- 『青朽葉の日常 序〜第二章:2!』 作者:一徹 / 未分類 未分類
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序
青朽葉学園の近く。正門を出た通りを、右方向に二百メートルほどいったところに、『はぴねす』というファミレスがある。今はちょうど放課後にあたり、はぴねすの中には、学生の姿も見える。
隅。楽しそうに会話を展開する彼らに一瞥も与えず、見つめあう二人の男女。交際がある、という風ではない。カップルが持つような幸せいっぱいの空気が、ない。女のほうに、凄みがある。
唐突に、女、林真美子が、口を開く。
「どうして君がこの学園に合格したのか、分かるか?」
聞かれ、草薙英一郎はううむ、とうなった。たしかに、青朽葉学園といえば、全国でも有名な進学校だ。自分のような落ちこぼれが、間違っても入れる場所ではない。
「いや、さっぱり……。今まで、疑問には思ってましたが」
「だろうな。採点ミスでもあったのか、それとも書類の郵送場所を間違えたのか。そう思うはずだ」
「まあ、思いました。でもちゃんと書類のところには、俺宛になっていましたし。採点ミスが原因かと学園のほうに点数を聞いてみれば、どうやら、ミスってはいないらしいです」
「その点数は?」
「……百ちょうど」
「へえ、君は満点を連発したらしいね、それでは合格は間違いない」
英一郎は引きつった笑みを浮かべる。
「……まあ、それなら良かったんですがね」
「知っているよ、馬鹿にするな。五教科で、百点。受かるはずがない。そういわれたのか? 確かに百点と」
「何度も聞いてみましたが、百点は間違いありません。受付の人も驚いていました」
「驚くだろうさ。わずか五分の一の点数で青朽葉に合格したのは、君ぐらいのものだ」
沈黙。そこにパフェが運ばれた。林はスプーンを操りアイスを口に運ぶ。
「それで……」
「ん?」
「俺が受かった理由って、なんすか?」
「それか。君は分かるか?」
「分からないから聞いてるんじゃないですか」
「それもそうだ。まあ、理由としてあるのは、勉学とは別のもの、と考えはできる」
「俺は運動も出来ませんよ」
「知っている。今日の体育の授業で、パスを顔面で受けて昏倒していたから」
「うわ。見てたんすか?」
「見ていた。干からびたかえるのような形相だった。うわ、駄目人間発見、と教室は騒いだものだ」
楽しそうに林は語る。
「……駄目じゃないですか」
「そうだ。君のような運動音痴がそっちの方面でスカウトされるはずがない」
「……結局、なんすか?」
林は口をつぐんでいたが、しばらくするとスプーンをパフェ底部のフレークに突き刺し、聞いた。
「君は、自分になにか他人とは違うものがあるように思えたことはないか?」
他人とは違うもの。英一郎は考える。他人になくて自分にあるもの。
「ない、っすね」
「ないのか、本当に?」
「いや、待ってください。そういうことですか、俺には『何もない』がある、とまあ、これでなぞはすべて解けた」
「そういうことじゃない。そんな負け惜しみを聞いているのではない、私は」
「じゃあなんなんですか。知りませんよ俺は、なにか人になく俺だけにあるものなんて。林先輩は知ってるっていうんすか?」
「知っている」
林は一言。
英一郎は訝しんだ。これまでで他人より勝ったものはない。
「君には『能力』がある」
「どこに? 勉強駄目、運動駄目、とりえ無し。能力らしきものなんて、どこにも……」
「そういうことじゃない。君の考えている能力とは違う。ほら、あるだろう、手から電気を放出したり、炎を生み出したり、手を使わずに物を動かしたり。私が言っているのは、そういう『能力』だ」
英一郎は林の言っていることが理解できない。
「いや、そういうのはSFの中だけでしょう」
「聞いて回ったのか?」
「え?」
「世界全員に、あなたは『能力』のない人間ですか、と聞いて回ったのか?」
「聞けるわけないと思うんですが」
「なら、そういうことが出来る人間がいても、おかしくないだろう」
「そりゃそうっすけど。もしそんな能力があると知れたら、世界は大パニックになりますよ」
「甘いな、君は」
林は、上部のクリームごと、フレークをほじくり返した。
「世界は驚くだろうが、世間は気にしない。案外、人間というのは隣の住人がエイリアンでも、気にしないものなのだ」
「そ、そうですかあ?」
それはおかしい、と心はいっている。
「そうだ」
林は断言し、英一郎の反論を許さない。
「そして君には『能力』がある。だから、この青朽葉への編入を果たすことが出来た」
「ちょっと待ってくださいよ。どうして俺にその『能力』があるって分かったんですか。自分でもあるかどうか、分からないのに」
「私の能力だ」
さらり、林は言う。
「その人に、『能力』があるかどうか、それを見極める『能力』を私は持っている」
英一郎は自慢げに話す林に聞いた。
「結局、一人じゃ意味ないじゃないですか」
「馬鹿者! 使えるじゃないか! これほど便利なものはない、ああ、きっとないぞ!」
激昂する林。
「……はい、すみません、使えますね、それは」
「糞、忌々しいやつだ。人が気にしていることを、ズバズバと」
と一気にパフェを平らげる林。が、と容器をテーブルに下ろす。
「このパフェは君持ちだからな」
「え、なんでいきなりそうなるんですか」
「冗談だ」
林ははき捨てた。
「それで……」
「ん?」
「俺の能力って、なんすか?」
林は閉口した。
「……まあ、なんだ。な?」
「な? じゃない。もしかして、その能力者を見つける能力って、ただ能力の有無が分かるだけなんじゃ……」
「黙れ! 糞、君というやつは人が気にしていることを、これでもかと切ってくる」
「結局分からないのか?」
英一郎はすがるような視線を向ける。
林はそっぽを向いた。
「なんだそれ。肝心なことが分からずじまいで、俺は自分に意味不明なものが備わってることがわかっただけじゃないか」
不安だけが倍増した、と英一郎は思った。
「能力を扱えない君が悪い。これは嘘じゃない、君には能力がある。だから、その能力がなにか、可及的速やかに見つけることだ」
「可及的速やかに、っていわれても、どうやって見つけりゃいいんだよ」
「こう、頭に力を込めてだな、あるいは豆腐のようにリラックスしてだな」
「どっちだよ」
「やり方には人それぞれある。君の能力のことなんて、私が知るものか」
「ちょっとは自分の言動に責任持ってくれよ。俺不安だよ」
「どうにか、なれ」
一言、林はいった。
第一章
1
日は頂点に昇っている。屋上に降る日光に、容赦はなく、じりじりとコンクリートを焼いている。給水タンクの陰に隠れるように、男子が二人、ぐて、とだるそうに足を伸ばし座っていた。
「英一郎君は、一年かい」
煙草をふかす男子、濱田健太郎が聞く。
「ええ、まあ。そうです」
目の下にくまを作る英一郎は、うつろに答えた。
「濱田先輩は、二年ですか」
「いいや。三年だ」
「いいんですか、受験があるんじゃ……」
「君のほうこそ、一年のこの時期、必死になってでもついていかないと、後々苦しい。それなのに、サボりなんてね」
「先輩こそ煙草は犯罪ですよ」
「俺は二十歳だから、なんら問題はない」
「留年したんすか」
「まあね」
ぷかあ、と煙をふかす濱田。
「それにしても、暑い。今は何月だ?」
「まだ五月です。今年の暑さは異常ってニュースでもいってました」
「暑いね。本当に……」
蒼く広がる空を見上げる。
「英一郎君。彼女はいるか」
「俺っすか。今のところ、いませんね」
「オレもいない。いいね、どうだ、今度コンパでもしようじゃないか」
「そういうの、したことないから分かりませんよ」
「オレもあんまりしたことがない」
「駄目じゃないすか」
「なあに、女との付き合いは、経験をつめばつむほど上手くなるものさ」
「女との付き合い……」
「これほどの集団の中で阻害されていると、気分がめいるもの。女ぐらい作れば、すっきりするだろう」
「出来ますかね、俺に」
「なにか、特技みたいなのはないのか。腹で茶を沸かす、みたいな」
「そういう奇怪人間みたいなのはないですけど……手から電気出せたり、火をふけたり出来るかもしれません」
「冗談か」
「いや、そういうわけでもないみたいで」
「というと?」
「この前、三日前ですか。ある女子に誘われて、ファミレスに入って」
「そしてラブホに直行、と。ん? どうした英一郎君」
「……本当、暑いですね」
「そうきたか。まあ、分かってくれ。オレのような人間は、エロ戯言をつぶやいていないと、駄目になってしまうから」
「本当に駄目っすねえ……」
「遠くを見なくていい。それで、なんていわれたんだ?」
「なんか、まず青朽葉学園に入れたのはおかしいだろう、といわれ」
「フム」
「なら何らかの能力がある、そう君には超能力みたいなのがある、と断言されたんですよ」
濱田は、仰ぐ。
「それは……オレもいわれた」
「え、先輩も?」
