- 『記憶にございません』 作者:明太子 / 未分類 未分類
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原稿用紙約16枚
おお、いたか、よかったよかった。
いやあ、久しぶりだなあ。
今いい? なあんて、ダメって言われても帰んねえけどな。
悪いね、ちょっと上がらせてもらうよ。そんな、露骨に迷惑そうな顔すんなよ。昔、遊びに来いって言ってたのお前じゃねえかよ。
ああこの顔? ここへ来る途中ちょっとな。いつもの酒の勢いってヤツよ。大丈夫大丈夫。まあおいおい話すから。
しかしお前、いないことも多いんだろ? 運がいいよなお前、旅立つ俺に最後に会えて。え、運が悪い? まあそうつれないこと言うなって、真顔で。
実は俺、転勤することになってさ。今日がこっちでの最終日だったもんで、会社の同僚に送別会してもらってたんだけど、それが今さっき終わったとこなんだよ。そういえばお前この辺だったなってふと思い出してさ。
どうよそっちの仕事は。大変なんだろう? ああ大変だ、って、なんだよお前、そんな正直に言わなくたっていいじゃねえかよ。俺も一応、気ィ遣ったフリして訊いてみただけなんだから。ここは「大丈夫、気にするな」って返すのがこのケツの座りの悪い都会のルールなんだよ。どっちにしろ今日の俺には関係ねえから、そのつもりで。なら訊くなって? ぶっはっは!
まあ、お前とこうしてバカ話できるのも当分ないだろうしな。
しかし、俺なんかのために盛大な送別会してもらってさ、いまマジで気分がいいんだよ。お前って下戸だったっけ。ハァ、この気分を味わえないとは、信じらんねえ人生送ってんな。
水? 水なんかいらねえよ。今はイイ感じに酔ってるって言っただろうが。水なんか飲んだら体内のアルコールが薄まっちゃうじゃねえか。「水をさす」とはまさにこのことだよ、って、おっ、俺今うまいこと言わなかった?
そんな、小刻みに何回もうなずくなよ。なんか嫌々みてえじゃねえか。ちょっとは演じろっての。まあ、とにかく水はいいや。あ、座布団もいらないよ。
今日の送別会? そりゃあもう、あんなに激しく飲まされた記憶は久しくないな。大学ン時に、部活の新入生歓迎合宿でポンプ一気させられた時以来だと思うよ。
え、ポンプ一気知らねえの? 知ってるわけねえか。
ポンプ一気ってのはさ、まず四リットル二千円くらいのクソ安い焼酎あるじゃん。そうそう、保健室のかほりがするやつ。あれのバカでかいボトルに灯油ポンプの片方のノズルを差し込んで、もう一方の、ポンプの出口の方だな。それを飲む奴に咥えさせてからポンプを押すわけだ。もうね、半端じゃないよ、一差しで注入される酒の量が。そんでまた勢いがすごいんだわこれが。のど直撃ですよ。スプレー型のカゼ薬じゃねえっつーのよマジで。
そういやあのカゼ薬最近見ねえな……まあ、そんなことはどうでもいいか。
それで、色々ゲームとかやってな、負けるたびにそれを一差しぶんずつ飲まされるわけ。のど直撃だから、むせそうになって飲めたもんじゃねえんだけど、それ吐き出すとやり直しさせられるから必死に口閉じてちょっとずつ飲むんだよ。ストレートだぜ、あの不味い酒を。もう“エチルストレートフラッシュ”よ。
え、意味が分かんない? お前、そんなの語感でなんとなく分かれっての。こういうのは考えて理解するんじゃなくて感じろ、ってブルース・リーも言ってんだから。さらに言うとだな、分かんなくても聞き流せ、そういうのは。
まあとにかくな、そんな飲み方してたらペースもクソもねえからよ、当然アルコールの許容範囲を大幅に超えてブッつぶれるわけ。そうすると先輩に担がれて隣の部屋に連れて行かれんだけど、隣の部屋ってのが酔いつぶれ専門部屋になってて、壁と床一面に青いビニールシートが張り巡らされてんの。意味分かんだろ? なんだよ、言わせるなよ。俺こう見えても、そんな下品な言葉口にするの好きじゃねえんだって。“ゲロ”なんて言えませんよ。ぶっはっは!
まあ、とりあえず地獄絵図ですわ、その部屋は。そこの主にも同情するよ。だいたいよ、そんなことに部屋が使われたなんて、その部屋で自殺した人がいるってより嫌だぜ、ある意味。
……あれ、何の話してたっけ。ああそうそう、送別会で激しく飲まされたって話だったな。お前、話が脱線しすぎだっつうの。あ、俺か。ぶっはっは!
