- 『昔憧れた勇者に 二話』 作者:森山貴之 / アクション アクション
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気づいたら、目の前には銃が落ちていた。
気づいたら、彼女は泣いていた。
気づいたら、銃を手に取っていた。
1939年、ドイツは、イギリス、フランスを半強制的に参戦させ、ポーランドに侵攻、占領する。
1941年、不可侵条約を無視し、ソ連に侵攻。イギリス、フランスはドイツの圧倒的な軍事力の前に為す術もなく参戦。同年、ソ連を占領。さらに近隣諸国を占領していく。また、日本軍による真珠湾攻撃により、第二次大戦が始まるが、ユーラシア大陸を完全に占領したドイツはアメリカ、日本のどちらにもつかずに沈黙を始める。
1945年、アメリカ軍が日本の広島、長崎に原子爆弾を投下。死者合計30万人をえ、7月に既に発表していたポツダム宣言を8月14日に受け入れ、降伏。事実上、戦争は
終結する。
1946年、ドイツがアフリカに侵攻を始める。
1950年、ドイツがアフリカ大陸全土を占領。
1951年、ドイツがオーストラリアに侵攻を開始。しかしアメリカの支援もあり、一次、二次攻撃部隊を撃退。ドイツを撤退させる。その後、ドイツの他国への侵攻が治まる。
1990年、40年という沈黙を破り、ドイツがアメリカのニューヨークを奇襲。ドイツの侵略戦争が再開される。
1992年、アメリカ全土で反乱活動が激しくなり、ドイツ軍が一時撤退を余儀なくされる。
1993年、アメリカとドイツの間に停戦条約が結ばれる。
1998年、期限により、停戦条約が破棄される。
1999年、ドイツ軍がアメリカへの侵攻再開……
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開戦
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その日は雨が降っていた。しかしどしゃ降りというわけではなく、霧雨と呼ぶに相応しい状態だ。その中を自転車で進んでいくのは彼、春日乃(かすがの)時雨(しぐれ)のみだった。
身長、普通。容姿、普通。性格、温厚。言うことのない十七歳だ。いろんな意味で。
高校に入って今年で三年。周りと未だにうまく馴染めず、中学時代の親友と彼女の冬都涼音(すずね)と大半の時間を過ごして生きているのだが……
「この、移動時間の、長さが、如何ともし難い……」
彼女の家まで自転車で三十分。
親友の家まで自転車で四十分。
まだ春だからいいが、冬になったら寒さで死んでしまう。
ため息しか出ないこの状況。はぁ、なんで俺引っ越したんだろ。いやまあ仕方がなかったんだが、それでもこれは、はぁ……
考えれば考えるほど気分が下がる。しかも天気は雨。最悪な状態である。
しかしなぜ雨の日は気分が下がるのだろう。
子供のころだが、雨が降ると外で遊べなくなるから、ふてくされていた事があったが、それが今でも無意識に気分に影響しているのだろうか?
または、通学時に傘をさしていてもズボンの裾やブレザーが濡れてしまい、学校で嫌な気分になるから?
それとも、ただ単に自然の摂理?
答えはなんだろうか。こんな簡単な答えではないはずだ。
時雨は考えるが、途中で、必死に難しい答えを見出そうとしている自分に気づき、馬鹿らしくなった。結局、難しい答えに逃げているのだ。自分の理解の超えるものとしてそれを判断し、納得させる。つくづく自分の弱さを思い知らされる。
時雨は完全に気分が落ち込んでしまった。家まであと三十分弱。持ち堪える事など不可能に近い。
何かが必要だ。そう、あと三十分を有意義なものにするための何かが。
彼は思うと、左手でハンドルと傘を器用に持ち、右手でポケットをあさり、ハンズフリーイヤホンを取り出して耳につけ、今度は携帯を取り出し、アドレス帳から『冬都 涼音』の携帯番号を選択した。
数回のコール音の後、電話は繋がった。
「涼姉は今お風呂に入ってます」
あまり感情の起伏のない声が聴こえる。この声は涼音の妹の涼香(すずか)だろう。しかしなぜ姉の携帯に妹が出るのか?理由は簡単。涼音が涼香に預けているのだ。
「それじゃあ今すぐ行きます」
「来ないでください」
「お邪魔します!」
「聞く耳なしですか」
即答を即答で返す。涼香の得意技だ。しかし、ここで引き下がるわけには!