「ああ。ちょうど一年前だったか。当時一年の林真美子という女子に、あなたは能力者よ、とかそれに類似することを言われた」
「世間は狭いものですね」
「まったくだな」
雲は途切れず流れていく。
「それで、先輩の能力ってなんなんですか?」
「オレの能力か?」
濱田は考え、煙草の火を消した。
「まあ、半年前に気がついたんだが……」
と懐から財布をぬき、札を取りだす。だが、まっさらのようにぴしっと真っ直ぐにある札を見て、駄目だ、と元に戻した。
「英一郎君、千円札かでも、持っていないか」
「ありますよ」
英一郎は真ん中でくっきりと折れ曲がる千円札を渡した。
「もしかして、二枚に増やせるんですか」
「犯罪だ、それは。まあもし仮にそうだったなら、なんと自分の能力に感謝したことだろうが。まあ見ていれば分かる」
濱田は、札を両手で挟み、ぐっと力をこめる。三秒ほど力を込め、次にその姿を見ると、新札のようにぴしっと真っ直ぐになった。
「これが、能力だ」
「……え?」
「まあ、そうあっけに取られるな。オレの能力、それは古いお札を新札のようにきれいにするもの。『ピン札革命』と名づけたんだが、どうだろう」
「え、だから、あの、なんといえばいいのか……」
「そうだ。まったく役に立たない。しいて言えば、ちょっと気持ちいいぐらいだ。そのほか、なんのメリットも見られない」
「の、能力ですかこれが」
指を切りそうなぐらいきれいな札を手に持ち、まじまじと見つめる。
「どんなにぐちゃぐちゃに折れ曲がったり、水を吸ってしわになっても、手で挟むだけで、あら不思議、元通り」
「悲しくないですか?」
英一郎は聞いた。
「こんなもんさ、能力なんて。それに、英一郎君が思うほど、使えないわけでもない。たとえば、友人に貸したエロ本に折れ目がついていても、この能力さえあれば、きれい元通りになるし、クレジットカード盗難にあっても、その乱用を防ぐことも出来る」
と、カードを取り出す。山折谷折が繰り返され、普通に使えなくなっていた。濱田はぐっと挟み、力を込める。普通のカードに戻った。
「な?」
「な、といわれても、困りますよ」
「これなら落として拾われても、絶対に使えない」
「まあ便利といえば、便利ですけど……」
「こんなもんさ、能力なんて。数十トンある大岩を一撃で粉砕したり、空気中の水分を固めて氷を作って、投げつけたり、なんていう危険な能力、あるはすがない。あってもわずかだ。世界は平均をとるからなあ」
「そんなもんすか」
英一郎が妙に納得したとき、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
「さあ、弁当食うか」
「ですね」
2
昼休み。青朽葉学園高等部校舎四階の1−8教室。窓が全快にし、風の通り道を作っている。そこからだべって腕を突き出している男子が一人。
「あー、暑くねえ?」
土井一樹は、同意を求める。
「まあなあ」
窓際、無言でご飯を口に運んでいた英一郎は、頷いた。
「そもそもさ、どうしてこの学校にはクーラーがないのかね?」
「というか……ないのはこの教室だけだ」
「え、マジ?」
土井は驚き、教室を出て行った。うわ、スッズシィー、卑怯だぞ曽根、なにくつろいでいやがる、と声が聞こえ、ずるずると一人帰ってきた。
「1−7、クーラー完備」
「だろ? なんでだろうな」
「故障でもしてんのか」
土井は教室を見渡す。しかし、クーラーの姿はない。
「わっかんねー。備え忘れか?」
「まあなんだ、土井、そう暴れるな、体温が上昇する」
「つーか草薙、よくお前涼しい顔してられんな」
「そりゃ炎天下の屋上でいたからな、さっきまで」
「ああ、そういやサボってたな、お前。授業ぐらいうーけーろーよー」
「そんな恨めしい目で見てくれるな。しょうがない、さっぱり授業内容不明なんだから」
「おれだってわかンネエよ」
「……だったらサボればいいだろ」
「ああ、無理。おれ、根は真面目君だから」
びしっと親指を立てる土井。
「ほおん。そうか」
とだけいい、弁当消費に意識を向ける。
「……突っ込むところだろ、今の」
いわれ、英一郎は眉を顰めた。本心で分からない様子。
「流すなよう」
「え、ああ。今のボケか」
「うわ厳しーい」
「いや、付き合いまだ一ヶ月なんだし、根が真面目かどうかなんて、俺にはわからんよ」
「あー、そうか。……草薙高等部から入ってきたっけ?」
「まあな」
土井は握りこぶしをつくり、ふるふると震えさせた。
「くーさーなーぎー」
「なんだよ、そんな声出して」
「違うだろ、そこは。突っ込めよ、今頃気づいたのかよって、おれの鈍さを突っ込めよ」
「え……ああ! そういうボケか」
「ああ、駄目だー、コイツ」
頭を抱える土井。英一郎は蒼く広がる空に視線を向けた。
「……なんでここに編入志願出したんだろうな、内の親は」
「ん?」
「いや、俺って馬鹿だろ? なのに、なんでこんな全国でも有名な進学校に志願だしたのかなって」
「そりゃあ、下手な鉄砲数うちゃ当たるってやつで、まあ可能性にかけたんだろ」
「それにしたって、青朽葉はありえんだろ。塾の先生いわく、ここに高等部からの編入は、不可能に近いってほのめかしてたのに」
「ま、ほとんど採らないのは確かだな。実際新顔はおれの知る限り、お前だけだ」
「そのわずか数席に、何千人というやつが目指したとなると、倍率何百倍はざらだ。青朽葉を目指すぐらいだから、当然みんな学校のトップクラスの学力をもち、運動も抜群に出来るんじゃないだろうか。何一つそつなくこなせるはずだからな」
「で、草薙は?」
「ない。今まで人に勝ったことなど一度もない」
土井はううむ、とうなり考える。
「たぶんな、くじ引きだ」
「くじ引き?」
「そうさ。なにせトップクラスの連中、なにやらせたって満点という形で横並びになる。学校の内申を入れたって、パーフェクトのやつも、数百人いるだろう。そいつらから、また数人に絞り込むのは、非常にキツイ。で、学園側は考えた。どうせ誰も抜きんでていないのだ、幸運なやつを選んでやればいいのだ、ってな」
「それで、くじ引き?」
「パーフェクトな理論だ。きっとそうだ、この学園の学園長は極めつけの変人だから、そういうことをしてもおかしくない」
「学園長の悪口言うなよ」
「しょうがない。変なんだから」
土井は断言した。
「……そんなに変なのか?」
「変さ。ものすごく変。なにが変かって、まず名前がね、ちょっとどころか完全に変わってる」
「何」
「ガラクトース・権蔵」
「……たぶん、親のどちらかが外国人だったんだろ」
「いんや。外見雰囲気、どっち取っても兵って感じ」
英一郎は、そのガラクトース・権蔵という学園長が体育館で全校生徒に、鎧兜や大鎧で武装して平和について語る姿を想像した。
「どうした、にやけちゃって」
「ん……いや別に」
「でもまあ、お前は運がいいんだよ、運が。だったら、その強運で青朽葉に入れたという事実をもっと生かさにゃならんだろうに」
「生かすっていわれてもな。なにをすれば生かせるのか、さっぱり」
土井はふう、とため息をついた。
「ホント、青朽葉を知らないよな」
「というと?」
「青朽葉学園最大の利点といえば、その広大な敷地面積にある。端が見えないんだぞ、端が」
「正門まで行くのに二十分はかかるもんな」
「だろ? それほど広大な面積があれば、当然各部もそれなりに面積を誇るわけだ。分かるな?」
「……要するに、部活動に入れ、と」
「そうだ。そこで、おれの所属する水泳部を推すね」
「水泳部?」
土井は自慢げに言う。
「温水プールで、その上五十メートルプールだぞ? 普通の学校にない、こんなもの。夏に泳げばいい、ターンすればすむのに、わざわざ温水プール、五十メートルプールで泳ぐ。これが、至上の贅沢ってやつさ」
「そうだな」
土井は英一郎の顔をにらみつけた。
「……ど、どうしたそんな怖い顔をして」
「あー、この人は、ホンットーに駄目人間ですなあ」
「なんだそれ」
「だからさ、今のはボケなわけ。わかる? 草薙英一郎君」
「ボケ? どこにボケが……」
「あー、頭が痛い……。だからな、いいか? 五十メートルプールは、確かにすごいが、そこで泳ぐぐらいで、俺が至上の贅沢っていったところが、ボケなんだよ」
「自然で分かりにくいボケだな」
「突っ込まなきゃダメダヨー、きみい」
「どのように?」
「そこらへんはさ、お前が考えるんだ。おれはボケ担当」
英一郎は、しばらく思案した。
「……俺が、ボケがいい」
「へ? え、そう。……んー、草薙がそういうなら、譲ってやってもいいぞ」
英一郎は、はあ、とため息をついた。
「え、なに、何をそんながっかりしてんだよ」
「……今さ、俺ボケたのに」
「え、ボケたって、お前……」
「土井がボケ担当と決めて、俺が突っ込みを考えるところを、わざわざボケ担当に志願したところとか、さ。今まで考えてたのは、なんだったんだー、とか、そういう突っ込みを望んでいたんだ」
