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『もう二度と振り向いたりはしない』 作者:夢幻花 彩 / 未分類 未分類
全角11475文字
容量22950 bytes
原稿用紙約38.2枚

プロローグ 名前のない女



7時55分。まだ登校していない生徒、3名。


「先生、古田さんと松木君と菅野君が遅刻です」
「またあいつらかー。受験はもう半年後だっていうのに、懲りないなぁ」
「‥‥‥先生、ホームルーム始まりますので失礼します」
「あ、はい――」
 少女が去ったのを見送ると、彼は溜息を付いた。
「安斎はしっかりしてるんだが、どうも疲れるんだよなぁ‥‥‥」


 空気みたいだけど、邪魔なだけな存在――――――星雲中1―3の生徒にとって、安斎 梨絵菜はまさにそれだった。このクラスに必要とされていない人間。必要とするのは学級委員を決めるときだけ。この子が引き受けてくれる。男子はじゃんけん。形だけは2人でも、仕事はこの子が一人でやればそれでいい。問題ない。

 そして、このクラスに梨絵菜なんて少女は存在していなかった。

――梨絵菜ぁ? 誰それ。そんな人、いたっけ?
――あ、わかったぁ。委員長じゃない?
――マジで? 委員長にも名前なんてあるんだって感じじゃない?
――馬ー鹿。あるに決まってんじゃん? でもなんか変だよね。

 委員長。これは私の名前じゃない。でも私はここに梨絵菜としての存在価値はない。だから、仕方ないのかもしれない。
 梨絵菜はいつしかそう思うようになっていた。そう思わないと、そこにい続けることが出来なかったというのが正しかった。
 牢獄。出口のない巨大迷路。
 このクラスになって1ヶ月くらいはとりあえず「話してくれる人」がいた。その子も梨絵菜のほかに話せる人がいなかった。
 けれど、ある日いつものように声をかけようとしたら、避けるように別のことにやにや気持ちの悪い笑い方をしながら離れていった。
 こうして、梨絵菜は完全に孤立した。
 小学校の時からずっと学級委員はやりなれてきたから平気だった。しかし、その頃はクラスに友達がたくさんいた。
 小学校を卒業するとともに、友達みんなとクラスが離れたのがいけなかった。マンモス校と呼ばれるこの星雲中は1学年だけで9クラスもある。
 
 みんな、笑ってる。羨ましい。部活では小学校からの友達と話せるけど、さすがに休み時間はだれもこの教室まで来てくれない。
 梨絵菜は文庫本を取り出す。読書はかなり好きなほうだが、目は活字を追っていない。することがないから本を読んでいるふりをしているだけだ。とても本に没頭する事など出来ない。

「委員長ー!! 先生呼んでるよぉ〜!!」
「あ、すみません」
 梨絵菜は立ち上がり、担任の後ろを歩きながら溜息を付いた。

私には、名前なんて必要のない人間。ただの「委員長」で十分な人間。
たった、それだけの。






 1 戻れない迷路の中で君を探す



 大きく深呼吸をする。大丈夫。ここは、「牢獄」なんかじゃない。


「おはよ〜!!」
「あ、リエナおはよ! 朝から元気だねぇ〜」
「あははっだってあたしだもん」
 梨絵菜は一気に話すと笑顔のまま席に着いた。何人かの友達がその席の周りにやってくる。
「梨絵菜ちゃんおはよ〜。ねぇねぇ、ど〜しよ、あたし英語の課題忘れちゃったよぉ!マジヤバイの!! 見せてくれる?」
「いいよ〜」
「マジで!? ありがと〜」
 これは、本当の友達じゃない。

