- 『THE BRAVER 』 作者:はれま / 未分類 未分類
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全角35574文字
容量71148 bytes
原稿用紙約113.65枚
THE BRAVER
他人のことは分かりにくい。
自分のことは分からない。
無意識下の脳味噌なんて尚更だ。
だからさ、それは本気で理解不能なものなんだよ。
#1
「何だコレ?」
何だか不思議なオーラを発しているような感じっぽい本を、少年は棚から抜き取った。
[目覚め]
彼が目を開いた時、彼は既にそこにいた。
何処かの寂れた工場の中のようであった。あちこちに見られるパイプから大量の蒸気が凄まじい勢いで吐き出され、数秒後にはガス欠である事を示し、ガシュ…ガシュ・・・途切れ途切れに蒸気を吐き出す。そしてまた元気良く吐き出し始める。光が、破れた天井から差し込んでくる微弱な月明かりのみであるため、辺りの様子は深く覗えない。
彼には今、すべてのものが白黒にしか見えていなかった。
だが、彼にはそこがどこかは全く―工場の中であること以外は―分からなかった。いや、それ以前にそこがどこであっても別に問題は無かった。とにかく今の彼にとって重要なのは、進む事だった。
まず一歩目を踏み出す。二歩、三歩……。空虚の中にも足音は無かった。
しばらくすると、彼は広いところに出ていた。そして彼はその入り口で立ち止まっていた。彼がいるのは二階のようである。手すりがあり、その下に大きな部屋があるのだ。中央に巨大な球形のものが置いてある。目測では直径5メートルあるかと思われるそれは、強大な圧迫感を彼に与えていた。しかもそれは内部から不気味な赤い光を発して、さらに存在感を高めていた。
しかし彼が驚いていたのはそのことではない。その周りで人が喧嘩をしている。
2人や3人の規模ではない。50人・100人……いや、もっといるかも知れない。
その人たちの容姿が変である。悪魔の仮面を被っていたり、地面に着くまで髪を伸ばしていたり、無意味に地蔵を背負っていたり。
さらに行動も変である。四つん這いになって動き回ってみたり、そこかしかしこの壁によじ登ろうとしとしてみたり――――――
人の肌に爪をたて肌を引き裂いてみたり超音波並に高い声を発して人の鼓膜を破って笑ったり人の髪を引っこ抜いたり人の首筋に食らいついたり。
――――――地獄絵図――――――
『止めろ!!』見ていられなくなって、彼はそう叫んだ。だが下は相当な騒音のようだ。全く止まる気配を見せない。だが彼は諦めずに彼は叫び続けた。自分でも何を言っているのかわからないくらいに叫び続けた。だが、いっこうに止まる気配を見せない。
さすがに疲れてきて一度下を向き、むせる。息が落ち着いたところでもう一度叫ぼうと顔を上げた。
と、目の前に顔があった。皮膚が焼け爛れた恐ろしい顔。その死人の顔の中で目だけが怪しく光り、彼の目を睨んでいた。思わず突き飛ばす。その顔は、何の抵抗も無く階下へと落下していった。
(……………顔?……………)
戦慄して、振り返る。首から上のない焼死体が、ゾンビとなってこちらへと歩み寄ってきていた。
「う……」
恐怖、嫌悪感、そして吐き気が同時に迫ってきて、彼は思わず手すりにもたれかかった。
「!?」
しかしもたれかかったはずの手すりが無い。彼はそのまま階下へと落下した。
4mほどの距離を一気に落下し、床にぶち当たる。しかし衝撃は思っていたほど大きくなかった。以前やっていた空手の受身のおかげだろうか?
それでも痛む身体をどうにか起こして立ち上がり、前方を見据えた。前方にいたのは何の変哲もなさそうな女。否。今までの様子から見て、ここにいるのは全て人ならざるものであるはずだ。彼は何故か確信していた。
案の定、その女は背後に隠していた長い爪を振りかざして襲い掛かってきた。慌てて避ける。どうにか避けきることが出来たが、彼女は機嫌悪そうに「ぎゃあ!!」と叫んでまた爪を繰り出す。
「うわああ!!」
叫び返しながら彼は、思いっきり相手を突き飛ばした。女は思いのほか―それこそ紙のように―軽くて、何とも不思議なほど豪快に後方へ吹き飛ばされ、他者を巻き込んで派手に転倒した。
それと同時に周りの音が止まる。
喧騒が止み、聞こえるのは機械が動くような、ガションガションという音だけだった。
否、訂正しよう。それは本当に機械が動く音であった。
人垣が割れ、そこから普通の人の4倍はありそうな、なにやら物々しい人型ロボットが出てきた。それに人が乗っている。その人間も、なにやらおかしかった。
まず普通の人ではない。大きさが異常だ。常人を立てに1.5倍。横に3倍くらい引き伸ばした感じだ。だが肌は一箇所も見せていない。厚そうなローブを羽織、マフラーを首に巻き、サングラスのように色の濃いゴーグルをし、ニット帽を被っている。
その謎の男がいきなり尋ねてきた。
「牧野満」
「……何?」
彼――-牧野満と呼ばれた少年がそう言い返したのを見て、謎の男は黄色い歯を見せて満足そうにニヤリと笑った。
「牧野満。早速だが君に死刑を宣告する」
「……は?」
わけが分からない。全く分からない。何故会ったばかりの人間にいきなり死刑を宣告されなければいけないのか?
「不思議がる事はない。ここに来たからには君も死ななければいけないというだけの話だよ」
「……何言ってんだ?」
先ほど地獄絵図を見ていたときよりも多少冷静になっている自分に気がついて、ようやく元々の彼の口調が戻ってきた。
「では聞こう。君には周りにいる者たちが生きている人間のように見えるかね?」
「いや全然」
思ったことを言うだけというのは実に簡単な事だ。だから即答した。
「そうだろう。みんな死んでいる。だから君も死なねばならない」
「嫌だな。周りと違くて何が悪い」
「そう。そこが君の悪いところだ。周りに合わせるのが苦手だから合わせてもらっている。それでは相手の負担が重くなるだろう」
驚いた。この変な奴は自分のことを多少なりとも知っているらしい。まあ、名前を知っていた時点で何となく予想も出来るが。
「……」
驚いてから少し、考えてみた。しかしまあ、考える前から答えは決まっていた。
「……ここで生きていくためには死ななければダメなのか?」
「その通り」
「ここで死ななかったらどうなる?」
「殺されるだろうな」
「……どっちにしても死ぬんだな」
「そうだ」
「でも死なない。周りとあわせるのが良いとも限らんし、死にたくもないしな」
「言ったでしょう」
言いながらロボットに乗った男がマフラーとゴーグルを外す。
やっぱり…と彼は胸中でつぶやいた。その男も見た感じ、死んでいた。
「ここでは死ぬしかないと!!!」
その場にいた全員が満に迫ってきた。慌てて後方に飛び退く。
だが、2・3度飛び退くとすぐに壁にぶつかった。
慌てて周りを見回すと、右の方に扉があった。すぐに判断し、そちらへと駆け出す。その場にいた者たちは、死人であるせいか、どうも動きが遅く、歩いていても逃げられそうであったが、彼は走って逃げた。その扉を開けて中に飛び込むと、そこはマンションの一室だった。子供が描いたような絵や、クマの絵柄のついた時計など、子供用の飾り付けが施された部屋。実際にそこは子供部屋なのだろう。ベッド、勉強机、洋服ダンス、それにおもちゃ箱のようなものもある。
その部屋の一番奥に窓があった。後ろを振り返って相手との距離を確認してから窓の方へと近寄る。その遥か下方には白いタイルの敷き詰められた地面が広がっていた。ざっと5階分の高さはあるだろう。
窓のむこうには人1人すれ違えるかぐらいのベランダがあり、さらに柵のむこうはもう足場もない。とりあえずベランダに出る。風はなかった。柵から身を乗り出して下を見てみると、ある事実が判明した。
そこは実際5階だったのだ。下に同じような柵が4つ、縦に並んで存在している。
しばらく呆然としてハッと気付き、後ろを振り返ると、死人たちはすでに部屋の4分の3を埋め尽くしていた。
再度柵へと向き直り、心を決める。一気に柵を飛び越え、彼は階下に落下した。4階の真横まで降りたところで彼は腕に力を入れ、柵をつかんだ。どうにか勢いを殺したところで次の階へと落ちる。
それをもう3度繰り返し、彼は地上に降り立った。そのまま走り去る。
死者達はそれを黙って見送っていた。いや、黙っていなかったのが1人。
「逃げたのでは仕方ない。鬼たちに彼を追わせましょう。なかなか逃げ回ってくれそうな彼が、どこまでこの鬼ごっこを続けられるか……実に楽しみだ」
彼はそう言うと、静かに闇の中に消えていった。
#2
「何か良い感じな本を見つけた気がしないか?」
少年は学校からの帰り道に古本屋で見つけて即断して買った、表紙に魔術的な文様の入った本を、友人に自慢していた。
[ニセモノ]
満自身、どこをどう走ったのか何て覚えていなかった。
ただ、わけの分からないところで死ぬのは嫌だった。
本当にわけが分からない。
いきなり目覚めて、工場らしきにいて、地獄絵図を見て、1人突き飛ばして、変態が出てきて、死人になれと言われて、逃げ道を見つけたらそこが実は工場じゃなくてマンションの中だった。何であんなところがマンションの中にあるんだ?
大きく深呼吸をして心を落ち着けようとする。だが心臓はそれでも早鐘のように鳴っていた。彼は今、赤い橋の下に隠れている。かなり危なそうなところだが、ここにいるのだ。どうしようもない。
それにしても、川原がやけに広い。端から端まで走ったら普通に息を切らせそうである。
「一体なんだってんだ……」
川原が広いことは放っておいて、彼は1人ごちた。
(何で死人が動いてんだ?)
当然の疑問である。ゾンビなのだろうか?
(ゾンビだったら何で喋るんだよ……)
あのロボットに乗ったデブは絶対に喋っていた。しかしやはり一度死人になった人をもう一度起用したところで既にそれには生前の記憶なんて無くて、そんなのが話しをすることが出来るなんてこと、ないのだ。たとえ死人を蘇らせることが出来たとしても。だから、ありえない。死人が喋るなんて。
それともみんな本当は自分の知り合いで、特殊メイクでもして自分を驚かそうとしているのだろうか?
(……ありえないな……)
あそこまで凝ったメイクの出来る天才的な人間を友達に持った覚えは無い。すぐさまその考えを捨てた。
(でもあいつが初対面なら、どうして俺が他人と合わせるのが苦手なことを知っているんだ?)
そのことが頭に引っ掛かって、考え込んだ。
(会ったことがあるなら、あの体系にあの容姿だ。憶えてないはずがない。だから会ったことがないことになるけど、じゃあ、何で知ってたんだ?)
思考がループして、頭が混乱する。
…………Bon。
「……ヤメ」
答えのでない問いに、顔を上げる。
特に何という音も聞こえなかったので、満は空を見上げてみた。はっきり言って、天候はよくなかった。雨雲が空を覆い隠し、今にも雨が降りだしそうな雰囲気であった。
(……雨?)
