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『Drawing of a life 1〜5』 作者:エレル / 未分類 未分類
全角32089文字
容量64178 bytes
原稿用紙約100.9枚
 この世界では、いわゆる魔法と呼ばれるものは御伽噺の中だけの存在ではない。
 塵から火を焚き、地から水を湧かせ、間から風を凪ぎ、無から有を生む。
 それは、奇術ではなく魔術、遊戯ではなく学問、道具ではなく武器、嘘ではなく真として、
 終わることのない研究と工夫の嵐の中で絶えず世界の中心にその身を置いて活用されてきた。
 これは、魔法が人を傷つけ支配し殺戮する兵器として散乱する世界で、
 只一人生命を司る魔法を持つこととなった一人の少年のお話……


Drawing of a life


第一話 日常が消えた日

「お、終戦したってさ。ガストとクレミア」
 茶の混じった感のある黒髪に黒眼、長身痩躯でだらしなく制服を着付けた18歳前後の頼れそうな男が、コーヒーカップに何度か口付けながら新聞を片手に持ってその内容を隣の友人に伝えた。
 告げられた方の友人、輝きの薄い銀髪と奥の奥まで灰一色な眼球が特徴的な、寝呆け眼を引き締めることなく垂れ下げ足下もおぼつかないどこか抜けた印象を受ける細身の男は、少なめの朝食を統率なく二枚の皿に盛りつけて乗せたトレーをテーブルに置き、男の話には興味なさげに頷きながら一つ欠伸をかいた。
「眠そうだな……徹夜か?」
「……んにゃ。寝過ぎて眠い」
 目をシパシパさせながら頭を掻く銀髪の男の体たらくに、黒髪の男はいつもの光景ながら溜め息を漏らした。
「お前なぁ……折角人殺ししなくて済んだんだからもう少し喜べよ」
「ん、大丈夫。戦地に行っても俺、人殺したりしないから」
 珍しく自信ありげに言い切った親友の発言に、男は槍でも降ったかのような驚きを見せた。
「そりゃ素晴らしい考えですなリル君。俺は誰も殺さない、ってヤツか? 綺麗事を否定するつもりじゃないし大事なことだとは思うが、戦場がそんなに甘い場所じゃないってことぐらいお前も理解してるだ……」
「いやいや、勘違いしてもらっちゃ困るなバルク君。戦場なんて行ったら俺、人を殺す暇もなく真っ先に死ぬだろ?」
「ろっ……?!」
 嘘でも強がってほしいところでこの男、リルは簡単に死ぬなんて言葉を吐く。
 そんなやる気の無い発言もいつものことといえばいつものことなのだが、この男の場合放っておくと本当に造作もなく死にそうな気がするので、バルクは学園内でいつもリルの保護者に近い役割を担当していた。

 朝食の時間は短い。寝坊に加えて軽く雑談でもしようものなら、たちまちチャイムはその高音を爛々と響かせて授業の始まりを告げてくる。
「あ」
「あ、じゃねぇ! 早く食え!」
「無理だよ今持ってきたんだから。いいや別に。授業も面倒くさいし一時限は欠席で……」
 と言ってフォークを持ち直そうとしたリルの首根っこを、バルクは乱暴に掴んで椅子から引きずり上げた。
「授業が面倒くさくて朝食採るなら、朝食を面倒くさがれば授業にも出れる!」
「どういう理屈だよそれ……うわっ?!」
 返答は待たずにバルクはそのままリルを引きずり回し、チャイムが鳴り終わる前に一階の食堂から三階の教室まで一瞬で駆け上がった。
 公害に近いまでの騒音を奏でる腹の虫の所為で結局リルは五分と経たずに廊下に追い出されてしまうのだが……まぁ、それはまた別の話である。

 ここは世界でも有数の軍事大国、リノ帝国の最北端。
 窓を覗けば国境が見えるような、まるで城塞のように不自然な位置に建てられた学校、リノ第三国立魔道養成学院。
 ここにはその名の通り、魔道を修得し洗練するために最適な設備が整えられ、院生は日々授業と修練を繰り返して、世界から認定を受け講義要項の一つとされている魔道学の基礎を学び、生活の役に立て、時には自らの保身の為の防護技術としてそれらを身につけて卒業している。
 ……というのは表向きの話。
 魔法が生きる為に必要と世界が判断した今、魔道養成学校と名乗る学院は世界中にいくらでもある。
 資源を必要とせず、個人の体力に任せて連続使用が可能で、法の下に正しく使用すれば必ず人類の発展に繋がるとされた魔法は、もはや義務教育の一環とまでされているのだ。
 もちろん、リノ帝国内にも魔道養成学校と名を冠する学院は多く存在するのだが、この学院は少し違った。
 東、西、南が海に面した大陸最南端の帝国。その国の最北端に、まるで防壁のように位置する魔道学院。同盟国の危機とあれば快く送られてくるリノ帝国の大抵の増援兵はそこの在院生であるという現状から、他国から見ればそれは少し素養の高い生徒を扱っただけの普通の養成学校程度にしか映っていないだろう。
 が、しかし、現状は少し違った。
 この学院への入学に際し問われる条件は一つ。
 魔法が使えるか否か。
 ……おかしな話である。
 魔法を教えるはずの学院に入学する為の条件が、魔法を使えることなのだから。
 魔法というものは素質である。
 親からの遺伝、人生の中での経験、その中で成長する資質。
 それが重なりに重なりを繰り返すと、何の知識がなくとも個人の身体の中で魔法は発現するのだ。
 それは国にとって、世界にとって未知の力。
 国に依って定められた魔法は、素質ではなく研究を繰り返して開発された、いわば模造品のような魔法だ。
 とは言っても研究の成果もあって、今では木々から水を収束したり、紙から火を起こしたり、吐息を風車を回転させるほどに増幅させたりと、素質だけで目覚めた欠陥品な魔法より余程実用的なレベルまで開発が進んでいる。
 そう、素質で発現した魔法のほとんどは、そのままでは非道く意味の解らない不完全なものがほとんどだった。
 その為、この学院に入学を希望する親の大半は子の使役する不可思議な力が魔法か否かも解らずに受験に挑戦するのだが、そのほとんどが合格の印を獲得する。
 それが魔法であれ別の何であれ、国にとってその個体は良い実験体に他ならないからだ。
 実験体。そんな扱いを受けることは親も良く理解している。
 だがそれでも入学希望者が後を絶たないのは、入学だけで貰える有り余る寄付金の所為だろう。
 普通に生きていれば十年は軽く保つだけの金額が楽に頂ける。
 そして将来我が子が自身の魔道を確立させ、軍部で昇進するようなことがあれば、それで末代まで遊んで暮らせるような大金が転がりこんでくるのだ。
 今の世の中で、それが最大の親孝行とまでされている。
 おかしな世の中だと批判する人間もいるが、魔道は遺伝だと言って有能な魔道士の人工受精やクローン生成など黒い話の絶えない国もあるのだからそれに比べれば、と享受する家庭がほとんどなのが現状だ。
 もちろん他の国に言えた話ではないので国内だけの話だが、いつ情報が漏れてもおかしくないくらいに国内ではリノ第三国立魔道養成学院は有名な話となっている。
 偽善に等しい発言よりまず第一に、実際そんなことを行っている国があるとすればそれに対抗出来る軍事力を保持することは軍部の義務である、という声がリノ帝国では最も高まっていた。
 その為、リノ第三国立魔道養成学院には毎年新入生の人材が絶えることはない。
 そしてそのほとんどが、今までに入学希望のあったどの生徒とも違う、世界にとって未知の魔法の修得者なのだ。
 ダイヤの原石そのものである。
 生徒は入学と同時に、まず世界機構で定められた基礎魔道知識と同様の技術を学び、それと並んで自己の魔法の研究を開始する。
 魔法の構成、性質、労力、そして……軍事的効果。
 これがこの学院の目的のほとんど全てだった。
 構成を解明して実用化し、軍事に流用する。
 性質を解明して効果を発展させ、軍事に流用する。
 労力を理解して効率を高め、軍事に流用する。
 最強の魔法帝国を築き上げ、そしてその力で大陸を……

 リル・ウィンダムとバルク・ランドクルーズ、そしてその他にも大量の生徒が学院に在学しているが、物心ついた頃には既に院内に送られていた彼らは、自分達の親が何を思ってこの学院に自分達を送ったのか、自分達は何故毎日こんなことをしているのか、そして自分達の国は何を考えているのか……
 彼らはその全てを知らずに、ただ院内で魔法を高めていた純粋な少年だった。
 何の罪もない純粋な少年だった。
 不幸が降りかかるには相応しくない、心の底から純粋な……少年だった。

