- 『クリスマス・カンパニーズ【前編】 〜修正中〜』 作者:rathi / 未分類 未分類
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全角17881文字
容量35762 bytes
原稿用紙約53.35枚
―プロローグ―
――雪が降っていた。
雪空の中、薄い毛布を羽織った少女が殺風景な部屋の中で小刻みに身を震わせていた。
外の気温は−2℃だと、天気予報士が言っていたが、少女はその事実を知らない。テレビもラジオもないこの部屋では、それを知る術などないからだった。
寒さのあまり、目蓋は重く、瞬きする回数は時間が経つ事に増えていくばかりだ。だがそれでも、少女はみかん箱の上に乗っている母の遺影を感慨深く見つめ続けていた。
少女の母親が亡くなったのは、つい二週間程前。勤め先で倒れ、病院に搬送されたが、そのまま息を引き取った。
死因は過労死。父親が何処かへと逃げてしまった為、母親は少女を養うために睡眠時間を削ってまで働いていた。だが、母親の頑張りは報われず、最悪な結果だけを残してこの世を去っていってしまった。
身寄りがなかった母親は、近隣の人々によって慎ましく葬儀が行われることとなった。集まったのは十名にも満たないという、本当に慎ましい葬儀であった。
少女は、九歳という若さで、天涯孤独の身となってしまったのだ。
葬儀中、少女は人形のように身動ぎせず、何も言わず、ずっと呆けていた。涙一つ流さない少女に、心ない人達はひそひそと陰口を叩いていたが、本当は、少女は心の底から悲しんでいた。それでこそ、何をどうしたら良いのか分からなくなるぐらい、悲しんでいた。世界が終わりを向かえてしまったかのように、悲しんでいた。
慎ましい葬儀が終わり、集まった人達は少女に対して慰めの言葉を掛けていく。
……お母さんが死んでしまって、可哀想にねぇ。
……これからが大変でしょうに。
……しっかりと気を持って生きるのよ。
可哀想という同情心はあった。良心があるからこそ、彼らはここに集まったのだ。だが、少女の面倒を見ようとするまでのお人好しではなかった。彼らはお金持ちではない。かといって、食うのに困るほどの貧乏でもない。いわゆる、普通の人達なのだ。普通の稼ぎがあって、普通の暮らしがあって、普通の家庭がある。誰だって、その平和を壊したいとは思わない。血が繋がっていない、という悪性因子を持った少女を迎え入れたいとは思わないのだ。それが、家庭崩壊に繋がるとも言えないから。
結局、少女は一人。天涯孤独の身だった。
それから一週間後、人相の悪い人達が少女の家を訪ねた。借用証書という、一枚の紙を持って。
母親が死んでしまったことにより、蒸発した父親が唯一残していったモノ――借金が払えないとみなされ、人相の悪い人達はまるで引っ越しでも始めるように、沢山の段ボール箱をこの部屋に持ってきた。そして、この部屋の物を詰め込んで持って行ってしまう。母親が残していった物品を、差し押さえられてしまったのだ。
畳み掛けるように、母親が亡くなったことによって下りた労災のお金もほとんど持って行かれ、残ったのは雀の涙程度だった。
四桁以上数えられない彼女にとっては、その雀の涙程度でも、多く感じてられていた。これでおかしをいっぱいかえるかも、そんな事すら思った程だ。
葬儀に集まった一人である大家はそのことを知り、うっすらと涙を浮かべるほど少女に同情した。そこで大家は近くにある孤児院に連絡を入れた。だが、帰ってきた返事は、
『今こちらは人数が一杯な為、しばらくの間、その少女を受け入れることは出来ません。二ヶ月後…いや、一ヶ月後であれば何とかなると思いますので、他の家…そうですね、今電話を掛けている貴女でも宜しいので、世話をしてやって下さい』
というものだった。
大家は思った。母親は死に、父親は逃げ、残っているのは借金だけ。更に、里親と勘違いされて借金を肩代わりする事になるかも知れない。残ったのが雀の涙程度だったとしても、一ヶ月くらいは過ごせるでしょう――と。
結局、少女は一人。米粒程の慈悲で差し押さえるのを止めた、薄い毛布を頭からすっぽりと被り、母親の遺影を見つめながら、寒さに耐えていた。一ヶ月後に入れるであろう、孤児院を夢見て。
――その日は、いつもよりも多く雪が降っていた。
大家から貰ったホッカイロも、五時間ほどでその効果をなくし、冷たい塊と化していた。
少女は諦め、部屋の隅に投げ捨てる。そして、あかぎれを起こしている手を擦りながら、息で温め始めた。
その行為を続けながら、少女は物悲しい眼で遺影を見つめ続けていた。
走馬燈のように、母親と過ごした日々が少女の頭を過ぎっていく。
それは、今と同じように雪が降っていた日のことだ。その時も、少女はこの薄い毛布にくるまっていた。ただし、母親も一緒にだ。
寒い日にはおしくらまんじゅうが一番。そう言って、母親は少女を抱くようにして、互いを温めあっていた。少女にとってそれは、どんな暖房器具よりも暖かく感じられていた。
だが、少女の母親はもう居ない。この部屋にあるのは、小さな壺に収められた母親の灰だけ。決して、温め合う事など出来はしない。
お母さん。少女は遺影に向かって呟いた。だが、返事はなく、耳が痛くなるほどの静寂が少女を襲う。
凍り付いた笑顔の母親を見て、少女はふと思う。
……どうしてお母さんは笑っているの?
……寒くないの?
……私も死ねば、寒くないのかな?
……私も死ねば、お母さんに会えるのかな?
