- 『クロウの冒険 1〜2』 作者:一徹 / 未分類 未分類
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全角17037.5文字
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原稿用紙約54.1枚
昔々、あるところに、勇者がいました。勇者は、呪いをばらまき人々を苦しめていた魔物を倒し、世界を滅ぼそうとしていた悪い魔法使いをやっつけたりしていて、崇められていました。
ですが、その勇者もはじめから勇者だったわけではありません。冒険を始めたころは、誰とも変わらない、普通の人間だったのです。
第一話
その日も、女、エフィアは冒険に出るため、『白銀の波止場亭』で、準備していました。『白銀の波止場亭』は、裏通りに面し、古くさく、テーブルなどをとめる金具は、ところどころさび付いていましたが、近頃大通りにできた、騒がしいものとは違い、一日中静寂に包まれていて、落ち着けるので、エフィアは好きでした。
「エフィア、今日は、どこに行くんだい」
マスターは、あごひげを蓄えた、実に器量の大きそうな人物で、グラスを拭きながら、エフィアにたずねました。
「そうですね……紫森か、海の遺跡か」
「ちょうどよかった。紫森に行くんだったら、そこに生えている、野草を取ってきてくれないかい。もしくは、海で貝でも、魚でも。適当に換金するから」
わかった、とエフィアは返事をして、荷物を整えていました。
「よし、できた」
エフィアが意気込んで、亭を出ようとしたときでした。少年が一人、入ってきたのです。
「こんにちは」
「ああ、いらっしゃい」
少年は、『白銀の波止場亭』の中を見渡し、たずねました。
「誰か、冒険者はいませんか?」
「ああ、冒険者を探しているのかい。それなら、そこのお嬢さんが、冒険者だ」
少年は、エフィアに近づき、急に真剣な顔になって頭を下げ、こういいました。
「お願いします、俺を冒険に連れてってくれませんか」
「はあ」
「実は俺、ああ、クロウと申しますが」
「いいよ、続けて」
「初心者なんですよ」
「初心者なら、初心者らしく初心者と一緒に冒険に行けばいいだろう」
「いえ、それが」
少年、クロウはわけを話しました。
「へえ、クロウ君は弱すぎるのか」
「はあ、どうも、そうみたいなんですよ。それで誰も仲間に入れてくれなくて」
「それは災難だったなあ。初心者だったら、弱いのは当然なのに」
エフィアは、パーティーに入れてやることにしました。
「ああ、ありがとうございます。このまま一生弱かったら、どうしようかと心配してたもので」
「それで、クロウ君。君のレベルはいくつだ」
「1です」
エフィアは閉口しました。
「なかなか、すさまじい初心者だ。なんていうか、冒険初めてですっていう感じだ」
「初めてって言うわけじゃないんですよ。何回か、そうだなあ、三回ぐらいですか、いってるんです」
「それで?」
「全部、一匹もモンスターを倒せず敗退です」
エフィアは、額に手を当て、ため息をつきました。
「君は、いったいどこでレベル上げをしているんだ」
「え、そこの平野ですけど」
「平野。そこはね、ものすごい初心者向けで、たとえレベル0でも、負けることはないだろうということで有名なんだが」
「へえ、そうだったんですか」
「クロウ君、過去形じゃない。現在進行形だ」
クロウは、ううむ、とうなりました。これほど自分が弱かったとは、夢にも思わなかったのです。
「まあ、なんだ、ちょっと君の強さというものを見せてもらいたいから、平野に寄っていこう」
平野に着いたエフィア一行でしたが、気分は、暗く沈んでいました。平野に来る途中、街道で、弱弱しい、植物の根のような、貧弱なモンスターに襲われ、結果クロウが瀕死になったからでした。
薬草をばくばくと食べるクロウに、エフィアは困って確かめました。
「クロウ君。さっきのモンスターは、平野で出てくるものより、幾分か弱いよ?」
「大丈夫ですって、きっと。それに、倒したじゃないですか」
「クロウ君、憶えているか、あのモンスターを倒したのは、私だ」
「そうでしたっけ?」
クロウは、首をかしげて、思い出しているようでしたが、目の前を、ぷるんぷるんとした、ゼリー状のモンスターが横切り、韋駄天、駆け寄りました。
「さっきのは、不意を付かれたから、反応が遅れたんです」
「それにしてもだよ、クロウ君、一人でいっちゃ駄目だ、きっと後悔する」
エフィアがそう注意するのに、クロウは早々と、ぷるんぷるんとしたモンスターに、一撃でやられ、地に倒れてしまっていました。
うれしそうにその場を離れていくモンスターは、レベルが上がったようです。
「強いなあ、あいつ」
クロウは、倒れたままいいました。
「クロウ君、あれは最弱モンスターのうちの一つだ」
「そんな。人間を一撃で倒すモンスターが最弱なんて。そんな馬鹿な」
「馬鹿は君だ」
エフィアは、クロウに手を差し伸べました。
「立てるか?」
「無理みたいです。体力0で、しゃべるしかできません」
「ああ、本当、君は冒険者か」
『白銀の波止場亭』に戻ったエフィアたちは、丸いテーブルを一つ借りて、作戦を立てていました。
「おや、エフィア、今日は早かったね。というより、出て行って一時間もたっていないようだけど」
