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『林檎』 作者:夢幻花 彩 / 未分類 未分類
全角13268.5文字
容量26537 bytes
原稿用紙約42.55枚
 
 2154年。地球が経済的にも豊かで平和だったこの時代、ある戦争が勃発した。後の第三次世界大戦である。しかし、今これを勉強しているのは地球人ではなかった。それは何故か?・・地球人はその戦争によって絶滅してしまったからである。
これはある星の研究者が地球人滅亡の原因を探り、常識では考えられない新事実をありのままにレポートにまとめた物だ。




 「『地球人滅亡』我々はこの謎を解明するべく、何十年も遥か遠き地球に調査員を派遣してきた。しかし、地球は有害な物質が発生しているでもなく、(いや、一部に排気ガスと呼ばれる物質は充満していたが)解剖した死体からも毒物や病原菌は見られなかった。焼死した様子も溺死した様子もなく、
一部のものが殺害された痕跡はあるものの、多くの者が栄養失調、つまりは何も食べずにいたせいで死んでいるようだ。
 しかし我々が最も理解しがたいのは、「食料があるのに何故食べなかったのか」である。一部の地域を除けば地球は食物が豊富だった。特に弓形の島国(地球の国際連合という物の中ではJAPAN、と呼ばれていたと記録がある)は、今でも口にする事の出来るものが多々見受けられる。
 そこで地球人は精神が錯乱していただの、何らかの理由で前頭葉が欠乏してしまっただの、根拠の無い説が生まれた。しかし精神が錯乱していようと、すべての生物は本能的に食物を口にする。それに地球人は我々と違い前頭葉を失っても性欲、食欲、死の恐怖は失わない。現に1800年頃、ある精神科医が自分の患者が精神が錯乱し、(だから精神科医を必要としているのだが・・・)彼らがあまりに暴力的なのでアイスピックで前頭葉をかき出してしまったというなんとも凶悪な事件が発生したが、意思は持っていないものの、物を食べ、眠り、ちゃんと生きていたという。その点では我々より遥かに上回るという事だ。
本題に戻そう。では何故地球人は滅亡してしまったのだろうか。」
ここまで一気に書いた研究者は溜息をついた。私の出したこの結論に狂いは無いはずだ。しかし、本当にこんな事があってよいものなのだろうか?
 地球人とはそれほどまでに愚かなのだろうか?
研究者は続きを書く事を一瞬躊躇った。が、真実はその研究者の思ったとおり、奇妙ではあったが、間違ってはいなかった。
 




「今一番若い女性に人気のあるダイエット法といえば、皆さん御存知だと思いますが、・・・・・・そう、りんごダイエット!!これはどこまで信じていいのか分からないのにやたらと高価で怪しいサプリメントや安っぽい運動器具に比べ、値段も大変手頃で安全なダイエットと言えますよね。しかし今までにも豆腐ダイエット、トマトダイエット、あるいはビールダイエットなんて呼ばれる物もあるにはありました。ところがこのりんごダイエットはそんな利きもしないダイエットとは全く違うものなんです!!何故ならこれはりんごの特性を生かしてぁ・・・」
 あまりに突然にテレビを消され、裕子はむっとした。最後の「あり・・」
っていう、せめて区切りのいいところにしてくれないと後味悪いじゃない!
 しかし、そんな事をこの人に言ったら殺されかねない。裕子はあくまで下手に出て謝った。
「あっっ、ごめんなさい、今日も遅いんですか?お仕事頑張ってくださいね。」
「・・・お前には関係ないだろう」
すみません、と謝る裕子をちらりと見る事もなく出て行く夫を見送ると裕子はほっと溜息をついた。
 今時亭主関白だなんて。ご近所の人はアンドロイドに家事をやらせて毎日遊び歩いているというのに、夫はこう言った。
「家事をするのは女の仕事だ。アンドロイドなどにやらせるな」
 確かにアンドロイドの作った料理ではなく、愛する妻の手料理が食べたい、とそう思うのはごく自然な事なのかもしれない。しかし裕子は一年程前から疲労のあまり急激に体力が低下している。掛かりつけのドクターロボットも機械的な声で率直に告げた。『コノママ ハタラキツヅケレバ アト2ネンモモタナイデショウ。アンドロイドノ ゴコウニュウヲ オススメシマス。」
「あなた・・・出来るだけのことはしますから・・万が一の事があった時のために・・・」
 しかし夫の返事は『NO』。裕子はその時、自分はこの人に愛されていない、と確信した。
「この人に一生尽くさないといけないのか・・・。」
 裕子は一人ごちた。この間、ネット上で同窓会が開かれた。かつて裕子と一緒にバンドを組んでいた仲間は今でも活躍している。裕子は結婚と共にバンドを脱退した。バンド仲間は笑顔で裕子に言った。
「やっぱ、メインボーカル抜けた時はかなりきつくてさ、新しい子見つけるの大変だったよ。」
 裕子はぎこちなく笑顔を返した。自分の話なのにまるで誰か別の女性の話をされているようだ。『奇跡の歌姫』と呼ばれるに値する澄んで濁りの無い少し高めの声。
「はぁ・・・。」
裕子は悲しかった。今からでもいい。やり直したい。そうはいっても、おそらくあの頃のような神秘的な声は2度とでないだろう。第一夫がそんな事許してくれる訳が無い。
 裕子だってそのくらい分かっていたが、もう一度あのバンドで思いっきりこの思いを歌にぶつけてみたかった。

