- 『Drawing of a life 6〜8』 作者:エレル / 未分類 未分類
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全角16617文字
容量33234 bytes
原稿用紙約51.2枚
死は運命だと誰かが言ってた。
誰にも等しく訪れる、生物にとって唯一平等な事象だと。
少し納得がいかなかったが、多分その通りなのだろう。
人は死ぬのだ。簡単に。
では、今生きていることも運命なのだろうか。
運命づけられた死に向かって生きている今は、それが運命なのだろうか。
ならば、先日の自分達はどうだったのか。
バルクが凶弾に倒れたのは運命だったか。
バルクが自分の魔法で立ち上がったのは運命だったか。
バルクが敵を一掃したのは運命だったか。
その結果、バルクがああなったのは運命だろうか。
バルクが生きているのは運命なのか。
味方に死者が出なかったのは運命なのか。
……自分が今生きているのは運命なのか。
全てが偶然にも夢想にも思えたあの瞬間の、一体何が運命だったのか。
必要以上に家具の置かれていない殺風景な一室のベッドの上で小さく蹲りながら、リルはそんなことを考えていた。
第六話 死の痛み知る男
(マズった……)
イルムは先程の出来事を思い出して額に青筋を立てた。
先の戦いで敵と遭遇した時以上に青ざめている。
見てはいけないものを見てしまった、そんな罪の意識に苛まれていた。
(まさか泣いてるとは……)
*
この学園は基本的に、戦闘に関する物なら何でも揃っていた。
やはり魔法に繋がる為の施設、資料がほとんどなのだが、こと戦闘、戦争に関わる事象ならこの領内で分からないことはないし、出来ないことはない。
そう言って過言でない程、様々な道具が用意されていた。いや、それしか用意されていなかった。
無料で開放されているゲームセンターもマッサージルームもレストランも、機械で自動的に動いたり作ったりしているようで、実は全て利用者の魔法を使用して活動している。
日常の全てが、訓練のようなものだった。
魔力の使役そのものは、過度の発動を控えれば術者に負担を強いることはないので別に生徒に苦痛を与えるわけではない。事実文句も出ていない。
が、四六時中それが続けば効果は絶大だ。
知らずの内にも、彼らは魔法使いとして相当鍛え込まれることになる。
これがリノ第三国立魔道養成学院の一流たる所以であり、胸を張って表に存在を示せない理由の一つでもあった。
魔力の酷使による影響と副作用がはっきりしない今の段階で、まだ子供と呼べる少年少女にそれを強要するのは、まさに国が爆弾を抱えているようなものだからだ。
「う〜……」
寝惚け眼のリルが不機嫌そうな表情と足取りで今向かっているのは、そんな国の裏事情とは無縁の、この院内では珍しい至って普通の訓練施設だった。
大して金も掛からない古くさい備品ばかりで、機材が許容出来る人数が入るとそれだけで一杯になってしまいそうな程狭い部屋。
学院の隅の隅に置かれ、宿舎から歩くとそれだけで10分以上掛かってしまう。
戦闘教育を主とした学校としてはいささか異質に思えるかもしれないが、それもこの学院の事情と照らし合わせれば当然のことだった。
ちなみに彼の機嫌が悪いのはイルムの所為である。
いや、実質イルムの所為ではないのだが、とにかくリルはイルムに怒りを覚えて苛立っていた。
だからまぁ、イルムの所為なのである。
「無駄に遠いんだよあそこは……」
整備された地面にポツンと転がった石ころを見つけては、リルはそれを思い切り蹴り飛ばしてノロノロと進んでいた。
彼の蹴りの速度も威力も、魔法使いと言うより格闘家と表現して申し分ない程素晴らしい威力を持っている。
それも彼がここまで鍛え抜いた証であるが、まずそれこそがこの院内では異質だった。
この学院で魔道を学んだ者は、程度の差こそあれ確実に戦争に活かせる殺傷力を秘めた攻撃的な魔法へと個々の才能を昇華させられる。
そして多くはそのまま直接軍部へと送られ、学院はそれによる恩赦で経営を成り立たせているのだ。
実用レベルの力量を持った魔法使いは世界的にも貴重な為、軍部としても彼らは喉から手が出る程欲しいものであった。
そんな中でも、未知数な点が多い魔法を扱っていれば学院にとって例外的とも言える存在は必ず出てくるものである。
リルもその一人だ。
いくら修練、実験、調査を重ねても、それそのものだけでは絶対的な戦力にならない魔法というものは今までの学院の歴史の中でも数多く生まれている。
リルはその典型的な例だろう。
意志と無関係に傷を癒す能力。
確かに、負傷した味方を癒す役目のみで考えれば無能なわけではない。
しかしいくら鍛えたところでこの能力では、人を殺傷することは適わないのだ。
この学院は詰まるところ、戦地に単独で突入しても生き残り戦果を残せる戦士を育成することが目的である。
