- 『ガーディアン・アイロニー 1〜3話』 作者:文月 遊 / 未分類 未分類
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 原稿用紙約39.65枚
 
 人類は度重なる戦争の果てに、特殊兵器を生み出した。
 それらは人に憑き、人為ならざる力を行使する。
 のちに『鬼』、『悪魔』と呼ばれる魔物の始祖である。
 そう。彼らは、従事すべき人間に牙をむいたのだ。
 人為的に作られた霊的構造体。
 そこに生じたわずかなバグが、驚くべきスピードで繁殖し、反逆の意思を持つものへと変えていってしまった。
 人にしか憑かなかった彼らは、意志を持った途端、その性質を変え、ありとあらゆる物体に憑くことが出来た。
 そして彼らは、人間の血を何よりも好んだ。製造過程で得がたい苦痛を与えられてきた彼らにとって、他者の恐怖に引きつる顔は、至上の幸福なのだろう。
 
 
 特殊兵器の材料は――人間だった。
 
 
 現段階の混乱はコレだけではない。
 ひとつ均衡を崩したこの世界は、裏世界ともいえる蛮族たちをも隔てた壁を崩した結果、特殊兵器のみの力だった術は、『魔術師』、『能力者』などを生み出した今では広く認識されるに至る。
 今はさしてめずらしくもない能力。
 それでも警戒してしまうのは、この能力を保持する者がすべて善い者と限らないことだろう。
 
 
 
 
 ※
 
 
 
 
 「今更な気もするが……どうなんだ? 俺はこんな薄っぺらい紙面のみの報告ではなく、お前の口から直接聞きたい」
 
 ランプの明かりのみが頼りのほの暗い一室で、机に頬杖をついた男がひらりと一枚の紙を床に放った。その紙は、彼の前に立つ青年の足元まで届く。コツリ、と、紙の端が、彼の靴に当たったとき、ようやく青年は口を開いた。
 
 「違います」
 
 真っ直ぐ自分を貫くような真摯な瞳を見、男――辺境警備隊隊長、ノブル・ノルンは深くうなずいた。
 
 「だろうな。予想できた答えではある。……それに、お前にそんな気性がないのは俺が――俺たちが重々承知していることだ。
 だが――証拠が挙がらんことには、除名は免れないだろう。それだけの事件だった」
 「…………」
 
 反論もなく、ギリッときつくくちびるをかむ青年に、落ち着くようにと手をかざして諭す。
 彼も、そして自分も、渡された報告書一枚に納得していたわけではない。
 方々を調査した。
 けれども、決して曲げられない事実がある。目撃者がいること。
 いくら彼が違うと訴えたところで、その現実は変えられない。
 こんなことは、この狂った世の中だ、よくあること。しかし、相手が悪かった。そう言い聞かせるしかない。
 ため息をつき、ノブルは先程床に放った紙よりもやや立派な用紙を机の引き出しから取り出した。
 
 「俺がお前にしてやれる、最後の、そして精一杯の援助だ。
 コレでも、上に頑張って掛け合った方なんだぞ? それに、アード様の御助力も得られたのが大きかった」
 
 青年はゆっくりとノブルの前まで歩み寄り、それを両手で受け取った。
 すっと紙面に目を通し、理解した唯一のこと。それは、あくまでもここを出て行かなくてはいけないこと。
 辞令だった。
 
 「転機と取るかどうかはお前の心持次第だ。
 お前にまだ意気が残っているのなら、そこで頑張ってみろ。そして、武勲でも立てて、這い上がって来い。
 くれぐれも、俺より出世するなよ」
 
 
 ジジッ
 
 
 ランプの炎が揺れた。
 三十路にはまだ少し手の届かない笑ったノブルの顔を照らし、ゆっくりと。
 逆に、同じくその炎が照らした青年の横顔は、決意に満ちた顔――ではなく、なんとも微妙な、間の抜けた顔。
 
 
 【異動先、ラクス・クリス王都、特殊部隊。
 場所は地図を頼りに――】
 
 
 (もしかして、あの噂の……?)
 