 それでも構わない。今の私は一人じゃない。

「梨絵菜、お早う」
「裕花、おはよ」
 梨絵菜は自分に話しかけてきた相手から視線をそらしながら言った。彼女は梨絵菜の昔からの親友だ。去年の辛さも、それ以前の梨絵菜も良く知っていてくれる。梨絵菜を支え続けてくれている大事な人だ。それだけに、今のいい加減な自分を彼女に見られていることが苦痛で仕方なかった。
「ね、梨絵菜今週の日曜日開いてる? 一緒に映画見ようよ。あたしみたいのがあるんだけど、付き合ってくれる?」
「マジで!? いくいく!」
 以前なら、私は絶対こんな反応しなかったのに。わぁ、行きたい行きたい!みたいにちょっとおっとりしててみんなからからかわれるくらいだったのに。
 梨絵菜はふっと溜息を漏らした。



 クラスに居場所がなくなって、いつも一人で本を読んでいた「委員長」はまるで嘘だったかのように、進級したこのクラスで梨絵菜は明るく振舞った。去年の自分を部活つながりで聞いていた人もかなりいたようだったが、梨絵菜は影で笑う人たちを無視して詳細を知らない人や小学校の頃の友達とだけ付き合った。幸い友達はすぐにでき、梨絵菜もクラスの中の数あるグループの中の一つに入る事が出来た。宿題見せてとか、テストに出そうなトコ教えてとか言う声はすべて自分を頼ってくれている証拠と無理やり思い込むことにした。一人じゃない。それが大切で、ほかはもうどうでも良かった。
 私には、たくさん友達がいる。誰かが休んでも、別の誰かがいるから平気。私が休んだら、明日の用意を先生じゃなくてクラスの子に聞ける。安堵感。梨絵菜はただ表面上の友達の輪の中で笑っていればよかった。へぇ〜、マジで!? あ、分かるそれ。わたしもそーゆーことよくあるよぉ。え、それかなりショックじゃない? だよね、アイツ超ウザイし。なんかこの間もさぁ〜。
 決まりきった台詞を、繰り返す。一日に何度も飛び交う言葉。マニュアルを読むだけのような日々。何か違う? ううん、そんな事ない。だって皆笑ってる。私も。あははって声立てて笑っていられる。それでいい。


 ホイッスルの音とともに、ざぶんとしぶきが上がり、目の前に蒼い世界が広がる。口から白いあぶくが出る。
 梨絵菜はそのまま大きく手をかきぐんぐん波を作りながら前へ前へと確実に進んでいった――――
「16,9。やっぱ、早いね」
「どうも」
 プールから上がると友達が駆け寄ってきた。
「梨絵菜はや〜い!! 何であんなに泳げんの?」
「わ‥‥‥あ、あたしスイミングスクール通ってるから」
 私、といいかかったのを必死で飲み込み勤めて笑顔で梨絵菜は言う。
「ふぅん。あたしにも教えて〜」
「あ、あたしもあたしも〜」
 いいよぉ〜と梨絵菜は流してプールサイドでぽつん、と立っている美奈子に近付く。彼女もなかなか泳げる方なのだが、今日は見学のようだった。
「美奈子」
「んぁ? あ、梨絵菜か。にしてもあんたホント早いよねぇ。うらやまし」
「なにいってんだか。自分だって25のバックで17秒出しちゃってるのに。あたしはいまだに19がいいとこなんだからね」
「そのかわりクロールは15秒出したことあったよね?あたしの自己ベストはどうあがいても17秒なのにさぁ」
 どうでもいい言い争いをしてやがてとまり、美奈子はふっと俯いた。
「あたし、失恋したんだよ」
「え」
「斉藤君、彼女いたの。1組の松永 美樹って子」