「ただいま」
 深夜遅く、いつもの通り無機質でぶっきらぼうな声がして、夫が2階の部屋に上がっていく気配がした。裕子は出迎えない。普段は亭主関白である夫も結婚した時に、
「帰ってきても出迎えるな。そんな事をしている時間があったら、もう少し他の事に時間をかけろ」
との命令(裕子の中では申し出とか提案、ましてやお互いに尊重しあった約束ではなく、命令だ)
 裕子は一瞬考えた。いくらこの人が冷たいからって、私の自由を奪う権利はどこにも無い。私だって他の人と同じように気ままに暮らしたり、好きなところへ行ったり、それこそバンド活動をしてもいい筈。家事はちゃんとこなすし・・・裕子は決心した。自由を返してもらおう。
ほどなくして夫が居間へ降りてきた。相変わらず気難しそうな表情をして詰まらなそうに裕子の作ったシチューを口に運んでいる。そんな顔をしているのは裕子のシチューがまずいからではない。それがごく自然な事なのだ。「あなた、ちょっとお話が・・・」
「仕事で忙しいんだ。食事の時ぐらい落ち着いて食べたい」
「・・・すみません」
 ・・・駄目だわ。諦めよう。所詮この人に何を言っても無駄なのだから。裕子はそれまでの考えを振り切るように立ち上がり、夫の酒のつまみを作ろうと立ち上がった。

 翌朝、裕子は夫が出勤すると裕子は近くのデパートに向かった。久しぶりに新しい服でも欲しいと思ったのだ。
 もうすぐ冬も終わる。外は思った以上に日差しが眩しい。裕子はしばらく歩くうちに昨晩の暗い気持ちも大分晴れていた。
「あら、板倉さん?」
 ふいに裕子は隣に住む板倉の奥さんを見つけた。世話焼きで噂話の大好きな人だ。裕子はそんな趣味はどうかとは思いながらも自由な彼女がうらやましくて仕方ない。みるみるうちに気分が萎んでいった。
「あーら、片岡の奥さ〜ん!!やだ〜、奥さんも買いにいらしたのぉ?」
「え?」
 戸惑う裕子に板倉の奥さんは訝しげな視線を送る。
「アレ、買いにいらしたんでしょ?」
・・・アレ?アレって何?
「ほら、早くしないと売り切れちゃうわよ!!」
「あっっ・・ちょっと・・奥さん?!」
 まさに問答無用、いった感じで板倉の奥さんは久々の裕子の楽しみを奪っていった。

「お一人様2個限りです!お一人様2個限りです!!押さないでください!
現品10000個限りですのででお早めに!」
裕子は周りを見回した。10000個もあるんだったら、どうしてみんなこんなに血走った目をしているの?大体何をそんなにまでして買おうとしているというの?
 板倉の奥さんに聞いてみたくても他の主婦たちと同じ目をしている。裕子はまさに「狂気」という言葉がぴったりだと思った。



