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『[DICE]・第一投 四話目「孤軍奮闘・中編」』 作者:rathi / 未分類 未分類
全角39087.5文字
容量78175 bytes
原稿用紙約121.8枚

−天地開闢−

 俺は煙草を吹かしながら、行き交う人々を見つめていた。そして、彼らも俺の事を物珍しい物を見るように、ちらちらと視線を送っていた。
 理由は至極簡単。
 大手引っ越し会社“カワタ”の制服を着て、ガードレールに寄りかかり、配達物をほっぽり出して煙草を吹かしていれば、誰だって気になる。
 いや、一瞬だけ見れば休憩と思われるかも知れないが、足下に積もっている吸い殻の山を見れば、少なくとも三十分以上はここに留まっているということが容易に分かる。
 そして、それを見た人達はこう思うだろう。この人は仕事をサボっているのかな――と。
 その考えは正しい。そう、俺はサボっているのだ。公言したっていい。
 俺は何件か配達した後、何となく億劫な気分になった。理由は特にない。疲れたとか、仕事に嫌気が差したとか、そういうのではない。ただ単に、億劫になったのだ。
 都合が良い事に、今日の配達は俺一人。これ幸いと思いつつ、手頃な駐車場に車を止め、気の向くままに歩き、今居る場所に辿り着いた。そして俺はガードレールに寄りかかり、人目を気にしつつも一息(もっとも、煙草一本を一息と換算するならば、もう何十息になってしまっているが)することにしたのだ。
 煙草を口にくわえたまま、辺りを見渡す。配達で何度かこの辺に来たことはあるが、景色をちゃんと見たことはなかった。
 この辺りはそれなりに発展しているらしく、背の高いビルが幾つか見られた。だが、周りにあるのは背の低いスーパーや、一階建ての店が主なので、そのビル達は逆に浮いて見えた。
 呼吸するのと同じぐらい自然体に俺は煙草を吸い、そして煙を吐き出した。空気中に煙が四散し、溶けて無くなる。
 短くなってきたので指の間に挟んでいた煙草を床に落とし、踵で残り火を踏み消した。それから新しい煙草を懐から取りだし、火を付けた。
 再び自然体な動作で煙草を吸い、煙をはいた。
 煙草を覚えたのは中学三年の時――俺が十五歳の時だ。親父が吸っていた煙草をこっそりと盗み、誰も居ない場所まで行ってそこで初めて吸った。
 吸い方を知らなかった俺は間違って肺まで入れてしまい、激しく咽せてしまった。その後も何度か煙草を吸ったが、肺に入れるのには馴れず、吸う度に激しく咽せていた。よく親父は平気で吸っていられるな、と思った物だ。後々、友人から『空ぶかし』という、肺には入れない煙草の吸い方を教わり、それ以降咽せることは無くなった。たまに肺まで入れるが、もう咽せることはなくなっていた。
 煙草を吸いたい、と思った理由は忘れてしまったが、今も煙草を吸い続けている理由はちゃんと覚えている。
 俺にとって煙草とは、麻薬と同じような物なのだ。要するに、嫌なことを忘れることが出来る物として俺は吸っている。
 忘れたいこととは、家族のこと。俺を疎ましく思い、ことある事に昔の事を掘り出してねちねちと説教してくる、最低な家族達のことをだ。
 昔の事、それは俺が大学を辞めてしまったことだ。良い仕事に付くために大学に入ったが、糞の役にも立たない勉強をただただ延々と繰り返すことに嫌気が差し、授業をサボりがちになった結果、単位が足りなくなり、校長の口から直接留年と言われ、その日に大学を辞めた。
 両親は当然のように、烈火の如く怒り狂った。親父から拳固をくらった後、『勘当だ!』と言われ、一ヶ月近く家に入れてもらえなかった。その間、昔からの友人に泊めてもらうことになったのは、苦い思い出の一つだ。
 その後、何とかほとぼりは冷めたものの、両親は俺の見る眼を変えてしまった。まるで犯罪者でも見るような目つきで俺を見、大学に行くのにどのくらい金が掛かったのか分かっているのかと叫き散らし、果てには大学に掛かった費用を全部払え、とまで言う始末だ。取り合えずその場を収めるために、働いて返すと言った。念の入ったことに、誓約書まで書かされた。『三十五歳を過ぎる前に、五百万円を払います』――と。
 その時からもう、俺は両親を両親と思わなくなった。血縁も縁もない、赤の他人だと思って接している。
 それから三年間、俺はバイトを転々としながら暮らしている。あの赤の他人達と一緒に実家で暮らしているので、何とか暮らしていけている。本当だったら今すぐ一人で暮らしたいところだが、一人暮らしだと家賃と光熱費などでほとんど吹っ飛ぶ事だろう。嫌々ながらも、顔を合わすたびに愚痴を言われる羽目になったとしても、就職しない限りはあいつらと一緒に暮らすしかない。それ以外、選択肢が存在しないのだ。
 だが結局、俺は就職できずにいる。不況のせいにしたいところだが、こんな勤務態度では雇われたとしてもすぐにクビになるだろう。現に、バイトですら何度も首になっている。今と同じように、何となく、気分的に億劫になり、適当な場所に行って煙草を山ほど吸うのだ。もはや病気としか言いようがない。
 「くだらねぇなあ…」
 煙をはきながら、ふと呟いた。その言葉は自分に向けてなのか、それとも今の世の中に対してなのか、自分ですら判断が付かなかった。
 短くなった煙草を下に落とし、また踵で踏み消す。懐から煙草を取り出そうとしたが、品切れということに気が付く。空になった煙草の箱を握りつぶし、舌打ちしながら地面に叩き付けた。
 見れば、吸い殻の山はいつの間にかその規模を増し、文字通り山を作っていた。幾ら吸ったかを指を折って数える。箱単位で数えると、薬指まで折れた。
 無意識の内に煙草を吸い、空になったら近くの自販機で買う、という行為を繰り返していたようだ。本当に、無意識の内に。
 腕時計もないし、携帯も車の中に置いてきてしまったので、一体何時間くらいここで吸っていたのかは不明だが、通行人の目が興味の目から疑惑の目に変わっているところを見ると、一時間…いや、二時間近くはここに居座って煙草を吸っていることになる。
 左から右に流れていた買い物客も、今では右から左に流れていた。
 きっと車に戻れば携帯には着信記録が二桁を越しており、無線からは鬼のような怒号が鳴り響いていることだろう。三ヶ月続いたこのバイトも、今日で終わりか。哀愁に囚われるもなければ、罪の意識もなかった。ただ、次のバイトを探さなきゃな、と思っているだけだ。我ながら良い根性をしていると思う。
 最後の一箱を買うために、ガードレールから離れる。のらりくらりと歩き、自販機へと辿り着く。後ろのポケットから財布を取り出そうとした。
――その時、一人の男が目に付いた。
 その男はとんでもなく異質だった。手に持っていた財布を落としてしまうくらいに、その男は異質だった。まるで、同じ人間ではないような、そんな錯覚すら覚えるほどだ。
 俺とあの男は決定的に『何か』が違っている。直感的にそう感じた。
 男はゆっくりと歩いている。服装も、歩調も、その全てが自然だった。いや、自然過ぎた。完全に風景に溶け込もうと、完璧な自然を装っているからこそ『不自然』だった。
 気に留めなければ、それは完全に風景に一部と化していただろう。だが、一度気になってしまえばその男は風景から浮き出し、一番自然体だった男が一番歪な存在と成り果てるのだ。
 男はゆっくりと近づいてくる。だが唐突に男が屈んで、俺の視界から消えた。
 「……!」
 背中に冷や汗が伝った。『何か』をされる。そう直感的に思い、身構えた。
 だが、男は長方形の黒い物――俺の財布を拾っただけだった。
 「落とし物ですよ?」
 男は、俺に財布を差し出しながらそう言った。
 「あ、ありがとう…」
 警戒しながらも、俺は差し出された財布を受け取り、ポケットに入れた。
 「じゃあな」
 振り向き、足早にその場を立ち去ろうとした時――。
 「藤丸 臣(ふじまる しん)――さん、ですよね?」
 男は、ゆっくりと俺の名を語った。
 「な……!?」
 動揺しながらも、俺は振り返った。
 「な、何で俺の名前を知っている…?」
 当然のように、俺は男に質問した。こんな異質な男と知り合いでもなければ、会ったことすらない筈だ。なのに、男は俺の名前を知っていた。
 「そうですか。間違っていたらどうしようかと思いましたよ」
 男は少しだけ微笑みながらそう言った。その微笑みでさえ、酷く歪(いびつ)なものに見えた。
 「……何の用だ? 俺は仕事で忙しいんだ。用なら後にしてくれ」
 体の良い事を言って逃げようかと思ったが、男は先程まで俺が座っていた場所を指差して言う。
 「その割には暇そうに見えますが? 先程まで煙草を吸っていたのは仕事の一つですか?」
 「ああ、そうだ。煙草の味を調べるのが俺の仕事だ」
 自分でも支離滅裂な事を言っているな、と思いつつも、それらしい事を言って早く逃げたかった。
 「その制服は引っ越し業者“カワタ”の物ですよね? 引っ越しなのに、煙草の味を調べる必要があるのでしょうか?」
 「社内の一環だよ。美味しい煙草があったら他の奴に知らせるのさ」
 「嘘はいけませんよ、藤丸さん。そんなことを言っているとまた“クビ”になりますよ?」
 男は再び歪に微笑んだ。
 「……よく知っているな」
 「ええ、調べましたから」
 頬に冷や汗が伝うのを感じる。
 「……何が目的だ?」
 俺は男を睨み付ける。
 「率直に聞きます。貴方はお金が欲しくないですか?」
 全く予想だにしなかった問いが、男の口から出た。
 「――は?」
 一瞬、何を言っているのか理解出来ず、俺は固まる。
 『お金が欲しくないですか?』と、男は確かにそう言った。何の意図があって、何の意味があってそんな質問をしたのか、皆目検討つかない。
 「どういう意味だ?」
 「そのままですよ。浅くも、深くもありません。そのままの意味です。お金が欲しいか、否か、それだけの問いです」
 質問の意図は依然として掴めないが、本当にそれだけを聞いているようだった。
 「そりゃあな、金は欲しいよ。誰だってそうだろう? そんな当然な質問をして、何か得があるのか? アンケートだとしても無意味だろ?」
 「いえいえ、無意味ではありませんよ。ただ、貴方の口からそれを聞きたかっただけですから」
 男は三度、歪に微笑んだ。
 「さて、本題に入りましょうか」
 男は一度だけ咳払いをし、声の調子を整える。
 「おめでとうございます。貴方には、とある<ゲーム>への参加権利を得ました」
 男は恭しく御辞儀をしながら、そう言った。
 ゲーム?
 「そうです。<ゲーム>です」
 男は俺の考えを読んだのか、その<ゲーム>とやらに付いて話始めた。
 「ある日、ある場所でその<ゲーム>は行われます。そして、その<ゲーム>の優勝には賞金三億円が与えられます」
 「さ、三億…!?」
 桁の違いに、思わず声が上擦った。
 「はい、三億円です。」
 だが、唐突に提示されたその金額に驚きもしたが、逆に疑惑も浮いてきた。
 「はは、なるほど。素人を使った新手のドッキリ番組か? 多額の賞金をぶら下げて、それで何かくだらない事をさせるんだろう?」
 嘲笑いながら、男に言った。だが、男はたじろぎもしなかったし、瞬き一つもしなかった。
 「疑われるのも当然ですね。だが、事実です」
 男は澱むことなく、当たり前のように言い切った。まるで、こちらの反論を予想していたかのように。
 嘘を言っているようにも、ドッキリ企画に引っかけようとしているような雰囲気でもなかった。普通の、一般人と思える奴が言ったのなら眉唾物だが、目の前に居るこの異質な男からそう言われると、その<ゲーム>は当然のように存在しているかのように思える。
 俺は俯き、この男の言葉を信じて良いかどうか悩む。
 「参加するもしないも貴方の自由です。では……」
 「ちょっと待――」
 立ち去ろうとする男を止めようとしたが、目の前から消えていた。忽然と、さっきまでそこに居たのが嘘のように、何の痕跡も残さずに。
 「おいおい…。参加しようにも日にちも場所も分からなきゃ意味ねぇだろうが…」
 虚空を掴んで手を下ろし、居ない相手に愚痴た。
 事態を整理できなくなった俺は、無性に煙草が吸いたくなった。吸えば落ち着くだろう、そう思いながら財布から小銭を取り出そうとした。
 「……ん?」
 小銭入れの中に、白い紙切れが入っていることに気が付いた。
 まさか、そう思いつつ開けてみると――。
 「なるほど。あいつは奇術師だったわけか。道理で消えたりする筈だ…」
 自分でも訳の分からない根拠の元に、あいつの正体を位置づけた。
 メモ帳程度の大きさの紙に、<ゲーム>の開催地と日時が記してあった……。



