- 『half 0~8 (完結)』 作者:棗 / 未分類 未分類
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全角16914.5文字
容量33829 bytes
原稿用紙約60枚
Half 【ハーフ】
0:結果
ここは、古く寂れた廃墟。
傍から見れば、そうとしか見えないだろう。
しかしこの廃墟の中に、二人の男が入っていった。
しかしこの廃墟の中に、一人の少年が居た。
少年ではなかった。
「いやァ、やっぱここの見回りはキツイよな?」
片方の男が言った。
いかにもキャリアがある雰囲気ではあるが、口調からすると、見た目よりも歳は取っていないらしい。
「まあな。薄気味悪いし」
もう片方の男が答えた。
少し、こちらの男の方が若そうだ。
静まり返った廊下に、カツン、カツンという二人分の足音が響く。
見かけとは裏腹に小奇麗にしてある室内なのだが、どうも奇妙な雰囲気が漂っていた。
「人成獣の研究所だったんだろ、ここ」
「ああ」
二人の男は暫く黙った。
カツン、カツンという一定の速度の足音が、少しずつ速まり、前方を照らし出す丸い光が大きくなった。
それと同じ調子で、二人の影が廊下に伸びる。
少年は、窓から覗き込んでいた。
その窓は、この建物の中でも少年しか知らない、小部屋にある窓。
ひとり、ふたり。
二人の男が、何かを話しながら歩いていくのが見えた。
少年は、ひどく「外」を嫌った。
そして、その「外」に棲む人間を、またひどく嫌っていた。
誰か、外の人間が、来た。
それだけで、少年は穏やかな気持ちでは無くなり、すっと立ち上がった。
部屋の扉を開ける。
光が差し込んできた。
「人成獣って、どういう風に造ってたんだろうな」
男は、もう片方の男に尋ねた。
尋ねられた男は、少し言いよどんだが、答えた。
「そりゃ、色々だ。軍事用に、ひたすらデカくて強い奴を化学的に融合させて作ったりもしたし、物好きなんかは限りなく人間に近い物を作ったりもした」
「その両方を兼ね備えた奴がいりゃ良かったんじゃ?一匹で済んだじゃねぇか」
はは、と乾いた笑いが上がる。
しかし、答えていたほうの男の顔は逆に引き攣った。
「…最終的には一匹で済んだんだよな」
あの小部屋で、少年は【二度目の生】を受けた。
その瞬間の事など何一つ記憶していない。
少年が覚えているのは、深い深い憎しみだけ。
自らの肉体に刻まれた、生まれもっての憎しみだけで埋め尽くされたのを憶えていた。
「完璧よ…完璧だわ、何一つ文句のつけようが無い!」
孤高の天才と呼ばれた科学者・マリス=レノワールは大きな声で、“それ”を絶賛した。
周りに居た研究員達は、その姿に恐れおののいたという。
血にまみれ、薬液独特の匂いを漂わせ、今にも獲物を捕らえてしまいそうに鋭い目を持った、赤ん坊。
赤ん坊の姿は、一応人間に似ていた。
ただ、耳の部分だけは、醜く獣の形へと変貌し、赤子だというのにとてつもなく硬く、鋭い爪を持っていた。
初々しい泣き声を上げるわけでもなく、ただ赤ん坊は唸っていた。
初々しい泣き声を上げるわけでもなく、ただ“化け物”は憎しみを抱いていた。
「どういう事だよ?」
男は尋ね返した。
動揺を無理矢理押さえ込むようにして、答える。
「“そいつ”の作成は、丁寧に行われた。いつもよりも遥かに精密に作られていた。
材料に何を使ったのかは知らないが、色んな優れた動物を犠牲にした。
そんで、作っていた訳だ
ごくり、と唾を飲む。
「材料は主に、狼の群れのリーダー数匹だったらしい。そんで、主な材料の中にはもう一種類…人間が含まれていたんだ。
まだほんの、赤ん坊が、5人」
「いい?貴方は、人間の子ではないの。私の子でもないの。
貴方は、神の子。悪い人間を裁く為に存在しているの」
マリスは、“それ”に、口癖のようにその台詞を教え続けた。
“それ”は大分成長し、僅かに言葉も覚え始めていた。
マリスの調合した特別薬のお陰で、ばさばさの茶色い髪の毛が生え、目の鋭さは消え始め、だいぶ人間らしくはなったのだが、やはり体の特徴は消えなかった。
少年は、少し帽子を深く被り直し、廊下のあちこちに空けられた窓から二人の動向を眺めた。
少年しか知らない、秘密の通路にある、小窓。
二人の声は、異常なまでの聴力によって聞き取る事が出来た。
外の男が、二人。
何か話している。
うろ覚えの言葉で、何となくの内容は理解できた。
ああ、自分の話だ。
少年は、帽子を更に深く被り直し、音を立てずに廊下を走り抜けた。
『人間の尊い命を犠牲にしてまで争って、何の意味があるのか?』
第三次世界大戦中、そう唱えられていた世の中に、当時の統領は告げた。
『これからは、犠牲を極力減らし、国民の戦争に関する負担を格段に落とす事をここに宣言する』
幾らでも言い訳の仕様がある、平和宣言だった。
それから、その国は争いを嫌い、他国からすれば「平和主義」の国に見えるようになっていった。
しかし、世の中は奇麗事ばかりでは治まってくれないものだ。
その国にはその後も、次々と陰での争いが起きていた。
対処の方法として、沢山の兵器が造られた。
ミサイル、戦車、地雷。一般の国民は知らない所で、極端に貧しい人間や孤児を、戦争へと駆り出した。
