- 『War Child』 作者:境 裕次郎 / 未分類 未分類
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原稿用紙約12.15枚
無くした家と青空を取り戻すために戦う少年たちにどうか幸あれ
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親父が『金網』の向こうへ行ってしまったのがもう随分昔の事のように思える。ほんの二、三日前まで隣でライフル片手に笑っていた親父。今は居ない。
弟を胸の中に抱えて、黒い頭巾を被ったまま『金網』の向こうで蹲っている。俺と目が合った弟のタシムは俺の元に来る素振りを見せたが、親父がきつく抱きしめているようでどうやら抜け出せないみたいだった。
暫くもがいていたが結局のトコロ諦めて、俺に笑顔一つだけ見せる。
俺はそんなタシムに微笑み返してやると、『金網』に背を向けた。
『金網』の向こうに行って帰ってきた人間は居ない。
右手のコンバットナイフがやけに重たかった。砂雑じりの風が汗ばんだ肌に纏わりついて遠くに消えていく。どうしたって俺はあいつらを救うことなんてできやしない。俺一人で数千人相手に勝てるはずがない。そんなものは婆ちゃんの言ってた御伽噺の中だけで十分だ。俺は無性に走り出したくなった。裸足の足裏から命が漏れ出しそうだ。動かなければ。
俺は熱砂の上を走り出した。砂に埋もれながらも足を止めない。背後に広がる『金網』がどんどん景色の裏側へ消えていく。俺と一つ隣り合わせの世界の果てに。
昔何処かの雑貨屋の『本』で見たことがある。遠く北の国では『雪』が降るらしい。なんでも白くて、俺たちの国では貴重な氷みたいなヤツだそうだ。一度、俺の街にも降ってくれないかな、と思っている。
俺たちの街には火の雨しか降らないから。それが降ってくれれば助かる。
婆ちゃんみたいに逃げ遅れて、火の中でアッラーに祈ったまま消えていく事も少なくなるだろう。まったく。肝心要の時に救わないなんて、神様なんてもんはロクなもんじゃねぇ。
そう考えることはアッラーのために戦う大人達に申し訳ない気もするが、俺は兎に角にもそんなものは信じれないと思っている。神様が居るならこの地上からとっくに戦場なんてものは無くなっていし、『金網』なんて存在すらしなかったはずだ。
色々考えながら走ったせいで脇腹が痛くなってきた。俺は近くの小さい森の木陰にもたれかかることにした。目を走ってきた方向に向ける。陽炎の揺らめきで『金網』は見えなくなっていた。汗が額から顎を伝い乾いた砂屑に溶け込んで消える。
俺はそんな汗でヌルついた手を砂にゴシゴシ擦りつけ、ナイフを握りなおす。ジャンピーア(半月刀)には程遠い代物だ。威力なんて左程ないのも知っている。使いようによっちゃそれなりに人を殺すこともできるのだろうが、此れがもし聖戦、アラーのために戦っているのであれば、人を殺すなんて事は間違っている。
手に入れるために殺す。なら神なんてものは所詮アラビアンナイトの金塊と同じだ。
だから俺は食料調達に使いはするが、敵にこのナイフを向ける事はない。
そう固く自分に戒めている。自分こそが自分の唯一たる神であれ。
神が信じるためにある存在なら、俺の考えは可笑しくなんてない。
間違ってもいないし、毀れてさえいない。
ただ今を生き、未来へ繋ぐ為にはいつまでも神に縋り付いて生きるわけにはいかない。そう思っているだけだ。
村のある方向へ視線を向ける。
高く広がる空の下、此処からおよそ半里向こう。鷲が小さく雲の下を舞っていた。鷲は幸運の象徴だ。いつか親父が言っていた。なんでも村の守り神らしい。其れを聞い頃の俺は随分小さかった。記憶を辿ればまだ弟が産まれていなかった時だ。
懐かしい。
懐かしい、なぁ。
いまや二人とも『金網』の向こうだ。
母さんは泣くだろうな。遠い向こうの世界へ逝った婆ちゃんも泣いているかもしれない。だけど、俺は無力だ。なにもできやしない。村の皆から『一人前の男』だと認められたところで、人二人救うことさえ出来やしない。当たり前だ。俺は英雄でもなんでもない。片手にちっぽけな金属をブラつかせた、ただの人間だ。人を一人殺すことにさえ理由を求めるような人間だ。
このまま座っていても、どうしようもなさそうだ。十二分に休息はとれた。俺は尻についた細かい砂刳れを手で払うと歩き出す。砂漠、砂漠、砂漠、村。
来たときより大分キョリが遠のいた気がする。気がするだけだ。
ナイフも随分重さを増した気がする。気がするだけだ。
村に帰るのが嫌なだけだ。無力な自分を再確認してしまうのが嫌なだけだ。
腰のホルスターにナイフを差し入れた。もう右手で武器を持つのはやめだ。俺にはどちらにしろ似つかわしくない代物だ。多少自暴自棄になっているのかもしれないな。
