- 『病』 作者:KA / 未分類 未分類
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クローン病、初めて私がその名前を聞いたのは、中学1年生の頃、テレビのドキュメント番組でだったと思う。大学生の男性が今まで自分の病を家族以外の誰にも言えずにいたのを、初めて友人に打ち明けると言う内容だった。そのときは、ありきたりな番組だと思った事を覚えている。
二度目にそれを聞いたのは、病院でだった。待合室のカーテンの向こうに私がいて、隣の母と共に正面の先生を見つめている。先生の口が動いて、母の泣きそうな顔が目に飛び込んで、私はただきょとんとしていた。いや、必死に平静を保とうとしていたのかもしれない。中学二年生から三年生へと進級する春の事だった。
症状が出始めたのは、二年の夏だったと思う。部活で走っている最中、突然頭が割れるほど痛くなったのだ。踏み出す一歩一歩にガンガン響いて、私は立っている事すらできなかった。そのとき、私には行きつけの個人病院があって、そこに行くと、私は貧血だと言われた。それからしばらくは何とも無かった。もらった鉄剤を飲んで、たまに違和感があったものの、気になるほどではなかった。それが、冬休みにさしかかったあたりである。鉄剤を飲んで、胸が苦しくなった。息はできているのに、苦しくて苦しくて、苦しくて痛い。でも、刺すようなはっきりとした痛みではなくて。ぼやけた痛みに涙があふれてきそうだった。鉄剤のせいだということになった。鉄剤はたまに身体に合わない人がいるらしい。私も、その口だと言う結論で、私はそれを飲まないことになった。それで、ずいぶんとよくなったのだが、しかし、微妙な違和感はずっと続いていた。下痢をするようになったのは、それからまもなくである。学校にいるときは気力なのかなんともないのだが、家に帰ると、数分おきにトイレへ駆け込んでいた。食欲も無くなって、食事の後は腹がねじれるようにきりきり痛んだ。授業中あの苦しい痛みが襲ってくる事もあった。でも、わたしはあまりの痛さに手を上げて保健室に行くこともできず、そういうときにかぎって先生も気付いてくれず、ただうずくまって放課後を待っていた。夜になると、熱が上がってきて、くらくらとして、しかし、朝になると下がってるのが毎日続いた。いつもの病院に行っても原因はわからず、いつも胃腸薬を出されるだけだった。それで、限界を感じてやってきた大きな病院、そこで受けたのがあの宣告だったのだ。
死ぬような病気ではないとの事だった。大腸や小腸、胃や食道、口や肛門にいたるまですべての消化器官に潰瘍ができると言う病気らしい。特に大腸に多くできて、特徴的な潰瘍ができる。症状は、下痢と腹痛、血便。発熱や貧血もその中に入っていた。まだ、治療方法どころか原因も不明で、難病に指定されていた。私は、いきなり、一生治るかどうかもわからない病人になったのだ。
そく入院だった。何も食べる事ができないので、すぐさま腕に点滴がうたれた。どうやら私の手は血管が見つかりにくいらしく、二、三回刺されたうえ、看護士さんを代わってやっと上手くいった。何日も人の食事風景を眺めつづけて、私は、点滴から栄養剤を夜だけ摂取することになった。業者の人がきて、栄養剤を注入する器械の説明をしていった。器械は思ったよりもずっと小さくて、ポッキ―の箱より少し大きいくらいなのに、ずっしりと重かった。操作方法は簡単だった。まずは、チューブを鼻から入れて、それを器械の回るようになっているところにはさむ。それから、ふたを閉めて、栄養剤の量と注入する時間を登録して、あとはボタンを押すだけだ。鼻にチューブを入れるのは最初抵抗があったが、すぐになれた。こつをつかむと、痛くも何とも無かった。同室の人たちも初めはものめずらしそうに、気持ちの悪いものでも見るように、哀れんだ視線を私に向けていたが、次第にそれが普通になっていったようだった。毎日洗って干されるチューブたちももはや違和感が無かった。学校が始まる直前、私は昼食だけ食べる事を許された。それは、おかゆとかそういうものばかりだったが、とてもうれしかった。
栄養士の人と話をして、私は退院した。食事は相変わらず一日一回、油物や肉、繊維質なものは禁止された。ケーキやチョコレートなどはもちろんダメだった。でも、食べれる食材はともかくとして、良くなるにつれて食事回数は普段どおりに、栄養剤の量も減らすということだった。
私は教室のドアを開けた。皆がいっせいに私の顔を見た。やく、一時間の遅刻。始業式から一週間、はじめて来た生徒。中学校生活の二年間できっと私のことは知っていただろう。でも、それだけで珍しい生徒なのだ。私は、そのとき初めてクラスの顔を知った。親しい顔は無かったが、同じ部活の仲間が三人いて少しほっとした。
「おはよう」
と言って、私は一番前の自分の席についた。隣の席の子は無言だった。そうだろう。私だって知っている。二年の頃、一年の頃から私は良く思われていない。勝手な被害妄想かもしれないが、キモいとか裏で言われている事は嫌でも気付いてしまうものだ。ただ、皆表に出さないだけ。
私は気にしないそぶりをして、教卓の先生を見上げた。新しい私たちの担任だった。昨年来たばかりの先生で、まだ若く、国語を受け持っていた。
授業は普通に終わった。終わって、先生が私に近寄ってきた。
「大丈夫だか」
と先生は言った。
「気分悪くなったら、保健室に行ってもいいぞ」
と言った。
私は、どうしてと思った。もう、大丈夫だから退院したのだ。大丈夫に決まっているのに、先生の言葉がやけに腹立たしかった。
給食では、私一人弁当だった。皆と同じ物を食べられないと言うのはつらかった。後ろで
「なんでべんとうなんだあ」
というクラスの男子の、半ば馬鹿にしたような声が聞こえた。
両親は私に病名を言うなと言った。もし言ってしまって、いじめにでもあったらと言う心配だった。私にはそれもつらかった。
――ああ、あのときの大学生だ
と私はふと思った。明かせないつらさとはこういうものなのか、と理解した。きっと、同じ立場になってみないとわからない痛み。
「なんて病気なの」
と親友だった茜に問われ、
「ただの大腸炎」
と答えた。間違ってはいない答え。でも間違った答え。私は親友が遠く感じた。
続く
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2004/08/08(Sun)17:21:41 公開 /
KA
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■作者からのメッセージ
私の思いが詰まってます。