- 『カラッポ 【読みきり】』 作者:翠雲 / 未分類 未分類
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全角4407文字
容量8814 bytes
原稿用紙約14.15枚
広く広く、どこまでも限りなく広がるライトブルーの空を見上げると、なぜかため息が出てしまう。身体の周りにある空間が大きくて広すぎて、故に無力な空虚に思える。大空の下に在る自分があまりにも小さすぎて、俺はただぼんやりと窓の外に映える景色を眺めていた。どのくらいこうしていたか、風に舞ったカーテンから漏れる朝の眩い光が眼球に飛び込んできたのを境に、俺は今までの景色を頭の後ろ側から垂れ流し視線を机に戻した。皆黒板に並ぶ数字の羅列に注目し、その前で解説をする眼鏡の先生の退屈な話に耳を傾けているようだ。溢れんばかりの真面目な空気が、否応なしにまとわりつく。俺も真似してシャープペンを握り締めてみるが、わけのわからない焦燥や不安が全身を駆け巡りどうにも集中できそうに無い。一度手にしたシャープペンを再びノートの上に転がし、意味も無くその跡を目で追う。決して消えることの無い昨日の記憶を記した跡、とでも言えば無駄に格好良く響くのだが、その跡というのは、下敷きを敷き忘れたが故に残ってしまった昨日の授業を書き写したものだ。今日初めてその姿を外界に見せたと思われる消しゴムを筆箱から取り出すと、その擦れて黒く汚くなったノートを今さらになって綺麗にしようとした。
「起立!! 」
不意に委員長の声が教室に響き渡った。仕方が無くその場に俺は立ち上がり、再び響き渡る、礼、の号令に合わせてお辞儀する。先生の姿が重苦しい雰囲気とともに教室から去ったのを確認すると、俺は盛大な伸びをしてみせた。一時間目の授業が数学だと、自分が受験生であるにもかかわらず授業に集中することが出来ない。やれやれ、といった面持ちで数学の教科書を机の中にしまい込む。そして、欠伸とともに立ち上がり、トイレにでも行ってすっきりしようかと考えた俺はよっこらしょと自分の席を離れた。しかし、その動作によって、俺の足は隣の列の席に腰掛けた御上の鞄に当たってしまった。
「あっ。悪い」
とりあえず謝る。同時に、今俺の足に噛み付いてきた鞄を見ると、その大きいこと大きいこと。中学生の持ち物にしては渋すぎるであろうベージュのボストンバッグ。かなり使い込んでいるのか、取っ手には擦り切れた部分もあるようだ。この学校には指定の鞄が無いので、皆黒だったり紺だったり、とりあえずは制服に似合う鞄やリュックを準備し登校する。しかし、こんなに大きい鞄を持つ人は結構少数派なのではないだろうか。まじまじと鞄を見つめる俺に嫌気が差したのか、御上望(みかみのぞみ)は片手で守るように抱えて見せた。彼女は、周りの女子と比べても断然美人で、高校生といっても通じてしまうと思われる容姿だ。その大人びた雰囲気からなのか、彼女は口数も少なく、自ら話の糸口を作ることをしなかった。故に、周囲から反感をかうこともしばしば。その大概は女子であったが。
「その鞄……」
俺は、頭を過ぎった他愛も無い質問をしようと思った。鞄の中身を聞こうと思っただけだ。それだけ大きいのなら、結構な量であろう。しかし、彼女の鋭い眼光に睨まれ言葉を失った俺は、途中で口を噤んだ。そしてもう一度謝ると、そのままトイレへと足を運んだ。
「あんなに睨まなくてもいいのだろうに……」