 眉根を寄せて固まった青年に、ノブルは苦笑して見せたのだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 (面倒クセェ世の中……)
 
 時間と反比例して一向にまとまらない、いわゆるお偉いさん方の高尚な意見とやらを聞くでもしに聞きながら、特殊部隊隊長のハザはタバコの煙をくゆらせていた。
 
 「おい、ハザ」
 
 隣の辺境警備隊隊長のノブルが、だらしない格好のハザの脇を突っつく。
 
 「あ〜……?」
 「その気のない返事はなんだ?
 ヒマなら、意見のひとつやふたつ出してみろよ。平行線の一途だろ、このままじゃ?」
 「俺なんかが口挟んだって、一笑に伏されるだけだぜ?
 結果がわかっていることには無駄な労力は使わない主義なの」
 「……昼行灯め」
 「サイコーの褒め言葉だね、それ」
 
 けたけたと笑い、ふと、ノブルに視線を向けて、
 
 「お前だって、どれほどの案を却下されたか。数えておいたから、言って欲しいか?」
 「……こうしている間にも、世の中は動いているというのに」
 「それがわからないから、のっしり構えていられるのがお上というものなんだよ」
 「それは、アード様も含めての意見なら俺はお前を許さない」
 「姉貴を揶揄するほど肝っ玉大きくねぇし。まあ、これ以上堕ちても、俺には何もないけどな」
 
 パタパタと手を振って、やはり笑う。
 ハザの実姉、アードの口添えがなければ、こんなとぼけた男などただの一兵卒で終わっていた。
 それは誰もが感じていて、しかし、それを誰もが認められないのがハザという男であり、アードがわざわざ新設した特殊部隊に据え置いた理由であろう。
 戦乱の世において、多数の部隊を所有するラクス・クリス王都。
 その中に、約十五年ほど前に新設した。人の噂の二ヵ月半もたなかったその隊の名は、記憶の影に薄れて思い出すのも一苦労で、今では『名無し』、『ゴミ捨て場』――単純明快なのが『給料泥棒』という呼称であろうか。
 部隊隊長、ハザ・トゥースは、ノブル同様、自らをも『昼行灯』と呼ぶ城下の人々のネーミングセンスの良さに気にした様子もなく、逆に笑って見せるのだった。
 それでも、一応会議には出席し――確かに居るだけの存在ではあるのだが。
 
 (いつになったら終わるのかな、これ……?)
 
 ぷぅっとタバコの煙を吐きながら胸中で面倒くさそうにつぶやいたことは、白熱した討論を繰り広げている者以外は、全員思っていることではあった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 やっと辿り着いた部屋の前で渡された辞令を再確認しながら、青年は肩を落とした。
 
 (これって・・・やっぱり自己退職を狙ったリストラ、かな・・・?)
 「だろうな。誰もこんな隊に、大事な部下を好んで回す奇特な奴はいないって」
 
 扉の前で立ち尽くす青年の背後に立ち、ハザはいつもの眠たげな瞳で彼の広げている辞令を肩口から覗き込んだ。
 
 「ジル・オースティン。…………ああ、ノブルの言っていた……
 ……ナルホド。聞きしに勝る女顔」
 
 失礼なほどに青年――ジルの顔を見つめ、納得したようにうなずく。
 キレイに整った顔。一見しただけでも誰もが目を引く。おまけになめらかな白い肌に、桃色のくちびる。長く伸ばされた金色の髪は、丁寧に三つ編みにされていて、ハザの覗き込んだ肩から前へとたらされている。
 それを見て女性と間違うなと言う方が間違っているが、強い意志を秘めた瞳が、頑なにそれを強要している。
 そのジルは、気配を一切感じさせずに現われたハザに、ただぎしりと身を硬くこわばらせていた。
 しかし、そんなハザの顔もジルの事を言えた義理ではなかった。男とも女とも取れる中性的な顔、そして、瞳は眠たげなまぶたで半分ほど隠されてはいるが、冷たさを微塵も感じさせないアイスブルー。レンズの小さいメガネを通しての光はとても柔らかで。ただ眠たいだけとも取れるのだが。
 銀にも見えるグレーの髪は、邪魔なのかバンダナで大半が隠れている。着ている服も、通常の隊のそれではない。いわゆる普段着。上には追ったジャケットに、缶バッジ程度の扱いで所属隊の紋章の彫られたバッジがつけられていた。普段着に不釣合いな勲章も然り。
 
