- 『Red Magic 001-003』 作者:トマト伯爵 / 未分類 未分類
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原稿用紙約24.95枚
真っ赤なペンキが塗りたくられているようだった。
薄暗い廃墟ビルの中、壁が、天井が、床が――その全てが飛び散る赫に染められている。
ペンキというよりは、クレヨンだろうか?
油っぽく、べとべととした赤はどちらかと言えばクレヨンを塗りたくったと言う方が似合っている。
部屋は暗かった。そして、小さな採光窓に照らされた一点だけが、何よりも存在を主張していた。
――首を切られて、スプリンクラーのように血を噴き出したと思える死体。
首はあろう事か3メートルほども離れている。
切断面は、これまで見たことは無かったが、とても綺麗に思えた。
その首が、その顔が、こちらを見ている。
目がかっと見開いていた。
吹き出した血の一部だろうか。頬を伝って見える血液は涙のようにも見えた。
助けに来るのが遅れた俺を怒っているのか? それとも――
一歩、足が後ろへと進む。
膝は恐怖のためか、混乱か。兎角、力が入らないで震えている。
首筋に氷を当てられたように、うなじは冷たく、そして何も考えられなかった。
目の前にあるのは死体らしい。だが、それは既に人間じゃない。
人は首を斬られているような物じゃない。
一歩、また一歩。
操り人形のように力なく、後ろへと進む。
当然というべきか、まるっきり下を見ていなかった歩みは躓くことによって止まった。
――ピチャリ。
思わずついた手の平が薄暗い中、真っ赤に自己主張している。
「あ……」
じわりと、泣きそうになる。
何故死んでいるのだろうか?
目の前にある死体は、私の一番の親友だった女性だ。
何故殺されたのだろうか?
……信じられない。
第一どうやって? ついさっきまで電話で声を聞いたというのに。
……少し落ち着いてきたのだろう。
それとも、現状を受け入れるのを諦めたのかもしれない。
私の頭は現状よりも、如何にしてこんな事になったのか、という事に注がれ始めた。
とにかく、私は携帯電話を血に濡れた指でプッシュした。
「もしもし、……警察ですか?」
『Red Magic』クレヨン
警察署内は酷く慌ただしい。
猟奇的な殺人に、マスコミ対策や野次馬など、することが色々有るそうだ。
「加藤……しゅういちさん?」
「はい。秀一といいます」
「良い名前だね」
刑事さんはお世辞を言いながら、目の前にあるパイプ椅子へと腰を卸した。
カツ丼と取調室、等というお決まりのパターンではないが、それでも一応の調書は取られるらしい。
私が、正真正銘の第一発見者だった、という事だ。
正直な所、胃はむかむかと今にも吐きそうだし、食事など出されても食べられるとは思えない状態だった。
本当に……何故こんな事になったんだろう。
「じゃあ、気が滅入ってる所悪いとは思うけれど、こちらの質問に答えて行ってくれるかな。嫌なことは答えなくて良いよ」
「はい……」
「まず、貴方はどうしてあんな人のいない廃墟ビルに向かったんですかね?」
「携帯電話で、彼女――石黒多佳子から呼ばれたんですよ。声が切羽詰っていて、早く着てくれって」
「着信履歴なんかは残っているかな?」
「ええ、それは大丈夫です」
ポケットに入れてあった、まだ血の取れていない携帯を渡す。
一瞬顔を顰めたが、刑事さんは鑑識に渡した。
「あ……」
「ああ、大丈夫、履歴を調べるだけだから。僕は機械関係がからっきしでね。未だにビデオの予約が出来なくて困ってるんだよ」
刑事さんは困ったような、照れたような表情をして理由を話してくれた。
きっとこちらの精神状態を慮っての事なのだろう。
その通りのことで、刑事さんのそんな気遣いが心のキズを満たしていくようだった。
「じゃあ次に石黒さんとあなたの関係を――」
どうやら暫く掛かりそうだった。
私は深いため息の後、全てがどうでもいい気分になってしまっていた。
†
取調べを受けること一時間半。
後日また呼ばれるらしいが、とりあえず表に放り出された。
さらりとした秋風が頬を撫でる。
だが、一年のうち最も心地良い筈の季節も、今の私の心は沈んだまま。