「マスター、気にしないでください」
「そうですよ、きっと、今度こそ大丈夫です。さあ元気になった、平野に行きましょうよ」
「クロウ君、そんなに慌てたって、君の力じゃ、今回の二の舞だ。もうちょっと、考えて冒険するべきだと思うよ」
「エフィアさんは、おかしなことをいうなあ。俺は、いつも考えて冒険してますよ? 考えてなかったら、今頃竜に挑んでるところです」
「竜。レベル1なのに、そんな伝説級のモンスターを敵に回しても、焼かれておしまいだ。いや、炎を吐かれるより前に、踏まれて終わるね」
「日替わりランチ、ください」
「聞いているのか、クロウ君」
「あ、エフィアさんもいりますよね」
クロウは聞いていませんでした。
「なんだ、君は。本当、どうして冒険者なんだ」
「まあまあ、そんなにあわてたって、なにも始まりませんよ。今は腹ごしらえをしましょう」
「なんで君にいわれなきゃならないのか、分からないが、まあ一理ある」
クロウは、出てきたランチのハンバーグを切り分け、口に運びながら、いいました。
「いやあ、それにしても、強かったですね、あのモンスター。名前、なんていうんですかね」
「ゼリーだ。もう一度いうが、あれは最弱モンスターの一種だ。完璧やられ役。私は、長い間冒険してきたが、あのゼリーが、冒険者を倒してレベルアップしている有様を見たのは、あれが初めてだ」
「ゼリー。なんというか、特に『ゼ』のあたりとか、モンスターに秘められた強さというものを感じますね」
「君がそう思いたいのなら、そう思っていればいいさ」
エフィアは、スープに口をつけました。
「マスター、スープ、変えましたか?」
「ああ、それかい。それは、東の国の、味噌、という調味料を使ったんだ。どうだい、なかなかいけるだろう」
「俺としては、元のあっさり目のスープがよかったですねえ」
「クロウ君、君はマスターと初対面だと思うんだが」
クロウは、ずず、と味噌スープを、飲み干しました。新鮮な野菜と、ジューシーなハムをはさんだサンドイッチを、ほおばり、サラダにフォークを突き立て、存分にドレッシングの酸味を味わいました。
「それで、クロウ君、聞きたいことがあるんだが」
「どうかしましたか、エフィアさん」
「君が食べた、それの代金は、誰が払うんだ?」
「え、エフィアさんじゃ、ないんですか?」
クロウは、最後に残ったプチトマトをかみ締めながら、恐る恐る、といったふうにたずねました。
「クロウ君、私は冒険に付き合う、といっただけだ。昼食までおごる、とはいっていない」
「そんな、エフィアさん。俺だって、お金持ってませんよ」
「なに、お金を持っていない。どういうことだ、それは」
「いや、落としちゃって」
はは、と笑いながら、クロウはいいました。
「そうか、落としたのか」
エフィアは、クロウの表情を見て、反省の色が見られないことを敏感に感じ取ると、マスターにいいました。
「マスター、ここに貧乏人がいるんですが、マスターのところで、働かせてもらえませんか」
「エフィアさん、何度言えば分かるんですか、俺は冒険者だって」
「クロウ君、いいか、クロウ君。あのね、君が冒険者だが、レベル1だということについて、何も言うことはない。私だって、初めはレベル1だったんだから、当然だ。だがね、それにしたって、君はあまりにも弱いような気がしてならない。レベル1、ということを差し引いてもね」
「それはエフィアさんの勘違いですって、きっと。エフィアさんは、厳しい冒険で、初心者に対する勘が鈍ってるんですよ、絶対」
エフィアは、考えました。考えてみると、クロウのいったように、本当に配慮がなっていないのかも、と思えてきました。
「確かに、そうかもしれない。私は、長い間初心者の相手をしてこなかった。だから、なのか?」
「そうですよ、きっと」
クロウは力強くうなずきました。
「『がんばれば、きっと上手くいく』です」
「なんだ、それは」
「諺です。俺の」
エフィアは、じっとクロウの目を見ました。
「クロウ君、いいかい。君が、初心者でレベル1で非常に弱く、女に昼食をおごってもらわねば、生きていけないような最低な人間だということは分かった。だがね、ありもしない名言を捏造するのは、どうかと思うよ?」
「はは、エフィアさんは固いなあ。なあに、昼食代は、いつかきっと払いますよ。付けといてください、どうか、この通り、お願いします」
頭を下げるクロウを見ながら、エフィアはいいました。
「しょうがない。今回だけだぞ」
「やった」
「だが、すぐにでも働いて返してもらう」
「ええ、そんなあ。きっと冒険で一つ、大きなのを当てて返しますから」
「君は、なにを言ってるんだ? 君の場合、冒険で大成することはもちろん、ちまちまと微量な収入を得ることも難しい。だから、今のうち、早いうちに返してもらわないと、なし崩しになる。マスター、ということで、ここで働かせてやれないですか」
マスターは、テーブルから食器を下げながら、うなりました。
「あいにくね、うちは人が足りてるんだよ。なにせ、こんな裏通りにあるから、恐ろしく人が来ないし、きたって、せいぜい、一日十人だから、一人で、十分に事足りるんだ」
「そこを、どうか」
「ううん、そういわれてもねえ」
マスターは熟考しました。