もともと技術の優れていたその国は、多くの兵器を造り、確かに国民の負担は少なくなった。
負担は“少なく”なった。
“それ”は、兵器として、造られた。
「兵器…?赤ん坊を犠牲に?」
「ああ」
二人の男はまだ話していた。
「何で、そんな事するんだよ?」
ずっと尋ね続けている男が、今までで一番不安げな顔で聞き返した。
すると、ずっと答え続けている男が、今までで一番言いよどむ事無く答えた。
「決まってるだろ。犠牲を極力抑えて、この国を“平和”に保つためだ」
答えを聞くと、ずっと尋ね続けている男が、表情に少しだけ陰を落として、黙った。
マリスは、“それ”に、争いの方法を教え続けた。
音を立てずに歩く方法、銃の撃ち方、敵に見つかった時の対処。
自分の手の届かない所は、国の力で専門家を呼び、熱心な訓練をした。
“それ”は、すんなりと理解した。
理解し、実践した。
実践し、多くを傷つけた。
傷つけたが、何も感じなかった。
自分は神の子。
『貴方は、神の子。悪い人間を裁く為に存在しているの』
神の子の使命だから。
ただ、時々、“それ”は思った。
自分は、人の子になりたい。
でも、その度、“それ”は思い直した。
自分には人の子になるような権利はない。
だから、神の子として産まれるしかなかったのだろう。
でも、自分をそんな形でも産み落としてくれた、神の下で働かなければいけない。
神の為に、傷つけなければいけない。
傷つかなければ、そして耐えなければ、いけないんだと。
「平和…?」
少年は呟いた。
薄暗い通路の中に、自分の声が響き渡る。
思わぬ不覚。少年は少し慌てる素振りを見せたが、直ぐに体勢を立て直し、場所を変えて二人の男を観察する事にした。
平和か。
心の中で思う。
平和の為に、神は自分を産んだのだろうか?
なら、何故自分は手を穢さなければならないのだろうか?
そんなのは我侭だ。
自分は、平和の為に居る。その為には、神に従う。従えば、手は穢れるのだ。
心の中で思う。
「今、何か声がしたな」
男が言う。
もう片方の男も頷く。
「誰かいるのか!」
男の声が響き渡る。
しんと辺りは静まり返り、人の気配は無くなった。
「…何も居なそうだな」
「実力行使することもないし」
二人は再び歩き始める。
「…“それ”は、結局…どうなったんだ?」
ぽつり、と呟く。
返答も、呟き返すような小さな声だった。
「結局…闇に葬られた。関係者達は、今後目立つ事をしないようにと言い渡され、闇の中に消された」
もう、何の反応もしなかった。
惨い話に、何の反応も出来なくなった。
「やめて!離して!!」
マリスは叫んだ。
両脇には大柄な男が二人並んでおり、いくらマリスが抵抗した所でどうにもならない。
「あの子の研究はまだ途中なの!お願い!」
「駄目だ!この計画が国民に伝わってくる危険性が出てきた以上、もう研究は中断せざるを得ない!」
激しい声での口論。
口論の果てに、マリスは掠れた声で懇願した。
「…じゃあ、あの子にもう一度!もう一度だけ会わせて!」
男は顔を見合わせる。
そして、マリスは一度、解放された。
“それ”に向かって歩み寄り、すっと目線を合わせて話し始める。
「良い?貴方は、神の子。今までしつこいぐらいに言って来てしまったわね。
ごめんなさい。でも、これからは人の子として、生きていって。
貴方は、人の子。人を守るためにいるんだって、思い直して」
自分の被っていた、大きな帽子を“それ”に被せる。
その帽子は、小さな“それ”の特徴的な耳までも隠した。
「帽子を被れば、貴方はすっかり人の子に見えるわ」
マリスは微笑むと、頭を撫でる。
その時、“それ”は理解した。
この人は、自分の為にこんな事をしてくれている。
人の子とは、こういうものなんだ。
自分の為に、他人が居てくれる。気遣ってくれる。
“それ”は、いや“少年”は、大柄な男に向かって飛び掛ろうとした。
今、自分のことを想ってくれるこの人は、かけがえのないものだ。
その人を傷つけようとするこいつらは、悪い奴だ。
少年が、人として初めて考えた事。
一生懸命に、考えた事。
それは実に、実に簡単な図式だった。
しかし、少年の足首には、既に鎖が巻きついていた。
引きちぎってやろうと思った。
でも、その忌まわしい鎖には、マリスの手の甲が見えていた。
少年の頭の中に、その記憶はまざまざと甦ってくる。
激しくめぐる、後悔の渦。
歩いている二人の男に、オーバーラップする。
あの時の気持ちが、心の奥底でまた。
悔しい。
憎い。
少年の体の半分を埋め尽くす、深い獣の憎しみが、また。
「…でもな、闇に葬られたって言っても、“それ”はまだ処分されていない」
男は言った。
「そいつは、当時自分を迎えに来た奴を片っ端から殺したんだ。自分の産みの親も」
カツン、カツンという足音。
…結局は、その産みの親ってのも何人かいてな、戦争の被害者だったらしい。その人成獣自体は悪くないだろうし、その親も悪くはない。
一番悪かったのは、人間の醜い欲と、醜い知恵だ」
足音の高い音色に、男の低い声が合わさる。
「もし、自分がそんなに欲望にまみれて産まれて来たら…絶対に、そいつみたいに、復讐するだろうな」
「自分が100%の人間でも?」
「ああ」
