- 『影を継ぐ者 1章〜3章2部』 作者:蒼蛾(そうが) / 未分類 未分類
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全角37604.5文字
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原稿用紙約117.6枚
◆序◆
貴女が月なのならば
私はそれを映す水鏡(みかがみ)の中の影。
決して辿り着く事のできない貴女を
それでも私は憎み続ける。
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◆第1章〜咲耶の章〜第一部◆
ザザ……
柔らかな風に木の葉がさざめく。
暦の上ではもう春らしいが、今なお溶けきらない風は肌寒く感じられた。
萌え始めた草花や、陽光を受けて鮮やかに輝く緑も、どことなく寒そうに身を震わせている。
その深い杜の中でひときわ目を引かれるのは、幾千、幾万もの精緻な小枝の先に仄かなふくらみを乗せる桜の楚々とした立ち姿である。歴史を感じさせる濃い茶色のごつごつした木肌と、一本一本丁寧に描かれたような枝先は、堂々としていながらも繊細さを忘れさせない。その暗い焦茶と相対するように、淡い薄紅の蕾は柔らかな印象を与える。しかし、その実(じつ)、どんな風が吹いてもそこにじっと耐える強さを兼ね備えている。
立ち並ぶ桜の中でも、最も幹の太い木の、張り出した枝の上に一人の男が腰掛けていた。
まだ若い青年である。すらりとした体躯に、若葉色の鮮やかな長い髪を解き髪にして、無造作に背と胸に垂らしている。丁寧に折り目のつけられた、着物の裾から放り出した両足は、空中でぶらぶらと揺れ、片足の草履(ぞうり)にいたっては、ほとんど脱げかかっていた。いきいきとした生命力あふれる表情が印象的だ。
加えて、その瞳。少年のようなあどけなさと、そしてどこか哀愁じみたニつの輝きを併せ持っている。隻眼とはいえ、深く色づいた桜の花びらを思わせるその瞳は、彼の若葉色の髪としっくりと合っている。
首から下げた勾玉を、彼は意味もなく手でもてあそんでいた。桜の花びらの文様が彫り込まれた翡翠の勾玉である。
今日は青年にとって、そして彼の守護する一族にとっても特別な日であったから、こうして一応の正装をして、彼は待っていた。しかし、約束の時刻を大幅に過ぎても、いっこうに客はやって来ない。
青年は欠伸(あくび)の出かかるのを抑えながら、遠く、芽吹き始めた森の下を見やった。
邪月(ガズア)の民、と呼ばれている一族がある。邪月、とはその名の示す通り邪悪な月を指す。あまり聞こえの良い名とは言えないが、当の本人達が気にしていないようなので、そのまま言わせている。
彼らは個人差はあるものの魔力を備え持ち、そのお陰か、他国からの侵略を防いでいる。
しかし、その半世紀に及ぶ長い歴史の中で薄められてきた血のせいで、最近では強い魔力を持つ者が減ってきている。その上、外国の干渉が年々勢いを増している。そのため、今では鎖国政策が取られていた。
記憶を手繰りながら、青年は小さく息を吐く。
彼は、外との交流が半永久的に絶たれることに最後まで反対した者の一人であった。それは里の弱体化を一時的に押さえているだけにすぎず、かえって早めてしまうことになり兼ねない。
問題はもう一つある。以前はこの邑(むら)には三百名程の民が住んでいたが、現在ではたった百名足らずに減少してしまったのだ。
外界と隔てられている今の形体が崩され、大国の荒波にさらされるのも時間の問題であると言えた。
そう、それはおそらく、もっとずっと前に崩れてもおかしくは無かったのだ。しかし、今こうして邪月の血が絶えていないのも、邑が以前のまま変わらずに在ることも、ひとえに櫻巫女と呼ばれる巫女のお陰であろう。
彼女らは、邪月の始祖である衣璃須(イリス)の生まれ変わりであり、そして、その魂を共有する者だ。十三歳で成人した時から、次代の巫女候補が成人する時までが任期で、その代替わりの方法は公には知らされていない。
櫻巫女について民が知っているのは、彼女が膨大な魔力を有し、それをもって邪月の里と森を清め、これらを守っているということ。
それと、代替わりの後、前代の巫女の姿を見た者はいないという事だけである。
勾玉を吊るしている紐を指に絡め、それから、大きく伸びをする。空を見上げる。
指と指との隙間から零れ落ちてくる空の青は、どこか神秘的に思えた。
邪月の里が今もなお、誰からも侵されること無く在るというのは、確かに彼らにとって大切なことかもしれない。
「だが……」
本当にそれが正しいことだったのか。
腕を下ろしながら、青年は薄紅の両眼を少し細めた。
―――歪みは、いつか崩壊する。偽物の平穏が長ければ長いほどそれは、強大な波となって元に戻ろうとする。
その動きは、いくら抑えようが何をしようが止められるものではない。
杞憂であればいい。
だが彼には、人の何倍もの時を生きてきた彼には、そのような国や人の栄枯盛衰など、手に取るように分かってしまうのだ。
「最善の一手は、時代の潮流に逆らわぬこと。滅びを受け入れること」
ぽつりと、青年は一人ごちる。その眼には諦めと悲しみの色が見て取れた。
しかし、彼は自身の考えを押し通さなかった。
大陸の東の端に広がる、広大な森の奥深くに棲んでいる一族。その邪月の民を守護し、また、櫻巫女を助けることが己(おの)が役目であるのだから。
そして、この俗に迷いの森と呼ばれる迷宮を管理している、精霊の長なのだから。異議を挟んでも、邪月の決定には従うのが彼の、臣下としての態度であった。
「だから、俺はその務めを果たしてきた」
邪月の民へ、そしてこの杜(もり)に害をなす者。一度たりとも容赦した事はない。たとえ彼らが権力と金の力に踊らされているとしても、また、ただ命じられただけ、としてもだ。
切り揃えられた淡緑の毛先を手に取りながら、青年は微妙な表情を口の端に浮かべた。曖昧に揺れる感情を抑えようと、唇を噛む。
絶えることの無い兵士たちの群れに紅花を手向ける事も、防衛工作である幻で出来上がった迷宮に囚われた兵士達を、近隣の魔物たちの餌場に捨て置くことも、青年に特別な感慨を与えるものでは無い。
蒼白い両手に目を落としたまま、青年は自嘲気味に唇を吊り上げる。
そういう己もまた、彼らと同じ、弱い生物だ。
何一つ自分で決められない所など、瓜二つではないか。義母から受けた呪いから逃れられない自分は、命じられたままに踊る操り人形だ。
近しいゆえの嫌悪なのだろうか。自分は王や兵士達と同類なのか。同じ穴のムジナか。
悲観的な疑問符を投げかける。
他者を思いやることを忘れた王。日々の暮らしの為に、抵抗を捨てた兵士。
―――俺は何を喪(な)くした?
彼らと同じように何かを。
……その答えは、鮮明な記憶と共に、心の奥底に封じられている。
青年はゆっくりと腕を下ろした。
愛する者。それは守るべき者とはどこか違う。今、自分にはこの森と、邪月の民達が守るべき者だ。
だが、それはただ親が子を見るような、そんな気持ちによるもの。
心から愛しいと、そう思ったあの人は、もういないのだ。
何もかも忘れてしまえるのなら、楽なのだろう。何重も何重も鎖を巻きつけて、もう二度と思い出せないように。時折胸を締め付けるこの鈍い痛みを止めることが出来るなら……
身体中が張り裂けてしまうような苦痛を、永遠に忘れられるのなら。
出来るはずもない―――
思わず声となって口から溢れてしまいそうな気持ちを溜め息に変える。
あの人を、忘れたくはない。
その気持ちの方が勝っていた。
青年は何かに堪えているような、そんな表情を浮かべる。彼は、手に馴染んだ翡翠の重みを軽く放り投げた。温かい色をした光が、勾玉の曲面で歪められ、奇妙な形で辺りの影の色を抜き取る。
葉はまだ固い芽の中にあり、桜の木を彩るのはその淡い薄紅の蕾のみである。寒い冬から目覚めるのはまだまだ先のようで、花が咲いているものはまだ無い。
揺らしていた両足を揃え、青年は何かを探すように辺りを見回した。
誰かが彼の座っている木の下方から、彼を見上げているようである。
「さっくやぁ―――っ!何してんの?夕涼みにしては早すぎるし、って、そんな風流な事するわけ無いか」
辺りに轟(とどろ)いた騒々しい声に顔をしかめる。数百年来の付き合いとはいえ、どうもこの不意打ちには慣れない。頭痛のしてくる頭を押さえながら、彼はそれでも我慢強く、一応名前を呼んでやった。
「もう少し音量を下げた方が、仲間達も歓迎するだろうに…桜華(おうか)。これじゃぁ騒音害で訴えられるぞ」
「失礼ね」
声では怒っているが、顔は笑ったまま、彼女は器用に桜の木を登る。ほどほどに整った人好きのする顔だ。
どちらかと言えば美人なのだろうが、時々、性格が曲がっているような気がする。
そんな桜華は、ひょいと青年の横に座り、そして少し不思議そうに邑のある丘の下を見下ろした。
「何だか……遅いわね?今年の子。忌祓(いみはら)えって、春分の日の正午厳守だったよね、確か」
「そのはずだが。森の中で迷っている可能性は?」
「七、八割。かなり濃厚」
ふいと口を閉ざし、桜華は深緑の森を見やる。
「幻が作動中みたい」
「また……?」
うんざりと咲耶(さくや)は溜め息をついた。幻というのは、彼が作った結界の事である。結界と言っても、侵入を拒むものではなく、幻影を見せて、捕らえるという形になっている。
兵を送ってくる国側からしてみても、そのように兵力を割かれるのは痛手だろうと考えた末の結果のことだが、侵入者の数は結界を張ってからも減少するどころか増加している。それも、その虜囚達の行き先は魔物の餌場である。その事を知りながらも、面の皮の厚い王や諸侯は平気な顔で若人を駆り立てるのだ。
少々憤怒気味の彼を呆れたように、肩口で切り揃えられた、咲耶よりも少し長さの短い髪に手をやりつつ、桜華が彼を見た。
「私が探しに行こうか?」
そうだな……と青年は頷く。
そもそも、邑からこの桜の丘までは半里とないのだ。ちゃんとした道は無いとはいえ、規定時刻から一時間も遅れるとなると、かなりの方向音痴である。幻に巻き込まれた、というのが妥当だろう。
「どうすっかなーでも俺も行ったら行き違いになるかもしれないし―――」
「……あら」
咲耶が考え込んだその時、桜華が目を細めて木々の枝葉の下を見て
言った。
「その必要はなさそうね。ご到着よ、次代巫女様が。…行ってらっしゃい」
そう彼女は、にやりと微笑んで彼の背中を思いっきり押した。
細い枝が大きくしなり、彼は己の体が落下の途を辿っているのを感じた。
「げ」
風を切る感触に反射的に細めた目の端に、黒っぽい影が見えて、彼は少し目を見開く。
「……お客さん?」
その声が聞こえたのかどうか、桜の木の下に居た少女が彼の方を見上げ、そのまま顔を硬直させた。
「ぅむぐっ」
「決まったな!」
いつの間に変化したのか、少年の姿になった彼は不吉な音をものともせず、自画自賛する。
しかし、彼の下敷きになった、木の小枝やら葉っぱやらを長い髪に絡み付かせた人物は、それには賛同しかねるらしく、一瞬の沈黙の後、静かな早春の森に怒りを込めた異議の叫びが響き渡った。
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◆第1章〜咲耶の章〜第二部◆
そんな事はいざ知らず、森の中の湖のほとりに、令は一人途方に暮れていた。
さっさと先に行ってしまった彼の仕え人のものによく似た声が聞こえたので、思わず気が動転して早くその声の許へ行かねば、と慌てて道から外れた森の中に飛び込んだまでは良い。自分の軽率さに非を認めよう。だが、そこからははっきり言って不運としか言いようの無い事態に彼は巻き込まれていた。
仕え人のものに良く似た声のした方向へ、手探りで彼は進もうとするのだが、行けども行けども堂々巡りなのだ。引き返そうと振り向けば、彼が進もうとしていた風景、つまり今は後ろにあったはずの風景が続いているのである。右も左も見た事がある様な風景だ。諦めて素直に歩いて行くと湖に出る。そして、湖から離れてしばらく歩くとまたこうだ。湖に出てしまう。
「全く……運の悪い」
彼は薄い色合いの短めの髪に挿さった、枯れ枝の簪(かんざし)を数本抜き取ると、湖に放った。
玻璃色に光る水面(みなも)を乱しながら、小枝は一瞬水底へ沈みかけたかと思うと、反転して浮かび上がった。
この森は邪月(ガズア)の民にとっては庭のようなものだ。大体の道は把握している。
それなのに迷う、という事は考えられる可能性は一つしかない。
「侵入者が近くにいるのか……性懲りも無い」
呆れた様に息を吐き、令は柔らかい草の上に座り込んだ。いい加減、そろそろ諦めて欲しいものである。
しかし、こういう時は黙ってやり過ごすのがいい。暫くすれば勝手に向こうが捕まってくれるだろう。
それより、彼の頭の中を一杯に占めていたのは仕え人の声だった。もしかして、あれは悲鳴というものではないだろうか。男勝りではあるが、彼女は結構怖がりたのだ。
「大丈夫だと良いのですが……」
目付け役としての責任感や、従妹という血の繋がりだけではない、何か、もっと別の心の底からの想いが溢れてきて、彼の口から声という形を取って出て来た、そんな響きだった。
目を閉じる。
風が急に凪ぐ。陽はまだ傾いてはいない。大丈夫。
カサリ、と草を踏みしめる音がした。
目を開き、息を潜める。少年は音を立てないように振り返り、樫の幹の影に隠れて、じっと向こうを見据えた。
獣なら、捕らえる。
交易の無い彼らにとって、食料は主に野菜や稲、木の実等であり、圧倒的に蛋白質が不足しているのだ。土地は肥沃ではあるが、いかんせん技術が足りない。現在の農耕技術は二百年前から殆ど変わっていないと言って良いのだ。
その為、森に棲む少数の獣は彼らにとっての貴重な栄養源である。
彼は若いが、狩猟の腕は確かであったし、滅多に無い機会を逃すわけにもいかなかった。
じっと目を懲らし、動いてゆく影を追っていく。こちらの方へ来るようだった。
腰帯に差した短剣の柄に手を掛け、彼は息を詰める。
……不意に、茂みを掻き分けて、その影は現れた。思ってもみなかった展開に令は目を見張り、まじまじとそれを見つめてしまった。
(―――人間…侵入者か?)