「いいか?俺が行くまで上がらせるなよ!」
「無理です」
「まあまあ、その歳になって恥ずかしいのはわかるが……なぁ?」
「私もですか?」
「駄目?」
「あぁ、携帯の電池が切れる。電波が途切れます」
「すいません、許してください。ただお話がしたかっただけなんです」
今ここに居るはずのない相手に頭を下げる。日本人だなぁと、やってから実感できた。
「よかったですね。充電器まで間に合ったようです」
「ああ。会話ができるからな」
「で、来るんですか?」
一瞬、再びボケに徹しようかと思ったが、次こそ無言で切られそうだったのでまじめに答えることにした。
「いや、友達の家から帰る途中でな。まだあと三十分もあるし、雨降っててなんか無駄に気分が下がってるから、気分転換にな」
「そうですか…涼姉、今さっき入ったってわけじゃないから、もうすぐ上がると思いますよ」
「そっか。なら涼音が上がるまでは相手してくれよ」
時雨が言うと、スピーカー越しから涼香のため息が聴こえた。
「分かりました……」
「あからさまに嫌そうだなオイ」
「ええ、悲しいことに」
「……ま、まあどうだ、受験勉強の方は?」
「あんなもの、今からやっても仕方ありません。直前一ヶ月で頭に入れます」
「それは余裕宣言なのか?」
「いえ。余裕など一銭もありませんよ。ただ受験は約一年後。時雨さんは、一年前にやった勉強の内容を覚えてますか?」
「う…流石に一年前は」
「でしょう。私だって覚えてません……だから、そんな無駄なことに時間をかけるより、もっと自分に有意義なことをすべきなのです。なのに!私の周りの人々は『積み重ねが大事』『あとで苦労したくない』とか、もはや戯言にも等しいことを筆頭に勉強し始める!あまつさえ!私にも『勉強しろ』と言い出す始末!!積み重ねが大事?だからって一年後に備えて勉強ですか。大丈夫ですよ。一年前の勉強を正確無比に覚えていられる頭があるなら、東大にだっていけますよ!あとで苦労したくない?いや、貴方は受験が終わるまで苦労し続けますよ!そう、皆勝手に苦労し続けるがいいわ!!!」
ふふふ、とばかりに笑い出す涼香。いろんな意味で青ざめる時雨。
涼香は、引っ込み思案なところがあるのだが、言うときはもう泣かす位相手を言葉で燻り、貶す。昔からそうらしく、自分自身治そうとしているのだが、たまに暴発させて被害者を出す。今のところ、この暴発(涼音達はこれを『ワード・ラッシュ』と呼んでいる。)を受け流したのは後にも先にも涼音と時雨だけだった。
「まあ、確かに正論だと思うが、それは」
「違います。正論なんです」
「むぅ……まあ、一年後が楽しみだ」
「まったくです。全て終わってから、私が正論だったと気づくのは、常に苦労し続けた人ですから……」
なぜか何かに疲れたかのように言う涼香に、時雨は挑戦した。
「だが、もしもお前が間違いだったらどうするんだ?」
「何でしてあげますよ。なんでしたら、私の純潔を終わらす役目を差し上げますよ?」
「いや、それは多方面から非難の嵐が来るから辞退する」
結局、涼香に一泡吹かすこともできなかった。ちょうどその時、
「涼香、誰からの電話?」
スピーカーから別の声が聴こえる。この声こそ、今繋がっている携帯の持ち主だ。
「あっ、時雨さんから」
涼香の短い返答の後、少しの間物音しか聴こえなかったが、すぐに声は戻ってきた。
「かわったよー時雨。どうしたの?」
いつものテンションの涼音に、ふと安らぎを感じる。
「もう三時間も張り込んでますが…ホシ、出てきませんね」
「まさか、感ずかれた!?くそ!来い新人!踏み込むわよ!」
悪乗りが悪乗りを生み、見事なコラボレーションが生まれる。今回は刑事ドラマ仕込みらしい。
「やはりお前だな」
「ふふ、そうでしょ。んで聞いてると…用件なしのフリーテレフォン?」
「そんなとこだ。んで晩ご飯のメニューは?」
「へっ?んー…」
会話が中断され、またごそごそと物音が響く。
「カレー」
「お邪魔します!」
何故だかふふんとばかりに答える。先ほどのお邪魔しますなど比にならないほどのやる気と期待が含まれていることは言うまでもないだろう。
「お家のご飯は〜?」
「親が出かけてるんだ。帰っても待ってるのは冷飯と昨日の晩飯だ」