 水面が、キラキラ揺れる。

 美奈子が、きれいって言って笑った。

 でもすぐに、光の粒がたくさん、
 
 たくさんたくさん、美奈子の目から零れ出てた。



 梨絵菜は、何もいえなかった。





 2 嘘つきな私と騙された君




「ね、ほんとに欲しいのないの?なんか買ってあげよーと思ってたのに」
「いいよ、いらない」
 土曜日。
 梨絵菜は彼氏である紺野 佐久也と向かい合ってパフェを食べていた。喫茶店の中、梨絵菜たちのようなカップルでごった返している。多分、そのほとんどがお互い愛し合っているんだろう。そして、大事な人といられる今がいとおしくて、たまらなく幸せなんだろう。
 少なくとも、私みたいに別の人の事を考えながらのデートをしている人はほとんどいないはずだ。
 梨絵菜は生クリームの付いたスプーンをなめると、笑顔でいった。
「佐久也先輩、あたし可愛いアクセ欲しいかも」
 とたんに佐久也の顔がほころぶ。
「マジで?いーよ、買ってあげる」
「やったぁ!」
 佐久也は現在高1である。梨絵菜には言わないが、梨絵菜のほかにも同じ高校の彼女がいることも知っていた。しかし梨絵菜だって佐久也に恋愛感情をまったく抱いていないばかりか、梨絵菜には小学生の時からずっと好きな人がいた。完全なる片思い。けれど強引に言い寄る佐久也を振る事は出来ず、こんな形になってしまった。罪悪感を覚えないでもなかったが、佐久也が自分の体目当てでいることを知ると、家に遊びに来いという誘い以外、笑顔でついていった。相手は自分の事を本当に好きではない、変な話ではあるがほっとした。これは、裏切りじゃない。だって、あっちは傷つく事はないから。愛していないから。
 梨絵菜は佐久也の差し出す手を握り締め、喫茶店を出て行った。

 そこに、愛はなかった。





「ごめん、待たせちゃった?」
 黒いスポーティなシャツを、グレーのTシャツに羽織り、スリムな形のジーンズという服装で駆けてきたのは、裕花だった。
「ん、全然」
 どこか不自然な空気を漂わせながら、二人は電車に乗る。会話も無くしばらくがすぎ、ぎこちないままに電車は走り出した。いくつかの駅が通り過ぎたあとホームに下りる。梨絵菜にとって昨日も着た場所。梨絵菜と佐久也の事を知らない裕花を前にして、ほんの少しだけ胸が痛む。恥ずかしいようなきがして、指にはめていた指輪をはずして、バックの中にしまった。裕花が怪訝な顔でこちらを見た。
 すべて見透かされているような、緊張感と嫌悪。

 なんか、やだな。

 梨絵菜はそこではっとした。裕花は親友、大事な人。この人がいたから私は名前をなくしたあの時も、その前いじめられた時も、裕花がいてくれたから、励まして一緒に泣いたり怒ったり、苦しんでくれたから頑張っていられたのに。それなのに。
 裕花のことが、大好きなのに。

「‥‥‥ぇ菜? 梨絵菜? どうしたの?」
「ん、あ、ゴメン、なんでもない」


 
『信じてるから‥‥‥』

 どうやって?どうやって信じるの?

 それってただの逃げじゃない?

 本当は、全然信じたりしてないくせに!!
 
 私には出来なかったんだよ!! 信じたいのに!!

 裕花と私、真実の関係だって、思いたいのに!!

 私は‥‥‥


『彰浩と出会えて、良かった』
 
 彰浩? 誰、それ。
 
 梨絵菜は周りを見た。



 薄暗い。誰もしゃべらず、前を見続けている。隣には裕花。前方には大きなスクリーン。やけに顔のパーツの大きいアイドルが、野暮ったい制服を着ておさげ髪にし、昭和三十年代の空気をかもし出しながら台詞を棒読みしていた。そこでやっと裕花がみたいといっていた映画を見ていたのだと気が付く。
 
――この映画を作った人は、幸せだな。こんなに簡単に一番難しいことを何度も使ってるんだから。



 梨絵菜は急に悲しくなって、一人で声も立てず、泣いた。
 と、その時。

 隣から静かに青いハンカチが伸びてきた。安っぽい慰めの言葉一つなく、ただハンカチだけが、梨絵菜に差し出される。

 涙は余計に嵩を増すのが分かった。



 3 君と出会えたこの季節の中で




「あ〜、おもしろかったぁ、この映画」
 裕花は優しいね。あれから何も言わないし、びっくりするくらい自然に接してくれるんだもん。
「ね、お腹空かない? 近くに出来たクレープのお店いこーよ!」
「あ、あたしもそこ行ってみたかったんだよねぇ。そーしよ」
 私は楽しそうな裕花の後姿を見ながら、あの日のことを思い出していた‥‥‥