 あの異質な男に会ってから三日が経過し、<ゲーム>開催の日となった。
 今俺は、開催地に向かって歩いていた。開催地は思いの外近く、自宅から電車で三十分程度の距離だった。駅から多少離れているものの、多分十分も歩けば着く距離だろう。タクシーを拾おうかとも思ったが、如何せん財布が侘びしいので、歩いていくことにした。
 胸ポケットに入っている紙切れを取りだし、広げてそれを改めて見る。そこには日時と開催地の他に、参加するにあたっての注意事項が書いてあった。
 『<ゲーム>には、およそ一週間近くは掛かりますので、その分の時間は確保して置いて下さい。一度<ゲーム>が始まると、如何なる理由があろうとも外へは出られません。身辺の整理等々を済ませておくことをお勧め致します』
 それだけだった。勿体振るように、<ゲーム>の内容に付いての記述は一切なかった。
 一週間は予定を空けろ、というので、その通りに一週間予定を空けた。もっとも、あの異質な男に会った日付けでバイトはクビになっているのだ。一週間どころか、バイトが決まるまで予定は真っ白だ。
 一週間は掛かるという<ゲーム>。三億円という宝くじ一等級の賞金を賭けての<ゲーム>。それは如何なる物か?
 K−1のように、殴り合って戦うのだろうか?
 ゲームというのだから、何かゲーム機を使って競うのだろうか?
 何百人、何千人と人を集めて行う壮大な『鬼ごっこ』なのだろうか?
 それとも島一個を使って行う『隠れんぼ』なのだろうか?
 いずれにしても、推測の域は出なかった。開催地に着けば分かると思うのだが、それでもどんな<ゲーム>を行うのか、と三日間の間中ずっと推測をしていた。
 人は未知なる物には恐怖を覚える。だからこそ、推測や予想を立ててその恐怖を和らげようと自己防衛が働いているのかも知れない。
 交差点に差し掛かった所で赤信号に捕まり、俺は歩みを止めた。
 周りには名も知らぬ赤の他人達が、俺と同じように立ち止まっていた。俺は疑惑に満ちた目でそいつらを見つめる。こいつらも参加者なのだろうか?
 『とうりゃんせ』が流れ、人々は歩き始める。俺は人々の流れからワンテンポ遅らせ、後ろから動向を探ることにした。
 横断歩道を渡りきり、人々は曲がれ右をして俺とは違う方向へと進んでいく。
 まあ、当然の結果と言えば当然なのだろう。自分の周りに居たのが全員参加者だったなんて、滅多にあるわけがない。
 馬鹿馬鹿しい、そう思いながら頭を振る。周り全てを敵だと思っていると、自滅するのがオチだ。
 違う方向に行く人々を横目に見ながら、俺は足早に目的地へと歩を進めた。



 電信柱に縛り付けてある看板を見て、そこに書かれている番地を確認しながら歩く。紙に書かれているのと同じ番地を見つけ、辺りを見渡す。だが、それらしい建物は見つからなかった。
 紙に書かれているのは住所のみで、どんな建物で、どんな看板を掲げているのか、全く書かれていなかった。
 十分程、『それっぽい建物』を探してみたが、どこを見ても普通の建物ばかりだ。建物前に、それらしい人なり看板なり掲げておくのが、開催地としての礼儀ではなかろうか?
 怪しまれるのを避けるため、通行人に聞くのは止めていたが、これ以上自分一人で探しても見つかりそうもないので手当たり次第に聞いてみた。
 結果、全滅。まるで打ち合わせでもしたかのように、皆『知らない』と言って首を振るばかりだ。
――騙されたのだろうか?
 ふと、そんな疑惑が頭を過ぎった。いや、心の奥底にそれは初めからあったのだ。あの異質な男からその話を聞いてから、今の今までずっと。
 その疑惑は一度吹き出すと、もはや自分の手では止めることが出来ない。まるで栓が抜かれた間欠泉のように、止めどなく溢れ出てくる。
 やがて心は疑惑で満ち、それは確信へと変わっていく。俺は騙されたんだ――と。
 今思えば、それは当然なような気がした。訳の分からない男から唐突に<ゲーム>で三億円貰えますよ、なんていかにも怪しいおいしい話を持ちかけられた時点で怪しむべきだったんだ。いや、怪しんだが、その男の迫力に騙されたのだ。
 我ながら馬鹿だな、とため息をはく。餌に釣られ、犬のように尻尾を振りながらここへ来た自分が愚かだったんだ。『おいしい話には裏がある』、格言とも言うべき言葉が俺の身に染みていく。
 帰ろう。帰って酒でも引っかけよう、そう思って踵を返そうとする。
 だが、俺はその踵を止めた。せめて、せめてあの角の向こうを見てからにしよう。なぜか俺はそう思った。
 吸い寄せられるように曲がり角を目指す。ゆらゆらと、まるでお化けの類のように。
 左に曲がり、虚ろな眼で辺りを見渡す。
――袋小路の突き当たりに、『それ』は在った。
 一言で言うならば、『寂れたスナック』。長い間掃除されることもなかったのか、壁という壁に蔦(つた)が絡みついていた。
 見た瞬間、直感的にこれだ、と思った。あの異質な男同様、周りから酷く浮かんでおり、建物自体が歪に感じられる。
 足早に――半ば走るような形で、建物を目指して歩き出す。
 あの男が言ったことは本当だったのだ。きっとここで<ゲーム>は行われるのだ。そう確信し、絶望から希望へ移り変わり、顔が綻んでいった。
 入り口まで辿り着く。店の名前なのか、『六道』という名札が扉の隣にこぢんまりと掲げてあった。
 意を決し、錆びたドアノブを握りしめる。静かに右に回すと、ゆっくりと扉が開いていき、錆びた蝶番がぎいぎいと鳴く。
 「……階段?」
 扉を開けると、そこには下り階段が姿を現した。というよりは、それ以外なかった。
 この建物は、この階段を隠すためのカモフラージュ用なのだろうか? だとしたら、あの男の話はますます真実みを帯びていく。
 俺は口の中に溜まった唾を飲み込む。
 十段近くまでは見えるのだが、それ以上下は暗くて全く見えなかった。携帯電話のライトを利用し、照らしてみるが、二十段近くを浮かび上がらせるのが限界だった。
 この下り階段は、地獄にでも繋がっているのだろうか?
 ここまで来たのなら、もう降りる他はないだろう。なにせ目の前に三億円がぶら下がっているのだ。地獄だろうが魔界だろうが、何処にでも行やる。
 携帯電話のライトを付けたまま、俺は慎重に階段を下り始めた。
 コンクリート性の階段らしく、かつかつと靴の音だけが狭い下り階段に響き渡る。両手を広げられるぐらいのスペースはあるのだが、上と左右にあるコンクリートの壁に対して、圧迫感を感じずにはいられなかった。
 俺は携帯のライトがあるから良かったが、他の参加者達が来たら下っている途中で転けて転落死するのではないだろうか? なんて要らぬ心配もしたが、六十段近く下りると、足下に非常灯のような淡い光が階段を照らしてくれていた。携帯電話のライトはいつまで保つのだろうか、と心配していたが、どうやら大丈夫のようだ。ホッと胸を撫で下ろし、俺は携帯電話を胸ポケットに仕舞う。
 足下の明かりを頼りに、俺は歩を進めた。



 かれこれ五分以上は下っている筈なのだが、一向に底が見える気配がない。
 俺の頭に一抹の不安が過ぎった。これはひょっとして俺を殺すための罠か? 何の脈絡もなしにそう思った。馬鹿馬鹿しい、と思いつつもその不安は拭いきれなかった。
 まさかとは思うが、俺が入ったのを見計らって入り口を完全に封鎖し、足下の非常灯を消し、その真の暗闇の中で俺は恐怖と空腹を味わいながら悶え死ぬ、というのがこの仕掛けの目的なのではないのだろうか?
 いや、そんな馬鹿な。人に恨まれるような覚えは数あれど、殺されるような恨みを買った覚えはない。だというのに、昔の友人達の顔が走馬燈のように頭を過ぎっていき、俺を殺しかねない友人達を無意識の内にピックアップしていく。
 だが、そのピックアップした友人達の顔も、遠くに見える扉のような物によってかき消された。心許ない光しかないので、それが扉かどうかなのかはハッキリとは分からなかったが。
 念のため、胸ポケットから携帯電話を取りだし、ライトで照らす。目の前にあるのは、何の変哲もない扉だった。入り口の扉と何となく似ている。
 ここが地獄の底なのだろうか?
 この扉の向こうが、<ゲーム>の開催地なのだろうか?
 携帯電話を胸ポケットに仕舞い、ドアノブを握りしめる。気合いを入れるため、俺は大きな深呼吸をした。
 この扉を開ければ、<ゲーム>が終了するまで外へは出られなくなる。どんなゲームが行われるのかは不明だが、恐らく自分の想像を越すような、身も心も朽ち果ててしまう過酷ゲームが待っているのかも知れない。
 今が最終の分岐点なのだ。このまま進むか、戻るかの二者択一。自分の人生を大きく左右する重要な選択だ。
――いや、何を迷う必要があるんだ。
 もし<ゲーム>で優勝をすれば、三億円という巨額の金額が手に入るのだ。俺が汗水垂らして死ぬまで働いたとしても、恐らく一生手にすることはない、手にすることが出来ない金額だろう。あれほど高いと思っていた親の借金も、端金に思える程だ。
 ならば、こんなチャンスを今拾わずしていつ拾う?
 一生働かなくても済むような金額を、俺はみすみすドブに捨ててしまうのか?
 そうだ、迷う必要などない。俺はここを開けるべきなのだ。どんな<ゲーム>が待っていようとも、どんな辛い事が待ち受けていたとしても、俺はこの扉を開けなければならないのだ。
 必要以上に力を込めてドアノブを握る。運命の扉でも開けるかのように、ゆっくりとドアノブを回していく。入り口と同じように、ぎいぎいと蝶番が鳴きながら扉は開いていった。