「そうだ、知り合いの店が、人手が足りない、といっていたから、そこを紹介してあげよう」
「だそうだ。よかったなあ、クロウ君」
「そんなあ。俺は冒険がしたいですよ」
「わがままを言うな。君は、絶対冒険者に向いてない。だから、その店で頭を冷やしてきなさい」
クロウは、不満いっぱいでした。
クロウたちは、大通りにいました。
「まったく、どうして私がついてきてるんだ」
「それはエフィアさんが、君のことだきっと逃げて帰ってこないって断言して、ついてきたんじゃないですか」
「クロウ君、分からないのか、私が言いたいのはそういうことじゃない。私がついてくる原因を作った君に対する皮肉だよ」
「そうですか。はあ、エフィアさんに冒険を頼んだのが、間違いでしたよ」
「クロウ君、今のは聞き捨てならないね。そんなにいうんだったら、君が馬鹿食いした、薬草の代金も払ってもらうぞ」
「ああ、それは困るなあ」
クロウは、マスターに紹介された店の前に立っていました。『まりー・ごーるど』と書かれた看板が立てられていて、すっぱいような甘いような、いい匂いが漂っていました。
「しかし、マスターは、どうしてこんなハイカラな店を知っているんだろう」
「そんなこと、どうだっていいじゃないですか。もしかして、おいしいケーキをご馳走になったりして」
「クロウ君、趣旨が違ってきているよ」
「やだなあ、エフィアさん。こういうのを、役得っていうんですよ。行きがけのケーキってね、ついてるなあ、俺は」
鼻息混じりに店に入っていくクロウを見ながら、エフィアはため息混じりにあとに続きました。
『まりー・ごーりど』の内装は、『白銀の波止場亭』なんて足元にも及ばないぐらい、テーブルや椅子、カーテンなど、鮮やかでかわいらしく、光を上手に使って店内を広く見せ、これでもか、というぐらい清潔感が保たれ、ショーケースにならぶケーキたちは、イチゴやらチョコやらキャラメルやらシナモンやらでおいしそうにデコレーションされていました。
「やった、この仕事は当たりですね!」
クロウは狂喜乱舞しました。
「君、なにをそんなにうれしそうな顔してるんだ」
クロウがはしゃぎ、エフィアがなだめていると、店の奥から、一人の少女がやってきました。
「あ、クロウ」
少女、クロウを知っているようでした。
「クロウ君、こら、クロウ君。待て、君の知り合いだ。こら、それは模型だ、指を突っ込むな」
「もう、俺うれしくって。ケーキですよ、ケーキ」
ははは、と笑顔満面なクロウを、エフィアは少女のもとへ連れて行きました。
少女は、クロウからあからさまに視線をはずし、店の外を見ています。
「あ、ロールさんじゃないですか」
クロウは、少女の姿を見て、すぐさま名前を思い出しました。
「君の友人か?」
「なんでこんなところにいるんですか。しかも、ショーケースの向こう側に。まさか、ロールさんもケーキ目当てで……」
「クロウ君。友人がすべて君のような性質を持っているとは限らないぞ」
「あら、いらっしゃい」
店の奥から、さらに人がやってきました。今度は、品のある、初老の女性でした。
「こんにちは。あなたたちのことは、マスターから聞いてるわ。よろしくね、クロウさん。私はユレサよ」
クロウはユレサとぎゅっと握手をし、力強くいいました。
「ユレサさん、突然ですが、ケーキをください」
「クロウ君、君には礼儀というものがないのかね。というか、どうしてそんなに意気込んでいるんだ」
「あなた、ケーキが好きなの?」
「大好きです、はい」
クロウは、力強く返事をします。
「なら、ロールと同じね」
いきなり名前を呼ばれて、ロールはびくっと体を震わせました。
「ロールさんも好きなんですか」
「そ、そうね」
「それは良かった!」
「クロウ君、なにが良かったんだ? 張り切りすぎだ、落ち着くんだ」
クロウを落ち着かせた後、エフィアは別段やることもなくなりました。ただ、なにか今日は非常に疲れたので、ケーキの一つでも食べていこうと思いました。
「それじゃあ、クロウ君への初オーダーだ。チョコレートケーキを一つ」
店の奥からエプロンをかけて出てきたクロウに、エフィアはいいました。
「はい、チョコレートケーキですね。少々お待ちください」
クロウはそういって、店の奥にまた入っていきました。
「クロウ、なにをしているの?」
ユレサが心配して、ついていきました。
奥からは、二人の会話が聞こえます。
(まあ、クロウ、なにをしているの!)
(え、なにって。やだなあ、チョコレートケーキを作ってるんじゃないですか)
(それは作っている、とはいわないわ。削っているのよ)
(え、だって、チョコレートケーキっていうのは、チョコレートをケーキの形にしたものでしょう)
(ああ、クロウ、あなたはチョコレートケーキを食べたことがないのね。チョコレートケーキはね、チョコレートを塗ったり、はさんだり、生地に混ぜたりして作るものなの。断じて、すべてがチョコレート、というわけじゃないわ)
(そんな馬鹿な。それじゃあ、チョコレートショートケーキじゃないですか)
(そういうわけじゃないのよ。ショートケーキには、チョコが使われていないんだもの)
(じゃあ、チョコレートの使われている生地に、生クリームを塗ったら、どうなるんですか? それは、生チョコレートショートケーキ?)
(クロウ、あなたはいったいなにを言っているの?)
