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『殺意方程式 retake ( prologue-epilogue) [完結]』 作者:境 裕次郎 / 未分類 未分類
全角42561.5文字
容量85123 bytes
原稿用紙約149枚

               プロローグ 未完成の方程式



「痛いなぁ。ハハ」
 史上最大の苦痛。
 両目から流れ出る涙がまるで血のようだ。
 悲しみを超越して、ただ笑うしかない。
 大切なモノが壊れた感触。
 幾度となく味わっても最悪の肌触りの空気。
 妹が、妹の月夜が死んでいた。
 ついさっきまで温もりを抱いていた身体が、凍りつくように固まっていた。
 絶対的な死。
 避けようのない運命。
 不変の真理。
 そして圧倒的な現実世界の喪失感。
 僕は、ゆっくりと歩いて近づいた。
 床に転がる無機質な物体。
 生命維持機能はとっくに停止してマネキンの様に転がる血塗れの白い服と小さな身体。
 跪いて顔を覗き込む。
 可愛い寝顔をしていた。
 ありふれた言葉だが、眠っているみたいだ。
 声を掛ければ『ううん、あと十分』なんて甘えた声を上げ、けだるそうに寝返りをうちそうなくらい。
 でも腹部から流れ出す大量の紅はそれを否定していた。
 全てを。
 僕はそっと月夜の身体を抱え起こした。
 寒空の雲間から月明かりが二人だけを照らしている。
 時が止まったかのようなワンシーン。
 御伽噺なら生き返るはずだ。
 無限と幻想が脳内で繰り返される。
「月夜……」 
 僕は優しく呟いて死体の唇に自分の唇を合わせた。
 奪われるような熱の感触が心を揺さぶる。
 凍結する悪夢の痕。
 癒すような自己憐憫の偏愛。
 おぞましい行為。
 次の瞬間、僕は月夜を突き飛ばしていた。  
 胸を満たす忌まわしい咆哮。
「僕は、僕は、僕は、ボクハ、ボクハ……!」
 何をしていたんだ。
 『何を』していたんだ。 
 吐き気を催した。
 絶望に侵食される。
 立ち向かうには、あまりにも僕は矮小すぎた。
 もう『何も』できそうになかった。
 臆病で屑で最低で呪われた僕。
 ただ、眠り姫の側で嗚咽と嘔吐を繰り返すしかなかった。 

 未完成の僕の始まりは此処からだった。



「俺達には翼が欠如している。其れについて織奈はどう思う?」
「どうといった感情なんてないわ。昔からそうだしこれからもそうよ。現実は現実。翼なんてもとから無いものとして考えれば関係ないわ」
「ふむ。そうだな。そのかわりに『力』の存在があると考えれば問題無い……、か」
「そうよ、翼がなくても『力』がある。未来はなくても『現在』がある。それじゃ駄目?」
「駄目とかそう言った問題ではなくて……」
「『ただ、俺が言いたいのは』何?」
「人の台詞を勝手に横取りして欲しくはないものだな。君の『力』――『心呼吸』のそういう無節操なトコロが気に入らない。周囲に不快感をもたらす」
「仕方ないでしょ? 一対一なら意識、無意識、関係なしに会話する相手の心の声が『流れ込んで』くるんだもん」
「だから、相手の思考がわかっても口に出さずにだな……」
「ああ、それは無理」
「それはまたどうして?」
「私、人を不愉快な気分にさせるの大好きだから」
「ふむ。悪趣味だな」
「あら? 彗人の『力』も相当悪趣味だと思うけれど」
「人のとり方次第だろう」
「そうね、そうかもね。それじゃ、私の『力』だってそうよ」
「屁理屈だな」
「屁理屈で結構」
  
 狭い暗闇の中で対峙する二人。
 背の高い優男と、漆黒の少女。
 元、親友。
 現、共犯者。
 一人の少女を殺すために生まれた劣悪な結託。
 求めるものは何もなく、見返りさえもなく、徹頭徹尾意味も無い運命を選択し、その道を共に歩むだけの関係。     
 もし、そこに無理矢理意味を見出そうとするならば、其れは翼を持たざるものとしての『背徳』。
 生きる事に絶望し続ける者としてのささやかな『悪戯』。
 二人とも其れを知りながら道を選んだ。
  
 一人はかけがえの無い親友のため。
 一人はかけがえの無い親友を捨て。
 
 運命を捻じ曲げるために生命を捧げる事も厭わない幻想曲。
 未完成で誰も続きを知ることの無い狂想曲。
 
 一人の運命は此処で潰えた。



               T 織奈と月夜の条件式
 


「だからさ、兄貴はね、心配性すぎるんだって」
 妹の月夜が拗ねた口調で言う。正直言ってカワイイ、と思うのは兄としてシスコンの域に値するのか?
 まぁ、シスコンでなくとも妹がカワイイのは一般論としてだな。
「駄目。お前を一人で行かせる訳にはいかねー。お前、しっかりしてるかと思えば、結構危なっかしいトコロもあるしな」 
「大丈夫だって。第一、私より兄貴の方がよっぽど危なっかしいよ。昨日だって、自転車で壁にぶつかりそうになってたでしょ。私ちゃんと『視てた』んだからね。『力』使ったトコロも」
 ぐっ。一息にまくしたてた後、ジト目でこちらを睨んでくる月夜。まさかアレを『視られて』いたとは思わなかった。
 いやいや、でも此れと其れとは話が別だ。兄として、妹の月夜を守らねばならない立場にある僕としてはこのぐらいで怯んではいられない。
「いや、アレはさ、仕方なかったんだって。考え事しててボーッとしてたら目の前に壁が迫ってきてて、夢中で手を突こうとしたら無意識の内に『力』が発動したんだって」
「それが、危ないっていってんの。ホントにもう。心配だったんだからね。あんなの誰かに見られてたら、兄貴……」
 話の論点がずれていってる。何故だ?
 まぁ、いい。
「とにかく、だ」
 僕はわざとらしい咳払いを一つすると、
「兄として、月夜。お前の事が自分よりも心配なんだ。だから、一人で、少しでも危険な事をさせるワケにはいかない。いつだっって僕がお前を守るから。な」
 と言う。
 うん、我ながらなかなか良く決まった。
 麗しき兄妹愛。
 ドラマのワンシーンのようだ。
 ほら、月夜もこんなに感動してくれて……。
 あきれた顔をしていた。
「兄貴、よくそんなクサい台詞、真面目な顔で言えるね」
「全く同感だ」
 いつの間にか妹の隣には僕の史上最悪の親友、御影彗人が立っていた。うんうん頷いて同意している。
 今の今まで気配がなかった。
 どうやら、『力』を使ったようだ。
 月夜はずっと前から其処に彗人が居たかのように話を続ける。
「月夜。アイツはいつもこんなカンジなのか?」
「う〜ん。そうかな」
「少々、鬱陶しいな。いや、カナリ鬱陶しいな。まぁ、時貞が正真正銘、筋金入りのシスコンだと言うことで、許してやるしかないな。色々苦労すると思うが、頑張れよ」
「そうだね、兄貴、重度のシスコンだから仕方ないよね。私が我慢するしか……」
 二人して不愉快コトを言っている。
 ちょっと待て。
 僕は二人からそんな風に思われていたのか。
 それならば、全くの誤解だ。僕はただ、僕は、
「其の先はいつもの台詞でしょ? 『妹が大切だから』。アンタの思考って単純なんだよねー。すごく『読みやすい』わよ?」
 僕らが立っている向こう側のドアにもたれかかって、旗幟織奈が腕を組んだまま僕の台詞を奪った。
 嫌なヤツがきたなぁ。
「私の方こそアンタの面を拝むのはゴメンよ」
 と言って僕の顔を睨んでくる織奈。
 言ってる事とやってる事が矛盾してるぞ。
 それに月夜に会いたいなら、月夜にだけ会えばいいものを。
「仕方ないでしょ。月ちゃんがいるのはこっちの部屋だったんだから」 
 だからって、気配を消して入ってくるのはどうかと思うが。
 オマエラそんなカッコいい登場の仕方してなにかあるのか?
「別に。これはただの演出よ」
「普通に入ってくりゃいいだろ?」
 其れを聞いた彗人が付け足す。
「俺の場合は玄関に鍵がかかっていたからな」 
 さいですか。演出過剰に不法侵入。
 神様、僕にどうしろと。
「あーもう、兄貴、織ちゃんと私急ぐんだから、世間話なんてしてないでよ」
 別に喋ってるわけじゃねーよ。コイツが勝手に人の思考を――
「『読んでる』だけだもんね。さぁ、思考能力がプラナリアなお兄ちゃんはほっといて行こ、月ちゃん」
 くそ、忌々しい奴だ。
 二人は揃って僕の部屋を出て行こうとする。
「あ、ちょっと待った」
 月夜、僕はまだ行っていいとは……。
 そう、言いかけた瞬間、織奈にキッと睨まれ、死にも等しい宣告をされた。
「あんまりしつこいと、アンタの秘密ばらすわよ」
「……どうぞご自由になさってください」
 …………。
 あのエロ本の事か?
 僕が自分がばらされたくない秘密について思考していると、いつの間にか遠いところ(さしずめ玄関あたりだろう)から嬌声が聞こえていた。
 やられた。
 あーもう、勝手にしろ。
 髪をクシャクシャしながら、ふりむくと彗人が立っていた。
 残されたムサイ空間。
 僕が振り向くタイミングに合わせるかのように、彗人は喋りだした。
「ふむ。時貞。君がそんなに心配する必要はないのではないか? 最近この街にも誘拐事件が頻発しているらしいが、彼女達は『力』を持っている。犯罪者や痴漢や変質者などの不逞の輩に襲われても大丈夫だろう。というか、君も其れぐらいは分っているのだろう? 何をそんなに気に掛けているのだ」
 うるさい、僕には僕なりの理由があるんだよ。
 というか、何故僕と彗人が二人?
 コイツいきなり、そ知らぬ顔で愛に満ち溢れた(ていたと思う)兄妹の会話に割り込んできたが――
「――なんでオマエが居るんだよ。織奈は月夜が呼んだから分るとして、だれがオマエを呼んだんだよ」
「えーと、宇宙?」
 頭が痛くなってきた。会話が成立していない。
「冗談だ」
「殴りてぇ」
「ぶっそうな言葉をそう簡単に吐かないでもらいたいものだな。君が言うと冗談にならない」
「オマエがまともに答えてくれりゃぁ、何もしない」
 僕は血が出そうなくらい拳をしっかりと握り締めたまま、そう告げる。
 彗人は、しばらく僕の拳を見つめて考えていた。
 そして、何か決心したという顔でおもむろに口をひらいた。
「よし、君がそんなに聞きたいのなら言おう。俺は君の妹、月夜ちゃんに呼ばれたのだ」
 僕は其の一言をポカンとした表情で聞いた。
 おそらく、月夜には見せられないぐらい、マヌケ面をしていたと思う。
 兄の威厳が全部吹っ飛んでいってしまうような、馬鹿面。
「ふむ。そんなに、ショックだったのか。それとも、なんで俺が呼ばれたのか、分らないのか。青春の記念写真に残しておきたいとも思う君のアホ面はどちらにとればいいんだ?」
「えーと、なんでオマエが呼ばれたんだ……」
 いや、わかってる。聞きたくない。
 聞くとショックで立ち直れそうに無い。
 よりによって、なんでコイツを選ぶんだとか、そういうことはもうどうでもよかった。あまりよくないが。
 でも、でも、真実を聞くよりは。
 だが、彗人は無情にもその先を告げる。
「うむ、おそらく鬱陶しくも自分の行動を制御したがる兄を、俺という、なかなか暇でお手軽な人間で引き止めておくためだろう。どうやら、それも杞憂に終わった様だがな。織奈。アイツは君には荷が重い。心を読める力というものは、単細胞相手に『強い』様だ」
 彗人の会心の一撃。
 時貞にダメージ100。
 時貞は息絶えた。
 『息絶えてどうするよ、僕』的な一人ノリツッコミの後、復活。
「はぁ……」
 月夜。
 僕はいつもオマエの事を心配しているのに……オマエはわかってくれていなかったんだね。
 そう思うと、目頭が熱くなり、涙が溢れてきた。
 『しくしくしく』
 ホントにそんな擬音がつきそうなくらい、さめざめと泣いていたと思う。ハタから見るとキモイかもしれないが。 
 そんな落ち込む僕の肩をポンと叩く、彗人。
 振り返ると、悲しそうな顔をして首を振った。
 どうやら、哀れな兄である僕を慰めてくれるらしい。
「いいではないか。プラナリアは多細胞で単細胞では無い。織奈が実は生物が苦手だった、という収穫だけでも大きいではないか」
 …………。
 凍りつく狭い部屋の空気。
「あー……」
 頭をポリポリかく僕。
 どう文句をいってやればいいのか分らなかったので、とりあえずグーで殴っておいた。
 ゆっくりと背中から倒れこむ彗人を見て少しだけ後悔した。



