- 『シズカナ コドク』 作者:琥狼 / 未分類 未分類
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全角13905文字
容量27810 bytes
原稿用紙約37.65枚
シズカナ コドク
〜はじめに〜
この小説は心情描写だけで進む現代系ファンタジー小説です。もし、「そんなのは小説と認めない」「中途半端なジャンルはキライ」って言う人も、たくさん居るかと思いますが、最後まで読んでもらえると嬉しいです。
もし、他人の事を知りたいのなら、名前より先にそいつのくだらない話を聞くべきだな。名前なんて聞いたって、そいつの事を分かりやしないんだから。だからオレも、オレのくだらない話からしていこうと思う。
26になってんだが、こんな話をするのは初めだと思うね。だって、今オレの周りには誰も居ないんだ。まぁ一応、猫が一匹居るんだが、オレは『ネコ』って単語が嫌いなんだよな。別にアレルギーとか、昔引っ掻かれたり噛まれたって訳じゃないんだな。個体としては大好きなんだよ? ネコって言う『単語』が嫌いなだけなんだ。まずは、この事から話してったほうが良いかな。
オレは結構、普通の生活やってたんだよ。レンガ造りの家なんだが、ちょっと隙間があってね、外に雪が積もってて、風が寒かったね。
それから、家の裏にある通りには、親が居ない子供とかが居たな。でも時々布1枚しか着てないオッサンが壊れた石畳を口笛吹きながら、バカみたいに歩いてたね。食事の方もマシだったね。茶碗に八分くらいの冷やかくなった麦飯と、蒸してある鶏肉。それから野菜を油で炒めたヤツ。殆ど嫌いな物はなかったね。
強いて挙げるなら、卵スープかな。アレは嫌だったね。なんたって、卵を湯がしてるんだぞ? アレはドロドロしてるし、白身なんか食えたもんじゃないね。でも、残すとオヤジに怒られるんだ。「母さんの作ったものは、全部美味いんだ。だから全部食え!」ってね。でも、そんなのには全然耳を貸さなかったね。オレのオヤジみたいなのは、人の事なんか全く考えないんだバカヤロウなんだよ。
それで残したスープは、ウチの裏通りで遊んでる奴等に全部、分けてやってた。そいつ等は、服とか髪はボロボロだったけど、あのクソオヤジよりマシだったね。むしろ良かったくらいだ。嘘なんかつかないし、悪戯とか考えるのは、なかなか得意だったりするんだな。
中でも、カース=ラムザって男がイチバン面白かったね。でも、好きじゃなかったんだな。なんでって、そいつがオレに『片目ネコ』って呼んでやがったからさ。最初のころは、意味が分からないもんだから、放っておいたけどね。でも、今はその事が良く分かるね。何でかって言うと、オレは生まれてからずっと右目が悪ぃんだ。右の方を見ようとすると、右目が塞がっちまう。
その上、赤い色が見えないんだけど、その代わりに黄色っぽい色に写っちまうんだ。だから、生まれてから一度も赤って色を見たことは無いね。んでもって、猫も赤い色が識別できてないんだ。だから、そう呼ばれてたんだろな。
そのことを知ったのは、クソオヤジと本屋に行った時だったな。動物医学本が目に入ったんだ。名前とかは、覚えて無いけどね。それで偶然、猫の目の事が書いてあるページを開いちまった。あの時は、メチャクチャ怒ったのを覚えてる。
帰ってすぐに、荷物を置いて家のドアを蹴り破るように開けて、凄い形相でカースのヤツのトコ行って、右頬をぶん殴ってやったよ。オレは血の気の多い方だって言われてたけど、全くその通りだったな。特にあの時は、どうかしてるんじゃないか。ってくらい怒りっぽかったね。「何しやがる!」そう言われて、ちょっと正気に戻ってアイツの顔を見たんだよ。ちょっと目に涙、浮かべてたね。
右頬は真っ赤に腫れてて、痛々しかったな。あの後は殴り合いになっちまってね、もう頭が真っ白になって、なんも覚えて無いんだわ。そのあと、家のベッドで目ぇ覚ましてね。一番最初に見たのは、クソ親父の臭い顔だったね。アレは最悪だった。まぁ、その喧嘩の後も皆から『ネコ』って呼ばれ続けたんだけどな。
今じゃ、なんで『ネコ』って呼ばれるのが嫌だったのかも分からんね。オレがトラウマになったのは、呼ばれてたからじゃないんだ。実は、あの喧嘩の後に一週間くらい歩けなかったんだな。しかも、目の病気の方も悪化しちまってね。