 裕子は板倉の奥さんに丁重にお詫びを言うと、この後も引き続きその「ある物」を買いに行くのを断り足早に家に帰った。
 家に帰りあらかた家事を済ませると、どっと疲れがこみ上げてきた。
「何でわざわざあんな物を並んで買わなきゃいけないのよ・・・。」
 あの後裕子は1時間も並ばされた挙句、板倉の奥さんが見事手に入れたそれを2つ渡された。
「よかったわぁ〜、今日は朝から運がいいわね!私なんて最近後一歩って言うところで買えない事多くって、そろそろ切れそうだったのよぉ〜。片岡の奥さんもそうでしょう?そうよね〜、ホン〜ト、特に私なんか最近又太っちゃったから普通より1個多めに食べてるのよ。あ、それでね・・・」
 裕子はなんと返事をして良いのか分からなかった。本当にこれ?!こんな物のために、一時間もならんだの?!半額にもなっていないし高級食材でもなんでもない、これのために?!
 裕子が信じられない気持ちで握り締めていたもの。それは誰でも知っているし、誰でも一度は口にした事のある、いや、あるいは食べ飽きているかもしれない・・・・。そういうものだった。
 




















    林檎。これがその果物の名前だった。








「ただいま」
 夫の無機質な声が聞こえて、裕子は目がさめた。なんだか変な夢を見たような気がする。
「裕子?・・・なんだ寝てたのか」
 裕子は次になにを言われるのだろうかと身構える。しかし、夫が発した言葉は裕子も思わず耳を疑った。
「体調が悪いなら、寝ていろ。そういう時は無理に家事をやろうと思うな」
「え」
「ほら、ちゃんとパジャマを着て寝ないとよけいひどくなるぞ」
 その上翌朝裕子が目を覚ますと、ベッドの脇には走り書きのメモと共にお粥が置かれていた。
『栄養を取らないといつまでたっても直らないから温めて食べなさい。それから今日は体調が良くなっても一切家の事はやらないように』
 裕子は複雑な思いでのろのろと起き上がりお粥を温めた。裕子は結婚してから3年が経つが、体調が悪くなった事はこれが始めて(いや、今回も決して体調が悪くなったのではないのだが)だったので、夫がこういう時どのような態度をとるのか全く分からなかった。
 大体この結婚だって、恋愛結婚をした訳ではない。ケータイをいじっていた時になんとなくお見合いをしようと思い、手軽にネット上でのお見合いをしている時にいきなりプロポーズされてしまい、丁重に断ったが「一生幸せにします」との一言に思わず折れてしまった、というのが真実だった。
 裕子は熱くなったお粥をそっと口に運んだ。
「・・・おいしい」
 どこからか買ってきた物だとばかり思っていたが、ロボットにはこの味はだせない。どんなに完璧な料理を作れても、この心から温まるような温もりのこもった味だけは、絶対に、ぜったいに。
 「私にためにあの人が料理を・・・?」
 裕子は自分の結婚した夫がどんな人なのか分からずにただお粥を食べ続けた。
 ふと、裕子は自分がやけにときめいているのに気が付いた。それは、なんだか・・・そう、初恋をしている時のあの妙なじれったさに似ていた。



カチャ・・・辺りを憚る様な微かな音が響いた。裕子はその音で目を覚ました。裕子が寝ている間にいつの間にか夜になっていたのだ。
「あなた、おかえりなさい」
「もう大丈夫なのか」
「ええ・・・。あ、あの、お粥、あなたが、」
 裕子はずっと聞きたかった事を尋ねた。
「あぁ・・・。俺が作った。昔一人暮らしをしていた時はこれでも自炊していたから」
 裕子はその時初めて気付いた。自分はこの人のことを何も知らない。相手をよく知ろうともしないのに上手くいく筈なんて無いのだ。
「そうなの。あなた、ありがとう。」
 これが裕子なりの精一杯の感謝の言葉だった。








  

