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『それゆけ!凡平中学校吹奏楽部 (皆様のお陰で完結です!)』 作者:棗 / 未分類 未分類
全角24929文字
容量49858 bytes
原稿用紙約83.65枚
それゆけ!凡平中学校吹奏楽部 [ソレユケ!ボンペイチュウガッコウスイソウガクブ]

一時限目:部活選びって…
俺は今、心の底からこう思っている。
…なんで、中学校に入った途端、勉強もテストもハードになるのに、その上部活なんかしなきゃいけないんだ。
心身共に健康になる?技術を磨く?馬鹿言うな。たかが中学生だろ。
運動部全般。体鍛えるんだったら保体で充分じゃねーの?
音楽部、目ぇ覚ませ。音楽の授業にひたすら熱中してれば、いつの日かその才能も磨かれるはずさ。
ふざけんな美術部。美術の授業だけだ、お前らが輝く時なんてな。
理科とかその辺の研究部。個人的にやってろよそんな事。
まあ、俺が何でこんなにグチグチグチグチ言っているかというと…
「やっほーコンちゃん!」
「うるせえよきみまろ。」
机に突っ伏している俺に、赤毛にロン毛、金色リングのピアスという出で立ちの奴が現れた。
確かに、俺だって暗めの金髪に染めてるし、ピアスの穴も開けているからいまいち見た目について悪口は言えないのだが…
奴の名は綾小路華緒。
大手企業・『綾小路電子株式会社』の、何と若社長だ。
えーっと何だっけ、I…Iなんとかを製造している会社の元社長の息子だが、決して血ではなく、実力でここまで上り詰めたという。
ちなみに、女みたいな名前の上相当な女顔の、男である。
「きみまろさんの芸風俺好きなんだけど〜…ていうかさ、この前コンちゃん、このパンフ貰い損ねた?」
はい、と言って、綾小路は俺に一冊の冊子を渡した。
「あ〜…?『凡平中学校部活動の薦め』?」
「そう。コンちゃん相当悩んでたから。友達として見せてあげるよ」
にっこりと微笑んで、冊子をぱらぱらとめくり始める綾小路。
そう、今俺がグチグチ言っていたのは他でもなく、部活動について心の底から、本当に深刻に悩んでしまっていたからだ。
正直な所、俺の性質からして運動部の熱血感は性に合わないし、それ程音痴ではないと思うが音楽のセンスも無いし、芸術面の感性では全くと言って良いほど何も無い。
それでも、出来れば文化部がいい…でも、やっぱりそれは印象悪い。
という、つまらない理由なのだが。
「あのさ、俺この部活入ろうと思ってるんだ!コンちゃんも一緒にどう?」
「どれどれ。『吹奏楽部』」
それ程興味は持たなかったが、見せられるままに覗いてみる。
小さく割り当てられた紹介欄に、『熱血・やる気・根性大歓迎!!』と、多少汚いが力のこもった字で書かれていた。明らかに男の字だ。

「いや、音楽駄目だから…」
「でも、文化部に入る男子なんか俺以外に当てが無いんじゃないかな?」
うっ、と言葉に詰まった。
女だらけの中へ入っていくのは勇気が要る。
…かといって、俺は小学校の高学年は病室の中で過ごしていた。
今更、かつて命に代えても惜しくないくらいに愛していたサッカー部へのこのこ入っていくのも馬鹿でしかないだろう。
入った所で、数々の喧嘩、または乱闘(年齢問わず)で他人の恨みを買い続けていた俺は、多分三年間ずっと、闇の世界で球拾いを続ける事になる。
しかもその時代よりは数段運動が出来ない体になってしまったのだ。脚は使えず、腕も力が入らず、体中の筋肉は衰えた上、鍛えようにも激しい運動は禁止された。
格好の笑い者だ。
そんな位だったらいっそのこと文化部へ入りたい。
でもそこで邪魔をするのはプライドだった訳で。
「…」
「ね?コンちゃん、仮入部期間だしさ、折角だから見に行ってみようよ!」
「…うー…む」
何が何だかよく分からない返事を返しつつも、綾小路に引き摺られる形で部室へと向かった。
結局、ハメられた訳だ。

■■■
二時限目:部室って…
「えっと、北校舎渡り廊下より体育館へ、と」
「何で吹奏楽部が体育館で練習するんだよ」
俺がぶつぶつ言っていると、綾小路は思いついたようにぽんっと手を叩く。
「俺達がいつも使ってるのってさぁ、南校舎から入る体育館だよね〜?」
「…?」
そういえばそうだ。
一年生は、北校舎自体まだ立ち入った事が無い。かなりの興味の的になっている。
…興味はあるが、初めて見る校舎で途方に暮れた。
当てずっぽうに歩き回り、何回も人に道を聞き…
多分同じ距離を歩く時間の倍近くをかけて道を確認しながら、何とか地図通り歩いてくる事が出来た。
が。

「…行き止まりだよね」
「ああ、行き止まりだな」
そう、行き止まりだった。
見事に壁にぶち当たってしまった。
その壁は、比較的不自然に新しくて、しかも何のセンスも無い『交通安全』と書かれたポスターが貼られていた。
「道、間違えてんじゃねーの?ていうか音楽室でやってると思うぞ」
「そんな事ないよ〜!」
疑いながらも地図を指で辿り始めた…その瞬間。
ギギギ、と鈍い音を立てて、その壁が奥へと移動し始めたではないか!
目を疑った。
でも、疑った所で何も始まらなかった。壁が奥へ進むと、何か人の血のような赤い線が無造作に引かれているのが見えた。
ひっ、と小さく悲鳴を上げても、壁は止まらない。
線の向こう側の廊下にも、また同じ色で、乱雑に文字が書かれていた。

『凡平中学校吹奏楽部入口 入りたければ線を通り越せ』

縦一列に並んだその文字を全て自分の下から解放すると、壁は嘘のようにぴたりと止まった。
あまりの出来事に呆然としていると、綾小路が満面の笑みで問ってくる。
「行ってみようか!面白そう」
やめてくれ、こんな恐ろしいトコ脚を踏み入れたくないと叫んで一目散に逃げ出したい所だが、綾小路は少しもビビった様子を見せず…
「じゃ、お先に!」
と言って、線の向こう側へ入ってしまった。
ぽん、と脚を踏み入れた瞬間、静止した壁が上へと昇って行く。
ここで綾小路だけが線の向こうに行って消えてしまえばいい物を、と少し思った。
…これじゃ俺は、入ったも同然だ。

その壁が消えると、そこには何と大量のお札が貼られていた。
天井、窓、壁、床、全ての場所に、気味が悪いほど隙間無く敷き詰められている。
気付いてみると、線の内側からは全て札だらけになっていた。
しかし、綾小路はそれに対して驚いた様子は見せていない…が、顔を深く顰めている。
なんだろう。久しぶりに好奇心が疼く。

…好奇心って恐ろしいもんです。

■■■
3時限目:入部テストって…
何であいつは顔を顰めていたのか。
それは未だに分からない、何故なら…
俺はこれに奇声を発してしまったからだ。
「何だこりゃあ―――!!?」
「何だろうねこりゃ」
すっかり落ち着いて、再び顔に微笑を取り戻した綾小路とは対照的に、俺は耳の中に一生懸命指を捻じ込んで顔を顰め…いや、歪めていた。

「どーしたのコンちゃん。酷い顔してるよ」
「酷い顔もするさ!何だこの音は?!」
多分吹く楽器の音、笛を吹くのに失敗してる音、それから太鼓のような音、その他の打楽器のような音、明らかな人の叫び声とか罵声が、混じって一気に聞こえてくる!

