- 『黄金海』 作者:アヲ / 未分類 未分類
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全角5294文字
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原稿用紙約19.05枚
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都会というものに憧れていた。
ただこの憧れというのは、海なくしては考えられない。
なぜなら、自分にあるものを考えると海しかないからだ。
よって、海があるから都会に憧れる、というふうになってしまう。
苑は周りを海に囲まれた小さな島に住んでいた。
曾祖父は都会で生まれたらしいが、島の生活に憧れて退職後この島に移り住んだそうだ。
祖父と父は島を出たことはない。
祖母はもともと島の住人で、母もそうだった。
何故出て行こうと思わないのか、苑は時々不思議だった。
曾祖父がこの島の何に憧れたのかもわからなかったし、祖父や父にしても一度くらい島から出てみようという気持ちにならないのだろうか。
晴れた日にうっすらと見える都会のビルは、苑の心を震わせた。
大体都会というものに憧れないほうがおかしいとさえ思う。
毎日無意味に起き、ぼんやりと何をするでもなく海を見る。
海はいつも同じ海。
1日に2度訪れる定期船もその一部にしか見えず、心を震わせることはなかった。
自分の都市へ行きたいという気持ちを素通りして帰っていくだけの船は、非情に見えた。
苑はいつか都会に行こうと思っていた。だから父たちの気持ちがますますわからないのだった。
「はあぁ」
苑は目の前の空気をいっぱいに飲み込んで大きなあくびをした。
口を開けただけで舌先に残る海の味は、自分の感覚が作り出したものだろう。
長年海を見る生活をしてきたためか、口の中まで海しかなかった。
苑は真っ白に乾いた砂浜に転がった。
じわりと指先に絡みつく白砂からも、においなのか味なのかわからない海がやってくる。
太陽の光で温まった砂浜が、背骨の中に海の冷たさを求めさせる。
「ああもう」
苑がそう呟くと、ボォーと定期船が返事をした。
それからしばらくは、波の音ばかりが耳にこだました。
気がつけば瞼がおりている。
しゃーん しゅうー
ざ……ざーん
(要は海かァ)
苑は卒然納得した。
波の音ひとつだけで自分の感覚を海ばかりにしてしまう。
それだけ、苑と海は一体化してしまっている。
そもそも、出て行くということは無理な話なのかも知れない。
そう思えてきた。
(都会への憧れなんか、俺の中の少しでしかないってことなのかなぁ)
苑は砂浜に横になったまま、そのまま溶け込んでしまうように眠った。
海には、鮮やかなオレンジ色が染み渡り、黄金の弦が幾重にも重なって突き刺さる。そんな今日の夕焼けが近づいていた。
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『裸足の彼女』
<1>
相田苑が暮らす島には、同級生はおろか、自分以外に子供もいなかった。
田舎と言うのもはばかられる、周りを海に囲まれた島。
島と海、ここにあるのはそれだけである。
そこに住む苑の最近の日課は、一日に二度やってくる定期船を気に入りの砂浜で眺めることであった。
いつもならば、自分もあのおもちゃのようなぼろ船で街の高校に通うのだが、今は不幸にも夏休みだった。
「ふあ〜ぁ……」
苑の欠伸ばかりが積もり積もって砂浜が砂漠になりそうである。
退屈は眠気となって苑の頭を支配し始めた。
(寝たら駄目だ。駄目だけど、こりゃ寝るなあ)
苑の諦めは早かった。
そもそも、こんな日課を守っているのも馬鹿馬鹿しい気持ちはあったのだ。
(おやすみだ)
チクショウ、苑はそう呟いて少し濡れた砂浜に転がった。
眠りはさざ波のように深くなったり浅くなったりする。
何かが鳴りやまないという感じがする。
落ち着かない。
苑の手が砂を握った。
じゅっと指先に水が染みる。
(退屈っていうのも、掘ったら水が出るみたいに何かねえもんかな)
苑は妙な考えに浸りながら、更に指を進めた。
掘る度に湧き出す水は当たり前だが海水である。
目をつぶっていても海のにおいや味に自分の感覚はこてこてにやられている。
自分の掘った希望の泉も結局は海だ。
苑は手を砂に埋めたまま、次第に深い眠りに落ちていった。
頬に何かの冷たさが染みて、苑は目を覚ました。
