- 『白い靴箱 1〜5』 作者:渚 / 未分類 未分類
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全角13766.5文字
容量27533 bytes
原稿用紙約43.7枚
「じゃ、決まり!! あんたも今日からあたしらの仲間ね!!」
にこやかに微笑みながらぽんと肩に手を置く彼女。あたしはただ、状況が理解できなくて、3人を見回した。
転校初日、天気、大波乱。
第一話
「お母さんっ、お弁当は!?」
「あら、作らなきゃいけなかった? 今までずっと作ってなかったじゃない」
ばたばたと走り回るあたしの背中に、おっとりと母は答えた。あたしは洗面所の鏡の前ではねた髪を必死で撫で付けながらリビングに叫んだ。
「今日ぐらい作ってよぉ〜!! 今度の学校のどこに学食があるかもしらないのにぃっ」
「お友達に聞けばいいでしょ」
ジャムをたっぷりとぬったトーストをあたしに渡しながら、母はまだ眠そうに言う。これ以上いっても無駄か、と思い、あたしはひとつため息をついてトーストをかじった。
「それにしても、こんなに早起きしなくてもいいんじゃない? 学校は8時半からでしょ」
まだ6時を指している時計を見て、母は眠そうに顔をしかめた。
「いいのっ。だって、早くどんな学校か行ってみたいもの。それに、早起きは3文の徳って言うしね。ごちそうさまっ!」
あたしはあくびをしている母に背を向け、洗面所の鏡に走った。髪ははねてない。いーっと歯をむいてみる。きれいな白。口のまわりにパンくずも牛乳も付いてないし、新しい制服にはしわ一つない。
よしっ、とつぶやき、真新しい制鞄を引っつかんで玄関まで走る。こちらもまだ新しい革靴に足を突っ込み、行ってきますと大声で叫ぶ。ドアを閉める寸前に、母の眠そうな声が聞こえた。
「緋那乃ーっ、ちゃんとお友達作るのよぉ!!」
あたしはまだ誰もいない道を走った。10月の6時となると、まだ薄暗い。でも、そんな風景とは裏腹にあたしの心は弾んでいた。あたし、橋本緋那乃(はしもと ひなの)は、先月にこの辺に引っ越してきた。今度の学校は幼稚園から大学までつながるエスカレーター校。かなり大きな学校で、以前見学に行ったときには、半分も校内を見れなかった。だから、少しでも早く行って学校を探索したかった。
お前、子供っぽいんだよ
ふと心によみがえった言葉に、あたしは立ち止まった。ここまで走ってきた所為で、呼吸が苦しい。だが、この苦しさは走ってきた所為だけではないとわかっていた。あたしは大きく深呼吸をし、今度は早足で歩いた。さっきまで弾んでいた気持ちはすでにしぼんでいた。
「うはー、でっかー…」
あたしは校門の前でつぶやいた。前の学校の3倍はあるんじゃないかと思うほど大きな校舎が聳え立っている。あたしはすこしどきどきしながらそっと校門をくぐった。広いグラウンドにはまだ誰もいない。こんな広いところに自分一人で、あたしはなんだかそわそわした。そして、誰もいないのになんだか優等生ぶって、背筋をしゃきっと伸ばしてみたり、ちょっとかっこよく前髪をかきあげてみたりした。
そんな挙動不審を繰り返しながらも、ようやく広いグラウンドを抜け、校舎に足を踏み入れた。少しほっとしながら制靴を脱ぐ。なれない革靴で靴擦れができて、白い靴下に血がにじんでいた。最悪、と思わずつぶやいてから、ふと、上靴をまだ買っていないことに気が付いた。あたしははたと困ってしまった。靴下には血が付いているし、裸足ではみっともない。転校初日で浮かれていて何も考えていなかった自分を殴りたくなる。職員室に行こうか、取りに帰ろうかとおろおろとパニくる。
どうしようかときょろきょろとしていると、靴箱の前で3人の生徒が固まっていた。男二人と女一人で、なにやら談笑しながら靴箱をのぞいている。あたしはあの人たちは神様の使いだわ!!なんておもいながら彼らに近づいた。とりあえず、女の子の肩をつつき、声をかける。
「あの〜…」
と、女の子はびくっと飛び上がった。あたしも驚いてしまい、わっと声を上げる。肩までの髪をヘアピンで留めている女の子は目を見開いて、あたしを凝視している。周りの男の子二人も同じだ。あたしはおろおろした。そんなに悪いことをしてしまったんだろうか。
「…あなた」
「ぁ、あいぃっ!?」
突然声をかけられ、声が裏返る。3人はますますあたしを見てくる。どうしようかとつま先に視線を落とすと、ぷっと吹き出す声が聞こえて、あたしは顔を上げた。3人は何とか笑うまいで必死にこらえている。だが、男の子の一人と目が会うと、彼はどっと笑い始めた。そして、それを引き金にするように、後の二人も笑い始める。女の子は涙をながして笑っている。あたしは少しカチンと来た。何よ、そんなに笑うこと?