暫く、俺は思考を止めて村の方角だけを時折ガラスの割れたコンパスで確認しながら歩き続けた。黙々と。ザクザクと。
そして唐突に何の脈絡もなく現れたものに気づいてしまった。陽炎の向こうから村の方向に向かう一台の黒光りする戦車に。
俺は気づいてしまった。走り出す。村に向けて。まだ大の大人達は数人しか村に残っていない。この真昼間の時間帯なら男は全員、別の村で次の戦いに向けての会議をしている。戦車なんかで攻め込まれたら一溜まりも無い。
俺は走る、走る。が、戦車よりも早く走れるはずが無い。
躓いてしまった。もうキョリが随分と詰まっている。目と鼻の先にキュラキュラ音を立てて確実に村へと向かってくる戦車。おそらくそろそろ向こうから俺の存在は目視できる範囲に入るだろう。
もう手立ては残されていなかった。村が近い。今更あの戦車より早く辿り着いて知らせたところで逃げる手立ては残されてはいない。
俺があの戦車を食い止めるしかない。
俺は砂よけの白い布を近くの手ごろな折れた枝に巻きつけた。
そして戦車の前に躍り出る。戦車はなんの躊躇もせず突き進んでくる。目視で約四百メートル。向こうからすれば十分射程圏内だ。だが、あそこまで誘い込めばなんとかなる。『アレ』がわんさか埋め込んであるあそこに。
だからこそ、此処で俺が食い止ることができる。
そして、此処で仕留めておけば、あの戦車に気づいた皆が逃げる時間が十分に稼げる。
俺は白旗を振ったまま小走りに走る。時折振り向いて、戦車の位置を確認しつつ。気取られないように、なるだけ早くも無く、遅くも無い速さで。
やがて『あそこ』に辿り着いた。あとは適当に『踏めば』全てが起動して終わる。
カチッ
足元を探っていると、踏むことができた。俺は振り返って戦車に向けて精一杯の笑顔と白い旗を振りかざす。何も知らない無邪気な子供のように。ましてや俺は大人じゃない、子供だ。どれだけ足掻こうと、周りの大人がどれだけ俺のコトを同じ大人だと言おうと。
まだ俺は生まれてから年を十三しか数えていない。
親父、タシム。どうやら俺は助けに行けない。
母さん。親父とタシム、そして俺はどうやらもう村には帰れない。
婆ちゃん。俺は此れで正しかったんだよな。
村の皆を救うって事は多分、
――『英雄』―― って事なんだよな。
大人達はなにも神のために戦っていたんじゃない事がやっと分かった。守るために戦っていたんだ。大切なものを少しでも多く守るために戦っていたんだ。名も知らない人間を殺していたのは、何も知らないものから全てを守るために。手を血で汚そうとも、新たな命を産むためには仕方の無いことだったんだ。
だから俺は子供だったんだよ。
戦車が接近してくる。もう目の前。
キョリは数メートル。俺は武器をもっていない事を示すために、両手で旗を振りかざす。
やがて鼻先三寸の位置で停車した戦車のフタがゆっくりと開く。
「hello」
何と言っているかは分からなかった。この位置で戦車のフタを開いて話しかけるなんて無防備にも程がある。そんなに悪いやつじゃないのかもしれない、なんて甘い考えが浮かんできたが俺は其れを打ち払った。
敵は、敵だ。
それ以上、何者でもない。
俺はゆっくりと右足をずらした。
―― 母さん、親父、タシム、ゴメン。先に逝くよ。
青空に舞う鷲がとても綺麗だ。
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「あ、雪」
街頭テレビに目を止めていた僕は視線を白く遮ったモノに気づいて空を見上げた。暮れかけた青い曇り空から雪片が舞い始めていた。道往く人の群れも僕と同じように空を見上げながら歩く。とたんに冬の寒さを感じた僕は、コートの襟をギュッと閉めなおし我が家への帰路をとることにした。
歩きながら黙想する。遠く中東の国にも雪は降るのだろうか。美しいモノを見れば少しでも世界は癒されていく。僕らも、中東の人でさえも其れに変わりはないはずだ。綺麗事でしか伝わらない想いもたまにはあるさ。
雑踏に紛れて聞こえなくなったテレビの音が空に響いていく。
『えー、またアメリカ軍に死者がでました。装甲車は巡回中、自爆テロによる被害にあったと見られています。生存者はゼロ……
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2004/02/18(Wed)22:21:37 公開 /
境 裕次郎
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■作者からのメッセージ
世界写真大賞か何かに選ばれた、写真を見て急に書きたくなり、一時間程で書き上げてしまったショートです。なるべく短く、文学作品に見えるように書いたつもりなのですが……(汗 習作で投稿スペースの一つを陣取って申し訳ありません。平にご容赦を。