- 『Colors 第1章〜最終章(改)』 作者:無夢 / 未分類 未分類
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1.白の章
「ねぇ、冬って何色だと思う?」
小さな公園のベンチの上で恵理が僕に言った。
「冬の色? 黒・・・かな」
「黒かぁ。何か暗くない?」
恵理は少し微笑んだ。
「私は白だと思うな。すっごく綺麗な白!」
「それって、雪が白いからじゃないか?」
「そうだよ! 雪が白いから、冬は白なの。・・・見たいな。あなたと一緒に。真っ白な雪・・・」
「恵理・・・」
僕は前を向いたまま、恵理の肩に腕を回そうとした。しかし、その腕は恵理の体をするりと通りぬけ、
何も触ることが出来なかった。僕はゆっくりと隣に座っているであろう、恵理に顔を向けた。・・・いない。
「え、恵理・・・?」
僕はベンチから立ちあがって公園中を見回した。誰もいない。それどころか、周りの道にも人っ子一人いない。
「恵理! 恵理!」
必死に名前を呼んでも、声が響くだけ。少し強く冷たい風が吹いた。僕の足元で木の葉がひらりと舞った。
その風の音に紛れて「さよなら・・・」恵理の声が聞こえた。
「恵理!」
そう叫びながらベットから跳ね起きた。部屋には目覚し時計の電子音が響いている。心臓の鼓動が早い。
僕はゆっくりと深呼吸をした。目覚し時計の音を止め、
時間を見てからベットを下りた。
青いカーテンの隙間から光が漏れている。僕は窓を開けて外を見た。雲一つない真っ青な空だ。
気持ちのいい朝の匂いが僕を包み込む。そこでもう一度深呼吸して、透き通った空気を体いっぱいに感じた。
そして僕は、ゆっくりと窓から遠ざかり、部屋を出た。
「おう、起きたか」
リビングの真ん中にある皮のソファーに座っている、ルームメイトの守が僕に言った。右手には
ジャムがたくさんついた食パン、左手にはコーヒーカップを持っている。
嫌な夢を見たばかりの僕は少し苦い顔をしながら頷いた。
「珍しいな、お前がこんなに早く起きるなんて。・・・そうか、今日は愛しの恵理ちゃんが帰ってくるんだっけな。
今から迎えに行くんだろ?」
そうだ。今日は恵理が帰ってくる日だ。アメリカで手術を終えたはずの恵理が。
そう考えると少し気持ちが楽になった。
恵理は僕の恋人で、目が見えない。いや、見えなかったと言った方が正しい。
子供の頃に失明してから目が見えなかったが、アメリカで手術をして見えるようになった、はずだ。
「うん。だから車借りるよ」
「あぁ、鍵はそこのテーブルに置いてあるからな。事故るなよ」
守は笑いながら言った。
「分かってるって」
僕は洗面台で顔を洗って、食パンを焼いて食べてから、いつもより少しおしゃれに着替えた。
そしてテーブルの上にある鍵を取って守に言った。
「じゃあ行ってくるから」
「OKOK。早く行ってやれよ。プリンセスを待たせちゃ駄目だぜ」
「うん」
玄関から外に出て、さっき味わった空気をもう一度吸いこむ。
そうしてから僕は門の前に止めてあった車のドアに鍵を差し込んで、開けた。エンジンをかけて走り出す。
五分ぐらい走ってから僕はラジオの電源を入れた。英語まじりのDJが聴者からの手紙を読んでいる。
「しまった、何かカセット持ってくればよかったな」一人でそう呟きながらも、
(いや、大丈夫。たくさん話をすればいいか)と、心で思っていた。
まずどんな景色を見せてあげようか。僕は色んな期待を膨らませながら、ハンドルを握っていた。交差点にさしかかり、赤信号で止まった。その時だ、ラジオの中で楽しく歌っていたアイドルグループの声が途切れて、
慌ただしい男の声に変わった。
『緊急ニュースです』
男の声は少し震えている。よっぽど大きなニュースがあったのだろうか。
『先程、ロサンゼルスから日本に到着するはずだった飛行機が・・・』
そこで少し間を空いた。もしかして男が言っている飛行機とは恵理が乗っている飛行機か?
僕は少し嫌な予感がした。
『太平洋で、原因不明の爆発を起こし・・・墜落しました・・・。生存者がいるかどうかは・・・まだ分かっておりません』
僕は自分の耳を疑った。・・・何だって? 飛行機が、墜落?
