- 『セロヴァイト ―完―』 作者:神夜 / アクション アクション
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全角147490.5文字
容量294981 bytes
原稿用紙約411.05枚
「プロローグ」
真っ白な病室の、窓の形に切り取られたそこから見える景色が、わたしの世界のすべてでした。
生まれたときからずっとそこにいて、生まれたときからずっとその景色を見ています。
季節が移ろい、景色がゆっくりと変わって行くのだけが楽しみでした。
――わたしはいつもひとりぼっち。
窓の景色に映る元気に走り回る子供たちが羨ましかった。
もうすぐに失ってしまう命を大切に抱えながら、わたしは季節の移ろいだけを楽しみにただ待っています。
わたしはあと、幾つの季節を乗り越えられるのでしょうか。
わたしにはもう、時間が残されていないのでしょう。
それでも、わたしは待っています。季節の移ろいと共に、失われていく命を抱えながら。
わたしという存在がなくなってしまうそのときまで、わたしは待っていました。
――そんなわたしに、一通の封筒が届きました。誰かから手紙を貰うのは初めてでした。
嬉しかった。すごく。そしてそれが、わたしの小さな世界の鍵を解き放ってくれた。
わたしが望んでいたことが、やっと叶いました。
その一通の封筒が、わたしと焔(ほむら)の出逢いでした。
焔はわたしにとって、たったひとりの友達。
わたしが望んでいた烽フ。それは、友達です。
焔はわたしを受け入れてくれた。だからわたしは、焔と一緒に世界から飛び出しました。
焔の背に乗って。
見ているだけしかできなかった大空を駆け抜けて。
わたしは、焔と一緒に世界を知りました。
わたしに、もう一つの望みができた。
焔とずっと一緒にいたい。
だから、探しています。焔と一緒に、わたしは探しています。
望みを叶えたい。ひとりぼっちになりたくない。
わたしは焔と一緒に、ずっとずっと、一緒にいたい。
たったそれだけを望み、たったそれだけを叶えるために。
わたしは、
……――焔と一緒に、
戦います――……
「セロヴァイヤー」
冬の風が混じり始めた十一月。
渡瀬拓也(わたらせたくや)が高校を卒業する際に進路のことで親と大喧嘩をしてクソオヤジに「もう二度とこの家に帰ってくるなバカ息子がっ!!」と大激怒され、「上等だクソオヤジッ!!」と吐き捨てて家を飛び出したのが今年の春のことで、それが切っ掛けで拓也は一人暮らしをするハメになった。心配に思って母親はクソオヤジに隠れて仕送りを続けてくれるのだが、拓也はそれを一切使わずに自分のバイト代だけで生活を続けている。誰がクソオヤジが稼いだ金を使うか、と意地になっているのだと思う。
勘当されたのにも関わらず、現在、拓也はそれなりに楽しい生活を続けていたりする。今暮らしているアパートの手配だけは母親に手伝ってもらったが、その他のことは拓也がたった一人ですべて乗り越えて来た。大学にも行かず、就職もせず、ただラーメン屋のバイト代でのみ生活している。そのラーメン屋のバイトがこれまた楽なのだ。自給が九五〇円と高いのだからそれなりに忙しいのは覚悟していたのだが、いざやってみればこれまでに行ったバイトのどれよりも楽で簡単で儲かるバイトだった。これには随分と助けてもらった気分だ。
そして今日も午後から入ったのにも関わらずに客は数えるほどしか来なかったラーメン屋のバイトを終え、一人暮らしにもやっと慣れ始めた十一月の夜空の下へ歩み出た。秋に混じった冬の風は信じられないくらいに冷たくて、ダウンジャケットを着ているのに体の芯から凍えそうだった。息を吐くと白くなるのに少しだけ驚きつつも、ポケットから煙草と百円ライターを取り出す。手がかじかんで上手くライターを点けられないことに悪ヤを付きながらも何とか火を点けて煙草に灯す。肺に煙を入れると、唐突に今日もこれで一日が終ったなんだと思えた。
名前も知らない星が輝き続ける空の下を、拓也はゆっくりと歩き出す。後ろに離れて行くラーメン屋をバイト先に選んだ理由は二つある。一つは時給が他より高かったから。そしてもう一つは、自宅のアパートから近いから。拓也が住んでいるアパートからラーメン屋までは徒歩五分で辿り着ける。裏技として電車で通っていることにすればバイト代+交通費が出てボロ儲けという手段も可能である。もちろんその事実はオフレコだ。
いつもと変わらない帰路を歩く。毎日を過ごして何一つ変わらない日常。道路を走る車のハイビームのライト、原チャリのセルモーターの回る音、自販機の当たりを知らせる電子音、どこからか響くギターの音色、人気ドラマのエンディング、斉藤一家が住む一軒家からはいつものように夫の浮気に激怒する妻の怒号が飛び交っていた。最後の一口を吸い終わったら、咥えていた煙草を歩道の横を流れるドブ川に捨てる。変わらない日常は、そうして火を失った煙草のように終わりを告げるのだ。
いつものように帰路に着いて、いつものようにアパートの前に辿り着き、いつものようにポケットから鍵を取り出し、いつものようにドアを開けて、いつものように茶漬けでも食おうと思ってアパートの部屋の電気を点けて初めて、拓也は気づいた。ドアの郵便受けに、一通の封筒が入っていた。不思議に思ってそれを手に取る。その封筒には差出人は愚か、拓也の名前と住所さえも記入されていなかった。つまり、誰かが郵便局を通さずに直接この郵便受けにぶち込んだのだろう。ご苦労なこった、と拓也は思う。
封筒を手に持ったまま部屋に上がり、凍えそうなほど寒い部屋へと足を踏み入れた。ぐちゃぐちゃに散らかされた部屋の中を起用に進み、ベットの上に腰掛けて赤外線ヒーターの電源を入れながら封筒の開け口を無造作に破く。
中には一通の手紙と、ビー玉サイズの緑色の硝子玉が入っていた。開けた拍子に床に落ちてしまった硝子玉を拾い上げる。それをまじまじと見つめ、これはやはりビー玉だろう、と拓也は思った。しかし何故ビー玉などを封筒に入れるのか。こんなことをするのはアホしか居まい。取り敢えずビー玉を保留とし、手紙の方を開いてみた。
そこには、こう書かれていた。
『 渡瀬拓也様。
こちらセロヴァイト執行協会本部。貴方はこの度、公平な抽選の結果、第十二期のセロヴァイヤーに当選致しました。
渡瀬拓也様、おめでとうございます。さて、それに付きまして幾つかのルールを掲載しておきますので、お忘れないようにお目をお通しください。
最初にセロヴァイヤーにご登録するか否かを決めて頂きます。登録するのであれば、封筒の中に入っておりました緑の硝子玉――ヴァイスを噛まずにお飲みください。登録しないのであれば、そのまま放置してください。期限は本日より七日とさせて頂きます。その期間内にヴァイスをお飲み頂ければセロヴァイヤーに晴れて登録、そうでなければヴァイスは消滅するようプログラムしてあります。もちろんこれは強制ではありません。よく考えた上で、慎重に決めてください。
次にセロヴァイト、セロヴァイヤーについての説明をしておきます。セロヴァイトとは、大気中に存在する物質を決められた形に具現化した道具、又は武器のことをいいます。その詳しい詳細はすべて、ヴァイスに詰め込んでありますので省略させて頂きます。ヴァイスをお飲みになってもらえればその意味はすぐに判るはずです。そしてセロヴァイヤーとは、セロヴァイトを用いて戦闘を行う者のことを言います。つまりヴァイスを飲んだ方のみが、セロヴァイトを具現化させられるセロヴァイヤーになるということです。
貴方と同じように、セロヴァイヤーとして当選した方が合計で十人。率直に言わせて頂きます。その十人で、最後の一人になるまで戦闘を行ってください。そして勝ち残った最後の者を優勝者とし、その者の望みを一つだけ叶えます。本戦の開催日は七日後、期間は三十日間。どこでどう戦おうと自由です。後始末はこちらがすべて引き受けますので、遠慮無く快く戦闘を行ってください。しかしただ一点だけ注意が必要です。もしセロヴァイヤーではない一般人を巻き込んでしまった場合に限り、その人物の身柄を拘束した上で、お手数ですがセロヴァイト執行協会本部までご連絡ください。
セロヴァイヤー同士の戦闘の勝敗については、相手のセロヴァイトを破壊することで決します。セロヴァイヤーの意志に反してセロヴァイトがその形を失った際に、セロヴァイヤーの体内にあるヴァイスが体外へ排出される仕組みになっています。一度体外へ排出されたヴァイスはすべての効果を失いますので、そうなったセロヴァイヤーは一般人と変わりありません。つまり脱落者となります。戦闘に勝利したセロヴァイヤーはヴァイスをお忘れないように回収してください。ヴァイスを参加者分集めて初めて、その方を優勝者と決定します。敗者の生死は勝者の意思にお任せ致します。殺してもヴァイスは回収できますし、殺人犯にはなりませんのでご安心願えます。
さて。大まかなことを記入致しましたが、これより更に細かな詳細はすべてヴァイスに詰め込んでありますので、セロヴァイヤーに登録する方のみでそれをお知りください。無駄な死体を増やさないためにお書きしますが、もしセロヴァイヤーに登録し、戦闘で死亡した場合、責任は一切取りませんのでそれを承知の上で登録するか否かを決めて頂きたい。忠告です。中途半端な覚悟で登録はしないでください。
それではご登録頂いた方のみ、これより七日後に追って参加者人数と貴方のセロヴァイトをお伝えします。
存分に楽しんでくれることを願い、今回はこれで終わりとさせて頂きます。
セロヴァイト執行協会本部 』
――アホか、と思った。ナメてんのか、と思った。
「……下らねえことすんなあ、オイ」
思わず声が出た。
悪戯をするのならもっとマシなことを書けっつーのアホ。こんなもんに誰が引っ掛かるんだよ。
ため息を吐き出しながら手紙の方をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に放り込んだ。ビー玉の方は取り敢えず燃えるゴミに捨てるべきなのか燃えないゴミに捨てるべきなのかを誰かに訊いてから捨てよう。たぶん燃えないゴミなんだろうけど、これまた保留だ。
ダウンジャケットを脱いでポケットから煙草とライターを取り出してテーブルの上に置く。茶漬けを食おうと思ったがさっきの紙を読んで食う気が失せた。取り敢えずまた煙草を吸おう。パッケージから一本だけ抜き取ってライターで火を点ける。最初の一口を吸いながらぼんやりと部屋の時計を見上げる。時刻は夜の十一時十四分を差していた。
これからどうするか。煙草を吸いながらそんなことを考える。寝るのにはまだ早い。かと言ってこの時間のテレビなどロクなものはやっていないだろう。唐突に、明日はバイトも休みだし啓吾でも呼ぶか、と思った。そうと決まれば行動あるのみである。ズボンのポケットから携帯電話を取り出し、折り畳み式のそれを広げる。電話帳を開いてカーソルを移動させ、『啓吾』と表示させたら通話ボタンを押し込む。静かな部屋に通話口から呼び出し音が続く。
神城啓吾(かみしろけいご)という男は、渡瀬拓也とは小学校時代からの付き合いでよく吊るんで悪さをしていた仲である。が、啓吾は秀才に部類される男で、一緒に馬鹿やって一緒に遊び倒していたのにも関わらず、小中学校高校での成績は拓也には想像もつかないほどの高みに君臨していた強者である。今も都内の有名大学に首席で進学して猛威を揮っている優等生だ。しかし遊びの誘いに弱くA大抵は二言返事で乗ってくる。
啓吾が電話に出たのは、八回目の呼び出し音の後だった。
『もしもし?』
「おう、啓吾か。おれだけどさ、今から家に来ねえか?」
『んー。了解』
案の定だった。
「んじゃ待ってっから」
そう言って拓也が通話を切ろうとしたとき、啓吾が思わぬことを口にした。
『あのさ拓也、セロヴァイトって知ってる?』
時間が止まった。
「――は?」
『今日おれん家にセロヴァイト執行協会本部って所から手紙が来た。中に変なこと書いていある手紙とビー玉みたいなヤツが入ってた。――拓也知ってる?』
まさか啓吾にも同じ封筒が届いているなどとは思ってもみなかった。
手に持っていた煙草を灰皿で揉み消し、ゴミ箱に放り込まれたくしゃくしゃの紙を引っ張り出す。それを広げて中をもう一度確認する。そこには確かに、啓吾が言ったセロヴァイト執行協会本部との文字も、セロヴァイトという文字も書かれていた。拓也一人なら悪戯で片付けられることだった。なのに、この封筒は啓吾にまで届いていたのだ。それはつまり、何かしらの陰謀が背後に迫っているのではないか。
口は無意識に、先の問いに少しだけ方向の違う答えを返していた。
「……その手紙、おれんトコにも来た」
受話口の向こうで驚くような息遣いが伝わってくる。
『……ホントに?』
沈黙。やがて、啓吾が言葉を紡ぐ。
『……ヴァイスってビー玉、もしかして飲んだ?』
「そんなわけねえだろ」
もし餓死しそうになっていたとしても、無機質な硝子玉を食うほど馬鹿じゃない。まだその辺に生えてる雑草を食った方が幾らか頭が良い。しかもこれはただのビー玉ではないのだ。意味不明な手紙と共に突っ込まれていた、意味不明な名前が付いた意味不明なビー玉である。そんなものを何が楽しくて飲まなきゃならんのか。
啓吾が安心したように笑う。
『だよな、もう飲んだかと思って焦った』
そこで一瞬だけ啓吾の口調が変わる。
『……拓也の家にまでこの手紙が来てたのなら話は早い。少しだけ気になる所があるんだ。手紙とビー玉を持ってそっちに行くから、何か温かい食べるもの用意しといて』
「カップラーメンしかねえ」
『じゃ、お湯沸かしといて』
「ん、了解」
そうして通話は切れる。沈黙した携帯電話をテーブルの上に置き、手に持ったままのシワだらけの手紙に視線を落とす。
読めば読むほど胡散臭い内容だと思う。セロヴァイト執行協会本部、セロヴァイト、セロヴァイヤー、ヴァイス、選ばれた十人で戦闘、優勝者には望みを一つ叶える。こんなことを考えつくのは子供だけだと思っていた。しかし子供が態々こんなものを作って郵便受けには突っ込まないだろう。だとしたらいい歳をこいた変態染みた大人がやっていることになる。そもそもこの封筒を郵便受けに突っ込んだヤツは一体どんなリアクションが見たかったのだろうか。戦闘カッケーと目を輝かせる拓也か、ビー玉飲んで窒息死する拓也か、それとももっと特殊な何かか。どの道、正気の沙汰とは思えない。
手紙をテーブルの上に置いてビー玉を手に取って立ち上がる。台所へ歩み寄って鍋を引っ張り出す。水道水をカップ麺二人分くらいを鍋に注ぎ込み、コンロに乗せて火を点ける。円状に点火された火をぼんやりと見つめながら、拓也はビー玉を指で弄くる。どう見ても、どう触っても、どう考えても、これはビー玉にしか思えない。こんなものにヴァイスなどというご大層な名前が付いているのが不思議で仕方がなかった。湯が沸騰するまでが暇だったのでビー玉を水道で洗ってみたり、ライターで炙ってみたり、いろいろなことを試した。が、結局は何の反応も示さず、緑色の硝子玉はいつまで経ってもビー玉のままだった。
紙に書かれた内容がふと頭を過ぎる。セロヴァイヤーに選ばれたのは十人と書かれていた。つまり、拓也と啓吾を含めてあと八人の所にもこれと同じような封筒が郵便受け突っ込まれているのだろうか。それともその十人というのはカモフラージュで、狙いは拓也と啓吾の二人だけなのか。しかし狙いと言っても別に誰かに恨まれるようなことをした覚えはない。昔はよく他校のヤツらと喧嘩をしたが後味の悪い喧嘩は何一つなかった。その線での犯行は薄いだろう。だったら――、
お湯が沸き始めていた。ふっと我に返る。何を真剣に考えてんだおれは。馬鹿馬鹿しい。こんなものはただの変態染みた大人の犯行なのだ。イチイチ考えていては埒が明かないに決まっている。もう忘れよう、こんなものどうせ飲む訳はないのだからどうでもいい。ビー玉を台所の流し台に放り込む。水に沈むそれに中指を突き立て、コンロのスイッチを切ろうと思った際にチャイムが鳴った。
啓吾が来たらしかった。コンロを切って玄関へ歩き出す。鍵を開けると、そこには防寒着に身を固めたアホがいた。
「……暑くねえのか?」
呆れながら拓也がそう言うと、啓吾はズズっと鼻を啜った。
「……原チャリで来るのはなかなかに辛い……」
「車は?」
「親が二台とも乗ってってなかった……」
「そりゃご愁傷様。取り敢えず上がれ、さっきお湯沸かしたから」
震えながら肯いた啓吾は拓也の脇を通り抜けて部屋に上がり、発見した赤外線ヒーターに走り寄って体温を取り戻そうとその場にしゃがみ込んで祈るように手を擦り合わせる。そんな啓吾に拓也は台所から「カップラーメン何がいい?」と訊くと、啓吾はただ「とんこつならなんでもいい」と答える。「了解」とつぶやきながら、拓也は戸棚の下からカップ麺のとんこつ味とみそ味を取り出してラップを開け、火薬の袋を同じように抉じ開けて中にぶち込む。沸かしたばかりのお湯を二つのカップ麺の容器に注ぎ、フタを閉じたら割り箸を添えて啓吾の所へ向かう。散らかったテーブルの上に無造作にスペースを作り、そこにカップ麺を置く。
「三分後には天国だな」と拓也が言うと、啓吾が真剣に「こんなことで死ねるか」と答える。大分温まってきたのか、啓吾に冷静さが戻りつつあった。部屋を見渡して「相変わらず汚いなあ」とつぶやく。そしてその視線がやがて、テーブルの上に置かれた一枚の紙切れで止まる。啓吾の表情が研ぎ澄まされ、それを手に取って文面をさっと流し読みし、それから拓也に視線を上げた。
拓也は言う。
「――で、どうだった? 内容は一緒か?」
啓吾は肯く。
「名前が違うだけで、他は全部一緒。ビー玉はどこにあるの?」
「流し台で水に浸してある」
「……これがおれの手紙とビー玉」
ポケットから取り出した啓吾宛の手紙を見ると、やはり内容は最初の名前が違うだけで他は全部一緒だった。ビー玉も緑色のただの硝子玉で、変わった所は何もない。つまり、まったく同じものが拓也と啓吾の郵便受けに突っ込まれたのだろう。その真意は一体何なのか。そして啓吾はこのことで気になることがあると言った。それを目線で促すと、啓吾はゆっくりと喋り出す。
「随分と前からネットで噂があるんだよ、セロヴァイトとセロヴァイヤーについて。いちばん定番なのが、セロヴァイトを操るセロヴァイヤーが生死を賭けて戦うバトル・ロワイアルだってヤツ。突拍子もないのもあって、それはセロヴァイヤーは地球を侵略しようとする宇宙人をぶっ倒す異能力者とか何とか。まあ結局はどれも不確かな噂なんだけど。だからセロヴァイトとセロヴァイヤーっていうのは噂だけが一人歩きしている。それに関しての証拠が何も無いからただのゲームかマンガの設定だろうって誰も信じなかった都市伝説みたいなものなんだ。……でも、おれたちの元にはその証拠に成り得るものが届いた。面白いと思わないか?」
啓吾がまだ二分しか経っていないのにカップ麺のフタを開ける。啓吾曰く、カップ麺はお湯を入れてから二分後がいちばん美味いらしい。
「もしこれが本物だったらって思うと楽しいだろ。そうなったらおれたちはセロヴァイヤーだ。選ばれた十人での戦闘。勝ち残った者が望みを叶えることができる。男のロマンだな、それって。この封筒はドコの誰が差し出したのかは知らない。ただおれが大学から帰って来た七時にはもうすでに家にはこれがあった。しかしその間に誰かがおれの家の郵便受けに近づいた形跡はない。知ってるだろ、おれん家の犬のポッチ。ポッチは人が来たら絶対に吠える犬だ。だけど今日、ポッチは一度も吠えなかった。母さんがそれは間違いないって断言してる。――ここで問題。この封筒をおれん家の郵便受けに入れたヤツは、一体どうやってそれを行ったのか。ポッチに見つからずにそれを行えるはずはない、それだけは確かだ。だから、」
「ちょっと待て」
堪らずに啓吾の話を打ち切る。
啓吾は口から麺を垂らしながら「何だよ、これからが良い所なのに」とつぶやく。
「お前、まさかこの手紙が本物だって思ってんじゃねえだろうな?」
もちろん、と啓吾が肯く。
「正気か? じゃあお前、このビー玉飲むのか?」
もちろん、と啓吾が再度肯く。
「馬鹿言ってんじゃねえよ、もしかしたら何か変な薬かもしれねえだろうが。そうだったらどうすんだよ、死んでからじゃ遅いだろ」
カップ麺の容器に口を付けてスープを啜っていた啓吾は口を離し、割り箸でビー玉を摘み上げて笑う。
「だいじょうぶだ。その辺りに抜かりはない。様々な検査及び実験の結果、これはただビー玉だって判明した。だからおれはこれを飲む」
「ただのビー玉とわかってるのにか?」
わかってるからだよ、と啓吾は苦笑する。
「得体の知れないものなら幾らなんでもおれも飲まないさ。ただこれはビー玉だ。もし飲み込んで何もなければ近い内にそのまま排出される。しかしもしこれが本物だったら、おれはセロヴァイヤーになる。選ばれた十人で戦闘をして優勝者を決めて望みを叶える〜云々はどうでもいいんだ。ただ、おれは知りたい。ポッチに気づかずに郵便受けに近づいてこれを入れたヤツは何者なのか。果たして世に広まっている噂は真実か否か。少しでも可能性があるような気がする限り、おれはこれに賭けてみるつもりだ。この手紙に書いてある戦闘云々はそのオマケみないなもんだよ」
カップ麺の容器をテーブルの上に置き、啓吾は拓也を見据える。
「これは強制じゃないって書いてある。拓也はどうする? やる? やらない?」
五秒だけ考えた。そして、最も訊きたいことを口にする。
「……それで死ぬかもしれないんだろ。お前はそれでもいいのか?」
啓吾は、至極当然という感じで答えた。
「死にはしないさ。だって、おれが優勝すればいいだけの話なんだから。無傷で勝ってみせるよ」
「…………しゃあねえか」
まったくもって、コイツは馬鹿なのか天才なのか時々わからなくなる。だがまあ、そこが啓吾の長所であり短所であり、拓也がいちばん好きな所なのだ。
拓也は立ち上がる。台所に向かって歩き出し、流し台で水に浸かっているビー玉を取り出す。それを手に持ちながらまた歩き出して啓吾の前に座り込んで、まだフタを開けていなかったカップ麺を襲いかかるかのように食べ始める。それに続いて啓吾も残っていたカップ麺を食べ出し、しばらくは部屋にカップ麺を啜る音だけが響いていた。そして、食べ終わるのは二人同時だった。
掌にあるビー玉――ヴァイスを見つめながら拓也は笑う。
「悪さをやるのは昔からずっと一緒だった。付き合うっきゃねえだろ」
「それでこそ拓也だよ」
「ただな、お前は優勝できねえ」
「……どうして?」
拓也は言う。
「おれが優勝するからに決まってんだろ」
啓吾が笑った。
「上等上等。それでは、デザートを食べるとしますか」
「おう。同時に行こうぜ」
「それじゃ、一、」
「二の、」
「「三」」
二人の口へと、同時にヴァイスが放り込まれて、同時にそれが飲み込まれた。
呆然と二人が向き合う。沈黙が部屋の中を支配する。ヴァイスが食道を通って胃に辿り着くのがはっきりとわかるのが異様な気分だった。後味は最悪で、味などこれっぽっちもしなくて、胃は当然の如く感じが悪い。しかし何かしらの変化は起きない。もしかしてこれは偽物でただのビー玉なんじゃないのか、という当たり前のことが頭を過ぎる。
「……なあ、何か変わったか?」
拓也がそう訊ねると、啓吾は首を振った。
「いいや。おかしいなあ、ただのビー玉だったのかな」
それが普通だろう、と拓也が思った刹那にそれを感じた。
胃に感じていた重みが一瞬で消えた。その事実を理解した瞬間にはすでに体は燃えるような熱を持っていた。体から蒸気でも吹き出すのではないかと本気で思った。目の前が真っ赤に染まる。その場に蹲って全身から迫りくる吐気と寒気を必死で抑えつける。口からは無意識に呻き声があふれ出ていた。すぐ近くで同じような声が聞こえる。啓吾の声だった。小さなアパートの部屋の中で、十九歳の男が二人揃って蹲って苦悶の声を漏らしている。異常な光景だったのに違いない。
崩壊しそうな意識の中で、ただ騙されたと思った。何がセロヴァイトか、何がセロヴァイヤーか、何が選ばれた十人か。これはただの毒薬ではないのか。そうじゃなければこんな気分にはならないはずだ。体の芯が劫火の中に放り込まれたように熱いのになぜか寒くて仕方がない。全身の毛穴から嘔吐するのではないかというくらいに気持ち悪い。今まで生きていた中で味わったどの感覚より最悪だ。異常である。拷問でもここまで酷くはないはずだった。死にたくなった。これなら死んだ方が百倍も千倍もマシであるのは明白だった。飲まなければよかったと今更に後悔する。熱い、寒い、気持ち悪い、死にたい、どうしてこんな、異常だろ、おかしいだろ、熱い、熱いっ、寒いっ、あっ、あァアッ。自我が崩壊するというのを、初めて味わった。
すべてを逃がすためにそこで絶叫した。それに反応するように啓吾も絶叫する。
そして、唐突に体からすべての感覚が消え失せた。部屋に静寂が戻って来る。
そのときにはすでに、二人の意識は無かった。
結論を言おう。ヴァイスは本物である。
選ばれた十人の内、これで二人の参加者が決まったことなる。
これから、セロヴァイトを用いるセロヴァイヤー同士の戦闘が開始される。
第十二期のセロヴァイヤーは優秀であることを、今はまだ誰も知らない。
「孤徹」
ヴァイスを飲み込んでから七日後、拓也のアパートの郵便受けに、差出人は愚か拓也の名前と住所さえも書いていない一通の封筒が再び突っ込まれていた。ラーメン屋のバイトから帰って来た拓也はそれを手に持ったまま部屋に上がり、赤外線ヒーターのスイッチを入れながらベットに腰掛ける。開け口を無造作に破き、中に入っていた一枚の手紙を引っ張り出す。ついでにダウンジャケットのポケットから煙草を取り出して口に咥えながらライターで火を点ける。目に沁みる煙を我慢しながら、折り畳まれていた手紙を広げる。
そこには、こう書かれている。
『 渡瀬拓也様。
こちらセロヴァイト執行協会本部。渡瀬拓也様、セロヴァイヤーにご登録頂き、誠にありがとうございます。
第十二期セロヴァイヤーの参加者数は、十人中、貴方を含めた九人という大変素晴らしい結果となりました。参加者数が九人に達したのはこれで二回目です。今回のセロヴァイヤーには期待が高まりました。九人で快く戦闘を行ってくれることを心から祈っております。それでは早速、貴方のセロヴァイトを発表させて頂きます。しかしそれには、セロヴァイトの細かなことを知ってもらう必要があります。先にそちらのことを説明した上で、貴方のセロヴァイトをお教えします。
まず、セロヴァイトには四つの型が存在します。
一つ、打撃型。
一つ、斬撃型。
一つ、射撃型。
一つ、幻竜型。
そしてその中でも種類があります。
打撃型に三種類、斬撃型に三種類、射撃型に三種類、幻竜型に一種類、計十種類。
一つの型の中にもそれぞれの特性があり、どのセロヴァイトが貴方の手元に来るかで大きく勝敗は分かれます。貴方に適したセロヴァイトならば効率良く戦えることでしょう。しかし適したセロヴァイトでなくても、戦術によってその効力は幾らでも伸ばすことが可能です。逆を言えば、適したセロヴァイトでも戦術を間違えれば使えないということです。すべては貴方の戦術に掛かっています。貴方のセロヴァイトに最も適した戦術を見つけ出し、戦闘を有利に切り抜けて優勝を目指しましょう。
次に、セロヴァイトを具現化させる方法について記入しておきます。ヴァイスをお飲みになっているのでしたら、もうすでに判っているはずです。セロヴァイトは、その真名(しんめい)を呼ぶことで具現化させることができます。具現化したセロヴァイトはセロヴァイヤーの意志を持って解除することで消滅し、体内からヴァイスが排出されない限り、具現化は何度でも可能です。しかし他のセロヴァイヤーのセロヴァイトによって、具現化したセロヴァイトが破壊されましたら体内からはヴァイスが排出され、もう具現化はできなくなります。そうなった時点で失格、脱落者になります。
それでは、貴方のセロヴァイトを発表致します。
渡瀬拓也様、貴方のセロヴァイトは打撃型。
真名を――【孤徹(こてつ)】
このセロヴァイトが貴方に適していることを願っております。
本日より三十日間でヴァイスを参加者数分、つまり合計で九個のヴァイスを集めたその時点で貴方は第十二期の優勝者です。しかし期限内に誰もヴァイスを九個集められなかった場合、優勝者は無しとみなされ、ヴァイスは自動的に体外へ排出される仕組みになっています。
誰が優勝するか、又は誰も優勝しないのかは判りません。しかし快く戦えば結果は付いてきます。
貴方の健闘を祈り、これで終わりとさせて頂きます。
次回は、参加者数が五人にまで減った際に追って通知致します。
セロヴァイト執行協会本部 』
煙草の煙を肺に入れ、ゆっくりと吐き出す。無風の部屋を白い煙が漂う。
取り敢えず、呼んでみようと思った。だから、拓也はその真名を口にした。
「……――孤徹」
一瞬だった。
無風の部屋を漂っていた煙がぐにゃりとその形を変え、まるで空間そのものが歪んだように辺りの景色が捻じ曲がり、すべてが一箇所に凝縮される。やがてその凝縮された物質が形を創るために動き出す。歪んでいた空間の歪みから緑色の小さな光があふれ、それが一つ一つそれぞれの意思を持っているかの如くに拓也の両腕に集まり、その形体を具現化させる。肘より少し下の腕の部分にズシリと重い感覚が伝わり、気づいたときにはそれが装着されていた。
部屋の電気に鈍く輝く漆黒の形体。海老の甲羅のような鋼が五枚ずつ重なり合って構成されており、腕を曲げるとガチャリと音を立てて動く。それが両腕に違和感無く装着されている。見た目でもはっきりとわかる。これには、ちょっとやそっとでは傷一つ付かない代物だ。口に咥えたままだった煙草をそっと押し付けてみる。水をぶっ掛けたかのように、煙草の火がジュっと消えた。漆黒の鋼には、傷どころか汚れ一つ付かなかった。
二体一対の鉄甲。真名を孤徹。それが、渡瀬拓也のセロヴァイト。
この瞬間を持って、拓也は正真正銘のセロヴァイヤーとなった。
――消えろ、と念じる。具現化されたのと同じくらい唐突に、それは緑色の粒子の光となって消えた。普段と何も変わらない両腕をまじまじと見つめ、火が失われた煙草を灰皿に捨て、テーブルの上に置いてあった携帯電話を手に取る。折り畳み式のそれを広げ、電話帳を開いてカーソルを移動させる。『啓吾』と表示されたら通話ボタンを押し込んで呼び出しを開始。啓吾は、四回目の呼び出し音の後に出た。
『……もしもし?』
「……啓吾か?」
それっきり、しばらく二人は無言だった。
やがて拓也が言う。
「手紙、届いてたか?」
啓吾は答える。
『届いてた』
また無言。そして沈黙。
今度は啓吾だった。
『おれは斬撃型。拓也は?』
「おれは打撃型だった」
『そっか』
「おう」
今度の沈黙は、長く続いた。
電話をした要件はお互いわかっていて、言いたいこともわかっている。だけど切っ掛けがない。どうやって切り出していいのかがまったくわからない。まだ夢見心地の気分だった。先ほど見た鉄甲が現実のものだとは到底思えない。しかしこれは紛れもない現実で、自分は後戻りできない電車に乗っていて、そしてセロヴァイヤーになった。それは、果たして幸か不幸か。答えはどちらなのだろう。いや、答えはもう出ている。だって。
静寂が支配する部屋の中、やがて拓也の方が少しずつ震え出す。
口から不気味な声が漏れ始め、それは爆発した。
「ぉおおおお―――――――――――――っ、すっげえぇえ―――――――――――――っ!!」
引き金だった。啓吾も吼える。
『マジでっ!! マジでセロヴァイヤーになれたんだよおれたちっ!! 何だこれ、ありかよこんなのっ!!』
互いがその真名を呼ぶ。
「孤徹っ!!」
『風靭(ふうじん)っ!!』
一度は消滅したはずの拓也のセロヴァイトが再構築される。今度はさっきよりも速いような気がする。空間が歪んで、緑色の粒子の光があふれて、それが両腕に集まって、気づいたときには漆黒の鉄甲は拓也の両腕に装着されている。ズシリと重いその感覚が今まで感じたどれよりも堪らなく嬉しかった。
受話器の向こうでも何かが起こった気配が伝わってくる。姿は見えない。だけど、啓吾の手にも斬撃型のセロヴァイトが握られているのは確かだった。
『拓也のセロヴァイトってどんなの?』
「おれはあれだ、ほれ、鉄甲っていうのか、そんな感じのが両腕に付いてる。啓吾は?」
『斬撃型って言うだけあってそのままだよ。日本刀に似てる刀が一本だけ』
「めっちゃ格好良くねえ?」
『めっちゃ格好良い』
必死に口調を抑えようとするものの、それを上回る勢いで感情が昂ぶっている。
夢のような光景が現実に訪れたこの瞬間は、まさに最高と呼ぶに相応しかった。両腕に装着されている孤徹の重みがすべてを有頂天に引っ張り上げる。自分が世界で最強の男にでもなったかのような気分。不可能は何一つないはずだった。それも強ち嘘ではないはずだ。これさえあれば、世界征服なんていう子供染みたことも可能になるのではないかと本気で思う。
何もかも上等だった。セロヴァイヤー同士の戦いなどすべて無傷で勝てる自信がある。この孤徹に勝てるヤツなど、ただの一人も居はしない。両腕に装着されているセロヴァイトは、それほどまでに神々しくて、それほどまでに禍々しかった。何かをぶん殴りたい衝動に駆られる。が、下手に何かを殴れはしない。もしこれが何かしたらの能力を持っていて殴った瞬間に爆発でもしたら目も当てられない。感情が昂ぶっていてもその辺りは冷静だった。しかし今すぐにでも実験がしたい。これがどんなセロヴァイトなのか試したい。そして、まだ見ぬセロヴァイヤーと現実離れした戦闘がしたかった。
その思いを啓吾に伝える。
「今すぐにでも誰かと戦いてえ。他のセロヴァイヤーってどこにいると思う?」
しかしそれを、啓吾は制する。
『やめた方がいい。まだ早い』
「どうして?」
これから話すのは真剣は話だから黙って聞いて、と啓吾は続けた。
『セロヴァイヤー同士の戦いっていうのがどういうのなのかはわからない。たぶん誰も知らないと思う。だからまず、このセロヴァイトを徹底的に調べなくちゃならない。そして調べたら、今度は徹底的に訓練する。どうすればこれを最も有効に活用できるのか、どうすれば相手に最強の一撃を与えられるか。それをまず理解しなくちゃたぶん勝てない。おれと同じようなことを考えてるヤツが他に何人いるかはわからないけど、たぶん数人は拓也みたいに思ってるはずだ。今すぐ戦いたい、戦ったら絶対に勝てるって。おれもそう思うけど、それじゃ駄目だ。最初にそんなヤツ同士がぶつかれば勝手に数が減っていく。ただ、頭の良いヤツは絶対に最初は傍観に回ると思う。自分のセロヴァイトを理解して、使いこなせて初めて戦闘に参戦するはずだ。そうなったとき、気分だけで戦ったセロヴァイトとの力の差は歴然になってる。スポーツと一緒だよ。基礎に手を抜いたら最初は勝てても、最後まで絶対に生き残れない。――わかる? それでも拓也は戦いに行く?』
ぐうの音も出なかった、
『それに紙にも書いてあったでしょ? 一つの型の中にもそれぞれの特性があるって。つまり、打撃型なら殴るだけ、斬撃型なら切るだけ、っていうそんな単純なことだけじゃないってことさ。何かあるはずだよ、それぞれの特性が。気分だけが先走ったらそれに気づかないはずだ。もしかしたらそれがセロヴァイトの必殺技系になるかもしれない。そうだったら、先走った馬鹿との力の差がさらに広がる。どう? 面白くない? 紙に書いてあった戦術云々はたぶんそれを言いたいんだと思う。どんなに強いセロヴァイトでも、力任せに行けば破れる、とかそんな感じだよ。――それでも拓也が早速戦闘に行くならいいよ。最後に笑うのはおれだから。返答は如何に?』
こいつはやっぱ秀才君なんだよな、と拓也は思った。
そしてこういう場合、熱血系の馬鹿よりは慎重系の秀才の意見の方が正しいのである。それが全部だとは言わない。ただ、啓吾の言っていることはこれ以上ないくらいにわかる。ここは従っておくべきだろう。せっかくこんな素晴らしいものを手に入れたのだから、おめおめと手放してたまるものか。戦闘を行うにしてもそうだ。勝つからこそ面白い。スポーツの試合とは一味違う。スポーツの試合なら結果もさることながらその内容も重要だろう。次回に生かすためにそれを重視するヤツも少なくない。しかしセロヴァイヤー同士の勝負は一発限り、負けたらそこで終わり。それではつまらない。この戦闘は、勝つことがすべてである。ヴァイスを飲んだときにもそんな感じのことが本能的に伝わってきた。
だから、啓吾に従おう。この腕に装着されている漆黒の鉄甲、孤徹を理解しよう。そして徹底的に訓練して最強のセロヴァイトにしてやろう。自信はある。それに実力も伴えば鬼に金棒、恐いものなど何一つない。勝てる。セロヴァイヤー同士をすべてぶっ倒して、この自分が優勝者になる。啓吾に後悔させてやろうではないか。自分を止めたその愚かしさを。自分に忠告したことがどれだけ己の不幸になるかを。それを、思い知らせてやる。勝負だ。どちらが本当に最強のセロヴァイヤーになれるか。最後に笑うのはどちらか、ガキの頃から勝負の行方を、この舞台を持って決しよう。
体が震えた。恐いんじゃない。嬉しいのだ。武者震いというのを初めて感じた。
「――了解だ。おれも啓吾の話に乗る。一応言っとく。忠告をサンキュウ」
通話口の向こうで啓吾が笑う。
『どうってことないよ。だた、やっぱり拓也とは最後に戦いから。それまで生き残ってくれないとおれが困る』
「その考えを後悔させてやるよ」
『無理だね。おれが絶対に勝つから』
「上等だ」
電話越しに考えることは同じ。
――最後に勝つのは、このおれだ。
長年の付き合いだからこそわかる。最後の戦いになるまで、必ず二人は生き残る。そして存分に戦おう。遠慮したらその時点でぶっ飛ばす。友達だから、などと甘ったれたことを抜かしたらその時点で死刑である。これは真剣勝負だ。生死を賭けた最強を決めるデス・マッチなのだ。受けて立とう。残りの七人のセロヴァイヤーなど眼中にはない。ただそいつらは最後に戦う相手のための練習台だ。存分に楽しもうではないか。人生という名のレールの上で、イレギュラーで起こったこのイベントを、楽しもうではないか。
――なあ、戦友。最後まで、生き残ろうではないか。
拓也は孤徹を見ながら、啓吾は風靭を見ながら、電話越しにそう誓い合う。戦いの狼煙は、ここに上がる。
しかし今はまだ二人ともセロヴァイトに関しては初心者である。情報提供は必要だろう。そして、啓吾が最も重要視していることを言った。
『一つだけ、気になる所があるんだ』
「気になる所?」
『そう。届いた紙を見て。どこかわからない所ってない?』
テーブルの上に置いてある手紙を手に取る。流し読みをしてみるがどこにもおかしな点はないと思う。啓吾は一体何を言っているのだろうか。そう思って啓吾に真意を訊こうと口を開きかけ、ふっと思い至った。なるほど、そういうことか、納得できた。
その雰囲気を感じ取ったのか、啓吾が問う。
『気づいた?』
「気づいた。これだろ、型の四種類」
ビンゴ、と啓吾が笑う。
『そう、それだ。大まかに言うと打撃型は殴る、斬撃型は切る、射撃型は撃つ。――じゃあ、幻竜型は?』
幻竜型。それは一体どんなセロヴァイトなのか。
名前から察することができる他のセロヴァイトの型とは明らかに違う。
「しかも幻竜型っつーのだけ一種。レアモンなのか、これ」
『わからない。だけど、最も注意しなくちゃならないのがこの幻竜型だと思う。想像できないのがいちばん恐い』
確かにそうだろう。他の三つの型は想像できる。打撃型は拓也が自身が持っているのでこれからの訓練でさらに深くわかるだろう。斬撃型も啓吾が持っているので大まかなことはわかる。射撃型も銃とかを想像すれば最も近いはずだ。しかし幻竜型だけは想像できない。名前だけを見れば幻の竜。だが竜のセロヴァイトって何だ? まさか本物の竜がセロヴァイトって訳ではあるまい。あやふやなものがいちばん厄介だった。
「……だがまあ、関係ねえよ。来るものは全部ぶっ倒せばいい」
啓吾が苦笑する。
『まあそうなんだけどね』
「それじゃおれはこれからしばらく訓練に没頭するから連絡を取るのはナシな」
『それがいいね。次に連絡を取るのは……そうだね、どっちかが負けたときと、残りが五人になって通知が来たとき。これでどう?』
「了解だ。それじゃあ、おれが優勝するこの本戦を大いに盛り上げてくれ」
『それはこっちの台詞。じゃあね』
「おうよ」
そうして通話は切れる。沈黙した携帯電話をテーブルの上に置きながら、拓也は孤徹を見つめる。
これがこれから三十日間の相棒である。よろしく頼むぜ、オイ。
第十二期セロヴァイヤー同士の戦いの本戦が、こうして始まる。
◎
打撃型セロヴァイト、孤徹。
この孤徹の本質を、本戦開始から十日という時間をかけてじっくりと研究した。まず、具体的な戦闘手段はそのままである。ぶん殴って相手を叩きのめす。打撃型の典型的な攻撃手段だと思う。もともと素手での喧嘩は得意分野だった。このセロヴァイトは拓也に取って愛称が抜群に良かった。しかし素手とこの孤徹装着時で決定的に違うものがある。
それが破壊力と身体能力。
素手と武器とでは力に差が出るのは至極当然のことだ。例えば拳で殴るのとメリケンサックを付けた拳で殴るのとでは相手が追うダメージが決定的に違う。それと同様である。だが、この孤徹はメリケンサックなどという比ではなかった。普通に殴っただけで岩が砕ける。その光景を初めて見たとき、まるで自分が漫画の中の異能力者に思えた。その考えは強ち間違いではないのだが、やはり不思議な気分には変わりない。孤徹の破壊力は、常軌を逸している。通常では考えられない。おそらく、このままで人間を殴れば骨が折れるどころでは済まないのは一目瞭然で、下手をすれば殴った所から吹き飛ぶような気さえする。
当初はそんなもので戦闘などしていいのか、などという心配があったがすぐに解決した。孤徹に限ったことではないはずだ。セロヴァイトを具現化したセロヴァイヤーは、身体能力が著しく向上する傾向にあるらしい。それがどれほど上がっているのかを試してみた所、普通の人間なら死ぬようなことでも平気で行えた。例えば断崖絶壁の崖から飛び降りて着地してみたり(めちゃくちゃ恐かったが)、夜中の高速に忍び込んで100キロ以上出してるトラックにぶつかってみたり(トラックのバンパーがぶっ壊れて運転手が気絶した)、並大抵のことでは傷一つつかなかった。しかも身体能力の向上というのはつまり、殴る力も走る速度も速くなっている訳で、まるで本当に自分が漫画の世界に飛び込んだかのようだった。
