- 『死のうとした男、生きると決めた女 その一〜その三』 作者:九邪 / 未分類 未分類
-
全角6754文字
容量13508 bytes
原稿用紙約22.85枚
大切な人を失ったとき、愛しい人が死んだとき。
人は一体どうするだろうか。
@その大切な人への思いを胸に秘め、新たな道を歩み出す。
Aその大切な人への思いを胸に秘め、一生心を閉ざし生きる。
Bその大切な人への思いを胸に秘め、自らもその人のいる場所へと向かう。
C全てを忘れる。
これはBを選んだ男の物語。
あなただったらどうします?
「死のうとした男」
2月某日、曇り 気温5度。雪もちらほら降っている。
死ぬにはちょうどいい天気だ。
人気のない通りを黒い服を着て、一人の男性が歩いていく。その黒い服はまるで喪服のようだった。
彼の名は鵺野清弘(ぬえの きよひろ)。しかし、その名前を覚えていても意味がない。彼は今まさに死のうとしている。
「浪江……今俺も行くよ…」
清弘は恋人を失った。結婚を約束していた。自分は何も出来なかった。自分のせいで死んだ。自惚れでも自己嫌悪でもない、本当に自分のせいで死んだのだ、と清弘はそう思う。この世にいる理由はもうない。彼女に会いに俺も逝く。それしか考えてなかった。
来たのは長良橋。下に流れるは長良川。今は、冬。水温は4度ほど。飛び込んでから浮かんでこないように、腰と両足にダンベルをくくりつけてある。
清弘は川を覗き込み、しばし考える。
死ぬのは怖くなどない、怖いことは一つ。死んで、あの世に行っても浪江に会えないということ。 それだったら、死ぬだけで損だ。
「……いや。浪江に会えずとも、俺はもう疲れた。もう、眠りたいんだ……」
誰に言ったのかは判らない。もしかすると、そこに亡き恋人が見えたのかもしれない。
清弘は決心し、迷わず飛び込んだ。水に体がぶち当たる衝撃。水の冷たさ。肌を刺すような感覚、体の感覚がなくなっていく。彼はゆっくりと目を閉じた。
きっと天国に来たのだろう、そうでなければ地獄。でなければ体の感覚などあるはずがない。清弘は目を覚ました。どれくらい寝ていたのだろう? 上半身を起こし、辺りを見る。気がつけば、横には女性が一人いた。その女性の顔を見たとき、清弘には驚きと喜びの二つの感情が芽生えた。体が震えて、思うように声がでない。しかし、震える声で清弘はその名を呼んだ。
「…な…み…え…? 浪江なのか?」
そこにいた女性はまさに泣き清弘の恋人。山上浪江その人だった。また浪江に会えた。清弘は心のそこから喜んだ。しかし、彼女は意外な言葉を発した。
「え? 何で私の名前を知っているの?」
どういうことだ? 彼は考えた。からかっているのだろうか? どんな理由で? 清弘は寒くなったので腕をさすった。腕は濡れていた。服も全部びしょ濡れだ。よくよく辺りを見ると、そこはさっき飛び込んだ川の橋の下だった。
どういうことだ?