               U 僕と彗人の展開式



「ふむ、殴れるだけの元気がでれば大丈夫だろう」
 彗人はやっぱり親友だった。
 僕がヘタに慰めると落ち込むことを予想して、逆に怒らせ殴られたのだ。
「すまなかった」
 本心からでた言葉だった。
「いや、かまわんさ。俺は君の親友だ。このぐらいは当然するべきだろう」
 当然ですか。
 すげぇよオマエは。
 僕はちょっとジンときた。
 ……妹より優しい……。
「まぁ、俺が落ち込んだときには君を殴らせてくれればそれで問題無い」 
 優しくなかった。
 ギブアンドテイクかよ。
「さてと、これからどうするんだ」
 彗人は窓から、夜の帳で覆われた街を眺めながら僕に聞いてきた。
「どうするって? 何が?」
 突然の発言に僕は何の事か分らず聞き返した。
 すると『やれやれ』といった表情で答える彗人。
「月夜ちゃんは、どうするんだ?」
 ああ、なるほど。
「月夜のことね。何処に行ったかわかんねえんじゃ、探しようがないだろ。仕方ないから帰ってくるまで家で待つさ」
「ふふ」
 それを聞いて彗人は嫌なカンジの笑みを浮かべた。
 まるでしてやったりといわんばかりのイタズラ少年の様な笑みだった。
 されると、ちょっとムカツク。
 僕にカルシウムが足りていないだけなのだろうか?
 見ると彗人はいつも持っている赤いデイパックをごそごそとやっっている。何かを探しているようだ。
 そして、ある一つのモノをとりだした。
「これがあれば、君の妹の月夜ちゃんを探し当てる事が可能だ」
 僕は目の前に差し出されたまるーいカンジのモノをしげしげと眺めた。
 これは、これはまさか
「ドラゴンレーダー?」
「君は馬鹿だな」
「冗談だよ」
 さっきの仕返しのつもりだった。
「ふむ。シスコンの上に馬鹿とは救いようが無いな」
 向こうの方が一枚上手だった。
「まぁ、それは月夜ちゃんに報告しておくとしてだな」
 しかも聞き捨てなら無い言葉を発しながら彗人は続ける。
「月夜ちゃんの背中に発信機をつけておいた。此れがその受信機だ。本来は四角い無骨なタイプだったのだが、個人的趣味で少し形を改造した」
 やっぱりドラゴンレーダじゃねえかよ。
 しかし……、さっきの改造という台詞にに僕はクェスチョンマークを頭の上に浮かべる。
「オマエこんな複雑な機械の改造なんてできたっけ?今まで見たこと無いぞ。オマエがモノを弄ってるトコロなんざ」
「ふむ。それなら『力』を使った」
「ああ、なるほど」
 短く答えたその一言だけで僕は理解した。
 コイツの『力』。能力と言うべきか。
 僕らの『力』の中で一番実用的なのではないか、むしろ力でもなんでもなくコイツのポテンシャルの高さなのではないか、と錯覚させるような能力。彗人はそれを『天才製造機』という、自信過剰な名前で呼んでいる。
 文字通りの意味ではだいたい正しいのが悔しい。
 全ての物事に対して『一を聞いて十を知る』といった状況を可能にする力。
 まさに天才の所業としか言わざるを得ない力。
 今回はおそらく工業系の能力をマスターしたのだろう。
「ま、ともかく」
 僕は自らの思考を打ち切り彗人に告げる。
「それを使えば月夜の居場所が分るんだな?」
「ああ、そうだ」
 彗人は頷いて肯定する。
 よし。
「じゃ、早速それを使ってくれ」
「駄目だ」
 彗人は悲しそうに目を閉じて首を振る。
 はぁ?
 突然のきまぐれの様な彗人の態度に僕はあっけにとられた。
「な、なんでですか? 彗人さん?」
 僕は尋ねる。 
 彗人は閉じた目をゆっくり開きながら僕に、
「事前に君に使用料を要求しなければならないからだ」
 と冷たく言い放った。
 ……友情より金ですか……。
「ちなみに此れの制作費は十五万円だ。一回五百円の使用料を要求するのはさして間違ってはいまい」
 はぁ。それを聞いた僕は仕方なしに払うしかなかった。
 
「さてと」
「あの支払い方はずるいと思うのだが。しかも、これはホンモノとして使用可能なのか?」
「知らね。怖いから使った事ないし」
「ふむ」
 彗人は摘んだ一万円札をひらひらさせながら考えているようだった。
 僕はあのあと『力』を使って彗人に支払いをし、正当な権利を得て例のレーダーを使用していた。いや、使い方わからないんで使用しているのは彗人だが。
 やがて彗人は弄んでいた一万円札をポケットにしまい込んだ。
「これは、記念にとっておこう」
「なんだ、使わないのか」
「ふむ。使えば違法として捕まる可能性も捨て難い……、が使わない一番の理由としては君の奇跡の力をお守りとして持っておくのも悪くない。そう思ってね」
「僕の力ねぇ……、奇跡なんておおげさなモンでも無いと思うけど」
 本心から出た言葉だった。日常生活であまり役にたたない。
 それぐらいの認識しかない力に奇跡は似合わない。
「ま、ともかく。それならそれでいいよ。月夜の居場所を早く探してくれ」
「まかせろ」
 僕と彗人は夜道をレーダーにうつるマーカーだけを頼りに歩いていく。
 そして、十分も歩いた頃僕はふと気づいた。
「これって、もしかして……」
「ああ、君も気づいたか」
 見たことのある道が続いている。
 毎朝通る道。
 いつも月夜と、彗人と、織奈と通る道だった。
「通学路じゃねえか!」
「ふむ。そのようだな。マーカーもおおよそ学校のある位置を示している」
 学校か。
 ――なるほどね。
 思い出せば、最近よく月夜は僕に七不思議の話を聞いてきていた。
 夜の学校に織奈と二人で見にきたってワケか。
 考えればわからなくもなかったハズなのに。
 兄として少し情けなかった。
「何故学校に……。何かあるのか……?」
 彗人は月夜に聞かれてなかったからか、予想がつかないようだ。
「ふむ」
 彗人は腕を組んで考えだす。
 無言のまま、二人でゆっくりと歩いていく。
 しばらくすると、夜の闇に一際映える白い校舎が見えてきた。
 其のとき突然彗人が口を開いた。
「そうか、わかったぞ!」
 今の今までずっと、月夜と織奈が夜の学校で何をしているのかを考えていたらしい。
 暇なヤツだなぁ。
 そう思ったが、顔には出さず聞き返してやった。
「夜の学校で何かをしてる織奈と月夜のことか?」
 すると彗人が嬉しそうな顔で興奮しながらコッチを向いた。
 まるで『よくぞ聞いてくれた』と言わんばかりの笑みまで浮かべて。
 これだけ感情を表に出している彗人はあまり見たことが無い。
 あまり見たことが無い、ということは一度ならず見たことがあると言うわけだが……思い出したくない。
 思い出せば過去最低の記憶が抉り出されそうなので、考えない事にする。
 おそらく今回も、とてつもなく馬鹿なコトを考えているに違いない。
 人間パルプンテのコイツに常識は通用しないからなぁ。
 コトをしでかす前に先手を打っておくか。
 僕は何かを喋りだした彗人にカウンター気味に話しかけた。
「時貞。聞いてくれ……!」
「はい、ちょっとタイム」
「なんだ。君は俺にこの謎の結末を語らせてくれないのか?」
「いや、もう知ってる。多分、学校に七不思議を見に来てるんだよ」
「そうなのか?」
「ああ、前から月夜が僕に七不思議のコトについて聞いてきてたんだ」
「そうなのか?」
「そうだよ。だから、とりあえず連れ帰すまですることは無いにしても、付き添いぐらいはしなけりゃな。兄として」
「そうなのか?」
「しつこいよ!」
「いや、しかし……そうなると……」
 そう言って寂しそうに俯く彗人。
 そうなると、なんだよ。
 凄く気になる――が敢えて聞かないでおこう。
 触らぬ神に祟りなし、だ。
 小さく溜め息をついて、僕は彗人に向けていた目をつい、と前方にそらした。
 いつの間にか月明かりに映える黒色で存在感を示す校門たどり着いていた。
 朝や夕方に見るのとは、又違った存在感がある。
 というか、単に不気味なだけだ。
 僕と彗人の目の前に立ちはだかる高さ2メートルほどの壁。
 おそらく月夜と織奈の目の前にも立ちはだかったはずだ。
 なのに、門が開いていないと言う事は、上を乗り越えて学校内に入ったようだ。
「じゃ、僕たちも行くとするか」
「ふむ。そうだな」
 僕は彗人と向き合って頷きあった後、少し助走を取り、
「ふっ」 
 という掛け声と共に、軽く最上段まで飛び乗った。
 そして、飛び降りると同時に一つ深呼吸をして現実と虚構の壁を乗り越えた。
 いや、そんなカンジがしただけだが。
 後ろで『タッ』という靴が地面を蹴る音が聞こえる。
 僕は振り向かずに声を掛ける。
「さて、月夜探しゲームでも始めるとするか」
「ふむ。織奈は探さないのか?」
 横に並んで問いかけてくる彗人。
「まぁ……オマケ程度には探すけど……」
 何事も無い静かな月の夜。
 行く末は見えなくとも、明らかに最悪に繋がっている様には思えない静かな夜。
 だけど、この瞬間から僕ら四人の運命は廻転しはじめた。
 