「半々でも?」
「勿論だろうな」
殺しかねない。
暫くの静寂の後、また耳の中に足音が反響し始める。
カツン、カツン…という、足音。
「人間の欲、か」
「ああ」
ざくり。
神妙な顔をしていた男達の表情が、一変した。
苦し紛れに、
振り返る。
ぎろり。
光る。
お互いの首元を見合わせ、そしてそれが最期だった。
鋭い爪。
二人の背後に、一匹の獣が立っていた。
ずるり。
指が、引き抜かれた。
少年の爪に、真っ赤な血がこびりついていた。
滴っている、血。
それはまるで、血などではない、聖水にすら見えた。
しかし、それはまぎれもなく、血。
ぱたり、ぱたりと滴っていた。
少年の目に、冷たい光は宿されていた。
人間の瞳では無かった。
獣の光が。
憎しみが。
憎悪だけが。
「おや、いらっしゃい」
此処は、薄暗い研究室。
その中に、僅かに入り込んできた光を反射して、白く眼鏡が光る。
「今日も持って来てくれたのかい?」
嬉しそうに眼鏡の持ち主は告げる。
ぱっと明かりが灯り、持ち主の姿は露になった。
かつて白衣だったであろう衣服は、紅い血をこびり付かせ、黒い汚れを跳ね飛ばしており、是でもかと言うほど汚くなっている。
真っ白に染まった髪の毛は、無造作に伸びていた。
その男に、体中を血で真っ赤に染めた少年が、二本の瓶を差し出す。
「これは凄いね?かなり新鮮で良い」
男は、その瓶を明かりに傾けたり、香りを確かめたりしながら呟いた。
「お母さんも喜んでくれるよ」
にやりと怪しい笑いを顔じゅうに広げながら、壁にすっと手を差し出す。
すると、壁は左右に開き、中に大きな壷が現れた。
「お母さんに、会うかい?」
少年は、ゆっくりと首を左右に振る。
男は、そうかいと一回頷くと、少年に新しい衣服を手渡し、壁の方へと歩み寄っていった。
左右に開いた壁は閉じる。
明かりが、落ちた。
古く、寂れた廃墟。
傍から見れば、そうとしか見えないだろう。
しかし、その中に、一人の少年が居た。
少年ではなかった。
しかし、その中に、一人の少年が居た。
自分の中で渦巻いている何かを、掴もうとしていた。
少年では、なかった。
1:プランA
「ここ、やっぱりこうした方が良いわよね」
「はいっ」
「うん…でも、この成分がこれだけあるって事は、元々の図式の方が調合しやすいのかしら?」
「はいっ」
「元の図式は嫌なのよ、古臭いでしょ?ここは新しく思考を方向転換すべきだと思うの」
「はいっ」
「…ノルエ君?」
「はいっ」
「貴方、何も考えずに返事してない?それでもエリートちゃんかしら」
「い、いえっ、そんなでも無いです!」
黒髪をストレートに流した女性の研究員が、一人の若い青年に話しかけている。
ここは研究室。
今は国家機密の、人成獣の新しいアイデアを模索している最中だ。
「あのね、だったら何かしら意見を言いなさい。さ、ノルエ君はここの図式どう思う?」
「は、はあ…。あの、これと似たような図式を一回見た事があるので、新鮮味には欠けるかと思います…」
「じゃあ、この新しく書き直したほうはどうかしら?」
「た、確かに観た事は無い斬新な方法だと思いますけど…。でも、確実性に欠けていると思います。ここの薬品の調合が無理矢理すぎませんか、ね…?」
「ふうん。なるほどね」
ありがと、と一言残すと、マリスは研究室内の別の場所へと歩いていく。
一人取り残された青年は、緊張の為に極端に上がってしまった心拍数を抑えようと必死だった。
「人成獣かぁ…」
ぼそりと呟く。
若手研究員・ノルエ=イメリア。
栗色の天然パーマの髪の毛を短く切り揃えていて、割と色白であり、まだどこか少年らしさが残っている。
今、若手の自分は『チェック係』としてこの机にいるわけだが、先ほどの会話からして分かるように、緊張でチェックなどまともに出来なくて。
だから、「一応ここに置いていって下さい、あとでチェック入れます」と言ってしまったのだ。
よって、マリスには何かしら言われるし、自分の首も絞めてしまっている。
は〜、と溜息を深くついた。
自分の机の上にはたくさんの書類。
主に彼は、人成獣の構成成分についてのチェックをする筈だったのだが、あいにく人員不足で様々なチェックをこなさなければならなかった。
「よし、頑張ろう」
ノルエ青年は自分に喝を入れ、改めて書類と向き合った。
マリスは、ノルエに注意された書類を眺めながら、中庭へと出た。
ここは研究員達の息抜きの為に設けられた場所なのだが、この慌ただしいプロジェクトの中では、滅多に使用される事は無い。
「マリス先生」
「ん?」
「すいませんが」
そんな中で一人、深緑色の髪の毛を短く切り揃えた、なかなか男前の青年が声をかけた。
「なぁに?確かノルエ君と同じ…エリートちゃん」
「言わないで下さい」
「あはは、ごめん」
ビルツと呼ばれた青年は、少し不機嫌そうに言った。
そう、彼はノルエと同じ学校で、同じように素晴らしい成績を上げてこの研究所に入りながらも、ノルエとは比べ物にならないほどに…
出世が、出来ていなかった。
なので仕事が全く無く、今もこの様に中庭でくつろいでいた訳だ。
ノルエからしてみれば、哀れなような、羨ましいような立場である。
「その書類なんですが…」
「あ、見たい?」