能力を生かした上で、肉体を鍛えて初めて戦力と数えられる人間の育成の為、この場所は用意された。
といっても、リルが自ら進んでこの場を利用するわけがない。怠け者の典型でもある彼が、率先して身体を鍛えるわけがないのだ。
全ては、彼に引き連れられての結果だった。
……今日のリルは一人だったが。
「相変わらず人が居な……ん?」
自然と独り言が増えていることにリル自身気づいているのだろうか。
訓練場に着いたリルは愚痴りながら辺りを見回し、さっぱりとした室内の中でいつもと違う一つの存在を視認した。
自分が使おうと思っていた色褪せた赤のサンドバッグに、静かに、しかし力強く拳を打ちつけている。
サンドバッグは大して揺れていないし、打撃というより掌打、当て身といった攻撃方法の為、見た目も緩やかで迫力に欠けるような点があったが、低く響く衝突音と重量感溢れる一撃は、見ているだけで鳩尾を押さえたくなってくる。
リルはたまらず、サンドバッグを睨み続けている青年を止めるように声を掛けた。
「やぁリル君」
「お久し振りですソークさん。珍しいですねこんなところに居るなんて」
額に軽く滲んだ汗を拭って手を止めると、ソークは笑顔で振り向いて手を振った。
リルはそれに手ではなく一礼で返事をする。
「そうでもないさ。夜は大抵ここだよ。今日は暇が出来たからこんな時間から居るけどね」
その言葉にリルは眉をひそめた。
「夜……って何時ですか? 俺、ここは遅くまで利用してること多いですけど……一度も会ったことないですよね」
「まぁ遅くだからね。普通の人は寝てるんじゃないかな?」
リルはこれでも、普通の人じゃない自信はあった。
あいつに連れられてのことだが、ここで訓練する時は大抵日が変わるまで身体を動かし続けている。
それより遅くに訓練を始めたとして、日が昇るまでに果たして満足いくまで訓練が出来るだろうか。
まず、いつ寝るというのだろう。
サンドバッグの扱い一つ見ても、ソークがここに慣れているのは分かる。
だが端から見ても、そんな暇があるとは思えない程にソークは多忙な人物なのだ。
「代わるかい?」
大先生。
あいつがソークのことをそう呼んでいたことをリルは不意に思い出した。
仮にも同い年の人間に付けるにしては明らかにおかしなあだ名ではあったが、それで誰もが納得するような人徳が彼にはあった。
あいつ自身は皮肉って名付けたのであろうが。
年齢が同じこと、それにあいつの積極性もあって、リルは他の者よりは多少なりソークと面識があった。
が何時何度会おうと、やはり一歩引いてしまうというか、無意識に気圧されるような感覚に陥ってしまう。
敵意があるわけではないので決して不快感はなかったが、何か他者を寄せつけず超越したような雰囲気が彼にはあった。
だから、サンドバッグ一つ譲ってもらうのにも無意味に身じろぎしてしまった。
足を止めていたリルは、ソークがサンドバッグから一歩離れたのを見てようやく交代に拳を構えた。
「おっ……」
ソークが腕を組んだまま無言で見ていることで気まずくなり、一撃目を軽く打ちつけた瞬間、リルは思わず声をあげてしまった。
背後でソークが不思議そうな顔つきをしたのが分かったが、目を合わせるのもどうかと思ったのでそのまま思い切り連打を放った。
拳がサンドバッグに当たる度に、その違和感が如実に顕れてくる。
表面に張られた皮が、平面を保てていない。
加えられた負荷を戻しきることが出来ず、衝撃の形そのままにボコボコにへこんでいた。ところどころ皮が破けている部分もある。
リルはまだ息もあがっていないのに適当に叩き終えると、まだ後ろに立っていたソークの方に振り向き何となく訊いてみた。
「嫌なら言わなくていいんですけど」
「うん?」
何か考え事をしていたのか、リルではなく宙をぼーっと見つめていたらしいソークは突然声を掛けられたことで慌てて目の焦点を戻した。
少し恥ずかしそうな素振りを見せるソークを特に気にせずにリルは話を続ける。
「ソークさんの魔法って……どんなのなんです? いや、そりゃ学院中の教師が隠しもせずに注目して寄って集ってくる魔法ですから機密事項なのは分かりますが……どうも気になっちゃって。やっぱり魔法だけだと戦えない能力なんですか?」
「その前に……それはやめにしないかい?」
「?」
特に何を示すでもなく”それ”と言ったソークの言葉の意味がよく分からずにリルは首を傾げた。
「その言葉遣い。同い年なんだしさ。いつもみたいな感じでいいよ」
「いつも……って、俺、敬語以外でお話したことありましたっけ?」
「いつでも大声で叫んでるじゃないか。ツッコミ役としては出来過ぎだったと思うけど」
その言葉の瞬間、今度はリルが少し顔を赤らめて口を押さえた。
が、同時に少し影が掛かり暗い雰囲気が周囲を取り巻く。
それに気づいたソークも申し訳なさそうに軽く俯いた。
「……あ、すまない。彼は入院中だったね。でも良かったじゃないか。命に別状はないようだし」
「へっ?」
予想外のソークの言葉に目を丸くしながらリルが顔を上げた。