「無理に決まってるだろ、そんなの。自然すぎるって」
「自然でも突っ込むべしと教えたのは、土井だろ」
「そりゃそうだがよう。いやー、草薙がボケるとは思わなかったもんで」
「しょうがないやつだ。よし、もう一回俺がボケよう」
英一郎はぐっと小さくガッツポーズをとった。
「よし、了解。さあ、ボケろ」
「…………」
英一郎は、舌を鳴らし、土井を無視して弁当を食べた。
3
放課後。日が傾き始めた。二人の男子生徒が、建物床間近に作られた窓から、中を覗いている。中は温水プールがしかれていて、きゃっきゃと女子生徒が水着に着替え、泳いでいる。
「なあ、土井、大丈夫か?」
英一郎は、ふと思いついたように、土井に聞く。
「その言い方は気に食わんねえ。まるでおれが、女子生徒の水着姿に悶えているみたいじゃないか」
やつれた表情で、無理に笑う。
「それはきっと考えすぎだ」
「そうか?」
中の女子と、土井の視線が交わる。その女子は、申し訳なさそうに視線をずらし、プールに飛び込んだ。
「……なんだかさ、寒くねえ?」
「気のせいだろ。気のせいでなかったら、日が傾いてきたからだな」
土井は空を見上げる。
「……青いな、空は」
「そうだな。青いな、空は」
「みんな平等に見上げることが出来るんだよな?」
英一郎はうなった。
「……詩人だな、なんというか。しょうがないというか」
「まあ、なんだ。とりあえず部室に行かね?」
「……そうだな」
ギコーン、バコーン、と機械の稼動する音。ガガガガガ、とコンクリートを砕く音がうるさく、しかし土井は特に反応をせず、そこにたたずんでいた。
「なあ、土井、うるさくないのか?」
こちら側を壊し終え、向こうを壊そうとする機械たちを見、英一郎は聞く。
「…………」
「おい、聴いてるか?」
土井は英一郎を無視し、瓦礫と化した建物に近づく。
「君、危ないよ」
「どうも、すみません。おい、土井」
工事現場の人に謝り、英一郎は土井を追う。
土井は、建物があったろう場所にやってきて、手を差し伸べた。虚空に。
「草薙……ここには、建物があるよな」
「俺の目には、あるように見えない」
「あったんだよ、ここに……。確かに、昨日まであったんだよ……ははは、おっかしいなあ、階段が、沈んでいく……壁がスカスカしてやがる」
「大丈夫か、土井」
「階段を上ってさ、塩素くさい部室に荷物を放り込んで、夏はうざく、冬は最高な生ぬるいプールに、飛び込んでたんだよ……それでよかった。別に新しい部室なんて、いらなかったんだよ、おれは!」
ふるふる、と地に伏せるコンクリの塊に手を置き、
「ぜんぜん、塩素の匂いがしねえ……」
土井は振り向かず、聞く。
「なんで、こんなことになっちまったんだ?」
「それは、そこの工事現場の人が、学園側に命じられて機械を使って壊したり砕いたりしたからだろ」
「なんでだよ……なんで、そんなこと……」
英一郎は額に手を当て、ため息をついて、答えた。
「というか、部員足りないだろ」
運動場で、陸上部がタータンの上を駆けていき、バレー部のランニングが行われている。やけに響いて第一体育館から聞こえるボールの跳ねる音は、バスケ部ドリブルの音。
特別校舎三階一室。生徒会室。それらを見渡し聞きながら、英一郎はため息をついた。
「お願いっすよ、生徒会長お〜、お願いっすから、水泳部、もとに戻してくださいよ〜」
「そうはいうがね、君」
生徒会長の森健一は、すがる後輩を制した。
「どんなに水泳部を戻したかろうと、壊れてしまったものは、しょうがないじゃないか」
「なんで壊したんすかあ」
「老朽化がすすんだからね」
「別にいいじゃないですか、あそこに部室があったって。卓球部だって、あそこに部室を構えてたんだから、絶対迷惑してると思いますよ?」
「いや、それはない。彼らには、別館に移ってもらった。ほら、南館はほとんど使われてないだろう。だから、そこに……」
「なんでおれらの水泳部だけ、部室くれないんですか」
森は、窓から見渡せるグラウンドに視線を向け、
「君たち、じゃないだろう。複数形じゃない。君だ」
「気持ちはいつでも五人分」
英一郎はまたため息をつき、
「いや駄目だろう、お前」
日が暮れかかったころ。校舎東に位置する寮。
青朽葉は全国から優秀な生徒を選りすぐっているため、大半の生徒がその寮で過ごす。
その、大半の生徒の家といえる寮棟前の少し開けた空間に、二人、立つ姿がある。
英一郎は首から板をぶら下げながら、大きなダンボール箱を地面に置く土井に、聞いた。
「この宣伝は、どうだろう。猟奇的というか……」
「どの宣伝」
「俺の首にかけられた、これの」
「どれどれ……」
屈む土井。土井の額には、生徒会室の時点ではなかった擦り傷のようなものがあり、消毒してあった。だが、それより宣伝のほうが気になり、英一郎は無視した。
『五十メートルの温水プール、一緒にバタフライで背筋に磨きをかけよう! ―ぴっちぴちの女子始めました―』
土井はその宣伝文句を凝視し、英一郎に視線を向けた。
「どこが?」
「待てよ土井」
英一郎は屈む土井の両肩に、手を置く。
「お前は変態か?」
「は? 草薙、大丈夫か」
「その台詞はお前がいうんもんじゃない。いわれるものだ」
「おいおい、これは水泳部再建のため、おれが足りない脳みそを必死に絞って構成した、スンバラシイ文章だぜ?」
「まあ、前半の部分は許そう。何を言ってるのか、さっぱり分からないが、とりあえず宣伝文句らしいというか」
「なら、問題ないじゃん」
英一郎は自分の額に手を当てて、
「……土井、これは、ボケじゃないんだな?」
「なんでこの状況でボケるんだよ。草薙、ふざけるんなら、帰れよ!」
「なんで怒ってんだよ。というか、お前が俺を無理やりにこんな役にしたんじゃないか」
「ハン、所詮お前なんて、ちっちゃな男だったというわけか。いいさ、とっとと帰れ。その板置いて、とっとと帰ってママンのおっぱいでもしゃぶってろ!」
怒声を吐き出す土井。
英一郎はひるみ、無理やりに板を取られ、呆然と立ち尽くした。
「……怒りながらいう台詞か?」
土井は英一郎の言葉を無視し、寮に帰ってきた寮生に水泳部をアピールする。どうっすか、水泳部、どうっすか、美女の水着姿。そして横に置いた大きなダンボール箱から水着を取りだし、配り始めた。
「箱の中身は、水着?」
英一郎は唖然と聞く。
「どした、文句でもあんのか。きっとな、おれが思うに、水泳部が人気ねえのは、水着を持ってないやつがいるからさ」
「分かった、土井の言いたいことは、よく分かった。確かに、ふむ、水着を配れば水着を持ってないやつも来るかもしれない。だがな」
英一郎は土井の手にある水着を示し、
「それは、スクール水着というやつじゃないのか?」
「はあ? 草薙、お前大丈夫か? ここは青朽葉、学園、なんだぜ? スクールは当然だろうよ」
「なるほど、スクール水着は当然、か。……俺がいいたいのは、その形なんだよ」
夕焼けに萌えるスクール水着。
胸元に刺繍された『ゆま』と書かれた布が、なんともいえない、と土井は弁解した。
「……土井…」
板を吊るしている紐で、首を絞めようと力をこめる。
「仕方ないだろ! 新品の水泳パンツ買う費用なんて、これっぽっちもねえ。だったら、お古使ってもらうしかねえじゃねえかようって、締めんなよ、マジで締めんなよ、げふげふ」
「どこから盗って来た……どこから、それだけ大量のスクール水着を盗って来た……」
「やっべえお前、ソルジャーの目だよ、ごほほ。それは盗ったんじゃねえ。もらってきたんだよ」
「もらった?」
英一郎は紐を弛めた。
「いやあな、さっき女子の部室に行って、お願いです男子水泳部再建のために水着をお譲りください、と懇願してきたのさ」
「それで、くれたのか? よく拒否されなかったな」
「そこは押しさ。額から血が出るほど地面に擦り付けて、ひたすら涙流してお願いしたら、古いものならやる、といってくれたって、オイ、締めるなってこら、おれはぜんぜん悪くないじゃんか」
まあな、と英一郎は紐を弛めた。
「あー、苦しい……」
「あのな、いいか、土井。とりあえず謝っとこう。なんか、首を絞めたのは、俺が悪いから。なんだか正しいような気がしないでもないが、暴力は良くない。ただ、それを差し引いても、格好悪いと思う」
「良いって良いって。これが草薙の突っ込みだって分かっただけでも」
笑顔で答える土井。
「それは違うと思うんだが、お前、考えたことある?」
「なにを」
「なんで水着が男子用と女子用に分けられてるのか」
「おっぱいが出るだろ、男子用だと」
「表現がはしたない気もするが、そう、その通りだな」
「でも、男子は大丈夫だろ?」
土井は笑顔でいった。
「ほら、胸が隠れてなくても、大丈夫」
びしっと親指を立てる。
英一郎は深く息を吸って、吐いた。日は暮れようとしている。二人を避けるように、寮生は寮へ姿を消し、寮棟からは、ぽつぽつと電球の明かりがが漏れ始めていた。
「なんつーかさ、そろそろ、やめろよ、な?」
4