雨というのは落下した時に地面にぶつかり、音を発する。それは雨――つまり水――が質量をもっているからである。満は目を見開いて立ち上がった。
(音はどうした?)
聞こえなかった。目の前で流れているのは、川である。流れているのは……無論、水。
「何で水が流れているのに音が聞こえないんだ?」
そう呟いた直後、満の影に巨大な影が重なった。それに気付いてすぐ頭を後ろに倒して上を見た。
「ゲ……」
満が自分の真上に見たのは、自分の方へと落下してきている謎の球体であった。危険を察知してすぐさま前方へ身を投げ出す。
一瞬後、さっきまで満がいた場所に半径1mほどの、半球形の穴ができた。
それを見て満の顔色が青くなる。地面にそんなデカイ穴なんて、そうそう開くものではない。
衝撃によって粉々に砕かれ、宙に舞っていた石のかけらが地面に落ちきり、その場が確認できるようになると、落ちてきた物体の正体が判明した。銀色の球体といったところだろうか。所々に線が走り、中が光っている。
「今度は何だ……」
満がうめくと、唐突にその球体が変形を始めた。部分部分がひっくり返ったり、へこんだり、出っ張ったり、広がったりし、たっぷり1分ほどもかけてその球体は変形を終えた。
「スーパーバトルドロイドか?」
満が想像したのはどこかの超度迫力SF映画に登場した、あの転がって移動するロボットだった。実際そんなようなものだ。少し前傾姿勢で、腕が二本ある(手は銃になっているが)。蜘蛛ロボットのような足が四本、その身体を支えていた。憶えていたのと違うのは、大きな尻尾がついていることぐらいだ。
そんなものが、彼と真面目に対峙している。
(逃げるが勝ちか?)
当たり前である。こんな機械の化け物を相手にしていたのでは命がいくつあっても足りない。
速攻で逃げようと踵を返すと、
「!?」
何故か既にそちらに回り込まれていた。
相手が振りかぶったのを見、その拳をすり抜けようと素早く身体を屈める。思惑通り、その拳は満の頭上を切り裂いていった。
そのまま逃走しようと足に力を入れる。しかし直後に彼は倒れ、激痛にうずくまった。背中に肘打ちを食らったのである。
さらに悪いことに、相手は機械だ。倒れ付した相手に情けをかけてやることも、逆に激痛に身悶える者を見て悦に入ることもしない。ようするに、すぐに次の攻撃が来る。
足で彼に蹴りを入れられ、その一撃で彼はサッカーボールのように大きく飛んだ。そして川へと落下する。だが、水は水しぶきすらあげなかった。音を発しない川なのだから、それくらい不思議でも何でもないが。
それよりも不思議なのは、普通の人間なら既に死んでいるはずの攻撃の後にも、何故か満がまだ生きていることだった。
(まったく……法律違反な強さだな……手も足も出やしない……)
咳き込みながらそんな事を考え、どうにか立ち上がる。ロボットが入ってきても、水は何もないかのように平然と流れ続けていた。自分たちの流れを邪魔するロボットの足を迂回しようともせずにそれを素通りする。
水の中に立っているのに、足にかかる抵抗も何もない。まるで、3D映像みたいな川じゃないか。
「こいつが……本当・の・水……だったらな」
まだ勝機はある。そう考えた途端に、彼はこけた。
一瞬、何が起こったのか分からなかった。しかし―――
(水に……押された?)
少し考えてみて何が起こったのか分かった。判った途端に、現実の状況が判明した。五感のうちの幾つかが抜けた世界から、もとの世界へと戻ってきた。
雨が降っていた。雨が地面に叩きつけられる大きな音がし、川の流れる音が聞こえ、水流が自分を押し流そうとする。
それら全てを認識して、彼は落ち着いた。
水中に腕を突っ込み、お目当てのものを探る。それはすぐに手の中へと収まった。普通は、川の中ではそう簡単に見つからないはずであるのに。
それを引っつかみ、敵の方へと走りだす。
痛み、恐れ、不信感、迷い。それら全部が、戻ってきた五感の代わりにどこかに行ってしまっていたみたいだ。
敵の射撃を常に動き回る事によってかろうじて避けていき、懐へと入り込む。
あとは簡単だった。握っていた、尖った石で露出した両足のコードを切り、後方へと回って尻尾のコードも切る。
ニヤリと勝ち誇った笑みを浮かべ、手をかざす。その時に、何とも調度良く雨がピタリと止まった。
「人間様がそうそう簡単にロボットにやられてたまるか」
そう呟いてからトンとロボットの背中を押してやると、ロボットはゆっくりと前方に倒れていった。
完全に倒れきる前に満は急いで川岸へと上がる。
ロボットの切れたコードが水面に触れた途端、川の水を媒体としてロボットの全身に電気が周り、一瞬にしてロボット内の電子機器がイカレ、機能停止。さらに小規模の爆発まで起こり、すぐにそのロボットは使い物にならなくなった。
「どーにか……なた……な」
彼の体もかなりボロボロである。目を開けているのも辛くなっていた。
(……今度学校の連中に、変なロボットに会ったって自慢してやるか……な……)
彼はゆっくりと目を閉じた。
#3
「なかなか面白そうな内容じゃないか。何残念がってんだよ?」
中身がごく普通の物語だったことに酷く落胆した少年の肩を、その友人は叩いていた。
[B.B]
彼が目を覚ますと、そこは真っ白な世界であった。見回してみる。いや、そこは真白い世界ではなく、真っ白い部屋であった。その真ん中のベッドの上に自分は横たわっている。
ゆっくりと身体を起こして、回想をしてみる。変なロボットと戦ったのであった。その後は……。
「ん?」
体中を動かしてみる。全く痛くなかった。あれだけの攻撃を受けたのだ。骨折していてもおかしくは無いと思うのだが――というかまあ、骨折くらいしていただろう。
それとも、それが直るくらいずっと寝続けていたということか?とすると、ゆうに一ヶ月以上は眠っていた事になる。その間に奴ら、あの死人たちに捕まらなかったのも奇跡であろう。
わりとしっかりしてきた視界で再度あたりを見回してみる。
よく見ると、自分のド真ん前にドアがあった。やはり真っ白に塗られていて、1mmくらいの隙間しか無いのでほとんど見分けもつかなかったが。
(どっかの誰かが俺を助けてくれでもしたのだろうか?だとすれば、そいつは生きていたことに、な……る?)
満は、首をひねった。
(なる、のか?俺みたいにあのデブに反旗を翻した奴が、他にもいることに?)
それは……喜ばしいことだ。まだ生き残ってくれているとさらに嬉しいが。
とりあえず身体を起こして、ドアへと歩いていってみる。
取っ手も何もなかったのでとにかく押してみると、ちょうどドアのその部分がへこみ、いとも簡単にドアが右にスライドして開いた。
「ハイテクだな」
押しボタン式の、自動ドア。
そのドアをくぐって出たところは、しかし先ほどと同じような真っ白い部屋だった。違うのは満の寝ていたベッドが無いことくらいだろう。
(まさかこれがずっと続くなんてことは無いだろうな……)
思いながらも別のことが気になって、満は静かに反対側を探ってみた。案の定、裏側にもスイッチがあった。でもそれは大きさ形がちょうど人の手のひらのようで、ちょっと力を入れて押さないと開かないようになっていた。
一言で言えば、さきほどの満の予想は当たった。次の扉を開けても、その次の扉を開けても、同じような部屋があるだけであった。
(一体いくつまであるんだ?)
部屋を横切り、扉を押す。それを17回ほど繰り返したときようやく、聴覚的な変化が現われた。
(音?)
音が聞こえたのだ。殴るような、叩くような、そんな音。彼が入ってきた方と反対側の扉からである。
(俺を助けてくれた人間か?)
いや、それならば何故、扉を殴るような事をしているのか?普通に開ける方法を知っているだろう。それに、人の腕力ではこの扉は破れそうにない。厚さが30cmほどもあるのだから。しかし、その扉は徐々にその形を変えてきていた。
「と、言う事は……」
歯ぎしりをし、踵を返す。前の部屋に戻ろうとしたが、遅かった。
扉が吹き飛ばされて、満とは少々離れたところであるが、こちら側の壁に激突する。部屋は10m四方ほどあるというのに。さらに、ぶつかられた壁はかなりいびつな形に変形していた。扉は最後の一発で穴まで開けられていた。
破壊された扉の向こうから現われたのは、この間戦ったあの機械と同形状のものであった。但し色は赤色で、アームに銃がついていない代わりに大きなナックルがついている。
満はすぐに踵を返して走り出し、先程通ってきた扉を閉めた。
次なる扉へ向かっている途中、背後でガン!と大きな音がして振り返ると、一発目で扉の殴られたらしき箇所が大きく突き出していた。もう一度音がして、さらに扉が大きく変形する。
「何だ何なんだあのべらぼうな打撃力は!?」
ショベルカーを持ってきて殴りこみをかけたところで、この分厚い扉はきっとびくともしないだろう。それをあのロボットは余裕で変形させ、その上10mも吹き飛ばすのだ。
満が部屋を変えると、ロボットが満の出てきた部屋の扉を反対側へと吹き飛ばす。
「これじゃ、ラチがあかないな」
元の部屋に戻れば、そこは行き止まりなのだ。
(今やられるか、後でやられるか)
考えながら次の部屋への扉を開く。が……
「くそ!選択肢無しかよ」
その部屋には彼が眠っていたベッドがあった。踵を返して、部屋にある唯一の扉を見据えて、身構える。
ガン!とドでかい音がして、扉の一部が突き出した。
音が続き、出っ張りもそれにあわせて増え、大きくなってゆく。
(勝てるか?)
そう思い、苦笑する。勝てるわけが無い。この間のように条件は良くないのだ。とにかく避ける構えをとって待つ。
(?音が……)
音が、不自然な方向から聞こえた。敵は、自分の前方から迫ってきているはずだ。
何故、真後ろから音が聞こえるんだ?
自問したところで、満は前方に走り出した。後ろは見ない。見ている暇など無い。遅れれば、巻き込まれる。自分の出した答えが正しければ、前後両方の壁から離れていなければマズイ!
満が部屋の中間まで走ったときに、壁が爆発を起こした。後方から現われたのは、先ほどのロボット。だが満は振り返らずに走った。しかし……
ガッ!!!!!!
それまで以上に大きな音と共に、前方の扉が視界から消え去った。それは天井近くまで舞い上がり、満の前方に落下した。強烈な振動が満をその場にとどまらせる。
満が顔をかばっていた腕を下ろし前方を見ると、そこにいたのは後方にいるはずの赤いロボットであった。アッパーを繰り出した直後ですとばかりに拳を高々とかかげている。
舌打ちしながら後方を振り返ると、そこにいるのもやはり扉を吹き飛ばしてきたのと同じロボットである。
(やっぱしな。2体で挟み撃ちとは、頭使ってきやがって!!)
