- 『秋空の彼方へ』 作者:藤崎 / 未分類 未分類
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全角7309文字
容量14618 bytes
原稿用紙約25.95枚
夕暮れというものは、どうしてこうも哀愁を漂わせているのだろう。
秋の世界に一人、そんなことを考えていた。
西陽が、くたびれた校舎の屋上に、私の、長い影を作る。
一体、何度眺めてきたことだろうか。
オレンジ色に染まる、この瞬間の街を。
世界が、一番きれいに染まる、この瞬間を。
久々に訪れた母校は、何の変わりもなく、そこにあった。
私が卒業してからも、何一つ変わることなく、多くの卒業生を送り出してきたのだろう。その事実が、私の心をあの頃へと戻していった。
とても楽しかった日々。何もかもが、煌(きらめ)いていた。悲しみもあったけれど、それさえも、楽しくうれしかった。
指が、かじかんできた。
秋とはいえ、夕方は冷え込む。その中に、二時間近く一人で立っていた私を、自分でほめてやりたい。
沈んでいく日が、街の影を濃くする。
そして、冷たい風に乗って。
その人の、懐かしい声が聞こえた。
「叶(かなえ)」
振り返るよりも早く。
腕が、私を包み込んでいた。
「……待たせて、ごめん」
少しハスキーがかった声と、淡いシャンプーの香り。
忘れるわけがない。
「ゆ…たか…」
後ろからの腕を、ギュッと抱きしめて。
彼の腕の中で、振り返る。
そこには、こちらを優しい瞳で覗き込む、優(ゆたか)の顔があった。
「いつまで待たせてんのよ」
わざと、悪態をついてやる。そうでもしないと、涙が零れ落ちそうだった。
「悪かったって」
苦笑交じりに言う癖も。変わっていない。
「…もう、来てくれないかと思った…」
それでも、我慢できなくて。思わず、弱気になっていた自分を表に出してしまう。
「ごめん…」
背中に回った腕に、力がこもる。
耳の後ろで、声が聞こえる。
私が、どれだけこの瞬間を待ち望んだか。ねぇ優、気づいてるの?
一日が終わろうとするその瞬間。
“いいよ”と言う代わりに私は、彼の胸に、顔をうずめた。
「叶、覚えてるか、ここ」
古い廊下を歩く。
ガラス窓から差し込む光が、きらきらとカーテンをつくっていた。
「忘れるわけないでしょ?」
ガラリと、昔ながらの音を立てて開いたドアは、1−1の教室に通じるもの。
入学式の放課後、私と優が初めて出逢った場所。
「驚いたんだぜ、あの時は」
そう言いながら、優は自分の指定席に座る。窓際の、グランドが見渡せる席。
その姿をまた見ていられることが嬉しくて、また、泣きそうになる。
「授業中、よくよそ見してたよね」
「おかげで退屈しなかったけどな」
それでも、彼の成績は落ちた例がなかった。
「ここで泣いてたのは誰だっけ?」
からかうように、笑う。
「さぁ、誰だったかしら?」
「よく言うよ」
あの日。
慣れない制服を着て、知らない人の中で、見慣れない場所で、不安だらけだった。
まだ子供っぽさの抜けない他の生徒達に混じって、優だけは、別格に見えた。
ボーっと緊張感の欠片もなく外を眺めるその姿に、私は
一瞬にして惹かれた。
「あの時さ、俺、叶のことすごいと思ったんだぜ」
「どうして?」
「“こんなに泣くほどに、夢中になれるものを持ってるのか”って」
静かに響く、優の声。
歌手になりたいと思ったのは、物心がつくかつかないかの幼い頃に、某歌手の歌を聴いたその瞬間だった。
頭に直接届く透明な歌声と、泣きたくなるような切ない曲。それらがつむぎだす極上の詩は、静かに、けれど確かに私の中に根付いていた。
オーディションと聞けば、自分のお小遣いで行ける所ならどこでも行った。
もちろん、そう簡単に叶う夢だとは思ってなかったけれど、問題外と言わんばかりの結果の重なりに、少しずつ、落ち込んでいった。
いつ切れるか解らなかった悲しみの糸が切れたのは、親に笑われたときだったと思う。
なれるわけがないのだと。否定され、嘲笑に付された。
こらえていたものが、一気に、外へ流れ出たようだった。
「そしてこの歳になっても、まだ声をあげて泣けるやつがいたのかと」
冗談交じりに彼は言う。
「このへんでしょ?私がわぁわぁ言って泣いてたのって」
教室の隅。
誰も来ないと思っていた。あんな放課後に、誰も来るはずがないと。
職員室は、別校舎。
だから、思いっきり泣けたのだ。
そして私の期待を、見事に裏切ってくれたのは、他でもない、優だ。
「一瞬、固まったね」