「…………」
エフィアは、無言で店の奥に視線を送りました。続いて、ヴイィィィン、という轟音とともに、べちゃ、と何かが壁にぶつかる音が聞こえました。
出てきたのは、真っ黒な物体です。真っ黒な物体は、ショーケースから、チョコレートケーキを取り出すと、エフィアに向かっていきました。
「ご注文の、チョコレートケーキです」
「いったいどうして、とは聞くまい。ただな、まずショーケースを見るべきだと思うよ?」
クロウは、チョコレートにまみれて、深くうなずきました。
さて、エフィアが帰った後、クロウたちはどうなったのでしょうか。それは、記すに値しません。ですが、概要を述べると、クロウは、生クリームをかぶり、いちごの入ったボールをひっくり返し、めちゃくちゃになったところに水あめを浴びるなど、エフィアが閉店前に見に来たときには、すさまじい容姿に変貌していました。また、『まりー・ごーるど』の内装も変わっていました。店内のいたるところにジャムやムースが飛び散り、アーモンドやナッツがデコレーションされ、白一色だったカーテンは、果汁で赤のストライプと水玉がかかっています。床には、チョコレートが薄く広がっていて、歩くたび、ねちょ、と不快な感覚を、来店客に与えていました。外に漂っていた甘酸っぱいにおいは、吐き気をもよおすほどのしつこさを秘めるものに変わっていて、エフィアは眉をひそめました。
「クロウ君、これはいったいどうなっているんだ」
エフィアは、店内に足を踏み入れた瞬間、うっと息を詰まらせ、惨状を見渡しました。
「まさか……クロウ君が」
「やだなあ、エフィアさん。俺がそんなことするはずないじゃないですか」
はっと声のしたほうを見ると、ケーキが立っていました。いちごが乗って、水あめでてらてら光るケーキがしゃべり、のそのそと歩いてきます。その光景のおぞましさ。幼児にトラウマを与えることは必至です。
「クロウ君、なのか」
「いやあ、かぶりにかぶっちゃって」
ショーケースの向こうには、ふう、とうな垂れるユレサの姿がありました。
「まさか、こんなことになるなんて……。楽しようと思った報いかしら。ねえ、ロール」
「しっかりしてくださいよ、店長。しょうがないんですよ、相手があのクロウだったら。あいつはいつもそうなんです」
「クロウ君、君が、やったのか」
エフィアは聞きました。
「やだなあ、エフィアさん。俺がそんなことするはずないじゃないですか。まあ、ちょっと、やったかなあってぐらいで……」
「目をそらすなクロウ君。君だろ、やったのは、君だろ、ちょっとというよりむしろすべて君のせいだろう」
「そんな馬鹿な」
「馬鹿は君だ」
二人が言い合っているところに、ロールが、ほうきを手に、来ました。
「帰ってよ、今すぐ帰ってよ!」
ロールは、涙を流しながら、クロウをほうきでたたきました。すると、ほうきはクロウを覆うチョコレートやら生クリームやら水あめやらに深くくいこみ、抜けなくなりました。
ほうきを失ったロールは、次に手当たり次第に近くにある椅子やらテーブルやらを投げてきます。
「あっち行け!」
「ほら、エフィアさん、やったのは彼女です! 見てください、あの形相。まるで神話に出てくる鬼のような」
「見るべきなのは君の姿だ。彼女が怒っているのは、君に原因がある」
すると、ロールはナイフを取り出し、勢いよく投擲しました。
「出てけえー!」
外に追い出されたクロウたちは、ロールが追ってこないことを確認すると、ふうっとため息をつき、『白銀の波止場亭』に向かいました。
「そもそも、クロウ君はともかくどうして私が追い出されたんだ」
「それはきっと、彼女がおかしかったか、エフィアさんが怖かったんですよ」
「どちらとも違う。おかしいのは、君だ」
「そんなあ」
「クロウ君、それで、どうなったんだ」
「どうなったって。ああなったとしかいいようが」
「違う。給料だよ」
「あ」
クロウは、言葉を失いました。
「どうするんだ」
「もらいに行かなきゃ」
「クロウ君、それはやめておいたほうがいいよ、きっと」
「え、どうしてですか。せっかく働いたのに。ユレサさんだって、まさかタダ働きさせるほど、悪い人じゃないでしょう」
「クロウ君。本当に、やめておいたほうがいい。本当に」
「そうですか、エフィアさんがそこまで言うんだったら。代わりに、今日の昼食代はチャラ、ということで」
「それとこれとは話が別だ」
エフィアはぴしゃり、といいました。
「はあ、結局タダ働きかあ」
「クロウ君、君はさらに借金を負わなかったことに感謝すべきだろう」
エフィアの説教を聴きながら、クロウは、体についたチョコレートやらを、指ですくって、なめました。
「甘い、ですねえ、まったく」
第二話
夜。大通りを、一人、少年が腕をさすりながら歩いています。
「ああ、本当に寒いじゃないですか」
クロウは、夜風に吹かれていました。というのも、『白銀の波止場亭』にたどり着き、宿泊しようとすると、エフィアに止められ、泊まりたいのなら前払いだ、と追い出されてしまったのです。宿泊代をねだったクロウでしたが、エフィアの財布の紐は堅牢で、昼のケーキ屋での一騒動での甲斐性のなさもあいなって、駄目でした。