太陽に晒されているか、風に吹かれているか、そういうはずなのだ。
しかし、この冷たい感覚……。
「あ、起きた起きた!」
目の前で笑っているのは一人の少女。
(髪の毛、すげー茶色い)
苑が一番に思ったのはそんなことだった。
少女の栗色の髪は夕焼けに透けてさらに色素が薄く見えたのである。
「こんにちはー! 初めまして、あたしは美菜っていいます!」
少女ははきはきとそう言った。
苑はぼんやりとする頭を叩き起こし、美菜という少女をまじまじと見た。
「は?」
思わず漏れたのは間の抜けた声。
「だから、あたし美菜っていいます! あ、川瀬美菜ね、川瀬美菜。よろしくーっ!」
きゃいきゃいと少女は笑った。
(なんかよくわかんねえ……)
何で笑っているのか、苑にはわからなかった。
単なる愛想ととればいいだけなのだが。
冷たい感覚は美菜がジュースの缶を苑の頬に押し付けているからだった。
「よかったらどうぞ! おごってあげますよーふふふー」
「…………はぁ、どうも」
苑は素直に美菜の手から缶を受け取った。
見た目よりも重たい缶は、透明な冷たさをぎっしり詰め込んでいるように思われて、苑はごくりと喉を鳴らした。
缶に描かれた不細工なみかんの顔は夕日と同じオレンジ色だった。
まだ夢の中にいるような気がする。
意識ははっきりしていたけれども、状況が飲み込めないのだ。
さびれた島の浜辺で、突然ハイテンションな少女が現れて缶ジュースをよこして、一体何なのだろう。
事情を聞くことももはや忘れていた。
ただ、この少女は川瀬美菜、髪は綺麗だ、そう思った。
<2>
美菜のテンションは落ちることなく、彼女は聞いてもいないことを次々に喋った。
「あたし、今日からこの島に住むことになったんですよ」
「へぇ、それで……」
「なんかいきなり両親がそう決めちゃって。もう勝手なの、ウチの親って。ぱっと思いついたときに行動しないと気がすまないみたい。海外旅行とかもいきなり行っちゃうし、付き合わされる娘の身も考えて欲しいってもんよ」
「…………ふーん」
「あ、でも嫌いじゃないんだー、そういう行き当たりばったり。ま、そういうわけで今日からここに住むわけ。だからお友達になりましょう! 君の名前も教えてよ」
よくもこうぺらぺらと喋れるもんだな、と苑は思う。
小さな口を思い切り動かして喋る美菜の顔を、苑は黙って見ていた。
美菜は結構可愛い。
特に印象的なのが色素の薄い髪と大きな瞳。
肩にかかるくらいの、さらさらと流れる髪は彼女が喋るたびにやわらかにゆれる。
目は喋る度にぱちぱちと瞬きをしていた。
隠れては現れる茶色い瞳は、光る水晶のように塗れていた。
「相田苑だけど」
「その?わぁ可愛い名前ー!!」
美菜はわしゃわしゃと苑の髪を撫でた。
今まで寝転がっていたために苑の髪は砂だらけになっていた。
美菜が髪を撫でるたびにそれが降ってきて目に入ってしまう。
苑が俯いて目を擦ると、美菜はぱっと手を離して今度は両肩を掴んで顔を近づけてきた。
「あああーゴメン!つい調子に乗っちゃって。目に入った?」
「いや、大丈夫だけど……お前、テンション高いな」
苑が初めてまともに美菜の感想を言うと、美菜は一瞬びっくりしたような顔をした。
美菜のせわしい瞬きとお喋りが止まる。
「テンション高い、かぁ……そっか」
少ししょんぼりした様子の美菜。
その表情には先程のような明るさはない。
「美菜……前のガッコでは暗いって言われてたんだけど」
ふっと目を伏せると、長い睫が陰る。
「自分のこと美菜っていうのも変らしいし……」
美菜の淋げな様子に苑は少しぎくりとした。
事情は知らないが、傷つけてしまったのかもしれない。
そう思うと心が痛む。
「だからちょっと、頑張ってみたんだけどー……変?」
くるりと振り向いた美菜の顔は泣きそうにも見えた。
目を細めて、口の端は少し上がっていて、何か言葉をこらえるような表情。
「変じゃねえよ、別に。俺はテンション低いし」
苑は精一杯慰めの言葉をかけたつもりだった。
『テンション低いし』
その言葉通り無愛想ではあったのだが。
「俺も美菜って呼ぶから気にすんな……ってのは意味ねえか。あぁーと、なんてーの?俺もついこの間まで親には苑くんはぁとか言ってた、マジで」
そう、淡々と話した苑。
いやに真剣な表情で固まる美菜。
時間が止まったように、二人は浜辺に座っていた。
砂浜に座る少年と少女は、沈みかけた夕日でシルエットになる。
二人の間には波の音だけが美しく響き、太陽は揺らめく海との境界に沈む。