高等部寮棟二階。最西端の一室。肌寒く狭いその部屋は、英一郎が帰ってきたとき、部屋の明かりはついていなかった。すっと赤々としたわずかな夕日が、部屋に差込み、人の姿を壁に投射していた。
「…………」
「…………」
英一郎は、ベッドの上に仁王立ちする三ケ田俊三の頭からつま先までを見た。赤光が輪郭を浮かび上がらせて、偉大な雰囲気を感じたが、全裸なのを確認すると、今日何度目かのため息をついて、部屋を出た。
三十秒ほど待って、ドアをたたく。
「開いてまーす」
気の無い返事。
「三ケ田、もう帰ってたのか」
中に入ると、明かりは点けられていて、三ケ田も服を着ている。ベッドにうつぶせになって、テレビを見ていた。
「晩飯は食べたか?」
「いや、まだ。この人たちのネタが終わったら、行くよ」
英一郎は床に座って、
「面白いか、これ」
「別に、これは。昔のは、面白い。このごろ、放送時間でお笑いとか、バラエティーが占める割合が多くなってきてるんだよ」
「へえ。三ケ田はお笑いが好きなのか」
うん、と三ケ田は答え、テレビに見入った。わはは、と観客が笑うのと同時に、三ケ田もはは、と笑った。
「布団が吹っ飛んだ、だって」
「面白いか」
「つまらないのにねえ。それに、つまらないだろ、寒いって突っ込むのが、さらに痛い、つまらない」
つまらない、と答えた三ケ田はしかし、見入る。
「……つまらないのか?」
「外国のテレビショッピングを見てるほうが、楽しいよ。無駄にある筋肉を、わけも無く見せて、あなたもこうなります、こうなれます、どうですか、お買い得です、ワアオ、お買い得ねって大仰に言う女が、わざとらしすぎで、鼻で笑ってる」
「面白いのか、それは」
「うん」
一言答える三ケ田に、英一郎は続けて、
「俺は何も言わんぞ?」
「うん。でも、置いて出て行くのはどうかな。寒かったんだよ」
「しょうがないだろう。俺はあそこで何かいえるほど突っ込みが上手くない」
今日は突っ込みという言葉をよく聞くな、と思いながら。
「上手いとか、上手くないとかの問題じゃないよ。なにか言って欲しかった、それだけさ。ただ全裸で仁王立ちしてただけの僕が、ものすごく痛いんだ」
「じゃあやめとけよ」
「思ったんだけどね」
三ケ田はじっとテレビを凝視し、
「……許せないんだ……あいつらが」
「知らんよ」
「だって、あいつら、コンビ名『コント・タクト』っていうんだけど、中途半端なんだもん」
「中途半端? 何が」
「すべてが。ボケから突っ込みから喋り方から動きからオチからあらゆるものすべてが、中途半端なんだ」
「だからって、全裸ということはないだろう。それも、鍵を開けたままで」
「中途半端じゃないよね?」
「確かに、中途半端ではない。だが、仮に俺以外の人間が入ってくると、三ケ田、お前は非常に弁明に困ると思うんだ」
「はは、草薙君は心配性だなあ。大丈夫、言い訳もちゃんと考えておいたから」
「ほおん」
英一郎は感心したフウに頷き、左耳から右耳への通路を作った。
「だからさ、一度部屋を出てよ」
「…………え?」
言葉を理解できず、三ケ田の顔に視線を向ける。
「だから、再現するから、一度部屋を出て。僕が入ってきてっていったら、入ってきてね。フライングは駄目だよ」
テレビが消され、呆然とした英一郎は、しかし自主的に外へ出た。ドアの前に立ち尽くす。そこに見知った顔が現れた。
「おい、草薙」
「ああ、曽根か」
「土井の阿呆知らんか? あいつ、部屋にいねんだ。草薙んとこにいるか?」
「いや、俺は見てないな。放課後から、どこか一人で消えたぞ」
「あー、まったく、困ったやつだよな。ま、どうせ女湯でも覗いてんだろうけど」
英一郎は右手にある窓から、下を見た。薄暗闇のなか、部活で遅くなった生徒に迫る姿がある。
「どうした、草薙」
「いや、懐かしい姿が見えたもんでね」
「? まあいいけど、草薙、飯食いにいくか?」
「ああ、行く。今日はいろいろあったからなあ」
英一郎がそういったとき、部屋から、もういいよ、という声が聞こえたような気がした。
「誰かいるのか?」
「なあに、空耳だろうよ。ほら、例のお化け」
曽根が入ろうとするのを、止める。
「ああ、あれね」
曽根は頷き、
「なんだったかな、明治時代に、UFOにさらわれて、十年間か行方不明だったとかいう。かわいそうなことに、銀タイツ着て帰還してマシンガンで撃ち殺されたとか。で、撃ち殺されたのがそこの部屋で、平成になった今でも、化けて出るとか出ないとか」
「結局出ないんだろ」
明治時代に鉄筋コンクリート四階建ての建物はあるまい、と英一郎は思った。
「まあ、いいじゃんか、別に。それより腹が減ったよ、行こうぜ」
曽根は先行する。
英一郎は懐から鍵を取り出し、かちゃ、と閉めた。
「それもそうだな」
各棟一階、外から一直線に突っ切ると、大きく開けた場所に出る。百数十席用意され、白いテーブルが並べられた食堂。夕食時ということで、ほとんど満席だ。英一郎たちは空いている席を探し、食堂の隅に、数席ぽっかりと浮かぶようにある空席を見つけた。壁際に二名座っているだけで、他の二、三席に誰も座っていない。
「あそこが空いてる」
「ん、オッケー」
英一郎はうどんを、曽根はカツカレーを頼んだ。
「よくそんなさっぱりしてるもんで腹がふくれるな」
「うどんは、いい。讃岐の美学だから」
空いている席にたどり着き、二人は座ろうとした。が、曽根は壁際に目を向け、ごくりと唾を飲み込み、
「ああ、俺、ちょっと忘れもんしちまった」
「飯を食いに来て何を忘れるというんだ」
英一郎に止められたが、曽根慌て、気にせず行ってしまう。
なにごとか、と視線を同じように向けると、その顔には見覚えがあった。
「上村さん」
上村里美は英一郎の姿を認め、
「ああ、草薙」
面倒くさそうにいった。
そしてもう一人。
「おや、君、また会ったね」
いつぞやの二年女子、林真美子だ。
「ああなるほど、彼女らの発するオーラは、耐えられんものナア」
つぶやく英一郎。
上村と林、無愛想な二人が並ぶと、立ち入れない雰囲気が生まれる。英一郎はしくじった、と思った。
「じゃ、俺はこれで……」
「こら、君、待ちたまえよ」
林に手首をつかまれ、着席を余儀なくされる。英一郎は諦め、うどんをすすった。
「草薙は、林先輩とどんな関係なんだ?」
「なんでもない、たまたま知り合っただけだよ」
その英一郎の言葉に、林は反応する。
「たまたま、ではないぞ、君。私が見つけたのだ」
「…………」
英一郎はその言葉の意味を吟味し、
「ようするに、たまたま、ですよね?」
「違う馬鹿者。『能力』だよ、『能力』」
英一郎は逃げたいと思った。
「助けてくれ草薙、この林先輩は、さっきからあたしに火が出せたり水が出たり雷を落とせたりする力があるとか抜かすんだ」
口調は平坦で、感情が表れない。だが、困っているということは見て取れた。
「嘘じゃない、本当だ。草薙君、なにかいってやれ」
「そういわれましてもね。俺だって、まだ信じられないんすから」
「なにをいう、私には分かるんだ」
断言する林。
「林先輩だけ分かられても、俺と上村さんの二人が分からないんなら、『能力』はないんじゃないすか」
うなる林。
「いや、だがなあ、これはちゃんと確かめたんだぞ」
「どうやって」
尋ねる英一郎に、林は答えた。
「鏡を見るんだ。そうすると、私が能力者であることが、分かる」
どうだ、それ見たことか、というフウに、林はニターリ、と笑った。
英一郎は黙り、その気持ちを上村が代弁する。
「林先輩。先輩の能力そのものが、あやふやなんです。そのあやふやな色眼鏡を通してみたものは、あやふやでしょう」
「君、上村君。まるで私がオカシイ人みたいじゃないか」
林は英一郎に目を向け、
「ほら、草薙君、君も彼女になにかいってやってくれ」
英一郎は視線を林から外した。
視線の先、食堂入り口。ざわつきが聞こえる。横の二人は気にしておらず、
「絶対私は能力を見つけられる!」
「先輩のいっていることは分かりましたそれでどうなるんですか」
「……べ、便利だ」
「便利で? 先輩自身の能力は、それでオシマイだ」
うなり、
「……今年の一年は、なかなか現実主義者が多いな……誰も信じてくれないとは……」
「誰も信じない」
言い切る上村。
「信じてくれたやつもいる。現在三年の、濱田とか有馬とかが良い例だ」
「他は? 中等部とかはどう?」
「黙れよ上村君! わけの分からんことを言うもんじゃない!」
ぱっと人垣が割れ、それが姿を現す。英一郎は二人の言い合いなど耳に入らず、それに目を奪われ、震えた。そ知らぬ顔でその場を離れようとする。
「こら、君、どこに行く」
「草薙、あたしを置いて逃げるな」
再度無理やり着席させられ、英一郎は自暴自棄に、うどんを流し込んだ。
「俺は、きっとここに来るべきでなかった。三ケ田を置いてきたのが良くなかったんだ、これは天罰かもしれない……」
「草薙君、何をそんなに慌ててる……ん、だ……」
「どうした、入り口のほうを見て、涙流して。まるで馬鹿みたい……」