僕の頭の中は真っ白になった。変わってしまった信号に気付かずに、後ろからのクラクションが僕の頭の中に響いた。
2.薄紅の章
僕は恵理と初めて出会った場所に立っていた。恵理の葬儀に出た後、勝手に足がここへ向かってきてしまった。
不思議と涙は出なかった。遺影の中でにこやかに笑う恵理を見ても、泣く事はなかった。
ラジオのニュースを聞いた後、僕は飛行場へと車を飛ばした。信号が赤だったような気がしたけど、
それどころではなかった。
空港の前にはもう報道陣が集まっていた。僕はそれを掻き分けるように建物に入る。
僕は墜落してしまった飛行機会社のカウンターに行き、叫んだ。
「恵理は!? 恵理はどうなったんですか!?」
カウンターにいた女性は真っ赤になっている目で、言った。
「申し訳ございません・・・」
レンガ敷きの道の両側に桜の木が延々と並んでいる。今は季節のせいで花も葉もない。
それでも、春になるとたくさんの花が咲いて、赤茶色のレンガが全て薄紅色に染まる。
恵理と出会った日も、ここは暖かい色に染まっていた。
春の暖かい風に包まれて、僕は桜の道を歩いていた。この道が好きで、春には毎日のようにここに来ている。
ここには騒音なんかなくて、いつも静かな姿を見せてくれる。今日もそんな桜を見に来たのだ。
でも、今日は何か違った。全て桜を見終わって帰ろうとした時に、何故か僕はもう一度見てみたいと思ったのだ。
毎日のように見ているのに、その時だけは無性に見たいと思った。
そして、僕は一度通った道をもう一度歩いた。道の真ん中辺りに来ると、風が吹いた。
その風で桜の花びらが空中に舞った。それと一緒に白い紙も。
前を歩いている女性が持っていた紙の束の何枚かが飛んできたようだ。
僕の周りには紙が数枚落ちている。でも、その女性はそれを拾おうともせずに、そのまま歩き続けた。
銀色のステッキを地面に当てながら。
僕は少し戸惑いながらも紙を全て拾い、女性へと駆け寄った。
「あの、これ落としましたよ」
僕がそう言うと、女性は困ったような表情で「え?」と聞き返した。
「だから、手に持ってる紙。落ちましたよ」
「あっ、ごめんなさい。拾ってくれたんですか?ありがとうございます」
女性が笑顔で言った。
「はい、これ」
僕は紙の束の上に、拾った紙を重ねた。
「どうしたの? どこかに行くの?」
こう聞くとナンパのような感じだ。
「一応・・・」
「付き添いの人とか、いないの?」
この言葉を言った後、僕は後悔した。こんな風に言ったら失礼ではないか、そう思ったからだ。
「はい。一人で行けるって、意地張ったんです」
女性は僕の後悔を吹き飛ばすような笑顔で答えた。
「そうなんだ・・・。よし、じゃあ僕が一緒に行くよ!」
自然にこの言葉が出た。同情なんかじゃない。一目惚れだ。
僕は戸惑う女性の手を握った。
「大丈夫。僕が連れてってあげるから」
「そんな、悪いです!」
「いいから。君の名前は?」
「えっ、あの・・・真中恵理です」
「恵理ちゃんだね。よし、じゃあ行こう!」
僕達の周りで桜の花びらが舞った。
3.緑の章
「おっ、雪だぞ」
僕の向かいに座っている守が言った。
恵理がいなくなってから一週間後、守は僕を食事に誘った。食事と言っても、
フランス料理のような高級なものではなく、ただのファミレスだった。それでも、今の僕にとっては嬉しかった。