それはそうだろう。
少なくとも私の第一印象は“活発”ではなかったはずだ。その女が、誰もいない教室で、大声を上げて泣いていたのだ。
“おとなしい”人間が、大声を上げて泣く。それは優の中では、決してイコールでつながることはない。
「でも、うらやましかった」
ポツリと、つぶやく。
「ここまで一生懸命になれるものがあって、大声を上げて泣くことができて。すげぇなぁって。ちょっと、うらやましかった」
いたずらっ子みたいに笑う優は、あの頃と何ひとつ変わらない。
驚いたように優は、一瞬石のようになった。私も、また然り。
泣き腫らした目を、優は、呆然と見つめていた。
かと思うと、そっと私に近づいて、すとんと腰を下ろしたのだ。そして困ったように、私を覗き込んでいた。
「『泣いてていいよ』って、優言ったね」
いまどき、そんなことを言う人がいるとは思わなかった。
だって私はあの瞬間、次の日からの学校生活がどういうものになるか覚悟したのだから。
彼に脅されるか、噂を流され奇妙なイメージを植えつけられるか。
私がそんな想像を一瞬にしてしたのも、周囲に、そんな人間しかいなかった証拠だ。
「あんなこと言われるとは思わなかったな。普通、知らないふりして過ぎ去るとか、見ないふりをするとか、いろいろあるじゃない?」
「言っただろ。すげぇって思った、って」
そしてその言葉を聞いて、安心して泣き続けた私も私だ。
「次、行く?」
そう言って、優は立ち上がった。
太陽は、さっきよりも西に落ちていた。それでもまだ、時間はあると言い聞かせる。
「おい、蒼木(あおき)じゃないか?」
体育館への渡り廊下を歩いているときだった。
自分の苗字を呼ばれて、私は驚いて振り返る。
「佐高(さだか)…センセ?」
目の前に現れた体格のがっしりとした男は、6年前に初めて見た顔。
三年間、私の担任だった。
卒業した当時に比べると、少し頭が薄くなっただろうか。
表情は、相変わらず生き生きとしていたけれど。
「久しぶりだな、蒼木」
抱えている教材は、明日の授業のプリントだろうか。
この先生は、課題が多いことで有名だった。そのわりには、生徒には弱い。面白みのある先生。ちょっとした、名物だった。
「本当に、お久しぶりです。先生も、随分歳をとられましたね」
今の生徒にも、あの頃と変わりのない愛情を注いでいるのだろう。
「それを言うな。それで、どうした、こんな時間に。なにかあったのか?」
「いいえ。ただちょっと、懐かしくて。しばらくぶりだったから、校舎の中、探検してたんです。何も変わってませんね。私の落書きまであった」
微笑みながら、校舎を見上げる。
「そうか。終わったら、職員室に寄るか?」
「…いいえ。今日は、遠慮しておきます。先生も、お忙しいでしょうから」
「そうか…。まぁ、ほどほどにな」
「はい」
短い会話だった。
この先生には、本当に頭が上がらない。何故か知らないが、昔からそうなのだ。
「蒼木!」
体育館に向かおうと、背を向け歩いていた私に、佐高先生は呼びかけた。
振り向いく私に、彼は尋ねた。
「お前、あの夢どうなった?歌手になる! って、叫んでたじゃないか」
そう。
私は否定されようが何を言われようが、そう言い続けたのだ。
そのきっかけをくれた、それなりの理由の下に。
大声で、答えを叫ぶ。
先生は、満足したような、少し淋しそうな複雑な顔をして、私の答えに対するそれ相応の呼びかけをくれた。
「遅い!」
待っていた優は、私が来るなりそう言った。
「いつまで待たせてんだよ」
今日あったときの、私のまねをする。
「悪かったって」
「…もう、来てくれないかと思った…」
言った後で、二人同時に吹き出した。
「佐高、何だって?」
「何しに来たんだ? って。変わってなかったよ。きっと今も、すごくいい先生だと思う」
部活をする生徒がいない体育館は、静まり返っていた。
けれど、きれいな光の帯がある。
泣き顔を見られて以来、私達はすっかり仲良くなってしまった。
夏になる頃には、唯一無二の親友になっていた。
毎日が楽しかった。優といられることが、嬉しかった。
私達が二人でここに集まったのも、ちょうどこの時間帯。あとは、音楽室とか。
放課後の学校が、私達の遊び場所だった。
人前で歌うことになれるため、私は優の前で歌った。広い体育館に自分の歌声が広がる。それがどれだけ解放的か。きっと、体験したことのない人には、わからないだろう。
そうやって、毎日がどれほど楽しくても、やはり親には否定され、笑われた。