いや、はじめは普通に飲んでたんだよ。鍋つつきながら色々思い出話なんかしてな、結構おとなしかったんだよみんな。
それが罠でしたよ。
元々、店を二時間飲み放題で予約しててさ、ラスト三十分前くらいになったら、いきなり同期の小林ってやつから紙とボールペン渡されたの。「何これ」って訊いたら、「これに最後の挨拶を書け」って言うわけ。「なんで書くんだよ、書くぐらいなら喋らせてくれよ」って文句言ったら、「いやダメだ」っつって聞かねえから、俺仕方なく書いたよ、紙に。で、書いてる最中に「言いたいことは簡潔に、短くした方がいいよ」って、よく分かんねえこと言ってくるわけ。交通安全のキャッチコピー考えてんじゃねえんだからさ、とか思ったけど、そこでピンと来たね。ああ、なんか仕組んでるなこいつら、ってね。ただそれが何かまではさっぱり見当つかなかったけどな。
え? ああそうか、その通り。それじゃピンと来てないのと一緒だよな。お前は正しい。素晴らしい! ……もう、お前と話してると疲れる。すこぶる疲れる。
で、俺はね、『さらば友よ、またどこかで道が交わることもあるだろう』って書いた。
よく覚えてるな、って、まあ中学ん時に卒業アルバムにダチが書いた言葉パクっただけだからな。寒いこと書くなあ、って思ってなんか妙に記憶に残っちゃってんの、その言葉。
え、あれ書いたのお前だっけ? マジで?
ぶっはっは! なんだそれ。我らが道、交わりまくりじゃん。ぶっはっは!
……そうムッとするなって。ごめんごめん、もう寒いなんて言わねえから。怖いってその顔。
いい? 続けていい?
で、挨拶を紙に書いたんだよ。とにかくそれを書き終えてだな、「書いたよ」って言ったら、その小林ってのが紙をひったくるように奪ったわけ。
いやね、その頃から、やけにみんな熱燗ばっかり注文してんなあ、とは思ってたのよ。しかしまさか、それ全部俺が飲まされるとは思ってなかったね。小林の野郎なんて言ったと思う? いきなり立ち上がって「これから柴田君の挨拶を読み上げます。なお、柴田君は一文字読み上げるごとにおちょこ一杯ずつ空けていきます」とか言いやがんの。だいたい言い方がおかしいと思わねえか? 俺と事前に打ち合わせたようにしか聞こえねえだろ? ったく、あのハゲ。
え? いや、まあ、頭髪はフサフサしてるんだけどさ……だからお前そんなどうでもいいところ突っ込むなって、頼むから。
それでな、それ聞いて他のやつらが歓声あげた時にはいつの間にか準備ができててよ、気がついたらテーブル中のおちょこが全部俺の前に集まってて、しかも全部に酒がなみなみ入って、表面張力使って踏ん張ってやがんのよ。もうほんとに、あと一滴でこぼれるっちゅうギリギリまで注がれてるわけ。全部に。お前らね、そんなところで職人芸見せなくていいと。その能力のちょっとでも仕事に回せと。
まあ、転勤という名の島流しに遭う俺が言えたことじゃねえけどな、ぶっはっは!
やったのか? って、そりゃやりましたよ。だって俺の送別会で集まってもらってんのに、俺がそこで拒否して場を盛り下げるわけにいかねえからな。
もうね、全員で大合唱ですよ。
小林が「さァー!」って読んだら、みんなが「さァー!」って繰り返して、俺がグイっと飲み干す。次、「らァー!」でまたグイっと。「ばァー!」でまたグイっと。「とォー!」でグイっと。延々続くわけ。しかもおちょこ程度の量だとよ、もう限界だと思ってても飲めちゃうんだこれが困ったことに。結局最後までいったよ。まあ途中でその小林にも五、六杯飲ませたけどな。
でも可笑しかったのが店員の顔だな。そりゃ、飲み放題っつってあんな飲み方されちゃ店はたまらんわな。しかもちゃんと酒をカラにしてるから、追加注文を断るわけにいかねえんだよ。もう最後の方はブスーっとしちゃってさ、注文しても返事もしなくなりやがんの。別に店員に恨みはねえんだけど、なんかいい気味だったね。
結局何杯飲んだんだろうな。さ、ら、ば、と、も、よ、ま、た、ど……ああわかんねえ。全然指足りねえじゃん。まあいいや、とにかくたくさん飲んだよ、たくさん。もう気分は水タンクですよ。あの、高層ビルで地震の揺れを軽減するために置いてあるやつ。え、喩えがわかりにくい? うん、俺もそう思う。
だからいいって、別に数えなくて。“たくさん”でいいじゃねえかよもう。ったく几帳面なんだか何なんだか。それとも職業病か?
いやだから「分かんなくなる」じゃなくて、分かんなくてい……はいはい、黙りますよ。そんなに怒ることかよ。
二十七? ああそう、じゃ俺は二十ちょいか。いや、まだ平気平気。俺そのポンプ一気以来あんまりつぶれることなくなったんだよ。まあその分、脳細胞は死滅してダメ社員街道まっしぐらだけどな、ぶっはっは!