空は夕焼けに染まり、一日の終わりを告げている。
夕陽を背にして歩く私は、多佳子について考えていた。
私と多佳子は、一時恋人と言えるような仲になった事もあった。
恋人としての仲は長続きしなかったが、それでも、別れたからといって友人としての仲まで壊れるような、浅い付き合いではなかった。
現在も時折会っていたし、きっと年をとって老人になっても、今だ馬鹿言い続けていたりするんじゃないか、なんて事を思っていた。
だけど、その多佳子はもう、この世にはいない。
首を切られて――死んでしまったのだ。
……ああ、この胸の虚無感と、じわりと湧き上がる感情がわかった。
これはきっと、死んでしまった彼女への悼みと共に湧き上がる、犯人への怒りだ。
これからもっと人生を楽しむはずだった多佳子。
きっと、いつまでも続くと思っていた危うい俺との関係。
それら全てが、過去の出来事へと変わる……。
「ああ、許せない……赦せるわけがないじゃないか……」
心に誓う。
この、胸の痛みに賭けて今――誓おう。
かつての恋人、先程までの親友に。
私はきっと、復讐を果たす。
全てが終わったら、君の墓に花を捧げるよ。
だから今は、安らかに眠っていてくれ――。
心に誓った。
それだけで、少し胸が軽くなったような気がする。
私は帰路へとつきながら、一体どうやって犯人を捜すのか、そしてどうやって復讐を遂げるのか。
そんな暗い思考へと没入していった…………。
/002トランキライザー
はぁと、私はため息を吐いて扉を開いた。
夕陽も半分ほどが沈む時間になって、玄関は薄暗かった。
私は靴を脱いで部屋に上がる。
六畳で一間しかない部屋は、西日をまともに受けていて、夏を思わせるほどに暑い。
窓を開け放ちカーテンを半分ほど閉じて空気を入れ替える。
そこまで終えると電灯をつけて、着替えてからガラステーブルの前に座る。
ノートパソコンを起動する。ぶぅん、という起動音。
復讐をすると決めた以上、ぼうっと時間を過ごしている暇は無かった。
……忌わしいあの日から既に三日。
犯人は今も分からない状態だった。
知らず舌打つ。
警察に文句の一つでも言ってやりたいが、マスコミの影響を考えると向こうも必死なのだろう。
それでも有力手がかりが得られないというのだから、犯人の手際を褒めるしかない。
例え皮肉でも、多佳子を殺した奴を褒めるというのは堪らなく腹立たしかった……。
その時、電話のコール音が鳴り響く。
沈黙が破られて一瞬からだがビクリと動いたが、苦笑して直ぐさま電話を取る。
……なんだか、これじゃあ私が犯人みたいじゃないか。
「もしもし」
『……加藤さんのお宅でしょうか』
声は少し力なかったが、その声には聞き覚えがあった。多佳子の母親のものだ。
「そうですが。麻紗子さんですよね。……どうかしたんですか?」
『佳代子の部屋を片付けていましたら、加藤君の持ち物が幾つか見つかったので、今度取りに来て頂けませんか?」
「分かりました」
断る理由も無かった。
多佳子が死んだことを、まだ完全に受け入れることが出来なかったが、それでもするべき事は幾らでも待っている。
それらを一つ一つこなして、そして最後に私の手で犯人に復讐して。
……そうすれば、きっと受け入れることが出来るのだろう。
†
パソコンへと意識を向ける。
私は今、総務の仕事を主にしていた。
給料や雑費、移動費などを、レシート等からタイプしていくという地味で、根気がいる仕事だ。
だが、半面給料もそれなりにある。
1つにつき、大体7万ほど。そして、時間の割り繰りを自由に出来るというのが何よりの利点だった。
現在3社ほど掛け持ちし、他にも細々とした内職もしているから、25の年齢の中では、他のサラリーマンより月の収入は大きいだろう。
メールソフトを起動して、各POPサーバーを巡回している間に、テレビをつける。
普段見る方ではないのだが、それでも比較的、ニュースだけは見るようにしている。
2,4、とチャンネルを走らせ、6に辿り着いた時、手が凍った。
全く外れてくれない視線の先、ニュースで多佳子のことが取り上げられていた。
大仰なテロップに、インタビュアーが家の前にはり付いている。
……見世物じゃねーんだよ。放っておいてやれよ――!