一話目「騎虎之勢」

 扉を開けて一番始めに目に入ってきたのは、スポットライトのような円の光の中で、輪っかのように並んでいる人達だった。全員男で全部で五人。まるで夜の街頭に集まる、羽虫のように見えた。
 多分、俺と同じ参加者なのだろう。中に入り、後ろ手で扉を閉めた。
 中に入って辺りを見渡すと、彼らが光の中に身を寄せる理由が分かった。部屋の中には、そこ以外光が存在しなかったのだ。さっきの淡い光も、小さなランプの光すらない。中央のスポットライト以外、この部屋は完全な暗闇に包まれていた。
 俺も羽虫の一人となり、その光の中に入る。羽虫が光を求めるように、人もまた光を求めるものだ。
 光の中に入った途端、皆一斉に俺の顔を見る。品定めでもするように、じろじろと。
 今現在ここにいるのは、三億円を手に入れる権利を求めた奴等。つまり、『敵』だ。左も右も、その向かいも全て敵だ。もちろん、新しく来た俺も相手側からすれば敵という事になる。せめて目視でも相手の戦力を知っておきたい、そんな考えからこの『品定め合戦』が開催された訳か。
 相変わらずどんな<ゲーム>なのかは分からないが、相手を知っておいて損はない。俺もその合戦に参加することにし、時計回りにじろじろとみていくことにした。
 俺の左隣に目を向ける。俺が人を見るときは、上から下にスクロールしていくように見る癖がある。つまり、顔から足に、という事になる。
 顔を見てまず思ったのは、目が死んでいる、という事だった。生きる目的をなくしているというか、生きるのに飽きているというか、とにかく目に活力が感じられなかった。
 髪はオールバックにし、後ろで結わえている。長さは肩胛骨辺りだろうか。
 皆じろじろと品定めをする中、何故かこいつだけはうつろな目をして宙を見ていた。俺達に興味がないのか、それとも<ゲーム>の内容を知っているのか。
 これ以上見ていても何も得られそうになかったので、隣の奴に目を移した。
 顔は随分と整っており、男の俺から見ても美形だと思った。ただ目はナイフのように鋭く、少し頬が痩けており、参加者達を見る眼はやけにギラギラとしていて、まるで野獣のようだった。
 全てを喰らってでもこの大会を勝ってみせる、そんな強いハングリー精神を感じた。
 隣の奴に目を移すと、思わず鼻で笑ってしまう。なぜなら非常に場違いな奴が居たからだ。
 中肉中背よりやや肉が多く、度がキツそうな眼鏡を掛けており、何故かスーツを着ていた。
 誰がどう見てもサラリーマン。中小企業の、良くて課長止まりの、典型的なサラリーマンがそこに居たのだ。これを笑わずにいられるものか。
 こりゃ速攻で負けるな、とせせら笑いながら次の奴に目を移す。
 良くも悪くも、普通の奴だった。何の変哲もない、強いて言うなら頭が良さそうな顔つきだなと思える以外、何の特徴もなかった。
 頭のてっぺんからつま先まで何度も見たが、結局何の特徴も見つからず、見るのを止めて次の奴に目を移す。
 髪の毛はやや長めのショートカットで、眼はくりくりとしており、小動物を連想させるような眼をしていて、更に遠目で見れば女に見えなくもない中性的な顔つきだった。合同コンパとかに連れて行ったら、女共にさぞや人気がある事だろう。
 だがそいつを見れば見るほど、言いようのない苛つきが俺の中で募る。顔とか背格好とか、仕草とかが気にくわないのではない。何故か、生理的に受け付けないのだ。
 よく分からない苛つきが限界を迎えそうだったので、少しでも発散しようと歯を噛み締めながら相手を睨み付けた。
 相手が俺の視線に気づく。この視線をどう解釈したのかは不明だが、相手はニッコリと笑った。まるで悪人を慈悲で包み込んで労るような、そんな無垢で極上な笑顔だった。
――瞬間、ぶちりと『何か』が切れる音が聞こえた。マグマのように身体の奥底に溜まった怒りを、全てそいつにぶつけてやろうと拳を握りしめる。
 「全員、揃ったようですね」
 俺をここに招いた張本人の声、例の奇術師擬きの声が聞こえ、怒りよりも驚きが勝り、拳が解かれた。
 皆一斉に声が聞こえた方向に視線を向ける。だが、そこには暗闇しか広がっておらず、例の男の姿は見えなかった。
 「くだらねぇ演出だな…」
 隣にいる目の死んだ奴が、ぼそりと呟いた。俺も同意見だったが、口には出さなかった。
 「とっとと姿を見せろ! 私はくだらん茶番劇に付き合いに来たわけではないぞ!」
 野獣のような奴がナイフのように鋭い目を更に細め、暗闇の中にいる男を威嚇するように睨み付ける。
 「皆さんをお誘いするときに申した筈ですよ? これは<ゲーム>だと。<ゲーム>を面白くするためにはまず最初の掴みが肝心なものです。生憎、それは失敗に終わったわけですが…」
 うっすらと、向こうの方に薄暗い光が灯る。その後、すっ、と物音一つ立てず、空中に浮かんだ顔が現れた。
 「ひっ!」
 サラリーマンが情けない声で、短い悲鳴をあげた。急に現れた顔に驚いたのかと思ったが、目を凝らしてよく見るとその顔は人の顔を象った物、つまり能面だ。『翁』と呼ばれる爺のお面で、木を削って作られており、毬藻のような白い眉毛と、筆のような白い髭が特徴的だった。
 仮面ではなく能面とは、悪趣味なことこの上ない。
 カツン、と靴音を鳴らし、男は数歩前に進んだ。男が近づくにつれ、薄暗い光は光度を増していく。
 「ようこそ、皆様。この<ゲーム>に参加頂き、誠にありがとうございます」
 男は完全に円形の光の元に身を晒した後、俺達に恭しく頭を垂れた。
 頭を垂れたまま、男は続ける。
 「皆様にお渡しした紙に書かれているように、このゲームは一週間近く、またはそれ以上掛かります故、その間の外出は一切禁止とさせてもらいます。尚、ここに居る間の衣食住はこちらで支給致しますので、ご安心を。お部屋は――」
 「おいおい、ちょっと待てよ」
 目の死んだ奴が、男の説明を止めた。気怠そうに肩をすくめ、面倒くさそうに話し始める。
 「普通、それは後の説明だろうが。まず一番最初に話さなくちゃならねぇ事があるだろう?」
 目の死んだ奴の言うとおりだった。まず一番最初に説明して欲しいこと、それは一体何の<ゲーム>を行うのか、という事だ。それが気になっている以上、他のことなど頭に入らない。それとも、まだまだ焦らそうとしているのか。
 「俺も賛成だ。まずはその<ゲーム>がどんな事を行うのかを説明してくれ」
 男は依然として頭を垂れたままだったが、やがて姿勢を直し、俺達を能面越しに見つめる。
 「なるほど、皆様はそれをご所望な訳ですね?」
 男がそう俺達に問いかける。当然、と言わんばかりに皆首を縦に振る。
 白い髭を撫でた後、男は小さく頷く。
 「分かりました。では順番を変えましょう」
 男が顔の高さまで手を上げると、向こうにまた一つ円形の光が増えた。ただ、二つの光とは違い、二重丸のように見える。理由は円形の光の中に円形の黒い線が引かれていたからだった。円形の光のせいで二重丸に見えるが、多分あそこにあるのは、ただの黒い線で引かれた円だろう。
 男が小さく手を振ると、今度は光が三つ程増えた。先程現れた円と同じで、全て二重丸見えた。
 今度は手を下ろす。すると、円形の光は全て繋がり、黒い線で引かれた円もまた、黒い棒のような線で全て繋がっていた。それは、さながら串に刺さった団子のようだった。
 「あれは…?」
 阿呆のようにぽかん、と大口を開けたまま、何の特徴もない奴が言った。
 「お見えになりましたね? あれがこの<ゲーム>の舞台となる『マス』です。まず『ダイス』を振って頂き、出た数字で歩を進める分を決め、その『マス』に止まった時に出される『指令』をこなし、それを繰り返します。そして最初にゴールへと付いた方が勝ちとなります。尚、指令をこなせなかった方は速やかに退場となり――」
 「待て待て待て」
 再度目の死んだ奴が男の説明を止めた。どうやら、気になったら相手の話を中断させてでも質問するタイプのようだ。
 「勝手にこちらで説明を整理させてもらうが、そのルールとなると、俺がよく知る遊びとよく似ている気がするんだが…」
 そう言われて、俺も気が付いた。皆も同様らしく、眉を寄せて不安そうな顔になる。この<ゲーム>のルールを要約すると、サイコロを転がし、マスを進み、そのマスに書いてある事を実行するという事だ。
――つまり、これは……。
 「双六、ってオチはないよなぁ…?」
 呆れたような、それを否定したいような、様々な色合いが混じった声で目の死んだ奴はそう言った。
 そんな分けはないよな、と俺は自分の考えを否定した。
 「そうですね」
 全く淀むことなく、男は言った。
 「簡単に言うと、そういうことになりますね。この<ゲーム>を把握して頂けたのなら、それで結構です」
 俺もまた阿呆のようにぽかん、と大口を開けたまま、男を見つめる。恐らく、この場に居る参加者全員がそんな状態だろう。
 男は確かに言った。『そういうことになりますね』と。つまり、これから行われる<ゲーム>は双六と似たような、もしくは双六そのもの、という事になる。
 三億円を賭けた壮大な<ゲーム>のイメージは、音を立てて崩れていった。
 「……はは」
 目の死んだ奴が、乾いた声で笑った。
 「ははは…。あーはっは!」
 何かに堪えきれなくなり、目の死んだ奴は腹を抱えて笑い出した。だがすぐにそれも止み、歯を噛み締めながら剣幕な顔つきになる。
 「てめぇはこの俺をなめているのか…? てめぇは言ったよな? この<ゲーム>に参加すれば刺激とスリルが味わえるって」
 「ええ、確かにそのように申しました」
 男は悪びれる事なく、平然とした様子で答えた。
 「双六だと…? ふざけるのも大概にしろ!! それともなにか? お前は双六で刺激とスリルが味わえるってクチなのか? 馬鹿馬鹿しい。俺は帰る」
 目の死んだ奴は踵を返し、出口に向かって(真っ暗なので、本当にそっちに出口があるかどうかは確証が持てないが)歩き出す。
 「お待ち下さい」
 静止の声も聞かず、目の死んだ奴は闇の中へと消えていく。
 「事前に連絡してある筈です。『如何なる理由があろうと外に出ることは許されない』と。それに、貴方が求める刺激とスリルは、絶対にこの<ゲーム>で味わうことが出来るはずです。それは私が保証致します」
 「もしそれを味わうことが出来なかったら?」
 闇の中から問う声。
 「それはありません」
 きっぱり、と男はそう断言した。
 「……ふん」
 目の死んだ奴は再び、俺達が集まるスポットライトの中に入る。男を指差し、睨み付ける。
 「もしもつまらんかったら、てめぇを半殺しにしてやる」
 「どうぞご自由に」
 場を直すように男が一度咳払いをし、再び説明を始める。
 「指令をこなすことが出来なかった方は、速やかにこの場から退場となります。尚、この<ゲーム>は通常の双六ルールとは異なり、お二人ずつ『ダイス』を振って頂くというルールになっております。そして『マス』の指令をこなして頂くのですが、その間は皆様はお部屋の方に待機してもらうことになります」
 「そういえばさっきも部屋と言いましたけど、それはいったい何処にあるんですか?」
 男女な奴の声が聞こえた。澄んで綺麗な声だったが、俺の原因不明の苛つきは募るばかりだった。
 「追々説明するつもりでしたが、こちらを」
 男は左手を上げ、暗闇を指差す。皆そちらに視線を向けると、複数の扉がスポットライトに照らされて姿を表した。部屋の数は全部で6つ。ここに居る参加人数と同じ数だった。
 「扉にネームプレートが付いておりますので、各々の部屋にて待機していて下さい。待機している間でしたらお食事も雑誌も、部屋の中にある電話からご注文出来ます。有料では御座いませんのでご安心を」
 男は再び恭しく頭を垂れる。
 「それでは開催致しましょう。第十二回目、[DISE]を」
 姿勢を直し、右手を高く掲げる。
 「――ゲーム、スタート」



第一投 二話目「暖衣飽食」


 俺は今、蛍光染料で塗られたサイコロを握っていた。ころころと手の中で弄んでみる。一から六まで彫られており、暗闇の中で光ということ以外は何の変哲もないサイコロだ。
 このサイコロが、俺の今後の人生を決めるのだろうか。
 この六面体の物体が、俺の運命を握っているのだろうか。
 ぎゅっ、と念を込めて握りしめる。
 手を広げると、サイコロは自由落下を始めた。 
 くるくるとサイコロは宙で賽の目を変えながら舞う。まるで俺の人生を弄ぶかのように。
 カツン――と、サイコロは地面に当たって跳ね返った。