――ママ、すごいんだよ!!私お友達が出来たの!! 今日はね一回も棒で叩かれてないの!!
 ねぇお母さん、これ聞いた時、どう思った?小学一年生になるまで、そんな当たり前のことも判らない私を可愛そうに思った?それとも、子供‥‥‥私はあなたの奴隷でも、おもちゃでもないって分かってくれた?

 私は、少しだけ裕福な家庭に生まれた。裕福、といっても、煌びやかで豪華な世界にいるわけではない。父は極普通の会社員として生活していた。ただ親戚族に中小企業の社長家族が多い、それだけ。
 しかし些細であるはずのその事は、私の自由を奪っていった。


――りっちゃん、駄目。泥遊びなんて、汚いでしょ。それよりママと一緒にお人形さんであそぼっか。

 母は私をあまり近所の公園に出したがらなかった。品よく育ってもらいたかったのかもしれない。ちょっとしたパーティに呼ばれた時、大人達から褒められるいい子になってほしかったのかもしれない。しかしそれは、少しずつエスカレートしていくようだった。
「ママ、これ読んで」
「駄目。りっちゃんが自分で読むの。ひらがな大体覚えたでしょう」
 まだ三歳で、幼稚園にもいっていない私だったが、母は絵本を読んだり遊んでくれたりする事も少なくなり、私になかなか笑顔を見せてくれる事も無かった。母が買ってきてくれたワークブックをこなす時意外は。おかげでこっちは幼稚園に入ってからも一人で足し算の計算をして遊び、幼稚園の先生に呆然とした目で見られたことがあるのだから、笑ってしまう。
 そんな時私は先生に笑顔でこういった。

――ママは、私がいい子にしてると、嬉しいんです。悪い子のりっちゃんはママの子じゃないから嫌いっていってるんです。

 悪い子‥‥‥今でもこの言葉が死ぬほど嫌いなのは、間違いなく母のせいだろう。もう私はあんな小さな子供じゃないのに。トラウマ、私にはこの言葉で片付けてしまえるものがあまりにも多すぎる。

「りっちゃん、敬語の三種は?」
「んっと‥‥‥尊敬語、謙譲語、丁寧語?」
「もっとしっかり答えられるようになろうね、じゃ、目上の人に対して使うのは?」
「丁寧語!!」
「違うの! もっとよく考えなさい。尊敬語でしょう」
「ごめんなさい‥‥‥」
「駄目でしょ、それじゃお利口じゃないよ」
「はい‥‥‥」

 私と同じくらいの子が、泥で汚した服を着て、楽しそうにお母さんと手をつないで帰っていくのを横目で見ながら、母の授業は続く。
「よそ目はしちゃ駄目!! そんな子、うちの子じゃありません!!」
「ご、ごめんなさい‥‥‥」



 ろくに外で遊んだ事もない、勉強だらけの毎日を過ごしてきた弱気な子供がみんなと同じと考える方がおかしいのかもしれない。
 幼稚園に入園すると同時に、私はいじめの対象とされた。喧嘩などしたことのない私は、それから逃れる方法を一つしか知らない。
 
――ごめんなさい、ゆるして。ごめんなさい、ごめんなさい。

――りえなちゃん、りえなちゃんは悪くないから、あやまらなくていいの。あやまると、りえなちゃんがわるいみたいになっちゃうよ。

 先生達がいくら行っても、やはりわたしには誤る事しか出来なかった。


 ごめんなさい、ごめんなさい。

 わたしいいこでいるから。

 ずっといい子にするから。

 だから‥‥‥

 いじめは幼稚園だけにとどまらず、小学校へ行っても続いた。これは友達のお母さんから聞いたことだが、小学校の始めてのクラス編成表を母と見に来た私は、自分のクラスのそれを見て泣きながらこういっていたそうだ。

