- 『先生の事件記録 前編』 作者:吉岡上総 / 未分類 未分類
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プロローグ
虐められる方に、原因があるんだ。
俺は小学校三年生のとき、妹が死んだ。小学校一年生だった妹は、旧友達に虐められ、そしてそのまま死んでしまった。
七年しか生きることが出来ず、そして虐められる最中で死んでしまった妹。哀れというべきか、なんというべきか。小さかった俺は、そんなことはまったくわからなかった。
だって、妹の死ですら、分からなかったのだから。
俺が妹の死体を見たのは、町では一番大きい病院の、霊安室であった。白い布が被さっていた妹。その身体には、無数の痣があった。
そっと、妹に触れる。すると、まだ暖かかった。
「何故、妹は死んでしまったんだよ」
敬語を知らない俺は、その場に居た医師に、そう尋ねた。
医師は少しだけ悲しそうな顔をして、
「…事故だよ」
と言った。
後に分かったことなんだが、俺の妹は、ある意味事故で死んだらしい。
ある意味事故というのは、言い換えれば殺人にもなるからである。
妹の死因は、脳挫傷である。階段付近で虐められていた妹は、殴られた事で足を滑らせて、階段から転落した。
だが、そのときまだ、妹は生きていた。
でもそいつらは、妹を助けることなく、逃げ出してしまった。小学校一年生では『人の死』というものをしっかり考えれなかったのだろう。幼さゆえの判断は、妹を殺してしまった。
それを罪である、と俺が主張したって、無駄なのである。例え罪になったとしても、子供であるそいつらに罰が与えられることはない。そしてそいつらも、罪の意識を抱くことはない。
俺は、妹の死を、泣き寝入りしているしかなかったのである。
どんなに悔しくても。苦しくても。
小学校六年生になった俺は、妹を死なせてしまった原因であるそいつらと、ばったり出くわしてしまう。
「…行こうぜ」
そいつらはやはり居づらかったのか、さっさと俺の前から姿を消そうとする。大きくなれば、自分達のしでかした物の重さを、理解するのだろう。
だが、俺はそう簡単に行かせはしなかった。
「待てよ」
腕をがしりと掴んで、動きを封じる。
「どうして俺の妹を虐めたんだ」
ずっと、聞きたかったことだ。
妹は、どう考えても虐められるような人間ではなかったと思う。優しくて、七歳の癖にちょっと自分よりしっかりしていて、お喋りではなかったけど、明るい子だった。
どうして虐めたんだ。
それが聞きたくて、仕方がなかった。
「そんなの、昔のことで忘れた」
上級生に脅されたような感覚だったのだろう。そいつは逃げ出したくて、俺にそう言う。
だが余計にそれが、俺の神経を逆撫でした。
「忘れただと?」
「いいじゃないか。もう、三年も前のことなんだし」
気がつけば、俺達の事に気がついた生徒達が、教師を呼びに来ていた。
「三年前だから、良いって言うのかよ!」
三年間溜まりに溜まった悔しさが、俺の身体を動かしていた。
思い切り殴りつけ、そいつを飛ばす。
「ってーな、何するんだよ!」
「お前のクソみたいな命がこうしてこの世に存在するのに、どうしてあいつの命はここにないんだよ! どうしてあいつは死ななければならなかったんだ! まだ七歳だったんだぞ! 楽しい事だって、これからだったんだ!」
もう一度拳を振り上げ、叩きつける。力の限りぶつける。
ようやく教師が止めに入り、そいつは俺から解放される。
「虐められるほうに、原因があるんだよ!」
そう吐き捨てると、そいつは走って逃げ出していく。
やりきれない思いが、俺の中に渦巻いていた。
じゃあ、虐めたほうは悪くないのかよ。そもそも、原因があるって、どんな原因があったんだよ。
どうしてそれをいわねぇで、卑怯な手段使ったんだよ。
虐める事は正しいのか?