物が全部白黒に見えちまってんだな。これが一番のトラウマの原因だね。この日以来、ネコって単語を聞くだけで、悪寒が走っちまってね。嫌なもんだったな。いつも、オレの部屋の窓枠で寝てやがる黒猫がいたんだが、そいつをまともに見るのも、数ヶ月は嫌だったね。「どっか行きやがれ、クソネコ」って叫んで追い払ったり、水ぶっ掛けたりね……今思えば、ありゃ完全に八つ当りだったな。悪い事したと思ってるよホント。
でも、カースの奴が悪ぃに決まってる。でも、あのヤロウは、こういう時は必ず悪知恵働かせやがって、スティの背中に隠れるんだ。ホントはスティア=イベリスって言うんだけど皆にそう呼ばれてたんだ。
この娘も裏通りでよく遊んでるんだけど、皆に好かれててね。優しいし、美人だね。痩せ細っちゃいたけど、オレと同じ生活だったら、きっと美人だったろうさ。町にいる重苦しいキラキラした服着ながら「アラ。ごきげんよう」とか嘘みたいな笑顔で挨拶してくる、ケバいオバサンとは違ったね。
ホントに嬉しそうな顔で誰にでも、優しくするんだ。でも優しすぎるんだよな、コレが。どんな悪さした奴でも、絶対に怒りゃしなくてね。ホント、優しすぎたね。まぁ、その優しさで随分、助けられた事もあるけどね。
とにかく、キースのヤロウは隠れてやがったんだ。流石に手なんか出せなかったね。彼女の前で殴りあうなんて事した日にゃ、半日……もしかしたら一日中泣いちまうかもしれない。だから、その時は諦めたね。ホントに優しい娘だったんだ。
大人には「薄汚い」って嫌われてたけど、オレから言わせりゃ、薄汚いのは大人達だと思うな。ようは、劣等感を感じてるだけなんだろうさ。でも「病気が移るかもしれないだろ!」とか根も葉もない事、言いやがるんだ。
アイツ等の口は、きっと嘘しか吐けなかったんだろうし、嘘を吐き続けながら生きてきたんだろうな。まったく、つまらない生き方してきたもんだね! そう思ってたんだけど、今はこうやって、誰もいないトコで静かに座って、白黒の風景を見てるって訳だ。
でも、ちっとも淋しいと思った事は無いね。町の真ん中に時計台があるんだけど、えらく高くて見晴らしが良いんだよ。毎日って程、冷たい缶ジュースをもって、スティと一緒に上ってたんだが、カースと喧嘩して以来、空の青い色も見えなくてね。
白黒の家が立ち並んでるんだ。でも、スティが横に立って「あの家、もしかして塗り替えたのかな? 青色になってる!」とか、屋根の色とか教えてくれてたから、殺風景じゃなかったね。でも、それが何週間も続いてたから、さすがにウソだって気付いたよ。
彼女がはじめて吐いたウソかもしれないな。でも、白黒の景色を見るのも楽になれたね。むしろ前よりも鮮やかだった。でも困った事にオレは赤って色を知らないだろ? だから彼女もオレに赤色のコトを教えるのには、随分手間が掛かったな。
それで彼女はオレの髪を触って「スクーの髪と同じ色」って言ったんだ。結局のトコ、よく分かんなかったけどね。でも、不自由じゃなかったさ。オレとしては彼女といるだけで、十分だったね。なんかの本を見たときに『人は他人と一緒に居る時ほど、孤独を感じるものは無い』って文が頭に焼きついててね。
確かに彼女と居る時はホント孤独だった。でもね、嫌な孤独じゃないんだ。何ていうのかな……『居心地のいい孤独』なんだよ。とにかく、彼女と居る時が一番楽しかった。「ねぇスクー」ボーっとしてる時に、スティが話し掛けてきたもんだから、手に持ってたジュースを危うく零しちまいそうだったよ。
彼女はスクーって呼んでるけどオレのホントの名前はスクレって言うんだよ。「なんで、そんなにも大人が嫌いなのよ? 此処の時計台を作ったのも大人だし、良い人だって一杯居るのよ? そこまで毛嫌いする必要も無いんじゃない?」続けてそう言ってきたんだけど、オレはチョット黙り込んじまったね。別に理由が無かった訳じゃないよ。
ただ、彼女が納得できるように説明できるか悩んでたんだ。考えてる最中に彼女は、オレの顔を覗き込んだりしててね。でも、ムカツキはしなかったね。それでようやく口からひねり出せた言葉は「この町に、豊かに暮らしているのは人間じゃないよ。ムリヤリ表情を作って、媚売ってる『キカイ』だけさ」ってね。