 カツン、カツン、カツン……。

 皆息を呑み、俺の賽の目を見つめる。
 この<ゲーム>の最初を飾る、俺の数字は――。



 「――ゲーム、スタート」
 右手を高らかに掲げ、能面野郎は開始の合図を告げた。
 すると、能面野郎の横に新たなスポットライトが現れ、そこに小さな台座があった。ワイングラスのカップの部分を外し、それを反対にしたような形だ。
 能面野郎はそこに置かれていた四角形の白い物体を手に取る。すぐにそれが双六で最も欠かせない物、賽子であるということに気づく。
 「ダイスはこちらの方を使用してもらいます」
 摘むようにして賽子を持ち、オレ達にそれを見せる。イカサマ防止のつもりかも知れないが、誰も賽子など持ち込んではいないだろう。なぜなら、この<ゲーム>が双六などと、誰が予想するだろうか。
 「順番もこちらの方で既に決めさせてもらいました。異議はありますか?」
 誰一人、声を上げる奴は居なかった。
 双六だから最初の奴が有利かと思えるが、それはあくまで『普通』の双六に於いての話。賽子を転がし、『マス』に止まるとどうなるのかは今もっても不明だ。なにせ肝心の『マス』には何も書かれていないのだ。
 だからこそ、最初が有利だとは言い切れない。一番良いのは二番手。つまり、このルールに於いては三番目と四番目の事だ。
 それならば、この<ゲーム>では何をするのかがハッキリと分かった上で賽子が振れる。
 「一番目――」
 能面野郎が、最初の野郎の名前を読み始める。
 「藤丸 臣様」
 名前が読み上げられ、オレは周りの奴らを見る。
 返事はしなかったものの、オレの隣の野郎が苦虫を噛み潰したような顔つきになり、憎々しく舌打ちをする。誰が藤丸なのかは、明確だった。
 見てすぐに思ったのは、何事に置いても中途半端な野郎、という事だった。
 こういうタイプの人間は飽きるほどに見てきたから、オレには分かる。何事に置いても中途半端で、恐らくこの<ゲーム>に参加する理由も中途半端なものなのだろう。
 「二番目、平田 貴史(ひらた たかし)様」
 珍しいことに、運悪くオレの名前が呼ばれる。いつもだったらオレが最適だ、と思った順序になるというのに。
 「三番目、葉山 秋(はやま あき)様」
 やや髪の長い野郎が微かに頷く。
 物静かにたたずんでいるが、この場に居るどの野郎よりも、ピリピリとした空気を纏っていた。
 「四番目、星川 健壱(ほしかわ けんいち)様」
 「はい」
 苦労を知らなさそうな坊っちゃんが、行儀良く返事をした。
 どんな目的があってこの<ゲーム>に参加したのかは不明だが、この場に一番相応しくない野郎だった。
 「五番目、竹中 信示(しんじ)様」
 「よろしくお願いします」
 誰がどう見てもサラリーマンにしか見えない野郎が、物腰低そうに御辞儀をした。
 一番浮いている存在だったが、ある意味、一番居るべき存在だとも言える。子供の養育費やら、家のローンなどで金に困り、この<ゲーム>に参加したのだろう。
 家族を担う父親とは大変なものだな。思わず、鼻で笑う。
 「六番目、宮ノ内 透(みやのうち とおる)様」
 「はい」
 甲高い声だったし、身体の線が細いので最初は女かと思ったが、胸がないから恐らく男だろう。惜しいな、もしもこの野郎が女だったら、よっぽどの上玉になるだろうに。
 「以上の順番で進行させてもらいます。では――」
 能面野郎が歩き始めると、足下を照らすように光が増えていく。まるでモーゼだ。
 藤丸、と呼ばれた野郎の眼前に立つ頃には、さっきまで能面野郎が立っていた場所とこちらの光が完全に繋がり、カプセル状の形になる。
 「お受け取り下さい」
 藤丸が手を出すと、能面野郎が淡く光る賽子を手から零す。
 「第一投目一番手、藤丸 臣様」
 能面野郎がそう告げると、藤丸は緊張した顔つきになり、賽子をぎゅっ、と握りしめる。大方、有りもしない『念』とやらを込めているのだろう。
 手を広げると、賽子はこぼれ落ちていく。やがて下に落ち、カツン、と音が鳴って跳ねる。

 カツン、カツン、カツン……。

 皆の視線を集めながら、賽子は飛び跳ねる。やがて、賽子は跳ねるのを止め、六面の内の一つを提示する。それが藤丸という男の進む目であり、天国か地獄かを決める目でもある。
 数は――。
 「藤丸 臣様、数字は六」
 「うしっ。幸先が良いな」
 藤丸は小さくガッツポーズを決め、満足そうに笑う。
 能面野郎が下に転がっている賽子を拾い、今度はオレの前に立つ。
 「お受け取り下さい」
 オレは手を出し、能面野郎から賽子を受け取る。
 「第一投目二番手、平田 貴史様」
 オレは受け取った賽子を手の中で転がしてみる。何の変哲もない、普通の賽子だ。
 だが、普通の賽子だろうがなんだろうが、オレが使えばたちまち『四五六賽(じごろさい)』に化けてしまうのだ。
 名前の通り、四と五と六しかない賽子の事で、いわゆるイカサマ用の賽子だ。チンチロンなど、賽子で遊ぶ賭け事の時に使われているらしい。
 類い希ない強運によって、オレは今まで一と二と三を出したことがない。だから、双六で真剣勝負をしようにも、端からオレの相手が務まるわけがないのだ。
 勝負事になると、オレは絶対に負けない。負けることが出来ない。だからこそ、勝つか負けるかという、ギリギリの境界線を味わうことが出来ない。
 オレが求めるのは、そういうもの。刺激とスリルに溢れた、勝負の狭間だ。
 手の中で転がり続ける賽子を見つめる。
 オレの人生を賽子に例えるならば、四五六賽のようなもの。絶対にバレないというお墨付きの、四五六賽だ。
 勝つことが当然で、刺激とスリルを味わうことが出来ない、くだらない賽子だ――。



 オレは生まれたときから既に皆に勝っていた。なぜなら、日本でも有数の金持ちの家に生まれたからだ。
 生まれたときから既に、人が皆求める物をオレは手に入れていた。
 入学した学校もエスカレーター式の学校で、苦労せずとも大学まで上がれた。もっとも、テストでは何度も学年トップを取っていたのだから、エスカレーターでなくとも大学までは行けただろうが。
 大学は二年目で中退した。親父が病気で倒れ、前線を退くことになり、オレが会社を次ぐことになったからだ。またしても苦労せずに、サラリーマンが最もなりたがる役職である、社長になった訳だ。
 それから二年間、オレは社長として過ごすこととなった。
 特に目立ったことをしたわけでもないのに、会社の業績は伸びていった。周りは次々と倒産していく中、オレの居た会社だけが不気味なまでに成長していった。
 二十三歳の誕生日を迎えたときに、社長の座を降りた。オレがこのまま社長をやっていても何も得られない気がしてきたからだ。
 次の社長は叔父に譲った。優秀ではないが、信頼できる人物であった為だ。
 それから一ヶ月後、電車で着の身着のままに出掛け、適当な場所で適当なアパートを借り、暮らし始めた。
 何か刺激はないだろうか、そんな事を思っての行動だった。だが、結局何の刺激もなく、だらだらと日々を過ごすだけだった。
 それから半年後、親父は天寿を全うし、遺書にはオレに全ての財産を譲ると書いてあったため、オレは若干二十二歳にして億万長者の仲間入りとなった。もう一生涯、お金の事で苦労することはないだろう。
 望んだ訳でもないのに、オレは人が望む物を手に入れてきた。
 それは金であり、地位であり、知性あり……。
 苦労することなく、全てを手に入れてきた。
 だが、違う。オレが求めるのは刺激。生きている、ということを実感できる、身を震わせるような刺激をだ。
 そしてスリル。目の前が真っ白になって、何にも考えられなくなるような、そんなスリルを求めているのだ。
 オレは常にそれらを切望していた。誰かオレに与えてくれないかと、神に祈りたくもなった。
 そして五日前、そいつはオレの前に現れた――。



 ゾンビのように、オレは街を彷徨っていた。
 それがオレにとっての日課であり、日常でもあった。
 昼時になり、オレは寂れた喫茶店で適当に飯を食っていた。
 店内に人は少なく、流行りの曲が有線放送から流れていた。
 カラン、と来客を告げる鐘が鳴った。
 客を見ることなく、オレはスパゲッティーをフォークで巻き、もしゃもしゃと不味そうに食っていた。
 すっ、と音もなく、たった今来た客がオレの横を通っていった。
――瞬間、ぞくり、と背筋が凍った。
 オレは思わずその客を見た。何処にでも居そうな普通な格好で、何処にでも居そうな野郎だった。
 なのに、纏っている雰囲気だけは、一般人のものとは明らかに違っていた。
 オレは今まで様々な人に会ってきた。それでこそ、どうしようもない人間の屑から、マザー・テレサのような善人まで、だ。
 そのどれにも該当しない、身の毛も弥立つような、酷く歪で異質な雰囲気だった。
 「おい、あんた」
 興味を惹かれたオレは、声を掛けながら席を立った。
 呼ばれたことに気づいてないのか、それとも無視しているのか、男はそのまま席に座った。オレは相席し、対面するように座った。
 「……何かご用ですか?」
 男は一般人の反応と同じように、オレという急な侵入者に警戒心をみせた。
 「いや、別に。ただあんたに興味が湧いただけさ」
 今思っていることを、オレは包み隠さず言った。
 「興味…ですか」
 店に入ってきたときに既に頼んでいたのか、男の席にウェイターがコーヒーを運んできた。
 「ああそうだ。普通の野郎とは全く違うその雰囲気。どこで何をすればそんな風になるんだ?」
 男はクリープを一つ入れ、角砂糖を二つ入れてからスプーンでかき回した。そして、静かに飲み始めた。
 「さあ、私はしがないサラリーマンですよ」
 さらり、と男は答えた。
 「サラリーマン? 嘘をつけ。何処の世の中にそんな雰囲気を纏ったサラリーマンが居るんだよ。答えろよ、てめぇは何者だ?」
 「……知りたいですか?」
 男の目つきが、一瞬にして豹変した。全てを射殺すような、冷たくて鋭い目つきだ。
 「……そりゃな、是非知りたいね」
 相手に気圧されないように、こちらも目つきを変えた。腹のさぐり合いなら、社長時代に嫌というほど鍛えられた。もっとも、古狸相手の話であって、このような相手に通じるかどうかは不明だが。
 「とある<ゲーム>に参加してもらえば、私の正体が分かるかと思いますよ」
 男は、ぐい、とコップを傾け、コーヒーを全部飲み干した。
 「<ゲーム>? なんだそりゃ?」
 「賞金三億円を賭けて行われる<ゲーム>ですよ」
 一般人にしてみれば、三億円とは夢のような金額だろう。だが、オレにとっては端金にしか過ぎない。
 「くだらねぇな。そんなのには興味ねぇ。オレが求めるのは、刺激とスリルだけだ」
 そう、オレが男に話しかけたそもそもの発端が、こいつならオレに刺激とスリルを与えてくれるだろう、と思ってのことだった。くだらないゲームの誘いを受けるためではない。
 読みが外れたか。ため息混じりに窓の外を見た。
 「<ゲーム>に参加すれば、きっと貴方の望む物が手にはいるでしょう」
 「何…?」
 視線を戻したときには、そこにはもう既に男は居なかった。代わりに、カラン、と鐘が鳴った。
 「いつの間に…」
 男から視線を外したのは三秒にも満たっていなかった筈だ。なのに、男はその間に店を出て行っていた。
 ここから出口までは、およそ二十メートル。音もなく、瞬時に二十メートルを移動することなど可能なのか?
 超能力者のように、瞬間移動でも使ったのか?
 「はは…。そうでなくちゃなあ…」
 オレは嬉しくなり、身震いをした。
 オレの読みは当たっていた。男はオレに、刺激とスリルを与えてくれる場所を提供してくれた。今のオレの全てを変えてしまうような、刺激とスリルに満ちた<ゲーム>が待っているに違いない。
 「……場所って、何処だ?」
 肝心な事を忘れていた。オレは男から、いつ、どこで行うのかを聞いていなかった。
 「くそっ!」
 己の失態を悔やみ、悪態をついた。
 出て行った男を追いかけようと、伝票を掴む。
――と、男が呑んでいたコーヒーカップの中に、小さな紙が入っていることに気が付いた。
 オレはそれを手にとり、広げてみた。
 「はは…。こりゃますます期待できそうだな…」
 オレは再び身震いをした。
 そこには、<ゲーム>の開催地と日にちが書かれてあった――。



 能面野郎はハッキリと言った。この双六で『刺激とスリルが味わうことが出来る』と。
 双六でそれを味わうことが出来るなど、聞いたこともない。しかし、今はそれに期待する他ないのか。
 オレは賽子を天高く放り投げた。
 賽子は放物線を描きながら落下し、先程よりも大きく跳ねる。