はい、と手渡され、ビルツはそれを軽く頭だけで礼をして手に取った。
じっくりと眺め回すと、唐突に呟く。
「先生」
「何?」
「今はまだ、研究の初期段階です。ですから、まだ調合する際に使われる薬剤を重点に置いています」
「うん、まあそうね」
「俺の考えに直すと、ここはこれを使うと良いと思うんです」
「ははあ、成る程ね」
ビルツは自分のポケットから小さな鉛筆を取り出すと、さらさらとメモをした。
それはほんの一部に書き足されただけだった。
それでも、ありがと、と軽く礼を入れて去っていった上司の後姿を、青年は見送った。
自分の考えが、どれだけの被害をもたらそうとしているかも知らずに、出世へと向けて燃え始めていたのだ。
中庭に、爽やかな風が吹きぬけた。
2:笑い
「凄い…流石ビルツ君ですね!」
「そうよね。発想に柔軟性もあるし。出世も近いわよ、きっと」
「はいっ、でも彼は本物の天才なんです。普通の人じゃ思い切りのつかないことも、研究の為なら惜しまない。熱心なんです、尊敬します」
「尊敬するばかりじゃなくて、精進も必要だと思うわ」
「…はい」
盛り上がった会話の後半でぐさりと釘を刺され、ノルエ青年はくらりと立ち眩みしそうになった。
先ほどのビルツのメモ書きをマリスが分かりやすく直し、チェックを頼んだ所だったのだった。
「無駄が無いし、効果も望めるし、多分今までの考え方の中で一番斬新で、一番試す価値もありそうだし…薬剤の事はこれで決定かもしれない」
マリスが去った後、ぶつぶつとノルエが独り言を呟いていると、後ろから笑い声が聞こえた。
「ビルツ君?」
「よう」
ドアのところに仁王立ちしている青年が声の持ち主だ。
部屋中に散らばった書類を避けながら、ノルエの方へ近寄ってきた。
「何の用ですか?」
「ん?いや、親友のお前になら打ち明けてみようかと思ってな」
実はこの二人、往年の付き合いの大親友だった。
常に控えめなノルエとあっけらかんとしたビルツ、対照的ではあったが、だからこそここまで親友のままでいられたのだ。
「何を、ですか」
「お前、マリスさんの書類見てたろ」
「はい」
「あの書類な。俺が訂正した。考えがうまく縛れるように」
驚いたようにノルエは目を見開いた。
「考えを、縛る?ていう事は、研究の結果を君が握れたんですか?」
そんな馬鹿な、とでも言いたげな目だったのだが、その目を少し睨みつけながらビルツははっきりと言った。
「ああ。というよりも、材料の方でちょっとアイデアが浮かんできたんだ」
「どんな材料です?新しい薬剤?それとも、既に合成済みの人成獣同士を取り合わせるとか?そうすると血が濃くなりすぎますし、かなり危険な物が出来てしまいます」
「一人で突っ走りすぎだぞ。そこがお前の悪い癖だ」
はは、と軽く笑われ、ノルエは少し赤面した。
「…すみません。それで、材料というのは…?」
ニヤ、とビルツが笑う。
深緑色の前髪の中で、深い深い闇の色の瞳が細められた。
「うん、ここはこのまま決定でいいかしらね」
女性研究員、マリス=レノワールは言った。
「ホントですねぇ!斬新でやり易くて、なおかつ無駄がないプランですぅ。これなら費用にも余裕が出来るしぃ」
灰色のくせ毛を伸ばしている若い女性、と言うよりも女の子に近い人物が言った。
「…ミリ。そうやって語尾を延ばすのは止めなさい。聞いているほうがとても不快になるわ」
「あ、ごめんなさぁい。でもぉ、癖なんですぅ〜」
緩い感じで笑いながら、ミリはにこにこと微笑んだ。
だめだこりゃ、と小さく呟き、マリスは言った。
「…でもね、ちょっと引っ掛かるの」
「なんでですかぁ?」
「普段の合成に比べて、どうも回りくどいやり方な気もするし。何か、コレとか不必要な気がしない?」
「…いいんじゃないですかぁ?念には念を入れるのが基本ですぅ」
「そうよね」
うん、と一回頷いて、マリスはまた真っ白な紙に図面を描き始めた。
「ありがとう、ミリ。ちょっとこれの相談したかっただけなのよ。行って」
「失礼しまぁす!」
はちきれんばかりの笑顔で、ミリはマリスの部屋のドアを勢い良く閉めた。
そして静かに、微笑んだ。
3:最強の生命
「何なんですか、ビルツ君。もったいぶらないで下さいよ、早く教えて下さい!らしくないですよ〜」
「落ち着けよ」
ククッ、とビルツは顔を抑えながら笑う。
自分の反応を笑われたのかと思ったのか、ぐっとノルエは動きを堪えた。
それに気付いたのか、笑いを含んだ声で付け加える。
「ノルエ、別にお前を見て笑った訳じゃないぞ。ただ、俺の考えの出来のよさに笑っている訳だ」
「自画自賛、ですね」
「そう言われると返す言葉が無え」
やけににやにやしながら、ビルツは一回息を吸い、やけに唐突に言った。
「その材料のアイデアってのはな。人間だ」
ノルエは、自分の親友の表情や、声や、反応とは裏腹にさらりと吐かれた台詞を聞くと、暫く動きが止まってしまった。
今、この親友はとんでもない事を言った。
「何だって?!どういう事ですか!」
「落ち着けよ」
ほんの数分前と同じ台詞。
その台詞の聞こえ方が全くと言って良いほど変わり、ノルエは一気にまくし立てた。
「何をしようとしてるんです!この人成獣の本来の目的は何ですか?人間が、人間を犠牲にしない為に造るんです!