虐めは正当行為なのか?
虐めはすばらしい行為なのか?
なんで虐めた奴等は、罰を受けないんだ。
俺には判らなかった。
1
「白銀隆信(しろがね たかのぶ)。これが今日から6年一組を受け持つことになった、俺の名前だ」
あれから九年。俺は小学校の先生になった。
何で教師になったのか、それは実際良くわかってない。ただ、俺はあいつが言った台詞の意味が、判らなかったのである。
虐められる方に原因がある。果たしてそうなのだろうか。
もしかしたら、教師になることでそれが判るのではないだろうか。
だから教師になったのかもしれない。
「白銀せんせー、知ってる?」
6年一組を受け持つようになってから数ヶ月。季節は花粉症が鬱陶しい春から、むわっとした暑さが襲い掛かる夏になっていた。
授業中に呼び出された俺は、呼び出した生徒のほうを向く。
「この学校に、幽霊が出るんだって」
呼び出したのは、このクラスのワンパク坊主、大藪健斗(おおやぶ けんと)であった。しかしワンパクなくせに、微妙に押しに弱いところが、妙に愛着のある生徒である。
しかし健斗の幽霊、という言葉に、俺は首を傾げた。
「この学校で昔虐めに会った、生徒の幽霊なんだって」
俺は、ドキリ、とした。
実はこの小学校は、昔俺が登校していた学校なのである。そして、勿論、妹である、白銀あすかが死んだ場所でもあった。
考え込んでいると、後ろから健斗の話を聞いて、叫び声が上がる。
「あ、私も知ってるよの噂!」
クラス、いや学年一オカルト類の話が大好きな少女、吉岡愛美(よしおかえみ)が、叫ぶ。
「とある女子生徒なんだけど、その子は、虐めにあってたの。毎日毎日すっごい酷い虐めにあって、ある時、虐めの最中に階段から転落して、死んじゃったんだって。しかもすぐに救急車を呼べば助かったかもしれないのに、その虐めた子達は、その子を助けなかったの。そしたらその子は死んじゃったんだ。その子はまだ七歳で、これから楽しいことが待っていたのに、死んじゃったの。その無念が、霊となってこの学校に留まっている原因なのよ」
どこかで「やだ…」と震えた声が聞こえる。
俺は、どうしていいのか困ってしまった。話の流れや、設定から考えても、それは俺の妹の事である事は明らかだった。
自分の妹が幽霊として噂されるのは、嫌だった。
「その子にはお兄ちゃんが居たんだけどね、ある時急に暴れだして、虐めた子達を半殺しにしてしまったらしいの。それでそのまま消息不明。今でも妹の敵を討つために殺人を繰り返しているらしいの」
へえへえへえ…3へえ。
俺って殺人鬼になってるんだなぁ…ってをい!