お母さん。少女はもう一度呟いた。
お母さん。
お母さん。呟けば呟くほど悲しくなり、頬に一筋の涙が伝う。
お母さん。
お母さん。どうしようもない悲しみに包まれ、少女は、泣き崩れた。
――雪は滾々と積もっていき、白銀の大地を創っていった。
手を温める気力も失い、虚ろな眼をしたまま少女は畳に横たわった。冷え切った畳は容赦なく少女の体温を奪っていく。だが、それは寧ろ少女が望んだことだった。
……このまま眠ってしまえば、私は楽になれるのかな?
……お母さんの所へ行けるのかな?
体温が下がっていくのを感じながら、少女は母親の遺影を見つめたまま、静かに、ゆっくりと眼を閉じた。
……お母さん。
――その白銀の大地を、一台のソリがシャンシャンと鈴の音を鳴らしながら走っていた。
コンコン、と静かな部屋の中にノック音が響いた。
少女は重い目蓋を少し開け、虚ろな眼で玄関を見つめた。
……お母さん?
ドアノブが静かに回され、冷え切った空気が部屋の中に入り込んでいく。そして、一人の男が部屋の中に入ってきた。
「ただいま」
男は、少女に向かってすまなさそうに言った。
……お母さんじゃない。けど、この人は……
少女は、幼い頃にその男を見たような気がした。いや、見た。またしても走馬燈のように、その頃の記憶が蘇る。
夜、月明かりが少女達を照らす。少し大きめな布団に、川の字になって寝ていた。左端には母親が。真ん中には少女が。そして――。
……今私が見ているのは、夢なのかな?
……それとも、死んじゃったのかな?
……今、私の目の前に居るのは……
――荷物を届け終えたことに満足し、微笑みながら、再び白銀の大地にソリを走らせた。
少女は質問した。今日は特別な日なのか――と。
「そうだよ、今日は特別な日なんだ。子供達の願いを叶える、今日は……」
そう、今日は――。
→
十一月一日(月) 【People who grant the dream's】
「さて諸君、クリスマス・イブまで残り二ヶ月を切った!」
小柄な女性が、後ろにあるホワイトボートをペンで叩きながら言った。ホワイトボードには、ラクガキとしか思えないようなイラストや、何かの計算式が書かれている。
小柄な女性の前には、少し立派な自分の机と、少し奥には縦二列、横三列で計六個のスチール製の机が向かい合うようにして並んであった。そのどれもが細かい傷や、へこみなどがあり、年代を感じさせる。それもその筈。壊れた物を除き、この会社が創立してからずっと使っているのだから。そのせいもあってか、内装も古く、寂れた町役場と何ら変わりなかった。違うところと言えば、仕事の内容と、働いている人達の服装が自由、というぐらいだろう。
会議中なのか、一つの机を除き、全ての席に人が座っている。
「いよいよ我々が活躍する時期がやって来たワケだ。いや、我々しか活躍出来ない日がやって来る、というべきだろうな。下やら上やら、様々な所から回されてくる書類整理とはおサラバし、然るべき時に備え、これから準備を始める!」
小柄な女性は、強く握った拳を振り上げ、演説家のように熱く語った。
小柄な女性の名は、ウォルズ・ペリドット。<ティファレト・ヒメヒマワリ>というこの会社の社長だ。創立してから十五年程経過しているが、当初と同じで、業績はあまり伸びていない。社員数は現在、ウォルズを含めても六人。この業界の中では、かなり少ない部類に入る。
ウォルズは若くしてこの会社を受け継いだのだが、それはもう十数年前の話。今はそれ相応の歳――三十路を過ぎていた。だが、外見は二十代前半、見方によっては十代後半に見えなくもない。要は、若く――というよりは、幼く見えるのだった。その原因となっているのが、背の小ささと、パッチリとした大きな瞳だった。
並んでいる机の左側、その真ん中にいる長い黒髪の女性を、指替わりにボールペンで指す。
「カミル、今回の予算、予定、その他諸々の報告を頼む」
「はい」
ウォルズは黒髪の女性に全ての進行を託し、どっかりと席に座る。それに代わるように、カミルと呼ばれた女性はその長い黒髪をなびかせながら、音もなく立ち上がった。
「それでは、これからについて話しますので、聞き漏らしのないようにお願いします」
カミルは小さく御辞儀をする。顔を上げ、自然な動作で長い黒髪を掻き上げた。
彼女の名前はカミル・ロード・ナイト。この会社での金庫番――つまり、会計係を務めている。金銭に関しては全てカミルに一任している為、彼女のなくしてこの会社の経営は成り立たないだろう。
長く垂れ下がった黒髪もさることながら、カミルは抜群のスタイルを持ち合わせている。いわゆる、出るところは出て、引っ込むべき所は引っ込んでいる、というヤツだ。だが、冷然とした性格を象徴するかのように、細く、そしてややつり上がった眼のせいで冷ややかな印象を受けるため、言い寄ってくる男はあまり居ない。しなしながら、彼女の隠れファンも多いのも、また事実だった。
机に置いてある資料を手に取り、カミルは咳払いを一つしてから報告を始める。
「では、まずは今後の予定から報告致します。去年同様、十二月一日からプレゼントの買い出しを始めます。もしかしたら遅れる可能性もありますが、五日までに間に合えば良いので、それも考慮して行動して下さい。そして、それまでの間は私達の担当となった人達――子供達のプレゼントを決めます」
紙を一枚めくり、人差し指で眼鏡をかけ直してから、カミルは報告を続ける。