その時、音が止んだ。
ぴたりと突然訪れた静寂に困惑していたが、綾小路の方は先ほどと同じ様子でにこにこしている。
我に返ると、騒音ではない、ブツブツという低い声が聴こえて来た。
最初は何を言っているのか理解出来なかったが、その音の元を辿れば一目瞭然。
我が校の制服であるシャツの上から黒い着物を羽織り、首と両手首に数珠を巻きつけ、脚は裸足。
髪の毛は俺よりも明るい金色、というか黄色で、その奥に光っている真っ黒な瞳が此方を睨みつけている。
逃げられねぇ…正直そう思った。
でも、その人は謎の言葉(多分お経)を止めると、此方に向かって今度はにこりと優しく微笑んだ。
「初めまして、荒澤金三朗君、綾小路華緒君。入部テスト合格おめでとう」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
俺はたっぷりと間を置いて尋ね返した。謎の男は続ける。
「今、君達の耳にとんでもない音が聴こえて来たでしょ。あれは私の法力で出してた音なんだよ。その音が何で出来てるかを聞き分けられるかが、入部テストだったんだ」
さっぱり訳が分からず、頭の上から色んな物を飛ばしていると、綾小路は嬉しそうに言った。
「じゃあ、テスト合格なんですか?」
「うん。二人ともナイスな回答だけど、特に綾小路君。君の回答は素晴らしかったね」
「有難う御座います!」
あーあ、本当嬉しそうだなアイツ。そうだな、昔から音楽とか得意だったからな。
俺には付いていけない世界なんだなー、と改めて思う。凡才は凡才。引き立て役。
「荒澤君、君も素晴らしい。よくあそこまで辛そうにしながらも諦めずに聞き分けてくれたね。尊敬するに値するよ」
思わずびくっとする。恐ろしい、俺の心を見透かされた気がする。
すっと男が立ち上がる。
じゃらん、と重い数珠がぶつかり合って硬い音を奏でた。
「それでは入部に当たっての部活見学をご案内」
ガラガラと鳴る以前にガシャガシャと札同士が擦れ合う紙の音を立てながら、男は引き戸を開けた。
「まず手始めに、私の名前は真言宗人。一応吹奏楽部の部長を務めているから、よろしく」
はあ、と押されるがままに頷いて、俺達は部長さんの後をのこのこと付いて行った。
いや、後半は多少小走りになっていただろう。
部長さんの背中が見えなくなってしまったらドアが閉まってしまいそうで、そして開かなそうで怖かった。

■■■
4時限目:部活見学って…
「真言…部長さん?」
体育館の中に、ぼわんと言葉が響き渡る。
「部長さん、いなくなっちゃったね」
綾小路は呟いた。
その瞬間。

ピシリ。
立っている床に、驚くべきスピードで亀裂が走っていく。思わず目を丸くした。
「え、うわ何だこれ…!」
慌てた所でどうにもならない。よたよたと意味の分からない方向へとバランスを崩す。
それから暫くしない内に、ドガンッ、と重い音を立てて、俺達の足場も崩れた。
冗談じゃねーよ。
ああ冗談じゃないね、と綾小路も視線を返して来た。
「ぎぃやぁあああああ!!!!」
やっぱり、叫んじゃった。
と、俺はぼよん、という奇妙な感触の物の上へ、派手に墜落した。
と思うと、その直後に俺の下でそれはバリンという派手な音を立て、ズドンと俺を体の中に招き入れた。
一連の出来事が理解できなくて混乱していると、高い声が聞こえてきた。
「あら〜〜見ない顔だね?新入生なの?」
「そうだよ。今美音の前に立っている赤毛の男の子が綾小路華緒君」
「どうも」
てめえ…いつの間に着地したんだよ畜生。
「それから、今ティンパニの中に入ってるのが荒澤金三朗君だ」
「…どうも」
俺はたった今、見事に、でかい太鼓みたいな物の上に墜落していた事を知った。
中からやっとの思いでゆっくりと顔だけ出すと、視界がばっと開けた。
俺の前でにこにこと微笑んでいる女の子が、『美音』と呼ばれた人らしい。
髪の毛を薄い茶色に脱色していて、短く切り揃えている。制服に無駄にフリルが付いており、片手にマイクと録音機らしい物、もう片方に大きな木刀を持っている。
「荒澤君、だっけ?良いサウンドが手に入ったよ、ありがと」
嬉しそうに告げると、録音機のボタンをプチッと押す。

『ピシッ、ピシピシ…ドガン!!ぎぃやぁあああああ!!!!ガコンガコン…バリン!ドサッ』
あまりの恥ずかしさに、穴があったら入りたいと思ってしまった。
…いや、入ってるけど。
「サウンドを作る為と言っても…体育館を破壊したりとか、楽器を犠牲にしたりとかは資源がもったいないからやめなさい」
「だってさ、あたし一人がパーカッション担当でしょ?一人じゃ満足に音が出せないから、色んな物とか人に協力してもらってるの」
きゃいきゃいと言い争っている様を見ていると、二人はどうも似ている気がして来た。
「…お二人、兄妹なんですか?」
俺と同じ事を思ったのか、綾小路がごくごく自然に問いかけると、部長が答えた。
「ああ、ごめん、そうだよ。これは私の妹の真言美音。パーカッション担当だ」
「よろしくね〜」
見た目はとても可愛らしい女の子だが、今自分が置かれた状況を考えると、その笑顔に寒気がした。
サウンドを作るために体育館を破壊。しかも『資源がもったいない』ってそれ以前に何かありそうなんスけど。
ていうか部長、この一連の流れ図ってたんじゃないか…?
混乱(というより人間不信)を解いて、どうにかこうにかティンパニ(というらしい)の中から這い出て我に帰ると、新たな人の声がした。
だいぶ離れていて姿はぼんやりしているが、声ははっきり聞こえる。
今まで気付かなかった俺って一体。

「馬鹿野郎!!そんなのが全国に通用すると思ってるのか!!」
「すみませんっ先輩!」
最初に喝を入れたらしいのは低い声、その後に必死で謝る声は高い声だ。
恐る恐るそちらを見ると、またしても木刀を持った、硬そうな黒髪の目つきが厳しい先輩が、何故かジャージ姿で後輩を踏みつけている。
踏みつけられている後輩は血を吐きながらも頑張って耐えている。…ちなみにジャージ姿で。
明らかなイジメ、いや明らか過ぎるイジメだ。
「ぶ、部長…?」
俺が不安になったので言うと、部長はにこやかにさらりと言ってのけた。
「あ、大丈夫。あいつらは変態だからアレで良いんだよ」
「そうなんですか」
綾小路は納得して笑った。部長も笑った。俺の顔は引き攣った。
「変態だからって!ありゃ蹴られてる方の体が持ちませんよ!」
「まあ平気じゃない?いざとなったら部費で治療できそうじゃん」
「部費もったいねーだろが、きみまろ!」
「ああ、安心してくれ。部費だったら幾らでもあるよ」
「そうスか…って、だから違うって!!」
またしてもパニックに陥ってしまった俺を見て、部長がふうっと溜息をついて紹介する。
「えーと、荒澤君。蹴ってい…今木刀で殴ったね。美音の木刀を使ったらしいな。彼は、真田光太郎。トロンボーン担当。Sっ気がとても強い。
 今殴られている彼は、赤塚満。トランペット担当。Mっ気がとても強い。この紹介で理解してくれるととても有難いね」
この説明により、俺は理解するとかしない以前に何も言えなくて、酸欠の金魚のようにぱくぱくと口を開け閉めしていた。

