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『赤い獣と蒼静のラプラス FRAGMENT 1 - 2 ver1.01』 作者:境 裕次郎 / 未分類 未分類
全角31232.5文字
容量62465 bytes
原稿用紙約94.3枚
(FRAGMENT 1)  嘘のコトワリ 
 
 
 
                   1 
 
 世界は大概僕らに嘘をついている。虚実、虚言、虚無、虚偽。存在する現在地で得られる情報はもとより、耳に入る雑音でさえも嘘の塊だ。聞こえないフリしても執拗に僕らを襲う。メランコリックフィロソフィー。青春時代の幻影がこんな感情を抱かせているのだろうか。どうせ抱くなら年上の綺麗なお姉さんと一夏のアバンチュールな想い出でも抱きたいもんだが。まぁ、どうでもいいか、別に。嘘を吐き続けているなら、思う存分吐いてくれ。どうせ騙される僕の存在価値なんて矮小なもんさ。コップ一杯、界面張力で必死にしがみつくエイチツーオー。ゴミ箱から溢れ出しそうな紙屑。其処に在るだけで邪魔な存在。用を満たせないなら地に帰れ。あの世が均等に優しく傷を舐めてくれるだろう。嘲る世界の嘘で。
 ……あぁ、ほんとにもうどうでもいいや。やる気の無さがモチベーションの僕には関係無いコトだ。騙しに掛かるなら、騙されてやろうじゃないか。さぁ。
 コトの発端は出来の良い僕の妹――と言うと、周りの友人は自分の妹だから、家族だから、とか親の欲目だよ、とか(僕は兄なのだが)好き勝手なコトを言ってくれるが、どいつもこいつも実際に僕の妹を目にすると『一家に一台』とか言い出すので始末に終えない馬鹿ばっかりだ。だが、其の見地からして僕の妹は、この世に妹ランキングなるものがあるとすれば、平均以上は勿論のこと、もしかしたらトップクラス入りも夢じゃない、という事が推測される、そんな在りえないスペックの妹――が僕に嘘をついたコトから始まる。いや別に始まった分けでも何でも無いのかもしれない。其の瞬間に終わったと言った方が正しいのだろうか。僕には分らない。ピタゴラス学派にでも尋ねれば大仰な身振り手振りで、間違っていない解答式を導いてくださるかもしれない。彼らにとっちゃ、世界は全て数字で出来ているらしいから。俯瞰型マトリックス。羨ましいもんだ。皮肉とかじゃなくて、本気と書いてマジで。
 と、まぁ、グズグズに煮詰まった腐りかけの脳みそでしかモノを語れない僕は置いといて、そんな妹の『嘘をつく』という行動が僕に多大な影響を齎したコトが此処では問題なワケで。妹が僕に嘘を吐いた瞬間から、世界と僕の駆け引きが『また』始まった、というコトが言いたかったんだ。長ったらしい前振りだ。自分自身のクソ重たい腰を動かすための言い訳にしては結構な労力を割いたと言えるだろう。
 
 さて、物語の始まり始まり。

 

                   2 
 
 ある雨の休日の話。この日、別段と外に出かける用事が無かった僕は、たまたま僕同様出掛る用事が無かったのか、家に居た妹とたった二人で一日を過ごすコトになった。たった二人で、と敢えて注釈をつけたのにはそれなりに訳がある。僕達の両親は物理研究者で共に海外赴任しているため、今現在この家にはこの僕紺野茶色と妹の紺野夜見≠オか暮らしていないのだ。年若い男と女が一つ屋根の下で共同生活。傍から見ればある種危険な響きを帯びて、野暮な想像の一つや二つ浮かんでくるかもしれないが、僕達の間に此れといった特別な進展や展開は無く、兄妹として適切なキョリを保ちながら、互いの存在を空気がごとし、絶妙なバランスを崩さず此処までやってきた。僕の記憶に頼る限り今年で3年目に入るはずだ。我ながら上手くやっている、と思う。必要以上に他人に関心を持たない僕と、必要以上に他人に気配りができる妹だからこそ上手くいってるのかもしれない。ま、ともかく今日は偶然にもこうして二人揃って持て余し気味の暇を抱えて家に居るのだ。たまには兄として妹とスキンシップでもとってみるか。
 僕は自室のベッドから飛び起き、階段を下りる足取りも軽く階下のリビングに赴いた。中に入ってチラ、と壁時計を見ると、丁度十二時をさしていた。『カチャカチャ』と食器の触れ合う音が、リビング続きのキッチンから響いてくる。どうやら夜見は昼食の制作に勤しんでいるようだ。当たり前すぎて別段と気にしなくなっていたが、いつもこうして家事をしているのは夜見なのだ。
「…………」
 僕も何か手伝おう。そう思って夜見に声を掛けた。
 

 
「ふぅ〜〜」
 食後の一服。相変わらず夜見の飯は美味いコトを確認。『カチャカチャ』と食器の触れ合う音がキッチンから響いてくる。夜見が後片付けをしている音だ。僕は飯を食い終わった後、食器洗いぐらいは自分がやると言ったのだが、やんわりと遠まわしに拒絶された。夜見なりの僕に対する気遣いなのだろうか。それとも、僕が気遣いをしたコトに不信感を抱いているのだろうか。それとも、また別の何かか?
 ……ふむ。こうしてみると、思ったより僕は夜見のコトを知らない。夜見が享受するだけの僕のコトを知る必要は無いと思うが、僕は自らの生命線を繋いでくれる夜見のコトを知る必要がある……と思う。
「…………」
 僕は此処からでは見えないキッチンに居る夜見の姿を壁越しに眺めながら、思考を重ねる。そして、其の果てに一つ思いついたコトを小さく呟いた。
「よし、今日は妹を観察してみるとするか」
 我ながら嫌な兄だ。
 その決心により僕は、妹のコトを隅から隅まではムリだとしても、上辺の思考ぐらいは探ろうと、幾つかの実験を試みるコトにした。此れを実験だと言い切ってしまう辺りに、僕は遺伝子に親の研究者魂を色濃く受け継いでいるのかもしれない。さて、と。僕はキッチンから出てくる夜見を肉食獣よろしく待ち構えた。

 
 実験結果報告。端的に言うと、今日の僕の妹は正常な上で異常だ。
 其のことを僕が把握し終えたのは、正午を二時間程過ぎた頃だった。妹の様子がおかしかった。そう、何処か様子がおかしいコトに僕は気づいた。何と言ったらいいのだろうか。さり気ない身振り手振りをしようとするが故、些細な言動に仄かに浮き出してくる違和感、矛盾とでも言うのだろうか?一つ一つの行動が妙に鼻についた。其の理由はほんの数日後ぐらいに判明するのだが、この地点では何が起こるか全く予想がつかなかった。
 そのおかしな行動の内の一つを挙げてみようか。僕は残り少なくなったコーヒーポットのコーヒーを全部自分のカップの中に注ぎ込んだ。そしてお代わりを妹の夜見に頼んでみる。
「ねぇ、夜見、コーヒーのおかわりもらえないか?」
「うん。いいよ。コーヒーだね」
 と言って妹はコーヒーポットと共にそそくさとキッチンに消えた。カチカチ…。時計の音だけが響き渡るリビングで僕はソファに腰掛け、おとなしく秒針が刻む数を数えて待っていた。一……十……十五、十六、カチャ。僕の目の前のソーサーに、熱いコーヒーカップが再び差し出された。計十七秒。
「サンキュ」
 僕がそう言うと、
「全然構わないよ」
 と笑顔を浮かべて切り返す夜見。万事が万事、この調子だ。呆れて果てて笑ってしまいそうだった。さっき妹の夜見は、空になった僕の目の前にあるコーヒーポットを洗い場に下げた。其の上で敢えて僕は、コーヒーのお代わりを求めた。やり口は陰険な小姑そのものだ。だが、本当に妹の様子はおかしいのかどうかを確かめたかったのだ。仕方ないだろう。当然コーヒーはもう一回ドリップせねば黒色の様相を呈さない。なのに、秒殺。コレはもし僕がお代わりを求めたときの対策、打開策をあらかじめ用意していたに違いない。まぁ、此処まではいいだろう。普通の十倍も気がきいてりゃ、ある程度のストックを用意しておくことは可能なコトなのかもしれない。だが、僕がお代わりを求めたのは此れで十回目だ。気がきくとかの範疇を超えている。おかしい、と思うのは当然だろう。愚図でも分る。やがて、そんなカンジで忙しない夜身に合わせて時は過ぎ、四時を少し回ったところ、正鵠に言うならば、四時十五分に、急に夜見は動き出した。擬音語を用いるなら『いそいそ』と言ったカンジだろうか。
 今迄読んでいた雑誌をテーブルにバサリと無造作に置き、リビングの壁に掛けてあったカラス色のコートをフワリと纏うと、
「ちょっと、買い物に行ってくるね」
 いきなり僕に短く告げた。突然のコトに少し驚きながら、 
「ん、買い物?」
 と返すと
「あ、うん、ちょっとした夕飯の材料の買いに行くだけだよ」
 顔の辺りで手を振って答えた。
「ああ、わかった」
 僕は納得したフリをした。
 こうして夜見は僕と普段に比べると比較的以上にそっけない会話を交わして、小走りに廊下へと出て行った。
 いつもなら僕に、何か食べたいものある?だの、一緒に行こうだの、外見に似合わずお袋然とした調子で僕に話しかけるのだが、それもなかった。はてさて、夜見を急がせるものは一体何なのやら。僕は他人に関心を持たないが、身内には人一倍関心を寄せる畑出身の人間だ。凄く気になる。一応つけてみようかとも思ったのだが、其処まですると僕が妹に執着しすぎる、あー、シスコンみたいに思えてしまうので止めておいた。自分で自分の位置づけを決めるのも結構重要なことだ。ストーカーにはなりたくない。
 窓を見ると小さく水滴で濡れていた。何処に行こうとしてんだか。僕なら絶対外出しない。降雨恐怖症。この時間帯はテレビもワイドショーや昔のドラマの再放送しか流さない。なら、僕は寝そべって近くに置いてあった本をアイマスク代わりに一眠りしようと思った。嫌な事や面倒事は時を置けば大抵どうでもよくなる。一見、ポジティブシンキングが、実のところはネガティブシンキングだ。妹が何をしようが、無関係。起きる頃には、そう思えているだろう。それでは、さらば現実世界よ。 



