- 『理想が孤独死したとき』 作者:湯田 / 未分類 未分類
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原稿用紙約23.5枚
<1>
憎い奴が、いる。
「ハラワタが煮えくり返る」なんて、そんな次元じゃない。
毎日そいつが俺の頭のなかで殺されて、毎日生き返って、毎日俺を殺す。
・・・いや、ひょっとしたら俺は現実に死んでいるのかもしれない。
死んでいるから、もう肉体を離れたから、この終わることのない脳内スプラッター劇場の役者を続けることができるのかもしれない。
「・・・しかし、それでも俺は、<生き返る>のか・・」
そこまで考えて、俺はさっきまでの妄想が言葉となって自分の口から出ていた事に気づく。
またやってしまったようだ。
そして、やはり俺はどうやら電車やバスやその他公共施設でたまに見かける「独り言をつぶやく危ないヤツ」に向けられる視線を、四方から浴びているらしかった。
自分の周りの酸素が急激に薄くなった気がする。
居心地が悪い。とてつもなく悪い。
俯いたまま 首が痛まないようなポーズを考え、いろいろと試してみる。
顔を上げなくて済む、じきに周りの視線が何処か別のところへいくような、見ていて興味を全くそそられないポーズ。
目立たないように腰の向きや首の傾き具合を調節するうちに、俺は自分の体を小刻みに震わせる振動に気づいた。
さらに、見下ろす自分の下半身には紺のズボン。
あぁ、そうか。
俺は今バスの中に居るのか。
そして今俺が座っているのは、シルバーシートの一つ後ろの温風のあたり具合が一番いい席だ。
・・・ということは、だ。
俺は腕時計に目をやった。
8時25分。
・・・やはり。
俺はこのバスが「帰り」のバスでないことを確信した。
これから、「行く」のだ。
だからこれは、「行き」のバス。
つまり俺はこのバスを降り、駅まで歩き、それから電車に乗って、また降りて、そしてさらに歩かなきゃならないという事だ。
「学校」、という目的地まで。
吐きそうだ。
吐きそうなぐらいうんざりだ。
だがまさかゲロをバスの中でまき散らすわけにもいかないので、俺は深く、なおかつ周りの人間にも不快感を誘うような ため息をつく。
そう、俺は学生だ。
それも、中学生だ。
一部の「大人」達には、「中坊」と呼ばれ、起こした事件や犯罪には「少年犯罪」と銘打たれる「中学生」。
俺はこの中学生ってやつが嫌いだ。
大体この「制服」ってやつが気に入らない。
詰め襟を見ると息苦しくなるし、紺のズボンを着ると、何かとてつもなく重いウエイトのようなものを腰にまとった感じがする。
何故こんなものを着なければならない。
何故、「統一」する?
・・・いや、きりがない。
そんな事で自問自答を繰り返していると本当に周りの乗客にゲロを吐きかねない。
だから終わりだ、これは。
感謝しろよ、あんた達。
しかしそれにしても俺は何故今さっきの瞬間まで、そのような不快な状況、事情を忘れていたんだ?
寝ていたのか?
・・いいや、俺は不眠症だ。
脳内の精神的安全装置が発動したのだろうか?
・・馬鹿馬鹿しい。
「忘れたかった」のか?
・・それが妥当だろうか。
最終的に選択したそれが、何故確からしいかを証明する「仮定」そして「過程」をあれこれと考え始めたところで、バスは駅に到着した。
これだから時間は残酷だ。
どうせろくにも黙認されもしないだろう「定期券」を、俺は提示する。
「ありがとうございました」。
形だけの挨拶。朝早くからゴクローサン。
けどこれテレホンカードなんだぜ おっさん。
「定期券」を財布に戻し、次は本物の定期を改札口の前で取り出した俺は、たった今「噴水公園前」を通るお目当ての電車が到着したのを知る。
走れ。走れ俺。
電車の発車を知らせるアナウンスの放送が終わった頃に、俺はなんとかドアとの距離を2メートルぐらいに縮めることができた。
乗り込む寸前に、視界の両端から迫ってくる自動ドアを黙認するまた少し前に、眼鏡の女子中学生を突き飛ばしたように思えたが、全く気にしない。
学生なんて糞食らえなんだよ。俺以外はな。
車内で荒い呼吸を整えながら、俺はやはり自分の身体能力があまり高くない事を再確認する。あれだけの距離を走っただけで、こんなにも呼吸が乱れてしまうのはいささか情けない。
無理に強がって小さく呼吸しようとすると、今度はむせた。
畜生。
どうして俺は走った?
腕時計は8時31分を過ぎている。
既に1分53秒前に、俺の「遅刻」は確定したハズなのに。
それなのに、それなのに何故俺は走った?
何故、こんな情けない思いをしてまで、この車両に駆け込んだ?