――殺されちゃうよ、今度こそ。またあの棒でたたかれちゃうよぉ‥‥‥

 私がそんなになってわめくほどに幼稚園でも一緒だったいじめっ子達が集結したクラスだった。そこに彼女がいなかったら、殺されはしなくても、と間違いなく私は転校したか不登校児になっていたかだったのだろう。
 
 新しいクラス。始めてみる知らない子達。ぽつりぽつりとのぞく見覚えのある子のところに集まり始め、早くもグループが出来ていく中、私に話しかけてくれる子は誰もいなかった。また一人になったのだ。
 その時。

 手首を引っ張る感触。いじめられた時と同じ。連れて行かれて、はたかれて、蹴られて‥‥‥。その時と同じ感触。けれど臆病な私は抵抗できず、そのまま教室のすみの方に連れて行かれる。
 手を引っ張っていった子が急に手を離した。そして笑顔で私を見る。そこで待っていた子達にも笑いかけ、声を発した。
「連れてきたよ」
 その場に明るい空気が流れる。そこにいたショートカットの女の子が私をじっと見つめだした。怖くて視線をそらす。すると、そのこが言った。
「おっきいね。いいなぁ。名前、なんて言うの? 私はみなこだよ。仲良くしようね」
 もしかして、私のお友達になってくれるの?! 思いがけない展開に私は嬉しくてニコニコしながら答える。
「りえな。ここに、名札が付いてるよ」
「りえなちゃん、ひらがな読めるの? すごいね!!」
「えー、すごーい!! じゃああそこになんて書いてあるの?」
「『にゅうがくおめでとう』って書いてあるよ」
「すごーい、ほんとに読めるんだ〜」
 私はここで仲良くなった人たちのグループに入れてもらえた。いや、あちらが一人淋しそうな私を迎えてくれた時からもう決まっていたのだ。
 そして、その時手を引っ張ってつれって行ってくれたのが‥‥‥






「梨絵菜!! なにぼんやりしてんの? 早く行くよ!!」
 あ、また同じ感触‥‥‥。私はちょっと嬉しくなって顔がにやつきそうになるのを必死でこらえた。
「ごめん、急ぐからぁ!!」
 私はこの感触を、ずっと忘れたくはないと思う。



 4 冷たい海も哀しい夜も君は一人じゃないから


ばたん。
 少々荒々しい音を立ててドアが閉まるのを梨絵菜は必死の作り笑顔で見送った。梨絵菜を除く安斎家の人間はゲームセンターが大好きで、土日に出かける場所といったらほとんどがそこだ。そして、梨絵菜はあのやけに騒々しくて煙草の煙が充満しているあそこを好きになる事は出来ない。したがって無理して付いていったりせず、土日は梨絵菜は部活や勉強、または友達と遊ぶ時間と決めてそれなりに楽しんでいる。‥‥‥今日以外は。
 エプロンをきゅっときつめに縛る。割と新しいはずなのに汚れの飛び散ったそれを、脇にかかった母の、まだほとんど使われた形跡のないそれ‥‥‥自分が小学生の時にプレゼントしたはずの母の好きなブランドのエプロンを、複雑な目で見つめ、小さな溜息を一つ漏らすと、部屋からレシピ表を持ってくる。今日は簡単な準備だけでいい。本当に大変なのは明日だ。
 梨絵菜は涙を流している自分に気付き、自嘲気味に笑い、思考回路をストップさせた。



 振り返る。

 ジャラジャラしたブレスレットにアンクレット。原色をたくさん取り入れた派手なコーデ。ギラギラしてるギャルメイク。その隣で、やっぱり派手な服装で楽しそうに笑うのは誰?