                   3
 
『ゴルゴルゴルゴルゴ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ル』
 うるせぇ、ジョンカビラ。なんで耳元で喚いてんだ?
『うほほ〜〜〜〜〜い』
 ついでに言うと、中西もうるさい。ていうか、何だそれ。
 僕は耳で捉えた音響と、思考の食い違いによって目が覚めた。物凄くダウナー。頭痛というかやたらと重い頭と、痛む腰が印象的な寝覚めだった。登校日に当たってたら百発百中欠席確定の気分だ。
「……うわー、起きたくねぇな」
 しかも横で誰かが僕の気分を代弁しやがる。うるせぇ。其の通りだ。
「おはようだね。君はいつもこの時間帯に起きてくるのかな。なら学校はどうやっても遅刻だね。欠席遅刻が多いのはそのせいなのかな。しかもベッドはリビング床なんだね。家族に虐待でもされているのかな。橋の下で拾われた子、なのかな。まるで『It』のデイヴ君だね。つらいよね、つらくないはずないよね。早急にユヤタンに『人生、相談』することをオススメするね。彼の逝く先は総じて闇、らしいけどね」
「マジでタイム。ちょっと付いていけない」
 音速で耳に飛び込んでくる早口は今の僕にしてみれば紛れも無い劇薬だ。 ケシだ。ベラドンナだ。青酸カリだ。
「さて、問題です。仲間外れはどれでしょう」
「さて、問題だね。仲間はずれはどれなのかな」
 微妙にアドリブされた復唱和音。
「真似するなよ。ウチはハモリ禁止なんだ」
「それは初耳だね。以後気をつけるね。答えはCの青酸カリかな」
「ブブー、答えは3番の青酸カリでした」
「…ふーん、だね」
 イキナリ声が氷点下を超えた。
 其の冷たさで、やっと僕の意識は覚醒し始める。
「おはよう、和泉」
「おはよう、これで二回目だね」
 何時の間にか、視点が床と平行になっていた。寝相の良さに賭けては自身があったのだが、どうやら落下してしまったらしい。身体が痛い原因はコレか。ゴキゴキ、とそのまま首を捻って鳴らした後、床に両手を付いて、跳ね起きる。
「さっきちょっと気になったんだけど、ユヤタンて誰だ?」
「重版童貞の哀れな子羊だね」
「なんだそりゃ」
 ハン、と僕は鼻で笑うとキッチンの冷蔵庫に向かった。取っ手の冷たさが寝起きの火照った掌に気持ち良い。ガチャリ、と開けてサイドの棚から紙パック入りの紅茶を取り出した。僕は味の付いた飲み物しか飲めないタイプなので、純水をここ一年間ぐらい飲んだ事が無い。贅沢だと思うのは、先進国に生きている優越だろう。ベトナムやフィリピンの人間はその日その日が精一杯でそんな事を考える暇など無い、とこちらが勝手に思っている事も優越だろう。ようやく体内で活性化し始める脳内でそんな答えも無いくだらない思想に耽けっていると、
『ギャッ、グチョ、ゴキリ』
 突如、悲惨なサラウンドが隣のリビングに響き渡る。あまりの脈絡の無さに僕は溜め息をついた。平生の静けさに、仮想世界の標準は似合わないコトを再確認。僕はパックを口にくわえたまま、リビングに和泉の様子を見に行く。
「おい、何のゲームやってんだよ」
「ウイニングイレブン6だね」
「嘘吐け」
「嘘じゃないよ。だって、パッケージに書いてあるんだよ」
 と言って和泉はパッケージの表裏を片手でちらつかせる。視線はずっとテレビの方を向いたままだ。僕はパッケージを手に取って見た。偉大なる『ゴン中山』があさっての方向を見つめている。その顔は精悍で凛々しく、詩人ダンテの俯く『あの姿』と似通っている処がある。そこはかとなく哲学的だ。彼の見据える先にあるものは何なのだろう。日本サッカー界の輝かしい未来の展望か、それとも救世主不在の現状を救えるだけの素質を持った後継者か。どちらにしろ現在地は闇。逝きつく先がこちらよりも明るい限り。テレビの中の男も朝日に向かって必死で走っていた。
「オマエ、そのゲームの目的分かってんのか?」 
「三十代前半の渋いオジサマが様々な方法で人を殺戮していくゲームだね。さしずめパッケージの表紙に載っている人が主人公なのかな。かっこいいよね。ちょっと髪型が違う気もするけど」
 哀れれなり、日本史上、歴史に残る名フォワード。アナタは彼女の世界のなかでは連続殺人犯だ。夜見のヤツ、遊んだソフトはちゃんと元のパッケージに合わせて直して置けって言ったのに。流石にそのままにして置くというのは、サッカー好きの僕の存在が許容できなかった。
「違うよ。オマエがやってるのは、GTA3ていう洋ゲーだよ。このパッケージとは全く関係無い。ソイツもゴン中山とは全然関係無い。ていうか、ソフト入れ替えた時にタイトルロゴ見なかったのかよ」
 七割方真剣にかなり、結構本気気味で抗議した。すると和泉はテレビ画面から視線を外し、キョトンとした顔をこちらに向けた。
「へぇ〜、そうなんだね。知らなかったな。一つ賢くなったみたいで嬉しいね。じゃ、この人、誰なのかな?」
 え?突然の質問に戸惑った。画面の中、ボケーッとツッ立っているコイツに誰≠ネんて概念あったっけ。あったかもしれないが、どうでもよすぎて覚えていない。僕はソクラテスじゃないんだ。彼の弁明の法則には従っていない。だが、聞かれたコトに答えないというのも悪い気がする。仕方が無いので適当な外国風味の名前をでっち上げて、無理矢理彼にパーソナルを持たせることにした。
「あ、えーと、マイケル……」
 ポリポリと頭を掻きながら、取り敢えずありきたりな名前を挙げてみる。
「へぇ〜、マイケルって言うんだね。でもマイケルって一杯いるよね。じゃあ、あのマイケルなのかな。バブルスと少年が大好きな、ついこないだ逮捕された、元黒人のあの人なのかな?そうだったら凄いよね。でもそれなら納得できる部分があるんだよね。十数人轢き逃げしても、あんまり警察追ってこないよね。やっぱりお金積んでるからなのかな」
「あー……、とそうだな」
 とマシンガンのごとき和泉の発言を軽く適当に流しておく。どうやら勝手に納得してくれたようだ。剣呑剣呑。マイケルには悪いが、彼は僕に弁明をしてもらうだけの恩が無い。僕、洋楽聴かない派だし。それに、あの白塗りのお化けみたいな表情が嫌いだ。いつかのワイドショーで、どっかのタレントが『鈴木園子』みたいだなんて、なんの捻りも無い単純極まりない例えを用いていたが、それは亡くなった『鈴木園子』に失礼だろ、と僕は思っていた。其の番組を見ている時、隣に座った夜見が其れを見て笑っていたので、口には出さなかったが。
 何時の間にか口の中がカラカラに乾いていた。僕は、右手に下げていたパック入り紅茶の残りをごくり、と一気に飲み干した。
「さてと、今日は何の用事で来たんだ?」
 コイツがこうして僕の家に無断侵入するのは良くあることだ。何時、どうやって入ってきたのかは、もう聞かない事にしている。たとえ聞いても逸般人の僕にも理解不能だ。空になった紅茶の紙パックをミッチーさながらのフォームで綺麗にゴミ箱放り投げた。美しい弧を描くスリーポイントシュート。其の間に、和泉はPS2の電源を根元から引っこ抜いていた。ブチッ。まさにそんな感じで。
「やめろって。壊れるだろ」
「抜いちゃいけないのかな。抜かないと電気代がかかるんだよ?」
「もっと、最近のガキを扱うぐらい丁寧に引き抜け」
「わわ、難しいね」
「難しいんだよ。電気製品を扱うのは。売れない赤字作家を抱えるぐらい、な」 
「なんか今日は文句が多いね。何かあったのかな」
「いんや、別に」
 夜見のコトが気になっているからだ、とは言わなかった。
「それよりホント何しに来たんだよ。ウチの電気代の心配しに来たわけでも、指にマメ作りに来たわけでもないだろ」
「あぁ、うんうん、そうだね」
 和泉はよいしょ、と立ち上がると僕の目の前までトコトコ歩いてきた。そして、下から僕の顔を覗き込む。其れは彼女の着ているワンピースと肌に微妙な隙間を覗くことのできる結構なナイスアングルだが、黙っておく。そうやって背徳的な興奮を覚える僕が無言のまま壁にもたれていると、和泉が僕に向かって囁き始めた。
「君は世界の嘘を見抜ける自信があるのかな?」
「は、なんだよ、其れ?」
 あまりにも唐突すぎる会話の清流に僕は戸惑った。目線を胸の谷間より少し上にずらすと、無表情の和泉と視線がかち合った。深遠な黒。吸い込まれそうとはまさにこの事だろうか、とか考えてみる。
「世界は大概ワタシ達に嘘をついてるんだよ? 君は其れを見抜けないほどお馬鹿じゃないよね」
 う、と言葉に詰まる。世界が嘘をついているだって。馬鹿馬鹿しい。そんなの当たり前だ。だが、一つ一つ原因を解明究明するほど、僕は暇人ではない。分かってて騙されておく事も必要だ。それぐらいの分別は高校生になった現状、弁えている。無抵抗の精神主義。さしずめ、『Ivan-darak』と言ったところか。和訳すれば『イワンの馬鹿』。要は、騙されない馬鹿は騙される天才よりも馬鹿ではない、騙されている事に気づかないから、ということだ。でもそれは、騙されなければ、位置付けは馬鹿だと言う事だ。何の解決法にもなっていない。結局結論としては、やはり嘘を知りつつ騙されなければならない、ということだ。だから僕はこう答える。
「馬鹿ではないと思う……」
「曖昧なコウモリ色ってとこだね。君は、馬鹿ではないんだね? 其れとも、自分を卑小で馬鹿で愚かな存在だと認めるのが嫌なのかな、どっちかな? なら一つ聞くけど、君の妹の夜見ちゃんは君に嘘を付いたはずだよ。君は其れに気づかなかったのかな?」
 どうやら僕同様、和泉も夜見が嘘を吐いたコトを知っているようだ。あの場に居なかった和泉がどうやって夜見の嘘を知りえたか。『どうやって』を知っている僕はその発言を脳内の隅へと流して、答える。
「いや、嘘を吐いているコトぐらい知ってたさ。知ってたけど、敢えて何もしなかったし、言わなかった。大したコト無いと思って流しておいた」
「ふーん、だね。じゃ、君は『分かって』るんだね。嘘を全部知ってるんだね。洗いざらい、妹さんの嘘も、其れに付随する嘘も、何もかも知ってるから流しておいたんだね?」
「あー、えーっ、と」
 さて、どう答えるべきなのだろう。自分がヘタレであるコトを認めて『知らない』とでも言うべきなのだろうか。精々僕程度のちっぽけな存在がプライドを保持したところでとりまく世界にとっちゃ何の意味も無い。だが、僕自身にとっては根こそぎ重要で、他人の評価がそういったステレオタイプの噂、言論に左右されるのは嫌だ。どうしたもんか。最近の中では一番悩まされる重大な悩み発生。精神論は生体バイオリズムによって様々な表情を見せるので、今の自分が『こう』答えたとしても、明日に風が吹けば、今の主張なんて何処ぞに飛んでいくやもしれない。
 あー、どうでもいいコトに限って、マジ悩む。くそ。僕は和泉の視線に堪え切れず、壁に掛かった時計をチラ、と横目で見た。六時を少し回ったところだ。正確には十三分三十二秒。夜見が外出してから、もうすぐ丁度二時間。計画屋畑出身の夜見ならいつもどおり二時間キッカリに帰ってくる可能性が高い。OK。じゃあ、一つルールを決めておこう。丁度二時間経過する十五分までに夜見が玄関の扉を開ける音がしたら、僕はこの問いかけに『YES』といったオチをつけよう。もし、タイムリミットを一秒でもオーバーすれば、何と言われようと構わない。『NO』と答えよう。さて、世界は僕にどっちの運命を辿らせる。そこまで言っちまうと多少おおげさか。さぁ、そんなことを考えている間に時間は刻々と過ぎてゆく。もう残り十秒だ。和泉はそんな僕の心情を知ってか、知らずか、じっと僕を見つめたままだ。表情は一点の曇りも無き無表情。ハイブローに悟ってるね。悟りきってるね。さぁ、来い。