彼女が納得したかどうかは知らないけど、ちょっと頷いてね。また、変わりもしない景色を、雪が積もった鉄に腕を乗せて眺めてるんだ。オレもおんなじ様にして、鉄パイプに腕を乗せたんだが、これが冷たくて我慢できなかったな。
手袋も履いてて、裏に安物の毛皮のついたオーバーを着てた。それでも冷たいって感じてたんだが、彼女は裸足で服の裾も肩までしかなくて、細い腕が顔を出してんだ。見てるこっちが寒くなりそうなカッコだったよ。「これ貸そうか?」そう言ってオレの上着を渡したんだけど、彼女は絶対に首を立てには振らなかったね。
「私は慣れてるから大丈夫。スクーのほうが風邪ひくよ」そう言って、いつも受け取ろうとはしなかったね。オレは生まれつき病弱でね。今はそんな事無いんだけど、ずっと風邪ばっかひいてたんだよ。特に冬はね。
オレが裏通りに居る友達の事ばっかり話してるから、ほかに友達が居ないと思ってんだろうけど、そいつは違う……キライなんだよな。アイツ等の言う、オトモダチってのがさ。
近所にザイルってのが居るんだが、カース以上にキライだった。前歯が欠けてて、顔がブクブクに膨れてやがるし、いつでも、自分の財産やらオトウサンが買ってくれた車の事を自慢してやがる。カースやスティには特にね。
自分より劣ってる奴が居れば、誰にでも自慢する奴なんだよ。ホントにムカツク奴なんだよ。それでも、自分のオヤジには敬語を使うんだ。『オトウサマ』ってね。あの光景には笑えたね。結局、その『オトウサマ』が居ないと、何にも出来ないんだから。
しかもオレの傍によって来て「君は賢いんだから。あんな連中と関わらないほうが良いよ。絶対」とか言いやがる。それも毎日だ。大抵は無視してるんだが、それでもしつこく言ってくる時は、こう言ってやるんだ。
「確かにボクは賢いと思う。キミの褐色に錆びてる脳みそよりは、かなり賢いと思うね」オレは人をからかう時は『ボク』って言うクセがあってね。これでザイルのヤロウは泣きながら『オトウサマ』って言いながら泣き崩れるんだ。
オレが知ってる限りで、一番バカな奴だったと思うよ。その後は、いつもザイルの『オトウサマ』が飛んできて、慰めてやってたね。もう、その時は、笑いが止まんなかったな。隣に居たカースもバカみたいに笑ってたし、スティもちょっと笑ってたね。
まるで台本でも読んでるみたいに、あの親子はつまらない『演技』をしてたね。演技としか思えなかった。だって「ああ、可愛いザイルよ」なんて言うオヤジがいると思うか? 少なくとも俺が知ってる限りじゃ、ザイルの『オトウサマ』だけだったね。まぁ、その逆なんてのは、なかなか居ないんだがね。親の会話ってのは、自分の子供がどれだけ優秀なのかを競うようなもんだからね。ホント、どうかしてるよ。
それからオレには一応、彼女ってのも居たんだけどね。ソニアってんだが、あんまし好きじゃなかったな。俺を見る時も、いちいち色目を使ってきやがる。それがどうも気色悪くて、嫌だったんだ。あと、あんまし話術が上手くなかったな。
オレの家で話している時に「ねぇ、ソニア。君は飲みたいものある? さすがにビールは駄目かな?」って冗談混じりに聞いたんだが「え? なに、聞こえなかった。もう1回言って。ねぇ」ってな答えが帰って来たね。別に遠くに居るんなら、構わなかった。でも、1メートルも離れてないんだぜ? もう一回、言おうとは思ったけど、彼女がオレとは逆の方を向いたんで、言うのを止めたね。また同じ事言われたら、かなわないよ。
でもそういうトコを除けば、普通に美人だったね。それでも好きになれなかったのは、やっぱりカース達を下に見てたことだな。「あの裏通りの人たち。ゴミ食べてるんだって。汚いよねぇ」なんてのは、まだ良い方でさ。「なんで、あんなゴミみたいなのと同じ町に居るんだろねぇ」とか、普通の会話で言うもんだから、良い気分じゃなかったね。
そう言ってる時の彼女は、美人なんかじゃなかったね。だから、彼女の顔は絶対に見なかった。声を張り上げて怒ろうとはしなかったさ。こんな事は慣れてるから。でも一度だけ彼女に思いっきり怒鳴った事があった。運の悪いことに、彼女の家でな。
部屋に入って数分もしなかったかな。彼女が「あのスティって女の子。ホントにムカツクわ。どうして、あんなのが生きてるのかしら。ねぇ?」って言いやがってね。かなり大きな声で怒鳴っちまった。何を言ったかは、あんまり覚えて無いけど正気に戻った時には、彼女が床に座り込んで泣いてた。たぶん、かなり酷い事を言ったんだと思うね。