「あ、あんたさぁ」
女の子がひいひい言いながら言った。
「面白いねぇ! あんま見かけない顔だけど?」
「…転校生です」
あたしは素っ気なく答えた。こんな奴らと友達になるのは、こっちから願い下げだ。背の高い、茶髪の男の子がはじめて口を開いた。
「へぇ、今日が初日? お前、名前は?」
「橋本緋那乃です」
「は? ひ…?」
少し背の低い男の子が聞き返す。やっぱり言われたな、とあたしは思った。変な名前だとよく言われるので、こういうのは慣れっこだった。
「ヒナノです。緋色の緋に那覇の那に乃っていう字で、緋那乃・・・」
「那覇の那って、どういう説明だよぉ!!」
彼らはまたぎゃははと笑った。あたしはむくれて、思わず言い返した。
「あなたたちは?」
「あ、まだ言ってなかったね」
女の子は涙をぬぐいながら笑った。
「あたしは篠田奈津子(しのだ なつこ)。ここに幼稚園から通ってんの」
奈津子という女の子はにっと笑った。よく見ると、大人っぽくて美人だった。その隣の、背が高いほうの男の子が口を開いた。
「俺は大西達也(おおにし たつや)。んで、こいつは野村玲人(のむら れいじ)。奈津子と玲人とは幼稚園から今までずーっと一緒の内部上がりなんだよ」
「別に俺のことまでいわなくてもいいんだよっ」
「いーじゃん、めんどくさがりの癖にさサ」
幼稚園から今まで、ということは、年少から(おそらく)中学生の今まで、ずっと一緒ということだろう。男友達ってなんかよさそうだなぁ、とあたしは少し思った。
「奈津子も達也もさ、げらげら笑ってる場合じゃねぇよ。見られたんだぜ?」
「ああ、そうだったっけ」
奈津子がぱっとあたしを見た。目をまっすぐ見て、真剣な顔をしている。あたしは一体なんなのかと身構えた。
「ねえ、緋那乃ちゃんだっけ。あなた、いそがしい?」
「いえ、別に…」
「入りたい部活とかある?」
「いえ、特には」
「よぉし」
奈津子はあたしの肩にぽんと手を置き、にっこり微笑んだ。
「じゃ、決まり!!あんたも今日からあたしらの仲間ね!!」
「は?」
あたしは唐突に言われて理解できなかったが、3人はただ笑っているだけだった。
第2話
少しの空白があった。奈津子はただ微笑み、後ろで男二人が黙ってあたしを見ている。
「あ、あの…仲間って…?」
友達ってことかな、とあたしは考えた。でも、何だが違う気がする。そして、いやな予感もする。達也という男の子が少し苦笑した。
「ん〜…ま、突然言ってもわかんないだろうしなぁ。誰かに聞かれたら困るし…」
「そうねぇ…」
奈津子が指で髪をくりくりといじりながら、困った顔であたしを見た。そして、相変わらず黙っている達也より少し背の低い男の子の方を向いた。
「ねぇ玲人、どうする?」
「どうするって…放課後とかでいいんじゃねぇの?」
「あっ、そっか!! さっすが玲人、頭イイね〜」
「お前が悪すぎんだって」
ひっどーい、と奈津子が達也の肩をたたく。あたしは何だが蚊帳の外で、ただボーっとしていた。それに気づいた玲人、と呼ばれた子があたしに声をかけた。
「ええと、橋本さん? とりあえず、また放課後ってことで勘弁してよ」
「はぁ…」
勘弁して、なんていわれても、あたしにはまったく話が見えないんだからなんとも言い様がなかった。
「んじゃ、まぁそういうことで。後、さっきあたしらを見たことはナイショね。OK?」
「あ、はぁ…」
「よっし、いい子いい子!」
奈津子に頭をなでられ、あたしはちょっとムッとなった。あたしは子ども扱いされるのが一番嫌いだった。しかも、相手はあたしと大して年のかわらない人なのだ。あたしは怒りを表に出さないように、何気なく3人に聞いた。
「あの、あなたたちって何年生?」
「ん? ああ、あたしらは中3だよ」
「あっ、あたしも中3なの」
「え〜っ、結構意外ーっ」
奈津子がけらけらと笑う。あたしが何か言い返そうとすると、校門のほうから人の話し声が聞こえた。3人がびくっと飛び上がる。
「やっばー…」
「んじゃ、おれらはそろそろ教室行くからさ。職員室行ってこいよ」
「あっ、あたし上靴が…」
「んじゃね!!」
3人はあわただしく階段を駆け上って行った。あたしは、血がにじんだ靴下のまま、ただ突っ立っていた。