「何で、あなたが私の名前を知っているの?」
清弘は悟った。この女は浪江ではない、と。
「……いや。知人に似ていただけだ…」
「フ〜ン」
彼女は清弘の事をじろじろと見回した。腰と両足にダンベル。こんな冬に川で溺れていた。服はまるで喪服。彼女は「ハァ」と溜息をつく。
「まさか、あなた自殺しようとしたの?」
「……」
清弘は答えない。ただ、彼女の顔を見ていた。今は亡き浪江と瓜二つだ。
「あのねぇ、どんな理由があろうと親からもらった命を粗末にするなんてよくないわよ?」
口調や何から何までソックリだ。生まれ変わりか? 否、それはありえない。彼女と浪江は同じくらいの歳だ。それなのに生まれ変わりということはありえない。
「他人の空似か……」
「えっ? 何か言った?」
清弘は彼女の質問を無視して続ける。
「あんたはいい事をしたんだと思ったんだろうが、余計な事をしてくれたな。ええと……」
「名前? 海原奈美恵(うなばら なみえ)よ。奈美恵でいいわよ」
「海原さん。あんた、何でここに居たんだ? 人がいない場所を選んだんだがな……」
清弘は無視して名字で呼んだ。海原奈美恵はむっとした顔だ。“なみえ”と口から出すと、どうしても死んだ浪江を思い出してしまう。相手がソックリな人だったらなおさらだ。清弘はそれがいやだった。
「私は会社に行く途中だったのよ。少し遅れたから近道にここを通ったのよ。そしたら、いつも人一人もいない橋の上に人がいたから、何をするかと見ていたら案の定、飛び込んだのよ。だから助けに来たわけ。あのときは落ちたのかと思ったけどね」
海原奈美恵は清弘と目をあわさず、そっぽを向いたまま喋る。
「落ちたんじゃなくて……」
「飛び込んだんでしょ?」
「あぁ、そうだ。……もう、俺に構わないでくれ」
清弘は振り返り、歩き出す。海原奈美恵は「なによ、嫌な奴!」と悪態をついていた。清弘は振り替えらず歩きながら言う。
「……会社に遅れさせて悪かったな」
「別にいいわよ」
清弘は少しだけ笑みを浮かべて、また歩き出した。水に濡れたまるで喪服のような黒い服を引きずりながら。
「……そんなに嫌な奴じゃないのかもね」
海原奈美恵はしばらく清弘の後姿を見ていた。
「おっと、会社に遅れちゃうわ」
海原奈美恵は車に乗り込み、誰もいない道路で車を飛ばして会社に向かった。
これはBを選んだ男の物語。二人の道は今は違えど、いつか交わるのかもしれない。
「偶然か、必然か」
「結局、死ねなかったな……」
会社の自分の席で書類を書きながら、窓から空を眺めるは清弘。
鵺野清弘は冷凍食品などを作る機械を作る会社に勤めている。
物騒なことを言いながらもまじめに仕事に取り組む。自殺しようと思っていたのに、よく辞表を出さなかったもんだ。それとも元から、死ぬつもりなんかなかったのか? そう考えると自分が情けなくなる。
「チッ……。あの女の所為だ」
「こら! 鵺野。ブツブツ言っとらんで、さっさと済ませんかい」
「……」
課長に怒鳴られ、清弘は書きかけの書類にまた取り掛かる。
「あいつも気の毒にな……」
清弘から離れたところで課長は係長にぼやく。
「え? どうしてですか?」
「あいつは、婚約していた恋人が死んだんだよ」
係長はひどく驚く。
「えぇ!? 本当ですか?」
「あぁ、本当だ。」
「……“事故”ですか? それとも……」
「あまり、人の私情に首を突っ込むのはよくないよ」
課長にたしなめられ、係長は黙る。
「あいつも、やはり寂しいんだろう。この所、全然元気がない……」
「なら、もっと優しく接してあげればいいじゃないですか。さっきも、怒鳴ってたし……」
課長は係長をキッと睨む。
「そんな甘やかしてどうする! 一日も早く社会に完全復帰させるために、いつも以上に厳しくしていかなきゃだめだろう!!」
「……仰るとおりで」
やがて、係長は愚痴にも似た事を課長に言う。
「人の上に立つのも大変ですね」
「うむ、私は何人に恨まれているのだろうな」
「そんな、今会社で立派に仕事をしているのは皆、課長の部下だった人たちですよ」
「おばさ〜ん、これここでいいのね?」
「あぁ、奈美恵ちゃん。そこに置いといてくれ」
「よっこらっしょと」
重たい荷物を床に降ろす。その衝撃で埃があたりに巻き起こる。奈美恵はキレイにそれを吸い込んでしまった。
「ケホッ、ケホッ」
「あらら、大丈夫かい奈美恵ちゃん?」
「大丈夫ですよ。ケホッ」
しばらくすると、当然咳は止まった。海原奈美恵は食品会社に勤めている。食べるのが好きで、子供の時から好きなだけ食べていた。けど、なぜか太らない。いつまでも、旧の体型のままだ。それが、彼女の友達にとっては凄く羨ましかった。
「このダンボールは〜?」
「それは、奥の倉庫にお願い」
「はいよ」
「中は果物だからそっと下ろしてね」
「はいよ〜」
奈美恵は奥の倉庫へとダンボールを持っていった。ドンと大きく荷物を降ろす音が聞こえ、おばさんたちは「やっぱり」っと首を振る。
「あの子も明るくなったもんだよ。あんな事があったのに……」