孤徹の特性も理解した。最も迷ったのはそこだった。どうやって殴ってみても、どうやって構えてみても、孤徹は何も変化を起こさなかったのだ。虚しく時間だけが過ぎて行く中で、拓也は唐突に理解した。それに気づけたのは偶然だった。なるほど、と一人で納得していた。孤徹の特性は、攻撃面にはないのである。だから幾ら探しても見つからなかった。そしてその特性が、啓吾の言うとおりに必殺系に成り得る。簡単なようで奥の深いセロヴァイトというものに、単純にのめり込んでいた。
そして、拓也が孤徹を使って訓練していた場所はアパートから離れた森の中だったのだが、そこがいちばんの謎だった。孤徹を使って訓練をすれば辺り一帯がぶっ壊れるのは覚悟していたし、事実そうなった。しかし家に帰り、もう一度そこを訪れると、セロヴァイトで破壊したすべてのものが元通りになっていたのである。目の錯覚かと思ったが、どうやらそれがセロヴァイト執行協会本部の言う後始末であるらしかった。証拠にセロヴァイトではなく、拓也が素手で壊したものは元通りにならかった。
セロヴァイト執行協会本部がどうやってそれを行っているのかはもちろん知らない。疑問は数え切れないほどあった。だが、それを超えるほど、このセロヴァイトを具現化できるセロヴァイヤーというのが面白かった。細かいことはすべて抜きにして、ただこのセロヴァイトで他のセロヴァイヤーと勝負がしてみたいと思った。戦闘手段もわかった、特性も理解した。そろそろ戦闘に参戦してもいいのではないか、と拓也は思った。まだ通知は来ていないのだから五人以上は確実にいるはずで、そうならばすぐに遭遇できると考えた。
しかし問題にぶち当たったのである。この広い世界の中で、この数十億を超える人間の中から、一体どうやってセロヴァイヤーとそうではない一般人を区別すればいいのか。随分と悩んだ。悩んだ結果、これまた唐突に思い至った。ヴァイスに詰め込んであった知識の断片が拓也の脳裏に降って湧いた。セロヴァイヤー同士は、必ず惹かれ合う習性を持っていて、望めばセロヴァイヤーの位置を何となく理解できる。そしてセロヴァイヤーに選ばれる者は、必ずその近辺に集中している。つまり、九人のセロヴァイヤー登録者は、この近くにいる。
だから、ヴァイスから伝わる本能にも似た感覚で早速試してみた。神経を集中させて脳の暗い部分をじっと見据えるイメージを抱く。すると意外なことに、それまでまったく感じていなかった波動なようなものが脳に直接響いた。他のセロヴァイヤーのぼんやりとした位置がわかるのが自然に理解できた。出来の悪いレーダーのようなものである。この感覚は、大凡の方向はわかるのだが、その正確な位置まではわからない、という何とも便利なのか不便なのか、よくわからない代物だった。しかし無いよりはマシだったのでそれを頼りに最も近いセロヴァイヤーの所へ向かったら啓吾の家に着いた。虚しくなった。ポッチに吼えられたのですぐに逃げた。気を取り直して次に向かう。
そして辿り着いたのか、今現在、拓也がいるこの場所である。ビルでも建築しようとして途中で中止になって放置されたのか、骨組みだけ組み上げられてビニールシートで覆い尽くされた汚い場所だった。辺りに人の気配はなく、民家もなかった。電車とバスを使ってここまでやって来たのだが、ここがどこかなのかまったくわからない。感覚だけを頼りに来たのが失敗だった、と今更後悔しても始まらないし、しかも今、拓也はしっかりと感じている。
この中に、セロヴァイヤーがいる。
立ち入り禁止と書かれたフェンスを乗り越え、ビニールシートを破って骨組みの内部に入る。天井が真上を向いて初めて見えるほど高い。四角に切り取られたそこから夜空が見えた。セロヴァイヤーを探しに出掛けたのが今日の午後三時くらいだった。随分とまあ時間が経ったものだ、と拓也は思う。そしてその天井の月明かりに照らされるそこに、一人の男が立っている。
紺のスーツに身を固めた手に革の鞄を持っていて、七三分けで眼鏡を掛け、ローファーを履いているどこからどう見ても会社帰りのサラリーマン風三十代前半の男だった。ただ、雰囲気が普通のサラリーマンとは違う。拓也と同じように、誰かと存分に戦闘したくてうずうずしているような、そんな雰囲気がヒシヒシと伝わってくる。男も拓也と同じように、戦えるセロヴァイヤーを待っていたに違いない。はっきりとわかる。この男は、セロヴァイヤーである。
拓也はその一歩を踏み出す。
「……何してんの、おっさん。こんなトコにいると危ねえよ」
男の視線がゆっくりと拓也に向けられる。にっこりと、男は笑う。
「そうかもしれないね。でも、それを言うなら君も危ないよ」
「おれは別にそんなことねえさ。だって、」
その言葉を、男は先に紡ぐ。
「セロヴァイヤー、だから。だね?」
拓也が笑い返す。
「おっさん、名前は?」
「新見(にいみ)。見ての通りのサラリーマンだよ。君は?」
「渡瀬。フリーター兼――……セロヴァイヤー。勝負しようぜ、新見さんよ」
新見と名乗ったサラリーマンが鞄を捨て、スーツの上着を脱いでネクタイを外した。
新見の目つきが険しくなって行く。
「手加減はしないよ。ぼくはね、望みを叶えなくちゃならないから。教えてあげよう。ぼくのセロヴァイトは打撃型だ」
「へえ、奇遇だな。おれもそうだ」
「そうか。それは……楽しみだねっ!」
新見が自らのセロヴァイトの真名を呼ぶ。
「氣烈(きれつ)っ!!」
その瞬間に新見の手に緑色の粒子の光が湧き上がる。それは真っ直ぐに集まってその形体を創り出す。明らかに、同じ打撃型でも拓也と新見のものは違った。新見が手に持っているそのセロヴァイト。それは、巨大なハンマーに近かった。非力そうなサラリーマンが持つには余りに不釣合いな巨大なハンマーがぐらりと揺れて、地面にぶつかった際に轟音を立てて土煙を舞わせる。
打撃型セロヴァイト、三種類の内の一つ。それが氣烈。
「どうした、早く君もセロヴァイトを出したまえ」
上等だ、と拓也は思う。
孤徹を試すのには持って来いのセロヴァイトが相手である。やはり、負ける気がしない。
拓也はその真名をつぶやいた。
「孤徹」
空間が歪み、そこから緑色の粒子の光があふれ出る。その光が拓也の腕を覆い尽くし、闇に溶け込むかのような漆黒の鉄甲が二対一体となって具現化する。この感覚はやはり最高だった。気分が透き通るかのようだ。やはり我が相棒、打撃型セロヴァイト孤徹が最強だ。クソハンマー如きに、負ける気がしない。覚悟しやがれ、今すぐそれを――ぶっ壊す。
新見が少しだけ驚いた顔をする。
「ほお。打撃型にはそんなものもあるのか。いや、奥が深い。……けど、そんな陳腐な代物でぼくのセロヴァイトを防ぎ切れると思わない方が、いいねっ!!」
新見の足が地面を弾いて宙に跳び上がる。通常の人間では考えられない跳躍、オリンピック選手が見ても目を剥くような光景。空中で体勢を立て直す新見は、跳んだ反動で氣烈を背後に構え、全身全霊を込めた一撃を振り下ろす。
拓也は姿勢を低くしてその一撃を避けた。直後、先ほどまで拓也がいたそこがミサイルでも落とされたかのように爆発した。それは爆発と呼ぶに相応しい破壊だった。土煙がもうもうと舞い上がり、宙に散っていた破片が雨のように降り注ぐ。茶色い土煙が舞うその中で、新見は出鱈目に氣烈を振り回す。氣烈が空を切る度に土煙は掃除機で吸われているかのように晴れていく。
やがて土煙が納まった頃、少し離れた所に拓也がいる。新見はにたりと笑って再度跳躍する。一撃必勝の氣烈の攻撃が繰り出され、それを拓也は目で追いながら避ける。一撃でも食らえばそれだけ致命傷の攻撃を紙一重で避け続けた。氣烈が空を切る度、地面を無意味に抉る度、新見の顔が焦りと共に狂気に歪んで行く。焦りは冷静さを失わせ、狂気は戦術を奪い取る。もはや新見にすべては見えていない。ハンマーを振り回すだけの単調な攻撃しか繰り出せず、目の前のガキをゴキブリのように叩き潰す以外に何も考えられない。
そんな新見を見ながら、拓也は笑った。啓吾の言う通りだ、と拓也は思う。この新見という男は、当初の拓也と同じ考えを持っているに違いない。ただセロヴァイトの能力に魅入られ、必ず勝てるという自信だけを頼りに訓練は愚か氣烈の特性さえも理解せずにこの戦闘に望んでいる。もし啓吾がいなければ、自分も新見と同じ道を辿っていたはずだった。最大の戦友に最高の感謝を送ろう、そして、こんな程度で自分に勝てると思っていた哀れなこいつに制裁を下そう。
拓也は、氣烈の一撃を避けるのをやめた。その一瞬を、狂気に染まった新見の眼は逃さずに捉えた。奇声を発して氣烈の一撃を振り下ろす。新見の考えでいけば、たった一撃さえ食らわせればそこで勝負が決すると思っていたに違いない。そしてもしこれが他のセロヴァイトなら勝負がついていたのだろう。しかし、相手のセロヴァイトが悪かった。孤徹には、そんなものは通用しない。
振り下ろされた一撃を、拓也は左腕の鉄甲で受け止めた。砕けた、と新見は思ったはずだった。しかし鉄甲は砕けることはなく、それどころか氣烈のハンマーは漆黒の甲羅に傷一つ付けることができなかった。まるで鉄甲にそっとハンマーを置いたかのように、孤徹は氣烈の一撃を相殺していた。静寂が辺りを包み込み、その中でただ拓也だけが笑う。
「新見さんさ、セロヴァイトに特性があるって、知らないだろ?」
「――……は?」
「それじゃおれにゃあ勝てねえよ」
拓也は右腕の鉄甲を固め、拳を握る。
孤徹の特性。それは、孤徹に触れた物理攻撃を完全に無効化させること。木を孤徹で壊した際に倒れてきたそれを受け止めて初めて気づいた、攻撃面にはない守りにある特性。孤徹で攻撃を受け止める限り、自分は無傷でいられる。つまり相手の攻撃さえ孤徹で受け取れさえすれば、このセロヴァイトは無敵の最強なのである。これさえ極めれば、啓吾にも勝てる――。
そしてもちろん、この新見にも。
「おれの、勝ちだ」
右の拳を全力で新見の腹に叩き込む。
久しぶりに聞く、人を殴る音。その一撃で新見の体がぐらりと揺れ、眼から狂気が消え失せる。ふらふらの足取りを何とか押さえ付けた際に氣烈が持ち上がる。その一瞬で拓也は叩き込んだ拳を引き戻し、氣烈に狙いを定めて再度打ち出した。それは、完全なる手応えがあった。
孤徹の鉄甲が氣烈のハンマーを粉砕する。粉々に砕けた鋼は土煙のように舞い上がり、やがてその一粒一粒が緑色の光となる。粒子が蛍のように漂い、それはゆっくりと新見へと近づて行く。立っていたままだった新見の体が背後に倒れ、その上で粒子は舞い続ける。しかしすぐに変化が起きた。新見の体の中からも、粒子があふれ出していた、それは引き寄せられるように集まり、小さな球体を創り出す。空中でその光が収まったとき、地面に一つの緑色をしたビー玉が転がった。
それが、新見のヴァイスだった。これで新見は脱落者となる。拓也がそれを拾い上げると、ヴァイスはまたその形を崩して粒子となり、孤徹へと吸収されるように消えた。それを確認した後、倒れる新見を見つめる。息はしている。ただ気絶しているだけだ。そして拓也は、その場で再度笑った。手を広げて回りたいような気分だった。セロヴァイヤー同士の戦いが、ただ単純に楽しい。最高だった。もっと強いヤツと戦いたい、という欲求が胸の底から湧き上がってくる。間違いないと思っていた考えが本当の確信に変わる。
――おれは、強い。
さて、ここにはもう用無しである。今回はセロヴァイヤー同士の戦いがどれだけ楽しいか知れただけで十分だ。敗者である新見は放っておいてもいいだろう。気絶しているだけだし、死にはしないはずだ。拓也は孤徹を解除する。夜空を見上げながら、帰ろう、家に帰って茶漬けでも食って取り敢えず煙草でも吸おう。そう思って拓也が踵を返し、骨組みだけの建物を出ようとその一歩を踏み出して、
体の動きが凍りついた。頭の中が真っ白になった。しまった――、そう思ったときにはもうすでに手遅れだった。
月明かりに照らされたそこに、一人の少女が佇んでいる。孤徹のような漆黒の長い髪を携えた、赤いロングコートを着込んだ十代前半と思わしき女の子だった。それは紛れも無く一般人であり、そしてこの子には新見との戦闘を見られてしまった可能性がある。いや、間違いなく見られた。どうするか、と一瞬の内に考える。言い訳は無駄だろう。だったら。そのときに、その考えに思い至る。セロヴァイト執行協会本部から送られてきた紙に書いてあったこと。『もしセロヴァイヤーではない一般人を巻き込んでしまった場合に限り、その人物の身柄を拘束した上で、お手数ですがセロヴァイト執行協会本部までご連絡ください』、巻き込んではいないが見られてしまった。この場合も、一応は身柄を拘束した方がいいのではないか。しかしどうやって拘束すればいいのか――
そう思った瞬間だった。少女が、何事かを一言だけつぶやいた。
拓也には聞こえなかった。しかしそれは、間違いなく、少女のセロヴァイトの真名だった。
空間が歪んだ。拓也から見えるすべての空間から緑色の光の粒子があふれ出す。それは、氣烈の比でなかった。もちろん孤徹とも比べ物にならない。先ほどまで自分が思っていた『強い』という概念が一瞬で消え失せた。武者震いではなく、恐怖で体が震え出す。強いヤツと戦いたいとは思った。しかし、これでは相手が強すぎる。こんなものに、勝てる訳がない。
粒子が集まったそこに現れたセロヴァイト。それは、冗談で思い描いていた、一匹の竜だった。
漫画の世界そのままだった。見上げるほど巨大な真紅の竜が、燃えるような眼光で拓也を覗き込む。
彼女がつぶやいた言葉。それは、幻竜型唯一のセロヴァイト。
その真名を――焔。
焔の口から突き出る牙が不気味に歪み、そして、
「貴様が、勝者だな?」
セロヴァイトであるはずの焔が、口を聞いた。
そしてその視線が動き、拓也の背後に横たわる新見に向けられる。
しかしすぐにその目つきは不可解さに染まり、不機嫌そうに言う。
「……憶えておけ小僧。セロヴァイヤー同士の戦闘の場合、敗者は必ず」
焔に、躊躇いなど微塵も存在しなかった。
「殺せ」
何もかも貫けるような牙がずらりと立ち並ぶ焔の口が抉じ開けられる。その奥底から、オレンジ色の光があふれ出す。狙いは間違いなく、脱落者である新見に向けられていた。
その意味を、直感で理解した。震える体を押さえつけ、真名を口にする。
「孤徹――ッ!!」
拓也の腕に孤徹が具現化されるのと、焔の口から炎の弾丸が吐き出されるのはまったくの同時だった。
とんでもない速さの炎の弾丸と新見を繋ぐラインを一発で見極めてそこに立ちはだかる。両腕を重ね合わせ、炎の弾丸の軌道に孤徹を乗せる。何かを思ってやったのではない。ただ、殺させはしないと体が自然と反応していた。自分がセロヴァイヤーになった明確な理由がある訳ではない。しかし自分は人を殺すために戦闘を行うのではないのだ。平気で人を殺せる訳はないし、それ以前に殺したいとも思わない。戦闘が楽しければそれでいい、たったそれだけを望んでいた。なのに、この目の前のセロヴァイトは殺そうとしている。拓也と新見の間で勝負は着いている。それなのに無抵抗の新見をこのセロヴァイトは殺そうとしている。それが、納得できなかった。気づいたときには、炎の弾丸は目の前だった。
衝撃、などという生易しいものではなかった。孤徹で無効化できるのは物理攻撃だけであって、炎の弾丸は物理攻撃ではなかった。下手をすればこの時点で孤徹が砕けていたかもしれない。もしこれが焔の全力の攻撃だったのなら、本当に砕けていたはずだ。本気ではない攻撃なのに、それなのに、焔の炎の弾丸は、氣烈の一撃とは次元が違うほどの威力があった。孤徹が砕けなかったのはまったくの偶然で、これが孤徹でなかったら自分は死んでいたに違いない。
体が吹き飛んだ。さっきまで背後にいたはずの新見はすでに前方にあって、何かを思うより早くに背中が骨組みの鉄鉱にぶち当たっていた。鉄鉱が玩具のように捻じ曲がり、真っ白な苦痛が全身を駆け巡って顔面から地面に落ちる。体中が痛みに蝕まれ、今まで傷一つ付かなかったはずの孤徹が罅割れて漆黒が鈍い赤に侵食されて溶岩のように溶け出している。力の差は圧倒的なまでに歴然だった。それは、どのセロヴァイヤーが相手になろうとも、勝てるセロヴァイトではかった。その力の差の前では、もはや笑うしか道は残されていなかった。
思った。悪い啓吾、死んだわ、おれ。
どこからか自分とは違う笑い声が聞こえた。
「面白いことをする。実に興味深い。立て小僧」
立てるくらいなら言われる前に立つに決まっている、と声にならない悪態をつく。
全身に力が入らない。これでまだセロヴァイトが消滅しないのが不思議なくらいだった。指一つ動かせない。漠然と頭が理解した。こいつが、幻竜型のセロヴァイト。啓吾、お前の予想は当たってる。こいつに出会ったらお前でも勝てねえよ。迷わず逃げろ。だってお前、こんなの、反則じゃねえかっ。拳を握り締める。悔しくて涙が出そうだった。
そしていつまでも起き上がらない拓也に業を煮やした焔は、その巨体から伸びる腕で拓也の体を引っ張り上げる。
虚ろな拓也の瞳と、燃え盛る焔の眼光が噛み合う。そして、焔が笑う。何かを言おうと口を開けた瞬間に、その顔が歪んだ。目の錯覚かと思った。しかし間違いなく、焔の顔どころか、体全体が歪み始めている。集まっていた膨大な量の緑の光の粒子が徐々に消滅していく。持ち上げられていた拓也の体が地面に落とされ、焔が悪態を付きながら背後を振り返る。
「紀紗(きさ)」
地面にうつ伏せに倒れながら、拓也は焔の視線を追う。
そこに、先ほどの赤いコートを纏った少女が蹲っている。口元を手で押さえながら咳き込んでいるようにも見える。そしてその体が、ゆっくりと倒れた。それに比例するかのように、真紅の竜の消滅速度が速まる。膨大な量の粒子は、確実のその数を減らしていた。
消えかかった焔の眼光が拓也に向けられる。そこから、もう焔は消えていくのにも関わらず、そんなことなど微塵も感じさせない殺気が迸る。
「もしおれがいない間に紀紗に何かしてみろ。そのときは【掟】を破ってでも、」
――貴様を、殺してやる。
その捨て台詞を最後に、焔の体が完全に消えた。
残されたのは未だ倒れたままの新見と敗北に近いダメージを負わされた拓也と、そして幻竜型セロヴァイトの焔を用いるセロヴァイヤーの少女だけだった。その少女に、意識はないようだった。どうやらセロヴァイヤーの意識が失われるとセロヴァイトは消滅するらしい。その御かげで命拾いしたという感が強く残った。
痛みを堪えて起き上がる。真上を向かなければ見えない四角に切り取られた夜空を仰ぎながら、拓也は言葉を漏らした。
「…………どうしろっつーんだよ、バカヤローめ…………」
夜が、更けてゆく。
「焔」
「……で、結局この子って誰?」
目が覚めて、ぼんやりと視線を彷徨わせ、啓吾の顔を見た瞬間にそう言われた。
まず、順を追って説明して行こうと思う。遡るは今から約十四時間前の話である。本戦開始から十日後の午後三時頃からセロヴァイヤーを求めて数時間ほど見知らぬ土地を彷徨っていた渡瀬拓也は、出来の悪いレーダーに従うことによってセロヴァイヤーを探し出すことに成功した。新見と名乗るサラリーマンの打撃型セロヴァイト・氣烈を扱うセロヴァイヤーであった。その戦いに拓也は無傷で勝利を収め、新見のヴァイスを回収した。そして帰ろうとした所で、一人の少女と出会ってしまう。
彼女は幻竜型セロヴァイト・焔を扱うセロヴァイヤーである。
焔のたった一撃の、しかも本気ではない炎の弾丸を新見を庇って我が身に受けた拓也は一発で敗北に近いダメージを負った。このまま死ぬんだろうなと思って諦めたそのとき、焔のセロヴァイヤーが倒れた。それが原因で焔は消滅し、偶然が重なって運良く拓也は助かることができた。その際になって初めて、セロヴァイトを具現化させている状態のセロヴァイヤーは身体能力ではけではなく、自然治癒能力まで向上していることに気づいた。一時は身動き一つできなかったダメージも、三十分もすれば一通りは動けるようになっていた。
そこで思考が巡った。新見はこのまま放っておいてもだいじょうぶのはずだが、倒れている少女はどうするか、である。倒れたのだから何かしらの病気ではないかと思う。しかし無闇に救急車などを呼んでもし普通の人間ではないセロヴァイヤーだと知れれば大変な事態である。可能性がある限り、軽率な行動はできないと考えたのだ。だがこのまま見捨てて帰って死んでしまったのなら寝起きが悪過ぎる。焔には「何かしたら殺す」とまで言われた。それが恐かった訳ではない、そうではないが、もしかしたら何か大変なことになるかもしれないので、一応アパートに連れ帰ってみようと考えた。新見はだいじょうぶだろうが、少女だけ面倒を看て放ったらかしというのは酷く思えたので、取り敢えず携帯電話から救急車を要請しておいた。
電車やバスで見知らぬ土地へ来てしまったことが浅はかだったと思う。まさか気を失っている少女を担いだまま交番に駆け込んでここがどこなのか訊くことなどできるはずもなく、気を失っている少女を抱えて公共の施設を使うなんてことはもちろんできず、打撃型セロヴァイト・孤徹を具現化したまま身体能力に物を言わせ走って帰った。
何度も道に迷いながら、死に物狂いでアパートに辿り着くまでに二時間くらいはかかったような気がする。その間に少女が起きる気配はなく、もしかしたらすでに死んでしまったのではないかと不安になったが息はしていたので安心した。少女をベットに寝かせ、孤徹を解除して一息着くために煙草のパッケージに手をかける。口に咥えた煙草に火を点け、煙を吸いながらぼんやりと思った。
自分は、一体何をしているのだろう、と。仮にもこの少女は敵である。つい数時間前には、この少女のセロヴァイトによりとんでもない攻撃を食らったのである。それなのに、なぜ自分はこうして少女の面倒を看ているのだろうか。もしこの少女が目覚めたとき、問答無用で襲いかかってくる可能性も否めないのだ。そんなことはないと信じたいのだが、幻竜型セロヴァイトが反則染みて強いのがその考えを煽り立てる。
そんなときに、『この少女はセロヴァイヤーである、だったら、取り敢えずヴァイスを抜き取るべきではないか』、というような思考が浮かび上がった。少女を一般人に戻してから看病しても遅くはないだろう。そうなれば焔の脅威に脅える必要もないし、襲いかかってこも来ない。名案に思えたその思考だが、そこには致命的な欠点があった。それは、自分では焔を破壊できないということ。しかも少女は意識を失っていて焔を具現化させることはできないし、そもそも焔を具現化させられても勝てるとは到底思えないのが本音だった。だったら少女が寝ている間に殺してヴァイスを取り出すべきではないのか、というような考えは甦る「殺す」という焔の声によってとっくの昔に否定されている。
どうするか、と煙草を吸いながら悩んでいたら唐突に少女の容態が悪化した。それまで穏やかだった寝息が突然に激しくなり、苦しそうに咳き込み始めたのだ。これには度肝を抜かれた。焔に殺される云々の前に、死なせてたまるかと勝手に思った。しかし救急車を呼ぶか呼ばないか、呼ばないのであれば自分はどうするかと最後の最後まで悩んだ結果、啓吾に頼もうと閃いた。
自分だけの知恵ではどうしようもない、だったら秀才君の出番だ、と携帯電話を手に取った。啓吾との連絡は残りのセロヴァイヤーが残り五人になったときか又はどちらかが脱落者になったときと決めていたのだが、そんなことなどこれっぽっちも頭になかった。目の前で苦しそうに咳き込んでいる少女を見ているとただ焦りだけが増し、今にも息絶えてしまうのではないかと本気で思っていた。
啓吾はすぐに来てくれた。そして部屋の中を見回して開口一番に「……拓也って、いつからロリコンになったの?」と訊かれた。それを否定しつつも簡単な状況説明を啓吾にして、どうすればいいのかと相談した後、啓吾がそれを見つけ出した。少女の赤いコートのポケットに入っていた、プラスチックのケースに詰まっていた錠剤。何だかよくわからなかったが、取り敢えず適当に飲ませてやれ的な行動で少女にそれを飲ませた。さらに悪化したらどうしよう、という不安はこれでもかと言うくらいにあった。しかしその錠剤を飲ませて数分後、少女の容態が落ち着いた。小さな寝息を立てながら、少女は深い眠りへと着いたのだった。
そんな少女を見ながら、拓也は体から魂が抜けるような安堵を覚えた。これで殺されずに済む、と一瞬でも思ってしまった自分を心の奥底に押し込んでボコボコに殴り倒しながら鍵を閉めて封印する。そして訳もわからずここに呼ばれ、如何にも命に関わるような容態の少女を見せられてさらに意味がわからなくなってしまった啓吾に、詳細を説明しようと試みた。しかしその途中にとんでもない睡魔に襲われ、何かを思う間もなく意識は深い闇へと落ちてしまった。
目が覚めたのは窓の外に太陽が見えてからで、ぼんやりと部屋を見回してすぐそこにいた啓吾を見つけた。どうしておれの部屋にお前がいるんだ、と思うのも束の間、啓吾にこう言われたのだった。
「……で、結局この子って誰?」
てな訳で。
今現在、拓也は朝食を作っている。朝食と言っても手の込んだものを作る気はさらさらになくて、そもそもそんなものを作れるほど拓也は起用ではない。だから今日の朝食も、いつもと変わらないトーストとコーヒーだった。買ってあった食パンを袋から二枚取り出してオーブンに入れて焼き始め、その間にコーヒーメーカーに湧いたコーヒーを二つのカップに移して砂糖と一緒にテーブルへ運ぶ。啓吾に「砂糖は自分で入れろ」と言いながら、拓也は甘過ぎるだろとツッコミを入れられるほどの量の砂糖を自らのカップにぶち込んで掻き混ぜる。甘党の拓也にはそれでちょうどいい。
コーヒーを一口だけ口に含むと同時にオーブンが鳴いた。戸棚から皿二枚を引っ張り出し、オーブンから取り出したトーストを上に乗せる。冷蔵庫からマーガリンを調達しながらまたテーブルへ運んだ。啓吾と向かい合うように座り、もう一口だけコーヒーを口に入れながら視線をベットへ移す。
そこにはやはり、漆黒の長い髪を持つ少女が一人、気持ち良さそうに寝息を立てている。不思議な光景である。どこからどう見てもその少女は十二、三歳の子供であり、あの幻竜型セロヴァイトのセロヴァイヤーであるとは到底思えない。まさかとは思うが、あの真紅の竜が実はセロヴァイヤーなのでした、などというオチではないのか。もしくはあの竜がこの少女を操っているのではないのか。突拍子もない思考がコーヒーと共に喉の奥に流れて消える。
「――昨日、どこまで話たっけ」
トーストにマーガリンを塗りながら目の前の啓吾に問う。
啓吾は砂糖を入れないブラックのコーヒーを飲みながらぼんやりと「……新見ってセロヴァイヤーを倒したってトコまで」と答える。その様子がどこかおかしい。何か酷く疲れたような雰囲気がある。確か拓也が起きたときにはもうすでにこんな感じだったはずだ。何かの病気だろうか。心配になって訊ねてみると、啓吾は頭を掻きながら「その女の子とお前の看病に追われて寝てねえんだよ」と面倒臭そうに返答した。拓也自身が啓吾の体調不良の原因だった。
気を取り直す。
「まあいいや、それでさ、その新見を倒したまではいいんだよ。けど、そこから帰ろうとしたときにその子に会った。最初は一般人だろうって思ったよ。紙に書いてあったろ、一般人を巻き込んだら身柄を拘束して連絡してくれって。だからどうやって拘束しようかと悩んでたら、いきなり現れやがったんだ」
「何が?」
「幻竜型セロヴァイト」
啓吾の雰囲気が変わる。コーヒーを持ったまま啓吾の真剣な視線が拓也から外れ、ベットに眠る少女に向けられる。きっかりと五秒間、啓吾は少女を見つめていた。やがてその視線が拓也に戻り、なるほどと肯いてコーヒーをテーブルに置く。
「つまりその子が幻竜型セロヴァイトのセロヴァイヤーって訳だ。で、拓也はそのセロヴァイトと戦って負けた。違う?」
「……よくわかったな」
「わかるよ。おれが言ったでしょ、注意した方がいいって。他のセロヴァイトの型と明らかに違う幻竜型。単純に考えればこれがいちばん強そうだしね。ただそれだけじゃない。もし幻竜型に拓也が勝ってたんならこの子をここまで連れて来ずに救急車でも呼んでるはずだ。でも拓也はここに連れて来た。救急車を呼んだらその子がセロヴァイヤーっていう異能者だとバレてしまうと考えたから。もしくはその子自身に救急車を呼ばないでくれと頼まれたのか、それともそうするしか道がなかったのか。……一つだけ聞く。拓也はまだ、セロヴァイヤーだよね?」
拓也は「当たり前だ」とトーストを齧りながら答える。それに「そっか、よかった」と啓吾が笑う。
「でも負けたのによくヴァイスを取られなかったね」
思い出したくはないが、答えねばなるまいと思う。
「まあな。でもただの偶然だった。勝負は負けたさ、これ以上ないくらい爽快に。その子のセロヴァイト……幻竜型は冗談抜きで強い。いや、強いなんてもんじゃなかった。強過ぎるんだ。反則だぜ、あんなの。お前でも絶対に勝てねえ。あんなモン相手にしてたらヴァイスが幾つあっても足りないって本気で思う。それでもおれが生き残れたのは、その子が倒れて気絶したからだよ。だからセロヴァイトは消え、おれはヴァイスを奪われずに済んだ。あと少しでもその子が倒れるのが遅かったら、おれは間違いなく死んでたね」
もはや完全に開き直っていた。
あれは強過ぎるのである。それは間違いない。それと戦って生き残っている自分が微かに誇らしくもある。が、やはり心の奥底では悔しいという思いが拭い切れない。次にもう一度やったら絶対に勝つ、などということは死んでも言えない。しかし次にもう一度やったら昨日よりはマシな戦いができるとは思う。それこそもっと自分が強くなり、孤徹を最強の、幻竜型をも超えるセロヴァイトにまで成長させることができたのなら、もしかしたら同等の戦いができるかもしれない。とにかく時間が欲しい。幻竜型に勝てるほど強くなるだけの時間が欲しかった。
トーストの最後の一欠けらを口の中に放り込んでそんなことを考えていると、啓吾が本日二度目のことを口にした。
「……で、結局この子って誰なの? 名前くらいは聞いたんだろ?」
口の中にあるものを飲み込み、コーヒーを一口、
「いいや、知らない。その子と喋った訳じゃないし。喋ったのはむしろ幻竜型セロヴァイトの方だよ」
啓吾が怪訝な顔をする。
「待った、セロヴァイトが喋ったのか?」
啓吾のその表情が片手にコーヒー、片手にトーストではミスマッチであるような気はしたが口には出さなかった。
「喋った、バリバリに喋ってた。その子に何かしたら殺すとまで言われた。――あ、」
ふと思い至る。拓也に向かって幻竜型セロヴァイトが殺すと言った際に、ベットで眠る少女の名前を言わなかったか。いや、確かに言ったはずだった。気のせいではない。しかしその肝心の名前がどうしても出てこない。顔はわかるが名前が思い出せない映画俳優のように、喉の奥で何かに引っ掛かっているような気さえする。幾ら考えても名前は喉に引っ掛かったままで、助け舟を出してもらおうと啓吾に交代を要請する。
「……その子の名前、聞いたんだけど思い出せない。何だっけ?」
「おれが知る訳ないだろ」
啓吾が交代を拒否し、トーストに齧り付いたときに思わぬ所から答えが転がり出てきた。
「紀紗だ」
「おお、そう、紀紗だ紀紗、思い出し――」
頭の中が真っ白になった。
気づいたときには、その真名を呼んでいた。
「こ、孤徹ッ!」
声が裏返った。それでも孤徹はその姿を具現化させる。
部屋の空間が歪み、そこから緑色の光の粒子があふれ出す。瞬間的にそれが拓也の両腕に収縮され、漆黒の鈍く輝く二体一対の鉄甲がその姿を現す。もはや体の一部と思えるほどに馴染んだ孤徹の重さを体全体で感じながら即座に立ち上がり、臨戦体勢に入る。神経を集中させて鉄甲を目の前に構えながら声の出所を探る。
先の声は間違いなく、昨夜聞いた幻竜型セロヴァイトのものだった。ベットで眠る少女が真名を呼んだのではない。もしかしたら空耳かもしれないが頭の中の出来の悪いレーダーがはっきりと知らせる。この近くに、幻竜型セロヴァイトはいる、と。ならば外しかないはずだった。あの巨大な真紅の体がこの部屋に入りきるはずもないのである。啓吾の後ろにある窓にまで駆け寄って壊すような勢いで開け放つ。冬の凍てつくような寒い風が部屋の中に吹き込んでくる。拓也は身を乗り出して辺りを見まわすが、雲が混じる青空と見慣れた景色以外は何もなかった。
啓吾が背後でくしゃみをする。コーヒーをズズっと啜りながら「寒い寒い、何だよ外には何もいないって早く窓閉めてよ」と抗議の声を漏らす。こいつ正気かと本気で思った。何もいないもクソもないのである。この近くにあのセロヴァイトがいるのは間違いない。それになぜ気づかない愚か者め。お前はあいつの力を知らないからそんな悠長なことが言えるのだ。一度対峙してみればあいつの強さが嫌でもわかる。声を聞いただけで緊張が体を駆け巡る。気を一瞬でも緩めた瞬間にあの炎の弾丸が突っ込んで来るような気さえする。しかし何をしに来やがったあの野郎、まさか本当におれを殺しに来たんじゃねえだろうなオイ、どこにいる姿を現せチクショウめ。
今度は、ベットで眠る少女がくしゃみをした。その際に、その声が聞こえた。
「窓を閉めろ。殺すぞ小僧」
体が操り人形のようにその声に従った。窓を全力で閉め、部屋の中を見まわす。声は、この部屋の中から聞こえた。
だが部屋の中には真紅の竜の姿は当たり前のようにない。どこだ、どこに居やがる――、そう思って必死に部屋の中に視線を巡らせていた拓也が、ついに啓吾の視線に気づいた。啓吾がコーヒー片手に口をもごもごさせながらどこかをじっと見据えている。その視線を追う。そこには、ベットで眠る少女がいる。出来の悪いレーダーがやっと勘付いた。奴は、そこにいる。
少女に掛けられた毛布がもぞもぞと動いた。爆発的な緊張が生まれる。孤徹を構えたまま、いつでも突っ込んで行けるように姿勢を低くする。
やがて拓也と啓吾の視線が向けられるそこから、幻竜型セロヴァイトがその姿を現した。例えるのなら、ファンタジーモノの漫画にラスボス的な存在で主人公の前に立ちはだかるであろう真紅の竜がゆっくりを起き上がった。大空を縦横無尽に駆け抜けるための翼。燃え盛るような眼光。閉じた口からなおも覗くすべてを貫く鋭い牙。昨夜と変わらない幻竜型セロヴァイトが、そこにはいた。
が、たった一つだけ違うものがある。そのたった一つが、決定的に違うものだった。
緊張感が一発で抜けた。
「…………拓也さ、まさか『これ』に負けたの…………?」
ベットで眠る少女の顔のすぐ側に仁王立ちのように踏ん反り返っている竜を見て、啓吾がそう言う。
「…………そのはず、なんだけど…………てゆーか待て、テメえ何モンだコラ」
竜がその真名を口にする。
「幻竜型セロヴァイト・焔。貴様等もセロヴァイヤーの端くれであろうが。そんなこともわからぬのか小僧共」
拓也は孤徹を構えたまま焔を見つめ、啓吾は口の中にあったものを飲み込んでコーヒーを一口だけ啜る。
世界が、アホらしくなった。今、拓也の目の前にいるのは確かに昨夜戦った幻竜型セロヴァイト・焔である。しかしその威圧感がまるで違う。見ただけで焔との力の差を嫌と言うほど味わされたあの威圧感など今の焔からは微塵も感じない。あの圧倒的な威圧感はどこへ行ったのか。絶対に勝てるはずがないと瞬時に拓也へと悟らせたあの殺気はどこへ消えたのか。確かに拓也が戦ったのは焔である。だが、あの焔とこの焔は絶対に違う。これが昨夜死闘を繰り広げた相手と同一など信じたくはないと頑なに脳が否定する。
ベットで踏ん反り返っている焔は、本当にちっぽけに思えるくらいに、小さくなっていた。
「生きたフィギュアみたいだ」と啓吾が言う。それは間違いではない。どちからと言われればそっちの方が納得できるような気もする。焔は、どこぞのデパートでお手頃価格で買える値段の、怪獣フィギュアみたいに小さくなってしまっていた。昨夜見た焔がそのまま小さくなっている。そんなフィギュアの竜が、ベットで眠る少女の前にいるのだ。少女へのクリスマスプレゼントだと言われれば、はいそうですかと肯いてしまう。それは『恐い』のではなく、『面白い』に部類するのではないかと拓也は思う。そしてそう思ってしまうと、一気に力が抜けた。孤徹を解除してその場に尻餅を着き、乾いた笑いを漏らす。何だこれ、いいのかこんな展開で。今ならこのセロヴァイトになんて楽勝で――
「――勝てる。とでも思っているのか」
心の中で思っていたことを、先に焔に読まれていた。
圧倒的な威圧感が焔に宿る。
「驕るなよ」
拓也が一瞬で視線を向けたそこに、焔から迸る殺気を真っ向からぶつけられた。部屋の空気が凍りつく。燃え盛る眼光から目を外せない。外したその瞬間に殺されるような錯覚に陥る。殺気にアテられた拓也の体から呆れるほどの汗が吹き出し、頭の中が揺れて息が詰まり、吐気を伴いながら先ほどの食ったトーストとコーヒーが胃から逆流してくる。焔に見られただけ。たったそれだけのはずだった。しかしたったそれだけのことで、体の動きすべてを封じ込まれて愚かな考えさえも悉く抹消された。
目の前にいるのがフィギュア、だと? ――冗談じゃない。これは、そんな可愛らしい代物では到底ない。こいつはやはり、化け物に他ならない。こんな見てくれのはずなのに、拓也には昨夜の焔の姿よりも数十倍大きく感じられる。孤徹を具現化して今すぐにでも構えなければ殺される。思考よりも本能がそう告げる。しかし幾ら口を動かして真名を呼ぼうと試してみても無駄な抵抗に終わり、それどころか指一本動かせない。見られただけ。だがその『見られただけ』が、今は『首筋に牙を突き立てられている』ような気がする。このセロヴァイトは、強過ぎる。そう思ったのは、間違いではあるまい。
焔が鼻で笑う。
「貴様などこの姿でも十分過ぎる。身の程を知れ」
一瞬ですべての感覚が戻って来た。頭が落ち着いて呼吸ができるようになり、吐気が遠のく。先ほどまで自分が地底の奥底にいたような感覚に包まれている。反則だろこんなの、と必死に息を整えながら悪態をつく。部屋の中には荒々しい拓也の呼吸と、啓吾のコーヒーを啜る音と、そして少女の寝息が微かに聞こえている。
そんな中で、唐突に焔が言った。
「腹が減った。小僧、何か食い物を出せ」
「はあっ!? な、何言ってんだお前、」
「黙れ。二度は言わせるな」
反論は、できなかった。
負け犬は強者に尻尾を振って媚を売らねば生きて行けはしないのだということを、今ほど実感したことはかつて無い。ただ単純に、ベットで踏ん反り返っている小さな焔が恐かった。格好付けて反論などしようものなら殺されるのだろう。焔は、うるさいガキの一匹や二匹、簡単に殺してのけてしまうのだろう。思考より早くに、感情を押し退けて理性がそう理解していた。
従うしか、拓也に道は残されていない。
「肉なら何でもいい。焼いて持って来い」
「……ベーコンしかねえんスけど……」
「それで構わん。早く行け」
拓也は無言で立ち上がり、台所へと負け犬の風格で赴く。
その背後で、啓吾と焔の会話が自然と耳に入って来る。
「……貴様も、セロヴァイヤーだな?」「もちろん」「セロヴァイトは?」「それは言えないよ。もし戦うことになったらおれが不利になる」「お前はあの小僧よりは利口らしいな」「まあね。でも利口なだけじゃない。おれの方が強い」――拓也は冷蔵庫を開けながらベーコンのパックを探す。奥底に眠っていたベーコンを引っ張り出して、ふと見た賞味期限とカレンダーを重ねて少しだけ考える。賞味期限が二日ほど過ぎていた。しかし人間が食うのではないので問題はないだろう。というより、知ったことではない。これで体調不良になるならなれやクソフィギュアが。おれのせいじゃねえっつーのボケ。もっと賞味期限が切れててもよかったのに、惜しいことをした。
「じゃ、次はこっちの番。その子……紀紗、だっけ?」「このおれに質問をする気か」「当然。おれが答えたんだから次は焔の番に決まってる。全世界共通の決まりだ」「……くっくっく。よかろう。この子は七海紀紗。おれのセロヴァイヤーだ」「十二歳くらい?」「十三だと聞いている」――微妙にぬめっとしたベーコンをフライパンの上に乗せると、油の焼ける音が響いた。唐突に焔から「焦がしたら殺す」との声が聞こえ、適当に返事をしておく。クソ、見抜かれてたか、と拓也は思う。本当は真っ黒の炭になるまで焦がしてやろうと企んでいた。それを貪るクソフィギュアを見て大笑いしてやろうと思っていたのに失敗に終った。ガメツイんだよボケが、贅沢言ってんじゃねえ。
「今度はおれの番だな。貴様は、おれが恐くはないのか?」「どういう意味?」「あの小僧に殺気を放った際に、貴様は何の変化も起こさなかった。おれの殺気を近くで受けてもなお動じない人間を初めて見たのだ」「ああそういうこと。恐いに決まってるよ。拓也の言ってたことが今ならわかる。焔は、強過ぎる」「……貴様、このおれを愚弄する気か」「とんでもない、本音の感想だよ」――フライパンからベーコンの香ばしい匂いが漂う。味付けは何にしてやろうか、などと考えているとまたも唐突に焔から「肉はそのままで持って来い。余計なことをしたら殺す」とのお咎めが届く。塩と砂糖を間違えて味付けしてやろうかと思っていた拓也は肩を落とし、そしてまさか焔はこっちの心を読んでいるのではないかと本気で思った。
「それじゃおれからの最後の質問。紀紗ちゃんは、一体何の病気?」「――……貴様」「昨日の発作を見て思ったんだよ。紀紗ちゃんの病気は軽いものじゃない。もしかしたら命に関わることなんじゃないの?」「…………」「別に答えてくれなくてもいい。ただおれは彼女の面倒を看てそう思っただけだから」「……紀紗は、心臓が悪い。生まれたときから病院暮らしだ。そして、その命は後半年も保つまい」「……そっか」――ベーコンが完成する。どこからどう見ても完璧なベーコンである。我ながらベーコンだけは焼くのが上手い。ベーコンを焼かせれば世界でも五指に入るのではないかと少しだけ思う。これが賞味期限が切れていたベーコンであるとは誰も思うまい。特と味わうがいい、クソフィギュアよ。……って、何だその空気。ベーコン持って気軽に入れるような会話してねえじゃねえかチクショウめ。
そんなことを思って台所で立ち往生していると、焔が「出来たのなら早く持って来い」と面倒臭そうに促す。何とも微妙な気分のまま、拓也はベーコンの乗った皿を持ちながら啓吾と焔がいる部屋へ向かう。テーブルの上に皿を乗せると、焔は翼を羽ばたかせてベットからベーコンのすぐ側へと降り立つ。起用に首を曲げ、皿に乗ったベーコンに食らい付いて呆れるような勢いで貪る。やがて「小僧にしては上出来だ」というお褒めのお言葉が授けられた。ちっとも嬉しくない。