林、上村は呆気に取られた。そして寒気、吐き気が襲ってくる。こちらに歩いてくるそれは、上村も知っている存在だった。
「ど、土井……か?」
上村は、確かめるように、いった。
土井一樹氏はつかつかと英一郎たちに近寄っていく。慌てているようだった、怯えているようだった。
そんなことはどうでもいい。問題は、服装にある。
「あ、あ、ああ……」
「君、頼む! 来るな、来ないでくれ!」
上村、林は怯え、縮こまり、カチカチと歯を鳴らした。土井から視線を外そうと勤めるものの、見ていないと、どのように動くか分からない。だから、目を背けるわけには行かなかった。
土井一樹氏の服装は、単純なものだった。一言で言えば、紺の布。二言で言えば女性用スクール水着。それを着こなした土井一樹氏が、歩いてくる。腋からわずかにはみ出る毛があまりにも目に毒で、股間に食い込む布が一撃必殺の攻撃力を誇っている。胸元に誇示された『ゆま』の白い布は、人の殺意を燃やす。時たま、これ、キツイなー、と臀部の水着を直す姿が見受けられ、あまりの怒りに上村は、無意識のうちに、ヴン、と能力を発動してしまってい、手に長さ二メートル強の洗濯バサミが現れた。
「……カタストロフィ、ラグナロク」
そんな上村の能力発動も意識に入らず、林は意味も無くつぶやいた。
「どうした、お前ら?」
呆然とする三人に、土井一樹氏は声をかける。答えられないほどに精神的に衰弱していた。
「オイオイ、大丈夫かあ、飯だってのに。そんな辛気臭い顔してちゃあ、食堂のおばちゃんに迷惑だっての」
奥の厨房からエプロン姿の筋肉の鎧で覆われた大男が現れる。土井一樹氏の姿を見てグッと親指を立てた。
「いったい、何をしようとしていたかは、聞かんが、な……」
英一郎は、魂が抜かれ、腑抜けた口調でいった。
「? 上村か。あ、林先輩も。なんで三人が揃っているんだ?」
両名は、対応を英一郎に任せ、そっぽを向いている。土井一樹氏は訝しく思った。
「っと、そうだそうだ、大変なんだよ」
「ほおん。大変、なのかあ、そうかあ、大変か」
この状況より大変なものなどないだろうと英一郎は思った。落ち着こうとテーブルにあったコップに手を伸ばす。水が飲みたい。
草薙一樹氏は、いった。
「外によ、変態がいるンだ」
ぴし、とグラスに亀裂。
5
外灯が灯る。高等部寮棟前の、校舎へと続く石畳の通り。両脇に植えられた街路樹、茂みを盾にして、英一郎、土井一樹氏は隠れている。上村、林は逃げた。
「なんか、草がチクチクするな」
小声でつぶやく。土井一樹氏の服装は、スクール水着のままだった。
「そろそろ、聞いたほうがいいのか、俺は」
「何を」
「なにをって、その格好を」
「どの格好?」
土井一樹氏は自らの姿を見て、
「ぜんぜん普通じゃねえか」
「……いいか、なあ。いいか、お前」
「あん?」
「なんで、お前は、スクール水着なんだ?」
覚悟を決め、英一郎は聞いた。
「はあ? またその話か。放課後に言ったろ。ここは青朽葉学園なんだぜ? が・く・い・ん」
「分かったからお茶目っぽく人差し指を立てるな。俺じゃなかったら、へし折られてるぞ」
「ナンダイナンダイ、まぶ達ってやつですかい? もう互いによく知った仲? いつからおれ達そんななかに」
「いんや。自分でもびっくりしてるが、俺の底なしの寛容のおかげだ。だが、その笑顔を見ていると」
握りこぶしを作り、
「一撃加えたくなる……」
「おう、来いよ! おれはMだぜ」
英一郎と土井一樹氏は見つめあった。ふう、とため息をつき、視線を外す英一郎。
「今日、たった半日で、お前への考え方を変えた。というか、変えるしかなかった、変わるのは必然だった、というべきだな」
「ふうん、草薙も大変なんだな」
感心する土井一樹氏。
「…………まあ、いいんだけどな。で、お前、土井。なんで、スクール水着を着てる?」
「しつこいぞ、草薙」
「ここは、プールじゃないだろ」
「ああ、そういう意味ね」
土井一樹氏は、問いかけの意味を理解した。
「水泳部だから」
「……ほーん、水泳部だから、スクール水着を着てるのか」
「当ったり前だろ、お前。馬鹿か? ああ、馬鹿か」
「なに勝手に納得してるんだよ」
「そう怒られてもナア。当然のことをしてるまでだから」
「その、女子用のスクール水着を着こなすことが、当然のことなのか。屋外で水着を着用することには、言いたいが、何も言わんが、だがな、なんで、男子用をはかない」
「いや、お前、女と男、どっちがいい?」
英一郎は考える。大きく息を吸って、吐いた。そして一言。
「男子」
「こんの、ムッツリスケベ!」
「絶対違う」
「テレちゃって、この〜」
ひじで突く。
「頼む、その格好でなにかするな。マジで拳が飛ぶかもしれない」
「だったら草薙、お前、もしかして……同性愛主義?」
アッチャー、という。
「飛躍しすぎだ。……確かに、俺だって女のほうがいいさ、目の前でお前みたいな変態がいたら、な」
土井一樹氏は、満足そうな、けれど落ち着いた笑みを浮かべ、
「ようやく、素直になったな」
「死ね。なんだ、その見守るような笑みは」
「あ、ごめん、言い過ぎた、おれが悪かったから、その眼はやめて。あと、背中のオーラも消して欲しいナ。つーか、びびるよ、お前、死線何度潜り抜けた、どこの英雄だ」
英一郎は握り締めた拳を解いた。
「外で水着はイタイと思うぞ」
「しょうがないじゃん、おれ水泳部だし」
「確かに、まだ男子用の水着だったら、キャー土井君が、なにやってんだ土井お前、腋毛もっさりダアー、程度で済んだだろうな。だが、女子用の水着を着るとは、どういう了見だ?」
「草薙、お前が自分で言った通りさ」
英一郎はこめかみに人差し指を当て、
「……土井、お前の混乱した思考を組み立てると、要するに、女のほうが人気があるから、か?」
「おう。な?」
「な? じゃねえ……」
「なんでお前が怒ってんだ。俺だって、真面目なんだ。なりふり構っていられるかってんだよ」
「構え、そこは構え」
知るか、と一蹴した。
「それより、今は変態だ」
「とりあえず鏡を見に行こう」
「トイレか? 大か小か。大なら我慢しろ、小ならここですりゃあいい」
「そういう意味じゃない」
「紙が無いだろ」
「また違う」
土井一樹氏は英一郎を無視し、校舎のほう、闇の帳を掻き分けながら進んでくる人影を指差す。外灯に照らされ、姿が浮かび上がる。
「アレだ」
アレ、と示したものは、確かに、土井一樹氏を見慣れた英一郎にとっても、変態といえるシロモノだった。顔の上半分は、ゴーグルのような金属板に覆われて、分からない。
頭には直径二メートル弱のビニル傘が開かれ、柄を上空に向けて取り付けられ、両手にはL字の金属棒、自分の体ほどあるナップサックを、軽々と背負う。周囲にはなにか、球形の物体が浮遊していた。
「た、確かにヘンだな、あれは」
「だろ? どうにか部員を集めようと、高等部中等部そして小等部あたりまで突き進んでたんだけど、そのとき、アレを見つけた」
前半中間を聞き流し、
「アレはなんだ?」
「わっかんねえ。ただ、言えることがあるとするなら……不審者」
英一郎は土井一樹氏に目を向け、
「……生徒かもしれない。実際の歳より、老けて見えているとか」
「ありえねえ、あんな変態、生徒であってたまるかっての!」
土井一樹氏は、断言した。
英一郎はじっと土井一樹氏の顔を見て、素でいっていることだと感じ取ると、ふう、とため息を一つ、諦めた。
「分かった、いたな、確かに変態が。それじゃあ、帰るか」
英一郎は立ち上がろうとする。
「待てよ、マイフレンド」
がっと手首を掴み、地面に伏せた。
「前まで友達だったが、今は違う」
「今日の味方は明日の敵ってやつだな」
「いろいろ違うが、まあそういうのもアリだろう」
すると土井一樹氏はニターリと笑った。
「認めたな、草薙、おれの諺を」
英一郎は真意が分からない。
「……だから?」
「問題は、友達だったときから、一日経ってないってことにある」
英一郎は立ち上がろうとした。がっと再度止められる。
「ん? どうした土井、怖くて一人で帰れないのか? それとも自然に還りたいのか? この手を離せ」
「まだ友達だ、少なくとも十一時五十九分までは。手伝ってもらうぞ……!」
「血走った目を向けるな、というかスク水着て目を血走らせるな、変態、この変態」
「とりあえず、聞け、それからでも遅くない」
「もう手遅れだ」
悲痛に満ちた嘆き。
「なら、いいじゃねえか」
ぽん、と英一郎の肩に手を置く。
「ドンマイ!」
まぶしいほどの笑顔であった。
「あーうぜえ、本当に」
「うざくて結構」
英一郎は、舌打ちをする。
「で、何?」
「あの不審者を捕まえる」
「なんでだよ」
「ここの学園のセキュリティーは万全なはずだ。そのセキュリティーの網を掻い潜って現れたアレは、すごい、とってもすごい凄い、スんゴイヤツなんだ、分かるな?」
英一郎は頷く。