「ありゃりゃ。したら軽く準備しとくねー」
「すまんな。後十分くらいで着くと思うから、少し待ってて―――」
そう言った、瞬間だった。
何かが通り過ぎていく音が聞こえた。
車のものとは違う……それは空から聞こえた。
反射的に空を見上げると、そこには白煙が尾を引いていた。
そして何を思う隙もなく、時雨は激しい爆音と横殴りの突風に吹き飛ばされていた。しかも瓦礫が相席していたらしく、無数の石塊が彼の全身を強打し、その内のひとつが頭に直撃していた。鈍い音が頭に響き、キーンと耳鳴りがする。全てがぼやけ、意識が凄まじい速度で遠のいていく。
近づくアスファルト。
涼音の悲鳴。
激しい痛み。
これらを認識した後、時雨の意識は完全に途切れた。
一体何が起きたのか。彼にはそう思う時間もなかった。
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一時間前:午後六時三十分、日本海沖
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「前方の海域より巡洋艦多数確認!潜水艦もほぼ同数!」
「肉眼での確認!敵艦よりガンシップが出撃した模様!また東シナ艦隊、オホーツク艦隊からも敵艦発見の報告が」
「回線を繋げ!『371』コード!」
巡洋艦『秋雨』のブリッジは騒然としていた。恐れていた事態、ドイツ連合国の進軍が始まったのだ。
「敵艦よりハープ―ンが!数は…二十!?いや、まだ増える!!」
三十九年から始まったドイツの侵略戦争はポーランドを筆頭に近隣諸国を蹂躙し、五十年にはアメリカ、日本、オーストラリアを除くほぼ全ての国がドイツに占領された。この背景には、四十年にイギリスとフランスがドイツ連合国に合併するという到底信じることのできないような事態が関わっているのは言うまでもない。
「各艦対空機銃、前方に弾幕を!」
「着弾まであと十!」
「現在確認できるミサイルは三十六機!クソったれが何発撃つ気だ!?」
しかし、いつまでもドイツの快進撃が続くこともなく、五十一年のオーストラリア侵攻では、アメリカの支援が間に合い、オーストラリア本土に上陸される前にドイツの艦隊を壊滅させるという脅威の戦果をあげた。そしてこの戦いの後、ドイツはそれまで行っていた侵略戦闘がピタリと治まった。この原因には様々な説が唱えられたが、事実はドイツの指導者アドルフ=ヒトラーの死によるものだった。
「被害状況は!?」
「『津軽』『桜』『沖ノ鳥』が被弾!『明朝』『鴎』が撃沈されました……!」
「ガンシップの射程に入った!気をつけろ!」
ヒトラーの後継ぎには息子のヘルガが任命された。
彼は「今の我々に必要なのは戦いではなく、休息だ」と宣言し、各国への侵略活動が停止された。これが後に四十年間も守られてきたのは、やはり国民の肉体的、精神的疲労などが関係している。
しかし、あくまで『停止』だったのだ。
九十年になり政権がヘルガの息子、フェイルに変わった直後、ドイツは再び侵略活動を開始。アメリカ合衆国への布告無しの攻撃、すなわち奇襲を決行。初戦にしてニューヨークを陥落させるが、その後は思うようには行かず九十二年にはドイツ本隊を撤退させ、これをきっかけにアメリカとドイツの間に五年の停戦条約が結ばれた。
そして、停戦条約の期限切れの翌年、ドイツは再びアメリカへ攻撃をかけるが、今度は迎える側としての準備が整っていたため、現在二千四年になっても両者の戦いは続いていた。
「津軽が撃沈!桜も行動不能、沖ノ鳥も……駄目でした」
「残ったのは我々だけか…仕方ない、全速前進!奴等に特攻というものを見せ付ける」
そう、残ったのは本当に我々だけなのかもしれない……
この日本という、小さな島国だけが……
ブリッジにミサイルが衝突する寸前、艦長は一人考えていた。
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I need a hero
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時雨の意識は覚醒した。失っていた意識を取り戻し、うっすらと目を開いた。真っ赤な世界がそこには広がっていた。しかし音がまったく聞こえない。体の感覚もない。おそらく、まだ五感が帰ってきてないのだろう。