 誰も知らない――
          誰も逝けないところで――
                    狂々、狂々と――  



               V 四人の与式



「学校の七不思議……か」
 学校の七不思議など何処にでもある。
 だが、僕たちの力は此処にしかない。
 よっぽど不思議だ。
 なのに月夜や織奈は左程珍しいものとは思っていないようだ。
 ま、彼女達の力も結構日常生活に役立つモノなので、便利なモノとしか捉えていないからなのだろうが。
「ふむ。確かに夜の学校というものは何か惹きつけそうな雰囲気はあるな」
 彗人がレーダーを鞄の中にしまいながら呟く。 
 僕は静まり返った廊下をグーッと一通り見渡した後
「確かに――第六感に見てはいけない物をカンジてしまいそうだな」
 と彗人に答えた。
 声が震えていたかもしれない。
 怖いから。
 横に居る彗人の存在がありがたかった。
 もし、ここで白いものがヌッと廊下の隅の方から出てくれば、彗人に抱きついてしまうかもしれない。
 そうなれば、月夜はもう僕のことを兄として見てくれないだろう。
 そんな事になってもどうにか耐えねば……。
 僕は汗が滲んでいる掌をグッと握り締めた。
「時貞は怖いものが苦手……と」
 振り向くと少し後ろで立ち止まっていた彗人がメモの様なモノに何かを書き込んでいた。
「なんだ、それは」
「気にするな。君には左程関係ない。ただの観察日記だ」
 観察?誰が何を?
 さっきの彗人の台詞。
『時貞は怖いものが苦手……』
 時貞ね。
 時貞。
「僕じゃん!」
 バンッ、と壁を思いっきり叩いて叫んだ。
「そうだが、どうかしたのか?」
 ツカツカと、僕は彗人に歩み寄ってメモを引っ手繰った。
 ……見てはいけなかったのかも知れない。
 内容を見た僕は愕然とした。
「……何此れ?」
 正直、泣きそうだった。 
 今日の言動が逐一書き記してあっただけではなく、心外な称号まで詳細をつけて書かれてあった。  
 『シスコン(強)』
 『馬鹿(強)』
 『怖がり(強)』
「オマエ、僕を観察してなにが楽しんだよ」
「別に全くといっていいが楽しいと感じた事はないぞ?」
 怒る僕と、澄ました顔の彗人。
 その顔にむかつきながら僕は問う。
「じゃぁ、楽しくもねーのに、なんで僕の観察日記なんかつけてんだよ」
 それを聞いて彗人は『ああ、なるほど』といった表情を浮かべた。
 なにか、別の理由でもあるらしい。
「ふむ。君はなかなかクラスの女子受けがよいようだ。これは君に好意をよせる娘から頼まれたモノだ」
「む」
 ストーカーまがいの行為だが……。
 イキナリのその発言に僕は戸惑ってしまった。
 どう、答えてよいものやら。
 月夜一筋ではあるつもりだ――が、そう答えるのは間違っている気がする。
「別にいいんじゃない? そう答えても」
 僕がどう答えようか迷っていると、あるぬ方向から声が聞こえた。
 この声は――
「なんで兄貴達が此処にいるの!」
 ――セット販売の声だ。
 Aセット、月夜と織奈のフルコース。
「やはりバレてしまったか」
 見つかったというのに妙に落ち着いている彗人の声。
 全く後ろめたさを感じない声だった。
「追っかけてきたのがバレたのに、なんでオマエそんなに落ち着いていられるんだ?」
 彗人はポケットから取り出した眼鏡を掛けながら答える。
「時貞。君の妹が俺たちの事を見つけられないはずが無かろう。月夜ちゃんの力は『視る』力だ。校門を乗り越えたとき君は何もカンジなかったのか?」
 そういえば、なにか違う次元に侵入する様な違和感を覚えたような――
「鈍感ねぇ、それぐらい気づきなさいよ。アンタいつも月ちゃんと一緒に居るんでしょ? 『力』を展開した時の雰囲気ぐらい覚えてなさいよ」
「兄貴達が校門を乗り越えた時に私の『羅針盤』にひっかかったんだよ」
 月夜の力。
 『視る』コトに特化した力。
 月夜が『羅針盤』と名づけた力。
 意識した特定の位置を、時間を無視して『視る』能力。
 僕が壁にぶつかりそうになって、力を使ったシーンは特定の場所が『僕』で時間を『現在』に合わせて『視られて』いたため月夜が知っていたのだ。
 今、校門を乗り越えたシーンが見つかったのは、特定の場所を『校門』時間を『現在』に合わせていたがため知ったわけだ。
 別に時間は現在だけでなく月夜が言うにはアバウトに『過去』『現在』『未来』の三つがあり、時間はおおよそ一時間程度を『視る』ことができるらしい。
 そしてこの力がとりわけ異質を放っている部分がある。
 それは『未来』を見た場合、必ず『最良の選択』をせまられるトコロだ。
 といっても、此れは全部、月夜から聞いた話なのでどういう構造かは、僕は良く分かっていない。
「時貞がわからなかったのには理由が一つ考えられる。あくまで仮説だが」
 僕は突然自分の名前が呼ばれたのでハッとした。
 僕は思考にいったん区切りをつけ状況を把握する。
 どうやら、彗人が口をはさんだようだった。
 織奈はムッとしたように彗人の方を向き
「何よ。何か文句でもあるわけ? 其処の馬鹿兄でも庇ってあげるつもり?」
 とキツイ言葉を解き放つ。
 其れを聞き流す様に彗人はメガネをくいっと上げ答える。
「いや、ただな。俺の考えも聞いてもらいたかっただけだ。別に時貞のコトを庇おうという気持ちなどコレッぽっちもない。気にするな」
 それはそれで親友としてひどくないか?
「考えねぇ、それなら私にアンタの心の中を読ませればイイじゃない――と言いたいとこだけど、なんかアンタの腹って探りにくいのよね」
 へぇ、コイツにも読めないものはあるのか。
「そうね。万能じゃないわ」  
 僕の腹の中は読めるのに、か。
 コイツの『力』にも月夜同様、不明確なトコは多い。
 本人は『ヒトの心の呼吸の隙を突いて、隠れた意図を探り出す』と言ってるが、実際どういう意味か僕にはさっぱりだ。
 一応僕的には『他人の心の中が読める』といった位置づけにはしてあるものの完全に正しい解答ではないだろう。
 ま、『力』自体が持ち主の精神に頼る部分が大きいし、不明瞭な部分があるのは致し方ない、そう思うしかないだろう。
 人間の精神なんて七割がブラックボックスなんだし。
 僕自身の力も夜限定、しかも月の出ている時間帯に限る、なんてワケわかんねぇ制約が付いてる。
 だから織奈の『心呼吸』に読めないモノがあっても別段不思議ではない。
 其処まで考えたトコロで、織奈が小さく鼻を鳴らして笑った。
「今日は物分りがいいのね。いつも反論ばっかりする癖に」
「僕だっていつまでも子供じゃないってことさ」
 肩を竦めて答える。
「ま、それはともかく、彗人。僕が月夜の『力』に対する感応能力が低いのはなんでだ?」
「ふむ。時貞。君は月夜ちゃんが『羅針盤』を発動する時には大概側にいるだろう?」
「ああ、まぁな」
「それだよ」
 彗人は織奈と僕、そして月夜の顔を順番に見回しながら続ける。
「『力』に対する抵抗が生まれているんだ。というか、抵抗というよりも『慣れ』だな。その『慣れ』が月夜ちゃんの『力』に対する感応能力の低下を導いている、と思われる」 
 なるほど。
「へぇ」
「兄貴が鈍感にね……」
 鈍感、てなんだよ。
 嫌な言い方をするな。 
「俺の話はこれだけだ」
 話を切る彗人。僕たちの間に沈黙が流れる。
 会話の合間に訪れる何気ないこの空気を纏った静寂。
 あぁ、僕はこの空気が苦手だ。
 必死に何か会話のとっかかりを探してみる。
 すると、織奈が先に口を開いた。
「それはわかったわ。でも、月ちゃん?」
 イキナリ自分の名前を呼ばれキョトンとする月夜。
「何?」 
「時間、もうあんまり無いんじゃない? どれだったか忘れたけど、もうすぐ時間、来るんじゃないの?」
「あ」
 月夜は織奈の言葉にしまったという表情を見せた。
 そして、僕のほうを睨み短く
「兄貴の馬鹿」
 と、呟いた。
 僕は何もしていないが。
 時折、妹の思考回路の発展性は僕の思考能力を超える。
 単純に言えば理解不能。そういうことだ。
 ま、いいけどね。
 僕は思考に終わりを告げた。
 月夜が何か喋り始めたからだ。
「私と織ちゃんで回ってないところは――『音楽室のベートーベンの目が光る』っていうのと『美術室の動く石膏像』それと『真夜中十二時になると必ず電灯が点る4階北廊下』、最後に『開かずの扉のある教室』だね」
 どうやら、これから先の目的地について話しているようだ。
「ありきたりなヤツばっかだなぁ……」 
 実際何処の学校に行ってもありそうなモノばっかりだ。
「ふむ。俺達はどれを回ればいいんだ?」
「えーとね、それじゃ『音楽室、美術室行き』のグループとそれ以外に分かれて行動する、っていうので」
「ま、妥当か。音楽室と美術室は近いしな」
「それじゃ、私は織ちゃんと……」
「あぁー、ちょっと待った」
 わざとらしく、咳払いを一つ入れる。
 わざとらしくじゃなくて、わざとなのだが。
「どうしたんだ。時貞」
「女の子同士で行って、もし何かあったら困るだろ? 此処は男がついていってやるべきじゃないか?」
 …………。
 空気が一変する。
 あれ、皆さんどうしました?
 なんで僕にそんなに注目してるんです?
「はぁ、言うと思ったよ……兄貴なら」
「素直に月夜ちゃんと行かせてください、と言えばいいものを。時貞……」
 おおげさに溜め息をつく月夜と彗人。
 織奈に至っては何も言わずに眼差しで目を細めて僕を見つめるだけ。凄く嫌な感じだ。
「でも、でも、僕が言ってるのは間違いじゃねーよ」
 そうさ、間違ってねーよ。
 やがて、織奈が仕方なさそうに小さく溜め息をついた。
「はいはい。わかったわ。それじゃ私は彗人君と行ってきます」
「いいの織ちゃん?」
「ま、いいんじゃない? やっぱり、何かあるかもしれないし。男の子についてもらってた方が何かと安全でしょ。それに、もし、襲われそうになっても私の携帯に即連絡いれれば大丈夫よ。心配しないで」 
 だから、僕はそういうのじゃなくてだな。
「ふむ」
 僕の横では彗人が腕組みをしながら織奈の後について歩き始める。
 これって、ラッキーか。
 織奈が素直に僕の発言に従ったのが気になるが――ま、気にしても仕方ないだろ。
 運が良かった。
 そういう事にしておこう。
 僕は月夜に声をかける。
「さ、行こうか」
「うう、貞操の危機……」
 小さく呟く月夜の声。
 おそらく独り言なのだろうが、夜の廊下は異様に音を反響させる。
 其の一言はしっかりと僕の耳に届いていた。
 僕はあまりにも信用がないようだ。
 男はつらいよ、か。
 僕は敢えて月夜の言葉を無視して、再度声をかけ歩き始める。
「さ、行くぞ」
 渋々、後ろからついて来る月夜。
 兄としては非常に寂しい寒空の下。
 二手に分かれた、僕と月夜。そして織奈と、彗人。
 こうして運命は二つに断絶した。 



               W 悪夢への収束



「結局二人で行っちゃったね。織ちゃんと彗人くん」
 二手に別れたのはいいが、やはり不自然な別れ方だった。
 織奈は僕と月夜が一緒に行く事について全く何も言わなかったし、彗人も彗人で何か考え込んでいるようだった。
 あの二人の間に何かあったのだろうか。
 何かあったのか月夜に『視て』もらってもいいのだが何を『視て』もらえばいいのか検討もつかない。
 まぁ、いい。
 そこらへんはなる様になる、か。
「まぁ、アイツらはお互い他人には無関心な二人だからそれなりに上手くやるだろ。僕らは僕らの仕事をきっちりこなすだけだ。そんなに心配するな。月夜」
 先程別れた方向をしきりに気にする月夜に、つとめて明るく声を掛けた。月夜はしばらく背後の静まり返る廊下を見つめていたが、振り返って、
「わかったよ、兄貴」
 と、小さく微笑んで答えた。
 その笑顔は、やはり可愛かった。
 胸にいつも焼き付いて離れない、僕が一番好きな月夜の顔だった。
「さてと、もう三つは確認したんだろ? えーと、何だったっけ」 
 僕と月夜はあれから縦に二つ階段を越え、三階の北校舎にきていた。さっき四人が揃っていた東校舎からは随分歩いてきたことになる。
 怖さはは幾分マシになっていた。
 夜の校舎への慣れのせいだろうか、それとも側に月夜が居るせいだろうか?
 個人的にはシスコンと呼ばれようとも、月夜のおかげであると思いたい。願わくば。
 ああ、麗しき兄妹愛。
 少し兄から妹に偏りすぎているが。
「兄貴。兄貴。ちょっと聞いてるの? さっきから、何一人で考え込んでブツブツ言ってるの? 怖いよ」
 ハッ。
 いつの間にか考え込んでしまっていた。
 しかも声にでていたのか。
 危ない、危ない。
 月夜に不安感を抱かせては兄失格だ。
 僕はクルリと振り返って顔と身体を月夜に向け
「どうした、月夜。僕はいつでもオマエの言うことには耳を傾けているぞ」
 と言い放った。晴やかな笑顔と共に。
 それを聞いた月夜はハァ、と溜め息をつき、あきれ顔をする。
「絶対、別のこと考えてたね。いいよ、どうせいつものコトだし。馬鹿な兄貴を持った可哀想な私」
 失礼な言葉を間に挟みつつ月夜は続ける。
「私と織ちゃんでもう二つは確認したのは知ってるよね」
「ああ、ついさっき聞いた」
「よかった。あの時は別の世界に逝ってなかったんだね」
「なんだって?」
「ううん、なんでもないよ?」
 途中の部分にまた、失礼な言葉が挟まれたような気がするのだが其処は兄としての優しさで許容。
 月夜は変わらない調子で続ける。
「其の二の内まず一つ目はね、トイレの花子さん。えーっと、北校舎の四階の女子トイレ、手前から四番目のドアを四回ノックすると花子さんの声が聞こえるって奴」
 何?
 花子さんと言えば怪談の代名詞ではないか。
「ノック……したのか」
「うん」
 事も無げにサラリと言う月夜。
 背中から得体の知れないものが這い上がってきた。
 親から恐怖の遺伝子を受け継いだのは僕だけのようだ。
 不公平だなぁ。
「で、なにかあったか?」
「ううん。何も。奥のほうから呻き声が聞こえてきただけ」
「そうか。呻き声しかしなかったか」
 想像すると怖いので敢えて僕はスルーした。
 呻き声をビビらない妹の方が怖いかもしれない。あと織奈も。
「其の呻き声はね」
 僕の切実なる意図を解さず月夜は続ける。
 やめて、やめて。
 聞きたくないよ!月夜。
 だが、兄としての威厳を保つためには声に出して其れを言ってはならない。
 我慢して耐える。
「あのね〜、その呻き声はね〜……!」
「うわぁーーああ!」
「きゃあ!」
 僕の叫び声に反射的に悲鳴をあげる月夜。
 しまった。
 月夜の焦らす様な喋り方に耐え切れなくなってしまい、ついつい叫び声があふれ出してしまった。
 やってしまった。
 僕はそのまま踊る。いや違う、蹲る。
「びっくりした。兄貴、どうしたの。何かあったの?」
 月夜はへたりこんで俯く僕の顔を覗き込もうとする。
 何か言い訳を考えねば。 
「心配ない」
 僕はスクッと立ち上がって、月夜の方を向いて告げた。
「持病だ」
 言い訳クサくならないように真面目な口調で呟く。 
「何か、突然叫びたくなるという奇病だ。現代医学での根治は不可能らしいが」
 白けた雰囲気が広がった。
 やってしまった。
「兄貴怖いなら怖いって正直に言おうよ」
 そうすればよかった。
「ああ、そのなんだ。怖いものは怖いといえない兄としての自覚と葛藤が――」
「別に構わないよ。兄貴の自覚なんていらないよ。邪魔なだけだから。怖いものは怖いって言おうよ」
「――ぁー……今度からはそうする」
 格好悪いところを見られるだけ見られて、しかも心配までされてしまった。
 なかなか寂しいものがあった。
 いいさ、いいさ。
 まぁ、こんな兄としてのお茶目さも時には必要――
「でも、怖がってる時の兄貴っておもしろいよね。細かくカタカタ震えて、無理して作った笑顔が引きつってるの。『怖い』って全身で表現できるのってある意味スゴいよ。いいもん見ちゃったなぁ」
 確信犯かよ。
 兄の威厳を蹂躙しつつ、嬉しそうな月夜。
 お茶目さも必要なんだ、お茶目さも。
 月夜の物言いに、素直に喜べない気持ちに言い聞かせて僕は
「ああ、そうかな」
 なんて薄ら笑いと共に月夜の方へ振り向いた。
 月夜も笑っていた。
 月夜が笑っている。
 何か、月夜の笑顔に違和感を感じた。いや、月夜の笑顔に違和感を感じたんじゃない。
 月夜がいる景色に違和感を感じたんだ。
 景色、月夜と壁と窓。ピントをずらしていく。
 壁には何も無い。ならば、窓だ。僕は目を凝らす。
 何だ、何かがおかしい。
「ん?」
 一階下の隅のほうに明かりのついている教室がある。
 僕はもう一度目を凝らした。
 南校舎の方に居る織奈が必死で窓を叩いている。
「月夜どけっ!」
 僕は月夜を押しのけ窓に張り付く。
 くそ、遠くて織奈の居るトコロが詳しく見えない。
「月夜、『羅針盤』を使ってくれ!」
 あ。
 横を向いた僕は気づいた。
 押しのけられた月夜は見事に顔面から転んでいた。
「痛いなぁ、兄貴の馬鹿! 何するの!」
 ごめん、月夜。
 でも謝るのは後だ。
「月夜それどころじゃないんだ。織奈達の様子が変なんだ!」
「?」
 僕は先程の織奈が窓を叩いていたところが見える位置にある窓を指差した。
 月夜は打った鼻の頭を指でこすりながら聞き返してくる。
「この窓から何か見えるの?」
 くそっ、どうしたんだ。織奈に何があったんだ。
 じっくりと窓の外を眺める月夜に苛立ちを感じる。
「何もいないよ?」
「そうだ、だから早く『羅針盤』で『視て』くれ!」
「何を?」
「だから其処から見える織奈たちの場所の状況を! オマエなら『視える』だろ?」
「ええと、織ちゃん達……? ていうか誰もいないよ」
 なんだって?
 こちらをキョトンとしたカンジで見ている月夜。
 僕は耳を疑った。
 イナイ?イナイってなんだ。      
 僕は窓に掴みよりもう一度さっきと同じトコロを見た。
 何も居なかった。
「なんでだ! 僕が見たときは確かにいたのに!」
「はは、兄貴、多分からかわれたんだよ」
 月夜が窓の外を見て呆然としている僕に後ろから笑いかける。
 僕はもう一度だけ、外を見回した後窓から離れた。
 ――まぁアイツらがやりそうなコトと言えば分かる気がする。 
 でも『織奈が必死で窓を叩いていた』。
 僕が感じた違和感はこれであっていたのか。
 何か見落としていたような気がする――何かが無性に気になる。
 一応月夜に『視て』もらっておくか。 
「月夜」
「なに?」
 僕が考え事をしている間に、何処かへ行こうとしていた月夜を呼び止める。
 『何処へ行くんだ?』と話しかける前に、とりあえずの用件を告げた。
「頼みごとできないか?」
 月夜は振り返って一瞬不満そうな顔を見せ、聞き返してきた。
「どんな事?」
「北校舎の二階、一番左端の教室の中の様子を『視て』欲しいんだ」
「様子を『視て』どうするの?」
「僕が直接、織奈の様子を確認してくる。だから、僕が向こうに辿り着くまでの間に何があったのかを見て欲しいんだ」 
 其れを聞いた月夜は手を顎に当てて考える仕草をした。
 何かあるのだろうか。何処かへ行こうとしていたし。
「月夜、どうしたんだ?」
「えーっとね」
 控えめに話しだす月夜。言いにくい事でもあるらしい。
 普段より声のボリュームが若干小さい。 
「今、私が何処へ行こうとしてたか、わかるよね。」
 僕は織奈じゃないんだ、わかるはずないだろ。
 心のツッコミは月夜に届くはずも無く、言葉は続く。
「でね、用件は其の後にして欲しい……んだけど……あの教室を『視る』と『力』を二重発動しなきゃならないでしょ? だから安定した状態で使わなきゃならないんだよね……。要は一箇所でじっと動かずに使うってことだけど」
「其れぐらいなら知ってるよ。何か心配なことでもあるのか?」
 織奈は暫く視線を宙に彷徨わせていたが、思い切ったように口を開いた。
「えー……っと、傷つかないでね」
 オマエの言う言葉で僕が傷つくものか。
「怖がりな兄貴が、あそこまで一人で行くつもりなの?」
 わぁ、いつもながらにダイレクトな発言。
 ……ザックリ傷つきました。
 アハハハ、痛いなぁ、もう。
 僕は極力落ち込んだことを悟られないように、明るく言葉を返した。
「大丈夫だ。これぐらいのキョリなら心配いらないよ」
「わかった。それじゃ、ちょっと行ってくるね。すぐに帰ってくるから。其の後に『視てみる』よ」
 む。
「さっきから気になってたんだが、何処に行こうとしてるんだ?」
 振り向いてギロリ、と睨まれた。
「顔洗いにトイレに行くの!」
 ああ、なるほど。
 そういや、さっき地面にダイレクトでぶつかってたからなぁ。
「何か言う事はないの? 女の子は顔が命なんだよ?」
 ホント申し訳ない。
「すまなかった。月夜」
 両手を顔の前に合わせて謝る。
「いいよ。許してあげる」
 月夜の声はいつものトーンに戻っていた。
 もっと怒ってるのかと思っていたけど、ホッとした。
 僕の自慢の妹はこうも優しい。
「そのかわり明日、学校の帰りに何か奢ってよね。彩華堂のクリームあんみつとか」
 学校の帰り道にある其れなりに有名な(時々TV局が取材に来る)甘味屋の人気メニューをドラフト一位指名された。
 あれ、千円以上はしてたと思うんだが。  
 奢るの?僕が。
「いや、とは言わないよね」
 まぁ、あれは焦ってたとはいえ僕が一方的に悪かったしな。
 仕方ないだろ。
 かわいい妹と一時のふれあいの時間を作れたと思えば、財布も痛くない、コトはないが――いいだろう。
「わかったよ。奢るさ」
 僕は手をひらひらさせながら答える。
「ありがとう、兄貴」
 満面の笑みを浮かべる月夜。こうも純粋に喜ばれると嬉しい。
「早く言ってこいよ」
 そう言って月夜の後姿に声を掛ける僕の顔は緩みきっていたに違いない。
 