焔がベーコンをすべて平らげ、炎のゲップを一発カマして笑う。
「そう言えば、まだ貴様の名を聞いていなかったな」
焔の視線が啓吾に向けられる。
「名乗れ」
啓吾が和やかに笑い返す。
「神城啓吾」
「神城……憶えておいてやろう。なにせ貴様は、」
一人と一匹の視線が噛み合う。そこには、拓也の入る余地などこれっぽっちも残っていなかった。
そしてただ、焔はこう思う。――やはり、この小僧は気づいている。
「……神城。礼を言う。紀紗が世話になった」
昨夜から今しがたまで啓吾がベットで眠る紀紗の看病をしていたことに対しての礼なんだろうなということはわかった。啓吾は「いえいえ、とんでもない」とまるで友達の母親に答えるかのような仕草で首を振る。啓吾は焔が恐いと言っていた。しかしそれが本音であるとは到底思えない。そもそも啓吾に恐いものなど存在しないのではないかと思う。
「ちょっと待て、おれに対しての礼は無いのかよ?」
確かに紀紗の看病をしたのは啓吾である、それは認めよう。しかし新見と戦ったあの場所から倒れた紀紗をここまで連れ帰って来たのは他の誰でもない拓也である。その道中、どれだけ大変な目に遭ったと思っているのか。見知らぬ土地で迷うわ野良犬に追いかけられるわ、警官に誘拐犯と間違われるわの大騒ぎだったのだ。それらをすべて死に物狂いで乗り越えて紀紗をここに連れて来てやったのだ。そんな拓也に対して礼の一つや二つ送ってやっても罰は当たるまい。
しかし焔は、ただの一言で一喝する。
「黙れ。死にたいか」
「っんだとこの野郎、調子コクのも大概にしよけやクソフィギュア」と言えたらどれだけ心地良いだろう、と幻想の世界に身を沈める拓也であった。
そして、ベットで眠っていた紀紗が目を覚ましたのは、ちょうどそのときだった。毛布が擦れる音が部屋に響き、それに気づいた全員がベットへと視線を向ける。ゆっくりと上半身を起こした紀紗は寝ぼけ眼を手で擦りながらぼんやりと辺りを見まわす。やがてその視線が焔を捕らえ、寝癖の付いた長い髪が際立たせる綺麗な笑顔でつぶやく。
「…………ほむ、」
その口を、瞬間的に移動した拓也の手が押さえ付けた。
そして拓也は叫ぶ。
「バカお前はっ!! こんなトコで真名呼んでみろっ!! このアパートぶっ壊れるぞっ!! わかっ、うおおおっ!!」
「紀紗に触るな小僧ッ!!」
焔の口から吐き出された火炎放射が拓也の足を熱する。規模はライターの火程度だが、大きさ云々の前に火である。熱いのである。服が焦げるのは至極当然のことだった。慌てて紀紗の口から手を離し、散らかった床を絶叫しながら転げ回って足を摩る。そんな無様この上ない拓也を紀紗は不思議そうに見つめ、やがて羽ばたいた焔がその肩に乗る。
啓吾が呆れ口調で拓也に問う。
「……もしかしてさ、セロヴァイトの真名を呼んだら無条件で具現化されるって思ってない?」
違うのか?、と視線で促すと、啓吾がため息を吐いて説明を開始する。
「全然違う。セロヴァイトの真名を呼んでその都度具現化されてちゃ敵わないよ。てゆーかヴァイスにも詰まってたでしょ。簡単に説明するとそのままだよ。セロヴァイトの真名を呼ぶときに『出て来るな』って思えば具現化はされない。試してみたら?」
床に倒れ込んだまま、出るな出るな出るなと念じながら真名を呼ぶ。
「……孤徹」
孤徹は、具現化されなかった。ほらね、と啓吾が笑う。
何も無い自分の両手を見つめながら何ともやるせない気持ちに陥る拓也に向かって、焔がただ「青二才が」と吐き捨てる。今まで自分は何をしていたのだろう、と漠然と思った。孤徹の真名を呼んだら無条件で具現化されるものだとばかり思い込んでいた自分は一体何なのか。当たり前のように知っている啓吾とは違い、そんな初歩的なことも知らなかった自分は馬鹿の極みではないのか。昨日の緊迫した自分はどこへ言ってしまったのだろう、今日は酷く疲れたと思うのは気のせいだろうか。
放心状態になっている拓也を置き去りに、啓吾が立ち上がる。上半身だけを起き上がらせている紀紗の側に歩み寄り、人柄の良い笑顔を浮かべる。
「初めまして、紀紗ちゃん。おれは神城啓吾。よろしく。気分はどう? どこか痛い?」
いきなりのその問いに僅かに動揺する紀紗だが、焔が敵対心を持っていないことと啓吾の話の判る兄貴分というような柔らかな雰囲気を感じ取って、ぎこちなく精一杯に笑ってふるふると首を振った。
そっか、それはよかった、と啓吾は肯く。そして踵を返し、まだ倒れたままの拓也に向かって言う。
「紀紗ちゃんも心配なさそうだから、おれは帰るよ。さすがに眠たくなってきた」
そう言えば啓吾は寝てないんだよな、と納得する。しかしまだ半分以上が機能停止に追い込まれている脳みそでは完全には理解できなくて、ぼんやりと「おお、サンキュウ……」とだけ返答する。それを聞き届けた啓吾が立ち去ろうと歩き出すその際に、視線が一瞬だけ焔と噛み合う。そして、啓吾は笑う。焔は何も言わず、啓吾を見送った。アパートのドアが閉まると、部屋には未だ放心している拓也とベットに座る紀紗、その肩に乗る焔だけが残される。
しばらくは、誰も何も言わなかった。しかしその沈黙は、焔のその一言によって打ち破られる。
「――小僧。しばらく、おれと紀紗はここで暮らす」
脳みそが一発で活動を開始する。
体の神経をすべて導入して起き上がり、口を開いて絶叫する。
「はあっ!? ふざけんなよコラぁあっ!!」
だがその抗議の叫びなど焔はもちろん受け入れない。
「紀紗をおれの羽で寝かせるのはそろそろ限界だ。だから紀紗はここで寝かせる」
「馬鹿言えっ! ベットは一つしかねえぞ! どうやって寝かせんだよ!」
「お前が出て行けば問題は無かろう」
「ここはおれん家だっ!!」
焔から有無を言わせぬ爆発的な殺気が迸る、
「黙れ小僧。口答えは許さぬ」
「くっ……ぬぅ、テメえ……」
それは反則だろうがこのクソフィギュア、などと思っている拓也の目の前で、紀紗が行動を開始する。焔の言うことに真っ向から納得したのか、それとも拓也の意見など紀紗も気にしないのか、新しい寝床と化した散らかり放題の拓也の部屋を猫のように探索し始めた。その辺に転がっているものを手に取り、まじまじと見つめてから興味が無いものだと判別するとぽいっと捨て、また新たなものを手に取り、まじまじぽいっ、を繰り返す。
そんな紀紗を見つめながら、何だよこの展開は、と悪態をつく。何をどう間違ってこうなってしまったのか。何をどう勘違いして焔はここで暮らすなどと言ってのけたのか。こちらの迷惑を考えろ、という意見は焔には無意味なのだろう。焔の前では、拓也に人権が無いのは明白だった。焔がここで暮らすと言った以上、負け犬には反論する権利など存在しない。焔の強さの前にはすべての理不尽がまかり通るのだろう。
しかし、仮にも敵のセロヴァイヤーを何が楽しくて家に泊めなければならないのか。もし寝ている間に殺されたら洒落にならない。笑えない冗談である。
その拓也の考えを読んだのか、紀紗の肩から飛び立ってテーブルの上に降りた焔がまたしても鼻で笑う。
「安心しろ。貴様の寝首を掻こうとは思わん」
そこで焔の雰囲気が一転し、真剣な口調でこう言った。
「時に小僧。貴様はあいつのセロヴァイトを知っているのか」
「あいつって、啓吾?」
焔が肯く。なぜそんなことを訊くのかがわからなかったが、無意識の内に答えていた。
「確か斬撃型の風靭ってヤツだったような……」
そうか、と焔が言葉を漏らしたとき、どこからか「きゅー」という間抜けな音が聞こえてきた。
視線を移すと、いつの間に押入れから引っ張り出したのか、紀紗がピンク色のイルカのぬいぐるみを持っていた。それを紀紗がぎゅっと抱き締めると、腹の辺りから「きゅー」と音が鳴る。あのぬいぐるみは確か、拓也の引っ越し祝いにと啓吾がくれたものだ。なぜこんなものをくれたのかは簡単である。啓吾が引っ越しの手伝いに来る前にゲームセンターに寄って、UFOキャッチャーでゲットしてきたのだ。だがどうしてこんなものを引っ越し祝いに持って来るのかは謎のまま、使い道のわからないものと認定されて押入れに封印されたのが今年の春である。
しかし抱き締めると音が鳴るとは初耳だ。どうやそのイルカが紀紗のお気に入りなったらしく、実に嬉しそうにきゅーきゅー鳴らし続けている。
「――一つだけ、教えてやろう」
唐突に、焔がそうつぶやいた。
「十日後にはどうなっているかはわからんが、もし今、このおれを除くすべてのセロヴァイトが総当りでぶつかったとき、生き残るのは神城だろう」
きゅー。
焔は、言い切った。
「この本戦で生き残っているセロヴァイヤーの中では、」
きゅー。
「奴が、最も強い」
きゅー。
無意識の内に紀紗に歩み寄り、イルカを没収する。と、紀紗は泣きそうな顔で拓也を見上げた。その視線を受けたことにはどうすることもできず、結局はまた紀紗にイルカを返してしまう。イルカを受け取った紀紗は本当に嬉しそうに笑い、そして抱き締めてきゅーきゅー。その音のせいで、かなり重要な焔の話がちっとも緊迫感を帯びない。どうにかならないものか、とは思うものの紀紗に泣かれては手に負えないし、もしかしたら焔に殺されるかもしれないので没収できないのが痛いところである。
紀紗から視線を外し、窓の外の広大な青空を見ながら思考を巡らす。啓吾が、今現在生き残っているセロヴァイヤーの中で最も強い。その焔の考えが、妙にはっきりと納得できている自分がいた。啓吾とはガキの頃からの仲である。だからこそ拓也が一番理解できる。あいつがちょっとやそっとのことで負けるはずはない。ああ見えて啓吾は喧嘩が強い。しかも拓也には無い知性まで兼ね揃えている。そんな啓吾が一筋縄で負けるとも、そしてこの自分が楽に勝てるとも思ってはいない。啓吾とは、最後に最大の死闘を繰り広げて戦うのだろう。
最強の戦友と対等に戦うため、焔の忠告を肝に銘じる。
部屋の中では、いつまで経ってもイルカのぬいぐるみが鳴き続けていた。
焔は思う。
まだセロヴァイヤーの本戦が始まって十一日しか経っていない。その短期間の中であのことに気づいたのは、恐らく神城啓吾が初めてだろう。今まではそのことに気づいたセロヴァイヤーの方が少なかった。気づいた少数のセロヴァイヤーとて、本戦の後半になってやっと思い至っている。それなのに、この段階で奴は勘付いていた。そして厄介なことに、気づいただけではなく、神城啓吾は完璧に使いこなしているはずだった。神城啓吾と話していて、そのことを確信した。
斬撃型セロヴァイト・風靭。それは、前回の優勝者が用いたセロヴァイト。その力を、奴は完全に理解している。
しかも今回のセロヴァイヤーには優秀な人材が多い。我がセロヴァイヤー・七海紀紗は言わずもがな、そしてまだ発展途上だが小僧も含まれる。そしてもう一人、大きな力の波動を感じる。その輩がどのセロヴァイトを得たのかはわからないが、恐らくそいつも生き残るであろう。
第十二期セロヴァイヤーは、優秀である。焔が初めて本格的に参戦するセロヴァイト戦が、過去最高のセロヴァイト戦になることは容易に想像できた。
焔が、実に楽しそうに笑う。
――随分と、楽しめそうだ。
そんな焔の気持ちなどもちろん知らず、紀紗はまだまだきゅーきゅーし足りない。
そして神城啓吾は、早朝の寒い中、原チャリで道路を爆走しているのだった。
「風靭」
あまりの寒さに目が覚めた。
肌に感じる室温にまさか窓を開けたまま寝てしまったのだろうかと思い、横になった状態で視線を上げるが窓はしっかりと閉まっていた。そしてふと、視線がいつもより低いことに気づく。辺りを見まわすと見える光景がいつもと違う。どうやら自分はベットではなく床に直接寝ているらしい。しかしなぜ床で寝てしまったのだろうか。床で寝ねてしまうのなど何ヶ月振りか、酒をベロベロになるまで飲み倒してそのまま寝てしまったのが確か三ヶ月前ではなかったか。
上半身を起こす。自分に掛けられた赤いコートをぼんやりと見つめ、こんなの持ってたっけと思うが寝起きの脳みそは深く考えることを放棄する。窮屈な体勢で寝ていたのが原因となり、体の節々が痛んだ。首を回すと軽快な音が幾つか鳴った。部屋の時計を見るとまだ七時前だった。今日のバイトは午後からである。まだ余裕で寝ていられる時間である。しかしまた床で寝るのはお断りだ。今度はちゃんとベットで寝直そうと思い立ち、のっそりと起き上がってベットに視線を移し、やっと気づいた。
ベットに、長い髪を広げてピンク色のイルカのぬいぐるみを抱き締めて寝ている少女がいた。それを視界に収めた瞬間に一発で眠気は吹き飛んで、僅かな動揺の次に頭が理解する。すべてをはっきりと思い出した。この少女は誰なのか、なぜ自分が床で寝ていたのか。答えは簡単である。このお気に入りとなったイルカを抱き締めながら眠る少女、名前を七海紀紗。その紀紗に、ベットを占領されてしまったのである。それで仕方が無く、自分は床で寝たのだ。
その原因を作り出した幻竜型セロヴァイト・焔は紀紗の枕元で起用に丸まって目を閉じていた。こいつも寝るのか、と漠然と思う。結局、自分は焔に反論できずに、うやむやのまま紀紗をここに泊めてしまったのだ。昨夜は不貞腐れたまま床で寝た。その際にはこのコートは掛かっていなかった。たぶん紀紗が掛けてくれたのだろう。それには感謝するべきか否か、悩みどころである。
唐突に、紀紗が抱き締めているイルカが「きゅー」と鳴いた。
さてどうしたものか、と拓也は思う。もう一度寝ようにも頭は冴えてしまったし、かと言って朝飯にはまだ早過ぎる。焔はともかくとして、ベットでぐっすりと眠る紀紗を起こす気にもなれない。そこで思い至る。昨日は忘れていた日課をしよう。そうと決まれば行動あるのみだ。壁に掛けてあった拓也愛用のダウンジャケットを着込み、テーブルの上の煙草とライターを回収しながら紀紗を起こさないように部屋を横切ってアパートを出た。
まだ早朝だからなのか、外に出ると部屋以上の寒い気温にやられた。息を吐くと冬のように真っ白くなった。鍵を閉めようかどうか悩んだが、取り敢えず心配ないだろうからそのままにしておいた。紀紗だけなら心配だが焔がいる。泥棒や強盗如きに焔が劣るはずはないのである。どちらかと言えば、この部屋に入った奴が悪いのだ、すまないが焔に焼き殺されてくれ。両手をダウンジャケットのポケットに突っ込みながら、どこからか聞こえて来る車の排気音を耳に入れてゆっくりと歩き出す。
日課、というほどのことでもないのかもしれない。しかしそれでも、この十日間は一度も欠かさずにやってきたことだ。それは、拓也の住むアパートから離れた場所にある森に赴き、孤徹の訓練をする、というものだ。孤徹の特性を理解するために十日間毎日行ったことである。昨日はいろいろとあってできなかったが、今日からまた再開だ。
煙草のパッケージから一本取り出してライターで火を点ける。煙を吸い込みながら思う。
孤徹に特性があるように、やはりセロヴァイトにはすべて特性があるらしい。もちろん焔にも特性があった。昨夜気になって焔に聞いてみたところ、気が向いたのか焔は教えてくれた。焔の特性。それは、思考を持っていて喋れることと、セロヴァイヤーが真名を呼ばずとも常に具現化していられること。戦闘面に関わることではないので教えてくれたのかもしれないし、そもそも焔はただでさえ反則染みて強いのに戦闘面に特性があればそれこそ本当に反則のような気がする。しかし喋れる特性はともかくとして、具現化の方は力を制御されるようだった。だからこそ、真名を呼ばず具現化されている状態の焔は小さいのである。真名を呼んだときだけ、焔はあの真紅の巨体を現すそうだ。あの夜に感じた焔の圧倒的な威圧感を思い出して体が自然と強張る。
そんな気持ちを抑えつけながら煙を吐き出す。白い息と混じり合った煙が空気に触れてゆっくりと漂う。
しかも幻竜型セロヴァイトというのは、今回のセロヴァイト戦が初めての本格参戦らしい。それはどういうことなのかと聞いてみると、焔は笑いながらこう言った。
「おれは今まで幾度かセロヴァイヤーを得てこの世界に具現化された。だが、おれのセロヴァイヤーは最も早くに脱落者になっている。……なぜか、だと? 簡単なことだ。おれがすべて皆殺しにしたからだ。どいつもこいつもこのおれを扱うには弱過ぎる。だから真っ先に脱落者にしてやった。我がセロヴァイヤーを認め、セロヴァイト戦に本格参加するのは今回が初めてなのはそういう訳だ。紀紗はおれが受け入れた唯一のセロヴァイヤー。紀紗に何かしたらそのときは、どんな手を使ってでもそいつを殺してやる。例えそれが神城でも、小僧、貴様でもな」
冗談に聞こえないのが恐い。いや、焔は冗談で言っているのではないのだろう。もし拓也が紀紗に何かしたら、そのときは本当に焔は躊躇い無く拓也を殺すのだろう。焔は、紀紗だけを守り、紀紗のためだけに戦っているのだろう。それは、間違いないと思う。
煙草の最後の一口を肺に入れながら、道路に捨てて踏み潰す。
そしてその七海紀紗のことについて少しだけ。紀紗のことに関しては焔も殆ど教えてはくれず、逆に焼き殺されそうになったので未だにあまりよく知らないが、紀紗自身が教えてくれたことを少しだけ述べておこう。名前は七海紀紗、十三歳。好きなものは卵焼き。嫌いなものはブロッコリー。以上。つまり、紀紗は好きなものと嫌いなもの以外何も教えてくれなかった。ぶっちゃけた話、意味がない。ただ、啓吾と焔の会話を聞いている分には大体は理解できる。紀紗は生まれ付き心臓に病気を持っており、焔に出会うまでは病院暮らしを余儀なくされてきたのだろう。こうして外に出歩いていいのかはわからないが、焔と一緒にいれば何とかなるのだろう。
そして紀紗に関して、最も重要なこと。本当かどうかわからないが、紀紗の発作を見ているだけに否定できない。それが、紀紗の命が後半年も無いということ。もし事実だとすれば、かなり大変なことなのではないかと拓也は思う。だが仮にも紀紗は敵である。今は変な展開に発展して同居などをしているが、いつかは戦わねばならない相手なのだ。そのときに情が移って手加減などをしていては焔には絶対に勝てない。それこそ、紀紗を殺すつもりで行かねば焔には到底敵わないのだろう。
しかし、でも、という考えがどうしても拭い切れない自分の意思を捻じ伏せる。気づけば、足はしっかりとアパートから離れた森へと到着していた。辺りに人の気配は無く、民家も無い。要らぬ考えを吹き飛ばすために、今は全力で訓練に打ち込もうと思った。朝霧の向こうにある森の奥底を見つめながら、拓也はその真名を呼んだ。
「――……孤徹」
冷たい空間が歪み、そこから緑色の光の粒子があふれ出して拓也の手に収縮される。弱々しい太陽の光に反射する漆黒の二体一対の鉄甲が姿を現し、その重みをしっかりを噛み締めて拓也は拳を握る。鉄甲を派手に打ち鳴らし、運動能力が向上している自らの体をフル活動させて山を一気に登り始める。
背後にとんでもないスピードで流れて行く景色を一つ一つ目で追いながら拓也は思い出す。焔は、紀紗を除くセロヴァイヤーの中では神城啓吾が最も強いと言った。それは信じよう。斬撃型セロヴァイト・風靭を用いる啓吾が最大の壁になることは本戦が始まった頃から知っている。だから、その壁を超えるために拓也は自らのセロヴァイトを高めようとしているのだ。風靭は一本の刀だと啓吾は言っていた。つまり、斬撃型とはその名の通り、相手を切るのが攻撃手段だと考えるのが妥当だ。そして切るということはつまり、物理攻撃に他ならない。その軌道さえ見極められれば、自分は啓吾というセロヴァイヤーの壁を超えられるはずだった。
打撃型セロヴァイト・孤徹。物理攻撃が相手の限り、孤徹は絶対に負けはしない。それにはまず、自分が強くならねばならない。相手の攻撃を見極め、なおかつそれを孤徹で受け止められるくらいに強く。そうすれば孤徹は無敵と化す。そうなったと同時に、セロヴァイヤーの中で最も強いのはこの自分となるのだ。啓吾を超えよう。そして焔さえも凌駕できるだけの強さを身に付けよう。この第十二期セロヴァイヤーで行われるセロヴァイト本戦で生き残るのは他の誰でもない、この渡瀬拓也だ。
孤徹を地面に叩きつける。瞬間に爆発したかのように地面が抉れ、拓也の体が宙に高々と舞い上がる。空中で体勢を立て直しながら、一本の木に狙いを定めた。どんな奴が相手でも上等である。すべてをぶっ倒して、このおれが最強だ。
空中を蹴って拓也が加速し、孤徹を振り抜いた。一本の木が、根元から圧し折れて吹き飛んで行く。
地面に着地しながら、空を見上げて獣のように拓也は叫んだ。
◎
それから約四時間後、場所は神城家に移る。
神城家は典型的な日本風の二階建ての家である。庭は中々に広く、子供の時分の啓吾が遊ぶには広過ぎるくらいだった。まずはそんな庭を横切って立派に作られた玄関に辿り着こう。玄関を開け、綺麗に揃えられている靴を視界に収めながら座敷わらしでも横切りそうな廊下を進む。その途中に階段がある。向きをそこに変え、金閣寺のパズルが掛けられた壁沿いに階段を上がろう。急な階段を上ったらまた向きを変え、暗い廊下を行く。二つのドアと一つの襖を素通りすると、作り物の煙草が捻じ曲げられたものがついている『NO SMOKING』と書かれた黒い立て札が掛けられたドアが見えてくる。ドアノブに手を当て、ゆっくりとドアを開けよう。そこが、神城啓吾の部屋である。
部屋主は今、勉強机の前の椅子の背凭れに寄りかかりながら指でシャーペンをくるくると実に暇そうに回している。勉強机には大学のレポート用紙が広げられているものの、そこには白一色が広がっている。つまりは白紙である。啓吾が何となくやろうかと思い至って椅子に座りシャーペンを手に持って、かれこれすでに三十分近く経過していた。しかし未だにレポート用紙は白紙で、やる気は全くと言っていいほど湧き上がって来ない。正直な話をすると、これでもかと言うほど暇だった。
大学を首席で入学したまではいい。だがそれが最近では重荷になりつつある。成績は放っておいてもキープできそうなのだが、問題は講師の考えだ。お前は首席なのだからレポートには期待しているぞ的な目つきで提出課題を渡されても面倒なだけだった。首席で入学するんじゃなかった、などと最近は憂鬱になる啓吾である。
時々、拓也がすごく羨ましくなるときがあった。拓也は自分の生きたいように生きている。何にも縛られずに思いっきり羽を伸ばしている。まるで野良猫のように生きている拓也の姿が、微かな憧れだった。窮屈な世界で生きている啓吾にとって、それはとても羨ましいことで、しかしそれ故に真似できないことだった。息苦しさを感じていたのかもしれない。
しかしつい先日、そんな自分の世界をぶっ壊すだけのものが現れたのだ。それがヴァイスだった。セロヴァイトを具現化できるセロヴァイヤーになってからはそんな息苦しさもすべて吹っ飛んでしまった。ただ楽しかった。自分が偽りで築き上げて来た世界観が崩壊し、新たな世界観が生み出されようとしていた。期限は三十日間と決められている。その期間内だけは、自分は何からも縛らない完全なる自由だと思った。
啓吾はシャーペンを放り出し、レポート用紙をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱にぶち込んだ。椅子から立ち上がって背伸びをしながら三歩だけ後ろに下がり、ベットに仰向けに倒れ込む。天井に手を伸ばしながら、その一言をつぶやく。
「風靭」
緑色をした光の粒子が啓吾の掌からあふれ出し、長い刀の形を具現化させる。粒子が消え失せたとき、啓吾の手には一振りの刀が握られていた。典型的な型の、刃が輝く日本刀。それが斬撃型セロヴァイト・風靭の姿だった。触れるものすべてを切り捨てる、啓吾の相棒である。
まだ風靭を使っての実戦経験は無い。この十一日間はずっと、この風靭の特性を理解すると同時に使いこなすために費やしてきた。その甲斐あって、啓吾は風靭のすべてを理解することに成功した。他のセロヴァイトがどんな特性を兼ね揃えているかはわからない。だがこの風靭の特性を持ってすれば、拓也に宣言した通り、無傷で優勝することさえ可能になる。しかも自分は気づいたのだ。風靭だけではないはずだ。すべてのセロヴァイトに共通するそのことに。恐らく、このことに気づくセロヴァイヤーは少ないはずだった。セロヴァイトを理解しようとしない奴には、絶対にわからないことだ。
そしてそれこそが、セロヴァイトに取っての本当の特性であり、切り札だった。拓也はまだそのことには気づいていないのだろう。昨日見せてもらった拓也のセロヴァイト・孤徹。あの形状からすると特性は破壊か守りのどちらかだと思う。破壊なら触れたものをすべてぶち壊すとか、守りなら攻撃を受け流すとか。当たらずとも遠からずだと啓吾は考えている。拓也はその特性には気づいている。そうでなければ新見というセロヴァイヤーに無傷では勝てなかったはずだ。だがしかし、もう一つの肝心なことにはまだ気づいていない。拓也がもし最後の最後までそれに気づかないようなら、このセロヴァイト本戦で最後まで生き残るのは、この自分か、もしくは紀紗である。
今現在最も強いセロヴァイトは焔だ。もし自分が焔と生死を賭けて対峙したとき、勝てるかどうかは微妙なところである。ただ、対等な勝負はできるという自信はある。焔に負けるとしても、一泡噴かせてやることくらいは可能なはずだった。風靭なら、焔にも引けは取らないという絶対の自信があった。だが、焔は本当に反則的な存在だ。会話しただけで、焔は自分がセロヴァイトのもう一つの特性に気づいていることに気づいていた。拓也がこのまま成長しないようなら、最後に死闘を繰り広げる相手は焔だ。
そして何にせよ、そろそろ実戦経験が欲しいと啓吾は思う。並大抵のセロヴァイヤーでは自分には勝てないだろう。かと言って拓也や焔に挑む気はさらさらにない。練習台となるセロヴァイヤーが必要だった。ベットに寝転がったまま時計を見上げる。時刻は正午を指していた。面倒だが仕方が無い。こちらから出向くか。風靭を解除しながらそう思って腰を上げようとしたとき、外からそれが聞こえた。
庭で、ポッチが吼えている。ポッチとは神城家が飼っている犬であり、コリーとダックスフンドの血が色濃く混じった雑種の犬だ。そのポッチが吼えるときはつまり、神城家に誰かが来たときだった。客がやって来たのだろう。近所の人か郵便屋かセールスマンか、それとも――。そして啓吾は、その場で笑った。体にある細胞の一つ一つが反応を起こす。客は、この神城啓吾が目当てで来た。間違いない。頭の中のセンサーが告げていた。
客は、セロヴァイヤーである。啓吾は起き上がり、部屋を出て階段を下りながら玄関へ向かう。探しに行く手間が省けた、と啓吾は思う。まさか向こうから出向いてくれるとは思ってもみなかった。実験台にはちょうどいい。初めての実戦経験での練習台になってもらおうではないか。玄関を開けて外を見まわすと、庭にどこかの学校の制服を着た女の子が一人、立っていた。ショートの髪と整った顔立ちを持った、高校生くらいの女の子のである。その子が玄関から顔を出した啓吾を見つけると、真剣な目で睨みつけた。
そんな視線を受けても全く動じず、啓吾はに和やか笑う。
「ここに女の子が来るなんて何ヶ月振りだろうね。場所を変えようと思うんだけど、いい?」
女の子は無言で肯く。それに「ちょっと待ってて」と言いながら一旦引き返し、靴を履いて改めて玄関を出た。女の子の隣を通り過ぎ、裏路地に近い道路を歩き出す。女の子は無言で啓吾の後に付いて来ていた。どうやらいきなり襲いかかってくるつもりは無いらしい。良い心構えだ、と啓吾は思う。もし襲いかかってきたのなら、自分は問答無用で切り捨てていただろう。
道中、啓吾は振り返らずに女の子に話しかける。
「おれは神城啓吾。十九歳の大学生。君は?」
背後からの返答は聞こえない、
「あのさ、せっかくおれが名乗ったんだから君も、」
「夏川彩菜。高二」
「そっか。よろしくね、彩菜ちゃん」
彩菜が殺気を放つのがはっきりとわかった。焔には到底及ばないものの、普通の人間に比べれば威圧感のある殺気だった。
「あんたもセロヴァイヤーでしょ。だったらよろしくなんて言葉はいらない」
啓吾は苦笑する、
「まあそうなんだけどさ、一応礼儀として言っとかないと。こうして会えたのも何かの縁な訳だし。――あ、ここでいい? 人はいないしたぶん来ない」
振り返った啓吾から視線を外し、彩菜は辺りを見渡す。
住宅地から少しだけ離れた空地だった。ここは幼少時代、人が来ないのを良いことに拓也と一緒に火遊びなどをした思い出のある場所だ。ここの土地を管理している人間もこの土地の存在など忘れているのではないかと思うくらいずっと放ったからしにされていて、雑草が伸び放題になっている。その分、この辺りには人が来ないので何かをするには好都合だ。それこそ、セロヴァイヤー同士の争いをするのには持って来いだった。
彩菜が笑いながら肯く。そして、その真名を口にした。
「水靭」
目の前に差し出された彩菜の掌から緑色の光の粒子があふれ出し、セロヴァイトを具現化させる。一振りの刀が彩菜の手に握られ、空気を切り裂くように振り抜く。切先が啓吾に向けられ、彩菜が目でセロヴァイトを具現化させることを促す。彩菜の手にあるそれは、啓吾のセロヴァイトと全く同じに見えた。少なくとも、そのセロヴァイトの持ち主以外には同一にしか見えないはずだ。つまり、彩菜のセロヴァイトは啓吾と同じ斬撃型なのだろう。そして、その真名を水靭。
やっぱり、と啓吾は思う。
「彩菜ちゃんも斬撃型なんだ。おれと一緒だね。風靭っていうんだけど、その真名を知ったときからふと思ってたことがあるんだよ。風靭という名の斬撃型。斬撃型には三種ある。その内の一つが風靭とくれば、残りは自然と決まってくる。予想してたんだよ。それが当たってくれたとは嬉しい。たぶん斬撃型三種の真名はそれぞれ、風靭、水靭、雷靭だと思う。まあおれと彩菜ちゃんので二つ埋まったから、もう一つは雷靭だろうね。誰が持ってるのか知りたくない? もしかしたらさ、」
「御託はいいです。早くセロヴァイトを具現化してください。じゃないと、何もできないまま……死にますよ?」
彩菜が水靭を構える。その構えは、明らかに素人とのそれとは違った。端から見ても、啓吾より剣たるものが何なのか理解しているのが一目瞭然だった。そしてその構えを、啓吾は知っている。中学の頃に一度だけ、友人から見せてもらったことがあるのだ。あの周囲の景色と一体化したような静かな構え。
その答えを、啓吾は言う。
「……剣道、だね。しかも、かなり強い」
少しだけ意外そうに彩菜が答える。
「ええ、そうです。よくわかりましたね。こう見えてもわたし、都大会優勝者なんですよ」
「へえ、それはすごい。だったら――」――実験台には、最高だね――「――……風靭」
啓吾の掌から緑の光の粒子があふれ出て、一振りの刀を造り出す。それをしっかりと握り締め、啓吾は彩菜を見据える。
彩菜の言うことは本当なのだろう。都大会での優勝者だとしたら、これだけの威圧感を放つことにも納得できる。剣道有段者に取って、斬撃型は最高のセロヴァイトと言えよう。だがしかし、それだけでは決して勝ち残ることができないのがセロヴァイト戦の面白い所である。それに、彩菜には負ける気がしない。同じ斬撃型を持つ啓吾は、水靭の特性も大方理解しているつもりだった。そして恐らく、彩菜は特性にすら気づいていないはずだ。その証拠に、彩菜は『ここで』戦おうとしているのだから。
「――構えないんですか?」
不動の構えを取っていた彩菜は、何の構えも取らない啓吾に不可思議そうに問う。
啓吾は笑う。
「まあね。って言うより、これがおれの構えだから」
両腕をだらりと下げたままの実に隙だらけの構えである。風靭の切先が地面に着いている時点で、攻撃時差に差が出るのは明白だった。それを知っていてなおも、啓吾はその構えを止めようとはしない。
剣道有段者の彩菜から見れば、馬鹿としか思えなかったはずである。
「…………死んでください」
その声が啓吾に届いたときにはすでに、彩菜は行動を開始していた。元々剣道で鍛えられていた身体が、セロヴァイトの影響でさらに強化されているのだ。その速さたるは尋常ではない。音速と呼ぶに相応しかった。そんな速さに、幾ら身体能力が向上しているから言っても元の素体の鍛え方が違うのだから差が出るのは当然だった。啓吾は、呆気ないくらい簡単に彩菜の姿を見失っていた。啓吾がその姿を捉えたときにはすでに、彩菜は水靭の刃を振り下ろしている。
その一撃を、啓吾は紙一重でかわす。スローモーションのように過ぎ去る映像の中、啓吾の視線と彩菜の視線が噛み合う。彩菜は、笑った。その笑顔が正確に「よく避けれてましたね」と語っている。啓吾は「まあこのくらいはね」と笑い返す。彩菜の表情から感情が消え失せ、振り抜いた水靭を一瞬の内に引き戻して横一線に薙ぎ払う。空を切るその刃を跳び上がることで啓吾が避けると同時に、獲物を逃した彩菜の水靭が追撃を開始する。
それは、目にも止まらぬ連続攻撃だった。右に振り抜いたと思った次の瞬間には左からの斬撃が迫り、避けたと思ったら上下から攻撃が繰り出される。それをすべて紙一重で避け続ける啓吾もさることながら、それだけ出鱈目のような攻撃を行っているのにも関わらず、息切れどころか終止隙の一つも見せない彩菜も対したものだった。挑発をさせようという魂胆で、啓吾は避ける度に「ほっ、はっ、とりゃっ」などと余裕を現す声を出してみるが彩菜は全く乗ってこない。それは、強者故の集中力があるからなのだろう。彩菜に、小細工は通用しない。
彩菜の追撃は、留まる所を知らなかった。恐らく、これが彩菜の戦い方なのだろう。攻めて攻めて攻め抜いて、相手が疲労して隙が出来たその一瞬を待っているのだろう。それを行うだけの体力が彩菜にはある。持久戦になれば不利になっていくのはわかっていた。でももう少しだけ、このまま戦っていたいと啓吾は思う。初めての実戦がただ単純に楽しいのだ。何か一つでも間違えば死に至るこの攻防が、何にも代え難いほど楽しい。ずっとこうしていたいと思うのは、セロヴァイヤーなら当たり前の考えではないのだろうか。
そんな思考を巡らせていたせいで気づけなかった。避け続けていた啓吾の足が、伸び放題になっていた雑草に一瞬だけ取られた。「おわっ」と声を漏らした刹那の瞬間を、彩菜は見逃さない。待っていた隙が、そこに出来たのだ。それまでとは全く違う、神速の速さを持つ水靭の刃が上段から振り下ろされた。避けるのは不可能な速さだった。迫り来る斬撃を見据えながら、啓吾は思う。
――お遊びは、ここまで。
水靭の一撃を、啓吾の風靭が初めて弾いた。それまでの長い攻防の中で、啓吾はただの一度も風靭を使わなかった。すべて自らの力で避け続けていたのだ。その意味を、彩菜も薄々と勘付いてはいた。そしてそれが、たった一度だけ使用されただけで確信に変わる。水靭が弾かれ、風靭の刃が一瞬だけ揺らぐ。そのときに見た啓吾の瞳が、今まで見た何よりも恐ろしかった。死ぬ、と思った瞬間に風靭の刃が鈍り、隙が出来上がる。しかし彩菜には反撃できず、その場から離脱するのが精一杯だった。
互いに距離を取り、それまで何一つ変化を表さなかった彩菜の呼吸が乱れる。肩で息を必死に整えながら、つぶやく。
「……どう、して……っ」
首を傾げていた啓吾が彩菜に視線を向ける。
「どうしてっ、反撃してこないのっ!?」
先ほどのことを言っているのだと啓吾にはすぐに理解できた。しかしなぜと言われても困る。あのとき、なぜ自分が風靭を引いたのかはよくわからない。勝ったと思ったその瞬間、体のどこかが制御を掛けた、そんな感じがする。課題が見えてきた、と啓吾は思う。自分は知らずの内に人を傷つけるのが恐くなってしまっているのだろう。だから体が無意識に力を抑えつけて制御してしまう。今後の課題はその制御を外すことだ。傷つけるときは迷わず傷つけ、殺すときには迷わず殺すことのできる体を身に付けなければ、これからのセロヴァイト戦では生き残れないだろう。ましてやそんな甘ったれたことでは、焔には愚か拓也にも負けてしまうだろう。
今回の戦いではそれがわかっただけでも十分だ。そろそろ、本気で反撃に出ようか。
「あんたはわたしを馬鹿にしてるのっ!?」
彩菜の叫ぶ声が耳に入る。それを聞きながら、ははっ、と啓吾は笑う。
「違うよ。さっきのはごめん、おれも予想外だった。ただ、なぜ反撃しなかったのかと言うと、君が隙を見せないのと、ある実験がしたかったのが原因。でも、もういいや。実験は終ったから。はっきりと結果がわかった。君の攻撃は、おれには届かない。試してみる? 今の君じゃ、絶対におれには傷一つつけられない。だって、君は弱いから」
「うるさいっ!!」
彩菜が初めて挑発に乗った。力の限りの跳躍で啓吾に詰め寄り、懇親の力で怒りのまま水靭を振るう。それをやはり紙一重で避けた啓吾が、初めて反撃に出る。向かって来た力をそのまま利用するかのように、彩菜の手首を掴んで足を掛け、一発で地面に這わせた。苦痛の声を漏らす彩菜が急いで起き上がろうとしたときにはすでに、風靭の切先が彩菜の首に突き付けられている。
勝負は、呆気ないくらい簡単に決する。彩菜が震える声を吐き出す。
「なんで……っ! 構えも、振る舞いも、体捌きも、何もかも素人なのに……っ! なんでわたしの攻撃が当たらないのよっ!?」
彩菜を見下げて、啓吾は再び笑う。
「それがセロヴァイヤー同士の戦いの面白いところだ。幾ら剣道が強くても、セロヴァイトを理解しないことにはこの戦いを勝ち抜くことは不可能なんだよ。君はさ、セロヴァイトに特性があるってこと自体、知らないでしょ?」
「……特性っ?」
「ああ。セロヴァイトにはそれぞれ特性がある。たぶん君のセロヴァイトの特性は、水を感じることだと思う。まあおれのセロヴァイトじゃないし、はっきりとしたことは言えないけど、それがいちばん可能性がある。もしそうだとしたら、君はこの場所で戦うことを選んだときにもう負けだったんだよ。だって、ここに水なんて無いんだから。でも知らなかった君が悪い訳じゃない。ただおれが強かっただけ、それだけなんだよ。……どうして君の攻撃がおれに当たらなかったのかのタネ明かしだ」
啓吾がそう言った瞬間、辺りに風が吹き荒れた。その風がゆっくりと風靭の刃に纏わりつく。
「これが風靭の特性。風靭は風の動きを読める。風、つまりは大気だ。この世界に大気を動かさずに動けるものはない。そしてその大気の変化が、おれにはわかる。言い直すと、君がどう動くのかが手に取るようにわかるんだよ。だから君の攻撃はおれには届かない。もし君がセロヴァイトの特性を知っていて、辺りに水があったのなら、勝負はもっと違う結末を迎えていたかもね。でも残念。君の負けだ」
風靭がゆっくりと動いた刹那、彩菜が最後の力を振り絞って水靭を振り払った。風靭と水靭の刃が交錯し、一瞬だけ啓吾に隙が生じる。その隙を見逃さずに彩菜は体を転がしながらで立ち上がり、啓吾に背を向けて走り出す。その背中を見据えながら、啓吾はため息を吐く。
往生際が悪い。それでも正々堂々と剣道をしている女の子なのだろうか。だけど、そっちの方が今は好都合だ。もう一つの実験を開始しよう。風を感じて相手の攻撃を避けるという実験は見事成功という結果に終った。ならば次は、風を操る実験に移ろう。それが、啓吾が気づいたセロヴァイトの本当の特性だ。セロヴァイトには、特性が二つある。一つ目は誰でも簡単に気づくことができる。しかし二つ目は違う。それは、セロヴァイトとの同調が必要だった。セロヴァイトにも意思がある。極単純なものだ。焔のように考えたり喋ったりはできないが、それでも意思はあるのだ。それを感じて初めて、二つ目の特性を発動できる。セロヴァイトを理解しようと思っていない奴には絶対にわからないことだった。そしてその二つ目の特性こそが、セロヴァイトの最強の武器と成り得る。
風靭の二つ目の特性。それが、風を操るということ。啓吾は目を閉じて風靭と同調する。風靭からはしっかりと意思が伝わってくる。風靭の意思はただ一つだけ。――勝ち残れ。その意思を感じながら、啓吾は自らの手が彩菜の足を掴むイメージを抱く。動かない無機質のものが相手なら成功したこの実験だが、まだ人間に試したことはない。これが成功するかどうかで、これからの啓吾の戦闘が大いに変わってくる。成功さえすれば、焔にも十分に対抗できるはずだった。
啓吾に背を向けて走っていた彩菜の足元に小さな旋風が巻き起こる。それは見えない形を生み出し、まるで生き物のように彩菜の足に纏わりついた。その瞬間に体のバランスが一気に崩れ、彩菜が前のめりに地面に倒れ込んだ拍子に水靭が前方へ弾け飛ぶ。それを見ながら啓吾は成功したと拳を握った。実験はすべて成功。後は風の操り方を完璧に使いこなして意識せずとも相手の動きを止められるようにすれば、もはや自分に攻撃を与えられる者はいなくなるはずだった。
倒れ込んだ彩菜が離れた所にある水靭に駆け寄ろうとしたときにはすでに、啓吾がその間に割って入っていた。
「大人しく負けを認めてくれないかな。手荒な真似はしたくないんだけど……」
キッと彩菜が啓吾を睨みつけた瞬間に、背後にあった水靭が緑色の光の粒子に飲まれて消滅する。
彩菜は乾いた笑いを漏らした。
「冗談でしょ。こんな所で負けてたまるもんですか。セロヴァイトは具現化されない限り破壊されない。ヴァイスを取り出す方法は後一つだけ。わたしを殺すしか方法はない。どうする? わたしを殺す? あんたにそんな勇気があるとは思えないけどね」
最悪でも引き分けにしたい、というのが彩菜の考えなのだろう。
しかし啓吾は、それで引き下がるほど甘くは無い。
「……悪いことは言わないからさ、水靭を具現化させて。そっちの方が君に取っても楽だから」
「お断りよ。どうせあんたじゃわたしに何もできない。殺せるなら殺してヴァイスを取り出せば?」
聞き分けのない女の子は嫌いなんだよな、と啓吾はため息を吐く。
いつまでもこんなことをしている暇は無いのである。今すぐにでも帰って風靭の強化を続けたい。こんな所でのんびりとお話している時間すら惜しいのだ。勝ち負けは決まったのだから、早く負けを認めればいいのに。もういいか。我慢しなくても。自分はちゃんと忠告したのだ。それなのに彩菜が拒んだ。彩菜も納得してこのセロヴァイヤーの争いに参加したのだろう。だったら、どうなろうと自己責任だ。自分には、何がどうなろうと関係ない。
「……仕方がないか」
啓吾はその一歩を踏み出し、
「これが最後の通告。水靭を出して。じゃないと、」
「――どうするっていうの? わたしを殺――」
風靭を一瞬で逆手に持ち替え、それをそのまま彩菜の右手に突き刺した。