もうすぐ桜も咲こうとする時節だというのに、黒いフードを目深に被り、足の先まで覆い尽くす闇色の長衣が嫌でも目についた。その長身の人物の後ろから、また一人。
「耀(よう)」
早過ぎる、と後から出て来た方がぼやいた。声を聞く所、若い男のようだ。
耀、と呼ばれた侵入者が彼を振り返り、呆れた様に呟く。
「もう降参か。それでもお前、黒衣の一族のつもりか?全く、このままでは菫花(すみれ)は見つからないぞ……冥梨(めいり)」
「私とあなたでは元々の体格が違いすぎますよ。鴉と金朱雀(カナリア)なんて体力も、それに種族的にも遠いというのに」
耀が、フードをはずしながら苦笑した。
「金朱雀か……。残念そうだな、冥梨? ご自慢の金髪を黒く染めたんだろ」
「不本意ながらね。この森で金髪は目立ち過ぎますから。あなたはいいですねぇ、最初っから真っ黒で」
「俺は鴉だからな」
冥梨を眺めて、彼は猛禽類特有の鋭い、薄黄色の瞳をふと和らげる。
闇色のフードを外した彼の同僚の、微妙に印象の違う姿がそこにあった。
全身を黒一色が覆っている。豪華な金髪も今ではなりを潜め、静かな漆のような光沢を放つ黒髪を、軽く首筋で結わえていた。元来派手好きの彼にとって、このような葬式紛いの格好は我慢ならないだろう。
「本当に、いつもと印象違うなー」
「変ですか? 黒い金朱雀は存在しませんし…」
「でも、それはそれで結構似合ってるかもな」
その一言に、見るからに不安げだった暝梨の表情が華やぐ。
「本当ですかっ!」
「あ、あぁ。よく似合ってる」
滅多な事では感情を表さない彼の、意外にも嬉しげな反応に驚いて、耀は壊れた操り人形のように何度も頷いた。
それだけで幸せそうな青年に、硬い表情を向け、耀は口を開く。
「冥梨……今回の仕事については既に聞き及んでいるとは思うが、…おそらく、これは命を捧げる事になるだろう」
「命を捧げる……」
一句一句噛み締めるように冥梨は言った。
「そうだ、これが最後の仕事だ」
耀は呟きながら、彼より少しばかり低い位置にある、長年共に連れ添った同僚の顔を見下ろす。
とうに三十路を越えた大の男が、耀が、今にも泣き出しそうに表情を歪めていた。
「すまない。勝手にお前を推薦してしまったのは俺だ。リーウェシス様がおっしゃった、能力が優れ、死をも厭わぬ者、という条件に最も当てはまるのはお前しかいないと思った。―――まさか、本当に死と直面する仕事だとは……」
「その言葉は、私に対する侮辱ですか? 私は死など恐れたりしない。我々の祖先の身体はかつての女帝様が下さった物、そして女帝が亡くなり、カゾリア軍に捕らわれて足輪を付けられたからには、私達は軍に仕える者なのです、カゾリアこそが私達の主となったのです。それは誰にも抗う事ができない事です。ですから、そのように謝るのはやめて下さい」
「お前は……まだ若過ぎる」
「いいえ。それを言うのなら、私と五つしか違わないあなたも同じでしょう? あなたがこの私を選んだのは事実です。しかし、それを受け入れたのは私。たとえ、それしか道は無かったとしても、私はそれを受け入れたのです。ですから、あなたには私を止める権利はありません」
「冥梨―――」
耀は、首を横に振った。
そんな同僚を見上げて、冥梨は不自然な位の笑みを浮かべる。
「それに、私はあなたと共に逝ける事が幸せで、そしてこの命は、あってないような物、と思っていますから。大丈夫です」
本音か冗談かは定かではないが、そう力強く答えた若い金朱雀を、耀は苦笑しながら見返した。
「そんな睦言は、他人の見ている前では言わない方が良いんじゃないか?」
「……それもそうですね」
笑顔を真顔に切り替える。二人は、きっ、と数メートル横に立つ樫の木に視線を向けた。
息を呑み、体を緊張で硬くして、樫の木の影にうずくまったまま令は、まずは落ち着こうと思った。向けられた視線が肌に痛い。
「出て来なさい」
腕を組んで冥梨が言った。
(見つかった―――!?)
心臓の音が聞こえるのではないか…彼は頭の片隅でそう思った。己の心臓の音をこんなにも間近に感じた事は無かった。
「分かってるぜ」
耀が真剣なままの表情で続けた。
「菫花(すみれ)」
「鳥達か」
ほぼ同時に耀と、それと彼のものではない、令の頭上から降ってきた声がした。
そして令はその瞬間、自分の体の自由が効かない事に気付いて目を見開く。
「遅いなぁ、優に三十分は待ってたぞ。北東の方角に三キロなんて、鳥の帰巣本能から割り出せば楽勝だろー?僕は一々太陽の角度と方角を計算しなくちゃいけなかったんだから、もー、大変だったよ。それに……。ん、どうかしたの?」
声と共に、ひらりと軽く樫の木から飛び降りた少年は、呆然とした面持ちの二人を上目遣いに見上げる。
耀は隣の同僚と顔を見合わせ、それから金髪の少年の方を向いた。
「菫花……お前、この木の上に居たのか?下の茂みではなくて。下から気配があったような気がしたんだが……」
「ああ、それなら兎か何かじゃないの? ……えっ、でもそれじゃあ僕、見つかってなかったわけ?」
「どうやら、そのようですよ」
小さく息を吐きながら冥梨が言った。
「まだまだ私達は未熟者だという事です」
「ったく、これじゃー隠れんぼもできやしないじゃないか。二人共、僕の倍位の歳のくせして見つけられないなんて」
と、菫花は、頭一つ分背の高い彼らに向かって文句をたれる。
「結果的には見つかりましたけど」
「ただのぐーぜんだろ」
「菫花。偶然を馬鹿にしてはいけませんよ。どれだけの偶然と偶然が重なりあったか分からない位の偶然から、この世の中は成り立っているんですから。それに、運も実力の内、という言葉を知らないんですか?」
冥梨は微笑みを湛えて切り返す。
へ理屈だ……といまいましげに呟くが、彼は、こういう戦いには練磨な養親には一度も勝った事がない。それにここで下手に食い下がった所で、ますます複雑な事を並べ立てられ、結局いつの間にか終了されているので、彼は文句を噛み殺した。
冥梨は、ちらっと横目で樫の木を見、そして少年を見る。
「何かかけませんでしたか?魔法の気配がしますが」
「ああ、兎をね、捕まえといたんだよ」
「兎……食べるんですか?」
冥梨は心底嫌そうな顔をした。
「あれー、僕は好きなんだけど。耀も嫌い?」
「あ、いや、俺は……嫌いではないが。冥梨は多分、嫌いというか、食べないよな」
「何で?!」
「何でって言われても……冥?」
と、困った耀は冥梨に意見を求めた。だが、彼の返答はあっさりしたものだった。
「代言宜しくお願いします」
「俺に言えってか? お前なぁー」
「分かった。耀でもいいよ」
にっこりと金髪の少年は、天使の如き微笑みを浮かべた。耀は、大きく溜息を付きながら、恨めしそうに同僚を見やる。そして、しぶしぶといった体(てい)で彼の方に向き直った。
「でいい、っていう言い方はムカつくからやめろな。分かったか菫花」
この辺りについては耀は意外と厳しい。
「分かった」
「なら良い。じゃ、教えてやる。……冥梨は元々金朱雀(カナリア)だって知ってるな? 金朱雀。思い浮かんだか? 小さいだろ。いくら大きい奴でも十数センチの金朱雀が、兎なんて三十センチ近くの、目方に至っては数十倍もあるものなんて食べられないんだとさ。俺は鴉で雑食だから、どんなでかぶつでも平気だが」
「そういえば冥梨は少食だったね」
少年の言葉に耀は、くすりと笑う。
「お前、十年も俺達と一緒にいて、知らなかったのか? 冥梨って実はかなり大食漢……」
「耀、人聞きの悪い事は言わないで下さいね」
冥梨が言葉を挟む。
しかしそれより前に、菫花が身を乗り出していた。
「何? 僕知らないんだけどー」
「そうだったのか、じゃあ折角だから教えてやるか。こいつはなぁ、夜な夜なこっそり隠れて何やってるかと言うと」
「耀。サイザス産の、極上乾燥縞蚯蚓(しまミミズ)で手を打ちましょう」
菫花が目を丸くして、冥梨を振り返った。
「え?」
耀は、背中を丸めて笑い出した。
当の本人はと言うと、憮然とした表情で笑い転げている耀を見ている。
「ミミズ?」
ふぅふぅ言いながら耀が答えた。
「悪いが俺はあまり蚯蚓は好きじゃないもんでね。その申し出には乗らねーよ」
それから彼は、ふふん、と鼻を鳴らす。
「でも冥梨は大の蚯蚓好きなんだよな、実は。こんな細い体のどこに入るんだって位食べてるし。所で、お前の一番好きな料理って何だっけ?」
「―――糸蚯蚓蕎麦」
思わず蕎麦のつゆの中に蠢く赤い糸蚯蚓の群を思い浮かべて、菫花の顔が引きつった。
「……美味しいんですけどねぇ……」
ぼそり、と言う冥梨に強張った顔を向けて菫花は言う。
「でも、僕が兎食べるのはとにかく、冥梨がミミズ食べる姿って見た目がよろしくないよ」
「そうですかねぇ」
「じゃー、何で夜中にこっそり食べてるんだ?」
耀が聞く。
「昼間から食べてたら、菫花が驚いてひっくり反るでしょう?」
どうしてそんな事聞くんですか、と言わんばかりに彼は耀を見る。
耀は深く溜息を付いて、呟いた。
「一体どうして俺達、こんな食事論に紛糾してるんだ?そもそも元凶は…」
「僕が兎に呪いをかけた」
「それだ。今、そんな事話し合ってる場合じゃないよな」
「その通りです」
右に同じく、冥梨も溜息を付いた。
「私達は仕事をしに来たのですから。菫花、場所はこの辺りですか? 私達は迷いながら来たので、北西の方角は合っていても距離はよく掴めなくて」
「場所? うん、さっき風の精霊に確認したけど、だいたいこの辺だったよ。北西の、角だね」
「そうか。……冥梨、そろそろ始めるか。覚悟は」
「出来ています」
言いながら彼は、腰に提げていた革製の袋から赤い色をした珠を取り出し、地面にそっと置く。握り拳一つ分程の、光沢のある半透明の珠である。
「耀」
菫花は耀に向かって手を差し出した。その白い掌に小さな麻袋を放り投げて、耀は低く何事か呟いた。その声と重ねて、冥梨もまた呟き始める。
「……イズドゥエングーデ バィヌオザゲツ トグゼラーノァセ……」
