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『俺たちは英雄だ』 作者:ゅぇ / 未分類 未分類
全角41897文字
容量83794 bytes
原稿用紙約123.8枚
 1

 2004年5月。
 
 「ちょっと中西、それあたしのポテトチップスやで!」
 高校2年にもなって、お菓子の争奪戦を繰り広げるなんてどうかと思う。思うけど、これが前から楽しみにしてた京都への合宿研修ともなればテンションも上がって、ポテトチップス数枚で大騒ぎができる。これが若さや、と思いながらあたしは中西という男子生徒からポテトチップスの袋を奪い返した。
 「夕希ってさぁ、そんなお菓子ばっか食べてよう太らんよな」
 クラスで1番幅のある女子生徒(失礼)が、憎らしそうにあたしの鼻をつまんだ。名神高速でわずか40分ほどで、京都に着く。その40分の間に、カラオケをしてみたりお菓子を食べてみたり、よくもこんなにテンションがあがるものだと我ながら驚く。こういうイベントになると、血が騒ぐんやもん。持って生まれた性格やから、仕方ない、直せない。
 「ホンマそれ。お菓子は食べるわご飯も食べるわ、胃拡張と違うん?」
 「やのに太らんし、肌は綺麗やし、崇人が彼氏やし。羨ましいわ〜」
 胃拡張はともかくとして、他のことは認める。食べても太らんし、肌もすべすべやし、幼馴染みで男前の須賀崇人(すがたかと)が彼氏やし。その崇人は、バスの前のほうの座席で友達と騒いでいる。明るい茶髪で、少し利かん気の強そうな容貌がどうにも男前で、昔っからよく告白されていた。あたしとは家族ぐるみの付き合いだ。
 「夕希ってホンマ、悩みなさそ〜……」
 1年の時から同じクラスで、同じ新体操部の彩子(あやこ)がしみじみと言う。何をアホなことを。これでも悩みは尽きないのに、と思ってあたしはポテトチップスをバリバリとほおばった。
 今回の合宿研修のためにお菓子を買いすぎてお小遣いが残り少ないし、気に入ってはいていた靴下の親指のとこがそろそろ破れそうやし。それに、1週間ほど前に自転車でこけた時のあざがまだ消えへん。あっ、あと、生物の教科書がどっかいって見つからない。悩みばっかりや。深川夕希17歳。県立南高校の2年生で、つい最近……5月4日に(国民の休日やで)17歳になったばっかりだ。

 ゆっくりとブレーキをかけて、貸切の観光バスが止まった。降りたのはJR京都駅の前にある大きな駐車場で。この合宿研修で京都に来てるのは、あたしたちの2年4組だけだ。合宿研修の場所は、クラスごとに違う。1組は東京。2組は岡山。3組は福岡(クラス委員が、博多ラーメンを食べたいと押し切ったらしい)。で、あたしたち4組が京都で5組は神奈川。合宿研修といっても、正直ただのクラス旅行みたいなものなのだ。ちなみに5組は、これもクラス委員が中華街に行きたいとごねた結果だと。神戸の中華街でええやん、と誰かが正論を吐いたのに却下されたらしい。で、この4組は他でもないあたしが押し切って京都にした。
 「女って何で京都とか好きなん」
 ぶつぶつ言いながらバスを降りた男子生徒たちも、学校とは違う雰囲気に意外に興奮している。最初にバスを降りた崇人が、シンプルな日程表を開いて見ていた。
 「須賀〜、バス降りたら次どこ行くん」
 「清水寺やろ。もちろん」
 ベタやけどなぁ、と崇人が笑っているのが見えた。担任はまるで干渉してこないまま、のんきにタバコを吸っている。あたしたちに何を言ったって、聞かへんて分かってるんや。新学期始まって、まだひと月ほどしか経っていないのに、担任はよくあたしたちのことを分かってる。
 「なあ、清水寺行くで!!」
 崇人が声をかけると、それだけでおかしいくらいに全員が彼に従う。崇人が、こっちへ来いというみたいにあたしに手招きをした。JR京都駅から四条通まであがって、八坂神社を通ってゆく。清水寺までは結構な距離がある。清水寺の近くには霊山護国神社があって、幕末の志士坂本龍馬の墓があるんや。歴史好きの親と、よくお参りに行くから知っている。正直なところ、あたしが興味あるのは幕末のほうで、清水寺ではない。崇人も同じ、家族で歴史が好きな家や。昔っからあたしと崇人2人並べられて、父親から歴史の話を延々と語られて育った。歴史なんて何のことや、という顔をして、実は詳しかったりするんやけど。
 「おなか空いた、お昼何食べる〜?」
 「はっ!? 夕希もうお昼食べる気なん!?」
 「有り得へん。どんな胃袋してんねんって話やん……」
 口々に傍を歩く女子生徒からブーイングが湧きおこった。何を驚いているのかが、あたしにはさっぱり分からへん。朝ごはんに卵焼きと明太イワシとごはんと食べて、あとはバスの中でお菓子をちょっぴりつまんだだけやん、もうすぐ11時やねんから、おなかも空くって。どんな胃袋してんねんって、それはこっちのセリフ。どんな小さい胃袋してんねん、なぁ。生まれてきたからには、美味しいものいっぱい食べな損やんか。
 「だって、にしんそば……」
 鴨川を越えたところにある、にしんそばの店を見つめて切なくなる。去年崇人とデートで来たときに食べたにしんそばの味が、今でも忘れられへんの。大阪梅田のうどん屋そば屋でも、にしんそばは食べられるけど……。でも鮭ごはん付きで1200円って価格では食べられへん。
 「にしんそば、にしんそばってうるさい!」
 彩子が怒る。彩子は、こっちが本気で驚くくらいに食が細い。どっちかというと、食い気より色気をとるほうで、彼氏のためにきちんとお洒落をする子や。それに比べて、といつも皆に言われる。何で高2にもなって色気より食い気かなぁ、夕希は。そんなセリフは耳にタコができるくらい聞いた。色気では生きていかれへんやないの。人間食べることが一番やと、あたしは思うのに。
 「歩いたらおなか減るやん……」
 「我慢しいや、もうすぐ着くやろ」
 何でみんな、こんなにお母さんみたいなん? ちょっとくらい甘やかしてくれたっていいのにな。お母さん、そんな17人もいらんよ。
 どんどん坂を上っていく。石畳の道の両側に、所狭しと土産物屋が軒を連ねていて、女子がきゃあきゃあとのぞいては騒いでいた。平日やけど、人は多い。修学旅行生と思われる制服姿の学生たちが、あたしたちと同じようにぞろぞろと歩いている。ところどころ、標準語が聞こえた。5月とはいえ、快晴の昼間。歩けば歩くほど体温があがって、暑くなってくる。 
 いい加減、店先のソフトクリームに気をとられはじめたころ、ようやく清水寺へ一直線につながる道へ出た。


 2

 五平餅をくわえながら、あたしは皆の後ろからついて行く。結局、ソフトクリームよりもものすごく美味しそうな匂いのする五平餅に、負けてん。
 「はぁ……幸せ……」
 何で皆は食べへんの? なんて聞いたりしない。どうせおなか空いてないんやろ。小鳥みたいな胃袋して、もうホンマつきあい悪いねんから。
 「夕希はお参りせんの?」
 「夕希はお参りなんか、せんやろ」
 いつの間にか近くに来ていた崇人が、ゆりに言った。ゆり、っていうのはアレ。あたしが食べても太らん性質なのを1番羨ましがってる幅の広いコ。明るくて、いいコなんよ。ていうか、ダイエットするって言ってあまり食べないのに、何で太るんやろ。家で食べすぎてるんと違うかしら。
 「なぁ、夕希。おまえはお参りなんかせんよな、昔っから」
 五平餅を口にくわえ、それからもう一本片手に持ちながら、あたしは頷いた。
 「お参りせんでも、何とかなるもん」
 あたしはお寺も神社も大好きやけど、別に仏教徒でも神道派でもない。建造物を見てすごいなぁ、と思ったり、落ち着いてお香の匂いがするところで癒されたり。それ以上でも、それ以下でもない。
 「へぇ、お願い事とかないん? 生物の教科書出てきてくれますように、とか。こけたトコのあざが消えますように、とか」
 ゆりが、不思議そうに訊ねてくる。
 「教科書は死ぬ気で探したら出てくるやろ。あざも、待ってたら消えるし」
 「靴下の親指は?」
 「破れたら新しいのん、買うよ」
 「お金が儲かりますように、とかは?」
 「お金なくなったら、日払いのバイトでもできるし……」
 「……テストの点数が良くなりますように、とかは?」
 「勉強すればテストくらい取れるん違う?」
 「大学受かりますように、とか!!」
 「頑張ったら受かるやろ〜、それなりに」
 だいたい、神社はお願い事をするために行くところと違うもん。
 「……もうアカンわ、このコ!! 崇人、どうにかしてよ!」
 何がアカンのか、さっぱり意味プーやわ。だって、あたしホンマのことしか言ってないやん。あえてお願いするなら……そうやなぁ。もっと五平餅が食べたい。
 「俺にどうにかできるようやったら、とっくにしてるわ」
 崇人がヘラヘラと笑っている。この人が、こうして大らかでいてくれるからあたしたちは長続きしているんだ。あたしは自分が大好きやもん、あたしを否定する人とはあんまり関わりあいたくない。あたしのことを想ってくれる人だけが、近寄ってきれくれれば良い。だって、そしたらあたしだってイイ子でおれるもん。あたしは気ぃ強いから、何か言われたら絶対10倍で返してしまう。
 「もう……ほんまに。ホラ、五平餅食べすぎと違うの!?」
 ゆりが、あたしを引っ張る。
 (……いてっ)
 よろけてゆりにぶつかり、たくましい胸肉に弾き飛ばされた。
 「何ふらふらしてんの、次どこ行くん?」
 いや、あたしは別にふらふらしてへんねんけど。
 みんなはしっかりお賽銭を投げて、お願い事をしてきたようで。口々にどんなお願い事をしたのか、推測しあっている。
 「次ドコ行くんやった〜? 崇人」
 「次『よーじや』行くんやろ」
 『よーじや』は、有名や。何が有名って、とにかくあぶらとり紙? 女の子が先を争って買う看板商品。あたしも何回か買ったことあるけど、結構高いから困る。あぶらとり紙より、その店からもう少し八坂神社寄りのところにある『祇園小石』の季節のキャンディが欲しい。それから、やっぱり忘れられないにしんそば。この通りにあるそば屋のメニューには、必ずといっていいほどにしんそばがある。お昼は、やっぱりこれしかないと思うねんけどなぁ。女子高校生がにしんそばなんて嫌や、って言われるんやろうなぁ、やっぱり。フン。

 それからあたしたちは『よーじや』に行って、もうほとんど無理やり強制的にあたしが仕切ってにしんそばを食べて、京都御所と文化博物館を観光してホテルに向かった。京都御所は広いだけで、特に何のイベントもやっていなかった。けど、文化博物館ではちょうど幕末の新撰組展がやっていて。
 対して歴史好きでもないのに、何で皆は新撰組が好きなんかな? あの羽織が好きなんかな。あぁ、制服フェチみたいなもん? 写真しか見たことないのに、『土方さん』とか『近藤さん』とか呼びかけてはきゃっきゃと喜んでいる。
かっこいいわぁ近藤さ〜んって、ドコの近藤さんや。あんな四角い顔のドコがかっこいいって? 土方歳三のほうがまだカッコいいと思うけどなぁ。女の子って、わからへん。
意外に楽しんで、食べて騒いで、ホテルに着いたときには結構疲れきっていた。木屋町通りに面した綺麗なホテルで、そんなに広くはないが居心地がいい。ロビーで崇人が部屋割りをして、各自グループの班長が鍵を受け取る。
 「流麗、あたしらドコ?」
 「ん〜……301号室。洋室と和室が一緒になってるんやって」
 それで、あたしたちは部屋へ上がる。みんな、歓声をあげてベッドへ突進していった。こんなもんや、合宿って。テンションがあがってるから、たいした部屋じゃなくてもものすごい良い部屋に見える。
 その洋室は、10畳以上もありそうな大部屋で、あたしらのグループ8人が悠々入るくらいの広さだった。ベッドが3つ並んでいて、その奥が和室になっている。和室にTVがあるから、どっちにしろ皆そこに集まることになるんやろう。
 「なぁ、夜ごはんまだかな」
 「また食べることばっか!! いい加減ごはん以外のこと考えぇな!」
 「ホンマや! あたし食べるの我慢してんのにぃ」
 彩子が怒り、ゆりが拗ねる。別にええやんか!! あたしは早くおいしいものを食べたいねん。せっかく崇人に言って、おいしい京料理が出てくるホテルを選んでもらったのに。もうちょっと、みんな大らかにならなアカンと思う。
 「夜さ、ロンドン焼き食べに行こ!?」
 ぼんっ、とゆりに枕を投げつけられた。




