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『牙』 作者:渚 / 未分類 未分類
全角4826.5文字
容量9653 bytes
原稿用紙約14.3枚
「なんかさ、遠藤さんって取っ付きにくくない?」
「あー、思う!!なんかさ、いつも虚ろっていうか…」
「ネクラっぽいよねー」
きゃっと笑い声が上がる。聞こえてるよ、思いながらごろんと横になる。屋上の倉庫の影。ここが、あたしの定位置。どうやら、屋上でお弁当を食べていたらしい女の子たちが屋上から出て行ったようだ。お弁当の話題は、あたし。
まあ、今更どうとも思わない。高校に入ってから2年半、ずっとこんな調子。いや、小学生のときからそうだっただろうか。
うんざりして前髪をかきあげる。本当は傷ついてるくせに。心の奥まで見せられる友達なんかいない。でも、だからって自分にまで嘘をついてどうするのだろう。強い自分、それに憧れている事の象徴なのかもしれない。あたしは弱い。だから、友達がいないのだ。いや、別にいじめられたり、避けられたりしているわけじゃない。あたしがみんなを避けているのだ。あたしがみんなの輪の中から逃げているのだ。あたしは怖い。自分が傷つくことじゃない。相手を傷つけてしまうことが、たまらなく怖かった。



慰緒、と書いてイオと読む。両親も皮肉な名前をくれたもんだな、と思う。大体、娘の名前に「慰める」なんて漢字を入れることがおかしいのだ。まあ、今更どうなるというものでもないが。
両親は、いい人だと思う。あたしを優しく、厳しく支えてきてくれた。両親には感謝してる。でも、たまにたまらなく彼らが憎い時がある。いや、憎いなんてレベルじゃない。それは、殺意だった。
初めてそれを感じたのは、確か小学校6年生のときだった。宿題をしていたあたしに向かって、お母さんは何気なく、どことなくうれしそうに言った。
「イオ、今度のクリスマス、うちでクリスマスパーティーしようと思ってるの。お友達たくさん呼んでいいわよ」
その一言が、あたしの心にどれだけ影響を与えたか。
お母さんに、悪気はもちろんない。きっとお母さんは、あたしが昔と同じように、友達がいる、一般的な子供だと思ってたんだろう。友達?そんなもの以内。誰かを傷つけることが怖くて、逃げているあたしに。
昔はこんなんじゃなかった。普通に友達がいて、家に連れてきたり、相手の家に行ったりしていた。
あの時からだ。あのときから、人を傷つけるのが怖くなった。いや、取り返しがつかないほど、相手に深い傷を負わせてしまった自分自身が恐ろしくなったのだ。あそこまで相手を傷つけることができた、自分が。



「イーオ!!」
無邪気な笑顔を浮かべて、恭一が手をふっている。あたしも手を振り返す。
「遅かったな」
「ごめん」
あたしはそれっきり黙りこんだ。変に言い訳したくなかった。あまりしゃべると、また相手を傷つけてしまいそうで、怖かった。だから、必要最低限にしか口を利かない。
恭一はあたしがただ一人、ほんの少し心を許す人だ。本当は誰かと関わるのは怖かった。でも、誰かと関わっていないと、コミュニケーションのとり方を忘れてしまいそうで、それも怖かった。
恭一は一瞬目を伏せたが、すぐに微笑んだ。
「ごめんな、急に遊ぼうなんて。忙しかったんじゃないか?」
「ううん。べつに」
「そう。なら良かった。どこ行く?」
「どこでも。恭一が行きたいところでいいよ」
恭一としゃべっていても、あたしの心はどこかへ行っていた。あたしは、牙を恐れている獣だ。でも、あたしは狼の牙におびえている小鹿じゃない。その小鹿を傷つけた自らの牙を恐れる、狼のほうだ。
昔のあたしは、狼だった。小鹿を狩ることに生きがいを感じていた、肉食の獣だったのだ。