独特の旋律を紡ぐその言葉は、二百年前に滅びたシレーヌ帝国の裏舞台に古くから伝わっていた闇魔術の言語である。今、この難解な言葉を扱える者は、カゾリア軍特殊隊第百八団に属する彼ら黒衣の一族しかいない。
少年はその闇魔術の序頭句を聞きながら、耀から受け取った麻袋の口紐を解いた。
それから、広場のほぼ中央に置かれた珠の周囲へ同心円状に木の枝を置きながら、菫花はその名の示す通りの紫色の瞳を養親の二人へ向けた。
その澄んだ泉のような瞳に一瞬、悲哀の色が浮かぶ。
(―――耀と冥梨が、逝ってしまう)
いつか、それが訪れる事は分かっていた。
しかし、こんなにも早く、こんなにも呆気なくそれはやって来た。
……そして、二人は疑いもせずそれに従おうとしている。
仕方ないと言えばそれまでだ。何故なら彼らは生まれた頃からそのように育てられたのだから。鳥籠の中で足輪を付けられて育てられた鳥は、たとえその足輪の鎖から放たれ、扉が開いていようとも逃げ出さない。彼らはそれと同じなのだから。
護摩(ごま)と呼ばれる、魔術用の特殊な木の枝をぐるりと一周配置し終えて、菫花は冥梨に、
「これ位で良いの?」
と、声をかけた。
呪文を唱え続けながら冥梨は事務的に頷き返した。
その蝋(ろう)細工のような白い面から視線をずらし、菫花はさっきまで隠れていた樫の木に標準を合わせる。
紫の光でできた網の中で、何かがこちらを真っ直ぐ見返していた。怯えの色は、見えない。
…菫花は微笑を漏らした。
耀と冥梨は兎だと簡単に信じたが、それは嘘である。紫網(しとう)と呼ばれる術で縛られているのは、薄茶の髪と目の、れっきとした人間だった。食べるというのは冗談だが、このまま帰すのは、今後の仕事に差し障る。「それ」の処分は、これからの反応次第だ、と彼は考えていた。
早春の森に陰りを帯びた呪の音色が響いてゆく。
黒衣の一族の仕事の実行部分に、諜報部に所属する鳥が選ばれるのは珍しい事だ。このような仕事は普通、固体数の多い、鼠や蝙蝠(コウモリ)が請け負うべき仕事だ。それに、耀と冥梨が担当する箇所以外の五箇所は通例通り鼠が派遣されている。
(これは……)
二人に拾われてから、はや十年。カゾリアの軍の裏側を見て育った。
彼は、茫と佇む二人を見上げた。呪は既に止まっている。
黒は死者の色―――
冥梨の黒く染めた髪がいやに目に付いた。目立つというなら蜜色の彼の髪も同じなのに、染めろと言われたのは冥梨だけだった。
(……体裁の良い厄介払いなのか?)
心の中で、そう呟く。
これまでの彼らの仕事ぶりは、まあまあ良く勤めていた方だった。能力も高い。
「耀」
声をかけずにはいられなかった。
「今回の仕事、もう一度よく教えて」
耀は、快活な表情の消えた顔を菫花に向ける。
「……仕事か。……中央にあるのが血を固めた珠。その周りに護摩を置いて大地を清め……南北、北西北東、南西、南東の六ヶ所でも同じ様にし、結界を作る」
「……そして新たに作られた結界が、元々この森にかけられていた迷宮の結界と相殺し合い……迷宮の結界に風穴を空ける事ができるのです…」
覇気の無い声。
彼らはいつも、術を使う時は心を失う。ただの、操り人形と化すのだ。
血の核に歩み寄り、彼は二人に背を向ける形で、ぽつりと呟く。
「二人共……どうして……どうして、自分の為に生きないの?どうして抗わないの? ねぇ……」
「私達は、カゾリア軍によって育てられました……子が親に従うのは当たり前で……」
「冥梨!」
菫花が鋭く叫んだ。
「今は仕事中かもしれないけどっ、でも、型通りの答えなんていらない! 冥梨は人形じゃないんだ! それとも、僕は二人にとってどうでもいい存在? たった十年、それでも十年、僕が五歳だった頃からずっと一緒にいたんだよ。そんな答えで僕が納得する筈ないでしょっ?」
彼らの顔は見たくなかった。
自分の声は聞こえただろうか。檻の中の心まで届いただろうか。作り物のような顔に感情が生まれるだろうか。
その全てを否定されるのが恐くて、彼は振り向く事が出来ずにいた。
自分は普通の人間より、格段に才能があって、頭の回転も良いと思っていた。そしてある意味ではそれは正しい。しかし、今はそんな事は意味を成さなかった。彼はただの、少年だった。……恐かった。
「菫花」
唐突に呼ばれ、彼は反射的に振り返った―――振り返ってしまった。
硬い眼差しが光を取り戻し、和らいでいた。
「ありがとう」
はっ、と彼は耀を見上げる。
「でも、俺達は狭間に生きる異端者なんだ。人間にも鳥にも成り切れない灰色の生き物……これ以上生きてはいけないモノなんだ。その事に気付き、自分の存在を疑うようになったからこそ、長官様は俺達にこの仕事をお与えになったのだと思う。菫花、お前は人間だろう? 俺達なんかよりずっと魔力は強いが、お前は……普通の人間だ。だから……」
一旦切って、耀は稚(わか)い刺客の目線に合わせるように屈み込んだ。菫花の蜜色の柔らかな髪をくしゃくしゃっと掻き回す。少し離れて、冥梨が微笑んでいる。
菫花は、その理屈は間違っている……と、そう言いたかった。でも言えなかった。彼らはもう受け入れてしまったのだ。
「……生きろよ」
一瞬、大真面目な顔をして、彼は一回り以上若い少年を見据えた。
その表情に何かもの悲しさを感じて、菫花は両手を握り締めて俯く。
「耀……」
握った右手に温かいものが触れた。それが、耀の涙だと気が付いたのは、彼が菫花に背を向けた後の事だった。
少年が声をあげるより前に、耀が言う。
「また、会おうな」
菫花は、何も言えずその場に立ち竦(すく)んだ。
円形に置いた護摩から黒い光が立ち昇り、中央の血色の珠が朱味を増す。二人は、よろよろと引き付けられるように闇の中に倒れ込んだ。
「……耀……冥梨」
一瞬の後、彼らを舐めるように黒い光は炎と形を変えて、ごうごうと燃え盛る。
右手を左手で抱き抱え、彼は結界の呪場から一、二歩後ずさった。
自分は、彼らとは違って、刺客だ。相手に対して感情を持ってはならない職種だというのに、こんなにも心が動く。たとえ彼らと家族同然に育ったからといっても、それは言い訳にしか過ぎない筈だ。
菫花は、息を吐いた。
「どうしちゃったんだろ……」
胸が苦しくて痛くて顔が歪んで熱い位で。今まで、こんなに激しい奔流を感じた事は無かった。
「今日の僕は変だな……」
だが、だからと言って、以前の自分が正しかったとも思えない。
自分は大切な人達を喪くして、その代わりに確かに何かを受け取ったのだ、きっと。
彼は火の鎮まるのを見て、すとん、と腕を下ろした。何とか、気持ちの昂ぶりを押さえ込む。
(あと五箇所……それを手伝って、あとは的を仕留めるだけだ)
仕事内容としてはいたって単純。それも相手を殺さなくとも良いのだ。
何て事はない。
薄い茶色味がかった簡素な服の袖にかかった砂を払い落とす。
「……仕事、しなくっちゃ……」
燻(くすぶ)る火に背を向けて、彼は樫の木に歩み寄り、小さく何事かを呟いた。パンッ、という破裂音がして、辺りに紫の光の粒子が飛び交う。
紫の網に囚われていた兎は、それと同時に鋭い視線を彼へと向けた。薄茶色の、邪月の者にしては珍しい髪と目をしている。
「やあ」
菫花はいたって友好的な挨拶をかけた―――友好的過ぎて無礼な程の。
「……」
少年が押し黙っているだけなので、彼は少年を観察する事にした。
歳の頃は、十三、四位か。背はまあ普通で、菫花より少しばかり小さい位であるが、いやに大人びた雰囲気がある。
「君、名前は?」
ちらり、と菫花を見返す彼の表情は硬いままだ。
「……令」
「邪月の人でしょ? 僕は菫花って言うんだ。カゾリア出身」
「何をしに来た。ここが邪月領の森だと知らないのか? 今すぐ立ち去れば見逃してやるが……その気がないのなら」
普段の彼からは想像もつかないような威圧的な口調で、令は続けた。
「こちらにも考えがある。疾(と)く立ち去れ」
「君ねぇ、僕のかけた紫網、結局解けなかったくせに僕に敵うと思うの?」
「だからだ」
令は、得体の知れないこの少年を睨みつけながら言う。
「だからこそ、私がやらなければならない。巫女様に負担をかけさせる位なら、私が相討ちにした方が被害が少なくてすむ」
蜜色の髪の少年は、微かに嘲笑めいた表情をした。
「巫女様のお為に自分を犠牲にする、と?」
「それが私の役目だ」
「馬鹿馬鹿しぃー」
「これは私が決めて、私が選んだ道だ。お前ごときにとやかく言われる筋合いはない」
あくまで素っ気ない彼に歩み寄り、菫花は唇を尖らせた。
「令、だっけか。一応僕の方が年上っぽいし、もうちょっと敬ってくれたっていーじゃん」
「カゾリアでは十七歳で成人するらしいが、邪月では十三でも、もう大人だ。それに私は一応、敬う相手は自分で決めさせて頂く」
つれないなぁ、と菫花は聞こえよがしに呟く。
「……所で、どうして巫女様に従う事にしたんだい?」
「お前と立ち入った話をする気は無い」
「ふぅん?」
立ち入っている理由なんだねー、と彼は心の中でにやりと笑う。
「じゃ、きっとその巫女様は美人なんだろうね」
「……っな」
意外にも、令の張り詰めていた表情が一気に瓦解して、焦りに変わった。
「何を言う、邪推もいい加減にしろ!」
「焦る所がまた怪しいんだよなー」
菫花は、くつくつと笑うと、二つばかり年下の少年を見る。
「早く立ち去れ!」
令の、大人になりきらない高い声の語尾が怒りに震えていた。
「せっかく情報引き出そうと思って生かしといてやったのに。全然役に立たなかったなー。ま、僕には君と心中する気はないし……」
菫花は悪戯っぽく唇を吊り上げる。邪月の少年は、短刀の柄に手を掛け、身構えた。
「忘れてもらうよ―――!」
呪を声として出すまでもなく、彼は左の掌を令に向ける。暗い黒灰色の煙がぶわっと令の目の前に広がる。
少年は一瞬驚いたようだったが、すぐさま短刀を閃かせた。一条の光の筋が暗灰の靄を引き裂く。それを見て、菫花は手を叩いた。
「判断早いねぇ!だけど、逆効果」
「……っ?!」
一、二歩後ろに下がり、彼は霧散した靄(もや)を呆然と見つめた。
(広がっている?)