「よし。そんじゃ始めるぞ〜」
 午前最後の授業は校庭での実戦訓練。
 生徒同士が個々の魔法を用いて相手を倒すまで全力で闘う、最も血の気の多い時間。
 一部の好戦的な者を除いては、総じて生徒が嫌う時間である。
「っしゃ! やるぞリル!」
「嫌だよバルクとなんて……また午後の授業受けられなくなるじゃん、ってああぁぁぁ……」
 いつもながらリルの抗議は無視され、バルクは少し広い場所にまでリルの身体を引っ張っていく。
 ちなみにお解りの通りバルクは数少ない好戦的な者の一人だったりもするのだ。
 リルの身体はまるで物のように扱われてバルクの前方に放り投げられ、バルクは足を肩幅に広げて早々と構えを取った。
 リルは受け身も取らずに頭から地面にぶつかり、放り投げられたままの体勢でダルそうにう〜んと唸っていたが、背後でバルクが魔力を高めるのを感じ取ると流石のリルも慌てて立ち上がって構えを取った。
「っしゃあ! 全力でいくからな! 覚悟出来たか?!」
「とっくに出来てるよ。 てかお前はいつでも本気だろ……」
 手を垂れ下げ足も極端には開かず、決して腰を低く構えるわけでもなくバルクは自然体のままやる気だけを満ち満ちとさせている。
 対してリルは、前後左右どの方向にも飛び退けるように低く低く構えて足を広げ、両手もいざという時の防御の為か十字型に組んで、バルクの動きを一瞬たりとも逃さぬべく真剣に睨んでいた。
 何故、同じ魔法使い見習いのはずの彼らにこれほどまで違いが現れるのか。
 当然、幾万通りにも分かれる魔法のスタイルの違いからなのだが……
 同様に周囲で戦闘を始めた者はそのほとんどが自然体からの魔法のスタートだった。
 何故リルだけは、ここまで格闘家に似たスタイルをとらなければならないのか。
 通常、入院時にどんな魔法であったにしろ、ここで修練を積まされれば強力な攻撃魔法に昇華される。
 他の利用方法も必ずあると思える魔法ばかりなのだが、この施設がそういう目的で作られたのだから仕方がない。
 隣人にくしゃみを誘発するだけだった魔法は強力な毒性ウイルスへと形を変え、少し離れた人と意思の疎通が出来るだけだった魔法は有害な超音波へと形を変えた。
 ここはそういうところなのだ。
 無論、リルの魔法も入院当初と比べれば明らかに学院によって戦闘用、いや戦争用に改造された。
 だがそれでも尚、リルは戦闘に突入すると格闘術に頼るしかなくなるのだ。
「いくぜっ!」
「――っ?!」
 蓄えた魔力を右手に収束させ、バルクがそれをリルに向けて一気に放出する。
 それはリルにとって予想外に、真っ直ぐと自分の身体、しかも顔に向かって飛んできたのが解った。
 魔力の流れは通常目で見えるものではないが、同じ魔法使いなら感覚だけで正確にその動きを読み取れる。
 まぁ読み取れたとしても常人に反応するのは困難なくらいの速さで移動しているのだが……
 リルの予想外はそんなことではない。バルクが魔力を体外に放出してそれを能力発動の基点にすることなど、今まで何万回も見てきた攻撃方法だ。
 リルのとって予想外だったのはその軌道。
 それが自分に向けて飛んできたことだ。
 いつもならバルクは、威嚇としてリルの前、右、左のどれか一方の足下に向けてそれを放って動きを制限し、その後で横か前後かの二択をかけてくるのが定石だった。
 最初の威嚇をかわす為に飛び退けば用意していた左手の魔法の餌食となる。
 威嚇に反応せずもう一方の魔法に集中したとしても、一瞬の判断ミスで直撃を受けることとなる。
 それは、解っていても容易に避けられるものではない。
 まずバルクは体外で操る魔力の速さと正確さが尋常ではないのだ。
 ”彼の魔法”でこれだけの魔力の扱いをされたら、反則としか言いようのないレベルである。
 リルも、この最初のやり取りだけで三回に一回は実戦訓練を敗北に終えている。
 受け手にとって分の悪すぎる博打と言えるが、リルには受け手に回るしか方法がなかった。
「捉えたぁっ!」
 そのバルクが、だ。
 いきなり敵本体を狙ってきた。
 狙い通りなのだろう、リルの反応は明らかに遅れ、リルの身体を包むようにバルクの魔力が球状に固まっていく。
「くっ!」
 リルが慌てて真横に飛び退いたが一歩遅い。
 バルクの魔法は、リルがその効果範囲外に逃げる前に発動、炸裂した。
「BOMB!」
「ぬぁっ?!」
 突如として、何もなかったはずの空間から小規模の爆発が起こる。
 リルの下半身は明らかにその爆炎に包まれ、衝撃で身体はかなり遠くまで吹っ飛んだ。
「くっそ……!」
 痛みが全身を襲うが休んでいる暇はない。
 リルは吹っ飛んだ勢いも消えない内から両手を地面について身体を跳ね上がらせて立ち上がった。
 着地が上手くいかずに片膝をついたが、その目は鋭くバルクを捉えて動きに見入る。
 が、それも一歩遅かった。
 リルの視点がバルクから自分の周囲へと移る。
 リルの身体は、魔力に取り囲まれていた。
 バルクの青々とした魔力に。
「まだ抵抗するか?」
「……参った」
 バルクの問いにリルは溜め息をついて両手を挙げる。
「じゃBOMB」
「ぎゃっ?!」
 無抵抗の民が権力者に八つ裂きにされるがごとく、リルの身体は薄笑みを浮かべたバルクの掛け声と共に爆撃された。
 黒焦げになって地に伏すリル。
 その力無い身体から突如として僅かに光が漏れ、リルの身体を包んでいく。
 するとどうだろう。不思議なことに真黒く染まった皮膚がじわじわと色を戻していった。
「だぁぁっ! 降参した人間を爆破するな!」
「いいだろ。それもいつものことなんだから」
「当然のように済ますなぁっ!」
 そう。それがバルクの能力。
 自己の魔力を作用させて中空で爆裂を引き起こす。
 バルク自身、魔法の威力ばかり磨いて研究を怠り気味な為詳細は余り解明出来ていないが、とりあえず彼の魔法は爆発を起こすのだ。
 しかし、成績が下がってペナルティがつくのも無視して大した研究もせずに魔法を鍛え続けてきただけあって、その威力は院内でもトップクラスの出来を誇っている。
 通常、体外でその組織を留めることすら困難とされる魔力の維持、そして移動。
 その速度と正確性。発動時の威力。
 幸か不幸か彼に実戦経験はまだないし、模擬訓練中も正面からの真剣勝負を好む為にその魔法は”強力”の形容で留まっているが、もし彼が実戦に赴き、その心を闇に染めて敵の背後でも取ろうものなら、何よりも恐ろしくなるであろうその暗殺技術は”凶悪”と呼称されることも間違いない。敵は何が起きたか気づく間もなく炎に包まれていることだろう。
 いや、リルを襲ったあの爆破でさえバルクは手加減している。
 本気で炸裂させれば炎も必要とせずに敵を粉々に吹き飛ばすことも可能だろう。
 魔力を敵の周囲ではなく体内にまで侵入させることが出来れば、中からグチャグチャにすることすら可能かもしれないのだ。
 彼自身そのような方法を試したことはないし、そのような手段を使う気もない。
 が、自分がそれだけの凶悪性を秘めていることは理解していた。
 そして自分がそれだけの魔法を授かってしまったことを非道く恨めしく思っていた。
「あ〜腹減った。 眠。 そして痛」
「”空腹”が最優先事項かよ……」
 爆撃を喰らったことの残り香すらも感じさせない程に身体の傷が癒えたリルが、大きく欠伸をかきながら呟いた。
 そう、そしてこれがリルの能力。
 どんな怪我でも綺麗さっぱり。
 生きたサンドバッグになるために発現したような能力。
 ……かどうかは定かではないが、とりあえず彼がその魔法の所為で毎日バルクの遠慮ない魔法攻撃相手の玩具となっているのは事実だ。
 彼の魔力は、彼の意思と関係なく彼の身体の傷を癒し、彼の意思と関係なく彼の触れた者、物の傷を癒す。
 リルはバルクと違って一生懸命に自分の魔法の研究もしてきた。
 が、歴史上見られたどの魔法とも毛色を違えたその魔法の性質の所為でほとんど思うように解明は進まず、努力も虚しくリルの評価はバルクと余り変わらない。
 実戦教習で劣る分リルの方が低いくらいだ。
 そして、院内の研究員の中では彼の魔法の危険性を示唆する者も多い。
 果たしてその根元は何にあるのか。
 細胞分裂の促進か? ならば寿命が削られるのか?
 それとも細胞レベルでの復元か? 逆に寿命を伸ばすのか?
 使用後は筋肉中の乳酸も取り除かれ、血流は一秒で三日分の効果を示して傷を補修している。全臓器に活発化の痕跡が見えている。空腹が激しくなるのが弱点と言えば弱点だ。
 魔力の使用効率は他者に比べて段違いに高い。自らの瀕死の傷を治した程度では蚊程の減少も確認出来ない。これは、この能力の本質が癒しを超えた何かにあるからだと口々に騒がれている。
 自分以外の対象者の傷も治せるが、その者の魔力を補うことは出来ない。これは魔力を体内で別の作用に変換させた後で自他の肉体に使用している為と思われる。
 多対多の実戦内に於いて必要な能力ではあるが、明らかに実戦向きの能力ではない。
 リノ帝国は彼の能力を転用して各小隊に彼と同様の能力を修得した人間の配備を当面の重要目的の一つに定めているのだが、裏からは国が解析を進めているにも関わらずその詳細は一向に謎のままであった。
「しっかし駆け引き弱いなぁお前」
「何敗?」
「729連敗。通算成績1136敗1分。もちろん俺が1136勝1分」
 爆発を浴びておいて未だ寝惚け眼を拭えていない無気力な目でリルが見上げて訊くと、バルクは呆れ顔で途方もない数字を示した。
 これは入学当初から絶えず拳を交えてきた……というより同い年という理由でバルクにひたすら付きまとわれてきたリルの対戦成績である。
 ちなみに一度連敗記録を断ち切った引き分け戦の内容は、頭痛と腹痛と痛風が同時に襲ったバルクに、人生最大の幸運日とまで風水的に判断されたラッキーボーイのリルが挑み、結局爆破の直撃を受けたもののバルクの魔力が尽きてお互いにKOという良く分からないものであった。
 詰まるところリルの人生最大の幸運はバルクとの一戦に費やされ、それでも結果は引き分けに終わるという悲惨な成績なのである。
「バルクさぁ……たまには他の人とも勝負したら?」
「ん?」
 リルもバルクも、この自由形式実戦訓練ではお互いにお互いしか相手にしたことはない。
 リルも別にバルクの相手が嫌なわけではないしこの駆け引きの緊張感と実際に爆撃される臨場感は他では決して味わえないものだと思ってある意味楽しめているが、多様な魔法を相手にした際の柔軟的な対応を鍛える為の授業が、毎回バルク対策を考案し実践していく為の場に成りつつあるのはどこか趣旨が大きく違う気がする。
 というよりまず、いつも一緒にいることで変な噂もちらほら聞こえてきて嫌だったりするのだが……。
 バルクは少し考えた後、面倒くさそうに唸った。
「……嫌だな。俺と同学年の人間なんてお前以外じゃ変態姉弟と大先生ぐらいしかいないだろ? どうもあの辺とはウマが合わねぇ」
「いや別に同学年じゃなくっても……てか、ニーナさんとイルムは良い人だぞ? 変態なんてとんでもない」
「女であの髪の短さと、男であの髪の長さってのは俺は認めん。ありゃ姉弟じゃなくて兄妹だ。 ……同学年じゃなきゃ駄目なんだよ。年上は嫌いだし年下は傷つける気にならないからな」
「同学年とはいえ10ヶ月以上早く生まれてる俺にも少しは遠慮してほしいよ……あ、じゃあソークさんは?」
 その名をリルが出すと、バルクは少し真剣な顔つきで表情を顰めた。
「大先生は昔っからいつも教授方のお相手か個人訓練だろ。あいつは特別だからな。俺が気軽に相手してもらっていい人じゃねぇ」
 いつでも全てが自信に満ち溢れている存在であるはずのバルクが、少なくとも院内に入ってからのリルの視点では絶えずそう見えていたバルクが、どこか遠い目で、悟ったようにそう言った。
 怪訝な、少し残念な顔をしてリルがバルクの表情を伺っていると、急に白い歯を輝かせて笑ったその顔がリルの方を向いてきて、
「てなわけで、俺の相手はお前しかいないんだよリル君。さ、時間もあることだし今日はもう一丁いくか!」
 首根っこをひっ掴まえて武舞台へと引きずり戻す。
 リルの悲痛な叫びも虚しく、一時間の間に爆音は幾度にも渡って学院中に響き渡った。