さすがに頭下げて謝ったんだけど、すぐに彼女の親が来て思いっきり、右頬を殴られたんだ。アレは痛かったね。もう少しで気を失うトコだったよ。それで追い出されるようにして、その家から出て行ったね。まぁ、オレとしては、コレで良かったんだよ。
ストーブがあっても、クーラーがあっても、豪華な食事があっても、きっと出て行ったんだろうね。それ以来、自分の家にも帰りたくなくなって、それから三週間くらいは、ずっと時計台で寝てたんだ。
雪が降ってたから、随分寒かったけど、まだ缶詰があっただけマシだったな。それに陰口も聞こえないから、快適だったんじゃないかな。とにかく、バカに囲まれた生活より、あのホームレス生活のが数百倍良かった。
でも毎日のようにスティが来て、水とかも持ってきてくれるし、あのクソオヤジにも「学校の冬期講習だから、ちょっとの間は帰ってこないと思います」学校は、ホントは退学になっちまったんだけど、まだ通ってる。ってウソついてたから。
まぁ、ゴマカシてくれてたんだけど、アレにはちょっと参ったね。なんか、面倒な事を押し付けちゃってるみたいで……それでも彼女は、いつもみたいに笑ってたから、そんなに気負いしなくてよかったな。
時計台で暮らし始めて、三週間くらい経った頃だったかな。いままで缶詰やパンで食い繋いでたんだけど、それが無くなっちまったんだよ。スティが毎日持ってきてくれる水の御蔭で一週間は何とかなったんだけど、その後は意識がほとんどなくてね。誰に殴られた時よりも苦しかったね。
スティに頼んで、食べ物を持ってきてくれれば良かったんだけど、やっぱりこれ以上、彼女に世話になってしまうのも辛いからね。今思えば変なプライドだったと思ってるよ。その時、思ってた事は多分ザイルとかと同じだったんじゃないかな。
アイツと同じように持たなくてもいいプライド持って、カッコつけてさ。それで何となく他のやつ等より勝ってるぞ! って威張ってる、仮面を付けた自分を見た気がしたね。妙な気分だった。ココで死んでも良いんじゃないかって思えたよ。
もし死んじまったら、スティが見つけてくれて――きっと悲しむかもしれないな。その後は家族だけでの葬式……でも、窓の外からはカースやスティが見てくれてて、きっと寂しくないんだろうな。ってな事を思ってて、結局そのまま気を失っちまった。次に目を覚ました時は、そこが天国かと思ったよ。白黒の景色だったもんで、何時ごろとかは分からないけど、目の前で大泣きしているスティの姿だけは、はっきり分かったね。
「もう、心配……掛けないでよ」彼女は、そう言って涙を浮かべながら、オレの肩を掴んでいたよ。――彼女は優しすぎたから。それを忘れてたのかもしれない。知らないうちに、彼女に甘えてたのかもしれなかった。
それから家に帰ったんだけど、クソオヤジに散々、怒鳴られてね。でも、いつもみたいに睨み付けたりはしなかった。もう、結論が出ていたから。このデタラメに満ちている町で過ごす方法――『取り替える事の出来ない、無表情の仮面を付けながら、ずっと生きていこう。
そうすれば誰も文句は言わないし、この仮面をつけている間に、世の中が変わってるかもしれないから』――逃げてる訳じゃなかったんだ。
こうしなければ、自分が自分であることを保っていけない気がしたから。でも、スティは悲しい顔をしてたね。今まで見た事がないホントに悲しそうな顔だった。それでも、感情を外に出す事はしなかった。
きっと、それが強い事だと思ってたんだろうね……でも、周りの連中と全然、変わりなかったんだろうな。愛想笑いをしないってトコだけが唯一、違うトコだった。たったそれだけ。それだけを、誇りに思っていたのかもしれないな。今は、バカバカしいことだったと思ってるよ。それでも、その時はそれが正しいと思ってたんだ。
オレが『人形』みたいになって、二日くらい後だったかな。スティといつもみたく時計台に上ったんだけど、いつもと違う感じがして……怖かったね。いつもなら笑っている彼女が無表情に見えて――でも多分、オレが『人形』だったから、そう見えたのかもしれない。いつもと違ってたのは、オレの方だったからね。