枝理。
あたしが名前を呼ぶだけで、彼女はすくみあがっていた。おどおどした目つきであたしのほうに気、おずおずとあたしを上目遣いで見上げる。追い詰められた小鹿。いつ牙が襲ってくるか、いつ命を絶たれてしまうのか、それにおびえきった目。そんな枝理に、狼のあたしは、容赦なく牙を突き刺す。彼女のほっぺたをつねり、はたき倒す。枝理はか細い悲鳴をあげて床に倒れる。あたしは倒れこんだ枝理のお腹を思い切り蹴る。枝理がぐぇっと音を立てて、嘔吐する。
キッタネー、オマエ、チョーキモイヨ。シネヨ、バーカ。
枝理がその細い体を小さく震わせて、泣きはじめた。かわいそうな血まみれの小鹿。あたしはもう一発、彼女の体に牙を立てる。頭を踏んづけられて彼女は、わっと泣きはじめた。あたしは床に突っ伏して泣いている枝理をあざ笑いながら、その場から立ち去る。血がついた牙を、満足げに舐めながら。
あたしは、いわゆるいじめっ子だった。枝理はおとなしく、線が細い子で、当時4年生だったあたしにとって彼女は格好の獲物だった。誰もいないところで暴力を振るい、暴言をわめき散らし、陰で嘘の噂を立てた。枝理のほうを見てこそこそ話すクラスメートたちを見て、泣きそうな顔をする枝理。その顔を見るのは、残虐な快感があった。狼の食欲をそそる、あの恐怖と絶望にゆがんだ顔。
気が弱い枝理は、このことを先生に言えなかった。もともと引っ込み思案で友達がいない様な子だったので、先生たちも枝理が一人でいることに疑問を感じなかったらしい。それをいいことに、あたしのいじめはどんどんエスカレートしていった。
5年生になっても、それは変わらなかった。殴っても蹴っても何を言っても抵抗らしい抵抗を見せない枝理は、最高に仕留め甲斐がある獲物だった。少しずついたぶって、最後は最高に残酷に殺してやる。狼は、冷たく笑う。
その日も、いつもとなんら変わりはなかった。あたしは相変わらず枝理をいじめていた。枝理は相変わらず体を丸めてただやられるがままになっていた。あたしは思いっきり、枝理の胸を蹴った。それと同時に、枝理は血を吐いた。あたしは思わず、手を止めた。枝理は床に手を着きむせ込みながら血を吐いている。あたしはただ、見ていた。なぜだろう。今までだって自分の牙には、大量に彼女の血がついたはず。それなのに、枝理が吐いたそれは、何か特別なもののような気がした。
「…気持ち悪い」
無意識のうちにそうつぶやいていた。枝理はようやく血が止まり、床に手をついたままぜえぜえ言っていた。なぜだろう。枝理が吐いた、あの真っ赤な液体。なぜかそれが、たまらなく気味が悪かった。
あたしは長いこと枝理を見下ろしていた。やがて顔を上げた枝理は、あたしが今まで見た事がない顔をしていた。口の周りに血をつけ、涙が目から溢れ出し、顔がべちゃべちゃになっている。だが、枝理の目は、いつもの追い詰められた小鹿の目じゃなかった。それは、怒りに燃えていた。彼女は突然大声でわめき散らした。
「何なの!?あなた一体何なの!?私があなたに何したの!?」
あたしはぽかんとして枝理を見つめた。小鹿がはじめて、狼に角を向けた。突然のことに、狼は唖然とする。
「答えてよ!!ねえ、どうして私がこんなことされなくちゃいけないの!?あなた、最低よ!!人間として!!腐ってる!!腐ってる!!!!!」
枝理は突然ぱっと立ち上がり、駆け出した。逃げ出した獲物を、あたしは反射的に追いかけた。枝理は屋上への会談を駆け上った。あたしと枝理との間には、結構距離があった。上のほうで、屋上へと続く鉄の扉が閉まる、ガチャンという重い音がした。あたしも急いで階段を駆け上がり、そのドアを開けた。そこであたしが見たのは、屋上から地上へと落ちていく、枝理だった。