「それでは今日の授業はここまでです」
 授業の終わり。
 それは彼らにとって安息の訪れを意味するわけではない。
 外界との接触を遮断され、都合良く操作された情報のみが耳に入ってくる彼らの世界では、放課後の楽しさなど微塵も存在していない。
 魔法に関して言えばむしろここからが本番なのだ。
 威力の上昇、構成の解析、新用途の発見。
 自分の魔法に対して何か、毎日僅かでも成果を出すことが求められる。
 学院の卒業と軍部への推薦に大きく関わってくる為ほとんどの者は死ぬ気で取り組むのだが……
「っし! 終わったぁ! おいリル! 今日はバーチャルマジック行くぞ! 新型入ってるはずだからな!」
「ふぁ……眠…… 俺は遠慮しとくよゲームセンターは。今日は真面目に研究するって決めてるんだ。久々にモルモットが支給されるから長期継続効果の副作用について調べないと……」
「夜でいいんだよそんなのは! ゲーセンは今しか行けねぇ! 今行かなきゃならねぇだろ!」
「何でさ。 明日でも明後日でも、下手すりゃ一年後でも問題ないじゃん……うわっ!」
 そんな光景もいつものことで、バルクはリルの意見を無視して数少ない院内の娯楽施設へと引っ張って連れて行こうと教室を駆け出す。
「待ちなさい」
「うぃっ?!」
 扉に手をかけたところで、まだ壇上に立ったままの女教師の声がバルクに掛かりバルクは凍りついたように動きを止めた。
 声に驚いて一瞬動きを止めたのではない。
 いくら経ってもどんなに力を込めても、身体が動いてくれないのだ。
 茶の長髪に華奢な体躯、どちらかというと薄着の衣服を纏った眼鏡の女教師は、その細い腕を挙げて静かにバルクの背中へと向けている。
「まだ話は済んでいません」
 軽く溜め息をついてその手を下ろすと、急に自由を取り戻したバルクの身体はリルを掴んだまま前のめりに倒れて顔面を戸に打ちつけた。
「痛っ! ……ソフィア先生、生徒に魔法使うのはよろしくないんじゃないですかい?」
「そうでもしないとあなたは止まらないでしょう。いいから席につきなさい。大事な話があります」
「明日でもいいでしょうに……」
「今言わなければならないことです」
「へぃへぃ……」
 ソフィアという女教師の冷徹な瞳がバルクはどうも苦手らしく、巻き添えを喰ってまだ地面に転がっていたリルを引きずって素直に席に戻った。
 バルク達が戻ったのを確認すると、ソフィアは一度大きく息を吸い直して落ち着いてから話し始めた。
「今から話すことは決定事項です。あなた達に行って貰わなければなりません。それぞれ思うところがあるでしょうが、これはもう覆らないことです。やらなければならないことです」
「?」
 ソフィアの声に、生徒達の頭の上で揃って疑問符が浮かんだ。
 遠回しだ。
 すぐに核心に迫らない、ソフィアらしくない言い方。
 誰もその本意を理解することは出来なかったが、誰もが察した。
 嫌な話だ。自分達にとって不幸な話だ、と。
 そしてそう考えれば、自ずとその内容も見えてくる。
 ほぼ全員の思考が一致していた。
 だが、本当にそんなことがあるのだろうか。
 もはや誰もがソフィアのこれから言うことを覚悟していたが、はっきりとそれを言われるまでは、本当にそんなことを言われるなど誰も信じてはいなかった。信じたくはなかった。
 だが、それは突然やってくる。
 このまま、死ぬまでここで笑いながら朽ちていくのではないか。
 そんな甘い期待を打ち砕いて、それは人を現実へと引き戻す。
 ソフィアが、今まで片鱗も見せたことのない嗚咽を堪えて必死に声を振り絞った。
「皆には……戦争に行ってもらいます……っ!」
 瞬間。
 室内から吹き飛ぶように生気が消え失せたのがリルには解った。
 日常が、いつも通りの光景が、一瞬で音もなく崩れていく。
 感情の行き来しない、魔素と血のみで存在を語られる忌まわしき戦闘が自分達の身に初めて襲いかかるのだ。
 仮初めの平和を嘲笑うかのように背後から忍び寄り、瞬間まで気配を感じさせずに意味もなく人から全てを奪っていく。
 いくら覚悟していても、精神と現実は残酷な程に異なる。
 それ以上、その場で声を発する人間はいなかった。

 翌朝、リル達魔道養成学院最上位魔学修得部4クラス141名はリノの同盟国であるキルクーツの内乱鎮圧に加勢する体の良い支援”物資”の一つとして、大した準備もないまま戦場へと送り込まれることとなる。



第二話 穴

「……聞いているだろうが今回の目的はここ、キルクーツ正規軍の一団と合流して反乱分子を根こそぎ駆除することだ。疲労や体調不良などでついてくることが困難と思われた者はすぐに俺に言え。……違う、帰っていいわけではない。俺が適切な処置を取ってすぐ楽にしてやる」
 殺す、ということだろう。
 自分達に偉そうに命令してくる指揮官はその場の誰も全く知らない中年の男だった。
 大して強そうにも見えない。おそらく魔法も使えないだろう。
それでもリル達はその男に従って、いつ襲われるとも分からない戦地に立っていた。
「合流地点はここから北西へ10km弱だ。30分で行くぞ」
 かなり苛立っている。
 一時的な関係とはいえ部下の前で感情を抑えられない辺りも素人くさい。
 10km30分など、兵士として今まで鍛えてきたとはいえ特に女性には厳しい命題だ。
 貧乏くじを引かされたことを神に恨みながら、リルはしぶしぶと上官の背中を追って駆け出した。

 141名の生徒は、特に個人個人の魔法特性を確認するわけでもなく無造作に二つのグループに分けられた。
 一つは、内戦によって傷ついた無関係の国民の救助と介護。
 そしてもう一つは……未だ続く戦闘の鎮圧が目的となった。
 二つに分けたグループの人員が適当なこともそうだが、そのどちらが戦地に向かうかも適当に決められたことが腹立たしくて仕方ない。
 救護と戦闘に割く人数が同じというのも許せなかった。
 そしてリルは、ぼーっとしていた為に上官の裏をかけず戦闘側へと回される結果となる。