「今年の予算は四千円となっています。それ以上の金額だった場合は第二希望、それでもオーバーする場合は第三、第四と順々に下がっていき、金額に見合うプレゼントにして下さい」
「四千円か…去年よりも減ったな…。不景気でお偉さん達の財布の紐が固くなったか?」
カミルから見て左斜めにある、向かいの席に座っている男は、背伸びするようにして背もたれに寄りかかり、ため息混じりに言った。
呆れ加減ながらも、カミルはそれを諌めるようにしてキツイ口調で言う。
「ルーク、愚痴を言っていても何も始まらないわ。その金額内でそれに見合うプレゼントを考え、そしてそのプレゼントを配るのが私達の仕事なのよ」
――彼女達の仕事。それは、決められた予算内で子供達が欲しがっているプレゼントを決め、それを配達するという至ってシンプルな仕事だ。
しかし、彼女達が配達出来る日はたった一日限り。子供達がうきうきする心を抑えながら寝る、クリスマス・イブの夜からクリスマスの早朝までの間のみ。
子供達に気づかれぬように部屋にこっそりと入り、そっとプレゼントを枕元に置き、去っていく。これが、彼女達の一連の作業。
その職業の名前は――<サンタクロース>。
「へーいへい、分かっているよ」
ルークはわざとらしく肩をすくめ、
「ただな、今のおこちゃま共にはちと少ないかな、って思っただけさ」
と、戯けた様子で言った。
彼、ルーク・サンストーンはプレゼント配達要員としてこの会社に勤めている。今のようなやり取りは日常茶飯事で、彼は場を和ませようとしているのか、話の腰を折ろうとしているのか、いつも揚げ足を取ろうとする。
寝癖のような少々くせ毛の強い髪型をしており、いつも眠そうな目つきをしていた。身長はやや高く、カミルより頭半分ほど大きい。歳は二十歳で、カミルと同い年なのだが、いつもそれより二〜三歳ほど高く見られていた。物腰が落ち着いている、と言えば聞こえが良いが、つまるところ、興味が湧かない限り自分から動こうとしないからだった。
同い年は往々にして仲良くなりやすい…筈なのだが、生憎ルークとカミルは仲が悪かった。恐らく、ルークの飄々(ひょうひょう)とした性格と、カミルと生真面目な性格が見事に噛み合わない為なのだろう。
「そうは思わないか? なぁ、ティリス?」
背もたれに寄りかかったまま、ルークは左側に座っている女性に話を振った。
「…なんでそこで私に話を振るのよ。別に金額が減ったって、心のこもっているプレゼントなら、それで良いじゃない」
口を尖らせ、少しだけ動揺しながらもティリスは反論した。
ティリス・ターコイズはルークと同じ役職に居る。ルークよりもティリスの方が経歴が長いのだが、年齢はルークの方が上だった。その為か、こうしてルークからちょっかいを出されることがしばしばある。柔らかな雰囲気を持つティリスだが、いつもからかってくるルークに対してだけはつっけんどんな態度を取ることが多かった。だが、その反応が面白くてルークがちょっかいを掛けているのに、ティリスは気が付いていない。
肩胛骨まで伸びた髪の毛の色は、地毛なのか、光の加減によってオレンジ色に見えたりする。ウォルズほどではないが、彼女の瞳もまた大きく、見る人達を穏やかな気分にさせるような柔らかな顔つきだった。
ルークはニヤニヤと笑いながら、
「ならいいんだけどなぁ…」
と、意味深な言葉と視線をティリスに送り続ける。
その視線を跳ね返すように、ティリスは喧嘩腰になってルークを睨み付けた。
「言いたいことがあるなら、ハッキリと言いなさいよ」
意外、といった様子でルークは眠そうな眼を見開く。
「去年の買い出しの時の話なんだが…。本当に言ってもいいのか?」
うっ、と息を詰まらせ、
「……やっぱ駄目」
ルークから視線を外し、悔しそうに俯いた。その様を見て、ルークは背もたれに寄りかかったまま、かっかっか、とどこか古めいた口調で笑う。
「いい加減にしなさい。職務怠慢で減給湯にするわよ」
カミルの言葉を聞き、ティリスは急いで顔を上げ、ルークは笑うのを止めて姿勢を戻し、背筋を、ピンッ、と伸ばした。
「宜しい」
カミルは満足そうに頷き、再び話を続ける。
「他は大体いつも通りです。細かい所は書類か、クリスマス・イブが近くなったら話し合うことになっています」
「はいはい、はーい!」
一人の少女が、飛び跳ねるようにして勢いよく手を挙げた。その勢いで、左右のおさげがハタキのように揺れる。
「ミア、『はい』は一回ね。それで、何の質問?」
「はーい」
ミアはまるで授業中に当てられた生徒のように、のんびりと立ち上がる。
少女の名は、ミア・フローナイト。ティリスとルークと同じ役職――というより、社長であるウォルズと、会計係であるカミル以外は皆プレゼント配達要員としてこの会社に勤めていた。同じ職種である会社では、もっと役職を割り振って仕事を行っているのだが、如何せん人数が少ない。その為、プレゼント配達要員として務めているが、他の雑務をこなすことも多々ある。
ミアは社内では一番若く、そして一番背が低い。それまではウォルズが一番低かったのだが、ミアが入社したことにより背の順がが変動し、ウォルズは見事ワースト一位を脱出した。その為、社内では、背の順を変えるためにミアを入れたのでは? という噂が一時期流行った。だが結局、真意は確かめられず、闇の中へと消えていった。
小動物を連想させるクリクリとした瞳と、その愛くるしい表情から、この会社のマスコット的存在となっている。カミルが女性として人気があるのならば、ミアは子供として――孫のような存在として、子供が既に成人となってしまった中年の人達に人気があった。