「ああ寒い、ああ寒い。まったくエフィアさんはケチだなあ」
クロウは、ふらふらと、においに誘われ中華街にやってきました。クロウは夕飯も食べていませんでした。
ランタンに照らされて、えもいえぬ輝きを放つ餃子に中華そば。山菜の土臭い、しかし食欲を誘う香り、エビやホタテの海のにおい。油のはじける音。
「ああ、肉まんですよ。なんだか、今日の君はいつもより一回りも二回りも大きい気がしますねえ」
店の中、蒸されて出てくる肉まんに、店の外から憧れの眼差しを向けるクロウは、中華街でも非常に怪しいものでした。
「あ、クロウ」
クロウは空腹に悶えながら、声のしたほうを見ました。しかし、人が多すぎて声をかけられたのが誰なのか、分かりませんでした。
「ああ、俺はそろそろ幻聴まで聞こえいるようです。くぅう、肉まんの馬鹿野郎!」
ちっくしょう、とクロウは叫んで、店の壁を蹴って、痛がり、足を引きずり、ぴょんぴょんと跳ね、ぐう、と腹を鳴らしながら、その場を立ち去ろうとしていました。
「ああ、見てられんな!」
そういって、少女が飛び出してきました。
「おや、ミュートさん」
少女、ミュートはクロウの腕を引っ張り、店に連れ入りました。
「肉まん二つ!」
ミュートはそう注文して、人を掻き分け書き分け、あいている席を探すと、クロウを座らせました。
「ミュートさんじゃないですか、どうしてあそこに?」
「中華街に食いに来てたんだよ、馬鹿!」
「馬鹿。馬鹿とは失礼だなあ」
ミュートは、出された肉まんの一つをつかんで、一口で半分ほどほお張りました。
そのときのクロウの様子といったら。じっと肉まんを凝視し、聞こえるほどにつばを飲み込み、ぐうう、とさらに腹がなって、机を指でトントンと高速でたたき、きょろきょろ周囲を見渡すふりをして、肉まんをちら見し、置かれてあった紙ナプキンで折鶴を作るなど、非常に惨めで、負け犬の風貌でした。
「お前、わからないのか!」
ミュートはその視線に耐えられなくなり、怒鳴りました。
「な、なにがですか?」
ミュートは残っている肉まんをつかみ、クロウに突き出しました。
「ほら!」
「え?」
「ほら!!」
「はあ」
「お前のだって言ってるだろ!」
「え? あ、ああすみません……」
「なんで分からないんだ、お前は!」
怒鳴るミュートに、クロウは、びくつきながら、はい、はい、と同意し、突き出された肉まんを受け取りました。
「いやあね、今日の昼に、勝手に食べて怒られたものですから」
と、クロウは一口で食べました。
「お、おい!」
驚くミュートは気にせずに、クロウは肉まんのジューシーな肉汁を味わいました。ただ、内部に含まれた肉汁は、非常に高温で、クロウはその後、咳き込み、もだえ、前の客が注文し、そのままそこに残っていたグラスの中の液体を飲み干しました。
「馬鹿だなあ、お前は!」
「いや、あまりにも腹が減ってたから」
「だからって、いっぺんに食わなくてもいいだろ?」
「それをいうんだったら、ミュートさんだって、二口じゃないですか」
「馬鹿やろう! 私は熱いものに慣れてるからいいんだよ」
言い合っていた二人でしたが、ぐう、とクロウの腹の音が鳴り、クロウはいまさらながらに自分が空腹であることに気づかされ、テーブルに突っ伏しました。
「ああ、腹が減りました……」
「つーかさ、お前金ねえのか?」
「いやあ、落としてしまいましてねえ」
「また落としたのか。お前は、ほんっとうに馬鹿だな」
「ミュートさんこそ、失礼ですよ、さっきから馬鹿馬鹿言って」
「馬鹿に馬鹿っつって、なにが悪いよ」
「そんな、俺が馬鹿だなんて」
「お前は確実に馬鹿だ」
ミュートは断言しました。
「そんなあ」
ミュートは、中華そばを二つ、追加で注文しました。
「それより、お前、今なにしてんだ?」
「馬鹿だなあ、ミュートさんは。夕食をごちそうになっているんじゃないですか」
「馬鹿やろう。あたしが聞いてるのは、そんなんじゃねえ。仕事だよ、仕事」
「仕事? ああ、冒険者ですよ」
「ですよって、お前……あれだけ、やめろっていわれたのに、結局冒険者になったのか?」
「まあ、そういうことになりますね」
「底なしの馬鹿だな、お前は」
「え、そんなだって」
「だってもヘチマもないだろうが、馬鹿。で、冒険者になったのはいいが、ぜんぜんお宝も見つけられず、今の有様だろ? 馬鹿のきわみだよ、お前は」
クロウは、むっと来ました。
「そんなにいうミュートさんですがね、ミュートさんは良い大学、うかったんですか? まあうかったとしても、ミュートさんのあの学力なら、講義は厳しいんじゃないんですか、ねえ?」
「行ったよ、王立の」
「え、なんですか、それ。あのときは、俺と同じぐらいの成績だったじゃないですか」
「馬鹿か、お前? ああ、馬鹿か」
「一人で納得しないでくださいよ」
ミュートは、笑った。
「いやあ、それにしても、お前は変わらねえな。馬鹿のまんまだ」
「ミュートさん、ほんっとに馬鹿馬鹿いいすぎです」
「仕方ねえだろ、馬鹿なんだから。なあ?」
「なあ、じゃないですよ、まったく」
ミュートは、愚痴るクロウの顔を見て、微笑んだ。
「なんですか、俺の顔に何かついてますか?」
「いやあ、お前は変わらねえなあ」
「なんだか、そればっかりですねえ」