何で更に犠牲を出さなければならないんですか!説明して下さい!」
意図を、イヤと言う程はっきりと掴まされた。
しかし相手は一向に表情を変えず、言った。
「人間が人間を犠牲にしない為に造る?お笑いだな、ノルエ。今更あんな腐った国家の奇麗事を聞いてられるかよ?」
「だからといって、そんな、そんな…人道に反した行為は出来ません!僕たちは人間です、何故そんな恐ろしい事を考えるんですか…!」
二人は対照的な姿になっていく。ノルエは青ざめて憤慨し、ビルツは柔らかい笑みを浮かべながら続けた。
「あいつらに、俺達の大切なものは全て奪われて行った。家族も、僅かな財産も、希望までも奪われた。
お国のために、って何回聞いたっけかな?お国のために、俺達は奉仕を続けてきたんだ。どんなに汚い事もしてきた。どんな仕打ちも耐えてきただろ」
ノルエの瞳孔が見開かれた。
彼らは、戦争で家族を失い、“戦争孤児”として生きてきた。
孤児院の中では、自分達は国の為に努め、国のために生き、そして国の為に苦しむ事が最も喜ばしい事だとされた。
戦争孤児は、軍隊以上に都合の良い、国の玩具だったのだ。
彼ら二人は常にその考え方を打ち砕こうと必死だったが、どうあがいてみてもただの『非行』でしかない。
結局、戦争孤児達は良い様に扱われるしかなくなった。玩具は玩具らしく、という事だった。
囮となったり、普通の人間なら殺したり、国に反抗する様子があれば厳しい罰を受けたり。
そのような出来事で傷つけられたノルエの精神に、直接攻撃されるような言葉が連続で吐かれ、暫く沈黙が続く。
やがて口を開いたのは、ビルツだった。
「…流石のお前も何も言えないだろ?でもな、俺だって確かに人間だよ、罪もない人間を殺すのは気が引ける。
だからこそだ。俺達はこれから、数人の人間を犠牲に、最強の生命を造り上げる。人間のような醜い感情を持つ、どうしようもない生き物を立て直せるような」
「最強の、生命…?」
「ああ。最強の生命、寧ろ神を産み出そうとしているんだ」
ぎらりとビルツの眼光が鋭く光る。
その眼の中に、何か濁った物が揺ら揺らと不規則に揺れている気がして、ノルエは吐き気がした。
「…ビルツ君の言っている事も、やっぱり奇麗事でしか無いんじゃないでしょうか?人が、神を生み出せるわけが無いんです。
数人の醜い人間を生贄にした所で、一体どんな美しい神様が産まれるんですか?人間は永遠に人間のまま、滅んでいかなければならない」
そう、自分も人間の醜さを間近で見てきた。思い出したくない記憶が脳裏に甦り、ぱっとビルツから顔を背ける。
すると、やけに落ち着いた口調でビルツが言った。
「醜い人間の中に、俺は可能性を見出した。お前は可能性を提示されても拒むのか」
突然、眼の中から、鋭い光が引いていく。
以前からよく知る友人の姿にノルエはほっとしたが、光は直ぐに戻ってきた。
「俺は間違ってない。お前は間違った。その差か」
そしてその光は、哀しげに揺れた。
揺れた所で、鋭さは消えていなかった。
「…じゃあな、天然パーマ」
くしゃりと頭を撫でる。
やがて、沈黙を破って、ビルツは言った。
「いつもみたいに憤慨してくれりゃ、楽なのになぁ」
ふっと前を向くと、野望に燃える青年の背中は遠ざかって行った。
この部屋へ来た時と同じように、沢山散らばった書類を避けながら、ドアはばたんと閉まる。
ここまでの一連の出来事に、ノルエはただただ呆然としていた。
自分の髪の毛に残るはずの無い温もりを確かめながら、あれは確かに自分の親友だったのか、と考え、そしてその結論が出ると、ふっと俯いた。
4:瞳
嘘をついた事がある。
最初ついたのは、小さな嘘だった。
その内慣れてくると、大きな嘘をつくようになっていった。
そして、その嘘を笑った。
青年は個室の中で、今只一人、その事をひどく後悔していた。
最後に親友が見せたあの瞳は、弱く、か細く、情けないものだった。
そして、親友が語っている間中光っていたあの瞳は、痛々しく、激しく、欲望に塗れたものだった。
今までの親友が見せていたあの瞳は、穏やかで、優しく、それでいて強いものだった。
全てが、彼そのものの瞳だった。
そして、その中の彼で僅かに間違っていた瞳は、きっと自分が今までして来たささやかな汚い気持ちが、ほんの一欠けらでも反映されていたのかもしれない。
だから、ひどく後悔していた。
そんな時。
バン、とドアが開いた。
「ノルエ君…?何してるの」
「マリスさん」
薄暗い部屋の中で一人蹲るノルエの姿は、傍から見ればさぞかし奇怪な物だったのだろう。
マリスは心配そうに近寄ってきた。
「どうしたの、何か行き詰った?具合でも悪い?」
「…っ」
言いたかった。
間違っているのだと。
貴方の決断は間違っているのだと。
「…まあ良いわ。伝えたいのはね、薬剤については決定されたから、それを他の研究員に伝えて。
それでね、明日明後日って訳にはいかないけど、ビルツ君が研究の本線に関わってくるわ。それだけ」
「あ…」
「何?」
「…何でも、無いです…」
今すぐ止めなければ、貴方はとんでもない間違いを起こすと。
そして、その間違いに、貴方は気付かないかもしれないという事を。
言いたかったのに、言えなかった。
仮にも親友だった。