守は恵理の事は何も言わず、ずっと明るい話ばかりしている。
「寒いよなぁ。早く暖かくなってほしいぜ」
「うん、そうだね」
僕はウェイトレスが運んできた熱いタオルで手を拭いた。
「何食う? 俺はもう決めたから」
そう言って守が僕にメニューを渡した。メニューにはそれぞれの値段と、カロリーが書いてある。
僕はなるべく値段とカロリーが低いものに決めた。
ウェイトレスが料理を運んでくるまでの間も、食べている間も、守の笑顔は絶えなかった。
そんな守を見ていると、僕も笑顔になる。
全ての料理を食べ終わってから、コーヒーが運ばれてきた。すると守は何かを決心したように僕を見た。
「なぁ、お前、どうする気だ?」
守から笑顔が消えていた。
「・・・どうするって?」
「恵理ちゃんのことだよ」
僕の胸が少し締まるような感覚があった。
「お前、家に帰ってきても部屋に閉じこもって、出てこない。そりゃ、あんな酷いことになったんだから仕方ないとは思うが、心配なんだよ。飯もろくに食わないじゃないか」
「うん、ごめん・・・」
「あっ、いや、別に責めてるわけじゃないんだぜ」
守は焦った様に頭をかいた。
「お前が恵理ちゃんのことを、本当に愛していた・・・いや、愛しているのは知ってる。
でも・・・あぁ、これも違うな。だからこそ、やるべきことがあるんじゃないのか?」
「やるべきこと?」
「そう。恵理ちゃんの為にやるべきことだよ」
そう言って守は湯気の出ているコーヒーをすすった。
僕は考えた。恵理の為にすべきこととは何か、と。でも、恵理の笑顔がいくつも浮かんでくるだけで、
何も思いつかなかった。
「無理して考えるなよ。ゆっくり、考えていけばいいと思うし」
いつの間にかコーヒーを飲み終わっている守がカップを皿に置きながら言った。
「うん・・・」
「ほら、早くお前も飲め。冷めてるじゃないか」
守は笑いながら言った。
僕がコーヒーを飲み終わると、「行こうか」と守が言ったので、僕達は席から立ちあがった。
何人かのウェイトレスが「ありがとうございました」と言う。
レジに立つと僕達はほぼ同時に財布を出した。
「俺が出すからいいぜ」守はそう言って千円札を何枚か取り出した。
「いいよ、僕が・・・」そう言いながら僕が千円札を取り出した時、僕の財布から一枚の紙が落ちた。
「あっ・・・」
僕はそれをしゃがんで拾っている間に守はお金を払っていた。
店の外に出ると、守が僕に聞いた。
「なぁ、さっき落としたもん何だ?」
「あっ、これ? 恵理との思い出・・・かな?」
そう言って僕は財布からさっきの紙を取り出した。
長方形に切ってある黄緑色の画用紙に、緑の細長い草。
「押し花のしおり?・・・って、花がないじゃん・・・」
「うん、恵理と一緒に山に行ったときに、作ったんだ。花がないのは、緑色を残しておきたかったから」
「ふ〜ん」
「初めてのデートの記念・・・。いつも持ち歩いてるんだ」
「初めてのデートが山? 変わってるな」
守が笑顔で言った。
「僕達、デートで街とか遊園地とか、行ったことがないんだ。恵理が色んな景色を感じたいって。
目は見えないけど、景色とか色を感じたいって」
「へぇ、いいじゃないか。・・・・・・そうだ、お前が何をするべきか、分かったぞ!」
守は興奮して言った。
「景色だよ! 恵理ちゃんがお前と一緒に感じた景色をもう一度見るんだ!それで、写真にする!