暗灰の霧に包まれながら、少年は必死で単純結界の呪を唱えた。単純と言っても、一人分なので防御力は高く、たいていの魔法による攻撃を防ぐ事ができる……筈だった。
胸の悪くなる香りに、彼は片膝を突く。既に結界は霧に取り込まれていた。強い花の香りが彼の思考を支配し、更に体の自由を奪ってゆく。
黒衣の一族、と呼ばれていた二人の言葉が浮かんでは消える。カゾリア、血の色をした珠と護摩の結界……そして、犠牲。
(伝えなくてはいけないのに……)
薄目で、はっきりとではないが、カゾリアの少年の鮮やかな金色の髪が、深い霧の向こうに見えたような気がした。令は無駄を承知で短刀を振るった。白光が、ほんの少し霧を切り裂く。
「摩椰(まや)様……」
意識がぼやける。伝えなければならない事が沢山あるというのに…そんな、声にならない言葉は、絶対的な暗灰の波に掻き消されて千切れ飛んだ―――
令の鋭い眼光が薄れるのを感じ、菫花は左手をゆっくりと体に寄せる。その細い腕に紅い筋が走っていた。
「やるね、あいつ」
靄の中からこちらを睨む冷ややかな眼に、一瞬囚われた。あの冷眼にはそれだけの威力があったのだ。その僅かな隙を狙われた結果がこれである。
菫花は腰帯の端を少し裂き、それを片手で器用に左腕に巻き付けながら薄茶の髪の少年を見遣った。自分より一つか二つばかり年下であろう少年。大の大人でもあっても、自分に傷を付ける事はままならないというのに、令という邪月の少年は忘却の霧の中から剣に魔力を付加して飛ばし、その上自分の腕に命中させたのだ。
油断はあったとはいえ、彼の実力は侮れぬものがあった。
でも、と菫花は溜め息をつく。
「……逸材なんだろうけど、僕に負けるようじゃあねぇ。こうなったらこいつの言ってた巫女とやらに期待するしかないか」
強大な魔力で邪月の民と邑を護ると言われ、カゾリアでは伝説並みに語り継がれている、櫻巫女。少なくとも実在はするようだ。まあ、それが分かっただけでも収穫と言えるだろう。
小さく微笑む。
それから菫花は血の色の珠の方に向き直った。
「ライズェン」
ふわ、と風が巻き起こり、広葉樹の大きな葉が揺れる。その風に、風景が紛れ、景色が揺れる。
護摩の円の上に、歪んだ景色が沈んだ。それはまるで覆いのようにそれらを包み隠し、ものの見事に消し去っていた。
菫花は耀や冥梨のように、女帝の瘴気を浴びた為に人間の体を持つようになった動物ではない。しかし彼は彼らと共に時を過ごし、また共に学んだ。そして彼は更に並外れた素質を持っていた。それが今では女帝の瘴気を浴びた動物の子孫達にしか扱えない闇の魔術を使う事のできる所以(ゆえん)である。
菫花は、姿を隠した呪場を見つめた。
「二人の分も……頑張るからね」
一応、計画は立ててあるのだ。
紫苑色をした不思議な明るさの瞳に、軽やかな春の緑が奇妙に曲がって映って、少年は目をしばたたかせる。
光を放つように零れ落ちた水滴を、彼は目を見張るようにして、ただ見つめていた。
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◆第1章〜咲耶の章〜第三部◆
一方。
いきなり怒鳴られ、説教を延々と喰らった揚げ句に罰として正座三時間を申し渡された、何とも不幸な緑髪の少年は、いい加減足が痺れていた。
「まだ?」
少々の期待を込めて聞く。
「あと一時間ちょっとよ」
がっくりと肩を落とす少年の、長い髪とその間から生えている変わった形の耳を面白そうに観察しながら、顔だけは可愛らしい少女は首を傾げる。
「変ね」
彼は更に肩を落とした。
(耳が、変……!)
長年チャームポイントだと信じ続けてきた彼の美的センスをただ、変、という一言で完全に否定されてしまったのだ。これをどう落ち込まずにいられようか。
「そんなに変かなぁ……」
「うん」
これ以上は無い位の速やかな即答に、ついに彼は地面に頭をぶつけそうになる。慌てて身を起こしながら、ふわふわした長い耳に手をやった。
「―――いくら何でも遅すぎるわ」
傾き始めた陽を睨み、少女は顎に手を当てる。
「令が方向音痴とは聞いた事ないし、何かあったのかしら」
「はぁ?」
耳の話だとばかり思っていたが、どうやら違うらしい。
(それに、令だって?)
とてつもなく間の抜けた彼の疑問符に、少女は黒目がちの大きな瞳を、ぽかんと口を開けたままの少年に向けた。
「何? ……変な精霊さん」
そう言うと彼女は少年の前にしゃがみこみ、耳には手を当てたまま、口は開けっ放しの状態で固まっている彼の薄紅色をした眼を覗き込む。
「……精霊、だよね?」
「ったり前だ。どこをどう見たら精霊以外に見えるんだよ」
彼は口をへの字に曲げた。
「じゃあさー精霊の長って何処にいるか知らない?私、令のお父さんに言われて、丘の上の桜の樹の所で忌祓(いみはら)えの儀というのをやる事になってるんだけど」
でも、それらしい人がいなくて……、と彼女は続けた。
それを聞いて少年は、ぽん、と手を叩く。
「て、事はお前が摩椰だな? 今年成人というと」
「そうだけど、どうして私の名前知ってるのよ?」
「そりゃあまあ、俺が付けた名前だし、そうそう忘れはしないだろ。それに、現巫女と次代巫女と族長の名前位は常識だしな」
摩椰は目を丸くした。
「え? 邑人の名前を付けるのは精霊の長だけじゃないの? 何であなたが」
「何ででしょう?」
目を白黒させる少女を悪戯っぽい顔で見返し、咲耶は人差し指を立てた。
「それではここで問題です。精霊の長の特徴を三つ挙げなさい」
「そうねぇ……特徴? 聞いた話だけど、第一に桜の精霊である。第二に、魔力が強い。第三に、格好良い」
桜色をした瞳の少年は、満足げにうんうんと頷いた。非常に嬉しそうである。
「それが分かってるなら分かるだろう、精霊の長が誰か」
「は?」
摩椰はわけが分からず、首を傾げた。そんな彼女を見て、彼は自信満々に自分を指差す。
「この俺に、決まってるだろ」
「まさか」
真面目に否定されて、彼はがくっと頭を垂れた。
「そんな筈ないわ! だって胡陵(こりょう)姉様は、精霊の長は格好良い男の人よ、って言ってたもの」
「何かそう言うと、俺が格好良くないみたいに聞こえるんだけどー」
少々いじけた声で精霊は言った。
「まあね、それは見解の相違って奴よ。でも本当にあなたがあの精霊の長なの?」
「その通り」
しかし、疑いの視線を感じて彼は溜息をつく。
脇にある桜の樹の幹を軽く叩いて、言った。
「正真正銘、俺が精霊の長だよ。品種名は咲耶姫で、他の奴らは咲耶って呼んでる」
「咲耶姫? 可愛い〜!」
「品種名なんだから仕方無いだろ。それより、もう一人はどうしたんだ? 確か胡陵の弟の令も今年だったが」
「うん、途中ではぐれちゃったの。令の事だから大丈夫だと思うんだけど……」
それより、と彼女は身を乗り出す。
「胡陵姉様の事知ってるの? 私、従妹なんだ」
新月の夜闇を溶かし込んだ艶やかな髪。白い肌に際立つ鮮やかな闇は、それだけで不思議な力を潜めているように感じられる。人を圧倒し強烈に魅了する類のものではないが、清楚で可憐な美しさを持っている―――彼女はそんな女性だ。
垂髪(すいはつ)と振り分け髪との差はあるが、思い浮かべる胡陵の容姿と、目の前の少女の姿が重なった。
「まーな、一応知り合い。それにしても似てるなぁ、気味悪い位昔の胡陵にそっくりだ」
「そんな事無いと思うけど。だって、胡陵姉様は私なんかと比べ物にならない位お綺麗だし、優しいし、それでいて強いのよ。ううん、表面的な強さだけではなくって、内面的な強さ……何か、もっと大変で辛い事を経験した、そんな悲しい毅(つよ)さがあるように思うの。私なんて、到底及ばないわ」
(意外と、勘が鋭いな)
その言葉は、ある意味核心を突いていた。そしておそらく、そのような事を先天的に感じられる素質が、彼女を巫女たらしめたものなのではなかろうか。
その時咲耶は多分、恐ろしく深刻そうな顔をしていたのだろう。摩椰が不思議そうに声をかけた。
「どうかしたの?」
いや、とかぶりを振り、彼は摩椰の暗紫色の瞳を見上げる。
この子は、まだ何も知らないのだ。容赦の無い定めも、暗澹(あんたん)たる悲しみも、櫻巫女の成人の儀の真実も……。
胡陵が摩椰の言う、一見理想的な巫女であるとするならば、それは本来の奔放で天真爛漫な少女の翼をもぎ取られた結果なのだ。曖昧な微笑みではなく、摩椰にそっくりの満面の笑みを、彼女は失ってしまったのだ。
咲耶は息を付き、虚空に向かって呟く。
「胡陵か……」
「あ、そういえば」
彼の感傷を途中で打ち切るかの如く、摩椰が唐突に言った。
「胡陵姉様で思い出したんだけど、精霊の長は見た目は二十歳位って言ってたわ。あなた、どう見ても私と同い年位よね?」
「ああ、これは」
彼は自分の体を見下ろす。
「これはなー、お前に合わせたんだ。同世代の方が話しやすいだろ? でも、戻ってみるか?」
精霊はそう言うと、左の人差し指で宙にくるりと円を描いた。
「逆行変化、完了せよ」
風が波を打つ。円を中心に魔力が大気ににじみ出ていくのが分かった。もっとよく見ようと目を細めた矢先、何かが摩椰の頭を軽く叩いた。
「え?」
反射的に上を見上げる。
そこには、確かに長と呼ぶに相応しい雰囲気を備える青年の笑顔。着物はさっきと同じだが、どうやったのか、大きさも変化していた。胸の辺りには翡翠の首飾りが見え、髪は少し伸びたようだった。悪戯っぽい、明るい薄紅色の瞳は、少年の面影を残している。
摩椰はそんな青年を見上げて、ぽつりと言う。
「……まだ三時間経ってないわよ」
「あ、あぁ。それはそうだけど、他に言う事ないのかー?」
残念そうに彼は呟き、へたりこむ。
「何か言って欲しかったの?」
「いや」
何も分かってくれない無情な少女に、言葉少なに返事する。
確かに格好良いわね、位言うのが人情ってもんじゃないだろうか。大きく溜息を吐いて、彼は腰を下ろした。
周りの木の精霊達が堪(こら)え笑いをしているのが聞こえる。咲耶の木の枝の上でも、桜華が笑っているのが分かる。仮にも次代の巫女なのだから彼らの声が聞こえていないとは思えないが、摩椰は特に気にした様子もない。
もしかしたら勘が鋭いのは一部だけで、実は鈍いのかもしれない…と青年が思い始めたその時である。
―――ぞくり、と背筋を悪寒が突き抜けた。精霊は、すぐさま後ろに飛び退く。
「……っ!!」
彼の予想だにしなかった行動に驚いて動けなかった少女も、何かを感じたらしく、身構える。木々の梢を、萌え始めた新緑の葉と葉の重なりの向こう側を、凝視する。黒い靄(もや)が、外側の森の所を漂っていた。非常に危険な感じを受けて、摩椰は顔を曇らせる。
「摩椰」
咲耶は波立つ心を抑える事が出来ずにいた。歪んだ魔力の気配が大気を軋(きし)ませている。それは、かつて彼が本当に少年だった頃に何度か経験した気配だった。
「お前まさか、あの方向から来たんじゃないよな?」
「……私」
少女は、首を振らずに言い淀んだ。
「あそこを通って、来たんだな?」
青年の確認の問い掛けに、彼女は黙って頷く。
彼は沈痛な顔をして、不安そうな少女を見つめた。嬉しい予感はよく外れるが、嫌な予感は今まで外した事がない。
「忌祓えの儀は延期だ。令があの靄に巻き込まれている可能性が高い。お前はひとまず邑に帰れ。俺が様子を見て来る」
「それはどういう―――」
「待って!」