少なくとも、彩菜にはそう見えたはずだった。風靭の刃は、彩菜の人差し指と中指の間に突き刺さっている。しかしその事実は彩菜には見えていない。殺されはしないと高をくくっていた。やられても殴られる程度だと思っていた。それなのに、目の前の啓吾は手を突き刺してきた。本当は刺されていないのにも関わらず、彩菜の右手は信じられない苦痛に蝕まれている。それは、一種の暗示のようなものだったのかもしれない。
啓吾が姿勢をゆっくりと低くして、手をそっと伸ばす。その手がガタガタと震える彩菜の頬に触れ、今までの啓吾からは想像もつかないような実に楽しそうな冷徹な笑顔を寄せ、耳元でそっとこう囁いた。
――じゃないと、――死ぬより辛い生き地獄を味わうことになるよ。
止めだった。
彩菜が震える唇を必死で動かし、ぽつりとその真名を呼んだ。
「……水、靭……っ」
一振りの刀が姿を現すのを見ながら、啓吾は手を彩菜の頭にそっと置く。
先とは打って変わった明るい笑顔で、啓吾はこう言った。
「よし、いい子だ」
風靭が水靭を打ち砕く。彩菜の体からヴァイスが排出される。
それを回収しながら、啓吾は全身で風を感じていた。
思うことは、ただ一つだけ。
――やべえ。めちゃくちゃ楽しい。
「雷靭」
第十二期セロヴァイヤーによるセロヴァイト本戦開始から十五日目。
その日は、朝から雨が降っていた。垂れ流し同然に映し出されているテレビからは、ニュースキャスターが何ともいない表情で「本日は一日中雨になる模様、場所によっては夜に雷が鳴る可能性があり、外出の際には気をつけてください」と述べている。この時期に雷とは珍しいが日本の天気などよくわからないものである。窓の外からは止むことなく雨がアスファルトを打ちつける音が響き続けていた。
そんな音をぼんやりと耳に入れながら、拓也は台所で昼食を作っている。ガスコンロに乗せられた小さなフライパンと大きなフライパンを同時に使用して、二人前+一匹分の料理を料理中だ。小さい方のフライパンで卵焼きとベーコンを焼き、大きい方のフライパンではチャーハンを用意している。卵焼きはここ数日では毎日のように食べている。拓也がバイトでいないときは仕方がないのだが、こうして作れるときは絶対に卵焼きが食卓に並ぶのだ。ベーコンも同じだった。卵焼きが最も幼いセロヴァイヤーのお気に入りであり、ベーコンが最も強いセロヴァイトの好物である。ちなみにベーコンは新しいのを買ってきたので賞味期限は切れていない。
チャーハンの方は炊飯器から出したご飯をそのままフライパンにぶち込んで、チャーハンの素をふりかけのように降りかけて掻き混ぜれば完成というお手軽さ重視のものを起用している。一応ラーメン屋でバイトしているで材料さえあれば一からチャーハンを作ることも可能なのだが、家で材料を揃える気にもなれず、そんな面倒なことをせずとも画期的なチャーハンの素があるのだからそっちで済ましていた。実に慣れた手つきでチャーハンをフライパンの上で舞わせ、頃合になった頃で皿に移す。
卵焼きとベーコンも良い感じに焼けたので回収する。均等な大きさに切った卵焼きをチャーハンが盛られた二枚の皿に並べる。三つずつ置いた際に一つだけ余った。一瞬だけ悩み、誰も見ていないことを確認してから口に放り込んで飲み込む。うむ、美味い、などと自賛しながらベーコンだけを別皿に移し、すべての皿をお盆の上に乗せて台所から歩み出る。最近では部屋も随分と綺麗になったものだ。というよりも、片付けないことには寝る場所が無いのである。安住の地であるはずのベットは占領されてしまい、仕方無しに床を片付けて啓吾の家から借りて来た布団を直接敷いてそこで眠っている。ここは拓也の家であるはずなのに、なぜこんな肩身の狭い思いをしなければならないのかは未だに謎だった。
おぼんをテーブルの上に置くと、安住の地のベットにイルカと一緒に寝転がっていた紀紗がひょっこりと起き上がり、チャーハンの上に並ぶ卵焼きを見て顔を輝かせる。同時にテレビの上で踏ん反り返っていた焔もベーコンを視界に収めると翼を広げて飛び立ってくる。そんな光景を見ながら、拓也はぼんやりとここは動物園ではないのかと思った。自分は餌を運ぶ飼育員なのだろう。その光景が強ち間違いではないが少しだけ痛い。
拓也がテーブルの前に座ると、紀紗が台所に向かってとてとてと走り出す。数秒後、冷蔵庫から引っ張り出してきた麦茶とコップを二つ持って戻って来る。もはや紀紗はこの家のどこに何があるのかを完璧に理解していた。下手をすれば、探索をしている分、紀紗の方が部屋主の拓也よりこの部屋を熟知している可能性がある。それはそれで悲しいのだが。手渡されたコップを受け取りながらお礼を言い、紀紗が拓也の向かいに座って焔がテーブルの上に着陸するのを待ってから、揃って昼食を食べ始める。
卵焼きを頬張る嬉しそうな紀紗の顔を見ながら、拓也が「美味いか?」と聞くと、紀紗はこくこくと肯いた。「そりゃ良かった」と言いつつも、拓也も卵焼きとチャーハンを口の中に入れる。ふむ、我ながら美味いではないか。焔は相変わらず黙々とベーコンを貪っている。食事中に焔が何も言わないのは、美味いと思っている証拠だった。この数日でそれをすっかり理解してしまった拓也である。
そしてこんな光景に、すっかりと馴染んでしまった自分がいる。
うやむやのまま紀紗を泊めて以来、その関係がずっと継続されている。当初は紀紗をここに本当に泊めてもいいのかという戸惑いと、焔に殺されはしないだろうかという恐れがあったのだが、人間慣れれば何でもこなせるようになるらしい。今ではこの光景が日常になりつつある。抵抗はあるにせよ、今更に紀紗を追い出す気にはなれず、取り敢えず来る時まではこのままでいいか、と拓也は思っている。
チャーハンが半分ほど無くなったときに拓也は口を開く。
「今日のバイトは一時から七時までだからさ、晩飯は金置いとくからコンビニで適当なの買え」
口にスプーンを入れたまま、紀紗はぽつりと、
「拓也は?」
「いつも通りバイト先で食ってくるから待ってなくていい」
わかった、と肯いて紀紗は最後の卵焼きを食べる。心なしかその姿が寂しそうに思える。これもいつもながらの光景である。拓也が自分の皿に残っていた卵焼きを紀紗の皿に移してやると、紀紗は本当に嬉しそうに笑った。それに笑い返しながら、拓也は残りのチャーハンを平らげにかかる。スプーンが皿に当たるカチ、カチという無機質な音が、窓の外から届く雨音と混ざり合っていた。
ベーコンを食い終わった焔がいつものように炎のゲップを一発カマしてから翼を広げ、テレビの上へと舞い戻っていく。焔の居場所はそこに定着してしまったらしい。焔の下ではなおもテレビが垂れ流されおり、ニュースキャスターが犬とじゃれ合う猫のことを実に嬉しそうに話していた。ふと視界に入ったテレビの時刻を見て、そろそろ用意しなくては間に合わないと思う。時刻は今現在、十二時三十二分を差していた。バイトは一時からだ。
ここからバイト先のラーメン屋までは五分で行ける。十五分前には着いておかねばならないから、四十分にアパートを出なければならない。食器を洗って用意をしていたら十分などすぐだ。平らげたチャーハンの皿とベーコンの皿を持って台所へ向かう。その途中、紀紗に「ゆっくり食ってていいぞ」と言い残しておく。台所に立って水を流しながら、スポンジと洗剤を手に取って皿洗いを開始する。量が圧倒的に少ないのでそれはすぐに終った。綺麗になった食器を棚に並べて乾かす。これで完璧だ。
手を洗って部屋に戻ると、紀紗が先ほど拓也が譲った最後の卵焼きを頬張っていた。そんな光景を見ながら、拓也は煙草とライターをポケットに押し込み、壁に掛けてあるダウンジャケットを手に取って腕を袖に通してジッパーを閉めて用意完成。テレビの時刻は十二時三十八分を指している。テーブルの前で麦茶を飲んでいる紀紗に視線を送る。
「外に出るときは鍵閉めて行けよ」
うん、と紀紗は肯く。それを確認してから拓也は玄関へ向かって歩き出す。
玄関にあるスニーカーに足を突っ込んで格闘していると、なぜか紀紗がこっちに向かって歩いて来ていた。靴を履き終わり、傘を手に持って玄関のドアノブに手を掛けてドアを開けた際に、紀紗が笑ってこう言った。
「いってらっしゃい」
「――……あ、ああ。いってきます」
そうして、拓也はアパートのドアを閉めた。目の前で止むことなく降り注ぐ雨を見ながら、拓也はゆっくりと歩き出した。
クソオヤジに実家を追い出されて以来、こうして誰かに「いってらっしゃい」と言われたことも、もちろん「いってきます」と言ったこともなかった。そんなことを言われたのも言ったのも、一人暮らしを初めてからは今日が初めてだった。そんな極々当たり前のことが、今はなぜか無性に嬉しかった。このアパートが今の拓也の家である。そのことを今、初めて心の底から実感した。誰かが家に居てくれるという喜びを、ここ数ヶ月はずっと忘れていたのだろう。そこまでの仮定はどうであれ、この家には紀紗と焔がいる。それが、ただ単純に嬉しかった。
傘を差して雨の中を歩く。途中でポケットから煙草を取り出してライターで火を点ける。今日初めて吸う煙草の煙を思いっきり吸い込んでから吐き出す。紀紗と一緒に暮らすようになってからは、極力部屋の中で煙草は吸わないようにしている。相手が子供だから、ということもある。しかしもっと根本的な理由があった。焔に言われたのだ。今の紀紗には煙草の煙は良くないと。だから煙草は外で吸うように決めた。だが禁煙にしようとは思わない。もはや煙草は体の一部になりつつあるのだから禁煙は無理な話である。紀紗に対してのマナーさえ守れば焔も何も言ってこないのでこれでいい。
頭上に広がる暗い雨雲の空の下を、拓也は煙草を吸いながら歩き続けた。
さて。今日もバイトを頑張りますか。
雨が、降り続いていた。
◎
やっとこのときが来た、と草壁大志(くさかべたいし)は思う。
ヴァイスを飲み込んでセロヴァイヤーとなり、セロヴァイトを手にして初めてこの町に訪れた雷雲の塊。草壁はこれをずっと待っていた。時期が悪かったのでもはや諦めていたもの。このままセロヴァイトの特性を発揮できないまま、他のセロヴァイヤーに殺されてヴァイスを奪われるのだと脅えていた日々に終止符を打つときが遂に来たのだ。
この期を逃せば恐らく自分はもう勝つことはできないのだろう。勝負を決めるのは今日しかない。他のセロヴァイヤーが後何人残っているかは知らないが関係はないのだ。このセロヴァイトと雷雲が重なれば恐いものなど何一つない。頭上に雷雲が広がる限り、自分は最強のセロヴァイヤーに値する。しかし逆に雷雲がなければ意味がない。雷雲が無ければ、このセロヴァイトは何の力も発揮できないのだ。その場合は最弱のセロヴァイヤーに値する。セロヴァイトの特性が強力過ぎる故の制限、といった所だろうか。しかし、やっと条件が揃った。準備も整えてある。最弱のセロヴァイヤーから最強のセロヴァイヤーへと進化を遂げることができたのだ。あとは、残りのセロヴァイヤーを一掃するだけ。今の自分には、それを行うだけの力がある。頭上を覆い尽くす雷雲が在る限り、我がセロヴァイトは無敵である。
草壁の持つセロヴァイト。それは斬撃型セロヴァイト・雷靭。
この世に生まれて二十八年、馬鹿だの阿呆だの罵られ、挙げ句の果てには会社をリストラされた屈辱を、世界中のゴミ共に恐怖という名の支配で思い知らせてやるための第一段階の始動である。このセロヴァイト戦に生き残り、世界を支配下に置く。それが草壁の望みだ。歯向かう者はすべて殺す。独裁政治の始まりを告げる狼煙を、この雷雲と共に世界に上げるのだ。自分を罵ってきたすべての人間を、殺してやる。
雨の中、傘も差さずに草壁はセロヴァイヤーを探すために彷徨った。そして、遂に見つけ出したのだ。黒い傘を差して、赤いコートを着た長い髪を持つ少女を。体のすべてが告げる。その少女が生き残っているセロヴァイヤーだと。何のセロヴァイトを持っているのかはわからないが関係無いのである。今も存在する雷雲が在る限りは、自分は最強なのだから。
最初に戦うセロヴァイヤーが少女だということに、体が無意識の内に興奮していた。運は今、自分の手の中にあるのだと草壁は思った。楽しい楽しいショー・タイムの始まりだ。頭の中ではすでに、少女は草壁に負けて言い成りになっているという設定で、物語という名の妄想が進行し始めている。一度始まってしまった妄想は留まる所を知らない。楽し過ぎた。最高の気分だった。ただ少女を、めちゃくちゃに壊したかった。そして自分には、それを行うだけの、力があるのだ。
雷靭を具現化させる。一振りの刀を手に握り締めたまま、雨で足音を消しながら忍び寄る。
草壁は獣のような笑顔を浮かべ、ゆっくりと雷靭を振り上げ、
少女が振り返った。
そして、草壁は炎に包まれた。
◎
帰って来たときに真っ暗では恐いから、電気は点けたままで家を出ることにした。
時刻は午後の六時半を差している。お腹かが減ったので、紀紗は焔と一緒にコンビニに行くことに決めた。拓也がテーブルの上に置いて行った千円札を手に取り、紀紗愛用の赤いロングコートに身を包み込み、ベットの上からこちらを寂しそうに見つめているイルカのぬいぐるみにしばしの別れを告げる。一緒に連れて言ってあげたかったのだが濡れると取り返しのつかないことになるので敢え無く断念されたのだ。
ブーツに足を入れ、拓也の大きくて黒い傘を手に持ってアパートを出る。鍵は渡されていた。それはたぶん、拓也に信用されている証だと思う。そしてそれが、紀紗には嬉しくもあり誇らしくもあった。何だかよくわからないキーホルダーのついた鍵でドアにロックを掛け、ちゃんと閉まっているのかを確認する。ちゃんと閉まっていることを確かめたら、鍵をコートのポケットに入れて歩き出す。
焔は今、紀紗のコートのフードの中にいる。その光景はまるで、怪獣のフィギュアを紀紗が大切に守っているかのようだった。そしてこうして小さい状態で具現化している焔にとって、近くに移動する際には紀紗のフードの中が密かに心地良かった。辺りから聞こえる雨音に身を任せたまま、フードの中で焔は体を丸めて目を閉じる。
傘を差した紀紗は水溜りが広がるアスファルトを楽しそうに歩いて行く。紀紗は、雨が好きである。今まではただの一度も、雨の日に外に出たことがなかった。そもそも晴れの日でも滅多に外には出れなかったのだ。窓の外から見える雨にずっと憧れていた。しかし焔と出会い、晴れの日でも外に出れるようになり、こうして雨の日でも出歩けるようになった。焔が大好きだった。自分の小さな世界の鍵を解き放ってくれた焔が、いちばんの友達だった。
足を踏み締める度に跳ねる雨が気持ち良い。紀紗が向かっているコンビニは、拓也が働くラーメン屋とは少しだけ違う方向に行った所にある。徒歩で八分程度だが、紀紗の足なら十分はかかってしまう。しかし歩くのが好きな紀紗にとっては、そんな時間などは無いのと同じだった。傘に当たる雨の音が、傘の先から滴り落ちる雫が、時折頬にかかる飛沫が、髪が雨に濡れる感触が、見えて感じるすべての光景が新鮮だった。声を上げて笑ってその場を回りたい気分だった。でもそんなことをするとフードの中にいる焔が怒ってしまうので駄目なのだ。それがほんのちょっとだけ寂しい。
コンビニには、あっと言う間に着いてしまった。自動ドアの横にある傘楯に傘を入れ、明るい店内へと入るために自動ドアを抜ける。店員の「いらっしゃいませー」という声にどう反応していいのかがわからないのでいつものように聞こえないフリをする。最初はコンビニというものが未知の世界に思えた。病院に居たときには絶対に来れなかった場所だったので尚更にそう感じていた。だけど最近ではコンビニを大分わかってきた。それがやはり、紀紗には嬉しくて誇らしい。
お弁当などが置いてある棚の前で今日は何を食べようかと眺めていると、フードの中の焔がもぞもぞと動いた。小声で「何食べる?」と聞くと、焔は顔を覗かせて食品を一通り見渡し、やがてその視線がある場所で止まった。そして「それを食う」とつぶやく。「どれ?」と訊ねると、「それだ」とぶっきら棒に答えた。その視線を追って、焔が食べたいものを手に取る。パックに何か肉のようなものが詰まったものだった。商品名を読んでみる。
ミミガー……? なにこれ、と紀紗は思う。
「美味しいの?」と素で聞いてみると、焔はいつもの調子で「知らん。ただ名前が気に入った」と言う。だが焔がこれを食べたいのだったら買ってあげよう、と紀紗はミミガーを買うことに決める。自分は今、お金持ちなのだ。千円も持っている。何でも買えるのだ。
次は自分の食べたいものを選ぶ番である。コンビには何でもあるから好きだ。ただ、そんな紀紗にも一つだけコンビニを不満に思うことがある。それが、卵焼きが売っていないことだった。お弁当の中におかずとして入っているものはあるにはあるのだが、卵焼き以外は嫌いなものしかないのでいつも諦めている。拓也がいないときは卵焼きを食べれないのが不満だった。しかし拓也の作る卵焼きは美味しいので許してあげよう。
そして紀紗は自らの食べ物を選ぼうとするのだが中々に決まらず、散々迷った挙げ句、紀紗はシーチキンのおにぎりと卵のサンドイッチをチョイスする。飲み物は冷蔵に麦茶があるからそれでいい。頭の中で計算すると、三百円ほど余ってしまうことが判明。だったらおやつを買って行こうということで、お菓子棚に向き直って唸り、また散々迷った挙げ句にポテトチップスのコンソメ味を選んだ。
それを持ってレジに向かい、コートから千円札を取り出して代金を支払うことにする。その光景は、紀紗から思えば極当たり前なのだが、他人の目から見れば少しだけ可哀想な光景だった。家では夕食の時間であろうその時分に、子供が一人で夕飯を買いに来ているのだ。しかも財布ではないポケットから千円札を出して代金を払っているし、怪獣のフィギュアが宝物のようにフードに入れてある。少なくとも、数人は誤解したいに違いない。証拠にレジをしていたお姉さんに飴玉を手渡され、「頑張って」と言われた。それに首を傾げつつも、飴玉に「ありがとう」と言いながら紀紗はコンビニを後にする。
コンビニの袋を手にしたまま傘を差し、雨の道を引き返して行く。拓也が帰って来るのは七時だと言っていた。袋の中に入っているポテトチップスを見ながら、帰って来たら一緒に食べようと紀紗は思う。拓也は喜んでくれるだろうか。うん、きっと喜んでくれる。拓也と一緒にポテトチップスを食べている自分を想像し、嬉しくなる紀紗である。
そして、コンビニから五分ほど歩いた頃だった。
フードの中で丸まっていた焔が、唐突に這い出てきた。「どうしたの?」と聞くと、焔はやはりいつもと変わらずにこう言った。
「振り向かずに歩いたまま聞いてくれ。紀紗の後ろにセロヴァイヤーがいる」
言われて初めて、紀紗は後ろにセロヴァイヤーの気配があることに気づく。
が、紀紗に別段何か変わった所は見られない。紀紗にとってみれば、後ろにセロヴァイヤーがいる、だからなに?、に他ならないのだ。
それは、焔も同じだった。
「おれが合図したら振り向け。そしたらおれが片付ける。いいな?」
紀紗は無言で肯く。
雨の音だけが響くアパートまでの道のりを、紀紗は歩き続けた。セロヴァイヤーの気配が段々と近くなっていることに気づく。途中、セロヴァイトを具現化した感じが伝わった。何かは振り向いてみないとわからないけど、たいじょうぶだ。焔が、負けるはずはないのだから。
「――振り向け」
言われた通りに振り向いた。
そこに、雨に混じった拓也より遥かに大きい巨漢がいた。それが草壁大志である。
その手に握られた雷靭が紀紗に振り下ろされそうになったその瞬間、焔がフードから飛び出してその口を抉じ開ける。
一瞬だった。焔の口から吐き出された火炎放射が草壁の体を覆い尽くす。幾ら力が抑えられいると言っても、焔はセロヴァイトの中では紛れも無い最強である。小さくなっていても、人間の一人や二人丸焼きにするだけの力はある。そしてこのとき、雨が降っていなければ草壁は本当に焼き殺されていただろう。炎に包まれた草壁は絶叫しながらアスファルトを転がり、必死で火を消そうとする。
そんな愚か者を見据えながら、焔は紀紗に言う。
「先に帰っていろ」
紀紗が笑う。焔が必ず帰って来るということを信じて疑わない。
「うん。待ってるからご飯一緒に食べよう」
「ああ」
紀紗が踵を返しながら、その真名を呼んだ。
「焔」
雨が降り注ぐその世界が歪んだ。まるで雨の一滴一滴が変化するかのように、膨大な量の緑色の光の粒子があふれ出し、小さな焔に収縮される。瞬間の内にその体は大きさを増し、気づいたときには見上げるような巨大な真紅の竜が姿を現している。雨に濡れてもなお変化が無い、燃え盛る眼光を宿らせて、幻竜型セロヴァイト・焔は具現化した。
体の火を消した草壁は、その焔を目にして息を呑んだ。予想外のはずだった。
「貴様が誰かは知らん。が、紀紗を相手にしようとしたのが間違いだったな。諦めて、」
焔の言葉が最後まで紡がれる前に、草壁の顔に獣のような笑顔が戻って来る。無様な体勢から一発で立ち上がり、自らの手に持つ雷靭を雷雲の広がる暗い空に突き上げた。
刹那の瞬間に、辺りの光景が一瞬で空白に包まれた。焔がそのセロヴァイトに気づいたときにはすでに、それは、直撃していた。
落雷。
焔の真紅の体が閃光に飲まれて地面が弾け飛ぶ。
斬撃型セロヴァイト・雷靭。その特性は、雷雲が存在するときに限り、意のままに落雷を落とすことが可能になる。だが雷という強力な力を操るのにはそれなりの条件が必要だった。それが雷雲だ。雷雲が無ければ特性は発動されない。しかし雷雲があれば、雷靭は最も威力のある自然現象を味方につけることができるのだ。条件が満たされた場合に限り、雷靭は最も攻撃力の高いセロヴァイトと化す。
草壁が絶叫する、
「ひゃっはぁああああっ!! 死ねクソがあっ!! 図体ばかりでかくてもこのおれの前じゃ意味ねんだよおっ!! おれは、最強だあっ!!」
確かに、雷雲が頭上に広がる限り、雷靭は最強に近い。
だがしかしそれは、焔には、通用しない。
落雷が直撃して煙に包まれたその中から、二対の燃え盛る眼光が一直線に草壁を貫いた。草壁の絶叫が止まり、何事かをつぶやきながら僅かに後退する。雨が打ちつけるそこから、真紅の竜が再び姿を現す。焔は、傷一つ負っていなかった。全身から発生する煙を引き伸ばしながら、巨大な口を裂かせて実に楽しそうに草壁を見下げる。
「雷靭か。しかも特性による条件が揃っている。他のセロヴァイトなら跡形も残らんだろう。……だが」
焔の口の奥底に、オレンジ色の光が集まり出す、
「その程度でこのおれに勝とうなどとは、驕りが過ぎる」
真紅の竜が、抉じ開けられた口から炎の弾丸を撃ち出す。
絶叫するしか草壁に道は残されていなかった。それでも草壁を動かしたのは、己の望みに対する欲望だった。間一髪で炎の弾丸から避けることに成功した草壁のすぐ背後から、圧倒的な破壊が巻き起こる。アスファルトが抉り取られて轟音と共に爆風が襲う。その風圧で草壁の体は吹き飛ばされ、電流にぶち当たって骨が軋む音が響き渡る。
焔は、手加減などしなかった。紀紗を狙うセロヴァイヤーに、そんなものは不要だった。
もはや身動きできない草壁に向き直り、つぶやく。
「相手が悪かったな。諦めて……死ね」
焔が再び炎の弾丸を撃ち出す。それで草壁は死ぬはずだった。
しかし、そうはならなかった。草壁を吹き飛ばして助け、なおかつ炎の弾丸を避けて、焔の前に現れた。
二体一対の漆黒の鉄甲を構えながら、拓也が焔と対峙する。
「……どういうつもりだ、小僧?」
雨が、降り続けていた。
バイトが終って紀紗と焔の待つアパートへ帰ろうと歩き出した瞬間に、本当にすぐ近くに雷が落ちた。体を震わせて耳を塞ぎ、反射的に雷が落ちたと思われる場所へ視線を移す。そこから、白い煙が上がっていた。どこかの家に落ちたのかもしれない。しかし野次馬根性丸出しで見物しに行く気にはなれず、それどころかアパートの紀紗が恐がっているのではないかと心配になって急いで帰ろうとした際に、やっと気づいた。
頭の中の出来の悪いレーダーが警告を発する。近くで、誰かは知らないセロヴァイヤーがセロヴァイトと戦っている。しかもセロヴァイトの力の波動が冗談のように巨大だった。そして拓也は、その波動を知っている。忘れもしない五日前、自分はその強大な力の前に対峙したのだ。状況は、一発で理解できた。焔が、誰かと戦っている。紀紗が近くにいないのは焔が離れていろとでも言ったからだろう。
思考を巡らす。恐らく、焔と戦っている方のセロヴァイヤーが先に仕掛けたのだろう。だったら、状況はかなり緊迫してくる。焔は、紀紗に牙を剥く者を許しはしない。この五日間でそれはよくわかったつもりだ。下手をすれば、焔は相手のセロヴァイヤーを殺してしまう。悪いのはそのセロヴァイヤーだとしても、殺されるとわかっている人間をみすみす殺させてはならない。その殺すセロヴァイトが焔なら尚更だった。
傘をその場に捨て、真名を呼びながら走り出す。雨を切り裂きながら具現化された孤徹で地面を弾いて暗い雨雲が広がる空に舞い上がり、二撃目で電柱を砕いてさらに加速する。拓也が目指すその先から、轟音が響いていた。その感じは、はっきりと焔のものだとわかっていた。手遅れになるな、と心の中で叫びながら、拓也はそこへ突っ込んだ。
状況は、一刻一秒を争っていた。完全に具現化した真紅の竜・焔の目の前に、身動き一つしない男・草壁が横たわっている。焔から圧倒的なまでの力が放出される。炎の弾丸が焔の口から撃ち出され、それが草壁に直撃するか否かの瞬間に、ぎりぎりで間に合った。孤徹を地面に打ちつけて加速し、草壁の体を蹴り飛ばして炎の弾丸の軌道から外す。蹴り飛ばした遠心力を利用して今度は拓也自身も炎の弾丸の軌道から離脱した。雨で濡れたアスファルトの上を滑りながら立ち上がる。
爆発が起こる中、拓也は焔と対峙した。焔が不可思議そうにつぶやく。
「……どういうつもりだ、小僧?」
「どうもこうもねえよ。お前今、あいつを殺そうとしただろ」
何を当たり前なことを訊くのだ貴様は、というな視線で拓也を見て、焔は言い切った。
「当然だ。以前貴様にも言ったはずだ。脱落者となるセロヴァイヤーは必ず、殺せと」
孤徹を打ち鳴らして叫ぶ、
「ふざけんなっ!! 勝負は着いてんなら殺す必要ねえだろうがっ! セロヴァイト破壊してそれで終わりだろっ! なんで殺す必要があるんだよっ!!」
焔が首をゆっくりと傾げ、そしてようやく納得したかのようにため息を吐く。
「貴様は勘違いしている。いいか、セロヴァイトでセロヴァイヤーを殺すということはつまり、――……見ろ、殺さぬからそうなるんだ小僧」
その意味を、拓也は一発で理解した。
背後を振り返りながら孤徹を頭上に構える。刹那に漆黒の鉄甲に雷靭の刃がぶち当たる。しかし物理攻撃を無効化する孤徹には通用しない。
雷靭を力の限りで握り締めている草壁は、もはや正気ではなかった。狂気に染まった目が真っ直ぐに拓也を捕らえている。口から血を流し、それでも草壁は戦闘を止めようとはしない。体の節々から筋肉が切れる音が鳴り、骨が軋みを上げる。痛みはあるはずだ。それなのに、草壁は表情一つ変えずに雷靭を振り上る。その攻撃を孤徹で正確に受け止めながら拓也は叫ぶが、草壁には届かない。次から次へと出鱈目に繰り出される斬撃を鉄甲が防ぎ続ける。
なぜ負けを認めないのか。もう勝負は着いている。大人しくセロヴァイトを破壊されろ。それが、当たり前だろ。それ以上傷を負って戦った後に、一体何が残るというのだろう。そんなに戦い続けたいのか。そんなに優勝者になりたいのか。自分の体がぶち壊れてもなお、なぜお前は戦い続けるんだ――。
雷靭の最後の一撃を、孤徹は無効化する。もう勝負は着いた、負けを認めろ。雨が降り続けるその中で、拓也はそう叫んだ。しかし草壁は負けを認めることなどせず、狂気に染まった顔を拓也に向け、獣のように笑って絶叫した。
体が吹き飛ばされた。草壁による攻撃ではない。拓也の体は、焔によって吹き飛ばされていた。スローモーションのように真紅の巨体が遠ざかるその中で、なぜ焔が自分を突き飛ばしたのかわからず、声を張り上げようとした刹那に、視界が空白に染まった。目前にいた焔に、落雷が直撃する。世界を塗り潰す閃光と共に、大地を揺るがす轟音が鳴り響く。焔が死んだと、本気で思った。
そして、拓也が見ている空白の世界から、二撃目の落雷を受けてもなお無傷の真紅の巨体が現れ、
焔が、草壁を噛み殺した。
真紅の体に返り血が噴射され、雨と混じり合ってゆっくりと流れ落ちていく。
雷靭が緑の光の粒子となって焔の体に吸収される。草壁の体が雨に濡れたアスファルトに投げ出される。
雨の音だけが、響いていた。
◎
「……なんだよ、そういうことなら最初からそうだって言えよ……。おれは本気でお前があいつを噛み殺したと思ったぞ」
安心した瞬間に体からすべての力が抜けた。
そんな拓也に向かって、テーブルの上にいる焔は面倒臭そうにつぶやく。
「だから敗者は殺せと言っているんだ」
「まあそうなんだけどさ……でもあれじゃん? 幾ら死なないって言っても、やっぱ人を殺すのは気分悪りぃよ」
「それは個人の問題だ。――それより、何だこれは? こんな不味いもの食ったことがない」
「当たり前だ。ミミガーみたい買って来るお前が悪い。おれでも食ったことねえよ、不味そうだし」
焔は紀紗に開けてもらったパックのミミガーを一つだけ貪ると、ただただ「不味い」を繰り返す。ミミガーから興味を失った焔は、挙げ句の果てに「もうこんなものはいらん。小僧、ベーコンを焼け」と命令してきた。それに重たい腰を上げながらも、拓也は素直に従った。元々焔の前では圧倒的なまでの力関係で従わされており、それに加えて落雷から救ってもらうという借りまで作ってしまった拓也には、もはや反論できるだけの権利は無かった。
そして台所に赴く拓也の情けない背中を、ベットの上でイルカを抱き締めながら卵サンドを食べていた紀紗が嬉しそうに見送る。もちろんその視線には気づいていた。言いたいこともわかる。ついでに卵焼きもよろしく。紀紗の視線は、そう言っているのだ。何を賭けてもいい。それに間違いない。面倒ではあるが、ついでだから作っておこう。
朝と同じ要領で小さなフライパンを取り出し、ベーコンと卵焼きを同時に調理し始める。
少しだけ、説明しておこうと思う。雨の降る中で焔が草壁を噛み殺した際に、拓也は怒りに我を忘れて焔に食ってかかった。しかしそれは呆気なく弾き返され、強制的にアパートまで引き摺り戻される。そこで焔に聞かされたのだ。セロヴァイトを使ってセロヴァイヤーを殺した場合に限り、その生命及び負傷箇所は午前零時になると自動的に復活及び治癒されることを。セロヴァイヤー同士で殺し合いをしたとき、正々堂々と戦って敗者になり死んだ場合、その日一日は間違いなく死ぬのだが、次の日になれば蘇ることができるのだった。だから焔は、牙を剥かれる前に敗者は殺せと言ったのだろう。
しかし、ならばなぜ一番最初に送られてきたセロヴァイト執行協会本部からの手紙に死ぬ危険性がある、などということが記載されていたのかというと、それは実に簡単なことだった。拓也が孤徹を用いて森で訓練していたときに起こった現象と同じだ。セロヴァイトで破壊したものは元通りになったが、拓也が素手で破壊したものは元通りにならなかった。つまり、セロヴァイトではないもの、例えば台所にある包丁などでセロヴァイヤーを殺してしまった場合は蘇れないということになる。
手紙に書いてあった『殺人犯にならない』というのはそういう意味なのだろう。セロヴァイト執行協会本部の言いたいことを拓也風にまとめれば、セロヴァイトで殺してしまった場合はこちらで責任を取って蘇らせてやるが、他のもので殺してしまった場合は知らねえぞ、というようなことだと思う。理不尽のように思えるが、セロヴァイトを用いて戦うことを知っている拓也にとってみれば、セロヴァイヤー相手に普通の刃物など何の役にも立ちはしない。即ち、最初からセロヴァイトだけを用いて戦い合うように仕組まれているのだろう。
そして、拓也はこのときになって初めて、セロヴァイト執行協会本部というものを恐ろしく思った。いや、ヴァイスを飲み込んでセロヴァイヤーになったときから心の奥底では常に思っていたのだ。しかし楽しかったので深くは考えないようにしていたこと。ここに至ってやっと、それを考えた。最初に来るはずだった生の疑問。それが、セロヴァイトとは一体何なのか、である。こんなものがこの地球上に存在するとは思えない。しかもそれで壊したものは午前零時になると自動修復される。果てには死んだ人間を蘇らすこともできるのだ。そんな技術を、今現在の人間が持っているなどとは、到底思えなかった。
無意識の内に作っていた卵焼きとベーコンを皿に移してテーブルへ運ぶ。紀紗がベットから降りてイルカと一緒に歩み寄ってくる。ベーコンを見た焔がミミガーを蹴り飛ばしてスペースを作る。――拓也が考える疑問の答えを知っているのは、恐らく焔だけだろう。明確な答えが聞けるとは思っていない。教えてくれない可能性もある。それが当たり前なのだろうということは拓也にもわかった。しかし、駄目元で聞いてみようと思う。
ベーコンを貪ろうとした焔に向かって、拓也は言葉を紡ぐ。
「なあ。セロヴァイトって……一体何なんだ?」
焔の視線が一瞬だけ拓也に向けられる。だがすぐに視線を外し、僅かな間を置いて、焔はこう答えた。
「貴様等とは違う軸を生きる人間の戯れの産物だ」
「違う軸?」
「それ以上は【掟】に反する。もし貴様が優勝者になったら自ずとわかることだ。今はまだ知る必要はない」
そう言って、焔はベーコンを貪った。隣では紀紗が卵焼きを頬張っている。
そんな光景を見ながら、拓也は今は無い孤徹に思いを巡らせていた。
その夜、紀紗が買ってきたポテトチップスを一緒に食べた。
そして次の日の早朝、何も書かれていない封筒が二通、郵便受けに突っ込まれていた。
それは、セロヴァイト執行協会本部が、渡瀬拓也と七海紀紗に宛てた通知だった。
第十二期セロヴァイヤー参加者数が、五名にまで、減った。
「軌瀞砲」
『 渡瀬拓也様。
こちらセロヴァイト執行協会本部。
この度、第十二期セロヴァイヤーによるセロヴァイト本戦開始から、本日で十六日が経過しました。そしてその十六日の間、見事生き残っております渡瀬拓也様。おめでとうございます。
第十二期のセロヴァイヤー参加者数が、残り五名となりました。
本戦開始から十六日で残り参加数が五名というのは、大変素晴らしい結果です。すでに違うセロヴァイヤーを倒した方、まだ一度も戦っていない方、すべての方を含めて、勝ち残っている五名様を絶賛したく思います。第十二期セロヴァイヤーは優秀です。今までこれほどまで白熱したセロヴァイト戦はありませんでした。皆様のご健闘、心よりお褒め申し上げます。
さて、残り参加者数が五名にまで減ったことにつきまして、一つだけ言わせて頂かなければならないことがあります。
参加者数分のヴァイスを集めたセロヴァイヤー、つまり優勝者になったときのことです。ヴァイスが九個体内に蓄積されますと、無条件でこちらに赴いて頂くことになっております。ただ、皆様は何も行動に移さなくても構いません。こちらですべて制御します。こちらへ辿り着くまでの道のりは、九個のヴァイスに詰め込んでありますので、皆様はただ優勝者になることだけを考えていてください。
皆様の更なる健闘を祈っております。
そして、ここで新たな報告をさせて頂きます。これからの戦闘をより深く知り、戦術を練って頂くために、残りの五名が持つセロヴァイトを発表させてもらいます。ご勝手な所を申し訳ありませんが、残りの五名が持つセロヴァイトを確認し、より良い戦闘を行って欲しいが故の行動と思い、どうか役立たせてください。
それでは、五名の持つセロヴァイトの発表です。
打撃型・孤徹
打撃型・羅刹(らせつ)
斬撃型・風靭
射撃型・軌瀞砲(きせいほう)
幻竜型・焔
以上が、生き残っているセロヴァイヤーが持つセロヴァイトの型及び真名です。
ここまで来たのなら、皆様、悔いが無いように優勝者となるために勝ち残ってください。
セロヴァイト執行協会本部からの通知は、これで最後とさせて頂きます。これより先のことにつきましては、優勝者のみが知ることができます。
優勝者となる貴方に出会えることを、我々セロヴァイト執行協会本部一同は楽しみにお待ちしております。
快い戦闘の結果を、お楽しみください。
セロヴァイト執行協会本部 』
◎
まず一つ目の疑問。
なぜ、セロヴァイト執行協会本部は、渡瀬拓也の家に七海紀紗が滞在していることを知っていたのか。拓也と紀紗に宛てた通知は、拓也のアパートの郵便受けに入っていた。普通なら、紀紗への通知は最初に届けられた通りに病院へと向けられるはずだ。しかしセロヴァイト執行協会本部からの通知は、拓也のアパートの郵便受けに入れられていた。つまり、向こうは紀紗の所在を完璧に把握していることになる。恐らくセロヴァイト執行協会本部は、しばらく前から紀紗が拓也の家で寝泊りしていることも、そしてこれからもそこで暮らすことを知っていたのではないか。
そこで二つ目の疑問。
セロヴァイト執行協会本部は、どうやってそのこと知ったのか。尾行してその内容を把握したとは考えられない。そんなことをすれば、絶対に焔が気づく。もしかしたら焔は気づいていて、それを敢えて言わなかったのかもしれない。それが焔の言う【掟】に反するのであれば、焔は言わないだろう。しかしもし本当に尾行されていたのだとしたら、拓也か紀紗のどちらかが気づいても良さそうなものである。いや、もし今も尾行されていたのだとすれば、拓也には絶対に気づける自信があった。結果、セロヴァイト執行協会本部は尾行してその情報を手に入れたのではないということになる。つまり、尾行よりももっと有効な手段があるかもしれないのだ。もしそんな手段があるのだとすれば、それはヴァイスに関係することだと考えるのが最も近いのだろう。もしかしたら、ヴァイスにはセロヴァイト執行協会本部へと会話が筒抜けになるような盗聴器システムが備わっている可能性もある。
これが三つ目の疑問。
そもそもヴァイスとは何か。見た目はビー玉でしかなかった緑色の硝子球。飲み込むときはそのままだったが、体内から排出されるときには緑色の光の粒子となってあふれ出し、それが空間で収縮されてその姿を現す。セロヴァイトが具現化するのと同じ原理だと思う。しかしそれはまずは置いておこう。ここで考えるべきことは、ヴァイスにどうやって情報と呼べるものを詰め込んだのか、である。あんなただの硝子玉にいろいろなことを詰め込めるなど、ましてやそれを飲み込んで人間の頭に直接情報を引き出させる技術など、この世界に在り得るはずはない。もし在り得るのだとしたら、ヴァイスは世界中に広がっているに違いない。ヴァイスは、この世界の産物ではない。それは間違いないはずだ。そしてそれを送りつけてきたセロヴァイト執行協会本部も、実はこの世界には存在しないのではないか。
そして四つ目の疑問。
ヴァイスを飲み、セロヴァイヤーになった者が使えるセロヴァイトとは何なのか。圧倒的な破壊力を持つ武器、否、兵器とも呼べる代物、それがセロヴァイトである。セロヴァイヤーになり、セロヴァイトを扱う者なら誰だってその威力は知っている。そしてセロヴァイトは破壊力だけでは留まらない。セロヴァイトは、時には物理攻撃を無力化し、時には風を自由自在に操り、時には落雷までも意のままに落とし、そして果てには思考を持ち会話することだってできる。百歩譲ってこの世界のどこかでヴァイスが生み出された仮定で話そう。もしかしたら、本当に将来、ヴァイスに近いものができるかもしれない。それを前提で考えてみよう。ヴァイスに必要な情報がすべて入っていた、だからセロヴァイトを具現化できた。具現化云々のことはいい。それもヴァイスに入っていた情報ということでまとめよう。問題は、ヴァイス以上の技術力が必要になるセロヴァイトを、どうやって造り出せたのか、だ。物理攻撃の無力化、風と雷のコントロール、人間同等の知能。そして身体能力を大幅に増大させる能力。それらを併せ持つものが、果たしてこれから先に誕生することはあるのだろうか。
次に五つ目の疑問。
セロヴァイトが何なのかを聞いたとき、焔は『貴様等とは違う軸を生きる人間の戯れの産物だ』と答えた。違う軸、というのはつまり、単純に考えてこの世界とは別の世界のことを言っているのではないか。今こうして過ごしている地球とは別に、もう一つの地球があるのではないか。簡単に言えば、異世界みたいなものなのだろう。そして、その異世界の技術は地球などとは比べ物にならないくらいに発達しており、物理攻撃の無力化も、風と雷のコントロールも、人間同等の知能の開発も、身体能力の向上も、すべて成功させていて、しかも異世界に生きる人間は地球で生きる人間とコンタクトを取る方法を知っている。そこで一種の戯れとして、セロヴァイト執行協会本部なるものを作り出し、地球で生きる人間には想像もできない莫大な情報が詰まったヴァイスを手渡し、地球の技術の遥か彼方にあるセロヴァイトを与えてただ遊んでいるのかもしれない。セロヴァイヤーに選ばれた者達は皆、その異世界の住人の掌の上で転がされているのだろう。
以上のことから考えて、ヴァイス及びセロヴァイトというのは異世界の産物なのだろう、というのが、神城啓吾が考えて辿り着いたすべてだった。ちなみに今までの疑問はすべて、啓吾が永遠と述べていたものだ。淡々と説明して行く啓吾の前では、拓也が頭の上に?マークを浮かべて茶を啜っており、紀紗に至っては長い話など端から聞く気はないらしくベットの上でイルカと遊んでいた。焔は焔でテレビの上で丸まって寝ている。
嬉しそうに疑問と説明をし続ける啓吾にそろそろ飽きてきた拓也は、茶を啜りながら全く別の疑問を浮かべていた。
なぜこいつは、こんなどうでもいい話を、こんなに嬉しそうに話すのだろう。
そこが秀才君の悪い所だ、と拓也は思う。自分の理論を完璧に伝えなければ気が済まないのだろう。馬鹿な自分にしてみれば、要点をまとめて手短に話してくれればいいのだ。例えば、「異世界は存在するっ!! ヴァイスとセロヴァイトはその世界の産物なのだっ!! そして真実を探求しようっ!! 必ずこのセロヴァイト本戦に優勝して、異世界の謎を解き明かすのだっ!!」とかそんな風に言ってくれた方が乗り気になる。
そもそも拓也は、ヴァイスもセロヴァイトもこうして具現化されているのだから細かいことはどうでもいいだろうよ、楽しけりゃ何でもありだ、と思っている。馬鹿と秀才では考えることが百八十度違うのは至極当然のことなのだろう。それが拓也と啓吾なら尚更だった。