「えーっと、橋本…ヒナノさん?」
タバコ臭い親父があたしの生徒手帳を見て言った。あたしはその言葉を無視して、スリッパを履いた足をぶらぶらさせた。
「クラスは3組な。俺が担任で、まぁみんなそこそこいい奴らだし…」
鼻の穴を膨らませながら自慢げに話す教師を無視して、あたしは今朝のことを考えていた。あの3人、靴箱の前で集まって、一体何をしていたんだろうか。しかも、「誰かに聞かれたらまずい」なんて、そんなにいけないことをしていたんだろうか。
「…おい、橋本!!」
教師の言葉にあたしははっと我に返る。教師はすこし顔をしかめて、あたしに言った。
「そろそろ時間だぞ」
長く、どこか冷たい廊下を、あたしは教師に続いてチョコチョコと歩いた。教室の中からはざわざわとした声が聞こえてくる。階段から3年3組まではかなり遠かった。
ここで少し待ってなさい、と言い残して、教師は先に教室に入っていた。中から、教師が怒鳴る声が聞こえてくる。
「静かにしろ! 今日は、前から言ってた転校生が来た。今から入ってもらうぞ」
教師はあたしに向かって手招きした。あたしは、手と足を一緒に出しそうになりながらも、教室に入った。クラスメートのなめるような視線が痛い。後ろから、チョークが黒板に当たる音が聞こえてくる。チラッと後ろを見ると、教師が大きな字であたしの名前を書いていた。名前を書き終えると、自己紹介しろ、とあたしに小声で言ってきた。あたしは固まった舌を解きほぐしながら言った。
「橋本緋那乃です。よろしくお願いします」
あたしはぺこりと頭を下げた。拍手と野次が聞こえてくる。なんだか照れくさくて、あたしは真っ赤になった。
「ヒナノってのはあんまりない名前だなっ」
教師はどうでもいいことをやたら大きな声でしゃべっている。あたしは、40人ほどのクラスメートの中から、大西達也を発見した。彼はあたしと目が合うと、にっと笑ってくれた。教師はそれに気づいたらしく、相変わらず大きな声で言った。
「お、大西と知り合いなのか? じゃ、せっかくだからあいつの隣座ってもらおうかなぁ!!」
あたしははい、とそっけなく言うと、彼の隣の席に腰を下ろした。なぜか、みんなの視線が痛い。だが、そんなことには気づかない彼は、あたしに愛想良く話しかけてきた。
「よろしくな」
「こちらこそ。大西君はこのクラスなんだ?」
「達也でいいよ。お前のことはなんて呼んだらいいんだ?」
「えっと…ひ――」
「緋那乃ってのは長いしな。よし、ヒナでいいや。いいよな?」
あたしが何も言う間もなく、彼は勝手に決めてしまったらしい。まぁ別にいいかと思い、あたしはもう一度よろしくね、と言った。相変わらず、教室中には教師のうるさい声が響いていた。
第3話
「達也〜あのさ、今学習室開いてるらしいからさ、放課後まで待たなくても大丈夫そうだよ」
教室のドアから顔を覗かせた奈津子があたしと達也にむかって叫ぶ。達也はおー、と手を上げて、席からたった。あたしもあわてて立ち上がる。あわてた所為で小指をイスにぶつけてしまい、あたしは声にならない声を上げた。
「…なにやってんの?」
達也があきれてあたしを見た。あたしは目尻に涙を浮かべながら、ひきつった笑顔を浮かべた。
「おそい!!」
学習室に行ったとたん、玲人に怒られた。あたしは思わず肩をすくめたが、2人は眉一つ動かさない。奈津子は玲人に近づき、ぽんと肩に手を置いた。
「そんなに怒んないでしよ。カルシウム足りてないよ〜?」
「背伸びねぇぞ〜?」
「うるさい!!」
奈津子と達也がぎゃははと笑った。玲人は不機嫌そうにそっぽを向いた、その拍子にあたしと目が合う。彼はあいまいに笑い、学習室に入るように目で促した。
学習室はほとんど汚れていない白い壁に囲まれた部屋だった。そこには5人がけのテーブルがあり、机の上には消しゴムのカスが散らばっていた。最後に部屋に入った玲人がドアを閉め、「使用可能」から「使用中」に掛札を付け変える。
「…さて」
机の上の消しカスを手で払い、奈津子が机の上に座った。達也はイスに座り、玲人は壁にもたれかかる。あたしは少し戸惑いながらイスに腰を下ろす。
「えっと…なんて呼んだらいい?」
「あ、ひ」
「俺はヒナって呼ぶことにした」