「そんなのはただの迷信だ! いいか、こんなくだらない事を一々考えているんじゃない。下級生達が怯えて、管理等の階段に近寄らなくなってしまうだろうが」
俺がそういうと、愛美が不思議そうにする。
「なんで管理等の階段だって、知ってるの?」
俺はやってしまった、というポーズを心の中でとる。知っていて当然のことなのだが、殺人鬼にまで祭り上げられてしまっては言い出しにくい。なにか適当な言い訳をしておきたかったのだが、どうにも思いつかない。
ため息をつきながら、俺は話す。
「その事件な、ノンフィクションなんだよ」
「ノンフィクション?」
聞きなれない横文字に、生徒達は疑問符を浮かべる。
「現実に起こった話。それは俺が小学校のときに、実際に起こった話なんだよ」
生徒達は驚きのあまり、言葉を失ってしまった。そして同時に、彼等の好奇心を逆なですることになる。
それもそうである。実際に起こった話となれば、この噂は真実味を帯びることになる。つまり、この噂はさらに尾ひれ背びれがついて、最悪妹のあすかの噂は『悪霊』だのなんだの、曲がったものになってしまう。
死んでもなお、そんなふうに扱われるのは嫌だった。
「いいか、これだけは言っておく。さっきも話したように、そのこは悲しい一生を終えてしまったんだ。君達は、死んでもなお、幽霊だの何だのといって、馬鹿にされ続けて嬉しいか? 嫌だろう。もし彼女の冥福を祈るというのならば、こんな噂は忘れてしまえ。それが彼女にとっても、その遺族にとっても、いいことなんじゃないのか?」
今まで浮かれていた生徒も、悲しそうな表情をする。
この歳で、『死』についての意識を完全に持たせるのは不可能である。だからこそ、こういう話に敏感になってしまうだろう。
それにしても、妙な感じだった。
「その噂、いつから広まったんだ?」
「いつって、そんなの分かんないけど…でも、最近になって広まったのは確かだよ」
愛美は困ったような表情でそういう。
俺は首を傾げた。
最近広まった噂にしては、過去の出来事が正確すぎるのである。大抵学校の噂というのは、生徒達が面白半分で広めるため、事実が曲がってしまうものなのだが、現実と幾分変わらぬ噂だったのである。
俺は妙な胸騒ぎを覚えた。
職員室でテストの採点をしていると、いつまにやら他の先生は居なくなっていた。
「ああ、もうこんな時間か」
今はフリーである俺だが、他の先生は色々と授業なり何なりで忙しいらしい。
まあ、居ないからと言って、なにがどうなるわけでもないのだが。
気を取り直して授業を進めていきくと、がら、と職員室のドアが開かれた。
「あ、荒井先生じゃないですか」
「ん…?」
「忘れ物ですか?」
荒井椿(あらい つばき)先生は、ワイルド・カットの髪の毛と、真っ黒な瞳が印象的な女性である。年齢は俺と同じなのだが、俺よりしっかりしているし。俺よりもずっと…怖い。
「三角定規を取りに来たんだが、どこにあるか知らないか?」
「ああ、あの数学につかうでっかいやつね」
彼女は美人なのだが、祖父が軍人であったためか、軍隊のような口調が抜けないらしい。もっともきりりとした顔立ちとはすっごく合っているのだから、問題ないか。
俺はそんなことを考えながら、三角定規を彼女に手渡す。
すると、彼女はため息をつく。
「最近、妙な幽霊の噂が凄いな」
「ああ、今日俺も聞きました」
「あの年頃ゆえにそういう事に興味を持つのはしょうがないが、あまり噂になられても困るな」
そういって、俺のほうを見る。
まるで俺の事を心配してくれているように見えて、少しドキドキしてしまう。だが、その幽霊の兄であるということを、彼女は知らないはずなのである。
気のせいなのは残念だが、しょうがない。
彼女が出て行った後、俺は再び採点に入ろうとするが、また誰かが職員室に入ってきて、気がまぎれてしまった。
「あれ、白銀先生じゃないですか」
「…小枝先生?」
小枝幸則(こえだ ゆきのり)先生は、俺が小学校のときから居る、歴代先生である。そして彼は、俺の恩師でもある。