それを、恵理ちゃんのところに持っていけば、喜ぶんじゃないか?恵理ちゃん」
「・・・そうだね。うん、そうだ。そうしよう!」
こうして、僕は恵理との思い出の場所に行くことにした。感じた景色を、色を、見せてあげよう。
4.青の章
まだ少し肌寒いというのに、海には人がたくさんいた。そのほとんどが、サーファーだけど。
ウェットスーツを着た人達が楽しそうに波に乗っている。水から出たときのためか、
僕が立っている近くには焚き火が燃えている。
冬の海というと、どうしても暗いイメージが僕にはあった。でも、この海は恵理と一緒に来たときと、同じ姿だった。
青い海と空、白い雲。
僕は自分の鞄から、カメラを取り出して写真を五枚撮った。
「ちゃんと写ってるかな」
少し心配になった。でも、現像するまで楽しみにしておこう。恵理と一緒に見ようと、僕は決めていた。
僕がカメラを鞄に仕舞った時、焚き火に当っていた女性が僕に話しかけてきた。
「そんなところじゃ、寒いでしょ。こっち来て焚き木に当って」
僕は少し頭を下げて言った。
「いや、大丈夫です」
「いいから。遠慮しないで、ね。私も話し相手がいないから退屈なの」
女性は僕に向かって、にこりと微笑んだ。
「はぁ、じゃあお言葉に甘えて・・・」
僕は女性の隣にある、プラスチック製の椅子に座った。
「はい、暖かいコーヒー。・・・あっ、私の名前は坂本美紀。よろしくね」
「はぁ。・・・あの、坂本さんは皆さんと一緒にサーフィンしないんですか?」
「うん。私、サークルのマネージャーなの。だから、皆がいつ上がってきてもいいように待機」
「そうなんですか・・・」
「あぁ、敬語使わなくていいよ。名前も美紀って呼んで」
美紀は満面の笑みで言った。
「それで? 君は何しに来たの? こんな寒い海に」
「僕は・・・」
少し迷った。何と言えばいいのか。
「あれ? もしかして、聞いちゃ駄目だった?」
「そんなことはないです! ただ、何て言えばいいのか・・・。思い出・・・探しかな・・・?」
「思い出探し?」
「はい。ここ、恋人とデートした場所で」
僕は照れ笑いして言った。
「そうなんだ。ここは綺麗だからね。絶好のデート場所だよ!」
美紀の言う通りだ。この海は・・・・・・僕にとって特別な場所。
恵理と、この海に来たときは、暑い夏の日だった。
太陽の光が青い海に反射して、助手席に座っている恵理の顔を照らす。
「今どこらへん? もう海に着いた?」
恵理はそう言いながら僕に顔を向けた。僕は何も言わずに助手席の窓を開けた。
すると、恵理は子供の様に、はしゃいで言った。
「潮のいい匂い!・・・ねぇ、今どんな色してる?」
いつも恵理は僕にこの質問をする。山に行ったときも同じ質問をされた。
「ん?青いよ。空も海も、すごく青い」
「・・・・・・うん! 私も感じる!」
恵理は海の方向を向いて言った。
『暑いですね〜。こんな日にはスタジオを飛び出して海に行きたいですね。さて、海といえばこの曲。
リクエストたくさん頂きました。それではお聞き下さい・・・』
ラジオの女性DJが曲名を紹介すると、夏にぴったりの曲が流れ出した。
「あっ、私この曲好き。本当、夏って感じがするよね」
と、言って恵理はその曲を口ずさんだ。
僕は砂浜のすぐ近くに車を停めた。
「着いたよ。外に出よう」
僕がそう言うと、恵理は嬉しそうに頷いてドアを開けた。海風が恵理の髪をなびかせる。
「う〜ん、やっぱ海っていいね」
恵理が背中を伸ばした。僕は車の鍵を閉めて恵理の手を握って言った。
「行こう」
それから僕達は海で遊んだ。色々なことをしていると、あっという間に時間が立った。
気が付くと、水平線に真っ赤な太陽が沈みかけていた。その光で今まで青かった空と海が、茜色に染まっている。
僕と恵理は遊び疲れて、砂浜に座っていた。
「今、どんな色してる? まだ青い?」
恵理が僕の肩に頭を乗せて言った。
「ううん。夕日で赤くなってるよ」
「へぇ・・・そうなんだ」
「残念?」
「全然。だって、あなたとここにいるだけで幸せだもん」
それから少し沈黙が続いた。
「ねぇ、私達ずっと一緒だよね?」
恵理はそう言って僕の手を握った。僕は恵理の手を握り返して答えた。
「当たり前だろ。ずっと・・・一緒だ」
「・・・ありがと」