「バルクが、無事? 生きてるって……本当ですか?!」
「え? まだ聞いてないのかい? 確か軍の報告書と病院からの診断書にはそう書いてあったと思うけど……」
ソークの言葉にリルの顔が一瞬明るさを取り戻したが、軍と聞いた途端再び首を落とし呟いた。
「軍部じゃ駄目なんです……いくらソークさんに回ってきた情報といえど……信用出来ない」
軍の情報じゃ駄目、軍部は信用出来ないなどという発言は、お偉いさんの耳に届いただけで手痛い仕打ちを受ける。
別にリルはそんな輩に媚びを売るような人間ではないが、必要以上の、というより必要以下の面倒でも避けることを一心において行動しているリルらしからぬ発言だった。
といっても、面倒を避ける為の面倒を避けることが多いので、結局面倒に巻き込まれるケースが多いのもリルらしいのだが、今のは面倒に真正面から突っ込むような発言だ。
ソーク自身リルとの接触は少ないが、バルクとはよく話していた為リルの性格ぐらいは良く分かっているつもりだった。今のは、その彼らしからぬ発言である。やはり様子がおかしい。
「……事情、聞かせてもらえるかな。あぁ、敬語じゃ無しにね。僕のことはソークでいい」
リルは少し戸惑ったが、先刻ソークから聞いた推察をソークに話してみることにした。
病院内の人間ですらそのほとんどがバルクの扱いについての内情を知らない事実。
軍が深く関わっている可能性。
バルクが何かに利用されているという推測。
そしてその全てに自信を持って話したイルムの確信。
ソークは、何故かそれを悲しそうに話すリルの言葉を静かに聞き続けた。
「……ふむ。憶測で物を語るのは好きじゃないけど……確かに何かきな臭い匂いがする気がするね。よし、分かった。僕の方でも調べてみよう」
「頼みますソークさ……じゃなくて、え〜と……た、頼む、ソーク」
心当たりがあるのか、やる気になった表情で立ち上がったソークにリルが一礼して片言で喋る。
ソークは吹き出すように笑った。
「堅いね」
「……ごめん」
今度は暗いというより恥ずかしそうにリルが俯いて呟いた。
座り込んだままのリルにソークはもう一度しゃがみ込んで視線を合わせ、軽く頭を叩いて質問した。
「よし、じゃあ親睦を深める意味で少し失礼なことまで訊いてみようか」
「失礼なこと?」
笑顔で失礼を語るソークにリルは顔を上げて目を合わせた。
ソークは、顔つきを真剣にして”失礼なこと”をリルに訊いた。
「……何で君はそんな悲しそうな顔をしているんだい? バルクの身が危ないから心配しているんじゃない。君の瞳には明らかな後悔がある」
ソークの強い問い質しに、リルの身体がビクッと揺れた。
リルは、ソークの質問が失礼なものだとは思わなかった。客観的に、冷静に受け止めてそう思えた。
それでも、リルは自分でも隠していた気がする心の内に踏み込まれたことで、何か言い知れぬ恐怖に襲われた。
「……話せないかい?」
思ったことを口にするしか出来なかった。
「俺の所為……なんだ」
消え入るような声でそう言ったリルの言葉に、ソークはもう遠慮なく意見を返した。
「君達の引率に当たったキール・ラグナス中佐の報告書に依れば、瀕死のバルク君の傷を癒したのは君だと記してある。首を弾丸で撃ち抜かれたそうだね。もし君がいなかったら……死んでいたのではないかい?」
「だから俺の所為なんだ!」
部屋には他に誰も居なかったが、室外どころか学院中に聞こえるんじゃないかと思えるような大声で地面を震わせながらリルが叫んだ。
「俺の所為でバルクが死ななかった! いや、死ねなかった! だから今バルクは変な奴らに付きまとわれて振り回されてる! あいつ自身の意志なんて全部無視されて身体と才能だけを利用出来る道具みたいな扱いされてるんだ! 俺の所為で! 俺の所為で!」
「……死んだ方が、いや、死なせた方が良かったと?」
鋭い眼光と低く静かな声でソークは質問を続けた。
凄まじい威圧感が場を包んだが、リルは怯まずに話し続ける。
「あいつが生き延びて幸せだったか俺には分からない! 銃弾の直撃を受けて、死ぬような痛みの中で俺が治療したことで苦しみを長く続けただけだったかも分からない! 中途半端に治療して無理に闘わせたから、今も目覚めないのかも分からない! だから俺の所為なんだ! 本人の考えなんて聞きもしないで勝手に癒して、勝手に苦しめてる! 俺が、俺があいつを生かしちまったから……っ?!」
平手で、殴られた。
目で追えないくらいの速さで水平に振り抜かれた平手がリルの頬を直撃し、口の中を切りながらリルは数m吹っ飛んだ。
「僕の能力はね」
ソークはそう言って平手に使った手とは逆の手に意識を集中し、魔力を高めていく。
手の平から放出された魔力が集まって形を成し、一瞬で人間を創り上げた。それは、ソークそっくりだった。顔形も体躯も、衣服さえも。