まだ永遠と話を続ける啓吾に完全に飽きた拓也は、茶をテーブルの上に置いて部屋の壁に掛けられた時計に視線を送った。時刻は昼の三時十六分を指していた。ふと唐突に、冷蔵庫の中の食材が少なくなっていることに思い至る。ベーコンも無くなってしまったし、卵だってもう無い。拓也の飯はカップラーメンでも上等であるのだが、ベーコンが無いことには焔が怒るし、卵焼きが無いことには紀紗が泣く。面倒だが買い出しに行かねばならないだろう。ちょうど荷物持ちもこの家に来ているのだ。
拓也は立ち上がる、
「啓吾、話はストップ。ちょっとスーパー行くぞ」
良い所で話を止められた啓吾は少しだけ不愉快そうな顔をして、
「何しに?」
「食料と、ベーコンと卵を買いに行く」
その二つの単語に焔と紀紗が同時に反応する。別に誘ってなどいないのに、紀紗はイルカを残してベットから起き上がってお気に入りの赤いコートに腕を通す。焔はテレビの上からのっそりと起き上がり、翼を羽ばたかせて紀紗のコートのフードの中へと舞い降りる。焔がフードに入ったのを確認すると、紀紗はそのままとてとてと玄関まで歩き、拓也と啓吾を振り返ってにっこりと笑う。その笑みは、明確に「早く行こう」と語っていた。
早いっつーの、と拓也は呆れる。
「……で? 啓吾はどうする? 行くか、行かないか」
啓吾は重たい腰を上げ、ため息を吐く。
「誰もいない部屋に取り残されるっていうのも悲しいから行くよ。それに荷物持ちがいないと困るんでしょ?」
「わかってんじゃねえか」
「そりゃあね」
荷物持ちが行く気になったところで行動開始である。
壁に掛けてあるダウンジャケットに袖を通し、テーブルの上の煙草とライターを回収してポケットに突っ込み、拓也が部屋の電気を消す頃には紀紗と啓吾は玄関から外へと出ていた。それを追う形で拓也も玄関へ向かう。ドアノブに手を掛けてドアを開け、自分でもよくわからないキーホルダーの付いた鍵でロックを掛ける。ちゃんと閉まっているのかを確認したらすべて完了のはずだったのだが、財布を忘れていることに気づく。まさか啓吾から金を借りる訳にもいかず、もう一度部屋に戻って財布を手に取り、もう忘れ物はないだろうと少しだけ部屋を見渡してまた玄関から外に出て鍵を閉めた。紀紗と啓吾はアパートの門の前で待っていてくれた。手短にお礼を言ってから揃って歩き出す。
外は、気分が良くなるような快晴だった。頬に触れる緩い風を感じながら空を仰ぐ。雲一つない青空を、一機のジェット機が飛行機雲を引き伸ばしながら進んでいる。ゆっくりと視線を動かしたそこに、カラスがフォーメーションを組み替えながら調子のズレた旋回を繰り返してのんびりと飛んでいた。さらに視線を動かすと、前を歩いていた紀紗が楽しそうな顔をして早足にアスファルトを駆けて行く。紀紗が足を踏み出す度に長い髪が左右に揺れるのが純粋に綺麗な光景だった。無邪気に笑ってくるくると回る紀紗の姿が、このまま消えてしまいそうなほど美しくて、しかしどこか儚かった。
隣を歩いていた啓吾がふと口を開いたのは、そのときだった。
「あのさ、」
前を小鳥のように歩く紀紗を見つめながら返答する。
「ん?」
啓吾も拓也の視線を追いながら、こう言った。
「セロヴァイヤーは残り五人にまで減った」
「そうだな」
「おれに、拓也に、紀紗ちゃん。そしてまだ知らない二人」
「おう」
「その中でいちばん強いのは紀紗ちゃん……いや、焔だと思う」
「そりゃわかってる」
「次に強いのが、このおれだ」
「――……なに?」
歩みを止め、隣を歩いていた啓吾へ視線を向ける。
拓也の少し前を歩いていた啓吾も足を止め、ゆっくりと振り返って真剣な表情で続けた。
「仮定の話だよ。もしかしたらまだ知らない二人の方がおれより、もしかしたら焔より強いかもしれない。けど、もしそうならもっと行動に移してるはずだ。焔より強いのだとしたら、その力は圧倒的だ。誰にも止められないだろうね。でももしそんな力を持っているのなら、絶対にもっと積極的に行動しているはずなんだ。今回のセロヴァイヤー参加者数は九人。その内の一人はおれが倒して、一人は拓也、もう一人は焔が倒した。それで三人脱落になってる。残りの一人は打撃型セロヴァイト・羅刹を持つセロヴァイヤーか射撃型セロヴァイト・軌瀞砲を持つセロヴァイヤーが倒したことになる。言い換えればその二人のどちらかが強くて、どちらかが弱い。だって、片方のセロヴァイヤーはまだ一度も戦っていないんだから。強いとしたらセロヴァイヤーを一人倒した方なんだけど、焔以上の力があれば絶対におれたちを狙いに来るはずだ。拓也もわかるでしょ? 自分が強ければ強いほど戦いたいって気持ち」
啓吾の視線が我が手に下がり、その拳がぎゅっと握られる。
「でも、そのセロヴァイヤーはおれたちを狙って来ない。つまり、それほど強い力を持っている訳でもなく、様子見をするのが精一杯ってことなんだろうね。これはおれの想像だよ? そのつもりで聞いて。だから今現在生き残っている中で優勝候補のセロヴァイヤーは紀紗で、最強なのは幻竜型セロヴァイト・焔ってことになる。それは誰もが認めるはずだ。そしておれは、その最強に後一歩で並べる所まで来てる。おれの風靭は、焔をも超えるセロヴァイトだと信じてるんだ。おれは優勝者になるまで止まる気はない。ましてや負けるつもりなんて微塵もないんだ。望みを叶えるなんてどうでもいい。ただ、このセロヴァイト戦が何なのか知りたい。そのためだけに、おれは戦ってる。……拓也とは最後に戦いって言ったの覚えてる?」
啓吾の目を見据えたままで、しっかりと肯く。
啓吾は笑う。しかしその笑みはすぐに消え、思うことをはっきりと口にした。
「――おれは、今の拓也には負ける気がしない」
胸のどこかがドクンと鼓動を打った。
「もし拓也がこのまま成長しないようなら、おれが最後に戦うのは焔になる。ここが拓也の強さの限界だと悟ったら、おれは遠慮無く拓也を潰して超えて行く」
無意識の内に拳を握って歯を食い縛る。
啓吾の言っていることが心の奥底を刺激する。言い表せない怒りだけがあふれ出てくる。拳を肌の色が変わるほどに握り締め、歯を圧し折る勢いで食い縛った。啓吾の決めつけたような言い方に腹が立つ。今まで対等だと思っていた奴に見下されるようなこの感覚が我慢できない。そして何より、これだけ言われても何も言い返せない自分自身がいちばんムカつく。
諦めていたんだと思う。自分は、啓吾のように努力し、限界を超えようと努力することを、諦めていたのだろう。あの日、焔と初めて対峙したときから今までずっと、自分は、焔の強さに脅えていたのだ。どれだけ努力して強くなっても超えられない壁がある。その壁が焔だ。迸るあの殺気を前にすれば、自分などひとたまりもないのだろう。焔が本気を出せば、自分など瞬殺できるのだろう。努力しても結局は無駄、だったら最初から努力などするな。でも格好悪い所は見られたくない。だから表では必死に強くなろうとする意思があることを出すのだ。裏では何を思ってもいい。表だけは強くあれ。それが、渡瀬拓也が必死に隠してきた心の底だった。
そしてその奥底の闇を、啓吾は完璧に見抜いていた。
啓吾は言った。
「戦友としてではなく、一人のセロヴァイヤーとして拓也に聞きたい。拓也は、強くなろうと思う意思がある?」
心の奥底から意識を浮上させ、目の前の戦友を見据える。
「もし拓也が強くなろうとすることを放棄するなら、おれは今ここで、拓也を脱落者にする。……いや、違うね。もしそんな腑抜けたことを言うんだったら、おれは、今ここで、拓也を殺すよ」
頭の中で、カツン、と何かが外れた。
吹っ切れた。外れた何かは、そのまま心の奥底に落ちて、すべてを破壊した。今まで塞いできた思いを木っ端微塵に砕いた。何もかも、吹っ切れた。拓也は思う。殺されるくらいなら殺してやろうではないか。上等な口をよくも聞いてくれたな。いくら友達でもおれにそんな口を聞いて無事でいられると思うなよ。もう二度とおれを弱いなどとは言えないようにしてやる。風靭だか何だか知らねえが孤徹に比べれば糞みてえなモンだ。強くなってやる。後で吠え面かくなよ啓吾。お前がおれを殺すと言うのなら、いいだろう、受けて立ってやる。おれも、お前を殺すために戦ってやる。地上最強のセロヴァイヤーは、このおれだ。
握ったままの拳を啓吾に向かって突き上げ、絶叫した。
「上等だテメえっ!! 受けて立ってやんぜ啓吾っ!! どっちが本当に強えか勝負しようじゃねえかっ!!」
拳の自分の胸に当て、さらに叫ぶ、
「強くなるってやるっ!! テメえもっ!! 焔も凌駕しておれが最強のセロヴァイヤーになってやるっ!!」
拓也は、言い切る、
「ぶっ殺してやるからなっ!! 覚悟しやがれ啓吾っ!!」
啓吾が、本当に嬉しそうに笑った。
「――……それでこそ拓也だ。待ってる。おれと焔の領域まで上がって来い。拓也はまだ、強くなれる。……やっぱり、拓也とは最後に戦いたいからね」
啓吾の拳が前に差し出される。
その意図を察した拓也は、遠慮無くその拳に自らの拳を打ち当てた。
拓也は笑う。最強の戦友に最高の感謝をここにしよう。おれはまだ、強くなれる。孤徹を知ろう。孤徹はこんなモンじゃないはずだ。絶対にまだ強くなれる。自分が孤徹を理解し、その能力を百パーセント引き出せれば自分は最強のセロヴァイヤーになれる。孤徹は焔にも引けを取らないセロヴァイトである。その自信は、拓也にもある。確信できるのだ。孤徹は、焔をも超えるセロヴァイトだ。そして焔を超えたとき、今度は自分が啓吾に向かってこう言ってやるのだ。
――お前には、負ける気がしない。
このセロヴァイト本戦で、必ず優勝してみせる。
それが、渡瀬拓也の望みだ。
拓也と啓吾の前を早足で駆けていた紀紗は、唐突にその足を止めて振り返った。
見れば二人とは随分と距離が開いていた。そんなに早く走ったつもりはなかったのにどうしてこんなに離れてしまったのだろう。そう思ってその場で二人を待ってみてやっとわかった。二人は止まっている。何か話しているような雰囲気だ。何かあったのかもしれないと思い、引き返そうと足を進めたそのときに「やめておけ」と焔に注意された。焔がそう言うのであれば、それに従おう。きっと二人には二人の事情があるのだろう。
紀紗は踵を返し、すぐそこにあった低いコンクリートの塀に腰掛けた。ぼんやりと青空を仰ぐ。もう冬だというのに、空に浮かぶ太陽からはぽかぽかと暖かい陽射しが舞い降りていた。このままお昼寝をしたい気分である。もしこれがアパートのベットの上なら十秒で眠れる気がする。イルカを抱き締めて、柔らかい布団の上で寝転がって、すぐ側にいる焔を見ながらゆっくりと目を閉じる。それは、とても気持ちいいことなのだろう。そして、そんな陽射しを受けてお昼寝がしたいと思っている自分にやっと気づいて、紀紗は驚いたような顔をする。
今までは、眠るのが恐くて仕方がなかった。眠ってしまったらこのまま起きれなくなるんじゃないかって何度も思った。実際に、寝ている間に発作に見舞われて数日意識不明に陥ったことだってある。だから寝るのが恐かった。もう二度と、世界を見れなくなるんじゃないかってずっと不安だった。窓の外に見える、本当に小さな世界だった。それでも、それが紀紗の世界のすべてだった。どんなちっぽけなものでも、見れなくなるのは本当に恐かった。
でも、その世界を解き放ってくれた焔のおかげで、自分は今、こうして安心して眠ることができる。こうして外を歩くことだってできるのだ。焔が側にいてくれれば、自分は何でもできる。今まで考えるだけしかできなかったすべてのことが、焔と一緒なら何だってできる。だから、焔とずっと一緒にいたかった。大好きな友達と一緒に、ずっと一緒にいたかった。
そのために、紀紗は戦っている。焔と共に。優勝者になり、望みを叶えるために。
コートのフードの中から、焔がその首をそっと出した。そして、言った。
「紀紗。セロヴァイヤーは残り五人だ」
「……うん」
いずれ来るとわかっていたこと。いつまでも、一緒に卵焼きは食べれない。
それが、セロヴァイヤー同士の宿命なのだ。
「今までは何も言わなかったがそろそろ頃合だ。もし紀紗が望むのであれば、ここで小僧と神城を殺す」
紀紗は何も言わない。
「おれは紀紗のためだけに戦う。それが紀紗をセロヴァイヤーに選んだおれの使命だ」
わかっている。焔と出会ったときからずっとわかっている。焔は他の誰よりも、この自分のことを想っていてくれる。
焔が大好きだ。でも。
「……焔。もう少しだけ、このままでいちゃ……ダメ?」
「……どういう意味だ?」
こんなことを言ったら焔に嫌われるかもしれない。だけど、想いは口にしないと伝わらないから。
小さな拳をきゅっと握り締め、紀紗は口を開く。
「拓也は、その……友達、だから……。だから、最後までこのままでいちゃ、ダメ……かな……?」
楽しかったから。一緒に暮らして、一緒に卵焼きを食べて、一緒に過ごすのが、ただ楽しかったから。
焔は大好きだ。でも、その『好き』とはまた違う『好き』で、拓也が大好きだった。拓也の作ってくれる卵焼きをもっと食べていたい。あの家で、もっともっと一緒に暮らしていたい。自分と、焔と、拓也と、三人で。初めてだったのだ。友達ができるということが。そして、誰かを好きになるということが。何もかも新鮮で、何もかも嬉しかった。このまま一緒にいたいと、ずっと思っていた。楽しい時間は、いつまでも続くと信じていたかったのだ。
でも。でもそれはできないこと。自分がセロヴァイヤーで、拓也もセロヴァイヤーである限り、いつかは崩れる。だったら、同じ崩れるのだったら、それは最後がいい。自分は焔と戦うと決めた。それは、拓也とも戦うということ。わかっていたことだ。だから、拓也とは最後に戦いたい。その最後の瞬間までは一緒にいたい。わがままなんだと思う。だけど最初で最後のわがままだから。だから、もう少しだけ、このままでいさせて欲しい。
焔と拓也が、大好きだから。
そして、焔は目を閉じてフードの中へと戻って行ってしまった。怒ったのかもしれないと心配になり、紀紗がその名を呼ぼうとしたとき、焔がいつものようにぶっきら棒にこう言った。
「好きにしろ。おれは、紀紗に従う」
心が、暖かくなった。
紀紗は、本当に嬉しそうに笑う。
「うん」
青空を再度仰ぐ。
青空は、果てしなくどこまでも続いている。
それは、音の無い弾丸だった。
それに気づけたのは、風を感じられる啓吾だけだった。
啓吾は風靭を具現化させずとも、大気の流れを明確に感じ取れる段階にまで進化を遂げていた。訓練に訓練を重ね、それこそ血の滲む努力をしたからこその賜物だ。前回の優勝者が用いたセロヴァイトはこの風靭だ。しかし、啓吾はその優勝者を越える領域に達するまで強くなっていた。だからこそ、このとき、その弾丸に啓吾は気づいたのである。
音の無い何かかとんでもない速度で大気を切り裂きながら突っ込んでくる。その軌道から、狙いは自分自身なのだと、啓吾は理解していた。
目の前の拓也を押しのけながら、啓吾は我が最強の相棒の真名を呼ぶ。
「――風靭」
啓吾の掌から緑色の光の粒子があふれ出し、一振りの刀を具現化させる。
風靭が啓吾の手に握られたその刹那、台風のような突風が吹き荒れた。啓吾を中心として辺りを爆風のような風が襲う。その風に煽られて拓也の体が後ろに飛ばされる。いや、啓吾がそうしたのだ。この敵は、自分一人で十分。啓吾はそう思っている。目を閉じて神経を集中させる。荒れ狂っていた風が一つの意思の元に統括されていく。形の無い風は一箇所に凝縮され、五枚のカマイタチの楯を作り出し、音の無い弾丸の軌道に割って入る。
弾丸が風と激突した。弾丸はその威力にものを言わせて二枚のカマイタチの楯をぶち破る。しかしそこで威力が激減し、三枚目のカマイタチに触れた弾丸はズタズタに切り裂かれ、四枚目のカマイタチで跡形も無く消滅させられた。そして啓吾は二撃目の弾丸に備え、一瞬で二十五枚のカマイタチの楯を発生させる。それを自分を守るように配置させ、どこから来られてもいいように体制を整える。
横で拓也が何か叫んでいるが聞こえない。聞くつもりもない。啓吾は思う。見ているがいいさ拓也。拓也がこれから目指す高みがどれほどのものか。焔の領域に達したセロヴァイヤーの本当の力を、目に焼き付けておけ。これが、このおれのセロヴァイト・風靭だ。
啓吾が力を解放させる。二十五枚のカマイタチは、一瞬でその倍の五十枚にまで膨れ上がる。近くにあった木々がその風に触れた瞬間に見るも無残に引き裂かれる。木々を根こそぎ破壊した風は牙を見せ、アスファルトを抉り取りながらゆっくりとその方向を変える。触れるものは何であれ切り刻む。鋼鉄であろうが何だろうがお構いナシだ。このカマイタチの前に敵はない。風が存在する場所に居る限り、自分には誰も近づけないのだ。対焔戦の切り札となる能力である。これが、風靭は最強だと啓吾に確信させる力。
二撃目は、すぐに来た。音の無い弾丸はさらに速度を上げて突っ込んでくる。その軌道から進行方向を一瞬で見極め、五枚のカマイタチを楯とする。何度やっても同じことだった。風を感じられる啓吾に、遠距離攻撃など何の役にも立ちはしない。真っ直ぐに突っ込んでくるしか脳の無い攻撃で傷を負わそうなどとは哀れなことだ。銃系統の攻撃は、啓吾に届かない。
しかしそれは、仮定の話である。真っ直ぐに飛ぶしか脳が無いのなら、啓吾には傷一つつけられない。それは間違いない。だが、その弾丸は違った。そのことを、啓吾は目にして、知った。
在り得ない現象が起こった。音の無い弾丸が、その軌道を捻じ曲げた。カマイタチに触れる瞬間に、真っ直ぐに固定されていた弾丸の軌道が無理矢理変更され、啓吾の横を風を切り裂いて通り過ぎる。それまで気づけなかった。そして気づいたときにはカマイタチはすべて掻い潜られていた。そして、その弾丸の本当の狙いに気づくのに遅れた。弾丸は、出鱈目に軌道を変えながら、啓吾の後方にいる紀紗に向かって突っ込んでいた。
無意識で啓吾は地面を蹴る。目の前にある風をすべて掻き分け、啓吾は弾丸と紀紗の間に割り込んだ。何を思ってやったことではない。ただ、己が思慮の浅さを呪った。自分ともあろう者が油断した。そしてその一瞬の隙を完璧に突かれた。これで紀紗が脱落者になったら自分のせいだ。だから、守るのだ。
弾丸の軌道に風靭の刃を乗せ、タイミングを合わせて振り抜く。刃が弾丸に当たったその刹那、弾丸が一瞬だけ光った。
それが、終わりの合図だった。
「っ!?」
弾丸が、風靭の刃を砕いた。
スローモーションのように過ぎ去る光景だった。砕ける風靭の破片一つ一つが目で追えた。そしてもちろん、風靭を砕いた弾丸の行方もはっきりと見えた。軌道が狂った弾丸は方向を変え、啓吾の肩を貫通する。痛みはなかった。が、体から一瞬で力が抜けた。風靭がゆっくりと緑の光の粒子に包まれてその形を消す。啓吾の体内からヴァイスが排出された。
そして地面に倒れ込んだ啓吾の後ろで、状況を理解できていなかった紀紗の顔に弾け跳んだ血液が付着する。それをぼんやりと手で触れ、紀紗は目の前に運ぶ。それを見た瞬間、頭の中で忌まわしき記憶がフラッシュバックする。顔に付いた生温かい感触が何よりも恐ろしかった。目に見える信じられないくらいに赤い血痕に、頭の中で何かが音を立てて外れた。
その場に膝を着き、紀紗は小刻みに震えながらふるふると首を振る。見開かれた瞳には虚空しか映っていない。
小さく何事かをつぶやき、たちまちにその声は大きさを増す。
「――ほっ、焔ァアッッッ!!!!」
悲鳴に近い叫びだった。
そして、その真名に焔は反応する。今ここに存在するすべての空間が歪み、圧倒的なまでの緑の光の粒子があぶれ出す。しかしそれは、今までの比ではなかった。少ないのではない。多過ぎるのだ。膨大な量の粒子はあふれ続け、まだ具現化していないのにも関わらずにすべてを射殺す殺気が迸る。粒子は形を成し、空間に巨大な真紅の竜を具現化させる。
その幻竜型セロヴァイトは、今まで見たどの焔とも違った。真紅の体は劫火に包まれ、眼光は燃え盛る程度では済まない。眼光は、灼熱を宿していた。
焔が口を抉じ開けて虚空に吼えた。その咆哮は大気を裂いて地面を揺るがせる。紀紗が錯乱していたのが原因だった。紀紗が焔のストッパーの役目を果たしていた。だがそのストッパーが外れた。至極簡単なことだ。塞き止めていたダムを破壊すれば大量の水があふれ出す。その原理と同じという訳だ。ストッパーが外れた、だから、焔が開放される。
焔の内に秘められていた強大な力。それが開放されている。
そして、強大な力は焔から知性を奪い、理性を崩壊させた。
焔にあるのは本能ただ一つ。
――敵は、皆殺しだ。
紀紗に牙を剥く者に容赦はしない。皆殺しにしてやる。
その巨大な翼を広げ、神速の速さで焔が空を舞った。
◎
射撃型セロヴァイト・軌瀞砲。
それが、浅野茜(あさのあかね)の持つセロヴァイトだった。
二十歳から始めた一人暮らしは思いの他大変で、会社ではうるさい上司に毎日怒鳴れていた。一人暮らしで親から離れて働ければとても気軽に生活できると思っていたのが間違いだった。今更おめおめと実家に帰る訳にも行かず、何の変哲も無い生活の繰り返しを余儀なくされていた。生活に嫌気が射している自分に気づきながらも何も変えられない自分自身が惨めだった。一人暮らしを始めてから、一体何度、夜中にベットの上で泣いたのだろう。
そんな生活を限界と感じ、恥を承知で実家に帰ろうと決意した二十二歳の十一月。その日、マンションの郵便受けに差出人は愚か茜の住所も書かれていない封筒が突っ込まれていた。薄気味悪いと思いながらもその封筒を開け、中を見た。一通の手紙と、ビー玉が入っていた。差出人は、セロヴァイト執行協会本部という所だった。そしてその一通の手紙とビー玉が、茜の生活のすべてを変貌させたのだ。
自分がセロヴァイヤーになってからは、それまでの生活が一変して楽しくて仕方がなかった。このセロヴァイトは最高だと思った。腹が立つ人間を幾ら殺しても次の日になれば復活している。目に止まった人間を何十人も撃ち殺した。日頃うるさかった上司など何回殺したのかは覚えていない。しかも殺された人間は、その記憶すら忘れているのだ。それはたぶん、セロヴァイト執行協会本部の言う後始末なのだろう。そんなストレス発散方法を見つけて以来、茜は日に日に狂い、もとい生気を取り戻していった。その副産物という感じで、セロヴァイトの特性に気づいたのだ。それからはもっと楽しくなった。
射撃型セロヴァイト・軌瀞砲。その構造はライフルに似ている。歪な形をしているがよく映画などでスナイパーが使う狙撃銃に近く、最初から装着されていたスコープの倍率は果てしないものだった。そしていちばん好都合だったことが、軌瀞砲に弾切れはないということである。一発撃てば少しの間は撃てないが、五秒も経てば次弾が自動で装転される。弾切れがないということはつまり、何人でも殺せるということだ。
そして軌瀞砲の特性が、物質の粉砕と自動追尾。前者の特性は最初から気づいていた。軌瀞砲から放たれた弾丸は、物質なら何でも木っ端微塵に粉砕する。コンクリートでも鉄でも例外はない。しかし後者は違った。セロヴァイトを手にして十三日ほどしたある日突然に、頭の中で声がしたのだ。――撃ち殺せ、と。その瞬間に頭の中に後者の特性が降って沸いた。軌瀞砲のスコープから狙いつけた相手に限り、撃ち出された弾はどこまでも標的を追い続ける。その特性を使えば、車に乗っている人間さえも自由に殺せた。楽しくて仕方がなかった。
そして気づけば、セロヴァイヤーは残り五名にまで減っていたのだ。人間殺しにも飽きていた頃だった。新たな標的が欲しい。ただそれだけのために、茜は狩に出掛けることにした。優勝など眼中にはなかったが、ここまで来たらそれを成し得るのもまた楽しいかもしれない。狂った思想をそのままに、茜は頭の中のレーダーを初めて稼動させた。
この町で最も高いビルの屋上に上り、町を一望しながら探した。そこで見つけたのだ。しかも反応は三つあった。肉眼ではまったく見えないが、ここより十二時の方角に反応がある。茜は軌瀞砲を具現化させ、スコープからその様子を窺う。その三つの反応は、どうやら本当にセロヴァイヤーらしい。小さな女の子が一人と、二十歳くらいの男が二人。ズルイ、と茜は思った。残り五名の中で仲間が三人というのは圧倒的に有利だ。ズルイ、だから殺してやる。茜はまず誰を殺そうかと考え、最終的には好みで大人しそうな青年に狙いを付けた。
軌瀞砲を体にがっちりと構え、スコープで狙いを定めたままトリガーを絞った。僅かな反動の後、音の無い弾丸が発射される。今までなら誰もその弾丸に気づかなかった。音が無いのだから当たり前である。しかし、その青年は気づいた。刀のようなセロヴァイトを具現化させ、何も触れずに弾丸を消滅させた。それがその青年のセロヴァイトの特性だということを知った。だったら、狙いを変更だ。
その奥、紅一点の女の子を先に殺そう。次弾が装転されたことを確認した後、再びトリガーを絞った。弾丸が撃ち出されて一瞬で距離を詰める。途中で茜の意思とは関係なく軌道を変え、障害物が無い最短の距離で女の子を射抜くために加速する。そして、茜にも予想外の事態が起きた。先ほど狙っていた青年が弾丸の先に回り込み、刀を振るったのだ。驚きはしたが、結局は誰かが死ぬことには変わりない。
茜は唇を歪ませて笑った。
――まず一人。
軌瀞砲の特性が発動され、青年の刀が砕ける。その弾丸は特性を失い、ただの弾として青年の体を貫通した。それを見ている感覚が、何よりも好きだった。心の奥底からスカッとするこの気分が止められない。次は誰を殺そうか。そう思いながらスコープを覗き込んでいた茜の目に、信じられない光景が浮かび上がった。
突如として、劫火を纏った真紅の竜が現れたのだ。軌瀞砲のスコープを使わなければ見えない距離にいるのにも関わらず、その竜は一発でこちらの居場所を割り出し、灼熱の眼光でスコープ越しに茜の体を射抜いた。体の隅から隅まで凍りついた。殺される。何を思うよりまずそう思った。軌瀞砲を解除するのも忘れ、スコープから顔を外して蒼白な顔で逃げ出――
その一歩を踏み出した瞬間に、空からそのセロヴァイトは飛来する。瞬間移動したとしか思えない速さ。いや、速いなどという問題ではない。先ほどまでは確かに肉眼では絶対に見えない距離を保っていたのだ。茜がスコープから顔を外して踵を返すまでに二秒とかかっていない。それなのに、この真紅の竜は、茜の前に飛来した。
劫火を纏い、灼熱の眼光を宿らせた化け物が目の前にいる。その圧倒的な威圧感と迸る殺気に意識が飛んだ。自分でもわからない悲鳴を上げながら、茜はスコープを覗かずに軌瀞砲をトリガーを絞った。弾が一瞬で撃ち出され、真紅の竜を粉砕するべく加速する。
刹那に、竜が咆哮を上げた。
吼えただけ。たったそれだけだった。しかしその吼えただけが、すでに破滅を齎す破壊だった。
竜の咆哮は弾丸を空中粉砕し、屋上のコンクリートを砕き、茜の鼓膜をぶち破り、三半規管を狂わせた。目の前の光景がぐにゃりと歪み、その場に立っていられなくなる。膝を着いた瞬間にどっちが天でどっちが地なのかさえわからなくなった。両耳から生温かいものが止まることなくあふれ出てくる。視界は歪み続ける。ぐにゃぐにゃと曲がる曲線で構成された世界の中で、劫火が荒れ狂っている。
竜がその一歩を踏み出し、茜が必死で逃げようと――――あ、
真っ赤な血飛沫が世界に舞った。竜が茜の首から上を噛み砕く。
首から上が弾けたのにも関わらず、首無しとなったその屍を貪りながら、竜は虚空に向かって咆哮を上げる。
神城啓吾・浅野茜――脱落。
第十二期セロヴァイヤー残り参加者数――三名。
「羅刹」
悪りぃ、約束守れなかった。
そう言って、啓吾は血塗れのまま目を閉じた。排出されたヴァイスは意思を持つように緑の光の粒子と化し、駆け寄った拓也の体内に風靭と水靭のヴァイスが二つ蓄積された。啓吾の上半身を起こして、しかし結局は何と言っていいかわからずに呆然としていた。目の前の光景が何一つ理解できなかった。啓吾が脱落者になったという事実を、脳が頑なに否定する。肩口から流れ続ける赤い血が現実のものとは思えない。セロヴァイトによって負わされた傷は午前零時になれば修復されるということを知っている分、その光景はやはり現実味を帯びなかった。
ただ、目を覚まさない啓吾を見ていると、漠然と脳内に思考が弾けた。もう啓吾とは、戦えないのだろうか。ヴァイスが排出され、拓也の体に蓄積されたということは紛れもない事実である。それは、正確に啓吾がセロヴァイヤーではなくなったことを差していた。だがそれが、あまりに呆気なかった。最大の戦友の最後がこんなにも呆気ないことがどうしても納得できない。どうしてこうなったのかがいま一つはっきりとしない。どこからか攻撃を受けたのだということはわかっている。しかしそれがどこからなのかは最後までわからなかった。それに気づけたのは啓吾だけ。だからこそ、こうなってしまった。
思う。もし、啓吾が紀紗を庇わなかったから、啓吾はまだセロヴァイヤーだったのだろう。それは啓吾もわかっていたはずだ。しかし啓吾は紀紗を守り、斬撃型セロヴァイト・風靭を砕かれて脱落者となった。攻撃を仕掛けた相手が強かった訳ではないのだろう。一対一で啓吾とそのセロヴァイヤーが戦えば、啓吾は絶対に負けないはずだ。何を賭けてもいい。啓吾は、最強に近いセロヴァイヤーだったのだから。ただ、そのセロヴァイトの特性にやれただけなのだ。それだけなのだ。
だがセロヴァイトの特性が強いということはつまり、そのセロヴァイヤーが強いという事実に他ならない。遠距離攻撃が卑怯だ、などという言い訳はセロヴァイヤー同士の戦闘には通用しない。セロヴァイト本戦はどんな手を使っても勝つことがすべてで、負けたらそこまでだ。それは百も承知のはずだった。例外は無い。拓也も啓吾も、心の奥底でそれをしっかりと理解し、納得していた。だけど、啓吾は最後まで鬼になれなかったのだろう。だからこそ啓吾は最後には敵になるはずの紀紗を守り、そして、脱落者になった。
拳を握る。悔しさだけが空回りする。最後に戦うはずだった戦友の、唐突の脱落。何のために自分がこのセロヴァイト戦を勝ち抜こうとしたのか、それが頭の中から消え失せた。啓吾と戦って勝利する、それだけのために戦っていたはずなのに。それがもう、不要になった。ならば、自分がセロヴァイト戦を行う意義はどうなるのだろうか。啓吾がいないセロヴァイト戦を続行するだけの意味が、この自分にはあるのだろうか。
わからなかった。最初から望みを叶えるためにセロヴァイヤーになったのではない。ただ、啓吾との長年の関係に決着を着けるためだけにこの舞台を選んだのだ。しかしその勝負の行方は、見知らぬ第三者によって幕を引かれた。許せなかった。真剣勝負を邪魔されたのが納得できなかった。甘ったれた意見だとは思う。他のセロヴァイヤーが聞いたら鼻で笑うような意見だろう。だけど、せっかくこれからさらに強くなろうと心に決めたその瞬間にすべてが終ってしまったという事実は、自分でも制御できない怒りとなって弾けた。
ぶっ殺してやる。邪魔をしてくれたセロヴァイヤーをぶっ殺してやる。しかし結局、それさえもできなかったのだ。啓吾を脱落者にしたセロヴァイヤーは、焔が殺した。その焔は、今まで見たどの焔とも違った。圧倒的な壁に他ならない。一生懸かっても超えられない壁だった。すべてを曝け出した焔の力は、この世の何を持ってしても止めらないに違いない。それこそセロヴァイヤーが全員束になってかかっても、焔の前には何の障害にもならないのだろう。
焔の力は、強大過ぎた。そして、その強大な力の発現が、今までの生活のすべてを狂わせた。
啓吾が脱落者になったその日から、紀紗の体調が悪化の一途を辿った。
忘れていたこと。知ってはいたが、頭のどこかで軽視していたこと。
紀紗の残りの命は、後半年も無いのだ。紀紗は産まれ付き心臓に病を持ち、産まれたときから病院暮らしを余儀なくされていた。しかし焔が紀紗の体を変えたのだ。焔のセロヴァイヤーになったときから、紀紗の体は焔によって制御されていた。心臓の病の進行を食い止め、自らの力の大半を紀紗に託すことでその体を健康状態にまで引き上げていたのだ。幻竜型セロヴァイト・焔にしかできない芸当である。
しかし、その均衡が崩れた。紀紗の中で暴走した焔の力は一気に霧散し、すべてを元通りにした。つまり、紀紗の体は、焔と出会う以前の状態に戻ったのだ。今の紀紗には、小鳥のように外を自由に駆け抜けるだけの力は無く、卵焼きだってお腹一杯食べれなくなった。本当なら、紀紗は病院に逆戻りして延命治療に専念しなければならないのだろう。
しかし紀紗は、それを頑なに拒んだ。死んでもいいから、最後まで焔と一緒に拓也の所に居させて。泣きながらそんなことを頼まれたら、従うより他になかった。
日常と思っていた光景が歪んでいく。
啓吾はセロヴァイヤーではなくなり、紀紗は元気に笑えなくなった。
拓也は一人、何もできないまま拳を握り続ける。
残りセロヴァイヤー参加者数は三名。拓也と紀紗、そして打撃型セロヴァイト・羅刹を用いるセロヴァイヤーだけだ。
紀紗の病状の悪化は、それに伴いどのセロヴァイヤーが優勝するのかを大きく変化させる。紀紗がこれまでと変わらずに過ごせていたのなら、啓吾が居なくなった今、優勝は焔が掻っ攫っていただろう。だがその紀紗が自由に出歩けないとなると、その可能性は極端に低くなる。真っ向から戦えば焔が絶対有利には違いないが、少し見方を変えればその結果は簡単に引っ繰り返せるのだ。つまり、この第十二期セロヴァイヤーによるセロヴァイト本戦で優勝するのは、もはや誰かわからなくなったということになる。もしかしたらそのまま紀紗が優勝するかもしれないし、拓也かもしれないし、もしかしたらもう一人のセロヴァイヤーかもしれないのだ。
考える。今、自分がするべきことは何なのか。今、自分にできることは何なのか。答えは、考えればすぐに辿り着ける場所に転がっていたのかもしれない。啓吾が脱落した。最大の戦友と戦う機会を失った。しかし、それがすべてではなかったのかもしれない。自分の最終目的は、啓吾を倒して優勝することだったはずだ。でも啓吾は先に負けた。だったら、自分はこの本戦で優勝して当たり前なのではないか。最強の戦友がいなくなった今、自分が優勝しなければ啓吾に顔向けできないのではないのか。弱音を吐いていたら、それこそ啓吾に殺されるだろう。
前を向け。いつまでも悩んでいるのは自分らしくない。思い立ったら一気だ。啓吾に優勝の肩書きを叩きつけてやろう。そして、目の前で笑い飛ばしてやるのだ。お前より、やっぱりおれの方が強い、と。それで啓吾が怒ったら今度こそ本当の勝負だ。舞台は違う。しかし決着には変わりないのだ。ぶん殴ってやる。ぶっ飛ばしてやる。弱音吐いたら即刻死刑だ。
正真正銘の真剣勝負と行こうじゃないか。その狼煙を、自分が優勝したと同時に上げよう。
思考はやはり、最終的にはそこに辿り着く。
――優勝するのは、この渡瀬拓也である。
いつも孤徹を訓練していた森へと足を向けた。辺りに人の気配は無くて民家も無い森の入り口に拓也は一人佇む。
まずは、優勝者になる。そこからすべてが始まるのだ。最初に叩き潰す相手は打撃型セロヴァイト・羅刹を持つセロヴァイヤー。幻竜型セロヴァイト・焔はその次に倒す。こんな考えは卑劣なのかもしれない。だけど、今の紀紗と焔が相手なら、焔は超えられない壁ではない。しかしそれでも、今の焔が相手でも限界に挑戦するほど高い壁なのだ。今じゃなければ、焔を越えられない。そして超えるためには、今以上の力が必要になる。すべてを乗り越えるだけの力。それが、自分にはあるという絶対の自信。
闇の向こうに見える森の奥底を見据えながら、拓也はその真名を呼んだ。
「――孤徹」
空間が歪み、緑の光の粒子があふれ出す。それは意思を持って漂い、拓也の両手に収縮される。やがてそれは形を造り出すために活動を開始する。ズシリと重い感覚が両腕に伝わったその刹那、二体一対の鉄甲がその姿を具現化させた。漆黒に鈍く輝く孤徹を見据えながら、拓也は目を閉じて大きく息を吸う。
紀紗は今頃、アパートのベットの上で眠っているのだと思う。瞼の裏にいる、無邪気に笑う紀紗に想いを巡らす。初めて紀紗と出会ったときのことを思う。イルカとじゃれ合う紀紗を思う。卵焼きを嬉しそうに頬張る紀紗を思う。「いってらっしゃい」と「おかえりなさい」を言ってくれた紀紗の笑顔を思う。一緒にポテトチップスを食べたことを思う。本当に嬉しそうに笑う紀紗を思う。そして、共に過ごした七日間のすべてを思う。楽しかった。家に誰かがいるという喜びが、純粋に心地良かった。
もし。もし自分が優勝者になれたのなら、紀紗の望みを叶えてやろうと思う。楽しかった時間をくれた紀紗への、ちょっとした恩返しだ。しかしそのためには、全力で焔を打ち倒す必要がある。恩返しは、自らの手で掴み取らねば意味がない。優勝者になることが、拓也の始まりなのだ。拓也が優勝者になったその瞬間、啓吾との決着も、紀紗への恩返しも叶う。自分自身の望みは、優勝者になること。ただそれだけだ。
焔の殺気と、まだ見ぬもう一人のセロヴァイヤーへと向かって、拓也はその場で絶叫する。
自らを振るい立たす獣の叫びだった。
孤徹を全力で打ち鳴らし、拓也は有りっ丈の力で地面を蹴る。山を突風のように駆け上がり、道中に見えるすべての木々を根こそぎ破壊する。頭の中で必死に願う。強くなりたい。いや、強くなりたいのではない。強くならねばならないのだ。最強になる。必ず、優勝者となる。強くなってやる、それが、啓吾との約束だ。頭の中で思考を打ち切って咆哮を上げる。
地面を孤徹で弾くと一瞬でクレーターが口を開けた。その勢いで宙に舞い上がり、反転しながら再度地面に激突する。隕石でも落ちたかのような破壊と轟音が巻き起こり、破片を蹴散らしながら拓也はその場に風の如く静止する。そして孤徹を見据え、ゆっくりと呼びかける。
拓也はまだ強くなれる、と啓吾は言った。それはつまり、自分はまだ、孤徹を完全には理解し切っていないということ。
啓吾が辿り着いた領域まで這い上がろう。そして、強くなろう。
それにはお前の力が必要だ。応えてくれ、孤徹。お前は、最強のセロヴァイトだ。
おれは、そう信じている。だから。応えてくれ、孤徹――。
◎
初めて七海紀紗に出会ったとき、紀紗はきょとんとした顔をしていた。
それはそうだろう。ある日突然に、紀紗に初めて送られてきた封筒。その封筒の中に入っていたビー玉を飲んでしばらくしたら、唐突に小さい人形のような空飛ぶ竜が現れたのだから。そのときの焔は、本当にちっぽけだったに違いない。テレビで見るアニメの世界に迷い込んでしまったのかもしれない、と紀紗は思ったはずだ。そのときの焔は、子供の紀紗から見ても、恐いとすら思わなかった。そんな姿を、焔はしていたのだ。そして当の焔は一人、心の中で悪態を吐き捨てていたことを紀紗はもちろん知らない。
焔にしてみればまたハズレを引いたことに他ならなかったのだ。焔は今までに九回、セロヴァイヤーを得てこの世界に具現化された。しかしそのいずれも、我が主となるべきセロヴァイヤーは愚図ばかりだった。小さな焔を見て笑う者、焔を弱いと決めつけ愚弄する者、己が欲望のために焔に命令する者。勘に触る。愚図がおれに指図するな。九回、つまりは九人だ。そのいずれも愚図であるが故、焔が自ら噛み殺した。戦いを楽しむために連中の誘いに乗り、態々このセロヴァイト戦に参加したのに楽しいことなど何一つなかった。焔の欲望を満たすものは、最後まで現れないのだと決めつけていた。朧(おぼろ)の言う通りだ、と焔は思っていた。
そして、この小娘もまた、愚図の一人に他ならない。話をするだけ面倒だった。
早速に噛み殺してやろうと牙を剥いた刹那に、紀紗はこう言った。
――あなた、だれ?
貴様は自分のセロヴァイトの真名も知らないのか。紀紗のその言葉は、焔のプライドに触った。牙を剥いたまま自分の真名を紀紗に教え、具現化させるように仕向けた。具現化すればこの小娘も大層な口は聞けまい。焔の本当の姿を見れば、こんな小娘などひとたまりもなく失神してしまうのだろう。気を失ったまま殺すのはそれはそれで楽しいかもしれない。何より、殺気を少しだけ放ってやればこんな餓鬼の一匹や二匹、簡単に殺せると思った。
紀紗は言われた通りに焔の真名を呼び、巨大な真紅の竜を具現化させた。どのような反応をするのかが密かに楽しみだった焔を他所に、紀紗は、焔の予想外の行動に出た。紀紗は笑ったのだ。それはそれは、嬉しそうに。満面の笑みを浮かべながら、焔の体を見上げていた。
この小娘には『恐い』という感情が欠落しているのではないか、と焔は本気で思った。
貴様、このおれが恐くないのか、と聞けば、紀紗はまた笑う。
――恐くない。焔はかっこいい。
たったそれだけの言葉で、焔の噛み殺すという意思が頭の中から排除された。毒気を抜かれた気分だった。まるでヒーローを見るかのように目を輝かせて焔を見上げていた紀紗の無邪気な表情を前にすると、焔は紀紗に対して何もできなくなった。直感だったのかもしれない。紀紗は、今まで出会ったどのセロヴァイヤーとも明らかに違う。幼いから、という理由もあったのだろう。しかしそれ以上に、焔は紀紗をまったく別物のセロヴァイヤーだと思った。
焔は笑った。賭けてみようと思った。たまには連中も良い人選をするではないか。
七海紀紗。気に入った。この瞬間よりおれがお前を守ってやる。
おれは、お前のためだけに戦う。
その日、紀紗は焔のセロヴァイヤーとなり、そして焔は、紀紗の友達となった。
紀紗の体に力の大半を注ぎ込んで病状の悪化を食い止め、普通の人間と何一つ変わらない健康状態にまで戻した。自由に歩き回れることが余程嬉しかったのか、紀紗は焔に抱き付いて何度もお礼を言った。その笑顔が、焔の体内のどこかを昂ぶらせた。自我という意識を持って初めて、生き物を我が背に乗せて空を舞った。最初は恐がっていた紀紗だが、慣れると「もっと早く飛んで」とお願いをする。そんなお願いを、焔は一つ一つ叶えた。今までの焔を知る者からは到底想像できない光景だったに違いない。なにせ、焔が笑っているのだから。日が暮れて夜になれば羽を折り畳み、その中で紀紗を寝かせた。あったかい。そう言って紀紗は気持ち良さそうに眠りに就く。紀紗の寝顔が、何にも変え難い喜びだった。紀紗と共に眠ると体が休まった。初めて感じる感覚。誰かといて心が安らぐなど初めてだった。朧と共に暴走していた頃の『楽しさ』とはまた違う『楽しさ』を感じていた。
いつしか、紀紗が大切な存在だと思っている自分に気づく。しかしそれが、焔にとっては心地良かった。
やがて知る紀紗の望み。優勝者になったら叶えるのだと小さな胸を張って言ったこと。
――焔とずっと一緒にいるっ!