 夜は、崇人にしっかり頼んでいたとおり京料理が出された。伝統的な京料理に、斬新な創作料理をあわせたもので。いっぱい食べて、おなかがいっぱい。鯛のお刺身は、ゆりの分も彩子の分も食べたし、みそ田楽は崇人の分ももらった。あぁ、あたし、生まれてきて良かったわ。合宿研修なんて、このためだけに来たようなもんやもん。幸せやん、あたしって。
 「ハイハイハイ!! 枕投げ〜!!」
 お風呂も済ませて、部屋に全員がそろったところでゆりが怒鳴った。浴衣にきゅっと帯を締めて、何だかめちゃ良い気分。いつもと違う感じっていうのが、新鮮でいい。あたし以外は、みんなジャージとかショートパンツで、誰も浴衣を着てへんかったけど。
 「4対4に分かれて、枕投げな!!」
 合宿研修に、枕投げ。テンションがどんどん上がっていく、必要不可欠の要素が枕投げやと思う。枕投げで興奮せん子とか、ありえへん。勝たな! がぜん燃えるわぁ。
 「負けたほうは、暴露話をひとつずつね」
 あぁ、やっぱりあたしって幸せ。枕投げでも負けへんし。
 「ハイ、ゆりの暴露話は?」
 「あたしは、山下くんが好きやぁ〜!!」
 「あ〜、無理無理。やめときぃ」
 「はぁ、彩子!? ちょっとくらい応援してくれても……」
 「あんたもっと痩せぇよ。そのままで山下と付き合っても、いざってときに山下が下敷きになって死ぬだけやん」
 彩子は、あたしのことをひどいひどいって言う。あんたはキツいなぁって言う。なぁ、彩子。自分の言ってること、よく考えてみなアカンと思うけどな。彩子のほうが、相当キツいと思う。下敷きになって死ぬって……そんなダークな。
 「だから頑張ってダイエットしてるやんっ!? 夕希がばくばく食べてるのにさ」
 「痩せてへんやん。どうせあれやろ、お茶碗1杯に、ごはん3杯分くらい詰めて食べてるんやろ? イベントごとにお菓子バカ食いしよるしさぁ」
 あぁ、それは思う。だって去年からダイエットしてるって言いながらいっこうに痩せへんもんな、ゆり。
 「友達甲斐ないわぁ」
 「友達やから、言うてんの」
 彩子はクールや。めっちゃ良い子やねんけどなぁ。
 「なぁ、ロンドン焼食べに行かへん? 枕投げ、飽きた」
 「あんた、あたしがさっき彩子にあれだけ叩かれたの聞いてた!?」
 枕がすごい勢いで飛んでくる。アカンねん、ゆりの体格で思い切り投げられたらマジで痛い。もうちょっと手加減してくれんもんかな。だから彩子に痩せろって言われるねん!
 「食べんかったらいいやん……あたし1人で行くん嫌やもん」
 「ロンドン焼が目の前にあって、食べずにいろっていうほうが無理やろ!?」
 「意志が強かったら我慢できますぅ!」
 「はぁ〜? バリむかつく!」
 ドラマとかで見るような、おしゃれな友情ってあたしたちには無理なんかな。標準語で話して、『この服はどこどこのブランドのよ、うふふ』みたいな。まぁ、ね? あたしらが標準語でしゃべったら、あんまりキモくて男子は腰抜かすやろうなぁ。でも枕ばっかり投げて、食べ物の話で喧嘩して、あたしたちにまともな青春なんて来るんかな。
 結局ロンドン焼は、今日は断念した。断念させられた。あれはおいしいから、10個くらい一気にいけるんやけど。また明日、買いに行けばいっか。
 「明日はドコ行くん? 合宿研修とか言って、結局観光やんな」
 彩子が笑いながら日程表を出した。
 「嵯峨野?」
 「渡月橋で写真撮るねんて」
 「誰が」
 「ノリオが」
 担任の名前を、山田徳雄(やまだのりお)って言う。だから、ノリオ。色つき眼鏡をかけて、一見怖そうに見えるのに意外と涙もろいんよ。金八的なことが、けっこう好きやったりするんや。ノリオはね。
 「ノリオ、そんなん好きやんね。ウケる〜」
 「心は青春ってか」
 だから、彩子はツッコミが冷たいねんって。ノリオもゆりもかわいそうになるやんか。
 「じゃあ何? 渡月橋で集合写真撮って、次は?」
 「そんなん渡月橋の近くの、豆腐ソフトクリームに決まってるやん」
 「……またや。また食べ物の話や」
 豆腐ソフトクリームってあるやん。あれ、ホンマに豆腐の味がするねんなぁ。初めて文化博物館であれを食べたときは感動した。おぉ、豆腐や! みたいな。あれはもう一回食べたいなぁ。
 「はいはい、で? 豆腐ソフトの次は?」
 「生八橋。抹茶味」
 「違うわ、アホ。ドコ行くかって話!」
 彩子にどつかれる。生八橋のニッキ味は、あんまりおいしくないと思う。お年寄りは何であれが好きなんかな。うちのおばあちゃんも、ニッキが大好きなんやけど。どうしたっておいしいとは思えんのよね。
 「嵯峨野しばらく自由時間で観光して、それから清明神社」
 「あぁ、誰か清明神社いきたいって言ってたなぁ。陰陽師ブームやしね」
 どのクラスにも、陰陽師にハマッてる人が必ずいる。清明さんカッコいい〜、って。見たことないやろ。
 「あ、明日恋みくじ買お!?」
 「何、山下との恋を占うん? やめときやめとき」
 また彩子がゆりをいたぶってる。何、もしかして彩子も山下のこと好きやったりするんかな。山下も確かにカッコいいし。彩子となら釣り合うかも。ゆり? ごめん、今のままやと無理やわ。彩子みたいに直球でよう言わんけど。
 「……『撤収』とかって書いてあったらどうする!?」
 「やめてよ〜!!」
 「どこの神社か忘れたけど、あるらしいで。『撤収』とか『どうにもならないことがある』とか書いてある恋みくじ」
 あぁ、意外に彩子はゆりが好きやったりして!!……オェ。
 「あっ、そうや」
 TVドラマを見ていた瑛子がいきなり振り向いた。
 「男子部屋、行けへん? 崇人たちんとこ」
 「あそこ、イケメン揃いやもんな」
 瑛子と理恵が顔を見合わせてくすくす笑う。女の子は、いつだって男前が好きなんや。
 「ゆりも行くやろ? 山下おるし」
 あたしが誘うと、ゆりは慌ててコンパクトミラーを取り出す。そんなに山下が好きなんやなぁ、と感心するくらい健気や。ちょっと前髪なおしたくらいで、何が変わるわけでもないんやけどなぁ。女の子って、やっぱり難しい。
 「えっ、お風呂入ったのにまたマスカラつけるん!?」
 「だってぇ」
 「マスカラつけたからって、そんなに睫毛長くなるもんかね」
 瑛子があたしをつつく。
 「夕希はもともと睫毛長いから。だいたいこのコ、去年までマスカラのことマスカリって思ってたしな」
 そのことには触れんといて欲しい。あれは恥ずかしかったんよ、いくらあたしでも。みんながお菓子とかポーチとかを用意する。あたしは、携帯と財布とメモ帳を袂につっこんで皆に続こうと立ち上がった。
 「置いてくで、早よおいで、夕希」
 「待って待って、今行く!」
 TVの電源を切って、立ち上がる。何もかもが揺れたのは、そのとき。ものすごい地響きが聞こえて、周りのものがぐるんぐるんと大揺れした。あ、電気の傘がとんでくる! そう思って身を伏せる。
 「わっ……!!」
 「きゃあ!」
 扉のほうで、彩子たちの悲鳴が聞こえた。あたしたちは小学生のころに、阪神大震災を経験している。軽い地震でも、動けなくなることが多かった。
 (死ぬっ……!)
 思わずそう思って、あたしは目をきつくきつく閉じたんや。




 ぎゅっ、と閉じていた瞳を開けたとき、天井が妙に低かった。阪神大震災を彷彿とさせる大きな揺れに、思わず死ぬかと思って降ってくる電気の傘をよけて身を伏せたはずだった。痛む体に眉をしかめて、と言いたいところが、実は身動きしてみるとどこも痛くないことに気付く。
 (……あれっ)
 眉をしかめてみたのが、まるでアホみたいに思えてあたしは唇を噛んだ。地震があって、辺りはいったいどうなってるんやろう。何がおかしいって、あたし気付いたけど、今布団の中にいるんよ。そんなに長い間気を失ってた? そんなにひどい地震やった? あたし、まるで怪我なんかしてないのに。何が何だか分からなくて、あたしはそっと上体を起こした。うん、間違いなく布団や。天井が低く、布団の下は青々とした匂いの畳敷き。体を起こした正面に、黒光りする飾り箪笥があった。ひとつの部屋、みたいや。左を見ると、部屋の敷居をまたいだすぐそこに暗く狭い階段が。右を見ると、格子窓。あたしは、すぐに何かがおかしいことに気付いた。電気がないやないの、電気が。外は明るいものの、この部屋は仄暗い。
 窓の外から、何かひどく賑やかな気配が飛び込んでくる。あたし、ホテルにいたよな? 彩子やゆりたちと、崇人たち男子部屋へ行こうって言って、そこで地震に遭ったんやんな?
あのときあたしは確かに、ホテルの白い天井と白い壁に囲まれた布団に身を伏せたんやで。なのに何で畳敷きで、こんな狭い部屋にいる? あんなひどい地震やったら、これくらいの木造住宅は簡単に壊れてもおかしくないはずやのに。
 あたしの頭は混乱した。布団をそっと出ると、浴衣姿のままや。そっと袂をさぐると、携帯と財布と、小さなメモ帳が出てきた。誰も来てくれへんから、メールでもしよう。そう思って携帯を見てあたしは思わず怒鳴った。
 「はっ!? 何でよ!!」
 圏外なんや、圏外。何で? 地震で電話が繋がらなくても、圏外にはならんかったで。意味がわっからん。とりあえず、何とかしないと。思ってあたしはひょい、と立ち上がって窓の外を覗いて。
 「ははっ」
 笑った。いやいや、あたし頭でも打ったんかな。自分ではまともやったつもりやねんけど、いや、笑いがこみあげてくる。
 「いやいやいや」
 二度三度、頭を振る。頬をつねる。で、もう一度外を覗いてみた。ここは木屋町通りやな。太秦(うずまさ)と違うな? やのに何で明らかに風景がおかしいんや?
 「ふっ、あのオッサン小っこ……」
 頭が、現実を認識できへん。のぞくと下の通りはコンクリートじゃなくて、土なんや。ガラガラガラって、台車みたいなんを押したオッサンが土ぼこりをあげて元気に道を歩いて行く。で、通りは結構狭くて。それから……女は皆、着物姿や。で、結婚式のときみたいな髪型をしてる人がほとんど。男も、そう。その中には腰に大小の刀を差していたり、着物を膝までたくしあげてる商人っぽいのやったり、いろいろいる。
 (あたしが幕末好きやから、気絶してる間にみんなが太秦連れてきてくれたんかな?)
 いや、そんな余裕があるわけないやろ。あんな地震で。てゆうか、あたしが気絶するほどの地震で、何でそんなんが出来るねんなぁ?
 (……ドッキリ?)
 だから、地震の説明がつけへんし。そんな余裕ないって。だいたいあたし1人のためにそんな大掛かりなドッキリ、ありえへん。
 (夢か)
 夢にしては、はっきりとしすぎている。頭も振ったし、頬もつねった。痛い。あたし、頭おかしくなんかないって。正気や。
 (……タイムスリップ?)
 「……ははっ」
 そんな小説や漫画があるまいし。そんなん、ありえへんから小説や漫画になるんやろ? あぁ、何か昔みんなハマッてた覚えがあるわ。タイムスリップして、そこの人と恋をしたとか。本の中に入ってしまって、冒険に出るとか。あたしはそういうのが、結構好きやってんけど。地震でタイムスリップって、またそんなベタな。
 あんまり現実味がなくて、笑いがこみあげてくる。やっぱりドッキリかな、と思ってあたしはもう一回外を見た。……でも、マクドもないし。ビルとかも全然ない。見晴らしが良すぎるんや、そう、見晴らしが良すぎる。さっきから感じてた違和感は、これや。
 低い平屋建てか、せいぜい二階建ての木造家屋しかないんや。いや、それやったらドッキリとかじゃないやん。いくらドッキリっつっても、もし太秦に来てるっつっても、コンクリート製のビルなんか消されへんやんか。
 「……ホンマに?」
 思わず口に出して呟いた。あ……、あたしどうしたらいいんやろう。財布と携帯しかなくて、携帯は圏外で、あたしどうしたらいいんやろう。

 どれくらいそのままでいたか、たぶん30分くらいやと思うけど、あたしはボーッとしていた。で、我にかえる。
 あたしが何をせなあかんかって? 現状を何とかせな。このままやっても、おなかが減るし。こうして丁寧に布団に寝かされてたってことは、まだ特に危険はないんやろう。よく考えてみて、あたし。もしもこれが、百歩譲ってタイムスリップやったにしろ、夢やったにしろ、あたしは普通経験できんことを経験してるねんな? あたしは昭和生まれや。昭和生まれで、平成に生きてるんや。簡単なことでは死なんやろ。あたしは昭和に生まれるべくして生まれてきてんから。ここでボーッとしてても損やなぁ? なぁ、あたし。
 あたしには取り柄がある。運動神経と、明るさと、適応能力。あ、それから顔? もし皆がこのことを知ったら、そんなアホなことって言うやろうな。やけど、あたしはここで人が来るまで黙って座ってるのは性に合わん。黙ってるのと、じっとしてるのと、それから食べるものがないのだけは、我慢ができひん。
 (何とかなるやろ)
 だってタイムスリップとかの小説とか、結局最後は何とかなってるやん。ハッピーエンドやん。主人公は死ねへんやろ。ならあたしも大丈夫やろ、きっと。