「そのスんゴイヤツを捕まえたら、学園の恩人だ。その恩人が、水泳部を作りたいナア、形だけでも部室が欲しいナア、それも駄目なら形式だけでも水泳部を存続させたいナア、といえば、どうなる?」
「そう上手く行くかね」
意図を理解し、英一郎は聞いた。
「行かせてみせる」
「逝かないことを祈るよ、後五時間の友人として」
「はあ? お前も手伝うんだよ」
「…………」
「後五時間、みっちり働いて、もとい手伝ってもらう」
英一郎は額を押さえた。
「なあ? マァイフレェンド!」
「それで、作戦はどうなんだ」
「特攻。それじゃ行くぜ!」
あ、待て、という英一郎の制止を無視し、土井一樹氏は不審者の下へ駆け寄った。不審者は気づかない。両目を覆うようにしてあるゴーグルが原因だ。
拳。みぞおちに叩き込んで、昏倒させてやる。土井一樹氏は勝利を確信した。踏み込む。
が、と音がして、土井一樹氏はすねを押さえてぴょンぴょンとはねた。殴りつける前に、攻撃を受けたのだ。
「大丈夫か?」
「糞、こいつ、つま先に」
不審者のつま先、靴には、先端にピンポン球のような金属球が取り付けられた三十センチほどの棒が、突き刺さっていた。歩くたび、それが凶器の役目を果たす。
「やるぜ、こいつあ。一筋縄じゃ、いかねえ」
土井一樹氏はそう判断し、英一郎のところへ戻ってきて、
「次はお前だ」
「土井、お前なんもしてないじゃん」
「しただろ。痛みわけってやつさ」
土井一樹氏は英一郎を押し出した。はあ、とため息をつく。
「……というか、横から近づけば」
英一郎はつぶやき、真横から近づいてみた。不審者は英一郎の姿に気づいていない。つま先の凶器も、意味を成していない。
「映像が映るんだろうな、ゴーグルみたいなのには」
カシャ、カシャ。英一郎は音のしたほうを見る。あったのは、直径三十センチほどの黒いボール状の物体。表面にはびっしりとカメラが並べられ、近くで見るとボコボコしているのが分かった。糸でつっているのか、漠然と浮いている。音は、そこから聞こえたようだ。
英一郎は試しに、その球をつついてみる。つついた瞬間、ボールは音も無く、当然であるように落ち、もろかったようで、ガシャ、と無残にも全壊した。
びー、びー、と周囲に響く電子音。英一郎は不安になって、土井一樹氏に視線を向ける。街路樹の陰から、こちらを指差し、口パクで、なにかいっているようだ。
「え、何? や、ちゃっ、た、ってうるさい馬鹿、え、マ、ヌ、ケ、って大きなお世話だ、というかお前人のこと言えない」
動きを止めた不審者は、ゴーグルを外す。若い、二十台後半のように見える。
「ちい、カメラボールが破損した!」
見知らぬ英一郎の姿を見つけ、
「誰だね君」
睨み付ける。
「あ、草薙英一郎です」
いきなりの質問に、英一郎は素直に答えてしまった。
「ほう、英一郎というのか、よろしい、良い挨拶だ」
「は、はあ……どうも」
不審者はL字の棒をポケットに詰め、握手を求めてきた。口は横に引き絞られたままである。
「さて、早速であるが、英一郎君、これを壊したのは誰かね?」
これ、と地面の残骸を差す。
「あ、俺っす」
「君が? なぜかね」
「いや、触ったら、落ちて、壊れちまって……」
不審者は腕を組み、うなった。
「やっぱり、触れただけで、落ちるか……」
「やっぱりって、分かってたんすか」
「私に分からないことは、女心と秋の空を除いてない。というより、このカメラボールは私自慢の作品なのだ。その作品のことぐらい、一から百まで承知している」
「はあ」
「このカメラボールは引力から斥力を見つけ出す技術を応用していて、永遠に浮遊することが出来る」
「それって、すごいんじゃないすか」
「ただ、問題なのは、これを寝ぼけて作ってしまったという事実だ」
不審者はいった。
「朝起きると、出来ていた……枕元にあったのだ。原理は、分かる、なんとなく。ただ、二度と作れまい」
英一郎は言葉を吟味し、
「駄目、っすよね?」
「駄目だな。そこは認めよう」
即答した。
「というか、俺って取り返しの付かないことしたんじゃ……」
英一郎は地面に沈むカメラボールに目を向けた。
「なに、気にすることはない。これはすごいといっても、稼働時間は三分で、三分ごとにエネルギーを注入せねば、何も出来ない、ただ浮く球だ」
バラバラになったカメラボールを見て、
「また、非常にもろい」
「じゃあ、許してくれるんすか?」
「許すも何も、私はただ事情を聞きたかっただけだ。むしろ驚かせてしまったみたいで、こちらが謝らなければならない」
「はあ」
「それで、なぜ英一郎君はこんなところ」
「えー、不審者が現れて、……」
「不審者。良くないな、それは」
不審者はいった。
「どこにいる、その不審者は。私が捕まえてやろう」
「えー、なんつーか……」
英一郎は言葉に詰まった。
「今、探してるんすよ」
「フムン。なるほど、学園のために、君は頑張っているのだね」
「頑張っているのだね、といわれても、困るんすけどね」
「謙遜はしなくて良い。分かった、一緒に探してやろう」
「はあ……」
不審者は背中のナップサックにカメラボールの残骸を入れる。
二人は、なんとなく歩き始める。
「そういえば、まだ名を教えてなかったな」
「そうっすね」
英一郎は適当に相槌をうった。
「私の名は、ハイドロゲン・太郎だ」
「ハイドロゲン、太郎……」
「よろしく、英一郎君」
ハイドロゲンは顔に深い笑みを浮かべた。
英一郎は、大変なことになった、と思いつつ、たずねる。
「ハイドロゲンさんは、どうしてここに?」
「どうして、か」
ハイドロゲンは、立ち止まり、頭上に輝く星々を見上げ、
「探し物があるのだよ、この地にね」
「探し物……」
「昔から、探した。長い間かけ、ようやく見つけたんだが……」
「……だが?」
「盗られた」
「盗られたんすか」
「盗られたが、ここにあることを分かったのだ。それで、現在躍起になって探している」
ハイドロゲンはポケットからL字の金属棒を取り出し、
「これだ」
力強くうなづく。
「これだ、って言われても……」
「知らないか、英一郎君。これはダウジング・マシーンといって……」
「聞いたことはあります。水脈とか見つけられるんでしたよね」
「その通り。だが、このダウジング・マシーンは、一味どころか、砂糖と塩ぐらい違う」
ハイドロゲンは、実際両手に構え、
「このダウジング・マシーンMk-U、名を『〈NAN〉demo〈CAN〉デーモ発見器』といって、自分が見つけたいものを、見つけることが可能だ」
「名前はともかく、すごいじゃないですか」
「ただ、問題なのは、これを寝ぼけて作ってしまったという事実だ」
ハイドロゲン・太郎はいった。
「朝起きると出来ていた……手に握られていたのだ。原理すら分からない。ただ、物体固有の波長を感知しているのか、という推測は立つが……」
「駄目っすよね」
「駄目だな」
ハイドロゲンは即答した。
「だが、便利だ。その場所さえ見ることが出来れば、この〈NAN〉demo〈CAN〉デーモは反応する。よし、不審者を探知してみよう」
「人で出来るんすか」
驚く英一郎。
「当然だとも。この〈NAN〉demo〈CAN〉デーモに不可能は無い」
言っている間に、〈NAN〉demo〈CAN〉デーモに反応がある。くくく、と百八十度回転して、ハイドロゲンを示した。
「せ、正確っすね」
「静かに……」
ハイドロゲンは、〈NAN〉demo〈CAN〉デーモを凝視する。すると、〈NAN〉demo〈CAN〉デーモは、ぴくと、ハイドロゲンの軸からずれ、右後ろを指した。
ハイドロゲンは勢い良く振り返り、
「そこにいるのは、誰だ!」
叫んだ。英一郎もつられて、目を向ける。
土井一樹氏が、街路樹に隠れようとしている体勢で、呆然と固まっていた。
「…………」
「…………。」
土井一樹氏は、ハイドロゲンたちに見つけられ、目をしばたかせ、二人の顔を見比べ、通りに出来て、姿勢を整え、胸元の『ゆま』の布を地面と水平にし、食い込んだ臀部の水着を直し、笑顔で、
「どうも」
といって反対側へ歩き出した。
「え……と」
「不審者を捕獲する!」
ナップサックから、バズーカを取り出すハイドロゲン。
「マジかよ!」
土井一樹氏は、バズーカに恐れをなし、駆ける。
「ハイドロゲンさん、ちょっと、待っ……」
英一郎は止めようとした。だが、土井一樹氏の逃げる後姿、特に尻、Tバックと化すスクール水着を見て、思う。憎い憎い憎い。
「大丈夫、これはとりもち弾だ。死ぬことはない」
「いや……別に、実弾でもいいんすけどね……」
「なにか言ったか、英一郎君」
発射準備完了、命中確率九十九パーセント、とハイドロゲンはバズーカを肩に担いだ。
英一郎は、一言、いった。
「もう、やっちゃってください」
第二章
1
どこか遠くで、へーべれけてごめんなさいアルコールワットじゃありません、という始まりで有名な、青朽葉学園校歌が流れていた。
