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『アディス 1.〜3.』 作者:藍原 結 / 未分類 未分類
全角6823文字
容量13646 bytes
原稿用紙約20.85枚
>>1.

 昨日の夜、目の前が真っ赤になってからの記憶がない。それでもあたしに笑いかけてくれる鴻。
 ねぇ、あたしが好きでしょう? 離れて行ったりしないよね。
何も言わず笑みを向ける鴻の顔がだんだん白くなっていく。真っ赤の次は真っ白。赤と白の組み合わせは好きだけど、鴻が消えちゃうのは嫌。




 夢を見ていた。強い朝の日差しで目覚めたあたしは汗びっしょりでため息をつく。嫌な夢だった。鴻がいなくなってまう夢。
あたしは夜を人一倍怖がる。夜の濃い闇にあたしが必死に作った誰かとの繋がりまで飲み込まれそうだから。そのせいであんな夢を見たのかもしれない。でももう明るいから大丈夫だ。それに、あたしの腕の中には大好きな鴻がいる。
 精一杯の愛おしさを込めて鴻を見ると、鴻の口から一筋の赤が流れたまま乾いていた。はっとして全身に目を移していくと、ちょうどわき腹のあたりに包丁が刺さっている。そこから流れ出した血が床に広がり濁った赤茶色に変色していた。
 状況を把握できず、助けを求めるように鴻の顔を見た。目は見開かれてあたしの向こうを見ていた。真っ黒であたしが嫌いな夜と同じ色をした瞳。そこにはあたしが映っていない。怖くなって鴻の目を無理やり閉じる。そこで初めて、自分の手も茶色くなっていることに気付いた。
 手についているものは血だ。床に広がっているのも血。鴻が口から流しているのも、みんな鴻の血。思い出した。あたしが鴻を刺しことを。




 鴻とは2年と半年同棲している。でもあたしの親友の未麻ちゃんと2年越しで付き合っていると言う。2人に騙されていたと思うと信じられなかったが、それより鴻を失いたくなかった。
「どこが嫌になったの」
 出来るだけ直すから。すがるように言ったあたしを鴻は冷たい目で払い除けた。
「ヤる時にいつも言う『あたしが必要?』とかいう言葉。今まで我慢してたけど、もう無理」
 愕然とした。だって、人間は必要とされなきゃ生きていけない。誰だってそう思っているくせに。少なくともあたしは必要とされなくなったら生きている意味なんてない。
 あたしはそれを直せない。だめだ、鴻がいなくなってしまう。
 とっさに台所にあった包丁を鴻に突き刺す。鴻は静かに倒れた。その時の目は確かにあたしを見つめていた。2人で使っていた包丁で死ぬなんて、やっぱり鴻はここを離れたくないんじゃない。満足したあたしは鴻を抱きかかえ、深い眠りについた。




 全てを思い出しても、後悔は不思議と無かった。これで鴻はもう未麻ちゃんの所には行かない。ずっとあたしだけのものになったのだ。
 だからといって、この事を世間だと人殺しという罪名で呼ぶ。警察に捕まることは怖くなかったが、そうなると鴻と離れ離れになってしまう。一緒にどこかに隠れなくてはならない。
 鴻が中古で買ってきたPCを立ち上げ、インターネットで文字検索をする。キーワードは「死体」。莫大なヒット件数だったので、さらにキーワードを足して絞り込む。
 白い背景に目が疲れてきた頃、1件のサイトが見つかった。
 [ あなたの大切な人が元通りに―― ]
 胡散臭いと思いながらも開いてみると、内容に反してかわいい妖精のキャラクターが案内係となった、小学生が喜びそうなファンシーなデザインだった。とりあえず「死体再生の決まり」を読む。
 [ お客様の大切な死体はこちらが責任を持って引き取りに生かせて貰います。その後、簡単な死体の生前の性格などをお調べし、もとの姿にしてお客様にお返しします ]
 もとの鴻に戻る? あの優しかった頃の鴻に? 急に幸せな気分になり、あたしは意を決してここに頼むことにした。
応募フォームの[ 死体との関係 ]は恋人にしたし、[ 死亡理由 ]の欄には正直に自分が殺した事を書く。最後に花の形をした送信ボタンを押した。