「こらぁ! トロトロ走るな!」
「てっ?!」
 リルが、自分が怒鳴られていることに気づいたのは頭を殴られた後だった。
 トロトロ走っていたつもりはない。
 体力に自信がないわけではないし、乳酸は生まれた先から自分の魔力が自動的に取り除いてくれる。
 ただ、面倒くさそうに少し俯いていたその仕草が、おそらく自分と同じで貧乏くじを引かされてこの地に派遣されたであろう軍部の男にとっては勘に障る態度だったのだろう。
 先行きが不安だ。
 自分に振り下ろす拳があるくらいなら精々一人でも多く敵兵を倒して俺達の身を守ってほしいものだな、とリルは切に願った。
 正直、何の親しみもないこの男が死ぬのは構わない。
 気分の悪いことではあるが、この男が自分の判断で死んだのならそれも仕方のないことだ。
 だが、リル達は自分の判断に依る行動を最大限制限されてしまう。
 軍の駒として、この男の指示に従って動かなくてはならない。
 その所為で自分達が死ぬことになるのはお断りである。
 そして、この男の指示にただ従っているだけでは、その可能性が高いであろうこともリルは察していた。
(面倒だなぁ……おいバルク、何かあった時に指示を待ってからじゃ遅い。俺じゃどうにも出来ないからお前ちゃんと魔力溜めてお……バルク?)
 隣を走っていたバルクに、前の兵には聞こえないよう小声で話しかけたが何の反応も返ってこない。
 寝てはいないはずだ。走っているのだから。
 寝ながらも10km30分のペースで走ることが出来るの世界中探してもリルぐらいのものだろう。
 実際、バルクは起きている。少し虚ろにも見えるが目は開いているし、一歩一歩しっかり踏み込んで走っていた。
 が、少し待っても返事はない。
 何かに集中していて聞こえなかったこと、自分が凍えだったことを考慮してリルがもう一度声を掛けようとしたところで、リルの肩を後ろからトントンと叩いてくる者がいた。
「どもっ」
 青みを帯びた黒髪。肩を通り越して背中にまで伸びた綺麗な直毛。
 女性と見間違う程に整った顔立ちと澄んだ碧い眼が印象的で小柄な青年。
 リルの良く見知った彼が軽く手を挙げて挨拶してきた。
 リルはその青年に目を合わせ、あまり興味なさそうに一度頷く。
「ん? あぁイルムか。何?」
「何……は酷くないですか? これから一緒に闘う同士なんだから知り合いに挨拶ぐらいしますよ」
「あぁそれなら俺には挨拶しなくて大丈夫。俺は一緒に闘うまでもなく真っ先に死……」
「あぁ分かりました分かりました。お願いだから戦場でそういう縁起の悪いこと言うのは止めて下さいよ。現実になりそうで……」
「ん? 俺は嘘つかな……」
「もういいですってば! それより、バルクさんなら何言っても無駄ですよ。何か恐いぐらいに集中してますもん。耳元で大声で叫んでやっと反応してくれましたけど、何訊いても空返事しか返ってこないんです。リルさん、何か知りませんか?」
「……さぁな」 
 リルにしてはやけにそっけなく言ったその言葉が、イルムの中で違和感として引っ掛かった。
「さぁな……って、心配じゃないんですか?」
「心配だから声を掛けようとしたところで、お前が無駄だって止めてきたんだろ」
「う……すみませんでした」
 冗談半分で言ったつもりだったリルの嫌味に本気で反省した様子で、今度はイルムが俯いてトボトボと力無く走り出す。
 気持ち以前に体力でも少し問題があるだろうか。
 イルムは多少息が乱れ頬には汗も見られる。
 どうも全てが思い通りにはいかないことにリルは溜め息をついて呆れながら、イルムの頭に軽く触れた。
「ったく……まだ闘う前なんだからテンション上げてけよ」
 途端イルムの身体が薄い光に覆われ、汗が一気に引いていく。
「あ……ども」
 その髪をくしゃくしゃと軽く撫でると、リルは改めてバルクの方へと目を合わせた。
 やはり俯いたままで、いつもの明るさは見られない。
 というより、どこか生気すらも感じられない、闇がかかったような薄暗さを覚える。
 リルでも、これは放っておくわけにはいかないという危機感を感じた。
 このままでは、自分より先に死んでしまうような危うさを秘めている。
 そして、学院でもトップクラスの実力を誇るバルクの戦闘不能は、この即席部隊の全滅の危機にも繋がるのだ。
「おい、バル……」
「何をやっとるか貴様ぁっ!」
「?!」
 突然男の低い声が響き、また足並みが止まる。
 軍兵は集団の後方へと憤って歩いていき、今転んだらしい一人の女性に近づいていった。
(――!)
 リルの中で引っ掛かっていた謎がようやく解けた。
 何故、この男は不機嫌そうに前だけ見据えて先頭を走っているのに背後の生徒達の異常に過敏なまでに素早く反応出来るのか。
 魔法の効果かと思ったが、やはりこの男は魔法を使えない。
 戦闘中でないとはいえ魔法使いにとって基礎中の基礎である、身体能力を僅かなり上昇させる為に単純に魔力で身体を覆うだけの作業も行っていない。
 体力だけは称賛すべき鍛え方だが、おそらく魔道に関しては素人以下だ。
 では、何の効果なのか。
 男が振り向いた時にリルには見えた。
 彼のかけた眼鏡に、驚異的とも言える膨大な魔力が込められていることが。
 術者の身体から放たれ、たとえどんなに距離をおいても決して途絶えることがないであろう量の魔力。
 リルでも、バルクでも、全力をかけても追いつけないような総量の魔力が、そのちっぽけな眼鏡に込められていた。
 おそらくその効果で、この兵は全域に視界を広げることを可能にしている。
 確かにリノ帝国の軍部の人間ならばこの魔道養成学院を卒業した人間も少なくないだろう。
 悔しいが、リル達では遠く及ばない実力の魔法使いがいておかしくない。
 その者が込めた魔法なら、納得というものだろう。
「弱音を吐くな! 足並みを乱すんじゃない!」
「?! ちょっ……」
 殴った。容赦ない一撃だ。
 歯が折れておかしくない角度と速度、威力。
 女に向けて放つような拳じゃない。
 リルの身体は、自然に兵と女性の間に割って入っていた。
「ちょっと待てよオッサン! 今のはないだろ?!」
「オッサ……私に口答えするな! それと私を呼ぶ時はキール中佐と言……」
「女殴って何とも思わないのかって訊いてるんだよ!」
「くっ……」
 リルの目から見ればこのキールという男は魔法だけでなく軍人としてももはや素人だ。
 気迫の欠片も感じない。
 何かゴニョゴニョと愚痴った後、キールは喚きながら先頭へと戻りさっさと走り始めてしまった。
「大丈夫?」
「あ、ありがとうございます。わぁ……っ」
 顔は見たことがある。同じクラスの人間だ。
 おそらく今年度から上がってきた娘。酷い話だがリルはその娘の名前が思い出せない。
 級友と触れ合う機会のある授業では大概リルはバルクに連れていかれる為に他の人の名前を覚える場が少なく、また友達になる機会がないことはリルの小さな悩みだった。
 とりあえずリルが少女の唇の傷に手を伸ばすと、やはり少女はリルの魔法を知っているらしく特に抵抗なくリルにその傷を触れさせた。
 実際にその魔法を体感するのは初めてなのだろう、小さな切り傷が一瞬で癒えきったことに感動して傷のあった部分を指先で撫でている。口の中の傷まで治っていることに更に驚き、何度も口内で舌を転がしていた。
少し経って疲労も回復していることに気づいたのか、軽々と跳ね上がって立ち、何度かピョンピョンと跳んで自分の体調を確認している。
 リルより2、3歳年下だろうか。
 活気と不安が入り交じったような表情をしたその娘に、戦争などとても似合わない。
 加えて、あんな無能な上官に理不尽に殴られるような矛盾した現実を味わうのにもまだ早すぎる若さだ。
「凄……あ、あのっ! 本当にありがとうございます!」
「ん? あ、あぁ……」
 純粋に、ただ少量の傷を直しただけでここまではっきりと礼を言われることがリルには逆に少し辛かった。
 これから何が起こるか分からない戦場での出来事に比べれば、きっと今のようなことは蚊程の苦しみにも値しないであろうから。
 出来ることなら、その戦場で彼女を、そして多くの人間を救った後で初めてその礼を貰いたい、とリルは切に思った。
 だがリルも現実の厳しさは理解している。
 人一人でどうにかなる程甘いものじゃないことは解っているつもりだし、何より自分にそんな力が無いことは確信していた。
 だから、こんなことで礼を言われるのが辛かった。
「さ、チンタラしてるとまたキール中佐様々に怒られる。もう走れるだろ? さっさと先に進……」
 段々と遠くなっていく一団の方へと彼女を促すリルの視界に、少々不安な光景が入り込んできた。
 男女問わず、疲労困憊の者の距離が先頭から少しずつ離れている。
 このままではまた奴の雷が落ちることは確実だし、リルが威嚇した所為もあって下手すれば次からは死者すらも……。
「仕方ない……一番後ろに待機してるか」
 気力だけで走ってます、と顔に書いたような必死さで今にも倒れそうに駆けている数名に挨拶しながら軽く触れて、体力を戻してやる。
 皆が皆、まるで神の恩恵を受けたかのように感動して礼を言ってくるのが、リルには万の銃弾を浴びるよりも痛く感じた。
 その後も、走っている内に明らかにペースが落ちて最後列のリルに並ぶ者が出てきたが、その度にリルは回復してやった。
 使用効率が高いと言っても、流石にリルの魔力にも疲れが見え始めていた。
(……いないか)
 70人もの人数が集団で併走していては、目的の一人を捜すのは非常に困難である。
 当然彼のような男がヘバってリルの隣りにまで落ちてくるわけもなく、逆に前列で黙々と進んでいそうな彼の姿はそれ以降リルの視界に入ることがなかった。
 様々な不安を残しながらも、リル達はとりあえず犠牲者を出すことなく戦場に着くことに成功した。

「初めまして。私が指揮官のウィッツ大佐です」
「……キール中佐であります」
 着いた先は両翼を高台に挟まれた、いかにも戦場らしき場所。
 確実に待ち伏せが有利と断言出来る程、基本に則った戦略的地形だ。
 この先に拠点を据えるのも納得であろう。この地形の確保は敵の侵攻ルートを大幅に丸々一つ潰し、自軍の勢力を最大限生かすことが可能な、まさに戦の為の大地である。
 血の臭いこそしないが、弾痕や削れた岩壁など、闘いの痕跡は数多く残っていた。
 長い歴史の中で、この場は幾度となく闘いの最中にあったのだろう。
 そこに踏み込んですぐ、リル達には何か特異な空気を放った男の出迎えが待っていた。
 キールは男の地位を聞いて急におとなしく、しかし胸中不満げな態度に変わった。
「階級はお気になさらないで下さい。私共のような小国の大佐など、リノ帝国の少尉殿の地位にも及ばない価値のない地位です」
 キールの心境を読み取ったのか、遠慮がちに、優しい笑みを浮かべながらウィッツがそう言った。
 綺麗な金色の髪と蒼い眼が笑顔と共にとても美しく映えている。
 が、リルから見ればそれはどうも全て作り物のような感覚がしてならなかった。
「では気にせず喋らせて貰おうか。キール大佐。現在の戦況はどうなっている?」
 偉そうに言うキールの言葉に、ウィッツが誰にも見えない程度に影で薄く笑ったのがリルには見えた。
 ここで本当に偉そうな態度を取るキールの無粋な行動から、おそらくウィッツもキールの器の程度を把握したのだろう。
 最初に全員に見せた笑みとは一線を画すような嘲笑だった。
 ほんの一瞬で消えた為捉えたのはリル程度のものだろうが。
「実は一刻程前まで戦闘中でしてね。正直援軍が欲しかったところでしたが……何とか我々だけで退けることに成功しました。今は休戦状態です。皆様にはこの先の、私の仲間が駐留している野営地で一緒に待機していただき、有事の際には戦闘に参加して頂きます」
 それを聞いて何人かは安堵の息を漏らした。
 確かに戦場に着いてすぐに戦闘というのも酷だろう。
 しかし、何も安心出来る状況ではない。
 戦争が終わったわけではない。戦闘が始まるまで待機し、戦闘が始まれば殺し合うのだ。 何とか敵を退けた、ということは、近い内に敵は更に大部隊を率いてこの地にやってくるということではないか。
 この、まさに闘う為に容易された地形で、戦闘が始まらないわけがない。
 もはや後戻りは出来ない。確実に、これから人を殺すことになるのだ。
 仲間を、そしてもしかしたら……自分を失うことになるのだ。
 人が多すぎて、リルは未だバルクと話せずにいた。