「お父さん?お仕事忙しいの?お母さんがご飯よって。」
 研究者は娘の声に気付き、優しく言った。
「ありがとう、でも忙しくてね。後で食べる事にするよ。」
「分かったわ。お母さんにそう伝えておくね。」
 研究者は娘がいなくなったのを見届けると大きくため息をついた。とてもじゃないが食事などとれそうにも無い。それは時間が無いからではなく、こんな研究の合間に食事を苦もなく取れる程タフな精神を持っていないためだった。分かりやすく言おう。地球人滅亡の真相はそれほどまでにグロテスクであり、出来れば知りたくないような内容だったのだ・・・。
「彼らの死の原因は地球上の多くに見うけられるある果実だと思われる。その果実の名前は『Apple』。その果物の色は主に青、赤である。地球に残されている書物によれば地球人は好んで口にしていたという説もあるが、ある王女は自分の義理の母親にその果実で殺害されたとの記録も残されている事から、地球人にとって害のある果実と推測できるだろう。
 また地球上に人類が誕生する以前、その果実によって知恵がつき神に見放されたという伝説がある。それはおそらくその果物に害があることをよく理解した上での物である可能性も高い。
 しかし、近年になって彼らは忘れてしまったのだ。その果実の恐ろしさを認識しておらず、あのような事件が起きたのであろう。
 そう、それはJAPANと呼ばれるある島国の女性たちの噂から発祥した・・・」




 裕子は何があったのか理解できなかった。お粥のことで夫にお礼を言った所までは覚えている。その後、確か夫が冷蔵庫を開けて何か果物を食べさせてくれようとしたはず・・・風邪のときはフルーツをたくさん取れって。
そしたらちょうど昨日買ってきた林檎を見つけて・・・。
 殴られた?
 どうして?
 ただの林檎よ?
 裕子はまだ怒り心頭の夫を見上げた。
「どうして林檎なんか買ったんだ!!お前まさか林檎を食べていないだろうな?!」
「で、デパートに洋服を買いに行った時にい、板倉さんの奥さんに逢って『アレを買いに来た』のか聞かれたのだけど『アレ』が何なのかわからなくて結局一時間も並ばされた挙句買ったのがこれだったの。私林檎より苺や梨の方が好きだから食べる気にもなれなかったし・・・
まだ一口も食べていないわ。でもどうして食べちゃいけないの?」
 夫はようやく怒りも収まったのか穏やかな、しかし哀しそうな顔で裕子に尋ねた。
「裕子・・・。お前は俺と暮らしていて辛い事が無いか?他の主婦たちのように自由奔放に暮らし、家事はアンドロイドにすべて任せ、やりたいことだけをしていたいと思うこと、俺には何も言わないが絶対にあるはずだ。俺自身、酷すぎやしないか時々不安になる。怒らないからすべて言ってみろ。いいか?すべてだ。」
「私・・・、昔バンドを組んでたの。楽しかったわ。私がボーカルでね、多分私のこと過大評価してくれてただけだと思うんだけど『奇跡の歌姫』なんて呼んでくれる人もいたのよ。だけど・・・あなたとの結婚でバンドを抜けたわ。淋しかった。凄く淋しかったの。だって、あなたは私に関心を持っていないんだもの、辛いわ。だから家事は頑張るけれどもう一度バンド活動も昔ほど頻繁には無理だけどやってみたいの。それだけよ。ただね・・・。」
 裕子は涙を飲み込んだ。まだ30にも手が届かない若い女性なのだ。死ぬのなんてずっと先の事だと思っていた、普通の。
「去年ドクターロボットに宣告されたのよ。このまま働き続ければ後二年ももたないって。アンドロイドの購入を勧めるって。でも私まだ死にたくないのに・・・・・・」
「知ってたよ」
「え」
「裕子があと何年かしか生きられないって俺もあの時言われた」
 衝撃だった。夫は、この人は知っていながら私を・・・見殺しに・・・
「酷いわ・・・知っていたのにそれでも私の事守ってくれなかったのね」
 裕子が多少の憎しみを込めて見上げるとなんと夫は事もあろうか笑っている・・・!微笑をたたえて裕子を見つめている・・・!!
「私が死ぬのがそんなに嬉しいの?」
 裕子はいたって真剣に尋ねた。
「それは違う。だけど本気であのアンドロイドの言う事を信じている裕子はおかしくてたまらない。」
 夫も裕子と同じくらい、真剣に答えた。
「ロボットはミスが無いし嘘をつかないわ」
「だが命令通りに動く」
「それのどこが・・・え?」
 裕子ははっとして夫を見た。口元には微かな微笑が浮かんでいるが、その目は全く笑っていなかった。
「研究所は俺たちのことをマークしていた」
 夫の突拍子の無い答えに裕子は訝しげな表情を見せる。
「裕子の気持ちは分かる。でもそれが真実なんだ。これから話す事すべてを信じてほしい。」
 裕子が小さく肯くのを見ると夫は話し始めた。
「連中・・・研究所の研究員たちには成し遂げなければならない野望があった。コレが事の発端だ。いや、もしかしたら俺にすべての原因があったのかもしれないな・・・。この事については後で話そう。とにかく、連中は一人残らずアンドロイド依存症にする必要があった。」
「アンドロイド依存症?」
 聞きなれない言葉に裕子は怪訝な顔をした。
「アンドロイド依存症、これは何でもアンドロイドにやってもらっている人間なら誰でもなりえる。たいていの人間はアンドロイドに家事や仕事をしてもらっているから何も出来ない。これはれっきとした依存症だ。最も、連中はそんな依存症は無い、アンドロイド嫌いが勝手にそういっているだけだと発表してからはもう誰もアンドロイド依存症について何も考えないが。」
「難しいのね」
「そうでもないな。本題に戻すがもう分かっただろう?俺たちは何故マークされていたのか?アンドロイドを使用していなかったからだ。だから裕子に嘘を言った。お前は余命2年だとな。」
「・・・でもおかしいわ、あなたの言う通りだとするとどうして研究所は私たちをその『アンドロイド依存症』にする必要性があったの?確かに私たちがアンドロイドを購入すれば研究所の利益は上がるわ。でもそれだってわずかな物でしょ?」
「林檎のためだ」
 り・ん・ご・の・た・め・?
 裕子は床に転がっている林檎に視線を落とす。真っ赤に熟れていて、とても大粒の物だった。きっとこれを真っ二つにすれば燃えるような皮の色とは対象に、クリーム色の果肉が顔を出し、噛めば口の中でむせ返るような甘い香りとたっぷりの果汁が溢れ出すのだろう。それでもこれはただの林檎なのだ。その筈なのだ。
「林檎・・・俺たちが子供のころはまだなんでもない果実だった。風邪を引いた時なんかはよく食べたよ。ビタミンが苺や檸檬なんかよりも豊富で、しかも殺菌作用もある果実だったから」
「過去形なのね」
「ああ・・・、近年になって林檎は全く違う物になった。それも目で見える程のハッキリとした違いだ。これはエデンの林檎、つまり麻薬だ。
大麻と同じ、いや、それ以上の効力を持っている。」
 そういうと夫は林檎を掴みキッチンへ向かう。そして果物ナイフをだして裕子の目の前で真っ二つにした。
「・・・・・・なにこれ」
 林檎からは甘い芳香が漂っていたが、裕子は林檎の果肉の色を見て猛烈にめまいがした。
・・・どす黒い赤。しかもその色はどこかで見たことがあった。
 林檎の甘い香りの中にほんの少し鉄くさいというか・・・・・・血なまぐさい匂いが混ざっていると思ったのは裕子の行き過ぎた想像力による物なのだろうか・・・・・・
 裕子はグロテスクなそれに耐えられず、夫の腕の中で気を失った。
   





