- 『僕のヒーロー(恋愛モノ)』 作者:黒子 / 未分類 未分類
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全角3632.5文字
容量7265 bytes
原稿用紙約11.35枚
……冬のくせに、今日の太陽はやたらがんばってる。
窓から入ってくる、あったかい光。
ベッドに寝転がって、そのあったかい光に、僕は右手につまんだ便箋を透かした。
窓から見える、空と同じ模様。光の中をさらさら泳がすみたいに、ひらひら、動かしていた。
しばらくそんなことを続けていると、便箋は僕の手の熱でふやけてしまって、うまく光を透かさなくなる。そうなって初めて、僕は便箋を解放した。
ひらり、床に。
陰になってるそこでは、まったく綺麗に見える、びんせん。辺りは同じようなものが、もう10枚、沈んでる。
……けっこう高価かったんだ。駅のファンシーショップなんか行って。
「妹のプレゼントで」なんて、嘘までついて、ラッピングまでしてもらった。
もったいない。あれはあとでどうしようか、なんて思いながら、僕はもう一枚、新しい便箋を取り出す。そうして、また、光に。
空に、重ねる。
……ついさっきまで、窓のまんなかに見えていたと思った太陽は、もう屋根の向こうに逃げてしまった。
そろそろ3時だ。お昼、食べなきゃ。
……ああ、今日も一日、終わっちゃうのかな。
僕はこんなことを、もう3日も続けてる。
ばかみたいに無駄な一日を、何度も繰り返す。だけど、これでも僕は、すごく重大な危機を背負ってるんだ。
留年するかもしれない。これは、僕にとって、死ぬくらいすごくやばいことだ。やってしまったら、奨学金の停止と、親からの勘当と、長くなる学生生活が待ってる。
思ったらげんなりして、少し息をついた。
えらく時間をかけて立ち上がると、床の便箋を拾い集める。
……ふと、テーブルのそばの赤い座布団を見ると、飼い猫がいないのに気づいた。狭い部屋の奥に目を向けると、えさ置き場のワゴンの前に、黒い影。
僕の足音を聞くと、雨子は金色の目を、僕に向けた。
雨子は、去年僕が拾った捨て猫だ。事故にでも会ったのか、左の、後ろ足がきかない。それと、たぶん、どっちかの耳も。
雨の日、窓の外でひどくしゃがれた声で鳴き続けるもんだから、眠れなくって拾ってきた。もともとどこかに飼われていたのか、抱き上げたって何もしなかった。
雨子は足がきかないから、ほとんど一日中、テーブルのそばの赤い座布団の上にいる。動くのは、お腹がすいたときだけ。
拾う前はあんなに鳴いていたのに、黙ってワゴンの前で、待ってるんだ。
僕は冷蔵庫からミルクと、横の棚からキャットフードの袋を取り出した。それから器に、ミルクを注いで、フードを取り分けるとき、雨子は目を丸くして、それを見つめる。
きっと、僕がとりだすパックと袋から、自分の好きな食べ物と飲み物が出てくるのが、魔法みたいなんだろう。
……僕は、雨子にとって、ヒーローだ。
自分もごはんを食べ終えると、僕はポットで挟んでる、メモを見た。
それには、今度の課題の内容が書いてある。
……僕の夢は、ジャーナリスト。中学生くらいのときから、ずっと憧れてる。政治腐敗や社会問題、国際社会のこととか、的確な言葉で言い当てる彼らを、かっこいいと思う。
だから僕は、芸術学部の文芸学科のある大学に入った。親を説得して、遠い、私立の。
だけど、理想と現実はほど遠い。学校に入って初めて、僕は自分にまったくと言っていいほど、文才がないことに気づいた。
課題で、いろいろな文章を書いた。随筆、論文、小説……それから、同じキャンパスにある工学部が作った、新しい機械の説明書とか。もちろん、僕が目指してるジャーナリストが書くような、社会問題についてのものも。
だけど、どれも散々だった。書いた本人の僕でさえ首を傾げるようなものもあったし、たとえ僕に自信があったとしても、教授たちが首を傾げる。
単位は、あまりとれてない。授業にはちゃんと、出てるのに。
そして、僕の進級がかかってる課題が、これだ。
『課題:ラブレター
各自選んだ便箋5枚以内におさめ、名前と学籍番号を書いた封筒に入れて提出すること。』
……期限は、一週間。そしてもう、3日経った。
だけど、ラブレターはただの一文字も書けてない。そして、これからも書ける気配がない。
それも、仕方がないと思ってほしい。……僕は、これまで一度も、恋をしたことがないんだから。
僕は、課題の内容を書いた紙を見つめて、ためいきをついた。