 1km程歩いただろうか。
何の捻りも歪みもない直線的な道にも関わらず、視界の先には未だテントも明かりも見えない。
 黙々と歩を進めるウィッツに流石のキールも不信感を抱き、肩を掴んで声を掛けた。
「おいウィッツ大佐。これ以上進むと反乱軍の領地に入らないか? 一度二度敵の侵攻部隊を退けた程度でここまで領地を奪還出来るとは到底思……」
 言いかけたところで、何故かウィッツはその足を止めた。
 笑顔のままキールに振り向き、そして後ろの生徒皆に聞こえるように少し大きな声で言う。
「さぁ着きましたよ」
「?!」
 瞬間、皆がざわめき始めた。
 周囲を見渡す者がほとんどだったが誰の視界にも、ここで敵兵が来るまで待機出来るような準備は整っていない。
 というより、何もない。
 自然物のみに囲まれた、食料も何もなくただ草が生えて両脇を岩壁に挟まれただけの場所。
 誰もが、ウィッツの言葉を聞き間違えたと、そう思った。
 だがウィッツは平然と言葉を続ける。
「皆様ここまでの長旅、お疲れ様でした。何もお気になさらず、ゆっくりとお休み下さい」
「おい貴様どういう……」
 肩を掴んだ手にキールが力を込めると、ウィッツはその手を乱暴に振り解いた。
 顔から笑顔は取れていないが、何となく影が掛かった印象を受ける。彼の様子が突然ガラリと変化していた。
「私もね、魔法使いなんですよ。オリジナルの。まぁ準備が大変で実用度の点ではここにいらっしゃった皆様には到底及ばない使い勝手の悪い魔法なんですがね」
「何を言って……」
「でも、事前に万全の準備を敷き、敵をそこに誘き出すことに成功すれば無類の効果を発揮します。先程はこの力を使って一人で敵兵全員を消すことに成功しました。丁度、こんな風に……ね!」
「中佐! 離れ……」
 リルが叫んだ時にはもう遅い。
 ウィッツが急に屈んで地面に手を突くと、突然そこから事前に込められていたかのように魔力が大地に広く伝わった。
 その魔力は、71人全員の足下を包むように広がり、続いてその構成を素早く変えて別の形を成す。
「――なっ?!」
「穴ぁ?!」
 そう、穴。
 全員を飲み込むように、真黒く底の見えない穴が一瞬で出来上がった。
「これが僕の魔法。事前に魔力を注いであった二点を直径とした穴を作り出す魔法です。もちろん、それが大きければ大きい程魔力を消費します。これぐらいの直径だと少々クラッと来ますが……まぁ精鋭魔道部隊を丸ごと潰せたと思えば惜しくもないでしょう。死に土産に覚えておいて下さい。僕の名はウィッツ。ウィッツ・エルフィン。キルクーツ革命組織が一つ『漆黒の海豚』の上級指揮官ウィッツ・エルフィンです。大佐じゃ少し謙虚すぎましたか? あぁ、ちなみにその穴、僕もどこに繋がってるか解らないんですよ。もしかしたら、どこにも繋がっていないのかもしれませんねぇ。永遠なる落下の旅をどうぞお楽しみ下さい。……ってもう聞こえてないですね。くくくっ……あーっはっはっはっ!」
 終わりの見えない暗い闇の中に、まだ戦争を知らない学生全員が一瞬で放り込まれた。
 音も、味も、匂いも、感覚全てが無視されたような闇の空間の中で、勝者の高笑いだけが僅かに彼らの耳に響いていた。



第三話 炸裂

「ぅ落ぉぉぉちるぅぅぅぁぁっ?!」
 誰かがそう叫んだのだろうか。
 仲間の存在を確かに近くに感じるのに、その声も、魔力も、温もりも、全てが遠くにあるような錯覚。
 状況が正確に飲み込めないまま、リル達は穴に落ちていた。
(亜空間を人為的に作り出す魔法……っ! あの野郎、正規軍じゃなく反乱軍側の人間だったか! となるとやはりキルクーツの鎮圧部隊はこの能力で全滅……ヤバい! この穴ヤバい!)
 危険を感じ取ってもリルには何も出来ない。
 彼の魔法では、この状況は余りに無力で無意味だった。
 掴まる糧もない。踏み込む地もない。あるのはただ、真っ暗な闇。
 死ぬのだ。あっけないまでに。
 戦争なんて所詮、こんなものなのかもしれない。
 引き金一つで、ボタン一つで、魔法一つで多くの命が失われる世界。
 痛みがないだけ幸せと思おう。
 もはや完全に諦めて、リルが目を閉じようとしたその時だった。
「BOMB!」
 聞き覚えのある、お世辞にも感性が宜しいとは言えない魔法発動時の叫び声。
 公式に軍から認められないと名称が貰えないからと、とりあえず付けてみた魔法の引き金。
 あの男の、低く強い雄叫びが、闇の中で確かに響き渡った。
 直後、リル達の少し下方の闇から目映いばかりの光が溢れ出す。
 リルも今まで見たことない程の大規模な爆裂が発生し、その衝撃で皆の身体がまとめて上方向に吹き飛ばされた。
「わっ?!」
「何だ?!」
「まだ敵か?!」
「死ぬぅぁ?!」
 混乱が巻き起こる中、それでも全員の身体は浮き上がり穴の外へと放り出される。
時間制限があるのだろう、穴はその出入り口を少しずつ閉じかけていたが、何とか全員が穴に飲まれることなく生還を果たした。
「! ほぅ……」
 衝撃に流され四方八方に生徒が飛び交い地面に転がる中、彼は正確に着地しウィッツと真っ向から向き合った。
「てめぇ……っ!」
「驚いた……今のはあなたの魔法ですか? 極小規模な核融合にも近い爆発が起こっていましたよ。ふむ、流石はリノ帝国の精鋭、と言ったところですね」
「黙れ!」
 いきりたったバルクは爆発を起こして間もないというのに、既に再び魔力を集中し終えた右腕を突き出しウィッツへと向ける。
「その手から爆発を起こすのですか? もしそうなら自らの肉体には影響を及ぼさないように発動させるというのも素晴らしい技術ですね。規模が解りませんし余り間合いを詰めずに仕留め……」
「遅ぇよ」
「?!」
 ウィッツがジリジリと足を下げ距離を取ろうとした瞬間、彼の周囲で強烈な爆発が起こった。
 完全に無防備だったウィッツはその衝撃の直撃を被る。
「なっ……?!」
「魔力の遠隔操作に関する知識はキルクーツにはないみたいだな。さっきの穴の発動も自分が触れた位置から広がってた辺り素人臭い。お前、もし穴の制作を遠隔操作出来たらかなりの練達者になってただろうが……ここで生かしておくわけにもいかねぇ。悪いが死んで貰うぞ!」
 明らかに殺気立った声と形相で相手を威嚇すると、バルクは予め溜めておいた左手の魔力を解き放ちウィッツへと向ける。
 リル相手の時のような容赦はなく、もはやBOMBの合図も無しにバルクは自分の魔力をウィッツ目がけて爆裂させた。
 が、爆音が轟く一瞬前、突如としてウィッツの姿がその場から消えた。
 爆発が、何も傷つけることなく空気を引き裂くように破裂する。
「!」
 予想通りと言うべきか、ウィッツは自分の魔法を自分の足下に使用し、その穴の中に逃げ込んだ。
先程実際に中に入れられたバルクの感想としては、あの穴は落ちればそうそう抜けられるものではない。出口も見当たらなかった。
 果たしてウィッツは何が狙いか。
 落ちた穴から再び這い上がってくるか、または別の穴を作り出して現れることが出来るのか、それとも逃げ出したか、はたまた自分でも入ったことのない穴に運任せで飛び込んだだけなのか……
 とにかくバルクは、どこからの攻撃にも備えられるように両手に魔力を集中した。
 リル達他の魔法使いも、それぞれ自分の魔法を準備しながら全方位に注意を向ける。
「バルク。さっき皆を救った時の爆発……今まで見たことない量だったけど魔力の方は大丈……」
「リル。……俺に近寄るな」
「!」
 思わぬ返答。リルが知っているいつものバルクには見られない、冷たい言葉だ。
 やはり何かがおかしい。リルは不安を抑えきれずにバルクの肩を強めに掴んだ。
「お前一体どうし……」
『移動用の穴には結構条件がいるんですがねぇ』
 リルとバルクの視線が鋭くかち合った瞬間、二人の足下から突然ウィッツの声が聞こえてきた。
 瞬間、出来上がる穴。
 そこからいきなり這い出てきたウィッツが、バルクの足下に手を突く。
「罠はそこら中に仕掛けてあるんですよ!」
 言葉の直後、リルとバルクを飲み込むように二人の足場が消え失せた。
 力の掛けようのない状況で、成す術なく二人の身体が闇の中に放り込まれる。
 が、素早く反応したバルクの魔法のおかげで、二人はすぐに穴から飛び出した。
「こいつ……!」
 穴から頭だけ出したウィッツをリルが足蹴にしようと振り抜いたが、刹那のところでウィッツは再び穴に潜ってしまった。
 姿を消して気配だけは感じさせながら、ウィッツの声が空間に響き渡る。
『まぁわざわざ発動条件を説明する必要もないでしょう! 私は穴から穴へと移動することが出来る! どうです?! いくらでも敵に背後を取られてしまう恐怖! 一瞬気を抜けば闇に飲み込まれる恐怖! 確かにあなた方の魔法は優れている! 遠隔操作とは驚きました! だが今この場は私の領域! 他の誰も侵すことの出来ない神域です! 根比べといきましょうか?! 私とあなた、どちらの魔力が先に底をつくか! 万全時の総量ならあなたの方が上でしょうが、今なら結構厳しいんじゃないですか?! 先程皆さんを助けた時の爆発は素晴らしい威力でしたから! 私があなたを穴に落とし、あなたは穴から這い上がる! あなたが負ければ闇に飲まれ、私が負ければ粉々に吹き飛ぶ! 面白いじゃありませんか! 私はいくらでもいけますよ! マーキングはそこら中の大地にしておきましたからねぇ! 私は今この状況下でならどの場所にどんな規模の穴でも作ることが出来……ぎゃっ?!』
 急に、自慢と挑発が悲鳴に変わった。
 同時に、先程穴に潜った位置で黒焦げになったウィッツが寝転がっている。
 バルクは、平然とウィッツの身体を狙って魔法を発動させていた。
「バ、バルク……よく狙えたな」
「最初に潜った穴に、消えるどころか閉じる気配が見られなかったからな。空間を自由に動き回るのではなく決まった穴と穴の間を一方通行で移動するのでは、と仮定してそこの穴から出てくるのを待ってたら本当に出てきたんで爆撃した。……仕留めるぞ」
 冷たい、本当に冷たい一言。
 今の爆破の威力も授業中にリルに向けたものとは段違いである。
 冷徹に勝利を見据えた戦士の発言と行動だ。
 正確に敵を倒す為に、今のバルクは動いている。
 論理的で、破壊的で、絶対的。
 その先には、きっと勝利が待っているのだろう。
 だがそれでは機械と同じ。汚い大人と……同じではないか。
 俺が止めなきゃ。俺が全力で抑えてやらなきゃいけない。
 バルクが、道を踏み外そうとしている。
 リルの中で勝利に対する希望と恐怖が複雑に混ざりながらも、バルクへの想いだけがはっきりと強くなっていた。
 バルクの左手が容赦なくウィッツへと向き、すぐに魔力が全身を包み込む。
 意識を失ったのだろうか。怯んだウィッツに抵抗の意志は見られない。穴を作り出す様子どころか、指一本動く気配がない。
 放っておけば直撃だ。おそらく……今度は確実に息の根を止めるような爆破が起こるだろう。
「……死ね」
「待てバル…… っ?!」
 リルが止めることも適わず、炸裂音が辺りを支配するように響き渡る。
 間に合わないと悟った瞬間、リルは死の恐怖から逃げるように一瞬目を閉じてしまった。
 一瞬の静寂。
 耳を劈く撃音が収まった後でリルが恐る恐る目を開けると丁度、正面に突き出されたバルクの腕が事を終えたかのようにだらりと垂れ落ちた。
 誰も声を発することが出来ず、沈黙が場を包む。
 避けられもせずに直撃を被ったと思われるウィッツの肉体に、ようやくゆっくりとリルが目を向けた。
 リルの視界に入ってきた彼の身体は……無傷だった。
 いや、もちろん初撃の爆破のダメージはあるのだが、追撃の痕跡はなく今にも立ち上がろうとしている。
「え……?」
「バルクさんっ?!」
 誰かがそう叫んだことでリルの視線が再びバルクの方へと向けられた。
 様子を変えたのは明らかにバルクの方だった。
「か……はっ」
 口から、鼻から、傷口から、優勢であったはずのバルクの肉体から真っ赤な鮮血が飛び散っている。
 心臓が脈打つ度に全身が反応し、その都度血液が噴き出した。
 致命傷だ。
 リルが今まで治してきた誰のどんな傷よりも傷が深く、血が大量に出ている。
「バルクぁっ!」
 リルの差し伸べた手も間に合わず、バルク・ランドクルーズは眼から色を失い、力無く地に伏した。



