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『犯行予告(読みきり)』 作者:ドンベ / 未分類 未分類
全角2784文字
容量5568 bytes
原稿用紙約7.95枚


 ――裕弥へ。おかえりなさい、今日もお疲れさま。突然だけど、わたし、少し旅に出ることにしたの。急な話でごめんね。晩ご飯はカレーがテーブルの上にあります。あんまり心配しないでね? すぐにまた会えるんだから。じゃあ、行ってきます。


 仕事を終え、家に帰ってくると部屋の明かりが消えていた。いつもなら同棲中の彼女、香奈子が笑顔で迎えてくれるのに、今日は笑顔の代わりに短い書き置きがあった。
 どうやら香奈子は旅行に行ったらしい。書き置きには旅先も泊まる宿の名前も書いてないが、しかし香奈子と付き合い始めて今年で五年目、唐突なあいつの行動には、もう慣れていた。
 香奈子は計画性は無いが行動力はあるタイプの人間だった。いや、本人はしっかり計画を立てているのかもしれないが、それをまわりの人間にあらかじめ言うことはない。少なくとも俺に見えるあいつには、計画性の欠片もなかった。他人とは言え一つ屋根の下で暮らす俺にとって、そんなあいつの性格は少し悲しくもあるが、その奔放な生き方に俺は惚れたのだから文句を言えるはずもない。書き置きの紙を元の場所に戻し、まずは空腹を静めようとテーブルについた。
 香奈子は辛い物が好きだった。常連のカレー屋で、辛さ十倍なんてカレーを頼んで美味いと笑っていた。カレー作りはあいつのライフワークで、目指すは世界一辛いカレーだとか。そしてそんな香奈子曰く、俺は“味音痴”らしい。“味音痴”の俺と“辛さ音痴”の香奈子、たぶんお似合いのカップルだろう。
 カレーはわざわざよそって置いてあった。ラップを取り、冷たいままカレーを一口頬張る。今日のカレーはいつも以上に辛く、そして妙に苦い気がした。まぁ、味音痴の俺の味覚など、信じるに足らないだろうが。
 人のいない居間を見回したら、ため息がこぼれた。同棲生活が始まって、そろそろ一年が過ぎる。静まりかえり、どこかいつもより暗く思える居間を見て、やっとその長さを実感した。できるだけ早く帰ってこいよ……携帯電話で回りくどく寂しさを伝えようかとも思ったが、やめた。香奈子が旅に出る理由について、実は一つだけ心当たりがあった。
 一月ほど前、俺達は結婚の許可をもらいに、香奈子の両親の元へ挨拶に行った。香奈子の両親と会うのはその日が初めてだったが、俺も香奈子もそろそろ結婚適齢期と言える年代、簡単に許可はもらえると思っていた。しかし、返ってきたのは多分に怒りの混じった拒絶だった。
 聞くと、香奈子は俺との同棲について、親に一言も話していなかったらしい。反対されるのわかってたから、そう言って香奈子は泣いた。俺は香奈子の肩を抱きしめ、時間をかければ大丈夫だろと言うしかなかった。あの日以来、香奈子は精神的に落ち込むことが多くなった。旅に出て、また昔の無邪気な香奈子が戻ってくるなら、数日の寂しさくらい我慢できる。我慢しなければ……と、カレーを食べながら自分に言い聞かせる。
 冷めたカレーを食べ終え、煙草に手を伸ばす。火を付けようとして、風呂でも沸かそうと思い立った。居間を出、暗い脱衣場と風呂場の電気をつける。そして浴室の中で――