中華そばが二つ、テーブルに並びました。クロウが食べようと、箸を割ったとき、ミュートが席を立ちました。
「どうしたんですか?」
「便所」
「いや便所って。そのままいわなくても」
「うるさいやつだな、お前は。別に便所で良いだろ、便所で」
ミュートが手洗いに席を立ち、クロウは残されました。ミュートは気づきませんでしたが、肉まんの熱さのためにテーブルに置かれていた液体を飲んだときから、クロウのほおは、だんだん赤らみ、焦点が合わなくなっていました。また、思考が短絡になり、後先考えず行動するようになっていました。
「ひひっくひい、ミュート、ひっく、さんめえ。散々俺のことを馬鹿馬鹿、ひっく、ば、ひっくひっく」
クロウは酔っていました。クロウは、回らない舌で、どうにかこうにか独り言をぶつくさとつぶやきながら、置かれた二つの中華そばと、脇にある調味料とを見比べ、コショウの缶を見つけるや否や、さっと一挙動でつかみ、ふたを外し、どばっとミュートの中華そばに山盛りになるほどかけ、にたりと笑いました。しかしこれでは怪しい、と箸で目立たないようにかき混ぜて、チャーシューにふんだんにすりつけ、それでもあふれるコショウは、上手い具合に麺の下に隠しました。
「ひっく、これでえミュートさんもおう、ひっく、涙を、ひっく、どっばあと洪水のごとく垂れ流し、ひっく、それこそ、まるで、スプリンクラーのようにわめき散らすこと、ひっく、うけあいですねえ、ひっく、ふふふ」
「あー、便所は寒いは、やっぱ」
そうこうしているうちに、ミュートが帰ってきました。
「どうした、クロウ、りんごみたいに真っ赤になって」
「いんやあ、なんでもありませんよ、ひっく。それより、食べましょうよ、ひっく」
ミュートは、クロウのただならぬ気配を察知し、クロウの持っている箸の先端が、黒くなっていることに気づきました。さてはこいつ、と置かれたコショウの缶を手に取り、空っぽになっているのを確認すると、食べるふりをして、自分の中華そばを調べました。真っ黒です。
「いや、つーかこれは気づくだろ」
ミュートのつぶやきは、クロウに聞こえませんでした。
「さあ、ひっく、食べましょうよう、ひっく」
「ああ、そうだな」
おいしそうに食べるクロウに、ミュートはいいました。
「お前さ、腹減ってるんだろ」
「え、そりゃあ減ってますよ」
「じゃあさ、これやるよ」
と、黒くなったチャーシューを一つ、クロウのどんぶりに移しました。
ミュートは、クロウの反応がどのようなものなのか、表情をしっかり見ていたのですが、ぜんぜん反応はありませんでした。
「え、いいんですか、ひっく」
それどころか、クロウは嬉しそうに聞いてきます。ミュートは困り、どうしたものか、このコショウを仕込んだのはこいつじゃないのか、と思い、このまま食べさすのもためらわれて、嘘に決まってるだろ、馬鹿、と定型句をいって返してもらおうとしました。
けれども、クロウはミュートの言葉を待たず、その危険性を多量に含んでいるチャーシューを、おいしそうに、一口で食べました。
「へっへー、ひっく、残念でしたね、もう食べてしまいましたよ、ひっく」
得意そうに話すクロウの顔が、固まりました。赤かったほおが、さらに赤く、しんくに燃え、目から、つう、と涙が一筋、続いて洪水のごとく流れました。酸欠気味のコイのように、口をぱくぱくと開閉し、何かを欲しがっているように見えました。
ミュートは、笑いを通り越して呆れ、気付けよ、といいながらそこに置かれていたグラスの液体を差し出しました。
すると、クロウは首を横にふり、立ち上がり、さまようように、店の隅に置かれた給水所にやってきて、水を直接口内に注ぎ込みました。一分ほど、口をそのまま固定し、たっぷりと水分を補給し、しかし表情を固めたまま席に戻り、心配そうに見守るミュートに、言いました。
「かっらあ」
「ば、馬鹿だろお前」
ひいひいと、辛さに舌を出すクロウを見て、ミュートは、ひっひっと笑いをこらえねばなりませんでした。
「笑うなんて、ひどい、ひっく、れすねえ、ひっく」
「すまんすまん」
ミュートは謝りましたが、笑いを抑えられません。
そういう意味も込めて、手に持った液体を、ぐっと飲み干し、笑いを止めようと思いました。
ですが、笑いは収まるどころか、加速度的に増加しているようでした。
「ひひ、馬鹿だなあ、お前は、ひひ」
「ミュートしゃん、ひっく、わらいふぎでしゅって」
また、クロウのほうも辛いものを食べ、体温が急激に増加し、ろれつが回らなくなりました。
「お前、ひひ、しゃべり方が、ひひっひ、へんじゃあ、ねえか!」
「ミュートさん、ひっく、こしょ」
二人の会話は、さらにどろのように崩れていきました。
「ひひ、おま、ひ、だめ、ひひひ、へ、ひひ(お前駄目すぎ。変だって)」
「みゅひょ、ひっく、しゃーみょ、ひっく、ひっくひっく、できてえ、にゃい、ひっく、じゃあないでうすか(ミュートさんも、出来てないじゃないですか)」
二人は、しばらく笑いました。ただ、周りも同じように飲んだくれて笑い上戸やら泣き上戸やらで騒がしかったので、あまり目立ちませんでした。
「ひひひひい、くる、ひひ、しい(苦しい)」