「今回の配達軒数はどのくらい何でしょーか?」
「そうねぇ…」
カミルは手に持った書類のページをめくる。
「まだ完全に決定、って訳ではないけれど、おおよそ四百軒って所かしらね」
ミアは不思議そうな顔になり、首を傾げる。
「あれ? 去年よりも増えているね。本当だったら減るかなーって思っていた――」
そう言いかけ、しまった、という顔になり、口を手で押さえる。そしてすまなさそうに、左に居るティリスの方をゆっくりと見た。
ティリスは優しい笑みを浮かべ、ゆっくりと顔を振る。その微笑みは、大丈夫気にしてないよ、と語っているように見えた。
「……ごめん。言う気はなかったんだけれど…」
ばつが悪そうに、ミアは肩を落として椅子に座る。
「いや、ミアが謝る必要なんてないよ」
手に持ったボールペンでティリスを指しながら、ウォルズは諌めるような目つきでティリスを凝視する。
「去年、あんたはこの会社の沽券に関わるような事をしでかしたんだ。あんたがクビになるどころか、この会社をたたむ羽目になってもおかしくはなかったんだ。けれど、皆が甘かったのか、優秀な人材を手放すのが嫌だったのか、あんたは階級が下がるだけで済んだ。でも――」
ウォルズは右手の親指で、首を横一文字になぞった。
「――次はないよ」
その行動は『クビ』を切る、つまり、この仕事を辞めさせられる、という意味を標していた。
ティリスは強く眼を閉じ、去年起こした『事件』を思い出す。自分の我が儘によって起こした、<サンタクロース>として恥ずべき行為を。
「……はい」
しばらくの沈黙の後、ティリスは蚊の泣くような声で言った。
それを聞き、ウォルズは小さく頷く。それから、
「カミル、粗方の報告は終わったね。ご苦労さん」
微かに頷き、カミルはしずしずと椅子に座る。
「さて――」
社内に漂っている嫌な空気を取り払うように、ウォルズは、バンッ、と机を強く叩き、勢いよく立ち上がった。
「何だかんだと問題がありながらも、この<ヒメヒマワリ>も業績を伸ばしている。これは非常に喜ばしいことだ。このままあの憎っくき<オールファーム>を越したいと、私は切に願っている!」
<オールファーム・ビナー>とは、この業界でもトップに位置する会社であり、従業員数は二百を越し、配達軒数は十数万という大手中の大手だ。<オルファーム>を越すということは、即ち、トップになれ、という事に等しい。
ウォルズを除いた社員全員が、それは無理、と思った。
「そこで、だ。業績を上げるためにも、今回は新しい戦力を導入することになった。まぁ、平たく言えば新人が来るって事だ」
ウォルズは振り向き、後ろのホワイトボートに、計算式やらラクガキやらを消してからデカデカと、『新人!』と書く。
「はいはい、はーい!」
ミアが再びおさげを揺らしながら飛び跳ね、勢いよく手を挙げた。その様を見てルークは、
(あのおさげを掃除に使えないもんかなぁ)
なんてミアに言ったら怒られそうな事を考えていた。
「社長、男の人ですか? 女の人ですか?」
「ふむ、残念ながら今回は男だ。良かったな、男諸君」
男としては、むさい男が来るよりは女の人が来た方が嬉しい。それが、男としての性だと言えよう。だが、ここ、<ヒメヒマワリ>に於いては少々事情が異なっていた。今現在、ここには男が二人しか居ない。しかも、その内の一人は寡黙で、滅多に喋らない。その為、会議や日常会話に於いても、事実上男はルーク一人という事になる。勢力図を均等に計るため、ウォルズが今回男を入れたのだった。
「しかも、今回入ってくれた新人君は、あの<オールファーム>の誘いを蹴ってまでこちらに来てくれたそうだ。まぁ、多分スパイではないと思うから、皆仲良くしてやってくれ。力仕事には向かなさそうな優男だが、鍛えれば使い物にはなるだろう。辞めない程度に扱いてやってくれ。それから――」
「ボス」
そう呼ばれたウォルズは、一瞬眉をひそめる。
「…何か用か? カミル」
「恐らく、その新人君に丸聞こえかと」
カミルは、左の奥隅にある給湯室の扉に視線を向ける。つられるように、ウォルズもそこに視線を向けた。
あー、という意味のない声をあげながら、天上を見上げる。
「まぁ……そういうわけだ」
照れ隠しなのか、ウォルズは頭をポリポリと掻く。
「さ、入ってきてくれ」
ウォルズが合図を掛けると、給湯室の扉が開き、男が入ってきた。
男は、ウォルズが言っていたように、華奢な体つきで、人当たりが良さそうな顔つきの優男だった。
男は緊張した表情のまま、深々と頭を下げる。
「初めまして!」
顔を上げ、大きな深呼吸をしてから自己紹介を始める。
「今回、<ヒメヒマワリ>さんに就職させてもらいました、佐々木――」
ウォルズは、ぎょっ、とした顔になり、
「あっ、バカ!!」
遮るようにして慌てて大声を出し、尚かつ男の口を手で塞いだ。自己紹介の為に言うであろう、彼の『本名』を防ぐ為に。
「あんた、人事部の方から新しい名前を貰ったらだろう!?」
「もがっ」
口を塞がれたまま、頷く。
「ここでは新しい名前を使え、いいな!」
ウォルズは、有無を言わさない剣幕で男を睨み付けた。
「もがもがっ」
了解、という意味なのだろう。再び頷く。
「よし」
ようやく手を離された男は、苦しそうに呼吸をする。ウォルズの握力が強かったのか、口の辺りにはうっすらと跡が残っていた。
<サンタクロース>になると、今まで使っていた『本名』は、この職場に居る限りの間は、使えない事になっている。その理由は、自分の正体(身分)を隠すのと、<サンタクロース>らしさを醸し出す為だ。これは、日本のみで行われている事で、他の国では行われてはいない。