昔俺があの少年を思い切りタコ殴りにしてしまったとき、小枝先生とともに相談室へ連れて行かれた。
『どうしてあすかが死ななければいけなかったんだ! あいつらが死ねばよかったのに! あいつらを打ち殺してやる! そうすればあすかも救われるんだ…』
俺が泣きながらそう訴えると、小枝先生は思いっきり、俺の頬をひっぱたいた。
『きみはあすかくんが死んだとき、悲しかっただろう。殺した相手がにくかっただろう。でもな、その殺した相手を殺したら、その相手を大切に思っている人たちが、悲しくて辛い思いをするんだ。憎しみは、永遠に人々に受け継がれていくんだ。そんな悲しいことを繰り返すんじゃない』
震える声でそういう小枝先生は、すごく悲しそうだった。
俺は初めて、声を上げて泣いた。妹の葬式でも泣かなかった俺は、ようやくここで泣いた。
小枝先生も泣いてくれた。
俺はようやく、黒い思いから開放されたのである。
「あの時のことが噂になってしまっているね」
「はい…まあ変死というのは、こうやってタチの悪い噂になりやすいですからね。しょうがないですよ」
俺がそう言うと小枝先生は「そうだな」軽く言う。
小枝先生は自分の席に座って、なにやら色々と書いている。次の授業の準備だろうと思って、それ以上は何も追求しなかった。覗こうにも、小枝先生は俺に背中を向けるようにして座っているのでどうしようもない。
もっとも、覗くつもりなんてないのだが。
仕事を終え、俺は帰宅をすることになる。だが車がどうにも苦手な俺は、自転車で通勤している。へ、日本一地球に優しい先生だぜ、まったく。
「白銀先生じゃないか」
俺に話しかけてきたのは、荒井先生だった。
彼女はいそいそと準備をして、何かを引きずってくる。
「あ、荒井先生もチャリンコっすか」
「悪いか? 私は車が苦手なんだ」
「俺もです」
「そうか」
彼女は自転車にまたがろうとして、俺のほうを向く。
もう真っ暗闇だというのに、彼女の姿は映えて見えた。
「幽霊騒ぎの噂が、三つ流れてきている」
「三つ?」
「そうだ。幽霊は同じなのに、四つ流れている」
何故彼女は、俺にこんな話しをしているのだろうか。
ともかく、話しを聞く。
「一つ目は、裏にある井戸。あそこで溺れて死んだ。二つ目は理科室の薬品によって有毒ガスが発生し閉じ込められていたために死んだ。三つ目は階段から転落して死んだ」
正解しているのは三つ目の階段から転落して死んだ。どういうことだ。三つ目の話はあれほどまでに正確だったというのに、どうして場所だけが違うのだろうか。
荒井先生は真剣な表情で、話を進める。
「四つ目は相談室で死んだ。これだけは死因が流れていない。もっとも生徒の中では『教師に殺された』とか、『自ら自殺した』とか色々流れているのだがな」
「そうなんですか…」
そう呟くと、彼女は頬を掻く。
「この四つは同時期に流されたものだ。でも出所がわかっていない」
「そうですか…でも、なんでそれを俺に報告するんですか?」
尋ねると、少し戸惑ったような表情を見せる。だがすぐに表情を元に戻して、
「あまり大きく流れると教育に良くないからな。ある程度歯止めをかけておこうと思っただけだ」
と言って、さっさと自転車で帰宅してしまった。
六年二組の尾川恵子(おかわ けいこ)は、忘れ物を取りに、学校へ訪れていた。
「気味が悪いよぉ…」
真っ暗の学校は、それだけで恐ろしい。しかも自分の足音が反響し、さらに彼女が忘れ物をした場所は、今噂になっている幽霊話の一つ、理科室だったのである。
取り合えず彼女は、どういうわけか数珠を持って、理科室へ向かっている。しかしこの数珠、いかにもボロボロで、あまり乱暴に扱うと壊れてしまいそうである。よって、数珠は握り締めるだけにしておく。
彼女は理科室を見つけ、誰にも見つからないように理科室へ進入。あまり大きな音が鳴らないように、慎重に開けて、中に入っていく。
「ヒィィイ」
何かの動物の剥製やら、人体模型やらがある理科室は、昼間でも不気味である。だが夜になるということで、不気味さを増しているようだった。