 カツン、カツン、カツン……。

 地面でくるくると回った後、活動を停止した。どうやら賽子は、オレの運命を決めたようだ。
 オレの最初の目は――。
 「平田 貴史様、数字は四」



第一投 三話目「紫電一閃」


 目の死んだ奴の数字は四。最初から『死』とは、運の悪い野郎だ。
 対して俺は六。このサイコロでの最高の数値だ。幸先が良い。
 「それでは藤丸様、平田様。一番最初の円の中に入って下さい」
 男に促され、一番始まりの円の中に入る。すると、真っ白だったマスから文字が滲み出て来る。それは、双六に於いて欠かせない物、『スタート』地点だった。
 「平田様は四。藤丸様は六。数の分だけお進み下さい」
 目の死んだ奴と一緒にマスを渡り歩いていく。
 スタート地点から三つ分マスを進むと、新たにスポットライトが照らされ、目の前のマスが一つ増える。
 目の死んだ奴は、そこで立ち止まる。
 「鬼が出るか、蛇が出るか…」
 腕を組み、何故か嬉しそうに目の死んだ奴はそう言った。
 俺にとっては、どちらが出て来ても嬉しくはない。出てくるならばせめて、子鬼とマムシ程度にしてもらいたいものだ。
 再び新たにスポットライトが照らされ、マスが二つ増える。スタート地点から六マス目までスポットライトは全て繋がり、やけに数の多い串団子となった。
 俺は二マス分だけ歩く。これで、俺が出した数字分だけ歩いたことになった。
 スタート地点同様、何かの文字が滲み出てくる。恐らく、これが男の言っていた『指令』なのだろう。
 出て来た文字は――。
 「ナンバーワン…?」
 俺の足下に現れた文字は、『No.1』。これが指令なのか?
 「ナンバースリー…?」
 目の死んだ奴は俺と同じように、訝しげに足下の文字を読み上げた。あっちは『No.3』で、こっちは『No.1』だ。数字の違いはあるものの、これが何を意味しているのかは分からなかった。
 「藤井様、数字は“一”。平田様、数字は“三”」
 理解できないこちらの事などお構いなしに、男は<ゲーム>を進行させていく。
 「それでは藤井様、平田様。あちらの方へお越し下さいませ」
 男は部屋の反対方向を指差した。すると、そこには先程まではなかった扉が、闇の中から浮き出ていた。
 扉からビームでも照射されるように、あっちの光とこっちの光が繋がる。目の死んだ奴の場所も、男の場所も同様に繋がった。
 光からはみ出ないよう、細長い橋を渡る如くに歩く。踏み外してしまったら、闇の底まで堕ちるような気がしたからだ。
 「どうぞ、お入り下さい」
 男は扉を開け、俺達に部屋の中に入るように催促する。
 目の死んだ奴は、何の抵抗感もなく、吸い込まれるように部屋の中に入っていた。その中が地獄かどうかを確かめもせずに。
 俺は中を覗き見る。が、やはり暗くて何も見えなかった。
 虎穴に入らずんば虎児を得ず。賞金を得るためには、中が地獄であろうと入る他はないのだ。
 意を決し、俺は中に入った。



 中に入ると、真っ暗で何一つ見えなかった。何処へ行っても闇が付きまとうこの<ゲーム>は、さながら暗闇祭と言った所だろうか。
 カチリ、と何かのスイッチが入る音が聞こえた。それでようやくこの部屋に光が灯り、中の様子が分かった。
 部屋全体の大きさは十畳程度はあり、壁は全ていぶし銀色だった。本来なら広いこの部屋も、中央にとんでもなくでかい機械が置かれているせいで狭く感じた。
 九十年代のSF映画を思わせるような、少々レトロめいたデッサンをした装置が、二つ並んでそこに置かれてあった。
 装置の中央には、カプセル状のガラス(もしかしたら強化プラスチックかも知れない)が設置してあり、その中に用途不明の機械と乱雑にばらまかれた配線、更に人一人が入れそうなスペースがあった。もしもオレの想像通りならば、このカプセルの中に入るに違いない。
 「横にあるスイッチを押して下さい」
 カプセル状のガラスのすぐ横に赤いスイッチがあったので、オレはそれを、ぐっ、と押し込んだ。すると、蒸気機関車のように装置が煙を勢いよく吐き出す。
 その煙はひんやりと冷たかったので、大方ドライアイスの気化した煙だろう。ますます九十年代のSF映画のノリだ。
 煙を吐き出すだけ吐き出した後、中央のカプセルはまるで貝のように開く。
 「カプセルの中に入り、仰向けになって寝て下さい」
 能面野郎の指示に従い、カプセルの中に入ろうとする。だが、隣の藤丸はビビっているのか、カプセルの中に入ることを躊躇っているようだった。
 面白そうなので、からかってみる。
 「なんだ? ビビってんのか?」
 オレから話しかけられたことに驚いたのか、それとも図星だったから動揺したのか、挙動不審気味にオレの方を向く。
 「べ、別にビビってなんかねぇよ。ただ、自分のタイミングでカプセルに入ろうと思っているだけだ」
 それをビビっているという事を、こいつは知らないのだろうか?
 藤丸は何度か深呼吸し、小さく「よしっ」と気合いを入れてから、まるで熱いお風呂にでも入るように慎重に足を入れていく。
 なるほど、こいつは臆病腐れなワケか。一人で納得し、鼻で笑う。
 藤丸を尻目に、オレは臆することなく両足を入れ、配線を避けてから仰向けになる。
 カプセルの中は思いの外広く、身長が百八十センチ近いオレが入っても、足下にはまだ余裕があった。
 「お二人ともお入りになりましたね? それでは、頭の上辺りにある装置をお付け下さい」
 頭上を見ると、黒いヘルメットのような物があった。それは、フルフェイスに近い形状で、鼻と口の部分は空いており、頂点の部分辺りからは何本もの配線が伸びていた。
 おぼろげだが、この<ゲーム>の内容が掴めてきた気がする。
 大方、これでリアルな立体映像でも見せ、オレ達を疑似世界へと誘うのだろう。そして、そこで<ゲーム>が行われる。
 その<ゲーム>は隣の藤丸、つまり、隣のカプセルに入った奴と一緒に、共同線を張って指令とやらをこなす。もしくは、対戦するか、だ。
 どうやら、この機械の制作者も、能面野郎も、九十年代のノリがお好きなようだ。
 鼻で笑いながら、安っぽいヘルメットを被った。
 「準備は完了致しましたね。それでは、カプセルを締めます」
 カチャカチャとタイピングのような音が聞こえた後、機械が動く重低音と共にガラスがゆっくりと降りてくる。
 あと5秒もすれば、このカプセルの蓋は閉まり、オレは疑似世界へと誘われるのだろう。あと少しでその結果も分かるというのに、つい疑問に思ってしまう。
 ――そこでオレは本当に刺激とスリルを味わえるのだろうか、と。
 オレの疑問など露ほども知らず、カプセルはまるで二度と空かない貝のように、隙間なく閉まる。
 ほんのりと、甘い匂いがオレの鼻孔を刺激する。やがて鼻孔から脳へと伝わり、浸透していく。
 少しずつ、オレの意識が遠のいていくが分かった。
 脳が活動を止めるように、身体に命令を出す。
 足の感覚がなくなり、手の感覚もなくなっていく。
 静かな、規則正しい呼吸音に変わっていく。
 起きたら、そこは刺激とスリルに満ちた疑似世界なんだろうな。何の確信もなく、そう思ってしまう。
 淡い期待に心弾ませる自分に鼻で笑いながら、オレの意識は消えていった――。
 


 そよ風が、俺の頬を撫でていく。
 さらさらと、草が擦れ合う音が聞こえる。
 そして、自然の営みを感じさせる、土と草が混ざり合った匂いが俺の鼻をくすぐる――。

 「……え?」
 身を起こし、やけに重たい目蓋を擦る。頭を左右に何度か振り、意識を何とか覚醒させようとする。
 何度か瞬きをし、自分の視界に入っている物を認識する。
 「土…」
 そう、土だ。俺の今目の前にあるのは、誰がどう見ても『本物の土』だ。手に取ってみても、その触感は土以外の何物でもなかった。
 俺は慌てて辺りを見渡す。
 廃ビルと廃屋が建ち並び、他にも廃車、ドラム缶、木…。日本らしくないその建物達は、どこか外国の寂れた町を連想させる。
 更に、遠くの方には高い柵があり、町を囲んでいた。俺の身長よりも数倍高く、天辺にはトゲトゲの鉄線が見える。これでは、まるで監獄だ。
 確かに俺はカプセルの中に入っていた筈だ。なのに、これは一体どうしたというのだろうか?
 あのカプセルを見て、てっきり俺は普通のゲームのように、疑似世界で<ゲーム>を行うものだとばかり思っていたが、気を失っている間に別な場所へと連れてこられたのか?
 それとも、現実としか言いようのないこの世界が、<ゲーム>の為に用意された疑似世界だとでも言うのだろうか?
 触感もあり、頬をつねれば痛みもあり、匂いもある。それすらも、全て忠実に再現した疑似世界なのだろうか?

――ウ――……ウ――……。

 突然、けたたましい音が辺りに響き渡る。今まで聞いてきたどの音よりも嫌な音で、恐ろしいことが訪れると俺の本能がそう告げていた。
 「これは…空襲警報…!?」
 テレビでしか見たことのない戦争の最中、この音が鳴り響くと、皆は悲鳴をあげながら逃げた。
 サイレンは皆に告げる。悪魔がやって来たぞ、と。
 彼らがもたらすのは、恐怖と破壊だけ。彼らが訪れた後は例外なく、大きな爪痕が残った。
 それが、ここで再現しようとしているのか?
 彼らが、やって来るとでも言うのか?
 「賽は、投げられた」
 サイレンが止み、代わりに女の声が響き渡った。その声はどこか幼く、変声期を向かえる前の少女なのかも知れない。
 「賽によって、貴方の試練は決められた。試練に立ち向かう為に、さあ、武器を取れ。戦う為の、武器を取れ」
 少女は何度も繰り返す。武器を取れ、武器を取れ――と。
 戦うための武器、つまりそれは、ここで『何か』と戦うということなのだろうか。ようやくゲームらしい展開に、ホッと胸を撫で下ろす。やはり、ここは疑似世界のようだ。
 少女は、武器を取れ、と飽きずに俺に催促し続ける。
 武器なんて何処にあるのだろうか、と思いつつ、念入りに辺りを見渡してみる。すると、少し葉の長い草むらの中に、銀色の物体が見えた。
 俺は立ち上がってそこへ行き、それを引っ張り上げる。それは、頑丈そうなアタッシュケースだった。
 さっきまで座っていた場所に戻り、地面に置く。ロックを外し、ゆっくりと蓋を開けた。
 「貴方は武器を手に入れた。戦う為の武器を手に入れた。さあ、今こそ試練に立ち向かう時」
 アタッシュケースの中には、黒々とした物が一つ――いや、一丁入っていた。
 引き金を引くだけで、相手の命を意図も容易く絶ってしまう武器。拳銃だ。
 手に持ってみると、それはずっしりと重く、冷たかった。
 「終わりを告げる砂時計。それが落ち終わる前に、貴方は試練を乗り越えなければならない」
 少女の呪文めいた言葉で、中に入っているのが拳銃だけではないことに気づく。どうやら、拳銃に目を奪われ、隣にあった時計にまで気が回らなかったようだ。
 砂時計の代わりに、中には黒いデジタル時計が入っていた。画面には白い文字で『30:00』と表記してある。恐らく、三十分以内に試練をこなせ、ということだろう。そして、時間の表記以外にもう一つ何かを表す数字があった。
 赤い文字で『3』と、白い文字で『人』。繋げて読むと……。
 ――3人?
 「狩人は血肉を求め、彷徨い歩く。さあ、狩人になれ。狩人と成れ。脅える羊を貪り尽くせ」



 「貴方は武器を手に入れた。殺し合う為の武器を手に入れた。さあ、今こそ殺陣を行う時だ」
 オレは拳銃を握りしめた。女は言った。『殺し合う為の武器』だと。
 腕に付けた時計を見る。そこには、白い文字で『30:00』と書かれてあった。恐らく、三十分以内という意味だろう。そして、その下に書かれてある文字。
 赤文字で『5』、白文字で『人』。オレの読み間違いでなければ、5人ということになる。つまり、これは――。
 「終わりを告げる砂時計。貴方は六十待たなければ、殺し合いを初めてはいけない。そして、砂時計が全て落ち終わる前に、貴方は殺し合いを終えなければならない」
 ケースの中に入っていたマガジンを取りだし、弾が入っていることを確認してからポケットに入れる。
 拳銃に入っていたマガジンを一旦取りだし、こちらも弾が入っているかどうかを確かめる。どうやら満タンに入っているようだ。
 昔、親父に連れられ、アメリカで拳銃を撃ったことがある。その時に使ったのがこれだ。
 拳銃の名前は『グロック19』、撃った時の反動は小さく、馴れれば片手でも撃てるだろう。総弾数は、マガジンに十五発と、既に装填してある弾を合わせて計十六発。予備のマガジンを合わせれば、今オレの手持ちは計三十一発。充分すぎる数だ。
 「快楽を得る為に、貴方は殺し合う。貴方の望みの為に、屍を積み上げていく。ならば、山になるまで積み上げろ」
 オレは空を仰いだ。雲一つない、晴々しい青空だった。
 まさか、これが能面野郎の用意していた<ゲーム>だったとはな。思わず、オレは鼻で笑う。やがて、腹を抱えて笑い出す。
 確かに、これなら刺激とスリルを味わうことが出来るだろう。例え、ここが疑似世界だったとしても、五感どころか生き物の居る気配、オレに向けられている殺気を感じ取ることが出来るくらい、リアルに作り上げたこの世界ならば――。