試験を受け、無事<サンタクロース>になった後、面接とは別に『名付け面接』というのが人事部で行われ、そこで新たな名前――いうなればコードネームが決められる。その人がこの仕事――<サンタクロース>を続ける限り、その名前を本名として使っていかなければならないのだ。自分の『本名』を謝って名乗ってしまった場合、減給などの処罰が下される事があるので、元々給料が少ない人達などは特に気をつかっている。
ウォルズに釘を刺された男は、場を取り直すように咳払いをし、改めて自己紹介を始める。
「えー、僕の名前はハシナ・セレナイトと言います。いきなりポカをやらかしてしまいましたが、今後はそういうことがないように努力していくつもりです。どうぞ、宜しくお願いします」
そう言い、ハシナはもう一度深々と頭を下げた。
「ティリスです。宜しく、ハシナ君」
「ルークだ。まぁ、程良く頑張れよ、新人」
「ミアだよ。よろしくね、ハシナさん!」
「カミルよ。良い成果を出すことを祈っているわ」
「ウォルズだ。社長とでも呼んでくれ」
各々が各々なりにハシナを歓迎していく。礼儀正しく御辞儀をしたり、背中をポンっと叩かれたり、両手で握手をされたり、挨拶を交わす程度だったり、手をひらひらとさせるだけだったりと、実に様々だ。
「あ、ありがとうござ――」
ハシナは感極まってお礼を言おうとするが、カミルの左隣に居た大男がのっそりと席から立ち上がったのを見て、『ざ』を発音する口の形で凍り付く。
まるで地響きでも起きそうな歩調で男は歩き、ハシナの前に立つ。ボールペンが差してある胸ポケットが、彼の目の前にあった。
ハシナはゆっくりと視線を上へとスクロールしていく。すると、そこには確かに男の顔があった。
「で、でかい……」
ハシナは無意識の内に、思ったことをそのまま口に出していた。
例えるならば、それは山。身長はハシナの頭一個分大きく、体格も二回り程大きかった。
男は何も言わず、ハシナを見下ろす。
「な、何か…?」
何とか用件を聞こうとするが、気圧されて一歩後ずさる。
そして男は、呟くようにして、
「……宜しく」
とだけ言い、そっと右手を差し出した。
「……え?」
それが握手を求める手だと気づくのに、ハシナは数秒ほど掛かった。
「……あ、握手ですね。はい」
怖ず怖ずと、ハシナはそのゴツゴツとした手を握る。男の掌も大きく、体格同様二回り程の違いがあった。握手と言うよりは、ハシナの手を包み込んでいると言った方が正しいだろう。
「……うむ」
男はそれで満足したのか、言葉少なく元居た席に戻っていく。ハシナは握手した手を下ろすことも忘れ、ただ呆然とその男の大きな背中を見ていた。
「山さんだ」
「…へ?」
ウォルズはボールペンで男を指し、もう一度言う。
「だから、あいつの名前が山さんなんだよ。本名はマウンテンなんだが、呼びづらいからそう呼んでいるんだ」
ハシナはもう一度『山さん』と呼ばれた大男を見る。そして、
(本当に見たまんまだなぁ…)
と、率直に思った。
山さんこと、マウンテン・ジャスパーはウォルズに次に古参である。ただ、年齢は山さんの方が上だった。それは、ウォルズの後に彼がここに就いたからだった。
山さんは、とある出来事によってちょっとした有名人になっている。それは、人事部による『名付け会議』の時、名前を考える人達全員が『マウンテン』という名前以外全く思い浮かばなかった、という珍事が起こった為だ。人事部は、見たまんまでは可哀想だ、ということで後日、人を変え、改めて人を考えようとしたが、どうしてもその名前以外思い浮かばず、結局、彼を『マウンテン』と名付けることとなったのだ。
名は体を表すように、体格は隆々たる筋肉で形成されており、格闘技選手に間違えられることもしばしばあった。しかし、それはあながち間違いでもなかった。山さんは高校を卒業するまで柔道をしており、しかも全国に行くほどの実力者なのだ。多少劣ったとはいえ、鍛え上げた筋肉はまだまだ健在だった。髪は短く、顔はやや骨張っているものの、表情はおおらかで、開いているのかどうか分からない瞳は、不思議と優しさが感じられた。
自己紹介が終わり、ウォルズは未だしょんぼりしているティリスに声を掛ける。
「皆の自己紹介も終わったことだし、ティリス。工場に行きながら町案内でもしてやってくれ」
「工場…ですか?」
「そうだ。人事部の手続きが遅れて、ハシナの入社日が遅れてな。ただでさえ少ない訓練期間が更に短くなったんだ。だから、早速で悪いが訓練を始めてもらうことになってな」
ウォルズは机の引き出しからカードを取りだし、ハシナに向かって放り投げる。それは、クレジットカードのような形で、表の右上にはハシナの顔写真が貼ってあった。
「そいつがお前さんの身分証明書登録カードだ。無くすと降格処分を受けるから、気を付けろよ」
ウォルズは大きなため息をはきながら、どっかりと席に着く。
「以上で会議は終了だ。ミア、ルーク、カミル、山さんはプレゼントのリスト作成に取りかかってくれ。ティリスとハシナは工場へ行ってこい。解散!」
→
<サンタクロース>という職業が出来たのは、今から八十年近くも前の事になる。
この会社には、社長というのは存在しない。代わりに、<長老>と呼ばれる人達が五人居る。何故社長という存在を作らなかったのは定かではないが、ともあれ、実質のこの五人が会社のトップを担っていた。
