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『欠落少年(全体的に改)』 作者:晶 / 未分類 未分類
全角8788.5文字
容量17577 bytes
原稿用紙約28.75枚


 目の奥が、カチカチと明滅を繰り返している。
 混濁して、やがて朱色に変わる。
 だから、呼吸を整えるようにゆっくりと目を開いた。
 ズキリと痛む瞳に映るのは、周りを囲む牢獄のような白い壁。少しだけ滲んで汚れている。そしてカッターナイフの傷。
 今も手に握られたカッターナイフを、今度は床に付きたてた。
 パキンと軽い音を立てて――刃は折れる。
 なんて脆い。
 ヘッドフォンから流れる、一昔前の流行った音楽が問いかけてくる。
 ――I don’t know how to love――
 イェス、シュアー。
 殴り捨てた。
 代わりに車の通り過ぎる音――ソレは酷く日常を夢想させた――が聞こえる。
 今日は気分が悪い。
 吐き気がする。
 テーブルの上に自分で据えた夕食を、やっぱり自分でなぎ払った。
 音を立てて割れる食器。
 中身がこぼれる。
 その在り様に、胸が激しくざわめく。
 僕は立ち上がり、オーバーを羽織ると、外の空気を求めて散歩に出かけた。
 散らかった部屋を見向きもせずに。

 雨上がり特有のアスファルトのにおいは嫌いじゃない。汚れた地上を洗ってくれた後のようで、むしろ好きだ。草木は雫をわずかに残してシンと眠り、空には月が笠を被って浮いている。月は、息をひそめた優しい光。太陽みたいに眩しくなくて、僕みたいな夜行性には丁度いい。
 コンビニの白い光が、暗く続く通りの先で、ボウと夜の深海に沈んでいた。
 なら僕は、当ても無く彷徨う遊魚。
 街灯の光に焦がれるわけでもなく、人の雑踏を忌避するわけでもなく、ただ彷徨う。
 僕は無意味に歩く。
 何もかもが無機質に通り過ぎる。
 きっと触れれば簡単に崩れ去ってしまうんだ。
 酷く脆い。
 ボロボロと破損するに違いない。
 ギラついた車のライトが正面から僕を照らし出した。
 一瞬だけの白く染まった世界に、乾いた風が吹くと、枯葉が足元で舞った。瞳が痛い。それから世界が憂鬱のように蒼い闇に、車の排気音だけを残して、切り替わる。僕はざりざり踏み殺しながら、奥へ奥へと民家が立ち並ぶ道を進んだ。
 ただ、無意味に歩く。
 だが唐突に、誰かが僕の行く手を遮った。
「また、君か」そう言った誰かは、自転車を脇に止め、肩を軽くすくめてみせた。「少年、いい加減、夜に出歩くの止めなさい。最近このあたり、切り裂き魔が流行ってるのよ。新聞やニュース見てる? まったくもう。逮捕しちゃうわよ?」
 三日ぶりぐらいに人の声を聞いたような錯覚に陥りながら、その誰かの顔を見た。
 若い、憎悪を覚えるぐらい、精彩を放つ女性。
 見覚えがある。
 僕は言葉を返すのも億劫で、でも、きっとこいつはもっと絡んでくるに違いないから、しょうがなく口を開いた。
「罪状は何ですか?」
「私のシャクに触った」
 彼女(名前は忘れてしまった)は、断言しやがった。
「…………不良警察官」
「アリガト。私、警察官になったのは、好き放題できると思ったからなんだけど、中々難しくてね。気に食わないやつ全員逮捕とか、ね。手始めに高校のときのバカどもとかを逮捕してやりたかったんだけど。でもハゲ野郎が――ああ、私の上官ね、うるさくて仕方ないのよ。この間も減俸くらったし、まったくッ! 腹立つな!」
 だからと言って僕の目の前で、留めてあるバイクを蹴飛ばすのはどうかと思う。
「自業自得です。それより、そこを通してくれますか?」
 僕はすげなく告げて、彼女の横をすり抜けように一歩を踏み出した。が、彼女も横へ大きく一歩スライドし、やけに真剣に僕を見下ろした。
「君は……年の割りには、言葉が回る。頭もいい」
「通してください」
「私が言いたいことはね」
「判りました。じゃあ、違う道を行きます」
 僕は踵を返すが、彼女の手が僕の左腕を捉える。
「待ちなさい。自分の殻に閉じこもって優越感に浸るものいい加減にしろってことよ」
 僕は空いた右手をポケットに突っ込む。
「十年そこらいの人生で悟りきってんじゃない。人を見限るのは百年早い。ヨボヨボのジジイになるまで諦めんなよ」
 そのまま僕の手首を引っ張って、無理やり振り向かせると――。
 ヤメロッ!