 「そういやお前、宴会部長だったんだってな?」
 
 あからさまに動揺してみせるジルに、にへらっと笑い、ハザは追い討ちをかける。
 
 「今度、俺にも見せてくれ、その女装を」
 
 小脇に抱えたブリーフケースから一枚の写真を取り出し、意地の悪い顔でそれをひらひらとかざして見せた。そこには、同僚に酔った勢いで無理やり着せ替えさせられたジルの女装姿が写し出されている。
 
 「ああっ!? それ――ッ」
 「人の趣味は自由だからな。俺はそれを尊重してやるぞ」
 「ち、違います!」
 「恥ずかしがることはないのに。……まあ、いい。歓迎する」
 
 タバコをくわえながらニッと笑い、ブリーフケースで自身の肩をとんとんと叩きながら、目の前の扉を開けた。
 と、同時。
 
 
 パパンッ! パンッ!
 
 
 その写真を取り返そうと考えあぐねていたジルは、しかし、鳴り響いた弾ける音に反応し構えた。が、舞い落ちる紙吹雪にきょとんと目を丸くする。
 
 「ようこそっ、新人さん!」
 
 たくさんの声の、たくさんの音声。協和して和音となった歓迎の言葉に、ようやく自体を納得し構えをとく。
 二人を迎え入れたのはクラッカーの音と、年齢層も幅広い男女。誰もが誰も私服で、その上に申し訳程度に帯刀しているいでたちだった。
 
 「……一応、お前の同僚になる奴らだ。わぁ、ステキ! ボク、感激しちゃう! くらい、同情も交えて言ってやれ。礼儀だ、礼儀。
 だが、他の隊はこんな軟派なことはせんから、その礼儀はウチだけで通用するだけだと、それだけは覚えておけよ?」
 
 頭に積もったクラッカーの紙を払い落としながら、ハザが無表情で通告する。
 
 「隊長、それはひどいな〜!」
 
 クラッカーを持ったままの隊員の一人が、非難の声を上げた。
 
 「先ず部隊の紹介でもしようか?…………知ってっか……ンじゃ、終わり」
 「隊長!」
 
 もうひとりの隊員の声に、うるさそうにタバコの火を消す。
 
 「有名だろうが、ウチは。『ゴミ捨て場』、『給料泥棒』……ああ、最近『ごく潰し』とも聞いたことがあったな。
 いやー、最近のマダムは下町のおばちゃんたちよりお上品で涙が出ちゃうよなぁ。
 ま、ぶっちゃけちゃうと、兵士の行き着く最終処分場だな。生意気にも分隊があるが、それだけ用なしが多いってことでもあるってことか。隊員の名前は、無理のない程度に追々覚えていけ。
 そういや、ノブルんとこも辺境でなんもないところだったなー。
 ジル、あまり気負うなよ。ウチはあそこよりヒマだからよ。空回りされても困る」
 
 新たにタバコに火をつけながら、自分の言ったセリフに沈みこんだ隊員たちの表情に、片眉を軽く上げた。
 
 「イッチョマエにヘコんでんのか?
 だからいつも言ってるだろ? 人並みのプライドがあるんなら、新たな職を見つけてさっさと出て行ったほうが自分にも身内にも環境にも優しいって。変な風評受けるより、よっぽど良いだろうが。
 ここにいたって、片腹痛いふたつ名がつくだけで、なーんにもいいことないぞ〜?」
 
 その言葉に、キッと同時にハザを睨みつけた隊員一同は、やはり同時にべぇっと舌を出した。
 
 「おお、怖い、怖い」
 
 わざとらしく肩をすくめて見せたハザの目の前でおどおどとしていたジルは、女性隊員に手を引かれ、奥に用意されたテーブルまで連れて行かれた。それほど豪勢ともいえないが、料理が並べられている。どうやら、歓迎会を着任早々してくれるようだ。
 その様子を点けたばかりのタバコを消しながら見送っていたハザは、やがてへっと鼻で笑い、ブリーフケースを机の上に放った。
 死ぬほど退屈な会議がようやく終わって、解放されたかのように大きく伸びをしつつ、自分専用の机まで移動して程よくスプリングの効いた椅子にすとんっと座った。と。ふと、視線を斜め上に移動すると、ひとりの女性隊員が立っていた。
 ジルの髪が太陽のような金だとすると、この女性の髪の色は稲穂のように優しい金色を放っていた。
 
