- 『Summer life』 作者:渚 / 未分類 未分類
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全角4579.5文字
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原稿用紙約14.2枚
「ねぇ、冬樹。また夏が来るかどうかなんて、誰にもわからないんじゃない?」
夏海が、俺に残した言葉。
「夏海、おい、夏海!!もう起きろよぉ」
布団の中でうめいている夏海。俺が無理やり布団をめくると、彼女はまぶしそうにうつ伏せになる。長い髪がぱさりと頬にかかって、俺は彼女のそういうところを見るのが好きで。
このままだと朝まで寝てしまうので彼女の肩を持って無理矢理抱き起こす。そうやっても夏海はまだふにゃふにゃしていて、俺の腕にすがり付いて眠ろうとする。
俺は思いっきり息を吸い込んで夏海の耳元で叫んだ。
「な〜〜〜〜つ〜〜〜〜み〜〜〜〜!!!!」
「きゃっ!!…やめてよぉ、耳がつぶれる」
夏海はぶつぶつ言いながらも、やっと俺が腕を放してもばたんと横にならないように起き上がった。夏海は俺のお古のTシャツをパジャマ代わりにきている。だが、華奢な彼女にはちょっと大きすぎて、丈はワンピースぐらいあるし、半そでなのに袖は肘まである。襟ぐりも大きすぎてほとんど肩が見えている。
「もう起きろよ。朝飯作ってやるから」
「う〜・・・だめぇ、まだ眠いぃー」
俺はため息をつく。夏海の寝起きはまるで小さい子供のようで、いつもこんな風に駄々をこねる。もっとも、寝起きだけじゃなく全体的に子供っぽいのだが。148センチと小柄な体の所為もあってとても19歳には見えない。
「冬樹ー、起こしてぇ」
俺はまったく、と思いながらも夏海の後頭部に手を回して彼女を抱き寄せ、軽く口づけする。俺たちの朝の儀式。この1年半、欠かしたことはない。というか、夏海はこれをしないといつまでたっても起きないのだ。
唇を離すと、彼女は相変わらずポーっとした顔をしながらも、むっくりと立ち上がった。あくびをしながら俺の大きすぎるTシャツを脱ぐ。もちろん、そんなことをすれば、彼女の上半身を覆うのは下着だけ。俺はもちろん、彼女も別に平気な顔をしている。まぁ、昔は一緒に風呂にはいってたんだから。
俺たちは生まれる前からの知り合いだった。親同士が古い仲で、おまけに妊娠した年が同じ。そしてなんと驚いたことに、俺たちは同じ日に生まれてしまった。夏海、冬樹なんて名前だから夏や冬に生まれたように聞こえるが、俺たちの誕生日は10月だ。親同士が相談してつけた名前。秋に生まれたんだから秋人と秋子とかにしろと思うし、何より不満なのは、俺のほうが遅い季節の名前だということだ。まるで夏海のほうが先に生まれたみたいだ。実際は、夏海のほうが23分後に生まれたのだ。
フライパンにベーコンを置いて焼く。じゅーじゅーという音と一緒に香ばしいにおいがして、夏海がうれしそうな声を上げる。
19歳で同姓なんて不潔だ、なんて思われるかもしれないが、お生憎、俺たちは結婚している。別に、幼馴染のお約束の恋愛とかじゃない。生まれてからずっと一番身近にいた女が夏海で、夏海以上に親しくなる女なんてこの先いないだろうと思ったから、それだけのこと。夏海も別に嫌がらなかった。俺も夏海もどちらかというとお互いに対しては「LOVE」より「LIKE」の感情を抱いているのだろうだが。
まぁとにかく、親も反対するはずもなく、俺たちの18歳の誕生日に入籍した。式なんか挙げずに戸籍だけの結婚。別にそれで今までと何かが変わるわけでもなかった。高校生のときからアパートで同姓、というか同居していた。理由は簡単、二人のほうが家賃が安いから。まぁ、そんなわけで今もそのアパートで一緒にくらしているし、「幼馴染」から「夫婦」になったという、ただそれだけのこと。
