- 『地球は、結城とともに』 作者:もろQ / 未分類 未分類
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全角4023文字
容量8046 bytes
原稿用紙約12.85枚
暗いアパートの一角に少年が立っている。ドア、カーテン、全ての光を遮断した真っ暗な部屋で、少年は佇んでいる。これから始まる儀式に、彼の口元はほくそ笑み、体は微かに震えた。
「それでは、開始する」
声は狭い部屋にぼうっと響いた。足下にはサインペンで描かれた、幾重にも重なる魔法陣。部屋のすみにはその過程の何かに使われた、奇妙な瓶と薬剤が数個。そして少年の左手には分厚い本が一冊。部屋の中は、異常な闇と空気に包まれていた。まるで、空に仕えるはずのゼウスが地上に迷い込んだような、驚異的な世界と化していた。
少年は左手の本を開きバラバラとページをめくった。少年の目が瞬くように走る文字を追う。やがて彼の手の動きが止まる頃には、その目は邪悪と興奮で満ちていた。
しばしの静寂に、少年の深呼吸がこだまする。この呪文で、全ての人類は滅びる。それとは夢にも思わぬ地球人よ、私が息を整える間の、最後のひとときを悔いなく過ごせよ。 人類よ……………死に絶えよ!!
「………アム ファイデンス サドゥンリアロス ジャム デアロルグ…」
ガッシャーン!! ドゴッ。
「ぐはぁっ!!」
少年は唐突にやってきた衝撃に倒れた。どうにか目を開けて部屋を見回すと、カーテンに隠れていた窓ガラスは割れて、眩しい外の光が漏れている。そして床に転がっている野球のボール。
むっくりと立ち上がると、少年は鬼のような形相で部屋を飛び出した。
「どこの虫けらだ!! 出てこい!!」
少年が大声で怒鳴ると、向こうの空き地から子供の鳴き声が聴こえる。少年はそちら側をキッとにらみ、
「貴様らかぁああ!! 死ね小童ども!!!」
と右手のボールを豪速球で投げ返した。
怒りもおさまらぬまま少年は部屋に戻ってきた。
「なんなんだ一体……都合が悪すぎる。……くそっ………」腫れ上がった頭のこぶを触りながら、少年は割れたガラスを掃除した。
部屋は再度暗黒に包まれる。その頃には、彼に冷静な表情と笑みが戻ってきていた。少年は魔法陣の中央に立ち、再び本を開いた。ばらばらとページをめくるうちに、彼の目にも邪悪の黒雲が澱めきはじめる。少しの遅れを招いたが、次こそはお前達の最期だ。
地球上に生ける人類よ、ゼウスの落雷をもって死に絶えよ!!
「………アム ファイデンス サドゥンリアロス ジャム デアロルグ…」
ピンポーン。
「なんだ?!」少年は驚いて顔を上げた。玄関の向こうから来客の気配がする。
「宅急便でーす」
少年はいらいらと頭を掻き、ドアの方へ腹立たしげに歩いていった。
「お届けものです。印鑑お願いします」さっぱりとした若い配達員が、大きな段ボール箱を抱えて立っていた。少年は愚かな虫けらめ………と言わんばかりに配達員を睨みつけた。それでもなお無表情に立っている青年に、少年はしぶしぶ印鑑を手渡した。
開いている右手で、ドアを思いきり強く閉じた。そして、中身のずっしりと詰まった段ボール箱を部屋の奥に放り投げた。ドスンと地響きをたてて落ちたそれに、少年は指をさして「この愚かな地球人めが!! まるで命を乞うようだ! なんとみっともない!!」と怒鳴った。しかし箱は何も言わない。むしろ、それは少年をあざ笑うかのように床の上に寝そべっている。
ふう、と息を吐いて、少年は再び魔法陣の中央に立ち上がった。左手の本をめくる彼の瞳は、すでに濤沸しきっていた。「人類どもめ。人類どもめ。人類どもめ。人類どもめ。」バン、と右手で呪文のページを押さえつけると、少年はふっと顔を上げた。その顔はもはや邪悪の化身をかたどった形相だった。なんと愚かな人民どもよ。一度でなく二度までも命を救われようとするとは。なんと愚かな!!
私がお前達から受けた屈辱、ゼウスの電光をもって晴らそうぞ!!
「………アム ファイデンス サドゥンリアロス ジャム デアロル…」
ドカバーーーーーーン!!!
「なっ?!!」突然起こった爆発音に、少年は驚愕して振り返った。あろう事か、爆発を起こしたのは部屋の奥で寝そべる段ボール箱だった。箱は大きく破裂し、その破片が周囲にまばらに弾けている。
少年がおそるおそる見てみると、箱の中に入っていたのはとても奇妙なものだった。ひとつは弓道の矢。もはや爆発でぽっきりと折れているが、原型のイメージはどうにかできる。もうひとつはメロン。これが爆発を起こしたようだ、ぐちゃぐちゃに大破しており、煙と果汁の臭いが漂っている。なんなんだこれは……と少年は眉を釣り上げた。暗く狭い部屋に、崩れた段ボール箱、立ちすくむ少年だけが存在していた。時間はゆっくりと流れた。
始まりは小さな出来事からだった。結城はまだ小学一年生だった。ある時、クラスのみんなが放課後にサッカーをしようと誘ってきた。結城は元気な子供で、もちろん誘いにも受けた。しかしその放課後、事件は起きた。
夕日のオレンジに染まる中、結城はドリブルで相手のゴールに走っていた。だんだんと近付くゴールが心臓の鼓動に揺れる。夕焼けに濡れた風が心地よく通り抜ける。キーパーの怯えた顔をとらえながら、結城は疾風のように突き進んだ。
そのときだった。結城の視線を塞ぐように、一人の相手プレーヤーが現れた。「あっ」と結城は叫んだ。足が止まらない。止められない。ぶつかる! ぶつかる!