そして僕達は夕日の中で唇を重ねた。
5.黄の章
恵理がいなくなってから、もうすぐ一年が経つ。僕の思い出探しは、冬に海へ行ったときから一時中断していた。
やっぱり、恵理と一緒に行ったときの色を収めた方がいい、そう思ったからだ。だから僕は、一年かけてもう一度
写真を撮りなおした。春には桜の道を、夏には山と海を、そして、秋・・・。
「へぇ、ここ綺麗だな」
守が周りを見回して言った。今日は守も一緒に写真を撮りに来た。少し大きな公園で、イチョウの木がたくさん生えている。
「この木だよ」
僕はその中で一番大きな木の下に立った。
風が吹くと、扇のような形をした黄色い葉が僕の周りを舞い散る。
「でかいなぁ、これ」
守は木を見上げてそう言った後、僕の顔を見て、聞いた。
「それで、ここでは何したんだ?」
「アメリカに行くって聞いた。目が見えるようになって、二人でイチョウを見ようって約束した」
「・・・・・・そうか」
「だから、ここは恵理と最後に会った場所」
僕の声が少し震える。そんな僕を励ます様に守が明るい声で言った。
「よし!じゃあ、早く写真撮ろうぜ!な、ほら!」
「うん・・・」
大きな木と周りの木の写真を何枚か撮った。撮り終わってカメラを仕舞うと、
「もういいのか?」
と、守が聞いた。僕が黙って頷くと、守はにこりと笑って言った。
「よし、行こうか!」
そして、僕達は歩き出した。公園の出口付近に来たとき、僕は一人の女性を見つけた。美紀だ。
美紀は公園のベンチに座り、イチョウの木をぼんやりと眺めている。その目には涙。
「あっ、あのさ守は先帰ってていいよ。僕もすぐ帰るから」
僕は美紀が心配になっていた。守にそう一声かけると美紀の座っているベンチへ走った。
足音で美紀が僕に気付き、すぐに涙を拭っていた。
「久し振り。こんな所で会うなんて、運命かしら」
美紀は真っ赤になった目で無理に笑いながら言った。
「ちょっとそこで美紀さんが泣いてるのが見えたから・・・」
「見られちゃったか」美紀は苦笑いした。
「大きなお世話かもしれないけど、心配になって。・・・どうしたんですか?」
「うん、ちょっと親友のこと思い出して。ちょうど去年の今頃かなぁ。死んじゃったんだ」
僕の胸が少し締め付けられた。
「すっごく仲良かったの。いつも一緒にいて、楽しかった。でもね・・・いなくなった・・・」
「そうなんですか・・・」
「君は・・・思い出探し?」
「はい。僕の恋人も去年の今頃・・・」
「すごいね、君は。亡くなってからも、その子の為に頑張ってるなんて、そんなにその女の子が好きだったんだ。
私も、何かしなきゃ。私、親友と約束したことがあって、それがまだできてないんだよね。だから、命日までにしなきゃ」
僕が頷くと、美紀は笑って言った。
「ありがと! 私の話聞いてくれて。じゃあ、そろそろ行くね」
ベンチから立ちあがって美紀は僕に向かって頭を下げた。
去っていく美紀の後ろ姿は、少し寂しかった。
6.黒の章
雨が降っている。真っ黒な傘をさして、僕は歩いていた。歩く度に、足元の水が跳ねる。
靴は少しぐらい濡れてもよかったが、手に持っている封筒だけは濡らしたくなかった。
この中には、恵理との思い出の写真が入っているのだ。
全ての思い出の場所に行ってから、すぐ僕は現像を頼んだ。受け取ってから僕は一度も見ていない。
恵理と一緒に・・・そう決めているのだ。
遠くで雷が鳴った。
「ここ・・・だったよな」
僕は木の表札に「真中」と書いてある家の前で立ち止まった。一度だけ来たことがある。恵理に住所を教えてもらい、
自力で探しながら・・・。さすがに二回目なので、迷わずに来れた。
インターホンを押した。中で走る音がしたと思うと、「はい」と言いながらドアを開けて女性が出てきた。恵理の母親だ。
恵理の母は、僕の顔を見ると笑顔になって
「あら、久し振りね」
と言った。僕はそれに答えるように、軽く会釈した。
部屋の中に入るとお茶を出された。僕は木のテーブルの前に座った。
「最後に会ったのが・・・恵理のお葬式のときだったわね。ちょうど一年前かしら?」
「すいません。一年も顔出さなくて・・・」
「あぁ、いいのよ。あなたは若いんだから、いっぱい恋をしてるのよね」
嫌味のない笑顔で言われた。