 左腕の袖をまくった。
「この躊躇い傷を君は自分でどう思ってるのよッ!?」
「うるさいっ!」
 僕はカッターナイフを一閃させた。
 彼女の頬が薄く切り裂かれる。
 彼女は手で傷口を確かめると、ペロリと血の付いたその親指を嘗めた。
 そして特に僕を恐れるわけでもなく、彼女は僕を黙って見つめる。
 彼女が次の言葉を発するまでの数秒の猶予は、僕の中の熱を拡散させた。
「ふうん。度胸あるじゃん。私の前でそんなもの使うわけ? 意外と直情的ね。君、告白するとき、悩んで悩んで、でもいざ言うときには、一言しか言えないタイプだわ」
「何の話ですか」
「君が私に惚れてたら、フッテやるって話」
「バカでしょ」
「今の君よりはマシよ。何? ナイフ持ってないと面と向かって話せないわけ? 臆病者ね」
「さっきと言ってることが違います」
「違わないわよ。本質は一緒。何だって大概は簡単な一言で置き換えられるってことね。君はバカだ」
「テキトー言ってますよね?」
「いちいちつっこまない。大事なのは気持ちよ、気持ち。判る? 君はまるで自分で自分を殺してるみたい」
「はっ、冗談ですね」
 彼女の見当違いの発言に、僕は憎々しげに吐き捨てると、一回り大きい彼女の体を突き放し、
「覚えておいてください。僕が殺すのは他人ですよ」
 何も残さずに走り去った。
「あんたこそ覚えておきなさい! 逃げんじゃない。真っ正直に生きてみろよっ!」
 遠くで、本当に遠くで、遥かに彼女の声が聞こえた。

 帰り道。
 僕は手頃な女性を刺した。
 殺した。
 嗚呼、やっぱりこんな風にしか生きられない。
 きっと心の一部が欠落している。
 壊れたようにカッターナイフを出し入れしながら、
 ――カチカチと目の奥が朱色に染まる。

 奈落のような眠りから覚めても、朝は訪れない。夜が長い。夜がずっと連続している。夜が晴れない。
 ……朝の来ない夜。
 そんな世界の法則を無視した夜の中で、僕はただ行為を重ねる。そこに罪の意識なんてない。存在するのは熱病に侵された自我と、無意識の行動。
 一人殺すのは、突発。
 二人殺すのは、自覚。
 三人殺すのは、連鎖。
 四人殺すのは、呪縛。
 五人殺すのは、崩壊。
 それから先は――ビデオを巻き戻して再生するような倦怠感だけが、残留していた。
 いつか磨り減って切れる。
 だけど、また壊れた一日を繰り返す。
 今夜もまた、闇に沈んだ街を果てもなく散策していた。
 閑静な住宅街の一角、道路脇に駐車してある車の横を通り過ぎるとき。
 サイドガラスに目が留まった。
 真っ黒なそのガラスに一人の少年が映る。
 感情の灯らない瞳。若く瑞々しいはずの体は枯れた老人のよう。それでいて蟷螂のようにいびつ。
 そして、三日月よりも歪んで笑う。
 僕を嗤う。
 亀裂が入った。
 足音が聞こえる。
 誰の?