 あたしは袂をまくりあげて、いつでも何かに応戦できるようにしながら、階段へ向かった。


 5

 「あら、起きたん? 大丈夫かいな」
 そろそろと、狭い階段を下りていくとすぐに声をかけられた。まだ若い、でもどっちかといえばもうオバサンにさしかかった感じの女の声で少しホッとする。
 「あっ……あぁ、大丈夫です。ところであたし……」
 下手なことは言われへんから、そっと話を促した。
 「明け方、打ち水に出たらうちの前に倒れとったんや。少し熱もあったみたいやから、うちに上げて寝かしといたんよ」
 ……おぉ、助かった。
 「……あぁ、うち親が2人とも死んでもて……」
 お母さん、お父さん、ゴメン!! 勝手に殺してゴメンやで。でも緊急事態や、許してよ。
 「やから、行くあてがなくて……どこか住み込みで働けるとこ探してたんです」
 「あらまぁ。災難やったねぇ……行くあてがないんか……」
 頼むわ、オバサン!! いや、お姉さん! うちに住みなさいって言ってくれ。
 「良かったらうちにおる? ちょうど働き手もなかったことやし……近頃血なまぐさい事件が増えてなぁ。女中がようけやめてまうんや」
 来た来た来たぁ!! よっしゃ!
 (……血なまぐさい事件? 女中?)
 喜びの中で、あたしは確認を忘れんかった。
 「血なまぐさい事件って?」
 「この頃、長州や土佐の浪人がようけ京に上ってきてなぁ。知ってるやろ、あんたも京の娘やったら。江戸から浪士組が京へやってきて、ようけ人殺してるんや」
 「長州……」
 あたしは、これがタイムスリップやなんて、ホントは信じてなかったんや。どこかでまだ、クラスメイトの大掛かりなドッキリなんと違うかなって。でも今のが、決定打やった気がする。
 長州、土佐、浪士組。ホンマに嫌そうな表情で情報を提供してくれるオバサンの言い方に、信憑性がありすぎた。タイムスリップやとしたら、なんとなく江戸時代に来たんかなって、服装とかで分かってたよ。やけど、江戸時代って長いやん。江戸時代の中でも、江戸時代のいつなんかが問題やったんや。平和な時代なんか、それとも戦乱の時代なんか。それがあたしの運命を左右すると、思ったんや。
 誰でも知ってるやん、新撰組って。もともと清河八郎ってのが、江戸で浪士を集めて上京させたのが始まりやったやろ。浪士組ってのが。オバサンが今言うてるのは、そのことや。
 「浪士組……」
 「ああ、壬生狼(みぶろ)や。楽しそうに人を殺しよる」
 あたし、幕末に来たんや。ホンマにタイムスリップしたんや。……やっぱり夢と違うんや。
 「壬生狼……」
 「知らんの? 街中の噂やないの」
 「……え、いや、知ってますけど……。それどころやなくて……」
 あたし、現代に帰ったら演劇部に入ろかな。
 「やからしっかり長期間で働ける子が欲しかったんや。どう?」
 「えっ? あ、お願いします!! あたし、夕希っていいます!」
 「おゆきって言うんね? まぁ、可愛らしい名前やこと」
 絶対、『お雪』やと思ってるんやろうな。オバサン。
 「あ、でもちょっと外見てきていいですか」
 「何しに行くのん? 別に働くのは体調戻ってからでもええけど」
 「途中で知り合いとはぐれたんで……一応探してみようかと思って」
 「ああ、そう。ええけど、気ぃつけなさいや。斬りあいなんぞに巻き込まれんようにね」
 「はい」
 浴衣着とって良かった、とあたしは心底思った。浴衣やなかったら、役所に突き出されてたかもわからん。開国や、尊王攘夷やって揺れてた時代やろ。そんな時代に洋服着てうろうろしとったら、殺されてたかも。尊王攘夷って高校で習うやん、天皇を重んじて異国を排除するってやつ。今のあたしらから見たら、アホの極みやけどな。
 あたしの大好物のスパゲッティも食べられへんし、カップラーメンもないやろ。電気もなければガスもない。そんな時代やんか。あたしがどのくらいここにいるんか、さっぱり見当もつけへんけど、それでもやっぱり暮らしやすいほうがええやんな。
 あたしはオバサンにお礼を言って、外の通りに出た。
 (うわ……こりゃ絶対ドッキリとかのスケールじゃないわ。タイムスリップや)
 だって、男の身長がまず低すぎるねん。あたしのほうがでかいんと違う? あたしは確か4月の身体検査で計ったとき162cmやったけど、ぶっちゃけどいつもこいつもあたしより目線が下にある。ドッキリやとしても、身長まではごまかされへんもんな。そう、幕末の平均身長は150程度やったって記憶してるもん。
 最後の将軍徳川慶喜なんか、何cm? 確か153かそこらやったような気がする。うん、昨日かな。霊山(りょうぜん)歴史館にあったもん。坂本龍馬と徳川慶喜の等身大パネルが。頭ひとつ分もふたつ分も、あたしのほうが慶喜より高かった。
 (……思考を変えなあかん、思考を)
 成りきるのが得意な性格を、ここで活かさな損や。
 (あたしは幕末の人間や。小泉総理? 知らん知らん。携帯電話? そんなもんあらへん。電気? 行灯で十分やんな……)
 これは、冒険や。なあ、あたしはアホかもしらん。こんな状態でこんなプラス思考。でもお母さん、お母さんならこういうときどうする? 思いきり楽しむやろ? だって幕末やん。現代でできへんことが、いっぱいできるやんか。帰ったらお母さん、いっぱい話聞かしたるよ。お母さんもお父さんも、幕末好きやったもんな。
 あたしは、とりあえずどうしたものかと考えた。着物姿の男女が賑わしく通りを行きかう中で、どこに行ってみようかと。あたしが倒れてたのがここなら、可能性としてはこの通りが木屋町通りになると思う。泊まったホテルは、木屋町通りに面してたから。
 通りを左に行けば、たぶん二条大橋に。右に行けば、三条大橋に出るはずや。すぐ近くを高瀬川が流れてて、柳がゆらゆら揺れている。さてどうしたもんやろ。
 (…………?)
 袂の中で、何かが震えている気がした。
 「おら、嬢ちゃん退けや!!」
 柄の悪い大工って感じの男が数人、あたしを押しのけて駆けていく。何やねん。人に頼むときは、退いてくださいやろオッサン。思いながら、袂が気になってのぞいた。
 (……えっ!?)
 携帯が光ってる。……携帯が、光ってる!! さっき見たときは確かに圏外やったのに。さっきから袂で震えてたんは、携帯やったんや。あたしは、怪しまれるかもしれないってことも忘れて袂に首を突っ込んだ。自分の息が、袂の中で温かく渦巻いてるのがわかる。誰からや、とあたしは不安定な袂の中に目をやる。携帯のサブ画面に、着信の相手の名前を見つけてあたしは腰を抜かしそうになった。
 『須賀崇人』
 (何、崇人!? 何でやの!)
 あたしは人気のない路地を選んで、その通りに飛び込んだ。




 よく、生まれてきた意味がわからへんって言う人がいるよな。あたしはいつも思う。何かするべきことがあるから生まれてくるんやって。あたしは、あたしの生き方を貫くために生まれてきたんやって。生まれてきた意味を、生まれたときから知ってる人間なんかおらへん。あたしたちは、生きていくなかで考えるんや。今なにをすべきか。これから何をすべきか。あたしは、形が見えんくてもいい。いいから、あたしはいつでも楽しい気持ちを持ってたい。なあ、今あたしは何をすべきやと思う?

 

 「も……もしもし?」
 気持ちのうえでは叫びだしたいくらいだったが、声は何とか抑えた。見つかったら、困る。
 『夕希? 夕希!?』
 「崇人、何、どうなってるん!! 何してるん!?」
 『おまえ、今どこおる?』
 妙に落ち着いた声が、何か腹立たしかった。いつもチャラチャラしてるくせに、いざというときはしっかりしてるんや。嫌な男。
 「……京都」
 『そらそうやろ。時間、や。何も変わりないん!?』
 「……幕末……?」
 崇人に問いかけても仕方ないと思ったが、図らずも語尾が上がる。
 『電池切れる、おまえ池田屋に来いや! すぐに、池田屋来い、ええな!!』
 「来いって、何……」
 プツッ。
 感じの悪い音をたてて、携帯は切れた。一人で勝手に決めて、いったい何やの。池田屋来いって、説明してくれな意味わからんやん。何だかバリむかついたけど、それでもあたしは池田屋へ向かおうと思った。崇人が、池田屋に向かえというなら、池田屋に何かがあるんかもしらん。もう、ドッキリ説は捨てた。でも、もしかしたら池田屋に何かあたしを現代に戻す手がかりがあるかもしらん。あたしは、崇人の言うとおりにする。
 池田屋は、この木屋町通りを右に曲がって三条通まで出たらすぐのところにある。三条小橋。幕末維新史に残る、池田屋事件があったところや。今は……今、といっても「今」じゃない。あたしが生きてたはずの平成には池田屋は跡形もなくなってて、まあひどいことにパチンコ店になってしまってる。その前に、ひっそりと石碑が立つだけなんや。
 お父さんと一緒に行った覚えがあるけど、うちのお父さんみたいにカメラを向ける人はほとんどおらん。目立たへんのよ、ホンマに。残したったらええのによ。よりによってパチンコ店て、ちょっとどうかと思う。そういえば、近くにはマクドがあったなあ。
 (……めっちゃおなか減った)
 マクドがあればなぁ。今ならビッグマックが200円で食べれるのに。あぁ、そういえばチキンナゲットも100円やったやん。こんなことになるんやったら、皆に文句言われてももっと食べとくんやった……。
 ぐう、とおなかが鳴る。おなかが減ると、何か妙に物悲しくなる。あたし前世はおなかすかせて物乞いをする坊さんやったんと違うかな。
 「…………」
 どこ歩いても、当然マクドもなければサブウェイもない。スタバもない。なぁんも、食べれるもんがない!! あたしはタイムスリップしたって頑張って生きていく自信があるよ。やけどね、あたしはごはんが足りんかったら我慢できへん。あかん、最後に食べたんはホテルの京料理やったっけ。あれから何も食べてへんのに……。勘弁してよ、神さん。
 あんなお上品な料理じゃ足りへんかったんやん。やっぱりロンドン焼買いに行ってたら良かった。財布なんかじゃなくて、お菓子を袂に入れときゃよかった。あたしアホや。
 「あ、あった……」
 初めて見た。現物。『池田屋』と書かれた木札の近くに、『旅籠』と筆で書かれた提灯がさがっている。
 (へぇ……こんなんやったんや)
 もう、ここが幕末やって実感が湧きはじめていた。気持ちも落ち着いてきている。たぶんおなかが減ってることに気をとられてるからやと思う。
 辺りは人通りが激しくて、土ぼこりがたくさん舞い上がっていた。あたしたちが歩いてたコンクリートの下には、この土があったんやろうか。あたしたちは、やっぱり過去のものの上を歩いてるんや。今初めて、それを実感した。この温かそうな土。舞い上がる埃。これは全部、なくならんと残ってる。あたしたちが歩く、そのずっとずっと下にこれが埋もれているんや。ってことは、これがなければあたしたちは歩いていけんかったんかもしれん。
 「…………」
 あたしはこういう、『浸る』体質とは違うんやけど。ああ、おなかが減ってるからか。何か妙に感傷に浸ってまうから、困る。だって、あんまり地面が「地面」って感じで。
 「ゆき!!」
 名前を呼ばれて、あたしは驚いて立ち止まった。聞き覚えのある声やって、あたしは目を丸くする。あぁ……何や? 目ん玉飛び出るって、こういうとき使うんやで。あと、心臓が口から飛び出るとか。いやいや、そんなわけあるかいって思ってたけど。大げさと違う。人間って、うまいこと言うんやなぁ。ホンマなんや。あともう少しびっくりしたら、ホンマに心臓が食道くらいまであがってきそうな感じ。
 「夕希!」
 そんときのあたしが、今までで一番アホっぽい顔をしてたと思う。間違いない。……そういえば『間違いない』っていう芸人がおったなぁ。
 (……何がおもろいんやろな。わからんわ)
 頭が現実についていけんくなると、人間って別のことを考えだすもんやねんな。しかも冷静に。ああ、あたしって冷静やなぁ。そう思う。いや、それくらいびっくりしたんや。