 「武器は持った? 砂時計は持った? さあ、始まる。[DICE]が始まる。皆が待っている、[DICE]が始まる」
 もう一度、辺りにサイレンが鳴り響く。
 「ゲーム、スタート」

 ――そして、砂時計が静かに落ち始めた。




第一投 四話目 「孤軍奮闘」
 

 腕に付けた時計を見つめる。数字は進み始め、女が言っていた六十の待った後に始まる殺し合いが、刻一刻と迫っていた。
 数字が一減る事に、オレの心拍数は上がっていく。六十経つ頃には、心臓が破裂してしまいそうだ。
 オレは辺りを見渡す。地形を把握しておかなければ、勝てる戦も勝てなくなる。
 廃ビルが立ち並び、その中に混じるように、背の低い廃屋があった。どの建物も窓は全て割れており、入り口の扉は無く、使命を果たしていない蝶番があるだけだった。
 建物の構造、雰囲気からして、恐らく、ここは国内ではないだろう。何の意図があって外国をこの<ゲーム>の舞台にしたのかは不明だが、この疑似世界の作者の考えを理解しなくとも、殺し合いに不備はないだろう。
 早い話、オレが楽しめれば良いのだ。
 腕時計を見る。砂時計は三十を切り、既に半分落ちていた。それに比例するように、心拍数は上がり続けていた。
 オレは今まで、こんな空気を味わったことなどなかった。現実世界とは違い、破壊と混沌で満たされた、この空気を。だからこそ余計に、味わったことのないこの空気に酔いしれていた。
 餌を目の前にして待つ犬のように、荒い息で時計の数字が進むのを見つめ続けていた。
 まだか、まだか、まだなのか。

――カチリ……。

 残り二十を切ったところで、冷たい、無機質な音が聞こえてきた。
 オレは、ハッ、となり、近くの廃ビルに駆け出す。
 走りながら、オレは自分の迂闊さを呪った。女は言った。『殺し合う為の武器』だと。そこでオレは気づくべきだったのだ。相手が人間である以上、相手も武器を装備しているという事に。そしてその武器が、オレと同じ、拳銃であるという事に。
 廃ビルの入り口は、数十メートル先にある。だが、既に残りは十を切っていた。
 残り九、オレは走り続ける。
 残り七、入り口は目前だというのに、その距離が遠い。
 残り五、辿り付けるのか? そんな疑問が頭を過ぎる。
 残り三、手を伸ばせば届く距離。だが、それでは弾は避けられない。
 残り一、入り口に向かって、オレは跳んだ。

――ガガガガガガガガガガガガガガガガガ!!!!

 オレが廃ビルに入った途端、真鍮性の雨が入り口に向かって降り注ぐ。
 単発では対したことのない拳銃でも、複数となれば話は別だ。
 だが、数十発程降り注いだ後、真鍮性の雨は唐突に止んだ。時間にして五秒にも満たないその短時間で、雨は入り口を削り、一人用程度の大きさが、二人用ぐらいに大きくなっていた。
 「クソッ!」
 悪態をつきながらも、弾に当たらないように、奥へと避難する。
 どうやらオレが入った廃ビルは、潰れた安ホテルらしい。足下を見ると、何かの書類があちこちに散らばっていた。
 遠くの方で、一発だけ銃声が響く。

――カン、ヒュン。

 床で何かが跳ねた後、鋭い風切り音がオレの耳のすぐ近くを過ぎていき、そのまま天上へと突き刺さった。
 跳弾だ。あと少し右側にずれていたら、オレの頭に突き刺さっていただろう。
 「痛ッ…」
 一拍子遅れて、鋭い痛みが耳に走った。耳に触れてみると、血が出ていたが、出血の量からしてかすり傷程度だろう。ゲームで言えば、ヒットポイントが少し減った程度か。
 どの程度ダメージを受けたらゲームオーバーになるのかは不明だが、攻撃を受けたら『本当に』痛みを感じるのだ。あの弾に当たれば、現実世界で本当の弾に当たったぐらい、痛いのかも知れない。それは、発狂しそうな痛みなのだろう。オレは『M』ではないから、痛いのは極力避けたい。
 跳弾で死ぬことはないとは思うが、当たり所によっては致命傷になりかねない。跳弾を避けるため、近くにあった階段で二階へと昇る。
 二階に辿り着くと、そこには細長い廊下と、客室用の部屋が二つあった。部屋の扉はどちらも壊れており、ここでも虚しく蝶番だけが残っていた。
 三階にまで階段は続いていたが、いざというときに三階では不利だ。よって、ここで相手の出方を窺う事にする。
 客室に入ると、そこには木の机と、埃の積もったベットだけがあった。
 木の机を持ち、廊下に出る。そして、バリケードを張る為に、階段の所に机を置いた。隣の部屋に入ると、やはり同じ物だけが置いてあった。再び木の机を持ち、階段の所に置いた。
 これだけでは心許ないので、一番最初に入った部屋にもう一度入り、ベットをバリケード用に運ぶ事にした。ベットは思いの外軽く、オレ一人でも運ぶことが出来た。念のため、隣の部屋のベットも階段に運んだ。
 一番最初に入った部屋に三度入り、ガラスのない窓からそっと顔を出し、外を見る。
 この廃ビルの入り口、建物の陰、廃ビルの内部…。
 視線を忙しく動かすが、見られる範囲が少ない為、ここからでは敵を一人も発見出来なかった。
 一人ぐらいはオレを追いかけて建物から出てくるかと思ったが、相手もそこまで馬鹿ではなかったようだ。
 相手は、オレがこの廃ビルに居ることは既に知っているだろう。対して、オレは相手の場所を知らない。だが、オレが籠城を決め込んだ以上、相手も迂闊な出方は出来ない筈だ。
 互いを探り合う、膠着状態が出来上がったワケか。己の失態を、鼻で笑う。
 制限時間が付いているこの<ゲーム>では、有り難くない展開だった。
 外に気を配りながら、腕時計を確認する。
 残り時間は――。
 

>―24:52。


 腕時計を見ると、既に五分が経過していた。
 廃墟と化しているこの町を歩きながら見てみたが、人っ子一人居らず、辺りは静閑としていた。
 これでは血肉を求める狩人どころか、隠れんぼの鬼だ。もっと激しいものを想像していたが、なんて事はない、地味な<ゲーム>だった。
 <ゲーム>とは『島一個を使った隠れんぼ』ではないか、なんて推測をしてみていたが、まさか八割方当たっていたとは、思ってもみなかった。
 壮大な疑似世界で行われる、壮大な隠れんぼ。それが、この<ゲーム>の正体だったとは。正直、拍子抜けである。
 まあ、優勝すれば三億円を貰えるのだから、例えどんなにくだらない<ゲーム>だったとしても、何の文句もないが。
 手に持った拳銃を握りしめる。
 本物の拳銃を持ったことがないから分からないが、この質感、この重量感、偽物とは思いづらかった。
 今度はじっくりと見つめてみる。
 それにしても、本当にリアルだ。グリップの部分の模様、刻印、歴戦の勲章を思わせる細かい傷。一体、どんな技術を使ってここまでリアルに仕上げたのだろうか?
 3D技術などでは、到底再現不可能だろう。となれば、SFなどでよく見るホログラフィーを駆使しているのだろうか?
 科学は日進月歩しているというが、ついに時代はここまで来たのか。一人納得し、頷く。
 腕時計をもう一度確認する。残りは二十三分。目標は三人倒すことなので、割ると一人辺り十分程度で倒さなければならない。
 あと三分で十分が経過するというのに、敵の影すら見ていない。
 近くにあった廃ビルを横目で見る。
 隠れるのに最適な建物があるならば、真っ先にそこを調べるのが得策なのかも知れないが、だが、いきなりジェイソンみたいな奴が出てこられても困る。
 更に、建物内部は死角が多い。迂闊に入れば、一撃でやられるのがオチだ。
 ――そういえば、この<ゲーム>でのゲームオーバー条件を聞いていなかった。いや、聞かされなかった。
 男はここに入るまでどんな<ゲーム>なのかを隠していたし、さっきの放送の女も、ルールらしいルールは大して言ってなかった。
 ゲームオーバー条件の一つは、もちろんタイムオーバーだろう。
 もう一つは、多分、ヒットポイントが0になったらゲームオーバー、というものなのかも知れない。個人個人にヒットポイントが振り分けられており、それが0になったらゲームオーバー、といった具合だろうか。 
 自分のヒットポイントは確かめられないし、更に、攻撃を受けたら本当に痛い。難儀な<ゲーム>だな。思わず、ため息が漏れる。
 
――カタン。

 近くの廃ビルから、何か倒れるような物音が聞こえた。
 これはもう、決定的だろう。目標は外には居ない。となれば、当然敵は建物内部に潜んでいる。
 虎穴に入るのはなるべく避けたかったが、残り時間を考えれば、入る他なかった。
 もう一度、拳銃を見つめる。
 俺が持っている武器はこれだけ。だが、ナイフとか剣とか接近戦しか出来ない原始的な武器よりも、よっぽど頼りになる。なにせ、遠くから引き金を引くだけで敵を倒せるのだ。これ以上求める方が贅沢というものだろう。
 廃ビルの入り口近くの壁に張り付き、そっと中を覗き込む。
 手前の方には小さなL字型のカウンターがあり、奥の方には細長い鉄製のロッカーが立ち並んでいた。
 心の中で三カウントを始める。
 三、二、一……。
 零と共に拳銃を構えながら、入り口の前に立つ。
 建物の中に入ると同時に前に跳び、入り口の死角に向かって拳銃を構える。何も居ない事を確認してすぐに辺りに視線を配る。幸いなことに、何も居ないようだ。
 ホッ、と胸を撫で下ろしながら立ち上がり、他に死角となっている部分はないかどうか、部屋の中を見渡す。
 部屋の中には特に大きな物はなく、死角になりそうな場所はカウンターの向こう側と、ロッカーの中。そして、二階に上がる階段があった。
 効率は悪いが、死角となっている場所を全て確かめながら二階へ上がることにした。二階に上がろうとしたときに後ろから、ガツン、なんてオチも十二分にあり得るからだ。
 拳銃を構えながらカウンターの中を覗く。割れたガラスコップの破片が飛び散っているだけだった。
 次に、ロッカーだ。ロッカーは全部で四つあり、左から順を追って中に居るかどうかを確かめることにした。
 一番目、そっと手を掛けてから一気に開け、中に拳銃を突きつける。が、中は何もなく、ハンガーが二〜三個ぶら下がっているだけだった。
 二番目、唾を飲み込んでから、一気に開け、先程と同様に拳銃を突きつける。が、やはり中には何もなく、ポルノ雑誌の切れ端が張ってあるだけだった。
 三番目、四番目、共に、もぬけの殻だった。
 自然と視線が上を向く。物音はこの建物から聞こえてきたのだ。一階に居なければ、二階に居るのは確実だった。
 階段の前へ行き、大きく深呼吸をする。一階を調べるときは、ここには居ないんじゃないか、という疑問を持ちながら探していたが、今度は違う。確実に居る。気を引き締めていかなければ、あっという間に殺られてしまうだろう。
 壁に背を付け、背中を擦りながら階段を慎重に一歩一歩上がっていく。
 階段の途中にある、小さな踊り場で俺は一旦立ち止まり、耳を澄ました。だが、聞こえてくるのは、俺の激しい心臓音だけだった。
 さっきよりも慎重に階段を上がり、二階へと辿り着く。
 細長い廊下と、木の扉が四つ。つまり、廊下に隣接する部屋が四つあった。
 この内のどれかに目標が潜んでいる。確率は四分の一だ。
 さっきと同じように、左から順に扉を開けていくことにした。
 一番目、お行儀良く手で開けるのではなく、映画のように蹴破って開けた。
 拳銃を構えながら中を見る。ここから見た限りでは、ベット以外何も見えなかった。
 中に入ると同時に、死角になっている部分に拳銃を向けながら視線を忙しく動かす。だが、簡素な木の机と、埃の積もったベットだけしかなかった。
 外れか。そう思い、踵を返して部屋を後にしようとした。

――ガタン!