前方の一体が飛びかかる姿勢を見せたため、満も足に力を込めてすぐに避けられる体勢をつくる。
敵が飛び出すと同時に、満は右に跳んでいた。
先ほどまで満がいた場所を、赤い影が高速で通過していく。そのまま満の後方にいたロボットと正面衝突した。
(よし。作戦通り)
頭使うくせにマヌケなロボットどもである。いや、さっきの挟み撃ちはただの偶然だったか。
そう判断して別の部屋へと飛び込む。振り返ると、例の2体は衝突しあった衝撃で煙を噴いている。どうやら、故障しているようだ。
(してやったり)
笑みを浮かべながら彼は脱出のために全力疾走を始めた。
扉と立方体の白い連続から抜け出したさきは、またもや白だった。
白色に塗られた、のっぺりした壁に挟まれている白いリノリウムの敷き詰められた床。頭より3mほど上にかけられた天井からは、ツララのようなものが所狭しとぶら下がっている。たまにツララの垂れていないところを見つけてみれば、そこには当然のように蛍光灯が収まっていた。
それが、扉から飛び出した満を待っていた回廊だった。
「……」
報告すると、扉及び部屋の総数は53だった。何故あんなにもたくさんの扉を造ったのか、よくは分からないがまあそのおかげで自分が助かっていたのかもしれないのだから、よしとしよう。感動した。
しかしながら、それ以上に……
「っ!」
満は、自分の体の丈夫さに感動していた。何せ、あの扉を10mも吹き飛ばした拳の直撃を食らって生きているのだから。
だが、まともな言葉は発せられなかった。肋骨の2・3本はイッたであろう。もはや立つ事も出来ずに、殴られた腹を抱えて床にひざまずいている。もうちょっと頑丈ならよかったのに。
(何でこいつはこんなに大量にいるんだ?)
3体目の赤いロボット。あの連続した部屋からこの回廊に出た途端に、左から殴られたのだ。左のわき腹を、モロに。
段々近づいてくるそのロボットに対して抵抗する事はもう出来なさそうである。彼は目を瞑りひたすらに、突然歯車が壊れるなりメンテが不完全で動きに支障をきたすなりして敵が止まる事を祈った。
「――――?」
最後の瞬間をたっぷり3回ほど覚悟したあとで、何か重いものが倒れるを聞いて、彼は片目を開いた。するとどうだ。目の前に、そこには先ほどのロボットが倒れているではないか。
何が起こったか分からずに目をぱちくりしていると、声が降ってきた。
「いけないな君。それでは」
低くて安定した声。満は両目を開けて身体を起こそうとしたが、激痛に襲われて身体を起こすことは出来なかった。
それを見て声の主が、ん?と声をあげる。
「なんだ。筋肉痛にでもなったのか?平気なはずだが」
(何言ってんだ。あんなものに殴られたっていうのに平気なわけ……)
………………………………………
平気だった。
身体を起こしてみても、もう痛みも何も無い。さっきまでの痛みが嘘のように消えてしまっていた。
「?……??」
「まあ、いかんな。あんなものは幻覚でしかないのだから」
「いや、幻覚じゃあないと思うんだが……ところであんた誰だ?」
フムと腕を組んでこちらを見下ろす謎の男に対して、満は尋ねた。
「とにかく起き上がるがいい。話はそれからだ」
満は男に差し出された手をとって、立ち上がった。
「牧野満」
男は、早口にそう言った。
「え?」
「名前は、それで良いかな?」
「ああ」
間の抜けた声で応答する。どうもここにいる人たちはみんな、自分の名前を知っているかのようだ。何だか初対面相手に自己紹介を必要とされないのは少し寂しい気分がする。
「私の名前はバーミリオン=バフェル。本名も忘れないでくれて欲しくはあるが、まあB.Bと呼んでくれ」
握ったままだった手を軽く上下させて握手とし、2人は手を離した。
改めて男を観察してみると、時代劇などによく出てくるサムライのような格好をしている。帯刀はしていないが、その代わりに帯に拳銃が挟んであった。髪型はチョンマゲではなく、スポーツ刈り。目が細くて多少柔らかい感じを放っている。
なんとなく異様だ。
「この格好については、あまり突っ込まないでくれたまえ。ちなみにこの銃については伊達ではないので心配しないように」
「はぁ……」
「君の知りたいところは山ほどあるのだろうが、今はここから一刻も早く脱出することを1番最初に終えなければいけない」
そういって、B.Bは身体を反転させ、白の回廊を歩き始めた。満はそれを慌てて追いながら話し掛ける。
「歩きながらなら別に話しても、構わないよな?」
「ああ。もちろんだ」
「じゃあ、最低でも教えてくれ。ここどこだよ?」
「ここか?ここは――」
満の問いに対し、B.Bはどうということもなく答えた。
「本の中だ」
#4
ショックからなかなか立ち直れないでいる少年を引き摺って、友人はどうにか彼の家へ辿り着いた。
[世界]
――ホンノナカ?
満はオウム返しに聞き返した。そのときB.Bはコクリと頷いただけだったが、満が自分に追いついて横に並ぶと続きを話し始めた。
「ここはまあ、とある本の中だ。よくあるだろう……いや、現実ではない。物語での話だ。本の世界に引き込まれたというのがな。しかしこのケースはその中でもちょっと面倒臭い構造になっている。今回、私たちはこの本の世界の主に『引き留められている』というのが相応しい」
「……」
「と、私は考えを完結させた」
「?」
「私もまだよく分かっていないのだ。確かに考えてはいる。研究もしている。だが、事実がどのようなものなのかという証拠がまったく無いのだよ。だから結論の出しようが無い。考えるだけ。悩むだけ」
B.Bはまた肩をすくめた。満は考え込む。
何てこった。自分は自分が全く気付かないうちに、何の自覚も無く、魔法の本のお話の中に引っ張り込まれちまったっていうのか?そんなバカな!!
「しかし君に比べて私のほうが長くこの世界に居る分、この世界に関する知識は多いがね」
何しろ満は本を読むのがそんなに好きなわけじゃない。今まで読んだことのある本にしても、教科書や参考書の類を抜かしてやれば片手で数えられるほどだ。それなのに、その数しかないなのに、世界に何冊あるかも分からないような希少価値の高い本に巡り合ってしまったとでもいうのだろうか?
「ま、言うなれば私はこの本の中の世界における君の先輩なのだ。敬語でも使ってみたらどうだね?」
それでも―と、彼は思い直った。過去を悔やんでも仕方ない。とりあえず前を向くべきである。前を。
(そしたら今頼りになるのはB.Bくらいしか居ないわけで、ってゆーか、この男どれくらいの間ここにいるんだ?)
「そしてついでに言うと――」
「あのさ、B.B」
「さん付けでも構わないぞ?」
「どれくらいの間ここにいるんだ?」
見事に自分の言葉を無視し続けてくれた満の質問に、いろんな意味を込めて肩をすくめて見せた。
「さあ。時間の概念なんてないからな。どれくらいなんて訊かれてもわからない。しかしながら、10年や20年ではないな」
「……」
「しかし1つだけ。これは私がずっと前から知っていた事だが……ここでは鬼ごっこが展開されているのだ。壮大な、ね」
その言葉を注意深く聞き、満は考え込んだ。
「鬼ごっこ……じゃあ何か?あのロボット集団が鬼で、俺たちが逃げ役?」
「そんなところだ。君は最初に選択を迫られた。あそこでイエスと言えばまずそこで終わっていた。ジ・エンド。それ以外には、君の言った通りロボット集団に捕まる。もしくは『マスター』―あのデブ紳士―や本の世界の住人と化した者たちに捕まってもゲームオーバーだ」
「なあ。もう1つ訊くけど」
満はあえて了承を取らなかった。なにせ、重要なことだから。
「『本の世界の住人と化す』前は何だったんだ?」
「私たちと同じく、『本の世界に引きとめられた人間』だった」
B.Bは、何の躊躇も無くさらりと答えてくれた。
「じゃあ……」
「まあ、考えすぎは良くない。一休みするとしよう」
B.Bは答えるとすぐに、腰をおろした。イスの上に。
「ウェイトレスさん。アイスコーヒー1つ」
「え?」
満が驚いて見上げると、そこでは白いブラウスの上に紺色のオシャレなエプロンをつけたウェイトレスが、笑顔満点でB.Bに頷きかけていた。
「かしこまりました」
去って行くウェイトレス。周りを見回してみると、そこは先程まで自分が歩いていた白の回廊ではなく―街中のオープンカフェだった。多くの人たちが通りを行き交い、楽しそうに笑っている。それは――それは楽しそうに。
「私たちも負けるわけにはいかないのだよ」
B.Bは満を見上げて、言った。
「オイちょっと待てB.B。ここは一体なんだ?」
ダン。とテーブルを叩き、パラソルの軸棒ごしにB.Bを睨みつける。
「何って……カフェだが?」
「死者は?」
「おいおい、何を言っているのだ?ユージーン」
「誰だよそれ」
「君の名前だ。ユージーン。しっかり覚えておきたまえ」
「……」
満は黙り込んで、B.Bを睨みつけた。
「ここはカフェだ。座りたまえ。と・に・か・く!座って。考えて、みるんだ」
渋々と、満は白塗りの木製イスに腰をおろした。
言われたように、考えてみる。
どうやって入り込んだかは知らないが、自分はどうやら本の中の世界に居るようだ。そして、そこで展開される『鬼ごっこ』とやらに強制参加させられている。鬼は『マスター』なる男と、そいつが送り込んでくるロボット。それに、世界の住人たち。住人はみんな、一度死んだっていう普通じゃない奴らで……
(……あれ?)
満は、ひとつの矛盾点に気がついた。
(どうしてフツーの人間ウェイトレスが居るんだよ?)