「自分の分身を作り出すんだ。僕は勝手にネーブって名付けてる。最初は苦労したんだ。僕の思い通りに動いてくれるのはいいんだけど、分身の右手を挙げようとしたら自分の右手が挙がってたり、分身をジャンプさせようと思ったら自分が跳んで勝手に転んだりね。最近は慣れたけど、もうどっちが自分の本当の肉体か分からなくなる時だってある」
「…………?」
殴られたことの説明もないまま、先程自分に訊かれたことを思い出したのか能力のことを語り出すソークを、リルは訳も分からず強く睨みつけた。いきなり殴られて黙っているわけにもいかない。
「使いこなせれば便利なものでね。自分が二人居て、いつでも戦闘力が倍みたいなものさ。当然、学院の先生方もこの能力には目を付けて僕に色々接触してきた。分身を造ること自体はあんまり難しいことじゃないから実験の必要もなく実用的だしね。でも……そんな単純な話じゃなかった」
何が言いたいのか分からなかったが、何か言いたいのは分かったのでリルは黙ってソークの話を聞いていた。
「落とし穴があったんだ。この魔法には。……何だか解るかい?」
自嘲気味の笑みを浮かべながら訊いてくるソークに、リルは首を横に振って答えた。
「この分身と僕はね、感覚が連動しているんだ。分身が火に触れれば熱いし、氷に触れれば冷たい。水中に入れば僕が地上に居ても何か全身を包まれたような感覚に陥る。呼吸は出来るんだけどね」
「なっ……?!」
リルは驚いて思わず立ち上がった。
「ちょ、ちょっと待って! それってもしかして……その分身が傷つけば、本体も……痛い……?」
「そう」
「じゃあ分身が殺されれば……本体も……死……?」
「それは違う」
青ざめて恐る恐る言うリルの言葉途中で、ソークは予想通りの返答だったのだろうそれを中断して自分の言葉を続けた。
「分身が火に触れたら僕も熱いが僕は火傷しない。水に潜れば僕も水に包まれた感覚を覚えるが呼吸は出来る。分身が殴られれば僕も痛いが僕に怪我はない。言ったハズだよ感覚が連動していると。この分身に死ぬという概念は存在しない。極端な話、片足を失ったって走らせることは出来るし頭が吹っ飛んでも動かすことは出来る」
「じゃ、じゃあ……?」
また意味が分からなくなってきたリルに、ソークが真剣に核心を突く。
「死ぬ程痛いんだ。実際に死ぬ程ね。分身の首が落ちれば……僕にも首が落ちた痛みが走る。でも僕の首は落ちない」
「なっ……?!」
信じられない、想像のつかない話だった。
首が落ちる痛み。
そんなもの、生きている人間に分かるはずがない。
分かるはずのないことを彼は知っているというのだ。
「それで……ソークさんは大丈夫なんですか?」
「今までに人形を致死量までに傷つけることになったのは二回。一度目は、何も知らなかった僕がふざけて刀剣で首を刎ねた時。もう一度は、ある戦いで敵の魔法に塵まで焼き尽くされた時」
どちらも、リルには想像出来なかった。
想像出来ないくらいに痛いことだけはひしひしと想像出来た。
「結果は……?」
「もちろん僕は無傷。でもショックでどちらも意識を失った。最初は一週間、次は五日ぐらいかな」
リルは思わず息を飲んだ。
死の痛みを味わって一週間眠る。それは、もはやその一週間死んでいたと表現しておかしくないのではないだろうか。
この人は死の味と、そして痛みを知っている。
リルにはそれだけで驚愕だった。
「君は、バルクがあの場で死んだ方が良かったと言った。そう名言していなくとも、自分があの場で治療したことを後悔している。バルクの肉体の運命はバルク自身に委ねるべきだったのではと悩んでいる。そしてもし本当にバルク自身に己の力のみでの選択を迫っていたとしたら彼はもうこの世にいなかっただろう。それでも君は、あの時バルクを助けたことを後悔している。あの時バルクを生かしてしまったことを後悔している。バルクを生かしてしまい、それであいつは幸せだったのか分からないから苦悩している」
リルは黙っていた。
目の前の男が自分に道を示そうとしてくれていることが分かったから。
真剣にその言葉一つ一つに耳を傾けた。
「僕は死の痛みを知っている。そして断言出来る。あの痛みは絶えることの出来ない苦しみだ。一瞬だが永遠で、静かだが莫大な辛事だ。死を超える恐怖は、この世に存在しないと言い切っていい。そしてだ。その恐怖から彼を救った君は、何も間違ったことをしてはいない」
ソークははっきりと言い切った。
リルは、正しいと思えることを並べられた後で急に自分が肯定された為に困惑した表情を見せる。
「でも……でも……」
言葉に困るリルの肩をソークは優しく叩いた。
「分かっている。僕がこんなことを言ったところで、君に死の痛みを伝えられるわけでもないし、無理矢理僕の意見を押し付けて解決するのもおかしい」
リルの胸中を整理するようにソークはゆっくりと言葉を並べていく。
