- 『白光の老狩人 1』 作者:蘇芳 / 未分類 未分類
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全角4370文字
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原稿用紙約15.2枚
16世紀中半。巷は宗教改革やらで盛り上がっていると聞く。
だが地方の農村にとっては、あまり関係の無い話だ。
これから厳しい冬が訪れる。食糧確保と薪などの調達の方が重要なのである。
自身もキリスト教ではあるが、神と主よりも自分の方が大事だ。
金の有り余っている連中が、神と主を崇めればいい。
私達は、自分の命を長引かせるだけで精一杯なのだ。
長い棒の先端に真綿をつけたものを、猟銃の銃口へ押し込む。
マスケットタイプの銃は、煤の汚れが暴発の元だ。
銃に命を預ける以上は、私も銃のことを気遣わねばならない。
棒を何度も出し入れして、銃口に溜まった煤を取り払う。
棒を抜き取り、銃口を下にして何度か叩くと、煤が少量、纏まって下に落ちる。
弾丸は持った。いざという時の為に、食料と毛布も持った。
猟銃を肩に担ぎ、毛布と弾丸。そして幾許かの食料を持つ。
「行って来るよ」
我が愛しき妻。イザベラに声をかける。
「気をつけて、最近は日が落ちるのが早いから…」
イザベラは美しい。貴族の娘や、王家の娘のように着飾ってはいない。
それに比べれば、随分と貧相な娘だ。
だが、それ故に美しい。
栗色の髪に、黒い瞳。流れるような肢体。どれをとっても秀逸な美しさを持つ。
美しき、私の妻。
「安心しろ、私は猟師だ」
イザベラの栗色の髪を撫でる。
イザベラの髪は艶やかで絹のようだ。
きちんと洗髪し整えれば、貴族のかつらの髪になるほどに。
「それじゃあ、日が落ちるまでには戻る」
「いってらっしゃい、ジョバンニ」
「ああ」
イザベラの頬に軽く手を触れ、家を後にする。
確か森の南に、兎の群れがいたはずだ。
彼らの気分が変わらないうちに、狩っておくのが得策だろう。
兎の命よりも、自分達の命が大事だ。
猟銃を担ぎなおし、仲間の待つ森へと向かう。
西北にある深い森。村の者はローゼンの森と呼んでいる。
名前の由来は実に単純明快、かつ的確。
地方に伝わる御伽噺で、ローゼンの魔女というものがある。
御伽噺の内容を、端的に言うとこうなる。
『昔々、深い深い森にローゼンという魔女がいました。
ローゼンは薬を作って村の人にあげたり、ときには医者として近くの村の人達を助けていました。
村の者は皆、ローゼンのことが好きでした。
ですがローゼンの薬で、死んでしまった人がいたのです。
それは熊に襲われた子供でした。ローゼンは、せめて苦しまないようにと毒薬を飲ませたのです。
子供の家族は悲しみました。そしてローゼンを恨むようになりました。
ある日、ローゼンのところへ兵士達がやってきました。
ローゼンは瞬く間に十字架へ縛り付けられ、火あぶりの刑にされたのです。
火あぶりにされた場所、それがローゼンの住んでいた森です。
いまでもローゼンの幽霊は、人を助けようと彷徨っています。』
魔女裁判と呼ばれる物の残滓である。
これは本当にあった話で、森でローゼンが処刑されたのも本当の話だ。
だが、幽霊が彷徨うというのは全くの嘘である。
子供たちに、森で遊んではいけません、という母親達の間で生まれた話だ。
いつしかそれが定着して、いつのまにかローゼンの森と呼ばれるようになった。
幽霊は出ないにしても、ローゼンの森が危険である事に変わりは無い。
暗くなれば狼が徘徊し、明るいうちでも御伽噺のように熊が出る。
猟師でもない人間が立ち入るには、そこは危険すぎる場所だ。
「遅かったな」
「待ちくたびれたぞ、ジョバンニ」
森へと続く門。その前に猟銃を担いだ、二人の男がいた。
片方は雪焼けした肌に、精悍な顔と肉体を持つ男。