 女性が正面から近づいてた。
 急ぎ足で僕の横を通り抜ける。
 僕たちは擦れ違う。何も残さない。何も交わらない。一瞬の交差すらなく二人は永遠に分かたれる。
 嗚呼、待てよ、待ちやがれ。
 イクナッ!
 鮮明だった意識が一気にブラックアウトした。
 そこからは自分が自分でないような、オートマティックな行動。
 自我の残り火がゆらめいていている。
 アルコールを摂取したことはないが、多分これが酔うと言った感覚なんだろうか。酷く高揚している。酷く沸騰している。浮遊していながら何処までも墜落する。意識が曖昧だ。意識が螺旋を描いている。グルグル、グルグルと、獣の唸りのように回り続ける。
 二人が絡み合った。
 縺れる。
 バチバチと電撃。
 ハラハラと黒髪。
 一閃した。
 赤が弾ける。女性の吐息が破裂する。闇が雷鳴に切り裂かれるように輝いた。
 血が散華する。
 また人を殺した。
 そう思った。
 カッターナイフは血に濡れ、僕は血に濡れ、でも何に濡れているのかも判らずに、佇んでいた。
 目の奥がカチカチと鳴り止まない。
 ただ意識が朱色に侵食される。
 僕は、僕は、僕は……。
 そこで何をしているっ。
 自我が掻き消える一瞬、最近聞きなれてしまった、耳に残る嫌な声がした。

 それから。
 ……逃げんなよ。
 その言葉を起動ワードとして、僕は意識を取り戻したのだが、それからが良く判らない。
 周囲をぐるりと見渡たすと、剥げた壁や、むき出しの材質が放置されている。そして本来ここには在りえるはずの無い、よく判らない物体。子供達が持ち込んだものだろう。つまり、散々に散らかっていて、荒れ果てているということだ。
 ここは廃ビルの二階だ。
 何とか視界の映像と記憶の一致を済ませ、僕は思い返す。
 今しがたの出来事だというのに、既にノイズ混じりの古い映画のような記憶。
 そう、確か、いつものように(自動的に)僕はカッターナイフで人を殺していた。その現場を、偶然、彼女(名前は忘れた)に目撃されたんだと思う。彼女の腹部にスタンガンを当てて気絶させ、拳銃を奪って、彼女を引き摺って、それから何? そうだ。近くのこのビルに連れ込んだんだ。どうして? さあ、判らない。彼女を、殺すためなんではないのかな。そこは保留。うまく思考が働かないし、気持ちが悪い。時間がどれくらいたったのか、その間僕は何をしていたのかは、不明。だけど彼女は気づき、そして、逃げ出した。
 僕を前にして逃げ出したんだ。
 ――だから僕は彼女を追う。
 ねえ、
 人が壊れるためには理由がいるのだろうか。それとも『壊れないため』だろうか。
 失うということは、欠落するということだ。だから、代理品で補ってみても、いつかは崩れる。時間さえも敵に回す。時間が心を癒してくれるなんて嘘だ。腐食を進ませるだけ。嗚呼、何もかもが、僕を苛む。自分で自分を殺し、心が心を壊す。いつか自壊するんだ。
 さあ、行こうか。
 右ポケットには、小銭とカッターナイフ。
 左ポケットには、ティッシュとスタンガン。
 衣服は、返り血によって斑に染まり、
 帽子は、目深にかぶり、
 右手には、拳銃を握っていた。
 そして足音を闇に響かせて、階段を上る。
 一段一段を踏みしめながら、だけど、力が入っているかどうかさえ判らない。
 ねえ、悪夢という言葉があるでしょ。
 ソノ言葉を現実に当て嵌めるのは、物事を直視出来ず受け止められない奴だけど昔は思っていたんだ。
 足元が覚束ない。何処か夢のような曖昧な感覚。現実と言うには儚すぎて、幻と言うには確固としていた。
 だから夢。
 カチカチと目の奥から朱色が滲み出る。視界の中央から端へと世界が朱に染まる。
 何もかもが消えてしまいそうで、呼吸が荒く、苦しげに、――激しい。
 ズキリ。
 頭が痛い。
      ズキリ。
      体が痛い。
           ズキリ。
           心が痛い。
 ズキリ、ズキリ、ズキリ。
 嗚呼――なんて痛い。
 まるで悪夢。
 醒めない夢の果てで僕は崩れていく。
 それでも、僕の歩みは止まらない。
 なんて無様。
 だから、僕はなんのために生き残ったのかって、時々掠めるように思ってしまう。
「……ク、……ハ、アッハハハ」
 淀んだ笑いを嘔吐した。
 そして四階。視線を巡らせても温度を感じさせない床だけ。簡易な作りのこのビルは、仕切りもなく各フロアと階段しかなかった。
 この先の屋上に、きっと彼女がいる。
 ズキリ。
 頭が痛む。
 キィンと鼓膜にこびりつく様な不快な音。金属を擦り合わせたような耳鳴りがする。
 意識があやふやなまま、判然としない。
 本当は……、
 ――Where am I going?(何処へ向かってるの?)