「だから、考えるんだ。答えを出すのは自分自身だから。ゆっくりでいい。自分が正しいと思える答えを見つけて、そしてそれを正しいものに出来るように努力することだ。僕の意見は君の中の情報の一端と受け止めてくれればそれでいい。これから君が体験する全てを踏まえて自分の答えを出せばいい。大丈夫。バルクは生きているし誰も死んでいない。君に時間はいくらでもあるんだから」
「…………!」
それだけ言って練習場を去るソークの背中を、リルはずっと見つめながら考え続けた。
サンドバッグは、もう殴らなかった。
*
学院受付。
広い敷地の四方を高い壁面に囲まれた当学院唯一の出入り口。必要以上の広さもなく、窓口も一つ。係員も交代制で一人。
入るにも出るにも手続きが要り、入るのも出るのも厳しいチェックが掛かるこの学院の制度を考えて尚受付に一人という理由は、余程人の出入りが少ないということだ。
が、ここ最近はこの受付員も緊張の続く毎日を送っていた。
「め、面会ですか……? それとも視察でしょうか……?」
係員はやってきた男に対してしどろもどろに訊ねた。
大抵、ここに来る人間の用件は面会となっている。
とはいってもこの学院に息子娘を送る親はほとんどがそれを金蔓としか考えていない最低な人種であるため面会すらも少ないのだが、強いて理由を挙げるならそれが一位に来る。
あとは院生のスカウトに来る軍人集団だが、これも教師が逐一生徒のデータを軍部に奥っている為に実際来訪するケースは少ない。
その程度しか、この学院は外部に接触する理由がなかった。
が、それは日常の話。
一度”アレ”が起こればこの学院への依頼理由のトップは群を抜いて変化する。
「依頼だ。一応の希望数は300。だが出来る限りの数をお借りしたい。とにかくまず院長を出せ。事前の交渉で大体の話はついている」
「はっ、はひっ!」
係員は慌てて電話を繋いだ。
リル達には、その日のうちに新たな命令が下された。
第七話 仕掛け
「広っ」
それが最初の感想だった。
十人が横並びに歩いてもまだ戦車が通る余裕すらありそうな廊下。
不自由ない一家庭が普通に暮らす民家の土地面積と遜色ないトイレ。
学校の体育館として成り立ちそうな会議室。
学生だけで編成された部隊に与えられるには豪華すぎる拠点だった。
最も、管理者として数名、軍部からそれなりのお偉いさんが配置されているらしいので当然といえば当然、というより自分達の為に用意されたのではない贅沢なのだろう、とリルは勝手に推測して存分に利用していた。
……トイレを。
「しっかし無駄に広いよな〜」
「そッスね〜」
リル達は今、先日赴いた隣国キルクーツ国内へと再びやってきていた。
目的は前回と同じ。反乱分子の鎮圧だそうだ。
前回が一応勝利という表現の成された戦果であったにも関わらず、一度帰還させた兵士を更に増員させて再び呼び戻すということは、それだけでもあまりよろしくない戦況であることを意味しているのは明らかだ。
その証拠に、今リルが居る場所は先日よりもっと国の中心に差し掛かる地に位置している。
というより、もはやここは国の重要拠点と呼べる構築技術を用いて建造されている。
セキュリティはもちろん、中に待機する人間への待遇も段違いに質が高い。
何故それほどまでの拠点を学兵に任せるのか。
考え方は色々あるが、リル達にとって一番嬉しい理由はやはり戦況が国にとって有利で、拠点はとりあえず学生にでも任せて残存部隊を排除しようというもの。
ただこれは、前の考察と複合して考えると一番可能性の薄い理由ではある。
そして逆に最悪なのは、リル達を純粋に魔法使いの兵士と見てこの地に派遣した場合。
つまり軍の兵士には被害を出したくない、もしくは軍の兵士では手に負えない相手なので、人数に関係なく特殊な戦闘手段で、どんな戦況でもひっくり返せる可能性のある学兵を勝敗の賭けに持ち出すつもりで最重要拠点に配置したというもの。
これは最も考えたくない事態だった。
要は兵士では敵わないからお前ら片づけてこい、という意味だ。
少なくとも軍に匹敵する、それか軍を圧倒する戦力と真っ向から衝突することになる。
軍からの依頼である魔法使い300人に対して学院が派遣したのは350人。
これでも学院としてはかなり無理をした方だろうが、軍の見立てというのは最悪の場合時間稼ぎ程度には使える人数、くらいの数字を提示してくることが多い。
しかも魔法使いの戦力というのは数値化するのに無理があるほどムラがあり、魔法使い同士の戦闘ともなれば一寸先の戦況は闇といっていいくらいに予測不可能な因子だらけの決戦になる。
それが多数対多数になればもう最悪。
後には何も残らない程の死闘になること請け合いだ。
奇襲が常となるので油断すれば一瞬で戦力を削られることになる。
もちろん、小国の反乱軍程度に優秀な魔法使いが多数抱え込まれているとは思えないが、可能性は0じゃない。
先の闘いの穴男の件もある。
油断は禁物だということだ。
そんなことを懸念しながら、リルは真剣な顔つきで用を足していた。
「あっ、すごい。水が自動で流れますよ」
「いや、それは学院でも普通にあっただろ」