これは、つまり、俺らが『鬼ごっこ』をするときに範囲を決めるように、この世界の『鬼ごっこ』にも指定範囲があるってことか?だから、範囲外には普通の住人が居るし、B.Bも普通に会話していた。でも、違う名前で呼ぶ?手がかりを与えないためか?それとも、何か名前が発声されることに問題があるのか。何にせよ、色々とわからないことが多い中で名前を明かすのはあまり得策とはいえないのかもしれない。
「なるほど」
一言呟くと、彼はB.Bにアイスコーヒーを持って来たウェイトレスに向けて、言った。
「すいません。俺、ジンジャーエールで」
「で、勘定は私に一任するわけだ」
「だって俺、金もってないぜ?」
あれから、満はジンジャーエールに続いて、サンドウィッチセット、苺ショートケーキ、チョコロールケーキ、ロイヤルミルクティを追加注文してその勘定を全てB.Bに押し付けたのだ。
「しかし、遠慮はすべきだ」
「俺ここ来てからこっち、何も食ってなかったんよ。腹が減っては、戦は出来ぬ。常識ッショ?」
「それにしては主食よりもデザートが多かったし、腹の音は一度も聞かなかったがな」
彼らは行き交う人多き町の通りを並んで歩いていた。東京そっくりな街並み―東京タワーらしき赤い塔まである―を歩く人たちの中には、ポンチョやらチャイナドレスやら、ガンマン衣装やら着ているのがいて、本来ならいそうなスーツ姿のサラリーマンなんかがいなくて、何だかとても不自然な感じがした。
「B.B。またいくつか訊いて良いか?」
「ん?」
「紹介してくれたB.Bの本名って、ニセ?」
「いや、あれは本名だ。B.Bがニックネームなだけだな」
「んじゃ、出身地は?」
「アメリカ西部」
「西暦」
「1680年台のことなら、いくらか話せるぞ?」
B.Bの返答に、満は面食らった。
「うっわ。じゃ、400年近くもこの本の中にいるんだな」
「何だと?」
今度は、B.Bが驚いて満を見る。
「400年?」
「ああ。俺が生きてるのは2003年。正確には423年くらいだな」
「423。そうか、そこまで……」
B.Bはそう言って、顎に手を当てて俯く格好で歩くようになってしまった。
「ショックだったか?」
「……」
「おい。B.B?」
「……」
「おーーい」
B.Bは考え込むポーズをとったまま、黙り込んでしまった。しかし、それでも歩は進んでいるが。
満はそんな彼の横を歩きながら、斜め前方を見て――
「それでだ、満!」
「うわ!何だよ脅かすなよ」
唐突に復活したB.Bに、満は大いに驚いて視線を対象からB.Bへ移した。おかげで動揺がB.Bの目によく映る。映る。
「今何かを見上げていなかったか?」
「や?別に?何も?」
口笛など吹きだした満に、首をさらに水平に傾けながらB.Bは視線だけ器用に上げて歩道橋の階段を見上げた。
―――そこで、B.Bの視線が固まった。
「満よ。私は何かへまをしたか?」
視線はそのままに、声だけで訊いてくる。
「?……ああ。ちょっと待ってくれ」
満は周りを見ないように目を瞑って俯き、こめかみに手を当てた。
B.Bの視線の先では、幾人もの人々が階段を一歩一歩、確実に降りてきている。視線を移動させると、どうにも皆して自分たちの方へ寄ってきているように、彼には見えた。
自分たちを取り囲む輪が狭まってきて、B.Bは思わず銃を抜いた。
「満!早くしな――」
「ゴメン!B.B――」
2人はほぼ同時に、気付いた。叫んだ。
「君の名前はユージーンだ!!」
「俺はユージーンなんだろ!?」
B.Bは掴みかかろうとしてきた1人の脳天を、銃身を握った銃のグリップの底で思いっきり叩いた。
「満!」
「ユージーンだろ!?」
満が近寄ってきた人の腕をはたき落としながら絶叫する。
「もう遅い!良いから、早くこの危機を脱する為の何かを『創造』するのだ!」
「は?何だって?」
「『創造』だ!」
真意のわからない単語を連呼しながら、何度も何度も銃を振り下ろす。その光景は癇癪を起こして小人用の斧を振り回すきこりのように見えなくもなかった。
一体何処から湧いて来るのか、ワラワラと周囲を埋める人の群れ。その包囲網の前に、2人の抵抗はほとんど無意味だった。
「満。耳を塞ぐのだ!」
たまりかねたらしいB.Bがついに―というかようやく―銃の引き金に指をかけた。そして、満が耳を塞いだかどうかの確認もせずに、発砲した。
刹那――
―――ヴォン―――と。
耳鳴りがして、世界が表情を変えた。
地面、人、建物、空。全てに紫色のカーテンが下りる。
世界が軋んだ。
踏みしめる地面を、近づいてくる人を、そびえる建物を、空に浮かぶ雲を。その全てを莫大な数の紫色の糸が縛る。
そして世界は静止した。
「行くぞ!!」
神の所業を成し遂げたB.Bを驚きの表情でみつめて、満は走り出した。
#5
「あ〜!疲れた」
少年は大きな声でそう言って、ベッドに倒れこんだ。
[創造]
絵画のような世界をしばらく走り続けて、2人はどこかの公園に辿り着いた。
どうにも、何処をどうやって走ってきたかって言うのはこの世界では記憶できないもののようだった。B.Bによれば、大抵の物語において無我夢中で逃げたときの道のりと言うのは描かれないからというのがその理由らしい。
「と・り・あ・え・ず!教えろ」
満はB.Bにつかみかかった。B.Bが満に対して素で怪訝な顔を向ける。
「その、B.Bの持ってる銃のことだよ!」
そこに至って、ようやくB.Bは手を打った。銃を帯から抜く。
「これか?これはな。銃だ」
「……見りゃ分かる」
新たなる知識を学生に授ける教授のようにのたまったB.Bに照準を合わせ、侮蔑光線を惜しみなく送る満。
「私が『創造』したものだ。凄いだろ?最新式だ」
B.Bがその銃口を、得意そうな笑みを浮かべつつ満に向けた。何が最新式なのかはよくわからないが、とにかく満の侮蔑光線は効いていないようだ。満は半ば諦めたように溜め息をつく。
「そうそう。その『創造』ってのも気になる。でもな、俺が訊いてんのはその物体の名前じゃなくて、それが何をするためのものかってこと」
「ふむ。まあ、ここはこの銃の話からしようか」
「『創造』で創りだしたもんなのにか?」
B.Bが露骨に不機嫌そうな顔をしたので、満は両手を挙げて口をつぐんだ。
「これは対象としたもの以外の全ての動きを一時的に止める効果をもったものだ」
「だ、ろうとは思ってた」
満が頷く。
「あいつら、紫の糸に縛られて動けなくなってたもんな」
「そうだ。確かこれを『創造』しようとしたときも、相手が動かなくなってしまえば逃げ切れるだろうと思ったからだったな」
満は公園内にあった勝手に回る地球儀を睨みつけていた。誰が回しているのだろう。
「やっぱ、ピンチの時があったんだな」
「それはそうだ。私だって、最初は何も分からなかったのだからな。逃げて逃げて、それでも諦めずに必死に真理を探した。しかし、時既に遅し。八方塞。大切なことは全て表に現れてくれない」
「――ぇ?」
満はB.Bを振り返った。そこにB.Bがいなくて、辺りを見回した。
B.Bは、全てが折り紙で出来たブランコに腰をおろしていた。満がブランコの近くまで行くと、B.Bは話を再開した。
「この本のマスターは非常に強くてな。何勝したと言っていたかな?まあ、この世界の住人の数を、途方も無い時間をかけて数えれば良いだけのことだが。とにかく幾度となく鬼ごっこを繰り返し、大量の人間を取り込んできた。しかし、まあ、ここが相手のフィールドであることを考慮に入れると、仕方なくもない」
「……」
満はブランコを囲う鎖で出来た柵にもたれかかり、何やら考え込んでいる風だった。
「私も長いことここの様子を見てきたが、今のところ君が1番新しい訪問者だ。君はまだ本の世界から抜け出す事が出来るだろう」
「どういうことだ?」
考え事が終わったのか、満は顔を上げて訊き返した。
「本が1つであるのだから、本を持っている生きた人間も1人なのは当然だろう」
腕を組んでさも当然であるかのように告げるB.Bの顔を、満は凝視した。
(自分は現実では生きた人間じゃないと?)
まあ、常識的に考えれば400年も生きられるわけが無い。この世界自体常識の範疇に無いのでそう言い切って良いものかどうか、甚だ疑問だが。
「だから、私は君をどうにかして元の世界へ返そうと思う」
「?どうやって」
「決まっているであろう。出口を探すのだ」
ニヤリと笑って、B.Bはのたまった。
「何処にあるか、知ってんのか?」
「そうだな。知っている奴を知っている。が、その前にそこまで辿り着けなくてはならないな」
「そりゃそうだ。でも、B.Bのそいつがあれば万事解決だろ?相手動けないんだから」
「言い忘れていたが、こいつにも制約が付いていてな。次に世界を止めるまで、何度か夜を越さねばならない」
「い!?」
「そうだな、最低でも3回。その割に止められる時間は13分と、短いのだ」
(時間、ちゅーと半端だなぁ)
「もちろん普通の銃としても使用可能だが……君は人が粉々に吹き飛ぶところを見たいかね?」
「想像しただけでかなりイヤだ」
「私も同意見だ。銃はあまり好きではない――おお。それよりも、『創造』の話に移らねば」
ポンと手を打って、B.Bは話を変えた。
「『創造』というのは、モノを創り出すことだ」
「ンな国語辞典にでも載っていそうな――」
「『想像』によってな」
2人の間を、乾いた風が吹きぬけた。
「駄洒落じゃないぞ」
「分かってるよ。分かってるさ。じゃないとB.Bのキャラ崩れるもんな」
「きゃら?」
「いや、そんな些細なことよりも、続きを――」
「いや、しかし……キャラ?報酬か何かのことか?」
満は目を瞑って首を振った。
「ギャラじゃないっての。もうボケは良いから続き話せよ。時間あんまないんだろ?」
「その通りだ。よく状況を理解できているな、ユージーン。つまり、私の銃だけでは心もとないのだ。先程銃を使ったことでマスターにも私が君と行動を共にしているのが分かっただろう。あやつだけは、私の銃でも止められないのだ。何せ、この世界の主人だからな」
「主人公があれじゃどうかと思うけどな。で、『創造』は?」
「おお。また話が脱線していたな。そう、『創造』というのは我々『逃げ役』に与えられた唯一の対抗手段だ。『想像』したモノを1つ、具現化し『創造』できる能力。但し一度しか使えない上に、幾つかの制約がもうけられる。この銃のようにな」
満は突き出されたB.Bの銃は見ずに、自分の足元を凝視していた。
「なあ。それって、本当にやり直しきかねぇのか?」
「無理だな」
「じゃあ、『創造』後における、能力の変更とかは?」
「試さなかったと思うか?」
「……」
B.Bは、黙り込んだ満の見つめる先に視線をやった。その先にあるのは、茜色の地面と満の足。
「どうかしたか?」
「もし、俺の何かが既に変化してたら、どうする?B.B」
B.Bはそれまで特に気にも留めていなかった満の靴に視線を落とした。彼の目から見れば確かに変だったが、それが満の時代の靴なのだろうと思っていた。
だが、満が含んだ物言いをすると言うことは、何かあるのだろう。
「何が、何にだ?」
「分からない。色々考えたから」
満の返答に、B.Bはピシリと固まった。
未知ほど恐ろしいものはない。
「ナニヲソウゾウシタ」
満は乾いた笑いを浮かべながら、つかみかかって来たB.Bからあからさまに視線を逸らした。
「や、たくさん考えすぎて、何が何だか……」
(目がとても怖いですよ、B.Bさん)
「とはいっても、分からないのでは仕方ない。とにかく、分かることを教えてくれたまえ」
満の視線をぐいと戻させて、B.Bは続けた。
「キャラ♪とは何だ?」
《やっと見つけましたよ。死せる生者『バーミリオン=バフェル』》
突如、会話は中断された。
突然会話に割り込んできた聞き覚えのある声。超至近距離で睨み合っていた2人は、はっとして振り返る。
そこにいたのはしかし予想したのとは違う、何となく巨大な恐竜だった。
『…………』
たっぷり2人分の沈黙を満喫してから、B.Bはようやく一言絞り出した。
「また一段と肥大化したな。マスター」
《何と失礼な。このT−レックスは君たち専用の出迎え役であって、私本人ではないのですよ》
「恐竜がお出迎えとは、少々丁重過ぎはしないかと思わんかね?」
2人視線を交わし、満にそう言ったB.Bの両手は、あの腰にさしてあった拳銃を握っていた。
「さぁて、少し下がっていてくれたまえ。今から、軽くT‐レックスを穴だらけにしてくるからな」
言うが早いか、クンと身を翻してB.Bはトリガーを引いた。悲鳴をあげるT−レックス。次々と打ち込む弾丸の一発一発が、確実に標的を打ち抜く。貫く。
B.Bの動きを見る限り、リボルバー拳銃はどうやら弾切れを知らないようだ。その代わり、撃つ毎に撃鉄を引き起こしている。何故そこは変更しなかったのだろう?