「んじゃそれでいいや。あたしのことも奈津子でいいからさ」
「あ、俺も玲人でいいから。そのかわりヒナって呼ぶからさ」
どうやらこの3人、何事も自分たちのペースで進めてしまうタイプらしい。あたしはなんだか落ち着かなくて、イスに座りなおす。その緊張した様子に気づいたらしい玲人が、あわてて声をかけてくる。
「あ、別にリンチってわけじゃないからさ。そんな硬くなんなよ」
「玲人クン、やっさしぃ〜」
奈津子はそう茶化したが、玲人はむっとした様子で奈津子にいった。
「お前ももったいぶってないでさっさと話せよ。達也もそんなニヤニヤしてねぇでさ」
「はいはい。ちゃんというわよ。…あのね、ヒナ」
奈津子はあたしにマスカラでまつげをカールさせた目を向けた。
「学校生活ってさ、何かと不満多いじゃん? 教師のこととか、クラスメートとかさ」
「はぁ…」
「でもさ、自分じゃどうにもできないってこともあるじゃん?」
達也がイスをゴトゴト揺らしながら言った。
「そういうときに、ある奴らに依頼するんだよ。たとえば、『いじめられてます、助けてください』とか…」
「ある奴ら?」
あたしは首をかしげた。いまいち話が見えてこない。
「『スクール・ヘルパー』って呼ばれてる。組織、っていったら大げさだけど…まあ、そういうグループだよ」
「ふうん…それで?」
少しこの先が想像できた。奈津子が机からひらりと降り、あたしの前まで来た。
「そのグループって言うのが、あたし達ってこと。あたしらがその『スクール・ヘルパー』なのよ」
奈津子は別に表情も変えずに、普通に言った。あたしは大体はわかっていたが、どうも納得できなかった。話を聞いていると、その「スクール・ヘルパー」は正義の味方だ。だが、ここにいる3人は、みなそれなりに自己中だ。そういう、人助けが好きな性格には見えなかった。
「ふうん…」
あたしのうなり声に、達也が不満そうに眉を寄せた。
「なんだよ、似合わないってか?」
「い、いや、そういうわけじゃ…」
「ま、そう見えても仕方ないと思うけどな」
玲人があざけるような口調で達也に言う。あたしははっと今朝のことを思い出して、3人に尋ねた。
「あの、今朝靴箱の前で何してたの?」
「ああ、あれね。あそこには、あたしたちへの依頼書が入れられるのよ」
「でも、あそこって教師用の靴箱じゃ…」
「理解のある、すばらしい先生から貸してもらってまーす」
奈津子が誇らしげに言った。
「あたしらが『スクール・ヘルパー』だってことは学校内では極秘だからさ。あーやって、朝早くにチェックしにくるって訳よ」
「これがその依頼書」
玲人が5つほどの封筒を机に並べた。学年もクラスのばらばらの差出人の名前が書いてある。達也がそのひとつを手に取り、中身を取り出した。しばらく黙って読んでいたが、やがて、依頼書をぐしゃぐしゃに丸めてしまった。
あたしは驚いて、思わず叫んだ。
「何してるの!? それ、依頼書なんだでしょ?」
「あのねぇ、ヒナチャン」
達也があきれたようにいった。
「俺らは別に、便利屋じゃないからね。よっぽどの依頼じゃないと動かないんだよ。これ、読んでみろよ」
達也はぐしゃぐしゃに丸めた依頼書をあたしに放ってよこした。あたしはまだ腑に落ちない気分で、それを広げた。かわいらしい丸文字が書いてある。
『こんにちわ、3年2組のマリで→す☆えっとぉ、今あたしは好きな人いるんですよぉ。でも、告白するユーキ?っていうのがなくて困ってるんですぅ(涙 あたしのかわりに、ラブレターを3組の大西君に渡してもらえませんかぁ? お願いしま→す☆』
「そいつ、真剣に悩んでると思うか?」
達也が言った。あたしは首を横に振った。呆れてしまった。くだらなさ過ぎる。
「そんなこといちいち解決してるひまねぇんだよ。ただでさえ正体ばれないように気をつけなきゃいけないのにさ。」
「ま、これはある意味解決だねぇ。こいつ、2組の田代真里でしょ? 達也にラブレター渡したいってことじゃん。失恋ってことで一件落着ぅ」
奈津子がきゃははと笑う。あたしは、達也の苗字が大西だということをはっと思い出した。確かに、達也が改めて見て見ると、かっこいい。今朝のクラスメート達のとげとげしい視線は、この所為だとやっとわかった。