『今の気分は――』
堪らずテレビをぶち切った。これ以上見てるとテレビを蹴り壊しかねない。
……本当に、さあ。
今の気分は、じゃねーよ。
荒ぶりながらも冷えていく人生で初めて知る感情に驚く。
もはや、精神力だけでは抑えきれないと自覚すると、常備しているメイラックス(精神安定剤の一種)を口にした。
暫くすれば効いてくるだろう。
深呼吸と共に、私はパソコンへと視線を戻す。
新着メールが5通届いていた。
そのうち2通は広告メールだったので直ぐにゴミ箱へと捨てる。
1通は新たな仕事の依頼――フォルダを移動させて、後々目を通すことにする。
1通は訃報を聞いた友人から。俺を通じて知り合った友人だったので、本気で落ち込んでいる様子が分かって、哀しんでくれる人間がいるということが嬉しかった。
最後の1通。
開いた途端、愕然とする。
『石黒多佳子は死んで当然の女だ』
「――ふざけるな!」
『石黒多佳子は麻薬を使用していた』
『石黒多佳子は身体を売っていた』
……在り得ない。あまりな誹謗中傷に、普段なら呆れかえる所だ。
私はつい先日まで多佳子とは会っていたのだ。
麻薬中毒者がどんな症状になるかは良く知っている。
高校の友人がそれだったからだ。
身体を売る? 馬鹿を言うな。
付き合った俺でさえ、みだりに身体を触らせるような奴じゃなかった。
それをお前が、
何も知らないこんな奴が、多佳子の事を侮辱するいわれはない。
……落ち着け。私は今、酷く冷静を欠いている。
理性はしっかりと現状を理解しているのに、想いは到底それを見過ごせなかった。
犯人からのメッセージか、それとも、某巨大掲示板などから知識だけを仕入れてきた輩かもしれない。
どちらにせよ屑だ。
理性は冷静に告げる。
もし犯人ならこれは大きな手がかりだ。何としてでも元を探さなくてはならない。
ただ、メールアドレスは誰でも取得できるフリーメールを利用していた。
「……くそっ!」
自分でも珍しい悪態をついて、私はベッドへと横になった。
暫くすれば薬の効果もあってか、浅い眠りがやってきた。
†
……ジリジリと目覚し時計が鳴っている。
最近では珍しくなったベル型の時計を乱暴に止めて、半身に起きる。
頭はぼんやりとしていた。胡乱なまま辺りを見回す。
パソコンがスクリーンセーバーの状態でつきっ放しだった。
……昨日は失敗した。
余りにも冷静を欠いていた。これから復讐を成し遂げようと思うなら、もっとクレバーに徹しなければいけない。
そこまで考え、ふと――
自分はどこまで復讐という非現実的な事を本気にしているのだろう?
という考えが湧いた。
そんな事を考えてはいけないという気がする。
そもそも復讐に理性を求めるのが間違いなのだ。
俺は赦さない。
考えることはそれだけで良い。
その方法だけを追い続けろ。詰まらない理性は捨てるのが良い筈だ。
この世には死んだほうがいい奴はいるけど、殺されていい奴なんて一人もいない。
まして、あんな殺され方をする必要は無かった。
「ゴメンな、多佳子……」
俺はまだ、お前の事を忘れられないみたいだ……。
呟いて目を閉じれば、多佳子の顔がまぶたの裏に浮き上がった。
東北側の日本人を髣髴とさせる雪のような白と、墨のような黒さ。
日本人形みたいな奴だ、って言う冷静な性格をしていて、言葉数が少ない女だった。
ただ、言いたいことをはっきりと口に出来る、芯のある強さが好きだった。友人として、一人の女性として。
……やめよう。今は明確な方法を考えるのが先決だ。
「さて、起きるとするか」
――今日も鬱々と、退屈な日々が始まる。
/003メモリーカード
カタカタと私はキーボードーを極めて機械的に打ちながら、思考だけは別のことに馳せるという奇妙な行動をしていた。
時刻はそろそろ昼になろうかという頃。
私は昨日の記憶をゆっくりと辿っていく事にした。
もしかしたら、廃墟ビルへと着く前にも、何らかの手がかりが有ったかも知れない、と思ったからだ。
現場も、第一発見者ということで頼めば見せて貰えるだろうが、かえって怪しまれる事になりかねない。
推理小説の受け売りではないが、第一発見者が犯人だった、犯人は現場に戻る、などという疑いは御免だった。
最も、私自身も警察の厄介になる可能性もある訳なのだが……。
あの日からまだ4日。記憶は鮮烈で、きっと生涯忘れることは出来ないだろう。
むせ返るような血の臭いが部屋に充満していた。
薄暗い部屋には家具などが一切無かった。
ただむき出しの壁に、仄かに入る明かり。
綺麗に切断された首の断面。
未だゆっくりと噴き出てくる血液と、ピンク色をした肉、白い脂肪。
その中心に見えた骨が――とそこまで回想して、思わず吐きそうになった。
駄目だ。ここで吐けば楽にはなるが、きっとその分の記憶が薄れる。
せり上がってくる嘔吐感を、歯を食い縛る事で押し込めて、更に思い出す。
胴体から3メートルも離れていた多佳子の顔。
大きく見開いていた瞳は最期に何を見たのか。
その哀しみとも怒りともつかない瞳を最後に、精神が思い返すことを拒んだ。
じわりと手に汗を握っている。
深く深呼吸して落ち着かせる。
……本当にあの時復讐を考えるなら、もっとしっかりと見ておくべきだった。
後、頼りになるとしたら――この殺人が突発的なものではにという前提だが――多佳子の持ち物に懸かっているだろう。
それとも、向こう側からのアプローチでも有るのだろうか?