第四話 戦士黙せし

 血だ。バルクの首を荒々しく貫いた二つの穴から、泉を作るがごとく血が零れ落ちている。
 何が起こったのか。火薬と鉄の嫌な臭いが僅かに鼻をついてくる。
 とにかく今確実に言えるのは、バルクが何者かから攻撃を受け、バルクの魔法発動が失敗したということだ。
 では、それは誰の攻撃か。
 ウィッツが何か仕掛けていたのか?
 バルクの自滅?
 それとも……仲間の中に裏切り者が?
 答えはすぐに出た。ウィッツの高笑いと共に。
「あーっはっはっはっ! 派手にブチ撒きましたねぇ! バルクさんでしたか?! 油断しすぎですよ! 確かにあなたから見れば私は魔法の素人でしょう! ですが私に言わせればあなたは戦争のド素人なんですよ! 魔法が使えるとはいえ、こんな能力の私が戦地を一人で彷徨き、敵を相手にするとでも?! 最初に言ったでしょう”私の仲間が駐留している場所”とねぇ! あなた達は最初から囲まれていたんです!」
 馬鹿みたいなウィッツの大声と共に、両側の岩壁から同じ服を纏った大勢の兵士が顔を出し、下へと降りてきた。
 全員が小銃を抱えている。装備にバラつきがあるのはやはり仕入れのほとんどが裏ルートだからだろう。
 国に認められた部隊ではない証拠だ。
 完全に包囲されていた。
 降りてきた兵士達は逃げ場を無くすように前後の道に壁となって銃を構えているが、まだ岩壁の上からも大量の兵士が銃口をリル達に向けて待機している。
 数が、装備が、準備が、経験が違いすぎる。
 本意はどうであれ、敵は国を変える為に闘ってきた一流の戦士なのだ。
 軍人一人に率いられた俄軍兵の学生達の適う相手ではない。
 質も、量も、地の利も、全てが敵軍に傾いているのだ。
 ウィッツは予想通りの形勢逆転を心から喜んだ嫌らしい笑みを浮かべている。
「よぉ〜し皆さん。死にたくなければ全員動かな……」
「バルクっ!」
 ウィッツの言葉などまるで無視して、リルはバルクに駆け寄った。
 意識は既になかった。かろうじて脈はあるが呼吸も危うい。
 放っておけば五分と待たずして……息を引き取るだろう。
 リルはすぐに治療を開始した。
「っ?!」
「君ぃ……自分の立場は理解していますか? 逆らってもらっては困るんですよ」
 ウィッツが手を挙げて合図すると、その後方の一人の兵士の持っていた狙撃銃が火を吹いた。
 リルの肩が鋭く射抜かれ、バルクと遜色ない真っ赤な血が痛々しく吹き出てくる。
「分かったらとっととおとなしく……」
 首にぽっかりと空いたバルクの弾痕に手を添えて、零れる血を受け止めるように優しく魔法の発動を促していく。
 正直、治療の厳しさはリル自身が一番良く実感していた。
(駄目だ……これは負傷というより損傷……皮膚も肉も弾丸に持っていかれて失われてる。俺の魔法はあくまで身体機能の促進と自己治癒力の強化だから、失った細胞の復元までは出来ない……傷口が塞がらない! 死んだ細胞の復活と分裂を待ってたんじゃとても間に合わないし……。それに失血量もひどすぎる……体内に栄養素が残ってないからいくら魔法を掛けても血液がバルクの体内で精製される気配がない。 これじゃ……まるで助から
な……)
「リルさん!」
 イルムらしき声がリルを呼んだのが聞こえた。
 続いて、背中に激しい痛み。
「つぁ……」
「リルさんでしたか? 話を聞け、と言ってるんですよ」
 今度は弾丸が貫通していない。
 背の肉か、骨か、とにかく臓器には損傷無く弾が自分の体内に残っていることがリルには鮮明に分かった。
 放っておくと埋まったままで魔法が自動的に治療し塞いでしまうおそれがあるのだが、今のリルに自分を構っている余裕はなかった。
 自分の傷はこの程度なら、後でどんな影響が出ることになろうと放っておいても一応命は助かる。
 しかしバルクのそれは、リルが全力を尽くしても癒しきる自信がない程に深いものなのだ。
「くそっ! 治れ……治れ治れ治れ治れ治れっ! 治れぇ……っ!」
 一刻の猶予もない。
 敵に構っている暇もない。
 リルは全魔力をバルクへと注いだ。
 が、それで望みの薄い治療が叶うわけではない。
 少し塞がりかけた兆しは見えたが、まだ時間が掛かる。
 その間にも血は滴り落ちていくし、呼吸器の損傷も激しい。
 脊髄に異常を来している可能性すらある。
 魔法とはいえ、この場で治療を続けるのは余りに危険すぎる。
 今のリルの行為はバルクへの治療としても大した効果を成さず、ただウィッツの機嫌を損ねるだけのようなものだった。
「見せしめには丁度いいか……構いません! 全兵斉射!」
「リルさんっ!」
ウィッツが手を挙げて指令を出すと、一斉に周囲の兵士が構え始め鉄の擦れる音が大量に響き渡る。
 射撃許可が出た為、数名は容赦なく引き金を下ろした。
「くっそ!」
 青黒い長髪が激しく揺れる。
 舌打ちしながらもイルムが両手を上げると、リル達に向けて突風が巻き起こった。
 地面スレスレを風が流れ、リル達にぶつかると同時に真上へと跳ね上がる。
 その速度と負荷は相当なもので、無抵抗の二人の身体は風に乗って一気に高く浮き上がった。
 二人が元いた場所を四方から幾つかの弾丸が掠め過ぎる。
 だがそれで難が去るわけもなく、未だ引き金を残していた数名の銃口が浮き上がった二人へと向けられる。
(駄目だぁ僕の魔力じゃ二人分の重さは……魔力の遠隔操作もバルクさん程上手くないし……)
 急に息切れが酷くなったイルムは、限界を迎えたように挙げた両手を地面に落としてしまう。
 同時に、滞空していたリル達の身体も地面へと勢いよく落下していく。
「っと?!」
 回転しながら落下する身体をバルクを抱えたままで何とか着地し、それでリルはやっと周囲に気を配り始めた。
 真黒く、感情の籠もらない無機質な穴が全方位から自分に向けられているのがすぐに解る。
 流石にこれ全部撃ち込まれたら、いつも言ってきたように造作もなく死にそうだなぁ……と、笑えない冗談を頭で描きながら、リルはようやくその場を動き出した。
 が、その判断も既に遅い。
 実は人に自慢出来る程にまで鍛えに鍛えてあるリルの脚力も、一歩目の踏み込みを狙われては仕方がない。
 敵にも優れた狙撃手がいる。
 常人より遙かに素早いはずのリルの動きを的確に捉え、ふくらはぎが撃ち抜かれた。
「……っ!」
「リルさん!」
「来るな! 自分で行ける!」
 その時、自分の口調が思わず乱暴になっていることにリルが気づいたのは言葉を発した後だった。
 イルムはそれについては特に気にしていない様子だったが、リルの中で自分のその行動は少しショックだった。
 右ふくらはぎが撃ち抜かれ、リルの身体が前のめりに倒れる。
 が、両手をついて立ち上がると、バルクを抱えたまま平然と走り出した。
「?!」
 リルの行動に兵のほとんどが目を丸くしたがそれでもリルは何事もなかったかのように、仲間とは逆の方向へジグザグに走りだした。
 四方を囲まれている以上、固まるより分散した方が多く生き残る可能性が高いという判断だ。
 この絶望的な状況で、どこからか突破口を開かなければならない。
 リルは、銃弾に当たらないことを祈りながらウィッツの方へと駆けていった。
「何ぃっ!」
 自分が狙われていることに気づいたウィッツはすぐさま穴の中に潜り込む。
 ウィッツがいなくなり広がった視界の先でリルの目に入ってきたのは、自分に向けて銃を構えた多数の兵士の姿だった。
「やっば?!」
 引き金が一斉に引き下ろされる。
 リルはそれを……全てかわした。
「?!」
「のぉぉっ! 危ねぇラッキー!」
 銃弾が自分を掠め過ぎてから、自分の身体に傷がないことを認識して喜ぶリル。
 だが兵士から見れば今の状況は、幸運の一言で済ませられるものではなかった。
 リルは避けたのだ。かわしたのだ。銃弾を。
 当たらなかったのではなく、回避したのだ。
 確かに、狙って回避した動きだった。
 発砲された全ての銃弾を見極め、自分の肢体をそれが当たらない位置へと動かす。
 それは運では不可能な、人間では不可能な動きだ。
 それを、目の前のリルはやってのけた。人一人抱えて。
 ……本人は気づいていないようだが。