くしゃりと丸めてしまうと、ゴミ箱に捨てる。
もう読みすぎて、そらで一字一句間違えずに、言えるようになってしまったから。
何度読んだって、課題は変わらない。ラブレターなんて、書けない。
……僕は、恋をしたことがない。
恋をしたことがないから、当然、誰かと男女交際をしたこともない。
別に、僕がすごくぶさいくなわけでも、性格が悪いわけでもない。友達の話では、どちらとも無難だって。それだから、生きていて彼女の一人くらいいてもいいのにって、みんな言う。
……あるときなんか、僕がゲイなんじゃないかって、噂されたほどだ。
だけど、僕はそれを否定できない。恋をしたことがないんだから、男だって女だって、好きになったことはないんだけど。
僕は、どうしても女の人を好きになれない。
……女の人に、好意を持てないんだ。
ほぼ毎日入れてるバイトは、いつも6時からだ。6時間働くから、それで僕の一日は終わってしまう。あとは家に帰って、寝るだけ。
……課題の期限は、大またで歩いてくる。
昼間の陽気なんて、吹き飛ばされてしまった。切りつけるみたいに冷たい風の中を、俯いてとぼとぼ歩く。
僕のバイト先は居酒屋だ。住んでるアパートの前まで続く、居酒屋街の端にある。それこそゲロ通りって言われるくらい、居酒屋ばっかりの道。
夜中だっていうのに、すごくにぎやかだ。
呂律がまわってない声が、あちこちから聞こえる。道幅が狭いから、それはもう、ステレオだ。慣れてるから、平気だけど。
……電柱の影に、一組のカップル。二人ともバーで働いてるんだろう。それっぽい格好だ。グレイのスーツに、髪を後ろになでつけてる男の人と、真っ赤なドレスに、毛皮のコートの女の人。
茶色い巻き毛がきれいな、凛々しい顔立ちの、美人だ。
……こんな美人をしばらく見ていたら、即席の恋くらい、案外できてしまうのかもしれない。ぼんやり、僕は思った。
真っ赤のドレスの、女の人。きらりと光る唇が、開いた。
「ざけんじゃねぇぞ、テメェ!」
真っ赤なドレスの、女の人。その人の声は、……どう考えても男の人の声だった。
「ふざけてんのはそっちだろが! 見た目みてーに女らしくしてやがれ!」
「黙れタコ! なんでテメーに説教されなきゃなんねーんだ!」
……道幅は、狭い。
そのカップルから3メートルくらいの距離を残して、僕はどうしようもなく立ちすくんだ。その間にも口げんかは続いて、ついには女の人……だと思ってた人が男の人を殴り飛ばして、ゴミ置き場に沈めてしまった。
そして、忌々しげに男の人を見ていた目が、その鋭さを失わずに、こっちに。
……僕の、方に。
「何見てやがる」
「え、いや、あの……」
その人は深くスリットが入ったドレスも気にせずに、大またで歩いてくる。僕はなんて見る目がないんだか、その身長は僕より高かった。
逃げなきゃ、と思うのに、バイトで疲れた体が「走りたくない」って叫んで、ポケットから手さえ出せずにいる。
「しけたツラしやがって、ガキが。てめーもゴミ箱に埋めてやろうか?」
「え、てか、あの」
何が言いたいのか分からないし、何も言いたくない。いちばん関わりたくないものに、関わってしまった。
相変わらず何もできない僕の、胸倉をつかんで女、だと思ってた人が何か叫ぶ。
ぎゅっと握った拳が目に入って、僕は覚悟して、目を瞑った……
「黙れそこのオカマ! さっきからうるさいんだよ!」
不意に横合いから、声。
その瞬間に、僕の頭に氷がざくざく入ったカルピスチューハイがぶちまけられた。
……心臓が、ひやりと縮み上がる。頭が、真っ白くなる。
オカマ、の人はその間に何か言い捨てて、逃げたみたいだ。胸倉の手が、なくなる。
助かった、と思うのに、なんだかどうしようもなく腹が立って、僕は声がした方をにらみつけた。
そこには、真っ赤なドレスの。今度は本当に、女の人。
「クソ、あのオカマ、うまくよけやがったな」
そういう、その人の持つバケツに、滴る、白いしずく。
……カルピスの水溜りは、明らかに僕の周りだけに、できていた。
「大丈夫?怪我は?」
それでも、飄々とそう聞いてくる。ひどく腹が立つのに、怒る気力も、ない。
「……ノーコン。」
僕が呟いたら、その人は、笑った。
「来な。寒いだろ」
ポケットに入れっぱなしだった手を、ぐっと引かれる。
そうして僕は、どこかの店に、引っ張られた。
つづく。。
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■作者からのメッセージ
恋愛ものにチャレンジしてみました。
読んで下さると嬉しいです。。