 目の前に崇人がおったから。

 「おまえ何ボケッとしてんねん」
 「あ……」
 おまえ何ボケッとしてんねん、やと。アホか、この男は。いっぺんに2人もタイムスリップするなんて、あたしは思ってへんかった。……あたしが一番一緒にいて欲しかった男が、何でこんなに都合よく目の前にいるん? ボケッとするのも当たり前やんか。
 「な……何で崇人が」
 「そんなもん、知らん。気付いたらどっかの部屋で寝かされとったんやもん」
 「…………」
 「ドッキリかと思ってさぁ、けど何かいろいろ見てまわったらどう考えても現代と違うんやもん。ドッキリにしては大掛かりすぎて」
 同じことを、考えたんやね。崇人。
 「まあ、タイムスリップなんて信じてへんかったけど。タイムスリップなんて有りえへんっていう証拠もないしな」
 何でそんなにケロッとしてるんや、あんたは。頭パァか?
 よく考えたら、あたしも傍目にはケロッとしてたと思う。思うけど、そんなことをふり返っている余裕はなかった。崇人の平静さだけが目についた。
 「あっ、おまえうどん食おうぜ、うどん」
 茶髪やった髪が、今見ると黒髪になってるのに気付いた。崇人は、あたしの彼氏やで。確かに、かっこよくて皆に人気があって、自慢の彼氏やで。やけど、今ばっかりは分からへん。
 理解の域を超えとる。崇人、もしかしてあんたはもともと幕末の人間やったんか。そう思うほど、あっけらかんとしすぎていて。
 「うどんって……お金は」
 「日雇いで働いてきた。俺、山下の髪を黒に戻すのにスプレー持ってたから髪も染めて」
 「バレへんかったん、おかしいって」
 「バレへんバレへん、俺がいうのも何やけど、日本人ってアホやしな」
 開いた口がふさがらへん。この男、天才や。ここまで堂々としとったらバレへんわ、そりゃ。
 「オッサン!! かけうどん二つ!!」
 暖簾をくぐって、崇人が怒鳴った。
 

(あぁ……)
 馴染みすぎや……。


 三条通りに面した小さな饂飩屋は、時間帯のせいか人が少なかった。店主は何が気に入らんのか、愛想がクソ悪くてうどんを出すとすぐに店の奥に引っ込んだ。
 「あぁ、ホンマ良かった」
 「何が」
 あんまり呑気な崇人の言葉に、無愛想に聞き返す。何が良かったんや。
 「俺一人やったら嫌やんけ、おまえ。タイムスリップとかなぁ、こんなん一人で来てもおもろないって。不安なだけやろ」
 そこで、崇人はずるっずると豪快にうどんをすすった。まあ、確かにそうやけどな。それにしたって……。
 「気心知れてる奴が一緒におったら、まあ安心やん。おまえはケンカっぱやいから、どうせ俺が全部面倒見なあかんのやろうけど」
 何やねんよ、偉そうに。そりゃ、安心したけど。バリ安心したけど。ケンカっぱやいのは、自分で分かってるんや。何でもかんでも売られたケンカは買ってまう。っていうか、倍返しにせな気ぃ済まへん。
 この性格、何回も直そうと思ったんやで。やけど性格なんて、直そうとしたところで直らへんっての。
 「ケンカっぱやいとか、崇人に言われたくないわ」
 このうどん、美味しいやん。崇人にしっかり言い返しながら、あたしはうどんを食べ始めた。やっぱりうどんは関西のに限るよな。あたし一回も食べたことないし、TVとかでしか見たことないけど、関東のうどんて黒いんやろ? ありえへん、ありえへん。ああ見えて意外に美味しいんやでって、関東から転校して来た子が言うてたけど。あんなぁ、分かってへんな。食べ物は、見た目も大事やねんで。あんな黒いもん、美味しそうって思う? だってうどんやのに、うどんが見えへんねんで。納豆もさぁ……腐ってるんやろ? 腐ったもんは、腐ったもんやろ。食べるもんと違うて。
 「おまえ人の話、聞いてる?」
 「は?」
 あたしは慌てて崇人のほうを見上げた。
 「おまえ、うどんの汁はねてる!! 浴衣にはねてる!!」
 「……あぁ、別にいいやん。あたしの違うもん。どうせホテルのやし」
 「そういう問題と違うやろ、おまえホンマどこ行っても変わらへんな」
 ええやん、紺色の浴衣やし分からへんやろ。何で男のくせに、変なところでこう神経質なんかなぁ。もうちょっとドンと構えといてくれてもええやんね。でも大丈夫。そんなこと言いながら、崇人は絶対愛想つかさんとあたしの傍にいてくれる。
 あたしより早く、崇人がうどんの汁を最後まですすって息をついた。
 「で、何でおまえはここにおるん」
 ……聞くの遅っ!!
 「知らんよ。あたしら、みんなで崇人たちの部屋行こうとしててんけど」
 「俺らの部屋に?」
 「そう。ほら、ゆりが山下のこと好きやん?」
 「あぁ、あいつな。無理やろ、もうちょいダイエットせな。あれやったら○○○のとき山下が圧死してまうって」
 ははは、と崇人が笑った。彩子か、あんたは。
 (いや、違う。そんな話してたんと違うやんか)
 「そしたら地震があって……」
 「あれ相当でかかったよな? 俺死ぬかと思った」
 「あたしもあたしも!! 動けんかったもん」
 ロンドン焼を食べたかってんけどなぁ……。地震がなければ、もしかしたらタイムスリップなんかしてなかったかもしらんやんか。そしたらロンドン焼が食べれたのに。
 「で、あたし電気の傘が飛んできたから布団に伏せてん。目ぇつぶって、次気付いたらホテルと違かった。やから、何でここに来たとか分からへん」
 「でもまぁ、俺も同じようなもんやで。まあ、浴衣の袖んとこに携帯入れとって良かった。おまえに連絡取れたん、そのおかげやしなぁ」
 「ああ、崇人も浴衣着てたん」
 「当たり前やろ。おまえ、せっかく旅行来たのに浴衣着とかんと損した気になるやん」
 「やんなぁ? なのに皆着ぃへんのよ、もったいない」
 「俺ん部屋も、俺以外誰も浴衣着てへんかったもん」
 ああ、あかん。どんどん話が逸れていってる気がする……。
 (……えっ?)
 何かに、気付いた気がした。あたしの頭が、何かに気付いた気がした。
 「なあ、浴衣着てたからかなぁ?」
 何を理解したのか、自分でははっきりと説明できへん。できへんけど、何となく口に出して言ってみる。崇人は、あたしが言いたくても説明できへんことをよく代わりに説明してくれるから。でも、ポイントはここと違うかな。タイムスリップをしたあたしと、崇人は、浴衣を着てた。でも、他のみんなは着てなかった。
 「……浴衣が現代と幕末の媒介になったってこと?」
 そうそう、それや。さすが崇人。
 「そういえば、崇人の携帯は圏外と違うかったん?」
 「圏外やったで、最初。でもおまえに電話かける直前に電波たってさ。やから、ダメもとでおまえにかけたら出るんやもん」
 同じ世界におったら、かかるんか。そうやとしたら、電波はどこを飛んでるのん? 電話会社も何もないのに、何でかかるんよ。すごいやん、携帯。時空も超えるん?
 (あぁもう、意味わからん)
 まあ、その携帯のけったいな働きのおかげであたしと崇人は連絡が取れたんやけどさ。
 「……なあ、夕希」
 「ん?」
 「出るで、店」
 「あ!? あたしまだ食べ終わってへんやろ!!」
 あたしは目を剥いた。おなかが減っとったとこに、たったかけうどん一杯やで。それでも足りへんのに、何で食べてる途中で店を出なあかんねん。
 「浴衣、媒介かもしらんって言うたやろ」
 「ん」
 崇人が妙に焦っているのが分かった。あたしは必死で残りのうどんを頬張る。
 (あっつ……!! 火傷するやん)
 「俺、今浴衣着てへんの気付いてる?」
 「…………」
 着物やろ。そう、崇人は着物を着ている。紺の丈夫そうな着物にきゅっと帯を締めて。背も高いしカッコええやん。
 (着物!?)
 あたしの浴衣には、ところどころに目立たない感じでホテルの名前が入ってる。けど、崇人の浴衣にはそれが全くないのに気付いた。
 「俺……浴衣放ってきてもた……」
 「どこに!?」
 それがバリ重大やってことに、あたしも気付く。さっきあたしの考えたことを崇人が説明してくれたとおり、浴衣が現代と幕末の媒介なら……。それなら、浴衣は絶対手放したらあかんもんや。手放したら、帰られへん。それは困る。あたしだけ帰れたとしても、それは困る。あたしらは、今までいつも一緒やったんやで。それが、たとえば東京と大阪の遠距離恋愛とかならまだ話は分かるけど。現代と幕末で遠距離恋愛なんて、そんなもん冗談やない。そんなスケールのでかい話、納得いけへん。
 「や……どっかの旅館っぽいトコの人が俺を助けてくれたらしいねんけど、気付いたときはもう着替えさせてもらってた」
 「はぁ!? ヤバいやん、探さな!!」
 「だから出るぞって言うてるやんけ!! ほら、行くで!」
 オッサン代金、と怒鳴って崇人が小銭を放り投げるように店主に渡す。適当に渡したらしく、店主がおつりを渡そうとした。なのに、崇人はよほど焦ってるのか見向きもせずに暖簾をくぐる。あたしは、汁の底のほうに残ってたうどんの最後の切れ端まで綺麗に食べて、それからお釣りを受け取って、崇人を追いかけた。


 7

 崇人のあとについていく。崇人の後ろに従うのは、決して嫌なもんじゃない。いつでも堂々としていて、まっすぐに歩いていくから。……行き先が間違ってても、自分が正しいみたいな顔をして歩いていくから、ついて行く人間としては安心やねん。
 ―ぎゃあああぁっ!
 何や、崇人がおったら結構ここも楽しいやんか。そう思っていた、だから不意にものすごい叫び声が聞こえてきたときはホンマにあたしはビビッた。厭な悲鳴やった。魂に響いてくるってのは、たぶんこういうことを言うんやろうな。そう思うような声。崇人が、何だかすごく滑稽な表情であたしのほうを振り向いた。いや、本人は真剣にビビッたつもりかしらんけども、こっちから見ると何となく笑える。
 「……おまえは何を笑っとんねん」
 案の定、頭をどつかれた。
 「やばいって、おまえ」
 崇人が見るほうを、自然あたしも見る。ちょうど池田屋近くの饂飩屋から、あたしが目を覚ました店に戻る道筋だった。あのもの凄い悲鳴が聞こえてきた、と思われる場所を、野次馬が遠巻きにして見つめている。一瞬、背筋にすうっと鳥肌がたって、それからすぐおさまった。見ん方がいいんちゃうか、と言う崇人の腕をかいくぐって背伸びをする。
 そこらを歩いている人間のほとんどがあたしよりも小っこいから、すぐに事の全容がつかめた。男が二人、蠢いていた。その周りは血溜まりで、倒れた男たちはまだ手足をぴくぴくと動かせてる。手前っ側に倒れた男は、口からピンク色の泡を吹いていた。血走った目が、天を仰いだまま大きく見開かれて。ドラマや、と思った。
 (サスペンスか……時代劇みたいや)
 「うわ……」
 奥に倒れた男のほうはさらに傷が深いように見えた。胸元から、ごぼごぼと赤黒い血が噴出してる。その生臭さが、少し離れてるあたしらのほうにも漂ってくるような気がして、あたしは思わず口を押さえた。人が死のうとしてるときに、酷いかもしらん。失礼かもしらん。言うたらあかんことかもしらん。でも、正直気持ち悪かった。
 「新撰組や……」
 口を押さえたまま、あたしは崇人の言葉に顔をあげる。倒れた男たちの周りで、数人の男が刀の血を拭きとって鞘におさめているとこやった。白と浅葱のだんだら模様。何度でも時代劇で見たことのある、羽織模様。背中にでっかく『誠』って書いてあるんや。
 ああ、ホンマにタイムスリップしてんなぁ。今まで以上に、実感した。衝撃を受けるっていうよりも、何かやたらと感慨深かった。軽そうに見えて、あの刀も相当重いんやろな。
 「…………」
 あたしと崇人は顔を見合わせた。何も、言うことはなかった。平成に生きてるんやから、こんなところで死なんやろうと思ってたけど……これは死ぬかも。油断してると、コロッとやられるかも。少し、危機感を覚えた。
 (あっ、饅頭屋さんや)
 新撰組隊士の背後に、饅頭屋がある。たぶんピンク色に見えてるのは桜餅や。たぶんその左横は黒豆大福で、右横はよもぎ餅と見た。食べたいのに新撰組がおるから行かれへんやんか、苛々するなぁ!! ホンマええ加減にしてよ。あたしはまだおなか空いてるんやで。
 それにだいたい、あたしはイマドキ……イマドキって言っても今と違う。あれやで、平成のやで。女の子みたいに、新撰組かっこいいわぁ、とか思わへんもん。何がカッコええねんな、集団で人斬りまくって。そりゃ、それがしゃあない時代やったんやけどさ。きっと彼らには彼らの信念があったんやろうけどね。去年大河ドラマでやってたやんか、新撰組。あたし見とったけど、香取慎吾の演じる近藤勇、バリええ人すぎやったんと違う? 関西人からしてみれば、そうやな。トミーズ雅のほうがハマってたと思うけどな……顔が。
 とにもかくにも、あたしはおなかを満たすチャンスを新撰組に奪われたようなもんなんや。あと崇人が浴衣放ってきたのと。ホンマにありえへん。だからロンドン焼食べに行ってたら良かったんや!!
 「……おまえさっきから饅頭屋にらみつけて、何がしたいねん。今それどころ違うやろ」
 「……何も言うてへんやんか」
 「目が語っとんねん、目が。あぁ、黒豆大福食べたいわぁって」
 「…………」
 見とっただけやん。見てるくらいタダやん、いちいち説教せんといてや。
 「……あ」
 崇人が、ついとこちらのほうへ身を寄せた。新撰組の一団が、旗持ってこっちへ歩いて来る。死体が、そのまんまや。そのまんま。
 「営業妨害や、仏さん片付けていってくだはれや!!」
 饅頭屋の主人らしき男が、おそるおそるながらも怒鳴った。まだあどけなさの残る隊士が、丁寧に頭をさげる。すぐに番屋に知らせますから、とか何とか言っているのが聞こえた。新撰組が通り過ぎる。
 「おじさん、黒豆大福三個!」
 死体を見んようにして、あたしはさっき饂飩屋でもらったお釣りを主人に差し出した。いや、あたしは別に死体を目にしても平気な人間と違うんやで。ただ、おなかが空いてただけ。とにかく見んかったら何とかなる。あたしは黒豆大福を紙に包んでもらってから、また死体から目を逸らしたまま崇人のところへ戻った。
 「…………」
 「崇人、一個でいいやろ。あたしおなか空いてるから、二個な」
 「……なんでやねん。一個半ずつやで」
 ……なんか怒るところ間違ってるんと違うの? そんな正確に半分こせんでもええやんか。あたしのほうが絶対おなか空いてるのに。あたしの手から、崇人は大福を一個取って綺麗にちぎった。
 「あ、何か崇人のほうがでかくない!?」
 「そんなことないって。大人しく食えや、だいたい俺の金やんけ」
 「ふん」
 何か、崇人のほうがあんこが多い気がするねんけどな。まあ、仕方ないか。あたしも死体をちらっと見てしまったせいか、そこまで食欲はない。
 「……で、浴衣は」
 崇人の喉に、餅がつまった。ああ、忘れとったんやな。浴衣のこと。
 「そうや、戻らな」
 「大福持っといたるから、走りぃ」
 「自分で持てる!!」
 崇人が、大福半分を口に放り込み、片手に新しい大福一個を持ったまま走り出した。何やねん、意地汚いなぁ。あたしは、半分(心なしかやっぱりあんこが少ないけど)口にほおばって、それから大福一個を懐に入れて崇人の後を追った。
 