 裕子は白亜の城の中に立っていた。痛い程に眩しい壁が突然、霧へと変化し、裕子は前も後ろもわからないまま何を求めているのかすらも曖昧になっていく・・・・
 ホワイトアウト、白い闇。
 この先には、一体何が見えるのだろうか。
 しかし、裕子がその先を見ようと思って目を細めた瞬間、あっという間に霧の世界は崩壊し、赤い閃光が怪しげに裕子を照らした。
 気が付くと裕子の周りには幾千もの林檎が裕子をあざ笑っていた。


「裕子・・・気が付いたか」
「・・・・・・あなた?」
 そこは見慣れた裕子たちの寝室だった。
「悪い夢を見ていたんじゃないのか?随分うなされていたようだが・・」
 裕子は無理に笑顔を作った。
「なんでもないわ」
「そうか」
「・・・・・・」
 ふいに裕子はさっき見た血のように赤い林檎のことを思い出した。夫はもう林檎はただの果実じゃなくなった、確かそう言っていた。とはいえ、それはどう言う事なのだろうか?大麻と言われても林檎があまりに身近な物であるせいかいまいちピンとこない。
「ねぇ」
 裕子は努めて冷静に聞いた。
「林檎は・・・どうして・・・あんな色、なの?」
 答えなんてきっといくらでもあった。例えば紅玉と陽光という人気の無い品種同士を合わせたら、こんな色の物が出来てしまったんだ、とか・・・ブルームレスの胡瓜を作るのと同じ様に南瓜と胡瓜の雑種ではなく、トマトと林檎の雑種、なんていうありがちな答えがもっともっと一杯、無くてはいけない。
 裕子はもう一度聞く。どうして、あんな色なの。