(……って、そんなこと考えてる場合じゃない!)
確かに銃弾は恐竜の体を貫通しているが、その穴が空いた端から次々と塞がってきているのだ。痛みに慣れてきたら、T−レックスは攻撃に移ってくるだろう。そうなれば、今のB.Bに対抗する術はない。さらなる秘密兵器でも隠していなければ。
《バーミリオン=バフェル。今のアナタにはこの刺客を倒す術はないのですよ》
黙々と、引き金を引き続けていたB.B。その火を吹き続けていた銃口が、マスターの言葉のもとに下げられる。
「……」
銃弾の嵐を受け続けていたT−レックスが、止んだ雨に咆哮を上げ、立ち上がる。その体は無傷。体力は満タン。
「B.B!」
「よく聞くのだ。満」
『満』の名が出た途端、まるで掘り当てた地下水脈の水のような勢いで地面から湧き出してくる、人・人・人。
全てがこの世界の住人。マスターの操り人形。この馬鹿げた鬼ごっこの、鬼。
「〜〜っ!!」
自分の前に現れた厚い人垣に、満は声にならない悲鳴をあげた。
「満。この世界には秘密がある。その秘密を手に入れろ。それは、最強の矛となり、また最強の盾となる。この鬼ごっこにおいても、誰もお前に勝てなくなる」
住人たちが満のほうへと、迫ってくる。
「今は退くのだ満!そして見つけろ。お前自身を!」
人垣の向こうから、銃声と共にB.Bの声が聞こえた。満は人垣で見えなくなっているB.Bに頷き、踵を返して走りだした。
満が離脱し、住人たちもその後を追っていった。急に人口密度の低くなった公園に、マスターの声が響き渡る。
《……バーミリオン・バフェル。アナタは何を言っていたのです?》
「?何のことだ」
B.Bの返答は無視し、マスターは続けた。
《この世界の秘密?アナタは何を知っているというのです》
「さっぱり質問の意図がわからないが、面白そうではあるな。どの程度の秘密があるのか」
B.Bはどこにいるかもわからないマスターに向けて、言葉を発した。
「この世界の構造、法則、意味その他にもたくさん知りたい秘密はあるぞ」
《……良いでしょう。そのうちの2つだけ、ここまで手を煩わせてくれたお礼に教えてあげましょう》
「ならば問う。この世界は何だ?」
答えが返ってくるまで、少し間があった。
《アナタが最も頭を悩ましていた問題ですね?良いでしょう》
きっかり一呼吸おいて、マスターは続けた。
《ここは私の創りあげた世界。本の中に書き記し、創りあげた世界。まさに最高傑作です。全ての民が永遠の命を得、全ての民が幸せを手に入れることが出来る。本の中の世界に不条理はなく、また争いもない。全く、古の呪術師数多しと言えど、ここまでの成功を収めることが出来たのは私くらいな者です》
「その成功の行く末がこれか。本を手にした者を取り込み、無意味な鬼ごっこに参加させ、しばらくはたった一つ逃げ道を残して追いかけ回し、恐怖と混乱の中を彷徨わせ、最終的に絶望と共に精神を葬り去る」
彼の手は銃の握り締めすぎで真っ白にまでなっていた。
「貴様は何故他人の意思に関係なくその者を利用して、他者を苦しめるなどという愚行に及ぶ?そして、何故それが許される!」
叫んで、銃をT−レックスに向けて両手で構える。銃身が、回転しながら巨大化し始めた。
《数が多いですが、良いでしょう。答えてさし上げます。ひとつ目の質問の答えは簡単です。私の楽しみのため》
「!!フザケルなぁ!」
あまりの理由に、B.Bは思わず引き金を引いた。
20cmほどにもなった銃口が巨大な弾丸を吐き出す。
引き金を引いたB.Bが大き過ぎる反動に耐え切れず、銃は後方の茂みへと飛んでいった。
対戦車並の威力をもった弾丸が一直線にT−レックスの脳天に突き刺さる。回転が威力をいっそう強力なものに変質させ、威力が異常なほどに触れるもの全てを破壊する。
T−レックスは頭部を完全に消し飛ばされて、巨大な振動でB.Bを吹き飛ばしながら地面に沈んだ。
「はぁ、はぁ、はぁ……ぐっ」
笑う膝を反動のあまり力の入らない腕で抑えながら、B.Bはどうにか立ち上がった。
《ふたつ目の質問の答えは……これですよ》
見やると、T−レックスはスゥっっと蜃気楼が消えるように消えていった。
そして、代わりに何かが――現れた。
B.Bは、強烈な悪寒とともに体中から血の気がひくのがわかった。
《ソレガ私ノ。コノ世界ノ所持者ノ。神ノ特権ダカラデス》
言葉の聞こえてきた上空を見上げて、B.Bは目を見開いて、呟いた。
「……お前は一体何なのだ?」
《残念。モウ質問ノ残リ回数ハナイノデスヨ》
そこで、物語は途切れた。
既に世界は敵と化していた。住人たちの全てが彼を追う。そこにその人個人の意思はなく、しかしそれ故に容赦もない。
学生の手にあるのはペンではなく、バタフライナイフ。サラリーマンが小脇にかかるのは革の鞄ではなく、ハンマー。主婦はまな板無しに包丁を振るい、警官は警告無しに銃を発砲する。そこに竹刀はなく、あるのは真剣のみ。槍は全て人を貫く為に投げられる。パトカーや救急車は勿論、普通乗用車やトラックまでもが交通ルールを無視していた。
逃げ続ける満は、逃げ続けるしかなかった。もはや疲れは体中に浸透していた。肺は自分が吸収できないほどの酸素を求め、心臓は荒れ狂う。
(何だって俺がこんな目にぃ!!)
声に出す余裕のない満は、仕方なく心中で叫んだ。しかし走らないわけにはいかない。今だってドでかいトラックと競争中なのだから。前方に見える路地に、先に突っ込むことが出来なかったらTHE END。本当の命がけの追いかけっこである。
路地に走りこみ、その通りを半分ほど過ぎた頃になってトラックが路地両脇の、レンガ造りの建物に激突した。
一瞬脱力しかけた彼の肩を、何かが叩く。パラパラと音を立てて地面に落ちたそれらは、レンガの屑だった。
「っ!!?」
それが示すことに気付き、満は振り返った。トラックは狭すぎる路地をつくる壁に激突して止まっている。しかし、レンガ造りの家が大きなトラックのぶつかった力全てを受け止めきれるとは限らない。ヒビは広がり、満の横を通り過ぎ、反対側にまで達した。
悲鳴をあげる間もなく―――
『倒壊』に、満は巻き込まれた。
「何で……くそっ」
どうにか両側の建物が崩れて出来た瓦礫の山から這い出てきた満は、そう悪態をついた。周囲の様子を見て満は安全を確認し、立ち上がった。
「あ〜〜クソッ。微妙に役に立ちそうな役に立たなそうな」
振り返って、拳を振り上げる。そして、瓦礫の山に向けてその拳を振り下ろした。
粉々に砕けたのは、レンガ。満の手には傷1つついてない。
「まさか、こんな『創造』もアリだなんてな」
ひょいとレンガを持ち上げ、そいつを軽く上に放り投げて自分の頭の上に落とした。やはりレンガが粉々に砕け、自分の頭は痛くも痒くもない。
「確かに住人たちの攻撃気にしなくて良くなって便利そうかも知んないけど、どの程度までいけるのかっていう疑問が残るよな」
つまるところ、彼の創造は自分の体に対する特殊能力付加。『超人的防御力』。
彼は通りを挟んで反対側の壁に刺さっていた包丁を抜き取ると、誰にともなく呟いた。「俺はマゾじゃないからな」と。
満の腕の上でひかれた包丁は、その肌に傷をつけることが出来なかった。次に、彼はさらに力を込めてそれをひいた。痛くも痒くもない。さらに、力を込めても、 変わらない。全く無傷な腕が、そこにあった。
満は、その包丁を自分の腕に思いっきり叩きつけた。割れた包丁の破片が周囲へと飛び散る。鏡のように太陽の光を反射する鋼が、地面へと落ちていった。その破片の大きなものを幾つか拾いながら、呟く。
「結果。包丁もレンガ落としも効きません」
満は視界の端に何か動くものを捕らえ、振り向いた。
刹那――
巨大な赤色の物体が、目の前に出現した。出現して、目の前で止まった。それにどこか見覚えがある気がして、満は遅ればせながらその赤色の物体を横に避けた。どしんと派手な音を立てて倒れたそれは、やはり見たことのある物体だった。赤い、スーパーバトルドロイド。
「おいおい。えらくパンチからパワーが抜けたんじゃないか?」
軽く拍子抜けしたように満が言った途端、ロボットの胸部が開いてミサイルが2つ、飛び出してきた。
「!!?」
距離5mのところから放たれたミサイルなんて、スーパーマンだって避けられないに決まってる。一般ピープルの満に避けられるはずもない。爆炎が上がり、爆発音が轟く。ロボットは自分で放ったミサイルの爆発に巻き込まれて、自滅した。
「……マジかよ」
それでも満は、特に何と言う変化もなく、もうもうと立ち昇る煙の中から現れた。焼け焦げた痕どころか、煤すらとんでいない。
(こいつがあれば、B.B助けにだって行けるだろ)
もう、いつの間にか自分を取り囲んでいる何百という数の住人やロボットたちすら、全然怖くなかった。
彼は周りを見回して、大きく息を吐いた。
「さて。『強硬突破』でいけるか?」
一歩踏み出した瞬間に――
満の足は地面を見失った。ガクンと体が沈む。
(な……に?)