あの親友だったら、思い直してくれるだろうと何処かで期待を抱いていた。
真っ直ぐで純粋で、いつも自分の支えになってくれた明るい笑顔が。
皮肉にも、障害となってしまった。
「ビぃ〜ルぅ〜ツぅ〜〜〜〜〜くんっ!!」
「…ミリ、さん」
満面の笑みで飛びついてきた上司をほんの少し避けながら、ビルツ青年は呟いた。
「どう?手、貸すよぉ?」
「…」
ビルツもまた、黙り込んでしまった。
自分の大親友が、自分の思いを否定した、それだけの事なら良い。
最早、正反対の位置に付いてしまったかもしれないのだ。
「…ノルエ君と話したのぉ?ダメ、あのコはダメぇ〜」
「な…?」
「あのコは、いらない。だから気にしなくて良いんだからねぇ」
ぽんぽん、と青年の背中を叩くと、ミリは足早に去っていった。
その仕草に、ビルツははっとして眼を見開く。
「…まさか…?」
そんな筈無いか、と小さく呟くと、また元の方向に向かって歩いていった。
一瞬、ぼんやりとした面影が過ぎった。
「どうすれば良いかな」
ノルエは、一人部屋の片隅で、ロケットをぱちんと開けた。
冷たい金属の中に、黒髪をおかっぱに切り揃えた、幼くて可愛らしい女の子が映っている。
「どうすれば良いかな…ノア…?」
“ノア”と呼ばれた少女は、ただ、ロケットの中で微笑み続けていた。
5:主権移動
「マリスさーん!」
「ミリ?どうしたの」
「すいません、マリスさんに相談したい事があるってぇ、ビルツ君が言って来たんですぅ」
「はいはい。ちょっと待って」
マリスは仕上げかけの書類を乱雑に机の横へ積み上げると、ミリの方へと歩み寄っていった。
「マリスさん、すいませんが」
「ビルツ君」
ミリに導かれるまま廊下の隅へ行くと、そこに一人の青年が立っていた。
青年の顔は真剣で、思いつめているようにも思える。
「…何があったの」
マリスは、ビルツの目を覗き込んだ。
全てを見透かされそうなマリスの瞳に、青年は一瞬目を瞑ると、
その口の中へ、紅い液体を流し込んだ。
「な…だ、誰か…っ、ぐっ!」
誰か、と呼んだ所で、この廊下には、マリス自身が誰かを呼ばない限り滅多に人が来ない。
苦しげに喘いだが、直ぐに床へと倒れこみ、意識を失った。
力を失い、虚ろになった瞳。
「ミリさん…?」
「なぁに?」
「こんな事をして良いんですか…?」
青年は、今自分のした一連の事にびくびくと震えながら、平然とふわふわ微笑んでいる研究員へ声をかけた。
にこ、と満面の笑みを浮かべ、ミリは問いに答える。
「実現させたいんでしょぉ。ノルエ君がマリスさんに告げ口しちゃう可能性もあるからぁ、これで良いのぉ」
「でも…!」
反論しようとした青年を押しのけて、今度は紫色の液体を流し込む。
意識を失っているせいで殆どは飲み込めていなかったが、マリスの体が何回か痙攣を起こした。
息を呑むビルツに、ミリは何とも思わないような口調で続ける。
「これで、彼女も同志になるのぉ。なんで、ノルエ君にはこの方法を試さなかったのぉ〜?
そりゃぁ、あたしだってぇ、無理強いは嫌だったからぁ、ビルツ君の手を借りてたんだけどねぇ〜」
「…それは…」
ビルツは俯き、一旦言葉を失ったが、小さな声で呟いた。
「親友に、そんな惨い事を出来なくて…」
「だぁからダメなのぉ〜。もうノルエ君ったらぁ、ビルツ君の事警戒しちゃってるよぉ?あたしから出向いたって良いけどぉ」
「…ノルエは、俺が…」
俯いた顔を上げ、青年はどこか吹っ切れたような声で言った。
「俺が、同志に引きずり込みます」
「その意気よぉ!頑張ってぇ〜」
にこりと微笑んだミリの顔の中に、悪意は微塵も感じられなかった。
ただ、少女の微笑が浮かんでいた。
ノルエは小さい頃から、何か自分が路頭に迷うと、このロケットを開いていた。
進路を選んだとき、難しい問題が解けなかった時、買い物をする時。
自分なりに重大な事から、ほんの些細な事まで。
そして、ロケットを閉じる時に必ずこう言う。
「ノア、ごめん」
そして、閉じた後に必ず、自分の衣服や持ち物の、一番物が見つかりにくい場所へ閉まった。
誰にも、傷つけられないように。
あの日の弱さを後悔していたからこそ。
どこかで、誰かが呻く声がした。
でも、どうでも良くなっていた。
今は、誰が苦しもうと、誰が死のうと関係ない。
ロケットを覗くと、この強気な気持ちが生まれてきた。
それは、やはりあの日の弱さを、自分が咎めていたからこそだった。
6:ノルエ・ガルメル
戦争孤児達は、自分の苗字がない。
自分で名前をどうにかできる、あるいは覚えていても、苗字はどうにもならないのだ。
だから、面倒を見てもらう孤児院の名前か、親戚の苗字を借りる。
“あの日”は、まだノルエに親戚がいた。
親戚一族の姓は、ガルメルといった。
「ノルエ!ノルエ!」
「はいっ」
「ここの掃除をしといておくれ!それが済んだら食事の支度だよ!」
「はいっ」
思えば、ノルエの敬語の癖は、この頃についたのかもしれない。
とんだとばっちりのお陰でひょっこりやって来たガキを、自分の子供のように優しく育てられる人間はなかなか居ないだろう。
そしてやはり、ガルメル一家もそうだった。
「ノア!ホントにあんたは役に立たない子だね!何で水汲みなんかをしくじるんだい!」
「あ…ごめんなさい」
「ごめんなさいで済めば楽な話なんだよ、全く」