「…まぁ、それはわかったけどさ、何で正体隠すの? 別にバラしてもいいんじゃ…」
「だめだめ」
玲人がため息と同時に言った。
「そんなことしたら、『仲間に入れて』っていうやつらが山ほど来るよ。面倒じゃん? そんなの。それに、ただの憧れなら、やめといたほうがいい。結構大変だし」
「あなたたちは何でこんなことやってるの?」
あたしの質問に、3人の表情が引き締まるのがすぐにわかった。しばらくの沈黙の後、玲人が静かに言った。
「…俺らの先輩に頼まれたんだよ。元祖・『スクール・ヘルパー』にさ」
一言一言、かみ締めるような言い方。もっと聞きたかったけど、明らかに聞いちゃいけないムードだったので、それ以上は聞かないことにした。
「…んで、ヒナ。」
少しの沈黙の後、奈津子が口を開いた。
「あんた、あたしらが靴箱見てるの、見ちゃったよね? それに今、あたしらの正体、聞いちゃったよね?」
「あ、うん…」
「じゃ、もう決まりね」
奈津子がにやりと笑った。
「一緒にがんばろうねぇ。学校の平和のためにさっ」
平和、という軽い語感を楽しみながら、奈津子は微笑んだ。あたしは奈津子、達也、玲人の顔を見渡し、ひとつため息をついた。
「…わかった」
「やった〜、今日からあんたもあたしらの仲間っ」
奈津子はあたしに抱きつき、達也はひゅう、と口笛を吹いた。奈津子が抱きついている所為で、玲人の反応はわからなかった。
「んじゃさ、仲間が増えた記念に、パーティーやろうよ、パーティー」
「お、いいね〜。んじゃ、放課後、玲人の家ってことで!!」
「はぁ!? 何で俺なんだよ!?」
にぎやかに騒ぐ3人を、あたしはただボーっと見ていた。
第4話
これは家なんて呼ぶもんじゃない。
玲人の家・・いや、屋敷の第一印象はそれだった。木造の巨大な家が目の前にある。純和風で、庭には大きな池があった。
とてもじゃないがノックなんてできる雰囲気じゃない。だが、呼び鈴らしきものも見つからない。あたしは一人、門の前でうろうろした。こんなことなら、奈津子と達也と来るべきだった。
「何か御用ですか?」
後ろから声が聞こえて、飛び上がる。着物を着た美人の女の人がたっていた。手には箒。あたしは、あまりの唐突なことに混乱して、必死で言葉を探したが、のどの奥のほうにつっかえて出てこない。明らかにあわてているあたしに気を使ってくれたのか、女の人が口を開いた。
「麗菜さんの友達?」
麗菜、というのは多分、玲人の姉か妹のことだろう。あたしはあわてて返事をした。
「い、いえ、あの、玲人…君の」
「あら、玲人さんの?珍しいね、あの子等の友達なんて…」
「あ、香奈さ〜ん」
後ろからの聞き覚えのある声に、あたしはすがる気持ちで振りかえった。自転車に達也、その後ろに奈津子が乗っている。奈津子はブーツを履いた足を地面に下ろし、あたしに駆け寄ってきた。
「あ、ヒナ、早いねぇ」
「何や、なっちゃんの友達なん?この子」
香奈さん、と呼ばれた女の人は、目を細めていった。
「珍しいね、あんたらが新しい友達作るなんて」
「転校生だよ。んで、なんというか…その…」
達也が口ごもる。香奈さんはふふと笑った。
「正体ばれたんね?」
「ええ、あの…はい」
達也と奈津子が、気まずそうにうつむく。香奈さんは二人の方に手を置き、明るくいった。
「もぉ、何沈んでんの。いいやないの、3人で篭りきってるよりは」
「でも、先輩にあんだけ言われたのに…」
奈津子がなおも暗い表情で言う。あたしは何だが居辛くて、3人の顔を見比べた。
「もう、そんなこと言わんと…」
「立ち話してないで、中はいったら?」
香奈さんはぱっと振り返った。玲人が家の壁に寄りかかってこっちを見ていた。
「ああ、玲人さん。いつからいはったん?」
「そんなことはいいからさ、早く通したら?」
「はいはい。えっと…?」
「あ、ひ」
「ヒナだよ、ヒナ。」
「そう、ヒナちゃん。どうぞ」
この一日で、もう3回は繰り返したであろう会話だった。もう、この学校では「ヒナ」でいこうと思った。
「うわ〜、すごい家だねぇ…」
ため息交じりにいってしまう。中は畳、掛け軸、高そうな壺、そして着物の女中さんという、まさに日本の豪邸だった。先ほどの香奈さんという人は、住み込みの女中さんらしく、もう家族同然らしい。