言いかけた少女を遮るように、鋭い声が静止を叫んだ。
桜の太い幹の裏側から、青年と同じような服装をした女性が出てくる。
「咲耶、あなたはこの子を送ってやって。人に優劣を付けるわけではないけど、この子は次代の巫女。族長の長男より、この里に必要な人だわ」
「桜華……」
「大丈夫、令の方は私が行くから。あなたはこの子をお願い」
有無を言わせぬ強い口調で彼女は言い、一瞬の景色の揺らぎと共にフッと消えた。
それを見送って、青年は小さく息をつく。摩椰はそんな彼にすがるような視線を向けた。
「令はっ!」
「大丈夫。桜華は優秀な精霊だから心配ない。お前は俺が責任持って送ってやるから……な。そんなに心配しなくても、あいつなら令を助けられる」
今にも泣き出しそうな少女を横抱きに抱え上げ、咲耶は黒く霞んだ靄を振り返った。
「大丈夫だから」
地面を蹴る。長い髪が風に揺れた。
目をつむり、顔を埋ずめてくる小柄な少女の胸中を思うと、どんな言葉をかけたら良いのか分からなくて、彼はただ大丈夫と繰り返し言うしか無かった。
風を切る感触が、春のくせにまだ冷たい。
静かな森を横切りつつ、青年は自嘲気味に笑みを漏らす。
時というものは何故―――
こんなにも儚く、それでいて残酷なのか。大切な者達を悲しませ、苦しませた瘡痕(きずあと)。過ぎ去ったからと言って、その瘡は癒える事はない。それどころか、更に深い奥底を、自分でも気付かなかった弱い部分を容赦無くえぐる。何も出来ず、彼女達を誰一人救えなかった。幸せにしてやりたい……切に思った。何度も願った。何百年も、何度も彼女達に出会い、祈り、そして失った。
己はただの手足に枷(かせ)をはめられた傍観者に過ぎない。たいした力も持っていない。
けれど、心を縛られ、辛い記憶を抱いたまま彼の傍らを走り続ける巫女達をただ見守るしか出来ないなんて、もう耐えられないのだ。彼女達の涙をもう、見たくないのだ。
胡陵や彼女の叔母、そしてその流れを受け継いできた者達を、自分は不幸にしてきた。そして、この腕の中の少女をまた泣かせるのだろう。
故国の女帝がかけた呪い、それを―――
「断たなければ」
短い言葉は、悲哀の色を帯びた硬い響きを伴い、彼の体の中で何度も反響した。
静かな森を駆けるその邪月の守り神の姿には、痛々しくも気高い、王の気風があった。
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◆第2章〜セディアの章〜第一部◆
「セディー!! 早く逃げろ!」
耳に飛び込んできた、切羽詰まった幼馴染みの声に背中を押されるように、セディアは月輪殿(げつりんでん)の真っ白な階段を下った。
ザクッ、ザクッという、統制のとれた兵士達の足音が神殿の中にも聞こえてくる。
地下の回廊は不規則に折れ曲がりながら、薄暗い奥へと続いている。硬質の足音がやけに響いているような気がして、彼は不安に駆られた。
(もし捕まったら……きっと殺される)
何故、自分が王家の近衛兵達に狙われているかは分からなかったが、捕まった時にどうなるかはおおよそ察しがついた。とても、和やかに会話出来るような状況ではない。
セディアに残された手段は、母が以前に教えてくれた、この抜け穴を駆け抜ける事だけだった。
月輪殿というのは、このシレ―ヌ国が信仰している月神を祭る神殿の事である。神殿はシレ―ヌ国内に五箇所あるが、ここ月輪殿が最も規模が大きく参拝者も多く訪れている。そして月輪殿には、月神を称え、祭る事の他にも重要な役割を持っているのだ。
……それは、神官の育成である。国内の町村には数多くの祭殿があり、そこへの人材派遣や王宮内での占者も必要となっているのだが、何せ特殊な職業である。下位の者はともかく、上位で権力を持ち得るようになるには、相当の努力と天性の才能が要る。その為、自ら進んで神官を目指すものは少ない。せいぜい、幼い頃から才能を見込まれていた子供位である。
困ったのは国の重臣達である。神官が居なければ、祭祀が滞ってしまう。
そこで考え出されたのが孤児院制である。捨てられたとか、両親を亡くしたとかいう子供達の生活を保証する代わりに、神官としての教育を受けさせるというものである。神官の上層部には才能が必要であるが、下層部であれば努力さえすればなれるのでこの制度は社会にすぐ受け入れられ、数年もすると神官の人数は安定し、また能力も向上するようになった。
セディアもそんな孤児院制で援助を受けている子供の一人である。セディアは孤児では無かったが、公にはそういう事になっていた。
思い当たる節はこの事くらいしかない。
(でも、神官希望者は少ないんだし、片親がいたって別にこんなに追い掛け回す事はないと思うんだけど……)
なるべく音を立てないように、彼はつま先まで神経を尖らせながら走る。
地下道の天井の右上の方で大きな音がして、地面が少し揺れた。しゃがみこむようにして、セディアは低い天井を仰ぐ。
(入り口が見つかった?!)
どうしよう……。
一瞬の迷いを振り払い、今度は音を立てるのもはばからずに駆け出した。
もうこうなったら、逃げ足で勝負するしかない。
神殿の周りは雑木林で、同じ様な境遇の仲間たちと遊び回ったので、足には自信がある。
大人にとっては少し狭い道も、子供の体には丁度合う。セディアは振り返らずに、ただ前へ前へと進んだ。
「でも……何でなんだろう」
走りながら呟く。入口は母しか知らないはずだし、自分もしっかりと閉めた。
だが、兵士の数によっては開く可能性もない事は無い。彼のかけた閉錠の呪文も、何十人もの兵士の体当たりには恐らく敵わないだろうから。
しかしそれはまだ分かるとしても、不思議なのは何故入口の場所が分かったかだ。月輪殿の祭祀長で、彼の実母であるティユールがそんなに簡単に負けるとは考えにくい。
(何かあったのかもしれない)
セディアが疑念を抱いたその時である。
((聞こえる? セディア))
「えっ……?」
直接頭の中に聞こえた声に、彼はすぐに反応する事が出来なかった。
やや時間を置いて、セディアはゆっくりと心の中で呟く。
(ティユール…様)
実母に「様」を付けるのは変と思われるかもしれないが、公にはティユールとセディアは他人であり、師とその教え子だ。敬称を付けることが当たり前で、彼は生まれて一度もティユールを母と呼んだことは無い。
(これは伝心能力ですよね?)
((ええ、良かった通じたみたいね。セディア、あのね、困った事になったわ。王家の近衛の魔術師が同行しているの。私に勝ち目はあまり無いわ。それにアステルを人質に取られてしまって…ごめんなさい、入口を))
(分かりました。ティユール様、それでアステルは無事ですか?)
((その点では大丈夫。入口の場所と交換に解放させたわ。でもあなたの方に兵士が向っているの))
と、悲痛な声で彼女は言った。
(今の所はまだ見えませんが、先刻入口が破られた様な音がしました)
((では、セディア、あなたはそのまま進みなさい。近衛の魔術師だけは地下道に入れさせない様にしますから))
(祭祀長!! 先程、勝ち目は無いと)
((あなたは心配しないで。私の命に代えても術士だけは入れさせないわ))
それは、凍えた冬の夜を生き抜く者だけが持ち得る、厳しい決意だった。
(そんなっ! そんな事をしてはいけない!! ……私なら大丈夫です。兵士はまだ近くに来ていないようですし、この道を行けば安全な他の神殿に通じているのでしょう? 祭祀長が私などの為に御命を捨てるなど、なさらないで下さい!)
((セディア……。確かに差は歴然としているわ。でも、私にだって意地はあるのよ。あなたやアステル達他の神官見習の生徒達を危険から守れずに、こんなに辛い思いをさせてしまっているのは私のせいなのだから。だから、私はあなた達だけに重荷を背負わせたくはないの……せめて、こうして少しでも追撃を軽くしなければ私はこの月輪殿の祭祀長失格だもの。それに、セディア……これは最後の忠告だけど、挟み撃ちほど恐ろしいものは無いわ。あなたの進む道が本当に安全なのかは分からない……この事をしっかり胸に刻んでおいて))
静かに言うティユールの言葉の端々に別れの気配がしていて、彼は顔を歪めた。
(祭祀長……)
両手を強く握り締める。
生まれた時から、他人として育てられた。その理由を彼女は教えてはくれず、自分は随分悲しい思いをしたものだった。
だが、子は親を求める。神殿に集められた少年少女達全ての母がティユールであった。彼女が自分一人のものではないという事が辛かった。本当の子も他人の子も同等に扱うティユールに苛立つ時もあった。…それでも自分はティユールが好きだった。
いつか―――いつかこう呼べる日が来ると信じていた。
「母さん……」
ぶっきらぼうに街の子供達が、何のありがたみも無く言うこの言葉に憧れてさえいた。
でも今の彼女の話を聞いていると、まるでこれが最後のお別れの様な錯覚を覚える。
(最後の忠告、だなんて……何でそんな事を……)
首を横に振り、セディアは硬い石畳の上を走り抜けた。遠く後方から、たくさんの足音と叫び声が聞こえる。
そのまま何十分も走っただろうか。流石の彼も息が切れてきた。優に五キロは超えているだろう。
一度立ち止まって、膝に掌を置いて肘を伸ばし、大きく息を吐く。後ろからの追っ手も少しは減ったようだ。彼はちらりと後ろを見て、それからもう一度息をついた。
(私は生き延びなければならない……。母の為にも、逃がしてくれた仲間の為にも)
生き延びて、そして彼らを救わなければならない。
それからセディアは前方の、少し天井が高くなっている空間に目を向けた。
ごつごつとした岩肌をくりぬいて作られた六つの穴が、大きな口を開けて彼を待ち構えているようだ。彼は、この地下道の入口をあけてくれた祭祀長の言葉を思い出していた。
(確か、六つの分かれ道のうち、中央以外は他の神殿に繋がっているはず)
ぐるっと穴の入口を見回す。特に危なげな所はないようだ。
セディアは思いきって、一番左にある道に足を踏み入れてみる。見た所は飛矢や落とし穴といった仕掛けは無さそうであったが、彼はそれ以上は前に進まずに耳を澄ませた。
……コツ、コツ……コツ……
(音が……?)
周囲の壁に反響して、どれ程の遠さから聞こえてくるのかは分からない。
だが、確実にこちらへ近付いて来ている。複数だ。
セディアは後ろを振り返った。兵士達の重々しい足音が聞こえる。しかし今のコツコツという足音という硬い音とは違う音だった。
(何だろう……これは)
彼は頭をひねった。
(兵士では無さそうだし、他の神殿からの道で聞こえるって事は神官なのかな)
―――助けに来てくれた?!
一瞬頭をよぎる希望を彼は頭を振って振り払った。
(いや、違う)
助けに来るなど、絶対に有り得ないのだ。
何故なら今、月輪殿が襲われているという事など他の神殿はまだ知らないだろうし、もし知っていたとしても、五つの神殿の中で最も力のある月輪殿の祭祀長でさえ危険なのだ。その上、王の息のかかった近衛兵まで動いている。そんな危険を犯してまで、他の神殿の人達が援護に来るわけが無い。
横の繋がりよりも縦の繋がりを重視する、神官職の現実がそこにあった。
(と、なると残る可能性は―――)
ひときわ大きな足音が鳴り響き、彼は後ろを振り返った。そのまま青冷める。
総勢五十名を超す兵士達が、彼の目の前に整然と並んでいた。
(追い……着かれた……!!)