 
「ただいま〜」
 玄関先で明るく夜見の声が響いた。僕は時計を再度、チラと見た。一番長い秒針が一メモリ、六時十五分を回っていた。
「……っ」
「さぁ、どっちかなのかな?妹さんの目の前で決めるなんて甘ったるい、イタリア産メレンゲ・サマーケーキ食べ放題みたいなコトはやめて欲しいな」
 窮鼠猫を噛めない状況にまで追い詰められてしまった。和泉の言及が容赦無い。僕が此処まで追い詰められているのには理由がある。和泉の精神が沈んでいる時に、あやふやな言動で居ると大抵良い事は起こらない。僕は、昔そのせいで一回……いや、いい。思い出すのもおぞましい。……ともかく、その苦く痛ましい記憶から連想されるのは、彼女がある種僕の『悪夢』であるというコト。実は和泉は二重人格なのかもしれない、なんてくだらない絵空事さえ思い描かせる。しかも普段と、今の状態の異様なまでのギャップから僕の脳が何処かで『そうなのかもしれない』と認識していたりするから、尚更厄介だ。僕はこめかみを伝う汗の雫が妙に冷え切っているのを感じた。必死になって逃げる方法を考える。
 ……あ……ちょっと待てよ。あの一メモリは僕が時計を見るまでのタイムラグじゃないのか?そう考えれば、僕は此処で朴念仁のごとく正しい答えを導く必要は無い。さっき和泉が言ってた様なコウモリ色の答えでもしてりゃ、和泉の世界も僕の世界も単純に完結するんじゃないのか。僕の場合は自己完結だが。其れも結果論からしてみりゃ結局のトコロ完結作品として、銀河鉄道の夜を越え、朝が来る。要は、此処より明るい未来の展望ってヤツだ。腹をくくってやろうじゃないか。どうせ大した事なんて無い。口にすれば、ソイツはただの気体だ。何の意味も持たない、偶像と左程変わりない。
「……其れについては答えを出しておこう」
 僕は大仰なジェスチャーで、額と前髪をグシャグシャ、と押さえながら和泉となるべく視線を合わさずに告げる。廊下でパタパタと足音が喚く音がする。夜見がリビングに向かってきているようだ。さっき水分で潤したはずの喉は何時の間にか、またカラカラになっていた。
「答えは『イエス』だ」
 其の僕の一言に合わせるかのように、和泉の目がキュッと細くなる。その視線に捉えられて、僕は右にも左にも行けなくなる。暫しの沈黙と静寂の空気が澱んだまま動かず、次の一言が和泉の口から発せられるまで僕の体内を緩慢に犯していく。耐え切れない。今にも跪いてしまいそうだ。
『ガチャ』
 左で扉の開く音がした。救いの福音。ドッ、と空気が動き始める。和泉は其の音を聞いて、やれやれ、といった風に肩を竦め、ドアの方向と僕を見比べながらこう答えた。
「わかったよ。君はそっちに秒針の針を向けるんだね」
 僕は安堵して、夜見に感謝した。そして短く和泉に向かって呻いた。
「ぅ、ああ」
「ワタシは肝心なトコロで逃げようとする君は好きじゃないな」
「……いいんだよ。僕は『知らないことは何も無い』と言ってるんだ」
「ふーん。後悔しても『知らない』よ」
 後悔?後悔だって?僕は曖昧な泣き笑いの表情を浮かべて俯いた。
 僕が君と出会ってしまった以上に後悔すべきコトなんてあると思っているのか?笑わせてくれる。他に後悔する事があっても、君のおかげで僕は必要以上に感傷に浸ることも、陥落することも、激昂することでさえ零になってしまったんだ。生きる決定論式世界観。感情論を吐いているのは僕なのだろうか。それとも僕の人格なのだろうか。渦巻く脳内の濁流は其の言葉でさえ飲み込んでいく。よくもまぁここまで僕のことをぶっ壊してくれたもんだ。さしずめ君に対して僕は『アンナ=カレーニナ』。別に『グレタ=ガルボ』でも構わないが。『我が成すべき事は復讐』なんてな。
「は、最悪な言い訳だなこりゃ」
 僕は生まれたての子羊さながらよろめく足でソファーに辿り着きドスン、と腰掛けた。小刻みに震えていた足を宙に放り出す。そして、鼻で笑って自らを自嘲した。さっきからヘラヘラ笑ってばかりだ。そんなに周りに笑顔を振りまいて誰に愛されたい、僕。すっげぇ馬鹿な奴みたいだ。難しい事考えて、思想家きどり。一生一人マイナーリーグやってろ。
 僕は開いたドアに目を向けた。ガサガサ、と一つ白いビニル袋を提げた夜見が、リビングに入ってきているところだった。二時間も買い物に出てた割には随分と少量だった。
「あれ?和泉さん来てたんですか?」
 視界に和泉を捉えて、不思議そうに話しかける夜見。
「うん、来てるよ。夜見ちゃん、お邪魔さんだね」
「いえ、全然。ただ、この時間帯に和泉さんが居るのって珍しなー、と思って。これから買ってきた物で夕飯作ろうと思ってたんです。一緒に食べて行きませんか? 和泉さんが良かったら、ですけども」
「えーと、そうだねー」
 和泉が意味ありげにコチラの方をチラリと見る。何だよ。言いたい事があるならハッキリ言え。僕は何にも言わねぇよ。僕はつい、とそっぽを向き、適当に視線を何も捉えられないようなトコロに流して軽く肯いておいた。
「じゃ、御馳走になろうかな」
 どうやら僕の其れを和泉は肯定意思と見做したらしい。いや、其れはそうなんだが。別に僕の許可を得るまでも無く、いつも通り勝手知ったる我が家のごとき振る舞いをすればいいものを。敢えて妹の目の前で僕に確認を取ることで、コイツなりに周囲とバランスを取っているのかもしれない。さっきの様に、立場上僕より優位な位置に立ってしまいがちなのを、甲乙、主従、格差をつける事無く穏便に遣り繰りしていくために。シーソーゲーム。コイツなりの世界の楽しみ方なんだろう。全く、厄介なモンに憑かれちまったもんだ。



                   4 
 
 さて、結局のトコロ、妹の嘘を見抜けたフリをしていた僕が、嘘を暴くための手がかりを探し始めたのは、夕食を全部食べ終わってからのコトになった。僕は、夜見と和泉がキッチンで後片付けや洗い物のため、こちらの様子が窺えないのを良い事に、とりあえず夜見がさっき出かける時に纏っていたカラス色のコートから漁ってみることにしたのだ。夜見にしてみれば、僕がこんな馬鹿げたコトを実行しようとしているなどとは夢にも思っていないだろう。あーあ。僕は一体全体何やってんだか。
 まぁ、そういった類の葛藤を夕食後ずっと繰り返していたのだが、和泉が知っている夜見の嘘がなんなのか。其の嘘を暴く、という好奇心が紙一重で僕の常識観念に勝った。これで僕も家庭内ストーカー、極度のシスコンの仲間入り。仕方ない。そうと決まれば、即実行に移すとしようか。
 