目線だけを足元にやる。
その足元には壮大な闇が広がっていた。体がゆっくりと後ろに傾きはじめ、視界は暗雲浮かぶ空を通り過ぎ、すぐに上下が反転した。ああ、人の身体って本当に頭から落下するんだな。と、実感した瞬間。できれば、もう少し安全が保障されたところで体験したかったが……。
ゆっくりとおちていく満の体。脳が少し鈍間になっていて、あまり落下の実感がわかない。しかし満の思考が全ての糸を辿り、状況を完璧に把握した途端。
それまでスロー再生されていた全てが、通常再生へと戻された。
「うわああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
強烈な恐怖とともに、彼は暗闇へと落ちていった。
#6
少年はベッドに寝転がったまま、昼間に衝動買いした本を鞄から取り出した。
(どうしてこの表紙なのか……)
少年は恨めしそうに表紙を見つめた。こんな魔術的な表紙でなければきっと別のものを買っていたんだろうに。
(ま、たまには小説読むのも良いか)
少年は、「前回読んだ物語は『のろまなローラー』だったかな?」などと言いながら、本を開いた―――――
[敵]
彼がそこに降り立って初めて感じたのは、悪感だった。吐き気を催すほどの(実際には吐き気など襲ってこなかったが)内装であった。と、言うか内装も何も無いのだが。
(なんツーのかな……)
彼は周囲を見渡した。
(間違って地獄に入り込んじまったような感じだ……)
何も無い、暗黒の空間。周囲も色も不定形。
どこに終わりがあるのか。自分が本当に真っ直ぐ立っているのか。それすら分からなかった。
そして何より鍾乳洞に入ったような寒気と音。そしてそれに混じる……
グルルルルル……
そんな低いうなり声。
「地獄なんて考えるべきじゃなかったな」
そう呟き、声がした方に向き直る。案の定、そこには考えたとおりのものがいた。
「地獄の門前には番犬がいるんだっけ?」
生唾を飲み込み、続ける。
「……ケルベロス」
目の前の巨体を見上げる彼の目には焦りが浮かんでいた。
「始めて見るぜ。今畜生」
当たり前である。こんなもの実在したらろくな事にならない。
三頭犬―ケルベロス。体長5m(縦)はあるのではないだろうか。話では火炎弾を吐いて来るはずだったが……。
やはり吐いてきた。しかも3つの頭から同時に。その初撃を走り込んで避ける。
(あんなもん当たったらシャレになんねえ!!)
すぐに辺りを見回して、満は岩壁のようなものを見つけた。見た感じ、どうやらただの岩でもないようだったが、すぐさまそちらへ走りこみ、裏へと回る。
飛んできた火炎弾が一発、その岩壁に弾かれて散った。
(頑丈だ)
満は思い出した。
(そういや、俺も頑丈になったんだっけ)
数発分のミサイルを受けても平気なほどには。
「あれ受けても大丈夫かも。でも喰らって死亡したらシャレになんないぞ?」
限界を知らないのは、ある意味不便である。緊張感がないのも、問題である。
「うおっ」
また唐突に火炎弾が壁にぶち当たり、大きな揺れが起こった。
次いで、満の周辺一体に巨大な影がおちた。
「……え?」
見上げる暇もなく、少年はケルベロスの足の下敷きになった。
ぐるる
不機嫌そうな声を上げて、ケルベロスが足を上げる。
満は立ったまま、離れていくケルベロスの足を見上げていた。
「踏まれても、別にどうってことないな」
言ってすぐ、また踏まれた。
足を上げては下げると言う反復行動が繰り返される。
12,3繰り返されたところで、それは止まった。そして、足が上げられる。
なんとそこに、満はいなかった。
「ほっ!」
いつの間にか後ろ足のところにまで潜り込んでいた満が、掛け声と共に、ここへ落とされる前に拾っておいた包丁の欠片でケルベロスの足に切りつける。ケルベロスの足は、意外にサクッと切れた。
ケルベロスが悲鳴をあげて、足で満を蹴り飛ばす。
「わっ!」
ホームランボールよろしく、猛烈なスピードで中に放り出される満。
たっぷり数秒、簡易飛行を楽しみ、そのまま彼は床に激突し……なかった。そもそもこの空間に床や壁があるのかどうか事態、疑わしいじゃないか。
どう考えても登った距離より長い距離落ちたところで彼の身体は仰向けに静止した。
「ったく!えらく吹き飛ばしてくれやがっ……て?」
睨み付けた先に在るべきものが無くて、満は目を見開いた。すぐさま、首を動かし目を動かし、ケルベロスの姿を探す。しかし、何処にもいない。見当たらない。
「……ドコ行った?」
軽く首をかしげた。立ち上がり、周囲を再認する。
やはり、いない。
「ドコに――」
突如聴こえた。何か刃物を擦り合わせるような音が、彼の口の動きを封じた。
否。封じられたのは口だけではなかった。指が。手が。腕が。足が。首が。目が。彼の意思通りに動いてくれない。
膝は大笑いし、手は他人が見たら笑ってしまいそうなくらい大げさに震え、背筋を幾度となく悪寒が走り抜け、異様なまでにある1点から目が離せない。
ぎぎぎ……
少し錆び付いた蝶番を動かしたときのような、気味の悪い音。響いたそれは、確実に満の凝視している……させられている暗闇から響いてきた。
開かれたことによって見えるようになったかのように、満の目の前にゆっくりと姿を現す、扉。悪魔、大蛇、鬼などを無理矢理絡め合わせて造り上げたかのような、吐き気すら催しそうなほどのそれが開いていくのを、満は瞬きもせずに凝視し続けていた。
扉の向こうからは凍るほどに冷たく、火の中にいるのかと思うほど熱い空気が流れ出してきたが、満にはやはり身じろぎすら許されない。
黒き瞳は、漆黒の続く扉の向こうを見つめ続ける。
やがて、開ききった扉の向こうから何か、金属同士を擦り合わせるような音が聞こえてきた。禍々しく、それでいて神々しい音。そこに旋律は無く、ただ単調に繰り返される。それでも表情があり、他人に何らかの感情を抱かせるものがある。
満は、不規則に歪む漆黒の中に新たな変化を見つけた。
彼の鼓動が、本能が、告げていた。
―――危険だ……逃げろ―――
満は、全身を黒いマントで覆った地獄の住人たちを絶望の眼差しで見つめて、彼らの名を口にした。
『―――――死神―――――』
♯7
『号外ですよーだ。号外だよー。見て笑ってろ!!』
最後の一言が、近くでげらげらと笑っていた男の頭に当たる。その男はその言葉の重みで潰されてしまった。
新聞屋の男が笑っていた男に投げた新聞には、こんな事が書かれていた。
――――――満、監獄の中へ――――――
彼は暗闇の中に、文字通り転がっていた。
遥かに上の方から水滴が落ちてきて、真っ赤になった彼の顔を濡らす。しかし、彼は目を覚まさなかった。いや、覚ませなかったのだ。疲労のあまり、傷の深さと多さのあまり、体が起きることを拒否していたのだ。
満は眠り続ける。自分の身に今何が起こっているとも、この先自分の身にどんな危険が降りかかろうとしているかも知らずに。
[恐怖]
「お目覚めかね?」
声が聞こえて、その言葉の意味を理解して、現状を確認して、一番最近食べた食事の献立を思い返してみる。
ああ、そういやチョコロールケーキとか食ったっけな。
そんなことを思い出すのにたっぷり13秒ほど費やしてから、彼はただ単に呟いた。
「デブ」
顔をまったく隠していない状態なので、マスターの頬がひくりと引きつるのがよく見える。
「フム……名乗ってはいなかったかね?私のことはマスターと呼ぶべきだ。みなそう呼んでいるからな」
もちろん知っている。何故だかは知らないが。
「で、俺になんのようだ。変態」
「フム。変態と来たか。だがお前は罪人だな。牧野満」
「……?」
ずっと相手の方しか見ていなかったので、自分がどういう状態になっているのか把握しきれていなかった。
満はあの白黒の囚人服を着せられ、手枷と足枷をはめられて薄暗い檻の中に入れられていた。しかも、相手は檻の外にいる。何故目の前にある鉄格子を不自然に思わなかったのだろう?
「……!おい。どうなってるんだこれ?」
「人にモノを聞くときにはそれなりの口の効き方というものがあるのではないですかな?」
「死人に礼儀を問われても困る」
「死人にくちなしと言いますがね」
瞬間、2人はこう着状態に陥った。
「どうして俺がこんな状態になってんのか、教えてくれないか?」
「なるほど。多少はマシになりましたか」
「アンタみたいにはなりたくないっていう俺の信念も理解してくれ」
「ま、良いでしょう。その信念も今日限りです」
満の皮肉に対し、マスターはフンと鼻を鳴らすと、マントを翻すとともにくるりとその巨体を回転させて、そのまま満から離れ始めた。
「おい。質問に答えろよ!」
マスターは光の射し込んできている扉の手前で立ち止まると、首から上だけを器用に180°回転させて、ニヤリと笑いながら言った。
「最初に言ったではないですか。アナタは反逆罪なのですよ。刑罰の件で1つ言っておきますが、あなたは処刑です。刑の執行日は明日。執行人は『死神』です」
扉を閉じられた牢屋は真っ暗になった。
一晩明けて、満は暗闇に包まれた先の見えない廊下の、延々と続く赤いカーペットの上を歩いていた。
歩き始めてから何分経ったかなんて、もう彼には考えることも出来なかった。
彼はただ先に先に歩を進めることだけを考え、他の事は脳が勝手に考える。
家族のこと、学校のこと、友達のこと、15歳の誕生日のこと、受験のこと、将来のこと。
嫌な雲行き、この世界のこと、死神のこと。
そして、残酷で凄惨な『あの時』がフラッシュバックされる。
暗闇の中を舞い踊る黒き闇の住人。美しく銀色に輝く大鎌が音も無く風を切り、満に迫る。
そこには声を上げる力も無く、体を動かす勇気も無い。
赤が瞬間的に黒を汚し、そして黒に溶け込んでやがて見えなくなる。
赤はあれども傷は無い。鎌は満の体から生命の欠片だけを掬いだし、ぶちまける。
傷なき傷の痛みが満を襲う。その痛みはきっと、十字架に貼り付けられたキリストのそれをも凌ぐはずだ。
(……イヤだ!!)
廊下の終わりはまだ見えぬ。だが満の足はそれ以上前へ進もうとはしなかった。
それ以上の歩みを、彼の全てが望んでいなかった。
『奴らのいる死刑台へ上るのは、絶対にイヤだ!!』
彼は踵を返して走り始めた―――
途端に、彼は突然の眩しい光と歓声に包まれた。
そう……彼は来てしまったのだ。コロッセウムに。真っ直ぐ進んでいたならば永遠に辿り着かなかったであろう、処刑台に。
闘技場の満とは反対側に、奴らはいた。
大鎌を肩に担ぐようにして闘技場に3つ並べられた真っ赤な椅子に座っている、 真っ黒なマントを羽織った白い骸骨。それが一番正確な形容であろう。
カカカと顎をかち合わせて無気味に笑う死神3体と、呆然と立ち尽くす満。それだけしかいない闘技場に、鼓膜を破らんばかりの大音声が届く。どれも何を言っているのかはっきり聞こえなくて、もし聞こえていたとしても全く理解不能なのだろうと思う。
この声援は仲間が増える喜びの声援だろうか?それとも生きている者を妬む怒りの叫びだろうか?あるいはその両方か?