この中傷メールが……と思ったが、その可能性も激減した。
最初のそれから遅れること半日。
似たような文のメールが、10通からに渡って送られてきた。
短い文句だけならもっと行ってそうだ。
「暇人どもめ……」
一体何が証拠になるのか分かった物ではない。
慎重に越した事は無いと、それらのメールもフォルダ分けして一応保管しておく。
きっと、何かがある筈なんだ。
例えば…………。
私は辺りを見回した。
六畳の自室には、本棚とテーブル、煙草に灰皿――碌な物が無い。
これでは閃きの補助にさえならない。
私は時計で時刻を確認すると表へ出た。
これから、警察官のご厄介になるのだ。
†
人通りの多い繁華街の一角。
木壁が古い趣をかもし出している一軒の喫茶店の前へ、私は来ていた。
店名をコールといい、在学中に私もよく利用した場所だった。
扉を開くと、カラーンと澄んだカウベルの音が来客を告げる。
店内はオレンジの蛍光灯が照らしていて、外から入った直後だと薄暗く見える。
築が古いのではなく、態と古さを出しているその喫茶店は、床も木張りだった。
店内はJAZZが鳴り響いていた。
6年前から変わらないナット・キング・コールの嗄(しゃが)れ声。
見渡せば、最も奥まった所に目当ての男がいた。すっと手を上げると気付いたのか、向こうも頭を下げて返事を返した。
「お久しぶりです、加藤さん」
「久しぶり陽二……一年ぶりかな」
目の前にいる男は天野陽二という名の警察官で、いわゆるキャリア組みに所属している。
長身で彫りの深い顔をしているのに、細めの体が台無しにしている。
頭は切れるが、外見に似て温厚な男だ。
私は陽二が怒っている姿をこれまで見たことが無かった。
そんな彼は、私の友人の一人という間柄だった。
正確には大学時代の先輩後輩の仲だ。
「済まないな。忙しいのに時間削ってもらって」
「いえ、構いませんよ。……で、お話しというのは?」
「多佳子のことだ」
さっと、陽二の顔色が変わる。陽二は、俺と多佳子の昔の関係を知っていた。
陽二の顔色は優れない。こちらを悲痛そうな面持ちで見つめ、深く深呼吸すると答える。
「僕は、何も答えられませんよ」
「……何故だ?」
「捜査から外されているからです」
スパッと言い切られた。何と言うべきか言葉が続かない。
そう云えば、被害者の関係者は捜査から外されると聞いたがそういう事なんだろうか?
「刑事は私情に走れません。そんな事、他でもない加藤さんならご存知でしょう?」
「……ああ、そうだった。そうかもしれないな……」
目の前が真っ暗になる思いだった。
正直な所、かなり当てにしていた。警察というのはその特性上、情報は常に遮断されている。しかし、キャリアという立場にいる陽二なら――という思いがあったのだ。
だが、そんな期待はもはや崩れ去った。
そんな私の落胆を前に、でも、と陽二は言葉を続ける。
「僕の知ってる情報だけなら、お教えすることが出来ますよ」
「本当か!?」
「ええ。でも……」
疑念に満ちた視線。私が確執する理由は兎も角として、情報を知りたい、という意図を気にしているのだろう。
当然、私の本心を悟らせるわけにはいかない。
昔から正義感に溢れる男だった陽二にこんな事を話せば、頑として何も言わなくなるだろう。それどころか必死になって止めるに違いない。
それでは困るのだ。私は、胸の中でもたげる罪悪感を縊り殺すと、悲痛な面持ちで言う。
「私は、彼女の事を知る権利があると思う。多佳子との間柄にしてもそうだし、最後に声を聞いたのも――私だ」
果たして陽二は上手く騙されてくれただろうか?
騙さなくてはならないという事が心苦しい。だが、そうしなければ誓いが護れないのだ。
そんな事を考えている卑しい自分が大嫌いになりそうだ。
運が良いのか悪いのか。ここで止めてくれれば止まっていたのか。
陽二は彼の知る限りの情報を教えてくれた。
そしてそれは、私が思うよりも酷く陰惨な事実だった。
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■作者からのメッセージ
現在ミステリー系の小説を読みながらお勉強中の一品です。
一話が大体4−5Kと、規約ギリギリですがご勘弁を。こうして続編を書く分には大丈夫だったとは思いますが……。
主人公:加藤秀一(24)
メイン:天野陽二(23)
被害者:石黒多佳子(24)