結婚しても、俺はスーツにネクタイを締めて出社することも、夏見がエプロンをしていそいそと料理をするわけでも、かといって大学に通うこともなく、ただ二人とも気ままに暮らしていた。俺は週4日で工事現場でバイト。これは日給5000円となかなか割のいいバイトだ。夏海は絵を描いている。これがまた、なかなかの売れっ子で、ある週刊誌にカラー連載している。多分、俺より稼いでる。こんなんでいつまでもやってくわけには行かないので職を探さないといけないのだが、この生活でも家賃は払えるし、飢え死にしない程度には生活費もあるのでどうもこの生活もやめられない。まあ、月の最後の3日ぐらいは電気をつけないで生活しているときなんかもあるが、それでも、この狭いアパートで2人でくらすのは、幸せだったのだ。
「ねぇ、冬樹」
「ん?」
俺が寝転がってテレビを見ていると夏海が俺に話しかけてきた。ノートを広げ、手には鉛筆を握っている。
「なんかさ、絵の題材になるようなものないかな?」
「題材?」
「うん。なんか、どうもいまいちで」
そういって夏海は目の前に置いた花瓶を鉛筆で示す。俺は起き上がって彼女の後ろに行く。紙はまだ白紙で、脇にはくしゃくしゃにされた失敗作がつみあがっていた。
「何でこれじゃだめなんだ?」
「う〜ん・・・なんていうか、ときめきがないって言うかなぁ。ぜんぜん変化しないでしょ?いつでも同じものなんかつまんない」
画家や作家って言うのは神経質だなんていうが、夏海はそういうことはなかった。自由業なので休みはいつでも取れる。日中は大体マッサージチェアに座ったままうつらうつら。そんなんでもちゃんと家賃を稼いでいる、不思議な女。
「ねぇ冬樹、どうしたらいいかな?」
「花瓶を日なたにでも置いたら?そしたら光の加減で変わってくるだろ」
俺が何気なくそういうと、彼女はしばらく考えていたが、突然普段からは想像できないほどすばやく立ち上がり、花瓶を窓辺の陽だまりに置いた。しばらくそれをにらんでいたが、やがて、満面の笑みを浮かべて俺を振り返る。
「ばっちり、これ、すごくいいよ!ありがとっ」
それだけいうと鉛筆を握り、猛然と手を動かし始めた。俺には絵のことは理解できないが、まぁ、満足したようでよかった。俺がまた寝そべると、彼女に声をかけられ、振り返る。夏海は少し微笑みながら、小さくいった。
「いつか、冬樹のこと、描かせてもらってもいいかな…?」
俺はきょとんとして彼女を見た。夏海は恥ずかしそうにうつむき、俺を上目遣いで見ている。俺はふっと笑った。小さいときから、こういう表情をする。俺は夏海のこの表情が、好きだ。
この幸せな生活が壊れるなんて、思わなかった。
ある冬のことだった。俺のバイトの現場に入った、突然の電話。夏海が倒れたという。俺は監督に許可を取って、大急ぎで病院に向かった。
彼女は青白い顔をして眠っていた。酸素マスクをつけ、点滴をしている。医者になにやら説明を聞いたが、まったく覚えていない。ただひとつ覚えていることは、もう、長くはないということだった。
翌日、夏海は元気そうだった。いつもどおり鉛筆を握り、紙に向かっていた。
「夏海、大丈夫なのか?」
俺の言葉に夏海は苦笑する。
「だいじょーぶ。点滴の針が邪魔で絵が描きにくい。それにここって、全然題材がないんだよね」
夏海は不満そうに頬を膨らませる。不思議だった。こんなに元気なのに、本当に死んでしまうのだろうか?もう、俺のTシャツを着て眠らないのだろうか。リラックスチェアの上で寝息を立てていないのだろうか。見て、うまく書けたよといって、俺に絵を見せに来ないのだろうか。
もう、あのアパートには帰ってこないのだろうか。
「ねぇ、冬樹を描かせて」
「え?」
ボーっとしていた俺は、夏海の突然の申し出に驚いた。夏海は俺をまっすぐ見ている。
「ねぇ、描かせて。あ、でも冬樹も仕事あるし、ずっとここにはいれないよね。どうしよ、写真とってもいい?」