 僕は一度キッチンあたりに視線を彷徨わせた。こちらから二人の姿は捉えられない。なら向こうからも捉えられない。気に掛かるのは、和泉の耳が異常に良い事だ。噂によると、十メートル先に落ちた縫い針の音すら捉えられるらしい。ホントかよ。眉唾だなぁ……。だが、まぁ、それが実話であれ嘘であれ、食器の音も響いていることだし、こちらができるだけ音を立てないようにすればおそらく和泉も気づかないはずだ。そう自分に言い聞かせて勇気付ける。僕はやれば出来る子なんだ。OK。OK?
 僕は忍び足でフローリング板を軋ませないようにカラス色のコートに近づいた。そして衣擦れの音一つ立てないよう気を配りながら、そっ、とポケットに右掌を差し入れる。
『ガサ』
「……!」
 刹那、全身の筋肉が硬直する。急激に跳ね上がった心拍数。ドクン、ドクン。心音がやたら威圧的に耳元で響く。僕はそろり、と向いた。二人の姿は見えない。食器を洗う音、食器同士が触れ合う音が聞こえている。どうやら今の音は聞かれていないようだ。僕はホッと胸を撫で下ろした。そして指先でさっきの物音の原因となったモノの感触を確かめる。冷たくて、サラサラしている。
「紙……」
 僕は先程の愚行を重ねないよう、なるたけ音を立てず慎重に其れを取り出していく。スッ。やがて僕の指先は完全に紙切れを取り出していた。見ると、ペラい無地の白に細かく黒い字が書き込まれた紙と、その間に挟まれた谷折の紙。計二枚。
「収穫は今年最悪の出来高だ」
 意味も無く呟いてみる。
 本来ならプライベート覗き見し放題の携帯をいじってやればそれでコト足りるコトなのだがいかんせん、夜見お気に入りのラメ入りピンクの携帯は充電中だ。そして、充電器の有る位置は、キッチンからも見える範囲に置いてあるので探れない。
『カチャ、カチャ』
 音がするキッチンを再度振り向いてみる。まだ大丈夫なようだ。確信は持てないが、音と雰囲気でなんとなくそう思う。OK、OK。大丈夫だよ、僕。焦る気持ちをまずゆっくりとした深呼吸で落ち着けてゆく。
 まずは細かい文字が等間隔に穿たれている方だ。
 開いてしげしげと眺める。これは……レシート、だなぁ。
 ニンジン、ジャガイモに鶏肉モモそしてクリームシチューのルー……。普通だなぁ。少し汗ばんでいた手も次第に汗が引いて平静の状態に戻っていく。今日の夕飯に足りなかったらしい材料が、インクで値段と一緒に打ち込まれているだけだった。マジで普通だ。何の変哲も無い普通のレシートだ。裏から見ても、蛍光灯の灯りに透かしてみてもスカシが入ってるはずも無く、ただのレシートだった。
 そこまで一通り確認した小心者の僕は、またキッチンの方をチラと見る。依然、二人が片づけを終えて出てくる雰囲気は無い。そうやって、もう少しいけそうなのを確認した後、もう一枚の紙切れの中身を確認することにした。二つ折りの紙切れをスッと開く。すると中には、赤いサインペンでただ一言短く
『オノメキ アカ』
 とだけ書かれていた。
「…………」
 何だ此れ。あれほど神経を過剰に使って、眠れる巨人の目の前から宝を攫うジャックがごとき冒険を実行したのに、収穫はただのレシートとただの落書き。馬鹿馬鹿しい。僕の興奮はいずこへと掻き消え、急転直下酷く冷めた気分に陥いるのを感じた。僕は半笑いを浮かべて、コートのポケットに其の二枚の紙切れを戻した。カサカサ、とさっきより大きめの音が立ったが全く気にならなくなっていた。
「ふぅ」
 短く嘆息して、僕は隠れた行為に対する愉悦を吐き捨てた。あれだけ胸の中を満たしていたギリギリ感は、いつのまにかどこか遠くへ今宵の星空と共に駆け抜けていった。そして、ポケットの紙切れ二枚は僕に何の情報ももたらさなかった。僕の胸が祭りの後の虚無感で目一杯に満たされていく。 
 とどのつまり夜見の気まぐれな行動を勘違いして自分を振り回していただけか、僕は。勝手に夜見の行動の裏を想像して読み取って、勝手に夜見のプライベートを覗き見て。馬鹿馬鹿しい。家庭内ストーカー。極度のシスコン。そんな最悪の称号を手にしてまで、手に入れた結果がこれじゃ、な。なんだかなぁ。質量保存の法則に反する。
 夜見の嘘は結局のトコロ僕の疑念意識が創り上げた虚像だったのだ。結論的に言うとそうなる、か。僕は一つ『う〜ん』と伸びをする。
 
「ふーん、そういう考え方も悪く無いと思うよ」
 せっかく、平均心拍数80を取り戻した僕の心臓は其の一言に鷲掴みにされた。体中から急激に嫌な汗がドッと噴出してくる。
 慌てるな、慌てるな、僕。落ち着け、僕。耳元でがなるたてる心拍数の警鐘音はできるだけ気にするな。とりあえず、現状をポジティブに直視して後ろを向け。そして、できる限りナイスな言い訳を思いつけ。
「だろ、『夜見の嘘』は嘘なんだよ。夜見は最初から嘘なんて吐いていなかったんだよ。嘘を吐いた、と思い込んだところから、僕の思考に矛盾生じたんだ。最初から夜見が嘘を吐いてない、とすれば此処まで僕が悩む必要は無かったんだよな」
 僕は振り返って大げさなジェスチャーで両手を広げ、肩を竦めた。
 和泉が呆れたように嘆息して返した。
「君はそれで本当に納得しているのかな?」
「おいおい、納得ってなんだよ。さっき言ったけど、僕は一度夜見の嘘に関する類を全肯定してるんだ。全部の事象を認めてるんだよ。和泉、オマエ言っただろ。――夜見ちゃんの嘘洗いざらい全部――ってさ。」
 我ながら滅茶苦茶な言い訳だ。自分自身の考えに納得せず、言い訳をつらつらと並べ立てているのだから当たり前か。当然そんな理論では誰も納得せず、それは和泉さえ例外でなく、僕が話している途中、いや、話し始めた一口目からくだらないといった風に僕から視線を逸らしあても無く彷徨わせていた。僕はそんな和泉に構わず自分の意見の辻褄をあわせるためにひたすら話し続ける。
「ホラ、夜見の嘘自体が僕の思い込みだったとしたら、此れは『全部』の範疇内の一つに含められるだろ……って、おーい、もしもしー、聞いてますかー」
気づくと、和泉の彷徨う視線はある一点にさしかかって止まっていた。そのままピクリとも動かない。
「なぁ、聞いてる? 和泉の臭い松茸、味シメジ」
「……トイレ借りるよ。ちょっと待てっててね」
 全く聞いちゃいねぇ。だが僕はそんな風にして自分の主張を打ち切られたコトなど歯牙にもかけず
「あぁ行ってこいよ。」
 なんて人の良さそうな笑顔と台詞で和泉を送り出す。和泉がリビングのドアを開け、玄関側に折れてトイレに向かえば、絶好のチャンス到来。ツーアウト満塁、バッター僕、の場面で神様は僕に代打采配。此れでこの場面で僕は逃げることが可能になった。少しの間だが。そうと決まればこんなプレッシャーだらけの場所からはおさらばだ。僕は静寂に侵食され始めたリビングからそそくさと自室へと退散する。階段を上る途中、さっきの和泉の様子はおかしかったな、と思ったが完全無欠に無視っておいた。今更何を。アイツはもとからおかしい。
 さて、和泉が僕の居場所を探しあてるまで、僕は夜見の嘘について納得のいく答えを探しあてることにしようか。



                    5 
 
 コン、コン。自室のドアがノックされる音。
「嘘吐きな僕は此処に居ません」
「何馬鹿なコト言ってるの? お兄ちゃん」
「夜見か。和泉はどうした?」
「帰るってさ。いつもみたいに見送らないの?」
 帰るって。帰るって、どういうことだよ。トイレに行っただけで、待ってて、て言ってなかったか?アイツ。僕との議論を中途半端にほっぽり出したままで、和泉大将軍様々がこんなにアッサリ身を引くとはどういうことだよ。敵ながら不可解だ。いや、敵だから不可解なのか。いや、ともかくどういうことだよ。危うく妹をクレタ人理論で追い払ってしまうトコロだったじゃないか。僕は座っていた椅子から乱暴に立ち上がって、玄関まで高さ三メートル、長さ五メートルの道のりを小走りに急いだ。

 和泉が亀じゃないなら追いつけるハズだ。

 僕は踵を潰した靴を履いて、小雨が降る暗闇に飛び出した。後ろから内玄関の外灯に照らされる。少し向こうに、正確には一寸先ほど向こうの外玄関辺りに和泉は立っていた。傘も差さずに。
「濡れてるぞ」
 使いどころによっちゃ卑猥に聞こえなくも無い台詞を僕は投げかけた。その言葉に反応して和泉は顔をこちらに向けた。
 目尻から雫が滴り落ちている。少しギョッとして、僕は後ずさりかけた。がそれが雨のせいであることに気づいて胸を撫で下ろした。
「ビックリさせんなよ。泣いてるかと思ったじゃねーか」
 この雨の中薄くオレンジ色に照らされている姿がそういった雰囲気を醸し出していたのかもしれない。和泉はその言葉にあどけない顔で、にへらと笑った。
「あれ、心配してくれてるのかな?」
 うっ。刹那、ドキリとする。
「いや、そんなんじゃねーよ」
 それとなく素直じゃない僕。だよね、と言って和泉が笑った。其れを見てると、何故か胸が締め付けられる。言い様のない、理由無き喪失感が僕を襲っている。シトシトシト、雨の中。僕の腕にベッタリと張り付く長袖のシャツ。
 何故突然帰ろうとしたのか、その訳を聞きたかったのだが、一度避けようとした事柄故に、なかなか僕は切り出せにいた。そのせいもあってか、暫く僕らは無言だった。僕も和泉も動けずに居る。黄昏時に、僕が和泉に追い詰められて居た時とはまた違った感じの嫌な空気が漂う。
 僕は其の空気を極力さけるため、何かを口にしようとするのだが、やっぱり上手く言葉になっちゃくれない。
 だから、その嫌な空気を少しでも変えるため、玄関へ一度もどり折りたたみの傘を取り出してきた。そして、ほらよ、と和泉に向けて軽く放り投げる。傘はひゅるり、と空中で弧を描き、パシッと小気味良い音を立てて和泉の小さな手に収まった。
 再度、静かな雨の夜が僕達を包む。
 