 問いかけてくる。
 必死に足掻いてのは誰?
 僕を詰問し、責め上げる。
 だけど、僕の足はゼンマイ仕掛けのように(自動的に)止まる事はない。
 力尽きるまで盲目に進む。本当に無意味に進むんだ。
 あと七段で屋上。
 ズキリ。
 体が痛む。
 意識するとさらに軋んだ。
 食事もろくにとってない体は、とっくにガタが来ていてもおかしくなかった。
 壁に左手を当て、体を支えながら、階段を上り終える。
 ついに、倒れている扉を踏み越えて、最後の境界を潜った。
 視界が開けた。立ち止まると、夜風は凪ぎ、静寂が訪れる。街灯の切れ掛かった神経質な光が覗く。ジジジジ。消える寸前だった。
 この世間から取り残された廃ビルは、僕にはお似合いだ。
 そして殺人にも適している。
 視線の先に、だけど憎らしいぐらい堂々と、淡い月下に、彼女はいた。
「逃げないでくださいよ」
 ――ごく自然に(自動的に)、
 僕は左足を前に出して、右足を引き、半身に構える。片腕スタイルでは疲れてしまうから、延ばした右手に左手を添える。しっかり左の掌をグリップ前面の指に当てて、右親指に左親指を重ねるようにする。
「逃げてないわよ。警察が犯人から逃げてどうするのよ」彼女は僕に笑ってみせた後、声音を低くして続ける。「銃は止めなさい。殺す気がなくても殺してしまう」
 何をいまさらっ!
 脳が一足飛びで加熱した。
「弾丸は一発だけよ。大事につかいなさい」
 彼女は僕の様子を窺いながら、重心を少しずつ下げていく。
 ここに彼女が来たのは、時間、……稼ぎだったのだろうか?
「――それから安全装置、解除しないと、撃てないわよっ!」
 唐突に、彼女は身を低く滑らし、銃口から逃れるように、僕に向かって跳躍した。
 果たして、僕の思考は彼女の動きについていけたのだろうか? ほとんど自動的に銃を撃つ。
 銃声が耳を劈いていた。
 そして彼女は背中からしたたかにコンクリートに転がった。
「安全装置は解除しています。それに全部、ちゃんと装填されてました。ちなみにこの銃はS&W M37。ニューナンブM60にとって代わってやつですね。双方とも口径.38スペシャル・5連発のリボルバーです」
 彼女の左肩口に血が滲んでいる。彼女は苦しげに眉をひそめ、それでも立ち上がった。
 あれ? 少しだけ疑問。
 ――何で、死んでないの?