「な……何をやっているのです! 撃て! 撃ち殺せっ!」
 穴を通って安全な場所まで逃げたウィッツが叫ぶ。
 驚きで手を止めていた兵士は再び銃を構え直し、全員がリルへとその銃口を向けた。
「マジで?! いや、ちょっとそれは非道……おわわわわわっ!」
 発砲が続いた。
 一応殺さない気では撃っているらしい。
 偶に狙いの逸れた弾が上に来るだけで、ほとんどは脚部へと撃ち込まれてくる。
 確かに当たっても死にはしないが、移動の基点である足下をこれだけの数の兵士から狙われれば回避はとても困難なはずだ。
 が、リルはギャーギャーと喚きながらも、何故かそれを全部避けきっていた。
「な……何なんだ奴は?!」
(……? 見える?)
 自分の身体の違和感にようやくリルは気づき始めた。
 あれ? 俺、銃弾を避けてるぞ、と。銃弾が見えてるぞ、と。
 そう思って集中すると良く分かる。
 自分の動作は運と勘に依るものではなく、危険を回避する的確な行動だということが。
 そして気づいた。
 バルクに送り続けていたはずの魔力が、自分の身体も覆っていることに。
(……動く?)
 リルが自分の手の平に集中すると、魔力がそこに集まっていく。
 今までに無かった現象にリル自身が一番戸惑ったが、とにかく自分の意思で魔力がコントロール出来ている。
 今まで謎だらけだった自分の魔法が、初めて自分の思い通りに操れている。
 目に集中すれば遠方の敵の冷や汗一滴を視認し、
 鼻に集中すれば発砲の瞬間に飛び出す火薬の匂いに反応し、
 耳に集中すれば敵の心音の数と速度さえも聞き分ける。
 そして全身の魔力を集中し高めたのなら……
(……解る!)
 全身の知覚神経が、敵の発砲に対し過敏に反応している。
 今のリルには自分の背後の世界であろうと何が起こっているのかが的確に把握出来た。
 飛んでくる弾丸がやけに遅く思える。
 上下左右前後、三次元の空間のあらゆる方向から弾丸の波が押し寄せる中で、リルは造作もなくその全てを回避した。
 そして分かった。
 自分にはまだ相当の余裕があることが。
 今なら、たとえ崖の上だろうと穴の中だろうと、撃ち込まれる銃弾全てを回避しながらも敵を全滅させることが出来る。
 予感ではなく確信として、リルはそう思った。
(まずは……逃がすと厄介そうなウィッツから…… っ?!)
 どこに居るのかは身体ですぐに感じ取れた。
 が、遠くで臆病にも隠れ潜んでいるウィッツを睨みつけた瞬間、突然リルはその場に倒れ込んでしまった。
「え……?」
 何が起きたのか理解出来なかった。
 痛みはない。
 ただ全身を襲うのは絶望的な疲労感。
 今までリルが感じたことのない、息苦しさとダルさ、脱力感。
 全身を覆う魔力が、急に小さくしぼんでいく。
(魔力が……なくなった? 使用量が半端じゃない……ただの回復とは大違いだ。これが……俺の魔法の本当の……?)
 意識が遠のいていく。力がまるで入らない。
 疲労した先から回復していく魔法を持ったリルにとって、これは初めての経験だった。
 指一本動かせる気がしない。何もやる気がしない。
 このまま眠ろうか、とまで考えたリルに、上から声が掛かった。
「おい……寝て……じゃね……ぞリル……」
「! ……バルク? バルク?! 目、覚めたのか?!」
「駄……だ。喉……潰……てる。いず……喋れな……なる」
 聞き取りにくい。痛みが治まっていない所為か、はっきりと言葉を発せていない。
「ったく……近づ……なって言っ……だろ。俺とお前……両方がまとめ……死んだら誰……皆を助……るってんだ」
 捻り出すような声が、ぼーっとした意識のリルにはまるで聞き取れなかった。
 だが、叱られてるというのは分かる。
 いつも通りのバルクが、いつも通り自分を叱っているのははっきりと分かった。
「結局……ヘバっちま……やがって。やっぱお前は俺……いないとどうし……うもない駄目男……な」
 バルクが笑った。
 ”お前は俺がいなきゃ本当駄目な奴だな”と言ったんだと思う。
 それもいつものことだった。
 戦争なんて無かった頃の日常では、毎日続いていたこと。
 そしてこれからも毎日続くと思っていたこと。
 少し涙が出た。
 それを見たか見ないか、急にバルクは震えた両手を強く地面に突いて立ち上がった。
「……バルク?」
 名前を呼んでも声は返ってこなかった。
 ただ、リルの方を見て笑っている。
 出血はまるで止まっていない。傷口は全く塞がっていない。
 青い顔をしながらも、バルクは立ち上がり一歩進んだ。
 鉄の擦れる音が辺りに響き渡る。
 おそらく全ての銃口が、バルクに向けられているのだろう。
 リルは、動けなかった。
 イルムも、おそらく銃弾が味方に当たるのを風で必死に防いでいたのだろう、リル同様に息を切らせて座り込んでしまっている。立ち上がろうとはしているが、既に限界は超えているのだろう。
 70人も魔法使いがいれば、当然この状況でリルを、バルクを、仲間を援護出来る能力者は少なからず存在しているはずだ。
 だが生徒のほとんどは恐怖で身を竦ませ、泣くか震えるか呆然とするかしか出来ていなかった。
 バルクを助けることの出来る人間が、誰もいない。
 相手に自分達を殺す意思はない。ウィッツはどうか知らないが、一般兵にその意思はない。
 動かなければ、おそらく命は助かる。
 リルは、離れていくバルクの足を必死に掴んだ。
 それに気づいたバルクは、しかしリルの頭を軽く撫でるように叩くと、手を振り払ってもう一歩前に出た。
 誰かが発砲したのだろうか。
 一発の炸裂音が空に響いた。
 バルクの手が、崖の上へと向けられていた。
「が……あ……」
 小さな呻き声が崖の奥から僅かに聞こえてきた。
 聞き覚えがある。ウィッツだ。
 声の聞こえた方の崖で銃を構えていた兵の何人かが後ろを振り向きそして驚いたような顔をすると、半ば逆上してバルクに銃を向けてきた。
 バルクが、銃が撃たれるより先にその男達も一瞬で爆破する。
 その後も何人かが銃を構え本気で撃とうとしたが、全て発砲前にバルクに迎撃された。
 魔力の放出と移動の速度が前よりキレているのはもちろんだが、何より銃に対する反応が鋭すぎる。
 僅かな殺気にも反応して、バルクは自分を撃とうとする者を的確に爆撃していった。
 圧倒され、様子見も兼ねて兵が発砲を止めると、バルクもピタリと動きを止める。
 敵兵全ての動きを把握している証拠だ。
 もはや先程のリルと同等の力を備えている。
 失血は致死量に達しているはずだ。
 それなのにバルクはその場に立ち続け、動く者あらば爆破していく。
 容赦なく、逆らう者全てを爆破していく。
「うわぁぁぁっっっ!」
 数名が、何か相談したのかまとめて崖から飛び出し、尺の長い剣を持って近接戦を仕掛けに来た。
 それに同調して、他の方向からも何人かが意を決してバルクに襲いかかる。
 バルクは無反応のまま、両手を地面と平行の位置にまで挙げた。
 続いて地面と水平にその両手を振り回すと、途端バルクの周囲全方位で絶え間なく大量の爆破が巻き起こった。
 剣を取った人間は全員が吹っ飛び、その隙を突いての狙撃を狙っていた者も全てが迎撃された。
 恐ろしいのは、微動だにしなかった者はしっかりと、攻撃されずに残っている点だろう。
 やろうと思えばこの場で全員を殺すことも出来る。
 だが殺さず、逆らう意思のない者には攻撃もしない。
 シニタクナケレバイマスグキエロ。
 バルクは一言も発していないが、敵にその意を感じ取らせるには充分な殺気と実力を放っていた。
「ひっ……ひぇぇぇぇっ!」
 逃げる理由には充分すぎた。
 恐ろしい敵がいるから。
 一分と待たずして、大量にいた敵は一瞬で撤退してしまった。
 一人の男に恐怖を覚えて。
 わっ、と周囲が湧き上がる。
 敵兵が、爆撃された仲間を抱えて一目散に逃げていく光景に対ししばらくあっけにとられていたが、ようやく状況を認識すればそれは勝利に対する正直な反応だ。
「バ……ルク?」
 驚愕の出来事ではあったが命が助かったことに歓喜する生徒の声が行き交う中で、リルの目に映ったバルクは血だまりの上で立ち尽くしたままそれ以降動くことがなかった。