「ぅ……ぁ…?」
だが次の瞬間、彼は突然やってきた激痛の波に完全に五感が帰ってきた。左半身の凄まじい激痛に加えて、激しい耳鳴りに頭痛が時雨の顔を歪ませ、体にもがきをもたらした。
「がぁぁ!あ、ぐぅ……!?」
体を右へ左へ無意味に転がる。しかし、こうでもしないと耐えられなかった。
「はぁ…!はぁ……!い、一体何が起きた!?くそっ!畜生っ!…くぅ…!?」
誰に向けたものでもない悪態を吐きながら、時雨はゆっくりと立ち上がった。その拍子に、何かが彼の耳から取れ、カチャンと地面に落ちる。別に意識したわけでもなく、音のした下を見る。音の正体。それはハンズフリーイヤホンの付いた時雨の携帯電話だった。痛みに堪えながらそれを拾う。多少傷付いているものの、まだしぶとく生きていた。
通話開始時間 7時30分
通話終了時間 7時39分
通話時間 9分23秒
画面にはこう表示してあった。今の時間が八時だから…俺は二十分程気絶していたらしい。はは、気絶したのって生まれて初めてだなぁ。おぉ、通話時間より長い時間意識なかったのか。なんか凄い…って馬鹿か俺は。
自分の能天気さに呆れながら、ようやく時雨は周り見渡す。彼は道路の真ん中。辺りは夜なのにひどく明るかった。あちこちから火の手があがり、煙が空へ伸びていた。どこを見ても半壊の住宅。瓦礫。炎。姿を留めているものはほとんどなかった。
「……」
まったく状況が飲み込めなかった。どうやったらこんな風になるのか。見当もつかなかった。時雨はただぼんやりと辺りを眺めていた。
その時だった。
「だ…誰かぁ…」
人の声がした。その声はかすれていたが、確かに時雨の耳に届いていた。時雨は声の主を探そうと「何処ですか!?」と叫ぶ。すると、以外に近くにいるらしくすぐに返答は帰ってきた。彼は声のした方へ視線を向けた。
自分の他に人がいる。彼はこの事実が嬉しくて堪らなかった。情報も知りたいし、なにより今の時雨にとって心強い存在だった。早足に声の主に近づく。だが、その人を見た瞬間、時雨は自分の目を疑った。そう、目の前の光景に。
「う、あ…あぁ!うあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!?」
彼には考えられなかった。
信じれるわけがなかった。
声の主は老人だった。しかし上半身しかなく、下半身があるべき箇所は真っ赤な血溜りができていた。その中には本来、腹の中に収まっているはずの内蔵がいまだに自分の役割を果たそうと動いていた。
「この子だけは、この子だけは、助けてくだ…」
老人はそう言い残すと、まるで電池の切れた玩具のようにあっさりと動かなくなった。
この子だけは?
つまりまだ人がいる訳なのだ。
時雨は思うと既にこと切れた老人の周りを見る。そしてその時初めて老人の横にもう一人人が倒れているのが見えた。自分と同じぐらいの背丈の女性だった。しかし、彼女も左目から後頭部を鋭利な破片に貫かれ死んでいた。おそらくこの老人より早く死んでいた事は、誰の目から見ても確かだった。
時雨には、どうする事もできなかった。その場にへたり込み、ただ二体の死体の前で泣く事しかできなかった。膝に顔を埋め、ひたすら涙を流す。有り得ないと分かっていながら、彼は誰かが手を差し伸べてくれるのを待っていた。
なぜこんな事になったのか。時雨は考えるが、混乱した頭に思いつく仮説もなく、ただ空しく時間は過ぎていった。
辺りは奇妙な静けさで支配されていた。聴こえるのは炎が燻る音と、遠くから響くドーンという音のみ。人の存在を真向から否定している世界が見事に築かれていた。
俺は、一人ぼっちにされたのか。
数年振りに味わう孤独という恐怖に、彼はすっかり飲み込まれていた。完全に自暴自棄になり、目の前に転がっている最も安易な逃げ場所に心惹かれていた。そう、死んでしまえば全て終わる。こんなに悩まなくてもいい。全てが強制的に終わる。時雨は思いながら、ふと目の前の死体を見る。
その時だった。
女性の死体の顔が、一瞬涼音と重なる。
時雨はその一瞬の見間違いに恐怖し、叫んでいた。
涼音…そう、彼女は生きているのだろうか?