「ね」
 突然和泉に話しかけられた。このまま、夜見が心配して見にくるまでこうして向き合い続けるのだろうか、なんて上の空で思考していた僕は驚いて、反射的に返事をしていた。
「あんだよ」
「ふふ。夜見ちゃんの『嘘』を解き明かすヒントを一つ教えてあげちゃったりしようかな、と思っただけだよ。君は真実を知ろうとすることを極端に避ける癖があるからね。こうしてムリやりにでも私の前に引っ張り出さないと、また逃げるでしょ。それが自分の部屋だろうと、自分自身の心の殻だろうと一旦逃げてしまった場所からじゃ、言葉なんてオブラートで包まれた偽者になっちゃうからね。こうして私と君しか存在しない空間で真実の一部を教えてあげる必要があるんだよ。……でも、聞かない、と言う選択肢も無いわけじゃないんだよ?」
 サァサァサァ。雨に横殴りの風が加わってきた。そろそろ本降りが来そうだ。僕は一向に構わないが、和泉を本降りの中、役にも立たない傘一つで帰らせるのは後味が悪い。僕は早めに切り上げるために余計な反論や抵抗はせず、アッサリ
「教えてくれ」
 とだけ短く答えた。其れを聞いた和泉の顔がシニカルな笑みで歪む。嫌な感じだ。いや、嫌な感じ、と言うよりは……嫌な予感がする。僕は拳を軽く握って次の言葉を身構えた。やがて和泉はゆっくりと口を開く。
 
「夜見ちゃんはもう死んでるよ」
 
 一瞬、酩酊する思考。頭がグラグラする。
「冗談、だろ?」
 僕のその言葉に、和泉は顎に指を当てて、少し考える仕草をした後、
「冗談、だよ。君はまだ本当のコトを知りたくなさそうだからね」
 と言った。僕は軽く後ろを振り返る。街の灯の一つとして輝く我が家には、不穏な気配は一つとしてない。
「そうか、サンキュ。……じゃぁな」
 別に礼を言うところではなかったかもしれないが、なんとなく言っておいた方がいいような気がした。僕は回れ右をして、和泉に背を向ける。
「冗談、だよ」
 念を押すように僕の背中に繰り返す和泉。
「わかった」
 僕は和泉の発言を短い一言で受け止めた。
 すると、後ろで短く響く嘆息が投げかけられた。
「全然、何も分かっちゃいなかったんだね」
「いや、分かってたよ」
 僕は首だけ捻ってチラと後ろを見やると、誰にも聞こえないぐらいの小さな声で呟いた。
「…………なコトぐらいは、な」
 
 ガチャリ。濡れた金属製の取っ手を掴んで、いつもより重々しく感じる玄関の扉を開ける。入る直前、背後の外玄関を見たが、もう和泉は居なくなっていた。ザァザァザァザァザァ。いよいよ本降りだ。
 ドロドロした気分を腹の底に抱えた僕はのろのろと歩いて、リビングの様子をドアの隙間からこっそりと窺った。テレビ番組を食い入るように見つめる夜見がいる。遠くから見ても死んでいないことぐらい確認できる。当たり前だ。僕は多少安堵して、夜見に気づかれない様なるたけ音を立てずに二階の自室へと向かった。ふらふら、とベッドに駆け寄って、背中から寝転がる。真っ暗闇。部屋の電気をつけるのを忘れた。いや、いいか。今日はもうこのまま寝てしまおう。僕は天井に右腕を突き上げて、閉じたり開いたりを繰り返した。空気しか掴めない。真っ暗闇の先には何も無いから当たり前か。
  
 見る限りでは夜見は生きていた。いや、見る限りもクソも、昨日も今日もこれからも夜見は生きていく。ハタから誰が見ようとも。だが、冗談だとしても和泉は言ったのだ。

 死んでいる、と。

 いつの間にか眠ってしまっていた僕は夢さえ見る事なく、次の日の朝を迎えた。





(FRAGMENT 2) できそこないの魔法使いであること
                      
 

                   1

 死にたきゃ、さっさと死ねば良い。死にたいなら、死ね。

 『魔法使い』である、この僕春原清明≠ヘそう考える。まったりとした午後の憂鬱センターラインに鎮座しながら。
 其処は閉じた瞼の裏を赤く貫く日差しがうざい場所。光についてダウナー肯定、感情汚染度進行中。
 
 そして僕は、そんな虚ろな思考を昼に喰ったザル蕎麦ごと電車の緑色の床にぶちまけてしまいそうになるのを必死で堪えていた。何気にヤバイ状況だ。
 
 なんで堪えなければいけないほどの嘔吐感を僕は味わっているのだろう。別に乗り物で酔える人じゃなかったと思うんだがなぁ、僕。成長期だからか?それとも、さっきから何度右前方に目線を向けてもゴリラが座ってるからだろうか?動物園とかで、良くタイヤと戯れて遊んでる毛深いヤツ。あれ?そりゃ、パンダか。
 ま、ともかくこの嘔吐感がゴリラのせいであることだけは確かだ。
 ゴリラっていうか、座るってるのは脳みそを丸ごと家に置き忘れてきたか、それとも精神年齢が三歳児未満で成長を放棄したか、それとも外出時にはいつも脳みその変わりに、似たような固さの木綿豆腐を突っ込んでいるのだかなんだか良く分からない、凄く頭の悪そうな後天性の南国生まれ色の肌を持つ女子高生なんだけど。
 このムカムカした気分の原因は、そのゴリラが周囲に撒き散らす一酸化炭素みたいな醜悪さにあると思ってまず間違いない。
 
 とにかく、側に居るのは非常につらい。しかもつらいから動けない。どうにもできない状況。板ばさみ。悪循環ジレンマを堂々巡りでイライラのビルボードチャートはうなぎ登り。
 だからさっきみたいに悪辣な(『死ね』みたいな)台詞がポンッと脳裏に浮かんできただけで、普段の僕は無害です。雪印牛乳並に。ホント、紳士で優しいんです。近所の奥様にも評判です。

 そっと小さな花を抱くように心の中で呟く。
 だが、その呟いた言葉はなかなか消えないガン細胞みたいに鬱陶しいので、脳のどっかの感情野に置いてある毒缶に全部詰め込んでギュルルルっとミキサーにかけて粉々に砕いて破棄してやる。すると彼女が心無い一言で傷つくのを気に掛けてあげられるだけの僕一流の気配りを持つジェントルマンの誕生だ。
 電車の中、公の大衆の前で、左手首のテメエの顔面同様惨たらしいリストカット跡を見せびらかして自慢できるような極太の神経を持ったヤロウ、じゃない、彼女に対しても細やかな気遣いを忘れないでいられる。
 ……のもそろそろ限界のようだ。
 
 ……リミッター解除してぇ。
 
 今でも時々死にたくなる、なんて宛ても無く誰かに向かってほざいてやがるし。
 
 あーぁ、チョ→むかつくー。自傷癖は死ね。
 世界はオマエのコトなんて相手にしてねーんだよ。いい加減気づけ。
 
 僕は大げさな溜め息をついて、ヘッ≠ニ笑ってやった。
 どうせ彼女に聞こえたりなんてしない。本来ならレールの継ぎ目を踏む音だけしか聞こえないはずのガラガラの電車に自分達の世界を創り上げて、大声で馬鹿話を繰り広げているから。
 あぁ、携帯って自分が持って無いとこんなにうざいものなのだなぁ。

 そんなできそこないの感情を込めた視線で軽く一睨みしてやるが、彼女は全く気づかない。気づくどころか、騒音デシベルのレートを上げやがる。
 
 うっそ→、それってマジ→?ギャハハハハ!
 
 一つ忠告しておくと、あんまり僕の気分は損ねない方がいいぜ。
 
 やがて電車は速度を緩やかに落とし、プラットホームの停止線からゲームオーバーにならない程度ずれた位置に停車した。
 
 プシュー
 
 僕の斜め右後ろのドアが音を立てて開く。早くあの女子高生を吐き出したいのかいつもより早く開いたように見えた。
 右前方の彼女は、死にかけのババァみたいに緩慢な動作で立ち上がり、携帯に別れの台詞を告げた。
 
 じゃぁ、死ななかったら来週の月曜にまた会おうね
 
 その不用意な一言は僕のリミットを解除した。システムオールグリーン。僕の心臓の血液がどす黒く染まっていく。その血液は頭の中にも輸血され、僕の身体全体の神経すらも黒く染めていく。『魔法使い』のお出ましだ。僕はニタリとした笑みを顔面に貼り付けて呟く。
 
 そうかい。そんなに死にたいなら、死なせてやるよ。僕の魔法で。
 
 電車から彼女が吐き捨てられる寸前、僕の思考と反射筋は即座に行動を起こしていた。まず手始めに、僕のすぐ右を通過しようとした彼女の左足をプラットホームと車体の真っ暗闇の隙間に引っ掛けて転ばせる。
 
 ドサッ
 
 マヌケにも顔面からつまづく彼女。あぁ、見た目どおりだ。これが高原で養生する足が不自由なお嬢様とかなら、僕は喜んで大丈夫?なんて優しい声をかけ、手を差し伸べて助けてやるところだが、駄目。全然駄目。不合格にもほどがある。
 こけた弾みで彼女の手元から携帯が離れ、からからから、と音を立てて回転しながらホームの一番奥の方まで転がっていく。
 突然のコトにテヘヘ、なんて言葉を吐きながら照れ隠しをする彼女。
 
 キモッ
 
 僕は更に魔法を行使するコトにした。
 
 そいつはこういうカンジのものだ。
 彼女は右足を車内に残したまま左足から立ち上がろうとする。が、生まれたての馬みたいにヘナヘナ腰からへたり込んで、また、つまづく。
 右足が電車の床にガッチリ食いついて剥がれないのからだ。
 その後彼女は何度も立ち上がろうとしていたが、暫くすると諦めて、そのままふて腐れたように、プラットホームにうつ伏せに寝そべってた。
 誰かが手を差し伸べると思ってるのか?
 彼女は周囲の人間が、あまりにも自分に無関心なのに気づいて首だけ起こしてキョトキョトする。もとから人気の多いホームではない、しかも人の出入りが一番少ない時間帯、とはいえ数人ぐらいは居る。だが、誰も彼女に無関心だ。
 彼らは彼女を無視して一意専心、ひたすら改札口を目指す。
 
 世界はもうテメェのコトを無視し始めてるんだ。
 
 やがて
 
 ピルルルルル
 
 電車の発車音がすると彼女は急に焦りだした。
 もがく、引っ張る、這いずる、地面を引っかく。どうにかして右足の呪縛を引っぺがして電車からの脱出を試みる。僕は其れを見ながら脳内で『大脱走』のテーマをエンドレスリピートしていた。チャッチャラッチャー、チャッチャチャー。のた打ち回る彼女の効果音を挿入。ばたばたばたばた。ううわっ。体中に鳥肌が立ってきた。武者震いってヤツか?
 