その<長老>達の一人が、この地球に初めて降り立った――いや、『不時着』した事から<サンタクロース>の歴史が始まる。
<長老>達は人間ではない。かといって、妖精でもなければ、天使でも悪魔でもない。
彼らは、宇宙人――つまるところ、『地球外生命体』なのだ。
『不時着』してしまった宇宙人は、生きるために、そこでとある商売を始める。それが、<サンタクロース>だった。
そして、彼を助けに来た仲間達と共に会社を設立させた。
その名前は――<クリスマス・カンパニーズ>。
<クリスマス・カンパニーズ>というのは、クリスマス限定のプレゼント配達をする、という一風変わった業務内容の会社だった。クリスマス限定と決めたのは、<長老>達が話し合った結果、そうなったらしい。残念ながら、事の詳細は<長老>達以外、誰も知らない。
最初はトルコ近辺だけで経営をしていたが、噂が噂を呼び、様々な国が彼らに仕事の依頼をしてきた。
今までは五人でプレゼントを配達してきた彼らだったが、その人数で全世界の子供達に配ることなど、不可能としか言えなかった。
そこで彼らは人員補給の為、地球の人達を雇う事を決意する。<サンタクロース>という存在を信じているかどうか、というのを採用の条件として。
しかし、当然と言うべきか、様々な問題点が浮上してきた。それは、彼らの持つ技術は、いわゆるオーバーテクノロジーだったということだ。
例えば飛行機。八十年前の日本でというと、単葉機が主流だった。航続時間は約五時間程で、最大速度は時速130Km程だったらしい。そんな時代なのに、彼らの持つ飛行機――<ソリ>の能力は、まさに桁違いのモノだった。航続時間は補給無しでゆうに二日以上飛行が可能で、時速に至ってはマッハを超す。
こんなオーバーテクノロジーを手に入れた瞬間、国同士の軍事バランスは崩れ、手に入れた国は他国を蟻を踏み潰していくが如く、屍を積み上げていくだろう。
彼らは悩んだ。そして、ある解決策を思いつく。
それは、地上ではなく空に――<サンタクロース>達の為の国を作ろう、というものだった。地上であれば、何かの拍子でバレる可能性が強い。だが、空中であればその可能性は極端に低くなるからだ。
岩石を集め、地球を真似て丸くしたモノを空に浮かした。直径は三十四Kmで、地球の約四百分の一にあたる大きさだ。それを国ごとに浮かべ、そこを各国の<クリスマス・カンパニーズ>支部にし、技術の漏洩を防ぐことに見事成功した。
そらに浮かせた塊達はバラバラだが、それらを総称して<バイナフトマン(クリスマスの人)>と名付けた。それが、彼ら<サンタクロース>達の国家名だった。
続いて会社の仕組みなのだが、基本的な所は地上にある会社と何ら変わりない。社長が居て、部長が居て、課長が居て、平社員が居る、といった具合だ。いわゆる、縦社会形式だった。
だが、やはり<サンタクロース>という特殊な職業なだけあって、特殊な部署も多々存在している。
まずは、人事部。これは何処の会社にもある普通の部署なのだが、<クリスマス・カンパニーズ>に於いては仕組みが少々異なっている。
人事部は、大きく分けて二つある。
一つは、人事の異動、採用の有無、などのデスクワークスを主にしている、屋内派。
そしてもう一つは、別名『サンタ・スカウター』と呼ばれ、地上に居る<サンタクロース>に憧れる人達や、<サンタクロース>を信じている人達などにこの職業があることを教え、ここに就職することを促す事を主にしている、屋外派。
地上では、<クリスマス・カンパニーズ>という会社は、一般的には知られていない。それは、サンタクロースという童話の存在となったモノは知られていても、<サンタクロース>という職業があることは、業務に携わる者以外には秘密とされている為だった。その為、『サンタ・スカウター』達が直接彼ら(<サンタクロース>を信じている人達など)の所へ赴き、個別に試験を受けさせる事となっている。
見事試験に合格すれば、人事部から新しい名前を貰い、晴れて<サンタクロース>の一員となることが出来るのである。
次に、最も人員が多く、この会社に於いて最も必要不可欠なのが、プレゼント配達係だ。地位はピンキリで、何も知らない新人から、日本支部局長に匹敵する程権力がある者まで居る。
彼らの主な仕事は、プレゼント配達ではなく、書類整理なのだ。これは、彼らが本当に必要になるのはクリスマスの日だけなので、シーズンが近くなるまでは訓練以外することがなくなってしまう。その為、人員を有効利用するために編み出した策が、自分達の配るプレゼントは自分達で管理する、というモノだった。言い換えれば、その会社で配るプレゼントはその会社で管理するように、という事になる。勿論、地上や上部からも書類整理の依頼をされることもある。だが、このシステムにより、彼らが給料泥棒と呼ばれることもなくなり、尚かつ作業効率の向上にも繋がったのだった。
他にも多々部署があるのだが、それは追々説明するとしよう。
日本支部が出来たのは、今から約四十年程前の事だ。<サンタクロース>という言葉に馴染みがなかったのか、あまり社員数は芳しいモノではなかった。更に、国も――プレゼントのお金は、その国の税金によって賄っている。子供を持つサラリーマン(OLも含む)達は、知らず知らずの内にプレゼント用の税金を徴収されているのだ――お金を渋り、ろくな活動が出来なかった。だが、年月が経つにつれて馴染んでいき、業務を滞りなく運営することが出来るようになった。
日本支部が出来てから、四十年が経過した今――。