高等部校舎一階、第一職員室の隣に、学園長室は位置している。中はいろいろな装飾品、特に部屋の大半を占めて置かれる体長十メートルはあろうかという巨大な動物の剥製は、圧巻だ。ジュゴンに似ている。だが、こんなに大きかったか、と英一郎は疑問を持った。
その部屋の中央に三名。奥の大きな椅子に深々と腰をおろす大柄の初老の男性、青朽葉学園学園長ガラクトース・権蔵、その人物の横に立つ男子、生徒会長森健一、それとトラの皮の上に正座している土井。
土井は全身をべたっととりもちに覆われ、さらに両手首足首を縄で縛られている。
「こんな夜中に、僕はともかく、学園長先生まで呼ばれるなんてね。土井君、君は、いったい何をした?」
森は、恐る恐る、戸惑うように聞く。
「ただ、おれは、敷地内をうろついてただけですよ〜」
「なるほど、うろついていたのか。……水着姿で?」
「そりゃあ、水泳部ですから、常時水着でも文句ないっしょ」
閉口した。
「なるほど、なるほど……」
考え、
「……よく、分からないんだけど?」
「だーかーらー」
土井は必死に説明した。水泳部再建のために水着を配布したこと、注目を集めるために水着に着替えたこと、そして不審者がいて、捕らえようとしたこと。
なら君は変質者だ、と深いしわを刻むガラクトースは、無言であったがぴくりと眉を動かし、思った。
「不審者? でも、セキュリティーには引っかかっていないよ?」
「だから、オレらが捕まえようとしたんじゃないっすか。な、草薙?」
土井は入り口の大きなドア付近で直立不動の体勢をとる英一郎に言葉を投げかける。
「そうなのかい、草薙君」
「ちょっと、待ってください…………」
英一郎は無言で、部屋の時計に目をやった。十一時五十九分を指していた時計が、かち、と十二時を迎える。
「知らないっすよ、俺は。そこで水着で正座してとりもち浴びて縛られてる人間みたいな何かなんて、ぜんぜん、これっぽっちも」
「アアン? 草薙、なに嘘ついてんだ。お前、その場にいたろ」
「あの時はいた。でも、今はいない。俺はお前なんて知らん。俺の友達に、お前みたいな変質者はいない。お前が言ったんだぞ、今日の味方は明日の敵って」
「うわ、お前ちまちましてやがんなあ。馬鹿のくせに馬鹿のくせに馬鹿のくせに」
「変質者よりマシだと思う」
「くっそー、裏切られた気分だぜ」
「その裏切りをお前は肯定したじゃないか」
「信じてんじゃねえよ!」
「なら友情を天秤にかけるなよ……」
うな垂れる土井。その惨めな姿を見て、英一郎もまた、はあ、と下を向く。
「ともかく、その不審者も姿を見せてないし」
森は学園長室を見渡しいう。
「おい、草薙、あいつどこ行った?」
「知らん」
事実、英一郎はハイドロゲンの居場所を知らない。ハイドロゲンは土井を拘束し、学園長室の前に連行してきたときまでは同行していたが、ガラクトースが現れるや否や、さっと姿を消し、現在どこにいるか分からないでいた。
「役にたたねえ……」
とりもちに埋もれる土井は、いう。英一郎は無視した。
森は、信じられない、といい、
「……土井君が、露出狂だったなんて、僕は驚きだよ」
「オレにそんな性癖はねえっす!」
「そうはいうが……現に君は裸に近い格好で、外をうろついてたそうじゃないか」
「違います、生徒会長!」
土井は、がばっと顔を上げる。
「ほら! 立派な水着!」
森はまたため息。横のガラクトースに視線を向けた。
「どうしましょう、彼の処分は。実害は、まだ出ていないようですが、放っておけばまたこのような事態になる可能性も、否定できませんし……」
ガラクトースは、筋肉質の体を震わせ、小さく背伸びする。小さな、しかし腹のそこから響く声で、
「土井……お前は、どうして露出狂になった?」
「え、露出狂は決定事項なんすか?」
「……違うのか?」
「オレは露出狂じゃねえっすよ!」
弁解する。
「……なら、なんだ?」
ガラクトースにたずねられ、土井は力強く、
「水泳部っす」
と答えた。
「…………ム」
土井の真っ直ぐな気持ちを、ガラクトースは理解する。姿格好はともかく。
「それに、考えてみてください、夏の浜辺を。あれだって屋外だってのに、みんな水着じゃないっすか。オレが露出狂だっていうんなら、アレすべて露出狂ってことになりますよ!」
ガラクトースは考える。
「……一理、ある」
「一理もないです、納得しないでくださいよ学園長」
森は、頷くガラクトースにいった。
「あれは海が泳ぐ場所だからいいんです。学園敷地内で水着姿っていうのは、確実におかしいでしょう」
「泳ぐ場所の定義っつうのは!」
いきなり、土井は会話に入った。
「なんだい、いきなり……」
「先輩は何を持って泳ぐ場所、とするんすか!」
森はうっと言葉につまり、考え、
「……お、泳げる、場所?」
途切れ途切れいった。
「五十メートルプール!」
土井は続ける。
「この学園には、室内五十メートルプールがあるっす! おれは、そこで泳ぎたかっただけなんです!」
「夜中に泳ぐべきじゃないよ」
土井は一瞬思考。
「許可は、取りました!」
口からでまかせだな、と英一郎は思った。
「嘘だろう」
「嘘じゃないっす! そこのガラクトース学園長に、ちゃんと言ったっす!」
いきなり名前を呼ばれ、ガラクトースは動揺した。
「ム?」
「ちゃんといいましたっすよね、学園長先生!」
「ほ、本当なんですか、学園長」
ガラクトースは、むう、とうなる。このごろ物忘れが激しい。
押しが足りない、と土井は思う。押す要素が、枯渇してしまった。
ふと、土井は、ここまでか、と諦め壁にかけられた巨大な動物に目を向ける。驚きに、かっと眼は見開かれ、震えた。
「こ、こ、これって……学園長が捕まえたんすか?」
学園長の目が輝いたように見えた。
「うむ」
「ま、マジすか?」
「うむ」
「えと……たぶん、間違いかも知れないっすけど……ステラーダイカイギュウ……ですよね?」
「うむ」
「ど、ど、どこで捕まえたんすか!? これ!」
「昔のことだ、釣った。北太平洋ベーリング海で」
単語を並べるグラクトース。過去を思い出しているようだ。
「そ、え? ま、ま、マジっすか?」
「よく知っている、土井。コレの貴重さが、分かるのだな?」
「つーかこれ……アレ、ですよね? 一七四一年に、ステラーに発見された……」
「うむ」
大仰に頷いたガラクトースは机から紙を引っ張り出し、さらさらとペンを走らせ、だん、と印を押す。森に差し出した。
「これは……」
水泳部設立を認める、とある。
「なんですか、これ」
「うむ」
「学園長?」
「うむ」
「うむ、って。ほめられたからって、いきなり認めていいんですか、学園長。というより、今は夜中に泳いだことの許可の有無であって……」
「…………森」
ガラクトースは、ぎらりと森をにらみつけた。
「え?」
「儂は、私情を挟まぬ」
「でも、今……」
「……森、アレは何だ?」
驚く森に、ガラクトースは壁のステラーダイカイギュウを指差し、聞く。
「アレは、何だ?」
「ステラーなんたらの、剥製……」
「ステラーダイカイギュウ、だ。生態は?」
「えと、分かりません。初めて見たので、名前もぜんぜん……」
「…………」
ガラクトースは、ため息をついた。首を横に振る。
「……駄目だ」
「が、学園長、どうしていきなり失望するんですか。確かに僕はその動物の名前を知らなかったかもしれませんが、だからと水泳部を作ることにはつながりませんよ」
「土井」
ガラクトースは無視した。
「とりあえず、形は整えてやろう。後は部員を探せ。そうすれば、いつからでも活動してよい」
ヤリイ、と土井は歓声を上げた。森はあたふたと、弁明を図っていたが、ガラクトースは無視することに決めているようで、相手にされていない。
実在したのかガラクトース・権蔵、と本人を自分の目で見、英一郎は思った。
2
午前一時前。英一郎はふらふらと寮棟入り口を歩いていた。土井の姿はない。土井は、さっき用事があるといって、別れた。それより眠い。
「あの、変態のせいで……」
食堂は暗かったが、長い廊下の明かりはついている。今日のことは忘れよう、いろいろ、特に土井一樹。英一郎はそう決意し、階段を上ろうとしていた。
「終わったか」
声。英一郎は、二階のほうに視線を向けた。
壁にもたれかかり、立っている。窓から月明かりがもれ、林を照らしていた。
「逃げましたね……林先輩」
「あ、あれは、しょうがなかった。逃げてなければ、死んでいた」
「誰がすか?」
「土井が」
深く頷き、自らの逃避行動を正当化する。
「私があいつを殴殺していただろう」
「……それを、宣言するだけのために?」
「違う」
「じゃあ、なんすか」
林は、ううむ、とうなる。
「彼ね、えーと」
「土井一樹」
「そう、そいつ」
「土井がどうしたんすか」
「……土井君は、変だろう?」
言葉を選びぬいた結果の質問。
「ええ、まあ」
英一郎は即答する。
「だから、なんだ。今までそちらのほうにばかり気をとられていた。彼は、中等部から青朽葉に入学したんだが、そのとき、一目見た瞬間から、分かっていたんだ、私には」
「変態、ということがすか?」