 
 その夜、玄関のチャイムが鳴った。戸を開けると、白衣を着た男が三人立っていた。
「三島うづきさんですね? お約束の死体を取りに参りました」
 どうぞ、とあたしは三人を中に入れた。そのまま寝室に案内する。白いダブルベッドには相変わらず血だらけで今朝のままの鴻の姿があった。鴻を運ぶのは一苦労だったが、こうした方が本当に寝ているみたいに見える。
「……包丁で一突きですか。死亡時刻は?」
「昨日の、夜」
 男たちは鴻をうつぶせに寝かしたりしながら、何かを調べているようだ。きっと、傷が多いと戻す時大変だから、それを見ているのだろう。
「目立った外傷はなし。わかりました、死体を承ります。我々の研究所の方に同行してください」
 鴻に白い布を掛け、男二人掛りで運び出していく。少しでも失敗が無いようにとその二人にぴったりと張り付いて見張り、用意されていたワゴン車に乗った。
 瑠璃色の空の下で乾いた風が吹きつける、夜。眠らない街の光に照らされた空の色がが、あたしの目に焼きつく。




 車が着いた所は、白い大きな豆腐のような建物だった。普通の研究所と目立って変わったところも無い。予想に反して本格的な研究所だったので、いくらか安心した。
 建物の中のエレベーターで5階に上がって真っ白な部屋に通される。ゴミ一つ無く、綺麗過ぎて息が詰まるような場所だった。
「それではこれから復興作業を行います。完成するまで、お客様はこの部屋でお待ちください。その際に、こちらの死体の生前の細かな性格チェックなどの冊子の記入をお願いいたします。社内には、多少の企業秘密な点がございますので、ドアの鍵は閉めさせていただきます。そちらのドアにトイレなどの生活に必要なものは揃っておりますので……。何かございましたらそちらの電話でお申し付けください」
 そう言い終えると、鴻はキャスターに乗せられて3人と共に部屋を出て行った。ガチャンと鍵の閉まる音が部屋に響く。
 こんな何もない部屋でどれくらい待てばいいのか見当もつかないまま、冊子のページを開き目を通してみる。
 [ 死体の知能は? ]
 最初の質問だった。選択肢の中から、[ ふつう ] に丸をつけた。そうやって大量の質問にその倍以上の選択肢の中から選んで答えていくうちに、少し落ち着いてくる。なんだ、やっぱり鴻を一番分かっているのはあたしじゃない。
 一番最後のページは、一ページ丸々使った質問だった。
 [ 死体への要望を書いてください ]
 鴻への要望? 死体の再生って性格まで変えれるものなの? それでも、そんな疑問を打ち消すぐらい胸の中にもやもやしたものができ、あたしはペンを執って書いた。
 [ 未麻ちゃんのことを嫌いになってほしい。 あたし以外を好きにならないでほしい。 ]
 書いたことでいくらか気分が軽くなると、途端に強い眠気に襲われる。隅にあった真っ白なベッドに倒れこんだ。このベッドってうちのベッドと似てるから鴻と一緒に寝てるみたい。満ち足りた気分で眠りにつくことができた。






>>2.