 あたしが目を覚ました店の近くまで、来ていた。


 「女将、浴衣は!?」
 通りの右側にある一軒の旅籠にずかずかと歩み寄り、扉を開けるなり崇人は怒鳴った。おまえ何様やねん、というような物の言い方。思わずあたしが不安になる。どう考えたって、あんまりにも偉そうな態度。
 「女将、浴衣! 浴衣なかった!? 俺が着とった浴衣は!?」
 「何やの、いきなり戻ってきて。浴衣って?」
 「だから、俺が着とった浴衣やって!」
 「ああ……あれ」
 あたしを助けてくれた女の人よりも少し太った感じで、どこかのんびりとした雰囲気のおばさんや。左目の下に、泣きぼくろがある。それが何となく、粋な感じで良かった。
 「どこやったん!?」
 「……どこやったかいな」
 横髪がぱらぱらと落ちてくる。腕にゴムをしていたのを思い出して、あたしは髪をくくりあげた。……おばさんには見えんように。
 「ああ、そう。そうや、二階の箪笥にしまっといたえ」
 「……ほんまか。良かった、それ捨てんといてや」
 今着替えるわけとは違うんか。あれだけ焦っといて。崇人の偉そうな言葉に、女将は怒る様子もなく頷いた。
 「その子は?」
 「俺の彼……許嫁」
 彼女、と言いかけたんやろう。それを、崇人は慌てて言い直した。この時代に、たぶん『彼女』なんていう単語は通用せん。あたしから見たら少々不自然な感じやったけど、女将は特に疑ってもいないようやった。ああそう、とにこやかに納得しただけで。
 「その子も身寄りがないん?」
 「そう」
 ホンマの親子みたいに、崇人と女将は仲良く話す。
 「あ、でもあたし、木屋町のお店で面倒見てもろてます」
 「店? 何の店?」
 「あ……よく見んと出てきたから、もういっぺん帰らんと分かりませんけど」
 何の店やったか、覚えてなんてない。そんなん見る余裕は、まるでなかったやないか。あたりの状況を把握するだけで、いっぱいいっぱいやった。
 「あら、そうなん。で、どうすんの? そろそろ夜なるけど、夕飯は?」
 「食べる。夕希? おまえも食ってくやろ?」
 まるでその家で生まれたかのような、言い方をする。さっきから時々思うんや。崇人、もしかしたら平成に生まれてきたのは間違いやったんちゃうやろか、って。幕末に来てから、何やらめちゃくちゃ生きいきしてる。ものすごい安心感、あたしはこの人の背中に何度もホッとした。
 「母上? どなた?」
 そこで、あたしは初めて女将の後ろに現れた人の存在に気付いた。
 「たかしの許嫁やって。ご飯の用意してやんなさい、この娘も食べていくから」
 『たかし』ってことになってるらしい。女将が、その人にあたしを紹介する。ゆきちゃん、と言うんやて。ようしたって、と女将は言った。
 「また居候が増えるん!?」
 「これ、何やのその言い方。この娘は違うわ。木屋町で面倒みてもろてるんやて」
 気の強そうな娘や。女将の横に進み出てきて、まあ堂々とあたしを見据えてくる。あたしより背は小っさくて、眉がきりっと上がっている。あ、こいつはヤバい。そう思った。この子、崇人に惚れたんと違うやろか。そう思った。何でそう思ったかなんて、説明はつけへん。女の勘や、勘。そして、女の勘ってもんはだいたい当たる。
 「頼むわ、な? なつ」
 崇人は、ひどく親しげに彼女に話しかけた。何となく……そう、何となく釈然とせんものをあたしは感じた。なぁんか、嫌な感じや。女の嫉妬か、幼馴染みの嫉妬かしらんけど、あたしは嫉妬ってもんが嫌いや。どんなことがあっても、嫉妬したくないねん。情けないやんか。たとえば自分の好きな男が他の女に取られても、嫉妬するなんてごめんや。ああ、そんな男いらんがな、もってけや。それくらい言ってやりたい。
 「たかしが言うなら、仕方ないやんか。あんたの知り合いなんやろ?」
 「許嫁な」
 崇人が、『知り合い』というところを『許嫁』と言い直す。少しホッとした自分が、あたしは悔しい。で、悔しいと思った自分がまた悔しい。
 「木屋町で世話なってるんやろ? なら夕飯そこで食べたらええんと違うの」
 女将が宿の手配にいそいそと下がっていき、その途端に娘なつの対抗心が露になった。あたしとおんなじみたいやな、相当気が強いみたい。
 「…………」
 「まあ、別にええやん。一緒に食ってもええやろ?」
 「何でよ、ここは旅籠よ? そんな何人もタダで養えるわけないやない」
 「…………」
 ああ……何かムカつくぞ、この子。出て行けってオーラが見え見えやんか、出ていって欲しいんやったら、あたしにはっきり言わんかい。
 「でっすよねぇ。あたし木屋町まで戻ります、どうもお騒がせしまして」
 「ああ、そうしてくれると助かるわ。用もないのに、旅籠の表から来んといてくださいね。商売の邪魔になりますさかい」
 崇人がこっちを見た。ヤバい、と思ってる顔や。あたしが半分キレてんのに、気付いたっぽい。ふん、何やこの娘。なつって言ったな、感じ悪すぎるわ。誰がこんなところでご飯なんて食べさせてもらうかっつの。
 (おなか減ったけど)
 「夕希……おい」
 「あぁ? ええよ別に。あたし木屋町のほうで面倒みてもらうから」
 「……怒んなや、な?」
 崇人はお調子もんや。あたしの機嫌が悪いんを察して、早速にこやかに機嫌をとってくる。ええんや、別に。あたしはこういう、嫌味な人間が好かんだけで別に崇人に対してキレてるわけと違う。なあ、あたしさ。こんなとこまで来て複雑な人間模様を彩る気は、毛頭ないんやで。頼むから、あたしに厄介なことを持ちこまんといてよ。
 「いいって言ってるやろ」
 「……ちょっとおいで」
 なつが、じっとこっちを見ている。崇人がそれを察して、あたしを表に連れ出した。
 「明日、昼飯前にここまで来いや。な? そんで、いろいろ決めようや」
 「あぁ」
 頷く。
 「俺はおまえが好きやねんで、そこんとこ忘れんなや」
 かすめるように、崇人がキスをした。いざというときのフォローを忘れへん男や。ふん、嫌な男。でも、やっぱりあたしが好きになった男やねんな。ひとつため息をついて、あたしは笑ってやった。崇人がホッとしたような顔をする。

 それからあたしは、暗くなった道を木屋町通りに沿って歩き始めた。高瀬川のほとりに、柳がゆらゆら揺れている。さて、これからのことを考えたほうがいいやろな。
 現代やったらマクドがあるはずの場所を一瞥する。ああ、フィレオフィッシュ食べたいな。マクドは、でも朝のソーセージマフィンが最高なんやけど。チキンナゲットの百円期間は終わってしまったんやろうか。そういえば、最近はずっとスタバにもいってない。家の近所にできた大型ショッピングモールの『タリーズコーヒー』に夢中やったし。
 ああ、あと『三尺三寸箸』のバイキング、もう一回くらい行っときゃ良かったわ。あれ1600円もするから、しょっちゅうは食べられへんねん。バイキングとか、この時代にはないんやろうな。……ああ、食べ物に関しての悩みだけは尽きへん。おなかいっぱい、好きなもんを食べたい。焼肉食べ放題、行きたい。
 「……おなかすいた……」
 何か頼んだら、食べさせてくれるやろか。あたしは道を急いだ。


 8

 「…………」
 なんっか、つまらん。タイムスリップしたんやったら、好きなだけ暴れられるやろうと思ってわくわくしてたのが嘘みたい。働くかわりに、この木屋町の旅籠―結局あたしが助けられたところも旅籠だったわけで―置いてもらうことになった。そうなると、やっぱり言われるままに働かなあかんわけで。
 「……冷たっ」
 裏の井戸から水を汲む。調理場用と、洗濯用。それからお風呂の分も水を汲まなならん。水を汲むのと、客に料理を運ぶのがあたしの基本的な仕事やねん。あとは、だいたい女将のお使いやな。野菜を買いに行ったり、仕入れ先に明日の食材を頼みに行ったり。ただ、これが忙しくてそれどころと違うんやって……遊ばれへん。そんなん考えたらあかんのやろうけども。……水が冷たい。
 「水汲んできましたぁ!」
 忙しい調理場で、怒鳴る。水樽につるべから水を移して、あたしは息をついた。水樽が五つともいっぱいになった。これだけでも、相当の労働やと思うわ。手ぇ筋肉痛になりそう。
 「おい……き、夕希!」
 「あぁ!?」
 苛々したまま、あたしは思わず睨みつけるような目をして振り向いた。ここ数日、まあ見事に使いっぱにされて体に疲れがたまっとんのよ。
 「……何をキレとんねん」
 崇人やった。
 「女将、次なにしたらええんですか」
 「お豆腐を五丁買ってきてぇ。はい、お金」
 「は〜い」
 お金を受け取って、あたしは裏口から外に出る。三条大橋を渡った向こうに、八百屋がある。それが、この旅籠『志津や』の買いつけのお店なんや。で、その隣に豆腐やがある。
 店を出て右に曲がり、三条通りまでまっすぐ歩く。すたすた歩きだしたあたしの後ろに、ぴったりと崇人がついてきた。
 「何を怒ってるんって、俺浮気なんてしてへんぞ」
 「わかってるって。疲れてるだけやん、ここんとこびっちり働いてるもん」
 「甘いもん食わせてもらってんか?」
 「もらってへん!! 精進料理みたいなんばっかりや。タイムスリップはええけど、あたし食生活についていけんわ。ポテト食べたいラーメン食べたいスパゲティ食べたいケーキ食べたい……カレーが食べたい」
 崇人が、呆れた、って顔でこっちを見る。その顔が語りすぎてる、おまえはホンマ食欲魔人やなって。うるさい、黙れ。ああ、このカッコいい綺麗な顔。今日ばっかりは殴ってやりたい。ラーメン食べたないんか、カレー食べたないんか? ああもう……。
 「ところで崇人は何でここにおるんよ」
 「俺もお使いやん。三条大橋の向こうの八百屋あるやろ? 『志津や』の行く八百屋。あれの五軒先に、俺んとこの行きつけ八百屋があるねん」
 俺んとこ、やって。まるでそこの若旦那みたいな言い方やな、ものすごい適応力やないの。
 「ほら、饅頭」
 「えっ!?」
 無関心やったけど、あたしはその言葉に勢いよく崇人のほうを向いた。
 「ま・ん・じ・ゅ・う」
 茶色い大きな田舎まんじゅうが、彼の手のひらに乗っている。
 「どうせこんなことやろうと思って、おすそわけに来たったんやん」
 「バリ嬉しい、ちょうだいっ」
 田舎まんじゅうって美味しいんよね。表の薄皮をぺろんって剥がして食べるん。で、その次に薄皮がむけた蒸しパンみたいなところを食べるねん。で、綺麗に残ったこしあんの部分を味わって食べる。三倍楽しめるやろ、これが正しい田舎まんじゅうの食べ方や。そうそう、節分の豆もそうや。ぱりぱりの皮をはがして食べて、それから身をふたつに割って、かたいっぽずつ食べるねんで。そうしたらこれも三倍楽しめるもん。
 「……おまえ、気付いてる?」
 「は?」
 田舎まんじゅうに夢中やった。あたしは慌てて崇人を見る。彼はあたしのほうを見てはおらず、さりげない顔でまっすぐ前を見ていた。
 「今日何日か知ってる?」
 「知らん、そんなん見てへんもん。今日何日よ?」
 「……5月26日」
 「崇人、数えとったん」
 「おう。で、新撰組もすでに京都に来てるってことは、今何年なんやろな?」
 そこで、崇人の言いたいことがわかってきた。
 「まだ池田屋あるし、1864年かそれより前やろ?」
 「……新撰組おるってことは、今1864年とちゃうんかい」
 「…………5月26日!? 池田……!!」
 あんまり大きな声を出したので、慌てて崇人があたしの口をふさいだ。あんまり予言みたいなもんをしてしまうと、そらまあ怪しまれて番所へつれていかれるかも分からん。
 「おまえでっかい声出すなや」
 「もうすぐやん、池田屋。あれ、6月5日やったやんな?」
 「幕末の志士、会ってみたないか?」
 「会ってみたい」
 あ、断然わくわくしてきた。
 「なあ、5日の夕方何かしらの理由つけて池田屋行こうや。な。迎え行くし」
 「まじで? ホンマに?」
 だっておまえ、現代違うねんから、今しかできんことをせな損やろ。崇人はそう言った。どうなっとんやろうか、ここは陰暦のはずで、そうやとしたら今はまだ4月のはずやねんけど。だいたい昔の正月は、平成の節分くらいに当たるから。でも崇人の話によると、みんな今は5月やと答えてくれるらしい。まあ、うまいことなっとんやろ。気にすることもない。
 「それ言いにきたん」
 「……そうや」
 「行くわ」
 「おう」
 三条大橋にさしかかる。渡りながら、ふと後方にたたずむ池田屋を見て何ともいえない気持ちになった。
 「ちょっと!! たかし、何してんの!?」
 高い声が聞こえた。崇人が、しまった、というように肩をすくめる。ああ、嫌な声や。この声、覚えてる。あれや、あれ。崇人んとこの旅籠の娘、なつとかいってた子。
 「またあんた? うちも忙しいんよ、自分とこも旅籠やからかしらんけど、商売の邪魔だけはせんといてね」
 カッチーン。だれが邪魔したんや、だれが。あんたんとこの『たかしくん』がわざわざうちまで来ましたんや、お嬢さんよ。……って言いたいけど、まだ我慢や。
 「それにそんな足まるだしの格好で歩いてて、恥ずかしくないの?」
 「……別に」
 だって暑いもん。蒸れるやんか、そんなもん足出して歩くことなんて現代で慣れてるんやから恥ずかしいわけないやろ。ほっといてよ、イヤミちゃん。
 「あんたは恥ずかしなくても、たかしが一緒に歩いてて恥ずかしいやないの。やめてくれんかしらね。『萩』の若衆が、得体のしれん汚い女と歩いてたなんて噂されたら店の繁盛にかかわるんやから」
 ……むかつく。得体のしれん汚い女やと? どこをどう見たらそんなん言えるんや。顔はあんたのほうが汚いやん、アホか。
 「なつ、おまえケンカ売るんやめえ。いつも言ってるやろ、こいつは俺の許嫁やねんぞ」
 「そんなん関係ない、あんたはうちで働いてる若衆やろ。言うこと聞きぃ」
 「わかったって、すぐ戻るから。いちいち寄ってくんなや、そのほうが店の繁盛にかかわるんと違うんかい、店の看板娘が道端でぎゃあぎゃあ文句垂れ流して」
 もっと言うたってや、崇人。