まあ、そんなこんなで送別会も終わってさ、帰りがけに一人で駅まで歩いてたら、向こうからスーツ着た酔っ払いが近づいて来て、なんか足取りが怪しいなあと思ってたら、案の定、肩がぶつかったの。
俺も千鳥足暦は長いけどよ、初めてだね、あんなコントみてえに美しく肩がぶつかり合ったのは。あんまり見事なもんだから、最初、その道のプロがわざとぶつかってきたんじゃねえかってちょっとビビってさ、そのままやり過ごそうかと思ったのよ、実は。
そしたら背後から「おい、気をつけろこの野郎!」って叫び声が聞こえてきたんだけど、なんつうか、言い方が堂に入ってねえんだな。ドスが効いてねえっつうか。ああこりゃ普通のサラリーマンだな、って思ったら、いきなり怒り心頭ですよ。俺ってば弱者には滅茶苦茶つええからな、自慢じゃないけど。
振り返ったらそいつが立ち止まってこっち睨んでるからさ、俺の方から近づいてやってやつの胸ぐらつかんで、コイン駐車場に停まってた車の陰に引っ張り込んでやったんだよ。
なんだよ、血相変えて。まあ、最後まで聞けよ。
あそこは良かったね。気持ちいいくらい邪魔が入んねえの。音なんかで気付いたりしてたヤツもいたんだろうけど、わざわざ確認しに行こうなんてなかなか思わねえだろうし、元々人通りがあんまりねえ所だったから、やりたい放題。
つっても俺もそんなにケンカ強いわけじゃねえからな。結構やられてこのザマなんだけど、俺は殴られるとテンションが上がって、パワーも倍増するタイプだってのが分かったよ。相手はどうもその逆っぽかったな。
結局最後はマウントポジションでボコボコにしてやったよ。見ろよこの拳。俺も酔っ払ってたから照準が合わなくてな。相手の歯に当たったりして、ほら、このへん出血とかしちゃってんだけどね。殴ったこっちがボロボロですよ、まったく。まあ、今は酒で痛みが麻痺してるからいいけどな。あとここ。なんか血でも涙でもないような、変な液体が相手の目のあたりから出てきやがってよ。糸引くような感触だけは覚えてるよ。しかもなんかスゲエ臭いがすんの。嗅いでみる? いい?
傷害罪? んなこと分かってるっての。まだ先があんだよ。
こっちも気が済んだんでそいつから離れたら、そいつがフラフラになって立ち上がってよ、スーツの内ポケットからナイフ出しやがったんだよ。
なんちゅうか、怒りと笑いが同時に来たな。サラリーマンがナイフなんか持ち歩いてんじゃねえと。
ただ、もうそいつ全然足取りも覚束ねえしさ、力も入ってねえから、簡単にナイフ奪い取って事なきを得たんだけどな。
で、そっから恐怖が押し寄せてよ。だって、もしそいつが最初からナイフ出してたら今頃どうなってたか分かんねえだろ? いやあ、怖かったねえ。でもそれを奪ったわけだからもう安心なんだけどな、そしたら今度はその安心感が興奮に変わるのな。こっちがナイフ持ってるし。サーブ権交代、みたいな。
もうさんざん殴っちゃってるってのもあったんだけどな。毒を食らわば皿まで、ってやつ? ちょっと違うか。
まさか、って、ああ、たぶんその予想当たってるよ。
うん、興奮しちゃったせいで、刺しちゃった。
初体験ですよ。なんだろうね、中途半端に解凍した豚バラのブロック刺してる感じかな。……あれ? 喩えが分かりにくい、とか突っ込んでくんねえの?
おいおい、そんな怖い顔して立ち上がんなくてもいいって。
だからここに来てんじゃねえかよ。
そんな、嘘じゃねえって。わざわざそんな嘘つきにここまで来ねえよ。刺しました。マジで。イッツトゥルー。
まあ、刺すほうはさすがに三回でやめたけどな。さァー、らァー、ばァー、までだな。そいつ“友”じゃねえし。
え? そんな、刺した張本人が救急車なんか呼ぶわけねえじゃん。それじゃマッチポンプじゃねえか。俺、そういう無駄なことすんの嫌いなの。
顔が梅干みてえになってのたくってるそいつ見てたら、いや、なんか膨れた顔が似てたもんでな、ふとお前のこと思い出したわけよ。
お前そういやここの交番勤務だったな、って。
警察の仕組みとかよく知らねえけど、お前が俺を捕まえたってことにすりゃあ点数とかつくんだろ?
現場? そんなの憶えてねえよ。えーと、北半球。
イテテテテ、マジで分かんねえんだって。駅の近くの駐車場だよ。
いやあ、しかし捕まったらどうなるんだろ。ま、島流しと大して変わんねえやな。
だからお前は運がいいって言っただろ? 別に感謝なんかしなくていいからな。俺ら“友”じゃねえかよ。ぶっはっは!
<了>
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2004/05/20(Thu)17:09:35 公開 / 明太子
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■作者からのメッセージ
酔って記憶がない時って、結構しっかり喋ってるらしいです。
さすがにこんなやつはいないと思いますが……
酔っ払いの雰囲気が伝われば。ちなみに、素面で書きました(笑)。