 何かが倒れるような激しい物音が、俺の後ろから聞こえてきた。
 俺は急いで振り返る。すると、そこにはひっくり返ったベットと、首輪のような物を付けた黒人の男が居た。
 「な…!?」
 咄嗟に拳銃を構え、その黒人を撃とうとする。だが、俺は躊躇してしまう。
 目の前に居るのは、疑似世界で生み出された、擬似的な生命体。人間の形をしているにしか過ぎないホログラフィーの筈なのに、その気配は人間以外の何者でもなかった。
 現実世界と何ら変わりないほど、リアルに作り上げられる技術があったとしても、この気配まで表現出来るというのか?
 人間を人間として定義出来る、この魂の気配までもが、リアルに再現出来るというのか?
 目の前に居るのは、ひょっとしたら『本物の人間』なんじゃないか?
 様々な疑問が、俺の判断を鈍らせていく。
 「アアァ――――ッ!」
 奇声をあげながら突進してくる黒人。
 撃つべきか?
 撃たざるべきか?
 黒人の手が拳銃に伸びる。多分、俺から拳銃を引ったくるつもりなのだろう。
 撃たなければ、俺が撃たれるんだ。意を決し、引き金を引く。

――バァン!

 近距離で鳴り響く爆音。俺の手首にある、黒い手。弾は――ひっくり返ったベットに命中した。
 「くそっ!」
 必死になって黒い手を解こうとする。だが、黒人の握力はかなり強く、万力のように俺の腕を握りつぶそうとしてくる。
 「ぐあぁ…!」
 激痛が走り、ギリギリ、と骨が軋んでいく音がする。
 このままではマズイと感じ、拳銃を無理矢理黒人に向ける。
 「アァッ!」
 黒人はまたも奇声をあげ、今度は残った手で薙ぎ払い、拳銃は俺の手から離れ、カラカラ、と音を立てながら廊下の奥へと滑っていく。
 「こいつ…!!」
 握られていない方の手で、男の顔を殴る。が、大して痛くなかったのか、黒人は、ニヤリ、と嫌な笑みを浮かべ、殴った方の手も掴んだ。
 黒人は力任せに俺の両手を引っ張り、俺のバランスを崩させる。畳み掛けるように、今度は薙ぎ払うように腕を動かし、俺は体勢を崩して転んだ。
 「拳銃がなきゃなんにも出来ないだろ?」
 「に、日本語…!?」
 黒人は流ちょうに日本語を喋った後、地に伏っしている俺の顎を、つま先で蹴り上げた。
 「が…!」
 視界が暗くなり、一瞬意識が飛ぶ。その後、両手に握られた手が離されるのを感じた。
 「フンッ!」
 黒人はカエルでも踏み潰すように、俺の背中を思いっきり踏みつける。
 「ぐぅ…!! がぁ…!!」
 二度、三度と。
 「うぅ…」
 自分でも哀れと思えるうめき声を漏らしながら、俺は血を吐いた。
 「へ、残念だったな」
 ぺっ、と俺に唾を吐きかけ、黒人は拳銃のある方に歩き出した。
 ゲームの雑魚敵のクセに、俺に唾を吐きかける。
 ゲームの雑魚敵のクセに、俺を殺そうとしている。
 ゲームの雑魚敵のクセに、俺にこんな痛い思いをさせやがって――!
 俺の怒りが痛みを凌駕した。
 完全に油断している、あの黒人の背中に向かって走り出す。
 俺の接近に気づいた黒人は振り返り、驚愕の表情で俺を見る。
 「てめぇ、まだ…!」
 『まだ』、この先に何か言葉があったのかも知れないが、俺の放ったドロップキックによってそれは阻まれ、恐らく、永遠に聞くことはないだろう。
 黒人は面白いように吹っ飛び、拳銃近くで一度跳ね、廊下の端にある壁に激突し、ようやく止まった。
 「あ、あぐぅ…」
 打ち所が悪かったのか、妙な痙攣をしながら血を吐く黒人。だが、そんな事はお構いなしに俺は歩き始める。目的はもちろん、拳銃を拾うためだ。
 ゆっくりと歩き、ゆっくりと拳銃を拾い、ゆっくりと安全装置を外した。
 「ク、クソ…!」
 悪態をつく黒人。いかにも雑魚敵らしくて、ちょっと笑えた。

――バァン!

 「ガァッ!!」
 まず、左腕に一発。

――バァン!

 「グッ!!」
 右腕に一発。

――バァン、バァン!!

 「アアアァァ――!!」
 左足と右足に一発打ち込むと、襲ってきたときと同じように奇声をあげた。
 それからさっきのお返しとして、つま先で顎を蹴り上げる。
 後頭部を壁にぶつけた後、その反動で黒人はうつ伏せに倒れた。
 「ア、アァ…」
 哀れなうめき声をあげ、血を吐く黒人。
 そうだ。雑魚敵は雑魚敵らしく、プレイヤーにさっさと負けて地に伏っするがお似合いだ。
 「おっと、忘れてた」
 わざとらしく声をあげ、黒人の背中を踏みつけた。もちろん、黒人に踏まれた回数と同じにだ。
 「も、もう許してくれ…」
 顔を上げ、涙を流しながら俺に懇願する。
 俺は、ぺっ、と唾を吐きかけながら言った。
 「残念だったな」

――バァン!

 黒人の眉間に小さな穴が空き、そこから血が流れ始めた。やがて、力無く顔が床に落ち、赤い水溜まりを作っていく。弾丸は頭部を貫通したらしく、後頭部からも血が流れ始めていた。
 残酷描写が入っている、18禁のゲームでもここまではやらないだろう。きっと、現実世界でも人を殺したらこんな風になるのかも知れないな、と思えるほど本当にリアルだった。
 「ハァ…ハァ…!」
 息が荒い。心拍数も上がる一方だ。まるで、本当に人を殺してしまったかのような、そんな錯覚すら覚えていた。

――ピ。

 腕時計から小さな電子音聞こえ、目を向ける。
 三から数字が減り、残り二人となった。
 ついでに、残り時間も見る。
 残りは――。


>―17:02。

 
 残りは十七分。いつまでもこの膠着状態が続くのは芳しくない。
 作戦を考えようにも、敵が何人居るのかが不明なままでは、まともな作戦が立てられそうにもない。
 八方塞がりになったオレは、苦し紛れに向かいに廃ビルに三発ほど撃ち込んでみた。もしかしたら、これで敵を倒せないだろうか?
 しかし、そんな甘い願いなど通じるワケもなく、すぐさま反撃がやってきた。

――バァン、バァン、カチン、バァン!!

 銃声が鳴り響く中、オレは確かに聞いた。
 拳銃が銃声以外に鳴らす音、それは、弾切れを知らせる音だ。
 オレは、それが酷く不思議に思えた。
 敵達がオレを狙えたチャンスは、全部で二回。開始直後と、先程の反撃の時だけだ。
 仮に、開始直後、オレが避難した玄関に向かって二発発砲したとする。更に、このステージに居る敵が全部で五人だったとする。すると、計二十発があの玄関に打ち込まれたことになる。他にも、一発だけ別に撃たれた。
 そして、先程の反撃。
 正確な数は分からないが、またしても仮に、全員一発ずつ反撃してきたとする。その中で、一人だけが別に一発撃ったため、弾切れを起こした――と、いうことになる。
 だが、あくまで仮に五人だったら、という話だ。しかし、敵の人数が多かろうが少なかろうが、ある一つの事実は見つかった。
 それは、敵の持ち玉は異常なまでに少ない、ということだ。
 持ち玉は三発、いや、もしかしたら『一発だけ』ということも有り得る。
 なぜなら、銃を使用する戦場において、人の行動は三つに分けることが出来るからだ。

 1・何の策もなく、獲物を見た瞬間に撃つ野郎。
 2・撃たれたときに、つい反撃してしまう臆病な野郎。
 3・完全に殺せる距離、もしくは、絶好のチャンスを待つ野郎。
 
 全員が全員、一番に該当するとは考えにくい。だからこそ、先程撃たれた弾数以上の敵が居るのは、むしろ当然だと思える。
 仮に、敵は全部で五十人居たとする。それぞれの番号に人数を振り分けるとするならば、一番に二十人、二番に二十人、そして三番に十人だ。
 だが、この<ゲーム>の敵キャラが、皆熟練した兵隊レベルになっているならば、この理論は成り立たない。しかし、敵の一連の行動を見ると、この理論にスッポリと当てはまるのだ。これは、皆が皆熟練している、というワケではない事を指している。
 これらを考えれば、最初に撃ってきたのが一番の野郎共で、先程反撃してきたのが二番。そして、弾切れを起こしていたのが一番という事になる。
 若干の誤差はあると思うが、おおよそは合っている筈だ。
 それらを考慮すれば、敵の人数は四十人〜六十人の間。更に、もしも持ち玉が一発ずつだとすれば、今発砲可能なのは十五人〜三十五人程度という事になる。
 人数はともかくとして、敵の持ち玉が一発ずつというのには、今一自信が持てなかった。
 念のため、向かいの廃ビルに一発だけ撃ち込んでみる。
  
――バァン、カチン、カチン。

 予想通りか。思わず、オレはほくそ笑む。
 敵の人数と戦力を考えつつ、いろいろと策を練ってみた結果、一つの作戦に行き着いた。かなり危険な作戦だが、うまくいけば一人か二人は仕留められる。
 ふと、自分の手が小刻みに震えているのに気づく。
 これは、怖くて震えているのではない。いわゆる、武者震いなのだろう。
 この作戦で自分がどのような状況下に置かれるか、それを想像するだけも背筋がゾクゾクとしてくる。
 大きく深呼吸し、乾いた唇を舐める。
 顔は出さず、拳銃だけを窓の外に出した。
 さあ、行動開始だ。
 誰を狙うでもなく、オレは立て続けに三発撃つ。
 撃ち終わった同時に、オレは廊下の窓を目指して走り出す。
 廊下に出てすぐ、部屋と部屋の間の向かい側に、そのガラスの無い窓はあった。
 外から見たとき、この廃ビルの高さはおよそ四メートル程度だった。それなら、何とでもなる。
 迷う事なくオレは窓の縁を掴み、そのまま外へと身を乗り出した。
 引力に引っ張られ、オレの落下速度は上がっていく。
 地面に足が着くと同時に前転し、身体全体を使って衝撃を和らげた。
 そして、立ち止まることなくオレは走り出した。目標は、このステージの角に廃ビル。有るかどうかは不明だが、無ければ近くでも良い。そこならば後ろから狙われることもないし、ある程度全体を見渡すことが出来る。
 案の定、廃ビルの上から弾丸が降り注ぐ。幾分マシなのは、最初の雨のように降り注ぐのではなく、等間隔にぽつぽつと降り注いでいるという事だった。
 単発であれば、ある程度ジグザグ走行をしていれば、何とかかわせる。更に、動いている標的を撃つのは容易な事ではない。しかも上からだと、点に点を当てるようなものだ。よっぽどの腕を持ち合わせていなければ、オレに当てることは出来ない。
 全ては予想通り。あとは、跳弾などに気を付けていけば何とかなる。
 後ろの方から声が聞こえてきた。無論、オレを追いかけてきたのだろう。
 これも予想通り。
 後ろを向かず、拳銃だけを後ろに向けて一発、少しだけ間を空けてもう一発撃つ。
 当たったかどうかは不明だが、少しどよめいた後、後ろの気配は消え去った。
 ここまでは全て作戦通り。後は、この先に見える廃車まで一気に駆け抜けるだけだ。
 先程まで等間隔だった弾丸も、少しだけ数を増す。
 何とかジグザグ走行でかわしていくが、時折、腕や足を掠め、血が滲み出ていた。
 跳んで届きそうな距離に入った瞬間、オレは廃車に向かって跳んだ。
 一度前転してしまうが、すぐさま体勢を整える。
 廃車の陰に入ると、真鍮性の雨は止んだ。最も近い廃ビルからでも、角度が足りず、死角となっているここには届かないだろう。
 すぐさま、そっ、と顔を出し、辺りを窺う。
 その光景を見て、オレは思わず鼻で笑う。
 案の定、先程オレを追いかけて来た野郎共三人が、ノコノコとこちらの方までにやって来ていた。
 少し気になったのは、敵は黒人だった、という事だった。
 だが、それは些細な事。敵は敵だ。黒人だろうと白人だろうと、オレには関係ない。目の前にいるのは、今からオレに撃たれる負け犬達なのだ。
 オレは拳銃を構え、リアサイトから敵の後頭部を見つめる。まずは、細めで長身の真ん中から撃つことにした。
 廃ビルの上から敵が叫ぶ。「逃げろ」――と。
 間抜けにも、野郎共三人がその廃ビルの方向を見上げる。何を言われたか、理解していなかったようだった。
 だが、もう遅い。死神の鎌は、既にお前らの首に宛われているのだから。
 引き金を引く。爆音と共に真鍮性の塊が発射されていく。オレが指示した敵の命を奪う為に、飛んでいく。
 そして、敵の後頭部に当たり、血の華を咲かせる。
 真ん中の長身の野郎は、膝から崩れ始め、何故か右手を振り上げ、宙にある何かを掴もうとするが、無論そこには何もない。
 左右の野郎共は真ん中が撃たれた事に気づき、急いで逃げようとする。
 最も近い廃ビルまでの距離はおよそ三十メートル。時間にして約五秒。
 右の野郎よりも廃ビルに少しだけ近い、左の野郎の身体に狙いを定め、撃つ。
 動く相手を狙うときは、身体を狙うのが一番良い。なぜなら、体積が一番大きいからだ。もし外れたとしても、手や足に当たる可能性もある。
 左の野郎に当たったかどうかを確認もせずに、すぐさま右の野郎の身体に狙いを定め、撃つ。
 左右二人分撃ち終わった後で、それぞれの状況を確認する。
 左の野郎は、どうやら狙い通り身体に当たったらしく、脇腹を押さえ、膝から崩れていく。
 右の野郎は、足に当たっただけだったが、それで蹌踉めき、立ち止まっていた。
 右の野郎に狙いを定め直しながら、オレはふと思う。もしも立ち止まることなく、そのまま走っていったら逃げられたのにな、と。
 それでもオレは、引き金を引く。そこには慈悲など無い。なぜならこれは、殺し合いを前提とした<ゲーム>なのだから。
 右の野郎の頭に当たり、真ん中の野郎同様、血の華を咲かせながら、膝から崩れ、うつ伏せに倒れていく。
 残りは左の野郎だけだ。オレは、ゆっくりと拳銃を構え、リアサイトから覗き込む。