彼女は、いつものように町を見下ろして微笑んだ。でも、強引に作った笑顔だったね。いつも見てるから、そういうのは良く分かるんだよな。それでオレの方を振り向いて、無言のまま頬を平手で殴ったんだ。痛かったけど、それは当然だっただろうね。『人形のフリ』をしていたオレは、ついカッとなって怒鳴っちまったんだよ。「なにすんだ! オレは自分が一番、正しいと思ってる事をやってるだけだよ!」ってね。
それを言い切った時に、ハッとして彼女の顔をちょっと見たんだ。彼女は怒らずにオレの顔を見て笑ったんだよ。作った笑みじゃなくて、オレが好きだったいつもの笑顔でね。それから、オレの手を握って言ったんだ。
「そう! スクーは、そのくらいナマイキじゃないとね」いつもは、小さい声で話す彼女だったのに、その時はとても大きな明るい声に聞こえたね。オレには何でスティが笑っていられたのか、不思議だった。一方的に怒鳴っただけなのに、笑ってもいないのに……はじめて彼女の事がわからなくなったんだ。それで、そのまま謝る事が出来なかった。それでも彼女は、いつものようにオレと一緒に、時計台に上ってくれたし、家の色も教えてくれてたんだ。
それでもオレは、『表情の無い仮面』を外しはしなかった。それが彼女への償いのつもりだったんだ。今でもコレで良かったんだと思ってる。そうしないと、自分自身が潰されそうだったから……。でも、やっぱり逃げていたんだと思う。
逃げていた事を後悔したのは、その二週間ほど後だった。いつものように、ちょっと堅いベッドから起き上がって、オーバーを羽織って家を出たんだ。もう、ほとんど雪は解けてたけど、まだ寒かったからね。オレは、いつもスティが遊んでる裏通りに行って、彼女が来るのを待ってたんだけど、彼女は大抵、昼頃に来るから。
それまでカースや他の子達とバスケットとかして暇を潰してたんだが、日が傾いても彼女が来なくってね。段々、心配になってきて辺りを見回してたら、カースがオレの頭をボールに当ててから「おい、ネコ。スティなら、時計台に行ったぞ」ボールを当てられたことに腹は立ったが、それよりも時計台に向かって足を走らすのが先だった。
もしかしたら、一時間……いや、三時間くらい前に時計台に行ったのかもしれない。それでも、オレの顔は焦りすらなかったのかもしれない。ゲイルにも挨拶されたし、ソニアもなんか言った気がした。ホントに自分が一番嫌ってたモノになってたのかもしれない。それでも、出来るだけ早く時計台に辿り付きたかった。
一応、体力には自信があったんだ。足も結構速い方だったけど、もうスティには会えないような気がしてならなかったよ。ようやく時計台の下まで来たんだが、もう呼吸が出来なくて苦しいくらいだったね。
吐く息は真っ白で、こんな寒いのに額から汗が滲んでたんだ。それでも、一秒も休む事はしなかった。一気に階段を駆け上がって、いつも彼女が町を眺めてるトコでようやく足が止まったんだよ。
いつも彼女が手を掛けてたパイプに大きめの皮の帽子が掛かっていた。ソレは彼女に初めて買ってやった物だったんだけど、一度も被ろうとはしなかったんだよ。オレは慌てて時計台から下を眺めた。もしかしたら、自殺でもしちまったんじゃないかって思ったんだろうな。でも、後から壁を叩く音が聞こえてね。
呼吸を乱しながら振り向いたんだ。「ハイ。一時間の遅刻」彼女を見た時は、思わず溜息が出ちまってね。一時間しか待たさなかった事じゃなくて、笑ってた事にさ。「スティも落し物だよ。ホレ」
スティはオレの投げた帽子を受け取ると、それを頭に深々と被って、腕に巻いてた布を口に当てて、オレの方を向いた。「これでスクーと同じだよ」――確かに目も口の様子も分かんなくてね。
きっとオレもこんな風に見られてるんだろうな。って思うと、少しだけ変な気分になった。「なにやってんだ。もう暗いから帰るぞ」なんか変な感じだったね。オレは白黒にしか見えないのに、夕方って事がわかってんだからな。まぁ、昼は全体が白っぽくて、夜は黒いから分かり易かったのかもね。
とにかく、彼女の手を握りながら、さっき走ってきた道を今度はゆっくり歩いてたんだ。そしたらスティがいきなり、被っていた帽子をオレの頭に乗せてきてね。「それ買ってくれて、ありがとう。じゃあ、また明日」そう言って、手を解くようにして、走って行ったんだ。止めようとしたんだけど、もう見えなくなっててね。