顔面を蒼白にして呆然と立ち竦むセディアの前に、その軍隊の隊長らしき恰幅の良い、長身の男が歩み出る。彼は背中を屈めるようにして、セディアをじっと見つめた。
「おまえがセディアか」
地の底から響いてくるような声。
「……私に、答える義務は無い筈です」
男の青い眼差しに、何もかもが見透かされてしまっているようで、彼は落ちつかない気分になる。神官見習いを示す、白い十字架科の花の模様の付いた濃藍の服の裾を、無意識の内に握り締める。
「それならお前をセディアという事にしておく。どのみち答えなくても分かるからな」
「何故……何故私は狙われなくてはならないのですか? ただの神官見習の私を貴方達はこんなに大勢で狙うのです? 私は今まで貴方達や王家に逆らった事はないのですが」
目を逸らさずに彼は尋ねる。
その言葉に男は何が可笑しいのかいきなり笑い出した。後ろに並んでいる兵士達にもそれはさざ波の様に伝わって、辺りは嘲りの混じった哄笑で溢れた。
「確かにな、お前は何もしていないかもしれないな。だが、お前の母親は王家……いや、このシレ―ヌ国に背いた。母親はお前に何も教えなかったのか?」
「私に母親などいません……いるのは、孤児達全ての偉大なる母です」
「そう育てられたか。ある意味可哀相な子供だ」
と、彼は同情するようにセディアを見た。
その視線がたまらなく嫌で、彼は横を向く。
「何が狙いですか。私をからかう為にこんな大層な軍隊でやって来たのですか?」
「我々は王妃の命でここにいる。国家に対する反逆者を捕らえよ、という。そう、セディアという名の月輪殿の祭祀長の一人息子を」
「何だってぇ! ……息子、だと? 隊長、こいつは男なんで?」
素っ頓狂な声で、部下の一人が男に聞く。
「こんな生っちろい肌に、今にも折れそうな細い腕が男のもんだと? 聞いて呆れるぜ。俺には薄幸の美少女に見えますぜ」
そんな彼に、隊長と呼ばれた男はぎろりと視線を向ける。
「少しは言葉に気をつけろ。がさつな話し方をこれ以上続けたら、隊から放り出すぞ」
「す、すみません! これからは気を付けますんで……気を付けますのでどうか」
滝の様に汗をかきながら謝る大柄な部下に、やれやれというように彼は肩をすくめて言った。
「分かった、もういい。そんな事より早くこいつを捕まえろ。王妃がお待ちになっておられるからな」
セディアは彼らの視線を感じながら後ずさった。
(……早く逃げなければ)
じりじりと後退する彼の後ろの方で、さっきのコツコツという音がした。とても近い。
セディアはぱっと振り返って、そして驚きに身体を固めた。
「神官様……」
一番左の洞窟から聞こえた足音は神官のものだったのだ。しかし、助けに来たようでは無さそうである。
彼らはくすんだ灰色の長い髭を擦(こす)りながらセディアに言った。
「悪いが我らは味方ではない」
脇の一人が言った。
「リーウェシス王妃に遣わされたのだ」
セディアは窮して、唇を噛んだ。プロの神官相手では、若いセディアの魔力程度では勝ち目が無い。
彼は兵士と神官に挟まれた状態で肩を震わせた。このままでは捕まってしまう。
(どうすれば……)
彼らの無言の圧力に押されて彼は数歩下がった。背中に冷たい岩肌が触れる。
その時、他の神殿に続く道から、ぞろぞろと神官達が出てきた。そしてそれぞれの道を塞(ふさ)ぐように立ち、揃いも揃って彼を冷ややかに見つめたのである。
(―――あなたの進む先が本当に安全なのかは分からない……本当にその通りだ)
おそらく、差し向けた側が前もって手回ししておいたのだろう。こんな地下道まで把握していたとは、流石(さすが)に感嘆すらする。
白い髪の老神官が一歩前に踏み出た。
「どう足掻いた所でお前さん一人ではどうにもならん。早く降参するのが得策だぞ」
高飛車に言う。セディアはその命令を、少し青みがかった碧眼で睨(ね)めつける事で答え、すっと踵を返した。
六つの道のうち五つは他の神殿に通じている。残りの一つは、決して進んではいけないと母は言ったけれど。
(今、私にあるのはこの道しかないから)
少しでも可能性があるのならば。
彼の予想外の行動に、対応が一瞬遅れた。その隙にセディアは中央の道に駆け込んだ。慌てて兵士達が追いかけようとする。
しかし、神官達は彼らの行動を止めさせた。
不満げな顔をする彼らに、それぞれの神殿の長の老人達は含み笑いのようにククッと喉を鳴らして、互いに視線を交した。
「あやつは最も悪い道を選んだ」
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◆第2章〜セディアの章〜第二部◆
彼らの視線の先にはセディアがいた。
焦りと不安の重圧に押し潰されそうになりながらも走り続けている。
地下道は不規則にうねりながら、奥へ奥へと続いていた。
内臓が飛び出てしまいそうな程、息が上がっている。なめし皮の靴はとうに擦り減って、足の裏に冷たい土を感じる。ボロボロになった靴を投げ捨てて、彼は素足で走り出した。
薄暗い道をただひたすら進む。今は昼なのか夜なのかも分からない。
彼の後ろを追う、不気味な程の沈黙が彼を余計に駆り立てた。
(あっ……)
前方に燭台のような光を捉えて彼は目を細める。
(出口?)
闇を背景にして、その不気味なまでの紅い光は明るく辺りを照らしている。そこには彼が入ってきた入口と同じ様に平たい岩が敷かれていた。その固い感触を蹴って、彼は光の中に飛び込んだ。
眩むほどの眩しさに目を閉じたセディアを嘲る、甲高い哄笑が響く。
「まさか、鼠の方からのこのこと鼠捕りに入ってくるとはねぇっ!思いもよらなかった」
壁に掛かった燭台の紅い光が溢れる中で、高らかに笑う女性の、冷ややかに吊った瞳だけが暗灰色の邪悪な光を留めていた。その眼に居竦まれて、セディアは目を大きく見開いた。体が動かなかった。
女はそんな彼の方へつかつかと歩み寄り、滑らかな細い指先で彼の顎をクイと上げさせた。
「……あの女に瓜二つではないか。小憎らしいこと」
ストレートのセディアの少し長めの髪を手櫛で梳(す)きながら、彼女は彼をじっと見据える。彫像の様に直立不動の状態で、セディアはされるがままになっている。
「確かにあの方と同じ眼をしておるの……」
食い入る様に見つめられて、彼はどうしたら良いのか分からなくなってたじろいだ。
自分はこの女性に会った事も無いし、見た事さえ無いのだ。
(どうして……)
彼は目の前の女性の灰色の瞳を見返した。焦点が定まっておらず、夢でも見ているかのように茫洋としている。
(この人は私を見てはいない)
そう気付いて、彼は唇を噛んだ。胸が痛かった。
今まで誰も自分の事を、セディアという人間をしっかり見つめてくれはしなかった。一緒に学び遊んだ学友達も、親友のアステルだってお互いに心の底まで分かり合ってはいなかった。まだ、分かり合っていなかった。
実の母子なのに、「母さん」と呼ばせなかったティユールもまた自分だけを見てはくれなかった。自分がどれだけその言葉に憧れていたか。どれだけ彼女を独り占めしたかったか。
「……何で」
喉の奥が痛い。これ以上自己を否定されるのは嫌だった。
絞り出すような言葉に女性は、はっと気付いたのか反射的にセディアの肩を押した。
顔を歪め、数歩よろよろと下がる。
炎の照り返しを受けて明るいオレンジ色に見える、冷えた石作りの壁にしたたか背を打って、セディアはそのまま床に、すとんとへたりこんだ。背中がズキズキ痛んだが、彼はもたれかかる様に壁に身を寄せた。
豪華な服を着た女性は、しばらく表情を強張らせたまま呆然と少年を眺めていた。
「……そなたは、あの方と似ている。いや、顔立ちは全く違うと言って良いが……その」
その、何者にも勝る、毅(つよ)い眼差しが。
嘆息にも似た言葉を漏らし、そして不意に彼女は唇を不敵に吊り上げた。ゆったりとした余裕の笑みを向ける。
「成る程」
場の雰囲気がその一言で一瞬のうちにがらりと変わった。
ピリピリと空気が痛い。立ち上がるのにも苦労するほどの重圧感がある。セディアは頭を持ち上げて、きっ、と不吉に禍々しい濃灰色の眼を睨み返した。
そんな視線を全く無視し、彼女は一歩、足を踏み出した。口の中で何か音にならない声を発する。それから右腕を静かに上げた。
「―――っ!?」
何ともいえぬ不快感と痺れるような衝撃が走り、次の瞬間、彼の身体は宙に浮いていた。
首を太い紐か何かで縛られ、持ち上げられている様な痛みに、彼は何も無い空間を掻きむしった。
呼吸は出来る。だが、まるで窒息しかけている様に苦しい。
「……っくぅ……なぃをっ!」
言葉が言葉にならずに、口から溢れた。
妖艶に微笑みながら彼女はセディアを見上げる。くすんだ灰色の髪が波を打った。
「のう、おかしいとは思わぬか? セディア。そなたの父は空色の目、母は榛色の目だった。それなのにそなたの目はどちらも受け継いでおらぬ。祖父母の代もそうだ。そんな色の者はいない」
セディアは体の内側からせり上がってくる恐怖と苦痛から逃れようと、目をつむろうとした―――が。
「それが示す答えが分かるかえ?」
「……」
(目が……)
大きく見開いたまま動かせない。
「私の息子、シューレには緑柱石は備わっていなかったのだ」
女はセディアを見上げ、言った。
(緑柱石、だって?)
彼は心の中で叫んだ。緑柱石―――勿論、単なる宝石などではない。
この国が別名翡翠の国と呼ばれるように、ここ、シレーヌでは「緑」は特別な意味合いを持つ。
緑は高貴な色―――それ故に、金持ちはこぞってエメラルドを身につけたがる。しかしここで言われる緑柱石とエメラルドは全くの別物だ。
緑柱石は、これといった形を持たない。それは人の体内に息づく物であり、その物だけで存在する物ではない。
そしてそれは、シレーヌ国の王家に代々伝わる物だ。王族にとって非常に重要な役割を持った石なのである。
……緑柱石には、意志がある。
シレーヌ国を治めてきたのは代々フェルディア王家だ。だが、その王達を選んできたのは、緑柱石なのである。
運命を知る緑柱石が次代の王を選び、その者の体に移る。そして選ばれた者の子供達の中でまた、選ばれた子へとそれは移る。このようにして、人民を治めるに足る能力に秀でた者が長子、末子、また男女に関係無く王に選ばれ、シレーヌは約五百年間の栄華を築いてきたのだ。
セディアは女から目を離せないまま、彼女の言葉を考えていた。
彼女が口にしたシューレという名前。確か、数か月前に亡くなった王の、たった一人の嫡流の王子の名前がシューレだった。そして、彼以外には亡くなった王の兄と姉が二人いるだけで、他に継承権のある者はいない。今はまだ継承の儀式を行っていないので正式な王とは言えないが、王代理として国家を運営している青年である。
(……一人息子なのに、緑柱石を受け継いでいない?)
彼女の言葉を信じるとすると、そういう事になる。
それに、あのシューレ王代理を息子に持つとすると、この灰色の目をした女性は…
(リーウェシス前王妃)
彼の内心を見透かしでもしているように、女は小さく喉を鳴らした。
「そう、私はリーウェシス……魔女の血を抱く王妃よ」
もっとも、今では誰もそうは呼ばないが。彼女はそう言って、目を細めてセディアを見る。どこか、憎しみが込められたような目。
「私は、あの方を愛していた。誰よりも……何よりも。だがあの人は私ではなく、ティユール……神官ごときを選んだのだ」
淡々と言う彼女の裏にあるのは、殺意に似た憎悪。
「……ティユール様?」
セディアは訳が分からずに、呟いた。
(どうして、私はこんなにも憎まれなければならない?)