駄目だ。わからない。
というより、集中力が確保できない。
体は、そんな質問の回答より、まず酸素を効率よく吸収できる呼吸のリズムを要求していた。
それから6分後に「噴水公園前」に電車が到着したころには、幾分か俺の呼吸もまとまってきていた。
全くの無駄な体力の浪費。俺は後悔した。
体力の浪費と時間の浪費なら後者を即選択するぐらい、俺は肉体的な「疲労」というやつが嫌いだったのだ。
だから俺はこの「噴水公園前」から「私立栄進社学園」までの、公園を経由したこの長い道のりが本当に嫌だった。
「緑」?「おいしい空気」?
そんなもの知ったこっちゃない。どうでもいい。
だがそれらを学校に着くまで満足に堪能できるのがこの学校の生徒の特権なんだと人は言う。
本気で言っているのだろうか?
確かに「緑」はある。その豊かな「緑」のお陰で夏も冬も這い回る虫どもが大活躍だ。
しかもその「緑」の中にはその「おいしい空気」目当てか知らないが、汚いボロボロの服を着た汗くさいおじさま達が段ボールで組んだ素敵な御邸宅を並べてるってんだから最高だ。
そう考えながら俺は、自分の吐く息が白いのと、かすかに自分の体が震えているのに気づいた。
そうだった。季節は「冬」。
寒いのは当たり前だ。そして俺はこの寒いのが好きではない。
それに気づくと、ますます目前に迫った校門に彫られた栄進社の「栄」の字が虫の居所を悪くした。
畜生。何故「学校」なんか存在する。
自分の教室である「3年D組」の前まで来て、俺は奇妙なことに気づく。
おかしい。
俺は校門をくぐり、廊下を渡り、職員室の前をあえて堂々と我が物顔で通り、階段を昇り、この教室の前に到着するまでに誰にも会っていない。
教師にも、生徒にも、清掃員にも、誰にも。
だがその「真相」は意外にもあっさりと俺の脳に降りた。
そうか。
今日は始業式だったのだ。
長期の休日が終わり、ハイまたクソ下らない日常が始まりますよ、と生徒に知らしめる教師陣による素晴らしい儀式。
・・・ということは生徒も教師達も皆ホールに居るのだろう。
俺はよりいっそう腹を立てる。
クソ。もっと早く気づけばコンビニでも本屋にでも行って時間を潰せたハズだ。この「始業式」というヤツは教師達による長い長い説教でプログラムが組まれているのだ。
そのうえ、プログラムが短縮されることは決して無い。
それどころかむしろ延長戦に持ち込まれる事が多い。酷いときは延長に延長を重ね「始業式」だけで1時間弱、ということもあった。
まいったな。どうしようか。
時刻を確認してみても、やはり儀式終了までにはあと40分以上はかかる。
かといって今からまた学校を出て体力を浪費した上でまた学校に戻るなんてそれこそ馬鹿のすることだ。
迷いに迷った挙げ句、俺はホールに向かうことにした。
先生達のありがたいお言葉を枕に、仮眠をとろうと思ったのだ。
不眠症なのだが、別に眠れるか否かは問題ではない。問題は、「浪費」か「温存」か。その選択なのだ。
決心した俺は靴を脱ぐ。上履きをロッカーから取り出し、それを履く。
ロッカーの中に脱いだ靴と、カバンを放り込んだ時、奇妙な音がした。
「ガチン」。いや、「ギチーン」だろうか。
いずれにしても、耳障りな金属音。
俺は不思議に思って放り込んだカバンを引き出し、中を覗きこんだ。
別に驚いていたワケじゃない。
携帯かそこらが固い物とぶつかったのではないかと俺は推測していた。
だが、中に入っていたのは、恐ろしく俺に現実感を抱かせないものだった。
刃物。
まず最初に俺はその光沢の鋭さからそれを連想した。
しかし違う。
それは木製の柄がついた、鋭くとがった大型の針のような物だった。
「・・・・アイス・・・ピック?」
独りつぶやく俺は、自分が今触れているいるものが恐ろしく不快な匂いと感触を感じさせているのに驚いた。
何か、べっとりとまとわりつく ような、そんな感触。
俺はおそるおそる自分の指に視線を張り付ける。
血。
血だ。間違いない。オレノユビニハ チ ガツイテイル。
全身の毛穴が開くのを感じた。
まぎれもなく血だ。
言い逃れのできない、「血」だ。
だがそれは純粋な血でもなかった。
何かの粘膜のような、半透明のドロドロしたものも混ざっている。
そして、酷い匂いがする。
俺はカバンとその中身をロッカーへ叩き込み、ホール前の男子用トイレへ駆け込んだ。
吐きそうになり床に手をつくが、涙目になり えづくのみで何も出ない。
何も出ないのがわかると、俺は洗面所で思いっきり蛇口をひねり、手にその水をブッかけた。飛び散る血とあと何か。
ちょっとまて冗談だろと俺は思う。
血?血?血?
アイス・ピック?