彼はポケットから携帯を取り出すとすぐに発信履歴を呼び出し、涼音へ電話をかけてようとした。しかし、圏外の二文字がそれを阻む。
「……涼音」
呟くと、彼は走り出した。ここからならさほど遠くもないし、大体、自転車はどこかにいってしまった。目的地はもちろん涼音の家だ。瓦礫を踏み、陥没した地を飛び越え、ただ走る。
本当に一人ぼっちにならない為に、時雨は必死だった。ほとんど全速に近いペースで走っているのにまったく苦しくない。もし今、三千メートルや五千メートルを測定したらとんでもないタイムを出せるに違いない。しかし、そんな事をしている事態に直面しているかというと、違うの一言で片づけられてしまう。ようやく回転し始めた頭が、その理由を容易に提示してくれた。
ドイツが攻めてきた。これ以外に考えられる理由などない。まさに百人に聞いて百人が答えるものだった。しかし、そうなるとアメリカはどうなったのだろうか。いつかのニュース番組の軍事顧問は『アメリカが陥落してしまった時、我々の国にドイツが旗を持ってやってくる』などと言っていた。という事は、この状況からアメリカが陥落してしまった事が分かる。しかし、あれほどの大国が本当に無くなってしまったのか。確かに最近、テレビで流れるアメリカの映像の使いまわしなどが視聴者から見ても明らかに分かるようになったのは事実であり、『アメリカはもう陥落した』という噂が世間に流れいる。しかし、そうなると日本はただ陥落を待つだけである。つまりこの国は滅びる。自分の国が無くなるなど考えたくもないが、そうなりつつある現状が辺りを見回すだけで分かる。事実彼は、三キロ程の道のりで二桁の数の死体を見て、五体の死体を誤って踏んでいる。
「……」
そして、回転してきた頭はさらに生々しい現実をつきつけてきた。
さっきの女性の死体…あれは同じ学校、同じクラスの女子だった。
確か『河村』という名前で、俺の席の右斜め前に席を持っていた。別に親しい仲ではない。交わした事のある会話も『今日宿題あったぁ?』に肯定の返事を返しただけ。
なのに、分かった瞬間涙が止まらなかった。
あんまりだ。酷過ぎる。
その辺りの死体を見ても、ここまで感情的にはならない。面識のあるかないかで、ここまで変わるものなのかと内心驚きを隠せなかった。
「…くそっ!くそ!!早く助けに来いよぉぉぉ!!!」
日本がこんなんになっているんだぞ?
天下の合衆国だろ?
勝手に滅んでんじゃねぇぞ!!
走りながら、時雨は必死に祈った。アメリカの存在を。自分たちへの助け舟を。
誰もが祈る事だが、これほど当てにならないものはなかった。
涼音の家までもう残りわずかという所で、彼はさらにペースを上げた。苦しみより逸る心の方が勝っている。今の彼は気力だけでいくらでも走れた。
そんな時、後ろから声が響いた。
「止まれ!!」
「っ!?」
明らかに自分に向けられた言葉に、前のめりになりながら止まる。振り向いて見るとそこには野戦服にマシンガンを持った自衛隊員が五人いた。ファマス小銃にM16、MP5など装備がバラバラなのは、緊急のためだろう。
「民間人は西の広場へ行け!もうここにもドイツ軍がいる!」
辺りを警戒しながら、隊員達が時雨に向かってくる。しかしなぜか慎重にゆっくりと距離を縮めてくる。疑問に思いながらもひとまずその場を動かなかった。軽く全身をチェックされ、ようやく緊迫した状況を過ぎた時雨はすぐに説明を要求した。すると彼等の内の一人が「人間爆弾じゃないか調べただけだよ」と平然と答える。さらに続けて「さっきそれで八人もやられた…」とまで言う。正直驚くしかなかった。戦争の話では出てきそうなものだが、まさか本当にそんな事をするなんて考えたことも無かった。
「とにかく、ここから離れろ」
「待ってください!まだ、まだ俺の彼女が家に!」
手を掴み進もうとする自衛隊員の手をふりほどき、時雨は言う。自衛隊員は彼の話を聞くと、腰から無線機を取り出し、二、三回ほど言葉を交わしてから時雨に「その子の名前は?」と聞き、時雨から名前を聞き出すと通信の相手にそれを伝えた。そしてひとつ間を置き「避難所には居なかった。場所は?」と時雨に問いかける。住所など言っても意味がなさそうだったので「すぐ近くだから案内する」と答えると自衛隊員は顔を顰めたが、案内を許してくれた。そして案内していく中時雨は、もう大丈夫だろうと安心しきっていた。銃を持った兵隊がいるだけで、周りの状況は一切変わっていないというのに。
