- 『人恋坂』 作者:ヒューゴ / 未分類 未分類
-
全角5828文字
容量11656 bytes
原稿用紙約19.55枚
人恋坂
それは、私たち親子がここへ引っ越してきて
もう10年がたとうとしたある日のことだった。
穏やかな春の昼下がり、仕事が休みだった私は街へ
ショッピングにでも出かけようとしていた。
プルルルル プルルルル プルルルル
玄関の姿身の鏡で髪を直してさあ行こうかとノブを回したところで
電話がなりだした。
このまま、でないで行こうかとも思ったが
もしかして、でかけた母の容態が出かけ先で悪くなったのかもしれない
と思い私は、はいていたヒールを急いで脱ぐと居間にある電話をとった。
「もしもし」「もしもし?」
相手は何も答えない。携帯電話の電波が悪く聞こえていないのかとも
思ったが、そうではない。
後ろでは街のざわめのようなものが聞こえている。
「お母さん?」「お母さんなの?」
母が電話をかけたはいいが声をだせず苦しんでいるのかと不安になった。
その時・・・
「・・・・俺だよ」
電話をかけてきた主は不意にそういった。
一瞬間違い電話かとも思った。しかしそうではないことを私は
本能的に読み取っていた。
それは母と2,3日前に偶然父の事を話したからかもしれない。
「元気にしてるかしら?」
唐突に母が切り出した一言だった。
「誰が?のぶおじさん?最近あまり連絡とってないね」
私は食後のデザートを食べながら答えた。
「のぶおじさんのおかげでこの家にも住めるようになったんだし、
本当に感謝してるわ。近いうちにまた食事ににでもきてもらいましょうよ」
母は私の言葉にやや遠慮がちに答えた。
「違うわ。お父さんよ」
私はデザートを食べていた手を止めると母を見た。
「どうして?関係ないじゃない。あの人が生きていようが死んでいようが」
母は少し寂しそうな表情を浮かべ
「私にとって今は完全に赤の他人でもあなたにとっては
この世にただ一人だけの父親なのよ」と 言う。
私は反発するように答えた。
「私に父さんはいないわ。10年前私の中で完全にあの人の存在は消えたのよ」
そう言うとまだ残っているアイスクリームの皿を机の上に残し
私は自分の部屋へ戻った。
気がつくと目頭には少し涙が溜まっている。何故涙がでるのか
私にはその時分からなかった。酷い事をした父に対して母が元気に
しているかと言ったことが悔しかったのかもしれない。
父が私たちを置いて出て行ったのはもう10年も前だ。
突然の父からの電話。 その当時まだ子供だった私には理解できないような理由で父は家族を捨てた。
途方にくれる母の表情は未だに忘れられない。
私がしっかりしなければいけないと強く思ったのを覚えている。
父の収入が無くなれば当然家もでなければいけない。
小学生だった私にとってそれまで慣れしたんだ家をでていかなくてはならない
というのはどんなに過酷な現実だったか。
とりあえず私が転校などしなくてもいいようになるべく近くの
安アパートに引っ越すことになった。
突然訪れた不幸に近所の好奇の目は容赦なく向けられた。
誰にも話していなくとも、私たちの話は学校の同級生にも広まっていた。
小学生くらいの年代では、さして悪意もなく人を傷つけることができる。
「おとうさんでていっちゃったんだって?」「かわいそう」
そんな同情なのかおもしろがっているのかも分からない言葉で随分傷ついた。
そのころ私には親友と呼べる友達もなく、相談できる相手はなかった。
日に日にやつれていく母を見ていた私は、自分が心を痛めている事など
言えるはずもなかった。
父が家をでて半年位したころ私は「父など始めからいなかった」と思うことで自分を
守っていた。
そのころになれば私たちに 好奇の目を向けるものもなく、自分達の生活も
落ち着きを取り戻し始めていた。
ある日家に帰ると父の兄にあたるのぶおじさんが家に来ていた。
私は少し、とまどいながらおじさんの前に座った。
「昨日始めてこんなことになってるって知ったんだ。色々つらかったね
よくがんばったね。これからは何も心配することはないから」
と頭を優しくなでられた時、それまで母にも言えず溜め込んできたものがワッと開放されたようで
涙が止まらなかった・・・。
私が中学校に上がる時に不動産屋に勤めていたおじさんのはからいで、ここから100キロばかりはなれた
街の一戸建てに引っ越すことになった。
「近くにちょっといわくのある所があるんだがね。春になると桜並木がきれいなんだが。
まあ女性二人だ、大丈夫だろう」
その時のおじの言葉は、ちょっと理解できなかったが母と二人新しい生活を始められる
ことに喜びを感じていた私はたいして気にもとめなかった。
新しい所に移りすんでからは、母も少しずつ元気を取り戻し、勤めにでるように