「いえ、そういうわけじゃ・・・。ちょっと事情がありまして。あの、恵理に話があるんですけど」
僕がそう言うと、恵理の母は黙って立ち上がり、ふすまを開けた。
「どうぞ」
「はい・・・」
僕は仏壇の前まで歩いた。線香が白い煙を立てている。その中に僕も一本線香を立てて、手を合わせた。
そして、封筒から写真を取り出した。
「恵理、これは君と行った思い出の場所の写真だよ。憶えてる?」
僕はその中から一枚を選び取った。
「ほら、これは初めて会った場所。これを撮ったときも桜がいっぱい咲いてた。恵理と会ったときと、ほとんど一緒だったよ。
・・・これは初めてデートに行った場所だね。山の頂上に行ったら空気がすごく綺麗で、辺り一面緑色に見えたよね。恵理も緑色を感じてるって言って、僕はすごく安心したんだよ。実は僕、最初はすごく不安だったんだ。恵理は僕と一緒に山に行って楽しいのかなって、満足してくれるのかなって・・・。でも、恵理の笑った顔を見たら、そんな不安も・・・」
恵理の笑顔を思い出して、目に涙が溜まる。
「それで、帰るときに恵理は記念に押し花を作りたいって・・・。あの時のあれ、まだ持ってるよ」
それから僕は二十分かけて、思い出の場所の話をした。そして・・・
「ここ、僕と恵理が最後にあった場所・・・。このイチョウの木の下で、恵理がアメリカに行きたいって行ったときは驚いたよ。それで、行くことを止めた・・・。怖かったんだ。目が見えるようになって、僕の顔を見たときに、嫌われたりしないかなって。もちろん、恵理のことは信じてた。でも、やっぱり・・・」
僕は遂に涙をこぼしてしまった。恵理の前では泣かないと、決めていたのに。弱音を吐かないって決めたのに。
「恵理・・・会いたいよ・・・。もう一度会いたいよ・・・。もう一度会って、恵理と色んな景色が見たい!
色んな色を感じたい! もっと・・・笑顔を見たい・・・」
僕はもうまともに座っていられなくなった。正座したまま頭を両手で抱え、泣いた。声を上げて。
僕の背後からは、すすり泣く声が聞こえてくる。と、その時だった。インターホンの電子音が家中に響いた。
恵理の母は無言で立ちあがり、玄関へと向かった。扉を開く音が聞こえたかと思うと、すぐに女性の声が聞こえてきた。
「お久し振りです」
どこか聞き覚えのある声だ。
「あの、恵理に会いに・・・」
「どうぞ、入って」
二人のやり取りが終わり、段々と足音が大きくなってくる。僕は溢れる涙を拭って、玄関の方向を見た。
「あっ・・・」
やってきた女性が僕の顔を見て驚いた顔をする。そして、僕も。
「美紀・・・さん?」
「ど、どうしてここに?」
美紀は立ったまま僕を見つめている。
「恵理は、僕の恋人だったんです」
「え?じゃあ、思い出探しって恵理との思い出?」
「はい。あの、美紀さんは・・・」
「私は、この前話した親友の命日で。・・・・・・そうだ! あなた、恵理の恋人なんでしょ?」
僕は黙って頷いた。
「よかった・・・。恵理との約束、果たせる・・・」
美紀はそう言うと、静かに涙を流した。そして、持っていたバックから、真っ黒いものを取り出した。
7.赤の章
「こんにちは、恵理です。明日手術があります。やっぱり少し怖いかな・・・。麻酔で眠って、目が覚めたら
自分のいる世界が見えるって、嬉しいけど怖い。でも私、最初に見るものはもう決まってるんだ。
私が一番大好きなあなた。
先生が言ってたんだけどね、手術が終わってもしばらくは目に包帯が巻かれるんだって。だからその間に日本に帰って、
日本の病院で包帯を取る。その時、あなたもいてくれるよね?・・・・・・私ね、今まで人とお付き合いするのが怖かった。
それどころか、人を好きになることも怖がってた。本当にこの人は私のことを好きでいてくれてるのかって、
そんなことばっかり考えてたの。馬鹿でしょ? 私って・・・。でもね、あなたは違った。
あなたと初めて会ったとき少し驚いたけど、
すっごく優しくしてくれて私、安心した。今まで優しくしてくれた人はいたけど、あなたは違った。
あのね、笑わないで聞いて。私はあなたに会ったあの日・・・あなたに手を握られたとき、運命の人だと思ったの。
何でって聞かれたらちょっと困るけど、
そう思った。へへっ、ちょっと恥ずかしいね。・・・・・・憶えてる? 初めてデートした場所。