「へ? どういうことですか? おばさん」
「あんたにおばさんて言われたくないよ!」
ダンボールを運んでいる、バイトの青年はチェッと舌を鳴らす。なんで、俺だけ……と
「では、山本佳代絵(かよえ)さん。さっきのはどういう意味ですか?」
「あんまり、人の私情を話すわけにはいきません」
「なんでいそれ。人が下手に出てやってんのにさ……アデッ!!」
バイトの青年がボソリと言ったことをちゃんと聞いていたおばさんは一発殴る。
「頑張ってね。奈美恵ちゃん…・…!」
「『取引』?」
仕事をしていたら、課長に声をかけられた。聞き違いじゃなければ確かに取引といった。
「そうだ。相手は△×社と言う食品会社だ。今日の午後からこの部屋で、だ」
「へぇ。で、それがどうしたんです?俺には何の関係も……」
「君にも、取引に参加してもらいたい」
「……は?」
清弘は驚いた。平社員である自分がまさか他社との取引に参加できるとは。
実はこれは課長が清弘を元気付けるために仕組んだ事なのだ。他社との新鮮な交流を楽しみ、尚且つ仕事の厳しさを学ぶ。課長は社長その他に必死で頼み込み許してもらった。この課長は結構なやり手なのだ。しかし、このように部下ばかり気にしているため、中々課長以上に出世できずにいる。
「うむ、君は中々頑張っているからな。こういう経験もいいだろう」
「はぁ……」
「では、後1時間後だからな」
1時間はあっという間に過ぎ去った。清弘はしっかりとスーツを着て、会議室に向かう。
内容は、わが社が作った新しい冷凍食品製造機を巡っての取引だそうだ。やるからには高値で取引したい。
カツカツと足音が聞こえる。きっと取引先が来たのだろう。そう清弘が思った瞬間、勢いよくドアが開けられ、取引先の社長が入ってきた。
「こんにちは。今日はどうも。私は△×社の守田です」
「〇〇社の杉森です」
2社長は名刺を交換する。清弘はつまらなさそうにその様子を見ていたが、後から入ってきた人を見て、心底驚いた。もう、会わないと思っていたのに、会いたくなかったのに……。見覚えのある顔。それはそれは何年も前から知っている顔。清弘はあの時と同じで震えながら言った。
「あんたは……。海原…さん?」
向こうも気付いたようだ。
「……また会ったわね」
それは橋の下で会った人。海原奈美恵その人だった。
二人の道は音を立て、何かが変わった。
「もう一度“なみえ”と」
取引の話し合いの場で、清弘は殆んど話しを聞いていなかった。それもそうだ。目の前には死んだ婚約者と瓜二つの女性が座っているのだから。
取引の話し合いの場で、奈美恵は殆んど話しを聞いていなかった。それもそうだ。目の前には先日自殺しようとしていた男が座っているのだ。
二人はお互いの事をチラチラと見ていた。
「―――では、わが社の商品の権利をそちらにお売りしよう。」
パチパチパチ
拍手が巻き起こる。清弘は我に返った。一人だけ拍手をしていなくて、上司に睨まれていたのだ。慌てて他の人同様、拍手する。
「では、これにて終了する。」
「――フゥ」
清弘は缶コーヒーを自販機で買って飲んだ。無糖のブラックだ。それしか飲めない。いや、飲めなくなった。
「なんで、またあの女が……」
「私のこと?」
どこからか、奈美恵が現れた。
「……」
清弘は特に驚きもしなかった。奈美恵は少し残念そうに
「そこは「ウワァ!」って悲鳴を上げるとこでしょ?」
「……何の用だ?」
「ちょっと、あなたと話がしたくてね」
「話? あんたと話す事なんかない……」
清弘はそういて、その場から立ち去ろうとする。いや、早くそこから立ち去りたかった。奈美恵といると、自分はおかしくなりそうで。
「ちょっ、ちょっと待ってよ。……あなた、なんで死のうとしたの?」
「……ここで話せるような簡単な理由で、命をなくそうとはしないさ。」
「それもそうね」と奈美恵は呟く。清弘は今度こそ、とその場を立ち去る。
「じゃあ、明日お茶しましょ? 明日休みでしょ?」
「え?」
これには清弘も驚いた。思わず、足を止め振り返る。目が丸くなっている。
「明日、「風水」っていう喫茶店で。時間は……11時ね!」
「お、おい!」
「じゃあ、また明日」
「ちょっと!……行っちまった……」
清弘は途方にくれた。出来る事ならもう二度と会いたくなかった。清弘は約束を破るのが大嫌いだった。そんな人間になるな、と小さい頃から教えられた。だから、約束をしたくなかった。もう、行くしかない。
「ペースが狂わされてるのか……それとも元のペースに戻っているのか……」
二人の道に橋がかかる。清弘はその橋を渡れるのだろうか。
2月某日(日)AM10時50分、晴れ 気温8度。大分温かくなった。
清弘は待ち合わせの喫茶店「風水」の前にいた。あの日と同じ喪服にも似た黒い服を着て。
「風水か……。そういえば昔来たっけな」
――あ、やっと来た。おい浪江。遅いじゃないか
――ゴメンゴメン。ちょっと、目覚ましが壊れてさ
――また言い訳か……
――本当だって!