「ホント、まるで昔の女中さんみたいな人よねぇ」
奈津子がおもしろそうに笑う。どうやら、彼女の言葉遣いは京都出身のためらしく、別に無理やりしているわけではないらしい。そして、彼女は玲人達が「スクール・ヘルパー」であることを知る、数少ない人らしい。
「あたしたち、小さいときからこの家によく来てるからさ。もう自分の家みたいな感じ?」
「勝手に自分の家にすんな」
玲人はぶすっとしていった。なんだか不機嫌そうだ。彼は自分の部屋にあたしたちを案内した。まぁ、ここもほかと同様で、とても子供部屋とは思えなかった。彼は、なんか飲み物とってくる、といって部屋から出て行った。
「ねぇ、奈津子」
あたしは奈津子に小声で言った。彼女は、ミニスカートを履いた足をグーっと伸ばし、すっかりくつろいでいた。達也も似たようなものだった。
「なんかさ、玲人機嫌悪くない?」
「ああ、悪いね」
奈津子はなんでもないように、さらっと言った。達也も、あくびをしながら答える。
「多分、今日、親父さん帰って来るんだよ」
「お父さん?」
あたしは話が理解できなかった。
「あいつの母さんさ、一回離婚してるんだよ。それが、なんと言うか…親父さんが浮気してさ。別れる時は、山ほどお金渡して出て行ったらしい。だから今、こんなに贅沢してるんだよ。で、5年ぐらい前に再婚したんだけど、なんか、あんまりうまくいってないらしい…」
「……」
黙るしかなかった。というか、今日会ったばかりの人に、いきなりそんな重い話をされるなって思っていないから、面食らってしまった。あたしはなんだか気まずくて二人を見たが、二人は別に何事もなかったかのようにしている。
「…じゃあさ、今日来たのって、迷惑だったかなぁ…?」
あたしはおずおずと二人に尋ねた。達也はハハ、と笑い、あたしの頭にぽんと手を置き、クシャクシャッとなでた。
「そんなことないって。というか、一人でいるより、俺たちがいてやった方がいいんだよ。あいつ、まだガキだしぃ」
「そーそ」
奈津子もくすくす笑いながらいった。だが、突然ふっと笑うのをやめ、あたしにぐいっと顔を近づけた。思わずあとずさる。
「あたしらが話したこと、玲人にはナイショね」
「あ、うん…」
あたしはなんとなく、二人のペースに流されたような気分だった。
それから2分もしないうちに玲人が戻ってきたが、襖の間からひょいと顔をのぞかせて、あたしたちに言った。
「なぁ、今日晩飯食ってかないか?」
「メニューは?」
「しゃぶしゃぶ」
「やった〜、あんたん家のしゃぶしゃぶおいしーんだよねぇ。達也とヒナはどうすんの?」
「俺は食ってくよ。ヒナは?」
言葉が出てこなかった。今日会ったばかりの人の家で、晩御飯を食べてくなんて、普通考えられない。でも、3人は別にたいしたことでもないようだった。3人はあたしの返事を待ってるようなので、あたしはあわてて言った。
「あ、ちょっと待って、お母さんに聞いてみるから…」
あたしはケータイを開き、大急ぎで番号をプッシュした。あとから、登録してあったことに気づく。呼び出し音を聞きながら、自分のドジさに苛立つ。
『はい、橋本でございます』
電話のむこうから母の眠そうな声がする。あたしは少し息をすってから話し始めた。
「お母さん?あたしだけど…」
『あら緋那乃、どうしたの?』
「あのさ、今日、友達の家でご飯食べてってもいい?」
『ご飯…?』
母が眉を寄せているのが目に浮かぶ。
『いいの?迷惑じゃないの?』
「うん。向こうが誘ってくれたの」
『…そう』
母はまだ納得のいかなさそうな声だったが、しぶしぶ、といった感じで承諾してくれた。
『8時までには帰ってくるのよ。いい?』
「はいはーい」
あたしは母がまたごちゃごちゃ言い出さないうちに電話を切り、3人に報告した。玲人はうれしそうに笑い、準備手伝ってくれ、といった。
第5話
「それじゃ、改めて新しい仲間を祝って…かんぱ〜い!!」
達也の音頭で、あたしたちもかんぱーい、と続く。奈津子と達也は早速なべに飛びついた。見るからに高そうなお肉がぐつぐつ煮えている。もしあたしの家なら、これは家宝のように崇められただろう。だが、香奈さんは惜しげもなく肉を箸でつかみ、なべに投げ入れている。玲人も別に気にする様子もなく、ポン酢をたっぷりつけた肉をほおばっていた。