「どうして銃の扱い方からそんなことまで知ってるのよ? 冷静なんだか、それともキレてるんだか……。ああ、イタッ。すっごい気分悪い。吐き気がするわ。全身の血が蒼くなったって感じよ」
 毒づきながら、僕をねめあげる。
 暫く低い声で唸っていると、彼女は天を仰いで気だるそうに僕に話しかけてきた。
「今度は沸騰してるみたいに熱くなってきたわ。どうしてくれるのよ?」
 でも彼女の口元は笑みを作っていた。
 彼女は一歩よろめきながら、でも確りと、僕に視線を戻す。
「一年前の『あの事件』は知っているわ。私の友人も一人死んだんだ。顛末は、とても口では語りきれない。君だけが、今を生きられてるってことも、勿論知っていたよ。多分、誰だって、きっと心が死んでしまう」
 彼女は祈りを捧げるように瞳を閉じてから、一旦息を整える。そして僕を真摯に見つめた。
「今も、一ヶ月前に君の姿を見てからも、ずっと、この話がしたかったわ。でも簡単に触れていいことじゃないから。……でも、今は、君が! 君からがっ! 私に関わってきた」彼女は微笑む。「だから話させてもらうね」
 ズキリ。
 心が痛む。
 自分の心象風景に、こびりついた朱色が、溢れ出す。
「君が言った独りということは、世界でただ一人ということよ。悲しいことかどうかは知らない。そう感じるのは打ちのめされてしまった人だけだから。君は、全てを拒絶するの?」
 僕は答えない。
「君は、死にたいのか生きていたのか、自分でも判ってないでしょ。そんなのはどうだっていいの。心が死んでしまったら、独りだったら、辛いだけだ。失った誰かを求めても涙がこぼれてしまって、いつか狂ってしまうかもしれない。全てを否定して、全てを壊したくて、壊れた心が暴走してしまうんだろうね。他人を無意味に傷つけて、殺して、自己の狂気だけを満たして、血に酔うバカもいるだろう」
 僕はただ黙って立つ。
「だけどっ!」
 彼女は言う。
「君は壊れてなんかいない。そう思える」
「…………何を言ってるの?」
「君は決して、そんなんじゃない」
「僕は! もう何人も殺したっ!」
 僕の血を吐くような叫びに、だけど、彼女は一瞬呆けたような表情をした。
 それから暫く、考え込んで、心得が言ったとばかりに、軽く笑った。
「半人前の半泣きで、よく言うわね。君は、誰も殺せてなんかいないわよ」
 彼女は微笑んだまま、少し意地悪そうに続ける。
「――ねえ、ちゃんと新聞やニュース見てる?」
 景色が迷彩色にグニャリと歪む。
 それでも眩暈に耐えながら僕は彼女に飛び掛る。押し倒して、馬乗りになった拍子に拳銃は床に転がった。だから僕は両手でがむしゃらに彼女を殴打する。
 拳が熱い。
「イツッ! こら、無茶しないでよね。心配しなくて、誰も死んでないわ」
 うるさい。
「なんで、君は寂しそうにする?」
 黙れッ!
 ポケットの中からカッターナイフを乱暴に取り出し、
 彼女の瞳に振り下ろした。
 ――――ッ!
「――何でっ! 何でっ!」
 何で外れるっ!?
「少年、君は誰も殺せていないんだよ。今、私を殺せないようにね」
 何でだよ?
 何で、殺せない……。
「君がやっているのは、歪んだ愛情表現よ。でも、迷惑だから私で最後にしなさい」
 何で殺せないんだよっ!