五分ほど進み遂に目的地に着いた。涼音の家は周りの家から火がまわり、同じく赤く染まっていたが、家の前に二つ人影が見え、それが涼音と涼香である事に気づくのに時間はかからなかった。
「いた!兵隊さん!あそこです!!」
時雨は指差ししながら駆け出す。自衛隊員もつられて走り出すが、時雨を含む全員がすぐに歩を止めた。
周囲の雑音の中に、聴いた事のある音を聴き取ったのだ。それは時雨にも自衛隊員にも日常的な、連続した低い音。
「ちょっと待て…冗談きついぞ」
自衛隊員の一人が呟く。周りの隊員達も徐々に気づき、疑問詞が残るのは時雨のみになった。
「何かあった―」
時雨が訊ねたのと自衛隊員の叫びは、同時に発せられた。
「まずいガンシップだ!散れ!散開!!」
まるでその声に呼ばれたかの如く、涼音の家の方から灰色のガンシップ『ハインドD』が現れた。
気づくのが一歩遅く、散開しようと動き出したが時既に遅く、ガンシップから対地ミサイルが発射される。ものの数瞬で着弾し、凄まじい爆風をもたらした。運が良かったのは、着弾点が彼等から少し間をあいている地点にあった事のみだった。時雨は吹き飛ばされ、まだ辛うじて形を成している家の塀に背中からぶつかり、地面に倒れこむ。
遠ざかる意識を必死で押さえ込もうとするが、なかなかうまくいかず視界は徐徐に暗くなっていった。
待て…耐えろ!持っていかれるな!
自分に言い聞かせるが、視界は閉ざされ、体の感覚もなくなっていく。
また馬鹿みたいに寝てるつもりか!?涼音も同じ目にあってるかもしれないんだぞ!!クソッ!起きろ、起きろ!
何度も何度も自分に悪態を吐く。そんな引きずられていくだけの意識にようやく歯止めがきき、ゆっくりと体の感覚が戻ってくる。五感も戻ってきたおかけで痛みが蘇り、より迅速に意識は時雨の中に覚醒していった。
「クソッ…こんな事ばかり……」
何回目か検討もつかない悪態をつきながら、時雨は自分の悪運の良さに感謝していた。爆風のみで、爆発から免れただけでなく、吹き飛ばされてきた破片ひとつ当たってないのだ。事実彼の体には目立った外傷もなく、唯一あるとするならば塀に打った背中の痛みぐらいだった。
とにかく状況を知らなければ…
時雨は思うと辺りを見回す。うつ伏せからの景色は酷く低く、惨めな感じがした。そして、状況を理解した時雨は「最悪だ」と地面に顔を落とした。
生き残ったのは自分だけ…辺りにはあちこち身体の足りない自衛隊員の死体が散乱していた。しかもガンシップは着陸している。それだけ長い時間気を失っていたらしい。
つまり、いつドイツ兵が目の前に現れ、自分に銃口を向けてもおかしくない状況だった。
そんな時、左の方にある瓦礫の山から、一人の隊員が出てきた。
「兵隊さん!」
時雨は言うと出てきた隊員の方へ行こうと立ち上がり、駆け足で進む。隊員のいる瓦礫の山は時雨から五メートル程しか離れていなかったため、二、三秒で着いた。
「大丈夫ですか!」
見た目には外傷は無さそうだったため、この言葉をかけたのだが、腹部を尖った石に貫かれていて時雨の目の前で何度も血を吐いた。
撤回。
時雨は必死に心の中で繰り返す。
そんな時雨を一瞥し、自衛隊員は震える手でファマス小銃を構える。時雨は銃口の方向を見て、息を呑んだ。そこにはカーキドラフの野戦服に身を包んだ五人の兵士がいた。ドイツ兵士だという事は時雨からも一目瞭然だった。そしてさらに、彼等の集まる円の中に涼音と涼香を見ていた。
「……」
銃口がさがる。同時に、軽い血溜りができそうな程の血を吐き、その場に沈んでいった。
光を失っても見開かれている目は、真っ直ぐ時雨を見据えていた。
目の前の亡骸は死してなお、時雨に訴えた。
俺達の無念を晴らしてくれ。
時雨には確かにそう聞こえた。例え自分の無意識が作り出した幻聴でも、これほど的確なものはないだろう。
「…」
時雨の視線は自然と、自衛隊員のファマス小銃へ向く。炎の光を鈍く反射させながら、それは語りかけてきた。
ドウスル?逃ゲルカ?ソレトモ、今ココデ死ンダ男ノ意思ヲ尊重スルカ?