 ――5分後――

「遅いよ!」
 僕はイライラし始めていた。
 やはりイタズラかもしれないとはいえ、心配な事は心配なのだ。
 彗人の携帯に連絡をいれても繋がらないコトも苛立つ要因の一つだった。さっきの違和感は、織奈と一緒に行動しているはずの彗人が見当たらないコトだったのか、と今更ながらに気づいた。
 十メートルほど向こうから、手を拭きながらやってくる月夜は、
「今から『羅針盤』で『視る』からちょっと待ってよ」
 と言って廊下の壁にもたれて座り込み、ゆっくりと目を閉じる。
 僕は月夜がそうやって集中していくのを見守っていた。
 月明かりで仄かに明るかった景色が暗転してゆく。
 どうやら、雲が月を隠してしまったようだ。
 僕と月夜二人だけの空間。暗闇で満たされてゆく。
「兄貴、今『羅針盤』の二重発動に成功したから、もう行っていいよ。どうなってるかは、携帯で兄貴が織奈ちゃん達のトコロに向かってる間に報告するから」
 其の言葉を聞いた僕は、ポケットから携帯をとりだした月夜に合わせて自分の手にした携帯から月夜へ回線を繋げた。
「じゃ、行ってくる」
 電話越しにそう告げる。
 月夜は目を閉じたまま、親指を立ててOKのサインを僕に返した。 
「さてと」
 スッと大きく息を吸う。
 次の瞬間、僕は走り始めていた。
 遠ざかる月夜の気配を背中にカンジながら。
 
「ハァ、ハァ、ハァ」
 息弾ませ廊下をひた走る一人青春小僧。
 僕らの通う高校は地区でもトップクラスにでかい。
 ただ一階降りて向こう側の端の教室にたどり着くことにさえそれなりに時間がかかる。 一分は走っただろうか?
 暗澹たる行く先にまぎれて自分の時間感覚がおかしくなりそうだ。揺れ続ける携帯のライトが自身の現在位置を確認させる唯一の光だった。
「兄貴。聞こえる?」
 刹那に安堵する僕。一時の安心感はこうも容易く得られる。
「聞こえるよ」
 応答する声は少し震えていたかもしれない。
「あのね、織ちゃんと、彗人君がいるんだよね? あの部屋に」
 ああ、そうだ。僕は確かに見た。彗人の姿は見ていないが。
「移動してなきゃいるだろ。どうかしたのか?」
「うん……」
 電話越しに会話の間を取る月夜。   
「あのね、ちょっと変なんだ」
 変?変ってどういう事だ。
「視れないの。あの部屋の中の様子が」
「どうして? 二重発動しているせいか?」
「其れもあるかもしれないけど――よくわからない。何かに遮られてるみたいに見えないの」
「ふーん」
 今までそんな事はなかった。やはり、何かが起こっているのだろうか。
 ジリジリと足元から冷えるような感覚が湧き上がってくる。
「そうか。ならいいや。ごめんな、わざわざ」
「うん。別に構わないよ。気をつけてね、兄貴」
「わかった。オマエこそ何かあったらスグ電話しろよ」
 僕はそう言って携帯を切った。  
 月夜が視れなかった部屋。
 織奈と彗人は其処に居た。
 織奈の姿しか確認していないが、おそらく彗人も居るはずだ。
 リノリウムの床を蹴る足に一段と力がこもる。
 僕はひたすら走り続ける。
 
 孤独のrunning high。


    
               X 羅針盤における仮定理論



 僕はかなり焦っていた。
 月夜を一人で残してきたことも原因の一つだ。そして、彗人に連絡がつかないのも其の一つだ。
 極めつけは織奈の必死さが僕にはどうしても演技には思えなかったからだ。
「急がないとな」
 誰にでもなくそう呟く。
 段々と例の教室に近づいてきた。あの、織奈が叩いていた窓のある教室だ。
 位置はきっちり把握してきたので間違いなかった。
「うわ」
 『いやだ』教室の前に立った瞬間そう思った。
 本能が揺さぶられる――『開けてはいけない』
 空気が俄かにしめってくる。
 ぬめるように肌にまとわり付いてくる。
 僕は其れを無視して引き戸に手を掛けた。
 身体が心から冷えてくる感触。鳥肌が立つ。
 『ダメだ』
 でも、開けないわけにはいかない。
 僕はゆっくりと大きく深呼吸を一つした。そして一気に開く。
 真っ暗闇の世界が口を開けて待っていた。
 踏み込む。目が慣れない。神様がくれた準備期間。
 見てはいけないものを見てしまうまでの長い助走キョリ。
 やがて一番明るい手前から視界が開けてくる。
「うわっ」
 心臓が飛び跳ねた。
 何かが蹲っている。恐る、恐る近づいてみる。
 地面に付きそうなくらい長い髪を持った人間が小さく丸まっていた。これは……織奈か。
「織奈――大丈夫なのか?」
 よくある探偵小説の主人公なら『大丈夫か!』なんて声をかけるんだろうが――とか思いながら控えめに声を掛ける。
 生きてるよな。
「……生きてるわよ、臆病なお兄さん。私は」
 よかった。
「良くないわよ。彗人が、彗人が……」
 涙声が教室に響きわたる。
 ああ『私は』ね。それじゃ『彗人』は。
 何が起こったかわからない空間。ぽつりと取り残されるように二人と一コ。
 区別は生命体と非生命体。
 ――それだけ。
 僕はゆるりと首を回して見た。ありえない所から僕を見下ろす彗人の顔。
 目は瞑ってたから、見下ろすはおかしいか、なんて場違いな思考。というより、別のことを考えてなければ悲鳴一つですんでいたのかわからない。
 じっくりと見る。目線の位置に垂れ下がったやる気の無い二足の靴。さながら空中遊泳。
 重力に逆らったあげく倒れてしまった椅子が近くに転がっていた。
 トリックはいたって簡単――首に掛けられた縄。
 あはは、此れじゃ2流もいいとこだ。
 もういい。
 疲れがドット出てきた。僕の理解の範疇を越えている。  
 織奈は、彗人は一体何をしていたんだ。
「私は」
「聞きたくないね」
 聞きたくない。それがどんなものであっても。
 聞けば必然的に運命に巻き込まれる。繰り返すのはゴメンだ。
「でも、聞いて」
 君はサディストか。僕は聞きたくないって言ってるんだ。 
 狭い空間をあとにする。
 息が詰まりそうだ。
 彗人、君には悪いが死んでしまった君は僕に不快感しかもたらさない。『遠ざけたい男 No.1』にランクイン。
 とりあえず、月夜の元に戻る事にする。
 戻って警察にでも連絡すれば、怒られ、同情され、全ては丸く収まるという希望観測がたつ。
 一番幸せになれる未来は『羅針盤』で見てもらえばいいことだし。
「よし」
 僕は月夜を慰める言葉だけを考えながら歩いていく。
 一歩踏み出そうとした時、後ろから肩を掴まれた。
 振り向くと織奈が青い顔でこちらの顔を睨んでいた。
 『花子さん』より怖いぞ、その顔。
「別に構わないわ」
 さいですか。君は僕に用があるらしいが、僕は君に用など無い。
 ほっといてくれ。
「……っ! アンタは何も感じないの? 親友でしょ? 親友が死んだのよ?」
「君が最期を看取った。それで十分だろ?」
 僕がそう言い放つと、織奈は俯いて唇を噛んだ。
「彗人がなんのつもりで自殺なんてしたのかは知らない」
 そう、何の脈絡も無く此処に来る予定も偶然の産物。
 話のつながりが全然見えてこない、あっけない彗人の死。
「でも、オマエが、共に行ったオマエがヤツの最期のシーンを見てるはずだ。見ては居なくとも、オマエならアイツの最期の心境を『読めた』はずだ」
 言い切ると漆黒広がる廊下の先へとまた歩き出す。
 月夜が一人で待っている場所へ。 