夜になって、結城は母と病院へ向かった。病名は頭がい骨骨折で、奇跡的に脳への損傷はなかったが、それでも回復は三か月後ということらしい。結城は、母に頭を抑えられて何度も謝った。しかし当の結城にはみじんの謝罪の意もなかった。あの時ぶつかったのは僕のせいじゃない。あいつが急に飛び出してきたからだ。僕は悪くない。僕は悪くないんだ。
結城とサッカーをしてくれる人はいなくなった。クラスのみんなは、それから結城を白い目で見るようになった。結城の机の周りはみんな避けて歩いた。結城が配る給食には、誰も手を付けなかった。みんなみんな、結城からはなれていった。ある時先生に相談したが、「お前に悪いところがあるんじゃないのか」と言ったきり助けてはくれなかった。母親にも相談しようと思ったが、言えなかった。高額の治療費をまかされて、家計は崩壊寸前だった。日に日にヒステリックになる母の姿を見て、そんな相談はできっこなかった。
結城は、ひとりでボールを蹴っていた。遠くに沈んでいく夕日とともに、結城の影も暗く細く落ち込んでいった。
少年は壁にもたれて座っていた。真っ暗な部屋で、隣には煙をまとう段ボールを置いて。彼の目には邪悪などなかった。ただ、オレンジ色の額縁に取り込まれた、自分の黒い影のみが映っていた。
僕は、あの日のみんなを恨んだ。しかし、僕は地球を恨んだか? あの日のみんなと、地球は重なったのか? もしも重なっていないのなら、僕は本当に酷い人間だ。ただの八つ当たりじゃないか。僕は、弱い人間じゃないか。
すると、少年の目は真剣になった。壁にもたれながら、真っ暗な天井を眺めている。だから、あえてもう一度唱えよう。君たち人類はこれまで三回も僕の邪魔をした。とても偶然じゃないよ。きっと、君たちの想いが強すぎたんだ。君たちは、僕に考える時間をくれたんだね。
だからきっと、もう一度起こるよね。僕を邪魔する何かが。教えてよ。こんな子供ひとりじゃ、地球は壊せないってこと。
少年はゆっくりと立ち上がって、床に落ちた本を手に取った。
「これで、最期だよ」
魔法陣の中央に、力強く立ちあがった。ドア、カーテン、全ての光を遮断した真っ暗な部屋で、少年は佇んでいる。その姿は、瞳の中に映った結城より強く、大きく成長していた。
「隕石衝突、1分30秒前」
男は火星の上から、青い地球を眺めている。スーツを着こなしたその男の顔は、何かに取り憑かれたような恍惚の表情を浮かべている。
「首相」後ろから声が呼び止めた。
「なんだ」
「地球は、こんなにも美しい星だったのですね」同じくスーツの男が話しはじめた。
「ああ、本当に美しい………まさに水の惑星だ」
「あとわずかで、あの星は消えてしまうのですね」
「そうだ。惜しいか?」
「いえ、そういうわけでは…………」
「フッ、気持ちはよく分かる。しかし、これはあの子のため、そして私達のためだ。あの星は犠牲になってもらうしかなかった」
「はい」
首相と呼ばれた男は、ずっと地球を眺めていた。
少年は息を吸った。真剣なその顔には、心の穏やかさが滲んでいた。暗い部屋は、長い静寂に包まれている。「これが、最後の時だ………」声が、部屋の静寂を破り出した。
「アム ファイデンス………」
「衝突、1分前」
すると男は後ろを振り返り、
「さあ、それでは皆さん、グラスを持って下さい」
と言った。後ろには、かつて地球上にいた全ての人類が立っている。最前列には、野球帽をかぶった子供たちがワクワク胸を躍らせ、若い配達員が相変わらずさっぱりとした顔で立っている。そしてそれぞれが、男の言う通りワインの注がれたグラスを持ち、頭の上まで掲げた。
「………サドゥンリアロス……………」
「結城君」
男がつぶやいた。
「…………ジャム デアロル……………………」
「衝突、30秒前」
「ゼウスは、君ではない。私たちだ」
「…………………グ……………………………」
「みんなのためにすべてを殺すのではない。君ひとりのために、星まるごと、殺すのだ」
「………………………………ソ………………………」
「隕石衝突、10秒前」
「結城君と、我が星地球に……」
「…………………………ス」
「乾杯」
俯いた少年の頬から、冷たいしずくが落ちた。本を床に滑り落として、少年は泣いた。
少年はしばらくして、玄関に向かった。「本当に、消えてしまっただろうか………」
結城は、地球とともに消えた。
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■作者からのメッセージ
どうも。こんな長い話はめったに書きませんが、どうか飽きずに読んでいただければ、と思います。