用を足しながらぼやく。朝っぱらからトイレに立ち寄るような奴は少ないのか、トイレには俺だけしかいない。独り言を呟いたって怪しく思うような奴もいない。音を立てながらズボンのチャックを閉め、先程のやり取りを思い出す。そういえば、御上とは中一の時も同じだった気がする。入学式の日、俺の前の席にいたっけ。その時も、あの鞄を持っていたような、無かったような。ひんやりと気持ちの良い水道水で手を洗いながら、俺は記憶の糸を手繰ってみた。しかし、彼女とまともな会話を交わしたことの無かった俺の記憶には彼女の影は薄いらしく、鞄に関わる情報は一切無かった。ポケットから取り出した灰色の地味なハンカチで濡れた手を拭うと、俺はやっとこさ目覚めたといった顔で教室に再び入った。そして、教室の中心でなにやら騒いでいる男子グループの中に身をゆだねた。いつもこうして休み時間は過ごしている。本来の自分をどこかに隠し、団体に紛れて、騒いで。友達に小突かれた俺は、仕返ししようと犯人を追いかける。その際、また御上の横を通ってしまったが、今度は鞄に引っかかることなく器用にジャンプでかわし、追いかけっこを続けた。その時、無口な彼女は一人だった。
夏休みの計画で活気立つ七月の上旬。
生徒達は夏用の制服、つまり半袖に薄い生地のものに衣替えし、軽々とした様子で登校するようになった。御上も夏用制服であったが、どこか重々しい感じ。その原因はあの大きな鞄だった。
「御上さんのあの鞄、何が入っているのかしら」
「コンピューターでも入っているんじゃない? だって、彼女機械みたいだもの」
「ううん、もしかしたら、怪物とか、お化けとか……」
「きゃー、怖い怖い」
こんな噂というか、会話を耳にした。嫌みったらしく、本人にも聞こえる程度の音量で、しかも範囲で言っているのだから、御上も知っているであろう。でも、大人びた彼女はそういう陰口を耳にしても聞き流しているようである。当の本人に相手にされないとなると、噂はエスカレートしたりいつの間にか消えていたり。俺が耳にする彼女の噂は聞くたびに形を変えていた。それでも彼女は
怒らない。
泣かない。
笑わない。
俺は、そんな彼女を強いんだな、と思った。
そんなある日の夕方、長引いた部活動のおかげでいつもの下校メンバーではなく、俺はたった一人で家路を歩いていた。薄暗くなってはいるものの、まだ微かに残る夕暮れの紫色の空気が、汗ばんだ制服に涼しげな風を運んでくれている。小学校の帰りは、心の通い合った友達と傘を振り回したり。ランドセルを振り回したり、和気藹々と下校を楽しんでいたが、今は違った。ただ相手の話に相槌えお打って、適当に話して、それで終わり。故に、久々に一人で行く下校道は新鮮でいい感じだ。解放されたって感じ。清々しい気分で歩く俺の視界に、不意に飛び込んできたのは肩まで下ろされた清潔そうな髪を風にたなびかせ、遠くを見つめている一人の女子の姿。声を掛けるつもりは無かったのだが、彼女の後ろ姿がなぜだか寂しげに思えた俺は、無意識のうちに話しかけていた。
「御上」
御上は呼ばれた方向へとっさに振り向き、そしてすぐ俯いた。同じクラスだけれど、遠い遠い存在。数えるほどしか話したことの無い彼女に、どうして話しかけてしまったのか、俺はすぐに後悔した。しかし、声を掛けてしまった以上、無視するわけにもいかない。とりあえず、話を進める。
「家、こっち? 」
静かに首を振って応答する。てことは寄り道か。勝手に判断した俺は家のことには深く追求せず、話題を変えようとした。家の場所を知ったところで、一体何になるというのか、ストーカーではないか。
「じゃあ、何してんの? 」
「鞄、捨てに来たの」
彼女の目は、ずっと鞄を見ていた。しかし、話をするのだからこちらの目を見てくれたっていいだろうに。
「捨てるの? 」
やはり、鞄のことで噂になるのが嫌なのだろうか。一見大人びていて強そうな彼女でも、やはり手放したくなってしまうのだろうか。しかし、あの時俺がまじまじと鞄を観察したときはあんなに大切そうに庇っていたではないか。じゃあ、何で……
「捨てるって決めたの」