辺りは薄紫色の仄暗い空気に包まれた。
「苑くん! 美菜、苑くん大好きかも!」
突然美菜は立ち上がって、大きな声でそう言った。
「はぁ!?」
苑は美菜の唐突な言葉に仰天した。
「苑くん、美菜とらぶらぶになりましょう!」
美菜の短いスカートから、長い脚がスラリと伸びていた。
彼女は裸足だった。
波の届かない場所に白いサンダルが転がっていた。
(何なんだよ、コイツは)
苑はぽかんとしていたが、美菜は裸足が似合う、それだけが妙に頭に残った。
「あー、えと、何?」
「美菜と話したり、手を繋いだり、抱き締めあったりするの、らぶらぶにさぁ」
美菜は手を差し伸べた。
苑は何故かその手をとってしまった。
ふわりと不思議な力が苑を立たせる。
「話したり、手を繋いだり……はおわりだね」
繋いだ手を見て、美菜はニコリと笑った。
苑はまだ呆けていた。
「俺、まだ答えてねえけど……告白なのか?それ」
ずっと美菜のペースにはまってしまう苑は、この状況をどうにかしようと尋ねた。
苑も繋いだ手を見た。
手についた白砂と潮の匂い。
そのじゃりっとした感覚と、美菜の肌の感触。
また少し視線を落とすと、砂に埋もれた美菜の裸足が見えた。
片手に残る缶ジュースの冷たさだけが、苑の意識を保たせていた。
<3>
告白だとしたら、あまりにも突然であった。
美菜とは単に自己紹介しあっただけである。
「告白、なのかなあ。とにかく美菜は苑くんの恋人になりたいのです!なってくれる?」
美菜は苑の手を両手で包み、すがるように苑を見上げた。
「お願いします、苑くん」
正直苑はまったくその気がなかった。
大体会って間もない人間に対して、恋人にしてなどと言うのはふざけているとしか思えない。
しかし、美菜の顔は本気だった。
苑はそれに気圧されるように、一歩後ずさってこう答えた。
「悪いけど俺、彼女いるから……」
ぼそりと呟いた苑。
それを聞いた瞬間、美菜の顔がさあっと青ざめたのは気のせいだろうか。
それとも、太陽が沈んでしまったからだろうか。
いずれにせよ、美菜の表情が一瞬絶望のように固まったのを苑は見た。
「そっかぁ……」
美菜は瞳を潤ませて苑を見つめた後、力なく浜辺に腰を下ろした。
(ふるっていうのは、こういうものなのか)
と苑は思った。
彼女がいるのは本当だった。
大沢晴香という、高校の同級生である。
その告白も晴香からだった。
『好きなんです。付き合って、相田くん』
特に断る理由もなかった。
『わかった』
一言そういうと、彼女は苑に飛びついて喜んだ。
けれど今、美菜をふった。
今日会ったばかりの美菜より好きだからというより、晴香は彼女だからという理由ではあったが。
苑は缶ジュースを開けた。
「ふられた記念に、ほら」
へたりこんでいる美菜にジュースを差し出す。
「どうも。みかんジュースで乾杯だね」
美菜はジュースをごくごくと喉がなるくらいに、思い切り飲んだ。
苑も隣に座った。
そして、美菜の手から再び缶をとると、残りを一気に飲み干した。
「俺はふった記念」
「ふった子と間接キス……苑くんは彼女を愛してないなー?」
ふふ、と美菜が笑った。
「そういえば、ソノってどういう字を書くの?」
そう聞かれて、苑は砂の上に自分の名前を書いた。
『相田苑』
「こういう字。川瀬さんは?」
聞かれたら聞くというは約束のような気がして聞いてみる。
美菜も苑の名前にしたがって、砂の上に指を這わせた。
『川瀬美菜』
そう、書いてから美菜ははぁと深い溜め息をついた。
「苑くん、横書きなんてさぁ……デリカシーないね!」
美菜はかかとでぐりぐりと書かれた名前を消した。
美菜の裸足が砂に埋もれる。
「縦に書いてよ、相合傘書いちゃおうと思ってんだからさァ……」
美菜はそう呟いて、苑の肩に寄りかかった。
向かい合った足跡と、寄り添う名前。
少年と少女の境のないシルエット。
白い砂浜にそれらは残っていた。
「海、綺麗だねぇ」
「ふぅん……こんなの、いつものことだけどなぁ」
波打つ海は変わらないのに、違う言葉が出てくるは何故だろうか。
海は想いを映し、砂は記憶を刻むのだ。
そんな小さな島の上に二人はいた。
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■作者からのメッセージ
初投稿です。
拙い文章ですが、ここまで読んでくださった方に感謝致します。本当にありがとうございます!
一応これからも続く予定の作品です。よろしければ、感想などいただけたら嬉しいです。