「――ない」
 織奈が後ろで何かを呟いている。敢えて無視した。
 ろくな言葉ではあるまい。僕はキョリを広げていく。
「知らない」
 足が止まった。今の一言が僕の足を止めた。
 よく、よく聞こえなかった。そういうわけでもあるまい。
 だが、其の一言は確実に思考を蝕み始めた。
 『知らない』――知らないってなんだ。
「聞こえなかった。もう一回」
 僕は振り向き、立ち止まってこちらを見つめている織奈に問いかけた。
 本当に、聞こえなかったわけではない。確認がとりたかっただけだ。
「知・ら・な・い。そう言ったのよ」
 涸れた声が一文字一文字区切って答える。
「そうか」
 僕は其れを聞いて肩をすくめて尋ねる。
「なんでまた?」
 よく考えなくても、疑惑が深まるばかりの死だった。
 一緒に居たはずなのに、クビツリ。
 不可能だ。しかも決定的な不確定要素を有している。
 まず、織奈と別れなければならない。
 しかも、例えばトイレに行く間の時間など、四、五分以内では実行できないコトだ。
 それにステージをセットする時間が必要なことは元より、もし即死できない時のコトを考えると、だ。
 絞首自殺は足場がなくなった瞬間に首の骨が骨折したり、喉の大動脈などが圧迫されるが故、一瞬で死亡が確定しほとんど苦しみを感じない、と言うのが基本ではあるのだが、例外的に窒息死するという場合もある。となれば死亡まで結構な時間を要する。
「…………」
 まぁ、アイツのコトだしそういうトコロはぬかり無く即死方法を選択する、とは思うが。やはり不自然だ。原因がわからない。
 というよりも、ありえない。
 此処にきた偶然と、彗人が自殺したという現実。
 どう足掻いても繋がらない。
 歩き出そうとはするものの、どうしても足が動かない。
 かといって立ち止まったところでいい考えは浮かばず、また歩き出す。傍目には牛歩戦術。
 繰り返される思考の混沌の渦。
 展開、疾走、構築、証明。
 だが、どれをとっても不完全な『解答』しか有しない。
 考えれば、考えるほど泥沼。
 早く月夜のトコロに帰りたい、と言う気持ちも思考の邪魔をしているのかもしれない。兄妹特有の回帰願望が僕を攻め悩む。
 麗しき兄妹愛。
 流石にこの台詞も飽きたか。
「なんて、馬鹿なコト考えてる場合でもないよな……」
 彗人の自殺の理由。非建設的なロジカルに翻弄される僕。
 諦めたい。全部投げ出したい。
 だけど――彗人が最期に何を思っていたのかはすごく気になる。
 親友が自殺の寸前に何を自分の存在に定義していたか。
 其れを解く鍵は、
「織奈」
 隣の織奈の方を向く。
 気づかない内に僕は階段のトコロまで歩いてきていた。緑の非常看板の明かりが僕らを薄く照らしている。もう此処からでは死臭漂う彗人が居る教室は見えない。
 異様な空間から抜け出したようで、少しホッとした。
 それだけ確認すると言葉を続ける。
「彗人の最期の心の声を聞いてないんだよな」  
「そうね。私が彗人を見つけたときには、完全に死んでたわ」
 織奈ほど人の生死を明確に判定できる人間はいない。
 『心の声を聞いているから』だ。
 その織奈が彗人の死を確定した、ということは、
「ええ、精神から死んでいたみたいね。身体に触れなくても、すでに『心呼吸』で彼の声は捉えられなかったわ」
 なるほど、其れは分かった。
 もう一つ気になること。これが一番気になる。
「最期の声を聞けなかったのはなんでだ?」
 共に行動していたはずの彗人はどうして自殺できたのか。
 これはもちろん織奈と離れたからに過ぎないが、離れて行動した事には理由が存在するはずだ。
「それは……」
 織奈が口ごもる。露骨な反応。
 普通の推理マンガなら、僕の頭の辺りには『キュピーン』なんてダサい擬態語がくっついてもおかしく無いぞ。  
 でも、一筋縄で行かないのが現実ってもんだ。
 これで織奈が彗人の自殺になんらかの関係があったなら一件落着、で楽なんだろうが。「トイレにでも行ってたのか?」
 織奈はハッと顔を上げる。少し頬が赤い。
 ビンゴか。
「どうせ、時間掛けてたんだろ」
 月夜と同じコイツも女の子だ。
 鏡を見て自分の髪をちょっと弄ったりぐらいはするはずだ。
 そこから推察するに、やっぱり彗人と分かれていた時間は、
「5分弱、ってとこか――」
 …………。 
 結局、振り出しに戻っただけじゃねーかよ。
 無駄な思考も良いとこだ。馬鹿の考え休むに似たり。
 どうも彗人の最期の瞬間に立ち入るのは、月夜の『羅針盤』に任せるしかないか。僕の『力』を使ってもいいのだが。
 どうせなら、全部解決してから使った方がいいだろ。
 と言う事で、
「決定」 
 今すぐ月夜のいるトコロに帰る。それが解決策。一番の打開策。
 謎も解けて、月夜にも会えて二重殺。 
 いや、自分で考えるのが面倒くさくなった、と言うワケではないですよ? 
 とか自分言い訳を挟みつつ、僕は歩き出す。
 結局親友といえどもそんなもんだ。其れぐらいが等身大の付き合い。
 死ねば関係なんて無い。水と鉄とタンパク質の塊。僕にはそれ以外のモノには見えない。
 そんなモンのために、右往左往、四苦八苦するより自分の灰色の脳細胞を労わってやる事の方が重要だ。
 僕は額に手を当てた。軽く頭を抱える。
『ああ、流石に不謹慎だな』
 左からの織奈の突き刺す様な視線に合わせてそう思った。
 廊下も、現在地も、謎解きも、この世も、僕自身さえも暗夜行路。
 どうせオマエが言いたいのは彗人に弔いの言葉位かけるべきだ、といったものだろう。「そうよ」
 織奈の口調は怒りで強張っている。
 あまり、怒らせても仕方ないので答えておく。
「わかったよ」  
 ましてや、そんなものに救いがあるとは全く思えないが、そこまで言うのなら仕方が無い。
「さよなら、彗人。暫くの別れを」
 短い一言。僕の思いのたけを込めた、刹那の一言。
 というか、これぐらいしか気の利いた言葉は浮かんでこなかった。なんせ、早く生きている月夜に会いたいもんで。
「アンタは人でなしね」
 織奈の短い一言。何を言う。
「今更知ったのか。僕は元々こういうヤツだよ」
 未来も過去も無い僕らにとって、現在だけが全てだ。余計なコトに時間を割いているヒマはないんだ。
 知っているだろ?
 織奈、オマエも。そして、未来があるのは月夜にだけだ、ということも。
 月夜は未来を見る力を持っている。
 未来に対して最善の結末しか得られない力を持っている。
 だから最善の結末を生きる事と見なすならば、月夜は死ねない。
 そして月夜が生きるコトを選び続ける限り、月夜は死なない。
 でも、僕らには未来に辿り着ける翼なんて無い。
「今しかない僕らがどうして彗人のコトを心に残して、いつまでも悲しんでいられるんだ」
 終わったヤツの運命なんて僕には関係無い。いつの間にか、僕の足は歩みを止めていた。 
 ポケットで携帯が儚げな振動を僕に伝えていたからだ。おそらく月夜からの電話だろう。
 着メロが高音キーで某沖縄出身バンドの名曲を垂れ流す。
 月夜とカラオケに行った時、よく二人で唄うお気に入りの曲だ。
「はい、もしもし」
「あ――もしもし兄貴――」
 声が小さい。しかも微妙に震えている。
 電波状況が悪いのだろうか。
 でも、さっきかかって来た時にはそんなこと無かったのだが。
「どうした、月夜。声がちょっと聞き取りにくいんだけど」  
「兄貴、ね、はは――私、どうすればいいの――」
 月夜の様子がおかしい。右手の携帯の感触がずっしり重くカンジる。
 そのまま、握り潰してしまいそうな程、僕と月夜を繋ぐ唯一の手段は頼りなかった。
「……月夜。何があったんだ」
「私、私、視たんだよ」
「何を? 何を視たんだ?」
「私の……――『プツッ』」
 そのまま携帯は不愉快な電子音を残して沈黙を告げた。
 僕は呆然として携帯から手を離す。
 何故僕は携帯から手を離したんだ?
 感覚がイメージに追いついていない。理性を残らず吹き飛ばした残像の中で僕は呻く。
「ねぇ、月夜ちゃんに何があったの?」
 横で囁く織奈の声でさえも過去色のモノクロームの幻影。
 終わりが迫ってきている気がする。肌がピリピリする。
 異様なほどに、大きく響く携帯の落下音。
 『カツーン』 
 僕はその音と同時に走り出した。
「ちょっと、待ちなさいよ!」
 後ろに残した、妹の親友の声の中に、あるはずが無い月夜の悲鳴を聞きながら。いつものように僕の勘が外れている事を願いながら。
 
 
 僕は走った。
 さっきの十倍ぐらいのスピードで走っているはずだ。当社比。
 『行きはよいよい帰りは怖い』
 馬鹿馬鹿しいフレーズが脳内で繰り返される――クソッ。遠い。
 疾走する速度に反比例して、月夜までのキョリが伸びていく気がする。階段を3段飛ばしで昇っていく。
 廊下の窓を一つ追い越すごとに増える心拍数。  
 僕は必死で、必死で、必死で。
 駆けて、駆けて、駆けて。
 ようやくたどり着く。
 月夜が笑顔で迎えてくれるはずの廊下へ。
 ――誰も居なかった。
 冷や汗が背骨の上を通過してゆく。
 月夜を探して視線を彷徨わせると、月夜が座っていたはずの場所の真向かいの教室、後ろ扉近くに、ピンク色の携帯が落ちていた。
 月夜のものだ。
 もちろん此処から結論づけられるのは、何故かは知らないが月夜が教室の中に入って、其の時に携帯を落とした。
 そう、考えるのが妥当だろう。
 だが、僕の脳裏には違う顛末がよぎっていた。
「さて、天国へと繋がるか、賽の河原へと逝く道か」
 僕は息を整え額の汗をワイシャツの袖で拭い、襟を整えた。
 月夜にカッコ悪い僕は見せられないから。言い訳くさい祈りの行為。 
 そして
「よし」
 掛け声と共に、扉の取っ手に手をかける。
 運動作用をそれ程必要としない引き戸に、すぐ開かないようにゆっくり、ゆっくりと力を込めてゆく。
 恐怖と、焦りのハザマで揺れ動く魂。右腕の上腕筋が震える。
 其れは空気にダイレクトに伝わるかのようだ。
 …………。
 でも、もう分ってるんだ。
 どうせこの扉の向こうには、ありえない世界が待っている。
 僕らの『力』なんて矮小なものではどうしようもない、逆らいがたい運命の矛先が。悪戯な神様の書いたシナリオが。
「なんて馬鹿なコト考えてる僕はどういう顛末がお好みなのやら」
 一度上を仰ぐ。闇色のすすけた天井。
 仰いだまま息を止め、勢い良く一気に扉を開いた。
 ――ガラララッ。
 軽かった。存在の耐え切れない軽さ。
 『一枚板では結局世界に区切りをつけることなんてできない』
 『見たくないモノほど、見過ごす事はできない』
 そう告げているようだ。ふと気づくと、周囲の存在感が希薄になっていた。
 僕が走り出した瞬間に振り切ってしまったのだろう。
 あの長い髪の鬱陶しい少女は居なくなっていた。
「ホント、肝心な時に訳に立たねぇな」
 ああ。 
 ならば震える僕の足を支えてくれる人は誰もいない。
 今更のように恐怖が僕の心臓を汚染していく。
 鼓動はさながら汚染されていく様子を実況中継。
 引き戸のレールが現実と虚構の一線のようだ。
 越えれば、もう帰ってこれないような気がする。 
 ……だとしても逝くしかないだろう。何があろうとも。
 僕一人で終わらせるしかないだろう。此処には僕しか居ない。
 ジリジリとすり足で空気を掻き分け部屋に侵入する。
 乗り越えたレールの硬い感触が足の裏に残る。
 上に向けたままの視線をおそるおそる下げていく。
 前方を確認したくないがため閉じた瞼を、なけなしの勇気でこじ開けてゆく。
 
 そして、薄く開いた目で僕は見た。
 
 窓から差す一条の白い光を浴びながら横たわる月夜の姿を。
 木製の床に広がる、極彩色の赤と茶と黒を。
 やがて、完全に開いた目が捉えた。死ぬ事の無い妹の、この世に永遠の別れを告げた姿を。
 最善の未来を選択しつづける者としての、あっけない最後を。
「は。なんだよ、こりゃ」
 僕は視線で月夜の身体を捉えながら呻く。
 月夜自身の最善の未来は月夜自身の死だって?
 ――何の冗談だ。
 笑いが込み上げてきた。あわてて口を手で塞ぐ。
 真っ白な世界に一人で立ちすくんだまま、脳内で羅針盤の針が定まらずクルクル回るのを実感する。
 ぶっ壊れた、未来の行く末。
 静寂の空間に存在したのは、それだけだった。
 
 道標を無くした僕のBad End.



               Y 量産型連立方程式



「ホントくだらない冗談だよ」 
 見渡す。血の海。いや、血の水溜り。
「月夜。オマエは死なないんじゃないのか?」
 沈黙。空気は僕の声の波紋しか残さない。
「死なないはずのオマエが、なんで死んでるんだ?」
 片手落ちになった僕はどうすればいい?
 オマエに付いていきさえすれば、終わりはやってこないと信じていた哀れな僕はどうすればいい。
「何勝手に死んでるんだよ?」
 月夜の身体から目線を外さず、歩み寄りながら問いかける。
 悼みの嗚咽など噛み殺す必要も無く――答えろ。『羅針板』でいつものように視ろ。
 未来のない僕の未来を。告げろ。馬鹿のように告げ続けろ。
 其れが無ければ、僕はオマエを愛せない。
 ギブアンドテイク。其れも一つの麗しき兄妹愛。
「ハハ、痛いなぁ」  
 僕は月夜の側に跪いた。
 全ては破壊に直結している。
 悪夢は連鎖する。
 一人取り残された部屋で涙と血に塗れながら絶望を堪能する。
 歪んだ運命が存在している気がした。
 彗人と、月夜の死。
 まるで自殺した彗人に連鎖するように月夜までが死んでいる――今回は他殺だが。
 腹部の大幅な損傷による出血過多。現代医学では修復不能の爪跡。
 僕は笑うしかなかった。
 笑うことで現実から目を逸らすしかなかった。
 僕は泣くしかなかった。
 泣くことで現実を思い知るより他無かった。
 絶望、終焉、後悔、永遠、殺意。
 全てを入り混じらせて、一人であがき続ける無間地獄。
 翼を持たない癖に、ヒトであり続けようとする僕。
 何もかもが不完全で、未完成。
 月夜の溢れ出す温もりで血塗れの僕は嗚咽と嘔吐を繰り返すしかなかった。
 