「荒澤くーん、綾小路くん!こちら、ギター担当の露川ちゃん」
俺が金魚になっていると、ばたばたという二人分の足音に乗せて、はあはあと息を弾ませながら美音さんが近寄ってきた。
美音さんの隣に居るのは…
艶のある少し短めの黒髪を二つに結わえ、黒目がちで睫の長い大きな瞳をぱちぱちさせている、色白で、頬が適度に桃色で、身長は低めの女の子。
・・・・・・・・・・・・・・・タイプだ!!!
少し恥ずかしげに俯いて、美音さんに向かってうふふと笑っている様も何と愛らしいことか…!
自分で言っちゃ何だが、俺は奥手だ。いざという時になると一気に上がってしまい、何も言えなくなるのだ。普段の無口が絶望的な無口へと変わる。
またしても金魚になってしまった。みっともねぇぞ俺!心の中で喝。
「え…えと、エレキギター担当の露川理都です、綾小路君、荒澤君、よろしくね」
顔を少し傾けて、僅かに遠慮がちに微笑んでくれた。
ああもう俺はそれだけで幸せです…!!宜しくお願いします露川先輩!!!
「よろしくお願いします」
にこやかに綾小路が先を越す。
俺もすっかり強張った舌を懸命に動かして、何とかそれと同じ言葉を後に続けて紡ぐ事が出来た。
「…よ、よろしくおねがいします…」
畜生!段々声が小さくなってるじゃねーか!
と。
「ほほう。荒澤君、邪念が見受けられるようだね」
「!」
すっかり忘れていた。俺のバックにはあの部長が立っているのである。
また読まれたか…。限度はあったとしても、今の俺の心情は多分…一般人にもバレバレだったのかもしれないな。ヤバイ。
真っ赤になってぶんぶんと頭を振っていると、部長が続けた。
「大丈夫。邪念を直ぐに消し去ってあげよう。露川君、新入生にギターを披露してあげて」
「え?あ、ハイっ」
露川先輩がぱたぱたと走っていく。
走っていくちょっとだけ滑稽なその姿も可愛い…すげー可愛い。まさに一目惚れ。
ほろ酔い気分でいたが、暫くすると、体育館隅の倉庫から、真っ赤なエレキギターを持った露川先輩が現れた。
白い肌に赤が映える。唯一この部の中でまともに着られている制服は硬い感じがするのに、このエレキギターがまたアンバランスで誠に宜しい。
恋は盲目、もう何でも良いのです。
…なんて、言ってた俺が間違いだったのかもしれない。
「え、じゃあ演奏します…」
ぺこ、と頭を下げる。いやっ可愛い。
チャキっと音を立てて、ギターを構える。そして、ジャンジャンと奏で始めた。
うん、エレキギターのツーンとする音色が聴こえて来た。素敵サウンド。
だが、目の方は疑った。いや、この部に来てから疑いっぱなしなのだが。
段々と露川先輩の髪の毛が伸び、段々と頭頂部から白く染まっていく。
ぱつんと音を立ててゴムが解け、ぱらりと床に落ちると、白く伸びた髪の毛が広がった。
紅いギターの音色がだんだん激しくなり、次第にハードな音楽へと変化していく。
そして最終的に、唄った。
絶叫に近い歌声…いやホント、マジでイカす…歌声。

演奏が鳴り止んだ後、俺は泣きそうな顔で部長を見たが、部長はまたにこやかに言った。
「邪念はかき消されたようだね。これからの部活動に支障をきたさない様注意してもらおう」
「…ハイ」
俯いて返事をしたが、すっかり元に戻ってしまった露川先輩を見て性懲りもなくときめいてしまった。
さっき解けてしまった髪の毛を、ゴムで結わえなおしている姿。ちょっと不器用そうに、一生懸命髪の毛を纏めている。
すいません部長。邪念はそう簡単に飛びません。
寧ろギャップに更なる愛を感じてしまったようであります。マニアではありません。愛です。
すると、何処か遠くのほうで綾小路の声がした。
「この部って、変わった人多いんだね」
俺を含めてなのかどうなのか、そこはいまいち分からないのであります。


■■■
5時限目:好敵手と書いてライバルと読ませるって…
「昨日さぁ、何処見に行った?」
俺があまりのかったるさで机に突っ伏していると、後ろを向いて、赤城昇が話し掛けて来た。
奴は良い奴で、俺が病気をする前は親友だった。何事にも真っ直ぐで、それでいて優しい。
でも、サッカーが出来なくなってしまった俺の事を気遣い、奴は良い奴なだけに話し掛けて来なくなっていたのだ。
まあ、俺としては久々の会話で嬉しく、さらっと答えてやれた。
「吹奏楽部見てきた」
「・・・・・・・・え?サブちゃんが吹奏楽部か?」
昇は目をぱちくりさせて、意外そうな顔をしている。
「あのな!サブちゃんとか呼ぶな!」
「じゃあやっぱりコンちゃんかな?」
「げっ、綾小路!」
金三朗なんて名前が付くとロクな事が無えな。
と心の片隅で思いつつも、綾小路の出現で青くなっている俺とは対照的に、爽やかに手を振っている俺の恐怖の対象を見て、昇はぺこりと頭だけを下げた。
あいつは癖があるタイプなので、周りはあまり親近感を持って話したりとかはしないのだ。
そしてその次に、昇は更に意外な言葉を口にした。
「サブ、何で吹奏楽部なんか?」
「え?」
昇は真剣な顔をしていた。
俺にはその意味が分からず、ただ呆然としてしまう。金魚に変身。
「サブの実力なら、サッカー部復帰だって夢じゃないだろ。それに、もしサッカーが駄目だって、その他にも沢山運動部はあるし」
「何で文化部は駄目なのかな?」
綾小路がつるりと聞く。
考えもせずに、昇が答えた。
「決まってるだろ。文化部なんか格好悪いし、学校に必要無いだろ」
俺は驚いてしまった。
確かに昇は、運動と勉強どちらが出来るかというと、運動の出来る奴だった。
町のサッカークラブではいつも俺と張り合ってサッカーの試合をしていたし、いち早くサッカーのユニフォームを着た。
どのポジションについてもばっちりこなすので、周りからの期待も大きい。
体育の時間はクラスのヒーローで、サッカーだけでなく、ドッジボールでは積極的にボールを取りに行き、バレーではチームの中心となって指揮を執り、野球では投げても打っても取っても好成績。鉄棒もみんなのお手本となる位に巧いし、縄跳びで飛べない飛び方は無いし、体も柔らかいし、足も速い。
そのお陰かもしれないが、クラスの人気者でもある。
誰に対しても真っ直ぐで、相手の事を思ってこそ厳しい事も言えて、信頼する人も多いのだ。

その昇に対して、初めて頭に血が上った。
「お前に文化部の何が判るんだよ」
大きい声では言わなかった。昇なら気付くと思った。
「文化部?楽したい連中の集まる場所だ」
まだ感づかない昇。
怒鳴ってやりたかったけれど、ぐっと堪えた。そんなつまんない事でキレてちゃ持たない。
それでも、昨日の吹奏楽部の面々の様子が、再び思い出されてくる。
まあ…やり方はどうあれ、みんな一生懸命だった。ただ、新しい音楽の為に。
「文化部だって、自分で自分の好きな事の為に、一生懸命なんだよ。お前が運動好きなように、音楽が好きな奴、絵が好きな奴、色んな奴がいるんだ。それの何が悪いんだか言ってみろよ」
さすがに察知したのか、昇は少し黙ってしまった。
「言ってみろよ。聞こえないか?言ってみろよ!」
やっちゃった。ダン、と机を拳で叩いて強く言うと、昇は小さな悲鳴を上げた。
暫く沈黙が続いたが、やがて俺は席を立った。

その後に、呆気に取られている昇へ、綾小路は言った。
「運動と文化、どっちが勝てるのか見物だね。体育祭、楽しみにしてるよ。あ、コンちゃん待って〜!」
ぱたぱたと足早に遠ざかる二人の背中を、昇は何かやり切れない表情で、見ていた。

■■■
6時限目:伝統楽器って…
北校舎へ入り、壁を動かし、いつもの様に聴こえて来た雑音を何の音か聞き分けると、部長が嬉しそうな顔で出迎えてくれていた。
「今日は、もう一人一年生がいるから。仲良くしてやって欲しい」
そう告げて引き戸を開けると、また元の位置で座禅を組み、念仏を唱え始めた。

「昨日いなかった人を捜せばいいんだね」
綾小路はそう言うと、きょろきょろと辺りを見回す。
黄色いおかっぱ頭がラジカセと格闘している。あれ、ラジカセから奇怪な音がしてますけど?
ジャージ姿の二人組が血を吐きながら懸命に特訓をしている。…何だあの道具は。
可愛らしい黒髪が、ぼんやりと窓の外を眺めている。可愛いから何でも許す。
オレンジ色の帽子を被った男の後姿がいる。初めて見るなーって、あ。
「あいつだ!オレンジ頭!」
俺が言うと、綾小路がひょこひょこと付いてくる。
背中を見ている限り、何か笛のような物を吹いている様だ(綾小路は「クラリネットじゃない?」と言っていたが、これっぽっちもそんな事が分からない俺は「へえ」と言っておいた)。
「おーいオレンジ頭。お前何て名前だ?」
思い切って尋ねる。
そいつが振り向くと、少しだけ楽器の姿が見え…
お、木目みたいな物がちらっと…