 僕は後ろでワクワクしながら彼女を見守っていると、彼女は最後の手段に出た。
 恥も外聞も無く
 ギャー
 なんて中途半端にデカい叫び声を上げたのだ。
 中途半端なのは、ただ単につまづいただけなのに、大の大人が何を言ってるんだってカンジの恥ずかしさがあったからじゃないのかな、と僕は思う。僕国語の点数はいいんだ。人の心情を察するコトに長けてるんだぜ。
 おっと、こんなコト考えてる場合じゃなかった。僕の魔法じゃ音は操れないんだった。ボサッとしてたら僕が叫んでいる様に思われる。
 よいしょ。僕は手元のカサを軽く振り上げ、中世の騎士が持つスピアーさながらに其れを彼女の喉の、丁度中央辺りに思いっきり突き立てた。彼女は必死になっていて僕には気づかない。誰も気づかない。
 
 グチュ 
 
 ガハッ
 
 手ごたえ在り。僕が彼女の喉に減り込んだ傘の先端をグリグリやって中にある固いしこりをゴリュと抉ってやると、綺麗な赤色をした血を吐いて、喉をヒューヒュ言わせる。
 ビンゴー、声帯破壊ミッションコンプリート。
 あーコレは流石にちょっと周囲の人間にバレたかもな。
 僕は左右を確認。乗降の間隙を縫ったタイミング。運良く駅にも車内にも誰もいなかった。
 
 天は我に味方した!
 
 さぁ、どうするんだろう。王手飛車取りってヤツ?勿論手詰まりは彼女だ。最後尾で乗客の乗り降り、危険性の有無を確認する、頼みの綱の車掌さんにも君の姿は見えてません。残念ながら。
 
 何故なんだろうね?
 何故かなぁ?
 
 ヒントは僕のマ・ホ・ウで〜す♪
 
 んー、でも気づかれなくても全然残念じゃないよね。死ねるんだから。むしろ、こうやって逝かせてあげる僕に感謝して欲しいぐらいだよ。
 
 アッハッハッハッァハ
 
 河馬みたいに暴れたって無駄だって。お前は誰からも見えてねーンだよ。ていうか、見てくれてるのは僕だけー。はい、残念賞を進呈。世界に見捨てられましたで賞。
 
 ウルルルルルル、プシュー、ガタン。
 
 エアー開閉式のドアがまだ電車の中に残っている大根をガッチリキャッチリング。
 女子高生の右足は扉に挟み込まれて女子高生より先の世界へと走り出した。行け、行け、普通電車。走れ、走れ、夢をのせてススメ。4Km、8Km、12Km。ウィーン。独特のモーター音を上げて、等加速度運動的に速度を上げていく鉄の塊with女子高生。小室哲也プロデュース。僕はニヤつきながら座席にどっしり腰を据えた。
 さぁ、僕オリジナルのスナッフムービーを楽しもうじゃないか!片手にワイングラスでも持ってりゃ最高の気分になれるんだろが、未成年の僕はそんなもの飲んじゃいけない。だから片手にペットボトルのペプシコーラで我慢、我慢。
 女子高生は目の奥底に恐怖の青色を浮かべている。夢がモリモリ胸はドキドキ。どんな死に様を晒してくれるのか、楽しみだ。
 
 ズズッ、コツッ、ズズッ、コツッ。女子高生は片足を電車に喰われたまま、プラットホームに寝そべるカタチで引き摺られて行く。最後の抵抗を試みている。やがて、それも虚しく20Km辺りから、一方的に力のつり合いが解かれた。

 
 ごっ、ごっ、ごっ、ごっ。醜い音がプラットホームに響き渡る。バウンド、バウンド、バウンド、デスバウンド。バスケットボールみたいに女子高生の頭がコミカルに跳ねて、盲目者用通路の黄色に赤いスタンプを押していく。時折赤茶けた飛沫を跳ね上げる。多分もう耳とか取れちゃってるんじゃないかな?
 僕は女子高生の姿全体を捉えられる角度に身体の向きを変えた。ザリザリザリザリ。赤いスタンプはやがて赤い一本の線に変わった。
 
 連続して魔法を使い続けたため、精神的に少し疲弊した僕は彼女に掛けていた魔法を一部解除した。魔法が解ければシンデレラのドレスがただの灰被りの木綿服に変わってしまうように、僕の魔法だって解ければ、何がしかのアクションは起こる。
 
 だから、当然(いや、当然なのか?)遠く遠く後ろの方で電車に乗り遅れたマヌケな乗客共がヒャー=Aとかウワァー≠ニかマヌケらしい叫び声を上げる。
 うるせぇなぁ。静かにしろ。なんでコイツじゃなくてテメェラが叫んでるんだよ。
 市中引き摺り回しの刑の罪人はテメェラじゃねーんだからサ。別に自分がやられてるわけじゃねーんだから黙ってろ。テメェは痛くも痒くもねーだろ。テメェらもコイツ諸共死なすぞ、コラ。
 
 あっ、と。ゴリ子のコト、忘れかけてました。放置プレイはいけませんね。ほうら駅の端が迫ってますよー。って気絶してんのか?もう死んだか?おいおい、せめて死のフルコース、勿体無いからデザートのアイスぐらいゆっくり堪能して逝けよ。
 
 ダダンッ。僕の脳内に午後のワイドショーさながらのテロップが入ってくる。絶体絶命女子高生!彼女は、線路に降りられないよう張られた防護ネットに行く手を阻まれています。このままだと激突です!インディージョーンズなら華麗に避けるでしょう。神様に召される前に前転とかで。
 
 君はどうだろう?
 
 バガッ
 
 正面衝突!爆笑!
 彼女の肉が電車と防護ネットの間に挟まれ互いから激しく搾取されあいながらドンドン削れていく。
 ガ、ガガ、ガ、ガチャン。メチメチメチメチッ。ゴリッ。
 肩が半分もげかかった辺りで、ブシャ、とバケツを引っくり返したような鮮血が飛び出して、窓の外にどす黒い赤がぶちまけられる。
 あー残念、ストリャイックアウトォ。彼女の身体は半分だけミットに収まってしまったようです。電車に挟まれて分裂魔球。流石に40Kmにはついてこれませんでしたね。お母さん、今日はこのひき肉で息子さんにハンバーグでも作ってあげてください。世にも珍しい、ゴリラ味ですよ。

 僕はペプシコーラの微炭酸を喉に流し込む。シュワァァァ。一仕事した後の一杯は格別に美味いね!ホッと一息ついた僕の肩まである茶髪は吹き込む爽やかな風に弄ばれていく。
 
 なんで爽やかな風が吹き込んでいるのかというと。

 それは彼女骨盤から大腿骨ごともげた右足が、しぶとくドアの隙間に引掛かってるからでーす。プラ、プラ、プラ、プラ。電車の振動に合わせて振り子の動き。マヌケだ。チョ→笑える。 
 
 アッハッハッハッハ
 
 僕は暫く其れを足先で突いて、血がボタボタ地面を打ち付ける様子だとか、振り子の運動法則を変える動きをさせて楽しんでいたが、ニ、三分もすると飽きてしまって次の駅に着く前に蹴落としておいた。すると、バタンと勢い良く閉まるドアを尻目に電車の後輪に巻き込まれて、ゴリュゴシュ、ガッガリガリガリガリってな具合にけたたましくも醜悪な音を上げて木っ端微塵になって消滅。これがまた僕の笑いのツボを激しくつきまくり。
 
 ヒヒヒヒヒ

 僕は次の駅に入るまで無人の車内で馬鹿笑いを続けていた。
 あー楽しかった。ホント、久しぶりに童心に返れて楽しかったです。
 
 ま、君の死に方は僕の死に様ランキングの中じゃ中の中の下、一週間後ぐらいには忘れちゃってるかもしれない。でも此処で追悼と黙祷の儀を捧げておくから怒らないでね(苦笑)
               


                   2
 
 僕はある日、自分が『魔法使い』であることに気がつきました。魔法使いだと自覚した時にはもう『魔法』は身についていたものなので、いつ覚えたのか、どうやって覚えたのかとかいった類のコトは全くと言っていいほど不明です。最近覚醒したらちょっと電波系みたいでブルー確定、といったカンジですが気づいたのは小学生の頃だったので、あれから数年たったいまじゃ慣れてしまって全然平気です。朝起きて歯を磨くように身近にあるものの一つとして存在しています。今日も明日もそして未来永劫これからも。
 
 そして、そんな『魔法使い』の僕には両親が居ません。家に帰ると、待っているのは僕の恋人です。超可愛いです。なんせ僕の好みの女性を選んだからです。其れは妹です。僕は妹が大好きです。それは多分血を分けた肉親だからじゃないかな、と思っています。他人は恋愛感情が無くなれば、アッサリと身を引いてしまいます。身を引かれた方は未練たらたら、ストーカーに退化してしまう可能性もあります。それは醜いので、僕の生き様の趣旨に違反します。僕はこう見えて結構嫉妬深いので、多分向こうの方から別れを切り出されるともう駄目な派です。だから、思わず、カエルの尻から空気や爆竹を詰め込んだり、ネコの子供を捕まえて壁に投げつけたりとか、クビツリの刑に処したりするぐらい残酷なコトをやってしまうかもしれません。というか、実は一回二回はやったことがあります。あれは若気の至りでした。赤黒い惜別の中、青い自分に深く反省したものです。
 
 だから、僕は妹を選んだのです。生涯の配偶者として、パートナーとして。だって、妹とは恋愛感情が無くなっても、家族の絆で結び付けられています。これは一生背負う業のようなものです。赤い糸より固く結ばれています。僕と妹の場合は薬指と薬指がオリハルコンの糸で結ばれています、なんちゃって。てへ。のろけみたで凄く恥ずかしいです。
 
 でも、これのおかげで僕は安心して、他人を好きになることができるし、他人を好きになって身体を貪りあう関係になることもできるんです。完全無欠、超無敵ってヤツです。妹さえ居れば。さっきみたいに、なんとなくで他人を死なせてしまうコトだって朝飯前です。
 
 だからといって僕と妹の間に肉体関係があるわけではありません。非常にプラトニックな関係です。彼女の記憶の中ではおそらくそうなっているコトでしょう。
 実を言うと、これまた若気の至り、僕は彼女にオーラルセックスをさせようとしたことがあるのです。縮み上がった醜い僕の性器を彼女の小さな口に含ませようと試みました。すると、途端に全身に激しい嫌悪感と、嘔吐感が駆け巡りました。ブツブツ、プツプツ。全身を鳥肌で埋め尽くされた気分はまさにハムレット。次の瞬間、僕は意図せず妹の前頭葉にローリングソバットを決めていました。妹は高さ一メートル付近まで宙を飛び、地面に叩きつけられました。

 これのせいで、妹は所々の記憶を失ってしまったようです。僕のその愚かで忌まわしい行為も、見事に記憶回路の中から吹っ飛んでいました。
 
 ……もしかしたら、忘れたフリをしているだけなのかもしれません。ですが、このときから僕は、彼女の身体に性的欲望のために触れることを極力避けるようになりました。あとで冷静に考えてみると、彼女と僕の顔が良く似ていることにその原因があるのでは無いか、と思っています。自分のモノを自分に含ませる。いわばマスターベーションというやつと同じです。最悪です。自分で自分を慰めるなんて愚の骨頂、人の欲望の醜さ此処にきわまれり、というやつです。剣呑剣呑。
 そして、それがいつのまにか脳内にインプットされるようにできている社会の構造は非常に歪んでいます、歪み切っています。デフレスパイラルです。だから僕が居るんです。頭の悪い人類を間引いていくために、選ばれた戦士として。選ばれた戦士ということは正義の味方です。いつか悪の大王を倒しに往かなければなりません。逝くぞ!サンチョパンサ!
 