今叱られている少女は、ノア・ガルメル。
ノルエの実の妹で、共に戦争孤児となったが、ノアは戦火によって片目の視力を失っていた。
「お、おばさん!」
「何だい」
「水汲みなら、僕が行って来ます!ノアはちょっと疲れてるんです、休ませてやって」
ばたばたと駆け寄り、水汲みのバケツをノアの手から取る。
「そうかい、じゃあノアには別の仕事を…」
「お兄ちゃんと一緒に行かせて下さい」
ノアは、そう言うと、きりりとした目で叔母を見つめた。
「…別に構わないよ。くれぐれも寄り道はしないように!」
「はい!」
兄妹は、声を合わせて返事をし、ガルメル家の庭から出て行った。
水汲みに行くためには、道路の脇を歩いていかなければならない。
道路には、滑稽な形の車が何台も行き交っていた。
この時代に、水汲みなどする家庭は滅多に無かったのだが、ガルメル家はとても貧しかったのだ。
道路を渡る。
「ノア、気をつけて。僕の後ろをついて来て」
「うん」
ノルエは、ノアに対してだけ敬語を使わなかった。
この後にビルツと出会い、親友となったのだが、やはり実の家族ほどに信頼は出来ない。
敬語を使わないのは、桁外れの信頼の証だった。
車がいなくなった。
「よし、渡るよ」
てくてくとバケツを持って、少し広めの道路を横断する。
その時だ。
道路の死角から、恐ろしいスピードを出して、一台の車がこちらめがけて走って来たではないか。
後もう少しで渡りきる位置まで来ているのだが、あいにくその位置に向かって。
―――危険だ。
本能で、そう判断した。
後をついてきているノアが、ひしと腕に掴まる。
―――危険だ。
本能が、またしても判断を下した。
腕に掴まっているノアを、跳ね飛ばした。
ノルエは渡りきり、自分の目を通して、道路の真ん中で踏み潰される寸前のノアの姿を捉えた。
「え…?あ、お、にい、ちゃ」
お兄ちゃんと叫ぼうとしたのだろうが、あえなくその叫びは途中で遮断された。
愛しき妹はすっと視界から消え、代わりに大型車のフォルムが目一杯、アップに映った。
「ひ…っ」
兄、いや“元”兄は、それが何を意味しているかを一瞬で悟ると、恐ろしくなり、バケツを持って逃げ出した。
そして、そこで突然起きた、空襲。
自分の動揺の為に警報を聞くことも出来ず、唐突に目の前に広がった火の海から逃げた。
バケツだけを片手に握り締め、火の手が追って来ない所まで。
その後、ガルメル家はいなくなった。
唯一の親戚が息絶えると、ノルエは孤児院へと送られた。
孤児院の名は、イメリア孤児院。
ノルエ=ガルメルは、ノルエ=イメリアと名を変え、第二の人生を歩み始めた。
ノアの居ない、新しい人生。
暫くすると、ガルメル家から遺品が贈られた。
その殆どは焼け焦げたごみだったが、その中に、戦火の中で燃えなかったロケットがあった。
ロケットの中には、微笑むノアの写真。
このロケットは、自分達の母親が肌身離さず持っていたロケットだ。
ノルエのロケットは母親と共に焼けてしまったが、こちらのロケットは幸いにも残っていたので、遺品としてガルメル家へ保存されていたらしい。
それ以来、ノルエはロケットを大事に持ち続けた。
そして、ノアの分も生きようと、懸命に文学に励み、貧しい中での努力を続けた。
図書館で勉強中に、たまたま同じ科学について興味のあったビルツと出会い、親友になった。
そのまま、二人は才能を見込んだ中学校の援助金で高校へ進学し、大学へと上がった。
当たり前のように出世し、当たり前のように科学の仕事をした。
ガルメルの姓を知る者は、最早誰もいない。
強いて言えば、イメリア孤児院の院長は、自分のプロフィールを渡されたろうから知っていたかもしれないが、もう忘れたかなくしたかしているだろう。
ノルエは、その昔の名を自分の戒めにしていた。
だからこそ、こうして生きてきた。
「…僕の人生で、狂った事なんて何度でもあった」
ノルエはすっと立ち上がり、斜め上を見て言った。
「その度に、狂った事を直してきたじゃないか、何を今更」
そしてしゃがみ込むと、床に散らばった書類をかき集め、机の上にまとめて置いた。
再び、一枚ずつチェックを入れ始めた。
「ミリさん」
「なぁに?」
「俺、一個だけ不安があるんです。俺なんかより、ノルエの方が苦労してきた、強い人間なんです」
ミリは真剣な顔でビルツの方を見た。
「…そうよねぇ。多分、きっとそう」
それだけ言うと、ずるずるとマリスの体を引きずり、椅子に腰掛けさせる。
不自然に座らせたため、妙な体重の掛かり方に椅子が軋んだので、もう一度座りなおさせる。
「ビルツ君がいつまでもここにいると怪しまれちゃうからぁ、早いところ出て行くと良いよぉ?後はあたし一人で充分だからぁ〜」
早く出て行けと言わんばかりにビルツをドアまで押しやると、ばたんと閉める。
「…失礼します」
ゆっくりと己の考えに迷いを抱き始めた青年は、俯きがちに部屋から離れていった。
7:無意味
「ノルエ君、ちょっと決定があるのよ」
「え…何ですか?」
突然尋ねてきたマリスに、ノルエは目をぱちくりさせた。
「あのね、材料についてのチェックはもう入れなくて良いわ。決定したの」
かっとノルエの瞳が見開かれる。
「材料に、まさか…!」