 「お疲れ様でした」
 「本当にな。……俺のことはいいから、お前も参加して来い」
 「はい」
 
 だらぁっと机の上に突っ伏したハザに女性隊員はお茶を渡し、ペコリとお辞儀して言われたとおりにジルが中心の輪に向かった。
 
 「親の心、子知らず……じゃねぇけど、ホント頼むよ……
 就職してくれ……」
 
 今回の会議でも、言いたい放題言われてきたハザは、まさに出来の悪い子を持ち周囲から攻められる親のように、心からのため息をついた。
 巷で言われているような悪口など可愛いものだ。実情を知らない中位の幹部どもがうるさくのたまう。それに臆してやるほど親切でもないが、今日も新しい隊員が移動してきてくれたおかげで、ノブル共々、管理責任がどうの、経費がどうのと。今日はいつもの機関銃のような口に更に油を差したようによく回っていた。
 はじめての『的』に、ノブルはただ聞き入れ、ハザはよく回る舌に逆に感心してしまったものだ。
 そう、『的』なのだ。
 中間管理職の溜まった鬱憤を、ぶつけられる『的』。
 慣れてしまえば、いつもの恒例行事として気にもならないが――しょんぼりと肩を落としたノブルは、自分はジルを信じているから、と、苦笑して。今日は別れた。
 
 (それにしても……辞めさせたいのか、継続させてやりたいのか……ノブルも、もうちっと粘って異動先を考えてやれば良いものを。
 期待したような原石なんて、そんなにゴロゴロとウチに集まってくるわけじゃあるまいし。
 ……お疲れ様、か……)
 
 女性隊員の一言を思い出し、メガネを外して、机にそっと置いた。
 
 「本当にな……」
 
 しみじみと、再びつぶやいて。いれてもらったお茶をゆっくりとすすった。
 
 
 
 
 ※
 
 
 
 
 あの事件のせいでロクに食事も摂らなかったジルだったが、詰め込まれるように次々に皿に乗せられる料理を無碍に断るわけにもいかず、結果、全て収納された胃を押さえ、敷地内に設けられた宿舎にあてがわれた自室にようやくたどり着いた。
 着任早々の出来事だったせいで、荷物も運び込んでいない質素というにはあまりにも物がない小さな部屋。ベッドと、机。部屋にあるのはそれだけだった。実質、ジルは荷物と呼べるものはほとんど持ってきてはいなかったので、後々運び込んだとしても、そんなに変わらないだろう。そう、今、肩にかけている、ザックの中身のみの荷物だけだから。
 必要最小限の荷物の入ったザックをベッドの横に置き、お日様の匂いがするシーツのかけられたベッドへと倒れこんだ。
 
 (干しておいてくれたんだろうか)
 
 なんとも、拍子抜けのする第一印象。まるでアットホーム。
 
 (変な場所だな……)
 
 聞いていた噂とは違う。
 第一、辺境警備隊にいたときには、ベッドは二段ベッドで、部屋は個室ではなく大部屋で。しかも、当番を除いて全員で寝ていた。
 それが嫌だったというわけではない。ランプの明かりの下で繰り広げられていく無駄話が楽しかった。
 ジルのいた隊は、他の隊よりも戒律がゆるい。それはノブルのおかげと言えるだろう。
 しかし、ここはそれ以上に、悪く言えば無法地帯に近い。隊長に向かって舌を出すなんてことは考えられない。戒律の厳しい隊という組織において、隊長は絶対の存在であるはずだ。あのノブルでさえそうなのだから。
 ふと、脳裏に、期待している、と、背中を激励するように強く叩いたノブルの顔が浮かんだ。
 
 (……頑張らなくちゃ……)
 
 自分がここにいられるのはノブルのおかげ。期待に応えたい。
 むくりと起き上がったジルは、歓迎会にいた隊員の面子を思い出していた。
 二十台に差し掛かったばかりの少年の面影を残した青年――たしか、ルシエルと名乗っていた彼に、大雑把ではあるが隊員の紹介をしてもらっていた。
 印象に残ったのは、みんな一様に普通じゃないところ。何割かの隊員は、身体のどこかが戦いにおいてだろうが、欠損していた。車椅子で移動している隊員もいた。確かに、身体的にはどの隊にいても足手まといにしかならない者たちの吹き溜まりのようだ。
 目の見えない弓兵。利き腕を失くした隻腕の剣士。のどを潰された魔術師――等々。
 その他の隊員も、詳しくは聞くことが出来なかったが、自分のように重大な失敗を犯し、隊にいられなくなった者たちのようだった。
 要するに、傷をなめあう集団だよ、と、ルシエルは笑っていたけれど。
 最後に、ハザにお茶を渡して輪に加わった女性――テラと名乗っていたか。
 