 僕はそんな面倒臭いコトはゴメンなので行きませんが。僕と同じ境遇の誰かが代わりに行ってくれることでしょう。僕みたいなハムレット型人間で無い、ドンキホーテ型人間で正義馬鹿、生まれつき無鉄砲な坊ちゃん刈りの誰かさんが。
 
 大分脳がグルグルしてきました。難しいことを考えすぎたせいかも知れません。そろそろ思考に一段落、つけて置いた方が良さそうです。あまり負荷を掛けすぎると、フラグメント化が起こる可能性もあります。
 
 と、いうことで、まぁ、兎にも角にも僕は選ばれた人間で『魔法使い』なワケなんです。
 だから、下等生物カカロットを殺しても全然罪には問われないし、罰を受けることもないんです。

 ね
                   


                   3
                   
 太陽と月が空で左右両対称にせめぎ合う宵の口、僕は女一人を殺し終えた余韻に浸りつつ自宅に辿り着いた。あーマジでチカれた。『魔法使い』も楽じゃないぜ。
 西日に照らされて真っ赤に染まるしょぼくれた我が家。寂々たる雰囲気を醸し出しつつご主人様の帰宅を妹と共に喜べ。オーイエー。手で開いた玄関を足で蹴って締めると、静寂たる我が家の空気に出迎えられる。
 
 あれー?マイシスターは何処?お帰りなさいのチューはー?
 
 心の中で叫びをあげても誰も居やしねぇ。やれやれ。心底ガッカリした僕はとりあえず、部屋にカバンを置いてくることにした。

 季節外れのコタツに潜り込み、ミカンの皮と格闘しつつ妹の帰りを待つ僕。待ってからゆうに三時間は経過している。コタツの中に突っ込んだ足に不愉快な汗が滲みだす。窓をペタン、パタンとリズミカルに叩く雨音はウザイし、今の僕、結構イライラムード。でも、何時間経とうと妹は一向に帰ってくる気配を見せない。一応確認のため、僕はのそりとコタツから這い出ると玄関に向かう。うぅぅ、寒い。
 廊下を突っ切って玄関に出ると、冷え切ったコンクリートタイルに一対の靴が大人しく並んでいるだけだ。あいも変わらず帰宅のキの字すら見せない妹。これほど帰りが遅くなったコトは今迄に一度も無かった。帰りが遅くなったと勘違いしたことならあったが。そのときのコトをぼんやり回想しているうちに気づいた。
 そういやそうそう。灯台元暗し。あの時、玄関に靴が見当たらないから帰ってきてねぇと思ってたけど実のところは部屋に居たんだっけな。拗ねるとすぐ引きこもりたがる妹の可愛い悪癖。確か、学校でイジメにあった時だっけ。なんでもクラス全員にシカトを喰らったとか喰らわなかったとか。何故そんなことになったのかは未だによく知らないが、本人が一番よく理解ってるらしいし敢えて僕が知る必要もないだろう。ま、一応僕は兄であるが故に妹を守るナイトだから、クラスの奴全員、妹を苛めた罰として皆殺しの刑に処しておいた。崖を転がり落ちる妹のクラスメイト足す担任の河原林。アレは傑作だったなぁ。撃墜数は三十二をマーク。一等兵から軍曹に昇級も夢じゃねぇ。僕はククッと思い出し笑いをする。
 
 ま、取りも敢えずは二階にある妹の部屋を確かめてみることにしよう。僕はきびすを返し、玄関からすぐ入ったところにある廊下脇の階段をダン、ダン、ダン、と思い切り床板を踏みつけながら昇る。中段ぐらいまでくれば、もう背後の蛍光灯の光はほとんど届かない。二階に上がると、真っ暗に染め上げられた物音一つしない廊下が行く手を遮っていた。灯りをつけようと、手探りでスイッチをまさぐるが、暗闇の壁が電灯のスイッチを何処かに隠してしまっている。
 僕って怖がりだからこういう場所に弱いのに。ふと『おばけなんてないさ』を大声で唄いたい気持ちにかられたが、口からお≠ェ漏れ出しそうになったところで止めておいた。唄えばおばけ、逆にでてきそうだ。
 そのまま壁伝いに歩いていくと、掌がドアの枠を捉える。階段に一番近い部屋が妹の自室だ。僕はその部屋の前に立つ。手始めは軽いノックから。

 コン、コン、コン
 
 廊下に響き渡る木製音。妹の部屋に下げられたテンプレートがカラカラ揺れる。何の反応も返ってこない。いねぇのかな。首を傾げながら、腰元の位置にある金属製のドアノブに手探りで触れ、開けゴマの合図と共に右回転。ガチャ、ガキッ。鍵が掛かってる。やっぱり部屋に居たのか。僕はノックのボリュームを最大限まであげる。上半身は無限の八の字を描くように。打つべし打つべし。

 ドガッ、ドガッ、ドガッ
 
 響き渡る木製の音響のち静寂。嵐の前の静けさではなく、嵐の後の静けさが廊下に蔓延していく。此処から波紋を広げるように、冷えた空気と沈黙が広がる。なかなかドアが開かないので、今度はマックスボリューム&十六連打を叩き込もうと思って手を振り上げた瞬間、のろのろドアが開いた。
 あぶねぇ、あぶねぇ。妹を高速パンチの群で屠ってしまうトコロだった。
 僕は少しづつ開いていくドアをこちら側のドアノブを掴んで思いっきり引っ張り開ける。逆方向ベクトルの力をカンジつつも、全開にすると、妹が釣れた。妹の背後にある部屋から薄く電気スタンドの灯りが漏れ出してくる。 その中に立っていたのは濁った色彩の目で僕と対峙する妹。辛うじて判別可能な表情は涙の痕でベタベタになっていた。
『まったく』
 妹に分からないよう小さく嘆息する。以前の時と全然変わってない。前回も今回同様、こうして泣きながら部屋にひきこもってたんだっけな。クラス写真を見つめながら。懐かしさを胡椒少々。だが、今回は僕が見つめられていた。胸元三寸に突き刺さる裂迫の敵意が込められた視線で。
 僕は其れに鬱陶しさを覚える。
「おいおい、どうしたんだよ。其の顔。僕を睨んでるのか? 僕を。何で睨んでるんだ? ワケを言ってくれなきゃ分かんないぞ? ん? ん?」
 目線を妹と同じ高度にして、茶化すような口調で問い詰める。
 そんな僕を180度の視線で見つめ続ける妹。相変わらず、遺恨が込められた眼球の動きは僕の奥底を貫いたままだ。普段、常日頃、徒然なるままに妹には優しくて甘いメルティヒーローな僕もこの態度には流石にムッとする。
「あのさー。何か言ってくれねーと、僕、何も分かんないわけ。何とか言えよ。おい」
 軽く妹の肩を掌で突く。グッショリ濡れて冷たかった。
 妹はツツ、とふらつき左足で身体を支える。そして、僕に向かってボソボソと何かを呟いた。
「はぁ、聞こえねーよ」
 俯き加減でこちらを睨み据える視線に苛立ちが募る。苛々々々。どうして僕の回りに居る奴はこうも木偶の坊ばっかりなんだ。言いたいことがあればはっきり言え。僕は少しでもその苛立ちを別ベクトルに向けるため、カーペット床を坦坦、リズミカルに踏みつける。頭だけが動いてるからイライラするんだ。身体も動かせば多少は気が紛れるだろう。
 僕が全身総上げで動くべき場所を細かく動かし、最期の最期に残して置いたとっておき、『歯をギリギリ言わせる』を始めた頃になって、ようやく妹は重い口を開いた。
「……お兄ちゃん、また私の大切な人を殺したね」
「え?」
 その一言にふいをつかれた僕は、全身の動きを止め唖然とする。その一言が僕の思考を根こそぎ奪っていった。忘却の彼方、無我の境地とはまさにこのことか?妹の一言が余りにも意識の範疇外だったせいで、即時対応できない。
 僕はこめかみに手をあてて目を閉じ黙想する。
 殺した?僕が?妹の大切な人を?
 
 もしかして、千切り殺したアイツのコトか?
 