仕方なく、帽子を頭に被ったまま、一人で家に帰ってベッドの上で横になったんだ。
『そういや、カースに礼言ってなかったな。ソニアの奴、まだ怒ってんだろうな』
オレはね、なんか知らないけど、こういう時ほど他人の事を考えちまうんだよ。まぁ、自分でも変だとは思ってるんだよ。それでも、考えちまうんだ。変なもんだろ? それで十分も経たないうちに寝ちまうんだ。
ちょっと白っぽい光が見えて、ベッドから窓枠を見た。いつもの、あの猫は寝てなかったけど、白い光が差し込んでる。横の机には、スティから返されたあの帽子が乗っかっていた。『まだ時計台には居ないかもしれない』そう思ったけど、なんとなく帽子を被って家を出たんだが、やけに体の細い男が家の前に立ってやがってね。でも、成りは良いカッコしてたから、すぐに『お偉い様』って事がわかったよ。しかも時々、裏通りに来てたから尚更、分かり易かったよ。
名前は知らなかったけどな。「スクレさんですね?」まるで習ったような完璧な敬語を使いやがって、癪に障る奴だったよ。でも一応、言っといた方がいいと思ったんでね。
「ハイ。ボクがスクレ=シリングですけど、それが何か?」いつものように無表情のまま言ってやったよ。ホント、この時以上に自分で自分を嫌だと思った事は無いね。「……昨日の夜に女の子が一人、急性の心臓病で亡くなりました。おそらく、スラムの子だと思うのですが」
ホントに嫌な感じがしたよ。自分の勘が外れて欲しいと思ってた。そう思いながら男に尋ねたんだよ。「その子の名前って分かりますか? その子の顔。見せてくれませんか」心臓が早くなって、額から嫌な汗が滲んで、死にたいくらいだった。
「確か、スティア=イベリス。残念ですが見せる事は出来ません」オレは思いっきり家のドアを閉めて、自分の部屋に入ってベッドにうつ伏せになった。
涙なんか出やしなかったよ。本当に人形みたいになってたんだろうな。十分位そうやってたんだが、机に置いてあったメガネと、ベッドの横にあった帽子を掴んで頭に深く被った。
彼女があの時やったように、目を隠すようにね。そしてオーバーを着て窓から飛び出したんだ。『表情の無い人形を隠しながら、誰にも見つからないトコで死んでしまいたい』そう思いながら、時計台へと走ったんだよ。あの時計台には、三年に一度くらいしか整備に来ないし、使ってない倉庫の中なら誰も見やしない。
そう思いながら走ってた。もしかしたら、目が覚めたらスティが笑って帽子を取り上げてくれるかもしれない。そんな事を思ってたかもしれない……オレは臆病だったから。
時計台に着いた時に、少し町の景色を見たいと思ってね。変だろ? 誰かに教えてもらわなきゃ白黒の殺風景な町が広がってるだけなのに。それでも、見たいと思ったんだ。彼女が大好きだったあの風景。階段を駆け上がって、いつも町を見下ろすトコに立ったんだ。いつもの白黒の空に、白黒の屋根。
彼女がいつも教えてくれたから、大体どの家の屋根が何色かは分かったよ。でも、オレにとってそれは殺風景としか言えなかった。そうやって夕暮れまで、町を眺めていたんだ。それで昨日、スティと会った同じ時間に同じように、突き出ている鉄のパイプに帽子を掛けてね。「オイ、遅刻だぞ。なにやってたんだ」って叫んだ。
なんでそんな事したのか分からないけど、きっと何かやらなくちゃ、って思ったんだろうな。でも、それは虚しかったよ。誰も居やしないのに、ずっと壁に向かって叫んでんだからな。それで一時間くらい経って、ようやくオレは掛かってた帽子を取ったんだ。
その時、ホントに彼女が死んじまった事を実感したよ。それで帽子を被ろうとしたんだが、中に白いペンで……分かんないけど、何か文字が書かれていたんだ。ポケットに入ってたライターでそれを照らした。そこには『今までアリガトウ。楽しかったよ……ゴメンね』そう書いてあったんだ。
その瞬間、押し殺してた感情が一気に溢れ出して、バカみたいに泣いたね。なんで彼女が死んじまったのか、全く分からなかったし、どうして早く気付かなかったのかって、ホントに自分が嫌いになったんだ。
それで、時計台の階段を下りて、図書館に行ったんだよ。どうしても読みたい小説があったんだ。『Crime The Chain』って言うんだけど、高い位置にあったから取れなかったんだよな。もちろん、図書館の鍵は閉まってたよ。でも、カースに針金を使って鍵を開ける方法を教えてもらってたから、簡単に開ける事が出来たね。