 僕は、彼女の首に手を回し、ギチギチと締め上げた。
 本気で殺したくて、でも、どうして殺したいのか判らなくて。
 なんで自分はこんなことをしているのか、しなくちゃいけないのか、誰か教えてよ。
 ギリギリと指だけが彼女の青白い喉に食い込んでいった。
 それでも彼女は真っ直ぐに僕を見つめる。逸らすことなく、僕だけを捉えている。
 ……嗚呼、瞳ぐらい閉じろよ。
 僕は、何が欲しいんだろうか。ねえ、教えてよ。
 力が抜けた。
「覚えてないようだから、教えてあげる。君はスタンガンやカッターナイフで人を傷つけたけど、誰一人殺していない。多分無意識に、いや自動的にかな。それに君が私に言ったのよ。ヘルプミーってね」彼女は倒れたまま、器用に肩を竦める。「意識が回復してから先しか覚えてないけど、君はずっと私に訴えていた。で、目を開いた途端、私を殺そうとしたから、一時撤退したってわけね。その時は私、フラフラだったから」
 唐突に、記憶と想いが蘇る。
 嗚呼、そうだ。
 僕は助けて欲しくて、他人と繋がりたくて、藻掻いていたんだ。
 朱色の世界は、何もかもが、人間の中身に詰まっている血のようで、孤独なんだとズキリと痛みと共に感じた。
 思い出す。
 ねえ、貴方がいないと寂しい。心に黒い穴が開いたようで、全部がそこから毀れてしまいそうで。笑った顔を思い出す。その声を思い出す。その仕草を思い出す。一つ一つを手繰り寄せるように。でも、ふと我に返る。そしたら、死ねそうなぐらい、心が悲鳴をあげた。驚いてしまうんだ。貴方がいなくても、生きていける自分に。生きている自分に。ねえ、幸せの在り処はどこなんだろうね。幸せっていうのは、突然、何の前触れも無く反転してしまうんだ。裏返る。幸福の反対は、不幸なんて生易しいものじゃなくて、純粋な絶望だと知った。
 自分の殻に閉じこもって、瞳を殺し、口を塞ぎ、耳を潰した。そうして、何もかもを遮断して、永遠に一人になりたかった。
 でも独りになった世界は寂しくて、カチカチとカッターナイフの乾いた音だけが繰り返し響いていて、そっと手首に当てると安心した。カッターナイフの刃だけが救いだと思っていたのに、だけど、他人を求めてしまった。
 違う。
 求めるなんて、綺麗な言葉じゃ表現できない。
 歪んでドロドロと他人を欲望したんだ。
 だから、最大の干渉をしてやろうとした。
 殺人という略奪を。
 だけど、もう殺すのも殺されるのも、そんなものは見るのが嫌で。嫌と言うくらい見てしまっていて。むせ返るような内臓の臭いも、血みどろな人の内部のパーツも、鮮烈に記憶に焼きついていたから。
 ――僕は誰も殺せなかった。
 だって、死ぬって事は途切れるってことだ。続いていく糸をカッターナイフで切るってことなんだ。
 痛みも悲しみも、全部知っているから。
 だけど僕は醜く干渉しようとする。
 だから、孤独。
 紛うことなく、孤独。
 それでも、
「どうしても、死にたくなったら私に言いなさい。そのカッターナイフで君の手首、掻っ切ってあげる」
 例えば、目の前にいるこいつとか、
「私は真正面から君の死を受け止める」
 誰かが、
「偽善だけど、それから泣いてあげるね。一人ぐらい、君の死を悼んだっていいでしょ」
 ――僕の心に立つ。
「…………ハハ、ハッハッハハ」
 やがて近づくサイレンの音を聞きながら、僕は悲しいような嬉しいような、歪んだ顔で不器用に笑い続けた。
「ああ、喋りすぎたわ。喉が渇いちゃった」
 ハアアアァ。
 長い、息を全部吐き出すような、全てが終わったことを告げるような溜息。
 僕はそんな彼女にポケットから小銭を取り出す。
「うん?」
「百二十円、貸しだから」
「……バカね。ええ、いいわよ。いつか返しに行ってあげる」
 差し出した手と手が重なる。
 嗚呼、こんなにも繋がりを求めていたんだ。
 カチカチと朱色に染まる視界は、透明な熱い液体によって、少しだけ、先を見通せるようになる。
 ――ねえ、僕は欠落したまま、生きていけるだろうか。
2004/06/06(Sun)14:09:00 公開 /
■この作品の著作権は晶さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 ごめんなさい。少し前に投稿したものを頂いた感想等を参考に書き直したので更新させていただきました。
 誤字脱字ありましたら指摘してやってください。その他にも意味がわからない場所、文章が足りない場所、多い場所、漠然と気になった点などありましたら、書き込んでいただけると幸いです。
 今回ばかりは、本当にお願いいたします。書き込んで頂いた事を参考に最後の書き直しをしたいと思います(投稿での更新はいたしませんが)
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