 もしそうだったとしたら。世の中はなんて狭いんだ。余りにも、余りの狭さに袋小路に突っ込まないよう僕は言葉に道順をつけながら妹に答える。
「……『殺した』という行為についての答えは『イエス』だけど……おいおい、あんまり笑わせてくれるなよ? まさかまさか、あんな俗物がオマエの大切な人――ま、元々周囲に居る人間が少ないオマエだから、いわゆる親友だとかの類になるのかな――アイツがそうだっていうのか? 馬鹿馬鹿しいにも程がある。もっとマシな台詞は空き缶と一緒に道端に転がってただろ。今から道路交通法規無視で拾ってきても良いんだぜ? とにかく、あの喚くだけが本来の目的みてーなアイツはただの馬鹿女だぜ? 明らかに『魔法使い』の妹の相手には相応しくねぇよ。失格失格不合格。……兎にも角にも絶対断言してやるが……、アイツとオマエの接点は零下三十度北極地点だ。アイツはオマエの『大切な人』なんてもんじゃない。自分の機嫌が悪いからって、嘘まで吐いて人にあたるのはよくねーと思うんだけど、どうよ?」
 理屈らしい理屈にも、理由らしい理由にも、言い訳にすらなっていない冗句に近い屁理屈になんとか道順をつけた僕は、言葉尻で全てを妹に責任転嫁させることで落ち着いた。だが、言葉は落ち着いた反面、僕の心臓は加速度的に脈打つ。こめかみを汗がつぅ、と流れ落ちた。
「嘘吐きはどっちかな。お兄ちゃんは『誰』のことを言ってるんだろうね。私が『誰』のコトを言ってるか知ってる癖に。言及に及ぶのを避けようとするのは駄目だよ。昔から狼少年と嘘吐きは嫌われるんだよ」
 激昂した妹は普段の明滅する雰囲気とうって変わって、ただひたすらクールミント、瞳の奥に蒼の炎を宿らせて僕を責める。温度は非常に高そうだ。普段から火炎バーナーでオレンジの炎を迸らせる僕とは大違いだ。僕は世界を憎むが、彼女はそんな僕を憎む。スケールでかいね、君。
 僕はやれやれ、と肩を竦める。まさしく『魔法使い』の妹だ。一癖も双癖、見掛け倒しの言葉じゃ陥落には程遠い。僕が『魔法使い』である限り、妹も『魔法使いの妹』であるわけだ。おそらくこの先逝けども逝けども修羅の道。反発係数一の法則により僕が何かを失わせた分だけ、妹も何かを失う。ならば僕はこう答えよう。
「ああ、答えはさっきと同じ『イエス』だ。さっきとの相違点はオマエの『大切なヤツ』を殺した、という事象にも『イエス』と『述べておく』トコロだ。この『イエス』はキリストにでも誓っておこうか? ユダに誓ったって良いぜ。まぁ、そんなくだらねぇ戯言はどうでも良いか……ふふ」
 僕は此処で一旦言葉を切る。妹の瞳の炎の色が淡く揺らめき始める。どんどん温度が下がり始めている。同じ蒼は蒼でも恐怖に揺れる蒼に移り変わりつつある。もう一息だ。僕は焦らすような沈黙を闇に溶け込ませ、妹の瞳が完全に闇色の蒼になるのを待ってから一言付け加えた
「実を言うと、オマエが大切にしてた<сcなら……僕がごっそり首をもぎとってやったぜ」 
 慟哭。妹の瞳が振り子の様に激しく揺れだした。僕はニヤリと、そんな妹を憐れんだ瞳と嘲る笑みで見守る。この瞬間はいつだって最高だ。持たざる者から更に何かを奪い取る生温さ。そして、それをソイツの目の前でむざむざ拳中に握りつぶしてやるとき。とにかく最高だ。
 ほら、見ろ。強がってあんな顔してたって本当のオマエは昔から弱くて泣き虫だ。心拍数と呼吸数、体温が急激に上昇してるぜ。息遣いの荒さで十全、掌の上で躍らせるように分かる。僕は堪え切れず、大声で笑い出す。ヒヒヒヒヒッ。
 それに呼応するかのごとく、ひぐっひぐっ、としゃくり声を上げてへたり込む妹。小動物が持つ特有のいじらしさを発揮し始める。ヤベ。そんな姿を僕に見せるなよ。下半身から立ち上る強烈な疼きが僕の脳髄を突く。このままだと、無理矢理犯っちまいそうだ。だけど、それだけは駄目だ。やってしまえば僕が僕自身の存在を見失ってしまう。
 
 が、そんな表層下の興奮は妹の不用意な一言でプッツリ途絶えた。

 俯いた妹が小さく呟いた短いワンワードに、僕の『魔法使い』は敏感に反応してしまった。
「……私は『死ねば』救われるのかな」
 
 気づいた時には、今日二度目の覚醒を迎えていた。
 
 妹の肩を掴んで仰向けに押し倒すと、飛び掛って馬乗りになり、首根っこを握り締めガクガク揺さぶる。
「あぁ? 死ねば救われえる? はぁ、なんだそれ? それがオマエの結論なのか? 死ねば全部救われるのか? 神様の隣に御霊として鎮座できるのか? それとも極楽浄土、仏様のお膝元で安穏と寝転がっていられるのか? そんなトコロはなー、涅槃を迎えたい人間には到底追いつかない三千世界を夢見る馬鹿共が逝くだけで十分なんだよ」
 僕はマウントポジションのまま妹の顔面を殴る。セックスや暴力に溺れる年頃でもないが、自分の妹に対してだけは特別だ。
 痛い程握りこんだ拳を妹の右頬骨に叩き込む。
 
 ゴッ

 右頬を殴られたら左頬も差し出しなさい。
 
 ガツッ

 頬骨と拳骨がぶつかって軋みあう。ズキリと鈍い痛みを覚える拳。作用反作用の法則に則れば、妹の頬も同等の痛みを味わっているはずだ。
 ホラ、紅紫になって腫れあがってきた。
 なのに涙の痕でベタベタになった妹は、もう何の表情も浮かべていなかった。ただ蒼い炎を憔悴しきった瞳の闇に灯して僕の姿と拳を無表情に捉え続ける。
 その表情に得体の知れない苛立ちを覚えた僕は鳩尾に拳をめり込ませた。

 ぁかふっ

 妹の口から空気が漏れ出す。
 違うんだよ。僕が聞きたいのはそんなもんじゃない。懇願しろ。止めてくださいって言え。痛いから。もうムリだから。死にたくありませんでした、お兄ちゃん困らせてごめんなさい。なんでもいいから。何とか言ってくれ。でないと、僕は。
 
 止まれない

 拳はそのまま勢いを増しひたすら妹の顔ばかりを痛めつける。アハッ、アハハヒャハ。
 脳内アドレナリン確率変動フィーバータイム。殴るのが楽しい。このまま妹の頭を粉々に砕いて前頭葉を咀嚼してみたい。じゃぁ、もっと殴らなきゃね。肉は叩けば柔らかくおいしくなるんだ。誰かワンモアパルメザンチーズプリーズ。
 執拗に顔面ばかりを殴り続けたお陰で、妹の顔面は異様なまでに膨れ上がった。右頬、左頬ともに黒ずんで唇は裂け、血の塊が分厚く乗っかっている。醜くて、もはや僕の妹とは思えないような顔をしていた。
「あぁ、キッタね」
 僕は暗闇の中で囁くと、妹の唇をベロリ、と舐めた。鉄の芳香が鼻腔をくすぐる。じんわりと広がっていく、鉛色の味。
 どす黒い性的欲望が募っていく。だが、募ったところで其れを超えることのできない僕は『魔法』をつかって妹を癒すことで欲望を満たすコトにした。
 腫れあがっているせいでほとんど閉じかけた瞼を舌先三寸でなぞっていく。
 綺麗に整理整頓された部屋の湿度をあげるかのように艶かしい音だけが静かに響く。

 ぺちゃ、ペチャ、ぴちゃ、ペチャ

 ツツッ、と糸を引くほど、僕の潤いで蹂躙されつくした妹の顔が段々元の形状を取り戻していく。僕は最後に妹の口の中に舌を潜り込ませて、歯の裏まで咥内をグルリと一周し、チュルンと引き抜いた。
 あれほど、ボコボコのメークインみたいになっていた御顔は何処へやら、従来のコケティッシュな雰囲気を湛えた可愛さを取り戻していた。
 僕は此れに一頻り満足した。満足したところで『魔法使い』から自我を取り戻す。 

 そして、妹の顔を見つめながら微かに呻いた。
「『魔法』……か」
 
 僕は妹の上から下り、動かなくなった小さな身体を抱きかかえてベッドに寝かせてやると、隣に座り込んだ。座り込んだまま、一つ大きく天井に向けて欠伸をする。
 流石にちょっと殴りすぎたか。ティースプーン一杯ほどの罪悪感を感じた。なら、その罪悪感は今日一日、妹の側についてやることで解消しよう。

 カーテンの外から差し込む朝の光に小鳥の影がよぎって消える。眠たくなってきた。まぁ、完徹で殴り続けたから当然か。もう腕さえ上がらねぇや。四十肩。
 でも、此れも多分、いや、絶対愛が為せる業なんだぜ。全然知らない赤の他人をこうして一晩中可愛がり続けるなんてできやしない。
 ちょっと遊んでザックリ殺せばそれで終わりだ。昨日のゴリ子みたいに。
 妹だから僕はギリギリの自制心を働かせることができる。

 『死にたい』

 そう口にしようとも。嘘を吐けない*が言うんだ。おそらく本心だったのだろう。本当は、僕の前でそう呟いたが最期、十中八九殺される未来が決定している。だけど、妹は例外なんだ。妹が居るからこそ、『魔法使い』の僕の存在定義があるんだ。妹は僕の生きがいで生きるために必要な証だ。だから殺さない。体中で暴走しそうになる赤い炎を寸前で抑えつける。
 
 ――おそらく『魔法使いの僕』は獣なんだ。いつかこの世界の人間を一匹残さず喰らってしまう理性の吹っ飛んだ獣なんだ。血で血を洗い、骨で骨を磨き、頭も身体も腕も足も内臓も性器も脳髄も、そして精神でさえも真っ赤に染め上げられた『赤い獣』――





(FRAGMENT3 腐敗のキシリトール) につづく












  

 
2004/03/01(Mon)11:22:20 公開 / 境 裕次郎
■この作品の著作権は境 裕次郎さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
決定的なミスを幾つか発見してしまったので、敢えて訂正版といった装を呈してもう一度UPさせて頂きました。一度読まれた方は別に読まれなくても多分忘れてしまっておられる、若しくは気づかない程度の伏線なので、大丈夫だと思います。多分。……一応ライトノベル系ミステリのつもりなのでミスが命取りなんです。

P.S 新規で読まれる方に宣言しておきますと、此れは長編です。文字通り長いです。一話と二話だけで20000字を突破していると思われます。初期スカウターなら爆発してます。お付き合い頂くのに結構労力を要する、と思われますので、そういった辺りに留意しつつ読んで頂けると十全です。


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