リルの隣りの一回り小柄な青年が、チャックを上げながら驚いた。
流石に350人、しかもリルより二つ下のクラスの生徒まで派遣されている今回の状況になるとリルも知らない顔が増えていたが、こちらから声を掛けるとようやく緊張が解けたのか落ち着いた笑みを取り戻して簡単に打ち解けることが出来た。
「いや、僕の中で学院の設備って世界最上級なんで。こんな、軍人が偶に居座る程度の拠点に水が流れるのはやっぱり驚きですよ」
「学院のゲーセンに入ってくる機械は世間より半年ぐらい遅れたものらしいぞ」
「そうなんスか?!」
バルクに植え付けられた知識を教えながらも、水一つに目を輝かせる少年を見てリルはフッと笑った。
「んじゃ先輩。僕こっちなんで」
「ん」
リルは最前線で敵を迎え撃つ戦闘斑。
少年は生活面のバックアップと負傷兵の治療の為の待機組。
もちろんリルが立候補したわけがなく、一番年上であること、それに先の戦闘でのリルのクラスの功績が認められた結果と思われる。
生き残る為に闘って、次には更に死に易い地に送り込まれるのも随分皮肉な話だ。
自分とあれ程年が離れた人間までもが派遣されていることを知ると、リルは少し悲しくなると共にやる気も出てきた。
今回はバルクがいない。それがリルにとっては大きな不安だった。
でもイルムがいる。仲間がいる。そしてどうやらソークも来ている。
こちらも精鋭部隊だ。今から心配しても仕方ない。
リルは腹を決め、闘うことを覚悟した。
「……ん?」
ここは既に、待機組とは離れて完全に戦闘斑の区域。
第一戦闘斑は全てリルと同学年の生徒ばかりで編成されている為、リルはそのメンバーの顔は一人残さず覚えている自信があった。
そこで、今リルの前を歩いている二人。
リルと同じ方向に歩いているので後頭部ばかりが見えるが、何か会話している為時折横顔を伺うことが出来る。
が、リルはそのどちらの顔にも見覚えがなかった。
リルと同様の兵服こそ纏っているが、それにもどこか違和感を覚える。作り物っぽさが感じられる。
見れば見るほど、妙な感覚が芽生えてきた。
懸念は、すぐに声に変わった。
「おーい」
「……!」
二人の男はリルの声に反応して振り向き、まるで自分達が呼ばれていないことを期待するような目をしたが、リルが歩み寄ってきたので一瞬、残念というか面倒くさそうな顔をみせた。
男達が一瞬でそれを隠したのをリルは見逃さなかったが、それには突っ込まず普通に会話を始めた。
「あんたら第一戦闘斑か? 何だか見ない顔だけど、初対面だよな?」
「……あぁ」
二人は一度お互いの顔を見合わせ、背の低い方の男が静かに頷いて答えた。
「っかしいなぁ。同学年の奴は名前までいかなくとも顔は全部覚えてるつもりだったんだけど……君達何組?」
リルは意地悪そうな笑みを浮かべて質問を続けた。
もうお前らの正体は大体気づいてるぞ、と伝えるようにあからさまな問い掛けだ。
背の高い男の方から、殺気が漏れたのが分かった。
「っと!」
尺の短い、ナイフより少し長めな程度の刀剣が、男の後ろ手から急に現れリルへと振り下ろされた。
予想範囲内の行動だったためリルは容易に反応して飛び退き回避した。
中背の男の方も隠し持っていた拳銃を取り出し撃鉄を下ろした。
(魔法使い……じゃなさそうだな)
その事実は、この場だけならリルにとって安心出来る情報だった。
武器持ちより、効果の分からない魔法使いの方が百倍危険だからだ。
これでもリルは、普通の人間兵なら機関銃を持っていたとしても素手と自分の魔法のみで倒す自信があるくらいには鍛えてある。
拳銃や刀剣程度なら、急所を避ければ癒すのも楽だ。
二対一でも問題なく勝てる。
が、話はそれだけで済むものではない。
この男達が何をやってきたのか。それが一番重要な問題だった。
もちろん、ただのスパイの可能性が高い。
それならここで追い払えば解決する。
が、特殊な工作部隊の類だとすれば簡単ではなくなってくる。
盗聴器、隠しカメラ、電機系統への異常処置。
何をされたとしてもこの広い基地全体をくまなく検査しなければならなくなる。
そしてもし発見出来たとしても捜索中の隙を突かれれば、確実に敵への対応は遅れるのだ。
出来る限りこの二人は捕縛し、情報を引き出す必要がある。
が、仲間を呼んでいる暇はない。
大声を出して仲間を集めるのも良いところだが敵が殺る気になっている以上、逃亡の意志を促すような真似はせず襲いかからせ返り討ちにするのが一番だろう。
相手はプロだ。二人が散り散りになって逃げれば、リル一人では両者を捕まえるのは困難だし、このセキュリティをかいくぐって侵入してきた彼らを事情の飲み込めない他の生徒がとっさに捕まえるのは無理があるだろう。
逃げようと思われたら逃げられる。
だから、仕留める必要がある。
リルが両手を胸の前に構え拳を握り締めると、二人の男もとりあえず証拠隠滅としてリルを素早く始末する道を選んだのだろう、無言のまま武器を翻して襲いかかってきた。
(……やるか!)