頬に走った三本の爪痕が、非常に印象的である。
これは、熊撃ちに出て返り討ちにされたときのものだ。
もう片方は色の白い、いかにも優男といった感じの男だ。
気の弱そうな顔をしているが、こう見えても家には4人の子がいる。
一家を支える大黒柱らしく狩りの腕も中々の物で、三人のリーダー的な役割を持っていた。
トゥリオにベクトーレという二人は、私がいつも狩りを共にする男達で、トゥリオは猪や狐、ベクトーレは雉や兎を撃つのが上手い。
大体この三人で狩りにいけば、一ヶ月ほどで冬の準備ができる。
「さて、行くとするか」
トゥリオが頬の傷を掻きながら、二人に問い掛ける。
粗雑に見えるが、実際は人の事を気遣う男だ。
立ち振る舞いが少々粗暴なためか、時折、子供に泣かれたりしている。
「私は大丈夫だ、今日は早く切り上げないとな」
ベクトーレは流石に子供が4人もいるだけに、しっかりとしている。
統率力に長けている訳では無いのだが、人を纏めるのが非常に上手かった。
「私は構わない。手順は道すがら話し合えばいいだろう」
「そうだな、とりあえず出よう」
「ああ、最近は殊更、日が傾くのが早い」
三人の意見が合致したので、門番に声をかける。
「マサン! 門を開けてくれ!!」
トゥリオが門の傍らに建つ物見やぐらに向かい、大声を張り上げる。
あいよ、というしゃがれた声が返ってきて、がらがらと歯車の回る音が聞こえ始めた。
門の蝶つがいが軋みながら、ぎりぎりと門が開く。
マサンというのは、数十年この門の番をしている老人だ。
いつ誰に頼まれた訳ではないのに、私達が生まれた頃には門番をしていた。
14の時、初めて狩りに行って、かれこれ15年以上の付き合いだ。
たまにだが、酒を飲んだりして世間話をする仲でもある。
こうして、私達は最後となる狩りに出かけた。
森への門をくぐっても、ローゼンの森まではある程度長い。
その間に狩りの段取りをするのが、私達の狩りのルールだった。
「子供達は兎よりも猪のほうが好きだ」
ベクトーレが、如何にも父親らしい意見を言う。
私とトゥリオにも妻はいるが、妻子持ちなのはベクトーレだけだった。
おそらく彼の天秤では、自分の命よりも子供のほうが重いだろう。
それほどに彼は子どもを愛していた。
「まずは村全体の事だ、あと一週間もすれば冬が来る」
村で機能している猟師は、トゥリオ、ジョバンニ、ベクトーレの三人だけだった。
あとは女子供と老人ばかり。若い男たちは、皆戦場へと駆り出されている。
それ故に三人が狩った獣は、個人の所有物ではなく村全体の所有物となる。
食料は村長によって、各家へ均等に分配される。
狩りが順調に進めば十分事足りるが、順調にいかなかった場合は細々と食べ繋ぐしかない。
「とりあえず兎だ、気が変わらないうちに狩っておこう」
ベクトーレが人事の取り纏めをするならば、ジョバンニは三方の意見の取り纏めだった。
人間が三人も揃えば、意見の相違も出てくる。
人事を取り纏めるのも重要だが、意見を纏めるのも重要な役割だった。
「そうだな」
トゥリオが雰囲気を察し、意見に同意する。
それからベクトーレの方を、ちらりと見やる。
ベクトーレは気の弱そうな顔をさらに気弱にして、トゥリオの肩を叩く。
肯定として受け取っていいだろう。
「…そろそろ森だな」
ぎゃぁぎゃぁという、獣の鳴き声が聞こえ始めた。
もう少し歩けば森の影が見えてくるだろう。森までは15分もかかるまい。
まだ日は高いので、狼などは出ないだろう。
「ああ、今日は兎だけにしておこう」
ベクトーレが、遠くの森を見ながら言う。
トゥリオも目を細めて、うすく影の見え始めた森を見ていた。
人差し指に唾液をつけ、すっと前に伸ばす。
こうする事で風向きを知り、獲物に気付かれないようにするための、先人達からの教えだ。
狩りにおいて風向きは、かなり重要なものである。