 香奈子が死んでいた。

 自分の目を疑った。
 そこにあったのは、サスペンスドラマなんかでよく見かける光景。風呂場のなま暖かい空気に血臭が混じり、湯船は深紅に染まっている。風呂場の床には血の付いた剃刀が落ちていた。ちょうどその剃刀を掴むような形で、香奈子の右手は固まっている。そして左手は湯船の中。
 明確な殺意の込められたリストカット……悲鳴を上げるのも忘れ、香奈子を見つめた。
 深紅の湯船に身を浸し、香奈子は土気色の顔で目を半開きにして微笑んでいた。顔にこびりついた血の死に化粧は、不思議なくらい美しく見える。
 ――どうしてこんなことを?
 混乱する頭の中で疑問が渦巻く。しかし答えは返ってこない。香奈子の頬に手を伸ばす。怖いくらいに冷たい。
 慌てて浴室を飛び出した。冷たい指先の感覚が圧倒的な死の実感となって俺を包む。嘔吐感がこみ上げてくるが、吐いている場合じゃない。なによりあのカレーは、香奈子が最後に作った料理だ。吐き出してたまるか――ほとんど意地だけで嘔吐感を飲み込む。
 居間に戻り、テーブルに手を付いて自分の体を支える。呼吸の乱れがひどかった。運動をしたわけでもないのに、喉はゼイゼイと荒い音をたて、額には脂汗が滲む。まずは暴れる肺を落ち着けようと、深呼吸をしようとして――出来なかった。
 ――えっ?
 深呼吸が出来なかった。いや、そもそも呼吸が出来ていない? いつの間にか激しい息苦しさが俺を包み、思考が曖昧になっていく。体に力が入らず、カーペットの上に倒れ込む。
 薄れていく視界の中で、一枚の紙が倒れた俺の上に落ちてきた。香奈子の書き置きだ、倒れ込んだとき、手に引っかかったのだろう。
 力の入らない首をなんとか動かし、落ちてきた書き置きに顔を向ける。
 香奈子らしい個性的に崩れた字体の一文が、俺の目に飛び込んできた。

 すぐにまた会えるんだから。じゃあ、行ってきます。

 ――あぁ、そういうことか。
 香奈子が残した書き置きの意味を、俺はやっと理解した。旅に出る、すぐにまた会える……計画性がないなんてとんでもなかった。あいつは昔から、装った無邪気さで俺を翻弄していたのかもしれない。少なくとも今日に限っては完敗だ。よく考えたなぁ……そう言いたかったが、相手もいないし俺の口も動かなかった。
 こんなことになって初めて、好きな女の新しい一面を知る……それは少し悲しい気もしたが、今まで知らなくて良かったとも思う。遅すぎるとは思わなかった。
 香奈子は俺より少し早く旅に出た、そして今、俺はあいつの後を追って旅立とうとしている。行き先は同じ、すぐにまた会える……そういうこと。
 口の中には、ついさっき食べた辛くて苦いカレーの味が残っていた。味音痴の俺でさえ気付く苦み……味覚というのはそもそも、口に入れた物が有害か無害かを判断するために備わった機能だという話を聞いたことがある。極度の味音痴である俺は、防衛機能に欠陥があると言えるのかもしれない。
 昔本で読んだだけの知識だが、青酸カリという毒物は、舐めると苦いらしいのだ。


 意識が消えかけていた。考えようとしても頭が動かない。そんな状態の中、香奈子の死に顔が思い浮かぶ。
 あいつは優しく微笑んでいた。赤い湯で白い素肌を汚しながら、しかし柔らかく、幸せそうに。死に際だというのに、どうしてあんな顔で笑えたのか……そんなこと、聞くまでもないことか。要は確信してたんだろ? 俺がすぐに後を追うことを。
 ――早く会いてぇなぁ。
 旅先で俺を待つ香奈子の姿を思い浮かべた。
 また会える、そう考えたら、思わず微笑んでいた。


2005/01/16(Sun)14:28:54 公開 / ドンベ
http://www2.odn.ne.jp/mimizu/Scage/
■この作品の著作権はドンベさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 久しぶりに投稿してみます……最近はまともに感想もかけていないので申し訳ないのですが。はじめましての人が多いと思います。よろしくお願いします。

 短編のミステリ風味……を目指して書きましたが、どうでしょうか。こんなのもミステリと呼べるんだろうか、やっぱ呼べなさそう……などと思いつつ。
 読んでいただいてありがとうございました。感想、批評、批判、どんなものでも一言いただけると本当に嬉しいです。
 よろしくお願いいたします。
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