「みょう、ひっく、だみぇでしゅう、ひっく(もう駄目です)」
二人は非常にアルコールに弱かったのでした。
笑いの収まったクロウたちは、とりあえず深呼吸をし、精神を落ち着かせていました。腹筋はつりかけ、ぴくぴくと痙攣し、これ以上笑うと、大変なことになってしまうからでした。
「いやあ、久しぶりに笑った」
「ミュートさん、ちょっと笑いすぎですよ」
「そうか? いやあ、面白かった」
そういって、腹が減ったな、と中華そばに口をつけました。
クロウはミュートのために、何十杯という水を運びました。くちびるが腫れ上がり、感覚がない、といわれ、クロウは必死に運びました。
「本当、すみませんでした」
「あー、辛ッ。まだ辛ッ。うわー、マジで舌がおかしくなってる。くちびるが、ない! ったくよ、お前馬鹿だろ」
「返す言葉もありません」
「こりゃ、お前におごってもらわないと、わりに合わないな?」
「そんなあ」
「嘘だよ、馬鹿、本気にすんなよ」
ふう、と胸をなでおろすクロウを見て、ミュートはたずねました。
「お前さ、冒険者になってよかったと思ってんのか?」
「な、なんですか、急に」
「答えろよ。冒険ってさ、楽しいか?」
「そうですねえ」
クロウは、水を運ぶ手を休めずに、往復しながら考えました。
「ぜんぜん楽しくないですよ」
「え、楽しくないのか?」
意外な答えに、ミュートは聞き返しました。
「そりゃあ、強い人は楽しいかもしれないですけど、俺は弱いですからね、レベル上げも命がけとなったら、楽しいはずないですよ」
「ところで、お前レベルどれくらいなんだ?」
「1ですよ、1」
「いちぃ? ぜんぜん進んでねえじゃねえか」
「うるさいですね、ほっといてくださいよ。これから上がる予定ですから」
「はーん、そうなのか……」
ミュートは、あごに手を当てて、ああん、とうなりました。
「というかミュートさん、俺ばっかりにいわせないで、ミュートさんの現況も教えてくださいよ」
「あたしか? あたしはな……」
「やっぱり良いんでしょうねえ、成績。なにせ、俺と同じぐらいから、王立大学に行ったぐらいですからね」
「いや、そうじゃねえんだ」
ミュートはいいましたが、クロウには聞こえていませんでした。
「まあ、俺には冒険ぐらいしか残ってませんからねえ」
はは、とクロウは笑いました。
「……クロウ、お前さ、冒険者辞めるつもり、ねえ?」
「え、なんですか、突然」
「いや、な。お前の話を聞く限り、あまり上手くいってないみたいだからさ。もしかしたら、とか思ってよ」
「辞めるつもりはないですよ。たぶん、いえきっと」
「なんでだ?」
ミュートが聞くと、クロウは答えました。
「どこに行っても、こんなものでしょうしね」
クロウの言葉を、ミュートはゆっくり噛み砕き、飲み込みました。
「だよな、うん」
「そうですよ。ミュートさんも、がんばってくださいね。せっかく王立に行ったんですから、教授か何かになって、上手くレベルを上げる方法とか考えてくださいよ?」
「おう、任しとけ」
そういって、ミュートは暗い表情を吹き飛ばし、新たに注文しました。
「生ビール二つ!」
いいんですかね、未成年者が飲んでも、とためらうクロウに、ミュートは無理やりに飲ませました。自分の中にある辛気臭いものを吹き飛ばすには、飲むしかないと思ったからです。そのためには、クロウにも付き合ってもらおうとしました。クロウに自分の悩みを洗いざらい酒の勢いに乗じてぶちまけて、すっきりしようと思ったのです。
しかし、そのたくらみは失敗しました。なにせ、二人は極端にアルコールに弱いため、わずかジョッキ一杯の生ビールでさえ、四分の一を飲むころには、また真っ赤かに変色し、まともな思考が出来なくなり、上手いことイライラをぶちまけられることが出来なくなっていたからです。
「だからさ、もうちょっとゼリーとかいうやつの気持ちになるんだよ、ばーか」
「ですがねえ、ゼリーはものすごく強いんですよ。それこそ隙がないぐらいに」
アルコールにもそろそろ慣れていて、二人の会話にそれほど乱れはありませんでした。ただ、言っていることが、常識を逸脱していました。
「要するにだな、」
「要するに?」
「聞けばいいんだよ、そのゼリーさんに」
「はあ、ゼリーさんに聞くんですか」
「そうだよ? 人間、まず聞くことが肝心さ。ゼリーさん、ゼリーさん、あなたの弱点なんですか、どうすれば勝てますか、お菓子をあげたら経験値をくれますか、レベルを上げてくれますかってな」
「はあ、ミュートさんはやっぱり頭がいいなあ。そうか、聞くのか。でも、どうやって聞くんですか」
「そいつはだなあ」
「あ、分かりましたよ。ゼリー語ですね」
「そうよ。分かってんなら、聞くなよ」
クロウは、すみません、と謝りました。
「ゼリー語かあ。お菓子屋さんに行ったら、教えてくれますかねえ?」
「馬鹿やろう! ゼリー語っつうもんはな、ゼリー屋だ」
「ゼリー屋。なるほど、盲点ですねえ。それで、ゼリー屋はどこに?」
「お前は、本当に馬鹿だな。なけりゃ、つくっちまえばいいんだよ」
「え、つくる?」
「そう。そこらへんの空き家を、ちょいと拝借してだな、庭にゼリーの種をまいて、材料を用意して、つくるんだよ」