!!!!
ひょっとしてひょっとすると、あの楽器は教科書でしか見た事の無い伝統楽器…
「しゃくはち―――――――――!?」
俺と綾小路は声を合わせて叫んでしまった。
オレンジ頭は頷いて、再び練習に戻りそうになる。
それを何とか引き止めて、もう一度尋ねなおした。
「お前何て名前だよ?」
「…綾瀬」
「綾瀬ェ?」
ここら辺だと聞いた事の無い苗字なので首を傾げてしまった。田舎臭ぇぞ自分。
「転校生か、お前?」
「…今月の6日に引っ越してきた」
尋ねた事に忠実に、必要最低限だけ喋る綾瀬は、勤勉に尺八に向かう。
話しても何も面白くないなーと思っていると。
トンデモ発言。
「…俺、下の名前が無いんだけど気にするなよ」
充分気になるっつの!
「は!?何で?」
「…記憶喪失。俺親戚とか居ないから確かめようも無いし。聞いたけど忘れた」
何だこいつは…!?謎が謎を呼んで、再び混乱の渦に巻き込まれてしまった。
聞いたのに忘れる?自分の名前を?記憶喪失の理由は?親戚が居ない?ていうか何で尺八?
同じ事を二回聞くわけにもいかず、ただ呆然としながら尺八の音色に浸ってしまった。

■■■
7時限目:基礎練習のようで実はちょっと違うって…
「綾小路君、荒澤君、ちょっと」
「…は、はい」
部長がいつの間にか背後にいたのでビビってしまったが、何とか呼吸を整えてから返事をした。
付いてくるように言われるまま何処までも行くと、体育館隅の倉庫の中へ着く。
ここには露川先輩のエレキギターとか、多分美音さんの物と思われる色々な用具、多分真田先輩の物だと思われる色々な用具などが収納されている。
賭けても良い。体育館の倉庫という役目は全く果たしていない、これ以上はないだろうな、と言える程に怪しい空間だ。らしいといえばらしいけど。
中を物珍しげに眺め回していると、この空間の中に声が響いた。物があまり無いからだ。
「君達、今まで入部扱いしてきたけど、入部する気はある?」
「もちろんあります」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・へ?」
ちなみに言っておくと、最初のが部長、次が綾小路、最後が俺の台詞である。
オホン、と一回部長が咳払いすると、数珠がジャラッと鳴った。
この沈黙の空間の中で、部長の数珠だけがせわしなく鳴り、響いている。正直な所、落ち着かない。
「荒澤君はどう?」
優しく問い直され、俺は驚いた上、正直な所かなり複雑な心境にはなったのだが…
「はあ、まあ…一応はあります」
と、答えた。
「そうかい。じゃあ、綾小路君はこのカタログを見ててくれるかい?荒澤君はちょっとこっちへ」
「え?・・・・・は、い」
何―――――――――――――――?!
と叫びたい気持ちで一杯だった。
な、何で俺が…。綾小路が行ってくれよ!もしくは何か言ってくれよ!と目で(綾小路に)訴えかけてみるが。
にっこりと微笑んで、行ってらっしゃいと手を振るだけ。
あんのきみまろ野郎…!いざという時に役に立たねーなド畜生!
あ、ヤベ。泣きそ。

「荒澤君。君さ、音楽のセンスは確実にあると思うんだ」
「は、はあ」
部長に無理矢理引っ張られて連れてこられた、倉庫の更に奥。そこは単純に考えて、何と掃除用具入れだ。
イヤイヤイヤ狭いし!怖いし!暑いし!暗いし!モップ近いし!数珠の音さっきより煩いし!怖いし!
本当泣きそうなんスけど…!
「何か、そんなに怖がる要素でもある?」
「は、はあ」
満載!怖がる要素満載!充分怖い!アンタが!
しかもこの用具入れ、何故かお札が貼ってあるんだよな…だーから余計怖いよ…。
「ああ、このお札なら平気。防音と脱臭してるだけだから」
「は、はあ」
防音――――――――――――――!?
怖いよ!リンチされそうで怖い!脱臭の意味もよくわからない!
この瞬間想像したのは、部長だけが外に出てお経を唱えて、この用具入れが部長の法力(だっけ)で俺ごとメッコメコに潰されるという…やめよう俺。大丈夫、相手も人間だ。
…あんな恐ろしい想像までする程、部長が怖かった事は多分無い。
しかも近くで見ると迫力ある顔してんだよな…悪い顔ではないけど、割と怖えー顔。不良っぽいような。
あれ?こんな事が考えられるって事は大分落ち着いたって事か。グッジョブ、俺!
そう、相手も人間だ。何とかなるさ!
「実は」
こう考えて安心した途端に部長が切り出したので、またしてもビビってしまった。
「はっ」
少しだけ、部長は深刻そうな顔をしたが、それでも言葉は濁らせずに言った。
「荒澤君、君に指揮を任せたいんだよね」
「は、…はあ―――――――――――――――――!??」

その時綾小路は。
「おーっ、コンちゃんやってるやってる♪」
カタログを捲りながら、活き活きとした荒澤少年の叫び声を聞いてニコニコしていたそうな。
何が起きているのか知ってか知らずか。

■■■
8時限目:女の子同士のやり取りって実はたまに黒くて耳塞ぎたくなるよねって・・・
「露川ちゃん」
「ん?なぁに?」
あたしは、いつものように前に立っている良き友達に声を掛けた。
「うちの部活って、殆どお兄ちゃんが仕切ってるよね」
「顧問がダメだからでしょ」
あたしが問うと、露川ちゃんはさらっと応じた。ま、そりゃそうだ。
うちの部の担当は、負沢犬陽子。ちなみに男。ちなみに小太り。ちなみに中年。ちなみにちょっとハゲ。
ちなむ事も無く、この学校の生徒は誰もが知ってるけど、明らかに弱気な音楽の教師をしている。
何にも使えないので、定期的に脅して、この部活の費用だけ巻き上げてる。奴は、教えるにも教えられないし。寧ろ自分達でやった方が楽なくらいに、教える事が下手糞。
「ダメ顧問のお陰で部費も余裕あるけど、お兄ちゃん大変なの。資金のやり繰りは無いにしても、会場のセッティング、位置合わせ、スケジュールの設定、交渉、部室の管理、みんなお兄ちゃんの責任」
「真言部長、色んな人に怒られてたよね」
怒られる度にやり返してたけどね。やられ続けるお兄ちゃんじゃないよ。
「それでもお兄ちゃんは一生懸命、吹奏楽部をやり繰りしてきたの。でも」
「夏で引退なんだよね」
「そ」
そう。夏で引退。
ポンポンとテンポ良く進んでいく女の子ならではの会話。
あたしは息休めに一回軽い深呼吸をして…矛盾してるけど、とにかく息を落ち着けて、話し直した。
「お兄ちゃんは、吹奏楽部を解散させようって言ってる。自分がいなくなったら、多分あのダメ顧問が校長に言いつけて、希望しようがしまいが廃部になる」
「…うん」
露川ちゃんが少し残念そうに俯いた。
まだ影があるなぁ、とちょっとだけ思ってしまった。
露川ちゃんは昔、周りからのいじめに遭っていた。言葉だけじゃなく。
中学校に入ってからも周りの目を気にして、軽いノイローゼに掛かってしまい、部活どころじゃなかったのだ。
でも、お兄ちゃんが引き込んだ。『音楽なら自分の言いたい事が言える。周りの目なんか気にしないで、自分が良いと思う方向へ走れるよ』って言って。
先生ですら見ようとしなかった、あの酷い露川ちゃんにエレキギターって言う会話の方法を教えて、どん底の暗闇から助けたのだ。
あたしは本人じゃないからどれだけの闇の中だったのか知らないけど、生半可でない事ぐらいは判る。
そんな闇があったから、もう一人にしちゃいけないって事ぐらいも判る。
でも、お兄ちゃんが居なくなれば、吹奏楽部が無くなれば、露川ちゃんはまた落っこちてしまうという事も判る。
そして、幾ら助けたくても、あたしだけの力で引っ張り上げる事は多分出来ないって事も―――
でも、お兄ちゃんの力がある内に、あたしはある事を思いついたのだった。
「でもね!何で一年生を入部させたかわかる?」
「…え?」
「作戦っ!!ここであたしが露川ちゃんに教えると、お兄ちゃんも含めて三人だけのひみつになるんだよ!
あ〜、でもダメ。一部分露川ちゃんには教えないでおこうかな」
「え〜?何でぇー!」
膨れて見せる露川ちゃんに、きししと笑いながら、あたしは指を口の前に一本立てて見せた。
「ダメなの。とにかく、これから話すことは誰にも言っちゃダメ。約束」
「わかった。約束」
そう言って、指切りをする。
はにかむような露川ちゃんの笑顔を見て、ちょっとだけ安心した。
こうやってあたしは、みんなの事を支えて行かなきゃ。良いサウンドを提供してくれるみんなの為に。
支える人が居なきゃ、上に人はいられない。なら、あたしは下に回ろう。
それだけで、あたしには充分な贅沢。