※
「それから四十年後、現在日本支部には十社あるの。一番大きいのは、さっき社長が言っていた三番の<オールファーム・ビナー>。で、私達の会社は六番目で、みんなは<ヒメヒマワリ>って言うけれど、正式には<ティファレト・ヒメヒマワリ>って言うの」
ちょっとした疑問を感じ、ハシナは手を挙げる。
「ティリス先輩、番号が振ってありますけれど、それは何故でしょうか?」
ティリス先輩。そう言われ、ティリスは少し上機嫌に説明する。
「それはね、ここに出来た順番を標しているの。つまり、<オールファーム>が上から三番目に古く、<ヒメヒマワリ>が六番目に古い、って具合にね。…ただ、<ヒメヒマワリ>だけは異例らしいの。本当は一番新しい会社なのに、欠番だった六番目を貰ったらしいの。残念だけど、私は詳しく知らなくて…」
なるほど、と呟きながらハシナは大きく頷いた。
ウォルズに言われた通り、ハシナはティリスと一緒に工場へと向かうため、<サンタクロース>の歴史について話つつ、石畳の上を歩いていた。
それにしても、ここは本当に日本なのだろうか。そんな事を思いながら、ハシナは辺りを見渡す。
草の生い茂った平原が遠くまで広がっており、そこに線を引くようにして車一台分程度の石畳が敷かれ、思い出したように古い建物が建っている程度だった。旅行のパンフレットに載っている田舎のイタリアを彷彿させるような、そんな情緒ある風景だった。しかし、いや、やはりと言うべきか、どう見ても日本の建物にしか見えないモノもあった。後方に見える、<ヒメヒマワリ>もまた町役場を彷彿させるような作りだった。
一貫性がないなぁ。それらを見て、ハシナは思わず苦笑した。
前方の方には、大きな噴水と大きなもみの木があり、辺りに点々とベンチがあることから、広場だとハシナは推察する。
「ここが中央広場だよ」
噴水の前に辿り着くと、ハシナの思った通りここは広場だった。丁度円形になっており、上から見るとこの広場はドーナッツのように見えるのだろう。
囲むようにして会社が三つあり、ティリスはその一つ一つを指差して説明していく。
一番目の<エレメント・ケテル>。番号が標すように、ここが日本支部初の会社だった。木造立てで、あちらこちらに補修の跡が見受けられ、四十年という歴史の重みを感じさせる。
続いて、二番目の<コクマ・ウィズダム>。こちらも木造立てなのだが、<エレメント>よりは若干新しく感じた。それもその筈で、<エレメント>の十年後に立てられたモノらしい。だが、<エレメント>同様補修の跡は多々見られた。
そして、三番目の<オールファーム・ビナー>。日本支部最大の会社で、建物の大きさは業界でも一、二を争う規模であり、新築マンションを思わせるような真新しい外装をしている。
この三つの会社は、通称『三つ巴』と呼ばれ、日本支部の要となっている。だが、実際は<オールファーム>が日本支部を担っていると言っても、過言ではなかった。
中央広場を抜け、少し歩くと、木造立てアパートのような古びた建物が見えた。ハシナはウォルズに言われていた事を思い出し、立ち止まってティリスに質問する。
「そういえばティリス先輩。今日から年明けまで<ヒメヒマワリ>専属アパートで寝泊まりするように言われたんですけど、ティリス先輩達もそうなんですか?」
先を歩いていたティリスがくるりと回り、
「うん、そうだよ。というより、私はそこで暮らしているんだけれどね。あと、私の他にも暮らしている人達は居るよ」
視線を宙に漂わせ、指を折りながら名前をあげていく。
「社長やルーク、カミルさんにミーちゃん、あと山さん…って、よくよく考えたら、ハシナ君以外全員暮らしているね…」
あはは、とティリスはごまかすようにして笑った。
会社ごとに専属アパートが設置してあり、社員は年末になるとそこで寝泊まりすることが多くなる。基本的には無料――会社によっては給料から天引きされる事もある――なので、本当のアパートのように暮らす人達も当然出てくる。
「さ、行こうか」
軽いステップを踏むように、ティリスが歩き出す。それに続き、ハシナも歩き出した。
「それにしても、不思議ですよね。こんなでかい岩の塊が浮かんでいるなんて…」
先を歩いていたティリスが再びくるりと回る。すると、スカートの裾が舞うようにたなびいた。
「そうでもないわよ」
後ろ向きに歩きながら、ハシナの質問に答える。
「ラピュータって知ってる? 空中に浮かんでいる岩石の島なんだけれど、そんなのがあるくらいだから不思議ではないと思うわ」
ラピュータとは、ガリバー旅行記に登場してくる空飛ぶ島の事だ。リューシャン列島の南あたりでルミュエル・ガリバーは海賊に襲われ、丸木船で海へと放り出されてしまう。漂流の末に着いた島で、彼はその空飛ぶ島を目撃する事となったのだった。
「この岩石の塊が浮いていられるのは、中心に磁力を出す装置があって、地球との『斥力』を調整して浮遊しているらしいの」
「斥力ですか? あの、磁石とかの?」
「そう、まさにそれなの」
ティリスは両手の人差し指を立て、それをくっつけて見せる。
「S極とN極だと、こんな風にくっつかるけれど、S極とS極なら…」
両手の人指し指を大げさに弾いて見せた。
「反発し合うってワケなのよ。面白いことに、これ、ラピュータと全く同じ原理なのよね。ガリバー旅行記の方だと、巨大な天然磁石を使っていたらしいんだけれど、もしかしたら、『巨大な天然磁石の形をした装置』だったかも知れないのよ。<長老>達がもたらしたオーバーテクノロジー同様、ラピュータの人達もまた『宇宙人』なのかも知れないわ」