叶えてやろうと思った。
我が力を持ってすれば、セロヴァイト戦での優勝など訳はない。第十二期セロヴァイヤーに選ばれた全員は運が無かった。この幻竜型セロヴァイト・焔が参戦するのだ。勝てる者など誰一人として存在しない。目の前にいるすべてのセロヴァイヤーを殺す。そして紀紗を優勝者とし、望みを叶えてやる。そのためにはどんなことだってしてやるつもりだった。例え【掟】を破ったとしても、紀紗に牙を剥く者は誰あろうと容赦はしない。必ず、殺してやる。
しかし、どこで何を間違ってしまったのか。ふと思ってしまったのがそもそもの間違いだった。近頃では紀紗を羽で寝かせるのは限界だと薄々は気づいていたのだ。そして自分は、言ってしまった。だから焔と紀紗は、敵であるはずのセロヴァイヤーの家に寝泊りすることになってしまったのだ。しかも、その家主の小僧には借りまで作ってしまった。小僧自身は気づいていないだろうが、こちらにははっきりとした借りがある。小僧と対峙したあの夜、初めて戦闘を行った焔の力を抑え切れなかった紀紗が倒れた。もし小僧が紀紗に何かしたら【掟】を破っても殺してやるつもりだった。しかし小僧はそれをしなかった。そして、あろうことか敵である紀紗に介抱まで施したのだ。結果、それで紀紗は大事に至らずに済んだ。何かしたら殺すと脅してやったのが効いたのかもしれない。だがセロヴァイヤー同士ではそんな甘ったれた意見がまかり通るとは思ってもみなかった。
借りを作ってしまったのだ。それを返さなければ焔の名に泥を塗ることになる。雷靭の落雷から助けてやったが、紀紗を助けてもらったことに比べれば到底吊り合わない。いつか借りを返さねばならないと思いながらも、結局はその機会を失い続けている。そして返さねばならない借りは、もう一つ増えてしまった。神城啓吾。このセロヴァイヤーもまた、紀紗を守った。守ったことにより、神城は脱落者となったのだ。軌瀞砲の攻撃に気づけなかった己が甘さを呪う。その甘さが原因となり、同時に紀紗の身体状態を不安定にさせてしまった。
紀紗の病状は、もはや焔でもどうしようもない段階にまで、悪化していた。
ベットの上で眠る紀紗の枕元に体を埋め、焔はジッとその寝顔を見つめている。
紀紗の望みは、焔と一緒にいることだと言った。しかし、それはもはや叶わなくなってしまったのだろう。焔がこれから紀紗の側にいても、紀紗はもう助かりはしない。今の自分にできることは何なのか。それは、紀紗を助けてやること。それしか思いつかなかった。この自分が、唯一主と認めたセロヴァイヤーを、自らの手で助け出すのだ。紀紗を優勝者に出来れば、それは可能になる。他のセロヴァイヤーが優勝しても朧が存在する限り望みは叶えられないだろう。しかし、自分ならそれが可能なのだ。
勝ち残る必要がある。どんな手を使ってでも、例え【掟】を破ってでも、必ず紀紗を優勝者にさせる。目の前に立ちはだかる者はすべて皆殺しにしてやる。我が劫火の前には、敵は無い。紀紗に与えていた力のすべてが戻り、知性と理性を兼ね揃えたこのおれに、勝てる者は存在しない。紀紗を暗闇から救い出してやるのだ。
紀紗が少しだけ苦しそうに寝息を荒める。その瞬間、焔はセロヴァイヤーの戦闘反応が頭の中に湧き上がったことを知った。焔は首を上げ、窓の外に見える青空を見据える。神経を集中させて状況を探る。二名のセロヴァイヤーが戦闘を行っている。片方は小僧だ。そしてもう一方のセロヴァイヤーは――
毛布が擦れる音が耳に届いた。視線を移したそこに、ベットから上半身を起こしている紀紗を見た。
「紀紗、」
「――助けて、あげて……」
虚ろな瞳でそうつぶやき、紀紗は焔を見つめる。
焔は、紀紗のその言葉に対して何も言えなかった。切実な感情が宿るその瞳には、もはやどの言い訳も通用しないだろう。
そして紀紗は、我が最強のセロヴァイトの真名を呼んだ。
――……焔……――
◎
あれから何時間、拓也は孤徹に呼びかけ、辺りのものを壊したのかはわからない。ただ、目の前にあるのは来たときとは随分と変わり果ててしまった森の頂上付近だけだった。壊し過ぎた、と拓也は思う。辺りには、いつの間にこんなに倒したのだろうと呆気に取られるだけの量の木が無造作に転がっていた。無意識の内に起こしてしまった行動と言っても、幾らなんでもこれではやり過ぎである。午前零時になれば元通りにはなるが、木々も生きている。それを何の目的も無しに薙ぎ倒すのはやはり良くない。これからはここでの訓練を控えた方がいいのかもしれなかった。
その場に座り込み、それだけの木々を壊したのにも関わらず、傷一つついていない孤徹の漆黒を見つめる。
結局、孤徹は拓也の意思には最後まで応えてくれなかった。強くなるのだと意思を送り続けた拓也を他所に、孤徹は沈黙を守り通している。この数時間、拓也と孤徹の関係には何の進展もない。ただ木を壊しただけ、それだけだった。無駄な時間を過ごしたのかもしれない。だがこの数時間だけは、余計なことを何も考えずに済んだのが唯一の救いである。こうして止まっていると考えなくてもいいことばかり考えてしまう。頭の中で意味を成さない自問自答が繰り返される。それが嫌だった。だからこそ、木々を薙ぎ倒すことでその邪念を振り払っていたのだ。
しかしそれも、限界が近い。いつまでもここでこうしていても何も始まらない。家に帰ろうと思い至る。紀紗はまだベットで眠っているのだろうか。家に帰ったら卵焼きを作ってやろう。少しくらいなら食えるはずだ。紀紗はまた、笑ってくれるだろうか。面倒だがついでに焔のためにベーコンも焼いてやろうではないか。何だかんだ言いつつも、焔は拓也の焼くベーコン以外は進んで口にしないのだ。それだけ、焔は拓也の焼くベーコンを気に入ってくれているのだろう。
一人と一匹が待つ家へ帰ろう。拓也は孤徹を解除しようとして、止めた。
拓也が気づき、振り向くより一瞬だけ早くにその声は聞こえた。
「うわっ、すっげえなぁこりゃあ。めちゃくちゃだ」
振り返ったそこに、一人の男を見た。知らない男だった。年は拓也とそう違わないように見える。服装は雑誌に載っているような感じのイマドキ風で、金髪に染め上げた髪をワックスか何かでガチガチに固めて突き立てており、首に銀のチョーカーをぶら下げていた。その顔は何とも言い難い表情で笑っていて、どこか擦り切れたような不気味な雰囲気を持つ男である。
そして、理解した。そう難しいことではない。知らない奴が今の拓也を訪ねてくる理由はただ一つだけだ。この男も、セロヴァイヤーである。それ以外にはあり得ない。第十二期セロヴァイヤー残り参加者数三名の内の一人にして、拓也の孤徹と同じ打撃型セロヴァイトを持つセロヴァイヤー。その打撃型セロヴァイトの真名を、羅刹。同時に、拓也が焔の前に倒さねばならない相手である。
男は薙ぎ倒された木々を一通り見渡し終わると、座り込んでいる拓也に視線を向け、
「初めまして。桐原麻桐(きりはらまきり)ッス。あんたと戦いに来ました」
そう言って、麻桐は笑った。そして麻桐は、そのまま視線を拓也の両手に落とし、実に興味深そうにつぶやく。
「それがあんたのセロヴァイト? カッケーじゃん。おれもそんなのがよかったなあ。おれのセロヴァイトってさ、」
その声のすべてが耳障りで、麻桐の存在自体が今の拓也にとっては目障りだった。沸々と湧き上がってくる頭の隅を渦巻いていた行き場の無い怒りが、ようやく行き場を見つけたのだ。頭の中で押さえ込んでいた怒りの感情が、目の前の敵に注がれる。
「……何の用だ」
「言ったじゃん。あんたと戦いに来ましたって。おれの話聞いてる?」
それはそれはご苦労なこった、と拓也は思う。小さく息を吐き出しながら腰を上げる。態々倒されに来てくれるとは思ってもみなかった。その敬意を表し麻桐に感謝しよう。無駄な手間を省いてくれてありがとう。そして、黙って死んでくれ。悪いが容赦はしない。頭の中が徐々に煮え滾ってきている。小難しいことはもうどうでもいい。我慢していた怒りが爆発の一歩手前を彷徨う。思うことは、一つだけ。――叩き潰す。
体を麻桐に向け、孤徹を打ち鳴らす。
「セロヴァイトを具現化させろ」
「せっかちだな。せっかくおれから会いに来てやったんだからもう少しのんびりと、」
「黙れ。殺すぞ」
おやおやお怒りのご様子で、という麻桐のつぶやきがはっきりと聞こえた。
頭のどこかで何かが切れた。無意識の内に拓也は拳を握り締める。少しでも気を緩めれば今すぐにでも麻桐に襲いかかろうとする自分自身を抑え込み、小さく深呼吸を繰り返す。この怒りを失いたかった。すべてに置いて腹立だしい。啓吾が脱落してしまったこと、その敵討ちをできなかったこと、超えられない壁が存在すること、紀紗が笑えなくなったこと、そして何より、自分が今以上に強くなれないことが最もムカつく。セロヴァイヤー同士の戦闘では、誰も殺さないように心掛けてきた。殺されそうになっている奴を助けたこともある。だけど、今だけはやめようと拓也は思った。
ただ、目の前の敵を本気で潰す。今はもう、それしか考えられなかった。
拓也の殺気を感じた麻桐は、実に面倒臭そうに空を仰ぎ、「んじゃまあ……取り敢えずやりますか」と言葉を漏らして、その真名を呼んだ。
「羅刹」
辺りの空間が歪み、緑の光の粒子があふれ出す。その粒子の量が、焔には到底及ばないものの、孤徹よりかは多かった。それはつまり、孤徹よりも大きなセロヴァイトということになる。拓也が見ているそこで、粒子は意思を持って麻桐の体に収縮されていく。しかしそれは、部分的な収縮ではなかった。粒子は、麻桐の体を覆い尽くすように集まっている。やがて麻桐の体は緑の光に飲まれ、身動き一つせずにいること数秒の後、唐突に弾けた。
麻桐の体を覆っていた粒子は一挙に霧散し、そのセロヴァイトを具現化させる。緑の光の中から現れたその姿を見て、拓也は僅かに息を呑む。麻桐の体は、隅々まで灰色の甲冑に包まれていた。いや、それは甲冑などという上等な代物ではない。まるで巻貝のような構造だった。不規則に括れた歪な貝殻が麻桐の体を覆い尽くしている、そんな感じがする。その貝殻は拓也から見える麻桐のすべてを隙間無く鎧のように守っている。例外があるとすれば、それは灰色のそこから覗く麻桐の目だけだった。その目が先ほどの麻桐とは一転して、実に楽しそうに歪んでいた。
打撃型セロヴァイト・羅刹。それはある種の守りに特化したセロヴァイトだった。パッと見は、ヤドカリが二足歩行しているようにも見えなくもない。そしてその構造は単純に今まで見たどのセロヴァイトよりも不気味で、近寄り難い雰囲気を持っている。焔とはまた違う禍々しさを感じる。しかしそれとは別に、心のどこかで「こいつにはお似合いのセロヴァイトだ」と思う自分がいる。
だが相手がどんなセロヴァイトだろうと関係はなかった。こうと決めたら一直線だ。潰す。それ以外は、あり得ない。
麻桐が笑い、鎧の奥底で反響したかのような鈍い声が届く。
「外見は最悪だろう? でもまあ、こいつがおれの相棒って訳だ。よろしく」、そこで思い出したかのように「……そうだ、まだあんたの名前聞いてなかったっけ。教えてくれねえか?」
拓也が笑い返す。
「渡瀬拓也だ。覚えておけ。今ここで、お前を殺す奴の名前だ」
「へえ、そりゃすごい。だったら……こっちも本気で行かせてもらうよ」
刹那に、麻桐が吼えた。
唐突な叫びに一瞬だけ怯んだ拓也を前にし、今までの麻桐が嘘だったかのように口調で言い放つ。
「始めようぜ、渡瀬ェッ!」
そして、麻桐が地面を蹴った。
それを拓也は真っ向から見据えていた。踏み込みの速さは中々だが目で追えない程ではない。身体能力にものを言わせて行動に移すのは孤徹が軽量の分、拓也の方が圧倒的に有利と見える。問題なのは表情が鎧に隠されているのでどんな攻撃が繰り出されるのかがあまり予測できないことなのだが、麻桐の動きがそのすべてを正確に拓也へと伝えてくれる。拓也に向かって突っ込んで来る中で肘を曲げた麻桐の動きから察するに、仕掛けられる攻撃は極単純な顔面への右ストレートだと今まで喧嘩で鍛えた勘が理解した。
首を僅かに傾げ、紙一重だが絶対に当たらない距離でそれを避ける。麻桐の拳が空を切り、拓也はすぐそこにある灰色の鎧から覗く目を睨みつけた。この程度の強さでこの孤徹を相手にしようと思うのがそもそもの間違いなのだ。麻桐の攻撃は、拓也には通用しない。このおれを誰だと思っているのか。幻竜型セロヴァイトの強大な一撃を食らっても生きている唯一のセロヴァイヤーである。こんな単純な拳など、止まっているも同然だった。
拳を握り締め、頭の中で渦巻くすべての怒りを込めて麻桐の腹部へと打ち放つ。誰が見ても、その拳は麻桐のそれよりかは圧倒的に速かった。鉄甲が装着された拓也の拳は麻桐の腹を強打する。鉄甲を通してその手応えがはっきりと伝わった。当たりは上々、威力は上等。その拳を食らえればコンクリートでも木っ端微塵に砕け散るだろう。これで終わりだと思った。幾ら麻桐のセロヴァイトが鎧だと言っても、それを貫通して生身にぶち当てるだけの威力は込めたはずだった。少しは腹も虫も治まっただろう、さっさとヴァイスを――
至近距離にある麻桐の目が、愉快そうに歪んだ。その瞬間に、背筋から体全体へと虫唾が駆け巡って無意識の内に麻桐から離れた。なぜかはわからない。ただ、体が「離れろ」という命令を無理矢理飛ばしている。数メートルの距離を一度の跳躍で稼ぎ、真っ直ぐに灰色の鎧を見据えた。そのときになってやっと、拓也は気づいた。頭の中で混乱にも似た疑問が浮き上がる。孤徹は確かに獲物を捕らえた、なのになぜ、
麻桐が再度地面を蹴る。答えが出なかった疑問を頭の中に残したまま、拓也はその攻撃に対応する。麻桐の攻撃はすべてわかった。どう攻撃してくるのか、それをどう避ければ反撃に繋げられるのか、それが拓也にははっきりとわかる。それに加えて身体能力で優っている拓也が絶対優勢には変わりない。しかし頭の中で回答を得ない疑問がどこかで尾を引く。
上段蹴りを膝を屈めることで流しながら軸となっている麻桐の左足を払う。バランスを崩して倒れる瞬間に拓也は麻桐の体に重なり合うように地面を蹴って飛び上がり、無防備なその鳩尾に孤徹を叩き込む。その威力により麻桐の体は勢いを増して地面に激突し、辺りに砕けた石の破片が飛び散る。だがその攻撃を食らってもなお起き上がる麻桐を地面に着地しながら捕らえた拓也は、足に神経を集中させて地面を抉り取りながら加速して孤徹の威力を増幅させる。
懇親の一撃を麻桐の顔面に放つと同時に、左腕を折り曲げて首に肘打ちを入れる。豪快な音と鈍い音が響き合い、麻桐の体が宙を舞う。大抵の奴ならそれで呼吸困難に陥ってしばらくは戦闘不能になる。それなのにも関わらず、やはり麻桐は平然と起き上がり、さらに地面を蹴って拓也に挑んでくる。
鎧が麻桐の体を守っているから攻撃が届かないのかもしれない、と最初は思った。しかし違うのだ。そんな次元の話ではない。それなら鎧を壊せば済むこと。それはわかっている。だからさっきからずっと『鎧を壊すつもりの威力で攻撃を仕掛けている』のだ。手応えは常にある。上々の当たり、上等の威力。普通ならそれだけで戦闘不能になってもおかしくない。ましてや鎧などすでに全壊していてもおかしくはないのだ。だが、そうはならない。
打撃型セロヴァイト・羅刹は、孤徹の攻撃を幾らその身に受けても、傷一つ残らなかった。孤徹の無力化とはまた違う。もしそうだとするのなら孤徹からは手応えすらも伝わらないはずだ。手応えはあるのだ、だけどその痕が残らない。鎧の強度が強くてもそれには限界があるはずだ。孤徹の攻撃を何度も受けて持ち堪えれるとは考え難い。つまり、攻撃を受けても傷を残さないことが羅刹にはできるということになる。そして、それが羅刹の特性なのだと思い至る。
その特性の詳細は何なのか、そんな思考が頭の中に湧き上がった瞬間に麻桐の動きを一瞬だけ見逃した。気づいたときには麻桐の拳は打ち出されていて、避けるのには手遅れな段階にまで加速している。悪態を吐き捨て、麻桐の攻撃を初めて孤徹で無力化させた。拳から手応えが伝わらないことを不思議に思った麻桐の目に僅かな困惑の色が入り、そこに生じた隙を拓也は突く。
全力で振り抜いた鉄甲を麻桐の高等部に叩き込んだ。威力は今までで最高だった。普通のセロヴァイトなら砕けるのは必至だろう。それだけの威力を込めたつもりだった。孤徹で殴れた反動で麻桐の体は後ろに吹き飛び、足でブレーキを掛けて勢いを殺しながら静寂の中に佇む。最高の威力を持ってしても、やはり羅刹には傷一つ残らない。
麻桐は孤徹に無力化された手を閉じては開き、閉じては開けるということを繰り返した後、視線を拓也に向けて言う。
「……そのセロヴァイトの特性は、攻撃の無力化か?」
「だったら何だ」
「だったら厄介だな、と思ってさ。無力化か……おれの羅刹より手っ取り早い特性だ」
『特性』という言葉に反応した拓也の瞳の揺れを、麻桐は見逃さない。
「おれの羅刹の特性を教えてやろうか? 知りたいって顔に書いてあんぜ。知りたいなら言えば? 教えてやるよ」
「黙れ」
聞く必要などない。関係ないのだ。羅刹がどんな特性を持っていようが所詮はセロヴァイト。物質だ。手応えはある、つまりは攻撃が命中しているということだ。ならば話は早い。一撃で壊れないのなら、壊れるまで攻撃を続ける。その薄気味悪いセロヴァイトを破壊するまで攻撃の手を緩めない。そして羅刹が崩壊したときがお前の最後だ。全身の骨を砕いて殺してやる。覚悟しやがれ。
今度は拓也が地面を蹴る。全身全霊の一撃を叩き込むために危険を省みず大振りの攻撃を仕掛ける。大振りでは威力は上がるが避けられたときの隙が大きい。だが麻桐が相手ならその隙は帳消しにされる。もし避けられて攻撃を繰り出されたとしても、孤徹で無力化できるだけの自信がある。速さでは絶対有利。それは今までの攻防で得た確信だった。しかし拓也の大振りを、麻桐は避けようとはしなかった。願ってもないことだった。よほど羅刹の特性に自信があるのだろう。拓也の攻撃では羅刹を破壊できないという自信が、麻桐にもあるに違いない。上等である。どちらが上なのかはっきりさせてやる。
完全に無防備なその鎧に、拓也の鉄甲が打撃を送り出す。そしてそれは一撃だけでは済まない。一度打ち込んだら、そこから先は一気だった。右を叩き込んだら次は左、休む間もなく右でまた左。反撃する暇を与えない。反撃などさせはしない。体力の許す限りに拳を打ち込み続けた。拓也の体力が失われるのが先か、羅刹が壊れるのが先か。根比べた。ぶっ壊してやる。
拓也が孤徹の一撃を放つ度にその衝撃が麻桐の体を伝わって足から地面に流れ、まるで地震でも起きたかのように辺りが揺れる。鋼鉄の巨大なハンマーで鉄の断崖をぶん殴っているのと同じだったに違いない。衝撃音が大きくなるに連れて地面が土煙を上げ始める。やがて二人の姿が完全に煙に呑まれて消えた。しかし衝撃音と揺れはいつまでも止まない。きっちり三分間、拓也は孤徹を煙の向こうにいるはずの羅刹へと打ち込み続けた。手応えは常にある。麻桐がそこから動いた気配はない。この土煙が晴れたそのとき、すべては決するはずだ。だったら――
拓也は最後の一撃を叩き込む。それまでとは比べ物にならない衝撃音が響いて辺りが揺れる。空気すら裂けたその攻撃は、時をも止める衝撃を持っていた。やがてその衝撃が納まり、止まっていた状況が動き出す。土煙がゆっくりと晴れていく。そしてその中から現れたのは、荒い息を肩で整える拓也と、傷一つ残っていない羅刹を纏った麻桐だった。
胸に当てられたままの鉄甲を無造作に押し退け、麻桐は笑う。
「ご苦労様。でもやっぱ無駄だわ。おれの羅刹には無意味」
ゆっくりとその姿勢を屈め、麻桐が拓也を下から覗き込む。
「頑張った褒美に教えてやろうか。羅刹の特性はな、自動修復だ。しかもその効力は極限まで高めてある。随分と苦労したよ、ここまで高めるのに。最初は違ったんだぜ? 自動修復っつっても高々知れてる。ぶっ壊せば修復されるがその速度が遅いんだ。それじゃ意味がない。だから訓練したんだよ。その結果が、これだ」
麻桐は両手を広げ、灰色の歪な鎧をまるで神聖なものを見るかのように見据える。
「羅刹はおれが使うことでその能力を完全に発揮した。鍛え上げられたことにより、完璧な高速自動修復が可能になった。壊されてから修復するんじゃない。衝撃を与えられたその瞬間から修復を開始する。あんたのセロヴァイト程度の攻撃じゃあ小さな傷が残ってる所さえも見れないだろうよ。何せあんたの拳が引かれたときにはすでに、傷は修復されてるんだからな。あんたの攻撃は、ただの一発もおれに届いてない。――諦めな。あんたじゃおれにゃあ勝てねえよ」
灰色の鎧に包まれた拳がゆっくりと構えを取る、
「お遊びはここまでだ。ここからは……本気であんたを倒すぜ」
拓也が見ているそこから拳が放たれ、避け
頬をぶん殴られて意識が飛んだ。喉の奥にマスタードでもぶち込まれたような衝撃が走る。慌てて意識を引き戻し、何とか踏み堪えて第二撃目に備えようと孤徹を構えた瞬間に今度は腹を殴られた。体が前に傾いて口から胃液を吐き、その痛みに襲われて体勢を立て直す暇もなかった。気づいたときには遅かった。振り上げられた灰色の拳を目で追うのがやっとだった。避ける間もなく拳は振り抜かれ、顎を強打されて拓也の体が宙に舞う。地面に背中から倒れ込み、口の中が鉄の味で一杯になる。
殴られたのは三箇所のはずなのだが、体中が痛みに蝕まれていた。
「あんた何か勘違いしてたんじゃねえの? おれのセロヴァイトは打撃型だぜ。特性が守りにあるっつーだけで、本質は打撃。あんたのセロヴァイトと同じだ。舐めてるとそうなることは百も承知のはずだろう? ついでに、このおれを甘く見るな。おれはあんたより速いし強い。そのセロヴァイトで無力化させる暇は与えない。さっきの攻撃を避けれないようなら、そんな小細工も必要ねえけどね。……言ったろ? あんたじゃおれにゃあ勝てねえって」
倒れ込んだまま拳を握り締める。麻桐の言葉が耳には入ってくるが頭には入らなかった。
一度は忘れかけていた怒りが再発する。体の痛みをすべて押し退け、無理矢理起き上がって目の前の敵に襲いかかる。しかし拓也の拳は呆気なく麻桐にかわされ、カウンターで左の拳を腹に食らった。あまりの激痛にその場に膝を着く。しかしその痛みが逆に体を煮え滾させる。頭の中で弾ける「ぶっ殺してやる」という思考が何もかも押し潰す。冷静な判断など何一つできない。殺してやる、という思考以外、何も考えられなかった。
膝を着く拓也を見下ろしながら、麻桐はつぶやく。
「最初から思ってたんだけどさ、あんた一体何を怒ってるワケ? 怒りは拳を鈍らせるって言葉聞いたことないかい? まさにその通りだよ。最初からずっと、あんたの攻撃は鈍ってる。冷静なあんたが強いって訳じゃないだろうけど、今のあんたは弱過ぎる」
「黙れ、」
「よくそれでここまで勝ち残ってこれたね。それだけ戦った相手が弱かったのか、それとも誰とも戦わずに逃げていたのか。どっちにしろ関係ないか。どうせ、あんたはここで負けるんだから」
「黙れッ!!」
振り上げられた漆黒を避け、麻桐は口を閉じて拓也は見据える。
立ち上がった拓也は口の中に充満する血を吐き出しながら言い捨てる。
「テメえなんか鈍った拳で十分なんだよ、ごちゃごちゃ言ってねえでかかって来いや」
そんな拓也を見ていた麻桐の目が、今まで以上に歪んだ。
「あんたとおれのセロヴァイトで決定的に違うものは何か。それは――……どこで攻撃しても威力を保てるか否かだ」
刹那に麻桐の体が翻り、
その行動に気づいたときには、拓也の顔面に蹴りが炸裂している。目の前が真っ白になった。今度は目でも追えなかった。麻桐の言いたいことがやっとわかった。それは、孤徹は腕にしか具現化されない。つまり孤徹の威力を引き出すには殴るしか方法がないということだ。しかし羅刹は違う。セロヴァイトが全身を覆っているということは、どこで攻撃しても均等に羅刹の力を引き出せるということ。羅刹は、全身から成る打撃型に他ならない。それは同時に守りにも最適であり、加えて高速自動修復を備えた羅刹に隙は無かった。
衝撃の次に体が地面に横たわる。見上げる空には夕日の朱が混じっていた。体に力が入らない。指一本動かせない。あの夜、焔と対峙したときと同じ状況だった。そして、こう思うのもあの日と同じで二度目だ。こいつには、勝てない。強過ぎた。いや、あるいは拓也が冷静な状態で戦っていたのなら戦況は違う結果になっていたのかもしれない。しかしこのセロヴァイト戦は一回限りである。そのときの精神状態ですべてが変わる戦闘だ。この勝負は、完璧に拓也の負けだった。
夕日が影に遮られ、広げたままだった両腕を上から容赦なく足で押さえられた。
「これで、終わりだ」
逆行で黒い影が纏わり付く灰色の鎧を見据える。
思うことは、二つだけあった。悪い啓吾、おれ負けるわ。ごめん紀紗、恩返しできなかった。
振り上げられた麻桐の拳が、一気に拓也の顔面に振り下ろされ、
上に乗っていたはずのその体が消えた。消えたかと思うくらいに速く、麻桐の体は吹き飛ばされていた。遅れて轟音と共に圧倒的な破壊が巻き起こる。視界の中で確かに捉えた炎の弾丸。それが麻桐の体を飲み込んだのだ。体を振るい立たせて辺りを見渡す。そして拓也は、夕日の中に幻竜型セロヴァイト・焔を見た。夕日から降り立ったかのように、その背に紀紗を乗せて真紅の竜は飛来する。
地面に着地した瞬間に揺れが伝わり、地響きが鳴り響く中で実に慣れた動作で紀紗が焔から降りた。それを確認した焔は首をゆっくりと曲げ、上半身を起こして呆然としているボロボロの拓也を見て笑う。
「紀紗に感謝しろ。これで借りは返したぞ小僧」
借りって何の話だ、と思った拓也の目前で、焔が咆哮を上げる。
大気を揺るがすその咆哮の中から、先の破壊によって覆い被さってきた瓦礫を弾き飛ばしながら灰色の鎧が姿を現す。その鎧は、今までの羅刹とは全く違った。修復が開始されているのにも関わらず黒く焼け焦げ、焔の攻撃が直撃した左半分は溶岩のように赤く光りながら溶けていた。あれだけ拓也が攻撃しても傷一つ残すことができなかった羅刹を、焔はいとも簡単に凌駕してのけたのだ。やはり焔は最強で、超えられない壁に他ならない。
しかしそれだけの攻撃を受けてもなお、羅刹は修復を加速させ、ついに無傷の状態にまで引き戻した。
「……お前が、幻竜型って奴か……」
体の自由を確かめながら麻桐は問い、一方の焔は退屈そうにつぶやく。
「他に何がある」
「まさか羅刹がここまでやられるとは思ってもみなかった。さっきのヤツを何発も食らえばさすがにおれでもやべえだろうな。……けど、お前じゃおれには勝」
「口の聞き方に気をつけろ餓鬼」
その言葉を境に、拓也の目の前にいたはずの焔の体がぐにゃりと歪んで消えた。
そして焔の姿を拓也が再度捉えた瞬間にはすでに、麻桐の体が吹き飛んでいた。神速のスピードで舞った焔は、その遠心力にものを言わせて尻尾で麻桐の体を弾いたのだ。一見すれば地味な攻撃に他ならない。それもそのはずだ。焔はただ尻尾を振り回しただけなのだから。しかしその威力は、孤徹の一撃などとは比べ物にならない破壊力を持っている。焔の攻撃は、『たったそれだけ』の行動だけですべてのセロヴァイトを凌駕している。その威力を真っ向から受けて吹き飛ばされた麻桐の体が無造作に宙を舞い、激突した木と共に森の奥へと消える。
焔は、敵に容赦など微塵もしない。麻桐が突っ込んで倒れていると思われる場所へ、口を抉じ開けて特大の炎の弾丸を撃ち出した。それが森の奥に到達した刹那、爆発にも似た破壊が巻き起こる。爆風は衝撃波となって木々を薙ぎ倒し、地面を抉り取りながら出鱈目に荒れ狂う。その爆風に煽られて拓也の体が出鱈目に地面を転がり、遅れて響き渡る轟音に押し潰された。意識が失われる寸前で踏み止まった拓也の頭に一瞬だけ紀紗のことが過ぎったが、焔の羽に守られて無傷なその姿を見て安心した。それ以前に自分の体の方が酷い有様なのだが、もはや身動き一つできないのでどうでもよくなっていた。
焔が巻き起こした破壊は、すべてを焼き払っていた。拓也が薙ぎ倒した木々など跡形も残っていなかった。山が大火事にでもなったかのような有様である。近場の木々は跡形もなく消えさり、離れた場所にあった木でも炎に煽られて炭のようなものに成り果てている。地面さえも焼き払った焔の弾丸は、一つの山の光景を変えるのには十分過ぎる威力を持っていた。
そしてそんな威力の弾丸を受けてもなお、炭と灰が支配する世界から這い出て、麻桐は立ち上がった。しかしその姿は変わり果てている。羅刹の鎧を三分の二近く剥がされた上、生身の体を炎に晒して火傷を負い、全身から血を流している。立っているのがやっとのはずだった。もはや敗北が確定したダメージを受けたのにも関わらず、麻桐は戦闘意欲を失わない。頭から血があふれ出て左目を覆い尽くしている、左腕がおかしな方向に捻じ曲がっている、右手の中指と人差し指が無くなっている。それでも、麻桐は焔と対峙することを止めない。
「がぁあ゛ッ、あ゛あ゛ッッ、あァあああァァああああァああああァァァああああああァあああああああッッッ!!!!」
麻桐が獣の叫びを上げた。
それに呼応するように羅刹が高速自動修復の速度を上げる。曝け出されていた傷だらけの生身は一瞬の内に灰色の鎧に包まれて消える。そこにあるのは、傷一つついていない羅刹だった。しかし麻桐自身の傷が癒えた訳ではあるまい。鎧から覗く左目は赤に染まっていて、左腕はやはりおかしな方向に捻じ曲がったままで、右手の中指と人差し指の部分は鎧が具現化されていない。麻桐は、立っているのがやっとであるはずだ。なのに、麻桐は焔に勝てるという意思を信じて疑わない。
羅刹が最強である。その確信が、麻桐から理性を奪っていた。
焔は言う。
「羅刹をそこまで使いこなしたのは貴様が初めてだろう。他のセロヴァイヤーでは到底勝てまい。だが、相手が悪いのだ。このおれに、勝てる訳がない」
そして焔の羽の内側にいた紀紗が、そっと呼びかける。
「……焔、」
言うべきことは、ただ一つだけ。
「勝って」
焔はその言葉に従う。
紀紗をその場に残し、神速の速さで焔が再び宙を舞う。残った残像がぐにゃりと歪んで消えたときには、焔は麻桐に向かって口を抉じ開けていた。すべてのものを貫く強靭な牙が剥き出しになり、それが麻桐を噛み殺すために突き出される。麻桐には抗うだけの力は残っていなかった。例え残っていたとしても、この神速の牙から逃れられる術を持たない。一度狙われたら最後、焔からは誰も逃れられないのだ。焔は紛れも無い最強であるのだ。
そしてこのとき、それが起きなければ、麻桐は間違いなく殺されていた。
しかし運は、麻桐を味方したのだ。焔の背後で、紀紗が咳き込んでゆっくりと倒れ込む。瞬間に焔の牙が停止し、目の前の敵を差し置いて背後を振り返る。
その隙を、麻桐は見逃さない。その隙がすべてを教えた。麻桐が焔の唯一の穴に勘付いた。焔は最強である。真っ向から立ち向かえば誰一人として勝てる者など存在しないだろう。セロヴァイヤーが何十人束になった所でその結果は何も変わらない。だが、これはセロヴァイト戦である。どこまで強かろうが焔は所詮セロヴァイトで、そして焔がセロヴァイトである限り、最大の穴がある。それに、麻桐は気づいたのだ。
幻竜型セロヴァイト・焔には絶対に勝てない。だったら、
――そのセロヴァイヤーを、殺せばいい。
羅刹に覆われた鎧の下で、麻桐は獰猛な笑みを浮かべる。
焔が振り返って紀紗に気を取られたその決定的な隙を、麻桐は最大限に利用した。すべての力を搾り出し、焔に引けを取らない速さで地面を抉って加速する。その力の反動を感じた焔が麻桐に意識を戻したときにはすでに、麻桐は焔の背後に滑り込んでさらに加速していた。一秒にも満たないその差が命取りだった。麻桐の意図に気づいた焔が阻止しようと神速の速さで空を舞う。しかし完璧に虚を突いていた麻桐の行動は、焔の追撃を許さない。
紀紗の背中が地面に着くか否かの瞬間に、麻桐の一撃がその小さな体を襲った。
骨が砕ける音が耳障りに思えるほどはっきりと聞こえた。舞い上がる長い髪がスローモーションのように滑らかな動きを見せる。紀紗の体が弓なりに反り上がり、口から大量の血を吐き出す。紀紗には、麻桐の一撃は威力が大き過ぎた。たった一撃で、紀紗の心臓は簡単に停止する。幻竜型セロヴァイトのセロヴァイヤーに限り、身体能力は向上されないことを麻桐はもちろん知らない。だがもし紀紗の身体能力が向上されていたとしても、どの道辿る結果は同じだったのかもしれない。
真紅の竜が光の粒子となって消え失せ始める。だが焔にはそんなことなど見えていない。血を吐いて倒れている紀紗。我がセロヴァイヤーから感じない力の波動。それが、再び焔の知性と理性を狂わせた。麻桐に向かって破壊の咆哮を上げ、焔は神速を超える速度で獲物の首から上を狙う。
しかし一秒にも満たないその差が、すでにすべてを決していた。
「――消えろ」
麻桐が真紅の竜に腕を振り払った瞬間に、焔の体は完全に緑の光の粒子となって消滅した。
一陣の風が光と共に真っ向から麻桐を吹き抜ける。幻竜型セロヴァイト・焔は、セロヴァイヤー・七海紀紗の脱落により、強制転送された。心臓が停止した紀紗の体内から幻竜型セロヴァイトのヴァイスが排出され、消え失せた焔からは蓄積されていたヴァイスが二つ分排出されて無造作に地面へと転がった。
静けさだけが残る中、麻桐が狂ったように笑う。そんな笑いを耳に入れながら、拓也はただ何もできずにその場に取り残されている。啓吾の脱落より何より、焔が負けたということが信じられない。言葉は何も出ず、脳はその機能を停止させていた。無意識の内に孤徹が消滅し、横たわる紀紗を見つめる。紀紗のその姿が、そして粒子に包まれて消えた焔の姿が何よりも信じられない。脳がすべてを頑なに否定する。
夕日が暮れ、夜が迫っていた。
「このヴァイスはいらねえ。あんたにくれてやる。あいつはおれでは扱い切れねえしな」
そんな捨て台詞を吐いて、麻桐は灰色の鎧と共に夜の闇に消えた。
いつまで経っても、麻桐の狂ったような笑い声だけが頭の中で反響していた。
七海紀紗――脱落。
第十二期セロヴァイヤー残り参加者数――二名。
「朧」
無音の世界だった。
生き物の気配は何も感じない。それもそのはずだ。そもそも辺りには何もないのだから。幻竜型セロヴァイト・焔によって焼き払われた山の頂上付近の光景は、地獄と大差ないような気さえする。数え切れないほどあったはずの木々はすべて灰か炭に成り果て、地面は黒く焦げており、この森にいたすべての生き物が死に絶えていた。真紅の竜は、たったの一撃ですべてを破壊し尽くしたのだ。ここの有様だけを見るのなら、原爆でも落とされたようなものだった。そう思えるくらいに酷く壮絶な光景だった。生きとし生けるものが存在しないのなら、風が吹こうが音は発生しない。ここは、完全なる無音の世界に支配されている。
渡瀬拓也を一人残して、世界が死んでしまったかのような錯覚。この世にはもはや自分一人しか生き残っていないのではないかと本気で思う。動く気力は無かった。気力というものが一切湧き上がってこない。指一本動かすことのできなかった体はすでに自由に歩き回れるくらいにまで回復しているのだが、拓也はいつまでも行動に移すことができないでいる。つい数時間前に突き付けられた事実が、そして何より、拓也が今見ているこの光景が全く受け入れられない。そして受け入れられない事実と光景は、拓也から行動する意思を根こそぎ奪い取っていた。
拓也の視線は、終止ある一定の場所に注がれている。
雲一つない夜空から射す満月の明かりに照らされたそこに、一人の女の子が横たわっている。
お気に入りの赤いコートを着込み、長い綺麗な髪を地面に散らばらせ、焔のセロヴァイヤーだった七海紀紗は眠っているかのように目を閉じている。もし、紀紗が口から血を流していなかったのなら、紀紗は本当に眠っているだけだったのかもしれない。しかしこれは紛れもない事実の光景である。何をどうしようと、現実は何も変わらない。紀紗は口から血を流していて、身動きは愚か呼吸の一つもせず、触れればその小さな手は氷のように冷たいはずで、そしてその心臓は、今も機能を停止したままだった。
紀紗のすぐ側に寄り添うようにヴァイスが一つ転がっている。そのヴァイスに映り込んだ緩やかな曲線を描く夜空の中で、流れ星が左から右へと流れた。そんなことも、やはり拓也には見えていない。拓也も破壊された世界の住人の一人になっていたのかもしれない。焔の一撃ですでに、この世界から拓也の意識は失われていたのかもしれない。あの攻撃で本当に破壊されたのは、一体何だったのだろうか。
桐原麻桐の狂ったような笑い声が、消えることなく頭の中で反響を繰り返していた。
拓也の思考は、あの瞬間から止まったままだった。
しかし思考は止まっていても時は流れる。時間は停滞しない。逆に流れることもない。時は常に、一秒単位で世界に歴史を繋いでいる。時は止まらずに進み続けているということは、拓也の思考が動き出すのは時間の問題だったのかもしれない。紀紗が脱落してから、約六時間後のことだった。それがすべてを元通りにする合図だ。
その瞬間に、時刻は午前零時を刻んだ。
辺りの光景がぐにゃりと歪み、そこから緑の光の粒子が止めど無くあふれ出し始める。その規模は焔が具現化されるときよりも大きかった。当たり前なのかもしれない。緑の光の粒子は、この山全体を元通りにしようと活動しているのだ。初めて見る光景だった。午前零時になると復元されることは知っていたが、その様子を見るのはこれが初めてだったのだ。拓也の視線がゆっくりと動く。いつの間にか、周りを緑の光が満たしていた。
粒子は破壊されたすべてを元通りにする。失われた木を甦らせ、焦げた大地を一掃するかのように色を変えていく。すべての光景は、約六時間前まで遡っていた。そしてそれは、紀紗もゆっくりと包み込む。折れた骨を復元させ、傷をすべて治癒させる。口から流れていた血が蒸発したかのように消え、小さな心臓が確かな鼓動を打つ。それと同時に呼吸が再開され、胸が上下に微かに揺れる。
やがて唐突に、緑の光の粒子は弾けて消えた。辺りには夜が戻ってくる。
すべては、一瞬の出来事だった。瞬きをすれば見失ってしまうような僅かな時間だった。しかしたったそれだけの時間で、緑の光の粒子は何もかも元通りにした。孤徹が薙ぎ倒した木々も、焔が焼き払った森も、そして羅刹が殺した紀紗さえも、すべてを復元させてのけたのだ。その経緯を何も知らない人間が見れば、さぞかし綺麗な光景だったに違いない。拓也も傍観者の立場でこの光景を眺めていたのならそう思っていたはずだ。しかし今は、そんな感情など微塵も出てこなかった。
満月が照らすそこから、拓也はぼんやりとした足取りで立ち上がって歩き出す。その途中、転がっていた焔から排出された二つ分のヴァイスが吸い寄せられるかのように光の粒子と化して拓也に収縮される。だがそれも、拓也には見えていなかった。拓也の目が捕らえているのは紀紗だけだった。横たわる紀紗の側に膝を着き、無意識の内に頬に手を触れる。温かいその体温が、心の奥底から安堵を運んできた。安らかに眠るその寝顔が、今はどうしようもなく愛おしかった。拓也が触れて見ている紀紗が生きているという事実がやっと実感できた。
目尻がじわりと熱くなる。気を緩めれば、涙が出そうになっていた。
紀紗の首筋に腕を入れて上半身を起こす。そっと肩を揺すってやると、紀紗はすぐに目を覚ました。寝ぼけ眼で拓也を見て、紀紗はそれまでが嘘だったかのように笑った。それで気が緩んだ。気づいたときには、涙が一筋だけ頬を伝った。それはゆっくりと流れ、顎から紀紗の頬へと落ちた。
紀紗が不思議そうな顔をする。
「……拓也。どうして、泣いてるの……?」
しかしその答えを、拓也は返せない。
余計なことを言ったら、自分では到底止められない量の涙があふれてきそうだった。
紀紗が自分の力で体を起こした。そして突然に大切なことを思い出したかのように辺りを見まわし、だけど結局は見つけられなくて、玩具を隠された子供のような瞳で拓也を見つめて、紀紗はこう言った。
「……焔は……?」
その瞳を、真っ直ぐに見ていられなかった。視線を下に外した瞬間に、拓也はそれを見た。
拓也の視線を追った紀紗も、すぐにそれを見つけた。紀紗は、心のどこかではわかっていたのかもしれない。わかっていて、それでもなおそれを信じたくはなかったのだろう。拓也への問い掛けは、紀紗の一縷の希望だったのかもしれない。答えを返さなかった拓也は、意地悪をしているのだと信じたかったのかもしれない。だが、それは現実の光景としてそこに転がっていた。
まだ形を崩すことなく、幻竜型セロヴァイトのヴァイスはそこに存在していた。
焔がそうさせていたのかもしれなかった。そして紀紗が気づいた今、その役目は果たされる。二人の視線の先にあるヴァイスが輝き始め、緑の光の粒子となって漂い始めた。それは意思を持って紀紗ではなく、拓也へと蓄積されていく。
紀紗がすべてを悟った。無意味だということは、紀紗の頭の中にはなかった。
「……ヤだっ、ヤだよ焔あっ! 行っちゃヤだあっ!!」
小さな掌が最後の粒子を必死に掴む。しかしそれは無情にも紀紗の掌をすり抜けて拓也の体へと消える。
紀紗が泣いた。光を追うように紀紗は拓也にしがみ付き、「行っちゃヤだ」と繰り返して大声で泣いた。閉じられた瞳から流れ続ける大粒の涙が拓也の胸を濡らす。それは止まることがなかった。紀紗の涙を見るのはこれが初めてだった。そしてもちろん、紀紗がこんなにも感情的になった所も初めて見た。紀紗は泣き叫び続ける。泣けば焔が戻ってきてくれる、そしたらまた焔は絶対に自分を守ってくれる。紀紗は、そう思っていたのかもしれない。だけどその思いは、最後まで叶わなかった。
焔が戻ってくることは、ついになかった。
拓也の服を掴んでしがみ付いたまま、紀紗は小さな嗚咽を漏らして「焔」とつぶやき続ける。呼べば焔は来てくれるというのが最後の望みだったのだろう。だけど何度その真名を呼んでも、やはり焔は具現化されない。自分を守ってくれていた最強のセロヴァイト。たった一人の大好きだった友達は、最後まで帰ってきてくれなかった。紀紗は嗚咽を漏らしながらいつまでも真名をつぶやいて泣いていた。たった一人の大好きな友達を失うことは、紀紗にとって何よりも怖く恐ろしいことだった。
拓也は何も言わず、何もしないまま、紀紗が泣き止むのを静かに待っていた。今の自分が紀紗に言えることは何もないのだと思った。下らない慰めは逆に紀紗を苦しめることになる。紀紗と焔の関係を知っているからこそ、何も言えなかった。安っぽい慰めの言葉など何の意味も成さない。それどころか、もし自分が紀紗の立場に立っていたのなら、何も知らない奴に下らない言葉を掛けられたら殺してやりたくなるだろう。だから待つのだ。紀紗から言葉を紡ぐそのときまで、ずっと待っている。今の拓也にできることは、それしかなかった。