恵子が忘れたのは、宿題をするのに必要な、ノートである。これがないと宿題をすることが出来ないし、それにこれは、一組に居る岩城栄太(いわき えいた)から貰った大事なものなのである。
栄太とは幼馴染なのだが、この歳にもなると、そういう感覚は薄れて、いつしか恋愛感情を持つようになった。もっともそれを知っているのは、小枝だけなのだけども。
(小枝先生なら、話を聞いてくれるかも)
まだ十二歳の恵子は、恋愛感情というものがなんなのか解かっていなかった。それで苦しんでいたとき、相談の先生でもあり、理化学教師である小枝に相談したのである。もちろん彼は快く話を聞いてくれ、恵子の悩みを解決させてくれた。
そして誕生日にこのノートを貰ったことを、小枝に報告もした。彼は笑顔で『良かったじゃないか』と言ってくれた。そして『絶対大切にするんだよ』と言ってくれた。
恵子は勇気を振り絞り、ノートを捜す。あちこち捜しているうちに、やっとノートを発見する。ノートは、どういう訳か机と机の間に挟まるようにして落ちていた。
「ああ、良かった」
安堵して、ノートを拾おうとする。
「!!!」
その刹那、恵子の首を誰かが締め上げる。月明かりに恵子は、ようやく肌色の手が自分を締めているのだと理解する。だが窓に映った映像だけを頼りにしていた恵子は、誰が締め上げているのかわからなかった。
思わず数珠を落とす。すると、ぼろかった数珠はバラバラに砕け散る。
暴れてノートを犯人の体のどこかに当てると、犯人はノートを掴んで、机の上に乗せる。
そして、恵子から手を話した。
「キャアアアアアアア!」
ようやく声が出せる状況になった恵子は、力の限り、叫んだ。
2
荒井先生から電話がかかってきた。内容は『二組の尾川恵子が、何者かに襲われた。彼女は気が動転してしまっている。取り合えず、きてくれ』とのことだった。
俺は急いで自転車にまたがって、転倒。く、めげるもんか。
そして自転車をガシャガシャと漕いで、学校に到着。職員室へ駆け込んでいく。
そこにはガタガタと震えている尾川恵子と、どうしたもんかと困っている荒井先生。そしてこちらも飛んできたらしい、小枝先生。
「彼女が忘れ物を取りに理科室へ向かったら、何者かに首を絞められたそうだ」
荒井先生はそう言うと、彼女に触れる。
「落着いたか?」
いつもピリピリした態度とはまったく別人である。ん、というかそうやって話されているのは俺だけか?
ちょっと悲しくなりつつも、俺は彼女を見る。
「も、もう…平気です」
「尾川…」
俺は尾川の頭をそっと撫でる。
「無理に頑張ろうとするな。誰だって、そういう目にあったら、怖くなる。無理しなくても良いんだぞ」
そう言うと尾川は、ついに泣き出してしまった。だが何故か、しっかりとノートは握り締めている。
「今、警察に電話したところだ。だが一回私が校舎内を探し回ったが、向こうの窓が割れていること以外変わった事はないよ」
俺は向こうの窓が解からなかった。それに気がついた荒井先生は、
「少しいったところにあるフリースペースの窓だ」
という。
フリースペースとは、廊下を少し大きめにしたような場所である。ここに二クラスの生徒が整列して、集会の場所へ移動するのである。
そこの窓が割れているということは、そこから犯人が出入りしたということなのだろうか。
「俺、もう一回見回ってきます」
そういって、割れた窓のところへと行く。
窓の破片は確かに内側に飛び散っており、外側にはひとかけらも落ちていなかった。やはり外から割ったということなのだろうか。
ついでに理科室へも行っておこう。
そう思って、理科室へいく。
「尾川には感心させられるな」
夜の学校は、俺でも怖い。ましてや理科室だし、しかもそこは幽霊の話しが噂になっているのだ。
恐る恐る入っていくと、俺はすぐにずっこける。
「い、いてて。なんだぁ?」
転んだ原因は、あたりに散らばっている丸い物体であった。一体なんなんだこれは。
辺りに無数に散らばっているそれにはなるべく触れず、理科室を見回す。どうにも変わったところはない。
俺は首を傾げる。
何故犯人は、理科室へ行ったんだ?