 ガチャリ。
 閉めた時と同じ鍵の音で目が覚めた。戸が開くのをぼんやりと見つめていると、長い髪を後ろで一つに縛り、眼鏡をかけた男が入ってきた。遠くから見ると女に見えるほどきれいな顔立ちをしている。
「おはようございます」
 この部屋には窓が無いから時間感覚がおかしくなっていることに気付いた。
「あたし、どのくらい寝てたんですか?」
「今日で三日目になります。この部屋だと何もすることがなくて暇だって思ったんで、ちょっとした細工で快適な眠りをプレゼントしたの」
 この前の三人とは打って変わったユーモアのある性格だ。これで本当に研究者なんて務まるんだろうか。それにしても、三日間眠らせたままのあたしを起こしに来たということは――。
「死体の再生が終わりました。さあ、入って」
 戸が開いて入ってきたのは鴻だった。紛れも無い、前と変わらない鴻が歩いて来る。あたしはすぐにベッドから降りて鴻に抱きつこうとしたが、三日間で蓄積された催眠ガスの所為か床に座り込んでしまった。
 そんなあたしを見て、鴻が口元に笑みを浮かべて言う。あたしが大好きな少し意地悪そうな笑い方。
「なんだよ、床になんか座って。俺見て拍子抜けしてんのか?」
 涙が溢れる。鴻が昔に戻ってあたしに笑いかけてくれている。何も言えないで夢見心地だったところを研究者の良く通る声が中断させた。
「私はお客様に話があるから、部屋に戻ってなさい。いいでしょ、どーせ後からいくらでも一緒にいれるんだから」
「じゃあ、また後でな」
 鴻が出て行った後の扉が重く閉まる。もうどんなに少しの間だって鴻と離れたくないのに。研究者の男はあたしが立つのを手伝い、椅子に座らせて自分も向きあって座った。
「これからの事をお話したいと思います。あたしは冴島、鴻くんの担当よ。最初に断っておくけど、あの鴻くんは人間ではないわ。ロボットよ」
 当たり前だが、あたしは耳を疑った。信じられない、あの鴻がロボット? だって普通のロボットはもっとカクカク動くはずでしょ? 関節を曲げる時、キシキシ言うはずじゃない。でも、そう考えると死んだ人間を生き返らすほうがもっと有り得ない事に思えてくる。あたしがどんな反応をするか、観察するように見ていた冴島が口を開く。
「なによ、死んだ人間を生き返らせるなんて神業、人間が出来るわけないでしょ。でも大丈夫。大怪我とかしてシリコンゴムが剥がれて中の化学素材が見えない限り、バレる事はまずないわ」
 白い冷たい壁に冴島のテナーの声が反響し、あたしをもっと混乱させる。
「二週間に一回は人工臓器の充電のためここに来てもらいます。鴻くんの頭脳チップにそのことは組み込ませてあるから、彼一人でここに来れると思うわ。他はほとんど何も変わらない。セックスだって出来るわ。精細胞はもう死んでしまっていたから、種無しになるけど」
 冴島の口から流れるように発せられる説明を、あたしはうつろに聞いていた。どんなに聞いても実感が湧いてこない。あの鴻が生きていないなんて。しかし、次の冴島の言葉がそんな考えを全て消した。
「どうしたの? あなたって鴻くんをとても愛しているように見えるけど、それは彼が人間かロボットかって事ぐらいで迷ってしまうものだったの?」
 そうだ、鴻を守れるのは自分しかいない。誰でもない、未麻ちゃんでもなく、あたししか。そんなあたしを見て冴島が、やれやれという風に肩で息をついた。
「ここからが最も重要よ。一つ、絶対にの研究所の事は他言しないこと。世間に好印象を与えるような研究内容ではないでしょう? 二つ、鴻くんに刺さっていた包丁をあなたが殺したことの証拠として保管してあるわ。あなたがこちらに不利なことをしたら、それがすぐに警察に渡ると思ってちょうだい」
「……お金は?」
 あたしは聞いた。さっきの説明を聞いた限りでは、鴻はかなり高性能のロボットとして生まれ変わったらしい。それなりの金額が必要だと思ったのだ。しかし冴島は言った。
「鴻くんは私たちの実験体になったの。従ってこれからも研究を続けさせることを条件に、料金は無料よ」
 実験体? その言葉が頭のどこかで少し引っかかったが、無料で鴻が生き返った事を知ってそんなことは忘れた。
 冴島は「じゃあ何かあったらすぐに連絡して」と、自分の名刺を置いて部屋を出て行った。それと入れ替わりに鴻が入ってくる。
「帰るぞ。俺が支えてやるから、歩けるな?」
 あたしは鴻に見とれながら首を縦に振った。足はまだふらついていたがすぐ横に鴻がいることがたまらなく満ち足りた気分にさせた。
 研究所を出ると、ここに来た時と空の色は全く同じだった。空などの自然って毎日ちょっとでも何か変化があるものじゃなかったっけ? 
おかしいな。あまりうまく機能していない頭でとりとめもなく考える。地球はもう狂ってしまったの? 鴻みたいに死んだ人が機械になるのも地球の狂化の所為?
 それでもあたしはそれを狂っているとは思わない。好きな人とずっといつまでも一緒にいたいという、一つの愛の形。他の人が何と言おうと、それがあたしの愛し方だから。





>>3.