 『どんな噂を聞いてきたのか想像に難くないけれど……けれど、それを何処まで信じるかどうかは貴方次第。時として、真実は貴方が思っているより残酷なこともあるわ』
 
 そういって、意味深に微笑んでいた。
 気になる微笑ではあったけれど。
 
 (明日は早いや……)
 
 気を取り直して、布団を頭からかぶった。
 と――
 
 (……そういえば……)
 
 ジルはふと思った。
 
 (この部隊の仕事って、ナニ?)
 
 
 
 
 
 
 
 
 宿舎の近くに食堂がある。『ごく潰し』の隊員は、そこで食事をすることが出来た。何でも、契約してあるらしい。
 朝、迎えに来てくれたルシエルがそう説明してくれた。
 素直に聞きながら、ジルはやはり不思議に思う。何故こんなに優遇されているのだろうか。他の隊と比べてしまうのも変な話だが、やはり、辺境警備隊にいた頃は自炊だった。
 
 「別に優遇されちゃいないよ。ここに異動になったら、給料の何割かはカットだし、備品だって自分たちで買いそろえなきゃ何もない。オマケに武器や制服だって支給されないんだぜ? 城からの恩恵は、日々を生きるための現実的な通貨のみ」
 
 考えを見抜いたように、ルシエルは視線だけをジルへと向けた。
 
 「俺たちが多少の不自由だけでいられるのは、全て隊長のおかげだよ」
 
 そう言って誇らしげに笑ったルシエルが、大衆食堂の扉を開けた。
 下町の匂いというのか、なんとも懐かしいほっとするような匂いがジルを包んだ。まだ朝が早いので人もまばらだったが、テーブルにはすでに何人かの隊員と一般市民とが座って食事を始めている。
 
 「そこの兄ちゃん、さっさとお入りよ」
 
 体格のいいおばさんが、ぼぅっと入り口で突っ立ているジルに声をかけた。隣にいたはずのルシエルは、すでにカウンターまで行っている。
 
 「す、すみません!」
 
 慌ててルシエルの後ろにつき、同じようにカウンターの上に張られているメニューを見上げた。
 ちらりと視界の端に入ったおばさんは、次々と上がってくる食事を手際よく分配している。どうやら、ここの食堂の女将のようだ。
 
 「新人さんかい?」
 「――そ。久々の収穫……ってところか。だからおばちゃん、あんましからかわないであげてよ」
 
 女将の視線が自分たちに向いていないことに気づき、後ろを振り向くと、起きたばかりのせいなのか、それともやはり地顔なのか、眠たげなタレ目のハザがいた。
 
 「おはようございます、隊長」
 「お、おはようございます、ハザ隊長!」
 「んー、ハヨウ。おばちゃん、俺、なんか軽い物でお願い」
 
 ルシエルとジルの挨拶に手を上げて応え、ちゃっかり横入りして注文したハザは近くのテーブルに着いた。その合間にも、他の隊員からの挨拶にも律儀に応えている。
 
 「ハザちゃん、キチンと朝食べないと。だからそんなひょろいんだよ」
 「朝からミラーみたく油物を食えるようなしっかりした胃袋持ち合わせていませんで」
 
 と、自分の背後に座る、隊員のひとりを振り返ることなく親指で指し示す。
 
 「アタシのダーリンの作った料理がそんなに食いたくないのかい」
 「……ダーリン、ねぇ……」
 
 そう言ったのはハザではなく、ルシエルだった。
 きょとんとしているジルに、厨房のほうを指差す。
 ナルホド、とジルは思った。ダーリンというには、なんと言うか、その、あまりにもかけ離れているというか、ちょっとジャンルが違うというか、そういった旦那がいた。それでも、愛嬌のある顔で、優しそうな雰囲気のある人ではあった。
 