それからどれくらい、紀紗は泣いていたのだろう。泣き疲れ、嗚咽が小さくなった頃になってようやく、震える肩を押さえつけて紀紗が顔を上げた。涙に濡れた瞳を真っ直ぐに拓也へと向け、紀紗はまた泣き出しそうな声でつぶやく。
「……お願い……」
紀紗の手に力が篭る、
「お願い、拓也…………焔に、会わせて…………お願いだから、拓也……っ」
大粒の涙が、再び紀紗の瞳から流れた。
その涙を拭うこともせず、紀紗は言い続けた。
「焔に会わせて……まだお礼も言ってないのに、お別れなんて……ヤだよ……っ、……だから、お願い、拓也……焔に、会わせて……っ!」
答えは、決まっていた。それが、拓也の望みであるのだから。
紀紗への恩返し。今ここに、誓おう。
拓也は紀紗の頭に手を置いた。紀紗が拓也を見つめる。
「……約束する。おれが絶対に焔に会わせてやる。だから、泣くな」
拓也にできる、精一杯の優しさの言葉だった。
「泣いてたら、おれが焔に殺されちまう。な? だから泣くなって」
そして、紀紗に笑いかける。
その言葉に俯きながら肯いて、紀紗はまた泣いた。
「だから泣くなよ」と拓也が言えば、紀紗は首を振って「……泣いてないもん」と泣き声で答えた。
紀紗の頭をゆっくりと撫でながら、拓也は夜空を見上げる。雲一つない夜空に、満月と星が輝いていた。
やっとすべてが決まったような気がした。紀紗には泣いていて欲しくない。紀紗は笑って卵焼きを頬張っているのがいちばん良く似合う。そのときの紀紗の方が何倍も可愛い。だから泣いていて欲しくない。紀紗には笑っていて欲しい。ずっとずっと、笑っていて欲しい。そのためなら、何でもしてやる。楽しい時間と温かい笑顔をくれた紀紗への恩返し。それを叶えてやろう。紀紗をもう、泣かせはしない。
拓也の望みは決まった。もう一度、紀紗と焔を会わせてやる。
それだけのために、拓也は戦う。
打撃型セロヴァイト・羅刹のセロヴァイヤー・桐原麻桐。紀紗を泣かせる原因を作った張本人。今の拓也では麻桐に勝てないかもしれない。だけど弱音は受け付けない。こうと決めたら一直線。勝てないかもしれない、ではないのだ。それでも勝つのだ。どんな手を使ってでも勝ち残ってやる。麻桐を倒す。そして紀紗の望みを叶えてやろう。焔の意思を継いで、今度は自分が紀紗を守ってやろう。今度はこっちが借りを返す番だ焔。お前のセロヴァイヤーを泣かせた野郎を、このおれが代わりにぶっ殺してやる。
ありがとう、拓也。紀紗はそう言って目を閉じた。どうやら泣き疲れて眠ってしまったらしかった。小さな寝息を立てる紀紗を抱きかかえ、拓也はアパートまで戻る。鍵が掛かっていなかったドアを開け、電気のスイッチを入れながらベットの上に紀紗を寝かせて布団を掛けてやった。少しの間だけその寝顔を見つめて、頬に手を添えて拓也は笑う。踵を返して部屋の電気を消し、ドアに鍵を掛けて歩き出す。
未だに雲一つない夜空を見上げて、拓也は真名を呼ぶ。
「孤徹」
空間が歪み、そこから緑の光の粒子があふれ出す。両腕に装着される二体一対の鉄甲。
夜の闇に溶け込むようなその漆黒を真っ向から見据え、拓也は小さく息を吸い込む。目を閉じて頭の中の出来の悪いレーダーへと意識を向ける。そのときだけは、出来の悪かったはずのレーダーは正確無比の代物へと変貌を遂げていた。残り一人のセロヴァイヤーの位置が、手に取るようにわかる。ここから少しばかり離れているが、孤徹を具現化させたまま進めば十五分もかからないだろう。
心の中でつぶやく。待ってやがれ、麻桐。
ふわりと飛び上がり、一度の跳躍で近くの電柱の上に降り立つ。普段とは違う高い所からの眺めが気持ち良かった。耳を澄ませば深夜なのにも関わらずいろいろな音が飛び込んでくる。車の排気音に原チャリのエンジン音、微かな人の話し声に猫の鳴き声、どこかの家から響く最近流行のラブ・ソングに合わせた下手糞なギターの音色、風が吹き抜けた瞬間に木々がざわめいた。そして拓也は姿勢を一瞬だけ屈め、刹那に電柱が砕けた。
夜空を鳥のように駆け抜ける。空中で身を捻りながら落下し、道路を弾いてまた舞い上がって加速する。普通の人間から見れば、それはただの一陣の風としか思われないはずである。今の拓也は、自分の限界以上の速度を弾き出していた。体はこれ以上無いくらいに煮え滾っているのに、頭の中が信じられないくらいに冷たかった。体が馬鹿みたいに軽い。体重など感じさせない感覚だった。道路を弾く度、空を蹴る度、拓也の表情は笑顔に染まる。
――負ける気がしない。これまで幾度となく思ってきたこと。しかし今以上にそう感じたことはない。闇に溶ける漆黒の鉄甲に星が映り込んでいた。それが自分を最強に仕立て上げる相棒。不可能は何も無い。どんな相手でも敵ではない。目の前に立ちはだかる全ての者を蹴散らして優勝者になってやる。啓吾と決着を着けるため、焔の意思を継ぐため、そして何より、紀紗との約束を果たすため。そのためだけに、戦おう。
孤徹で地面を抉り取る。轟音と共に拓也は幾度目の跳躍を果たし、その体がついに目当ての場所へと辿り着いた。どこかの工場の倉庫のような場所だった。もう使われていないのか巨大な壁の塗装は剥がれて所々に穴が開き、ガラスは誰かの手によって叩き割れていた。大きな鉄の扉にはスプレーでよくわからない落書きが施されている。廃墟と化しているのは一目瞭然だったが、どうやら電気はまだ生きているらしい。倉庫から灯りが漏れていた。それは中に誰かがいるという合図であり、その誰かというのは他の誰でもない桐原麻桐である。
ノックをする、などという選択肢は当たり前のように浮かんでこない。遠慮無く、スライド式の分厚い鉄の扉を真っ向からぶん殴った。鈍い音が響いた刹那に表面がぐにゃりと圧し曲がり、金具が外れて倒れ込んでいく。コンクリートに激突すると轟音を立てて砂煙と埃を濛々と舞わせた。照明器具に照らせた倉庫内も外見と何ら変わりなく荒れていて、空き缶などが数多く転がっている中に真新しい煙草が転がっているのが何ともおかしな光景だった。その煙草にはまだ火が点いていて煙を上げてる。誰かがついさっきまで吸っていた証拠だった。その誰かは、考えなくてもわかるだろう。
「よぉ渡瀬ぇ。八時間振りくらいだな」
そう言って、麻桐は口から煙を吐き出しながら笑う。
麻桐は倉庫の一番奥の棚の上に腰掛けており、あのときと変わらない何とも言い難い表情をしていた。午前零時に、あの緑の光の粒子は麻桐の体も例外無く復元したのだろう。焔に負わされた傷は、完全に完治していた。頭から流れていた血も、火傷を負った体も、捻じ曲がった左腕も、無くなった右手の中指と人差し指も、すべて完治している。ハンディはない。拓也も麻桐も万全の状態である。
勝負を決めるのは我がセロヴァイトと、自分自身。体はやはり煮え滾っているのに、麻桐を前にしても頭は冷静だった。先ほどまで浮かべていたはずの笑顔は拓也からは消え去っていて、真っ直ぐに麻桐を睨みつけている。その視線の先にいた麻桐は大儀そうに腰を上げ、ニヤニヤと笑いながら背伸びをする。
「あの子はどうなった? ちゃんと生き返ったかい?」
拓也は答えない、
「釣れねえなあオイ。まあいいや、そんじゃまあ早速……始めますか」
麻桐が真名を呼ぶ、
「羅刹」
歪んだ空間からあふれ出た緑の光の粒子は麻桐の体を覆い尽くし、それが弾けた瞬間に括れた鎧を具現化させる。気味の悪い灰色が倉庫の証明に照らされて笑っているような気さえする。鎧の隙間から見える麻桐の目は、やはり狂ったように歪んでいた。
麻桐は言う。
「今度は最初から本気で行くぜ。手加減は、ナシだ」
刹那に地面が抉れる。
麻桐の体が拓也の視界から消えた。音が聞こえない。やはり速さだけなら麻桐の方が上なのかもしれない。しかし、それは数時間前までの拓也が相手だったのなら、の話だ。今の拓也には、数時間前にはまったく見えなかったはずの麻桐の動きが、はっきりと目で追えた。加えて体もその動きについて行ける。遅れは取らない。二度も負けるなんてのは真っ平御免だ。同じ相手に、二度の敗北は許されない。負けてたまるか。
背後から繰り出された拳を、拓也は振り向きざまに孤徹で捌く。一瞬だけ時が止まり、微妙な角度で拓也と麻桐の視線が噛み合う。麻桐がまた笑った。孤徹に無力化された拳を引き、麻桐は地面を蹴りながら飛び上がる。その姿を追って上を見上げた拓也へと空を蹴って突撃し、拳を真っ直ぐに打ち出す。孤徹を上段に構えた拓也の動きを、麻桐は予測していた。
有り得ない動きで体を捻って拳を止め、孤徹を避けながら地面に着地して無防備な脇腹へ拳を叩き込む。完全に裏を掻いたはずのその攻撃を、拓也の孤徹は再度止めた。困惑の表情を浮かべた麻桐は、そのまま目にも止まらぬ連続攻撃を繰り出し続けた。それを悉く拓也は孤徹で無力化していく。徐々に攻撃が当たらないことに対する苛立ちが麻桐の頭の中に湧き上がり、それが原因で攻撃が単調になり、終いには顔面しか狙わなくなった。体のどこを狙っても完璧に無力化させた拓也には、そんな攻撃は無意味に他ならない。麻桐の一撃一撃を捌きながら、拓也は笑う。
麻桐の攻撃が、面白いくらいはっきりと見えた。まさか高々精神状態の一つや二つでここまで戦況が変わるとは思ってもみなかった。麻桐の言う通りだな、と拓也は思う。怒りは拳を鈍らせる。確かにそうだったのだろう。しかも怒りは拳だけではなく、拓也から冷静さそのものも奪い取っていた。だから本当は見えて捌けるはずの攻撃がまったく見えなかったのだ。結果、拓也は麻桐に負けた。しかし今は違う。見えなかった麻桐の攻撃は、冷静さを持って受ければ何でもなかった。何もかも見通せる。麻桐には、負ける気がしなかった。
忠告をくれた麻桐に感謝をしよう、そして、ここでぶっ殺す。
麻桐の蹴りを上段で防いだ拓也が反撃に徹する。身を翻して受け止めた足を弾き、灰色の鎧を掴んで引き寄せた。目前に捕らえた麻桐の顔面に、孤徹を叩き込む。破壊音が響いた。反動で麻桐の体が吹き飛び、背後にあった倉庫の壁に激突して積み上げられていた木材をぶち壊す。その拍子に倒れてきた木材に圧し潰され、麻桐の体が拓也の視界から消えた。しかしすぐに木材を弾き飛ばして起き上がり、真っ向から拓也を睨むつけて罵声を吐こうと口を開け、
それが止まった。麻桐の顔面を守っていた鎧が、まだ傷を残していた。簡単なことだ。先の孤徹の攻撃が、羅刹の高速自動修復を追い越すだけの威力があったのだ。今の拓也にとっては当たり前のことである。孤徹は羅刹なんかに負るは訳がない。孤徹は最強であるのだ。
だが麻桐にとってみれば、それは予想外であったはずである。なにせ数時間前まではまったく相手ではなかったセロヴァイヤーが、この羅刹に傷を残したのだ。それが麻桐のプライドに触った。絶叫を上げた刹那に傷は一瞬で修復され、木材を砕いて麻桐は加速し、拳を放つために突っ込む。が、やはりそれを拓也は苦もなく孤徹で受け止めた。
息を荒げる麻桐を見据え、拓也は笑い、そして言う。
「一体何を怒ってるワケ? 怒りは拳を鈍らせるって言葉聞いたことないかい? ……まさにその通りだった。麻桐、今のテメえは、弱過ぎるんだよ」
麻桐の頭の中で何かが切れる音がはっきりと伝わった。
「るせえクソがあッ!!」
孤徹から拳を引いた麻桐の体が翻り、拓也の顔面へと蹴りが繰り出される。
一度目の戦いと、立場は逆になっていた。怒りで鈍った麻桐の攻撃は、もはや拓也には通用しない。蹴りはいとも簡単に孤徹で無力化された。麻桐に逃げる時間も反撃する時間も、拓也は与えなかった。全身全霊の力を込め、拳を灰色の鎧に打ち込む。一撃目で麻桐の体がくの字に折れ曲がり、さらに落ちてきた顎へと打撃を加える。無防備に広がる羅刹には、傷がまだ残っていた。孤徹の攻撃が格段に上がり始めている。勝負を決めるのはここしかないと拓也は思う。
手加減は、ナシだ。ぐらりと傾く麻桐の体を射程距離に捕らえたまま、拓也は顔面を狙い続ける。逃げる暇も反撃する暇も、そして倒れる暇さえも与えない。数時間前とは比べ物にならない轟音と振動が辺りを包み込み、孤徹が羅刹を打ち付ける度に天井の照明器具が揺れて木材が振動に作用されて僅かに移動する。神速の拳だった。普通の人間から見れば、空を切り裂く漆黒の残像すら見えなかったはずである。麻桐の足が宙に浮き始める。それでも拓也は拳を緩めない。不思議なほど息切れはしなかった。
やがて拓也の拳が羅刹を完璧に凌駕する。高速自動修復が追いつかない速度で繰り出されていた孤徹が、ついに麻桐の素顔を捕らえた。その一撃で麻桐の鼻が圧し折れ、次の一撃で歯が数本砕けた。返り血が拓也の顔に飛び散り、一瞬だけ拳を大きく構える。羅刹の向こうから見える麻桐の目が、白目を剥いていた。しかしそれでも、拓也は手加減しない。敵にそんなことをする必要すらない。この男が相手なら尚更だ。この一撃がすべてを終らせる。紀紗を泣かせたお前を絶対に許さない。ぶっ殺してやる。恨むんなら自分の弱さを恨め。これで終わりだ。食らいやがれクソ野郎。
麻桐の足が地面に着くか否かの瞬間に、拓也は孤徹を放った。骨の軋む音が聞こえた。血液を辺りに撒き散らしながら、麻桐の体が宙を舞う。だがそれも一瞬だった。木材の弾ける音と共に麻桐は壁に激突し、天井の照明器具がその反動で大きく揺れた。揺れる光の中、それまで感じなかったはずの疲労が拓也へと一気に落ちてきた。膝に手を置いて荒い息を整える。倉庫内にはしばらく、拓也の呼吸だけが響いていた。
息が整い、ゆっくりと顔を上げ、壁に凭れるように俯いている麻桐を真っ直ぐに見据えて初めて、勝った、という思いが沸き上がる。口から乾いた笑い声が漏れた。天井を仰ぎ、拳を握り締めながら「勝った」とつぶやく。数時間前までは絶対に勝てなかった相手をぶっ飛ばした。その達成感が何よりも心地良い。こんな心地良さは初めてだった。これで何もかも巧く回る。自分は啓吾と決着を着けられるし、そして紀紗は焔と出会える。最高の気分だった。やはり、孤徹が最強である。他のセロヴァイトなど孤徹に比べれば、
笑い声が聞こえた。拓也のものではない。一瞬で視線を向けたそこに、未だに俯いていた麻桐が一人、不気味な笑い声を出しながら肩を震わせて笑っている。勝った、という意思が奪われ、心地良さが消し飛んだ。まだ生きてやがったのかこの野郎、と拓也はそう思う。しかし考えればすぐにわかったことなのかもしれない。なぜなら、羅刹はまだ、消滅していないのだから。
笑い声の中、麻桐はつぶやく。
「……あんたは……セロヴァイトの声を聞いたことが、あるかい……?」
麻桐が何を言っているのかわからなかった。まさか殴り所が悪くて気が違ったのではないだろうか。
だが、そうではなかった。
「……三日前から、おれにははっきりと聞こえんぜ、羅刹の声が。羅刹は、こう言ってる……」
麻桐の体がゆっくりと起き上がる。鎧は修復されずに血塗れの顔をそのままに、麻桐は狂ったような笑顔を見せた。
「……奪い尽くせ、ってな」
羅刹が高速自動修復を開始する。血塗れの麻桐の顔が灰色の鎧に再び隠れ、傷を完全に消し去った麻桐は立ち上がって右手を前に差し出した。
麻桐が何をしたいのかがさっぱりわからなかった。そもそも拓也には、セロヴァイトの声というものの意味がわからない。本当に麻桐の頭がおかしくなってしまったのではないかと今もなおそう思っている。それが、気づいたセロヴァイヤーとそうではないセロヴァイヤーの強さを別つ壁だと、拓也は最後まで気づかなかった。
「まさかあんたにここまで噛みつかれるとも、まさかこれをさっきまで勝ってたはずのセロヴァイヤーに使うとも、思ってなかったぜ……。……だから喜べ。おれが実戦でこれを使うのはあんたが初めてだ」
そして麻桐は、その真名を呼んだ。
「――虚連砲(きょれんほう)」
麻桐の突き出された右手の掌に緑の光の粒子があふれ出す。目を見張った拓也の視界の中で、それは具現化される。灰色の鎧に包まれた麻桐の右手が虚空から掴み出したもの。それは、一丁の銃だった。ただ、その形は羅刹の鎧の如く歪なものだった。小型の自動小銃のようにも見えるが、何かが違う。一見しただけではトリガー以外にははっきりとした名称がつけられない、異形の拳銃だった。
射撃型セロヴァイト・虚連砲。それが今、麻桐に握られているセロヴァイトの真名。
虚連砲の銃口らしき部分が拓也に向けられる。麻桐がトリガーを絞るのが見えた。銃口から射撃音が連になって響き渡る。その音だけでそれが単発式ではなく連射式なのだと悟った。しかも弾が見えなかった。速過ぎて見えないのではない。そもそもその弾に、形がないのだ。空気を切り裂く音だけを頼りに、拓也はその場から左に転がる。直後、背後から撃音が一定の間隔で聞こえた。それが教えてくれた。虚連砲から撃ち出される弾に形は無いが、そこに弾は存在する。見えない弾なのだ。
姿勢を低くして麻桐を見据える拓也に、笑い声が届く。
「羅刹の二つ目の特性は、ぶっ倒した相手のセロヴァイトを具現化できることだ。あのとき、幻竜型セロヴァイトのヴァイスがいらねえっつったのはそういう訳だ。あんなモンを出したらおれの方が逆に殺されちまうからな。……渡瀬、こっからが本番だぜ。お前は、どこまで避け切れる?」
虚連砲のトリガーが引かれた。
頭の中が混乱しているが、それでも拓也は音だけを頼りにその見えない弾を避ける。拓也が逃げる道のりに沿って地面が抉れて壁に穴が開く。一発一発の威力は低そうだが当たれば致命傷までには至らないまでも不利になる。それこそ足を撃たれたら形勢は最悪だ。止まることが許されない。常に逃げ回るしか道はなかった。射撃音と何かが壊れる撃音は止まることなく鳴り響く。これだけ無闇に連射しているのだから、恐らく弾切れはないのだろう。弾切れがあるのだとしたら麻桐はこんな無駄撃ちはしない。つまり、逃げ切っているばかりではいつかは負けるということだ。
頭の中を整理する。羅刹が他のセロヴァイトを具現化できることはもうどうでもいい。虚連砲の他には具現化できないはずなのだから。麻桐は今まで、一人しかセロヴァイヤーを倒していない。だから虚連砲だけだ。問題はそれをどう避け、なおかつ麻桐に攻撃を仕掛けるか、である。連射式に接近戦を挑むのは無謀過ぎる。かと言って遠距離で攻撃できる手段を拓也は持っていない。だが避け続けるのには限界がある。ならば取るべき道は一つしかない。孤徹を信じるんだ。
拓也はその場で立ち止まる。麻桐がすかさず銃口を拓也に向け、見えない弾を撃ち出す。音だけを頼りに拓也はその場で孤徹を構える。幾ら見えないと言っても避けることはできる。つまり速さには付いて行けるということであり、言い換えれば受け止めることもできるということだ。加えて幾ら連射式だと言っても弾が同時に発射されている訳ではない。マシンガンのようなものだと思えば手っ取り早い。弾は必ず連になり、一つの線で結べるはずだ。最初のタイミングだ。それさえを見極められれば――
耳を澄まして、すべての神経を導入させた。そして最初の一発を、孤徹が捕らえた。見えない弾は無力化され、拓也が笑う。そこから先は一気だった。冷静な頭が僅かな音の変化を驚くほど正確に感知し、それに合わせて孤徹を逸らしていく。連になった弾はまるで吸い寄せられるかのように漆黒の鉄甲に突っ込んですべて無力化される。行けると思った。
射撃音が止まる。弾を見切られたのにも関わらず、麻桐はまだ笑っていた。
「ほう。起用に受け止める。……だったら、これでどうだ?」
麻桐が虚連砲を出鱈目に振り回してトリガーを引いた。
その狙いは、明らかに拓也ではなかった。ヤケクソになって乱射しているようにも見えなくはないが、麻桐の笑い声がそれは違うと訴えている。何を狙っているのかがまるでわからない。まさか天井を打ち抜いてそれを拓也に命中させようと思っている訳ではあるまい。ならばなぜ、麻桐は出鱈目に虚連砲を連射しているのか。本当にヤケクソにでもなったのではないか。もしそうなら、
――違う。そうじゃない、
やっと、その事実に拓也が気づく。出鱈目に乱射された虚連砲は、ただの一発も命中していない。拓也に、ではない。それ以前に、先ほど撃ち出された虚連砲の弾は、天井にも壁にも地面にも、そもそも『どこにも命中していない』のだ。まるで弾が途中で消えてしまったかのような感覚。何がどうなったのかまったくわからなかった。辺りを見ましていた拓也の視線が、麻桐の笑い顔を見た。
刹那に、四方八方から風を切り裂いて何かが突っ込んでくる。それに気づいた拓也は一瞬でその場から転がり、
間に合わない。避け切れなかった数発が孤徹で無力化され、しかし孤徹を掻い潜った見えない弾丸が拓也の右足と右肩を掠めた。少量の血が地面に散り、先ほどまで拓也がいたはずの場所に見えない弾が雨のように炸裂する。微かに感じる痛みを押し退け、拓也はゆっくりと起き上がる。
拓也の傷口を見ながら、麻桐が再度笑う。
「まだ避けれたか……。が、もはや時間の問題だな」
トリガーが押し込まれ、虚連砲の銃口から弾が乱射される。その弾はやはり、どこにも命中せずに消えたかのよう沈黙してしまった。
そしてそれこそが、射撃型セロヴァイト・虚連砲の特性だった。撃ち出された弾の停滞及び軌道修正。撃ち出された見えない弾はセロヴァイヤーの意志によって空間に停滞し、獲物を狙うためにその軌道を変更させることができる。そして停滞していた弾はそれもセロヴァイヤーの意志のままに解除でき、撃ち出すことができる。つまり、停滞させる弾の数が多ければ多いほどその威力は増し、巧く使えば死角無しの全方向による完全包囲が可能になるのだ。
停滞していた弾はタイミングをズラしながら拓也を襲う。二発同時発射までなら何とか防げる。しかしそれ以上弾数が多くなると防ぎ切れない。孤徹で無力化させるのは二発までが限界である。だが虚連砲から撃ち出され停滞している弾は、一桁ではない。おそらくこの空間の中には数十発と停滞しているはずだった。加えて麻桐はなおも虚連砲を乱射している。弾数は増える一方だった。
十数発が同時に発射されるのを頭のどこかが感知する。右に走り抜けながら孤徹で防ぐが無駄な抵抗に終る。孤徹を掻い潜った五発の弾が拓也の体を切り裂いた。直撃は逃れたが腕に二発と足に二発、そして額に一発食らった。刃物で切られたかのようにその傷口に線が入り、赤い血がじわりと流れ出てくる。このまま避け続けるのはもはや限界だった。血を流せば流すほど不利になるのは明白で、何より避けてばかりいては麻桐に攻撃を加えることもできない。
賭けに出るしかなかった。
拓也を目掛けて雨のように降り注ぐ弾丸の中を駆け抜け、麻桐へと突っ込んで行く。しかしその進撃を麻桐は許さない。虚連砲の特性を打ち切り、ただの連射銃として発砲する。多少の傷は仕方が無いと諦め、体中から噴き出す血を無視して力の限りに麻桐へと向かった。一発の弾が腹を抉り取るのを代償に、拓也は孤徹の一撃を麻桐の鎧へと打ち込む。
だが、所詮は単発の攻撃でしかない。麻桐の羅刹に、単発は何の意味も成さない。焔以上の力があれば一撃で十分だが、当たり前の如く拓也にはそんな力はない。羅刹に傷が僅かに残っただけで、虚連砲の連射により逆に返り討ちにされる。孤徹で防御に回って後退したのが命取りだった。虚連砲を連射し続けたまま、麻桐が反撃に出る。見えない弾に守られた麻桐に、手出しすることはできなかった。大きな傷を負った腹を徹底的に攻撃された。拳を受ける度、蹴りを食らう度、この世のものとは思えないほどの痛みと地獄のような吐気が押し寄せてくる。口から驚くほどの血が吐き出された刹那に、顔面に灰色の鎧を纏う踵を打ち込まれて成す術なく吹き飛ばされた。
壁に激突した際に木材が砕け、容赦無く拓也の体を覆う。口から流れる血を拭うこともせず、拓也は必死に木材を破壊して立ち上がる。しかしそのときにはすでに、麻桐の攻撃準備は完全に整っていた。もはや拳を構えることもままならない拓也を包む空間には、三桁の見えない弾が停滞している。すべてを発射されれば、拓也は避けることもできずに蜂の巣にされるだろう。体中から流れる血が漆黒の鉄甲を伝わって地面に滴り落ちる。もし身体能力が向上していなければ、とっくに出血多量で動けなくなっているほどの量の血だった。
麻桐の体がふわりと舞い上がり、空中で加速を備えた上段回し蹴りが棒立ちの拓也の首を直撃する。目の前が真っ白になった。衝撃とは違うものが体をぶち抜いた。まるで玩具のように空を抜けて瓦礫の山へと突っ込んだ。何かが圧し折れる音が豪快に響き、木材が再び拓也の体を埋め込む。光の届かない中で倒れたまま、拓也の意識がゆっくりと闇の底へと落ちていく。
暗闇の中で、ただ思う。やはり勝てなかった。自分の考えの甘さに腹が立つ。結局は強くなれなかったのに、紀紗に約束してしまった。焔に会わせてやるなどと大それたことを言ってしまったのだ。勝てないくせに。強くなんてないくせに。それなのに紀紗にあんな約束をしてしまった。どんな顔をして紀紗に会えばいいのかわからない。悔し過ぎて死にたくなった。
麻桐が何かを言っているような気がするが聞こえない。
ただ、それでも拓也は思う。紀紗に笑っていて欲しかった。焔にもう一度会わせてやることができれば、紀紗はまた笑ってくれる。自分が優勝者になればそれができるのだ。優勝者になる、たったそれだけでいい。目の前の敵を倒せば望みは叶う。後一歩で笑ってくれるはずなのだ。後少しで、すべてが巧く回るはずなのだ。だから、まだ負ける訳にはいかない。勝ち残らねばならない。
だけど、体は動いてくれなかった。幾ら勝ちたいと願い思っても、それを押さえつけるだけの攻撃を我が身に受けてしまっている。体はすでに、機能停止に近い段階にまで侵食されていた。
拳を握り閉め、暗闇の底に存在する漆黒を見据える。もう一度だけ、立ち上がりたい。最後に一人だけ、ぶっ倒したい奴がいる。そいつだけは許してはならないのだ。紀紗を泣かせたそいつだけは、絶対に許してはならない。例えこの体がぶち壊れようとも関係などない。どんな手を使っても、必ず倒してやる。最も幼いセロヴァイヤーを守っていた、最も強いセロヴァイトから受け継いだ意思。紀紗を、守り通す。それだけを頼りに、拓也は再び立ち上がろうとする。
守りたい。紀紗を、そして紀紗と交わした約束を、それだけを守りたい。お前は守るためにいるはずだ。何のための漆黒だと思ってやがる。すべてを無力化するその二体一対の鉄甲は何のためにある。こんなときに力を貸さないで何が強さだ、何がセロヴァイトだ。応えろ孤徹。力を貸せ。おれはただ、守りたいんだ。紀紗との約束を。ただそれだけなんだ。だから、応え――
暗闇を彷徨っていた拓也の思考が浮上する。ぼんやりと目を開け、視線を腕に落とす。そこに装着された漆黒の鉄甲を見つめながら、拓也は乾いた笑いを漏らした。簡単なことだった。どうして今まで気づかなかったんだろう、とすら思う。最初からそれはすぐそこに転がっていたのに、気づけなかった。啓吾の言っていた意味がようやくわかった。実に簡単なことに、本当に自嘲染みた乾いた笑いが出た。拳を握りながら心の中でつぶやく。
……何だよお前……、聞こえてたんじゃねえかよ……。
そして、空を切り裂き、停滞していたすべての弾が拓也の埋まる木材目掛けて撃ち放たれた。轟音が響き、木っ端微塵に砕けるその光景の中で、麻桐が狂ったように笑っている。しかしそれが静かな笑みと移り、やがて笑いは消え去って険しい表情へと変わった。土煙が舞い上がるそこから、全身血塗れの一人のセロヴァイヤーが姿を現す。二体一対のセロヴァイト・孤徹を装着した渡瀬拓也が血を流しながら天を仰ぐ。先の弾を避けたのではない。先の弾は、大半が拓也に命中している。ただ致命傷を何とか避けているだけだ。だがそれで戦闘不能に陥っても何ら不思議は無く、普通なら立ち上がることもできないほどの傷だろう。それでも、拓也は立ち上がり、笑った。
漆黒の鉄甲が鈍く輝いていた。
「……テメえの言う、セロヴァイトの声ってのがやっとわかった……」
「なに……?」
麻桐は虚連砲の銃口を拓也に向ける。
拓也は天を仰ぎ続ける。
「孤徹が言ってる……ただ一言だけ……」
孤徹は言う。
――守り抜け、と。
なぜ最初に気づかなかったのだろう。孤徹の特性は守りにある。それが孤徹と同調するための条件の手掛かりとなっていたのに。それになぜ、気づけなかったのだろう。強くなりたいと願った拓也に孤徹が応えなかったのは、意思が違うからだ。強くなりたい、じゃ駄目なのだ。何かを守りたい、その願いが本当の孤徹を呼び覚ます。やっと理解した。孤徹は何かを守るという意思に反応する。長い時間を懸けてそれをようやく悟り、拓也は孤徹と同調した。加えて孤徹の声を聞けた瞬間に、孤徹のすべてを理解できたのだ。今更だと孤徹は思っているかもしれない。だけど、礼を言いたい。力を貸してくれて、ありがとう。
孤徹の特性が無力化? 否。それ自体がそもそもの間違いだったのだ。孤徹の本当の特性は衝撃の無力化ではなく、衝撃の吸収。そして、孤徹本来の特性は吸収した衝撃の爆散。もはや一撃しか麻桐に攻撃するだけの力は残っていない。しかしその一撃で十分である。この一撃こそが孤徹の本当の力だ。孤徹が最強だと証明する最大の一撃。
ぶっ壊そうぜ孤徹。紀紗との約束を守り抜くために、今ここで、麻桐を、ぶっ殺す。
拓也が咆哮を上げる、
「勝負決めようじゃねえか麻桐ィイッッ!!」
虚連砲のトリガーに置かれた指に力が篭る、
「死に損ないが、このおれに上等な口聞くんじゃねえよ」
トリガーが押し込まれ、虚連砲から見えない弾が撃ち出される。
拓也は、そんなものなど端から無視するように真っ向から突っ込んだ。音だけを頼りに迫り来る衝撃を孤徹で吸収し、見逃した弾は避けることもせずにすべて我が身に受けた。弾が拓也の体を掠る度に血が辺りに飛び散り、痛みが冗談のように膨れ上がる。完全に見逃した弾に左肩が撃ち抜かれ、そこから下が激痛に蝕まれてイカれたが知ったことではなかった。右腕さえ動けば他がどうなろうと関係は無い。すべての神経を右腕に集め、拳を握った。
銃弾を受けてもなお怯まない拓也に業を煮やした麻桐は、虚連砲を放り出して自らの拳を構える。桐原麻桐は羅刹のセロヴァイヤーである。やはり最後は我がセロヴァイトに頼るのだろう。羅刹なら耐え切れる、そしたら反撃だ。麻桐はそう思っている。その考えは、間違いではなかったはずだ。しかしそう思っても、もはや何もかも手遅れだった。麻桐の拳が打ち出された瞬間には、
拓也の鉄甲が、麻桐を捕らえた。その瞬間に、一瞬だけすべてが停止する。
羅刹に打ち込まれた孤徹から、吸収され続けていた衝撃があふれ出す。
止まっていた時間が動き出した刹那の一秒、
孤徹が、爆散する。
それは、何もかも破壊する衝撃波だった。
音の無い風のように荒れ狂う巨大な波動。孤徹から爆散された無音の衝撃波は、辺りを舐めるように吹き抜け、すべてを破壊しながら吹き飛ばした。孤徹が打ち込まれたそこから灰色の鎧が根こそぎ剥ぎ取られる。まるで石が風化するのを早送りで見ているかのような光景でだった。羅刹の高速自動修復を完全に凌駕し、衝撃波は麻桐を一気に突き抜ける。灰色の鎧が消え失せたそこにあるのは、体の骨を粉々に砕かれた麻桐の素体だった。麻桐の意識は衝撃波ですでに消滅させられていて、停止していたその体が後ろへ倒れ、小さな砂煙を舞わせる。
麻桐の体内から排出されたヴァイスと虚連砲のヴァイスが緑の光の粒子となって漂い、すべてが決したのにも関わらずまだ孤徹を突き出している拓也へと蓄積される。
静寂が支配するその空間に、拓也の右腕から骨の軋む音がした。その痛みに耐え切れずに孤徹を無造作に下ろした瞬間に、もはや右腕が使いものにならなくなってしまったことに気づく。左腕も使えない。それ以前に、体中が激痛に蝕まれて機能を麻痺させている。
ゆっくりと後ろに倒れ込む。先の孤徹の衝撃波で倉庫の天井が弾けて飛んでおり、そこから四角に切り取られた夜空がはっきりと見えた。
ぼんやりとそんな光景を見つめながら、拓也はつぶやく。
「…………勝ったぞ……っ、………チクショウめ………っ!」
喜びを噛み締める言葉だった。
夜空を流れ星が一つだけ横切ったのが、拓也にははっきりと見えた。
馬鹿みたいに痛い体を押さえつけながら、使いものにならないはずの右腕を突き上げ、
拓也はもう一度、先の言葉を叫んだ。
*
第十二期セロヴァイヤー観測局よりセロヴァイト執行協会本部へ。
第十二期セロヴァイヤー戦優勝者・渡瀬拓也。
これより、【界の狭間】への転移を開始します――。
*
渡瀬拓也の体内にヴァイスが九個蓄積された。
孤徹、氣烈、羅刹、風靭、水靭、雷靭、軌瀞砲、虚連砲、そして焔。第十二期セロヴァイヤーが具現化させたセロヴァイトがヴァイスとなり、一人のセロヴァイヤーの体内に蓄積されたとき、一つの集合体となったヴァイスはその情報を引き出す。情報、というのは少しだけ間違いかもしれない。正確には座標である。その座標は即座に軸を越えて第十二期セロヴァイヤー観測局に送信され、それを受信した観測局は優勝者の身柄を軸の中心部【界の狭間】へと転移する。人間が軸を越えようとする場合、そこで一度停止させなければ狭間の網に引っ掛かってどこに転移されるかわからなくなってしまう。しかし【界の狭間】で停止するのは、自殺行為に他ならない。そのことを拓也は当たり前の如く知らないし、今まで『ただの一人も【界の狭間】を抜けられた人間がいない』ことも、もちろん知らない。
セロヴァイト執行協会本部から送られてきた手紙に、『ヴァイスが九個体内に蓄積されますと、無条件でこちらに赴いて頂くことになっております』ということが書かれていた。しかし【界の狭間】の存在を知っている人間から言わせれば、それはそいつに死にに行けと言っているのと同じことだった。簡単に言い換えれば、『ヴァイスが九個体内に蓄積されると、無条件で一度【界の狭間】に転移するが、そこで生きるか死ぬかまでは責任を持てない』ということになる。生きて出て来られたら望みを叶えてやろう、だが死んだらそれまでだから頑張れ。そう、言っているのだ。
一つの軸に対極になるように存在する二つの世界を結ぶ【界の狭間】の領域。そこに足を踏み入れて生きていた者は一人もいない。そこの裏には、すべての世界に共通する暗黙の【掟】があるのだ。
――界を越えて対立を乱すな。乱す者は異端者として排除する――
いつからそんな【掟】があるのかは誰も知らないし、誰が作ったのかもわからない。ただ、世界が成立したときには存在していたに違いないその【掟】。そしてその【掟】を貫き通す存在。その存在こそが、『今までただの一人も【界の狭間】を抜けられた人間がいない』ことに繋がるすべての元凶である。
対極に存在していた二つの番人。それが――
◎
勝利の余韻に浸っていた拓也の視界の中で、唐突に世界が歪んだ。
まるでセロヴァイトが具現化されるときのように辺りがぐにゃりと歪み、そこから膨大な量の緑の光の粒子があふれ出す。それだけならもしかしたら何かのセロヴァイトが具現化されるのかもしれない、と思ったはずだった。しかし、その規模がおかしい。あふれ出ている粒子の量は、圧倒的に焔よりも多い。拓也の見ている範囲の空間がすべて緑の光の粒子で埋め尽くされ始めている。拓也は、この光景をどこかで見たことがあるのに気づく。その考えはすぐに確信に至る。午前零時に見た、あの光景とまったく同じ現象がまた起こっているのだ。しかしなぜそうなっているのかがわからない。今は深夜の二時か三時くらいのはずだ。午前零時ではない。
緑の光の粒子は拓也の体までも包み込む。温かいようなその光に包まれていると、麻桐との戦いで負った傷がみるみる内に治癒されていくのがはっきりとわかった。もしかしたら優勝者は無条件で体が回復するのではないか、という考えが湧き上がってくる。そして一度そう考えてしまうと、その考えが正解であるように思えて仕方がなくなってしまう。先ほどまで激痛に蝕まれてはずの体から痛みが完全に消えた。加えて自由に動かせるようになる。
拓也の体の傷を完全に治癒し終えたのか、緑の光の粒子はゆっくりと拓也から離れていく。しかし辺りの粒子はまだそこに存在し、それどころかさらに数を増やしているような気さえする。拓也は今、緑の光の中に座っていた。視線を彷徨わせるが見える光景は三百六十度どこも同じで、上も下も光に侵食されていた。その実に奇妙な感覚に耐え切れなくなり、拓也は立ち上がる。そして立ち上がった刹那、一瞬の浮遊感を味わった。
バランスを崩した瞬間にいきなりどこかに放り出され、緑の光の粒子がパァアっと弾けて消え失せた。緑の光から放り出されたそこは、漆黒の世界だった。腕にまだ装着されていた孤徹がその闇に溶け込んでいる。目を凝らすと、闇の中に小さな光の粒のような見える。辺りを見まわして初めて、それが拓也から見える視界のどこにでもあることを理解した。すぐそこにあるようなのだが手を伸ばしても空を掴むだけで触れることではない。まるで星のような光だ、と思ったときに悟った。
自分の考えが外れて欲しいと思うと同時に、何となくそんな気がすると思う。しかしこの漆黒の世界に瞬く光を例えるのなら、それがいちばん的確であるはずだった。拓也が見ているその光景。それは、宇宙に近いものだ。宇宙のど真ん中に放り出されたような感覚である。近いようで触れれない距離にある光は星の瞬きに他ならないのではないか。だがどうやって宇宙に来たのすらわからないし、もし本当にここが宇宙だとするのなら自分はとっくの昔に死んでいるはずだ。ならば立体映像化か何かかもしれない。緑の光の粒子にはそういう機能も含まれているのではないか。そしてヴァイスを集め切ったセロヴァイト戦の優勝者はここで望みを叶えるのではないか。何となく在りそうなので今はそれが有力となる。
それにしても不思議な場所だった。本当に宇宙のど真ん中にいるような気さえしてくる。歩いても走っても見える光景は何一つ変わらず、それどころかこの空間はどこまでも続いていた。少なくともちょっとやそっとじゃ終らないはずだ。加えて拓也の足は確かに地面と思わしき場所に着いてはいるものの、手を伸ばしてもそこに触れることはできないし、下手をすれば転地が逆になる。だが、逆になったらなったで今度はその逆が正しい方向へと変わる。そんな有り得ない現象が起こる度、ここはやはり本物の宇宙なのではないかと拓也に思わせる。
それは、この空間に投げ出されてどれくらい経った頃だったのだろう。一分かもしれないし五分かもしれないし、下手をすれば三十分以上経っていた可能性もある。時間の感覚が失われていた。何分経ったかわからないその時空の中で、変化が訪れ始めていた。拓也の視界にあったはずの星がゆっくりと動き出している。最初は目を凝らさなければわからない変化だったが、数秒事に速く多くなっていく。やがてそれは拓也の目前に収縮し、無数の星が重なり合うように何かの形を造り出すために活動を開始する。
セロヴァイトの具現化に似ていた。それも、幻竜型セロヴァイトの具現化に近い。集まった星は形を成し、見上げるような巨大な竜を造り出していた。大きな翼が左右に開かれ、長い尻尾が波打ち、口から覗く牙までもはっきりと浮かび上がる。その竜は、見れば見るほど、拓也がよく知っているセロヴァイトに思えた。無意識の内に口から「……焔……?」とのつぶやきが漏れ、ぼんやりと竜を見上げていた。
そして竜を多い尽くしていた光が弾け、その姿を完全に現せた。
そこで、ようやく理解した。
――違う。『これ』は、焔ではない。
拓也の目の前で作り出されたもの。それは、焔と瓜二つの竜だった。真紅と対立するかのような白銀の竜が、そこに眼光を開ける。焔の眼光は燃え盛るようなものだったが、この竜の眼光は、氷のように冷酷なものだった。焔とは異なる圧倒的な圧迫感と迸る殺気が拓也を真っ向から射抜き、その場に硬直させる。体が冗談のように震え上がった。今すぐにでも逃げ出したいと思うが体が一ミリたりとも動かせない。こいつには勝てない、とかそういう次元の話ではないのだ。白銀の竜に射抜かれた体の細胞の一つ一つが告げる。こいつとだけは、絶対に戦うな、と。
白銀の竜の口がゆっくりと開き、そして焔同様に口を聞いた。
「――我が名は狭間の番人・朧。異端者を、排除する者なり」
気づいたときには遅かった。
抉じ開けられた朧の口から咆哮が弾け、拓也を突風のように吹き抜ける。
頭の中が攫われた。まるで体の内部だけを破壊するかのような叫びだった。巨大な何かで内臓を抉り出されるような感覚。津波のような吐気が押し寄せ、目の前が白く染まる。気分がどうのとかで表せる状態ではない。自分が今、こうして立っているのが不思議なくらいだった。いや、もしかしたら体はすでに死んでいて、そのまま硬直しているのかもしれなかった。
朧の眼光が細くなる。抉じ開けられた口の奥底に、白色の光が収縮される。焔が炎の弾丸を撃ち出す際と同じ現象が起こっているのだということはすぐにわかったし、逃げなければ死ぬということもわかった。しかしわかっているのだが、どうしても体が動かせない。脳の隅々から「死にたくなければ早く逃げ出せ」という命令が飛び交うが体が言うことを聞かない。金縛り、などという生易しいものではなかった。それは、朧の眼光から放たれた束縛に近い拘束だった。
朧の口から氷の弾丸が撃ち出される。その軌道を驚くほど正確に目で追えた。だが避けることがついにできなかった。氷の弾丸は拓也の目の前で炸裂し、すべてを凍らす爆風が巻き起こる。拓也の右手を動かしたのは拓也自身の意思ではなく、孤徹自らの意思だったように思う。爆風から拓也を守るように突き出された漆黒の鉄甲が冷気に晒されて嘘のように凍りつく。それは孤徹が装着されていた拓也の右腕も飲み込んだ。氷の重さが腕に伝わった瞬間に、自分の腕が凍っているという事実を脳が認識する。刹那に冷たさではなく、焼けるような熱さを感じた。
その場で凍った右腕を左手で掴みながら絶叫する。
腕が凍りついた、という恐怖が拓也の束縛を解いた。右腕を垂らしまま踵を返して走り出す。自分の腕がそこにあるはずなのに動かせない感覚が何よりも恐ろしかった。気づいたときには右腕からは何も感じなくなっている。寒さも熱さも、そもそも無機質な何かのように何も感じないのだ。孤徹の爆散を使った反動で砕けて使いものにならなくなるのとはまた違う。右肩から下が切り落とされてしまったかのようだった。自分の凍った右腕を見る度にその恐怖に負けて泣き出しそうになる。
何を置いてもまず、朧から逃げなければならなかった。戦う、なんて意思はこれっぽっちも出てこない。建前もクソも放り出して逃げ出さなければ間違いなく殺される。ただ単純に、白銀の竜が恐ろしい。焔とは違う、地獄の底から沸き上がってくるような迸る殺気。冗談ではない。あんなものの前に後数秒でも置き去りにされていたら意識自体が吹き飛んでいた。焔の殺気とはまるで違うのだ。焔が反則的な強さなら、こいつは一体、何なんだ――?