「たくさんの動物を入れる、っていう案が出たのよ。各種の動物の中で、優れた物を利用してね。
そして、人間も使う案を採用したわ。赤ん坊を、4人くらいかしら」
カタリ、とペンを机の上に落としてしまった。
この人まで、恐ろしい事を平然と口に出している。
「赤ん坊も、優れた素質を持った人を使うの。この国を動かしている人間の間に出来た子供を使うのよ」
『腐った国家への復讐』と言わんばかりの、あのビルツの目がフラッシュバックする。
「薬剤も、どうやら変更しないで済みそうよ。うまく一致するの」
『考えを縛る』とは、この事だったんだ。
恐ろしい程、綺麗に出来上がったプラン。
「だから、最終チェックはビジュアルに関してだけよ。頑張ってね」
それじゃ、と言い残すと、マリスも部屋から出て行った。
「みんな…操られてるなら、この研究は、意味を成さない…」
平和は、沢山の人々が手を取り合わなければ生まれるはずが無いのに。
こんな小さな研究所の中ですら、また無意味な争いの元が生まれてしまった。
「平和の為に研究をしてきたのに…!」
自分の無意味な手を握り締め、ぽろぽろと涙を零した。
どうにかしたかった。
でも、青年ただ一人の手では到底無理な話だったのである。
「人でなし」と呼ばれた事があった。
死んだ人間を細かく分解し、新たな説を立ち上げる。
動物を殺す事も覚悟で、新たな薬を作る。
しかし、その度にノルエはこう反論した。
「違うんです。人間が、もっと平和な世界で暮らせるように、僕たちは研究を重ねているんです」
そう、もっと平和な世界の為に。
最小限の犠牲で、平和な世界を作る?
そうも言えるかも知れないが、所詮人間の作る物だ。
多分美味しい目を見れば、再び大きな犠牲を出して、更に人成獣を作るだろう。
昔の自分のように、都合の良い兵器として、人間を使う事になる。
そして、例えどんなに優れた人成獣も、死ぬ。
何故、人は人を傷つけてまで、自らを守ろうとするのだろう?
何故。
ノルエは、この自分の無意味な両手で、何が出来るだろうと考え、そして詰まれた書類を払いのけた。
折角綺麗に纏まった書類が、ひらひらと床に舞う。
そして、一枚の大きな白い紙を取り出すと、がりがりと図面を書き出した。
責めて、責めて行動を起こしたかった。
例え人成獣が産まれて来る運命にあったとしても、兵器として産み出したくなかったからだ。
自分のように、歪んだ歯車の中で生かしたくない。
だから、行動を起こしたかった。
この、無意味な両手で。
8:誕生
「マリスさん」
「何かしら」
豊かな黒髪をふわりとなびかせ、マリスが振り返った。
「これで良いと思います。色々考えたんですけど、やはり一番人間に近い形が、一番利用しやすいです」
ノルエは冷静にそう告げると、一枚の紙を差し出す。
そこには、耳と尋常に硬い爪、大きな牙だけが狼の醜い形に変貌し、あとは人間の素材次第の見た目、という図が描かれている。
「この爪や牙は武器として活かせますし」
「うん、そうね。じゃあ、後は私が全体的に見直すわ。見直し終わったら、研究員全員で人成獣の調合を始めるわよ」
「はい」
ぺこりと一礼すると、ノルエ青年は自分の持ち場へと戻って行った。
青年の瞳の中から、若い輝きが薄れていた事に、誰が気付いただろう。
そしてその後は、最初にお伝えした通り。
操られたマリスは結局良い様に扱われ、捕まった後は後始末として“処分”された。
人成獣を世間から抹殺するとなった途端、ミリはふっと姿を消したのだが、研究所から少し離れたゴミ捨て場に、高価なロケットが一つ捨てられていたと言う事である。
ミリがいなくなると、ビルツは狂い、そのままふらふらと研究所を立ち去ったのだが、行方は知れなくなった。
そして、ノルエの計画。
それは、一つ目に人成獣の生活のプラン。
もう一つに、いつか捕まるであろうマリスを、復活させる為の方法。
哀れな犠牲者を一人でも救い、歪んだ歯車を直したいという純粋な気持ちだったが、多少彼の頭も狂い出していたようだ。
マリスの為には多くの犠牲を出さなければならなかったし、人成獣は扱える人間が立ち去ってから何も手が付けられなくなった。
冒頭に、二人の若い男の会話があったのを覚えているだろうか。
彼らは最期に、こう言った。
『一番悪かったのは、人間の醜い欲と、醜い知恵だ』
そう、この中の誰一人として、責める事の出来る人間は居ない。
誰が一番悪くて、誰が一番善い行いをしたのか、そんな差は何も無いのだ。
ただ、この悲劇の中で産まれて来た、人間の感情だけが歪みを生んだ。
醜さと、美しさを半分ずつに持ち合わせて産まれて来てしまった、人間の感情だけが。
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2004/07/17(Sat)16:28:50 公開 / 棗
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■作者からのメッセージ
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苦手なタイプの小説なので収拾がつかなくなり、大変時間が掛かりました。元は昔のものなのでお見苦しい点もあるかと思いますが、読んで頂けると幸いです。