――カチン、カチン。

 ふと、辺りに弾切れを知らせる音が鳴り響く。

――カチン、カカチン、カチン、カカカチン。

 それらは重なり合い、一種の音楽へと昇華していく。
 周りを見渡すと、黒人達は怒りに満ちた形相でオレを睨み、弾の入っていない拳銃の引き金を、ひたすら何度も何度も引いていた。
 この音は、たった今死んだ野郎共へと鎮魂歌なのか、それとも、オレに対する宣戦布告なのか。

――カカチン、カカチン、カチン。

 音は鳴り続ける。
 オレは、その音に包まれながら、右の野郎に向かって引き金を引いた。
 弾丸は後頭部に当たり、大きく痙攣した後、完全に活動を停止した。

――ピピピ。

 腕時計からビープ音が聞こえてくる。
 見ると、五人から一気に二人へと減っていた。
 そして、残り時間は――。


>―11:52。

 
 時間を見ると、残り十二分を切っていた。あまり悠長に行動は出来ない。
 俺は今、あの少女が言ったように、狩人となって辺りを彷徨っていた。
 一個目は見事大当たりだったものの、続く二個目、三個目は大外れで、時間だけがタイムリミットに刻々と迫っていった。
 残りは二人。時間にして一人六分以内に殺さなければ、間に合わなくなる。
 だが、いくら聞き耳を立てても、いくら探し歩いても、人影一つ見つからなかった。
 焦燥感だけが、募っていく。
 どこだ、どこに居るんだ…!?
 「くそ――――ーッ!! 出て来やがれ!!」
 俺は少々やけっぱちになり、周りに廃ビルに向かって乱射した。何の意味もなく、ただ単に当たり散らしているだけだ。 
 だが、
 
――コトリ。

 と、近くで物音がした。
 俺は正気に返り、どこから聞こえたのか確かめるために、聞き耳を立てる。

――……!

 何を言っているのかよく聞き取れなかったが、確かに話し声がしている。
 声が聞こえる方向にあったのは、背の低い廃屋。
 見つけた。俺は、ニヤリ、と笑う。
 気づかれぬよう、忍び足でその廃屋に近づいていく。
 廃屋に近づくにつれて、話し声がハッキリと聞こえてくる。
 間違いなくここに居る。そう、俺は確信した。
 忍び足を止め、大股で歩き始める。それと同時に、話し声は止んだ。
 今更ひそひそ話を止めても、もう遅い。獲物の場所はもう既に、特定してしまったんだからな。
 俺は小走りに、その廃屋を目指した。
 入り口に着き、いつも通りに中に向けて拳銃を構え、入ると同時に前に跳んで、すぐさま死角に向けて拳銃を向けた。だが、結局何も居なく、いつも通りに俺はゆっくりと埃を払いながら立ち上がった。
 辺りを見渡すと、そこには錆びた包丁やらボールやら、料理に必要そうな物が一通りそろっていた。どうやらここは、台所らしい。
 左の方には部屋、と言うよりは座敷があった。内装は全く似ていないのに、雰囲気が昔の日本の家と似ている。
 台所には隠れられるような場所はなく、すぐさま俺は左の部屋に移った。
 長年放置されていたのか、埃は積もっており、歩くたびに床がぎいぎいと鳴いた。
 隠れられるような場所はあまりなく、大きなタンスが一つあるだけだった。
 小さな取っ手を掴み、心の中で三カウントを唱え、中に向けて拳銃を突きつけながら開け放った。
 だが、中にあるのは、もう着られそうにもない服が垂れ下がっているだけだった。
 おかしい。ここ以外、他に隠れられそうな場所などない筈だ。
 もう一度座敷を見渡す。だが、このタンス以外隠れられそうな物はない。
 台所に戻って確かめてみても、隠れられそうな場所など一つもなかった。
 ここではない…?
 最悪なパターンが頭を過ぎった。
 残り時間を確認すると、もう既に十分を切っていた。
 もしここではなかったとしたら、時間的にもう、間に合わないかも知れない。
 「居るんだろう…!? 出てこいよ!! いつまでも隠れんぼなんかしてるんじゃねーよ!!」
 近くにあった包丁を掴み、座敷に向かって投げつける。カラン、と空しい音を立てて床に落ちた。
 「出てこいよ!!」
 荒い歩調で、俺はお座敷に向かって歩き出した。
 確かにこの廃屋から音が聞こえて来た筈なのに、なぜ何も居ないんだ?
 タンス以外に隠れられそうな場所はないのに、一体どこへ隠れたというのだ?
 一体、どうやって目標達を見つけたらいいんだ…?
 どうしたらいいのか分からなくなった俺は、肩を落として項垂れた。
 ――ふと、拳銃が視界の中に入った。
 そこで俺は、ハッ、となった。
 そうだ。こちらから見つけられないのならば、相手を燻し出せばいいだけだ。
 俺は拳銃を構え、適当な場所に撃ち始める。
 壁、タンス、床…。

――ヒィ!

 息を呑むような、短い悲鳴が『床下』から聞こえてきた。
 まさか、そう思いつつ、俺は床を調べ始める。
 注意深く見ていくと、小さな長方形の金属が床に埋め込まれている。そして、そこの周りだけが、正方形に区切られたように綺麗に埃がなくなっていた。
 まさか、こんなギミックがあったとは驚きだ。しかし、ネタがばれてしまえば、それは逆に逃げることの出来ない落とし穴のような存在に変わってしまう。
 埋め込まれた金属を押し込んでみると、くるり、と回転し、小さな取っ手が現れた。
 俺はそれを掴み、心の中で三カウントを始める。
 三、二、一……。
 零と共に開け、拳銃を中に向けて突きつける。
 「「ヒィィー!」」
 その中には、寄り添う二人の黒人男女が居た。
 二人とも若くはなく、薬指に指輪を付けていることから、恐らく、夫婦なのだろう。
 「お、お願いです! み、見逃して下さい!!」
 女は、神に請うように両手を組み合わせ、涙ながらに俺に言った。
 「どうか! どうかお願いです!!」
 男も両手を組み合わせ、必死に懇願してくる。
 夫婦は俺に祈りを捧げ続ける。対して俺は、依然として狙いを外さず、リアサイト越しに夫婦を見ていた。
 俺は、必死に自分に言い聞かせる。
 これは<ゲーム>なんだ。目の前に居るのはホログラフィーであって、決して『本物』などではない。だから、殺しても俺には何の罪もない――。
 引き金に、ゆっくりと力を入れていく。
 「う、うわぁぁ――!!」
 唐突に男が立ち上がり、俺の腕を掴んだ。
 「逃げろ!! せめて、お前だけでも逃げろ!!」
 男は、いつまでも祈りを続ける妻に向かって言った。
 俺は男を振り払い、顔面に向けて、撃った。

――バァン!

 「アアァァ――!」
 弾丸は、男の眼球を貫き、後頭部を貫通した。
 男は、膝から崩れながら、残った眼球で妻を見た。
 「逃げろ…」
 その言葉を最後に、男は、事切れた。
 「あなた!!」
 女は、穴から這い出てきて、血の池を作り続ける夫に泣きすがった。
 「あぁ…。あぁ……!!」
 女は、冷たくなっていく夫の身体を抱き上げ、悲しさのせいか、手を振るわせていた。
 俺は、女の眉間に狙いを定め、撃った。

――バァン!

 撃たれた女は、なぜか幸せそうに微笑み、重なり合うように、夫の元に倒れ込んだ。

――ピピ。

 腕時計から電子音が鳴り響き、数字が零になる。
 当然だ。たった今、残り二人を殺したのだから。
 たった今、夫婦を殺したのだから。
 夫婦という設定の、雑魚敵を殺したのだから。
 雑魚敵に、こんな設定は要らない。
 こんな、こんな罪悪感を感じさせるような設定なんて要らない。
 ただ単純に、俺に襲いかかってくれば良いのだ。
 そして、それを俺が撃つ。
 それだけで、充分なのに。本当に、それだけで充分なのに……。
 赤くなった拳銃を強く握りしめながら、俺は、血に染まっていく夫婦を見つめ続けていた。

――ウ――……ウ――……。
 
 再び、サイレンが辺りに鳴り響く。そして、あのあどけない声の少女が喋り出した。
 「おめでとう。貴方は狩人になった。血肉を喜んで喰らう、狩人と成った。さぁ、新しい血肉を喰らう為に、次のゲームへと進もう」
 確かに、俺は狩人になった。血肉を喰らう、狩人と成った。けれど、喜んで喰らったりするなんて、俺にはまだ、出来そうにもない。
 辺りは唐突に暗くなり、血まみれになった夫婦を俺の視界から消した。
 そして、辺りに甘い匂いが立ち込め始める。あのカプセルの中で嗅いだ匂いと、全く同じだった。
 その甘美な匂いは、俺の意識をゆっくりと奪っていく。
 ついでに罪の意識も奪っていったらありがたいのに。なんて、馬鹿なことも考えた。
 ここは<ゲーム>の世界なんだ。今の俺は疑似世界の俺で、眼が覚めれば、現実世界の俺が居る。だから、罪の意識など覚える必要などない。
 ――なのに、心はやけに重く、潰れてしまいそうだった。



 「残りは一人。さぁ、彼は屍を積み上げることが出来るのでしょうか?」


 







2004/11/23(Tue)23:21:32 公開 / rathi
■この作品の著作権はrathiさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
どうも、更新致しました。
最初に、どうもすみません。
本当は今回で四話は書き切るつもりだったんですが、限界でした。
なんで、中編が出来上がってしまいました。
後編は短くなってしまうと思いますが、平に容赦を。

この小説、いわゆる『萌え』成分は一切含まれていませんね…。
そもそも、女キャラが居ないし。男共ばっかり。
書いていると、結構精神を摩耗しますわぁ…。

【近況報告】
日本一、ディスガイアシリーズの新作を出すと聞いてちょっとびびる。
あれは楽しいです。未プレイの方、どうぞ。

ではでは〜
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