物取りの犯行なら、どうして金がたっくさんある(えっと、あるとはかぎらないですよ?)職員室ではなく、薄暗く、大人でも怖がる理科室へと移動したのだろうか?
どうして尾川を殺さなかったのだろう。
実に不思議な犯人である。
もう一度職員室へ戻ると、警察が来ていた。
「それじゃ、きみを殺そうとした犯人の特徴を教えてくれ」
あまりに無責任な言い方に、俺に掴みかかっていた。
「な、なにを…」
「あんた、もうちょっとこの子の気持ちを察してやれよ。十二歳であんな怖い思いをした女の子を前に、その言い方はないだろう」
そういって、俺が質問する。
「尾川、ゆっくりでいいから、さっきのことを教えてくれ。どうして君は学校に着たんだ?」
「…えっと、その。ノートを忘れて」
警官は罰の悪そうな顔をしながら、話しをメモしていく。
こういう状況下に陥った場合、先ほどの警官の言い方は逆効果である。特に『殺す』『死』という言葉は、恐怖をもう一度蘇らせたり、最悪、記憶を封じてしまう事だってある。
この警官は、事情聴取には向いていないと思った。
「うん。理科室へ行って、ノートはどこにあったの?」
「机と机の間にありました」
「そっか。そして、ノートを拾おうとしたんだな」
「はい…」
冷静になってきたらしく、声の震えも収まっていた。
「そしたら、ああなったと」
「はい…」
「そうか。気がついたことはあった?」
なるべく回りくどく尋ねると、尾川は少しだけ考えていた。
「犯人は、人だったと思います。幽霊じゃなかったです。肌色だったし」
まだ錯乱しているのか、妙なことをいう。うーん、でも幽霊と人間の違いって何なんだろう。
微妙に考えていると、尾川は話を進めている。
「後ろから急に首を絞められて…そうです。数珠を落としました」
「あの丸い玉は、数珠だったのか」
先ほど俺が転んだきっかけとなった丸い玉は、数珠の玉だったらしい。
「それと…ノートを捕まれました。首を絞められたとき暴れて、ノートが犯人に当たったんです。そしたら犯人がノートを私から取って、机の上に置いたんです。それで、たしか首から手を離してくれました…。楽なったから、私、ようやく叫べたんです」
警官はメモを取り終える。
「…なるほど。大体の話はそんなところでしょう。まだ解からないことがあるので何度かお話しを伺うかもしれません。それとそのノート、一様調べてみますので、一日だけお借りします」
そう言って、ノートを受け取る。そして警官は立ち去っていった。
あの後尾川は小枝先生によって家まで連れて行かれ、俺と荒井先生は、学校で一晩明かすこととなった。
「それにしても尾川、大丈夫かな」
俺は呟く。この事件がトラウマとなって、彼女の将来に、なんらかの影響を与えるんじゃないか、と不安になる。まだ子供なだけに、心配がぬぐえない。
そんな俺を察してか、荒井先生は微笑む。
「どうなるかはわからんが、あとは彼女の心の強さしだいだ。大丈夫、そんなに弱い子には見えなかった。心の支えになる人が出てくれば、彼女はきっとこの問題からも立ち直れる」
優しく微笑む彼女を見て、顔が熱くなる。おいおい、どうした俺。
慌てふためいている俺に、荒井先生は呟く。
「窒息とは、またどういう偶然なんだろうな」
「どういうことですか?」
「噂になっている幽霊話のことだ」
どういうことなのだろうか。
俺が彼女を見つめると、彼女は頬を掻く。
「噂の幽霊話で、理科室の死に方は有毒ガスによる死因となっている。なんのガスだか解かるか?」
有毒ガスなんて、学校で使われている薬品だけでもかなりある。その中から一つだけ当てるのなんて、難しい。
考えている俺を無視して、荒井先生は答を言う。
「一酸化炭素だよ」
「一酸化炭素って、ドライアイス?」
ドライアイスは一酸化炭素を固めたものである。たかがドライアイス、されどドライアイス。侮ってはいけない。
特に一酸化炭素は、ストーブの不完全燃焼とかで、毎年死者が出ているという恐ろしい気体なのである。しかも無味無臭。気がつかないうちに死に至る。
一酸化炭素が体内に過剰に入ると、血液中の酸素を奪って、その人を酸欠状態に追い込む。なるほど、確かに窒息だ。
だが絞殺と違うところは、ジワジワとその症状が現れるということである。
一酸化炭素が充満した空間にずっといればそりゃ死ぬだろう。
「ドライアイスじゃないが、一酸化炭素中毒で死んだことは間違いないだろうな。噂でも一酸化炭素中毒で死んだと流れているし」
なるほど。しかしなんで荒井先生は、そんなことをわざわざ俺に報告するのだろうか。オカルト趣味でもあるのか、この人は?