俺は思わず夏海を抱きしめた。夏海はどうしたの、と不思議そうに言う。俺は、ただ夏海を強く抱きしめた。失いたくない、手放したくない、その一心で。
ある日、病院に行くと、彼女は冷たくなっていた。俺はただベットの前で立ち尽くした。ベットのまわりには画材が散らばり、ノートが落ちていた。俺は震える手でノートを拾い、開く。そこには、俺が書いてあった。夏海に渡した写真と同じ、俺が描かれていた。そして、その絵の脇に書かれた文章。俺は失意のままそれを読んだ。
『冬樹へ
ねぇ、冬樹。あたし、自分は冬樹と一緒に生きて、最後の冬樹を見取るのはあたしだと思ってた。でも、それはもう無理そう。だって最近、いきなり意識が遠くなったり、トイレで吐血したこともあるの。それに手が震えて、この文章を書くことも難しいの。そんな人が、後何十年も生きられるはずないよね。きっと、あたしは先にいっちゃうと思う。ごめんね。
ねぇ、冬樹。また夏が来るかどうかなんて、誰にもわからないんじゃない?だって、あたしにはもう、夏は来ない。それだけじゃない、いきなり夏が来なくなっちゃうことだってありえるんじゃない?
ん〜、あたしは頭悪いからうまくいえないけど、生きてる時間って大切だと思う。あたしは最後の夏をせいいっぱい楽しんで生きられたかっていわれたら、あんまり自信がないんだ。だって、最後だとは思わなかった。冬樹とは、海に行きたかったな。お祭り、楽しかったね。冬樹があたしがほしいって言った赤いヨーヨー、とってくれたね。
すごく楽しかった。でも、あたしはもう、そんな楽しい時を生きられない。とてもざんねんだけど、仕方がないよね。
冬樹の絵を最後まで描ききれるかわかりません。でも、精一杯がんばって描くからね。
最後まで一緒にいてあげられなくてごめんね。冬樹は大事な時間をせいいっぱい生きてね。あたしのこと、忘れないでね。19年間ありがとう。大好きだよ。
夏海より』
夏海の字はぐにゃぐにゃで、ところどころ涙でにじんでいた。絵にはちゃんと色がついてあり、俺が見た限りでは完成していた。
俺はノートを持ったまま、夏海に近づいた。夏海の瞳は閉じられ、小さな手は冷たくなっていた。俺は夏海を抱き起こした。彼女の体はもう硬くなっていて、いつものようにふにゃふにゃしていなかった。
「夏海ぃ…もう起きろよ…遅いぞ…」
俺は夏海の耳元でささやく。夏海はまったく反応しない。
俺は少し開かれた夏海の唇に、自分の唇を重ねた。いつもの儀式。これをすれば、夏海は目覚めるような気がして。
「なぁ、夏海…起きろよ、ほら…起きてくれよ、夏海、なぁ、起きてくれよっ!!」
俺は夏海を抱きしめ、声を上げて泣いた。彼女の顔はどこか安らかで、幸せそうだった。
あれから20年。俺は夏海の墓に来ていた。とても暑い、夏の日。
夏海がいなくなったあとも、夏はやってきた。その次の年も、また次の年も。
墓に花を供え、手を合わせる。俺は失った。世界で一番、愛した女性を。「LOVE」ではなくても、俺は間違いなく、夏海を愛したのだ。
あの絵は今でも、あの狭いアパートに飾ってある。彼女が着ていた大きなTシャツも、うたた寝していたリラックスチェアも、何も変わらずに。
そして俺も変わらずに生きている。暖かい、夏の日差しの中で、夏海との思い出を、心に抱いて。
−fin−
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2004/08/27(Fri)16:33:18 公開 / 渚
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■作者からのメッセージ
う〜ん、なんだか展開が速すぎだかな、と思ってます。夏海が何で死んだのか不明だし;いろいろ考えたんですが、やっぱりこの低脳では難しかったのです;;
お付き合いいただいた方、ありがとうございました。意見、感想等お待ちしております。