獣は思いのほかに鼻がきく。風下に入れば相手に位置を捕まれない。
逆に風上に入れば、相手に位置を教えているようなものだ。
狼や兎などは、人間の臭いを感じ取ると逃げてしまうが、熊などは自らの餌場を荒らしに来たと思い襲ってくる。
しかも森の中にひしめき合う木々が、たやすく風向きを変える。
たとえ狙っていなくても、臭いを嗅ぎ取った熊は襲ってくる。
狩りとは常に死が待つ。それが父親に教わった事だった。
「ジョバンニ、いたぞ」
ベクトーレが耳元で囁く。
前方、地面の少し窪んだところに、兎が数匹いた。
まだこちらには気付いていない。口を小刻みに動かしているところを見ると、木の実か何かを拾って食べたところだろう。
毛色はまだ褐色。おそらく、あと半月ほどで毛が生え変わり、白い兎になるであろう。
他の二人はどうだか知らないが、私は白い兎が嫌いだ。
白い毛並みは、自らの血の赤を引き立たせる。
命が散り行く様を、自らの体へと刻む。そして私の目にも鮮やかに。
「おい」
すこし考え込んでいたらしい。トゥリオが小さな声で囁く。
見た目こそ厳つい男だが、狩りに関しては細心の注意を払う。
それが猟師というものであるが、トゥリオは特にそれを重んじていた。
「すまない…狩るぞ」
「……」
「……」
二人が無言の肯定を返す。
猟銃を構え、銃口のマーカーを兎に合わせる。
心臓の脈打つ振動、手の微細な震え、一点を凝視する事で乾く眼球。
それらが全て障害となる。呼吸を整えながら、ゆっくりと照準を合わせる。
兎の皮の手袋に包まれた手が汗に濡れ、きょろきょろと辺りを窺う兎がぶれる。
―ふー、ふっ…!
一瞬だけ息を止め、それと同時に引き金を押し込む。
ターン…という尾を引く乾いた銃声が、森の中に響く。
キッ、という短すぎる断末魔を残し、兎の首が大きく抉られて鮮血が舞った。
横に銃口が二つ繋がった猟銃は、一回の装填で二連射が可能となる。
ぴくぴくと細かく痙攣する兎から照準を離し、銃声で逃げ始めた兎を追う。
トゥリオ、ベクトーレもそれに続き、乾いた銃声が森の中に静かに響く。
寸分違えることなく弾丸は兎の頭を弾き飛ばした。
辺りには銃声の余韻が響き、つんとした硝煙と薄い鉄の臭いが満ちていた。
数匹逃げたが、ほとんどの兎は捕らえる事が出来た。
猟銃を肩に構え、今しがた仕留めた兎を拾う。
「慣れない物だな」
ベクトーレが兎の足を縛りながら、誰に言うでもなく呟いた。
短く痙攣する兎。それは先程まで生きていたことを物語っている。
猟師たるもの狩るときには非情になれ。
父親や先代の猟師たちに言われ続けてきた事だ。
撃つ瞬間は非情になっても、撃った後まではなりきれない。
生きているものを殺す。その行為に慣れれば、それはただの馬鹿でしかない。
「言うな、これも私達のためだ」
自分の為に他を殺す。なんとも愚かな事であろうか。
ひとたび狩るものから、狩られるものに変われば、息をする間もなく死ぬというのに。
「…辛気臭い話はそこまでだ、今日は奥まで行くぞ」
見たところ今日は日が長そうだ。
奥まで入っても、さして問題は無いだろう。
猪や狐の類も、ほとんどがそこを縄張りにしている。
狩っておいて損は無い。
つづく
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2004/05/28(Fri)11:38:37 公開 / 蘇芳
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■作者からのメッセージ
習作であった『白光の老狩人』の中編版です。
急ごしらえと言う訳では無いのですが、手荒い作りになっているかもしれません。
描写面での細かい注意を払っておりますので、気付いたところがありましたら、申し付けください。
内容的には辛口程度のものを募集ですが、口調はお手柔らかに…。
宜しくお願いします。