我慢できなくなたことも度々あったけれど、入学式の日以来、私には優がいた。
いつも黙って、そばにいてくれる優。
だけどそれが、一度だけ、嫌味に感じてしまったことがあった。それほどまでに、私の気持ちは疲れていたのかもしれない。
「俺さぁ、あの時少なからずショックだったんだぜ?」
どうやら、優も私と同じことを考えていたらしい。
「自分はそんなに信用されてなかったのか、って」
黒いコートのポケットに手を突っ込んだ優が、体育館の奥にあるステージの前でこちらを向く。
二階の窓から入り込む光が、彼の表情を隠す。
「違うの、そうじゃない。私がおかしかったのよ」
優に言った言葉は、今でもはっきりと思い出せる。彼も、同じだろう。
「『優はいっつもそばにいてくれるけど、』」
「『ほんとは私のこと、馬鹿にしてるんでしょ』だっけ?」
過去の自分が恥ずかしい。自分の勝手な都合で大切な親友を傷つけ、危うくそれをなくしてしまうところだったのだ。
私は夢を諦めるべきなのかもしれない。
きっと優にも迷惑をかけているし、なれる可能性の低いものをずっと追い続けるなんて。
何もかも、投げやりな気分だった。だから優に八つ当たりをした。
私の歌を聞いて何も感じないでしょう、と。こんな歌唱力で、歌手になんかなれるわけないって馬鹿にしてるんでしょう、と。
「優、あの後なんて言ったか覚えてる?」
「ん〜?」
覚えているけど、言いたくない。そんなかんじだろうか。
「『お前、人が馬鹿にしてるからって、それでやめんのか? 叶は崇拝されるために歌手になりたいって思ったのか』って言ったのよ」
「もう一つ。『本当になりたいものなら、どんなことがあっても諦めるな』」
それが、否定されようが何を言われようが歌手になるといい続けた、それなりの理由だった。
確かに私は、人に崇拝されたくて歌手になりたいと思ったわけじゃない。
人の心に残る歌を歌いたいと思ったのだ。
人に馬鹿にされ、笑われ、だからってそれは、夢を諦める理由にはならない。
「あのとき優が言ってくれた言葉で、今の私がいるんだよ」
夢を追い続けた私。それから、思ったことは素直に相手に伝えられるようになった私。
「ねぇ、わかってるの?」
背を向けた優の顔は見えない。
地平線に、太陽がつきそうだった。
やはり、時間は進んでいるのだと。
心の奥が、ずっしりと重くなる。
「叶!こっちだ、こっち!」
前を行く優は、はりきって私を呼ぶ。
向かったのは、職員室校舎にある音楽室。
静かに、ドアを開く。
「うわー、懐かしい。変わってないね」
「あぁ」
綺麗に並べられた机。立派なグランドピアノ。
時間は確かに過ぎ去ったはずなのに、この校舎だけは、それを感じさせない。
「ここは? なにがあった場所か覚えてる? わすれた?」
「まさか」
「じゃぁ、なに?」
「……」
「教えてあげるよ。優が、私に告白した場所」
気まずそうに目をそらす。
あの時も、そうだった。
放課後のいつも通りの遊びなのに、優は妙に真剣な顔をしていた。
何事かと、思った。
「『叶、俺と付き合わん?』」
物マネをする。
「やめようぜ」
心底いやそうに、優は笑う。
「なんで。いいじゃない」
優は知らない。あの言葉を聞いて、私がどれだけ嬉しかったか。同時に、どれだけ不安だったか。
改めて、付き合おうと言われるような関係だったわけじゃない。それに“付き合う”ことによってその関係が変化するかもしれないことが、何よりも怖かった。
案ずるより生むが易し。とは少し違うかもしれないが、まぁそんなところだった。
私達は、何一つ変わりなく。親友のような恋人同士だった。周りからはさぞ奇特な関係だったことだろう。
「きれいね」
窓のサッシに両手をついて三階からの景色の見つめる。
この学校は、周りの土地よりも高いところにある。
驚くほど眺めがいいのは、この町が、大都会じゃないからだろうか。
空の狭いところは、息苦しくなる。
「ずっと、このままでいたいな。優と二人で、さ。時間が止まっちゃえばいいのに」
くるりと振り向くと、優はまた苦笑していた。
「それ、離れてる間にすっかりしみ付いちゃったみたいね」
表情は、変わらない。
「ずっと、ここにいない?」
語りかける私に、優はやわらかい笑みを見せる。
「屋上、行こうか」
答えずに。
たった一言、そう言った。
一日が、終わろうとしていた。
太陽は、地平線に半分埋もれてしまっている。
東の空は、もう夜の気配が漂っていた。
「卒業式の前日に、みんなでドンちゃん騒ぎしたよね」
「あぁ」
中学のときからの女友達兼悪友の松岡(まつおか)が、言い出しっぺだ。