――ハハ、判った判った
――もう、本当なのに
「あの頃は俺も笑ってたんだろうか……」
まさか、もう一度“なみえ”と来る事になるとは思っていなかった。
ここも、恐らく彼の来たくなかった場所のひとつだろう。
「やぁ、ゴメンゴメン。遅くなって。目覚ましが壊れてさ」
「……それは嘘だろ?」
「え、なんで判ったの?」
驚く奈美恵を尻目に清弘は店へと入っていく。
とりあえず二人はコーヒーを注文した。別に飲みたいわけでもなかったが、何か注文しないとさすがに失礼と奈美恵が言い出したからだ。
注文したコーヒーをすすりながら奈美恵は切り出す
「……いきなりだけどさ。あんた、あの日なんで死のうとしたの?」
清弘はやや躊躇ってから答えた。
「疲れたんだ……生きることに、な」
「どういう……意味?」
清弘は昨日からもう腹はくくっていた。全部話さなければこの女は引き下がらないと、思っていた。
「……俺には婚約者がいたんだ。結婚予定日は来月の二十日だ。」
「なら、なんで。婚約者がいたんならなんで死のうと……」
奈美恵は言おうとしたことを途中でやめた。
「婚約者が……『いた』?」
清弘はコクリとうなずいた。
「去年の夏……死んだ。」
奈美恵はショックだった。自殺の理由をせいぜい、何か大きなことを失敗した程度にしか思っていなかったからだ。しかし、ここまで着たら引き下がれない。奈美恵は更に言う。
「なんで……?」
清弘は奈美恵をじろっと睨んだ。さすがにこれ以上聞く事はあまりにも失礼と思い、素直に謝る。
「ごめん……」
二人はしばらく黙ったままだった。奈美恵は考えていた。彼は婚約者が死んだため、自殺を図った。彼女に会うために、この世にいることが嫌になったために。
しかし、考えてみるとおかしい。それは『逃げ』じゃないか? 自分だけ都合よくとっていないか? 「彼女が死んだから僕も死ぬ」そんな簡単な理由で親から授かった命を粗末にしていいのか? 残された人のことは考えたのか?
「そんなの、やっぱりおかしい。それは『逃げ』だよ!そんなの答えじゃない!」
清弘はかっとなった。
「お前に……お前に何が判る! 愛する人が目の前で死ぬ瞬間、魂の宿らないただの肉塊になる瞬間を味わった事があるのか! その時の絶望を、その時の悲しみを、お前は知ってるのか!」
柄にもなく、清弘は本気で怒った。自分の生きかたを否定された。いや、『生きかた』ではないかもしれない。けど……けど、なぜだか腹が立った。
「ないだろう? そんな奴に俺の気持ちが……」
清弘の言葉をさえぎり、奈美恵は言う。
「……あるよ」
清弘は驚きもしなかった。ハッタリだと思ったからだ。清弘は乱暴な手つきで荷物をまとめた。
「不愉快だ! 帰る」
清弘は荷物を持って、椅子を立ち上がった。
「じゃあな、もう二度と会うこともないだろうな。」
清弘はカウンターに乱暴に彼女の分も含めたコーヒー代を置き、店を出た。
「ちょっと待って!」
奈美恵が後ろから追ってくる。清弘は無視して歩き、いや走り続けた。
「キャーー!!」
突然後ろから悲鳴が聞こえた。清弘は後ろを振り返った。
二人の道に架かった橋は、壊れていく。
続く→
続く>>
-
2004/07/03(Sat)09:28:09 公開 / 九邪
■この作品の著作権は九邪さんにあります。無断転載は禁止です。
-
■作者からのメッセージ
お久しぶりです。九邪です。テストも終わりやっとアップできました。
皆さんよければ感想などお願いします。
※今回は時間がなかったので皆さんへのお返事はかけませんでした。すいません
では、また会いましょう。
See you next time.(^_^)/~