それで、机に飛び乗ってその本を手にしたんだ。その小説の主人公が好きだった。右半身を機械化してる少年と盲目の少女の物語でね。でも、いつ書かれたのかは分からなかった。それでも内容は良く出来てたね。なにより、題名が好きだったんだ。『罪の繋がり』コレは勝手にオレが解釈しただけなんだよ。
でも好きだったね。半分くらいまで読み終えて、元に戻した。別につまらなかった訳じゃないんだ。他の本も見たくなったのさ。いつも、立ち入り禁止って張り紙がある部屋とか……一番、気になってたトコでもあるしね。
この好奇心は良くなかったかもしれない。入ってきたように針金を使って、鍵を開けたんだけど。思ったより、本は積まれちゃいなかったな。それでも、面白い本はないかと思って、もう少し奥に行った。そこにちょっと面白そうなモノがあった。
『合成獣適性検査の結果』ってファイルだったかな。かなり分厚くて透明なカバーが被せられていて、そこにはファニングって名前が書かれていた。興味を掻き立てるのには、それだけで充分だったね。そのファイルを開いて最初の方を見たんだ。
『メアリー=スタッド。犬の遺伝子を掛け合わせたが、拒否反応を起こし死亡』まるで、本当のように書かれていて、小説とは違った面白さがあった。もう一ページを捲った『サルド=シリング。鳥の遺伝子を組み込んだが、脳の萎縮により後日死亡』コレを見た時は耳を疑ったね。
サルドはオレの爺さんの名前なんだ。確か心臓の病気で亡くなったんだった。なにか嫌な予感がして、一番最近の方を見た。
『スティア=イベリス。現在、適性検査中であるため……』オレは思いっきりそのファイルを閉じて、壁に投げつけてやったんだ。その時、やっと警報機が鳴りやがってね。オレは床に倒れこむようにして腰を下ろしたよ。
信じたわけじゃなかった。でも、可能性がゼロじゃないってことだけは分かるから。もう、このまま捕まって牢屋で死んじまおう。そう思いながら瞼を下ろしちまった。これ以上の苦痛なんて、感じたくなかったから。
案の定、ドアが開いて足音がこっちに向かってきやがった。それでオレの腕を掴んでムリヤリ立たせたんだ。それでオレに目を開けろと言ってきやがった。「そのファイルを持って、この町から逃げてください。西の方へ真っ直ぐ行けば、誰も居ない場所があります。外に止めてある車を使いなさい。運転の仕方……わかりますか?」
目の前には昼間の男が立って、車の鍵を差し出してきた。オレは頷いてその鍵をもらって図書館から出て行ったよ。あの男は好きにはなれないけど、他の大人よりは信頼できたんだ。裏通りの奴等にパンを配ったりしてたから、悪い奴じゃないと思ったんだよな。
それで、この大きなファイルを抱えながら、外にあった大きなワゴン車に飛び乗って、エンジンをかけた。一度、ザイルの車を盗んだ事があったから、運転の仕方は覚えていたんだよ。結構、簡単だったね。それで、そのまま一週間くらい車を走らせて、ココに辿り着いちまったわけだ。
廃棄された車が山のように積まれて、殺風景と呼ぶにふさわしかったね。最初の頃は寂しかった。誰も話し相手なんて居なかったし、手に持ってるファイルは死んでも見たくなかったからね。
食料なんかは、車に積んであったパンやインスタント麺で何とかなったけど、一人ってのは寂しいもんだね。でも、ココに着いてから一ヶ月くらい後だったかな。バイクに乗って髭を生やしたオッサンが来て、無言で新聞と黒猫を置いていきやがった。新聞は二年くらい前の新聞で、見てても面白くなかったな。
でも黒猫は結構、暇つぶしにはなったな。ホントに変な話だけど、その黒猫が人間みたいでね。一日中居ても飽きなかった。それでも、このファイルがオレの感情を押し込めているようだったんだよ。だから笑う事なんて出来なかった。けどね、その黒猫が来てから三ヶ月後だったけか。その黒猫が口を利きやがったんだ。
丁度、食料が尽きちまった時だったかな。「まったく、お前さんは笑うってことを知らないのかぃ?」まるで年寄みたいな口調だったけど声質は結構、高かったね。その時は随分驚いてな、ちょっとの間だけど固まっちまった。それでも、話し相手が出来たって事は嬉しかったよ。その猫の話じゃ、どっかの研究所みたいなトコで合成獣として作られたんだと。オレのファイルを見ながらそう言った。