臨戦態勢に入った直後、リルの無傷の身体を突然無量の魔力が取り巻いた。
*
「あいつら、そろそろ出てくる頃なんじゃねぇのかい?」
リル達の滞在している拠点から少し離れた位置の断崖から、望遠用の機材で基地の様子を伺いながら身体の大きい男が言った。
「そう……ですね。設置だけならそう時間も掛からないでしょうし……侵入に手間取ったとしてもそろそろ脱出に移る時間です」
腕に巻いた黒い時計の文字盤に目を落として確認しながら、隣りの細身の男が頷いた。
二人の傍で眠そうに欠伸をかきながら、金色寄りの茶髪を背まで伸ばした女性が面倒くさそうに愚痴を垂れる。
「なぁんでわざわざ魔法使えない人間だけでいくのさ? 時間掛かって仕方ないじゃない。あんなもの仕掛けるだけならあたし一人でも出来るっての」
「こちらとしても少ない魔法使いをわざわざ危険に晒すわけにはいかない、ということでしょう。それに、同じ魔法使いであれば魔力の波濤には敏感に反応出来る。例え魔法使いがあの中に侵入したとしても、あの中で魔法を使うことは許されないんですよ。すぐに捕まっちゃいます。なら、手慣れた作業班の方に任せた方が効率が良い」
貼りついたような笑みを浮かべながらあくまでも優しく男が答えたが、女はそれでもまだ納得がいかないらしく頬を膨らませた。
「じゃあ何であたし達までここについてきたのさ? あいつら二人に任せておけばいいじゃん」
「私も上層部の命令で動いているだけなので正確なことは判りませんが……相手が魔法使いである以上、もしもの場合は想定しておかなければならないとの考えじゃないですかね?」
「こ〜んな離れた場所で待機しておきながらもしもも何もあったもんじゃないと思うけどね〜」
女はしゃがみ込んで、足下の石ころを弄りながらつまらなさそうに呟いた。
とそこで、何か気づいたようにもう一度男を問い質した。
「てかさ、あんたの能力ならバレるバレないなんて話の前にパッパと中心部に侵入してチャッチャと仕掛けるもの仕掛けて、サッサと逃げ出すことも出来るんじゃないの? それも、一切の痕跡を残すわけにはいかないってやつ?」
嘲り気味に笑いながら女が訊いたが、男はお手上げの姿勢で首を横に振って答えた。
「残念ですが……私の能力は入口と出口にマーキングが必要でしてね。一度基地の中に私自身が侵入しないと基地と私の手元を繋ぐことは出来ないんですよ。何なら今から私も中に侵入して印付けてきますかね?」
「使えねー能力〜」
男の冗談を軽く無視して女はただ純粋に男の能力効果にガッカリした。
双眼のレンズを覗き込んだ大男は未だに基地を見続けていたが、不意に二人に向けて呟いた。
「……遅くねぇか?」
大男の言葉にもう一度時計を見直す。
「確かに……作戦行動時間は予定では侵入してから丁度半刻。それに対し既に一刻をゆうに過ぎる時間が経過しています。とはいっても、遅れていると言えばそれだけのこと。私はもう少し待とうと思いますが……皆さんどのようなお考えで?」
全く焦った様子を見せずに男が訊ねると、未だにレンズに目を当て続けたまま男が言った。
「単衣に遅れ方って言ったって色々あるだろ。ただ仕掛けに手間取ってるだけなら構わねぇが……今のあいつらは最悪の手間取い方をしてる気がするね」
「同感。一番面倒なことになってる気がするわ。迎えに行った方が良いに一票」
「と、言いますと?」
眼鏡を吊り上げついでに口端も吊り上げながら男が訊くと、女は手を振って追い払うように呆れ顔で応えた。
「答えが解ってる質問に答える程暇じゃないのよあたしも。捕まったら面倒なんでしょ? あたしが迎えに行くわよ。いいわね?」
「ちょっと待って下さい。分かりました。では私が……」
「あんたの能力が使い物にならないのは解ったから。大体魔法使うのはマズイんでしょ? それならそっちのデカブツも、あんたみたいな頭でっかち貧弱君も最初から失格じゃない?」
明らかに隠密行動向きではない屈強なガタイを隠そうともせずに座っている大男と、御託ばかりでいざ行動に移るとなるとどうも鈍くさそうな男の身体を順番に指差して女が言った。
それでも、男は首を横に振る。
「女性に行かせるわけにはいきません。どうせ魔法が使えないのですから私が行きますよ。いざとなれば入り口にマーキングしておいて逃げ出すことも出来ますし」
「その”いざとなれば”があっちゃマズいんでしょ? 大丈夫よ。魔法なんかに頼らなくても私なら余裕だから」
そういって女は、男の止めるのも聞かずにさっさと一人崖を降りていった。
その行動に男二人は溜め息こそ吐けど、追いかけるどころか焦る様子すら全く見せなかった。
第八話 弱い相手と上官と
(遅い……?)