 斉藤君。

 呼んでも届かない。判っていた。でも、そうせずにはいられなかったの。あなたは、美奈子が何年もずっとずっと恋焦がれていた人だったから。

 

 美奈子。
 
 美奈子。
 
 美奈子。




 オーブンから、甘い香りが流れてくる。1分程待ってからやや緊張した面持ちであけるとふんわりと膨らんだシューが見えた。梨絵菜はふっと笑顔になって取り出し、金網に乗せる。別の金網には、さっき焼いたばかりのチョコレートケーキ。冷蔵庫の中で冷やされているのは、オレンジのババロアとレアチーズケーキ。これも、先程梨絵菜が作ったものだ。さすがに疲れて梨絵菜は座り、紅茶をすすった。が、またすぐに立ち上がる。私には、何も出来ない。こんな事しかしかしてあげられない、だから。
 
 美奈子、日曜日家に来ない?ん?あぁ、誰もいないから大ジョブだよ、全然迷惑なんかじゃないってば。美奈子ぐらいしかいないんだからね、あたしがつくったお菓子おいしいって食べてくれるのは。じゃそういうことでよろしく。特に用事入ってないんでしょ?だったら強制連行!絶対着てよ!!

 馬鹿馬鹿しい。そう、本当に馬鹿馬鹿しい。けれど、これが精一杯のなんでもない振りなのだ。もっと上手くいえない自分がもどかしいとは思うが、これ以上どうすることも出来ないのだ。

ごめんね。

 梨絵菜にとって美奈子は裕花と同じくらい大切なのだ。裕花にはいえない恋の相談だって、美奈子になら言えた。初めて交換日記をやったのも美奈子。明るいのりとキャラで学級委員の集まりの時も梨絵菜を会話に混ぜてくれた。美奈子。

 斉藤君、彼女いたの。

 そういった美奈子に、何も言ってあげられなかった。私は、いつも支えてもらっていたのに。


私は‥‥‥


梨絵菜は一人ごちた。私は、どうしてこんなに無力なんだろ。



 5 罪無き罪をを君と二人で

『でねー、梨絵菜。幸樹がデートに5分も遅刻してきたの! 酷くない? 昨日は久々のデートだったんだよ!!』
『‥‥‥先週もデートしたって言ってなかったっけ?』
『一週間もたってるじゃん! 学校じゃあんまりべたべた出来ないし。もぉ本当に無神経なんだよね。私の事なんか全然考えてくれてない‥‥‥』
 ピンポーン。
 チャイムの音が聞こえ、梨絵菜は慌てて立ち上がる。
『利緒、ごめん、またあとでかけ直すから!!』
『え?ちょっと梨絵菜ぁ〜』
 ブチッ。ツー、ツー、ツー。
 半強制的に会話を終了させ、ケータイを無造作に置くと梨絵菜は玄関へ向かった。
 
 無神経。 人の事を全然考えない。
 それはまさしく利緒そのもの‥‥‥梨絵菜は思う。

 だって、利緒は、

「いらっしゃい、美奈子。上がって」
「お邪魔します、と。スリッパどれ使って良い?」
「ん、そのピンクのやつかドット柄の。‥‥‥はい」
「ありがと」
 
 美奈子にあった事ちゃんと知ってるくせに、してたよね?

 美奈子に、彼氏の話。

 美奈子は優しい。

 美奈子は笑いながらそうなんだぁって頷いた。

 美奈子はいつもそうやってそうやって全部抱えてた。

 美奈子の涙は誰も見たことなかった。

 美奈子は明るい?

 美奈子は強い?