思わず口をぱっと押さえる。あたしはぱっとすぐそこにあった公衆トイレへと走った。恭一が驚いて声をかけるのを、背中で聞いた。個室へ駆け込み、激しく嘔吐する。酸っぱい味が口いっぱいに広がり、顔をしかめる。
あたしが枝理を殺した。それは、疑いようのない事実。だが、そのことは学校に、そして、世間には広まらなかった。あたしが枝理をいじめていたことはみんな知っていただろうが、もし言えば、自分たちも枝理と同じ目にあうと思ったのだろう。結局、枝理が死んだ原因は、迷宮入りした。
あの日以来、あたしは牙を恐れた。血にまみれた、汚らわしい自分の牙。枝理を追い詰め死に追いやった、あたしの牙。あの日、あたしは泣いた。泣けば何もかもがなくなるような気がした。枝理が吐いた血、最後に枝理が見せたあの顔、髪をなびかせ下降していく枝理の背中、枝理が最後に立てた鈍い音、難しい顔をした警官たち、お葬式で泣きじゃくっていた枝理の母親、棺桶の中で静かに眠る枝理、枝理を殺した私自身、血にまみれた牙。この身がなくなればいい。涙と一緒に溶け、川を流れ、冷たく暗い海の底で、永遠に一人で泣き続けられたら…。そう切実に願った。
でも、あたしは生きている。枝理はもういないのに。あれ以来、あたしは誰も傷つけられなくなった。牙は今も、枝理の血にまみれたまま、あたしの中に眠っている。
あれ以来あたしはずっと、カッターナイフを持ち歩き続けていた。なぜなのかはわからない。もし誰かを傷つけてしまったとき、それは自分じゃなくて、このカッターナイフがやったのだ、と心の中で言い訳したいからかな、と思っている。実際のところ、よくわからない。
洗面台で口をゆすぎ、トイレからでる。冷や汗をかいた額をぬぐっていると、真っ青な顔をした恭一が駆け寄ってきた。
「イオ、大丈夫?」
「うん。ちょっと気分悪くなっただけだから」
「ホント?どっか涼しいところで休憩する?」
「いい。ありがと」
「でも、顔色悪いよ。やっぱ休んだほうが…」
「いらない」
あたしは大きく息を吸い込んだ。と、ふと妙な視線を感じで顔を上げた。と、同時に悪寒が走った。恭一があたしを見ていた。でも、その目はいつもの優しい目じゃない。怒りに燃えた目。…あの時と同じ、枝理と同じ。彼はゆっくりと口を開いた。
「イオはいっつもそうだ」
「…何が?」
声が震えた。恭一の顔が、どうしても枝理の顔を思い出させる。
「俺がいろいろ気を使っても、にこりともしない。いつも一言で終わらせてさ」
「それはっ…」
あなたを傷つけたくないから――その言葉はのどに引っかかって出てこない。最低限、あたしの意思が伝わるようにしかつむいでいない、あたしの言葉。
「正直言ってさ、うんざりなんだよ。俺がどんだけ傷ついたと思ってんの?」
愕然とした。ショックだった。そのショックで体が砕けるんじゃないかと思うぐらい、大きな衝撃だった。傷つけないようにしてきたつもりが、逆に彼を傷つけ続けていたのだ。封印したはずの牙はひっそりと、彼を傷つけていたのだ。
どうしてだろう。どうしていつも、うまくいかないんだろう。
「もう付き合いきれないよ。正直、絶望したよ」
どうして、あたしばっかりこんな目にあうんだろう。枝理が死んだあの時、あたしは心を入れ替えた。あたしなりの方法で他人を思ってきた。
「じゃあな」
それなのにどうして、あたしばっかりこんな目にあうんだろう。誰かの牙に傷つけられないといけないんだろう。

アタシハ、コジカジャナイヨ―――
アタシハ、カラレルホウノニンゲンジャナイ―――


胸の中から何かがあふれてくるのを感じた。それは、殺意だった。狼は再び、牙をむいた。一度封印した血塗られた牙をよだれで光らせ、獲物を見つめていた。今、自分に背を向けた男に。
ポケットに手を伸ばす。すぐに硬いものが手に当たり、それを引っ張り出す。かちりと刃を出すと、それは太陽の下で銀色に輝いた。あたしはうっとりとそれを見つめた。今ようやくわかった。カッターナイフを持ち歩いていたのは、自分で言い訳するためじゃない。これが、あたしの新しい牙なのだ。血に穢れ、もう使い物にならない古い牙に次ぐ、あたしの新しい牙。あたしはゆっくりと恭一の背中を眺めた。少し小走りで彼に追いつく。
狼が牙をむくと同時に、刃はきらりと輝いた。


                                fin
2004/12/10(Fri)21:53:54 公開 /
■この作品の著作権は渚さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
ようやくテストが終わり、「さあ、描くぞ!!」と思って書いたのがこれってどうなんでしょう;しかも短い。
残虐な女の子がかきたかっただけな様な気がします;でも、それ自身は結構楽しかったです^^
目を通してくださった方、ありがとうございました。意見、感想等お待ちしております。
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