 「悪いね。おっちゃんの料理は天下一品なんだけどさ。どうせなら、体調が万全のときに食ったほうが一番美味いし、なによりも、残すのが気がひけてね。なにせ、おばちゃんのダーリンが作ってくれた料理だし」
 「まったく。口がうまいんだから!」
 
 ぱしんっ、と小気味よくハザの背中を叩いた女将は、
 
 「トーストセットで良いかい?」
 「…………あい……」
 
 大きな腰を振りつつ軽快にカウンターまで戻って行くその背後に、見事なまでにダメージを受けたハザは、それでもうなずいて見せる。
 
 「そうだ、ハザちゃん。この前貰った薬ね、よく効いたわ。アリガトね」
 
 前の客の物のはずだったトーストセットをハザの前に運び、女将は人好きのする笑みで言った。
 
 「そりゃ良かった。おばちゃんの具合が悪いと、俺も苦しいのよ」
 
 と、胸に手を当てて、ほろりと泣く真似をする。しかし、次の瞬間には、にっこりと、
 
 「ま、気に入ってくれたんなら、あとは、うーちゃんのところで買ってね」
 「こーの商売上手!」
 
 女将は今度は豪華に笑って、再びハザの背中を叩き、鼻歌を歌いながらカウンターへと戻って行った。
 そして、再びテーブルの上に突っ伏すハザ。やはり、今回も効いたらしい。
 
 (……薬……?……うーちゃん?)
 
 疑問符が頭の中でぐるぐる回るジルに、ルシエルは先程と同じ誇らしげな顔で、
 
 「コレが、俺たちが少々の不自由で済んでいる理由。
 隊長、自分で調合した薬を売ってるんだ。その隊長の薬を主に卸しているのが、ウルギーヴ先生。うーちゃんは愛称。医者も兼業しているから、お前もいつか世話になることがあるかもよ」
 (薬……)
 
 軍が扱う薬と聞いて、思い浮かぶものはそれほど多くない。
 
 (僕、とんでもないところに来たのかも……)
 
 目の前がわずかに暗くなったとき、出入り口の扉が開いた。ぞろぞろと見覚えのある顔が入ってくる。それもそのはず、昨夜の歓迎会で会った面子だ。
 
 「おー、残りが来たか。お前ら、メシ食ったら詰所に集合な。
 新人が入ったから、今回は軽〜い程度の区域にするつもりだが、装備はちゃんとしていけよ」
 「了解しました!」
 
 隊員たちは、昨夜のハザにして見せた態度とは全然別物の、訓練された軍人そのままの返事をして見せた。
 
 (なんなんだ、この集まりは……?)
 
 つられて敬礼のポーズをとったジルは、その体勢のまま、眉をひそめた。
 
 
 
 
 ※
 
 
 
 
 結局はハザと同じトーストセットにしたジルは手早く食事を終え、それより早く食べ終えたルシエルと一緒に詰所に集合した。
 ざわざわと談笑する隊員たちが手にしている物をやはり不思議に思いながら見ていると、主に雑務を担当するツクバから、軍手、火ばさみ、そして大き目の袋を手渡された。
 
 「?」
 
 渡された体勢のまま首を傾げていると、同じ装備をしたテラが隣に立って微笑んだ。
 
 「これがこの部隊の主な仕事よ」
 
 この装備で連想する仕事といえば――
 この隊につけられたネーミングは、まさしく言い得て妙なのだと、ジルは傍観の微笑で納得するしかなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 「お、隊長ーッ! いいブツ発見!」
 「でかした、アーグレル!」
 
 石畳が続く平凡な町並みのとある空き地に、スクラップ同然の機械が転がっていた。袋の半分ほど入ったゴミを放り投げて、ハザがアーグレルの示す空き地まで走って行く。
 
 「鉄くずはイイ金になるんだよな」
 「不法投棄、依然となくなりませんね」
 
 ほくほく顔のルシエルと、眉をひそめるテラと両極端の二人が、他の隊員数人とともに手伝いに空き地へと消えて行く。
 ゴミ拾い――
 予想通りの答えに流す涙もなく、がっくりと肩を落としながらジルは火ばさみでタバコの吸殻を拾った。
 