だが、満にとってそんな事はどちらでも良かった。考える気力も、脳の空き容量も無かった。1つだけ確実に分かっているのは、この先に待っているのが壮絶な殺戮であること。ただそれだけだった。
鐘が鳴ったのはいきなりだった。満も死神も、全く予期していなかったであろう。何の言葉も無しに、『処刑』は開始を告げられたのだ。
だが、結果に大差はなかった。死神が一瞬で満のそばまで来ると、鎌が振り下ろされる。闘技場の地面は一瞬のうちに、赤い血で染められた。
聞こえてくる声が大きくなり、遠くなった。
無音だった。斬られたというのに、満には全く音が聞こえなかった。痛みもない。ただ、あるのは違和感。だがそれも一瞬。3体の死神は容赦なく彼を大鎌で切り裂いた。幾度も、幾度も。それが終わるまで、満は中に浮いたまま、一度たりとも地面に触れなかった。
彼が地面に着いたとき、ようやく彼は音を聞くことが出来た。
同時に死にいたるほどの痛みも襲ってきた。傷は無い。それは体をかきむしる自分の手の感触から分かった。彼はもがき苦しんだ。
だが、死神たちはまだ動かない。彼が苦しむ様をよく見てから仕上げに移るつもりなのだろう。
観客からは歓声が飛び続けている。満の絶叫はその歓声にかきけされ、何者にも聞こえていない。
何者にも。
満は次々と浮かぶイメージに、割り振りをしていた。
家族のこと、学校のこと、友達のこと、15歳の誕生日のこと、受験のこと、将来のこと。
本を開いたこと、この世界のこと、仲間の――――
……………仲間……………?
歓声はさらに高まっていく。もう誰にも止められないほどに。
死神が一斉に、ゆっくりと大鎌を天にかかげた。もう時は迫っていた。満の意識はすでにいつとんでもおかしくない状態で、3本の大鎌が満の体を串刺しにした時――――――
彼の体はその容を失い、満の意識は完全にコロッセウムの地に沈んだ。
#6
僕はこれより、私自身を私の創りあげた魔書に封じ込める。これにより僕は一時的に神の代行人となり、世界を創ることまでもが可能となる。但し、僕も1人の人間にすぎない。ミスは付き物だ。何か、予想も出来ない事態が起こったときのために1つ、緊急停止スイッチでも用意しておこうかと思う。
Aung dafine jaghead.
[再生]
満は真っ暗な世界に、1人立っていた。
「ようこそ。君も来てしまった様だね」
聞き覚えのある声だった。そう、ついこのあいだ初めて聞いて、ついこのあいだ最後に聞いた声。誰だったっけ?
「来てしまったって?」
声のしたほうに首を曲げてみる。そこには侍服を着た、黒髪を角刈りにした男が座り込んでいた。
「魂の牢獄……みたいなものなのだろうかな?」
肩をすくめて首を振る。
「私と君以外にも多くの人がいることから見て、間違いないだろう」
見回してみれば……なるほど。たくさんの人がいた。それこそ、あの死人たちと同じくらいの数の。
「屍に魂を残しておくときっと不都合があったのだろうな。だから魂をこちらに移し、身体はそのまま動かしているのだ………。未だに悲しみにくれている者もいれば、もうここでの余生を楽しむ為に友人を作っている者もいる。私は前者でも後者でも無い者だが、私の生前の友人は、なんとここで結婚してしまったそうだ」
少し笑みを浮かべてから、男はまた真剣な顔に戻って問うてきた。
「君は、どうだ?」
「は?」
「君はここに残るのか?」
「冗談」
男は誰だかわからなかった。でも、男の言っていることの意味がわかった。ハッと笑ってから、満は不敵な笑みを浮かべた。
「俺には帰る家と、帰りを待ってくれている人がいる」
そして満は真っ直ぐに、男の優しげな瞳を見つめた。
「帰る方法……心当たりがあるんだろ?」
満が訊くと、今度は男が不敵な笑みを浮かべて言い放った。
「もちろんだ。君はまだ生きている。再チャレンジが可能だ」
何の迷いもなく男は腕を上げ、その細い人差し指で1点を指差した。そこにあったのは、『脱出口』とかかれた看板のかかった直径3mくらいの、ただの穴。何となく、ウサギの巣穴に見えないこともない。
「……」
色々と、感じるところがある。突っ込むべきところが、在る。
「さあ。行きたまえ。帰るべき場所があり、帰りを待っている人がいるのだろう!?」
叫び、バシン!と満の背を叩く。周囲の人たちも彼らのほうに視線を転じていた。
「色々とどーも」
叩かれてひりひりと痛む背中を気にしつつ、満はお礼を言った。『脱出口』の看板をくぐる。
「忘れるな。満。この世界には秘密がある。その秘密を手に入れろ。それは、最強の矛となり、また最強の盾となる。この鬼ごっこにおいても、誰もお前に勝てなくなる。良いか?見つけるのだ満!お前自身を!」
穴に入ると、そこはもう、問答無用に吹き抜けだった。
「……悪夢だ」
「よく解っているじゃないか」
満は、悲鳴とともに落ちていった。
死神は戸惑っていた。
光が収束し、自分たちが喰らい尽くしたはずの体を再構成していく。
マスターが何か言っているようだったが、そんなことを気にしている場合ではなかった。目の前の不思議な光景に、彼らは目を奪われていた。やがて光は収まり、獲物はゆっくりと目を開いた。
目を開くと、暗雲が広がっていた。
「嫌な雲だ」
瞬きをして、呟く。
とりあえず背中に叩きつけられた物体を、満は手にとった。
右手にのる、確かな重みを持った鉄の塊。鉄砲。トリガーに指をかけ、一度、地面に銃口を向けて引いてみる。
反動が少しくるものの、扱いづらくなることはないなと思った。
目を閉じてもう一度大きく深呼吸。マスターが何か叫んだようだ。死神たちが動き出したのが気配でわかった。
でも、慌てない。騒がない。怖がらない。
全て恐怖は道端に置いてきた。不安は全部、数学の計算式よろしく頭から抜けてしまった。
代わりに、サンタの白い袋が手元にある。希望の詰まった袋が。
一本目の鎌を、体を右にずらしてかわし、右からやってきた二本目は銃で受け流す。斜めに振り下ろされてきた3本目の鎌の柄を、銃を撃って破壊した。巨大な刃だけが後方へ飛んでいく。
不慣れな動作で撃鉄を起こして銃を構え、鎌を折られて呆然としている死神に向けて至近距離から引き金を引いた。1体目の死神が頭蓋骨に穴を空けられて崩れ落ちる。
満が撃鉄を起こすよりも早く、別の死神が鎌を振り下ろしてきた。満は咄嗟に死神のマントの中へと自分から飛び込んでいった。鎌は地面に突き刺さり、銃口は真下から死神の心臓を狙う。躊躇無く、三発目の弾丸は放たれた。
マントから転がり出たところに、残った1体が鎌を振りかざして飛んできた。銃でその鎌を受け止める。その脇腹に銃口を向け撃とうとしたが、危険を感じ取り右手に転がった。
振り返ってみると、満がいた位置を鎌の刃が通過していた。鎌の刃がオジギソウのようにおじぎしている。
再度飛んできた死神に対し、満は迷わず引き金を引いた。
「……さて。次誰だ?」
余裕顔で高みの見物を決め込んでいたマスターの方を睨み据えた。今その顔は、怒りによって本来以上に醜くゆがんでいる。
だが、意外にすんなりとマスターは降りてきた。降りてきて、ゆっくりと口を開いた。
「罪人が正義の執行人を倒したらどういうことになるか、講義を受けなかったのか?」
「あいつらが正義の執行人って面かよ」
言いながら、満は奇妙に思った。
(こいつ、なんか前より普通の人間っぽくなってないか?)
少なくとも以前より痩せてはいる。一歩踏み出すたびに悲鳴を上げていた地面も、すっかり落ち着いてしまっている。しかもこの声は……
「私の容姿に気付いたようだな」
マスターがマントを空中へと投げやった。
「私だ」
そこにいたのは、暗闇の中で見た侍服の男だった。
#7
ずっと前に習ったことだって思い出せるのに――
たった今見たことが思い出せない。
自分の体じゃないみたいに勝手に動いて――
冒険する。
出会った仲間の名前を覚えていたくてもう一度訊きたかったのに――
訊けなかった。
そんな物語を――綴ってみようと思う。
[終焉]
(おいおい。何の冗談だよコイツは……)
満は見間違いでないかどうか、じっと敵を見つめた。しかしどう見たって先ほどの男と同一人物にしか見えない。
「驚いたかね?牧野満」
マスターは静かに笑った。
「バーミリオン=バフェルは私なのだよ」
右腕が上げられる。その手に握られているのは、満が握っているのと寸分違わない、どう形状のリボルバー式拳銃。
しかし満はそのことを確かめようともしないで、一心にマスターの手に握られたその拳銃を見つめていた。
(考えろ。考えるんだ!)
満は、バーミリオン=バフェルという名前に聞き覚えがあった。しかし、どこの誰なのか全くわからない。実験はやらずに、結果だけを提出して先生に過程の様子を訊かれている気分だ。記憶の一部が抜け落ちているらしい。
しかも、そのことを悟られてはいけない。悟られたら、きっとこれ以上ヒントを得ることが出来なくなる。黙っていてもそれは同じことだが。
満は賭けに出た。
「ウソだ」
「何故?」
「お前は別人だ」
「そう。私はバーミリオン=バフェルであって、バーミリオン=バフェルではない」
――私の名前はバーミリオン=バフェルだ。本名も忘れないでくれて欲しくはあるが、まあ――
「違う。お前はバーミリオン=バフェルじゃない」
満は、とにかく話を続けさせるために口を開いた。
「お前は『マスター』だ」
「……」
「本物のバーミリオン=バフェルはどこへやった?」
「……」
「どうした?事実を見抜かれて焦ったのか?」
満は、マスターが黙り込んだのを自分が優勢だからだと判断して、畳み掛けるように言った。
しかし、逆なのだ。
「どうした牧野満?お前は私のことをそんな風に呼んだことは無かったはずだが……」
「!!?」
満は頭が真っ白になった。何だって?呼び方が違う?記憶が無いことがバレた?
「牧野満。何故呼び方が違うのか、親友の私に説明してはくれないか?」
――ま、言うなれば私はこの本の中の世界における君の先輩なのだ。敬語でも使ってみたらどうだね?――
「あ。く……」
捨ててきたはずの不安、恐怖、絶望が希望を押しのけて、幸せを届けるための袋に進入してくる。
満が一歩後ろに下がったのを見て、マスターは一歩詰め寄った。
「そうか。死神の鎌に切り刻まれたものは、バーミリオン=バフェルに関する記憶だったわけか……」
マスターは、腹を抱えて身体を折り、奇妙な笑い声を発し始めた。
――「まだ食べるのか?満」
「当たり前だろ?ウェイトレスさん。次は――
「そうか。そうか。では、お前の努力も全て無駄だったわけだ」
「え?」
満が顔を上げると同時に鞘鳴りがして、その首筋にフェンシングでよくみる競技用レイピアが突きつけられた。
「これでもう恐れるものは何も無い」
顔中を口にして笑うマスターが、感情を殺そうとして、それでも殺しきれていない声で言った。
「残念だったな牧野満。これでお終いだ」
マスターは、そう言った。でも、まだ終わってない。
何かが、終わってない。
何かが、引っかかる。
アイツ、イマナンテイッタ?
