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『礎に縋る者たち 1〜2』 作者:月海 / 未分類 未分類
全角3223文字
容量6446 bytes
原稿用紙約9.8枚


「ロックウェル将軍、戦場に狼はいませんよ。彼らは基本的に群れをなさない」 ケセル・アルヘイト


1:

 ファスアイン帝国司令部に、四度目になる報告がもたらされた。
「敵軍の包囲網が完成しかけています。兵士達はこの状況に戦意を失っています。どうか退却命令を出して下さい、将軍」
 ファスアイン帝国、将軍ロイゼン・グルークは申し出を聞かずに、通信兵を下がらせた。敗北を知らない彼に、戦わずして引くという選択肢は無い。最後の一兵まで戦わせ勝利するという主義。グルークの最大の武勲とも言うべきエレーネ幽谷の戦いの勝利時に、彼の残存兵数は約二百だった。だがあの時の兵士達は、死んでいった者も生き残った者も、窮地にありながら皆グルークを信頼していた。先ほどの通信兵の様に失意の色を目に浮かべてはいなかった。
「何が悪かったというのだ…私は間違ってはいなかった筈だ」
 消え入りそうな声の主に、英雄と謳われた頃の面影は無い。部下達はグルークの姿を見て不安を増大させている。司令部は混乱していた。だが一人だけその様子を客観的に観察していた男がいた。
「今が“機”なのかもしれんな……」
帝国、二級軍師ケセル・アルヘイト、彼の呟きはささやかなもので、それに気付いた同僚は一人もいなかった。
 
 数刻の後、指令部にはグルークとアルヘイトだけが残った。他の将達は皆持ち場に戻ると称して、既に戦場からの離脱を試みている。アルヘイトはこの状況を想定していた。当然、この状況で言うべき台詞とシナリオは考えてある。ダークグレイのオを数時間前より五年歳をくった風に見える将軍に向けた。
「グルーク将軍、裏に商隊に偽装した馬車を用意してあります。どうか帝国へ御戻り下さい」
アルヘイトを見るグルークの目は困惑していた。
「貴官は私に責任を放棄して逃げ帰れと申すのか!?」
その言葉を聞いてアルヘイトは、何もせずにただじっとしているだけの、責任の取り方が在る事を知った。自然と口元が緩む。
「恐れ多くも、将軍の様な人材は帝国に生きて戻る事こそが、責任の果たし方だと私は考えます」
グルークの顔に喪いかけた色が戻ってきた。
「そうか、では貴官がこの戦局引き継ぐというのだな」
アルヘイトは上官の単純さに呆れ、用意していた二三の将軍賛美の詩を、記憶から消した。こうも簡単に事が運ぶとは思っていなかったのである。
「貴官、名はなんと言う?」
去り際のグルークの言葉に、
「どうせ死ぬのです。私の名など聞く必要は無いでしょう」
アルヘイトはこの様に答えたが、グルークはその台詞に主語が抜けている事に気付かなかった。
「貴官は絶望的な状況にもかかわらず重責を背負う決意をした。その栄誉は必ず祖国に届けよう」
その真意にも気付くことは無かった。
「帝国二級軍師、ケセル・アルヘイトです」
これが彼らの最後の会話になった。アルヘイトはグルークに、形見として彼の髪を要求した。グルークは少し訝しげな表情を見せたが、直ぐにそれに応じた。自分の髪を一つの束にしてアルヘイトに渡す。一刻も早く戦場を去りたかった為、グルークはアルヘイトの言動や行動を気に掛ける事をしなかったのだ。
 
 こうしてネーブル平原の戦いの指揮権はアルヘイトに移った。通信兵からの最新の報告は、アルヘイトの心境に何ら変化を与えなかった。状況は序序に確実に悪くなっている。当初二万を数えた軍勢が一万五千を割った。
 
 もしこの戦いの時に、クエス・リヴィングと、カルナ・イーシアの両者がいれば戦況は変わっていただろう。しかし彼らは帝国において、二級軍師のアルヘイト以上に影の存在だった。片方は一兵士で、もう一方は軍属ですらない。だからこの戦いに参加したのは、彼らに先駆けて活躍する、ケセル・アルヘイトだけであった。
しかしながらこの戦いで出世するのはロイゼン・グルーク将軍のみである。結局ネーブル平原の戦いでは、戦局を引き継いだアルヘイトは二級軍師のまま出世できなかった。
だが後世一部の歴史家は言う、ケセル・アルヘイトの悪魔的な才能はこの時から既に発揮されていたと……。
 