「自営業。それは気づかなかったです。ところで、ゼリーの種ってどこにあるんですか?」
「本当に馬鹿のきわみだな、お前は」
「ミュートさん、そんな馬鹿馬鹿いわないでくださいよ。いいすぎですって」
「ったく、しょうがねえなあ、クロウがそこまでいうんだったら、やめてやるか。まあ、あたしもそろそろやめようとか思ってたんだぞ? 高校ぐらいに」
「高校ぐらいに?」
「そう、高校ぐらいに」
「高校ぐらいかあ」
クロウとミュートは、見つめあい、笑い出しました。ひとしきり笑って、ミュートがいいました。
「あー、馬鹿みてえ。つーか、なんで今笑ったんだ?」
「それは、笑いの神様が決めることです」
「へえ、笑いに神がいんのか」
「当然、います」
クロウは断言しました。
「いいですか? 笑いの神様っていうのは、全能の神の上に位置しています」
「ほう」
「笑いの神様は、いっつも笑われていて、けれど笑われることで下の神様たちをまとめているんです」
「なんじゃそりゃ。笑いの神様がかわいそうだ」
「そうなんですよ、かわいそうでしょう。それで、笑いの神様は、あんまりにも馬鹿にされたので、怒って、世界中の生命に呪いを与えたんです」
「どんな?」
「笑いの発作です」
クロウはまじめに答えました。
「笑いの発作か」
「笑いの発作です」
クロウとミュートは、また笑いました。
「笑いの発作か。そりゃいい。感謝感激感無量ってか?」
「かん、え、なんですって? ミュートさんのいってることは、難しいなあ」
そして、残っている生ビールをぐっと飲み干し、二人は眠りにつきました。
ミュートは、店員に起こされました。ミュートが起きたとき、すっかり夜は更けていました。目の前に座っていたはずのクロウは、もういません。
「ありゃ、帰っちまったのかな」
ミュートは頭をぼりぼりかいて、店員にうながされるまま、店を出ました。
「あー、くらくらする」
ふらつきながらも、ミュートは通りを歩いてきました。
「なんか、忘れてるような気がするんだがなあ」
最後に一言、いいました。
さて、クロウはあくる朝、その店の手洗いで発見されました。洋式便器にしりから落下し、頭をふたにのせて、熟睡していました。店員が慌てて引っ張りあげると、ズボンをちゃんとはいていました。濡れてもいませんでした。
「やあ、朝じゃないですか」
のんびりと言い、ぐいっと体を伸ばすクロウに、店員は聞きました。
「お客さん、ここでなにをしてるんですか?」
「なにっていわれても、どういっていいのか反応に困りますよ」
「反応に困られても困りますよ。というか、いったいいつからここにいたんですか?」
「いつから、ですか。ええと、たぶん、用を足しにお手洗いに来て、えー、用を足して、さあ戻ろうと思ってからの記憶がありませんね。たぶん、寝たんでしょうねえ」
「寝ないでくださいよ、こんなところで」
「しょうがないじゃないですか。寝てしまったんですから」
「今度から気をつけてくださいよ」
「大丈夫ですよ、肝に銘じておきますから」
「そうしてください」
クロウは、はっくしゅん、とくしゃみをしました。
「あー、風邪でもひきましたかねえ。本当、冷えあ込んだな、便器は」
さむいですねえ、と腕をさすりながら、ずずっと鼻水を吸い込み、クロウは、のそのそと席に戻りました。テーブルの上は片付けられていて、ミュートもいなくなっています。
「すみません、ここで寝ていた人は?」
「あー、彼女なら帰りましたよ」
「え、そんなあ」
「どうかしましたか?」
まさか、代金を払わないまま帰ったわけではないでしょうね、とクロウは冷や汗を流しました。
「あ、そういえば、まだ代金は払われていないですね」
「え、本当ですか」
「ええ。そういえば、あなたは彼女の連れでしたよね」
クロウは、逃げようと思いました。これは食い逃げ、という犯罪だと分かっていましたが、しかし本当に一銭もないのです。
店員が近づいてくる前に、クロウは疾走しました。
「あ、食い逃げ」
クロウは、足はあまり速くありませんでしたし、スタミナもないので、すぐに捕まることは分かっていましたが、どうにか逃げ切る可能性にかけたのです。
ぴょん、と店の入り口から飛び降りたとき、わずか三十センチほどの高さでしたが、二日酔いの頭痛もあいなって、クロウは見事着地に失敗し、ぐきゃ、と足をくじいて、二、三歩、逃げようとよろめき歩きましたが、足の痛みから不可能と分かって、その場に崩れ落ちました。
クロウは、仰向けの体勢で、空を見上げながら、いいました。
「まあ、なんですか、こういうのもたまには良いですかね?」
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2004/12/14(Tue)23:39:07 公開 / 一徹
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■作者からのメッセージ
面白くありませんね。一話を見てみたい人は、みてみましょう。
きっと面白くありません。
と二話目をやっていたのですが、読者から、手厳しい注意を受け、猛省し、しかしちゃんと呼んでもらいたいと切に思い、改めて、一話からやらせてもらいたいと、思います。