そんなわけないか。
こんな暗い話しをしていてもしょうがないので、俺は話題を変えた。
「荒井先生は、どうして教師になろうと思ったんですか?」
「は?」
「いや、なんとなく気になって」
あまりに素っ頓狂な質問だったのか、荒井先生はかなり疑問符を浮かべている。
まあ、先に俺のほうから理由を言っておくかな。
「俺は答を探すために、教師になったんです。もっとも、答えを探そうとするキッカケになったのは、小枝先生のおかげなんですけどね」
俺は照れくさそうにそういうと、荒井先生も少しだけ、笑う。だがどこか悲しそうだった。
「私が教師になろうと思ったのは…」
そういいかけたとき、乱暴に職員室のドアが開かれた。
「なんだ、職員室でイチャイチャお暑いねぇ」
「江戸前先生…」
時間を見ると、おい。まだ夜中の三時だぞ。何をしにこの教師はこの学校に来ているんだ??
江戸前宗次(えどまえ そうじ)先生、いや、教師と呼ぶにふさわしいか謎の男は、雑誌を机の中から持っていく。
な、アダルト雑誌じゃないか! なんでそんなの学校に持ってきているんだ、この男は。
俺は唖然となっていた。
「おいおい、教師が職員室で色々やっているくせに、人のこと言えんのか?」
「なにもやっていないですよ。ただ、話しをしていただけじゃないですか」
「話しねぇ。真夜中に、二人きりで何を話していたのだか」
正直俺は、こいつを殴り飛ばしてやりたくなる衝動に駆られえた。だが、一教師として、それを食い留める。
俺を馬鹿にするだけならまだしも、荒井先生も巻き込んでまで馬鹿にしたような言い方をするのが、気に食わなかった。
「それじゃ、ごゆっくり」
そういうと、江戸前先生はどこかへ消えていく。あーうっとうしい。
俺は話す気もなく、いらいらしていた。
江戸前先生は、四年前からこの学校に居るらしい。その前にも色々な学校を転々としているのだが、あの性格でたびたび問題を起こして、今はここにいるのである。
あれが教師だというのだから、不思議である。
「ふう、大変な奴だな」
「?」
何故か微笑む荒井先生の真意を探る前に、俺は眠っていた。
荒井は白銀が眠ったことを確認して、そっと机の引き出しを開ける。そこには学校の過去を記録しておく、資料があった。
それをぺらぺらとめくっていく。この学校のものだけではなく、他の学校のものもあった。
「…なるほどね」
荒井はそっと、天井を見上げた。
空はいつの間にか、明るくなっている。
それと同時に、殺意も降りかかろうとしているのだった。
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2004/04/19(Mon)16:39:31 公開 / 吉岡上総
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■作者からのメッセージ
初投稿の吉岡上総と申します
一様ミステリなんですが、長いのでここで区切らせてもらいます。すいません。
次回では、かなりミステリらしくしていきます。
至らぬところが多いのですが、それは感想でびしびし言ってください。
それではよろしくおねがいします