「へぇ〜…」
少し熱が入って力説するティリスを、ハシナは感嘆の息を漏らしながら聞いていた。ハシナは昔からこういった話が好きだったので、余計に聞き惚れていたのだった。
「いや、参考になります。物知りですね、ティリス先輩は」
「そう? なんだか照れるなぁ…」
嬉しいと感じながらも、気恥ずかしいのか、照れ隠しにティリスは頬をぽりぽりと掻く。
見かけよりも、子供っぽい仕草が多いんだなぁ。そんなティリスの行動を見ていて、ハシナはそう思った。
ふと、ティリスの頭の上に何か細長いモノが見える。
「あ」
それに気づいたハシナは、素っ頓狂な声をあげた。
「え?」
つられるように、ティリスも素っ頓狂な声をあげた。ハシナの視線が自分の後方に向けられていると分かったティリスは、振り向こうとした。
――が、
「うぁっ!?」
ゴン、とやけに鈍い衝撃音が、辺りに響いた。
「――――っ!?」
声にならない声をあげ、半ば倒れるような勢いでしゃがみ込み、ぶつかった場所であるおでこを必死に押さえる。
(うわ、痛そう…)
我が身であるように、ハシナも痛そうにおでこを押さえ、顔を歪めた。
「だ、大丈夫ですか…?」
ハシナはおろおろとしながらも、声を掛けた。返事の代わりに、大丈夫だから、という意味合いを込めて何度も頷く。だが、痛みのあまりにぷるぷると小刻みに震えるその姿は、誰がどう見ても大丈夫そうには見えなかった。
ハシナはティリスがぶつかった物体――看板を見上げる。そこには、店名と同じ名前の色合いで、<オレンジ>書かれてあった。ティリスがぶつかったであろう場所を見ると、少しだけ凹んでいた。看板は鉄製である。それを凹ます衝撃が、おでこを襲ったとしたら…。そんなことを想像し、ハシナは再び顔を歪めた。
左を見ると、そこには何とも懐かしい建物があった。昭和の飯屋を絵に描いたような、古典的とも言うべきそこにあった。ハシナは、実際にこのような建物を見たことはない。だがそれでも、涙を誘うような懐かしさを押さえることは出来なかった。
「なんだいなんだい? えらく鈍い音がしたけれど…」
店内から、体格の良いおばさんが心配そうな顔をして店内から出て来た。片手には空の中華鍋が握られている。三角巾を頭に被り、白い割烹着を着ており、醤油やらソースやらケチャップやら跳ねた跡があった。
看板の下で苦しそうにしゃがみ込んでいるティリスを見た後、その上にある看板を見る。さっきよりも窪んでいる事に気が付いたのか、
「前方不注意。いや、アンタの場合だと後方不注意かしらねぇ…」
頬に手をあてて、ため息混じりに言った。
「おや? アンタは見たことない顔だけれど、新人さんかい?」
「あ、はい。今度から<ヒメヒマワリ>でお世話になるハシナです」
そう言って、深々と御辞儀をした。それにつられ、おばさんも軽く御辞儀をする。
「うう…」
蹌踉めきながらも、ティリスは何とか立ち上がった。痛みを取り払う為なのか、意識をしっかりさせる為なのか、頭を二〜三度振るう。
「ハシナ君…。このおばさんは、<オレンジ>っていうここの飲食店の店主さん…」
まだ意識が朦朧としているのか、幽霊のようにゆらゆらと揺れ動く。
それを見て、おばさんは再び頬に手をあて、ため息をはく。
「全く…新人の前でこれじゃあ示しがつかないねぇ…。そうだ、ハシナ…だったね。ちょっと待ってな」
急いで店内に戻っていき、おばさんは中華鍋の代わりに何かが袋一杯に詰まった白いビニール袋を持ってきた。
「ほら、ささやかな新人祝いだよ。後で食べな」
そう言って、それをハシナに差し出す。
「あ、ありがとうございます」
御辞儀しながら受け取り、そっと中身を確認した。パン…いや、焼きそばも見える。そう、それは焼きそばパンだった。しかも、袋の形が変形するほど大量の焼きそばパン。それ意外の種類は見当たらなかった。
「よ、良かったね、ハシナ君…。おばさん、ありがとね…」
相変わらず蹌踉めきながらも、ティリスはおばさんに礼を言いながら御辞儀をした。
初の新人祝いを貰って憂いに思うハシナだったが、その反面、
(なんで焼きそばパンだけなんだろうか…? しかも、こんなに大量に…?)
という疑問は尽きなかった。
【続】
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2005/03/11(Fri)21:15:42 公開 /
rathi
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rathiさんにあります。無断転載は禁止です。
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■作者からのメッセージ
ども、この小説もだいぶマシになってきたかなぁー、と思っていたりするrathiです。
結構、いやほとんど修正しています。
基本的な流れ、伏線、人物とかは全くいじってませんが、描写はほとんどです。
やや淡々とした流れにしようかと思ってましたが、心理描写を強くしてみようとマイナーチェンジ。
多少は読みやすく、分かりやすくなっているかと……。
説明文も随分と追加しました。
もう、ここまでいったら趣味の限りを尽くしてやろうかと思っていたり。
尚、こちらを読んだ方は新しい方に書き込みしてもらえると助かります。
後編の続編、続きを楽しみにしている方には申し訳ないですが、修正が終わるまではむりっぽいです。
ではでは〜