「う」
 目を覚ますと織奈が目の前に立っていた。
 天井にでも立っているのか?上下が逆だぞ?
 あいかわらず、非常識なやつだ。
「何を言ってるのよ。アンタが倒れてるだけよ」
 何を言ってる。
 僕が倒れてるだけだって?
 周囲を確認する。背中に壁がくっついていた。
 丁度重力と同じ重さで。
 …………。     
「マジで僕は倒れているのか?」
「うん、そうよ。体中血塗れで」
 そうか、身体中血塗れか。
 あれは夢じゃなかったんだな。遠い昔のような悪夢は。
 織奈が僕の顔をマジマジと見てくる。
 僕の顔はいざ知らず、織奈の顔は涙と汗でベタベタだった。
 顔ぐらい拭けよ、と言おうとすると先に織奈が、
「もしかして此れアンタがやったの?」
 と、沈んだ声で問いかけてきた。
 僕が月夜を殺したと思っているようだ。
 ま、当然か。
 真紅に染まる僕の体を見れば誰だってそう思うに違いない。
 だが、それよりも、僕には織奈の表情の方が気になった。
 彗人が死んだときにも泣いていたが、今度も親友の死を悼んで泣いていたらしい。
 よく、泣き疲れないもんだ。
 泣いたって無駄なのに。泣いたって生きてる人間には同情しかもたらさない。
 憐れまれたかったら一人で泣きやがれ。所詮は織奈も女の子、といったトコロか。
 気づくと織奈が僕を睨んでいた。
 おそらく『なんでアンタはそんな考えしか持てないの』みたいなカンジで僕のコトを責めたいのだろう。
 勝手に思うがいいさ。人の心の中に土足で踏み込みやがって。
 僕は睨んでくる織奈から顔を逸らし、答えてやる。
「いや……、多分違う」
 死体の位置を動かしたのは僕だが。
 床についた手を支えにしてゆっくり起き上がった。
 辺りを見渡すと隅の方に血を引きずった後を残しながら月夜の体が窓の下に転がっていた。
 夜のデパートのショーウィンドウなんか飾ってあるマネキンを横たわらせると似ていると思う。もう、カワイイとか、守りたいとか、死んだから悲しいとか、そういう感情は抱かせない無機質な姿。
 妙に気分が清々しい。
 外を眺めようとすると、タイミングよく影が差した。
 ――なんだ?
 視線を上にずらすと、僕を上から覗き込んでいた織奈が僕の真正面、窓のある方に立っただけだった。 
 どうやら、月夜の死体の側に近寄って黙祷をあげているようだ。
 月明かりに照らし出された髪が銀色に映えて綺麗だ。
 外を見ようとしていた僕にとっては、思いっきり邪魔だけど。
 そういえば、
「織奈……」
「何?」
 月夜の身体に目を向けていた織奈が顔を振り向かせる。
「――いや、なんでもない」
 僕と分かれている間、何か変なものでも見なかったか、そう聞こうとしたのだが……。
 スッと織奈の身体が横にずれた。
 再度、僕の目に飛び込んでくる紅く塗りつぶされた月夜の死体。
 穏やかな顔をしている。本当、死んでないみたいだ。
「……そんなことないわ。気のせいよ」
 本当にそうなのか。
 問いかけるように、一度ジックリと織奈の横顔を見つめた。
 今、この僕の心の声を聞いているのか、聞いていないのかは分らない。目線はずっと月夜の方を向いたままだった。
 物憂げで、労わる様な、慈しむ様な、複雑な表情を浮かべる織奈。
 僕以外の生き残り。
 僕がこの話の主人公ならば、こう考えるだろう。 
 『織奈が殺害したのではないか』と。 
「いや、不可能だな」
 小さく呟いて、自らの考えを即座に否定した。
 織奈を疑うなんて、どうかしている。
 月夜と織奈は親友で、とか言う以前に無理だ。
 月夜の死体を発見する直前まで、僕と一緒に居たという鉄でできた時間の壁がある。
 これでは生きている月夜を最期に見た僕の方が、よっぽど真犯人らしい。
 ということは――もし、もし僕が二重人格で自分でも気づかない内に殺人鬼としての一面を持っていると言う場合を除けば、これで僕と織奈は犯人から外れる。
 嫌な感じだ。此処から導き出される答えは一つしかない。
「この学校の何処かに月夜を殺した奴がいる」
 純然たる事実が転がりだした。
 僕の浅はかな知恵でさえ導き出せるような答え。
 やだなぁ。
 神様、どうか僕だけでも助けてください。なんて不謹慎なコトを祈ってみたり。 
 ああ、これで残り二人。
 どっちが先に死んでも、全員死ねば、話の顛末は『そして誰も居なくなった』。
 今時マザーグースまがいの殺人は流行らないぞ。
 時代遅れだッつってんだ。
 犯人に一言、言ってやりたかった。
 いや、別に犯人にしてみれば全くの言いがかりだろうが。
 第一おかしいだろ?
 なんでこんな短時間にポロポロポロポロ人が死ぬんだよ。打ち切り寸前のマンガみたいに端折るなよ。わけわかんねぇよ。
「そうね」
 僕の暴発寸前の思考は織奈の冷めた声によって、一気にクールダウンする。 
 あまりの不条理さに切れる寸前だった。
 織奈のナイスフォローだった。
「わりぃ」
 僕は短く呟いた。
「いいわよ、別に」
 織奈も短く返す。
 僕にとってこの空間は異常すぎた。
 月夜が目に入るたびに、意識が揺らぐ。
 一度ここから出た方がいいのかもしれない。
「ふぅ」
 僕は溜め息をついて力なく肩を落とす。
 リストラされたサラリーマンの心境に似ているかもしれない。
 行く末と、目的地を失った、孤独さ。
 誰彼もから追い詰められるような現実。
 自殺するのもうなづける。自殺か……。
 彗人もこんなカンジで苦しんだのだろうか。
 僕は教室を出ようとして引き戸に手を掛ける。後ろをチラと振り向いた。
 織奈はまだ月夜の側に佇んでいた。
 暫くそっとしておいてやろう。
「あれ?」
 僕は彗人の自殺の瞬間を思い出していた。
 クビツリ自殺。殺されたわけではない。
 なのに。なのに今この時になって思い出してみると。
 ――おかしい。『何か』おかしい。
 僕はもっと深く記憶を探ってみる。
 クビツリ自殺……?。あれが?
 おかしい、絶対に間違っている。
 僕は口に手を当てた。震える声が漏れ出しそうだった。
 あの時気づけなかっただけだ。
 もし、もしそうだとしたら、もしかして彗人は?
 ……もしかして。
 悪寒と悪意を感じる偽りに気づいた。
「織奈!」
 そう叫んで振り返ろうとした瞬間
               
                  ブシュッ
 
 …………。
 肉が切り裂かれたような効果音。
 ――息が苦しい。
 ――視点がブレる。
 なんでだ?
 急に荒くなった呼吸音の中、僕は耳を澄ました。
 『ピチャ、ピチャ……』 
 下のほうから水滴が落ちる音が聞こえる。首を下に傾けた。  
 『何か』でかくて長いものが僕の腹に突き刺さっていた。
 痛みは、無かった。 
 おそる、おそるそれに手を伸ばしてみる。
 冷たかった。月夜の身体と同じ温度だった。
 其れを確かめると段々と寒くなってきた。
 流れ出す血はこんなに暖かいのに。
 なんで僕はこんなに凍えそうなんだ?
 意識が混濁してくる。
 僕は
     僕は
         ボクハ
              ボク
                  ボ……――
                         ドサッ
 重たいものが倒れる音が狭い教室に響いた。
「意外と最悪の存在もチョロかったわね」
 軽やかに歩きながら、ピクリとも動かなくなった時貞の腹に手を差し伸べる。

                   ズルリ
 
 抜き取った独特の光沢を持つ刃は鮮血でどす黒く染まっていた。
 月明かりの下。
 織奈は最悪の『力』を持つ兄妹をこの世から葬り去った。 



  Z 背徳者の Q.E.D



「これでチェクメイト」
 織奈は呟いた。月明かりが美しかった。危険性のあるものは、ほとんど片付けた。運任せの計画は遂にフィナーレを迎えた。
 計画――計画ね。
 果たして計画と呼べるほどのモノが存在したのだろうか。
 ましてや『力』を持つものに計画などというものが通用するのだろうか。なのに、全ては上手くいってしまった。爽快感など何も無かった。圧倒的な不快感が残っただけだった。 
 不快感――焦燥感といっても良いかもしれない。
 運命が『そうさせた』としか思えない感触。サイコロを振っても必ず1の目しか出せないような。
 嫌な予感がする。
 最後の最期に何か途轍もないような倒錯劇が起こりそうな。 
 
 ――ガラッ
 
 ハッと振り向く。一瞬思考が止まった。人影が引き戸から侵入してくる。
 入ってきたのは首を吊って死んだはずの彗人だった。彗人は爽やかな笑みを湛えてたまま、
 
 ――ガラッ
 
 後ろ手で引き戸を閉めた。
「君の計画は杜撰すぎたよ。よく此処までこれたものだ」 
 彗人は手を広げながら近づいてきた。どうやら『まいった』というジェスチャーらしい。
「時貞と月夜ちゃんを殺して欲しい物は奪えたのか?」
 彗人は眼鏡をゆっくりと外しながら、世間話をするかの様に言葉を重ねた。
「ふむ。そして、最後に俺を殺して君は何を手に入れるのかな?」
 
 ズクンッ……
 
 核心をつかれ一気に心拍数が高まる。それは、それは私は、
「『誰にも言ってなかったのに』かい?」
「えっ」
「はは、やっと仕返しができたな」
 私は焦った。
 御影彗人の『力』は『天才製造機』だけのはずだ。
 なのに今『心呼吸』を使ったかのように心の中を見透かされた。
「ふむ。月夜を殺した共犯者の俺を殺そうとする徹底ぶりは、非常に好感が持てるね」
 言いつつ近くの椅子をズズッと引いて腰掛けた。咄嗟にポケットの中に手を入れる。獲物の確認、この状況でその行為が一番正しいと思えた。最も未来に繋がっていると。
 そんな私の仕草を見て、彗人は首を振る。
「ああ。もう君が『魔銀錬金』製のナイフを使う機会はないよ。どうせそろそろ全てが終わるから」
 汗ばむポケットの中の手。ナイフを使おうとした事さえ読まれている。
 根こそぎ自分の感覚が知られてしまう。
 何故?
 焦る。焦る。焦る。焦る。
 時間がいつもの2倍早く流れている様にも、遅く流れているようにも感じる。こめかみを冷や汗が伝う。唇を目いっぱい噛む。じんわりと鉄の味が広がった。
「君の『力』か。ホントはどれがホンモノなのやら。俺にはわからないが……一つ言えることがあるね」
 落ち着いたまま続ける彗人。異様なこの空間で安穏としていられる感覚が無性に苛立つ。今すぐにでも殺してやりたかった。右手のナイフで心臓を貫いてやりたかった。そんな憎悪まみれの視線を叩きつけてやると、彗人は一つ小さく溜め息をついた。
「君はもう少し落ち着いて人の話を聞くべきだ。俺を殺すのは其の後でもいいだろう?」
 彗人が心臓の辺りを親指でトントンと叩く。
 また、読まれた。
 読むのは私だけの『力』なのに――!
「君の『読む』力。名前は『心呼吸』だったかな?」
「そうよ」
 『心呼吸』――人の心を欺き続けるための『力』。
「俺も似たようなものならば使えるんだ」
 私は彗人が語りかける言葉を無視して『力』に集中し始める。『心呼吸』による模索、探索、思索。だが、必死に彗人の心の中を探っても靄がかかったように読めない。情報が何もこちらに流れてこない。
「ふむ。君のその『力』はやはり対象者の思考がフラットに近づけば近づくほど通用しなくなるようだな」
 また、読まれた。
「そして俺は、君がそうやってイレギュラーに振り回されて冷静さを失ってるうちは簡単に『読める』」
 私が沸騰しかかっていた思考がゆるやかに冷めていくのを感じた。冷静さを欠いている時しか読めない。
 私の『力』とは少し違う。
「……『読心術』とでも言うのかな。カウンセリング術、洗脳学、言語使役方。その他諸々。言葉ひとつで相手を揺さぶったり、出方や反応を見たり、視線の揺れ動き方で想像しているものを読み取る術。『天才製造機』の『力』で一年ぐらい前にマスターしたんだよ」
 今、初めて聞いた。
「何で今まで黙ってたの?」
 彗人は眼鏡を手の中で弄びながら答える。
「ふむ。切り札は最期までとっておくものだろう?」
 切り札?
「君は俺を脅して共犯者にするために、早々に『魔銀錬金』で俺を攻撃してきた。これは、君が俺に対して複数の『力』を有しているコトを示すもので、切り札を切ったのと同じ状態だ」
「それが関係あるの?」
「おおありだ。俺は切り札を君に切られたことで完全に不利な状況に陥った。その状況から抜け出すためには、やはり俺にも切り札が必要だった。俺が君に『読心術』のことを言わなかったのは、コレを切り札にするつもりだったからだ」
「じゃあ、何故今、その切り札を切ったの?」
 ピタリと彗人の手が止まった。
 そして、嫌な笑みを『ニタリ』と浮かべてコッチを見る。 
 見られた瞬間、全身を凍結させるような悪寒がよぎる。
 こんな、こんなはずじゃ。何かが狂い始めた。
 計画では此処で彗人を殺して、終わりの筈だったのに。
 むしろこの計画の中じゃ、この部分が一番簡単だったハズなのに。なんで私は『こんなはずじゃ』なんて思ってるの?  
 彗人が口を開いて何かを告げようとしている。死刑前の十三階段を一歩づつ強制的に昇らされる。過去には戻れず、未来には何も無い。
「切り札を切ったのは何故か――つまりはそういうことだ」
 現在位置さえも、薄れかかっている。
「君の運命は確実に此処で終わる」
 何の根拠も無いのに、波紋の様に、それは私に響き渡る。  
「君は後、数分もすればこの世から切り離される」
 最後の一段の手前まで来た。
「ふふ。思えば杜撰すぎたんだよ」
「わかってるわ」
 最後の抵抗を試みる。
「君が窓を叩いて時貞をおびき出した、ね。ホントにあの時点から茶番劇だったよ」
「ええ、そうね」
 月夜と時貞が私達がいる教室が見える位置にたどり着いたら、明かりを付けて窓を叩く。そしておびき寄せる。自殺したと見せかけた彗人と、私の元へ。位置の把握は彗人のレーダーによる情報を元にした。
「ここで一つ目の破綻だ」
 そう、一つ目。
「時貞と月夜の二人できたら如何してたんだい?」 
 どうもしなかった。と、言えば正しいんだろうか。
 それならば諦めていたかもしれない。運命が望んでいなかったコトとして。
「ふふ。まぁ、いい。そして二つ目」
「ええ、あれは私の完全に計算ミスね」
 二つ目。首を吊ったロープの長さが全く足りていなかったのだ。
 あろうことか、私は首を吊ったと見せかける細工をする部分の長さを見誤っていた。
 もし、あの教室が一般教室であれば問題なかったのだろうが。
「まさか、七不思議にやられるとは思ってなかったわ」 
 美術室。動く石膏像があると言われる。
 音楽室。ベートーベンの目が光ると言われる。
 この二つを選んでしまったのが間違いだった。
 どちらの教室にも、椅子以外首吊り台になるモノがなにもなかったため、高さの調節を変更しようがなかった。月夜にその二つを割り当てられた時に、理由をつけて別の、一般教室にまつわるものに変えてもらえばよかったのだが、まさかロープの長さを間違えるとは夢にも思っていなかった。 
 だから敢えて何も言わなかったのだが、
「裏目にでたね」
 そう、その通りだった。
 不自然さを失くそうとしたのはいいが、あまりにも致命的なミスが生まれてしまった。
 これの二つが私の計画の破綻。
「三つ目は俺が言ってあげよう」
 三つ目。三つ目、ね。
 私が最後まで愚かな事を示す三つ目。認めたくはなかった。
 自分の『力』がこれほど無力なモノだとカンジるのは嫌だった。 
 私だけの力――『心呼吸』に『魔銀錬金』。
 どちらも不完全で役立たずの『力』に思える。それ程、時貞も月夜も。そして目の前にいる彗人も。圧倒的で孤高の『力』を有していた。
 其の中で唯一私だけが取り残されたような疎外感。
 神は、運命は、結局のトコロこの世界に私の存在を許容してはくれなかったのだ。生き残る術なんて初めからなかった。
 さながら十六年の夢物語。
 誰のためでもない絵巻物。
 いつしか終わる、人生の分かれ道。分岐点はココだった。そして私は選んだ。彗人がじっと私の顔を見つめていた。深遠な黒緑の瞳が私の姿を映していた。
 