「ヒナ、食べないの?」
奈津子が取り皿に豆腐を取りながら怪訝そうにたずねた。あたしは少し言葉に詰まった。
「えっと…なんか、もったいなくて…」
「そんなこと言わんと、食べて食べて!」
香奈さんはニコニコしながら取り皿に2,3枚肉を入れてくれた。あたしは少しためらったが、思い切って肉の端を少し噛み切った。
思考回路がストップした。
「…ヒナ?」
玲人が心配そうに声をかけてきた。後の二人もあたしを見ている。
「…玲人…」
「ん?」
「…おいしすぎ〜っ!!」
あたしは取り皿にはいっている残りの肉を口に詰め込み、なべからもう何枚かをとった。みんなは呆れてあたしを見た。
「もうー、びっくりさせんなよ」
「ま、おいしいのは確かだけどね」
「香奈さ〜ん、お酎してくれよぉ」
達也がふざけて言う。香奈さんはおかしそうに目を細めた。
「何言ってんのこの子は。コーラのお酎なんて聞いたことないわ」
「まったく、達也はほんっとに―――」
突然、さっと奈津子の顔色が変わった。誰かの足音がする。玲人は顔をしかめ、額に手を当てて目を閉じた。その肩に達也が手を置き、足音のほうをじっと見た。奈津子はじり…とあたしのほうに近づいた。あたしは意味がよくわからないまま、奈津子の手をさすった。かすかに汗ばんだその手は、冷たかった。足音は少しずつ近づいてくる。香奈さんは背筋をしゃきっと伸ばし、着物の裾を整えながら言った。
「…帰ってきはったみたいやね」
その言葉が終わってすぐに、襖が開いた。奈津子がびくっとしたのがわかった。玲人はひとつため息をついてから顔を上げた。
「お帰りなさいませ」
香奈さんは襖のところで仁王立ちしているスーツの男に頭を下げた。男は香奈さんを無視して部屋に入り、玲人を、達也を、奈津子を順番にじろりと見た。そして、その視線は最後にあたしに向けられた。神経質な顔で、不機嫌そうだった。玲人は低い声でお帰り、といった。
男はじろりと玲人を見てから、香奈さんに目を移した。
「すぐに飯の用意をしてくれ」
「あら、ここで食べはったらどうですか?」
「一人で食べる。早く用意しろ。後…玲人」
玲人はびくっととびあがり、男を上目遣いで見た。男は玲人を冷たく見下して言った。
「相変わらずこんな連中と付き合ってるようだな。またろくでもないやつが増えたようだが…」
男はあたしをちらりと見た。その冷たい視線に、思わずすくみ上がる。
「朱に交われば赤くなる。いつまでもこんなやつらと馴れ合ってるのはやめろ。いいな。香奈は俺と一緒に食事だ」
「私はこの人らと先約です」
香奈さんはきっぱりと言い放った。奈津子があたしの手をぎゅっと握る。
「文句言うな。首にするぞ」
「私を雇ってくださってるのは奥様です。だんな様には関係ありません」
男は香奈さんをにらみつけた。鼓動が痛いぐらい早くなっているのがわかる。男はふんと鼻で笑った。
「いつまでも生意気なこといってないで、さっさと用意しろ」
男はそれだけ言うと、乱暴に襖を閉めた。
緊張していた空気が緩む。奈津子ははーっとため息をつき、伸びをした。玲人は不機嫌そうに腕を組んで、黙っていた。香奈さんも短くため息をつき、あたしたちのほうをむいた。
「悪いけど、もうお開きにせんとあかんわ。なっちゃんらははよ帰り。玲人さんは…もう寝なさい」
玲人はこっくりとうなずくと、じゃ、といって部屋を出て行った。達也と奈津子は立ち上がり、ご馳走様、といった。あたしもあわててそれに従う。香奈さんはにこりと微笑んだ後、あたしに言った。
「いきなりこんなんでごめんね、ヒナちゃん。また遊びに来たってね」
「はぁー…。どーもあのオジサンは苦手だな」
奈津子はつぶやいた。暗い道路には人影はなく、あたしたち3人だけが歩いている。達也が自転車を押すカラカラという音だけが聞こえる。
「あれが玲人のお父さん?」
「そうだよ」
達也も疲れた表情で言った。
「横暴そうだろ。それに、玲人、俺らと付き合うなって何回も言われてんだよ。もちろん、俺らも面と向かって何回も言われてるけどサ」
「香奈さんも大変よねぇ。あんなんに気に入られてさ」