 裕子の夫、修二は昔から無口だった。頭の中で言いたい事を簡潔にまとめる事はなんでもなかったが、それを口に出す事をなんとなく恐れていたのだ。しかし、人一倍物事を真剣に受け止める真面目さと並外れた頭の良さに目をつけられ今の会社に入社した。
 しかし修二にはたった一つ欠点があった。それは女性の愛し方を知らない事。彼は今まで裕子以外の女性を愛した事が無いのだ。
 だから裕子に辛い思いをさせているのではないかと思うこともしばしばだったのだ。
 しかし、いまなら・・・いまなら伝える事が出来るかもしれない。俺は普段口に出来ないが本当はとても大事に思っていると言う事を。言葉で表す必要は無い。態度で・・・遠まわしに言ってしまえばいいのだ。
 とはいえ、裕子に今そのような趣旨の話をするのは間違っているような気もする。何故なら今は修二が思っていたよりもずっと早く、人類に危険が迫っているからだ。
「・・・・・・裕子」
 修二は震える声で言った。
「林檎による侵略は俺が思ったよりも早かった」
 焦ってこの事と何の関係も無い事を言ってしまった・・・。こんな事は生まれて初めてだ・・・。
「?」
 だめだ、伝えられそうにも無い。今は林檎の事についてだけ話し、この事については機会を待とう。そう決めた修二は割合に落ち着いた声で話した。
「何故林檎はあんな色になったかだったな。話を急ぎすぎたようだ。すまない。林檎は品種改良の際にあんな色へと変化した」
 裕子はほっとした顔を見せた。
「しかしー、裕子が思っている物とは違う。ただ単に品種が変わったのではなく、連中にとって林檎は今までになく美味な味だけではまだ足りなかった。人間がどうしても離れられなくなるような何かが無いといけなかったんだ」
「連中って・・・まさかすべてコンピューター研究所が原因だっていうの」
「ああ。だがそのことについてはまだだ。お前にすべてを話すのはまだ早すぎる。とにかく林檎はある物を投与される事により別の物に生まれ変わってしまった。」
「それって・・・・・・」
 林檎から僅かに漂った血生臭い匂い。もしそうだとしたら・・・・・・。まさか、そんな事ってあって良い物なのだろうか?
「人間、だよ」
 やっぱり。でも信じたくない。大体そんな事あるはず無い。それにそんな証拠、何処にもないでしょ?
 修二は黙ってもう一つ林檎を持ってきた。そして縦ではなく、横向きに林檎にナイフを当てた。
「何に見える」
 修二が指したのはやけに白っぽい種だった。
 五個の種が紅い果肉の中につやつやと輝く。
「花びらみたいだわ・・・星にも見える」
「手足を広げた人間にも見えないか」
「!!」
 確かに。でもこじ付けにも思える。
 そういうと修二は微笑んだ。
「梨は蟻の実、じゃあ林檎は?」
「わからないわ」
「人間の実だ。そういわないのは人間側としては気持ちのいい話じゃないからだ」
「・・・あなたの言う通りならどうして板倉さんや他の奥さんたちは平気で林檎を口に出来るの?どうしてあんな色をしていて気持ち悪いとか思わないの?どうしてデパートで売っているの?ねぇ・・・どうしてなの?どうしてなのよ・・・・・・」
 こらえきれず裕子は泣き出した。
「・・・何も知らないからだ。テレビでは主婦向けの番組で飽きるほど紅いのは林檎本来の美味しさを最大限に引き出すためだとアナウンサーが言っていたし、何より食べるだけでダイエット効果があると信じている。しかもこの世のものとは思えないほど美味だ。このことを知っているのはせいぜい俺と研究所の人間くらいだ。」
 裕子はあの時のテレビを思い出した。そういえばりんごダイエットがどうとかいっていた気がする。
 だからあの時あんなに突然テレビを消したのだ。裕子にそのりんごダイエットを印象付けないために。裕子はもう一度泣きたくなった。私はちゃんと愛されていたのに、気付かなかった。なんて馬鹿だったんだろう。


 