ふざけるな。俺はこの二つのどちらにも心当たりはない。
俺は全く関知していない。
俺は、
<<憎い奴が、いる。>>
・・何だ?
突然フラッシュバックのように脳内に音声となって出た、紛れもない、「俺の声」。
わからない。いつ俺がそんな発言をしたのかわからないし、何故このタイミングでそれが出たのかわからない。
俺は排水溝の周りでなかなか流れない頼りなく回転している血だまりを見つめる。
と突然、俺の頭の中を走る雷のようなもの。
<<「ハラワタが煮えくり返る」なんて、そんな次元じゃない。>>
激しい頭痛。
耐えきれなくなって俺は頭をかかえてうずくまる。
<<毎日そいつが俺の頭のなかで殺されて、毎日生き返って、毎日俺を殺す。>>
・・・一体何だって言うんだ。意味がわからない。
不眠症のせいか?
いよいよ俺は狂っちまったのか?
不可解のあまり腹が立ってくる。
俺は、怒りを隠してすました顔している鏡の中の自分をしばらく睨んでいたが、止めざるをえないことになった。
思い出してしまったのだ。
俺はとうとう思い出してしまった。
俺が学校を遅刻した理由。
俺がバスの中で我を忘れてしまっていた理由。
俺が遅刻が確定しているのにも関わらず電車に駆け込んだ理由。
俺がカバンのなかにアイスピックを忍ばせている理由。
俺が、俺の中の声に覚えがある理由。
そして賢明な俺はそれらの記憶全てを受け入れ、平静を手に入れた。
手を洗い、深呼吸したあと、俺はホールの裏口を開けた。
幸い、3年D組のグループは裏口から一番近い位置にあった。
「何時だと思ってる」と担任に出席簿で叩かれたが、気にもならない。
俺の脳細胞には、すでに別の命令が下されていたからだ。
頭に与えられた「痛み」なんて感じさせないぐらいの、「最優先事項」。
俺は一番後ろの席に着いた。
左隣の席の「駒谷 聡」が、俺に話しかける。
「おい聞いたか藤堂。俺らの新しい副担任、女なんだってよ」
俺は一切の返答を送らなかった。
無視を貫いた。
脳細胞が検索ソフトになって俺の記憶の中を走り回る。
同時に自分の頭の中が少し痒くなったような気がした。
「なあ藤堂。ほら、新任教師の紹介やってるだろ?な?」
黙れ。
俺は自分の記憶を探るのに全神経を集中したかったが、なかなかそうはさせてくれない。
さらには、耳鳴りを誘うような大きすぎるマイクの音声。
『次に、3年D組副担任・・・』
「ほら、コレだコレ」
・・・・。
『井ノ上 里美先生です。』
すると、俺のすぐ前の席に座っていた女性が立ち上がった。
どうやらその井ノ上なんたら先生は、その人らしい。
井ノ上先生はぺこりと頭を下げてまた席に座った。
そして、真後ろに俺がいるのに気づいたらしく、
「1年間宜しくね」と小さな声で話しかけてきた。
とても綺麗な声。
だが俺は愚かしい事に返事を発しなかった。無視を決め込んだ。
ここで返事をしていれば少なくとも、まだ俺にも救われる結末があるいはあったのかもしれないのに。
・・・いやだがそれはあり得なかったと思う。
何故なら俺は思い出してしまったのだ。
俺にはとても憎い奴が居たこと。
その殺意は限度を超えて、ついに行動に至るまでになったこと。
あのアイスピックは自分が用意したものであること。
遠くない過去にその憎い奴以外の「誰か」を、それで刺し、あるいは殺してしまったかもしれないということ。
そして、今日学校に来たのは、その「憎い奴」を殺す為だということ。
残虐に、慈悲なく、完膚無きまでに惨殺する為に。
だが。
だがしかし。
肝心の「憎い奴」が思い出せない。そして何故「憎い」のか、思い出せない。
不思議なことにそれがわからないのに、憎悪はしっかりと燃えている。
覚悟も、できている。
多分俺はそいつを殺して自分も死ぬ気なのだろう。
俺はつい先ほど自分の手首につけられた無数の深い切り傷を発見した。
そうだ。
既に準備は完璧に整っている。
精神的にも、肉体的にも、だ。
あとは、その「標的」をハッキリさせるだけなのだ。
俺は今自分を取り囲む状況、いやむしろ世界そのものがガラリと変わったような気がして、それを楽しむような気持ちがなかったわけでもなかった。
それに俺には確信があった。
動物的なカン、とでも言うべきか。
その「標的」はすぐ近くに居る。今、この場所に。
そして恐らく「あっち」は俺の殺意など微塵も感じていないだろう、という確信。
さぁ・・・誰だ?
俺はゆっくりと周りの人間達の顔を見回した。
誰なんだ・・・?
思い出せ。
思い出すんだ。
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2004/02/23(Mon)00:05:49 公開 /
湯田
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