なった。ただ時折胸のあたりが苦しくなる発作を起こしていた。病院でもみてもらったが
特に体に以上はなく、おそらくストレスからくるものだろうということだった。
当の私はといえば、新しい街、新しい学校、新しい友達に溶け込んでいこうと必死だった。
ここには自分の過去を知っている者はいない。そう思うだけでなんとでもやって
いけそうだった。気が付けば すっかりこの街にも慣れていた。そのころには親友
と呼べる友達もできた。
大人になっていくにつれ、自分と同じ境遇の人が、いやそれよりも
もっと大変な人達がいることも知った。だからといって父を許す気にはなれなかったが。
おじが引っ越す時に言ったあの言葉の意味も丁度この時ぐらいに知ったのだ。
「この並木道ね」と友達は言う。
「何が?」と尋ねると友達は不思議そうな顔で聞き返してきた。
「あなたの住んでる所ってこのへんでしょ?まさか知らないの?」
いつも通る道のまったく逆のこの道は駅を使わないこともありほとんど
とおったことが無かったと説明する。
その時には話さなかったが初めてこの街に来た時、桜並木がそれは綺麗だったのを覚えている。
しかし何故かこの場所は好きになれない、というよりは来てはいけないような感覚があった。
何故だかはよく分からない。 しかし自分の感じたものはどこかこの綺麗な桜に似つかわしくない
「悲しげな何か」だった気がする。
「何かあるの?」私は尋ねた。
友達はちょっともったいぶるようにして言った。
「あなたの所はお父さんが亡くなっているから
お母さんと二人暮らしよね?じゃあ知らなくてもいいんじゃないかなあ」
私はこの街で知り合った人に父は亡くなったことにしている。
「何?気になるじゃない教えてよ」
「そうねえ」
私はその秘密を知りたくてたまらなくなっていた。
自分の感じた物の正体を知りたい。忘れかけていたことだったが
思い出したことでさらに強い好奇心が生まれる。
哀願するように頼むと友達はようやく話してくれる気になったようだ。
「何も楽しい話じゃないのよ」といい、話しだした。
今から4年位前の話だ。ということは私達が越して来る1年位前にあたる。
その日、その女性はこの桜並木のちょうど真ん中あたり、並木道は坂になっているので
坂の中腹あたりで亡くなっていたと言う。なんでも男に騙されあまりのショックに
思い出のこの坂で自らの命を絶ったそうだ。
しかし話はここで終わらなかった。その女性が亡くなってからというもの、そこを通る
男ばかりが半年のあいだで5人も大きな事故や病気といった不幸が続いたのだ。
4人はそれで亡くなっている。始めのうちはその事故や病気をこの道と関係していると
思った人は少なかっただろうが5人目の男が命を奇跡的にとりとめた時
桜並木に立つ女性と目があったと言う。
まさかと思いその女性の写真をみせると間違く彼女だった。
「そんな事もあってここの人通りはめっきり減ったのよ。特に男の人のね。
その女性が男達に復讐したんじゃないかって噂になったの 」
私が初めてここに来た時に感じた、何かはおそらくその話の女性だろうと思った。
何故か悲しい気持ちになったのもそれで頷ける。
「ここを通った男の人みんながそうなった訳じゃないのよ。多分女の人を傷つける
ような人達がそうなったんじゃないかって話だったわ」と友達は最後にそう付け加えた。
「もしもし」。「俺だよ 分かるか?」
父がこの二言、三言話す間に、今まで父が出て行ってからの10年間を
走馬灯のように思い出していた。
「ええ。分かるわ」
くやしいがそれが父の声であることは、はっきりとわかった。
「実は今、お前達の住んでる町まできてる。会って話したい事があるんだ」
「何を今さら話すって言うの?私達を捨てたのはあなたじゃない!」
もしまた、父と話す事があれば言ってやりたいと思ってたことは山のように
あるのだが、言葉になってでてこない。
母の「元気にしてるかな」という言葉の中にもう一度会いたいという思いを
読み取っていたからかもしれない。
酷い目にあわされても母は父を想い続けていたのだ。
もしここで「二度と近ずかないで!」と言い、電話を切ってしまえば、
母は生涯父と会うことはないだろう。
本当は会わない方が母にとってはしあわせなのかもしれない。
また同じ事の繰り返しになるかもいしれないからだ。
しかしそれを決めるのは私ではない。母自身なのだ。
私は?私はどうだろう?あの幼かった私も10年という時を経てあの時の父の思っていたこと、考えていた
ことが今なら少しは理解できるかもしれない。
母に反発した時に、本当は父を許し、もう一度会いたいと思う事
それを認めたくないという自分が悲しくて泣いた事が今わかった。
しかし、あれほど恨んだ父と冷静に話しなどできるだろうか?