ピンポーン。
 不意にチャイムの音が響いた。裕子は泣きはらした顔を上げた。
「誰かしら・・・・・・」
ピンポーン、ピンポーン。
 裕子は不審に思いながらも玄関へと急いだ。
・・・そこに意気揚々と立っていたのは板倉の奥さんだった。
「お夜分にごめんなさいねぇ〜、あのぉ、奥さんのトコ、林檎無いかしら?」
「?」
「だ・か・ら・り・ん・ご・あ・り・ま・せ・ん・?」
 裕子は返事に困った。林檎は切ってあるがある事にはある。彼女に渡しても別段困る事は無いだろう。しかし彼女は知らないのだ。彼女が崇拝しているこの果物は人間を原材料に作られていると言う事を・・・・・・。
「無いの?」
「・・・・・・」
「あるならくれない?私のうちにいまりんごがないの・・・」
「板倉さん?」
「わたしね、りんご、たべたいの。でも、うってないの。だから、ちょーだい」
 言葉がだんだん幼稚になっていく?そんな馬鹿な。
「あの・・・板倉の奥さん、冗談は辞めてください。」
「あたしね、たべたいの。たべたいの。りんご、たべてい〜い?」
・・・・・・林檎の副作用で林檎を多量に摂取していた板倉和美は精神年齢が異常に低くなってしまっていた・・・。 
  
 
「何?!」
「だから、板倉さんの奥さんが・・・。」
 裕子はまだ玄関でぐずっている板倉の奥さんに目を向けた。確かに麻薬により知能が著しく低下するというのは本当にあるらしい。しかし、本物の子供のように精神年齢が低くなるのではなく、学力が低下し我々の様に言語を豊富に使いこなせないからだと聞いた。
 ところがそこにいるのは大人の姿をした子供だ。裕子に成す術は無く、夫の修二にどうするべきなのか聞きに来たのだ。
「・・・・・・」
 修二は黙って子供になった板倉和美を見た。
「これしか・・・無いのか?本当に?」
 何度も自問自答を繰り返す。しかしどんなに頑張って他の案をひねり出そうとしても無駄だった。
 修二は悲痛な面持ちで彼女に近づいていく。
「あなた・・・・・・?」
「林檎、食べるかい?」
 板倉和美は元気よく肯いた。
「たべるたべる!!かずみねぇ、りんご、たべたかったの。はやく、ちょ〜だい。」
「ちょっとあなた・・・?これじゃ板倉の奥さんが・・・」
 裕子は青ざめた。何故ならば・・・・・・
 林檎にかぶりついた板倉和美は突然泡を吹いて倒れた。
「うがっ・・・ぐぐっ・・・ぐぇぇぇっっ」
 修二が林檎に注入したそれ。青酸カリウム、だった。
「あなたっっ!!板倉の奥さん死んじゃうわっ!!たすけてあげ」
「無駄だよ、もう死んでいる」
 修二は辛そうに目をつぶり彼女に幸福の祈りを唱えた。
 天国なんか信じないが、もしそんな所があるとしたら、もう二度と林檎のような物に惑わされずに幸せでいられるように。
 最も、天国に行ければの話、だが。



  