 大学での新学期が始まった。新入生が桜吹雪の中でサークル活動の勧誘に追われている。あたしの隣では鴻が日差しに目を細めていた。
 今日が鴻のロボットとしての初登校だ。しかし、どういうわけか親しい友人の顔と名前を全て覚えていた。全てが完璧で、誰も鴻が死んでいる事に気がつかない。皮膚を少し切り取ってみればすぐに今の鴻の全てがあるのに。
「講義、何言ってるのか全然分からなかった」
 そう言って、おどけたようにへへっと笑う。この顔のマスクはどうしてここまで忠実に鴻の顔を再現できるのだろうか。
「あたしも。この調子だと留年かなぁ」
「お前と一緒にするなよ」
 その時、鴻の携帯が鳴る。シューベルトの野ばらが独特の機械音とあいまって原曲とは全く違う曲に聞こえた。来たメールに目を通していた鴻の眉根が寄る。
「こいつ、何?」
 あたしの方に携帯の画面を向けて聞いた。そのメールは未麻ちゃんからだった。
[ 久しぶりに会いたいよ。今どこにいる? もし良かったらうちに来て。 ]
「うづき、知ってる? 携帯に登録もしてないんだけど」
 鴻は未麻ちゃんを忘れてるの? そこであたしは思い出した。あの大量の質問が書かれた冊子の一番最後の問題。あれは頭脳チップに組み込むから可能になる。
「とりあえず、大学の門のところにいるって返すよ。どんな奴か確かめたい」
 そうして未麻ちゃんが来たら、鴻は未麻ちゃんのことを思い出すかもしれない。そうしたら目の前で二人の再会を目にすることになる。頭脳チップなんてまだ信じきったわけじゃない。怖い、怖い……。
「鴻っ!」
 未麻ちゃんの声がすぐ後で聞こえた。身体が強張るのが分かる。
「久しぶりね。休み中何回も連絡したんだけど、返事来ないから心配しちゃった。携帯変えたんだってね。これからうち来れる?――え、うづき?」
 未麻ちゃんがあたしに気付いた。ゆっくりと振り向く。未麻ちゃんは信じられないという顔をしていた。目には怒りの炎がはっきりと見えて、仲が良かったころの親しみなんて欠片も感じられない。無理に笑おうとして口元が引きつっていた。
「うづきと一緒にいるって、どういうこと? 別れたんじゃなかったの? 別れるって約束したじゃない!」
 未麻ちゃんが鴻の肩に掴みかかった。
 両手が勝手に動き耳を覆う。まぶたの裏に別れを切り出した時の鴻の冷たい目が浮かぶ。あたしはぶるぶると震えだしていた。
「……お前、うづきに何したんだよ」
「え?」
 今までされるままになっていた鴻がいきなり低い声で言い、それまでの剣幕が嘘のように未麻ちゃんは口をつぐんだ。顔を上げると、嫌悪感をあらわにして鴻の目が未麻ちゃんを睨みつけていた。急に静かになって、今までBGMだった勧誘の声が大きく聞こえる。
「お前のことなんて知らない。うづきと別れる? 馬鹿言うな。それに、お前見るとなんかムカムカしてくるんだよ。俺の前から消えろ」
「え、ちょっと、鴻……」
「呼び捨てにすんなよ、気持悪い」
 未麻ちゃんは目に涙をためて走ってどこかに行ってしまった。
「うづき、大丈夫か?」
 鴻が未麻ちゃんを嫌いになってしまった。あたしを嫌いといった鴻が、未麻ちゃんを気持ち悪いと言った。
 それでもあたしは、何も言えずに走って逃げるしかなかった未麻ちゃんを見て、とてもすっぱいレモン飴を食べた気分になった。あたしの鴻に手を出すから悪いの。人のものは取ってはいけないんだよ。
 ざまぁみろ。なんて気持いい。




 セックスした後、二人でベッドに横になっている時に鴻が言う。左手はあたしの肩までの髪を玩んでいた。
「女って、子供欲しいもんなんだろ?」
「……どうして?」あたしは天上を見つめながら聞き返す。
「ごめんな、俺、作れないから」
「子供なんていらないよ」
 鴻に向き直ってそう言いながら、鴻がどうしてそんな事を言うのか不思議だった。あたしは鴻さえいれば、子供なんて欲しくない。鴻以外は、例え鴻の子供でも、どうでもいいもの。そんな子供より、鴻の方が大事に決まってる。
「それが一人増えたら、鴻と二人だったのに三人になっちゃうよ。あたしは鴻と二人きりがいいの。そんなだったら、もしそれができても殺しちゃおうよ。だって二人には邪魔でしょ?」
 鴻が困ったように笑って「無理しなくていいのに」と低く呟いた。頬に触れながら「無理なんかしてないよ」とあたしは言う。
 本当だよ、鴻。あたしは鴻以外何もいらない。だから、あたしから離れて行かないで。もしそんなことがあったら、あたしまた鴻を刺しちゃうよ。もう絶対に鴻を許ない。
  




2004/09/12(Sun)17:31:15 公開 / 藍原 結
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