■■■
9時限目:ごめんなさい音楽の事よくわからなくって・・・
「へーコンちゃん指揮。いいんじゃない?」
「軽いなお前」
軽く言いやがった。顔面に一発ぶち込んでやろうか。二度とモテないぐらい殴りつぶしたる。この女顔。
「コラコラ荒澤君。物騒な事は考えちゃいけないよ」
…一番物騒なのはアンタだよ!畜生、心の中ですら小声なのが情けないぜ自分。

今もまだ、俺達三人は倉庫の中にいた。
部長はいつも通り、意味深な笑みを浮かべてあぐらをかいている。
俺は今までの事をひたすら綾小路に相談しまくってる訳だが、一向に解決の兆しは見えていない。
綾小路はいつも通りの張り倒したくなるへらへら顔で、色んな楽器の載っているカタログを眺めている。
この状況の中で、そんな綾小路を羨ましいとは…言えない。
俺には判んねーものこんな…何?ア…アルトサ…クソフォン?アルトサクソフォン?
何だこの名前。知るか!
かと言って、カタログ眺めるのと部長とロッカー行くの、どっちが良いって言われたら、確実にこっち。
良く判んないカタカナだって、解読してりゃいつか判る日が来るはずだもんな。
あの言い知れぬ恐怖を感じるよりはましだって事に気付いたぞ。多分原因探るの命懸けだし。
話が逸れた。それにしても…何か…漠然としてないか?指揮って。
オーケストラとかを辛うじてTVで見ても、どうも…指揮が一番意味不明。
どいつもこいつも指揮の方なんか見ちゃいないように見えるし、その癖やけにノリノリで怖い。
全く、もっと具体的なアドバイスが欲し「指揮はね、四拍子とか取れなくても良いんだよ」
また読まれてた…!怖い。
はっはっはと笑いながら、部長が続ける。
「本当は取らなきゃいけないけど、元の形を守るのはそんなに重要ではないよ。
まあ…とにかく、曲の流れ、雰囲気、音楽全体の状態、基本の型。この四つの把握さえ出来れば。
あ、ちゃんとメモってる?」
「え!?」
「ハイ、コンちゃん。メモ帳と筆記用具」
「あぁ…サンキュ」
綾小路…お前が女みたいで助かった。
…筆箱のデザインが妙に可愛くても我慢するとも。中のシャーペンに一つ残らずマスコットが付いていようと(しかも悪趣味)我慢するとも。ああ我慢するさ。
またしても半分泣きそうになったけど、ぐっと堪えてメモる。
えーと、曲の流れ、雰囲気、状態、基本の形に気をつける、と。
「ほほー荒澤君。字が巧いね」
「は!?え、そんなでもないっス」
どうでもいいんで気配消したまま近づいてこないでください。
部長は俺がメモれているのを確認すると、少し後に下がって後を続けた。
「また、楽器を担当する時程正確に記憶する必要は無いが、指揮者には指揮者用の楽譜があってね。楽譜を読む必要がある。
更に付け加えると、楽譜の中にある強弱記号がかなり重要になってくるよ」
「強弱記号?」
「音符の下にある、アルファベットみたいなやつ。あれは曲の雰囲気とか強弱とかを現すんだよ」
綾小路がこちらには目もくれず、カタログを眺めながら説明して下さった。そんなに基礎なのか。
へえへえどうせ俺は凡人ですよ〜っとぶんむくれながら、ガリガリとメモを取る。
えっと、『楽譜は強弱記号に注意して読む。全部の楽器の音が書いてある楽譜を読めるように』と。
「基本中の基本として、p(ピアノ)、mp(メゾピアノ)、mf(メゾフォルテ)、f(フォルテ)の4つを覚えて欲しい。
pが弱くて、fが強い。その間の二つは、自分で意味を考えてご覧」
部長はつらつらと続ける。俺は言われたとおりに4種類メモすると、少し考えてから思いついた。少し弱いと少し強い、か。
自分で判ると何気なく嬉しい。嬉々としてメモを加えた。
「いいかな?次に行くよ」
「はい」
「良い返事だね。強弱記号は、fの数が多いほど大きい音を表現する。pも同じ。だから、指揮者はそれを体で表現するんだよ」
『強弱は体の表現で伝える』。だから動きが狂ってた訳か。
「その他に、速さを表す言葉もある。一般的な物に、モデラートやアレグロ、ラルゴなんかがあるかな?
これはとにかく意味と一緒に綴りを覚えるしかない。あとで用語辞典を貸すから調べてきてね」
「…はい」
メモ。『速さの言葉を辞典で引く。モデラート、アレグロ、ラルゴ』。

あまりに退屈な話が続くので、ここで一旦中断。
そんなこんなで、この後はずっと勉強の時間になってしまった。
滅茶苦茶楽しいという訳ではないけれども、確実に負沢の授業よりは楽しい時間だった。
綾小路がこっちをチラチラ見ながらにやにやしているのがとても気になったけど。
音楽って、楽しいかも知れない。久しぶりに、錆び付いた何かが、動き出した。

■■■
10時限目:自分の意思って・・・
「今日はみんなに、重要な話がある」
「何ですかぁ―?」
体育館のあちこちから、何処か気の抜けた返事と、相変わらず鳴り響く呻き声が聞こえた。
おほん、と部長は咳払いすると、ゆっくりと話し始めた。
「実はだね。負け沢君が、うちの部活の顧問をやめてしまった。あの部活動には、私と同じくらいの知識を持った人間がいるから間に合っているとの事だ」
…先生の事も君付けかよ、というツッコミは諦めてみた。
これを言い終えると、さーっと部長の冷たい視線が綾小路に当てられる。
しかしながら綾小路はにっこりと微笑んで、うんうんと頷いている。強いんだか馬鹿なんだか。

つい先週の事。
授業を殆ど放棄してしまった負け沢に、綾小路が壮絶な勢いでキレた挙句、数々の暴言を吐いて教室から追い出してしまったのだ。
これは我が凡平中学校の伝説となるであろう出来事なので、この部活のメンバーでも流石に元凶の存在は知っているのだ。

「という訳で、今度の体育祭の楽譜は買えなくなってしまった。新しい音楽の顧問が生徒と言う事なので、そこから部費を巻き上げるわけにもいかなくてね」
「…え――――――!!」
俺一人が立ち上がって叫んでしまった。
綾小路も驚いたように目を見開いている。
「落ち着いてくれ、荒澤君」
ぐいっと何かに上着の裾を引っ張られ、無理矢理体育館の床に座らされる。怖いよ…。
「えーとだね、買えないから、曲が無くなってしまった。みんなで作曲をしよう」
「え――――――!!」
また、俺一人が立ち上がって叫んでしまった。
「落ち着いてくれ、荒澤君」
同じ台詞だが、今度は何かに体を浮かされた後、どすんと床に乱暴に落下させられた。
何事も無かったかのように(ちょっと苛立った口調だが)、部長は続ける。
「体育祭は、我が凡平中学校では来週の月曜日。今は金曜日。土日をフルに活用しても、残り二日。しかも、さっさと作曲を終えないと、その曲の練習が出来なくなる上、発表する曲は体育祭の一日前に報告をする。
もちろんだが、今日は居残りで頑張ってもらおうか」
「え――――――!!」
それは全員がハモったのだが、今度は体育館全体がぐわんぐわんと揺れてしまったので、同時に全員が口を塞いだ。