真面目に、英一郎は聞く。
「確かに、彼は中一から、変態だった」
真面目に、林は答え、
「このごろはそれにさらに磨きがかかってきてる。だから、気に留めなかったんだが」
「?」
「彼は、いや彼も、能力者だ」
林は月光のなか宣言する。
英一郎は考える。
「……確かに。一般人からは、程遠い……」
「君の思ってる、そんな能力じゃないぞ」
「じゃ、なんなんすか」
林は口ごもった。
「もしかして、やっぱり、分から……」
「黙れ! 黙るんだ草薙君!」
「俺は真実をいった……」
「君はちゃちいジャーナリストかこのヤロウ」
「そんな目くじら立てることないでしょう」
「そもそも君に言われる筋合いはない! 君はまだ自分の能力がなんてあるかも把握してないじゃないか!」
「今はまだ五月ですよ? 俺が能力がどうたらいわれてから、一ヶ月しか経ってません」
「む」
「というか、別に俺能力なんていらないっすよ。濱田先輩の能力みたいに、どうせくだらないものに決まってます」
「三年の濱田。『ピン札革命』、か……」
林はため息をついた。
「多いな……」
「何がすか」
「くだらない能力が」
「それいうんだったら、林先輩のも……」
「君の言い分はすべて右から左に抜けるものとして。……冗談抜きで、今学園には能力者が溢れている」
「そうなんすか」
「本当に、多い。始めはこうじゃなかった。というか、いなかった。私は初等部から青朽葉にいたんだが、中学二年から、急に能力者が現れたんだ」
「はあ」
「本来、能力者というのは、非常に珍しい。聞いた話によると、何万人、あるいは何十万人に一人の割合――だというのに、この青朽葉学園には、私が見ただけでも何十人もいる。学園生徒数は、およそ七千。ありえない、あまりにも割合が高すぎる」
「類は友を呼ぶってやつでしょう」
「だが、この数値はおかしい。考えられない、異常だ。そして、さらに」
「まだあるんですか」
林は頷いた。
「能力がなんであるのか、知っている生徒も数人いる。だが、その全員が……使えないんだ」
「え?」
「使えない。濱田が良い例だ。他の連中も、ダメダメだ」
首を横に振る。
「ちょっと気持ちいいらしいですよ、ぴしっとした感じが。ああ後、クレジットカード盗難防止にもなるようっす」
英一郎は弁明した。
林は額に手を当て、
「それで、どうかなるのか」
「ぜんぜん。心身相関で、体が軽くなったりするかも……」
林は聞き流し、
「映画やアニメでよくある、飛んだり爆発させたり雷落としたり音操ったり、とか、そういう能力が皆無なのだ」
「世界は安全ですね」
英一郎は満足げに頷いた。
「君、どうして私が能力者と接触しているか、分かるか」
林は聞いた。
「いや……」
「興味だ。その能力に、非常に興味を抱いている。どのような能力があるのか、もっと知りたい」
意気込み語る。
「だがね、その能力が、濱田の『ピン札革命』だったら、どうなる。ぜんぜん面白くない。むなしくなるだけだ」
「まあ、そうっすね。悲しいだけです」
「だろう。だからだ、君、草薙君」
びっと指差す。
「手っ取り早く能力に目覚めてくれ。あるいは、その土井から能力を引き出してくれそして私に教えろ。退屈で死にそうだ」
「そんな無茶な……」
反論しようとする英一郎に、林はいった。
「それだけだ。君に伝えたいことは」
「それだけのために、何時間も待ったんすか……」
「私はいくらでも待つぞ。暇だからな」
ふふふ、と不敵に笑う。
なんだかこの学園は変なのばかりいるなあ、と思いながら、英一郎は階段を上り、自室へ向かった。
寮棟二階最西端の部屋。英一郎は鍵を開け、中に進入した。毎度のことであるが、この部屋は寒い、異様に。二階であるから日光に暖められることも無く、西側であり太陽のあまり当たらない部屋だからだろうが、それにしても、寒すぎるように感じられる。
部屋の中央、ベッド。すうすうと寝息を立てて眠る三ケ田がいる。布団は床に蹴り落とし、というより三ケ田は全裸であった。
「…………」
「う……ん」
英一郎の気配を敏感に感じ取り、三ケ田は目を覚ます。
「う〜ん……」
寝ぼけていたが、英一郎の姿を視認すると、三秒ほど静止し、はっと飛び起きた。
「…………」
「…………」
暗闇の中見詰め合う二人。しばらくして、くしゅん、と三ケ田はくしゃみをした。あ〜、ふう、寒い、と肌をさする。
英一郎は頷き、部屋を一度出て、三十秒待った。ぱち、と蛍光灯が灯され、ドアの下からもれてくる。ノック。
「開いてるよ」
英一郎は自室に足を踏み入れる。そこには、やはり全裸の三ケ田が存在していた。
「お帰り、草薙君」
頷きで出迎える三ケ田。英一郎はため息をつき、また部屋を出て、今度は一分待った。ドアをたたく。
「だから、開いてるって」
英一郎は、ドアノブに手をかける。ためらう。だが、回して中へ。
やはり全裸の三ケ田。蛍光灯にすべてをさらし、誇らしげだ。
「…………」
「どうしたの、浮かない顔して」
「なんで、全裸なんだ?」
待っていましたとばかり、三ケ田は答える。
「暑いから、このごろ」
英一郎は無言で、かちかちと震える三ケ田を見た。
「まさかと思うが……それが、さっき言ってた全裸の理由か?」
「うん」
肌をさすりながら、三ケ田は肯定。
「これなら、露出狂に見られることはないよ」
「代わりに神経がイカれてる風に取られるぞ?」
「それは弱った」
三ケ田はうなる。
「それで、どうしてこんな時間まで?」
聞かれ、英一郎は答える。
「変質者が出てな。馬鹿にはめられて、捕まえるのを手伝ってた」
「怖いねえ」
三ケ田は言う。英一郎は三ケ田の全身を確認すると、そうだな、怖いな、と同意した。
「じゃあ、もう遅いし、寝るか」
英一郎は、三ケ田が服を着て厚着を施すのに何も言わない。きっと寒がりなんだろう、とだけ思った。
ベッドの下にある布団。ベッドと床の隙間、およそ三十センチに、体を滑り込ませ、大の字、上を向いて目を閉じた。
「……草薙君が、ベッドを嫌いなのは知ってるけど……」
「ん?」
「一ヶ月黙ってたけど、分からないんだ。……どうして、狭いところで寝るの?」
三ケ田はベッドの上側、下側、脇の開けた空間を示す。
「周りだったら、横向きにも寝られるよ」
英一郎は考える。
「三ケ田は、どうやって寝るのが好きだ?」
「え?」
「いろいろあるだろう。左を向くとかうつ伏せとか体を丸めたりとか」
「そんなの、考えたこと無いよ」
「そうか? だが、世界人類みんな、自分の好きな寝方を持ってるもんだ」
「そうなの?」
「そうだ」
英一郎は断言した。
「…………」
反応に困る三ケ田。土井は意を決し、
「というか、……俺、狭いところが好きなんだ」
「狭いところが、好き?」
三ケ田は首を傾げる。
「ひたすらに、狭いところ、とくに閉鎖空間が好きだ、俺は。今はそんなことないが、幼稚園のときなんか、いつでも狭いところにいたし、昼寝のときは絶対ダンボールに詰められてでないと眠れなかった」
と英一郎は、幼稚園時代壁の隙間に入り込み出たくないと駄々をこねたり、倉庫からボロボロのダンボールを持ってきて先生に怒られたことを思い出した。
「それって、変……」
「変? 三ケ田、お前俺を変態扱いするのか」
「そうじゃないよ。でも、」
「俺は、これが好きなんだ。放っておいてくれよ。寝方は千差万別だろう」
「はあ……」
三ケ田は適当に相槌を打つ。
「狭いと安心するんだよなあ……」
ふふっと笑って、黙った。
これが、中途半端じゃないイッちゃったボケなのだ、と三ケ田は感動し、つぶやく。
「……僕も、見習わないと」
はがしてんじゃねえ、と叫び声が上がったのは、英一郎たちが寝息を立て始めてすぐ、であった。
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2005/01/18(Tue)22:20:42 公開 / 一徹
■この作品の著作権は一徹さんにあります。無断転載は禁止です。
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■作者からのメッセージ
コンセプトはどうにかなれ、です。どうにかなれば、どうにかなるはず。これからも、どうにかこうにかネタを搾り出しながら、がんばろうと思う所存であります。
応援を受けて、ガンバルゾ
1月16日午後。第一章終了
1月17日。第二章開始。
といか絶対ツマンネーもうネタ切れたかもしんない、と諦めかけている今日この頃ですが、頑張ろう。(ネタをありがとう土井)
1月18日。これから私は休止モードに入ります。断じてネタが切れたわけではありませんし気分転換に別のネタを書こうと思ったわけでも断じてなくともかく青朽葉は非常に作者の精神を削るのです(コイツァヨワッタヨワッター)もう登場人物を英一郎土井三ケ田林ガラクトース以上の変態っぷりに仕上げるのは不可能なような気もしますしというか絶対土井は超えられない、とかいう理由ではありません。断じて。