山に行ったよね。綺麗な緑色、
私も感じてたよ。それで私がそのこと言ったら、あなたは『この緑色を残そう』って言って、私の為に押し花を作ってくれた。
それがすごく嬉しくて、私泣いちゃったよね。そしたらあなたは私の手を握ってくれた。あのときの押し花、まだ持ってるよ。
私の宝物。・・・・・・ねぇ、知ってる? 赤色ってね、人の脳に一番早く届くんだって。だから私、親友の美紀に
赤い服を選んでもらった。見える? 私の姿、あなたに届いてる?この服、今も着てるけど、
包帯が取れるときにまた着るつもり。そしたら、アメリカに来る前にした約束、果たそうね!ほら、イチョウを見るって約束。・・・でも、本当はもっと見たいものがあるの。あなたと一緒に感じられなかったもの。それはね・・・・・・」
僕は恵理の言葉の途中でビデオデッキの停止ボタンを押した。涙が止まらなくなり、テレビの画面をまともに見ることが出来なくなったのだ。僕は長袖で涙を吹いた。
あの時、美紀が取り出したものは一本のビデオテープだった。恵理の手術の前日に撮ったらしい。手術が終わった後に僕の所に送るつもりだったらしいのだが、結局送ることが出来なかったと美紀は言っていた。美紀は恵理の手術が
終わった後、少しの間アメリカに滞在する予定だった。もちろん、恵理も一緒に。しかし恵理は僕の顔を早く見たい、
僕のいる所へ帰りたいと言って、一人で飛行機に乗った。そして、あの事故・・・。美紀はあまりのショックで、
ホテルから一歩も出なかったらしい。そして、帰るために荷物をまとめているとき、自分のバッグにこのビデオが入っていた。それを見た美紀は、このビデオを恵理が大好きだった人に渡すことが、恵理の為になると考え、僕を探していた。
僕は恵理からの最後のメッセージを一人で見ていた。恵理は最期まで、僕の顔を見ることがなかった。
それが、一番悔しい。それが一番・・・悲しい。
「続き・・・見なきゃ」
僕は一人、そう呟いた。そして、再生ボタンを押した。
終.白の章
僕はベットの中で目が覚めた。布団の外は寒いが、暖かい毛布が体を包み込んでいる。
天井を見上げて欠伸をした。まだ眠い。そして、もう一度寝ようと目を閉じかけた時、扉が勢い良く開いた。
「ほら! 起きろ、朝だぞ!」守だ。
「今日は出かけるんだろ? だったら早く起きて、準備しろよ」
「うん・・・」
僕は眠い目を擦ってまた欠伸をした。そして、上半身を起こす。
「あぁ、そうだ。さっき坂本美紀さんだったか、電話があったぞ」
「美紀さんから? 何て言ってた?」
「お前が寝てるって言ったら、また後で電話するってよ」
「そう・・・」
僕はそう言って、ベットから下りた。そして、ゆっくりと窓に近づいてカーテンを開けた。いつもと変わらぬ景色が
目の前に広がる。僕は一つ溜め息をついて窓から離れた。
リビングに来ると、守は用意してあったコーヒーを手に取り僕に差し出した。
「ありがと」
僕はそれをゆっくりと口に運んだ。少し苦めの味が口の中に広がる。その時、電話のコール音が響いた。
「あぁ、俺が出る」
守は白い電話に近寄り、受話器を取った。
「はい。・・・あぁ、さっきはどうも。今度は起きてますよ」
守が僕に受話器を差し出す。僕はそれを受け取ると、耳に当てた。
「もしもし」
『あっ、もしもし。美紀ですけど。元気?』
「はい・・・おかげさまで・・・」
『やだぁそんな敬語使わなくていいって。・・・それより、今日暇?』
「えっ、あの・・・すいません。今日は恵理のお墓に行こうと・・・」
『あら私もそのつもりだったわ。一緒に行かない?』
何という偶然。
「はい、もちろんいいです」
『OK。じゃあ、十時に駅で待ち合わせでいい?』
横目で時計を見た。時計の針は九時を指している。
「はい。じゃあ十時に」
僕はそう言って受話器を電話機に戻した。
「ビデオ・・・見た?」
美紀が僕の隣を歩きながら言った。
「はい、見ました。恵理の見たかったものも」
「良かった!これで恵理も喜んでくれるかな?」
美紀は笑顔で僕の顔を覗きこんだ。
「きっと喜んでますよ」 僕も笑顔で答える。
それからしばらく歩くと霊園が見えてきた。その中を少し早歩きで進む。恵理のお墓は黒い石で出来ている。
僕達はそれをしばらく眺めていた。すると美紀が、