「落ち着いた曲と元気な曲と、二曲使いたいなぁ」
「そんな余裕無いから、曲の途中で曲想を変化させるとか」
「速さとかはどうしますか」
「それだけじゃなくて、うちの部活は特殊な楽器が多いからな・・・ソロも入れたいし」
「部長…俺、ちょっと家に連絡してきます」
全員で真っ白な紙を囲み、熱心に意見交換をしている内、本来の部活動終了時刻になってしまった。
おそるおそる尋ねてみると、部長は少し考えてから、いいよと言って俺を送り出した。

「…もしもし、お母さん」
『もしもしじゃないよ!こんな時間まで何やってるんだい』
「あー…部活。急に延長になってさ。帰りは判んないんだけど、連絡したら迎えに来てくれる」

『…あんた、そんなに何かに打ち込んだのは初めてだね』
「…は?」
公衆電話で家に電話を掛け、受話器を置こうとした途端聴こえて来た予想外の言葉に呆然とする。
『金三朗、あんたは小さい頃から自分の意思が無かっただろう。サッカーを始めたのも、昇君に誘われたから。なのに、お前は脚を怪我して・・・。
そんなはいからな見た目にしたのも、たまたま病室で一緒だった子の真似事だろ?
自分の意思で行動したことを思い出してご覧』
「…」
確かに、・・・無かった。
『ところが、今回の部活はどうだい。綾小路君に誘われたんだって?そん時は呆れたけど、あんた、実際にその部活が好きじゃなければ、もうズル言って帰ってこようとしただろ』
「…」
『とにかくね、母さんはそれが嬉しいんさね。応援してやるよ。あんまり暗くな』

ブツッ。
テレホンカードが、ピーピーと言う電子音を鳴らしながら吐き出されてくる。
明らかに、度数切れだ。

「…何やってんだよあのババア。公衆電話で長話はするなって昔から自分が言って…」
透明な箱の外側に、バツン、バツンという音を上げながら、大粒の雨が降り始めた。
やがてその音のテンポは上がり、あっという間に地面が隙間無く湿る。

情けないな。
公衆電話の下に蹲り、泣いてしまった。
悲しさとか怒りとか悔しさとか、そんな物じゃない。
この感情は…多分初めての、嬉し泣きだ―――。

雨は止まなかった。音は止まなかった。涙は止まなかった。


■■■
11時限目:諸君頑張ってるねーって・・・
「すいませーん遅れましたァ」
「お疲れー。雨降ってたでしょ」
露川先輩が心配そうな顔をして、タオルを片手に俺のほうへ近寄ってきた。
電話ボックスの中で待機したにもかかわらず、物凄い雨に打たれて全身びしょ濡れになってしまった姿を、見るに耐えなかったのかもしれない。
とはいえ、頭にタオルを被せられて、少し嬉しいときめきを覚えていると…
少し左右に長いタオルが顎の下へ向かった。
そして、きゅっと結ばれる。

…真知子巻き…。
「これで肩とかにも髪の毛の水が落ちてこないから。譜面に水を落とさないようにしてね」
そう言うと、露川先輩は更にタオルを俺の前髪まで目一杯引っ張り、ぽんぽんと叩いた。
う、嬉しいような…嬉しくないような…嬉しいよなこれは。
「荒澤君、今大体の譜面は出来上がったんだ。後は指揮者の君の意見を取り入れて、その後に私と真田で楽譜をまとめたいと思っていたところだよ」
はい、と見せられ、俺は頭に巻かれたタオルで両手をがしがしと拭いてからそれを受け取った。
…のは良かったのだが、このお玉じゃくしが全く判らない。
辛うじて音は判っても、リズムが判らない。
一つ一つの音がわかったところで、重なっているお玉じゃくしが全く判らない。
陰湿な嫌がらせにも取れるが・・・まあ気にしない気にしない。

「・・・いいんじゃ「よーっし!じゃあ練習開始だね!」
俺が台詞を全部言い終わる前に、美音さんが声高らかに叫ぶと―――
「コラァお前ら!もう部活動の延長時刻をとっくに過ぎているぞ!早く帰れ!」
体育館の二階に設置されているギャラリーに、体育担当の権田太郎先生が現れた。
ゴツくて背が高い見た目に、鬼気迫るちょっと気の毒な造りの顔立ちはかなり迫力があり、俺は渡された譜面を思わず顔の前にささっと移動させて顔を隠してしまった。
が、そんな事で怯む吹奏楽部(部長)ではない。
「・・・りんびょうとーしゃーかいじんれつざいぜん」
「何をやっている真…うわっ!?」
部長が何かぶつぶつと呟くと、権田先生の立っているギャラリーが透明な枠に囲まれ、何と波打ち始めたではないか。
ここまではあまりに非現実的だが、現実では・・・まあ、あんな素材のものが波打ったら当然…割れる。
ビキビキビキッという破滅の音とともに、何と二階ギャラリーが崩れて消滅してしまった!
…ごめん母さん。俺、もう逃げようかな。

「ぎゃああああああ!!」
低くて凄みのある叫び声が体育館中に響き渡ったが、その後から床に落下する瓦礫の音が、更に大きな音でそれを覆い隠してしまった。
瓦礫の中からはみ出している権田先生の無惨な姿に、声も出ない。
ホントに気の毒な顔が引き攣っている。・・・し、死んではいなそうだ。
「よし、じゃあみんな。これから曲の練習に入るよ」
「はい!」
爽やかな返事。
思わず状況に対応しきれないでいると・・・
「荒澤君?」
「あ…はい」
悪魔だ。悪魔だこいつら。

ってな感じで練習が始まった。
とても吹奏楽部とは思えないタイプの騒音が体育館中を荒らし回り、ある意味毎日聞き分ける騒音よりも酷いものを感じさせた。
とはいえ、部員一人一人が一生懸命やっている。

露川先輩だけは音の都合で、体育館隅の倉庫内で地味に練習をしていたようだが、その他の人たちは俺の目に届く範囲内にいる。何せ体育館だから、俺のいる指揮者ポジションからの見晴らしは最高だ。
副部長(真田さん)と赤塚さんは最初に体育館を10周していたけど、結局真面目に練習を始めていたし。
美音さんはヘッドホンを付けて、サウンドを何か大きな機械で作っている。
綾小路は結局何故かピアノ担当になり、一生懸命演奏をしつつ、俺にアドバイスをしにちょくちょく寄って来た。
綾瀬も角っこで小さく練習をしている。
部長は何処かへ消えてしまったけれど。

―――この光景、見ていて楽しくなってきた。
ああ、俺も今この場に存在する意義があるんだなと思えて、やる気が増してくるんだと思う。
訳の判らないお玉じゃくしのリズムも必死に覚え、何拍子かを一応考えて、基本の形を聞きに行ってみたりした。
それで一つずつ、ゆっくり上達していく満足感。


翌日の土曜日。
当たり前だが、殆ど全ての部活動が練習している。
そしてもちろん、吹奏楽部も。

「よし、じゃあみんな休憩にしよう。15分間、外の空気でも吸ってきなさい」
部長が、良く通る大きな声で全員に伝える。
「コーンちゃーん!」
「何?」
「色んな部活が一生懸命練習してるからさ!面白そうだし見てきてみようよ」
「あー・・・」
疲れきってぼんやりしていたので、またしても綾小路に引き摺られてしまった。

廊下を歩いている途中にも、充分色々な部活を覗く事が出来た。
美術部は全員で大きな絵を描いている。なんかスゴイ。
理科の研究部は、大きなスクリーンに顕微鏡の写真を映し出してみたりして、思っていたよりもそこそこ頑張っていた。
書道部からは物凄い墨汁の匂い。中から出てくる人が全身墨塗れだ。な、何事。
合唱部が使用している音楽室から、澄み切った歌声が漏れてくる。
へー。みんな頑張ってるな。

「校庭だ―――!」
「何でお前そんなに喜んでんの?」
「だってだってだって」
「だってが多い」
「ホラ、あの赤塚・・・昇君だっけ?が練習してるでしょ。コンちゃんのナイスライバルが」
昇。
あぁ、すっかり忘れてた。
「そうだなー」
「あれ?敵対意識とか無いの?」
「…」
敵対意識は、よくよく考えるとあまり持っていなかった。
ただ、昔からの親友の昇が、まさかあの場であんな考え方をした事に、幻滅しただけだ。
それで、その幻滅を埋めようとして・・・失敗して、結局そんな感じになっていただけ。
そうか。