「でも、中に大切な物がはいっているんだろう? 」
気まずい沈黙というのを体験したのはこれが初めてだ。俯いたまま顔を上げようとしない彼女に、俺は悪いことでも聞いたのかと思い、言った。
「じゃあ、俺家こっちだから、じゃあな」
気まずい沈黙をずるいやり方で破った俺は、そそくさと帰ろうとした。自分で声を掛けておきながら勝手に帰ってしまうのはどうかと思ったが、会話が続かないのでは仕方が無い。
「あっ。待って」
「え? 」
予想外の言葉に戸惑いを感じながらも、俺はとりあえず彼女に従ってみた。
「聞いて…ほしいの……」
「聞くって、別にいいけど」
とたんに彼女が顔を上げて、その可愛らしい瞳をまっすぐと俺に向けてきた。こうしてみると、やっぱ美人だ。こうやって話していると彼氏と彼女みたいに見えるかもしれない。とりあえず、聞くだけ聞いておこう。
「私、十二上の姉がいるの」
それは以外な事実だ。孤高な雰囲気を醸し出す彼女は一人っ子のイメージが強い。あるいは長女か。しかし、姉がいるとは。
「この鞄がまだ姉の物だったとき、私は小学一年生だった。私は、姉のこの鞄が欲しくて欲しくて、たまらなかった。で、何日も、何日も泣き続けて、姉を困らせて、それで結局貰った。半分、奪ったようなもんだったけど」
彼女はここで一息ついた。街路樹がさわさわと揺れる。
「その後も、いろいろと姉から奪ってしまった。ぬいぐるみからCD、他にも色々……。もらった物を、この鞄に全部詰め込んで」
まるで女王様だな、俺は思ったが口には出さず静かに聴いた。
「でも、ある日、姉はお嫁さんに行ったの。その時、言ったわ」
望、やっと、私だけの鞄を見つけた……
「頭に水をかけられた様だった。それくらい、ショックだった。その時、やっとこの鞄の重みに気付いた。詰め込みすぎて、壊れてしまいそうで」
いつの間にか彼女は涙声になっていた。それでも、俺は聴き取った。
「この鞄は、わたしの愚かな優越感が詰ってるの。反省と、姉に対する罪滅ぼしのために、私はいっぱい入った鞄を持ち続けた」
言い終えた彼女はまた真っすぐと俺を見つめた。
「あの時、高山君に鞄を見られたとき、中身が見透かされそうで、それで守るように片手で覆ったの。悪気があったわけじゃない。ごめんなさいね」
「あ、いや、気にして無いよ」
美人に見つめられるとこんなにもどぎまぎとしてしまうものなのか。戸惑う俺をよそに、彼女は続けた。
「もう、解放されるかなって。そう思って。優しい人になれるかなって、そうおもったの。どう思う? 」
簡単に許されるといっていいものだろうか、かといってこのまま彼女を鎖につなげておくのも可哀相だ。どのくらい俺は考えたか。その間の沈黙は決して気まずくは無く、真剣な沈黙であった。そして、俺は物凄く合理的な方法を考え付いた。
「その鞄の中、見てみようよ」
「え? 」
「あけてごらんよ」
言われるがままに、彼女はそっとファスナーを開いてみせる。俺が思ったとおり、鞄の中身は
カラッポ
だった。
「御上、俺は一人っ子だから、よく分からないけど、君はもう優しい人だとおもうよ」
俺は、初めて気の許せる友達を見つけた気がした。
それは、彼女も同じみたいだ。
今日、初めて御上の笑顔を見た。
〜end〜
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2004/08/23(Mon)14:41:18 公開 / 翠雲
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■作者からのメッセージ
どうも、【あなたのための幻想曲】を書いてる翠雲といいます。ちょっと思いついたので書いてみました。幻想曲とは違う雰囲気を出そうと思いましたが、いかがでしょう。では〜