 美奈子は弱いのも辛いのも隠していただけなのに。

 
 美奈子の笑顔、それは完璧な『強がり』をしてただけなのに‥‥‥


「結局、さ」
 パクパクと小気味良いくらいのテンポで3切れ目のケーキを頬張りながら美奈子は言った。
「やっぱあたしが悪いんだよ。勇気出せなかったわけだし? また新しい恋探すよ」
 9年間を忘れられるつもり?梨絵菜がやっとのことで言葉を飲み込むとすでに美奈子はシュークリームに手を伸ばしていた。美奈子は甘い物が大好きで、しょっちゅうケーキバイキングに行っていることは十分良く知っている、しかしそれにしたってペースが早すぎた。これがいわゆる『自棄食い』なるものである事は明確だった。梨絵菜はつい合い程度に(といってもケーキ2個で気持ち悪くなりもっぱら紅茶を口に運んでいただけだが)食べ、美奈子の話に相槌を打ったり、同調したり、憤慨したりしていた。
 用意していた膨大な数のケーキが半分ほどなくなってきた頃、ようやく美奈子も気持ち悪そうな顔をして無糖の紅茶をすすった。
 そのまましばらく沈黙が訪れた。美奈子はぼうっと焦点の合わない目で何処かを見つめ、あるいは何かを思い返しているのかもしれなかった。梨絵菜は梨絵菜で声を掛けることが出来ず、あの言葉をまた思い出していた。
――斉藤君、彼女いたの。
 梨絵菜は初め判らなかった。美奈子の言う「斉藤君」が誰を指しているのか。そして、次の瞬間唐突に悟り、泣きそうになった。
 
 ヒロ。もう、美奈子はそう呼ばない。呼びたくても、呼んではいけない。

 斉藤博幸の彼女こと松永 美樹は美奈子のクラスメートだ。そして彼女はそのクラスで唯一の美奈子の友達でもある。
 美奈子はずっと明るくて人気者だった。いつだって笑顔で元気だった。勉強が出来て運動神経も抜群だった。太陽みたいな女の子だった。
 なのに。
 妬み。それは恐ろしいものであると梨絵菜は思う。美奈子は「八方美人」「笑ってばっかで信用できない」「能天気」と避けられるようになってしまい、部活でも外され気味なのを梨絵菜が必死に食い止めている状態だ。軽薄な人間の多い中で嫌な噂が立ってしまうと友達もとてもじゃないが出来ない。クラスの中で孤立するという苦しさは梨絵菜が一番よくわかっていることだった。そして、今まで友達の輪の中心にいた美奈子に耐えられることではなかった。美奈子は弱い。頑強に見えても、一度亀裂が生まれると修復の仕方がわからないのだ。誰かが支えてあげなければ、傍にいてあげなければ、彼女は前に進むどころか、そこに立ち続けることすら出来ないのだ。
 偶然、松永 美樹は美奈子の幼馴染で、派手な性格の持ち主ではあったもののさばさばしていて噂など全く気にしないような子だった。けれど、彼女は知らない。
 美奈子の好きな人が誰なのか。だから、気にせずデートで何処に行っただの、誕生日に何をもらっただの深く考えずに話していた。利緒ののろけ話であれだけ辛そうにしてた美奈子だ。ましてや自分の好きな人と友達の話では‥‥‥凶悪だった。


 小学生の頃。それは毎日のように6−1の教室に響いていた。
「あぁっ! もうヒロの馬鹿! あたしのペンケース返してよ!!」
「え〜? 何のこと〜?」
「ヒロ? 怒るよ?」
「‥‥‥ったく、しかたねぇ。美奈子が怒ると地球が崩壊する。地球を救うため特別に返してやろう」
ごんっ!!
「ってーぇ‥‥‥」

「こら、美奈子と博幸。夫婦喧嘩はそのぐらいにしろ」

「先生! あたしこんな奴なんか!!」
「先生!俺こんな暴力女なんか!!」

‥‥‥どうして、あの頃がいつまでも続かなかったんだろうね。そしたら、私も美奈子も斉藤君も、ずっと変わらないでいられたのに。



「でも、さ」
 突然美奈子が口を開いた。
「馬鹿見たいって判ってるんだけどね、」
 ざわりと嫌な感覚が走った。
「美樹があたしに言ったんだ、」
 もういい。考えなくていいのに。