「敵対意識とかは無いけど・・・思い知らせてやりたいんだよ」
「敵対意識充分じゃん、その考え方」
「だから違うって」
綾小路は何も答えなかった。
俺の目は、ただ校庭のグラウンド上で懸命に練習をする昇にだけ向けられていたから。
あいつも、一生懸命だ。

だからこそ、絶対に、勝つ。


■■■
12時限目:合奏、一回もしてなかったんだって…
「部長」
「ん?」
「練習してくださいよ」
俺は、大会の前日の日曜日になっても、未だに何の行動も起こさない部長にやっとそう言えた。
怖くて怖くて足元がぶるぶる震えていたが、部長はにこっと微笑んで答える。
「違うよ。私は楽器の練習はしなくていいんだ」
「え?」
「今回の体育祭で、美音が面白い事を考えていてね。
 どうもあの子は、私が引退した後、どうしても吹奏楽部を続けたいみたいなんだよ」
「え?!部長がいなくなったら潰れる訳だったんスかこの部!」
動揺していたら落ち着けと言われ、辛うじて抑えたが、それでもやっぱり不安だ。
・・・もっと聞きたいけど、ちょっと部長が不機嫌そうな顔なので話題を変えよう。
「それと部長が練習しない事に何の関係があるんスか?」
「さあ」
自分で考えてご覧、と言った後にまた微笑んで、お経(多分)を再び読み始めた。
「コンちゃん、ここの速さの確認したいんだけど」
「え?あぁ」
いきなり背後から声を掛けられたので、俺は少し疑問を抱きながら部長に背を向け、再び練習へと戻った。
「ありがとう、綾小路君」
お経を一旦やめると、小さな声で、部長は呟いた。

「えーと…」
「ファイト、コンちゃん!指揮棒上げて、みんなの準備が出来たら一回余分に振って、そこから四拍子だよ!」
俺が考えていた事をまるで見透かしたかのように、綾小路が的確なアドバイスを送ってくる。
部長ほどまでいかないが、こいつも結構その手のタイプらしい。
まあ、そんな事はどうでもいいんだ。
今、吹奏楽部は初の合奏をしようとしている。
普通なら楽器のバランスも考えて音の配置をする(らしい)のに、バラバラのジャンルの楽器を組み合わせてやる合奏。そんでもって指揮は俺だ。正直、恐ろしい。
作曲も素人がやったし…なんて考えていたら、またしても始め方を忘れてしまった。
「荒澤。そんなにもたもたやってたら体育祭に間に合わないぞ」
聴きなれているような、聴きなれていないような声。

副部長の声だ。
珍しくトロンボーンを構え、楽譜の前に座っている。
そうだ。そう言えば副部長は、今年三年生なんだ。
この弱小吹奏楽部は、体育祭を逃すと日の目を見ることが出来ない。
そして、副部長にとっては、それで最後の晴れ舞台だ。
他のメンバーも…みんな、同じ事を言いたそうな目をしていた。

よし。
そうだ、俺は部長に見込まれた(何故だか知らないけど)男だ。
この吹奏楽部の連中の音楽を引っ張っていくために任命されたんだ。
その俺が、こんなへにゃへにゃしていてどうする!
やっぱり怖かったが、ぐっと口の中を噛み締めて指揮棒を上げる。
あっという間に全ての楽器がセッティングされた。
一回素早く息を吸い、斜めに振った。
さぁ、落ち着け。みんなが、俺を頼りにしている。俺がしっかりしなければ―――!

「お疲れぇ―――!!」
曲が終わった瞬間、美音さんが高らかに叫んだ。
「終わったぁー!!」
この時ばかりは、変わり者だらけの吹奏楽部も普通に部活をエンジョイしている雰囲気だ。
嬉しいには嬉しいが、やっぱり人がわいわいしている場所にはいたくない。
体育館の外の階段に座っていると…
「やったね、コンちゃん。サマになってたよ」
「あぁ…サンキュ」
うっかり言ってしまった、最近はやや死語っぽい『サンキュ』を自然に発した事を後悔しながら、俺も笑った。
口の中を噛み締めすぎて、口内炎が3つできている。

「でもさ、俺がうまくやったんじゃなくて、周りが、俺を手助けしてくれたんだと思う」
「へえ、そうかい」
「昇!」
あまりにも突然現れたので、思わずアホみたいに口をぽっかり開けてしまった。
口の中に広がっていた鉄っぽい味が、じんわりと緩和されていく。
ああ…あんな臭い台詞を言った後だからかなり恥ずかしいぞ俺!!
そんな感じでアホ全開の俺に対し、よう、と笑いながら挨拶してくる昇は、前よりもすっかりがっちりして、一回りも二回りも年上に見えた。
「昇君、背ぇ伸びたねー」
「まあな。あれだけ毎日トレーニングしてりゃ誰でもこんぐらいはなるって」
ニコニコ笑顔の綾小路に向かって、少しだけ嫌味を含んだ言い方で昇が答える。
「サブ、何かあったか」
「え?」
「久しぶりに良い顔してるぞ」

にやり、と笑って応えた。
「ま、体育祭が楽しみだなって話」
そう応じると、昇はけらけらと笑い、じゃあな、とその場を立ち去った。
少しだけ対抗できたような気がして、嬉しかった。


■■■
13時限目:いざ、出陣!!って…?
凡平中学校の体育祭は、学年・クラス別ではなく、主に部活別だ。
だから、人数の多い部活ほど有利な状況に置かれる。
わらわらと校庭の中が分離し、絶え間の無いざわめきが広がった。
どーせ吹奏楽はメシの時間にやるんだろーな、と思い、よたよたと歩いていると…
「コンちゃん!探したよ!?」
なんと、柄にも無く大慌ての綾小路が駆け寄ってきたではないか。
まさか。
はは、まさかなぁ…
「そのまさかだよ!」
綾小路はそう言うと、俺の制服の襟を力強く引っつかんでずるずると引っ張っていった。

青い空。
白い雲。
赤い旗。
青い俺。
体育祭の開始。

「コンちゃん落ち着いて。やればできるって」
隣で綾小路が俺の肩をぽんぽんと叩く。
いや、俺が青いのはお前の所為もあるんだけど、と言いたい所を堪え、もうひとつの本音を漏らした。
「心の準備が出来てない…」
「大丈夫だってば」
「トップバッターだなんて聞いてねえよ…」
「すぐにコンちゃんがプログラム捨てちゃうのが悪いんでしょ」
ぎくっとした。確かにあの配られたプログラムは、ろくに目も通さずに捨ててた。
「じゃあ事前から俺に…」
「あ、ほら。もう始まるよ」

『それでは、まず最初に凡平中学校の誇る吹奏楽部の演奏をお聴き頂きます。どうぞ』
疎らな拍手。多分、前評判は極端に悪いのだろう。
綾小路に背中を引っぱたかれ、美音さんに蹴り飛ばされ、副部長に鳩尾を殴られ、inエレキギターバージョンの露川先輩に後頭部を思い切り殴られた挙句、やっと俺は先頭に立った。
あまりにも此処までの展開が速すぎやしないかと、またグチりたくなる気持ちが押し寄せてくる。

でもそれじゃあ、中学に入学したばっかの時と何も成長してない事になるんじゃねーの?
俺はふと、そう考えた。



よし、やるんだ。これ以上中途半端になりたくない。
俺は後ろを一回だけ振り向いて、朝礼台の方へ足を進めた。

凡平中学校は、本当に平凡な中学校だ。
共働きであろうと、子供の体育祭に参加しない奴はまずいない。
トップバッターの時点で、多分親の8割は集まっているだろう。
寧ろ、自分の子供の出番を見てから帰ろうという奴もいるので、一番楽なのはやはりメシの時間帯なのだ。

一斉に視線が突き刺さる。
そりゃあそうだ、ここまで異様な楽器を揃えた吹奏楽部は他に有り得まい。
笑うなら笑えよ。
俺はそう開き直り、さっと指揮棒を上げた、その時だ。