「玲人のお母さんって、家にいないの?」
「入院してる」
達也は静かに言った。達也の義父は、金は持っているがとても傲慢で、母親は疲労とストレスで倒れてしまったらしい。香奈さんはずいぶん前から達也と母親の世話をしている人で、母親から達也と妹のことを頼まれているらしい。
「妹もいなかったよね」
「大方、家出だろ。しょっちゅうだぜ」
あたしたちはそれ以来、黙り込んでしまった。玲人のこと、義父のこと、香奈さんのこと、いろんなことが頭の中でぐるぐる回っていた。
そんな中で、奈津子が突然口を開いた。
「ね、ヒナ。メルアドと番号教えてよ。ケータイ持ってるよね?」
「え?あ、うん」
あまりの唐突なことに少しおどろきつつ、奈津子にケータイを渡す。奈津子はなれた手つきでボタンの上に指を走らせている。奈津子のケータイにはいっぱいプリクラがはってあった。
「はいできた。あたしの登録しといたからさ、ヒナのやつ登録してよ
「あ、うん」
あたしはケータイを受け取り、登録をし始めた。奈津子のアドレス帳が画面に映し出される。内容は驚くほど少なかった。達也、玲人、その下に、陸(りく)と空(そら)という名前が登録してあった。
「ね、奈津子。この二人ってどんな人?」
「ん〜?」
奈津子はひょいと自分のケータイを覗き込み、ぱっと達也を振り返った。「達也、そういえば、陸と空にまだ連絡してないよ、ヒナのこと」
「ああ、そういえば」
「誰なの、その二人?あ、奈津子、登録できたよ」
あたしは奈津子にケータイを返しかけて、ふと目をとめた。ケータイに張ってあるプりクラには、女の子と一緒に写っているものがまったくなかった。「ねぇ奈津子、あなた、女友達いないの?」
「ん〜、基本的に女は嫌いなんだよねぇ」
奈津子はそれだけいうと、ケータイをぱっと取り上げた。その拍子に、あたしのケータイのバッテリー充電のときにあけるのフタが開き、アスファルトに落ち、乾いた音を立てた。
「あ、ごめん」
奈津子はひょいをしゃがみこみフタを拾おうとしたが、あたしはあわててそれを阻止し、自分で拾った。奈津子は怪訝そうな顔をしてみている。
「どしたの?」
「う、ううん、なんでもない…」
「ふうん…?」
奈津子は疑いの目をこちらに向けたが、やがて達也が押していた自転車にひらりと飛び乗った。達也が少しよろける。
「何してんだよ!?あぶねぇだろ!!」
「だって、あたしたちはこっちだもん」
奈津子は交差点の左を指差した。あたしはこのまままっすぐ行かないと行けなかった。
「ねぇヒナ、明日、うちにおいでよ。うちん家までの道順メールで送ってあげるから。陸と空に会わせてあげる」
奈津子はそれだけ言うと、あたしにひらりと手を振った。達也も同じことをして、二人は自転車でサーっといってしまった。
真っ暗な夜道が急に怖くなり、あたしは家へ走った。
「ヒナ、ちょっと遅いわねぇ。もうちょっと早く帰ってきなさい」
母さんが嫌みを言うのも無視して、あたしは部屋に飛び込んだ。
胸が痛い。古傷が開いた感じだった。あたしはケータイのふたを開け、そこの裏に張ってあるプりクラを見た。あたしと男の子が、二人で写っている。その笑顔は幸せそうで。少なくとも、あたしにはそう見えて。あたしは無意識のうちにケータイのアドレス帳を開いていた。そこに映し出されている、「山下健」という文字。彼との思い出が、うっすらとよみがえり、それは、鋭利な痛みを残して消えていく。ケータイ上の彼の名前を指でなぞる。薄暗い部屋の中で、それだけが異常な光を放っていた。
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2004/06/23(Wed)21:38:12 公開 / 渚
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■作者からのメッセージ
こんばんわ。
また連載を始めます。今回は学園物です。
今回チラッと出た山下君、ちゃんとストーリーに絡んできますので、ご期待を。
レス下さってる方、ありがとうございます。時間の問題上あまり返信できないのですが、参考にさせてもらってます。ありがとうございます^^
意見、感想等お待ちしています。