 
 やがて――
      ゆっくりと口を開く


「三つ目のミス……君は時貞を生き残らせてしまった」
 やんぬるかな。私は時貞に終わらされる運命を選んだ。
 獲ようとした翼を一度も手にできず『背徳者』として堕天使としての強制終了を迎えるようとしていた。
 
 ――カウントダウン

「さて、時間稼ぎはここで終わりだ。メールも送っておいたし、そろそろ終わらせに『来る』頃だ」

 ココから先の私の未来はnot found.



 [ 絶対領域の肯定式



 何事にも終わりの摂理は存在する。だから、だから僕がこの手で握りつぶしてやる。
 左手に力を込めて勢いよく引き戸を開ける。
          
 ガタン

 勢いよく開けすぎて跳ね返ってきた扉に肩を挟まれた。
 ……痛い。
 クライマックスじゃないのか?コレ。
 ……格好が付かないなぁ。
「まぁ、いいか」
 僕はひとりごちて仄暗い部屋を見渡す。
 左側に机に小さく座っているのが……織奈か?ようやく慣れてきた目を細めて眺める。 髪が長い。ああ、織奈だ。時貞君大正解。六文字熟語。
 右側の窓辺にいるのは多分アイツだ。ルパンさながらの長身痩躯のシルエット。史上最悪の親友。
 月夜を殺した奴――『天才製造機』。
 ソイツは軽く片手をあげて頭の辺りにかざした。
「時貞、俺のメールを見てくれた様だね。なかなか気が利いていただろ?」
 御影彗人。
 雲間から差す月明かりがヤツの顔を照らし出しす。幼い残酷さを持ち合わせた微笑みが垣間見えた。
「ああ。見たよ。正直、完敗だ。結局僕は月夜を守りきれなかったってコトを改めて思い出させてくれたよ。あんな悪趣味なメールを送ってくる奴はオマエぐらいしか思いつかなかったね」

『私、死体になっても待ってるよ 兄貴の事が大好きな月夜より』
 
 心の奥底に沈む泥を抉られる様な、憎悪。このメールはそれ以外の感情を持ち合わせていなかった。
 ああ、もう、くだらねぇ。くそくだらねぇんだよ。
 僕がいれば全てが終わる。僕がいれば全ては終わらない。
 其れを示す時はいつだって最後なんだ。最初から『力』を使っていればこうはならなかった。使っていれば、月夜が死ぬ事もなかった。
 でも、僕は臆病で屑で最低で呪われていて。欺く世界に気づけなかったんだ。
 なんで、なんで気づかなかったんだ。あの時、月夜の馬鹿馬鹿しいまでにあからさまだった台詞に気づいていれば。
 あのクビツリ教室での違和感に気づいていれば。
 いつだってそうさ。いつだって、僕は最悪なんだ。
 僕の方こそ最悪なんだ。
「でも、もういい」
 もういいんだ。
 これで全て終わるから。
 此処で全て終わるから。
「オマエら結局何がしたかったんだよ」
「何って……ただのゲームだよ。織奈の計画したちょっとしたゲーム」
 窓枠にするりと腰掛けながら彗人は言葉を続ける。 
「ルールは至って簡単。織奈が鬼の鬼ごっこ。俺達が全員逃げ切れればオーケー。逃げ切れなきゃ死ぬだけだ。ま、この場合鬼は頭が良くて罠もしかけてくるから、どちらかというとゼロサムゲームに近いかな」
 肩を竦める彗人。
「僕が聞きたかったのはそんな事じゃない」
 ゆっくりと左の織奈に近づいてゆく。
 髪の長い漆黒の少女――僕と月夜に悪夢をもたらした犯人。
「何がしたかったんだって聞いてるんだ!」 
 僕は側にあった机に拳を叩きつけた。怒りに付随して発動する僕『力』。
            
ガゴッ
 
 けたたましい音を残して机は半分になっていた。
 僕は許さない。僕の行く先を奪う者は完膚なきまでに許さない。
 それが織奈に彗人。オマエらであっても。
 どうしてこういう運命になってしまったのかはもう問わない。
 僕はお前らを許せない。だから、此処で終わらせてやる――僕の『領域改造』で。
「私はやっぱりまだこんな所で終わりたくない!」
 織奈の悲鳴が教室に響き渡る。
 僕の思考に呼応して、暗い絶望の淵から搾り出される悲痛な叫び。次の瞬間織奈の身体から『何か』が飛び出した。
 僕めがけて迫ってくる。さっき、僕がやられた『アレ』か。
「クッ」
 腰を捻って上半身を右に反らす。ヒュッ、耳元で空気を切り裂く音がする。
 ――なんだ。
 考える暇も無く、上から降り注ぐ雨の様な『何か』が煌きながら落ちてくる。
 地面に手を突いたままバックステップでそれも何とかかわす。が、着地地点に整然と並んだ机に背骨をしたたかに打ち付けた。衝撃に呼吸と動きが止まる。
「くそっ」
 跪いた位置から斜め上に殺気を感じた時にはもう遅かった。
 『ザシュ』 
 右腕に走る激痛。
 背中とは比べ物にならないほどの戦慄が走った。その場から、飛びのいて目線を下に落とす。腕の中身が見えていた。爛れ落ちる白い固体。所々千切れた紐のようなものも飛び出している。
 暗闇の中でさえはっきりとわかる致命傷。
 目視で確認すると同時に焼け付くような痛みが頭の先から爪先まで飛び降りた。
「うあぁぁぁっぁあぁっぁ!」
 ――なんだ。
 織奈のあれは一体なんなんだ。痛みに答えるように額から流れ出す汗が目に入る。
「これは『魔銀錬金』。手にした金属物質を思いのままに形を変え、操ることのできる『力』」
 織奈オマエの『力』は『心呼吸』一つだけじゃないのか?
「そうね。二つ持っているわ。こっちの方はいままで彗人にしか言ったことが無かったけど」
「……そうか……」
 右腕に神経が集中しているのが分かる。思ったより傷が深かったらしい。
 僕の『力』による修復にはもう少し時間がかかりそうだ。  
 会話でできるだけ時間を稼ぐしかない。
「そんなことはさせないわよ」
 息をつく暇も無く読まれる。
 ――くそ、僕はやられるのか。
 織奈の足が力強く地面を蹴りあげる。更に植えつけられる激痛を覚悟した。が、其れは
「……ハァ」
 教室内に響き渡った溜め息によって掻き消された。
 僕でもなく、僕にとどめをさそうとしている織奈のものでもない。窓辺で我関せずといった体で、僕らの戦闘を見ていた彗人のものだった。
「時貞。君はこんなところで、こんなヤツに負けるのか? 最悪の存在が聞いてあきれるね。ならば俺は君と共にいる意味が無い。最悪に近い存在でいる意味が無い」 
 そう言って、彗人はクルリと、そう、さながら鉄棒を回るように窓の縁を軸にして回転した。地面も何も無い、空の世界に向けて。 
 足が高くあがる。背中に隠れた表情からは何も窺い知ることができない。
 そして、縁から手が消えた。あっという間のスローモーション。
 僕と織奈は戦闘そっちのけで窓辺に走り寄った。
 手を広げてまま彗人が落ちてゆく。

           ドン

 鈍い音がした。落下完了。今度こそ本当の自殺だった。
 其の時にはもう僕の右腕は形状を取り戻していた。
 終わりなきセーフティーガード。形状記憶合金も真っ青だ。
 僕の『力』によって完全に傷は癒えていた。
 其の右腕を、彗人が消えた方角を呆然と見つめたままの織奈の肩に優しくそっと置いた。振り向いて救いを求めるように揺れる織奈の瞳。
 何処かで狂ってしまったんだよな。僕達の運命は。
 オマエも本当は僕達が死ぬコトなんて望んじゃいなかった。
 『背徳者』のせいだ。それぐらい、知っていたさ。
 優しいからな、オマエは。
 織奈の目に涙が浮かぶ。
 僕はそれににっこり笑って答えた。
 だけど、月夜を殺したのは許せないんだ。

   「ごめん、リセット」
 
 ――トン。
 軽く突いた。 
 僕の『力』の影響を受け、何の抵抗も無く落ちてゆく、織奈の身体。闇の中深く深く。翼を持つことができなかった背徳者の儚い一炊の夢は、やがて此処に終わりを告げる。

            ドン
 
 蹂躙し終わった僕。
 物語は完成した。
 
 あとは、最初から創りなおすだけだ。
 僕だけのための方程式を。



 \ 殺意方程式(証明完了)



「さてと」
 夜風が僕の髪と枯れた木々の枝を揺らす。 
 幾度と無く経験してきた喪失感。幾度経験しても慣れるモノではなかった。
 今回も誰一人として僕の傍らに残らなかった。
 僕の意思によるものだとしても、僕の意思とは関係なく運命は流転した。現実は、いつもどおりの在り来たりで平々凡々な結論を僕に告げるだけだった。
「疲れたなぁ」
 埋め立てたばかりの赤茶けた土色をした地面の上に佇み呟く。
 やっと3人の抜け殻を地中奥深く、這い上がって来れないような地下世界に沈め終わったところだった。   
 何回も、何十回も繰り返し、繰り返し。僕は月夜と彗人と織奈の本当の最期を看取ってきた。何時から始まったのかは覚えていないが、其のうち、一度でさえ僕以外の誰かが生き残った事は無い。
 いつも偶然に出現する『背徳者』の存在に振り回され、僕は――
「――馬鹿馬鹿しいんだよ……」
 俯いて一人で涙を流し、終わらなき終わりを、夜明けを迎える様に待ち焦がれていた。四人が共に此処で終われるますように、と。でも、結局僕自身の『力』が其れを許す事は無かった。
 『領域改造』
 人が目で捉えられる物体の存在感、質感、倫理を全て塗り替える力。手に触れたものを傍若無人に書き換える力。彗人には只の紙切れを一万円札にかえてやったっけ。
 仕組みはいたって簡単。
 ゼロとイチで書き殴られ、構成された情報体の一部若しくは全部をひっくり返していくだけだ。
 それだけで、対象物の世界は終わる。この世から完全に切り離される。なんせ、別のものに変わってしまうから。
 そして、それは。
 『死ぬ事のできない、出来損ないの力』
 まったく、この世界にはよくもコレだけ、奇跡を徘徊させていられるもんだ。翼のかわりに『力』を与えたなんてなんの言い訳にもならない。大安売りだ。単純に笑える。
 僕は深い藍色に浮かぶ月を道標に歩き出した。
 3人を埋葬した裏庭をでて、グラウンドを横切り、もう違和感を感じる事無く素通りできる校門を飛び越え、人気の無い通学路に出る。
 さて、僕がこよなく愛した現在地を取り戻すためには『領域改造』の獲物が必要だ。
 僕は月が夜の闇と溶け消えてゆくまで彷徨い始めた。   
 