 結局、また来ると言い残して崇人はなつに引きずられていった。あたしは豆腐を五丁買って、来た道を戻る。大橋を渡った向こう、通りの右に池田屋が見える。来週か、来週にはあそこで何人もの人が殺される。それを知ってるのに、あたしは何もできへんのや。助けたい、と思ってもきっと助けたらあかんのやろう。歴史は変えたらあかんもんや。
 幕末の志士に会ってみたないか、と訊いてきた崇人の言葉を思い出す。まあ、ものは試しや。現代では絶対会われへん人らやないか、いっちょひと暴れしてみっか。
 「買ってきましたぁ」
 あたしは怒鳴って厨房へ入った。

 

 9

 蒸し暑かった。その日は、そうやな。いろんな幕末の本で読んだとおり、その池田屋事件の日はものすごく蒸し暑かった。あれはホンマやったんや。史実を肌で感じて、あたしはぞくぞくする。あたしと崇人はそれぞれ女将から了解を得て、池田屋にちょっと呑みにやってきた。……あたしたちは丸腰や。ちょっと幕末維新の英雄たちと、それからかの有名な新撰組浪士たちをのぞこうか、くらいの気持ち。好奇心や。
 「おっさん、熱燗もう一本ちょうだい」
 「何や、おまえら呑み過ぎと違うんか? おまえ女将さんに怒られるで」
 崇人は外回り(?)の仕事を毎日しているせいか、知り合いが増えた。生意気やのに生意気にみえんその明るい態度と、さっぱりとした男前の小顔が受けてるらしい。崇人が池田屋の主人と知り合いでよかった、とあたしは思った。
 「崇人、今何時?」
 「何時やろ、七時半ぐらい違う?」
 な、現代ではできんことができるやろ。崇人のお金が尽きん限り、堂々とお酒が呑めるやん。この日のためにお金をある程度貯めてたらしく、まあまあのランクの食事と酒が次々と運ばれてくる。泊まりの客ではないせいで、二階の客室にはあげてもらえず一階の茶の間向かいにあたしたちは座らされた。
 「あ、これバリおいしい」
 デザートの白玉ぜんざいが、おいしい。正直、もうあたしは尊攘浪士のことなんかけっこうどうでも良かった。どうでも良かったってより、料理がけっこうおいしくてそんなことは忘れてたって言うほうが正しい。だって男の殺し合いを見るより美味しそうな料理見てるほうが、まあ幸せに決まってるやんか。
 夕飯を食べている間に……といっても食べたのはあたしだけ。おなかが減ってたから二度目の夕飯な。たぶん、さっき崇人が七時半って言ってから二時間くらいは経ったと思うけど、何人もの浪士風の男がぱらぱらと入ってきては、二階へ上がっていくのを見た。何度、止めようと思ったやろう。何度、怪しまれてもいいから今日の集まりはよせって言おうと思ったやろう。さすがのあたしも、何度か箸を持つ手がとまる。だって、池田屋事件が明治維新を一年遅らせたっていうくらいなんよ? だってこの時代の侍、信念と根性は認めるけど……アホやねんもん。あたしたちから見たらさ。勤皇左幕に分かれて争って、ぎゃあぎゃあ殺しあって、まるでアホとしか思えん。
 アメリカと戦う、イギリスと戦うって言うんやで。開国派の知識人は、見知らぬ外国人を神聖な日本に乗り込ませたって理由でバッサバッサ斬られて。まあ確かに、あのちっこい体でよくもそんなに戦うよなって感心はするけどね。
 「なあ、来るのって何時やったっけ?」
 「夜中やろ? 11時とか12時とかそこらへん」
 「そんな時間までおったら、あたしらが怪しまれへん?」
 「……泊まるか?」
 だいたいそんな夜中、街は皆寝静まってるやんか。そんなとこを二人でふらふら帰っていったら、あたしらのほうも疑われるんと違う? 崇人の提案に、あたしはお金の計算をしながら頷いた。……泊まるとしたら、少しあたし食事でお金使わせすぎたかもしらん。
 「おっさん、夕希がボロクソ酔ったわ。そこの板の間でいいから、寝かせてもらっていい? 俺が面倒見るし」
 ボロクソって何やねん。宿の主がこっちへ来る気配がして、慌ててあたしは崇人にふらふらと寄りかかった。
 (いきなり演技さすなや!!)
 「何やねん、だから呑みすぎや言うたやないか。おゆき、平気か?」
 「……ん〜……」
 崇人の体の陰で、ほっぺたを思いきりつねって涙目になる。あたしの潤んだ目を見て、主もけっこう本気で心配してくれたみたいや。
 「ああ、しゃあないな。布団もってきたるさかい、おまえおゆきについといたれよ」
 「おおきに!」
 主が布団をとりに奥へ下がる。池田屋の主人って、こんなにええ人やったんや。
 「……おまえ演技うまいなぁ」
 「あたしがボロクソ酔ってるとか、先言うてからにしてよ。ビビるわマジで」
 崇人が小声で感心してくる。何や、それ。
 「女優になれるやん」
 言ってから、けけけっと笑った。……ホンマ女優になったろかい、むかつくな。
 それからしばらくすると二階はうるさくなった。女中が酒や料理膳をどんどん二階へ運んでいく。何時かまるでわからんかったけど、二階の騒ぎとは裏腹に外が静かになっていくのが分かった。崇人としゃべりながら呑んでいるうちに、あたしはだんだん眠くなってくる。酒には強いほうやったけど、どうやらここんとこ気張ってたからか、それともしばらくアルコールを摂取してなかったせいか、けっこう回ったみたい。
 「寝とっていいで」
 その言葉に安心して、あたしはふっと意識を飛ばしてたんや。

 「新撰組の御用改めである!!」
 (ああ……夢みとんのやわ……)
 「おやめくださ……」
 「退け!!」
 (……幕末かぁ……)
 「夕希!」
 跳ねおきた。夢やない、現実や。一気に眠気がふっとんで、あたしは崇人に寄りかかるように立ち上がった。崇人の横顔が、強張ってる。珍しい……まじめな顔やんか。
 宿の主人が突き飛ばされて、思わずあたしは駆け寄った。
 「……っ、何すんねん!! 乱暴すんなや!!」
 あたしは怒鳴ったけど、先頭の顔四角い男はまるで無視して二階に上がってく。何や、この田舎モンは。でもすぐに分かった。その先頭の男が、近藤勇や。
 (階段から落ちてまえ、このブッサイク!!!)
 さすがに口には出せん。
 「来い総司!!」
 そのブッサイクが後ろの男を呼んだせいで、それが沖田総司なんやと分かった。あんまりカッコよくはない。今まで金子賢とか藤原竜也とかが沖田総司の役をやっとったけど、何やねん、全然違うやないかい。それだけで、何となくむかつく。何か、少し色黒の、ぺろんとした顔をしてる。
 「夕希、大人しくしとけや」
 崇人が、自分の体の後ろにあたしを押し込んだ。崇人の体温が、浴衣越しにふわりと伝わってくる。それでもあたしの興奮―たぶんこれは怒りやったんやろうけど、おさまらんかった。この事件のせいで、明治維新が遅れた。日本にとって大事な人材がアホみたいに殺された。それを思うだけで、何ともいたたまれん気持ちになるんや。
 沖田総司の顔には、まるで殺気というもんがなかった。近藤勇の顔はだいたいそれだけでもいかつくて殺気だってるのに、沖田総司の顔はひどく静かや。二人が上へ上がっていって、残りの三人が一階に残り、表を固める。そこまでは、見えた。そこまでは見えたけど、近藤勇と沖田総司の二人が上へあがったあとにがしゃん、がしゃん、というもの凄い音がしてすべての灯かりが消えた。……真っ暗闇。こんな真っ暗闇は初めてや。初めてってのも嘘かしらんけど、去年の合宿研修んときの肝試しんとき以来やないかと思う。
 ここまでは結構気楽やったあたしも崇人も、一瞬で緊張した。これはやばい、と気づいた。これだけ暗かったら、どさくさに紛れて殺されるかもしらん。特に尊攘派―要するに狙われてる側の浪士たちは、突然急襲されて必死になってるやろう。動くもんは何でもかんでも斬っていくかも。
 「夕希、逃げたほうがええかもしらんで」
 「でも……」
 「いいから、表出よ。な?」
 ここにはきっと長州の吉田稔麿とか、それから誰やったか忘れたけど、日本にとって絶対有益やと思われるような浪士がおる。そりゃ、あたしは直接会って話したわけと違うし、ホンマのところはどうか分からんけど、それでもやっぱり助けたいと純粋に思った。
 言い忘れとった? あたしと崇人が高校生のわりに幕末をよう知ってるんは、坂本龍馬が好きやからなんや。親の影響でいろんな本を読みまくって、結局のところ坂本龍馬に行き着いてん。あたしらが幕末きて、それでも結構楽しんでたんには、やっぱり龍馬に一目でも会えたらいいなあと思ってたからや。龍馬が行おうとしてる、薩長同盟。この時期にはまだそれを思いついてるかどうか分からんけど、結局それを妨げようとしたんが幕府側やもん。そりゃあたし、どっちかっつったら幕府なんぞよりも龍馬サイドにつくに決まってるやん。
 この池田屋事件さえなければ、もしかしたら日本はもっともっと良いほうに変わってたかもしれんねやんか!! 龍馬サイドってだけで、あたしは別に過激な尊攘浪士につくつもりもないけど……それでもやっぱりこんな形で目の前で殺されるのは……。
 (池田屋行こうなんて、言うんやなかった)
 死体が、階段の上からごろごろと落ちてくる。階段を沖田っぽい男が固めて、片端から浪士を斬り捨ててるみたいやった。血の臭いで、さっき食べたもんが上がってくる。あたしは無理やり、崇人に表に連れ出された。
 「分かってるやんな? 夕希」
 「分かってるよ。それくらい。歴史は変えたらあかんのやろ」
 そういうとこだけ、妙に大人なんやから。
 「歴史変えたら、俺らの存在もなくなるかもしらんのやぞ。おとんもおかんも」
 「分かってる!」
 それでも、このまま引き下がりたくなかった。あかん、と思った。表に一人、まだ幼さの残る青年が刀を抜いて立っている。新撰組の誰やったか、もう名前は忘れてしまったけど。
 「……壬生狼のボケっ」
 「何!?」