「あの、私・・・お水汲んでくるね!」
と言って、走り去っていった。途中で涙を拭うような仕草をしたように見えたのは、僕の気のせいか。
一人残された僕は、つい昨日見たばかりのビデオのことを思い出していた。
恵理の笑顔がまぶたの裏に焼き付いている。
目を閉じると、目の前に恵理がいるような気がしてならない。
「恵理・・・」
僕はお墓に向かって話し掛けた、その時だった。
僕の目の前に真っ白な雪の粒が舞い落ちた。
「あっ・・・」 僕の頭の中にビデオでの恵理の言葉が蘇る。
『ねぇ、知ってる?赤色ってね、人の脳に一番早く届くんだって。だから私、親友の美紀に赤い服を選んでもらった。
見える? 私の姿、あなたに届いてる?この服、今も着てるけど、包帯が取れるときにまた着るつもり。
そしたら、アメリカに来る前にした約束、果たそうね!ほら、イチョウを見るって約束。・・・でも、本当はもっと見たいものがあるの。
あなたと一緒に感じられなかったもの。それはね・・・・・・雪なの。真っ白な雪。それがあなたと一緒に見たい色』
最後に恵理が画面の中で微笑み、ビデオはそこで終わった。
「雪・・・。雪だよ、恵理」
僕の頬を涙が伝う。僕はまぶたを閉じて、白い雪を感じた。恵理がやっていたように、色を感じた。
そして、僕の手には暖かい温もりが。
「久し振りだね」
耳元で囁かれた言葉、声は・・・・・・恵理のものだ。
「恵理?」
「目を開かないで。二人でこの色を感じようよ。白い色、感じよう」
それからしばらく、僕達は手を握ったまま白い色を感じた。綺麗な綺麗な雪を。
「私ね、あなたが大好き。本当はずっとこのままこうしていたいの。でも、もう時間がないみたい」
僕の手を握る手が急に冷たくなった。
「私、あなたに会えて良かった。最後に、こうして雪を感じられて良かった。・・・・・・さよなら」
耳元でそう囁かれたかと思うと、もう手の感触はなくなっていた。僕は目を開けて周りを見渡した。雪は降っていない。
遠くで美紀が重そうにバケツを運んでいるのが見える。僕は美紀の方へと走った。
「あの! 美紀さん!」
「ど、どうしたの?」
美紀が驚いた顔で僕の顔を見る。
「さっき僕の手を握りましたか・・・?」
僕がそう聞くと、美紀は首を横に振って言った。
「ううん、私ずっと水を汲んでたよ。ちょっと遠くて疲れちゃったけど・・・。どうかした?」
「さっき雪が降ってた時、僕の手を誰かが握って・・・」
「雪?そんなの降ってなかったよ」
「えっ? じゃあ、さっきのは・・・本当に恵理・・・?」
僕はそう言ってから何気なくコートのポケットに手を入れた。僕の手に金属の感触がある。
「ん?・・・これは?」
それをゆっくりと取り出した。・・・・・・雪の結晶の形をした、ネックレス。
それから半年後――
「ほら!早く起きろ! 今日は山に行くんだろ?」
僕の部屋中に元気な守の声が響いた。僕はベットの上で上半身を起こした。
「うん、今起きるよ・・・」
僕はゆっくりとベットから下りて、カーテンを開けた。真っ青な空が広がる。
今日は恵理との初めてのデートの場所に行く。これからも恵理の為に、写真を撮ってあげよう。
そして、また二人で感じようと、僕はそう決めた。春には桜の道、夏は山と海、秋はイチョウ、そして冬は・・・雪。
僕はドアを開けて外に出た。朝の気持ちいい空気が僕の肺に届く。
太陽の光で、僕の首筋にある雪の結晶が、きらりと光った。
完
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2004/03/10(Wed)16:45:04 公開 / 無夢
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■作者からのメッセージ
初めまして。無夢という者です。
やっと完結しました。皆さんに面白いと思っていただける小説をこれからも作りたいと思っておりますので、これからもよろしくお願いします。・・・と、コメントを書いてから時間がたち、改めて自分で読んでみると誤字脱字がたくさんありまして・・・(^‐^;
だから、その部分を訂正するのと同時に、ラストも少し変えました。胸に少しでも感動を覚えていただいていたら、幸いです。