顔面に向けて振り下ろされる刃の軌道を片手で逸らしながら、リルは呑気にそんなことを思っていた。
予想より遙かに楽な相手だったのか、少々呆れ顔を見せながら繰り出される全ての攻撃を回避している。
弾丸すらも、目でしっかり捉えた上で横飛び一つで避けきった。
リル自身不思議な程に、彼の身体は羽のように軽くその場を飛び回っている。
手刀一つで二人を黙らせるのに一分も掛からなかった。
いつの間にか全身に満ちきっていた魔力を持て余しながら、リルは気絶した二人の男を下目に見ながら呆然とその場に立ち尽くしていた。
それでお終い。
命を賭け合う死闘になると覚悟していた戦いは、あっけなくも一瞬で静寂を取り戻した。
傷も負ってないのに魔力が自分の身体を覆っている。
先の戦いと似た状況だということは自分でも理解出来ていた。
こんなことは、学院に帰ってから今までに一度として再発しなかった事象だ。
この、自分の能力の次段階の兆しと思われる力の発動にリルは試したい気分で一杯だったが、大した動きもせずに相手の方が倒れてしまった。
これは、リルの能力が凄かったのではない。
敵が弱すぎた、もとい、敵の弱さが凄かったのだ。
「つ……つまんない……」
思わず口に出してそう言ってしまう程手応えがなかった。
動作の全てが素人くさい中で唯一一人前に思えた殺気も今は欠片と残らず、すやすやと寝息を立てて無機質な地面に横たわっている。
多少の曲線を描いた廊下の奥から、長い黒髪を後背に結ってぶら下げている男が何も知らない呑気な顔つきでこちらに歩いてくるのがリルにも見えた。
男はリルを視界に捉えると軽く手を振って存在を示しながら挨拶してくる。
「あれ? リルさんどうかしまし……って、うわっ?! 何です?! 敵襲ですか?!」
自分と同じ服を着た二人の男が倒れていることであたふたするイルムを見ても、リルの口からは溜め息しか生まれなかった。
イルムはすぐ二人に駆け寄って具合を確認し始める。
見知らぬ顔であることに多少の違和感を覚えたようだったが、構わず外傷を調べていた。
それを見て何か言いにくそうにリルがイルムに声を掛ける。
「あ〜……イルム。お偉いさんにこいつら引き渡すから手伝ってくれる?」
「え? あ……はい、わかりました……?」
状況がよく飲み込めずにイルムが頷くと、リルは何の問題もないと確信したように二人を放っておいたまま、何か道具を捜しに近くの部屋に入っていった。
とりあえず二人を手頃な縄で簡単に縛ってリルが上官に引き渡すと、それで何事もなかったかのように事は済んでしまった。
一応、二人に尋問を掛けながら下級生を指揮して基地内を検査し、侵入者に対する警戒も強めるよう配慮するとは言われたが、現実に潜入されたという事態があった割には呑気に考えすぎだというのが、実際に初めて目の前に今作戦の上官を目にしたリルの感想だった。
冷静な判断、というよりは初舞台で舞い上がってしまい何が重要で何が軽視すべきか理解出来ない、といった印象だ。
下準備に余計な労力を使いすぎ、更にそれがあまり成果にならず報われないので肉体的にも精神的にも疲弊したところで発見された侵入者だった為、焦り疲れて対応を遅らせても平気だろうと考えた目だった。
正しい判断じゃない。安全を考えるなら、今回のこれこそが最重要視すべき情報である。
信用に値する上官と言えたものではない。
はっきり言ってしまえば、有能というよりは愚図の部類に入る連中だった。
具体的な例を挙げれば、キールと比べても五十歩百歩。覇気がない分彼にも劣る。
こんなこと普段はあまり考えないリルだったが、命賭けの死闘に対して僅かに心境でも変化したのか珍しく必死に悩んでいた。
自分がここまで深く思考を巡らせていることに気づくとリルは一度自嘲気味に笑ったが、それでも眉根を縮めたその表情が崩れることはなかった。
引き渡しに付き合ったイルムが並んで歩きながらリルのその様子を伺って怪訝な顔つきをしている。
バルクの例もあって、戦場に入って急にキャラが変わることに過敏に反応してしまうのか心配そうな表情でリルを見ている。
「なぁイルム」
それを知ってか知らずか、リルは今引き渡した二人の顔を思い浮かべながらイルムにボソリと呟いた。
「なんです?」
「……俺、なんか今回の戦い簡単に勝てる気がしてきたよ」
ぼーっとしながら軽くそう言い切ったリルを見て、イルムはいつものリルと今のリルがようやく重なったことで安心した表情になった。
驚く程楽観的で、偶に究極なまでに悲観的な発言こそ、リルの持ち味なのである。……イルムの中では。
酷い話だが、死ぬ死ぬ言いながらふにゃふにゃ生きてくれてた方が安心するのだ。
ただ、やはりそう言いながらもリルの顔にいつもはない重暗さがあったのがイルムの胸に引っ掛かった。
まだ話を続けようとイルムが息を吸ったところで、不意に別の場所から邪魔が入った。
気の抜けるようなガタガタの音程の呼び出し音の後で、気の入るような甲高く綺麗な女性の声の放送が響き、二人は天井を見上げながら足を止めた。
が、声の可愛らしさとは裏腹に、その内容と声色は始まりから既にどことなく重苦しい。
『総員、第二戦闘配置。第一戦闘斑は警戒レベル3に移行して下さい』
穏やかでない指令に、リルとイルムはお互いの顔を見合わせ、引き締め、駆け出した。
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2004/04/03(Sat)23:04:24 公開 / エレル
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■作者からのメッセージ
どーもエレルです。
八話目、書きました。
段々短くなってる傾向にあるのはご容赦下さい(汗
一応区切り区切りで書き止めてるだけなのでやる気がないわけじゃありません。多分。
くるみぱんチップさん、葉瀬 潤さん感想ありがとうございます。
安っぽい展開にならないよう努力します。
……安っぽい文面は相変わらずですけど。
読んで下さった方は辛口でいいんで指南の程よろしくお願いします。