 無意識やったんや……言ってからあたしは額を覆った。そろり、と崇人を見上げる。もう何も言われへん、呆れかえった顔で崇人は茫然としていた。



 「…………あ」
 しまった。
 (……やってもた……)
 相手は真剣抜いて、鬼の形相で立ってる男。あたしはアホか、と自分で自分を殴りたくなった。
 「っあああああああ!!」
 腹の底を震わせるような叫び声とともに何かがこっちに突進してきて、あたしと崇人にぶつかる前にそれは倒れた。人の肉を斬る鈍く厭な音がした気がする。一瞬そちらに気をとられた新撰組隊士を見て、崇人が素早くあたしの身体を引き寄せた。引き寄せられがてら、わき腹を思いきりつねられた。
 「痛!」
 「…………」
 おまえはホンマ何すんねん、って顔してる。いや、それはこっちの話。今つねらんでもええやんか、痛いやんか。でもこんなこと言ったら、またその倍怒られるんやろうから黙っておく。
 ……違うんや、今はそれどころと違うんやって。あたしはいっつも本題を忘れる。それは自覚してるんや、特に誰かと一緒にいると絶対新しい話題に気をとられる。
 逃げてもよかったけど、逃げたら最後、怪しまれてどっかへ連れて行かれそうな勢いや。どうしようか、とふと下を見て、男の死体が目に入る。
 うえっ、とあたしは目を背けた。ただの死体と違うもん、去年肺がんで死んだじいちゃんのとはワケが違う。血走った眼ぇが飛び出すみたいに開いてて、鼻からも口からも血が流れてる。たぶん最後の一撃になったのは、ついさっきの背後からの一刀やったと思うけど、それまでにもさんざん斬りあいをしてたらしくて、肩から胸にかけて白い肉がはみ出してるんや。
 こんなん、阪急百貨店の肉売り場でしか見たことない。牛肉の塊よりも、えぐい。……それでも気絶せえへん自分が、何か強く思えるもんやな。
 「おい、おまえ何と言った!」
 「おい、夕希帰るで」
 「おまえは関係ない、帰れ!」
 あたしは女や。女ってのは、女ってだけで最大の武器になるんやぞ。ここに崇人がいたら、かえって危ないかもしらん。そう思ってあたしは後ろ手でシッシッと崇人を追い払う仕草をしてみせた。崇人が、微妙な顔をした。心配してる。自分だってたいがい無鉄砲でヤンチャなくせに、いつでもあたしの行動を心配してるんやから。
 「……はあ、すんません」
 でも頭は悪くないんや。あたし一人にしたほうが無難かもしらん、と彼も思ってるんやろう。渋々呟いた態度が、まるですんませんって思ってもない態度やったけど、隊士の意識は『無礼な』あたしのほうへ向いてる。もう一度ぎゅっ、とあたしのお尻をつねって崇人が通りを木屋町のほうへ歩いていった。振り向くのを我慢してるみたいな寂しい後ろ姿が笑えた……いや、切なかった。
 「おまえ、どういうつもりだ。会津公お抱えの新撰組を侮辱するとは!」
 若い青年やんか、よく見ると。ホンマ若い。あたしよりもちょっと年上? それくらい。やけど、あたしが彼を見下ろすくらいに身長は低い。
 (まあ……チビやなぁ、ホンマ)
 チビのわりに、ものすごい気迫と根性で突進してくるんやから怖いわ。そら太平洋戦争で日本兵と戦った西洋人もびっくりやったやろ。
 子どもみたいにちっこいのんが、刀振り回して雄たけびあげながら突進してくるの、想像してみぃ。……怖いって。で、その典型が今ここにおるわけや。神風がどうとか、忠誠心がどうとか、ワケの分からん道理で人を殺すんやからタチが悪い。だってそれが悪いことって、思ってへんもんな。
 「お上を侮辱するとただではおかんぞ!」
 いやいや、お上っていうか、お上の手先になってふらふら人殺ししてるあんたらを侮辱したつもりなんやけどね。だいたいそんなこと言えるんは、未来を知らんからなんやろうね。なあ、あんたらの時代は終わるんやで。
 もう数年先には、新撰組は解体して近藤勇も土方歳三も沖田総司も死ぬんやで。知らぬが仏、やな。そのときには、あんたたちはもう追いかけて殺す側と違うんよ。徳川幕府は政権を朝廷に返上して、そいであんたらは追いかけられて殺される側になるんやで。
 (あ、切ないかも)
 あたし、ここでそんなことを思ってられる気楽な状況じゃないんや。やけど、そうやって決死の面持ちで怒鳴る新撰組隊士を見てると、いたたまれへん。ひとつの想いにとらわれて、先を見通されへん悲しさって、こういうことなんや。ま、言ったって分からんやろうし。あたしが牢獄放りこまれるだけやろうから言わんけど。
 「どけ、女!!」
 不意に青年隊士があたしを突き飛ばした。裏口の植え込みに、すっ転ぶ。何や、今日はつねられたり突き飛ばされたり散々やんか。池田屋行こう、なんて言うんじゃなかった。
 「君は逃げろ!! 僕がひきつけておく!」
 妙に眼のでかい浪士が、青年隊士と真正面から対峙したまま傍らの同志に怒鳴った。
 (あ、長州かな?)
 この頃、長州では『俺』『おまえ』ではなく『君』『僕』と呼び合うのが流行ってたとか流行ってなかったとか。昔読んだ本を思い出して、あたしは勝手に推測をつける。
 うおおっ、という獣じみた声をあげて青年隊士が刀をふりかざした。気迫ではどちらも互角に見えたけど、でも長州(たぶん)の浪士はあまりに怪我を負いすぎてる。あんなん、卑怯やん!! 思ったときには身体が勝手に動いとった。頭ん中では、やめとけって声ががんがん響いてたんやけど、勝手に動くもんはしょうがないやん。
 「卑怯モン!! やめえや!!!」
 怒鳴った自分の声が、遠くで聞こえた気がした。
 「おまえ、浪士どもの味方か!! 斬るぞ!」
 「あたしは誰の味方でもないわ、ボケェ!! 怪我してるやんけ、そんなん無傷のあんたが斬るなんて卑怯やと思わんのかい、誠の羽織ひっかぶっといて!!」
 「な……」
 あたしは思い出してる。必死で思い出してた。そう、確か裏口を固めてた隊士の名前、近藤周平と違うかったか。近藤勇の養子に入った奴や。確か勉強が好きで、どっちかっていうと斬りあいには向かんタイプやったとか。……チャンスや。
 「武士なんやろ!? 無傷なら無傷同士で正々堂々戦ったらええやんかぁ!!」
 あたしも、自分でなんかおかしいこと言うてるなとは分かってる。そんなもん、こんな世の中で無傷なら無傷同士、正々堂々となんてできるわけないんやし。しかも何か、新撰組に武士道を説いてる謎の女みたいになってるやんか。やめてくれ、あたしは別に新撰組に武士道を説くつもりなんてないんや。
 「死ねえぇぇっ!!」
 悲鳴に近い声をあげて、長州浪士が逃がそうとした浪士が刀をふりかざして近藤周平に突進してきた。一瞬、隊士がひるむ。
 「ちょっ……!!!」
 あたしはそれで、またやってしまったんや。今度はその浪士の足を、わざと引っ掛けたんや。……ああ、あたしはアホなんや。きっと何の取り柄もない食欲魔人や……。
 「おのれ……っ!!」
 長州浪士は、すでに姿を消している。こんなのに付き合ってられん、と思ったんかもしらん。もしかするとあの長州浪士が、藩邸まで助けを求めに行った吉田稔麿やったんかなぁ。何となく思った。ま、吉田稔麿の人となりなんてのは、あたしはよく知らん。漫画と小説でしか知らんから、気になる人は調べてな。
 「おまえも卑怯やっちゅうねん、人が話してるところを狙ってくんなやクソが!!」
 怒鳴る自分の声を聞きながら、あたしは自分の口の悪さに驚いた。あたしって、こんなに口悪かったっけ。幕末って時代が悪いんやんな、な? あたし、もう少しおしとやかやったと思うで。何じゃこの女、って目で睨んできた浪士の刀の切っ先が、今度はあたしに向いた。
 (……ああ、もう勘弁して。死にたくないって)

 避けよう、あたしは神経を研ぎ澄ませた。



  きぃぃん、という金属音がした。あたしはうまいこと避けたんやけど、その前にあたしの前に立ちふさがったものがある。えっ、と思ってみるとさっきの新撰組隊士が長州浪士と斬りあわせてるやん。そりゃもう思わず、あたしはあっけにとられて立ち尽くした。まさか新撰組のヤツに庇われるとは思ってもなかったんや。あたしより大概チビのくせに、何やねんこの気迫は。この人らを、いったい何がそんな駆り立てるんやろう。
 一瞬の隙をついて、近藤周平が浪士を真っ向から斬りさげた。血しぶきが、あたしの顔まで飛んでくる。生臭いにおいにあてられて、あたしは思わず吐き気をこらえた。倒れた男が、綺麗な切り口から白い肉と赤い血を見せて死体と化していた。
 「大事ないか、おまえ」
 隊士が、仏頂面のままであたしに問いかけてきた。
 「……なんで庇ってくれたん」
 「何で? 女子供を守るのも私たちの仕事だ」
 何となく悔しくて、あたしは傍にあった石ころを蹴り飛ばす。いや、助かったといえば助かったんやけど、何だかこいつに庇われたってのが癪にさわるんや。ま、あたしが新撰組、あんまり好きやないからなんやろうけど。一応感謝しとくか。
 「…………どうも」
 「思ってもいないことを言うな」
 「…………」
 いちいち細かいことに突っ込んでくんな。人がお礼言ってんねんから、おとなしくどういたしましてって言うときゃええんや。
 (我ながら勝手やなぁ……)
 そう思うけど、もって生まれた性格やから仕方ない。きっと長生きできるやろ。憎まれっ子世に憚るっていうし。まあええやん、細かいことくよくよ気にしとったら生きていかれへんやないの。
 池田屋屋内のほうでは、相変わらずものすごい音がしている。何かこっちでごたごたしているうちに、中のことはどうでもよくなっていた。通りのほうから、そしてどたどたという足音が聞こえてくる。誠の羽織を着た男たちが大勢、池田屋に突っ込んできた。
 (ああ……これが土方勢……)
 土方歳三の写真を思い出す。おお!! あいつや、あいつ! あれが土方歳三やんか! 集団の先頭にたって走ってくる若い男に、見覚えがある。洋装で写った写真を、何度も見たことがある。崇人、やった。あたし、土方歳三をナマで見たで。写真よりは男前やんか。
 「周平、中の様子は」
 「戦ってます、私は裏口を固めてます」
 見たら分かるがな、とあたしは思わず小声で毒づく。いやいや、中の様子聞かれて『戦ってます』はないやろ、いくらなんでも。で、その声が聞こえたかどうかは分からんけど、そこで土方歳三と目が合った。
 「周平、これは?」
 そんな悠長にしてる場合なんか? はよ近藤勇助けに行ったらなあかんのと違うん。ああそれと、人のこと指差して『これ』言うな。
 「巻き込まれた娘です。浪士に斬られそうになってたところを逃がすところでした」
 「そうか、とっとと帰れ。死ぬぞ」
 ふん。偉そうやなぁ!!
 「はあ、どうもおおきに」
 一応そう言っとく。もうこれ以上池田屋おったら、ホンマに死にそうや。どっちにしても歴史は変えたらあかんのやろ。ならここにこれ以上おってもあかんわ。それに崇人がきっと心配して待ってる。あんまり無茶しとったら、絶対あとでしばかれる。そう思って、あたしはようやく退散する決心をした。
 「……あの、どうもおおきに」
 そこまでありがたいとも思ってなかったけど、一応もう一度お礼をいっとく。それからあたしは、突入していく土方隊を見送って通りに戻った。野次馬が出ていて、あと会津藩の兵士らしい人らが集まってきていた。
 (遅いわボケッ)
 新撰組は好かんけど、会津藩のやり方も気に入らん。あたしは、でもこれ以上いざこざを起こすわけにはいかんかったから木屋町のほうへ向かって歩き出した。少し歩いて、池田屋から距離をおいてしまうとまるで辺りはしんとしていて、さっきの騒ぎなんてなかったような気さえしてくる。不思議なもんや。何だかんだいって、ホッとしてる自分がいる。
 「おい」
 考えながら歩いてたあたしは、いきなり掛けられた声に飛び上がった。
 「…………!?」
 「遅いわアホ」
 何や、びっくりさせんといてよ。
 「何、帰ってたんと違うん。びっくりするやん」
 「待っといたったんやん。何や、冷たいこと言うなよ」
 あたし、何か釈然とせえへん。歴史を変えたらあかんって言うて、人が死ぬんをみすみす見過ごしてよかったんやろうか。あたしは、何かしらんけどしたらあかんことをしたんと違うやろか。
 「……しゃあないやんけ。それでも歴史は変えたらあかん、事実は捻じ曲げたらあかん」
 たまに正論を言う。むかつくけど、そういうとこに惹かれたんも事実やから……。でもな、あたしは思うねん。あたしがたとえあそこで誰かを助けても、結局あたしの知らんところで彼は死ぬんと違うかって。歴史は変えられるけど、事実は捻じ曲げようとしても曲げられへん。何や、よう説明せんけどそんな気がする。あたし、おかしいんかな。でも今あたしたちが生きてるのは、どんな理屈並べても幕末やんか。そうやろ? やったら、やっぱりあたしはあたしの思うようにこの時代を生きてかまわへんのと違うかと思うねん。きっとそれが曲がりくねって、あたしらが生まれた昭和に、それから平成に繋がると思う……ような気がする。あたしらが、歴史を変えたらあかん、事実を曲げたらあかんって無理に生きてるほうが、あたしは歴史を捻じ曲げてしまうんやないかと思うんや。……違うんかなぁ。正解なんてないと思うけど、何かやっぱり気持ちがふわふわして落ち着けへん。
 「……そうかなぁ」
 思ってたことを言ってみると、崇人は考えこむように呟いた。こういう真剣な話をしたとき、茶化さんと聞いてくれるところがいい。お調子もんに見えて、考えるときはまじめに考えてくれるから。木屋町通りを歩き、『志津や』の前までやってくる。崇人が何も言わずに送ってくれてたことに、今はじめて気付いた。
 「まあ、いつ平成に帰れるか分からんやん。ぼちぼち考えたら」
 崇人が、あたしの頭をぽんと叩く。まあ、そうやな。考えとっても埒あかん。今日はゆっくり寝て、それから考えたらええやんな。
 「ゆっくり寝ぇ。明日昼飯一緒に食お、迎えに来るから」
 「うん」
 崇人、あんたが一緒でホンマに良かった。口が裂けても本人には言わんけどな。少しホッとして、あたしは帰ってく崇人を見送り、それから『志津や』の木戸をそっと開けて中へ入った。誰も起きてへんみたい、物音ひとつせえへん。音をたてないように気ぃつけて、あたしは階段をのぼる。のぼって、あたしが与えられた部屋に入り、そっと手探りで蝋燭を探して火をつけた。
 (あれっ)
 布団がちゃんと敷いてあって、その脇にお膳が置いてある。簡単なおにぎりと漬物。お茶が入った鉄瓶が乗ってた。
 (これ、女将が漬けたやつやん)
 美味しそう、とあたしが昼間大騒ぎしとったん、覚えててくれたんや。黄色いたくあんと、紫の鮮やかな柴漬けや。おにぎりの海苔が、まだいい匂いを漂わせてる。もう、ホンマあからさまにホッとした。
 「……まあ、明日のことは明日考えたらええやんな。食べて寝よ」
 さっき池田屋で晩御飯食べたのなんか、騒ぎですっかり消化してる。全然、まだ食べれるやん。あたしは何か、安心できる実家に戻ってきた気持ちでおにぎりに手を伸ばした。