――『満』!!――
瞬間、結びついた。そして、思い出した。さらに、食い違った。
「さらばだ。牧野満ぅ!!!」
突き出される剣――――
――――しかしその剣先は宙を切っただけだった。
「……な…?」
突然の目標消失に、わけがわからないといった表情を浮かべるマスターの後方で、声が上がった。
「結局、紛い物だってことだな」
マスターが慌てて振り返ると、満はそこにいた。輝く瞳に映る自分が、光の中に閉じ込められた影に見える。
「な…何がだネ?」
言いながらマスターは、自分の足が勝手に後退りしていることに気付いて、一歩前に踏み出した。虚勢にしたって、あまりにも小さい一歩を。
「マスター。やっぱアンタはニセモノだよ」
満が一歩踏み出すと、マスターが一歩後退する。満は当たり前にその名を口にした。
「B.Bは俺をフルネームじゃ呼ばない」
「……そういえばそうだったな」
マスターはそう呟く。
「マスターとしての私を意識しすぎて、そのことをすっかり忘れていたよ」
「そーかそーか。じゃ、俺に質問させてもらおうか」
勝ち誇ったように笑みを浮かべて、満は続けた。
「俺のニックネームは何だろうな?」
バラバラの記憶を継ぎ接ぎし、圧倒的優位に立った満。
「言えないだろ?知らないだろ」
マスターの言動に気をつけていれば、分かることだ。
(こいつは、人の名前をフルネームでしか呼ぶことが出来ない)
「言ってみな。せめて、B.Bが呼んでたみたいに、呼んでみろよ。『満』ってな」
「グゥ」
ある意味、イジメだ。
「さて。記憶は取り戻した。後は、簡単だ」
そう。簡単だ。記憶があれば、その糸を手繰り寄せれば自ずと答えが出てくる。
――暖かい家族のこと。勉強が面倒な学校のこと。一緒にいて楽しい友達のこと。 初めて自分の誕生に感謝の意を込めて、母さんに『ありがとう』と言った15歳の誕生日のこと。絶望的な受験のこと。何が起こるか予想もつかない将来のこと。
――学校の帰りに本を買ったこと。このまだ良く理解できてない世界のこと。仲間の、B.Bのこと。
――この世界に入ってくる直前の記憶。この世界に入ってからの、全ての記憶。
「そう。ここはお前の世界じゃないな」
満は、静かにしかしはっきりと、マスターに向けて言い放った。
住人は既に全員消えている。
「ここは、俺の世界だ」
逃げ回る自分を見つめる自分。何となく、ハッキリしない、リアルじゃない五感。よくよく思い出してみれば、いくらでも思い当たる節はあった。
「アンタの魔書は完璧じゃなかったんだ」
満はマスターに指を突きつけた。
「自分だけじゃ世界を展開することは出来なかったんだ。世界を展開する場所が必要だったんだ。そう。ちょうど、他人の夢【Aung dafine jaghead】みたいな場所がね」
問題は解けた。後は、解答を書くだけだ。
《ヨクデキマシタ。シカシ、ソコマデデス》
マスターはいつの間にか、B.Bの姿を捨てていた。ただ、もとの太りに太った醜い死人でもない。
ガラス細工で造り上げた、のっぺらぼうの人形のような姿をしていた。ところどころが不自然に泡立ち、形状を変えていたりする。
《バーミリオン=バフェルト同ジ方法デ逝ケルコトヲ嬉シク思イナサイ!》
腕が枝分かれし、何本もの槍となって天へと昇る。
《御別レデス!》
「俺は、悪夢に用は無いんだよ!!」
満は槍に向かって念じた。『消えろ!』と。
180°方向転換して降り注いできた槍が、端から霧散していく。
《グッ!!》
ハサミで針金を切るような音がして、槍となった腕がマスターから切り離される。直後に、切り離された槍が全て銀の粒子となって風に吹かれていった。
「これが、最強の矛ね」
気付いた夢は、容易に操ることが出来る。消したいものは、消せる。
《ダカラ何ダト言ウノデスカ!》
それはまた、最強の盾にもなる。
長大化した腕による薙ぎ払いも、彼には無効だった。駄々をこねる子供の腕のようにいとも簡単に止められる。
《〜〜〜〜!!》
「これくらいで、そろそろオヤスミの時間なんじゃないか?マスター。何百年生きたか知らんが、もう十分だろ。これ以上B.Bや俺みたいな犠牲者を出すのも嫌だしな」
満は、ギンとマスターを睨みつけた。マスターの腕が、押し戻される。
「お言葉を返すようで悪いんだけど、マスター」
《ウ……グヌゥ!!》
満がかざした手の平に、長大な剣が現われ宙に浮く。
「お終いだよ」
剣が予備動作無しに、マスターを貫いた。
瞬間、世界にヒビが入った。
ヒビは確実にその範囲を広げ、世界を覆い尽くしていく。
そして、崩壊が始まった。
剥がれ落ちていく空。崩れ落ちていく山。建物は地に沈み、地面は白く塗り替えられていく。
《フ、フフフフ……》
串刺しにされたマスターが、含み笑いを響かせた。
「これが、過ぎた力を持った呪術師の末路と言う奴ですね」
見やれば、そこにいるのは紺色のローブを羽織った、70代くらいのヒョロイ銀髪のじいさんだった。身体から飛び出していく霊魂のような光は、本当に霊魂なのだろう。
「もとはそんな格好だったのか」
「ええ。ま、2000年も前の話ですがね」
「チッ。桁が違ったか」
「フフフ。そうですね。数百年くらいならどうにかなったのでしょうが、2000年の時は私には長すぎましたよ。気が狂うのも仕方ないのではないのですか?」
「そだな。延々と生きるだけってのは、ちと厳しいな」
「そうです。だから、私があのような愚行に及んだのも理解していただけますね」
「もうゴメンだ」
最後に乾いた笑いを残して、呪術師の男は形を失って消えていった。
同時に、世界の剥がれきれずに残っていた部分も、一気に吹き飛んだ。
マッサラな夢の世界に、満は1人佇んでいた。
#8
夢って、夢を見ている人が、それが夢であることに気付くと自由自在に変化させることが出来るんだってね。
[夢の暁]
「やあ。久し振り」
「さっき会ったばっかりだろうに……」
満は頭を抱えてB.Bに言い返していた。マスターを倒したら今度はこれだ。皆が皆して、彼の夢の中へと雪崩れ込んできた。その中に無論、B.Bもいたわけだ。
「とにかく、今度は本物だよな?」
「当たり前だろう。それより、よく私をあそこで思い出してくれたな」
ニヤリと軽く笑みを浮かべて、B.Bは親指を立てた。
「当然だろ?」
満も親指を立て返す。
「忘れていたくせに何を言う」
「良いじゃないか思い出したんだから」
頭の後ろで手を組み、明後日の方に視線を転じる。
『プッ…』
何気ない会話が何となく面白くなって、2人して吹きだしてみた。
『ハハハハ!!』
「ありがとう」
ひとしきり笑ってから、B.Bは唐突に礼を述べてきた。
「何が?」
本気で何のことだか判らなくて―ひとつ思い当たるふしもあったが―問い返した。
「私たちを受け入れてくれたことについてだ」
「それは……あんた等が勝手に入ってきたってだけじゃないのか?」
B.Bは首を軽く横に振った。
「違う。無意識下で君が受け入れてくれたから、私たちはまだ存在しているのだ」
「あのままじゃ、マスターに道連れを喰らうところだったってことか……」
そういうことだ。といって、B.Bは満の夢へと引っ越してきた人たちを見た。
どういう理由でこんな風景の中に立っているのかは判らないが、真っ白になった夢の世界は再構成されて、今は綺麗なお花畑だった。マスターから解放された皆が、楽しそうに笑っている。
今更ながら、自由って良いなって思うのだった。……そこに感慨は無いが。
「よし!それじゃ、君の寝坊もこの辺にしておいた方が良さそうだ。このままでは気付かれずに衰弱死してしまうぞ?」
確かに、かなりの時間眠っていたような気がする。
「もし起きたら眠りについてから3日目だったとして、母さんたちは起きたら何ていうかな?」
「さあ?こんなのかな。『心配したわ!満ちゃん!!』」
ウルウルと目を潤ませて、胸の前で手を組むB.Bを見て、含み笑いをしながら手を振って否定しておいた。「うちの母さんはそんな心配性じゃない」と。
「ところで、起き方……知らないんだけど俺」
「ふむ。長時間睡眠によって起きられなくなったって所か?」
B.Bは手を顎に当てて考え込んだ。
「死なれては本当に困る。私たちまで道連れになってしまうからな」
そう言ってどこからか取り出したのは、魔法使いが使うような長いロッド。
「ネボスケ君。さっさと起きたまえ!起きるときにこの台詞はどうかと思うが……良い夢を」
自分の体が光の粒子に包まれていく。
どこからか、不思議な歌声が聞こえてきた。夢の中の誰かが歌っているのだろうか?
平和な子守唄の中で、彼は目蓋を閉じて眠りについた――――――
「何てこった」
起きた瞬間目の前にあったデジタル時計の表示を見て、満は呆気にとられた。アレだけの冒険をしてきたと言うのに、経過した時間はたったの12時間。何て中身の詰まった時間だったのだろう。これから、テスト期間なんかの時は夢に篭って勉強したらどうだろう?
現在8時。春の柔らかい日差しがレースのカーテンを通しても眩しく感じる。ちょうど遅刻ぎりぎりに学校に着くには良い時間だ。
満はベッドから起き上がると、大きく伸びをして、大きな欠伸をした。
そういえば……と思い返して、満はベッドの上を見やった。記憶にあった通り、そこには例の魔術書っぽい外見の本が枕元に放り出されている。ただし本屋で感じた不思議なオーラは、もう感じなかった。きっと、この中には今までこの本の餌食となった人たちの冒険談が記されているのだと思う。
満は鞄に放り込むためにその本を掴んだ。
身支度を済ませて、部屋を出る。
駆け下りる階段がやけに懐かしい。昨日この階段を重い足取りで上っていったばかりのはずなのに。
階段を降りて右に折れるとすぐに広がっているリビング。今朝のメニューはどうやらパンとベーコンエッグのようだ。
リビングに入ってそこに集まっている面々を見回して、満は必要以上に大きく息を吸い込んだ。
<完>
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2004/10/03(Sun)10:44:06 公開 / はれま
■この作品の著作権ははれまさんにあります。無断転載は禁止です。
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■作者からのメッセージ
実に、六ヶ月ぶりですね。果たして誰か、私のことを覚えてくれている人がいるのでしょうか?
このお話は私が実際に見た夢をベースに書きました。実際に見ていた夢のほうは途中で母に起こされてしまったので、何となく物語を完結させてあげたかったのです。ちなみに、主人公は私の友達をベースに。(誰もわからないですね。はい)
お話としては、夢起用夢オチ になるですかね?本当に。最後の最強の矛と盾については、残念ながらまだ本当かどうかは分かりません。私も頑張って夢そのものに気付こうと思っているのですが……最近夢すら見れなくなっている始末。嗚呼、無力。
長々しいお話を読んでくださった方、ありがとうございました。また数ヵ月後に現れる……かも?