どうするかって…
答えに窮した時、時雨の耳に甲高い悲鳴が届いた。銃から目を離し、声のした方向を見る。先程も見ていたのだが、自衛隊員の事のおかげですっかり頭から抜けていた。声の主は涼音だった。彼女は涼香をかばうように抱きながら、必死に助けを呼んでいた。ドイツ兵達は彼女の周りで笑いながら何かを言っていたが、ドイツ語でしかも距離があったため、何を言っているのかは聞き取れなかったが、良からぬ事を言っているには違いなさそうだと時雨は判断した。
オォ、アンナ所ニモ悩ミノ種ガ。サア、ドウスル?コノママアノ女ガ犯サレテイクノヲ、タダ見テイルノカ?ハタマタ、俺ヲ掴ムノカ?
水を得た魚が如く、活き活きと残された選択肢を挙げていく。
武器を掴む事は明確な意思表示だ。
俺はお前等と戦います。
殺してください。
時雨の中では間違いなく後者の答えが大きかった。自分独りで何ができる?相手の方が数も多いし、何より訓練され人を殺す術を知っている。対する自分はどうだ?人を本気で殴った事もない凡人だぞ。勝てるはずない。涼音だって、きっとそう思うに違いない。あてにすらされていない……
そう思った矢先だった。ドイツ兵の一人が涼音達に手をかけようとしている時、涼音は精一杯の声で叫んだ。
「いやぁ!助けて時雨ぇ――!!」
……聞いたか俺?またしても撤回だ。
時雨の体は、心よりも素直だった。ファマスを手に取り、駆け出す。
違うじゃないか。涼音は俺を呼んだ。手前の勝手な理屈は、ただの弱音じゃねーか!!
自然と時雨は叫んでいた。その声に不意をつかれたらしく、全員がこちらを見る。暗闇のおかげで、時雨が銃を持っているのに気づくまでかなり時間がかかっていた。一人二人がいち早く気づくが、銃を構える前に時雨のファマスが火を吹いた。フルオートで放たれた弾丸はドイツ兵の上半身に集中され、全員の首や頭を撃ち抜いた。
「涼音!」
時雨はそのまま涼音達のもとに駆け寄り、二人を抱きしめる。
「し…時雨…」
「もう大丈夫だ。もう、大丈夫。大丈夫だ。」
震える声で何度も言う。涼音も頷き、自分達の震えを止めるように、三人は五体の死体の真ん中でただひたすら身を寄せ合った。
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2005/03/22(Tue)23:00:38 公開 / 森山貴之
■この作品の著作権は森山貴之さんにあります。無断転載は禁止です。
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■作者からのメッセージ
先日、自室水槽のガラス蓋を踏み割り、「これでは親父に顔向けできぬ!」と必死にプラバンで補強し、何とか立て直すが、水を含み、最近なんかしなってきた…ああ、ガラス蓋は高いのに……まあ、ともあれ更新できたのが唯一の救いです。話変わって、影舞踊さん、ゅぇさん、感想有難うございます!!これからも一読、よろしくお願いします!あ!あとゅぇさん、一応話の時代設定が現代なんで携帯あるんですよ。