「ティユールさえいなければ、そしてそなたさえ生まれなければ……あの方はずっと私の傍にいてくれた!緑柱石だって、私の息子に渡っていた筈だった!」
……悔しさ。
ただその気持ちだけがリーウェシスを支配し、突き動かしていた。
少年は微動だにせず突っ立っている。灰色の長い髪と、同じく灰色の目を持つ女は、そんな彼を見つめながら、紅を挿した唇を弓なりに持ち上げる。そして、腰帯に挿していた短刀を右手で逆手に持ち、そのまま左の掌に突き立てた。
一瞬も表情を乱さずに、リーウェシスはそれを引き抜く。
「セディア……緑柱石がそなたを選ぶならば、私はそなたから奪うしか術は無い。だから」
目を見開いたままの少年の顔に向かって、彼女は左手を伸ばした。掌からはまだ真紅の水が溢れ、滴り落ち続けている。
明るい翡翠色の眸(ひとみ)―――
―――だから、私にそれを、緑柱石を…頂戴。
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◆第3章〜衣璃須の章〜第一部◆
かつて大陸一の栄華を築いたシレ―ヌ帝国は今、滅亡の途を辿っていた。
少し頭が働き財も有る物は国外に亡命し、貧しい者も他国との空白地域へと逃れていた。
そんな中で王都に残っているのは、過去の幻にしがみついている、愚かな権力者だけだろうか。
シレ―ヌは能力の高い呪術氏が多数養成され、他国から畏れられていた。しかし今では、彼らは下剋上を恐れる愚王によって、能力の有る者から次々に皆殺されてしまい、帝国を守るのは先代からの奴隷兵のみである。そんな代々虐げられてきた奴隷達が愚王に従うだろうか?
……いや、従うはずも無く、逆に好機だ、と思うに違いない。そして、それは必然的に起こったのである。
彼らは他国からの援助もあり、反乱を起こしたのだ。それは、冷めていた国民の王家への感情にも火を付け、他国に亡命していた者、山の奥地に隠れていた者、行き場が無く荒れた都の片隅で震えていた者、それに漁夫の利を狙う諸外国の連合軍が一つの暴徒と化して、王都に攻め入ったのだ。
王も近衛兵もひとたまりもなかった。
彼は民衆の一人に殺され、城は跡形も無く焼き払われたという。そののろしの煙と、暴徒達の怒号の声は、カゾリアとの国境近くの森まで聞こえた。
「これで国は良くなるのかしら?」
不安げに眉をひそめ、少女は小高い丘から故郷を見下ろしながら呟いた。利発そうな顔立ちである。髪は濡れたように黒く、肩にかかるくらいに伸ばしている。彼女は国を見下ろしたまま、ゆっくりと草の上に腰を下ろした。
「これで私も、はばかりなく話せるようになるのかな?」
誰とも無く呟いた言葉に、辺りに有る無数の草花がそれに賛同するように小さくざわめいたようだった。
彼女は柔らかい笑みを浮かべ、
「ありがとう」
と言った。
「でも、多分無理だわ。叔父さんが私に人前では話すな、能力を見せるな、と言うのはシレ―ヌ王の差し向ける間諜に気付かれないようにする為かもしれないけど、大半の考えは保身と、私を恐れる気持ち……そう見える」
諦めた風にそう言う。
「私を障害者のように貶(おとし)めて、私を弱者のように見せて安心してる。私がそれくらいで変わるわけが無いのに」
ふぅ、と溜め息を付き、少女は立ちあがった。
「えっ?」
突然、彼女は驚きの声を上げた。
「誰? 誰がいるって?」
問いに応えるように、ざわざわとさざめき立つ草花の一つに顔を寄せ、少女は尋ねた。
「櫻の神樹様の所ね? 分かった、行ってみる。ありがとね」
微笑みは歳不相応に微妙な色を孕(はら)んでいる。
諦観、そして悲しみと不屈……様々な感情が入り混じっていた。それらの底辺にあるのはやはり諦め故の哀しい安らかさだろう。
少女は気を紛らわすように小さく何かの唄を口ずさみながら、歩き始めた。
国のようにちゃんとした道ではない。獣道を踏み固めたみたいながたがたとした道だ。
「そもそも、シレ―ヌがこんなに荒れてしまったのはやっぱり、しばらく前に崩御された女王のせいなのかしら」
少し眉根を寄せて彼女は一人ごちる。
「賢王を選ぶという緑柱石を不当に奪い、扱っていた、なんて……」
明るい日差しが幾重にも重なる葉の間から、揺れながら差し込んでくる。明るさと暗さが混在している、どこか神秘的な空間、それが森だ。
彼女は他人が沢山いる人里が嫌いだった。
逆に、本当の自分が出せる、この空間が好きだった。ここにいる草花や木々は自分を恐れたり、拒んだりしないから。旧体制のシレ―ヌが魔法国家だったことが、能力有る者への差別に繋がっているのかもしれなかった。
彼女はそんな能力者の中でも、祭祀長以上の使い手になる、と故郷の神官から言われていた。
八百年以上の間生き、帝国を統治した女王も魔女の血を薄くながらも引くだけあって、かなりの力を持っており、不当に所有した緑柱石を抑え続けたのだからたいしたものであった。その石に関係の無いも者が触ろうものなら、触れた面から徐々に腐らせてゆくという恐ろしい代物だ。
そんな女王と、流石に寿命は違うだろうが、彼女はその力に匹敵する可能性を持った若い鳳雛(ほうすう)だった。
彼女の能力は稀有なものだ。人々がそれを恐れる中、森は、そんな彼女の力が希望に成り得る物だということに気付いていた。
「ここね」
立ち止まり、少女は目の前の大きな木を見上げた。樹齢八百年と言われる桜の大木である。
不意に、
「衣璃須(イリス)! 久しぶりだねぇ」
と、明るい声が、まるで降って沸いたように櫻の神樹の傍の若い桜の木から聞こえた。
「桜華? 花達が言っていたのはこの木?」
「うん、この神樹が貴女を呼んでいるの」
薄く透き通ってはいるが、確固たる実体を持った幼い少女の精霊が告げた。
「……あのね」
下を向く。
「……衣璃須……助けてあげて」
「えっ?」
「あのね、この人は今すぐじゃないと消えちゃうの! 早くしないと……」
ゆっくりと、だが焦ったように幼女は言った。驚く衣璃須の腕を掴んで、彼女は空いた左の指で櫻の神樹を指差す。
「あれが見える? 」
うっすらと霞がかった樹。
衣璃須は目を細めた。
「……あれは……塔?」
目をしばたたかせて、彼女は首を傾げた。そんな衣璃須を見上げ、桜華は掴んだままの腕を揺らした。
「見えるんだ!やっぱり衣璃須は凄い術士だ」
そんなんじゃないって、と笑いながら手を横に振る衣璃須を、幼女は真剣な顔で見つめた。
「衣璃須なら大丈夫、あの人を助けられるよ! 私達は手出しが出来ないみたいなの。お願い」
「でも……」
紺色の単(ひとえ)の袖を顎に当てて、衣璃須は言葉を濁した。
「衣璃須……」
朽ちかけた櫻の神樹に寄り沿うように立つ、淡く透き通った、かなり古い時代の塔。一面に蜘蛛の巣のように蔦が張り付いている。長い間眺めていると、ひんやりと鳥肌が立ってくるような感じがした。
その櫻の樹には、底知れぬ悲しみと憤りとが存在していた。
「分かったわ」
衣璃須は静かにそう言い、頷いた。
肩にかかっていた髪を払って、樹に向かって歩き出す。顔を輝かせた桜華も、衣璃須の手を握ったままついて行く。
「ねぇ、桜華。あなたはこの塔に入ったことはあるの?」
近付いても透けて見える塔を見上げながら、衣璃須は尋ねた。
「ううん、この塔が見えるようになったのがついさっきだし、私より強い楠樹様が入ろうとしたけど駄目だったの」
言いながら、桜華は手を塔に向けて伸ばした。
ばちっという音がして、彼女は顔をしかめた。
実体を持てるだけ彼女はそれなりに力の有る精霊なのだが、どうやら駄目らしい。
「やっぱり植物の呪縛もかけられているみたい」
溜め息を付く。
「分かった、桜華はここで待っていて」
「ごめんね」
うなだれる小さな少女の頭をぽん、と叩き、衣璃須は微笑む。
「私は……入れるみたいね」
苦笑しつつ、彼女は塔の扉をゆっくりと押した。ぎいい、と重く擦れるような響きを立てて扉が開く。
衣璃須は一度だけ振り返り、そして薄暗い塔の中へ足を踏み出した。
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(↓更新箇所ここから↓)
◆第3章〜衣璃須の章〜第二部◆
じめじめと湿気を多く含んだ空気が辺りに漂っている。あまり陽の差し込まない薄暗い牢屋に膝を抱えるようにして、少年は座っていた。
……ポツン……ポツン……
どこか遠くで雨水が滴り落ちる音がする。
(ここは、どこなんだろう……?)
頭は覚醒しているのに、体は痺れたように動かない。
片目をうっすらと開ける。
(左目……が?)
開かない。開くことができない。
埋ずめていた頭を懸命に持ち上げて、セディアは焦点の定まらない眼を宙に向けた。
(私は……)
気がついた時にはここにこうして座っていた。
セディアは鮮やかな色をした右の瞳を少し細め、辺りを見回した。
がらんとした何も無い部屋だ。壁や床は岩を削って作られているらしく、微妙に青みがかった色をしている。窓は無く、前方にはようやく人一人が通れる程の鉄格子の扉があった。
小さく身じろぎをして、セディアは眉をひそめた。
「痛っ――?」
自分の身体を見下ろす。その身を包むのは、濃い藍色の神官見習いの服ではなく、薄汚れた灰鼠の囚人服であった。
半袖の先から出ている腕に目を向け、彼は愕然とした。
白を通り越して、不健康に蒼白い程の肌に浮かぶように巻かれた紺色の蔦。指先から巻き付いて枝分かれしたそれは、絶妙なバランスをもって、奇妙にも美しささえ感じさせる。後を目で追って行くと、それはだんだん太くなりながら床を這って伸び、所々で紫紺色の大きな葉とトゲが生えている。葉の形だけ見れば、ぶどうの葉に似ていた。
さっきの痛みは蔦のトゲのせいらしかった。右の腕に刺さっているトゲを無感動に眺めつつ、セディアは今の状況を考えていた。
彼はこの蔦の名前を知っていた。
「封呪蔦(ほうじゅづた)……確か、至近距離での魔法効果を効かなくさせる上級魔法だったはず」
と、いう事は私の魔法は通じないのか、と彼は溜め息を付いた。
手足は蔦に封じられているし、痛みを覚悟で動いたとしても、鉄格子からは蔦の効果で魔法が使えず、出られないだろう。それ以前に、この蔦から逃れられるだろうか。
「リーウェシス……」
思い出した。
この蔦をこの世に生み出したのは彼女だった。
セディアは目を伏せる。
彼女は強大な力の持ち主で、彼を捕らえ、ここに放り込んだのだ。
(あの人からは逃げられない)
消極的になってはいけないと思うのだが、そういう諦めしか出てこないほど、彼女の魔力は群を抜いて強い。
息を吐きながら、セディアは開かない左目を指で押さえた。
「……」
うずくような、そんな痛み。
途端、昏い眼裏(まなうら)に鮮烈な光が疾った。無理矢理こじ開けられた左の目の奥に何かの影が映った。
「え」
高い天井。そこには豪奢な絵が描き込まれ、それを支える太い柱には、象徴化された植物の飾りが上部に施されている。
彼が住んでいた神殿の礼拝堂より広そうな部屋には、数え切れない程の、誰もが着飾った人々が談笑している。
片目だけなので遠近感はあまりつかめないのだが、かなり広いというのは間違いない。
(まるで)
幼い頃母が、祭祀長がよく聞かせてくれた、王城の大広間のようだ。セディアはそう考え、そして自身の考えにすぐ反駁(はんぱく)した。
何故私がこのような光景を見れるのだろう?私は牢の中に居なかっただろうか?ここが王城のはずが無いではないか。
考えつつも、左目は動きを止めない。
「意外と……」
唐突に、彼のほんの近くでどこかで聞いた事のある声がした。
あちこちで話をしている人々の声程遠くなく、耳元で囁かれているわけではない、どこか異質の近さ。
「意外と、目覚めるのが早かったの、セディア?十日はかたいと思っていたが五日で起きるとは……」
(前王妃―――?)