色々な想いがまた頭の中を駆け巡っていく。
長い長い沈黙の後、ようやく私は口を開いた。
「わかったわ。明日の夜家まできて。住所はわかるの?」
その後、父は明日の夜7時位の電車に乗ってこちらへ向かうと言い
私は電話を切った。
受話器を置くと私はもう出かける気力もなく自分の部屋へもどり横に
なった。そしてそのまま朝まで眠っていた。
私は夢をみた。 家族3人幸せそうに笑っている夢を・・・
次の日。私は仕事を休み、家にいた。母にはまだ父がくることを話していない。
母は不思議そうに、家にいる私を見て、勤めに出かけた。
私はじっと考え事をしながら居間に座っていた。
そして、ある恐ろしい考えが私の中に浮かんだ。
学生時代に知った、あの坂の桜並木。父は電車でこちらに来るだろうから
間違いなくあそこを通る。 友達があの時、最後に言った言葉
「女性を傷つける人」 今でも父はそれに当てはまるのだろうか?
どうしてもすべてを割り切って、父と会う気にはなれない。
だったらあの坂を父が通ることで、あの女性に判断してもらおうという事だ。
母に何も話さず、自分で決めてしまうのは悪い気もしたがそれも母の為と割り切った。
気がつけばもう夕方の6時半。約束の時間まで後30分までせまっていた。
私は自分の決めた事に迷い始めていた。本当にこれでいいのだろうか?
あの坂の話も噂話といってしまえばそれまでだが、実際に4人も命を落としている。
自分でもたしかにあの場所には何かを感じているのだ。
母はまだ帰ってきていない。
約束の5分前、私は家を飛び出し、駆け出した。
人間一度は、あやまちを犯してしまう事があるかもしれない。
それを死をもって償うのは、あまりにも酷なことかもしれない。
もし私が、第三者の立場ならば、そんな人は死んでもいいと思っただろうが
やはり母の言うとおり、私には実の父親なのだ。世界にたったひとりの。
10年という時が私を成長させ、そう思わせるだけ変えていた。
心の奥底にひたすら押し込めてきた気持ちが顔をだしていた。
もうすぐあの坂だ。
坂の真上に立った時、桜の花びらの舞う中、男が倒れていた。
始め、それが父であるとは思わなかった。私はその男に近ずきかがみこんだ。
父は、私の想像とはあまりに違っていた。痩せ細り老け込んでいる。
母とそう年はかわらないはずだが、もう老人のようだ。
遅かった。間にあわなかったのだ。
涙が溢れてくる。
その時、父がゆっくりと目を開けた。
泣いていた私に、最後の気力を振り絞るように父は言った。
「おまえか・・・・大きくなったな。・・・・本当にすまなかった。
・・・・母さんとおまえにどうしても、謝りたかったんだ。」
「もういいよ。・・・もういいんだよ。お父さん」
私は溢れてくる涙をぬぐいもせず父にそういった。
父は少し笑ったように見え、そして・・・目を閉じた。
その後、のぶおじさんから父は、長い闘病生活でもう先が長くなかった事
私達二人にいつもあやまりたい、すまない事をしたと言っていた事を聞いた。
「自分の死期が近い事をわかっていたんじゃないかな。最後に顔を見て
あやまりたかったんだよ。」
おじさんはそう言っていた。
とうとう母は、生きている父に会うことはできなかった。
私は母にとても悪いことをしたようで申し訳なかった。
父にあの坂のことを話さなかったことを。
少なからず、あの場所で父が裁かれればいいと思ったことを。
しかし、父があの坂で倒れたことを、私はあの女性とは無関係なのを
私は知っていた。
たしかにあの夜、私はあの女性を見た。見たというよりは感じたというほうが
近かったかもしれない。
そこに居るのは、はっきりとわかった。
しかし、それは憎しみや怒りのようなものではなく、どこか切なげで
懐かしいような感情だった。
私の、いや私達の気持ちを、察していてくれていたのかもしれない。
それからは、私は父が亡くなった所ではあるが、その坂の桜並木が好き
になった。父の葬儀も終わり、落ち着いたころ母と二人ここへ来て
あの時、自分の思っていた事などを話した。
母は黙って私の話を聞いていた。
その時母が、何を思ったかはわからなかったが、最後にこういった。
「お父さんはね、そのことを知っていたのよ。残された時間があまりないのが
申し訳ないがそれでも俺はその道を通って二人の元まで行くって言ったんですって。」
私は驚きのあまり言葉を失っていた。
「これからはここに、毎年二人分の花を手向けましょう」
と母は言った。
私は黙って頷き、そして父がいるだろう空を見上げた。
そこには春の澄み切った青空が広がっていた。
-
2004/11/20(Sat)21:12:57 公開 / ヒューゴ
■この作品の著作権はヒューゴさんにあります。無断転載は禁止です。
-
■作者からのメッセージ
読んでもらって感想いただけるとうれしいです。