「松岡、酒飲むわ飲むわ」
おかしそうに優は笑う。
「彼女ね、ちゃんと憧れの職に就けたのよ」
「そうか」
陽が、沈んでいく。
それは、手を伸ばせば届きそうな距離にあるのに。決して触れることはできない。
手すりに寄りかかって、背後にいる優に、喋りかける。
「私、ちゃんと輝いてる?」
「うん」
きっと、問いたいことはわからないに違いない。
それでも、優はちゃんと頷いてくれるのだ。
「私も、憧れの職に就けたのよ」
言いたくない、と。
心の奥は、悲鳴を上げている。
だけど、優は屋上に来ようといった。
もうすぐ、別れのとき。
逃げることはできない。
「歌手に、なったのよ」
振り返って笑う私の表情は、揺れていただろうか。
からだは、震えていた。
優は、嬉しそうに、笑う。壊れそうに、やわらかな顔で。
「その言葉を、私の口から聞くために、
優は今日、……天国から来てくれたんでしょう?」
静かに、風が吹く。
オレンジ色の、風だ。
優は、柔らかな表情のまま、そっと、近づいてくる。
黒い髪が、揺れる。
「…優、私ね。泣かなかったよ」
卒業式のあの日。
まだ知らない世界に飛び出して行くことが怖かった。
だけど、嬉しかった。
隣には優がいたし、歌手になる、って、心の中は固い決心があった。
大丈夫だと思っていた。この二つさえ、失くさなければ。
駆け出した優の背を追って。
私は、校門を飛び出したんだ。
「死んでいたのは、私だったのにね」
やってきたトラックに、優の体が、舞った。
あの一瞬、本当に、目の前で起こった出来事が、理解できなかった。
彼は、名前通りの優しい人で。
そして私は、その優しい彼の代わりに生き延びた。
どこから出ているのかわからない赤の液体が、アスファルトを染め上げ。
私の制服も、手も、血だらけだった。
私を見つめる優の表情は、最後の瞬間までやわらかかった。
そして言ったのだ。
『絶対に、夢を叶えろ』と。
『立ち止まってなんかいないで、前に進め』と。
『決して、泣いたりするな』と。
「だから私、泣かなかったよ。今までずっと、一度だって」
救急車の中で、優の息が途絶えたときも。
霊安室で、家族が号泣していたときも。
葬儀のときも。
あなたのお母さんに『優の大切な人になってくれてありがとう』って言われたときも。
安らかな、最後の眠りを見たときでさえ。
涙なんか、流さなかった。
「ごめんね、優」
「…礼を言われることがあっても、謝られるとは心外だな」
確かに、そうだね。
謝ったところで、あなたは帰ってこない。
「ありがとう」
ふわっと、微笑む。
きっともう、これっきり。二度と、彼に逢えることはないだろう。
「ありがとう、優」
泣きそうになりながら。
必死にこらえて、ずっと言いたかった言葉を言う。
「逢えて、よかった」
陽が、沈んでいった。
冬の気配を知らせる風が、私達を包む。
優は、そっと自分の着ていたコートを脱ぐと、私にかけてくれた。
そして。
彼の唇が、私に触れる瞬間。
太陽は、沈んで。
優は……、消えた。
「蒼木」
振り向くと、佐高先生の姿があった。
私の顔は、かなりひどいだろう。
三年分の涙を、一気に流してしまったのだから。
「どうか、したのか?」
私は黙って、首を振る。
「先生、私、きっといい歌手になるよ。人の心に何かを残せるような、そんな歌手になるよ」
先生は、黙って、頷く。
きっと私はこれから、多くの人に聞こえるように歌を歌うのだろう。
そうなれることを、私自身が、そして、優が望んでいる限り。
だけど、この一曲だけは。
最初の、一曲だけは。
私にいのちをくれた、私の一番大切な人に。
優に、捧げたい。
彼のコートが、私の肩で揺れている。
たった一つ、優がさっきまで存在していたという証。
秋の空。
もうすぐ、冬がやってくる。
優しい人が消えていった秋空の彼方を見上げて、
私は、息を吸い込んだ。
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2004/01/12(Mon)13:58:31 公開 / 藤崎
■この作品の著作権は藤崎さんにあります。無断転載は禁止です。
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■作者からのメッセージ
初めまして。ものすごい素人作品ですし、なんのこっちゃというような話ですが、読んでくださった方、大感謝です。もし暇でしたら、感想、批評など、よろしくお願いします。