 今、一人の英雄が姿を消した。
それは、英雄の代わりに異端の者が表舞台へ現れる契機。
レムリス暦1268、歪んだ時代が訪れようとしていた。

2;

 ネーブル平原の帝国軍に指示が来た。
各分隊ハ合流シ、交戦ヲ控エ北上ス
 兵士達は皆、次にくる指示こそ正式な撤退命令だと思っていた。それ故、内容を聞かされた時の落胆は凄まじく、ただでさえ低い士気はこれ以上無いほど下がった。
「北上しろだと! 司令部はまだ俺達を戦わせるつもりなのか!?」 
第一分隊の長、カーネルセン・フーリエは耳を疑った。確かに北の方角だけ敵軍の包囲網の完成が遅れている。しかしそこへ進むという行為は、敵国内部に入るということでもある。それは自殺行為だ。フーリエは司令部の無能さに苛立ったが、次の指令が入ると表情を一変させた。
北上シ援軍ト合流セヨ
フーリエは大声で指令を伝えた。第一分隊兵達の指揮は回復した。二〜十三分隊でも同じ事が起こっていた。

「ファスアイン帝国には無能な狼しかいないようだ。あれでは生贄の羊と変わらん」
この動きを見た敵国の将、リーゼフォン・ロックウェルの台詞である。わざと包囲網を完成させないのは、更に強固な包囲網へと誘う罠である。ロックウェルは自分の策が成功した事を確信していた。
リーゼフォン・ロックウェル将軍。ラクトーア帝国でも五指に数えられる名将だが、彼の名を余に知らしめたのは用兵の才ではなく、敵兵の降伏を一切許さぬ残虐性である。一説によるとロックウェルは若い頃に酷い裏切りを受けたが故に人を信用しなくなり、敵兵などはもってのほかであるとのことらしい。最後の一兵までも殺しつくすその姿勢は、ファスアイン帝国のロイゼン・グルークの主義の徹底性といくらか共通点を感じさせる。
“皆殺しのロックウェル”、当然その異名はファスアイン帝国軍も知るところである。

「敵将はあのロックウェルだ……戦って勝つ以外に生き残る道は無いぞ」
兵士達にフーリエ分隊長は言った。開戦当初から、ラクトーア帝国軍を率いるのがロックウェルであることは、ファスアイン帝国軍に知れ渡っている。しかし衝突を直前に控えた兵士達にとって“皆殺しのロックウェル”の異名は、より一層恐怖の度合いを上げていた。殆んどの兵士が頭を垂れ、その足取りには生気が無い。その恐怖を反転させ、どうにか士気を高めようとしたフーリエの試みは、虚しく失敗に終わった。
 北上するファスアイン帝国軍、彼らを支えているのは援軍との合流という希望のみであった。

「命ぜられた事は伝えましたが……本当にあれでよろしかったのですかアルヘイト様」
 帝国司令部には二人の人物がいた。ロイゼン・グルークに代わり戦局の指示を行っているケセル・アルヘイト二級軍師と、その腹心であるハンス・リュードである。
「あれでよかったか? 面白いことを言うね……最善の方法というのは常に一つしかない」
ハンスの問いに対し、アルヘイトはつまらなげに答えた。
「私の狙いが解らないおまえじゃないだろう」
「解ります。しかしそれが最善の策とは思えないのです。この方法をとればアルヘイト様は、確実に非難を受けます。人は結果だけでは満足しないものです……どうか御自分の名誉を大切にされて、策を改めて下さい」
ハンスはアルヘイトを注視した。いつもと変わらない表情、ダークグレイの瞳には余裕が携えられている。ハンスは彼が自分の進言を意に介さなかったことを知った。緊張感が無いからか、少しはある不安を紛らわすためか、アルヘイトは手で何かを弄んでいる。
「アルヘイト様。それは一体なんなのですか?」
「切り札だよ」
ハンスの問いに対し、アルヘイトは楽しげに答えた。
今、アルヘイトの手中にはグルーク将軍の髪束がある。




2004/11/05(Fri)20:19:38 公開 / 月海
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頭の中で出来上がっていても、文章化するのは難しい。あたりまえのことだけど、毎回そう感じてます。
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