 9


 池田屋で闘った奴らってのは、ハナから命を捨ててかかってた連中や。それは勤皇派の浪士たちにしろ、佐幕派の浪士つまり新撰組にしても、同じこと。でも、新撰組と勤皇志士の間には決定的な違いがあるんや。新撰組は、革命家ではなかったって。あいつらは、今の徳川幕府が全てやと崇め奉り、それを護ったうえで外国と戦おうとしてたんや。

 
 ちょっと説明しとこ。多少間違ってたらごめんやで、うろ覚えやから。京で天誅やら何やらと繰り返す浪士たちに、幕府はほとほと手を焼いていた。「毒をもって毒を制す」っていう考えで、幕閣は新撰組を結成させたんやな。ま、もともとその話をあげた清河八郎って男は、勤皇派で。
 うまいこと幕府の金で新撰組を結成させて、あとから勤皇派に翻そうとしたわけやけど。幕臣……やったっけ? 佐々木只三郎に斬られた。
 もともとただの浪士組やった新撰組の機能は、まあ実質的には局長近藤勇と副長土方歳三の二人に一任されとったと思うけど。近藤勇と土方歳三ってのは、昔からの幼馴染みやってんて。二人とも百姓の出で、烈しく武士に憧れとったとか。天然理心流って剣派で、とにかく単純に士道に斃れようとする気概に満ち溢れてたんや。あんなぁ、大河ドラマの近藤勇はえらく善良でまっすぐな人柄やったけど。百姓の子供っていうコンプレックスは相当やったと思うで。土方歳三も。
 アホやな。哀れや。武士っていう枠にとらわれて、物事の真実を見失うんやから。なあ、何が大切やと思う? 中身やろ。自分やろ。己の信念やろ。武士っていう枠組みとは違うやんか。やけど、あの人らにとってはその枠組みが何よりも大事で、何にも代えがたい夢やったんや。何回もいうけど、あたしは新撰組は嫌いや。何もかも、やりすぎの感が否めん。
 でも分かる気はするんやで。……今、自由に生きていくことが可能なあたしたちから見たらアホな話でも、この時代はそれが彼らには一番重要なことやったんやって。
 幕府という主君に仕えて士道に邁進することが、何よりも大事。それが彼らの信念、それが彼らの生き様やったんやって。考えたら、分かるよ。
 でもやっぱり、かわいそうやと。時代の流れに逆らって、そして流されていってしまった奴らやから。

 
 あたしは昭和に生まれて、平成に生きてた。やから知ってる。この池田屋事件があってから、どれくらいで明治維新までたどりつくのか。えっとなぁ、何やったかしら。中国の詩集か何かにあった言葉ね。『維新(これあらた)なり』って言葉があってんて。まだまだやで。維新回天は遠い。今は1864年。……とにかくあと4年ほどあるんやから。この時代の4年は長すぎるほど長い。みんな、いつ死ぬかわからへん。
 それまでにどれだけの人間が死ぬんかもわからへん。あたしには……誰がいつ死ぬかとか、少しなら分かるけど。なあ、これが日本の歴史や。あたしは歴史を目の当たりにしてるんや。全身全霊をかけて、全力でこの時代の流れにぶつかっていくしかない。今あたしができることは、それしかないと思った。細かいことはよう分からん。物事を深く考えるんは性に合わん。
 今あたしはまっすぐに、飛び込んだ時代の中を泳いでいくしかないんや。
 運命ってあると思う? あたしはあると思うときもあるし、ないと思うときもある。人間なんて、簡単なもんや。自分のことになると考えなんてコロッと変わるもんやで。どんなときにも揺るがん信念なんて、そりゃ相当なもんや。
 こうして幕末に放り込まれるなんて、誰が想像する? こんな予想外の出来事を経験するなんてさ、思わへんやんか。そりゃタイムスリップとかの小説やマンガを読んだときとかに、あたしやったらどうするかなぁ、とかは思うかもしらんけど。だいたいタイムスリップなんてのは、現実には起こらんやろうと思うからマンガになるんと違うんか。違うんかな? 
 「…………」
 ぶっちゃけた話、あたし現代に帰りたい。おとんやおかんにも会いたいし、ゆりや彩子たちにも会いたい。普通に制服で崇人とデートして、普通に生活したい。でもな、ここにいるのも悪くないって最近本気で思い始めた。いつ死ぬか、確かにわからん危険な時代。やけどそのぶん何より一生懸命、渾身の力で生きよう生きようとするやん。
 あたしにできることを、学歴とかそんなもんに頼らんと探せるやん。当たって砕けろ、や。現代に帰りたいけど、あたしはまだまだいけるで。
 まだまだここで、生きていけるで。



 「夕希、夕希!!」
 崇人が『志津や』に大慌てで飛び込んできたのは、池田屋事件から二週間ほど経ったころである。あまりに興奮した大声に、『志津や』の女将も思わず眉をひそめて叱った。
 「何やの、騒々しい。お客さんにご迷惑やないの、やめとくれやす」
 「すんません、夕希は?」
 「上で休んどるえ。今日の仕事はもう終わりやさけ」
 で、ばたばたと崇人があたしの部屋にやってきたわけや。一番近い客の部屋から、うるさい、と怒鳴り声が飛んできた。
 「すんませんて!!」
 逆ギレすんなよ、と思いながらあたしは崇人のために座布団を一枚差し出す。
 「なあ、噂聞いたか」
 帯をたたんで、崇人を見上げる。
 「神戸に坂本龍馬が来てるって。東京から戻ってきたんやて、今日うちに泊まった長州の奴が言いよった!」
 「え……」
 「池田屋事件のことを聞いたんやろ」
 落ち着こう、と思っても。あかん、ふつふつと沸きあがってくる高揚感が抑えられへん。前に言ったやろ、あたしと崇人は昔っから親の影響もあって幕末大好きなんや。その中でも坂本龍馬が一番好きなんや。一万円札が福沢諭吉ってのがいまいち分からん。坂本龍馬にしようや、っていつも思ってるくらい。『竜馬がゆく』も持ってるし、『お〜い!竜馬』も持ってるで。
 いろんな本を読んでもなお、やっぱり龍馬の魅力は海よりでかい!! あたしは坂本龍馬に会いたい!!!
 池田屋のことで懲りたはずやのに……みんな笑うかな。
 「……神戸行こ!!」
 ……また、調子に乗ってしまったんや。


 あたしがこうして幕末で過ごすようになって、一番勘弁して欲しいんはトイレや。まあ、当たり前といえば当たり前やねんけど公衆トイレってもんがない。……ないっていうのは嘘やな。公衆トイレに相当するもんは、ある。小便タゴや。あんなぁ……女でも立ってするねん。小用を足すわけ、立って。ようやらんわ、あんなこと。あれだけは勘弁ならん。
 「どうやって神戸行ったらええんかな」
 「……歩きか船やろ」
 「歩き!?」
 「しゃあないやん、電車もバスも車もないもん」
 あたしは恨めしそうに崇人を見上げる。そりゃ同じ近畿圏とはいえ、遠いで神戸と京都は。そりゃあたしの住んでるところから京都までは高速乗って40分くらいで着くけどさ。
 「どうする?」
 「……船で行くって……船賃あるん?」
 「ないけど、おまえ歩きやったら神戸着いた頃には龍馬おらんで」
 「ならどうやって船乗るんよ」
 「女将に頼み込むしかないやろ、イチかバチかで当たるしかないやん」
 頼もしいくらいのプラス思考や。どっちかってと楽天主義者。あたしも自分でよく分かってる、楽天主義者。時々不安になるけどな、どっちも楽天家やったらあかんのと違うんかって。でもまあ今までこれで何とかやってきてんから、大丈夫やろう。あたしたちはいつもと同じ、うどん屋に入る。
 「おっさん、かけうどん二つ!」
 この注文も、いつもと一緒。
 「で、どうする?」
 「とりあえず女将に聞いてみるヮ。神戸に何か用事作ってもらえるかどうか」
 もしかしたら親戚とかが神戸におるかも分からん。あたしが世話なってる『志津や』はどっちかといえば長州様に肩入れしてるほうやから(京都は基本的に幕府側よりもヨソの勤皇志士に好意をもってるみたいや。新撰組屯所の八木邸とかは別として)、もしかしたら協力してくれるかもしらんし。
 「俺も聞いてみるわ。じゃあもしかしたらアカンってこともあるし、明日の昼にまたここで待ち合わせしよ。それでいいやろ?」
 「おぅ」
 池田屋事件でちょっと萎えてた気分が、俄然盛り上がってきた。
 いちいち一つのことに長いことヘコんでられるわけないやん、なぁ? 人間、先を見る目がなきゃアカンで。いくで、あたしは。何かに一生懸命なってないと、色々考えてまうやんか。
 ひとつ何か目的が決まると、そりゃもう、うどんも美味しくて。あたしは崇人に目もくれずにうどんをすすった。

 あたしたちは、いろんなモンを見なあかん。あたしたちは若いんや。
 今しか見えないことは、いっくらでもある。あたしは頭もそうは良くないし、何か自慢できる特技もなくて、まあ強いていえば創作ダンス。運動くらいには自信があるけどさ。何の経験もないけど、これだけはいえる。
 視野が狭くなったら、人間終わりよ。狭っくるしくて、狂信的な思想は持ったらあかん。何でも目にやきつけとくねん。で、人の言ったことばっか鵜呑みにしとったらあかん。自分の目で見て、耳で聞いたことを信じるのが筋ってモンや。国のことを考えるんやったらそれからやな。
 それでこそ憂国の民、ってもんよ。
 ま、あたしのは好奇心を満たすための冒険って言ったほうが正しいかもしらんけど? それでもこれは間違いなくあたしの経験になるんやから。それは誰にも文句いわせへん。いくらアホって言われてもいいけどね。
 な、視野が狭くなってしまったら、行き着くとこまで行き着かないと引っ込みがつかんくなるんやから。そしたらもう間に合わへんねんで。気づいてからじゃ、遅いんやから。まあね、何が言いたいかっていうと。
 

 (……自分が無鉄砲なんを正当化したいだけやねんけどな)
2005/02/14(Mon)21:41:48 公開 / ゅぇ
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■作者からのメッセージ
久々の更新となりました。う〜ん……回をおうごとに微妙になってる。なんだか、幕末の本を読み漁る暇がなくってねぇ……と言い訳をしてみたり(笑)少しずつすすめていきます……
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