口も目も自由にならない。心の中で呟いた声をまるで聞いているように彼女は言った。
「見た目に似合わず精神力はあったのか、という事を言っておる」
精神力?と内心首を傾げるセディアを、見下したように彼女はせせら笑いながら、
「ほぉ、もう忘れたか。それとも忘れたかったからかの? 無理も無いが……」
セディアは眉をひそめ、尋ねる。
(私が何か忘れていると?そうおっしゃるのですか?)
「いかにも。そなたの母が殺されたというのにのぅ。母想いの息子と思っておったのだがな?」
楽しげに笑うリーウェシスに怒りもせずに、少女のような顔立ちの少年は、ただ呆然としていた。
(死っ……んだ?祭祀長はあの時、追っ手の近衛隊長には敵わないだろうと言っていたけど……だけどっ!あの人が死ぬわけ無いんだ!だって……あの人は国で一番強くて、一番優しい……私達の母なんだから)
半ば叫ぶような、意識だけのセディアに、リーウェシスは素っ気無く、
「信じたくないのなら、信じなければ良かろう」
とだけ言った。
(母さん)
私は最期までそう呼べなかったのだ。
悲しみは身体を突き抜けてもう、意識の外にある。ただ、深い喪失感と、後悔だけが彼を覆い尽くしていた。
大人しくなったセディアに満足したのか、リーウェシスは唇に、恐らく自分でも気付いていないだろうが―――優越の笑みを浮かべた。
「セディアよ」
高飛車に言う。
意識を持ち上げる彼を真っ向から見据えるように、彼女は言い誇った。
「言い忘れておったな、私は今、この帝国の王だ。この緑柱石でな」
右の掌を差し出す。美しかった肌はただれたように赤く、醜く腫れていた。そしてその掌のほぼ中央に、深く澄み、美しく輝く緑石……紛うことなき緑柱石だった。
(何故この人がこの石を?)
セディアが訝るのも無理は無い。緑柱石は王の石と呼ばれ、必ず代々、王の子供達の中の王となるべく素質を持った一人に、血を媒介として受け継がれる物なのだ。彼女リーウェシスは王妃であっただけで、王の血を引いているわけではない。もし継いでいたら、近親結婚になってしまう。
(ならば何故……?)
もっともなセディアの疑問に、彼女は冷たい笑みを口の端に刻んだ。
右の手を自分の左目に近付ける。彼女の左目から外を見ているセディアによく見えるように。
「そなたの左目の行方を知りたいか?」
あの、憎らしいまでに美しい、翠の宝玉の片割れ。
(私の左目?)
そういえば、意識が薄らぐ前に彼女が何か言っていたような気がする。
(確か、頂戴とか何とか言っていたような……?)
まさか……と、青冷めながら、セディアは醜い掌の中央部を凝視した。
「そう、これだ。有り難く頂いたぞ」
冷笑は止まない。
「血を媒介にすると言うとったから、双方に傷を付ければ良いと思ったのだが、本当に出来たのう」
言いながら手を下ろす。
その掌をよく観察している者がいたら驚いただろう。下ろした瞬間、その翠玉は元の主との別れを惜しむように、ぎろり、と上を見上げたのだから。
(ですが、何故? あなたはそんなに権力が欲しかったのですか? 王妃なら一生安寧に暮らせるでしょう?)
セディアは嫌悪感を覚えながらも、冷静を装いつつ尋ねた。
「確かにな。だが、私が求めていたのは権力などという薄汚いものでは無い。私が欲していたもの……それは私の伴侶だ。私はあの人と一緒になりたかった。だから、あの人と同じ王座が欲しかった」
まるで子供のような。彼女の身勝手な言い分。
(そんな……そんな、理由で……私は左目を奪われ、母は殺されたのか?)
深く昏い海の底を思わせる響き。以前のセディアなら持ち得なかった感情が、彼の中で生まれようとしていた。
「そんな理由、だと抜かすか?私がどれだけ苦しい思いをしたかおぬしは知っておるのかえ?あの人が憎らしい小娘に心を奪われ、挙げ句の果てに不義の子まで設けおって。その上で私に憎むな、と?」
それは少々無理な相談だろう、とリーウェシスは続けた。そして、彼女はわざとらしく大きな溜め息を付いてみせる。
「極めつけはこの緑柱石よ?私の息子はたった一人の王の子だぞ、必ず次の王になれるはずだった。だが……石はそなたを、あの女の息子を選んだ」
悔しかった。憎らしくてたまらなかった。愛しい人の心を永遠に奪った、穢れを知らない神官の少女を!そしてその間の子供を!
「許せる筈が無かろう?」
彼女は鋭い目つきで、」今は自分の王座を見据えながら呟いた。
(しかしそれは母が全て悪いとは言いきれないでしょう?前王がただ私の母を選んだのかもしれない。何故母だけが殺されなくてはいけないのですか)
「あの人が誘ったと言うか!」
非難めいたセディアの言は、彼女の逆鱗(げきりん)に触れてしまったらしい。だが、彼は止める所か、畳み掛けるように続けた。
(可能性なら十分過ぎる程あるではないですか。偉大なる帝国の王と、当時一介の神官だった母の立場関係から見ても、もし王から見初めた場合、母に断る道はありません。下手に断れば即、首が飛びかねませんから。それに対して母のほうから王に好意を抱いた場合、どう考えても母がそれを打ち明けるとは思えませんし、打ち明けたとしても、笑われて追い返されるのが落ちでしょう。貴女が言うように母から告白して王が頷いた、とするのは、それだけ母に魅力が有ったという事になりませんか?)
早口に言い切る。
「……そなた、命が惜しくないようだな」
リーウェシスは怒りに顔を強張らせ、唇を震わせながら言った。
「せっかく生かしてやっていたのに、私の親切を仇で返しおって!」
(親切?)
セディアは冷たく微笑んだ。
(それは違う。貴女は玩具が欲しかっただけだ。そう、悲しみに泣きわめき恨み、だが、死をちらつかせればすぐに従順になる面白い観察動物が。ついでに言っておくが、私は生かしてくれる事など全く望んでいない。私のような存在、生きていようが死んでいようがどうだっていい。私は母が居たから生きてきた。だから母が居る所に行く事をどうして恐れよう?)
冬の、凍てついた湖の氷の如き冷たさで、彼は真っ直ぐリーウェシスの視線の先を見つめた。薄緑がかった大理石を彫ってできた、美しく、緻密な彫刻のなされたここ、シレ―ヌ帝国の王座がそこにある。
(こんなものの為に、勝手な想像の為に……)
リーウェシスは歯噛みしていた。少年の言う事はいちいちもっともで、核心を突いていた。
図星だった……あの状況では夫を疑うのが普通なのだ。だが、彼女はそれをしなかった、否、したくなかった。
「私はただあの人を愛していた」
怒りの矛先を相手の娘にすげ替えて。
「あの人を侮辱するのは許さない……」
そもそもの考え方が間違ったものであっても、彼女は簡単にそれを変えられるほど素直な性格でもなかった。小さく溜め息をつき、リーウェシスは王の間の袖に歩いていった。
「最後に一度聞く。そなたは前言を撤回する気は無いのだな?」
(ああ)
少年は即答した。
彼の声音に恐怖は感じられなかった。あるのは怒りと、そして哀しみのみ。
リーウェシスは義子の、失われた左目とシンクロしている自身の左の目を押さえる。
「そうか」
呟く血色の唇は残虐な微笑みを形作り、濃い灰色の瞳は愉悦の光を湛えていた。それは、いつも自分の優位を信じ続ける魔女の嘲笑であった。
「樹塔閉鎖」
左目を押さえる手に力を加えつつ、彼女は言った。
(……っ!)
その術の名だけは耳にしたことがあった。彼は苦い顔をする。
(何てことを)
樹塔閉鎖、それは数あるシレ―ヌの魔術の中でも奥義中の奥義ではないか。話には聞いた事があったが、実際に使ったと言う話は無い。何故なら、それは極端に力を消耗するので、能力の高い者でも下手に使うと死の危険性がかなりの確率であるからだ。彼は暗闇の中、覚悟を決めた。
もう、ここへは戻れない。そして、死も叶わぬことを。
「放呪!」
短い印は、術の完了の証。
身体の表面をぬめりのある風が撫でた。肌の上を這い回る封呪蔦が、何だか嬉しそうに大きな葉を揺らし、逃げないと分かりきっている獲物を強く締め付ける。
(母さん……)
最後に二つだけ聞かせて下さい。貴女は、私の父親を愛したのですか?そして、私は……私は、生まれてきて良かったのでしょうか?
「哀しい性よのぅ」
リーウェシスは呟いた。左目の奥に哀しい光の少年は今は深い眠りについた。
樹塔閉鎖。かけた本人ですら解くのは難しい、、いわば絶対に出さない保存庫の働きをする塔だ。その術が解かれるまで今の状態を保ちつづけるのである。但し、その塔の寄り代(よりしろ)である樹が朽ちた瞬間、中の物も同じ運命を辿る―――即ち、一瞬の内に腐るのだ。その魂は浄化されずに地縛霊と成り、永遠にその土地に縛り付けられる。
彼にはお似合いの人生だろう。リーウェシスは残酷な笑みを浮かべ、広間の中央に向かって歩いていく。
王座に対して一礼し、そして招待客の方に向き直った。
「私は石を継ぐ者。我が息子は継がぬ者だったゆえ、ここにはおらぬ。帝国を支配するのはこの私だ。異議の有る者は今すぐ言うがいい」
そうしたらお前も、私の息子の様に殺してあげるから。
広間は水を打った様に静まり返り、しばらくの静寂は、どこからともなく沸き起こった拍手に掻き消された。彼女は満足げに笑いながら頭を下げる。
彼女が、内外共にシレ―ヌ帝国の王として認められた瞬間であった。
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■作者からのメッセージ
長すぎて収拾つくんでしょうか(弱気)
というより、読む気が起こるのでしょうか。
この話は5年かけてますから(途中で何度もあきらめようと思った)、文章自体幼いところがあるんですね。。。
目安を言うと、1章と2章は中2〜3、3章は高1〜2、4章(大体)は高3です。
修正はかけていっているのですが、全てをひっくり返すわけにもいかず、読みにくい点もあると思いますが、根気よく読んでいただけると嬉しいです。
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登場人物紹介〜
■■咲耶--櫻の神樹(咲耶姫の桜)の精霊。時間が18才位で止まっている。一人称は俺。昔は丁寧な物言いだったが、最近は大分スレてきている。
□□摩椰--次代、櫻巫女。従姉の胡陵を慕っている。活発で好奇心が強い。一人称は私。ちょっとボケた所も。
■■令--摩椰の従兄で、目付け役。冷静沈着である。一人称は私。摩椰を大切に思っている。邪月の族長の長男でもある。
□□胡陵--令の姉で、現在の櫻巫女。穏やかで親切。一人称は私。摩椰と令を想っている。
□□桜華--桜の精霊。見た目は25才。顔はまあまあだが、口は悪い。一人称は私。咲耶の事を…?
■■菫花--カゾリアから派遣されてきた、裏稼業の仕事を持つ少年。
■■耀--カゾリア国の黒衣の一族の一人。鴉(カラス)。
■■冥梨--カゾリア国の黒衣の一族の一人。金朱雀(カナリア)。
追加>
■■セディア--月輪殿で神官見習をしていた。一人称は私。大人びた少年。
□□ティユール--セディアの実の母。シレ―ヌ帝国の月輪殿の祭祀長。
□□リーウェシス--亡国シレ―ヌ帝国の王妃だった。セディアを憎んでいる。