風が拓也の横を吹き抜け、気づいたら白銀の竜がそこに飛来していた。力任せに振り回された尻尾が拓也を狙う。無意識の内に左腕に装着された孤徹を差し出し、その衝撃を吸収する。が、風圧にやられて拓也の体が木の葉のように宙を舞う。どっちが天か地かわからない空間に激突し、何度も転がった。その途中で嫌な音が耳に入った。体勢を立て直して我が右腕を凝視する。右腕を覆っている氷の塊に罅が入っていた。もし下手をして氷が砕ければ、拓也の右腕事砕けることになる。それだけは何としてでも避けたい。自分の腕が砕ける様を見るなど、死ぬより遥かに恐ろしいことだった。
朧が追撃をかける。物理攻撃が無意味と一度の攻防で悟ったのか、口を抉じ開けて氷の弾丸を吐き出す。その大きさが、先の氷の弾丸より遥かに大きく速かった。それは逃げることはできない速さであり、そして逃げても無意味に終る威力を持っていることは一目瞭然だった。脳裏に、もし死ぬなら無駄に苦しみを負うよりこの一撃で完全に凍り漬けにされた方が楽なのではないか、という思考が巡った。そうなれば右腕のことで苦しまなくて済む、だったら、
――守り抜け、
紀紗の笑顔が頭の中に浮かんで消えた。
すべての意思を捻じ伏せ、絶叫しながら拓也は孤徹を突き出す。負けてたまるか、死んでたまるか。自分を振るい立たせて目の前の氷の弾丸を睨みつける。まだ約束を守り切っていない。紀紗と焔を会わせてやるんだ。こんな所でこんな訳のわかない奴に殺されてたまるか。お前が誰かは知らない。お前が圧倒的に強いことは百も承知だ。だけど、守り抜くために、おれはここにいる。おれは、戦――
氷の弾丸が炸裂する。何もかも凍てつかせる爆風が吹き荒れ、拓也の体を覆うように包み込み、
そして、劫火が荒れ狂う。拓也の後ろから冷気を吹き飛ばすかのように炎が押し寄せ、すべてを相殺した。その炎に晒されて拓也の右腕の氷が一瞬で溶ける。目の前にいたはずの朧が翼を広げ、大きく距離を取るために飛翔する。空間に着地するや否や、牙を剥き出しにして拓也を見据えた。
いや、違う。朧が見ているのは拓也ではない。その後ろだ。拓也が振り返る。しかしそこには何もなく、漆黒の世界だけが広がっていた。一体朧は何を見据えているのか。そう思った刹那、
空間を圧倒的な力で捻じ曲げ、界の軸を越えて漆黒の中から真紅の竜がその姿を現す。
小さな雷のような光が飛び散るそこから、荒れ狂う劫火を身に纏い、灼熱の眼光を宿らせ、幻竜型セロヴァイト・焔がこの時空に具現化される。白銀の竜の冷気を威嚇するように劫火は漆黒の世界を取り巻き、その劫火の中心から朧を見据えていた焔が口を抉じ開けて咆哮を上げた。それに対抗するかのように朧も咆哮を上げる。空間を埋め尽くすその叫びに拓也の頭の奥底が大きく揺れた。
やがて、焔が笑う。
「……久しぶりだな、朧」
朧の白銀の体から冷気と殺気が迸る、
「……焔……、貴様……ッ!」
そして焔は、視線を朧に固定したまま拓也に言う。
「界の軸を抜けるのに手間取った。すまない。そして紀紗のことに対して礼を言う。本来ならおれがあのセロヴァイヤーを殺してやりたがったがそうも言ってられなかった。何を差し置いてもまず、おれは朧と殺し合うより他にないらしい。……下がっていろ、小僧。後はおれが引き受ける」
聞きたいことは山ほどあった。しかしどれも口にはできなかった。
ただ、焔の劫火を見ていると、なぜかこんなことを言ってしまう。
「……遅せえよ…………もうちょういで死ぬトコだったろーが……」
「黙れ。泣きそうな顔で偉そうなことを言うな」
「……うるせえよ……」
燃え盛る紅蓮の炎が今は何より頼もしい。
敵に回せばこれほど恐いセロヴァイトはいないだろう。しかしその脅威が味方になったときの心強さは計り知れない。正真正銘の最強である幻竜型セロヴァイト・焔。それが今、拓也の味方となり戦おうとしている。最後には倒さねばらないと思ってた相手だが、この際それはもうどうでもいい。燃える炎は拓也の心の底から意思を運んでくる。焔が味方についているのなら、絶対に負ける訳はない。負ける理由すらも見つからないのだ。
やっとまともに動くようになった右腕の拳を握り締め、孤徹を打ち鳴らした瞬間に、拓也のすぐ後ろで空間が歪んだ。小さな雷が弾け、ぐにゃりと捻じ曲がったそこから『何か』が排出される。『何か』は空間を無造作に転がり、やがて静止していきなり立ち上がった。拓也が見ているそこで、この空間に投げ出された『何か』が、口を聞いた。
「焔、置いてくなよ、迷ったかと思ったじゃないか」
自分の目がどうにかなってしまったのではないかと本気で思った。
『何か』は、拓也がよく知る人物だった。
「……啓吾……、お前、どうして……?」
歪んだ空間から吐き出された啓吾はすぐそこにいた拓也を見つけると、意外な奴に会った、とでも言いた気な顔をした。
何でもないようなことのように啓吾が笑う。
「焔に呼び出されたんだよ。面白いことがあるからお前も来いって。そんで付いて行ったらいきなり焔が先に行っちまって逸れたかと思った。ああそうそう、拓也。優勝おめでとう」
その視線がゆっくりと拓也から外れ、未だに焔と対峙している朧へと向けられる。
「あれが……朧だね、焔」
焔が肯く。
拓也の頭の疑問が浮き上がる、
「啓吾、あいつを知ってんのか……?」
視線は朧に向けたまま、啓吾が言い始める。
「拓也には言ってなかったけどさ、セロヴァイト執行協会本部から初めて手紙が来たときからずっと思ってたことがあるんだ。ヴァイスやセロヴァイトはこの前に話した通り、異世界の産物だと考えて間違いないと思う。そしてその異世界はこっちの世界よりもすべての技術に置いて発達していて、こっちの世界への通信手段も持っていて、そしてセロヴァイトなんてものを造り出してそれを送って来た。詳細云々はこの際どうでもいいよ、おれもわからないから。ただね、矛盾があるんだよ。それが、セロヴァイト執行協会本部から初めて送られた来た手紙に書いてあった『優勝者の望みを叶える』ってヤツ」
啓吾は、実に楽しそうに話す、
「簡単に望みを叶えるっていうけど、本当にそんなことが可能なのか。だってそうでしょ? 今までセロヴァイヤーに選ばれた奴が全員、おれや拓也みたいにただ単純に戦いだけを楽しむために優勝者を目指すって有り得ないんだから。単純計算で今までセロヴァイト戦は十一回行われている。つまり、十一人優勝者がいることになる。その中の全員が、っていう訳じゃないけど、その中に一人はいるはずなんだ。優勝者になって、世界征服、なんて望みを叶えようとする奴が。理由は簡単だよ、大金持ちになるにしても何にしても、そんな限り在る望みより世界を征服した方が断然に手っ取り早いもん」
でも、今までそんな望みを叶えた奴はいない、と啓吾は言い切る。
「もし誰か一人でもそんな望みを叶えていたのなら、おれたちの世界はもっと息苦しくなってるはずだ。それこそ、そこら中にその世界征服した奴の銅像なんて立っててもおかしくない。しかし当たり前のようにおれたちの世界を征服した支配者なんて奴はいないし、ましてや銅像も立っていない。……では、ここで問題が一つ。なぜ、今までただの一人もセロヴァイト戦の優勝者が世界征服という望みを叶えていないのか」
啓吾は拓也の答えを待っているかのような素振りを見せるが、結局はほったらかしで話を続ける。
「おれが考えるにいちばん近そうな答えが二つ。一つ目が、望みを叶えると言ってもそれには限界があるという説。つまり決まっているんだ。ある一定までの望みは叶えられるが、そこから先に飛び出した望みは叶えられないっていう感じに。そして二つ目の説がこれだ。……望みを叶えることはできるが、今まで唯の一人も、望みを叶えられた奴はいない。優勝者になった奴は数人いるが、その全員が望みを叶えられなかったという説。簡単に言えば、そこまで辿り着けなかったってこと。前者の説は、こう言っちゃ何だけど微妙な気がする。セロヴァイトなんて、おれたちの世界の技術力の遥か彼方にあるものが造れるんだったら、おれたちの望みくらい叶えられてもおかしくないと思わない? それには限界があるかもしれないけど、大体は通るとおれは思う。……おれが思うに、正解は後者なんじゃないかって考えてた」
そして啓吾は、目の前の『答え』を見据える。
「焔から聞いてすべてに合点がいった。今までのセロヴァイト戦で優勝した者は皆、この【界の狭間】に引っ張り出されるんだ。そこで『ああ、ここで望みを叶えるんだ』なんて思ってたら命取りになる。でも、この【界の狭間】さえ抜け出せれば勝手に異世界へと連れて行ってもらえるらしい。そこで本当に望みが叶えられるんだってさ。しかし誰一人として、この【界の狭間】を抜け出した者はいない。優勝者は皆、望みを叶える前にこの【界の狭間】で殺されてるんだ。……そして、すべての元凶がそこにいる白銀の竜、狭間の番人・朧。……だったよね、焔?」
焔が無言で肯くのを確認しながら、啓吾はその一歩を踏み出す。
話の展開について行けなかった拓也の目の前に立った啓吾がそっと手を差し伸べる。
「……少しの間だけ、返してもらうよ」
啓吾の掌が拓也の胸に押し当てられる。
刹那に、体から何かが抜けて行くような感覚に包まれた。そして事実、拓也の体からはそれが排出されていた。緑の光の粒子が拓也からあふれ出し、それがゆっくりと啓吾に集まり出す。やがてそれは形を成し、一振りの刀を啓吾の掌へと造り出した。それをしっかりと握り締め、啓吾はその真名を呼ぶ。
「風靭」
刀を覆っていた緑の光の粒子が弾け、そこに斬撃型セロヴァイト・風靭が具現化された。輝く刃を見据え、啓吾が「久しぶり、風靭。負けてごめんな。けど……これで帳消しにしてくれ。最高の戦いがここにあるんだ」と笑う。啓吾と完全に同調した風靭の刃を風が取り巻き、その規模と威力を大幅に拡大させる。啓吾が刀を振り抜くと風が大きく舞い上がり、小さな旋風を発生させる。その姿はまるで、風が啓吾と戯れているかのようだった。風靭が、大声で笑っている。
そんな光景をぼんやりと見つめていた拓也へと、焔が視線を向けた。
「……小僧。恥を承知で頼みたいことがある」
焔のその言葉と態度に度肝を抜かれた。
驚いて視線を焔に移す拓也を見据え、焔は、言う。
「お前の望みが何かは知らん。だが、それでも頼みたい。……紀紗を、助けてやって欲しい。そこに辿り着くまでの道のりはおれと神城で開いてやる。だから、」
やっと話についてこれた、と拓也は思う。細かいことなど沢山だ。男は黙って拳を振るえ。ぐだぐだ考えるのは後回しである。
拓也が再度孤徹を打ち鳴らす。
「……取り敢えず、それには条件がある。戦いにおれも混ぜろ。おれと啓吾と焔で戦うなんてこれが最初で最後だろうしな。しかも相手は焔以上の化け物だ。こんな面白れえ戦いに参加できねえんじゃ悔いだらけで終っちまう。だからお前の話はあいつをぶっ倒した後でちゃんと全部聞いてやるよ」
焔が実に楽しそうに笑う。
「小僧、このおれに取り引きを持ち掛ける気か?」
「おうよ」
「くっくっく。よかろう、その代わり、死んでも知らんぞ」
「上等だぜ」
「待て待て、おれも混ぜろって」
啓吾が風靭を振り上げて話しに割って入る。
焔が拓也と啓吾の顔を見据えながらつぶやく。
「まさか貴様等と肩を並べて戦うなどとは思ってもみなかった」
「こっちの台詞だ」
「いいじゃん別に。面白そうだし」
間違いねえな、と拓也が肯く。
そして事の成り行きを何も言わずに見ていたはずの朧が唐突に言い放つ。
「何のつもりかは知らぬが……焔共々貴様等を異端者と見なし――排除するッ!」
神速の速さで朧が空を舞った。
そして、拓也が、啓吾が、そして焔が、それに真っ向から討って出る。
最終決戦の、幕開けだ。
*
第十二期セロヴァイヤー観測局からセロヴァイト執行協会本部へ。
渡瀬拓也、及び神城啓吾、そして焔が、
【界の狭間】にて、朧と交戦開始――。
「狭間の番人」
朧の進撃を、焔は神速の速さを持って真っ向から受け止め返す。
互いに牙を剥き出し、遥か彼方の過去を思う。
「血迷ったか、焔」
朧のその問いに、焔は笑う。
「確かにな。貴様と本気で牙を交えるのは一体幾年振りか」
互いの爪が相手を切り裂くために蠢いている。
「貴様が我の忠告を無視し、使命を捨て人間の手先に成り果てて以来だ」
「馬鹿を言え。誰が人間の手先になど成るか」
朧は再度問う。
「ならばなぜ貴様は我に牙を剥く。ならばなぜ貴様は使命を捨てた。ならばなぜ、貴様は【掟】を破る」
真紅の竜は目を細め、白銀の竜を見据える。
「おれが貴様に牙を剥くのは貴様が邪魔だからだ。おれが使命を捨てたのは己の欲望のためだ。おれが【掟】を破るのは、己の最も大切なものを守るためだ」
「――下らぬ。そんなことのために、そんなもののために、貴様は死ぬと言うのか」
「誰が死ぬものか。死ぬのは貴様だ、朧」
朧は鼻で笑う。
「貴様が今まで一度でも、我に勝ったことがあるか。……奢るな、焔」
白銀の竜がその翼を広げて上空へ飛翔し、真紅の竜がそれを追う。
空中で二匹がぶつかり合った瞬間に白い閃光と赤い火花が飛び散り、互いに旋回しながら獲物を再度視界に捕らえ、翼を同時に羽ばたかせて激突し、さらに旋回して空中戦を続ける。繰り出された尻尾を避けた焔が朧の懐に潜り込む。その突進を朧が阻止するために、振り抜いたはずの尻尾を強引に力で捻じ曲げて軌道を変え、真下から焔を狙う。それに気づいた焔は自らの尻尾で攻撃を防ぎ、口を抉じ開けて白銀の体に牙を剥く。しかしその牙は空を切り裂き、朧が翼を折り畳んで高速落下を開始する。その意図を察した焔も翼を閉じて急降下で地面を目指す。
それは、焔と朧の間で行われるある種の度胸試しのようなものだった。簡単に言えばチキンレースの垂直版である。漆黒の空間が作り出す地面に二匹の竜が同時に突っ込んで行き、数ミリ単位の距離感で互いに激突を回避する。左右に別れた二匹はまたしても体の向きを同時に変え、全くの同時に口を抉じ開け、真紅の竜はオレンジ色の、白銀の竜は白色の光を喉の奥底に収縮させ、それを同時に撃ち放つ。
炎の弾丸と氷の弾丸が空間を切り裂いて激突する。その衝撃で時空が出鱈目に歪み、そこから小さな雷が巻き起こった。雷は空間の歪を修復するために活動し始めるが、その作業が終るより速くに二匹の竜は次の攻撃に移る。相殺した互いの弾丸から発生した煙を完全に無視し、絶対に向こうも同じことをするという確信の下にそこへと突進する。爪が重なり合う音が響いた刹那に突風に煽られて煙が吹き飛ぶ。
僅かに距離を取って互いを睨みつける二匹の竜の体から殺気が迸り、破壊を齎す咆哮を上げる。それに共鳴するかのように焔の体を劫火が渦巻き、朧の体には冷気が取り巻く。空間で劫火は冷気を燃やし尽くし、冷気は劫火を凍りつかせる。互いに一歩も譲らない殺気を放ち続けて相手を威嚇する。何かの拍子でその均衡が崩れた瞬間が、どちらかが死にどちらかが生き残るかを決する瞬間である。二匹は静止したまま動かない。その沈黙が何よりも恐ろしく、そして劫火と冷気が何よりも強い。
そんな光景を離れて見ていた拓也が一言だけ言葉を漏らす。
「――……すげえ」
遠く離れているのにも関わらず、こちらまで放たれている殺気がまるで拓也を絞め殺すかのように蠢いているみたいだった。焔は紛れも無い最強である。しかしわかってしまうのだ。焔は一歩も譲らないが、それでも確かに押されている。最強だと思っていた焔を越える存在がそこにいる。紛れもない化け物が、そこにいるのだ。そんな化け物と焔は戦っている。拓也には到底辿り着けない領域の戦いだ。すべてを決する戦いは、拓也が想像していたものより遥かに凄まじかった。拓也は無意識の内に拳を握り締め、今までには浮かべたことのない笑顔を浮べる。
戦いたい。ただ純粋にそう思う。恐らく、自分一人では焔にも、ましてや朧になんて絶対に勝てないだろう。悔しいがそれは認める。だが今の状況はそうではない。敵はただ一人、朧だ。自分と啓吾と焔の史上最強のタッグで臨む相手にとって不足は無い化け物である。麻桐と戦ったときと同じ状況に陥った。体は焼けるくらいに煮え滾っているのに、頭の中が嘘のように冷たい。そしてその冷たい中では一途に考えている。戦いたいのだ。考えもクソもない。ただ信念の下に戦いだけを望む。ここで戦わなければ男じゃない。
隣にいた啓吾も、拓也と全く同じことを考えていたのだろう。その顔が、笑顔に染まっている。
啓吾は目の前の戦いを見つめながらつぶやく。
「……拓也は、強くなった?」
同じく最強の戦いを見つめながら答える。
「……当たり前だ。孤徹を完璧に理解したぜ」
「特性は?」
「攻撃の吸収と爆散」
啓吾の視線が拓也へと向けられる、
「吸収と爆散って……それは攻撃を受ければ受けるほど威力が増すって意味だよね?」
拓也が肯くと、啓吾はその一瞬で戦闘状況を頭の中に思い浮かべた。
「だったら、拓也は防御に回って。朧の物理攻撃を片っ端から吸収して最後の一撃に使う。それが切り札になる。氷の弾丸と冷気は焔に全部任せればいい。焔には防御と攻撃の両面を全面的にサポートしてもらう。……悪いけど、最初の美味しい場面は全部おれが掻っ攫うよ。風靭が早く戦わせろってうるさくてさ。質問や口答えはナシ、そんじゃ――行こうか風靭」
啓吾がその場で一振りの刀を掲げた。
刹那に啓吾の体から突風が舞い上がり、風が見えないカマイタチを形成する。その数は瞬時に膨れ上がって移動を開始し、啓吾にゆっくりと纏わり付く。触れるものすべてを切り裂く風の鎧を身に纏い、啓吾が跳躍する。風を操って空を飛ぶように睨み合う二匹の間に割って入り、踊るように踵を返す。刀の向きを変え、切っ先を真っ直ぐに朧へ突きつける。
啓吾が震えている。恐いのではない。嬉しいのだ。
「焔、戦闘開始だ」
肯く焔を見据えながら、朧が冷気を放つ。
「人間風情が我に刃を向けるか。その愚行、死を持って後悔するがいい」
刹那に朧の体が翻る。尻尾が遠心力にものを言わせて強靭な一撃と化す。
人間の目では到底追いつけない速さで繰り出されるその攻撃を、啓吾は見るのではなく体全体で感じ取る。風がすべてを教えてくれるのだ。大気を動かさずに移動できるものはこの世には存在しない。幾ら速くても、全く見えなくても、音が聞こえなくとも、そんなものは関係ないのだ。風靭の前にはどんなものの動きでも手に取るようにわかる。速さなど無意味だ。風を極めた者が到達する領域。風靭と同調した啓吾は、その領域に達している。啓吾は目を閉じながら刃を地面に突き立て、体を浮かせその一撃をかわす。
朧が不可解そうに目を細めたその瞬間に、啓吾が刀を振るう。それが合図となり、啓吾を纏っていた風が牙を剥く。合計で十八枚のカマイタチは容赦無く空間を切り裂き、朧の体を切り刻む。すべてのカマイタチが朧の体に命中し、鉄を抉るような鈍い音が響き渡って火花が飛び散った。完全な手応えを感じ、啓吾が笑う。しかしカマイタチがすべて無くなったそこから現れるのは、切り傷程度しか傷を負ってない白銀の巨体である。しかもその傷は一瞬で癒え、今度は朧が口を裂かして笑った。
朧が牙を研ぎ澄ます。宙に浮く啓吾へと口を抉じ開けながら首から上に狙いを定める。幾ら攻撃が見えなくても、啓吾は風を感じて避けることが可能だった。だが、朧の攻撃は速過ぎたのだ。朧の動きを見極められても、体がそれについて行けない。加えて攻撃が命中したことに無防備な体勢を晒したのが致命的だった。瞬きをする暇も無い速さで突っ込んで来る牙をどうすることもでず、全神経を集中させて啓吾が風に意識を送り込んだ瞬間、漆黒の鉄甲が啓吾と朧の間に割って入った。
拓也が両腕に装着された孤徹で朧の突進の衝撃を完全に吸収し、その動きを封じる。しかしそれで終る朧ではない。一瞬の停止の後、目前にいる敵を睨みつけながら圧倒的な量の冷気を放ち、空気そのものを凍りつかせて拓也の体を包み込む。冷気は物理攻撃ではない。孤徹ではどうしようもない攻撃である。が、そんなことは最初から百も承知。自分の役目は物理攻撃を吸収するだけだ。ここから先は、焔の役目だ。
拓也の後ろから劫火が荒れ狂い、冷気を片っ端から燃やし尽くす。白銀の竜が鉄甲から後退した刹那に、拓也の横を通り抜けて真紅の竜が追撃をかけた瞬間に朧の口から氷の弾丸が吐き出され、焔が炎の弾丸で対抗する。空間を揺るがす衝撃の中、煙が舞い上がったその上空から啓吾が朧の脳天を狙う。朧がその接近に気づいたときにはもう遅い。朧の脳天を風靭の刃が一直線に貫、
抜かなかった。朧の鱗は、鋼鉄以上の強度を持っていた。ただの斬撃など、焔には通用しない。ガリィッ、と気味の悪い鈍い音が響いた際に啓吾のバランスが崩れる。朧の視線が啓吾の注がれ、
焔が朧に体当たりをかける。轟音の後に白銀の体が宙を舞い、落下途中の啓吾が風を一箇所に凝縮させて朧にぶち当てた。その質量に押し潰され、巨体が地面に這い蹲った瞬間に焔が牙を剥き出しにして追い討ちに出る。しかし朧は不可能と思える体勢から驚くべき速度で身を翻し、尻尾で真紅の竜を薙ぎ払う。真横に吹き飛ぶ焔を横目に、爆発的な咆哮を上げて啓吾に飛来する。
しかしそれは啓吾に到達する前に拓也によって再度阻止された。朧の体から発せられるすべての衝撃を吸収し、目前に捕らえたその氷の眼光を見据えながら拓也は拳を打ち込む。だがやはり、朧には普通の攻撃は通用しなかった。鋼の鱗には傷一つつかない。拓也が戦った羅刹とはまた違う。攻撃そのものが通用しないのだ。人間が直接的に振るう攻撃では、朧には絶対に勝てない。だったら、自分は最後の一撃にすべてを賭けるしかない。役目は徹底的に防御に専念し、爆散の威力を極限までに高めることだ。それまでは啓吾と焔の役目である。今はまだ、自分の出番ではない。
拓也の視界の隅で真紅の竜が口を抉じ開けて炎の弾丸を吐き出す。
拓也がつぶやく。――ぶっ倒せ、焔。
焔の攻撃に気づいた朧は首を力任せに振り回して拓也を弾き飛ばし、翼を広げて再度飛翔する。炎の弾丸の軌道から外れた朧が口を開け放って焔に対抗するべく喉の奥底に白色の光を収縮させた。そうはさせない、と誰もが思う。啓吾が風を操り、炎の弾丸の軌道を捻じ曲げる。朧に狙いを固定して加速させ、その周りにカマイタチを纏わせる。再び突っ込んで来る炎の弾丸に勘付いた朧が翼を広げて軌道から逃れようと、
そうはさせない。焔が朧の頭上に回り込み、その背に乗っていた拓也が落下する。上へと飛び上がるために生じた衝撃を完璧に吸収して朧の動きを止め、体を捻って地面に向かって落ちていく。拓也が地面に激突する瞬間に啓吾の風が勢いを殺してくれた。空中で一瞬だけ停止したその瞬間が朧の命取りだ。焔の放つ劫火が冷気を覆い尽くしてすべての動きを封鎖する。
炎の弾丸が朧を捕らえ、カマイタチが白銀の体を抉り取りながら爆発する。炎と煙が渦巻く中で爆音が弾け続けていた。
しかしこれで終るとは思ってもいない。拓也が孤徹を前に差し出した刹那の内にカマイタチが発生し、漆黒の鉄甲に斬撃に似た衝撃を送り込む。その衝撃を一瞬たりとも逃さずに拓也は吸収し、爆散の威力を高める。焔が地面に下り立ち、孤徹へと巨大な一撃を繰り出す。孤徹が無かったら一瞬で体中の骨が砕けるような衝撃を受けてもなお、鉄甲は傷一つ残さずに吸収する。爆散の準備は整った。残るは、それを確実に朧に打ち込むことだ。
煙の中から白銀の竜が姿を現し、全身から煙を噴き出しながらも朧は牙を剥いて咆哮を上げた。体を覆う炎を自らの冷気で氷漬けにして無傷の状態にまで引き戻す。
そして、その眼光から光が消えた。それだけではない。朧の全身から冷気は愚か殺気までもが消え失せていた。白銀の竜がその場で完全に停止してしまったのだ。
まさか死んだのはないか。そんな考えが脳裏を過ぎった刹那、
「――逃げろッ!!」
焔の怒号を聞いたときには拓也の体が吹き飛んでいた。
目の前にあるものが何なのかまったくわからなかった。それが朧の顔だと気づくまでにかなりの時間が必要で、気づいたときには漆黒の空間が作り出す壁へと激突していた。目の前が一瞬だけ空白に染まり、口から驚くほどの血が噴き出す。虚ろな視界の中で信じられない速度で動く白い影は、次の獲物を啓吾と見なして行動を開始する。虚ろな視界で見ているその白い影は、朧の残す残像でしかないことを拓也は最後まで気づかない。啓吾へと到達した朧は問答無用で拓也とは逆側の壁へと弾き飛ばす。風靭が高々と舞い上がって地面に突き刺さるのが最後の合図だ。
氷の眼光が糸を引いて漆黒の空間を横切る。焔が神速の速さで飛翔し、しかし朧はそれに一瞬で追い着き、そして追い抜く。炎の弾丸が撃ち出されるのと氷の弾丸が撃ち出されるのは同時だが、その威力が全く違った。氷の弾丸は圧倒的な力で炎の弾丸が砕き去り、真紅の竜の目前で炸裂してその体を冷気の塊が飲み込む。焔が地面に落下する際に朧は追い討ちをかけ、懇親の力で攻撃を加える。焔が地面に激突した瞬間に轟音が響き渡る。その真紅の体からは劫火が消え去っており、それどころか所々が氷に侵食されてしまっていた。
一瞬の内に敵を一掃した朧は上空に飛翔したまま咆哮を上げる。それは、今まで戦っていた朧ではなかった。吹雪のような冷気を身に纏い、何もかも凍りつかせる眼光を宿らせ、空間そのものを凍死させようとしている。その姿が、いつか見た焔と重なる。啓吾が脱落したあの日、紀紗のストッパーが外れて暴走した焔と、今の朧が完全に一致していた。予想外の攻撃を受けたことに朧の知性と理性が崩壊したのだ。それは抑えられない本能となって暴走する。朧の本能は焔と全く同じだった。敵は皆殺し。それだけだ。
体が言うことを聞かない。今すぐにでも起き上がって孤徹を叩き込まなければならないのにどうしても動かせない。この一撃でいいのだ。衝撃を吸収した今の孤徹でなら朧を倒せる。この期を逃せばもはや勝ち目はなくなる。自分が動くしかない。今の状況をどうにかできるのは孤徹しかないのだ。動け、動け、動いてくれ。地面に横たわったまま歯を食い縛り、拳を握り締める。足が僅かに動く、だいじょうぶだ、行ける。
ゆっくりと体を起こしたその瞬間に、上空から殺気を伴う眼光が拓也を射抜いた。
息が詰まる、体が束縛される。痛みからなる束縛ではない。いつの間にか拓也の体を冷気が渦巻いている。まるで啓吾が操る風のように、冷気は意思を持って拓也の体を完全に束縛していた。上空で朧が翼を折り畳む。とんでもない速さで一直線に拓也目掛けて落下してくる。どうすることもできなかった。反撃することも避けることも、そもそも動くことすらできなかった。空を切り裂きながら朧が牙を剥く。その牙が一瞬で拓也に到達し、
赤い血液が舞い散る。
目の前の光景が、すぐには理解できなかった。朧の牙は、焔の肩口を噛み砕いている。そこから噴き出した血が拓也の顔を染め上げ、絶叫にも似た咆哮が焔の口からあふれ出た。狙いは違えど、一度捕らえた獲物を朧は簡単に逃しはしない。強靭な力を持って焔の体を貪ると、海老の甲羅を砕くような音が響き渡った。
呆然とつぶやく。
「……ほむ、ら……?」
朧に肩口を噛み砕かれながらも、焔は笑う。
「……決めろ、小僧」
視線を朧に向け、真紅の竜が吼える。
「終わりだッ!! 朧ッ!!」
焔が咆哮を上げ、口を抉じ開けて至近距離から最大級の炎の弾丸を朧に撃ち出す。それに気づいた朧が上空に逃げ出そうと、
――遅い。炎の弾丸が朧の顔面を捕らえて爆発する。力を弾き出した焔が血を噴き出しながらその場に倒れ込み、眼光を閉じた。しかし撃ち出された弾丸はその威力を完全に発揮していた。爆風と轟音が巻き起こるその中で、拓也は啓吾の叫びを耳にする。視線を移したそこに、突き刺さった風靭を手に取って踊るように踵を返す啓吾を見た。風靭の刃が天から地に振り抜かれ、そのまま切っ先が濛々と煙が舞い上がるその場所へ向けられる。瞬間に風が吹き荒れて煙を吹き飛ばし、そこから現れるのは顔面を溶岩のように溶かした白銀の竜だ。
啓吾が残りの力を振り絞り、風靭と最後の同調を開始する。それに応えるかのように風靭は満面の笑みで叫び返し、風を意のままに操った。辺りに存在するすべての風が凝縮され、竜巻にも似た突風が朧を完全に覆い尽くして動きを停止させる。突然の拘束に我を忘れ、朧が力の限りに風を振り払おうと身をもがくが啓吾は逃がさない。朧が暴れる度に風の強度が硬くなり、しかし同時に風靭の刃に亀裂が生じる。それでも啓吾は同調を止めない。風靭が最強の相棒だと信じるが故の行動。勝ち抜けと叫ぶ風靭の意思を無駄にはしない。最後の力を有りっ丈注ぎ込んで、暴れる朧を完全に静止させた。
ここで動かなければ、自分に生きる価値はないとすら拓也は思う。孤徹を地面に打ち付けて舞い上がり、朧の脳天に降り立つ。見下げられることが気に食わないのか、朧の眼光から圧倒的な殺気が迸る。身動きはできないでも冷気は一瞬であふれ出し、朧に触れている両足が徐々に凍りつき始めた。それでも拓也は引かない。殺気はこれ以上ないくらいに恐ろしいし、冷気はこれ以上ないくらいに強い。
しかしそれでも、これが最後の好機だ。例え精神がイカれようが体が凍りついて砕けようが知ったとこではない。この一撃に、すべてを賭けてぶっ倒す。
孤徹を振り上げる。頭の中には孤徹の叫びが響き渡っている。守り抜け、と。今はいない紀紗を思う。待ってろ紀紗。今すぐにこいつをぶっ倒してお前と焔を会わせてやるから。約束は死んでも守ってやる。だからお前は笑ってくれ。紀紗には、笑顔がいちばん良く似合うから。守ってやる。おれが、お前を守り通してやるよ。この漆黒の二体一対の鉄甲、我が最強の相棒と一緒に。――食らえ朧。これで、終わりだッ!!
朧の脳天を目掛けて、孤徹を叩き込む。
刹那の一秒、孤徹が爆散する。この戦いで吸収し続けてきた衝撃が一陣の衝撃波となり一気に吹き抜ける。それは朧の外部ではなく、内部を木っ端微塵に砕き去った。衝撃波は朧を突き抜けて波紋のように辺りを舐めて消える。空間を揺るがす衝撃音の後に白銀の体の至るとこから何かが圧し折れる音が響き渡った。僅かな静寂が過ぎたとき、氷の眼光から光が失われ、口から大量の血液を吐き出しながら朧の体がゆっくりと傾いて倒れていく。その途中、拓也の腕から骨が軋みを上げた。羅刹を倒したときよりも遥かに大きな爆散は、拓也の右腕を完全に砕いていた。
朧が地面に倒れ込んだのと同時に、その周りを纏っていた風が消える。背後で何かが砕ける音が聞こえた。それは、風靭の刃が砕ける音だった。啓吾の手に握られていた一振りの刀は形を失って緑の光の粒子となり、意思を持って漂いながら拓也の下へと向かう。その光を見送りながら啓吾はひとり、「じゃあね、風靭」と笑って倒れた。横たわりながら啓吾は笑い声を漏らし、今は無い風靭を思って掌を握り締める。
風靭のヴァイスが拓也の体内に戻ってくる。それを感じた刹那に、拓也の体から緊張の糸が完全に切れた。啓吾同様にその場に倒れ込み、漆黒の空間を見据える。右腕が本当に動かない。今度は何かで束縛されているのではない。痛みのあまり動かせないのだ。指を少し動かすだけで全身を激痛が駆け巡って蝕む。しかしもういいのだ。朧はぶっ倒した。これで何もかも巧く回るのだ。第十二期セロヴァイヤー戦優勝者・渡瀬拓也の役目はあと一つだけ。願いを叶えよう、そして約束を守ろう。家に帰ったら卵焼きとベーコンを焼いてやろうではないか。それを頬張っている紀紗の顔と、何も言わずに黙々と食べる焔の姿が、
骨が砕ける音を聞いた。思考が凍りつく。
全身の骨を砕かれたのにも関わらず、朧は立ち上がる。
体を自らの冷気で凍りつかせ、感覚をすべて捨て、朧は再び戦闘を開始する。朧はもはや立っているのがやっとなのだということはすぐにわかった。しかしそれでも、拓也は右腕が使いものにならず孤徹も使えない、啓吾は風靭を失っているし、焔はまだ倒れたままだ。立っているのがやっとの朧でさえ、起き上がった白銀の竜を相手にできる者は、ここには誰一人として残ってはいなかった。
孤徹の爆散が弱かった、と今更に悔やんでも仕方が無い。もっと威力が高くても恐らく朧は起き上がるのだろう。朧は、意識を完全に失っている。それでも朧を突き動かすのは本能だた一つだ。敵は皆殺しにする。たったそれだけの命令の下に朧はなおも活動している。首から下が完全に凍りついているのに、朧は首だけを起用に回して拓也の体を視界に捕らえた。口を抉じ開け、喉の奥底に白色の光を収縮させる。
逃げれなかった。起き上がろうとすると右腕から激痛が伝わって動くことすらできない。啓吾がこの事態に気づいて走ろうとするが間に合わない。セロヴァイヤーではなくなった啓吾にできるこは、もう何も残っていないのだろう。
最強のタッグで望んでも、朧には勝てなかった。朧はやはり、化け物に他ならない。白銀の竜の口から氷の弾丸が吐き出される。それが拓也の目前で炸裂する瞬間、劫火がそれを覆い尽くして消滅させた。状況を一発で理解し、拓也が視線を向けたそこで、真紅の竜が起き上がる。肩口の傷などものともせず、すべての力を注ぎ込んで劫火を身に纏い、灼熱の眼光を宿らせ、己の大切なものを守るためだけに焔は戦う。
焔を突き動かすは一つの信念。――紀紗のため。ただ、それだけだ。
真紅の竜と白銀の竜が対峙する。
「……貴様のそんな姿など、見たくはなかったぞ」
焔のその言葉は朧には届かない。
朧は咆哮を上げ、再び氷の弾丸を撃ち出すために白色の光を収縮させる。
「言葉まで失ったか。……だが、言ったはずだ。おれは最も大切なものを守るのだと。そのためには貴様が邪魔なのだと。遥か彼方から続くおれと貴様の関係に終止符を打とうではないか。おれが唯一尊敬した貴様に、ここで別れを告げる」
撃ち出された氷の弾丸を劫火で一蹴し、焔が口を抉じ開けてオレンジ色の光を収縮させる。
【界の狭間】を越えて対立した世界を乱す者が現れないように生み出された二つの番人。狭間の番人、真紅の竜・焔、そして白銀の竜・朧。一体何の因果だったのだろう。こんなことになるのなら番人に自我など必要なかったのではないだろうか。もし自我がなければ、こんなことにはならなかったのだろう。なぜ、意識を持ったときからずっと共に過ごしてきた友を自らの手で殺さねばならないのだろうか。最も尊敬し、最も慕い、最も近かい存在。それが朧であり、そして焔だった。しかしいつしか二つの自我に歪みが生じ、こういう事態を招いてしまった。それは人間に加担した焔に責任があるのだろう。
しかし、焔は見つけたのだ。すべてを捨ててでも守り抜こうと思える、最も大切な存在を。その存在のためならすべてを捨てられる。そう、過去さえも。朧と過ごしたすべてに、今ここで終止符を打つ。最も尊敬し、最も慕い、自らと最も近い存在は、ここで消え失せる。
すべてを断ち切る刹那、
焔は、言った。
「――…………すまない、朧」
空間が劫火に包まれ、白銀の竜が砕け散る。
紅蓮に染まるその中で、焔はただ、泣くように咆哮を上げた。
◎
緑の光の粒子に包まれ、拓也が転移された場所は学校の教室くらいの大きさの部屋だった。ただ、その部屋は天井にも床にも壁にも隙間無く鏡のようなものが埋め込まれており、拓也からは合わせ鏡のように同じものの繰り返しにしか見えない不思議な所だった。しかしそれでも複数の人の気配を感じるのがどこか異様である。恐らく、拓也からは何も見えないがこの鏡の向こう側にいる者は拓也をしっかりと視界に捕らえているのだろう。マジックミラーみたいな構造なのだと思う。
その部屋の中心に立っていた拓也から第十二期セロヴァイヤーに与えられた九個のヴァイスが排出され、ゆっくりと漂いながら鏡の向こうに消えていった。その中には孤徹も含まれているはずで、もう二度と出会うことのない最強の相棒へ心の中で別れを告げる。一ヶ月にも満たない時間しか共にいなかったが、孤徹はもはや拓也の一部になっていたし、本音を言ってしまえば打撃型セロヴァイト・孤徹を手放したくなかった。だけど決めたのだ。ここですべての踏ん切りをつけなければならない。
僅かなノイズの後、マイク越しのような男の声が聞こえた。
『我々はセロヴァイト執行協会本部だ。おめでとう渡瀬拓也。君が第十二期セロヴァイヤー戦優勝者であり、同時に初めてここまで辿り着いたセロヴァイヤーだ。【界の狭間】の朧を倒し、よくぞここまで来た。誇りに思いたまえ』
演説臭いその喋り方がなぜか気に食わなかった。
『それでは早速に望みを言いたまえ。朧がいない今、我々の力を持ってすれば向こう側の世界など簡単に操作できる。さあ、君の望みは何だ?』
拓也は一秒も待たなかった。焔と共に決めた望みを口にする。
「あんたらが第十二期セロヴァイヤーに選んだ、七海紀紗の心臓の病気を治して欲しい」
鏡の向こうでざわめきが漏れた。当然の反応だろうと拓也は思う。世界を左右できるほどの望みを叶えることができるのにも関わらず、目の前にいる向こう側の世界の人間はたった一人の少女を守るためにそれを棒に振るったのだ。この男には欲望が無いのではないか、そう考えさすには十分過ぎる望みである。しかし拓也にしてみればそれは世界征服なんかよりも遥かに大きな望みであり、同時に絶対に叶えねばならない望みなのだ。
マイク越しに聞こえる男の声が僅かに同様していた。
『そんな望みでいいのか? よく考えたまえ、望みは一つしか叶えられ、』
男のその言葉が癇に障る、
「黙れ。何も知らねえお前らが偉そうなことを言うな」
『――……よかろう。後悔はしないことだ』
誰が後悔などするものか。それが今、自分が叶えるべき望みなのだ。
頭の中で、焔との会話が再生される。焔は言ったのだ。
朧が消滅したということは、この【界の狭間】で【掟】を貫き通す者が必要になるということだ、と。それができるのはおれしかいない、だから紀紗の望みを叶えることはできない。それより紀紗の病気を治してやってくれ、紀紗が死んではおれが朧を殺した意味が無くなる。だから小僧、恥を承知で貴様に頼む。紀紗を、守ってやってくれ、と。
紀紗との約束を守ることができなかったのが唯一の心残りだ。後悔があるとすればそれである。紀紗と焔をもう一度会わせてやることが、自分にはついにできなかったのだ。それだけのために戦ってきたというのに、なぜたったそれだけのことが叶えられなかったのだろうか。ただ、焔は言う。もし自分と紀紗がまた会っても、遅かれ早かれ別れがくる、だったら会わない方がいい、と。焔の言いたいことはわかる。紀紗の病状は焔の力を持ってしてもどうしようもない段階にまで悪化している。もし紀紗と焔を出会わせてやっても別れは必ずくるのだ。そのときに悲しむには他の誰でもない、紀紗である。紀紗の泣き顔を、焔は見たくないのだろう。
しかし、それでは紀紗の気持ちはどうなるのだろうか。焔ともう一度会って今までのお礼を言いたいと泣いた紀紗の涙は、どうなってしまうのだろう。そのことも焔には話した。だがそれでも、焔は断固として譲らない。朧を消滅させた責任を取るのは自分しかいない、と最後まで首を縦に振らなかった。ただ、焔は言うのだ。もし紀紗が本当にお礼を言いたいのならいつか必ず自分の手で【界の狭間】に辿り着く、そのときに聞いてやる、と。焔も紀紗と会いたいのだろう、と拓也は思う。拓也同様に、焔もそのためだけに戦っていたのだから。
ならば自分は、焔の言葉を信じよう。いつか必ず、紀紗が自らの手で焔に出会うための道を切り開くのなら、それを見守ろう。そのためには時間が必要だ。今の紀紗にはその時間さえも残されていない。だったら、その時間を与えよう。だから紀紗の病気を治そう。そして紀紗が焔に出会えたとき、状況は違えど間接的に約束を果たしたことにもなるのだろう。そう考えるのは、卑怯なのかもしれない。だけどやはり、紀紗を大切に想う一人の者として、最終的には焔のようにその考えに辿り着くのだった。
紀紗にはずっと笑っていて欲しい。たったそれだけを願い、望み続ける。
*
アパートの一室で、ベットの上の毛布に包まってイルカのぬいぐるみを抱き締めながら、紀紗は一人寝息を立てている。
そんな静かな部屋の空間がぐにゃりと歪んで緑の光の粒子があふれ出し、紀紗の体をゆっくりと包み込む。数秒後にその光はパァアっと弾けて、拓也の望みを正確に叶えた。紀紗を縛るものは、これで本当に無くなったのだ。紀紗は自由になる。卵焼きだってお腹一杯食べられるし、小鳥のようにくるくると回りながら歩き出すこともでき、雨の日に出歩くことだってできるのだ。
そして何より、これからずっと、紀紗は笑っていられる。小さな世界の鍵は完全に開け放たのだ。
紀紗はどこにだって、旅立って行ける。
窓の外から朝日が昇る。綺麗な朝靄に照らされるその中で、紀紗は寝言をつぶやく。
「…………………………焔…………………………」
イルカが「きゅー」と鳴き声を漏らした。
世界に光が射し込む。紀紗はどこにでも、羽ばたいて行ける。
*
それでは縁があればまた会おう、渡瀬拓也。
そんな声を最後に、拓也の体は再び転移されることになる。これも焔が言っていたことなのだが、セロヴァイト本戦というのはある種の賭け試合のようなものだそうだ。不正一切無しの向こう側の世界の住人による賭け試合。それはある種の戯れであり、ある種の情報収集だった。ある日、焔はその話を向こう側の人間に持ちかけられた。セロヴァイトを送り込むためには番人の許可が必要である、しかしタダでその許可を貰おうとは思っていない、どうだろうか、焔もセロヴァイトと成り戦いを楽しんでみないか。その頃の焔は、朧と共に暴走することに不満を感じていた。偶然が重なり合った結果だったように思う。新たな戦いに導かれ、焔は人間側の誘いに乗る。そして二つの番人の間に大きな亀裂が走ったのだ。時が流れ、セロヴァイト戦も十二回目を迎えたそのとき、焔は七海紀紗と出会う。あとは知る通りだろう。
結局の話、何が正しくて何が間違っていたのかは最後までわからなかった。朧は【掟】を破る者を排除することに殉じただけ。そう考えると正しいのは朧だったのかもしれない。しかし見方を少しでも変えればそれはまったく違う答えになる。大切なものを守るために戦った焔もそうだ。己が信じた道を辿ることが正しいのか、それともそれ自体がそもそもの間違いなのか。それは、誰も正確な答えを返せない問いなのだろう。だったら、己が信じた道を進むしか方法はないのである。そして拓也も啓吾も、そして焔も朧も、己が信じた道を行ったのだ。
【界の狭間】に転移される。そこにはまだ焔がいてくれた。しかしどこを見渡しても、啓吾の姿が見えなかった。
その意図を察したのか、焔は言う。
「神城なら先に貴様等の世界に帰しておいた。ヴァイスを持たない奴を留めておくのは限界だったからな」
だったら自分もそう長くはここにはいられないのだろう。自分の体にはもうヴァイスは無い。
しかし最後にこれだけは、もう一度だけ聞いておきたかった。
「……本当にいいのか、焔。紀紗に会わなくても……。お前がその気になれば、」
「言うな小僧。おれはもう幻竜型セロヴァイト・焔ではない。本来の姿、狭間の番人・焔だ。番人ならば【掟】は絶対。朧がいない今、対立を乱して貴様等の世界には行けん」
それにな、と焔は笑う。
「紀紗は強い。おれが唯一認めたセロヴァイヤーだ。必ずおれに会いに来る。今はそれだけで十分なのだ」
灼熱が宿るその眼光は、誰よりも紀紗を認めている。
笑い返すしかなかった。
「そうか……。それにしてもあれだな焔。お前、キャラ変わったよな」
「……そうかもしれぬな」
「何だよ、怒らねえのか?」
焔は答えずに視線を拓也から外す。
そして随分と何かを悩んでいるような間を置いてから、焔は言った。
「……紀紗に、伝えて欲しいことがある」
「伝えて欲しいこと?」
そして飛び出してきた言葉は、焔からは想像もつかないものだった。
「ありがとう。それと…………お前と出会えてよかった」
茶化す場面ではない、というより、茶化せなかった。
最強のセロヴァイトからの、最後の頼みだ。
「……おう、約束する。絶対に伝える」
「礼を言う」
刹那に、拓也の体から緑の光の粒子があふれ出す。
別れの時間だった。最後にどうしても、聞いておきたいことがある。
「なあ、焔」
「なんだ」
「紀紗がここに来るとき、おれも一緒に来ていいか?」
面食らったように、焔が目を丸くする。しかしすぐに体に劫火を纏わせて焔が笑う。
「よかろう。来れる度胸があるのなら来い。だがそのときは覚悟しておけ。紀紗以外の人間が対立を乱すのなら、おれは容赦なく殺すぞ」
拓也は満面の笑みで笑い返して拳を突き出す。
「上等だぜ。……――じゃあな、焔」
「ああ。じゃあな、小僧」
最後の最後までお前、おれのこと名前で呼ばなかったな。
そう言おうとしたときにはすでに、視界のすべては緑の光の世界に染まっていた。真紅の竜がその中に飲み込まれて消えた。そしてその光は一瞬で霧散し、気づいたときにはどこか知らない山の中に突っ立っていた。辺りを見回して初めて、すぐ側に啓吾がいることに気づく。ここがどこなのかと聞けば、啓吾は「知らない」と言って苦笑する。あの野郎、最後の最後まで迷惑かけやがって、と拓也は悪態をつく。
見知らぬ森に朝日が射し込んで来る。朝靄の光に身を預け、拓也は天を仰ぐ。まるで夢のように過ぎた一ヶ月だった。ある日送られてきた封筒に入っていたビー玉を食ったらセロヴァイヤーになって。セロヴァイトを具現化させて戦って。何度も死にそうになって。でも最後にはこんな清々しい気分になっている。そこまでの仮定がどうであれ、終わり良ければすべて良し、ではないだろうか。朝日の中に真紅の竜を思う。紛れもない最強のセロヴァイト・焔。いや、狭間の番人・焔だ。いつか必ず紀紗と共に会いに行ってやるから覚悟しておけ。そのときは目一杯茶化してやるからな。今までの仕返しだ。
深呼吸を一度だけする。息を吐いたそのとき、拓也は踵を返す。
「さて、アパートに帰るか。紀紗が待ってる」
そして帰ったら、卵焼きでも作ってやろう。
もちろん、ベーコンも一緒に。
「エピローグ」
第十二期セロヴァイヤーによるセロヴァイト本戦が行われてから三ヶ月。
この世界に、春が訪れようとしていた。
ずっと前から渡されていた合鍵で紀紗はドアの鍵を外し、ドアノブを回しながら部屋の中に入る。電気を付けながら部屋を横切り、いつもの特等席であるベットの上に座り込んでそこにいたピンク色のイルカのぬいぐるみを抱き寄せる。ぎゅっとするとイルカは「きゅー」と鳴いた。その鳴き声とこの抱き心地が紀紗は好きだ。気持ちいいし可愛い。それにここにいるときはこうしているのがいちばん落ち着く。
やっと着慣れた学校の制服のスカーフを外し、長い髪を舞わせながらベットの上に寝転がる。窓から射し込むぽかぽかの陽射しはとても心地良くて、このまま目を瞑ればすぐにでも眠れそうだった。本当に寝ってしまおうかと思って目を閉じたそのとき、玄関から物音が聞こえた。
ゆっくりと起き上がり、近づいてくる足音の先に視線を送る。どうやらこの部屋主がラーメン屋のバイトから帰って来たらしかった。
ベットに座り込んでいる紀紗を見つけると、拓也は緩やかに笑う。
「また来てたのか紀紗」
うん、と紀紗は肯く。
「んじゃまあ、いつのように卵焼きだな」
また肯くと、拓也は台所へと消えて行った。
台所から聞こえる音を耳に入れながら、紀紗はもう一度イルカをぎゅっとする。「きゅー」という鳴き声と共に、紀紗は窓から外を見つめる。雲一つない、澄み渡った青空だった。三ヶ月前、自分は確かにあの空を駆け抜けたのだ。真紅の竜の背に乗って、自由に飛び回っていたのだ。あのときだけは、無限の世界へと続く鍵を手に入れていたのだろう。ただ、少しだけ変わってしまったが、今も自分の手の中には鍵がある。無限の世界への鍵ではないが、どこにでも行ける鍵であり、そして、この部屋に入るための大切な鍵だ。
そんな鍵を自分に託してくれたことが、紀紗にとってはやっぱり誇らしくて嬉しい。
やがて拓也が卵焼きを持って紀紗の下へとやって来る。テーブルの上に置かれた皿の上には、ちゃんとベーコンも添えられている。紀紗はベットから立ち上がり、食器棚からコップ、冷蔵庫から麦茶を取り出して部屋に戻って、テーブルの上にそれを置きながら自分の分と拓也の分の飲み物を用意する。拓也の向かいに腰掛け、紀紗は一緒に食べ始める。
拓也の作る卵焼きはやっぱり美味しい。食べていると思わず笑顔になってしまう。そしてそんな紀紗の笑みを見ると、拓也も笑ってくれる。それがまた嬉しい。
卵焼きを半分くらい食べたとき、拓也が言う。
「学校には慣れたか?」
卵焼きを頬張りながら、
「うん。友達もいっぱいできた」
「そっか、よかったな」
そして紀紗の箸がベーコンを摘んだとき、心のどこかで何かが湧き上がる。
無意識の内に口はその言葉を紡ぐ。
「…………焔、どうしてるのかな…………」
一瞬だけ拓也の表情が曇ったが、それでも答えてくれた。
「たぶん……寝てるんじゃねえのか」
そうかもしれない、と紀紗は思う。焔はよく眠っていた。お昼寝が大好きだったのだ。きっとそうだ。焔は今、寝ているに違いない。そしてその夢の中で、自分のことを想っていてくれればいいと思う。紀紗も時々焔の夢を見る。それは何よりも温かくて、何よりも楽しい思い出だった。紀紗の大好きな夢だ。
「……会いに行かねえとな、焔に」
拓也のその言葉に、紀紗は肯いて満面の笑みで笑う。
窓の外には、青空がどこまで続いている。
◎
焔は言ったよね?
わたしに会えてよかったって。わたしもね、そう思ってるよ。
ありがとうって言うのはわたしだよ。
わたしの小さな世界を解き放ってくれた焔に、わたしもお礼が言いたい。
でもね、今はまだ言わない。いつかきっと、わたしが焔に会いに行くから。
そのときに焔に言うね。わたしの大好きな焔に、わたしの気持ちを伝えるの。
焔と会えなくてやっぱり寂しい。だけど、わたしには友達がいっぱいいてくれるからだいじょうぶだよ。
拓也に、啓吾に、学校のみんな。
でも、忘れないで。わたしのいちばんの友達は、やっぱり焔だから。
いつかきっと、絶対に焔に会いに行くから。それまで待ってて。
わたしの心の中には、焔がいつもいるよ。
焔の心の中に、わたしはいる? その答えをいつかきっと、聞かせて。
わたしは、絶対に焔に会いに行くから。
だってわたしは、
……――焔のことが、
大好きだから――……
*
いつかその少女が必ず訪れるだろうその場所で、
真紅の竜が、大きな咆哮を上げる――。
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2004/12/29(Wed)16:02:11 公開 /
神夜
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神夜さんにあります。無断転載は禁止です。
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■作者からのメッセージ
嗚呼、終った、やっとこさ終った……振り返ると長いなあ。ふと読み返していると、今まで書いた長編小説の中でこの作品がいちばん長くなっていることに気づく。こっちで保存したときに大体の小説は350〜450KBで納まるのですが、【セロヴァイト】は650ほどあった。こんんだけ長いの書いたの初めてだ……。ちなみに100KBでこの物語の『その七』【羅刹】くらいの長さです。ちょこっと気になってライトノベルのページ数で調べてみたら約270ページ。……長。でも、プロの小説家さん達はもっと長いのを書くんだよなあ……むぅ、やっぱすげえ。
さてはて、そんな訳で『その九+エピローグ』なのでした。自分の中で重視すべき問題は二つ。一つ目が朧との戦闘をもっと長引かせられなかったのか、ということ。二つ目がもっとドロドロとした終わり方になったもよかったのではないか、ということ。前者はあれですね、もう限界に近かったです。四人同時バトルなんて書けませんです、やっぱり(涙) 後者はなぜかすっきり終りすぎてしまった、という感が拭い切れません。もっとこう、ドロドロした終り方で締め括りかったなあ。……何てことを言っても、結局はそこが自分の力の限界な訳ですね、はい。
こんな阿呆みたいに長い物語に最後までお付き合いしてくれた皆様、誠にありがとうございましたっ!! 至らない所も多々ありますが、それでも面白いと思ってくれた方が一人でもいてくれれば感謝の極みです。たぶん、この物語が今年最後の神夜の作品でしょう。しかしまた来年も、お暇がありましたらお付き合い願えれば光栄ッス。
それでは、今までありがとうございましたっ!! 来年もよろしくお願い致しますっ!!
次は大晦日に合ったショートでも書こう、などと思いながら、神夜でした――。
……あれですね、気づいたら郵便受けに無地の封筒が入ってました。
……何だこれ?(実話)(中身は……ああ、なんだこれか(笑))
感謝のレス返しついでに誤字修正。しかし……レス返し長っ。