 ・・・裕子は泣いていた。
 それが板倉さんが死んだからなのか、死体を見てしまった恐怖からなのか、もしくは信じていた夫が板倉さんの奥さんを殺したからなのかは裕子自身判らなかったが、とにかく無性に悲しかった。
「・・・もう遅い。寝るぞ。板倉さんは明日火葬して手厚く葬る事にする。いいな」
「・・・・・・死んじゃったわ・・・」
「裕子?」
「彼方・・・?板倉さんの奥さんを殺したのよ?いくら林檎を食べていたからと言って何も知らない彼女に罪は無いわ!!こんな事って・・・残酷すぎるわよ・・・。どうしてこんな事したの・・・」
 修二は別段驚かなかったしましてや動揺もしていなかった。しかし・・・
 やはり純粋な裕子にこのことを告げるのは残酷すぎないか?とはいえ裕子はこのまま疑いを晴らさないでいたのなら、後で自分の言う事を信じず、決して拭えぬ過ちを犯す可能性もある。
 修二は出来るだけやんわりと伝えられる様努めた。
「これしか方法が無かったんだ。彼女は半分林檎に食われていただろう」
 どういうこと?
 林檎に食べられていたんではなくて、板倉さんの奥さんが林檎を食べていたのよ?
「彼女は中毒者の一人だ。林檎中毒も度を超すと林檎が人間の体を蝕み始める。つまり林檎に食われる状態になるんだ。そして放心状態になりそのまま毒は体内を駆け巡り、死ぬ。彼女はその一歩手前だった。だから殺すしかなかった」
「そんな・・・せめてもう少し生かしてあげたかったのに・・・」
「中毒で死ぬと問題がある」
 裕子の言葉をさえぎるように修二は言葉を続けた。裕子ははっとして夫を見上げる。
「・・・人間の体内で林檎に含まれる抗生物質と各器官が化学反応を起こし始める。それにより有害ガスが発生する。
 そのガスが空気中の水分に溶け込み、土に染み込む。それを養分として出来る果実が・・・」
「林檎、ね」
「そういうことだ。空気中の水分の大半は人間が吐き出してしまうから何の効果も無いが林檎となるとそうはいかない。そして人間はどんどん死んでいく上に林檎の数は増え続けていく。」
「コンピューター研究所にとってこれ以上は無いって事よね。ねぇ、それはわかったけれどどうして彼方はこのことについてこんなにも詳しいの?これ、コンピューター研究所だって内密にしているはずよ」
「・・・・・・俺は元コンピューター研究所の極秘任務遂行員だったからだ」
「えっ?」
 裕子は思いがけず夫のやや哀しそうな横顔を見つめた。
  
日本コンピューター研究所極秘任務遂行委員会と言えば、その名前を口にするのも躊躇われるような場所だった。それは決して悪い意味ではなく、むしろ日本中の男性が憧れている職業だった。ただ、あまりにも高度なため、そこに勤める自分を思い描く事も許されない、はかない夢だったのだ。
 その研究所を辞めた・・・?(いや、辞めさせられただけなのかもしれないのだが・・・・・・)裕子には理解できるはずも無かった。
 それよりもどうして夫が、こんなにもロボット嫌いの夫が何故そんなところに関っているのだろう・・・








「引き抜き・・・ですか?」
 やや戸惑いの入り混じった表情で修二はその女を見つめた。いかにも仕事の出来そうな女性だ。グレーのスーツに身を包み、メイクもやけに地味だ。
漆黒の髪は後ろでまとめてある。さしずめ仕事にしか興味の無いであろう社長の秘書、という所だろう。
「ええ。そう言う事になります。社長が片岡さんのような真面目な方を我が社に是非、お迎えしたいと言っております。無理にとは言いませんわ、でもこんな良い話を断る必要があるのでしょうか?勿論うちは最高の条件をご用意してありますのよ。それに失礼かと思いますがお宅は最近倒産の危機に陥っていると言う噂、本当だと言うじゃありませんの?ですからこのお話、悪くは無いと思いますが・・・」
 修二は溜息をついた。そういう事じゃない、俺が聞きたいのはどうして俺なんかが引き抜かれたかなんだ。さっきから俺の真面目さを買ったとか言っているが本当に真面目な社員を求めているのならアンドロイドを使えばいいだろう。何故今時生身の人間を使うんだ。
 ・・・とはいえこんな良い話はめったにあるわけじゃない。修二はその話を不意にしたくない一身であえてそれ以上何も言わなかった。






「・・・・・・それが、コンピューター研究所との最初の接点になったのね」
「ああ」




 修二が引き抜かれた理由?それは本当は我々が思っているよりも単純な事なのかもしれない。それでなければ・・・ぞっとするくらい複雑で入り組んだ事なのかも・・・・・・









 ※今回は誤字修正だけにさせて頂きました。
2004/03/28(Sun)22:18:53 公開 / 夢幻花 彩
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■作者からのメッセージ
 久々に書いてみました!!
 裕子の夫、修二が最初想い描いていた人とかなり違う人物になってきているでしょうか? もっとスピード感のある小説になれば良いのですが・・・乏しい想像力と未熟な文章しか書く事の出来ない自分が恨めしいです!! それにしても13歳の子供の私がこんな小説を書かせていただいたり、ましてや感想を頂いたりしてありがたいと思っています。大分ラストが近づいて来ていますが、どうか最後までよろしくお願いします。
 続きも頑張っていきたいと思いますので、よろしければご感想、改善した方が良いと思われる点がありましたら教えていただけると幸いです。
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