 月が真上から少し西へ傾き始めた。一時間も歩いただろうか。
 疲れきって棒のように重い足を引き摺りながら、目だけは忙しなく標的を探索していた。
 やがて差し掛かる一本の長くて昏い夜道。
 そんなに細いわけでもないのに、人通りが少なく、ただ静寂だけを告げる冷え切った路面。
 もし、もし、条件を満たす人間が通れば僕の『力』にとってこれ以上うって付けの場所は無い。
 運命の分かれ道。
 僕はそのまま、十分ほど携帯の画面を覗きながら時間を潰した。すると、十数メートル先の方から、楽しそうな複数の笑い声が聞こえてきた。
「ハッ」
 おもわず口から短い嘲り声が漏れ出してしまった。
 どうやら、運命は僕を中心に回っているようだ。
 ポツンと夜道に浮かび上がるコンビニから、丁度買い物帰りの三人組の女の子がでてきた所だった。背の高い子と、背の低い子と、その中間ぐらいの背丈の子。
 丁度三人。友達同士かなにかだろう。手には分厚い紙の束と、コンビニの手提げ袋を持っていた。
 さぁ、ここからが僕の腕の見せ所だ。
 周囲に人気の無いことを再度視認する。
 民家も近くになく、あるのは高速の高架下と、だだっぴろい地下駐車場ぐらいだ。
 足首を捻り、指の骨を鳴らしてウォームアップ完了。
 静かに力強く、地面を蹴り上げ僕は三人組みに、後ろから十分に手が届く範囲までキョリを詰めた。
 いつも通りにやるだけだ。額の汗が精神の緊張を物語るが、敢えて無視する。
 緊張していても、身体が覚えている。
             
                シュッ
 
 鋭く片手を振り提げ、一番右端の背の高い女の子の首筋に、思い切り手刀をあてる。
「グッ」
 短い悲鳴とも呻き声とも取れるような声をあげてよろめく。
 その倒れそうになる女の子の片手を掴んで、ぐっ、と自分の身体に引き寄せ、柔らかく地面に転がしながら、振り向こうとした真ん中の女の子の首筋にも同じ様に手刀をあて、同じ様に転がす。
 左端の一番背の低い女の子が其れを見て、悲鳴をあげて逃げ出そうとしたが、軸足と逆の左足で大きくストライドをとり、地面を蹴った次の瞬間右足が彼女の背中を捉えていた。
           
                ドッ
「カハッ」 
 息を詰まらせ倒れこみかけたトコロを、前に回り込んで鳩尾に強い一打を当てる。
 機械のごとき正確さ。これで完全に完了。
 冷たいアスファルトの上に川の字よろしく、細い体が三つ転がった。
「ふぅ」
 僕は一息つく。これで彼女達は万事休す。行く先は、もう何処にも無い。
「さてと」
 ゆっくり一休みしている暇など無い。
 幾ら人気が無いといってもアクシデントを誘発するには十分すぎる状況だ。急ぐに越した事はないだろう。
 周囲に誰もいない事を確認すると、僕は三人の身体を近くの地下駐車場の奥に引きずり込んだ。直方体の空間に『ズズ、ズズッ』といった不気味な音がコダマする。いつだってこの瞬間は頭がおかしくなりそうだった。
 いや、実際もうおかしくなっているのだろう。
 奥の奥まで引きずりこむ。まるで蟻地獄だ、と笑えない冗談に笑みを浮かべながら、床に並べ始める。
 薄明かりの下で顔がボンヤリと見える。全員、似ていた。顔も、雰囲気も。姉妹なのかもしれない。そして結構、可愛かった。ま、僕の月夜ほどではないが。
 文字通り川に字の順番に並べ終わると、僕は真ん中の一番小さな子の側に跪き、両手をサイドの二人の腹部に置いた。
 脳内に素材をどう改造するかのイメージを描く。其れに従って『力』が集中してくるのが分る。
 掌が、甲が、指先が、熱い。
 侵略、搾取、偽造のための行為だけに発動する『力』。
 人としての一生を此処で終わらせる行為。人としての生を此処にもたらすための行為。
 やがて、温度の上昇はリミットを迎えた。血液が沸騰して、掌を焦がしてしまうかのようだ。
「そろそろ、か」
 『領域改造』がゆっくりと空間を書き換え始める。
 二人の女の子の腹部に置いた掌から仄暗い歪が広り始める。
 改変、革変、改域の繰り返し。白の渦と、黒の歪みが彼女達の身体を飲み込んでいく。
 残像をこの世に残し、二人の女の子の姿が陰影に包まれてイビツに歪んでは収束する。
 始まりと終わりの繰り返し――二つの理を残して完全に新たなものとして生まれ変わっていく。
 僕が唯一手にした、現在地へ。光の波紋の繰り返しが静まってゆく。
 そして、完全に歪みは途絶えた。
「ふう」
 僕は異様な疲れを示す身体に不快感を感じながら、両サイドに居たはずの女の子達を見た。
 もう其処には別の人間が転がっていた。
 幾度と無く繰り返し、禁忌だとは知りつつも『領域改造』し続けた僕の現在地がこの世に存在感を放っていた。
「さてと」
 残りの一人も……、と呟こうととしたところで、僕は息を呑んだ。
 真ん中に置いた一番小さな子が目を見開いて僕を見ていからだ。
「ねぇ、何してるの? ねぇ、ねぇさんたちは?」
 恐怖で引きつった顔が笑っているように見えた。姉妹だったのか。
 心の中で一人呟く。どうりで雰囲気が似ていたはずだ。最後に残ったのは一番年下の妹なんだろう。年端も行かない幼い顔が目の前にあった。
 やはり妹は可愛い事を再確認。
 だが、それとこれとは関係が無い。
 右手をのばしガッシリと彼女の喉を捉える。
「ヒッ!」
 息を詰まらせる少女。目に涙が溢れていた。
 いつかの月夜に似ていない事も無い。
 だが、容赦はしない……。
 僕は、幾度と無く繰り返してきた。同じコトを。
 だから一時の幻想に囚われやしない。
 容赦はしない! 
 僕は『力』を解放し始める。
 コレで最期の最後だ。僕と少女の狭間に歪み始める空間が鎌首をもたげる。
「ねぇ、私もねぇさん達みたく消えちゃうの? ねぇ、答えてよ」
 僕の瞳に映る絶望で揺れる瞳。ひどく嗜虐心をそそられる顔だった。
 其れが故に僕は答えた。
「ああ、消えるよ。この世界とは何の関係も無くなるんだ。オマエはこの世に二度と存在できない存在になるんだ。笑えない、泣けない。好きなものにも、嫌いなものにさえも触れられない。は、消えるんだ。さっさと、消えちまえ!」
 劣情を叩きつけるように握る手に力を込める。自らの『力』の前に逝くものにさえ救いのある一言を投げかけられない僕は矮小だ、屑だ。最低だ。
「あ、あ、あ、ア、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ」
 女の子の声が不気味に響き始める。
 声にしたい事があるのだろうが喉を強く握られすぎているせいで上手く言葉にできないのだろう。
 耳に入る声がイヤだ。胸が張り裂けそうだよ。もうやめてくれ。何も言わないでくれ。
 本当は、僕はこんな事したくないんだ。
『は、なんだそりゃ』
 ただの言い訳だ。自分がまだ人という名の心を持っているという。
 そう、ただの言い訳なんだ。この偽善者め。其の葛藤は、僕に、一瞬、ほんの一瞬だけ握力を鈍らせた。
 隙ができる。
 瞬間に女の子の言葉が空気を振るわせた。呪詛でもなく、未練でもない。
 この期に及んでも助けを求める声。
 自分の行く先に未来があると信じてやまない、翼を持つものの声。
「タロちゃん。たすけ……ヴっ」
「やめろ。オマエは終わりなんだよ。終わって僕が生きるための糧となれ」
 言葉が終わるか終わらないかの内に、僕は握る手に再度力を込める。もう、何も聞きたくなかった。何も言わせたくなかった。
 僕たちに翼は無いのに、なんでオマエ達は持ってるんだよ。
 あの時、あの場所に居ただけの僕らの未来を閉ざしたのはお前たちの癖に。
 憎いんだよ。
 ああ、そうさ。
 どんなに奇麗事で飾っても俺たちはオマエ達が憎いんだよ。
 だから、全然怖くなんかねえんだよ。俺はオマエ達の事なんて虫けら以下にしか考えてねーからな。
 全身がまるで凍えているかのように震えだす。
 酷くつらい。酸素が足りない。視界がぶれて壊れそうだ。
 広がる暴かれた世界。
 最後に、光を放ち、別のものとして生まれ変わってしまう前に、目の前の少女が笑顔が見せた世界。
 いや、笑顔なんてものではなかったかもしれない。
 忌まわしく歪んだ、心の底まで凍りつきそうな。
 最悪の微笑み。そっちのほうが似合ってる。
 其処まで辿り着いた瞬間。
 僕の思考は停止した。

「ヘックシ……」
 肌を刺すような寒さ、というのはありきたりだろうか。
 僕は汗でアンダーシャツをベトベトにしたまま倒れていたコトに気づいた。
 どうやら、一時間以上も気絶していたようだ。
 空が少し紫がかっていた夜明け前。
 チラリと後ろを振り返る。
 僕の『力』のよって、無造作に転がる三つの新たな生命を宿した身体。
 彗人に、織奈、そして月夜。
 僕は其の中の一人を揺り起こした。 



 エピローグ  完成方程式



「兄貴は悪くないよ」
「はは、悪いも何もないさ。俺……」
 視線を落とす。コンクリートの床には彗人と、織奈が寝息を立てていた。
 僕が起こしたのは妹の月夜だった。
「俺は、自分が自分であるがためだけに、他人の運命を喰うただの化け物さ。善し悪しの物差しで測らなくとも最悪だ」
 視線を遠い空に向ける。月が太陽に掻き消される瞬間の紫橙の色が綺麗だった。
「それでも、後悔はしていないけどな……」
 其の一言に沈黙が訪れる。予期せず、ふいに呟いた自分自身の声が忌まわしかった。
 後悔なんてしていない筈など無かった。
 『羅針盤』を使って、自分の行く末を導いてもらわなければ破壊衝動にしか意識が向かない癖に。
 結局全部壊しちまった癖に。自分だけが救いの道を辿ろうなんて虫のいいことは誰も許しちゃくれない。僕の、目の前にいる少女以外は。
 そうと知っているのに、口に出して其れを言ってしまう僕を粉々に引き裂いてやりたかった。
 僕と同様、全てを知っている妹の目の前で言う台詞では無かった。やっぱり駄目だな、僕は。    
「私さ」
「何?」
 月夜が顔をコンクリートの壁に背けたまま話しかけてくる。
「『視えて』たんだよ。」
「ああ……」
「本当は『視えて』たんだよ。見えたから、選んじゃったんだよ。」
「ああ……」
 僕も知っていたさ。オマエがどういう結末を選んだのか。
 あの教室でオマエが死んでいる姿を見た時から。其れは――
「――私と兄貴があるだけの未来を」
 月夜の声は掠れていた。僕はゆっくりと後ろから月夜に近づいてゆく。
 小刻みに震える後姿を見るのは、兄としてつらかったから。
「彗人君が言ってた。『俺は君の事を殺したいなんて思った事一度も無かった。でも、織奈に言われたんだよ。君が生きている限り時貞が俺のコトを見ることは無い。だから……死んでくれ』って」
 ……ああ、くだらねぇ。
 愛されず、翼も持たない子供たちの愛は歪んでます、ってか?  
 僕はいつでも見ていたさ。彗人、オマエのことぐらいはな。
 ちゃんと、親友として。 
「私、其の時仕方ないって思って……」
 優しいからなオマエは。ゆっくりとコッチを向かせる。
 少し抵抗する月夜。
「言えなかった。私達の未来しか……」
 最後の言葉は僕には聞き取れなかった。月夜の泣き声にまぎれて聞こえなかった。
 聞かない方がよかったんだろう。
 運命が僕に選択させたんだ。何も知らないでいられる、世界を。
 
 はは。
 
 僕ら二人で最悪の兄妹。
 自分のために人を傷つける事を厭わない兄妹。
 未来を持たないのに、未来に繋がる日々を送る矛盾の存在。
 『背徳者』という名の自殺起因子でさえ僕らにとっては存在していないのも同じだ。
 僕たちは何度も、何十度も、彗人を織奈を殺し続けてきた。
 僕たちは何度も『背徳者』の存在を退けるために、壊してきた。もしかしたら僕たちの方が『背徳者』なのかもしれない。
 そんなものどうでも良かった。あの時から。
 あの瞬間から、月夜が二人で生きることを選んだのだから。
 僕はただついて行くだけだ。逝く先に何が待っていようとも。
 
 朝日の逆光に包まれて、僕は月夜の唇を自分の唇で塞いだ。
 月夜はゆっくりと、僕に身体を預けてくる。
 もう、冷たくなかった。
 今度こそ36℃の温もりを受け取っていく。泣き声を聞くのはもう御免だった。
 この夜はあまりにも絶望が多すぎた。あまりにも救われないことだらけだった。 
 だから、一つぐらい温もりを感じる瞬間があったっていいだろ。
 『俺たちに明日なんて無いのさ』
 いつかの誰かが唄っていた悲しいメロディーが僕に囁きかける。
 
 ゆっくりと死んでいくような毎日へのささやかな抵抗。
 運命へのあまりにも小さすぎる造反。

 風が吹いた。こうして、僕の方程式は完成した。
 だけど終わりじゃない。
 また、またいつか『背徳者』の存在は僕以外を皆殺しにするだろう。
 
 だから今度こそ僕は…………。

                  
2004/12/01(Wed)10:02:41 公開 / 境 裕次郎
■この作品の著作権は境 裕次郎さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
今と違って昔の自分は、どうにかして面白いものを書こうとしていたんだなーと懐かしさを覚えました。今より子供で、言いたい事は数少なかったけれど、遊び方だけは人一倍知っていた頃には戻れそうもない自分がちょっと寂しいですね。読んで下さった皆様、一年前の僕に変わって感謝の辞を。有難うございます。
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