なんでも、人間の発生器を付けられたりして、居心地が悪かったんだと。ちょっと期待して名前を聞いたんだけど「アタシの名前? 知らないねぇ。なにぶん、人間の記憶なんて殆どないと思うさね」少しだけガッカリしちまったね。
まぁ、彼女だったとしても、謝る言葉が無かったろうし、許されなかったと思うから……だから、オレはこうやって座ってるんだよ『シズカナ コドク』の上にね。
あぁ、向こうからあの猫が死んだ鳥を咥えて来やがった……ほら、独りで居た方が色んなことを思い出したくなっちまうんだ……それも嫌な事ばかりね。
「どうしたんだぃ? 早く料理しな」そう言って、オレの顔に爪を立ててきやがるんだ。ホント、可愛くない猫だよ。そんなに痛くは無いんだけどね。
「ウルサイ! 爪を立てるな爪を!」そう言いながら、指で額を小突けば大抵、後に転がるんだから。「あのなぁ。弱いんだったら、突っかかんなよ」その仰向けで寝てる様子を見ながら、思わず笑っちまったね。
「ようやく、お前さんの笑ってる姿を見たよ」
「ん? そうか、そりゃどうも」
何年ぶりかの感情だな。でも苦しくとも何とも無かった。素直に笑ったんだよ。
「あ、そうだホレ。首輪作ってやったぞ」
彼女から『貰った』あの帽子で作ったんだが、ちょっと針とか糸が無かった分、難しかったね。でも、結構いい感じになってると思うね。
「……こんな歪な形の首輪あるのかぃ?」
「てめぇ! オレが一生懸命、作ってやったってのに」
こんな感じで、三十分くらい口喧嘩しまくってね。それでも、不快なんて思わなかったよ。面白かったからね。そういえば、ちょっと前にコイツの名前を考えてたな。確か随分迷ったんだよな。スティにするか違う名前にするか。
でも、やっぱりスティって名前は嫌なんだよ。だから「お前の名前、マロウってどうだ?」ホントは男に付ける名みたいだけど、そこまで考えて無かったね。スティの姓がイベリスっていうハーブの名前だったから、出来るだけ良いハーブの名前をみつけてただけなんだからね。まぁコレは仕方ないよ。マロウは溜息混じりにオレの顔を見やがったね。
「……アリガト」
なんだか、とても懐かしい感じがした。なんでかは、分かんないんだけどね。マロウはそのまま廃車の上に乗ると、もう一度オレの顔を見て首をかしげたけど、その鉄板の上で横になって、町の方を見た。ココから見えるはずは無いんだけど、ジッと見てやがるんだ。
「どうしたんだ? 変な顔して」
「別に何でも無いよ。そういや腹が減ったねぇ。卵のスープをしようかねぇ?」
「駄目だ!」
もしスティともう一度、会う事があったとしても、きっとオレは謝らないと思う。許されないからってのもあるし、謝り方が分からないって事もある。それに……彼女はそれを求めてないと思うから。だから、謝る事はしない。でも、そのかわりに今の『シズカナ コドク』の中でずっと生きていこうと思う。それが、彼女への唯一の償いだと思ったから。
「キミは……それで許してくれるだろうか」
〜fin〜
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2004/07/16(Fri)20:36:01 公開 / 琥狼
■この作品の著作権は琥狼さんにあります。無断転載は禁止です。
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■作者からのメッセージ
どうも、はじめて即席の読みきり小説書かせていただきました。ふつうに連載モノより難しいですね。まとめ切れません。
なるべく、読みやすいように工夫はしたのですが、どうでしょうか? 『はじめに』も書いてあるように、現代系ファンタジーの為、変な感じしたかもしれませんが、ココまで読んでくれた方々。アリガトウございましたw
世界感は……まぁアメリカのスラムを圧縮した感じなんでしょうかね。
ちなみに連載中の『Risky』から派生させたものの為、出来るだけ見ていなくても分かり易いようにしたつもりですが、分かり難かったらすいません。
それでは、辛口コメントやアドバイスをどんどん書き込んでくれれば、嬉しいです。