 「たしかに王都所属の隊がする仕事じゃないよね」
 
 上手く車椅子を動かし、女性というにはまだ幼い少女が自分の袋を差し出して、その吸殻を入れるようにとそんな仕草をする。
 
 「あ……えっと…………マナル……さん?」
 「わー、すごいねー! 昨日一日……ううん、数時間の歓迎会で会っただけなのに、名前覚えてくれたんだ。あたしの場合、物覚えが悪いのか、一ヶ月以上かかっちゃったよ」
 
 車椅子の少女――マナルは、照れたようにはにかんで見せた。
 
 「それとも……特徴がありすぎたせいかな? 車椅子で移動なんて、目立つよね普通」
 
 しかし、それを気にした様子もなく微笑は明るい。
 
 「仕事のことだけどね、そのうち慣れるよ。
 実はね、あたしもはじめは反感持っていたひとりだったんだ。自分の所属していた隊と自分の能力に、一応プライド持ってたしね。それが、なんでゴミ拾いなんかを? って。こんな身体になって前の隊長の恩恵で特殊部隊に回してもらって。もちろん、辞めることも考えてた。でも、辞めた後の自分の全貌が見えなくて、こんな身体でなにができるだろうかって……ぐるぐると思っているうちに、自然と、ね。
 あ、なんかいいなって。この隊の居心地が、すごく。
 で、いつの間にか二年目に突入しちゃった」
 
 火ばさみで拾った空き缶を資源ごみ用の袋に上手く放って入れて、得意げな視線をジルに送った。その瞳が、突如、気の毒そうな哀れみの色に変わる。
 その時だった。
 
 「あーら、可愛いコっ!」
 
 抱きつかれるというよりは絞められるような力強さで、背後からいきなり強襲された。
 
 「うぐっ!?」
 「ねー、マナルちゃん。貰っていい、コレ?」
 
 頬を摺り寄せられる感触で、一瞬、オちそうになった意識が戻る。
 はっとして振りほどこうとしたが、それさえもままならない。視線だけを向けても、首にしがみついている人物の顔が見えなかった。
 自分より背が高く、骨ばった感じがする。声の感じからしても……男……?
 自らが導き出した答えに、一瞬にしてジルの全身が総毛立った。いくら女顔でも、ソッチに抱きしめられる趣味はない。
 
 「あたしに言われてもねー……」
 
 気の毒そうな視線は変わらず、マナルは苦笑した。そしてそのまま空き地の方へ顔を向け、
 
 「タイチョー! 隊長の匂いをかぎつけて、先生いらっしゃいましたよぉ?」
 「気色の悪いこと言うなよ」
 
 歓迎会でヨアヒムと名乗った隻眼の男が渋い顔でマナルに突っ込む。
 
 「あらン、本当よ?」
 
 にっこりと本人に肯定されて、今度はジルのみならず、ヨアヒムも総毛立って固まってしまう。
 
 「……隊員の士気が下がるからやめてくれ」
 
 すでにぐったりと憔悴したような表情で、空き地からルシエルを伴ってハザが出て来た。
 
 「はっちゃん、そんな顔でもイイ男っ!」
 「はいはい。わかったから、ウチの新人そろそろ離してやってくれ」
 「そぅお?」
 
 残念そうな口調で、その人物はようやくジルを解放した。
 ひゅうひゅうとのどを鳴らし、希薄になった肺の中に酸素を補給しようと精一杯息を吸う。マナルも心配そうに丸まって屈むその背中をなでてやる。
 
 「あら、絞めすぎちゃったかしら。大丈夫?」
 
 そう言って、ジルの前に屈みこんだ張本人は、白衣を羽織ったオネェ言葉を操る男だった。
 的中してしまった現実に、更にジルは地面に沈み込む。
 
 「うーちゃん、何しに来た?」
 「ンマッ、お言葉ね。はっちゃんがこのあたりの掃除を始めたって聞いたから、遠路はるばる会いに来たっていうのに」
 「遠路と言うほど遠くないだろうが」
 「一日千秋の思いで会えない日を耐えているアタシにとって、店からここまでは遠かったのよ?」
 
 すっくと立ち上がり、甘えるように擦り寄ろうとした男をさっと避け、
 
 「ジル、大丈夫かー?」
 
 そのまま歩み寄ったハザは、がっくりとうなだれるジルの腕を掴んでがくがく揺らした。
 
 「あら、嫉妬しちゃう。アタシも構ってよ、はっちゃん〜」
 「カマに構うほど俺もヒマじゃないんでね。テラ、緊縛」
 「了解」
 「あら、ちょっと、その扱いは……って、こら、あんたたち、なに両脇固めてるのよ!?」
 