「レーディースエーンジェントルメーン。ようこそ凡平中学校吹奏楽部コンサートへ!」
突然ピアノの位置にいた綾小路が喋りだした。
あまりのことに、俺を始め、観客全員がアホのように口をぽっかりと開けた。
「紳士淑女の皆様、本日のご来場、誠に感謝しております」
続いて美音さん。
どういうことだ、と辺りをきょろきょろと見回す。どうも…音が大きく反響しているような感じがする。
「私達吹奏楽部が力をあわせて作曲した曲です」
露川先輩まで。
「是非聞いてくださいァ!!」
『さいァ』ってなんだよ、と力強く突っ込みたくなる大声で、副部長が声を張り上げた。
なんだよ、俺だけ仲間はずれか?と思ったその時だ。

「それではどうぞ!」
勝手に口が動いた。
思わず自分の口を押さえてしまう。
そうか、他の人も…と思ったが、誰一人そんな素振りは見せていない。
やっぱり俺だけ仲間はずれか!
ぐっと叫びたい気持ちを堪え、再び指揮棒をさっと上げる。
一回余分に振って、
スタートだ。

音が、いつも以上に綺麗に、大きく聴こえるのは多分部長の力なのだろう。
面白い事というから、どれだけ恐ろしいことを目論んでいるのかと思ったら、案外普通な事じゃないか。
俺は内心ほっとしていた。







予想以上にいい演奏だったのだろう、観客がわあっと一斉に湧いた。
拍手に囲まれて、少し歯がゆかったが、まぁ、悪くは無いかな。


―――午後。
「吹奏楽部―」
部長の声がしたほうを向くと、まぁ例によってそちらに吸い寄せられていった。
「午後に何の競技があるか知っているか」
部長が真剣な面持ちで尋ねる。綾小路が笑顔で応じた。
「部活対抗リレーですね」
「正解。―――我が吹奏楽部は、さっきの演奏で教員達にも認められた。
そして今小耳に挟んだんだが―――リレーで優勝したら関東大会に臨めるそうだ」
全員がぴくっと反応し、一瞬にして顔を輝かせた。
「関東!?ほんとに?」
「ただしリレーに優勝したらだよ」
美音さんがはしゃぐのを、部長がすっと制止させる。
俺は微妙な気分だったが、少なくとも俺以外の全員の思いは団結しているようだった。
“絶対優勝する!”と。

『部活対抗リレー』
アナウンスが流れるのを背景に、俺たちは順番を決めた。

1美音さん
2赤塚満
3露川先輩
4綾小路
5綾瀬
6部長
7副部長
8俺

「ちょっと待ってくださいよ!俺アンカースか!?」
「絶対追い抜かされんなよ。俺と真言で一気に追い上げんだからな」
副部長がこっちにプレッシャーを掛けてくる。
神様。俺、もうダメかもしんねーよ。

『1番ランナーは位置についてください』
美音さんがにこにこと手を振りながら、スタートラインまで駆けて行く。
全ての部活動のランナーが勢ぞろいした。
『位置について、用意…』
パン、という軽い音と共に、火蓋が切って落とされた。


13時限目:リレー
美音さんはなかなか足が速く、一番外側の列なのにも関わらずすいすいとランナーを追い越していく。
遂にサッカー部のランナーと並んだが、一歩及ばぬ所でバトン交代になった。
2番目の走者は赤塚とかいう人だ。日頃から鍛えているからだろう、美音さんもかなり足が速いのに、彼はもっと足が速い。
あっという間に吹奏楽部は首位に躍り出た。
『一番はなんと吹奏楽部!運動部に逆転のチャンスはあるのか!?』
もはやヘトヘトになってしまっている他の文化部はすっきりと無視したアナウンスが校庭に響いた所でバトンタッチ。3番走者は露川先輩だ。
多分そこそこに足は速いのだろうが、今までの二人に比べるとあまり速いとは言いがたいスピードだった。
先ほどまでかなり引き離していたサッカー部、野球部、バスケ部と揉みあいながらバトンタッチという結果になってしまった。
やっとの思いで露川先輩が綾小路にバトンを回す。
あいつ、ちゃっかりいい位置とってんなぁ、と妬んでいたが、ここに綾小路を持ってきたのは悔しいけど正解だったようで、再びサッカー部との争いに持ち込むことが出来た。
5番走者は綾瀬。あいつをこの位置に入れるのはいわば賭けだったが、奴は切れ者だった。
猛スピードでトラックを駆け抜け、あっという間にサッカー部を追い越す。大差ではないものの、再び吹奏楽部は首位だ。
次の走者である部長が、バトンを手で受け取らずにすいっと引き寄せたズルに気が付いたのは俺だけだったようでよかった。まぁ、ズルをしたにしても、部長もかなり速かった。
あんなに重たそうな服を着ているくせに、やたらとガチャガチャ音をたてながら駆け抜けていく様はまさに壮観。
そして、部長から副部長へと、素晴らしいタイミングでバトンが渡り、それはそれは猛烈なスピードで副部長がこっちに走ってきた。
心臓がもはや口から半分位飛び出してんじゃねーのかなというぐらい緊張していると、横から聞きなれた声がした。
「お前んちの部活、怖えーな」
昇だ。

『なんと、只今首位争いを繰り広げている吹奏楽部・サッカー部、両者共にアンカーをルーキーに任せています!!』
少し興奮した様子のアナウンスが、耳から入って追い出された。
「荒澤!ぼやぼやするな!」
「はい!」
恐ろしい形相で副部長がバトンをまわして来たからだ。
懸命に走る。
周りの様子が少し気になった。今までがあんなに速かったのに、なんでアンカーがこんな子なのかしら、という声が今にも聴こえてきそうだった。
アナウンスが、サッカー部のアンカーにバトンが廻った事を伝える。

後ろから、自分よりも遥かに速いペースで人の足音が近づいて来ている事がわかる。
足が痛い。激しい運動は控えろと、あのクソ医者に言われていた事をすっかり忘れていた。
すぐ後ろまで来ているんじゃないかと、何度も振り返りたくなった。
わあっという歓声が、前から後ろへ猛スピードで流れていくのを感じる。
『なんと吹奏楽部、此処にきてサッカー部に抜かれました!』
信じられないアナウンスが流れる。
慌てて正面を見ると、かなりのペースで昇が俺を抜き去っていくのがわかった。
ゴールテープが見える。
あのゴールテープを切ればいいんだ。あともう少しなんだ。もう少しで追いつけるんだ―――

昇がテープに近づいていくのを見たとき、俺は決心した。

『なんと吹奏楽部のランナー、飛んだァ―――!!』
パン、という軽い音が頭上で鳴るのを感じながら、俺はゴールテープに飛び込んだ状態でぱたりと意識を失った。
勝った。勝ったんだ。その満足感で、足の痛みさえも喜びに感じられていた。


■■■
14時限目:エピローグ
あの後、吹奏楽部は無事関東行きが決定した。
気絶したのもそれ程致命傷では無かったらしく、病院までは行かず、保健室で用が済んだ。
昇はあれ以来再び俺と話すようになり、文化部をけなす事も無くなった。

今日は一学期末の終業式だ。
かなりかったるいが、机の中の引き出しを持ち帰らなければいけない。
適当に取り出しとけ、とがさつに出すと、中からバラバラとプリントが零れ落ちてきた。
その中に一冊の小冊子。
『凡平中学校部活動の薦め』
俺も持ってたのか、と思いながらページを適当にめくると、吹奏楽部の欄が見えた。
『熱血・やる気・根性大歓迎!』
多少汚いが、力のこもった男の字だ。思わず苦笑した。
全く、その通りだ。


北校舎の突き当たりの壁には、『交通安全』のほかにもう一枚、『体育祭・吹奏楽部優勝』というスローガンが貼られた。
これで前より位置はわかりやすくなっただろう。
俺は壁の前に立ち、赤い線の向こうに踏み込んだ。





第一部・おわり。
2004/12/30(Thu)15:25:28 公開 /
■この作品の著作権は棗さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
大変ごぶさたしてました、棗です。近頃忙しくて、全く投稿できませんでした…;
近々、第二部に突入しようと目論んでいます。
本当にありがとうございました。
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