「“別に博幸がそんなにすきって訳じゃないけどとりあえず付き合ってるだけ”って。判ってるよ? 美樹が斉藤君振ってもあたしの事好きじゃないことなんて。だけど、可哀想じゃない?斉藤君、美樹は自分のこと好きだって思ってるんだよ? それ思うとホント許せないのぉっ‥‥‥」
 後半は泣いていた。美奈子、と梨絵菜は声に出そうとして、気付いた。
 脳裏に細身で鋭い顔つきの人物が浮かんだ。佐久也先輩。自分は本当に美奈子にいたわりの言葉を掛けてやる資格なんてあるのだろうか?答えは簡単だった。
 梨絵菜の目からも大粒の涙が零れてきた。自分は卑怯だった。そして、美奈子を邪険にするあの人たちなんかより、ずっとずっと美奈子を裏切っていた。
 悔しくて、哀しくて、どうしようもないまま時は過ぎていく。


 窓の外から子供のはしゃぐ声が聞こえ、ほんの2年ほど前の自分達に重ね梨絵菜はさらにしゃくりあげた。
 猛烈にめまいがした。




「好きな奴が出来た? ふうん、どんな奴?」
「先輩には関係ない」
 ブランコがぎぃ、と嫌な音を立てて軋んだ。大分日が落ちた公園。梨絵菜は佐久也を呼び出していた。
「関係なくないだろ」
 先程までのおどけた表情が落ち、強張った顔で梨絵菜に近付いてきた佐久也を努めて冷めた様子で梨絵菜は見上げる。恐怖と罪悪感で気を失ってしまいそうだったがぐっとこらえた。足がふらついているのを隠すために近くにあった遊具に寄りかかり、視線を逸らした。
「同じ学年の人。名前はどうせ先輩知らないでしょ」
「なんで? 俺いんのに?」
「あたし知ってるよ?先輩にだって別の彼女ちゃんといるの」
「じゃぁ梨絵菜も同時進行でいいじゃん」
「あたしは嫌なの、不純だから」
「不純?」
 途端、佐久也はいきなり梨絵菜にキスをしてきた。それはあまりに唐突で一瞬何が起こったのか梨絵菜には判らなかった。
「‥‥‥っっ!! ちょっとなにするっ!!」
 背中にぞわりとした感覚が襲った。カチャリと何かが背中でいじられ、しめつけれれていた胸部が楽になる。ようやく事態を把握した梨絵菜は無理やり佐久也を振りほどいて全速力で走り出す。ピアノで鍛えた握力は普段大人しい梨絵菜から想像できなかったのか、それとも初めから梨絵菜をからかおうと思っていただけなのか定かではないが梨絵菜はなんとか逃げ出し、家に辿り着いた。鍵を開けるのももどかしい気持ちで中に入り厳重にロックする。ふらふらと自分の部屋まで歩いていくと、ガラスにくしゃくしゃになった自分の顔が映っていた。ベットの傍に歩み寄る。
 そこで目の前がフラッシュバックし、遠くでばたんと何かが倒れるような音を聞いて気を失ってしまっていた。
 

続く
2004/10/18(Mon)02:25:03 公開 / 夢幻花 彩
■この作品の著作権は夢幻花 彩さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
後半書くの嫌でしたね(涙 もともと性的表現大っっっ嫌いで小説読んでてもそうゆうシーン飛ばし読みする人なんで。漫画とかも駄目です。小コミとか絶対読めません(笑 多分中高生の女の子なら判ると思うんですが・・・「神風怪盗ジャンヌ」のノインがまろんをっていうシーン、あれでギブアップしました(汗 男性の方は判らないと思います・・・すみませんっ(大汗
 前半では美奈子の魅力が伝わりきらない物になってしまって残念です。可哀想って、可哀想って!!良い子ですよ。だからもう美奈子を外すなぁっ!!なんだよひがんで悪口言うって!!そんな事したって自分が汚くなるだけじゃんかぁっ!!・・・・・・(あーあ、叫んじゃった、自分 こほんっ。ではこの辺で。

PS.海のメロディー書かないとなぁって思いつつ先にこっち書いちゃいました(汗
今度あっちも書きますんでどうか両方お付き合いください。やっぱり同時に2つ連載はきついですね・・・・・・
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