第五話 とばっちり

「面会禁止ぃ?!」
 義務づけられた静寂をブチ壊すようなイルムの大声に、周囲の冷たい視線が一斉に集まってくる。
 慌ててイルムは口を紡ぎ、今度は小声で受付に訊ねた。
「どっ……どういうことですか、会えないって? まっ、まさかそんなに酷いんですか? てか拒否じゃなくて禁止? 本人の意思じゃなくて病院側の配慮ってことですか?! 一体今どうなって……」
「……あたしゃただの受付であの子の担当じゃないし、手ぇ加えてる連中が連中だからあんまり大声じゃ言えないんだけどね」
「?」
 失礼なことを言えば、看護士としては少々お年を召された感のあるおばさまが、必死になるイルムに心を開いたのか耳打ちで教えてくれた。
「……どうもお偉いさんが関わってるみたいなのよ」
「――! 軍部が?!」
 また少し声が大きくなり、イルムは周りを気にして縮こまる。
「どっ……どういうことです? 学兵の治療に軍が関わるなんて……てか、ちょっと待って下さい? 本当にバルクさんはこの病院にいるんですよね?」
 老いた受付嬢は、通常なら当然即答で頷けるはずの質問に首を傾げ唸った。
「……正直、断言は出来ないねぇ。そのバルクって子の病室はあたし達も完全に立入禁止だから。一度も部屋から出てきやしない。でも病室に入った時は確かにあたしもその姿は見たよ。背の高い黒髪の坊やだろう? 首にグルグル包帯巻いて、ありゃ端から見ても痛々しい怪我だったよ……。でも……お偉いさんがゾロゾロやってきたのもその後だしねぇ……」
「ゾロゾロ?」
「5人以上はいたかね。先頭の人は勲章ジャラジャラつけてて、ありゃまさしく将軍様さ。護衛何人も引き連れてその病室に入っていって……半刻ぐらいで何事もなく帰っていったよ」
「何事もなく? バルクさんは?」
「いなかったさ。あんな大柄な子いくらあたしでも見落とさないさね」
「…………」
 そこまで聞いてイルムは病院を去った。
 これ以上ここで聞き込んでも要領を得ない返答ばかりだろう。
 軍が手を加えてるとなれば一般人から情報を得ようとしても効果は薄い。
 そしてイルムは確信していた。
 バルクは既にこの病院には存在していない。
 何の根拠もないが、そう確信していた。
「どうだった?」
「! 姉さん……」
 病院を出たところで待っていた黒髪の女性。
 イルムと同様に少し青みを帯びていて、イルムより短く切り揃えられた短髪の女性の問いに、イルムは無言で首を横に振った。
「姉さんも来れば良かったのに」
「私、嫌いなのよここの病院……知ってるでしょ?」
「理由は知らないけどね」
「あんたのことだから大体見当ついてるんじゃないの?」
「さぁ?」
 悪戯っぽく笑うイルムに溜め息をつきながら、女性は本題を進めた。
「で、これからどうするの?」
「軍が……関わってるみたいなんだ」
「!」
「それでなんだけど……姉さん、頼める?」
 遠慮しがちに訊いてくるイルムに、女性は苦笑いを浮かべてその肩を叩いた。
「……最初から頼むつもりで言ったんでしょう? 良いわ」
 気の進まない話ではあったが縁遠くない仲間の為を思えば仕方ない、といった面持ちで彼女は快く頷いた。
 イルムが、その返答を聞いてようやく今日一番の笑顔を見せた。
「じゃあ僕が”薙ぐ”からすぐに……」
「いいわ、まずは私一人で。何か疲れてるみたいだしね。あんたは学院に戻って今日は休んでなさい」
 妙に優しさを見せる姉に少々怪訝な顔をしたイルムだったが、自分だけ休むなどとんでもないと文句を言う前にその背中をポンと押されて帰宅路へと促されると、観念したように両手を挙げて頷いた。
 正直今日のイルムは、童顔気味の優しいその顔には似合わない程に張りつめた表情をしていた。
 それは、姉である彼女にはいくら本人が無理に隠しても痛い程伝わってきていた。
「それじゃあ……僕はリルさんの所へ行ってくるよ。ちょっと色々不安だからね」
「ん」
 一瞬だが再びイルムの顔に影が掛かったことで女性も顔をひそめたが、そこは何も言わずに笑顔のまま軽く頷いておいた。
 お互いに軽く手を振り合い、そこで別々の道へと歩き出した。
 イルムは国の外れの学院へ。
 そしてイルムの姉……ニーナ・ハイラックスは、病院から更に国の中心部へと。
 真剣な顔つきのまま人差し指を一度銜えて、それを高々と空へかざしてみせる。
「うん。今日もいい風だわ」
 不敵とも取れる笑みを浮かべながら、国で一番大きな公共施設の傍へと足を運んでいった。

「……戦況はどうだい?」
「すこぶるよろしくない。……と、わざわざ報告しなくてもお前なら既に判っているのだろう?」
 薄暗い一室。
 二人の男がそこにいた。
 どちらも長身で、片方は金髪、もう一方は赤みがかった茶髪。
 落ち着いた様相は変わりないが内に秘めた余裕は大違いだ。
 金髪の男は、明らかに焦っていた。
「既に領土の34%は敵の手に落ちた。13ある拠点も6つが陥落している。そしておそらく次に奴らが狙ってくるのが……」
「……ケルト基地。キルクーツ正規軍本拠点、みたいだね」
 椅子に腰掛け目を閉じて、まるで今にも眠りにつきそうな体勢のまま、茶髪の男は微笑んでその基地の名を挙げた。
「……視えるのか」
 金髪の男の問いに静かに頷き、閉じた目を更にひそめて何かを手探りで呟いていく。
「数は……およそ2万。武装は小銃が中心だけど、戦車級も何機か見られるね。講堂はなかなか広いけど魔素が相当に充満してる。これ以上近づいたら……気づかれるよ」
「魔法使い? リノ帝国にか?」
「……見覚えのある顔がいくつかある。多分……まぁ当然といえば当然だけど、元ウチの軍部の人間がいるね。僕の能力も警戒されてる。……駄目だ、”切る”よ」
 諦めたようにそう言うと、茶髪の男は深く息をついて汗かいた額を一度拭い、ゆっくりと目を開けた。
 二人が顔を合わせ、お互いに思わず苦笑した。
 が、その目は決して笑っていない。口元だけが、仕方なく吊り上がるしかなかった。
 既に敵の規模は、国を破綻へ導く不安要素として充分に膨れあがりつつあるのだ。
「対処はどうする。2万の武装兵がまさかキルクーツの輩だけに任せて解決するとは思っていまい? 放っておいたら隣国の我々としても色々と面倒だぞ」
「う〜ん……でも僕や君の隊を動かしたらすぐに片付いちゃうよね。君がこの前くれた実験体、相当良い品質だったから完成したらすぐに試す場が欲しいんだよな〜」
 茶髪の男はうわごとのようにそう呟くと、横目でチラと隣の男を見た。金髪の男の方は現状に対し相当の焦りを見せているようだが、もう一人の彼に関しては、予断を許さない状況であると認識しつつも余裕を持ち、そしていつでも逆転出来る絶対的な切り札を持っているような、そんな感じだ。
 長い付き合いのお陰か、彼はその視線だけで用件を理解し、溜め息をつきながら一度頷いた。
「……了解した。ウチから歩兵を一万程防衛に向かわせよう」
 時間を稼いでくれ、という意味なのだ。
 勝たないけど、負けない。戦争がズルズルと長引くようなそんな人選を彼は望んでいた。 金髪の男の提案はそれを理解した上での兵数だったが、彼は笑みを浮かべたまま少し納得のいかなさそうな表情を見せた。
「それじゃ負けちゃうよ。例え本拠点に全部集中させても、周りから潰されて補給路を断たれちゃう。倍出してくれないかな? せめてリノまでの道筋一本でも立てておかなきゃ」
 兵のことを考えているようで、兵を駒としてしか見ていない発言だった。
 金髪の男はそれに少し苦い顔を浮かべながらも、しかし僅かに憧れるような気持ちを胸に覚えた。
 自分では、淡々とそのような判断は下せない。
 最低限の兵士と、最低限の被害と、最低限の死者でどう済ますかを考えてしまう。
 しかしこの男は、戦争に勝つ、戦争を終結させることを考えた上で、自らの愉悦を満たす余裕まで戦争中に生み出していく。
 その余裕の所為で、いつも死者が増大しているのは事実だ。
 しかし彼には、その余裕を捨てて本気で勝ちに行った時、誰よりも最低限に、圧倒的に勝利をもぎ取れる力があることを金髪の男は理解していた。
 階級こそ彼の方が上だったが、それだけだ。全てにおいて劣っている。
 だから逆らえない。
 しかし、今回の彼は少し違った。
 その余裕でいつも一番の被害を受けるのは金髪の男の管轄下の人間なのだ。
 これ以上、自分の所為で自分の部下が死ぬような真似をするわけにもいかない。
「いや、兵は1万で充分だ。それはお前の考え通りキルクーツへの補給路の確保に当たらせる」
 茶髪の男は少し驚いた表情を見せた。
 飼い犬に手を噛まれた、とまでいかなくとも、後足で砂をかけられたような気分だった。
「……じゃあ中央の防衛は? いくらラインを保てても中央が落ちたらお終いだよね?」
 笑みを戻しての男の反論に対し、金髪の男はそれより更に強い笑みを浮かべて言い返した。
「魔道歩兵300……で納得だろう」
 男が三本指を立てて示した提案に、なるほどと満足気に頷いた男の茶髪が揺れた。
「確かに、能力にも依るが練達された人間なら一般に歩兵の20〜100の兵力を見せる魔法使い達ならその人数でも妥当だろうね。”時間稼ぎ”には。でもどうするの? ウチの軍でも貴重な魔道歩兵さん達がいくら君の権限でもそう簡単に動くのかな?」
「アテはある。大部分は連戦になるがな。学兵でも戦力になることは先の戦争でよく分かった。俺に任せてくれ」
 そう言って部屋を後にした男の眼には僅かに闇がかかっていた。
 時間稼ぎの為、どうせ死ぬなら数の少ない方がいい。
 強い弱いではなく、単純に人間の命を数で考えた際に最も被害の少なくて済む手段を彼は選択することにした。
 少しではあるが、故意か無意識か茶髪の男の思考を真似た上での発案である。
 上層部の承諾を得て、その作戦はすぐにでも実行されることとなった。
 全てのとばっちりを受けるのは、リノ第三国立魔道養成学院の上級学生である。
2004/03/11(Thu)10:02:34 公開 / エレル
■この作品の著作権はエレルさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
はじめましてエレルと申します。

一ヶ月程間が空きましたが第五話書きました。
こんな作品もう誰も覚えていないとは思いますが、サラサラと読み直して、もしくは今回初めて読んでみて感想を頂けたら幸いです。
今回は完全に幕間のお話で、いつもより短めだし主人公すら出てきてなくて、それでいて新キャラは続々出てくる感じで本当すみません。
長くなってきたんで次話から新規投稿で再び進めていこうと思います。

まだタイトルにすらあまり関わってませんが、LineでもBorderでもなくDraw、生と死に自ら線を引く主人公を描……けるよう努力するつもりなんでよろしくお願いします。
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