験応援してくださった方、本当にありがとう。その気持ちに今年こそは応えます笑
とまぁ、つまらない私の事情はほっといて、作品は今中盤といったところです。子犬のララバイの子犬はコイツです。タイトルになってるくらいだから、これからもっと物語りに関わってくると思います。
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