 無表情でハザが命令すると、ヨアヒムとルシエルにがっしりと両腕を捕まれた男は、テラに何処からか出した縄でぐるぐる巻きに縛られた。
 
 「変な先入観持たれる前に紹介しとくが、このヲカマ、この界隈で薬局やってて医者も兼業してる。あくまでも医者は副業なんだが、俺の人徳でこの隊だけは格安で診てもらっている。お前も世話になることもあるとは思うが、見た目や行動は思ったより害がないから怯えんなよ?
 本名、ウルギーヴ・ラゴネスト。うーちゃんは愛称」
 
 この人がルシエルに教えてもらったウルギーヴ先生か、とまじまじと見やれば、地面に転がされ、テラが全体重で抑制しているウルギーヴは、にっこりと愛想を振りまく。
 
 「ヨロシク、少年!」
 (僕、すでに二十越えてるんですけど……)
 
 と思ったが、生来の童顔に加えて女顔であることに、あえて訂正するのをやめた。いや、これ以上係わり合いになりたくないという防衛本能が働いたせいなのかもしれないが。
 視線を外したジルにかわって、今度はハザがウルギーヴの前に屈みこんだ。
 
 「で、なに? 納品はまだだぜ」
 「うわ、ヤダ。そのあからさまに迷惑げな顔。イイ男が台無しよ」
 
 ぴょこっと、唯一自由な右手が立てた人差し指と同時に首を傾げたウルギーヴだったが、半眼でにらまれ口の端が引きつった。
 
 「悪かったわよぅ……」
 
 あー、ヤダヤダ、と肩をすくめ、改めて真面目な顔でハザを見上げた。
 
 「はっちゃんが大掃除の場所探してるって小耳に挟んだから、リストアップしてきてあげたの。
 なんて甲斐甲斐しいのかしら、アタシ」
 「そりゃ、悪いね」
 「ただ、最近は上手くかいくぐるのか、中々めぼしい場所がないのが現状だけど」
 「んー、まあ、物によりけりだな。いつまでも貧困生活じゃ懐も心も寒いんだよ。
 で? そのリストは何処に仕舞ってる? ポケット?」
 「…………なんで縄外してくれないの?」
 「よし、じゃあ、こうしよう。縄を外してやる代わりに、そのリストでどうだ?」
 「……悪い男に騙される女のようだわ……」
 
 何だか納得いかない交渉だったが、渋々首を振ったのを合図にテラが縄を外してやる。
 
 「はい、どーぞ」
 
 ポケットから四つ折りにされた紙を手渡し、縛られた箇所の調子を確かめようにストレッチをするウルギーヴ。
 
 「くしゃくしゃだな、おい」
 「たった今、乱暴されたからね」
 「オーケイ、許容範囲だ、うーちゃん」
 「まったく。……その情報筋は、お得意様のおばちゃんたちだから、噂半分、真実半分、ってところかしら」
 「ふ〜ん?……あらら、この場所、数ヶ月前に掃除したばかりだってぇのにまた溜まってやがんのか」
 「なにかと都合がいいんでしょ。お掃除屋さんが大手振って掃除しないからそうなるのよ」
 「一応軍隊だってぇこと忘れるなよ」
 
 数枚に渡る調書を軽く流し読んでいたハザが眉を寄せながら苦笑した。それから、サンキュ、と礼を言って肩をぽんっと叩く。
 
 「お礼は、もうすでにしてもらったからいいわよ。手厚くね。地べたに寝たのは久しぶり」
 「かなり卑屈で嫌味だね」
 「慣れたわよ、もう」
 
 にこやかに微笑む二人の間に剣呑な雰囲気が漂うのを隊員たちは見逃すはずもなく、遠巻きに見守っていた。
 
 
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2004/03/04(Thu)12:35:44 公開 / 文月 遊
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■作者からのメッセージ
 はじめまして、文月と申します。
 ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
 実はこのお話は続き物なのですが、オリジナルなどをまったく置いていないサイトを持っておりまして。今まで書こうかどうか迷って放置してあったのですが、やはりどういった感想をもたれるのか気になった末、投稿させていただきました。
 批評等ありましたら、よろしくお願いいたします。